
1981年にフランスで死刑を廃止する法律を成立させた当時の法務大臣、ロベール・バダンテール(Robert Badinter)氏がそれから20年たって死刑廃止を振り返って語っている短いインタビューがあります。
死刑廃止を求めるバダンテール氏の国民議会での演説が載っている
サイトと同じサイトです。今日はそのインタビューを翻訳、紹介します。
http://www.ladocumentationfrancaise.fr/dossiers/abolition-peine-mort/robert-badinter.shtml
■ロベール・バダンテールへの質問
フランスで死刑廃止論の活動家として知られるロベール・バダンテールは1972年から1980年までの間に、死刑の問題が問われる犯罪事件の弁護士として著名になった。1981年に法務大臣に指名され、彼は死刑廃止法案を国会に提出し、その法案を支持する主張をおこなった。
これは2001年9月に行なわれたインタビューである。
インタビュアー: フランスでの死刑廃止は、フランス革命以来、死刑廃止のためのたくさんの試みに彩られた200年にわたる闘いの終着点でした。世論は死刑廃止にはむしろ慎重だったのに、国会で死刑廃止が可決されたことをどのように説明しますか?
バダンテール: 政治的勇気によってです。
1981年の大統領選の選挙運動期間中、フランソワ・ミッテランは公開の場で死刑廃止に賛成であると表明していました。全左派政党も、1981年の(大統領選の後の)総選挙で死刑廃止を政策プログラムに盛り込んでいました。フランソワ・ミッテランを大統領として選び、国会議員に左派を多数派として選ぶことによって、フランス人は死刑廃止を選んだのです。したがって、死刑廃止は可能な限り民主的な条件の下で可決されたことになります。
インタビュアー: 1981年の、死刑廃止についての議論のときの反対論は何であったかもう一度おっしゃっていただけますか。
バダンテール: 議論は200年前から行われており、すべての論点が交わされてきました。そのときの唯一の新しい論点はヨーロッパに関することでした。西欧ヨーロッパのすべての国はフランスを除いて死刑廃止を選んでいました。もし死刑廃止が凶悪犯罪発生率についてなんらかの危険を伴うものであったとしたならば、西欧ヨーロッパ諸国の責任者たちは死刑廃止を可決しなかったであろうし、死刑廃止を維持しようともしなかったはずなのです。
インタビュアー: 1981年の死刑廃止をめぐる議論はどのような精神の中で、どのような雰囲気の中で行なわれましたか?
バダンテール: 議論は激しいものでした。死刑廃止賛成派の中には雄弁な論者がいました。レーモン・フォルニ(社会党)、ギィ・デュコロネ(共産党)、フィリップ・セガン(RPR、共和国連合、右派)らです。死刑廃止には左派の下院議員全員、フランス民主連合(UDF、右派)の下院議員の三分の一、共和国連合(RPR、右派)の四分の一から賛成票が投じられました。賛成者の中にはジャック・シラクもいます。
本当の驚き、議会での本当の勝利は、私の意見では、(右派が多数派であった)上院での可決でした。上院は国民議会(下院)と同じく、左派の政府に非常に敵対的でしたから。
インタビュアー: 1981年の死刑廃止法によってこの議論は完全に終わったというわけではありませんでした。フランスでは、死刑再導入に好意的な流れがあって、1980年代に死刑存廃の議論が再登場しました。このことをどう説明しますか?死刑の再導入に至ることは可能だったのでしょうか?
バダンテール: 1985年以降、フランスで死刑を復活させることは不可能になっています。実際、1985年にフランスは1983年の国際条約である欧州人権規約の第6議定書を批准しています。この規約は批准国が死刑を用いることを禁じています。国際条約は法律よりも高次の効力を持っていますから、フランス議会は、フランス共和国大統領がこの規約の破棄通告をしない限り死刑を復活させることはできないはずです。仮にフランスがこのような破棄通告をするなら、フランスは人権面でヨーロッパから道義的に追放扱いをされることになるでしょう。人権の祖国というフランスの一定した主張に照らして、フランス共和国大統領からのこのような行為は不可能だと思います。
注) 1984年から1995年まで、死刑を復活させることをめざした27の法案が議会に諮られている。
インタビュアー: 今日、死刑存廃の議論については、むしろ世界での死刑廃止の問題に関心が広がっているようです。特に、フランスでの死刑存廃ではなくてアメリカ合衆国の死刑存廃です。死刑存廃議論のこの進展と、アメリカへの関心の集中についてどう説明しますか?関心がアメリカに集中する一方で、日本のような他の大国でも死刑が適用され続けているわけですが。
バダンテール: 今日、死刑は全ヨーロッパで廃止されています。東欧諸国もふくめて、ヨーロッパのほとんどすべての国が欧州人権規約の第6議定書を批准しています。
世界のそれ以外の国々に関しては、死刑廃止の大義は20年前から大きく前進しています。1981年、フランスは死刑を廃止した36番目の国でした。今日、国連加盟国189ヶ国のうち、108ヶ国が死刑を廃止しています。死刑廃止は世界では多数派になっているのです。
今日では、死刑執行の90%が、中国、アメリカ合衆国、サウジアラビア、イランの4ヶ国で行われています。全体主義、狂信的行為と死刑の結びつきは歴史的な事実です。世界中での死刑廃止の歩みの中での最初の問いは、死刑を用いている唯一の民主主義の大国であるアメリカ合衆国の状況についての問いです。アメリカの世論が死刑に好意的であるにもかかわらず、いくつかの州で死刑執行停止や死刑執行数や死刑判決の減少が今年の初頭から見られるなど、勇気づけられるような兆候が現われています。大メディアが死刑廃止に集結しているのです。
(翻訳引用ここまで)
上のインタビューで、フランスの下院(国民議会)と上院で死刑廃止法案が可決されたときのことを振り返って、死刑廃止をかかげて選挙をたたかった側が多数派を占めていた下院とはちがって、その対立派が多数派を占めていた上院で可決されたことの方が驚きだったとバダンテール氏が回想していることは確かにその通りだと思います。
なお、上に出てきた社会党の政治家、レーモン・フォルニが亡くなったときに、彼への追悼の気持ちも込めながら当秘書課広報室ではこういう記事を出しましたので、ご参考までに、よろしければお読みください。
■イタリア移民の子どもとして生まれ、フランス人として生き、ヨーロッパ人として亡くなった政治家
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-556.htmlさて、死刑廃止法案が下院と上院で可決されるにいたるプロセスを下記の記事で書いたことがありましたが、そこから、該当の部分だけこちらにも採録しておきます。
■多数の国民が反対する法案の通し方(政府与党・自公政権に捧ぐ)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-85.html
1981年のフランスでは、死刑反対の世論は約33パーセント、死刑賛成の世論は約63パーセントだったそうです。この情勢で、どういうプロセスで死刑廃止がなされたのか、改めてそれを見ていこうというわけです。
死刑廃止を支持する私とはちがう考えの方もここを読んでいらっしゃると思いますが、どうか以下もお読みいただければ幸いです。
まず、フランスで、最初の議会制議会で死刑廃止が提起されたのはフランス革命直後の1791年にさかのぼるということを思い出さなければなりません。それから190年の間、多くの文化人、政治家、もちろんあらゆる政治階層の一般男女の中にも死刑廃止を願い、主張した人は大勢いました。実際に死刑の適用範囲が制限されたり、死刑が実質上停止されたりした時期もありました。それでも死刑制度そのものはずっと生き延びてきました。それには、世論の多くが、凶悪犯罪が起こったときに特に憤激し、犯人の死刑を支持したということもあります。
たとえば、当時を知るフランス人が今も覚えているであろう代表的な事件が、1970年代のパトリック・アンリ事件でした。フランス東部、シャンパーニュ地方オーブ県の県庁所在地、トロワで1976年2月、8歳のフィリップ・ベルトラン少年が身代金目当てで誘拐され、行方不明になりました。ベルトラン家と付き合いのあった若い男性パトリック・アンリが容疑者として取調べを受け、容疑不十分で釈放になった後、「こんな誘拐事件の犯人は死刑にすることに賛成だ」と発言しました。(また、それより前にトロワで起こった別の殺人事件の裁判のときに裁判所を囲む群衆の中にいた彼は死刑を叫んでいたそうです。)その数日後に、アンリが彼の借りていた部屋にいたところを警察に取り押さえられたとき、ベッドの下から死後約1週間のフィリップ少年の死体が発見され、殺人者アンリへのかつてない憎悪がたちまちフランス全土に広がり、世論は沸騰し、マスメディアはもちろんのこと、二人の内閣閣僚まで三権分立の原則を無視して死刑を叫びました。このような場合、世論が死刑賛成に振れることは、人間の感情の常だと言えることでしょう。(なお、フランスにおける凶悪犯罪の代名詞のようになったこの事件で、近くの町の弁護士会会長ロベール・ボキヨンとともにパトリック・アンリの弁護を引き受けたのがバダンテール弁護士で、その弁護によって最終的に死刑判決は回避され、パトリック・アンリは終身刑の判決を受けました。)
それでも、死刑廃止は多くの人々によって脈々と主張され続け、死刑には犯罪やテロリズムを抑止する効果があるとは言えないという事実が時代を超えて、国を超えて、少しずつ積み上げられてきました。死刑が民主主義とは相容れないという思想も徐々に広がっていったでしょう。それは、フランスだけではなく、ヨーロッパ諸国でもそうで、実際、ヨーロッパ議会からは死刑に対する反感が表明されていました。
死刑廃止に向けた政治家の具体的な動きは右派、左派の両方にありましたが、世論を恐れてフランスの政治家は1970年代も死刑廃止に向けたはっきりした行動をとることをためらっていたと言えるでしょう。プライベートな場では死刑に賛成でなくても、世論や自分の選挙のことを考えて、公的にはなかなかそうは言えない政治家も多かったと思います。たとえば、1974年から1981年まで大統領を務めた保守派のヴァレリー・ジスカールデスタンは1981年、再選をかけた大統領選挙前にこう言っていました。「わたしの任期中に死刑は適用されてきた。現時点では、政府が議会に死刑廃止を提案するべきではないと考えている。平穏な社会にあってしか、このような変更を行なうことはできないと考える。(…)そして、そうした平穏がフランス社会全体にゆき渡らないかぎり、死刑廃止はフランス国民の気持ちに大きく逆らうことになるでしょう。わたくしはフランス国民を代表して統治を行っているわけですから、国民の気持ちに大きく逆らう権利はないものと考えます。」たしかに、1970年代頃は、死刑賛成が60パーセント超、死刑反対が30パーセント前後、といった世論の分布だったようで、死刑廃止に賛成の意を表明することで選挙民の支持を失うことは政治家としては怖いことだったでしょう。
このように、1970年代末のフランスでは、死刑廃止に向けた動きが積み重ねられながらも、世論調査にあらわれる死刑存置の世論は多数派でした。
さて、1981年、フランス大統領選挙。社会党の候補者、フランソワ・ミッテランがテレビに出演したとき、死刑についての司会者の質問に、彼はカメラを正面から見て、こう答えたそうです。
「良心において、良心に基づいて、わたしは死刑に反対します。それと反対のことを告げている世論調査を読む必要はありません。過半数の意見は死刑に賛成なのです。わたしは、共和国大統領の候補者です。(…)わたしは思っていることを言います。わたしの信ずること、わたしの心が信じていること、わたしの信念、わたしの文明への配慮を口にします。わたしは死刑には賛成できません…」
もちろん、選挙の争点は死刑だけではありません。しかし、世論とは反対のこと、選挙向きでない信念をこれだけまっすぐに大勢のテレビ視聴者の前でフランソワ・ミッテラン候補は断言したのです。
フランソワ・ミッテランは当選しました。そして、それに続く国民議会(下院)総選挙でも、公約の中に死刑廃止をかかげた左派(社会党、共産党)が多数を占めて勝利しました。死刑廃止という公約は、世論の審判を二度通ったということです。
下院は死刑廃止に賛成する左派が多数を占め、上院は対立党派である右派の多数派が残る、そういう国会の勢力比でした。1970年代に多くの凶悪事件の被告の弁護を担当して、その多くで死刑を回避させる判決を導き出したロベール・バダンテール氏が法務大臣に指名され、死刑廃止は1981年9月、国民議会での審議にかけられることになりました。
バダンテール法務大臣は夏の間、法案の草案を作成します。戦時下の留保もつけず、代替刑に関する条項も入れず、1848年に作家ヴィクトル・ユゴーが「死刑廃止は純粋で、単純で、決定的でなければならない」と願ったとおり、ただ「死刑は廃止される」という条文を核に、簡潔な法案を作りました。
そして、9月の国民議会での討議の準備として、バダンテール法務大臣は、このめぐりあわせによって死刑廃止という大義を、議員たちの前で擁護するという特権を与えられたと感じ、喜びと情熱に満ちて演説の草稿を書く作業にとりかかり、フランスでは有名なバダンテールの死刑廃止演説が生まれました。全文をぜひお読みいただきたいですが、簡単に言うと、死刑をめぐるすべての論点を一つ一つていねいに取り上げて、死刑廃止は良心の議論であり、死刑廃止が民主主義の原理にのっとったものであり、議員の良心に語りかけて死刑の廃止を要請する内容です。
まず、国民議会(下院)。9月10日、まず、社会党のレーモン・フォルニを委員長とし、右派も左派も死刑廃止論者が多数を占める法務委員会では、一切の修正なしで、つまり、純粋で、単純で、決定的な政府提出法案が採択されました。
さて、9月17日、国民議会でいよいよバダンテール法務大臣の演説となります。
死刑廃止は良心の議論、個人としての社会的意思表明であることを宣言し、
フランスがその思想や主義主張や寛容さの輝きで偉大であることを強調し、
フランスの死刑廃止が遅れた原因は政治的理由であると反省しながら死刑廃止思想を歴史的に振り返り、
死刑には犯罪抑止力はないとデータを提示し、
1981年の二度の選挙で死刑廃止を公約としてはっきりとかかげた左派が多数派を占めたことを有権者と議員との協約であることを思い出させ、
死刑を国民投票にかける道は憲法上ありえないと注意をうながし、
死刑廃止国の経験や死刑廃止を支持する数多くの研究や調査を見ることを呼びかけ、
フランスでの凶悪犯罪発生率は増えているというよりもむしろとどこおっていると示しつつ、なぜ死刑の存在が凶悪犯罪を抑止しないのかという問いに対して殺人者の心理に触れながら回答し、
具体的には、凶悪犯に対して死刑を叫んでいた者が重大な罪を犯して死刑を求刑された例をあげ、
死刑は犯罪抑止の問題ではないことを言った後、自由が体制の中に定着していて実践上も尊重されているすべての国では死刑は廃止されており、人権を軽視する独裁国ではどこでも死刑があり、死刑には全体主義的な意味が含まれることを指摘し、
死刑はテロリストを抑止することはないと述べ、
人権団体や宗教家たちが死刑に反対してきたことに触れ、
死刑支持者が持つ憎悪に関しては、死刑は復讐としても同害報復としても行われてはならないと説き、
自らの弁護士としての経験から犠牲者の不幸と苦しみに触れながら、犯罪は犠牲者にとってもその家族にとっても、犯罪者の家族にとっても、そして犯罪者にとっても不幸であるとして、
責任感ある誰もがその不幸と闘おうと望んでいると言い、
犠牲者の親族が罪人の死を望むことを人間の自然な反応であるとして理解を示し、
それでも、仮に正義の名のもとに死刑を受け入れるならば歴史の論理の中でそれが何を意味することになるのか考え直させながら、さらには死刑と人種差別のつながりを暴き、
死刑のある司法を望むことは、完全に有罪の人間がいるという信念と、他人の生死を決定できるほどに無過誤を確信した司法が存在するという信念の二つを意味するが、それはどちらも誤りだと思うと信念を吐露し、
誤判の可能性や判決の揺れは人間の命をもてあそぶギャンブルであるとたとえ、
犠牲者がいたいけな弱者であることや犯された罪状の凶悪性によっては死刑を残すという提案については、すべての犠牲者は同じ同情、同じ憐憫の情を誘うことを指摘しながら、死刑か死刑でないかをこの点において区別することは不正義を生むとして退け、
代替刑についての条項や戦時に関する条項を急いでこの法案には含めない理由を示し、
改めてこの死刑廃止が議員の良心にかかっていることを訴え、
与野党問わず多くの議員が死刑廃止のために闘ったことやこうして法案を提出できたこと、古来の最も高貴な「奉仕」という意味において大臣職の責任を全うしたことを感謝して演説を締めくくり、全左派与党からはもちろん、一部の右派野党からも拍手を受けます。
その演説の後、二日間続いた討議は長いものでした。採決は記名投票。それは左派与党と二つの右派のうち一つの派の要求でした。党議拘束は無しです。その結果、与党である左派のほぼ全員が死刑廃止に投票しただけでなく、右派のかなりの支持も集めました。その結果は、4分の3を超える賛成票です。
こうして国民議会(下院)で圧倒的多数で可決された死刑廃止法案は、右派が多数を占める上院に送られました。しかし、バダンテール法務大臣は、死刑廃止が無理矢理決議された法律という性格を与えたくなかったので緊急手続きに訴えるのは拒否しました。
学者的な雰囲気の上院法務委員会では、修正案が採択され、否決され、報告者が任務の続行を拒み、という具合に対決が続きました。バダンテール法務大臣は、自信がないままに、ヨーロッパの結束を強く支持する右派の上院議員の前で、ヨーロッパ規模での死刑廃止を強調しようと考え、上院での演説の趣旨をヨーロッパという観点から見た死刑廃止ということにしました。法案の討論には27人の発言者。自由投票が保証されていた中で、死刑廃止について同じ信念を持つ対立する政党の議員たちが奇妙な親和力で結びついていたそうです。
死刑廃止に反対する側から出た最後の修正案は、「殺人を繰り返したときと、秩序維持に当たる公務員に対する殺人と、未成年の誘拐殺人の場合だけは死刑を維持する」というものでした。バダンテール法務大臣は、被害者はすべて同じく同情に値すること、家族のある若者が殺された場合の不幸も、独身の警官が殺された場合の不幸もどちらも同じく悲劇的であること、強姦され殺された若い女性も誘拐されて殺された子どもも、どちらも同じように同情を集めることを思い出させました。そして、死刑廃止というのは道義的選択であって、誰も被害者の苦しみの強さを決めることはできないのだから、被害者の抽象的な区別にもとづいて部分的に死刑を廃止することは考えられないと強調しました。
この修正案は172対115で否決。右派からも拍手が起きます。原案の第一条「死刑は廃止される」は記名投票の結果、160対126で可決。この時点で死刑廃止法案反対派から出ていた修正案はすべて引き下げられ、法案は最終的に挙手で可決。両院往復は無し、第二回の読会も無しでした。
時は1981年9月30日、12時50分。ヴィクトル・ユゴーの願いだった、「純粋で、単純で、決定的な死刑廃止」がフランスで実現した瞬間です。
死刑廃止に賛成しない人でも、フランスのこの190年の死刑廃止史の流れ、そして、1981年のこの選挙と議会審議プロセスが、完全に民主主義的な手続きによって、すべての点を提示して論じつくし、議員一人一人が自らの良心にもとづいて自由に投票し、瑕疵のない合意を下院と上院で形成したことを認めずにはいられないと思います。
(引用ここまで)
参照文献は次の二つです。
■
「そして、死刑は廃止された」(ロベール・バダンテール著、藤田真利子訳、作品社)(フランス語版原著は2000年、邦訳は2002年)■「1981年9月17日、フランス国民議会、死刑廃止法案の審議における、法務大臣ロベール・バダンテールの演説全文訳」
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-250.htmlというわけで、今日9月30日はフランス上院で死刑廃止法案が可決された日からちょうど27年の記念日です。
築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守ろうとがんばるRolling Beanさんへの応援よろしくお願いします。
●Like a rolling bean (new) 出来事録
■2008-09-21 言行不一致のきわみ、イシハラ氏会見(9月19日)「汚染米を口にした消費者を慮る僕」といった
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10141887394.html
■2008-09-23 これまでの豊洲新市場問題の簡易まとめ(記者会見に先駆けて)
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10143055108.html
■2008-09-24 【簡易レポート】豊洲新市場対策中止のための都知事要請行動と記者会見
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10143447314.html
■2008-09-26 【画像転載】 新聞各紙の記事比較:豊洲新市場対策の中止の都知事要請行動報道
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10143851242.html
「税制について世界の片隅でニュースを読もう」ミニキャンペーン
■世界の片隅でニュースを読む 「税制」カテゴリー
http://sekakata.exblog.jp/tags/%E7%A8%8E%E5%88%B6/
「消費税と社会保障と国家予算についての知られざる真実を大脇道場で学ぼう」ミニキャンペーン
■NO.540 消費税増税反対関連エントリー集。
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-588.html
「民主党に投書しよう」ミニキャンペーン
■自公政権の退場を望むなら、その代わりに望む政策をどしどし民主党に伝えよう
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-792.html
有権者・納税者として、自公チュー政治に「ノー」と言うために、
人気blogランキング(政治部門)参加中。一日一クリック応援お願いです。
ゼノフォビアブログに囲まれながらも、
らんきーング上げて、
ペガサスや
白鳥や
大鶴(大津留)のように高く飛翔したいと願って、
かげの中で
浮游する
お玉の上で「
そもそもどーなの?」と
さるのつぶやきを続け、
右も左もなく下でアブナイばらんすとりながら
、天木直人さんや
保坂展人さんの憂国の思いを激励しようと
世界愛人主義同盟秘書は書いてます。気分はときどき
Saudadeでも、
晴耕雨読の生活の中、
伊達と酔狂で革命を語り、
生活の中で感じた疑問や思いをあれこれ土佐高知の雑記帳に書き、負けずに
現政権に「ノー」を言えば、気分は
goodになるかもしれません。
灰色のベンチから広島瀬戸内まで人気ブログランキング政治部門に平和的共生と立憲主義の風を入れましょう(^_^)/
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http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-49.html■テレビ報道番組のご意見窓口リスト(
「わんばらんす」さんからの転載)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-50.html●News for the people in Japan マス・メディア 問い合わせ用 リンク集
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テロの犠牲になった悲しみのノルウェーの民主社会村野瀬 玲奈首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。岸田翔太郎が首相秘書官を辞職 岸田翔太郎が2023年6月1日付けで辞職するとのこと。6月1日付けというのは,ボーナスを全額もらうためでしょうか。岸田首相自分自身は責任をとらないのでしょうか。馬鹿息Takeshi死刑FAQ (適宜更新)戦争と死刑の間にあるもの 人は人を殺してはいけない。
個人が故意をもって他の個人を殺害すれば違法であり,死刑に処せられるというのが過去から現在に至るまでの世界的なルールです。現在は死Takeshi首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。岸田翔太郎はどこまでウダイに近づくのか。 独裁者の馬鹿息子としてウダイ・サッダーム・フセイン(1964.6.18~2003.7.22)が有名です。サッダームの長男として生まれてから、両親に甘やかされて育てられたと言われTakeshi死刑FAQ (適宜更新)ノルウェー政府庁舎爆発及びウトヤ島での銃乱射事件2011年7月22日,アンネシュ・ブレイビクは,、オスロ中心地にある政府庁舎を爆破し8人の命を奪った後,ウトヤ島で労働党の青年部の関係者69人を銃で殺害しました。単独犯行Takeshi立法根拠が無い #入管法改悪反対 。No title事実上難民を受け入れないのは条約違反=憲法98条違反なんですが
岸田はこの愚行で何を守ろうとしてるんですかね…津木野宇佐儀(「月乃兎」改め)石垣島への陸上自衛隊配備について住民投票を求める規定数以上の署名を集めたのに住民投票実施を行政からも司法からも却下された異常事態沖縄は今も本土の捨て石にされている。 沖縄は大東亜戦争で日本本土の捨て石にされ,莫大な民間人犠牲者を出しました。戦後も裕仁天皇の越権行為により,米軍基地が半永久的に配備されました。選挙で民意を示しTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度No title 日本において高すぎる供託金が立候補の妨げとなり、結果として新しい候補や政治勢力の台頭を阻んでいます。先進民主主義国家と言われる国の中では非常識に高い供託金は、クテシフォン少女時代(소녀시대、Girl's Generation) 「다시 만난 세계」 (Into The New World、また巡り逢えた世界) (不定期連載、「気まぐれK-POPプレイリスト」)これらの曲もいいと思います。 ポーランド・ロックのシンガーソングライターであるKaśka Sochacka(カシカ・ソハッカ)のCiche Dni(静かな日々)とSpaleni Słońcem(太陽に灼かれて)
もいい曲だと思いますTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度 選挙供託金制度は1920年代に普通選挙が導入された際、無産政党の参入を阻止するために制定されました。
これとセットになっているのが無産政党の活動を制限する治安維左の人日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対人権を嫌悪する者が付和雷同し、嫌がらせの言節を放っているのに食傷。 こんばんは。私も村野瀬さんも十数年にわたってSNSの言論の場に身を置いていますが、特に近年、「物事を丁寧に書き示す」より「対象物を手っ取り早くぶん殴れる」言節が伊東 勉広島サミットについての批判的メモサミットとは?そもそもサミットとは?
欧米列強&欧米列強の悪い部分ばかりマネしてそのおこぼれにあずかろうとしている日本が、これまで作り上げた国際秩序と自らの覇権を確保するため閉口首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。前近代的な日本の姿自民党は前近代的な世襲政治家が多い政党です。
岸田文雄も世襲政治家です。
首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。
まるで封建時代の絶対王政の国そのものです。
こういった政治家閉口日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対入管法改悪法案の廃案と帰国できない事情のある仮放免者に在留資格を付与することを求めます!入管法で改正が必要なのは、今の杜撰すぎる難民認定審査のあり方です。
日本は難民として認定すべき人を難民として認定していません。
それを改正するどころか改悪して難民閉口