コメント
うぬぼれ
可能性はどちらも五分と五分だと思います。
もし自分が被害者だったら?被害者親族だったら?という質問はよく聞かれます。
しかし、もし自分が加害者だったら?加害者親族だったら?という質問はあまり聞かれないように思います。
このことは、自分は被害者にはなっても、絶対に加害者にはならない。自分は常に正しい、誤りは犯さないといったうぬぼれた人間が、いかに多いかということをあらわしているように思います。
こういった人間のうぬぼれにただただ閉口させられるばかりです。
初めまして
私も、死刑制度には反対です。
私も、被害者側になるのも、加害者側になるのも、紙一重だと思います。
また、加害者と同じDNAで、同じ生活環境で育ち、犯罪を犯さない人だけが、加害者を非難出来るのではないでしょうか?
ですが、被害者の家族の方々には、加害者に罪を償ってもらう権利はありますが・・・。
かといって、私達、被害者家族でもないものが、死刑をけしかける事があっては絶対ダメだと思います。
無差別殺人のような事件には難しいのかもしれませんが、心の闇を探るより、いじめをなくしたり、女性は夜遅く出かけるのをやめるだけでも、加害者も減り、被害者も減るのではないかと思います。
いじめをしている人は、自分達が加害者を生み出しているということを知り、犯罪と無関係ではないという事を知る必要があると思います。
また、私達は知らず知らずに、誰かを傷つけ苦しめています。
>みなさん
>閉口さん
うぬぼれているかどうかは別として、自分は誤りをおかさないと考えている人は多いですね。過失の交通事故で私の身内を殺された場合、私が「被害者の遺族である私の感情を考えなさい。死んで償いなさい」と犯人にしつこく要求したらどうなるのか、などと考えることもあります。日本では8割以上の人が死刑に多かれ少なかれ賛成だそうですから、賛成してもらえるのか、「純粋な過失致死でそんなことは要求できない」と言われるのか...。まあ、考えるだけです。
>さくらんぼさん
はじめまして。いらっしゃいませ。うちではコメントは管理人承認制をとっていまして、コメントを書いてもすぐに表にはでません。二度コメントをいただきましたが、同じ趣旨でしたので一つは削除扱いにさせていただきました。
家族や身内でもない私達が、死刑をけしかけるものではあってはならない、ということは私もよく考えます。第三者にできることは、静かに哀悼の意を表すること、犯罪の少ない社会にしていくためには犯罪のどのような原因を取り除くのがいいのかを静かに考えることだと思います。
もう一つ興味深いのは、「犯人を死刑にせよ」の声があがる一方で、たとえば強姦のような犯罪に対しては被害者の落ち度を探して加害者を免罪するような声がかなり根強いことです...。これはさくらんぼさんへの返事とは別のことですけど。
>08/06/23 11:36:12の匿名コメント提供者さま
励ましありがとうございます。おっしゃるとおり、死刑は負の連鎖しか生み出さないのですが、感情の問題はむずかしいですね。
>08/06/23 13:47:28の匿名コメント提供者さま
ありがとうございます。こんな私ですが、私なりに何か言っておかないと、と思っていろいろ考えて書いています。読んだ人になにかの参考にしてもらえればと。
ただ、私、当事者ではないけど、どんな人であれ、人が殺されることを想像すると、やはりいい気持ちはしないのです。イラクの罪のない市民がアメリカ軍に殺されること、民衆を殺した独裁者が処刑されること、重罪犯が処刑されること、第二次大戦中にアジアの人々が日本軍に殺されたこと、日本の戦犯が連合軍によって処刑されたこと、などなど、どんな例を想像しても居心地が悪いです。
犯罪者の心理
こういうネットの書き込みなんかでも、マナーを守れない人に限って、厳罰賛成派です。
では、既に犯罪を犯した人たちはどうなのかというと、実はこれも同じなんですね。
凶悪犯罪者たちは、ほとんどが死刑制度に賛成です。
それをもって、「当の凶悪犯罪者たちが死刑に賛成しているんだから、社会契約上は問題ないじゃないか」ともいえるかも知れませんが、果たしてそれでよいのかということですね。
死刑論は入試からなくなる?
で、その一貫として、慶應総合政策学部05年入試問題もあるのだと。
しかし、死刑制度については、世界の趨勢は廃止の方向で決しつつあるように思えます。こうなると、死刑論は入試のテーマから除外される可能性があります。何せ出題するのは大学の先生方ですからね、少なくとも法学部なら出題者がこの趨勢を知らないとは考えにくいです。
死刑制度は必要です
死刑制度を廃止しようがしまいが、「犯罪という不幸を作り出す構造や契機を少しでも少なくする社会を作ること」には全然繋がりません。死刑制度を廃止している国で日本よりも凶悪犯罪の発生率が高いところは、たくさんあります。
「その手がかりをこれらの犯罪から得ようとする努力」
凶悪犯罪の発生率を比べれば、日本は今でも十分「不幸の少ない社会」ですが。フランスあたりの「努力」とやらと比べても、日本の「努力」の方が優れた成果を挙げて(すなわち、不幸の少ない社会になって)います。
「犯人が何を考えて犯行に及んだのか、それを知る機会も永遠に失われたことになります。」
捜査と裁判の過程である程度判っています。その結果が死刑なのです。
「私たちは犯人のことを理解できないまま、この犯罪を理解できないまま」
犯行が濡れ衣でなく事実であり、犯人が冷酷非情の極悪人であることが理解できましたが。その結果が死刑なのです。
「この事件から社会のゆがみを社会全体で読み取って正そうとする営みも未完のまま」
「社会の中の事件の根をなくそうとする努力」
フランスあたりの「努力」「営み」とやらと比べても、日本の「努力」「営み」の方が優れた成果を挙げています。で、そういう「努力」「営み」は、死刑制度の存続とも廃止とも関係ない、別次元のことです。
「死刑に凶悪犯罪抑止効果があると考えることはできない」
死刑廃止にも凶悪犯罪抑止効果などはありません。
「冤罪の可能性」
冤罪の可能性がある場合は、死刑に限らず、いかなる刑罰も科されるべきではありません。冤罪の可能性という問題に対しては、捜査と審議の正確を期すべきなのであり、「冤罪かもしれないから、死刑はやめとこう、無期にしとこう」でいい訳はないでしょう。
「全体主義性」
「天皇主権・君主主義国家体制の変革を企む結社を組織したら死刑」とかならともかく、幼女誘拐殺人やら殺人強姦やら無差別通り魔やらを死刑にするのが、何で全体主義的なのですかね。
「民主主義が制度と実践の両面で定着している国々で長い歴史の試練に耐えた十分な理由と根拠が死刑反対論にはある」
幼女誘拐殺人やら殺人強姦やら無差別通り魔やらを死刑にしようがしまいが、民主主義とも全体主義とも関係ありません。別次元のことです。
「刑務官の苦悩」
公務員は法に則り(死刑制度も法ですよ)職務を粛々と遂行せねばなりません。それができないのなら辞職すべきです。
「死刑が法で規定された「制度」である以上、それは論理的、倫理的な体系的一貫性がなければ」
本来、被害者の受けた人権侵害の程度と状況に応じて、加害者の受けるべき刑罰(犯人の人権を制限するペナルティ)を決めているのです。
全く落ち度のない被害者をわざと殺したら、加害者の生命も剥奪されうる、それが人権のバランスというものです。「いかなる場合も犯人を死刑にしてはならない」というのは、「被害者の人権<加害者の人権」とみなしているのと同じであり、バランスを欠いています。
>Black Jokerさん
>死刑制度を廃止している国で日本よりも凶悪犯罪の発生率が高いところは、たくさんあります。
でしたら、日本で死刑をどうしても維持する必要はありませんね。「犯罪の抑止」を理由のひとつにかかげて死刑制度を維持しているわけですから。
>幼女誘拐殺人やら殺人強姦やら無差別通り魔やらを死刑にしようがしまいが、民主主義とも全体主義とも関係ありません。別次元のことです。
私には意味不明です。組織が個人に対して「死を命じる」という究極の加害を行うことができる、それが全体主義でないと言いたいのならもっときちんとした説明が必要です。
>日本の「努力」「営み」の方が優れた成果を挙げています。
「努力」の内容と「優れた成果」の具体例がないと、この文には意味がありません。
>全く落ち度のない被害者をわざと殺したら、加害者の生命も剥奪されうる、それが人権のバランスというものです。
言葉本来の意味の「人権」(たとえば世界人権宣言で書かれている「人権」)とあなたの理解はかなりずれているようですが、まあそれはいいです。でも、あなたなりに理解する「人権」とは何か、それは定義、説明できるのでしょうか。それができなければ、この文に意味はありません。
ところで、あなたの価値観では、殺人者は全員死刑ということになるのでしょうか?(もし死刑にしたりしなかったりしたら、あなた自身が被害者の「人権」に差別を持ち込んでいることになります。「人権」という言葉の定義はおくにしても。)
また、過失致死であっても、被害者にとってはたった一つの命を奪われたということで、死に至らしめられたという結果は同じです。殺人と過失致死とを区別する理由は何でしょう?過失致死事件で殺された被害者遺族が「加害者を死刑にせよ」と強く主張したら、あなたはそれに賛成するのでしょうか、はねのけるのでしょうか。
これらの疑問に対してきちんとした説明ができるのであれば、お聞かせください。無理にとは言いませんが...。
バランス
いいえ、「人権のバランス、罪と罰のバランス」から死刑制度を維持する必要があるのです。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b152016.htm
↑二の(17)について。「…その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」
「一般予防の見地」については蛇足です、各国を比べてみても死刑制度の有無と凶悪犯罪の発生率に相関がない以上、廃止派の言う通り「犯罪の抑止」は死刑制度の維持の理由になりえません、が廃止の理由にもなりえません。
「罪刑の均衡の見地」の方が決定的に重要なのであり、これこそが死刑制度の維持を必要とする本質的理由なのです。
例えば、件の幼女誘拐殺人でですね、犯人の死刑に反対するということは、
「犯人が幼女4人を殺した(幼女4人の生命を故意に剥奪した)という罪」に対して
「犯人を死刑に処す(犯人の生命を剥奪する)という罰」を与えるのは、
バランスがとれていない、罪に比べて罰の方が厳し過ぎる重過ぎる、
均衡を確保するために罰を軽くし犯人を生かしておくべきだ、
…と言っているのと同じなのですよ。
被害者の幼女の生命の権利よりも犯人の生命の権利を重く見ているのと同じなのですよ。
そういう主張に「論理的、倫理的な体系的一貫性」とやらがありますか。
「組織が個人に対して「死を命じる」という究極の加害を行うことができる、それが全体主義でないと言いたいのならもっときちんとした説明が必要です。」
民主主義:究極の加害を行なうことはできないが、究極でない加害なら行なうことができる。
全体主義:究極の加害も行なうことができる。
…などという定義は聞いたことがありませんが。
この妙な定義でいけば、「反戦ビラを配った者を捕らえて死刑にすると全体主義だが、無期懲役なら民主主義の範囲だ」みたいな話も成り立ってしまいますが、どの国語辞典にそんな妙な定義が書いてありますか。
そもそも司法制度は、組織が犯罪者の人権を制限する、軽い罪には軽い罰、重い罪には重い罰を与えることによって、大なり小なり犯罪者の人権を制限するものであって、そのような罰は加害でもなんでもない。「罰は加害だからダメ」というなら、「野放しにするしかない、司法もいらない」ということになってしまいますよ。
「言葉本来の意味の「人権」」
言葉本来の意味の「全体主義」は、貴方の用法とは異なります。
で、犯罪者の「人権」ですが、世界人権宣言では「犯罪者を死刑にするのは、犯罪者の人権侵害であり、許されない」みたいなことは全然書いていません。
「殺人者は全員死刑ということになるのでしょうか?」
「死刑制度を廃止せよ」=「全ての殺人者を死刑にするな」ですが。
「死刑制度を維持せよ」=「全ての殺人者を死刑にせよ」ではありません。
例えば、被害者側に落ち度があれば酌量が適用されうるでしょうが、件の幼女に落ち度がありますか。
「あなた自身が被害者の「人権」に差別を持ち込んで」
被害者側が悪くない場合と被害者側も悪い場合を区別するのは当然でしょう。
世界人権宣言では「被害者側も悪い場合に酌量を適用するのは、差別であり許されない、被害者側が悪くない場合と平等に扱わねばならない」みたいなことは全然書いていません。
「過失致死事件で殺された被害者遺族が「加害者を死刑にせよ」と強く主張したら」
殺すつもりで殺すのとそうでなく死なせてしまうのでは、罪の重さが違いますから、罰の重さも異なります。過失致死で遺族が何を言おうが、刑法を逸脱した判決はできません。
件の幼女殺人犯を死刑にするのは、刑法の範囲内ですが。
「「努力」の内容と「優れた成果」の具体例がないと」
「優れた成果」は、日本の凶悪犯罪率の低さです。今でも日本は世界的に見て「犯罪という不幸を作り出す構造や契機を少しでも少なくする社会」に十分なっている。これは、巨視的に見て経済的豊かさとモラル教育の維持という「努力」がそれなりに奏功しているからです。死刑制度は関係ない。
罪刑の均衡の見地
いいえ、「人権のバランス、罪と罰のバランス」から死刑制度を維持する必要があるのです。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b152016.htm
↑二の(17)について。「…その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される」
「一般予防の見地」については蛇足です、各国を比べてみても死刑制度の有無と凶悪犯罪の発生率に相関がない以上、廃止派の言う通り「犯罪の抑止」は死刑制度の維持の理由になりえません、が廃止の理由にもなりえません。
「罪刑の均衡の見地」の方が決定的に重要なのであり、これこそが死刑制度の維持を必要とする本質的理由なのです。
例えば、件の幼女誘拐殺人でですね、犯人の死刑に反対するということは、
「犯人が幼女4人を殺した(幼女4人の生命を故意に剥奪した)という罪」に対して
「犯人を死刑に処す(犯人の生命を剥奪する)という罰」を与えるのは、
バランスがとれていない、罪に比べて罰の方が厳し過ぎる重過ぎる、
均衡を確保するために罰を軽くし犯人を生かしておくべきだ、
…と言っているのと同じなのですよ。
被害者の幼女の生命の権利よりも犯人の生命の権利を重く見ているのと同じなのですよ。
そういう主張に「論理的、倫理的な体系的一貫性」とやらがありますか。
「組織が個人に対して「死を命じる」という究極の加害を行うことができる、それが全体主義でないと言いたいのならもっときちんとした説明が必要です。」
民主主義:究極の加害を行なうことはできないが、究極でない加害なら行なうことができる。
全体主義:究極の加害も行なうことができる。
…などという定義は聞いたことがありませんが。
この妙な定義でいけば、「反戦ビラを配った者を捕らえて死刑にすると全体主義だが、無期懲役なら民主主義の範囲だ」みたいな話も成り立ってしまいますが、どの国語辞典にそんな妙な定義が書いてありますか。
そもそも司法制度は、組織が犯罪者の人権を制限する、軽い罪には軽い罰、重い罪には重い罰を与えることによって、大なり小なり犯罪者の人権を制限するものであって、そのような罰は加害でもなんでもない。「罰は加害だからダメ」というなら、「野放しにするしかない、司法もいらない」ということになってしまいますよ。
続き
言葉本来の意味の「全体主義」は、貴方の用法とは異なります。
で、犯罪者の「人権」ですが、世界人権宣言では「犯罪者を死刑にするのは、犯罪者の人権侵害であり、許されない」みたいなことは全然書いていません。
「殺人者は全員死刑ということになるのでしょうか?」
「死刑制度を廃止せよ」=「全ての殺人者を死刑にするな」ですが。
「死刑制度を維持せよ」=「全ての殺人者を死刑にせよ」ではありません。
例えば、被害者側に落ち度があれば酌量が適用されうるでしょうが、件の幼女に落ち度がありますか。
「あなた自身が被害者の「人権」に差別を持ち込んで」
被害者側が悪くない場合と被害者側も悪い場合を区別するのは当然でしょう。
世界人権宣言では「被害者側も悪い場合に酌量を適用するのは、差別であり許されない、被害者側が悪くない場合と平等に扱わねばならない」みたいなことは全然書いていません。
「過失致死事件で殺された被害者遺族が「加害者を死刑にせよ」と強く主張したら」
殺すつもりで殺すのとそうでなく死なせてしまうのでは、罪の重さが違いますから、罰の重さも異なります。過失致死で遺族が何を言おうが、刑法を逸脱した判決はできません。
件の幼女殺人犯を死刑にするのは、刑法の範囲内ですが。
「「努力」の内容と「優れた成果」の具体例がないと」
「優れた成果」は、日本の凶悪犯罪率の低さです。今でも日本は世界的に見て「犯罪という不幸を作り出す構造や契機を少しでも少なくする社会」に十分なっている。これは、巨視的に見て経済的豊かさとモラル教育の維持という「努力」がそれなりに奏功しているからです。死刑制度は関係ない。
加害者の死刑の問題よりも
これを読むと思うんですが、まず守られるべきは、
「加害者家族・被害者家族」の人権ではないでしょうか?
正直、加害者の死刑云々より、こっちの方が重要な問題だと思います。
…このブログの方、加害者家族への憎悪やバッシングを「正義」とでも思ってるんじゃないかと思えてしまうんですよね…。
残念ながら被害者家族も加害者家族も感情的には双方判る部分もありますが、
判るからこそ、お互いの醜さしか感じません。
上記の例だと、被害者家族が加害者家族への視点を持っておらず、それによって加害者家族は被害者と被害者家族に怒りを募らせています。
加害者家族が持つ怒りは、娘の犯罪と刑罰自体ではなく、それとはまた違った苛立ちに見受けられます。
加害者もまた、謝罪云々は別として、通常の人間なら持つであろう憐憫の情(と言っても被害者寄りの人からすると私が言うそれは相当「無関係」で「薄い物」と思われますが)すら持っていないようです。
被害者側や世間が要求してくる「負い目」への自己防衛だとすれば悲しい限りですね。
まさに怒りと憎しみと悲しみの連鎖の典型と言う…。
被害者のこの一言を見ると同情する気すら失せてしまいます…。
「加害者の親は、事件の後も、
同じ住所でふつうに暮らしながらえていることに、怒りを覚えました。」
…正直、キモいです…。
刑法総論の基本ですよとか言いたい
何だ、 Black Joker さんは応報刑論者ですか。
でしたら一言ですみますね。
刑事裁判は復讐の代行なんかではないから、『被害者の失った法益』と『刑罰』とを秤にかけることは間違っている。これはつまり応報刑論の理解を間違えているということでもありますが、さしあたってそれはどうでもよろしい。
刑事裁判において『刑罰』と秤にかけられるのは、常に『その犯罪行為によって動揺した治安の、その同様具合』なんです。
どうしてそういうことになっているのかを説明しだすととんでもなく長くなるので、ご自分で刑法総論の概説書(法学部を持ってる大学の購買なんかに行けば、3000円くらいで売ってます。一般書店では、ある程度規模の大きいところへ行かないとおいてないかな)でも読んで学んでください。
sutehun 相変わらず切れが良い
目には目を、歯には歯を
を長々と述べてるだけでそのために
「冤罪の可能性」「刑務官の苦悩」
など一寸チョットと言い過ぎでは有りませんかと違和感を感じます。
sutehunさん、良いタイミングでしたよ。
猫さんが一番村野瀬さんのテーマの沿ったコメント。
本来は加害者家族がテーマですよ。
加害者がもたらす加害者親族の不幸
とありますが、これって被害者遺族の発言であって報道関係者や世間一般の人の言葉ではないでしょう。
だからあくまで「被害者遺族にとって」はそうであるというだけであり「社会にとっての重い課題」に区切りがついた訳ではありません。
そしてこれは死刑でなくとも同じことであり、加害者が刑務所に入ったあるいは刑期を満了して出所したからといって「社会にとっての重い課題」に区切りがついた訳ではありません。
>このような事件の原因にさかのぼって社会の中の事件の根をなくそうとする努力をすることが被害者の尊い犠牲を無駄にしないことだと思うのです。
というのは正論だと思いますが、それと被害者遺族にとっての死刑とは関係ないですね。
ところで、
「殺人犯一人が殺す被害者の数を一人と仮定すると」←この仮定は変ですね。
親族が複数殺される場合もあるでしょうが「複数殺人を考慮に入れれば」殺人事件の被害者遺族となる確率は殺人事件の加害者の親族となる確率の「数倍」するべきではないですか?(ましてや死刑相当の場合はほぼ被害者は複数ですし)
そういう冷笑バカは、「対案を出アンドリュー・バルトフェルド小規模市民運動のためのヒント(メモ)No title「サイレント」と聞いてグレタ・トゥーンベリさんが真っ先に頭に浮かびます。
彼女は一人で運動をはじめ、それが世界にまで広がっていった…すごいですよね。津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title『「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.ewkefc国会前で #入管法改悪に反対 した5500人(2023年6月5日)No titleでも
5500人の方々が集まってくださったことは、一筋の光明だと思います。
地方在住でパニック発作もあり、なかなかデモには参加できないのですが、地方からもできるだ津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title全くそうですね。
戦後の長年の保守政権、その流れをくむ自民の憲法軽視(アベ以降は憲法無視!)が、戦前からの「拷問及び残虐な刑罰」的体質を矯正するどころか、許し続け津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title もともと入管当局というのは特別高等警察の残滓みたいな組織でした。周知のように特高とは大日本帝国の暗黒面を代表するような組織であり、多くの人々を拷問にかけ痛めつクテシフォンまた核発電所大規模事故を招くもとになる可能性のある原発回帰推進法の自国維公による可決に抗議する原発回帰推進法の可決に強く抗議する選挙で信を問うこともなくGX脱炭素電源法が政府与党とその補完勢力である維国の賛成で可決されました。
GX脱炭素電源法とは名ばかりその実は原発回帰推進法そのもので閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。#改悪入管法の強行採決反対入管法改悪をめぐって政府与党の問題が次々と明るみに出ています。
難民審査「1年半で500件」は可能なのか、不可能なのかについて齋藤法相は答弁を180度転換、ただただ閉口閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。No title立憲は、「てめえを踏みつけている奴らに媚び売ってどうすんだ」というのを何度も思います。
泉が平熱パニックおじさんの番組で飲みながらヘラヘラやっていたし、枝野がプアンドリュー・バルトフェルド津野香奈美著「パワハラ上司を科学する」(ちくま新書)No title日本では「上司」=管理職が何たるものかが理解されずにずっーと来ましたよね。
「仕事ができる=管理職=出世」ではなくて、労務管理能力のある人が管理職なんですけど。津木野宇佐儀デモの精髄を、フランスの年金カイカク反対デモに学ぶ。「もし私たちが私たちの両親の年金のために闘わなかったら、誰が私たち自身の年金のために闘ってくれる?」 (2)No title日本でもかつて「売上税」阻止をデモとメディアの攻勢で廃案に持ち込んだことがありましたよね。
本当は日本でもできた・「できる」ことなのですが…
日本国、否、自民国JAP津木野宇佐儀#入管法改悪反対アクション に取り組む人々の姿が、辛うじて日本国の人権意識の消滅を防いでいる。No title 週刊新潮や産経新聞の記事は、これらのメディアが人権など一顧だにしない事、ひたすら保守政権の後押しをする集団であることを如実に示しています。予想通りの行動を採るクテシフォン国会議員の居眠りについての自民党・河野太郎の言い訳(メモ)自分達の事ばっかり何から何までろくでもない野郎ですね。
主張する事は、常に自分達特権階級の擁護ばっかり。
庶民が、病院でマイナカードの不具合で受診できまいがお構い無しで、不具合隠K.Mina相模原市の障がい者虐殺事件の容疑者が釈放されてニュースキャスター長谷川豊の名でネットメディアで「透析患者を殺してもよい」と言っているのかと思った。精神障害者である自分を肯定する人もいる。 昔は精神分裂病と言われた統合失調症は100人に1人がかかるごく一般的な疾患なのだそうです。日本の人口が1億2000万人であれば120万人が罹患していることになります。発祥Takeshi自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議しますNo title>ブログ主様
>まだまだ闘わなければ日本の民主化は成し遂げられません。あきらめた時が負けです。
>決して腐ることなく、戦い抜きましょうと、多くの人に呼びかけ津木野宇佐儀自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議します私はマイナンバーカードを持ちません。 私もマイナンバーカード取得強制に反対でコメントを2日前から投稿したのですが,F2ブログからはねられていました。よくあることですが。
私のもとには過去に市役所Takeshi問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します まだまだ使えて誰も不便に思ってない道路をわざわざぶっ壊して新しい道路を作るようなことは東日本大震災の被災地ではよく見る光景です。復興という錦の御旗があれば無駄左の人問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します朝日の劣化ここ数日で「朝日は滅びろ」というのが強くなりました。
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私が長野県中野市で起きた,立て籠もり・刺殺銃殺事件で連想したのはひとつはキム・ヒロ事件でした。朝鮮人を差別Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。No title「脱マスク」(日本は着けるも外すも任意!なのに!)のせいなのか、インフルエンザ、はしか等が流行ってますね津木野宇佐儀石垣島への陸上自衛隊配備について住民投票を求める規定数以上の署名を集めたのに住民投票実施を行政からも司法からも却下された異常事態No title沖縄だけでなく日本もアメリカの支配下っていうことが多くの「日本人」にはわかっていないのだろうな…
2年ほど前、私の住む街の上空を、オスプレイが2度(3度も?)飛津木野宇佐儀