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国旗を掲げ国歌を斉唱することで得られる教育的効果?



国旗を掲げ集団で国歌を斉唱することを教育の場で強制的に習慣化することについて何の「教育的効果、教育的メリット」があるか、と考えているのですが、私にはポジティブな答えが全然でません。

「国旗国歌を強制することを是とする論者」(その中には政治家や行政側も含まれるわけですが)の意見を見て想像できるのは、日本人としての一体感とか、日本人としての誇りとかそういうものを身につけることが必要であり、そのために国歌を全員に斉唱させ、国旗に全員に礼をさせることがそのための手段である、というようなことを漠然と言おうとしているのかな、ということだけです。

また、そのほかに「国際的な礼儀」うんぬんということも言われていますが、それは今まで過去の「歴史問題、国家主義、愛国心」カテゴリーのいくつかのエントリーのコメント欄でも何人かの人とやりとりしてきましたし、こちらの記事でも書いてますので、今回は省きます。

でも、「日本人としての」「一体感」って何なのか、「日本人としての」「誇り」って何なのか、「国旗国歌を強制することを是とする論者」の意見の中で主観的な思い込みを抜きにして正確に説明されたことはないと私には思われます、正直なところ。当然のことですが、主観的な思い込みだけしかないこと、正確に論証・説明されていないことに納得しろというのはいささか強引ではないでしょうか、と「国旗国歌を強制することを是とする論者」の方々に問いたいのです。

教育の場面で「国旗国歌を用いた日本人としての一体感の醸成」と言うのであれば、教育心理学あたりの分野で科学的、実証的な研究が行なわれていてもおかしくないけど、そんな研究ってあるんでしょうか?集団の凝集性(これは社会学や経営学で用いられる概念ですが、一応これを一体感と同じ概念であると仮定します)を数値化することはできると思うけど、「日本人としての」「一体感」をどうやって定義するんでしょう。「あなたは日本人としての一体感を感じますか」と尋ねて「大いに感じる、多少は感じる、どちらともいえない、あまり感じない、全く感じない」という五段階尺度で答えさせて数値化するんでしょうか。日本人としての一体感って言っても概念としてはあいまいだと思いますが、一応そうやって数値化したとして、それにどのように意味づけるんでしょうか。などと疑問は尽きません。

いえ、そもそも、「日本人としての一体感」という感情があるとして、それが外面的な行動へとどのように発展していくのか、そして、その外面的な行動は本当に有益な行動なのかどうか、というふうに考えべきだと思えるのです。「『日本人としての一体感』を持って悪いわけないでしょう」と言いたい向きもあるかと思いますが、じっくりと検討を深めることなく突っ走る「主観的な思い込み」が社会的に望ましい行動を生むのかどうか、そういう冷静な視線こそ必要ではないか、と私は考えるのです。間違ってますでしょうか、国旗国歌推進派のみなさん?

一般に、「一体感」について言うなら、他者との「一体感」を感じることは、「主観的には」もちろんあります。しかし、それは、私が共感する考えに触れたときにその考えに対してであり、その考えを持っている人々に対してであり、私が好きな人々とのコミュニケーションがうまくいったときにその好きな人々に対してです。あるいは、私が会ったこともないし知り合いでもない人々とでも、その人々の特質ゆえにその人々との一体感、とは言えないまでも連帯感を感じることはあります。でも、それはその人々が実際に持つ特質に対してです。

でも、その「一体感」というのは、私個人のもので、その「一体感」に他人を勧誘することはできても、その「一体感」に加わるように「抽象的な記号」や「言葉付きだけど意味のあいまいな音波」で「強制」できると考えることには無理があると思えるのです。

それに、個人の思想信条にかかわることについての力ずくでの強制というのは、教育の場面では賢いやり方でもありません。

「国旗国歌への一律の敬意の強制」にどんなポジティブな効果、またはメリットがあるのでしょう。私は思いつかないので、「こんなポジティブな効果、メリットが広く認められた」ということを説得的に説明できる人はぜひ教えてほしいと思います。国歌を収録したCDや国旗が売れるから経済効果がある、なんていうのは無しですよ。(^^;


人様の記事でこういうのも見つけました。参考に。

●タカマサのきまぐれ時評
右派のみなさんは、思想信条の強制を当然視している
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1084

タカマサさんの記事を見ると、私がいまさら力を入れてこういう記事を書くまでもなかったかもしれないと思わないでもありませんが(笑)、タカマサさんの記事に一つ二つ付け加えるとしたら、こんな感じです。

「強制しなければ教育は成り立たない」という主張をする人が「何を強制したいと思っていて、何を強制されたくないと思っているか」という点を具体的に考えないとその主張には実体的な意味がないということ。

「人間はすべて強制でなければ何も生み出せない、何も獲得できない存在なのか」と自分に問いかけること。

私は、「人間はすべて強制でなければ何も生み出せない、何も獲得できない」なんて思っておりませんので。


追伸: 日本人としての一体感、というものがあるなら、それは、日本人が共同作業で民主主義の原理に合致する未来志向の何かを成し遂げたときがそれに近いでしょう。それにしても、それは共同作業をした人たちとそれに共感する人の間で生じるものだと思います。それが一億二千数百万人の日本人全員の間で共有される、と考えるのは飛躍しすぎだと私は思います。

追伸その2: むしろ、立憲民主主義、基本的人権の尊重、差別・憎悪扇動の禁止、のようなことこそ本来「強制」すべきはずのことではないかと思います。「強制」という言葉よりも、「強く推奨」というほうが良いかもしれませんけど。


管理人から: 国旗国歌問題についての記事は、それが教育の場面での問題でもあるので、サイドカラムのカテゴリー分類では、「歴史問題、国家主義、愛国心」と、「教育問題」の両方に入っています。当秘書課広報室への意見としてコメントやトラックバックを私に届けたい方は、私の過去の記事もお読みの上、それを踏まえてお願いいたします。





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332件のコメント

[C3632]

卒業式で国旗を掲揚し、国歌を斉唱することがなぜいけないことなのか理解できない。
その点について説得力のある説明しない限り、賛同者は増えないと思う。
  • 2008-05-28
  • 投稿者 : 伯爵
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[C3633] >伯爵さま

卒業式で国旗を掲揚し、国歌を斉唱することをなぜ必要と思うのか、その点について説得力のある説明をしてほしいのは私の方なのです。
「歴史問題、国家主義、愛国心」カテゴリーで私がいろいろな角度から書いていることを踏まえたお返事でもけっこうですから。

普通の民主主義国ではそのようなことはしていない。そのようなことをしているのは中国と北朝鮮くらい。そのようなことをするポジティブな教育的意義がはっきりと説明されていない。思想良心の自由に反する。そのようなことを強制することによって現場に軋轢が生じる。などなど、私は一つ一つのエントリーで説明しているのですが...。
  • 2008-05-28
  • 投稿者 : 村野瀬玲奈
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[C3639]

 卒業式に国旗を掲揚し、国歌を斉唱することがおかしいことだと考えている日本人は少数派です。それを多数派にしなくては状況がかわらないわけです。
 ですから説明する必要があるのは、村野瀬さんのほうなんだと思います。多数派のほうは村野瀬さんを(少数派を)説得する必要がないのですから。
 また現に行われていることを変更させようと考えている人が、なぜ変更するのかを説得しないと、かわらないとも思います。
 村野瀬さんにとっては、私の言い分は納得できないことと思います。でも、変えようとする少数派は、多数派を説得しなくてはいけないのは、事実ではないでしょうか?
 
それをふまえて
1 普通の民主主義国家ではやらないから
 これは気持ちはわかるけど、正直だから何?と感じます。日本は日本のやり方があるとしかいいようがない。
2 ポジティブな教育的意義が感じられない。
 逆に今やっていることをやめなくてはいけない理由を説明してくださいとなるでしょうね。
3 思想良心の自由に反する
 もちろんそう考える人がいることは理解します。しかし、反するかどうかを認定するのは裁判所でして、そのような判決がでたのでしょうか?
 また、多数派は、反するとは考えていません。ですから何故反するのか、「説得力のある」説明が必要でしょう。
4 現場に軋轢が生じる 
法に反しない職務上の命令には服する義務があります。法に反しているということが判決ででないかぎり、教員は命令に服するのが義務です。

 国旗掲揚・国歌斉唱に反対することはもちろん自由です。それを実現するには、多数派を説得していくことが必要です。

  • 2008-05-29
  • 投稿者 : 伯爵
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[C3641] 国家意識の効果

政府権力が民衆に国家意識を強く持たせようとするのは、それが政府権力にとって有利に働くからに他なりません。
つまり、

国家意識→愛国心→国家への忠誠→国家権力への忠誠→現行政府権力への忠誠

と流れるからです。
もちろん、何割かの人は疑問を持って途中で漏れていくわけですが、それでもかまわないのです。
やらないよりはやった方が得ですから、右であろうと左であろうとどんな政府権力でも、それをやろうとするのです。
もし、日本共産党が政権を取ったとしても、おそらくやると思いますよ。
  • 2008-05-29
  • 投稿者 : Runner
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[C3643]

説明したとして、その説明を聞く気はありますか?
相手の言ってる内容を理解しようとしますか?
あなたと異なる考えというのはあなたの中にあるものとは違うあなたの中に無い考えです。あなたの考えとも認識とも合致しないもので組み立てられた考えであり、聞いてすぐ理解出来るというものではありません。理解の為には相当の努力が必要です。その努力をしてくれますか。

どんな説明をしてもそれを頭ごなしに否定し聞き流されては理解させることは出来ません。説明して理解してもらうには説明を受ける側に理解しようとする努力が絶対的に必要です。賛同までは求めませんが、その説明の内容を相手の意図通りに理解し把握する努力は求めたいと思います。それに応えてくれますか? それに応えてくれるのであればいくらでも説明します。

通常言葉を濁して語られない部分までストレートに書き表しての説明をして差し上げます。多くの人が当然わかってるものと考えて説明を省いてる部分についても説明します。説明を聞く気があるなら聞きたいことを質問して下さい。可能な限り答えます。
(ここでの理解は内容の把握であり賛同を求めるものではありません)

http://d.hatena.ne.jp/sadatajp/20080529/1212001868

[C3646] 出発点がオカシイですよ。

村野瀬さん、こんにちは。

伯爵さん、はじめまして。
横レス失礼いたします。

>卒業式に国旗を掲揚し、国歌を斉唱することが
>おかしいことだと考えている日本人は少数派で
>す。それを多数派にしなくては状況がかわらな
>いわけです。

あのですね、個人の思想・信条・価値観ってのは、そもそも多数決にはなじまない、っていうのが近代国家のいわば基本的なお約束なんですよね。

伯爵さんが言われるように、これを多数決でもって統制するのが日本だと言っちゃうと(北朝鮮がまさにそうやってるわけですけど)、日本が民主主義国家であり、近代国家だというタテマエが崩れちゃうんですけど、いいんですかね?

ほぼ全国民を幼少期からあらかじめ、異論を排除して一つの思想信条が「普遍」かのような環境で教育するとします。その上でいくら制度的に一見民主主義国家のような体裁を整えようと、茶番ですよ。
だって肝心の主権者たる国民が、教育を通して「非民主的・前近代的な体質」しか叩き込まれてないわけですからね。

確かに伯爵さんのような人は私の周りでも多くて、話しが噛み合わなくて困るんですけど、噛み合わない理由は、例えば以下の話にピンと来るか、来ないかっていう、ものすごく根本的な、感覚的なところなんです。

「国歌を歌いたい人はいくらでも歌えばいいんですよ。ただし、自分たちが歌いたいからって、一人残らず全員に、何が何でも歌わせようなんて、そりゃあなた、昔はともかく今の時代には無理スジの話でしょ」

伯爵さんが「少数派は多数派を説得して多数派になるべき」なのだから、「説得しろ」と言われましても、その前提を思想・信条に適用できるという感覚を共有してないんですよ、私なんかは。
村野瀬さんもそうじゃないのかな(勝手に言ってすみません、村野瀬サマ。違ってたらごめんなさい)。
  • 2008-05-29
  • 投稿者 : あげは
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[C3648] 勝手にラベリングされる違和感

>sadatajpさま

ブログ拝見しました。
内容よりは最後の「サヨクのみなさん」という言葉が引っかかりました。
お恥ずかしいですが、サヨクとウヨクって言葉の本当の意味が分かりません。
わかりませんけれど、国歌・国旗の強制に反対という立場を取ると、途端に「サヨク」とラベリングされてしまうことはとても違和感があります。
単純に「国歌・国旗強制に反対のみなさん」と言えばよろしいんじゃないですか?

説明聞く気ありますか?と問いかけていらっしゃいますが、そもそも呼び掛けの相手の名前を間違えていますよ・・・。
  • 2008-05-29
  • 投稿者 : 六月
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[C3649] 偶像崇拝はやめよう!

>国旗を掲げ集団で国歌を斉唱することを教育の場で強制的に習慣化することについて何の「教育的効果、教育的メリット」があるか

効果もメリットもありません。
もちろん一体感など生まれようがありません。なぜなら、以前(http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-718.htmlのコメント【3492】)lにも書きましたが、『君が代』は国歌に向いてないのです。この歌には現代日本人の心をひとつにする力は最早ありません。『君が代』推進派の方にはお気の毒ですが、いくら頑張って強制しても、無駄です。

『日の丸』も、その戦後史(http://blog.livedoor.jp/suruke/archives/50981472.html
を考えると、教育的存在になりえません。
戦後長い間、『日の丸』は、学校の式典において、講堂の舞台の隅の三脚に挿され、前非を悔いるかのようにうなだれていました。その『日の丸』が、いつの間にか舞台中央にせり出し、挙句の果てには、壇上後背正面にピンピンにはられるようになりました。
初期の旗貼り作業に積極的に関わったのは一体誰なのかということに私は大いに関心があります。校内の人間であることは間違いなく、多分教頭とゴマすり教員が力を合わせて貼り付けたのだろうと推測しています。その状況を想像しただけで教育的でないことは確かです。権力への追従と保身のために、旗を貼り付けるアサマシイオベッカ教員たちの姿は全然教育的でありませんし、生徒たちの尊敬も得られません。

また、教育委員たちは「国旗を敬う国際的マナーを養成する」などとバカを言ってますが、旗へのマナーなどより、電車で席を譲るマナーを、先に、生徒達に教えるべきでしょう。今でも35時間も道徳教育を強制しているというのに、弱者をいたわるマナーも生徒たちに全然浸透していません。旗なんかを敬っている場合ではありません。

そもそも、旗を敬うというような偶像崇拝はやめたほうが良いのです。
旗なんてものは、敬うというよりは、その国(自国にせよ、他国にせよ)に文句がある場合に火をつけて燃やしたり、みんなで土足で踏みつけて、その国への抗議の姿勢を表すために使うべきです。そうすることで大衆の気が済むとしたら、こんな良いことはありません。旗はボロボロになりますが暴動や戦争は防げるのです。こんなふうに国旗は平和的?に活用できるものなのです。 しかし、『神聖にして侵すべからずの旗崇拝』主義に凝り固まってしまえば、旗が冒涜されたと怒って宣戦布告となるでしょう。 
旗を焼いたり小泉やブッシュの人形を燃やしたりするのは韓国の得意技ですが、一般大衆の怒りをおさめるにはとても良い方法なので他の国も真似すべきです。 
「国歌、国旗を愛せ!」とか【国旗、国歌に対する非礼」http://homepage3.nifty.com/yoshihito/hinomaru.htm】とか言ってギャーギャー強制するやつに限って、『愛人主義感覚』が欠如しています。 そんな心の狭い人に八木倫明さんからのメッセージ【(comcom.jca.apc.org/freedom/message/yagi.html)】を送ります。




  • 2008-05-29
  • 投稿者 : コギトエルゴスム
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[C3652]

あげはさんへ
 「卒業式に国旗を掲揚し、国歌を斉唱することがおかしいことだと考えている日本人は少数派です。それを多数派にしなくては状況がかわらないわけです。」と私は書いています。状況を変えるには何が必要かと書いているのです。実際村野瀬さんがブログで何度も主張するのも、自分の考えを多くの人に知ってもらい、賛同してもらうためでしょう?
 もちろん少数派のままでも、裁判で勝てばそれでなんとかなるんでしょうけど、まだ勝ててないわけですよね?
 あげはさんはどうやって卒業式から国旗掲揚国歌斉唱をなくすつもりなんですか?
 あげは流の、少数派のまま実現する方法を書いてください。


 
  • 2008-05-29
  • 投稿者 : 伯爵
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[C3655] 別に式次第の中にあったっていいんですよ。

>伯爵さん

えーとですね、根本的な間違いをされていると感ずるので横からレスを入れさせていただきますが、別段、式次第の中に国歌斉唱、と入っていたっていいんです。その中で歌わない自由さえ保証されるのであれば。
国旗を掲揚することにしたって、それが強権的な手法によって強制的になされるのではなく、きちんとした説明を行って、これこれこういう目的をもって、式場には国旗を掲揚します、といったような手続きをきちんと踏むのであれば、何ら反対する理由もないのです。

ところが、東京都教育委員会のやり方ではそうはなりませんよね。そもそも学校の運営を管理職の一存で強権的に行え、とでもいうような通達のもと、異論を差し挟むことさえ許されないようなかたちをとっているのですから。

伯爵さん(や、同様の趣旨でコメントをされる方々)は、そこを踏み違えているように感ずるわけです。村野瀬さまにしてもあたしにしても、頭から国旗国歌そのものに反対してるわけではないことを、過去のエントリやコメントなどからきちんとお読み取りくださいますよう。

[C3656]

MCRASHさんへ
「別段、式次第の中に国歌斉唱、と入っていたっていいんです。」とのことですが、村野瀬さんがそう考えているのかどうかはご本人が言うことなので、あなたがそう考えているとの前提で答えさせてください。
 式次第の中に国歌斉唱があれば、教職員に対して式次第に従うように職務命令を出すのは当然のことだと私は考えます。教職員は卒業式を主催する側ですから。
 これが来賓の保護者なら別ですよ。自分の思想にしたがって歌わずに座ったままで結構だと思います。しかし主催側の教職員が、来賓も含めた参加者全員に国歌斉唱を呼びかけながら、式次第に従わないというのは、私には許されることだとは思えません。教育委員会も当然そう考え、式次第に従うように職務命令を出すでしょう。
 以上が私の考えです。以下は法律の話です。
 教職員(公務員)は法律で「法に反しない職務上の命令に服する」ように定められています。
 繰り返し述べますが、この職務命令が憲法違反だという判決は出ていますか?出ていないのであれば、法に反しない職務上の命令ですから教職員は従う義務があります。
 最後に強権的な通達という部分ですが、式次第に従わない教職員に、式次第どうりにするようにと職務命令を出すことが強権的とは感じられない。それって異論を差し挟ませる必要があるのでしょうか?職員会議で話し合うのですか?式次第に従う必要があるかどうかを?

 全然話は変わりますが、来年総選挙があります。ここで民主党政権が誕生すれば、状況は変わると思います。日教組が支援している政党ですから。私は今の政権の庶民増税・企業減税、貧困層は死ね・代わりに移民いれるからという政策に心底うんざりしているので、野党に投票します。
 あなたたちとは反対意見の私の一票が、あなたたちの助けになるというのも面白いものだなとちょっと不思議な気分です。
  • 2008-05-30
  • 投稿者 : 伯爵
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[C3657]

六月さん:
人からサヨクと言われる人がサヨクで、ウヨクと言われる人がウヨクです。誰にしろサヨクとかウヨクとか出鱈目に言ってるわけではありません。何らかの特徴を捉えて言ってます。その特徴を備える人がサヨクでありウヨクです。その特徴が何かは、人がどういう人をサヨクと呼び、どういう人をウヨクと呼ぶかをよくみて、サヨク・ウヨクと呼ばれる人達に共通する特徴を捉えて自分で見つけて下さい。

ラベリングというのは基本的に他者がするものです。
良い人だとか底意地の悪い奴だとかやさしい人だとか冷たい人だとか、みな当人でなく他人がその人の特徴を捉えてラベリングします。当人にしてみれば勝手に付けられるってことになりますが、ラベリングとはそういうものです。そのラベリングは自分を表してない、間違えて捉えられてると思うならそうでないことを示すことです。それを見た人がラベルが違ってたなと思えばラベルを貼り直してくれます。いずれにしろ決定権は他人が持ってます。ラベリングはその他者がそう思ったということであり、その思いを変えさせる権利は誰にもありません。思うななんてことも言えません。ラベリングされたら自分はそう思われてるんだと潔く受け入れてください。

どうにも気に入らないというなら自分を変えてください。望むようなレッテルを貼ってもらえるように。
レッテル貼るなってのは無理です。他者に対して思うな考えるなってことですからそんな要求誰も受け入れません。

[C3658] どちらでもいいのでは

 横合いから口をはさみます。疑問に感じたので一言。 
 実際に係争中の裁判は、式典中の不起立を理由に処分された教員が、処分の不当を争っているもので、式典中の国旗掲揚等の差し止め請求等ではない。McRash 氏の指摘のように「強制」をめぐる議論であって、日本国民の大多数が式典で国旗掲揚を当然視しているという論点ではない。不起立への処分が妥当というのが国民の多数意見かどうかは疑問。処分は違憲・違法とする一審判決への世論の評価も分れた。

 また、卒業式等で国旗掲揚、国歌斉唱がおかしいと考えている日本人は少数だとしても、、掲揚・斉唱が当然だとの考えが多数派とは言えない。「どちらでもいい」という考え方が多数派という推測も成立する。
 個人的経験では、有名私立校出身で卒・入学式で君が代斉唱したことはない。校歌はことあるごとに歌った(歌わされた。)
保護者から「日の丸掲揚、君が代斉唱」を求める声があったとも聞かない。

 卒・入学式での国旗掲揚・国歌斉唱の有無はさしたる国民の関心事ではないと考えられる。
  • 2008-05-30
  • 投稿者 : ウーティス
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[C3659] なんだかなぁ…

自分は多数派だから云々…

そもそも「自分は多数派」と定義しちゃう事自体がまずどうなのかと。
それ本当に本当なのかなぁ?確かにそんなイメージもないこたぁないけども、具体的にどんな感じに多数派が形成されてるのかがよくわかんないんだよなぁ。人それぞれいろいろ濃淡やムラだってあるだろうし。
相手を少数派と定義してる事についてもなんら具体性がないような…。

またそういったイメージを前提としたとしても、
「多数派だから」とその定義の上にあぐらをかいて「だから説明も説得もこちらはする必要ないもんね♪えっへん♪( ̄^ ̄)」て…。
結局論理はどうでもいいのかなぁ?自分自身の意見というか論理はないのかなぁ?と。
多数派にだって説明や説得をする為の論理って必要だと思うし、それを表現する事って大事だと思うんだけどなぁ…。
特に民主主義社会であるならね。

なんとなく斜め上からすぎる気がする。
(・・;)
  • 2008-05-30
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3660] ラベリングが間違っている

六月さま

 >国歌・国旗の強制に反対という立場を取ると、途端に「サヨク」とラベリングされてしまうことはとても違和感があります。

 「ラベリングが間違っている」というほうが簡明でしょう。入学式に国旗・国歌がなくてもいい、というだって別に左翼でなくてもそういう人はいるし、君が代なんてちんたらしたメロディは嫌だな、というものはミーハーではあっても左翼ではない。
 このコメント欄で「強制は違う」といっている人をサヨクというのは「世間の常識」のような妥当性はありません。
 あきらかに「ひとがサヨク」といっているレベルほど一般的な意味で「左翼」とはいえない。

 そういう認定の仕方だと、式典での不起立に対する処分を争った裁判で教員側の主張を認めた東京地裁の一審判決などは「サヨクの主張」ということになるのでしょうか。そういう言い方は読売はもとより産経新聞だってしない。

 六月さんが「周囲の世間からリアルでサヨクと言われたことはありませんが、何か」といえば、どう答えるつもりなんでしょうね。

 朝日新聞は左翼だ とは世間一般の認識ではない。読売新聞と朝日新聞で左右の傾向が分かれる程度には認識しているだろうけど、読売が右翼、朝日が左翼なんてネットの中で飛び交っていても、リアルな社会で真顔で言っている人はいるかしらん。

[C3661] ほら、やっぱり。

伯爵さん

McRashさんからもご指摘があってますけど、伯爵さんには

「全員が歌う」
「全員が歌わない」

のどちらかの選択肢しか「ない」、んでしょ?

私には

「歌いたい人は歌う、歌いたくない人は歌わない」

という第三の選択肢(というか、これ以外の選択肢は努力しないと
考えられない)があり、この状態が一番自然で気持ちがいいんです。

正直言っちゃうと、ものすごく嫌いな歌であれば、聞くだけでも苦痛って
ことはありますから、無理やり聞かされるのは迷惑です。

でもまあよほどのことが無い限り、我慢してあげますよ。

それが自分とは異なる他者を尊重する、ってことでしょう。
民主主義って、そういうことじゃないですか?

なんで歌いたい人は、自分が歌いたいだけでなく、
他人を歌わせたい人になっちゃうんでしょう?

すごく変。
何か下心があるんでしょうかね?

  • 2008-05-30
  • 投稿者 : あげは
  • URL
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[C3662] あのね、自分が登れないからって麓まで降りて来いって言うのは失礼だと思うよ。

>卒業式で国旗を掲揚し、国歌を斉唱することがなぜいけないことなのか理解できない。

これは、『式典での国旗掲揚・国歌斉唱』に対する、消極的肯定である。
これに対応するのは、消極的否定である『卒業式で国旗を掲揚し、国歌を斉唱しないことがなぜいけないことなのか理解できない』である。

だが、一方で村野瀬さんが唱えているのは、積極的否定である。
ゆえに、両者はかみ合わない。
伯爵さんは、積極的否定に対して異論を唱えようとしているのだから、積極的肯定理由を述べる必要がある。

伯爵さんの態度は、議論を行う者として、あまりに真摯でない。
  • 2008-05-30
  • 投稿者 : すてはん
  • URL
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[C3663] >みなさま

国旗国歌強制についていろいろな角度から一つ一つ考え直してみたくて、いろいろなトーンでたくさんの記事を書いてみたら、いろいろな反応があって、とても勉強になっています。飽きてきた方もいるかもしれませんが(汗)、みなさん、ありがとうございます。ネタはまだいくつかありますし、みなさんが書かれたコメントや外部ブログの記事からさらに思いついたこともありますので、またぼちぼち書いていきます。

sadatajpさんがご自分のブログで書かれているたくさんの私の記事への批判あるいは論評記事についてはまた別途新しい記事を立ち上げるかなにかで対応しようと考えていますが、ほかにも取り上げたい件が多すぎるので、打てば響くような応答はできません。いろいろ質問したいこともあるのですが、お互いにぼちぼちいくということでよろしいでしょうか。>sadatajpさん
  • 2008-05-30
  • 投稿者 : 村野瀬玲奈
  • URL
  • 編集

[C3664]

何がしかの意見や考えがあればそこには必ず論理はあります。
しかし多数派には自分達の論理を説明する必要性があまりありません。多数派の場合初めから多数が説明するまでもなく理解してるし説得するまでもなく納得してます。だから結論の部分だけ訴えれば多数の人がわかってくれます。賛同してくれます。わかってもらうのに説明要りません。説明抜きでも大勢が賛成してくれて主張が通ります。説明の為の表現が不要です。
少数派はそうはいきません。結論部分だけ言っても多くの人がそれをわかってくれません。納得してくれません。賛同してくれません。賛成どころか反対します。大勢に反対されれば主張が通りません。主張通すには賛同を得なければなりません。賛同を得るにはわかってもらわねばなりません。わかってもらう為には論理の部分から説明していかなくてはなりません。論理を表現することが必要になります。
ということです。これは説明や説得についてだけの話であり、論理の有無に関わる話ではありません。

[C3665]

ぼちぼちで結構です。むしろ急がないで欲しい。
考えがまとまらない内は応えないで欲しい。
読むだけ読んで保留にしておいてもらうのが一番有難い。
そう思ってます。

ウヨク撲滅の為の攻略を練る参考資料くらいのつもりで読んでおいて下さい。

[C3666] 多数派

近年、ずっと、憲法を改正すべきというのは世論調査で過半数をつねに超えています。多数派です。
同じ調査で9条改正をとうと改正反対が過半数を占めるのが多くの世論調査です。多数派です。

憲法改正は多数派だから、説明の必要はない。あるいは、九条改正反対は多数派だから説明の必要性がないというより、双方とも議論を尽くすほうがいいとわたしなどには思えます。

[C3668] 職務命令と個人の良心・思想信条

えーやっぱり伯爵さんは根本的なところを間違えていると断ぜざるを得ないわけでございまして、そもそも、職務命令は個人の良心を超克し得ないわけですな。職務命令が個人の思想信条を超克しうるとき、企業体のいかなる不正行為も職務命令の名の下に正当化できるわけですからね。

そして、愛国心を涵養するために、上から強いて押しつける形で国旗国歌に対する考え方を押しつける行為が如何になじまないかについては拙宅ブログの方でひとくさりやっとりますんで、そちらを参照いただければ。

http://mcrash-f2.workarea.jp/archives/2008/03/22/post_150.html
http://mcrash-f2.workarea.jp/archives/2008/05/24/post_154.html

あげはさまのご指摘が、正にあたしの言いたいことの根幹となるわけです。「自由と民主主義」を奉ずる日本国の中で、なぜ学校という場において軍隊的な斉一さを求めなければならないのでしょうか?
良心を育み、その良心に従って行動できるような大人へと導くことが、民主主義国家における学校教育のあるべき姿ではないかと考えるわけで、上からの命令には異論を挟まず黙って従え、というような形が民主主義を発展させようという市民を育てることにならないのは言わずもがなのことかと思っておったわけですが…。

[C3669] 裸の王様

「裸の王様」という童話の粗筋くらいはご存知の方が多数だと思うんだけど(統計を取ったわけじゃないから《思う》)…
あのお話で「王様は裸だ」という真実を公言した少年は【多数派】だったのかな?
【多数派】を自称しさえすれば、自分の主張を何の説明も無く賛同してもらえるというのは、それまで多数派となるべく(良くも悪くも)努力してきた人たちにたいして、ちょっと失礼なんじゃなかろうか。

…で、その論理を援用すると、このブログで多数派はどっちよ?という話になるわけね。
  • 2008-05-31
  • 投稿者 : とみんぐ
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[C3670] それは、無茶だ。

多数派であれば論理はいらないと言うのは、かなりいっちゃってる思考だ。

論理のない主張は、その主張がどのようなものであれ、単なる根拠のない思い込みでしかない。様々な価値観が存在する状態では、論理と言う一般的な根拠がなければ、何らかの価値観がグローバルに共有されることなどないからだ。
いかに圧倒的多数を占めていても、それが多数「派」である以上、その外部に少数派、すなわち「彼ら」と価値観を共有しない人々が存在するわけだ。
その人々と価値観を共有しようとするならば、単なる思い込みでしかない主張には何の力もない。

ある価値観に基づく主張を行うときに論理が必要ないのは、その価値観が共有されている集団の内部だけの話である。

sadatajpさんは、多数派=全体と誤解している。
少数派は無視して構わないと言う主張だ。
私はこれを、近代の思想性・歴史性を理解しない(あるいは捨象した)ままシステムだけを輸入した弊害と考えるが、それはまあどうでもいい。

人がある決定に従うのは、その決定が妥当であると判断するからである。その決定が決定されたものであるからではない。

でもまあ、
>あなたと異なる考えというのはあなたの中にあるものとは違うあなたの中に無い考えです。
とか書いてるんだから、ひょっとしたらこれはネタかな?
これは「わたしと異なる考えというのはわたしの中にあるものとは違うわたしの中に無い考えです。」とも言い換えることができるわけだ。これを理解している以上、多数派には説得の必要なんかない。なんて言えるはずないんだけど。
あー、あれか?
多数とって決とりゃOKとか考えてるクチか?
  • 2008-05-31
  • 投稿者 : すてはん
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[C3672] なんだかなぁ2

1・『ラベリングについて』

勝手なラベリングはやめてくんないかな?

ラベリングさせてるのはそちらです。そちらが変わればラベリングされないんじゃないですか?

※そもそもラベリングしたのはそちらじゃ…?
ほえ…?
(・・;)ゞ


2・『多数派・少数派について』

こちらは多数派なので説得の必要性はあまりないんです。
説得してくださいな。

※いや、説得しなくていいんなら、なんでここに凸撃してきたの…??ほっとけばいいんじゃ…?
(・・;)ゞ


えと、
つまり、
論理とか立証責任とかそういったもの全て相手側に求めているって事なんだろうか…?
(・・;)ゞ
それじゃあハナから議論にも何もなんない気が…、そもそも凸撃してきてる意味は…??

それに二項目めの前提としてる『多数派・少数派』の定義さえ結局よくわかんないんだけども、何をもって定義してるんだろう??

結局何をどうしたいのかな?
(??)ゞ
説得したいのかな?
議論で勝ちたいのかな?
いまいち…
(・・;)ゞ

  • 2008-05-31
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3673] あ、それから

説明もされない、説得にも使われない、「表現されない論理」って、『事実上』「論理が存在しない」って事と一緒な気がするんだけど…?
『事実上』ね。
  • 2008-05-31
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3674] すてはんさんとた〜んさんへ

「論理はいらない」ではなくて「説明する必要性があまりありません」です。「何がしかの意見や考えがあればそこには必ず論理はあります。」と初めに書いてるでしょ。「論理の有無に関わる話ではありません」と改めて断りもしたし。論理はあるんですよ。

論理があって、自分も相手もそれを理解してるとなればわざわざその論理を説明する必要ないでしょ。
それでもわかってない人には説明しなきゃならなかったりするし、わかってる人に対して再確認させる為の説明も必要だったりするから「必要ない」ではなくて「必要性があまりありません」なんて多少は必要なんだよという意味を込めた書き方してるのですよ。

どれも理論的な理解力以前の問題。単純な読解力の問題。これぐらいは読み取ってくれないとコミュニケーションの取り様がない。

[C3675] だからさ

なんで多数派だと説明する必要がないの?

九条改正反対は多数派だと、説明する必要がないわけね。

[C3676] 理解できてません

【3674】の方へ

>論理があって、自分も相手もそれを理解してるとなれば

貴方のおっしゃる論理が理解できていないものがここにいます。
さて、貴方からの説明は要・不要?
貴方の仰り様からは、説明がいただけるものと思いますが?

別に説明してくれんでもいいけどね。ただ、貴方の発言はこう返されるよということで。
  • 2008-05-31
  • 投稿者 : とみんぐ
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[C3677] はいどうも

ちゃんとそこに突っ込んできてくれてありがとう。

でもそれは君が思っている所の多数派の中でだけ通用する理屈でしかないんじゃないかな?
つまりその外側の世界には通用しないのでは?

それがなぜ一足飛びに多数派だから説明しないでいいという事になるのかな?

もしかしてハナから君がいう所の多数派の中でだけの定理を言っていただけだったのかな?

また、君の思うところの多数派ってのは具体的にはどういった感じに形成されているんだろうか?
何をもって多数派だと定義してるのかな?


それから「論理だって持っているし、ちょっとは使うんだよ」という事であれば、
こういった議論において、多数派だとか少数派だとかの定義付けとかカテゴリー分けって無意味なんじゃないの?
そんなもの関係なく議論すればいいじゃない。君自身の言葉でさ。
その論理を「使う」為に凸撃してきたんじゃないの?

君は何をどうしたいのさ?
  • 2008-05-31
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3678] なんだ。ただの

げふげふ。
もとい。

多数派の中にばかりいて、ローカルとグローバルの本質的な違いを理解出来てないんだな?
多数派はあくまで『多めの一部』『多いほうの一部』であって『全部』ではないから、その価値観が『他の一部』にも共有されていると考えるのは大きな間違いだよ?


>あなたと異なる考えというのはあなたの中にあるものとは違うあなたの中に無い考えです。

>論理があって、自分も相手もそれを理解してるとなれば

後者の場合の「相手」と言うのは、同じ価値観を共有している仲間内の誰かを指す言葉ではないはずである。文脈上これは説明する、すなわち異なる主張をする相手であると考えられ、同様の価値観を共有しているのならば、そのような事態にはならないからである。
つまり、前者の引用中の『あなた』のことであろう。あなたがいれば、当然わたしもいるわけだ。

さて、意見の対立と言うのはこの『わたし』と『あなた』とのあいだで起こるものだが、対立しあう両者のあいだには、価値観の共有はない。論理と言うのは止揚され、前提として了解を得た何らかの観念(これを価値観とも言う。常識とも言う)から出発するものであるから、その共有がなければ、論理は意味を持たず、また議論も成立しない。

相手の中にない考えを、当然理解していると期待するのはどうだろう。

突っ込みどころは他にもいろいろあるけどね。

論理とは主張に説得力を与えるために必要とされるのであるから、そこに僅かでも矛盾や飛躍があればその目的を達成することは出来ない。ゆえに論理の必要性は有無のみで判断されるものであって、程度で判断されるものではない。とか。

まあ、説明が足りてなかったのは確かに不手際だ。
相手の中にない考えを当然理解していると期待しちゃってたってことか。
うーん。はんせい。
  • 2008-05-31
  • 投稿者 : すてはん
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[C3681] 相互理解のために

ごちゃごちゃしてきたんで…
ここでの議論における前提を、仮に置いてみよう。

・日本国の最高法規は日本国憲法にあることを認めるか・否か
・日本国の統治原則は民主主義によるものか・否か

なお、日本国憲法は↓
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%c9&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S21KE000&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1

また民主主義についての広辞苑の記述は
「基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその属性であり」
…多数決原理・法治主義が最初にきてないことを、きちんと理解してね。

あ、一番の大前提…ここは村野瀬さんのブログだからね。
このコメント自体承認される筋合いのものじゃないことも理解してね。
  • 2008-06-01
  • 投稿者 : とみんぐ
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[C3682]

どの問いも並みの読解力があれば問うまでもなくわかるはずのこと。わからなきゃ直接やりとりの出来る身近な人に聞け。私の投稿読んでもらって何が書いてあるか説明してもらえ。
あんたら読解力無さ過ぎる。書いたことが全然読み取れてない。とても手に負えない。私は相手しない。

[C3684] なんだかなぁ3

結局ここで打ち止めかぁ。

sadataさんの論理には具体性が足りないんだよね。
だからわざわざスキを作っておいて、そこに突っ込ませる事で具体性を引き出そうと思ってたんだけど少し残念。

「あまり必要ない」について具体性を引き出したかったからスキを残しておいて誘ってみたんだけど、出てきたのは『仲間内の論理』。
だから次はその仲間内論理が通用するであろう彼(彼女?)が考えてるところの『多数派』の輪郭に具体性を持たせたかったんだけど、
結局そこは答えてはもらえなかったね。


ラベリングの件に関しても、まずsadataさんがラベリング(レッテル貼り)をした事について疑問をもたれた話だったのに、その反論は、その主語がいつのまにかsadataさんから不特定多数にすりかわっているという『すりかえ論法』だったから、その主語を本人に戻した上での反論を聞きたかったんだけど、結局スルーだしなぁ…。


最後には「相手の読解力不足が悪いんだ!」という、検証もなにも出来ないレッテル貼りのような理由で打ちきり…。

相手の読解力が足りないと思うならそれでも説明してわかってもらえるだけの論理を構築しようと思わないと…。

まぁめんどいけどね。
( ̄▽ ̄;)ゞ


そうそう最初の「多数派だから説明しないでいい」の話に戻って物凄く簡潔な事を言うと、
そんな論理はただの『多数派(とされる存在)の怠慢』でしかないよ。
ただのサボり。
もっと言うなら、驕り。驕慢。傲慢。子供の論理。
ただの我が儘だよ。
  • 2008-06-01
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3685]

なんでまたこのテの人たちの逃げ口上って、みんな同じパターンなんでしょ?

あ、それが「多数派」ってことなんですね、わかります(笑)

とりあえずこういう「多数派」と一体感を持てなくてもいいんじゃないか、というか一体感なんて持ったらかえってろくでもないことに巻き込まれるような気がして仕方ないですよねー。
  • 2008-06-01
  • 投稿者 : えぼり
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[C3686] >sadatajpさん

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-674.html

↑こちらの記事でsadatajpさんの記事を紹介させていただいたわけですが、ほぼ正反対の意見を持っている私に向けてこのような記事を「提供」するsadatajpさんの心意気をリスペクトしていました。今回の記事のコメント欄でも、「質問には答えます」ということだったので、私もどう質問しようかと考えているわけですが、私からの質問もほかの方々からの質問も、「質問」に変わりないですよね。

どうかもう少し辛抱強く説明してもらえないでしょうか?m(__)m
  • 2008-06-01
  • 投稿者 : 村野瀬玲奈
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[C3687] 理解し把握する努力は求めたい

いくらかは問いに答えてみました。答えはこちら。
http://d.hatena.ne.jp/sadatajp/20080601
読み取れてないところからくる問いばかりなんでその答えはこんなのばっかですよ。答えろというなら答えますがね、自分のブログでは相手がコメント入れてくる限り果てしなくレス返してますし。

これだけ読解力が無いと答える意味がありません。読解力の無さというより読み取る気の無さって気しますが、ともかく何書いても読み取ってもらえないのでは書く意味がありません。彼らは質問の答えを聞きたいわけじゃない。私にくってかかってるだけ。
先に私はこう書きました。「賛同までは求めませんが、その説明の内容を相手の意図通りに理解し把握する努力は求めたいと思います。それに応えてくれますか? それに応えてくれるのであればいくらでも説明します。(3643)」 これをもう一度読み返してもらいたいと思います。

私は単純な読解の間違いの指摘なんかでなく主張の内容に関しての意味のあるやり取りをしたいと思ってます。コメント欄ということで詳しく説明出来てない部分は多々あります。こんな単純な読み間違いからの質問でない質問がいくらでも出来るはずです。私が書いたものをちゃんと読んでの質問をお願いしたい。
書いてることは読み取れてるけど間違って捉えてるというなら繰り返しの説明も厭いはしません。考え方が違うとそういった誤解は避けられません。その誤解を解く為の説明ならいくらでもします。しかし彼らのはそれとは違う。間違いがあまりに単純。指摘するのも馬鹿らしいくらい単純。これでは相手出来ません。

[C3688] 一つ提案

村野瀬さんが一つ聞きたい事項選んで彼らの代わりに聞いて下さい。ラベリングについてでも多数派にとって説明の必要性が低い理由でも『仲間内の論理』かどうかなんてのでも結構です。何でも構いません。もちろんもっと踏み込んだ質問でも。それに対して答えます。

書いたことについてのコメントは別に求めません。気楽に聞いてみて下さい。

[C3689] なんだかなぁ4

結局、多数派外への説明や説得の必要性を認めてるという事で、
ならなぜ
「少数派に対して説得する必要は認めている」
と簡潔に答えてくれなかったんだろうなぁ。俺が引き出したかったのもまさにこれなんだけど。

つかまぁこう言っちゃうと、前の前の前のコメントくらいで触れてるんだけど、
結局「多数派だから少数派だからって話自体元から無意味」って事になるけども。
「結局説明しなきゃ駄目なんじゃん」て事だし。
(・・;)ゞ

ただそれでも
「多数派だからあまり説明する必要がない」
って意識があるなら、そこに論理があろうとなかろうとそれは怠惰そのものだと思うけどね。

ある状況の一部を切り取った説明としてならそういった言い方もあるいは認められる事もあるかもしんないけど。

まぁ今回使われてる『多数派』っていう言葉自体が抽象概念すぎるから、こういった議論に使うのには向いてないんだろうな。

で、レッテル貼りについては結局どういう意識だったんだろう?
読んだ限りでは触れられてないしやっぱスルーなのかなぁ?

  • 2008-06-01
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3691]

村野瀬さんに聞いてみてくれって頼め。
それか私のブログに来て言え。私のとこなら遠慮なく相手出来る。相手してやる。

[C3692] >みなさん

相互批判や質問の応酬になるのはかまいません。そのためのエントリーであり、コメント欄です。でも、あまり乱暴な言い方はどうかご遠慮ください。m(__)m

>sadatajpさん
>一つ聞きたい事項選んで

魔法のランプの精みたいに、せめて願い事は三つくらいお願いできればと。(^^;
ちょっと考えさせてください。
  • 2008-06-01
  • 投稿者 : 村野瀬玲奈
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[C3693] まぁ典型ではあるな

私のコメントにも触れられてるんで一応書いとこう。
今度は文全体をを引用する。

>論理があって、自分も相手もそれを理解してるとなればわざわざその論理を説明する必要ないでしょ。

「理解しているとなれば」→「説明する必要ない」
であるから、
「理解していないとなれば」→「説明する必要がある」
と考えていると解釈したわけだ。
前提と結果において論理矛盾はないはずだ。

それに対する彼の回答は【3682】だ。
【3682】についてのなんの説明も無く【3687】へ飛ぶ。
つまり、なんだ…(以下略)
えぼりさんが喝破しておられるとおり、いつものパターンではある。

補足する。彼の「論理」を理解するうえで、私にとって必要な情報はなんだろうと考えた結果が【3681】のコメントだ。それと、私が彼のところへ行く義理はない(そのつもりもない)。ここに出てきたのは彼の意思だ。
  • 2008-06-01
  • 投稿者 : とみんぐ
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[C3694] ほえ?

いやいや君のコメント読む前に書いたコメントだしそう言われてもねぇ…
(・・;)ゞ

で、こちらにコメントを書いたのは前後の話の流れがわかりにくくなるだろうと思ったからだけど?

なんで君が流れを無視してこちらに書かずにブログに書いたのか俺にはよくわかんないしさ。

それにどうして君のブログにわざわざ行ってコメント書かなきゃなんないのかな??

流れからしたらこちらで問題ないんじゃ?
(??)ゞ

  • 2008-06-01
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3695] 多数派云々は無意味

そもそも、卒業式・入学式で国旗掲揚・国歌斉唱をすべきだと考えている人間は多数派ではない。
検証せられた事実ではない。

蓋然性として、卒・入学式で国歌斉唱等を行うことは問題ないという容認世論は多数派であろうと推測される。

多数意見だから、その理由を説明しないでよいということはない。少数意見であれば説明の必要があるわけでもない。
この場合、卒・入学式での国旗掲揚等が適当である理由は、儀式に厳粛さを付与する、(国の)象徴に対する規範意識を醸成する等、複数の回答を瞬時に思い浮かべられる者は多数いると考えられる。

もし国旗掲揚が式典において不適当であるという論者があれば、世論の説得のために、その理由を述べる必要はある。軍国主義を復活させる等の理由で納得するものはいないと推測されるが。
(ただし教育現場で問題となっているのは強制の是非であり、国旗・国歌の是非ではない)

消費税増税反対が多数派だったとする。多数派は説明の必要がないのだろうか。説明しないでも主張が通る。果たしてそれでいいのか。
  • 2008-06-02
  • 投稿者 : サピニオン
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[C3696]

私のブログにレス書いたりあちらに来いと言ったりするのかと言えば、エントリーから離れたやり取りをブログ主そっちのけで延々続けたら迷惑がられて読んでもらえなくなると思うから。
村野瀬さんがいいというならここでやってもいいけど、きっと議論とはとても呼べない非難合戦みたいになる。話に加わってない者にはわけのわからないうっとおしいだけのものになる。恐らくもうそうなってる。コメントの番号辿って確認するなんて面倒なこと実際に遣り合ってる者しかしない。こんなことやってると読んでもらえなくなる。村野瀬さんだってその内読まなくなる。それを避けたいのでここでは相手をしたくない。


村野瀬さん、質問はいくつでも構いません。次々聞いてくれても構わないし。別に一つだけに限定ってわけではありませんので。それも気が向いたらでいいです。急かしはしません。

[C3697] >sadatajpさん、みなさん

いろいろ出た発言を適当なところで整理してまとめなおし、そこから再び新しい記事にでもしてまた議論を続ける、というようなやり方を考えています。どのあたりでひとまずの区切りをつけるかは私が判断しますけど...。

この記事のコメント欄はいずれストップさせるときがくるでしょうけど、とりあえずはこのコメント欄で意見や質問のやりとりを続けても私はかまいません。このブログの訪問者全員にこのコメント欄のやりとりに加わることを強制はしてませんので。場所を変えて続けても、コメントの数が増えてくればうっとおしくなるのは同じことですから、場所をあちこち変える必要もないでしょう。(^^;

ですから、読みたい人、書き込みたい人が今くらいの節度を保ってこの記事のコメント欄に書いてくれることはかまいません。
  • 2008-06-02
  • 投稿者 : 村野瀬玲奈
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[C3701] 今更ですが・・・

すみません。私が土日に家に不在だった中でお話が進んだようですね。
一応、言いだしっぺの私にもコメントさせてください。
(以下のコメントは、他の方のコメントは含めずに、sadatajpさんの私へのコメントのみ対象にして書いております)


単に私が「サヨク」扱いされたくない、って主旨の取られました?
ラベリングするな、とは申しません。
そうではなくて、「国歌・国旗強制に反対の人達」を「サヨク」と置き換えることで(ラベリングすることで)、あなたの頭の中の「サヨク」に向かってシャドーボクシングを繰り広げているエントリーを読むのは不毛と思ったので、勝手にラベリングをしないで、と書きました。

不毛と思うのは、「国歌・国旗強制反対」に意義申し立てるエントリーに「サヨクの人達」と呼びかけられたときに、私は、この人勝手に「サヨク」に置き換えていて、自分の中のステロタイプな「サヨク」に向かって書いているのだから、実のある議論にいくのかな?と疑問を持ったからです。
つまり、一般的な意味合いではなく、あのエントリーにおいて、わざわざ「サヨク」とラベリングすることに疑問を呈しています。
誰かを「ゲーム脳」「ゆとり世代」とオチを付けてしまうのは思考を停止させていると思うので、わざわざ「サヨク」と書いて思考停止させている(と、思われる)エントリーを真面目に議論しようという気にはなりません。

「サヨクとラベリングされる違和感」を書いたのは、「国歌・国旗強制に反対の人達」=「サヨク」というのはあなたに自明の理なのかもしれないけれども、少なくとも私にとっては自明の理ではありませんよ、という一つのケース程度に書いたものです。
私が拝見してきたブログの中では「日本の国歌、国旗はどちからというと愛着があるが、強制は好まない」と発言されていた方もいらっしゃったので、やはり「国歌・国旗強制に反対の人達」=「サヨク」と定義されるのは適切では無く、君が代・日の丸が好きでも強制に反対の立場の人や、様々な考えがあるけれども国歌、国旗の強制に反対という人達を前提で話を進めていただきたいなと思います。

最初の話に戻りますが「サヨク」向けではなく「国歌、国旗の強制に反対する人」に向けて書いて欲しいというシンプルな希望です。
  • 2008-06-02
  • 投稿者 : 六月
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[C3702] 今更ですが その2

>六月さんが「周囲の世間からリアルでサヨクと言われたことはありませんが、何か」といえば、どう答えるつもりなんでしょうね。

リアルの私は、TV、新聞もろくに見ない、読まない(本は読む)、あまり深く物事を考えたこと無い人なんです。最近(1年くらい)になって、こうやって人のブログとか読んで、はーとかうーとか考え始めたばかりで。
多分、もし私が「君が代を卒業式で歌わせる、特に強制的に歌わせるっておかしくない?」と友人に言ったら、「急にどうしたの?熱ある?」と返されるのは必至・・・な位考えなし・・・。
今は少しばかり「国旗、国歌強制反対」に傾いていますが、sadatajpさんの言うことが自分の中に落ちれば「国旗、国歌強制反対に反対」の立場に逆転する程度の、ふらふら揺れているヤツなんです。
で、そういうところへ「サヨク」と呼びかけられたので、違和感持ったり、びっくりしたり。その感覚を言いたくて、コメントしたのです。
もう一度、違和感の理由をsadatajpさんへの返信で書いてみました。
これ以上説明しろといわれても、私の頭からは何も出てきません。

前にもこの村瀬さんのブログで、「国旗、国旗強制に反対の立場を取る教師のことを「サヨク」って言われた方がいたので、その1点がどうしても納得が出来なくてコメントしてしまったこともあります。
実は、私が言いたいことは、「強制反対」でも「強制反対に反対」でもなくて、「私(達?)の左斜め27度を見ながら議論をしないで!」と、言いたいだけなのです。

「強制反対に反対」の方々の中で、なぜか私(達?)を「サヨク」とラベリングしないと気が済まない方の意見は、だからもう読む気が起きないです。
  • 2008-06-02
  • 投稿者 : 六月
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[C3703]

「サヨク」に限った話でなく分類されることに異議を唱えてるように受け取りました。色んな人がいるのだから分類などせずそれぞれを個々に見て欲しいと望んでるのではないかと推測しました。個々に様々な違いがあるのだから一まとめにして欲しくない、安易に括って欲しくないと思ってるのではないかと推測しました。
 

今回の投稿は『個々にある違いを切り捨て、「サヨク」という典型的人物像に当てはめ、個々の違いを持った個人とは違うその典型的人物像を対象にsadatajpが話してる。しかし個々に違いがあり「国歌・国旗強制に反対の人達」はそんな典型的人物像の人ばかりではない。個々に違いのある人々を見ず、典型的人物像しかsadatajpは見てない。そんな典型的人物像だけを思い浮かべて話してるsadatajpと真面目に議論しようという気にはなれない。』といったところでしょうか。
そして、『典型的人物像は単体、でも「国歌・国旗強制に反対の人達」はそれぞれに違いのある複数の“人達”。国歌・国旗強制に反対ではあるが、それぞれに違いのある複数の“人達”を前提に話を進めて欲しい』というところではないでしょうか。

違和感は個々の違いを切り捨ててしまってることに対してではありませんか? 違いの部分にも目を向けて、違いのある複数の個々を捉えて話して欲しいと思ってるのではありませんか? 自分はそんな典型的人物像ではなく、そんな自分と違うものに当て嵌められてしまうのは嫌だとも。
これは相当に憶測含みの推察です。ですので六月さんに確認したいと思います。違ってるなら違ってると言ってください。もう一度読み返してみますので。合ってるならこれをベースに話を続けます。合ってるならぜひ書きたい続きがありますので答えて下さい。

[C3709] 違和感

村野瀬様

お久しぶりです

>違和感は個々の違いを切り捨ててしまってることに対してではありませんか?

全然違うと思う「違和感は」あくまでもあなたの脳内妄想に対してのもの。「サヨク」とか、「個々の違い」、とかわけのわかんないこと言う前に、同じ人間だという前提で話をしてけろ。

ていうかたとえ国家であれ何であれ人を処罰(他の人権を確保するために他の人権に制約をつけるわけよね)する時はそれなりの理由が必要なんですけど。だからもしかりに公道を素っ裸で歩いている人がいて、その人が

「いやこれが人間の真実の姿だから何も恥じることはないよ。あなたがたも」

なんて言われたら、国は彼を拘束するための大義名分ってやつが必要になる。そんなのは当たり前だろ、てのは通じないわけだ。彼の人権を制約することの説明を求められれば、国はそれに応じなければならない。これは当たり前のことだ。

たとえば日本刀を脇に差して歩いてる人がいて、そのひとが

「いやこれは護身用ですから。というよりも武士としての矜持です。自分のことは自分でする。当たり前のことです。あなたわたしが誰かに切り付けられて死んだら、責任もてますか」

などと言われたら、いちいち説明を用意しなきゃいかんわけです。彼を拘束し、その理由を問われた時のための大義名分を。よその人権に制約を付けるときは、理由を用意する。人数の多寡なんかに関係なく。これが主権者である国民の義務です。

[C3711] sadatajpさん

すみません。sadatajpさんの仰っていることをうまく読み取れませんでした。
頷ける部分もあるし、私の言った事を理解した上でのお言葉とは取れないような・・・と半々です。
だから質問には単純にはい・いいえで答えられないです。
だから何か申し上げるとしたら、「国歌・国旗強制反対の人」に向けて書いてくだされば良いのではないですか?ということを再度申し上げます。
「サヨクの人」のみに向けるのではなく。

風鈴さまが仰っている
>「サヨク」とか、「個々の違い」、とかわけのわかんないこと言う前に、同じ人間だという前提で話をしてけろ。

ということなんだと思います。
  • 2008-06-03
  • 投稿者 : 六月
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[C3713] Re違和感

現実の人間には誰にだって他の人との違いがあります。個々に違いがあるわけです。そんな他の人との違いを持ったそれぞれの個々人を相手とするのでなく、個々の違いを持たない一つの形に固定化された「サヨク」という架空の人物像に私が摩り替えてしまってると思い、そのことに違和感を感じたのではありませんかと聞いてるのです。

「同じ人間だという前提で話をしてけろ」も同じ趣旨では? そんな架空の人物像とは違う個々に特有の特徴を持った一人の人間として見て話をしてくれという意味で書いたのではありませんか?

[C3714] 説明も納得も必須ではない

>そんなのは当たり前だろ、てのは通じないわけだ。

通じるよ。当たり前となってるなら通じる。当たり前となってるということは大多数がその理由を理解し納得してるということ。この状態であれば「そんなのは当たり前だろ」だけで通じる。
もっとも拘束するとなると法的根拠が必要が必要で「当たり前だ」だけでは足りないけど。でも逆に法的根拠だけ挙げれば「決まりだ」だけで通じるわけで、この場合は何故それがいけないのかの理由は説明する必要ない。


>彼の人権を制約することの説明を求められれば、国はそれに応じなければならない。これは当たり前のことだ。

法律でこう決まってるからという説明だけでいい。
それ以上の説明の要求に一々応じる必要はない。

風鈴さんは納得出来る説明が成されて当然と思ってるのだろうがそんな当然はない。いくら言っても納得しない奴が納得するのを待ったりはしない。それが現実。

[C3715] さて

多数派・少数派関連の話はあらかた決着がついたようなのでラベリングについて、

「人がサヨクと言えばサヨク、ウヨクと言えばウヨク。レッテルは他人が貼るもの。どうしてそう言われるかは自分で調べてください。貼られたくなかったらあなたが変わりなさい。」

レッテルを貼る貼られるという状況において、当事者でなく外から見た第三者がこれを言うなら、あるいは認められるケースもあるかもしれない。
けども、
sadataさんは今回レッテルを貼った当事者なわけだから、
自身がレッテルを貼った事について疑問をもたれ聞かれたならば、
sadataさん自身が自分の言葉で、こう思い、こう感じ、こう考えたから、これこれこういうレッテルを貼りました。という返答を提示しない限りこれは具体的な議論にはならない。
それがあって初めて、「いや、それは違う」とか「なるほどそこは同意できる」とか言う事ができ、その積み重ねによって議論が具体的になり、論点がハッキリしてくるわけだ。

結局この二・三日延々とやってる事は、多数派・少数派の話もそうだけど議論の前の議論でしかない。
だから俺は何度も
「結局君は何をどうしたいの?」と聞いてきたんだけどね。

  • 2008-06-03
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3721] どちらも同じ

ラベリングは様々な違いがある人達の中の共通する特徴を捉えて行うものです。共通する特徴を捉えるわけですから個々の違いは無視することにもなります。この個々の違いの無視を私がしてるから、様々な違いがある「国歌・国旗強制反対の人」を見てないと感じ、「国歌・国旗強制反対の人」について書いてるのでなく「サヨク」について書いてると思われたのではないかと推測したので先のようなことを聞いたわけです。

「サヨク」はサヨク特有の特徴を持った人に対して行うラベリングです。そして今の学校でやってる程度の国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じる人はサヨクの特徴を持った人です。そのサヨクの特徴が国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じさせます。反対しなければと思うような強制だと感じさせます。
個々の人々にそれぞれ違いがあるにしても「国歌・国旗強制反対の人」が今程度の国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じてるという点は共通してます。それは今程度の国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じさせる特徴を持った人であることを意味します。「国歌・国旗強制反対の人」はサヨクの特徴を持った人であり、その特徴を把握してる人からはサヨクと呼ばれる人です。「国歌・国旗強制反対の人」も「サヨクの人」も同じです。 置き換えてるわけではありません。

[C3723] 随分と大胆な…

えーsadatajpさんの「サヨク」というラベリングの根拠について、なんとも乱暴な分類だなあと思わざるを得ないわけでして、たとえば罰則規定を持ち出して強いる行為は、その背景にある思想信条がなんであれ立派な強制に該当するわけですが、愛国心や国家への忠誠心を強いることに羞じらいを感じないというのは如何なものなんでしょうな。

この国で生きているわけですから、あたしとて、この国を自然に誇ることができるような国にしたいわけですが、現状がそうであるとは到底思えないから、どうすればいいだろうか、というような提案の中で、更なる民主主義の発展や、無用な規制と必要な規制を見極めていくこと、ひとりひとりの人間を大切にしようとすること、といったことを提言しているにすぎないわけですな。

sadatajpさんにとっては、個々人の差異や思想信条などどうでもよくて、国家の存立こそが最優先されるんでしょうな、なんて言ったら、あたしも無政府主義のサヨクとラベリングされるかしらん(笑)

あたしにとっては、たかが国家の存立なんぞよりも、ひとりひとりの人間が可能な限り幸せに生きられることの方がずっと大事です。そういう人間優先の考え方をサヨクだとラベリングされるのであれば、あたしは寧ろ嬉々としてサヨクだと自称しましょうかね。

[C3726] 許す。

私は、他者が行うラベリングを正当なものと感じますよ?
例えば仕事でミスをする、人から「バカ!」とラベリングされる。全くもって正当です。
女の人から「キモい」とラベリングされる、これもまた正当です。
「お前、頭よすぎ」とラベリングされる。これも当然のことです。

それら全てのラベリング一切合切を、私は許します。
もともと、私がどのような人物であるか、言語化できる人間はいないのです。ケースバイケースで、相手のためにラベリングさせてあげるのは当然です。
そうでなければ相手は不安になるのですから、しょうがない。


>「国歌・国旗強制反対の人」はサヨクの特徴を持った人であり、その特徴を把握してる人からはサヨクと呼ばれる人です。

この場合、この「特徴」はラベリングを行う人にしか見えないものです。従って、ラベリングを行う人の特徴は、「サヨクの特徴が見えると信じている人」になります。

だからラベリングという作業は、対象たる私について語っているのではなく、ラベリングする他者自身の立ち位置を語っているのです。
よってラベリングが行われる時、私は相手の手の内がよく理解できます。
  • 2008-06-04
  • 投稿者 : 人生アウト
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[C3728] 当たり前

sadatajpさん

「いやこれは護身用ですから。というよりも武士としての矜持です。自分のことは自分でする。当たり前のことです。あなたわたしが誰かに切り付けられて死んだら、責任もてますか」

あなたはこれの返答として、

「銃刀法違反です」

と言うわけですか。

「自衛隊は九条違反だ!(違反だから違反なのだ)」

と同じような口ぶりですね。

私ならこう言います。

他の国民の生存権の確保のためです。

日本刀は人殺しの道具です。それ以外の用途には向きません。切り付けてきた相手の刀を受けるためなら天秤棒でも用意しなさい。ただ、身を守るのなら柔道か空手をやるのをおすすめしますよ。それと、のうひとつ、できましたらで結構ですが、誰にも命を狙われる心配などしなくてもいい人間になるための日々の努力研鑚勉励刻苦もおこたりなく。あたしのみたいに。

日本人なら武器をちらつかせてごちゃごちゃ言うような恥ずかしい真似はやめることです。堂々と己の身ひとつで立ちなさい。

これで納得せずに帯刀を続けるのなら、おとなしく監獄に入っていただくほかありません。

村野瀬さま

だらだらと長くなりましてごめんなさいです。

[C3735] まだ続く?

続くなら書くよ。

>個々の違いを持たない一つの形に固定化された「サヨク」という架空の人物像に私が摩り替えてしまってると思い、そのことに違和感を感じたのではありませんかと聞いてる

ラベリングについて人が反発感を抱くのは、たいていの場合その基準が明確ではなく、ともすれば曖昧で、はっきりと言ってしまえば恣意的な可塑性をもって適用されているからである。
『だれそれはAである。』
そういう時、【A】なる集合の共通要素を明確にしてそう断じる人はまずいない。事実わたしも、『こいつはバカだ』と切り捨てる時、往々にしてその人の言動の様態を総合的に勘案して、という恐ろしく大雑把な根拠しか持たない。
このような恣意的に適用されているであろうと考えられる基準に対して反感を持つのであって、ラベル自体の持つ没個性性に対して反感を持つものはいない。
と思う。
だって、『人間としてそれはどうか』とか、みんな言ってるでしょ? こういう指摘をされて、『そんな個性を埋没させるラベルで私を見るな』なんて言い出したら、ただのイタイ人だよ。

あとさ。

>「サヨク」はサヨク特有の特徴を持った人に対して行うラベリングです。
>そして今の学校でやってる程度の国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じる人はサヨクの特徴を持った人です。
>そのサヨクの特徴が国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じさせます。反対しなければと思うような強制だと感じさせます。

……これは単なるトートロジーだよね?

ここで問題になってるのは国旗掲揚国歌斉唱に対する態度であって、それに対して何らかの一般的判断を行うなら(右翼左翼って言うのは政治的に相当一般的な態度だから)、こんな特殊な問題をもってその理由にしてはいけないわけだ。
この場合は、『サヨク』の政治的態度をモデル化して、その特徴が特定の『国旗掲揚国歌斉唱に対する態度』と同様の(あるいは類似の)特徴を持っていることを示し、その上で、その特徴と、あなたがラベリングしたい人との態度とが共通であることを示さなきゃ。
  • 2008-06-04
  • 投稿者 : すてはん
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[C3738] あ、

主語をハッキリさせる為の話にこだわってたらいつの間にかおいてけぼりに…。
(T▽T)


sadataさんの言ってる事を俺なりにまとめると、
誰が定義してるのかはよくわかんないけどとにかく『サヨクの特徴』なるものがまずあって、
その『サヨクの特徴』にちょっとでも掠ったらそれは『サヨク』になる。
って話なんだろか?

えらくざっくりした話でどうもなぁ…。
(・・;)ゞ


で、『サヨクの特徴を把握してる人』=『sadataさん』でいいのかな?

だとするとこの件の最初のコメントに戻って主語を変換すると、

「sadataさんがサヨクと言えばサヨク、ウヨクと言えばウヨク。レッテルを貼る権利を持ってるのはsadataさん。どうしてそう言われるかはあなたの方で調べてください。sadataさんにレッテルを貼られたくなければあなたが変わらなければなりません。」って感じになるんだろうか?

この辺りどうなんだろ?
あってる?誤読?
(??)ゞ
  • 2008-06-04
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3739] McRashさん

>たとえば罰則規定を持ち出して強いる行為は、その背景にある思想信条がなんであれ立派な強制に該当するわけですが、

強制と言えば強制なんだけど、サヨク以外の人にはことさら強制と騒ぐ程のものではなく強制とは感じないのです。あなたの感覚では納得いかないでしょうけど、サヨク以外の人には業務命令は従うのが当然という感覚があるから取り立てて強制と騒ぎ立てるようなものとは思わないのです。さらに、業務命令を拒絶なんてしたら何らかの罰があるってのも当然と思ってますから罰則規定があることを問題視したりもしません。業務命令の拒絶は罰を受けること覚悟で行います。
で、それを普通だと思ってるのですよ、サヨク以外の人は。


>愛国心や国家への忠誠心を強いることに羞じらいを感じないというのは如何なものなんでしょうな。

恥じらいを感じないのは卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱を「愛国心や国家への忠誠心を強いること」だとは思ってないから。小中高校の卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱に愛国心がこもってると思いますか? 国家への忠誠心を持ってやってると思いますか? ほとんどの人はそんな気持ち込めてやっちゃいないですよ。そんなもんなくても立って歌えばそれだけで済んでしまうものです。そんなもんを「愛国心や国家への忠誠心を強いること」なんて思ったりはしません。その程度のものを「愛国心や国家への忠誠心を強いること」なんて思うのは国旗や国歌を嫌ってるサヨクくらいなもんです。


>あたしとて、この国を自然に誇ることができるような国にしたいわけですが、・・・

ええそうでしょうね。ただどうすればいいかがMcRashさんと私では違ってます。


>sadatajpさんにとっては、個々人の差異や思想信条などどうでもよくて、

どうでもよければサヨクの考えを知ろうとはしません。

特定個人を対象にするときには個々人の差異にも注目します。
でも特定個人でなく複数を対象とする時は共通点に注目します。


>国家の存立こそが最優先されるんでしょうな、

国家を構成してるのはその国に住む国民でね、その国民の存立を私は最優先してます。個人ではなく集合体としての国民ですがね。

[C3740] 人生アウトさん

>だからラベリングという作業は、対象たる私について語っているのではなく、ラベリングする他者自身の立ち位置を語っているのです。

相手を見ずにラベリングなんか出来ません。相手が揶揄とかでなく「天皇陛下万歳!」なんて書いてたらサヨクなんてラベリングはしません。


>よってラベリングが行われる時、私は相手の手の内がよく理解できます。

本当に理解出来てるなら有難いと思いますよ。

[C3741] 風鈴さん

その説明が要るかどうかの話だったのでは?
つーか、帯刀してたらもうその時点で逮捕しなきゃ。
説得は逮捕後でしょ。

[C3742] た〜んさん

権利でなく自由だよ。あんたには何言ってるのかわからんだろうけど。
説明は無駄だからやんない。

[C3743] すてはんさん

>このような恣意的に適用されているであろうと考えられる基準に対して反感を持つのであって、

基準は相手にある。反感もっても無駄。そんなもんに反感持つな。

[C3744] いやそんなに怒鳴られても…(・・;)

なるほど、『権利』の所が『自由』なわけね。

で、後の部分は合ってる?

また、「『サヨクの特徴』にかすれば全て『サヨク』」というのも間違いない?


それから、「逮捕した後説明する」って事は、やっぱ説明が必要なわけだよね。

まぁその後裁判もあるし、判決が下りるまでは推定無罪として審理もされるわけで、単純に「法的根拠だけでいい」という話ではない。
まぁそもそもが大雑把すぎる話ではあるんだが…。

後、拘束されてる期間て、日当も出るんだよね確か。
つまり、誰かの人権を制限する場合には、それ相応の理由もいるし、それに対しての説明も必要。対価も払っている。
少なくとも「当たり前だから」とか「法的根拠があるから」とかだけでは済まない。
ある意味面倒くさいくらいの手続きが必要になる。


でも、「それが民主主義」って事なんだよなぁ。

  • 2008-06-05
  • 投稿者 : た〜ん
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[C3747] お答えいただければ幸いです

sadatajp氏は、どういう範囲なのかは不明ですが、ここでの論争相手を「サヨク」とラベリングしているのはわかりました。
ご自身のブログでは「ネットウヨク」と呼称しておられるようです。

では、oldmanさんのことを、どのようなラベリングで理解しておられるのでしょうか。またKYさんのことはどのような特徴で他と同じクラスに分類しますか?
  • 2008-06-05
  • 投稿者 : ウーティス
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[C3748] 「国民統合」なる幻想

えー個々の人間にはそれぞれの利害があり、往々にして対立と妥協とを繰り返しながら日々の営みを紡ぐわけでございますが、 それが何らかの意識の元にひとつにまとまる、だなどということをsadatajpさんは信じることができ、あたしなどは到底信じることができない、というのが根底にあるように感ずるわけですな。

それが、愛国心なるものをsadatajpさんは当然のものとして捉え、あたしなどは無理強いのように感ずるわけでして、こりゃ噛み合おうはずもござんせん。

そもそも、国家とはひとりひとりの人間がよりよく生きようとするための方便にしか過ぎないのであって、たかが手段に愛情を抱くことが、あたしなどのような人間にはいまひとつピンと来ないわけですな。

詰まるところ、個を大事にしようとするか、集団を前提として考えるか、ということに収斂するのではないかなぁと。

業務命令には従うのが当然だそうですが、sadatajpさんは、自身がたとえば一般企業の従業員であるときに、上司から業務命令として殺人や強盗、ないし詐欺を(それを明示しない形で)命ぜられても従うんですよね?
あたしは、sadatajpさんの発言をその様に読解しましたが、あえてこの極端な例を持ち出すのは、業務命令が個人の良心を超克し得ない、ということを裏書きし、それを認める言質を取るためのテーゼと御理解くださいな。

詰まるところ、愛国心なるものを醸成しようとするのであれば、真に誇るに足る国を、その国の構成員である大人たちが築こうとする姿を見せていかなければならんわけですよ。愛国心が先にくるのは主客転倒も甚だしい。

[C3749] 説得?

>説得は逮捕後でしょ。

逮捕後に説得しちゃ、この人、犯罪者じゃん。

わざわざ裁判しなきゃいけないし、監獄のスペースやら看守やらも要る。面倒だしお金の無駄。どうせ説得するのなら先がいいでしょ。何のためにあたしらの口はついてんの。

それに、逮捕って、あなた警察官なのか。

それならそれでもいいけど。逮捕後に説得しようとしたら真っ二つに切られちゃうかもよ。それとも問答無用で拳銃を突きつけるかい。場合によっては撃たなくちゃいけないことになる。だいたい脇に差してるのが真剣かどうかもわかんないのに。

それで、まあ一応説得はするんだね。

で、うまく逮捕できたとして、あなたは、どういうふうに説得(しようと)するのかな。

逮捕拘束、場合によっては射殺、そのために用意してある、その大義名分をお聞かせ願いたい。

ついでにもうひとつ質問ね、sadatajpさま

自衛隊は違憲なのでしょうか?

あたしは違憲だと思う。クラスター爆弾だの海外派兵だの辺野古の市民運動に銃を向けるだの。いい加減にしてくれ。

ん、日の丸?

あたしゃサムライだから主君(=主権者である国民)以外に忠節を尽くすべき相手はございませぬ。ご了承召されよ。

[C3755] こういうことと違います?

sadatajp さん
横レス失礼します。

>強制と言えば強制なんだけど、サヨク以外の人にはことさら強制と騒ぐ程のものではなく強制とは感じないのです。


はい、大変よくわかる気がしますよ、そうなんでしょうね。

教育勅語の暗唱なんかも、ほとんどの人には当たり前だったんでしょうね。
国防婦人会やら隣組の竹やり訓練なんかも、強制と言えば強制なんだけど、ことさら騒ぐ程のものじゃなかったんでしょうし。

強制と感じるのは、まるで何か感染症の病名のように「サヨク」とか「アカ」とか呼ばれる存在だけなわけで。

ともあれ、「サヨク」に対応する反対語は「ウヨク」じゃなく、もしかして「普通の日本人」じゃないですか?
「サヨク」=「普通じゃない、正常じゃない(人非人?非国民?)」って含みがあるような。



>サヨク以外の人には業務命令は従うのが当然という感覚があるから取り立てて強制と騒ぎ立てるようなものとは思わないのです。


あなたにとって「強制とは感じない」「業務命令は従うのが当然」という感覚が取り立てておかしなことではない、それこそ「当たり前」で「自然」なことであるのはわかりました。

そういう感覚は理解できますよ。
永年、理解しようと努力してきましたから。

で、仮にそういう人ばかりだと民主主義はうまく機能するんですか?


「業務命令は従うのが当然」「強制OK」

こうした規範で滞りなく回るハズの社会というのは、例えば
「権威者・上位者は間違わない(だから黙って従っていればよい)」
というタテマエで動く社会です。

これは余りにも明らかですから、ご同意いただけるものと思います。

手っ取り早く例示すると、第二次世界大戦時の枢軸国(日独伊)ですね。
もちろん現在の北朝鮮もですけど。
右か左かは別として、いわずと知れた全体主義体制の国々です。
(付け加えるなら、滞りなく回るどころかエライことになって国民は泣きを見るみたいですけど。)


だから、
「実は日本は戦前と同じなんですよ、
経済成長はしましたけど、国民も政府も政治的感覚は、昔のまま前近代的な権威主義国家なんです」

と開き直るのであれば、あなたの仰る『「サヨク」以外の人』の規範意識で身の丈にあっていてピッタリです。
北朝鮮とは価値観を共有するお仲間、ということになりますが、それは仕方がありません。

ところが申し訳ないですけど、私は全体主義はお断り!なんです。
民主主義の方がず〜〜っとマシだと思っているし、将来性も明らかにありそうだから、是非とも上記のように開き直るのはカンベンして欲しいし、
「民主主義を担うにふさわしい個人としてのあり方」に向けて努力してるんですよ。


>国家を構成してるのはその国に住む国民でね、その国民の存立を私は最優先してます。個人ではなく集合体としての国民ですがね。


「個人ではなく集合体としての国民」って、どこにいるんです?
日本国籍を有する個人であれば、日本語を解さなかろうが、日本の土を踏んだことがなかろうが、肌の色が違おうが「日本国民」ですが、「集合体としての国民」って一体全体、どういうものなんですか?

「集団」とか「組織」ならわかりますけど、人間が仮にどんなに密接に関係し合って生活していても、つねって痛いのは「個人」であって、集合体とやらが一緒に痛がってくれるわけじゃありません。
同様に、おなかがすくのも「個人」、生まれるのも死ぬのも「個人」であって、「集合体」ではないと思うんですが・・。

あ、「集合体」のような抽象的な観念の産物こそが大事なんであって、具体的な個々の人間はどうでもいいってことですか?

そう考えるとマタマタ思い出すことがあるんですが。

「国体」とやらを守るために、何十万もの個人を平然と犠牲にしたどころか、最終的には国民が全員玉砕しても、「国体」が残ればいい、なんて主張が真顔でされてたんですよね。


ユリイカ!!

「国民としての集合体」・・「国体」ですね、これ?


いや〜、6〜70年前をひもとけば、あなたの仰ってる意味がどんどん解ける(?)なんて。
まあ当然なんでしょうけど。
  • 2008-06-05
  • 投稿者 : あげは
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[C3758] 今更ですが3

再度読んでみて、少し整理出来たような気もしますので、satadajpさんが私に宛てたコメントに幾つか返信させて頂きます。

>「サヨク」に限った話でなく分類されることに異議を唱えてるように受け取りました

「サヨク」というカテゴリは「国歌、国旗強制反対の人」の下位カテゴリにも関わらず二つが同等に扱われていることが間違っている、と言った方が伝わりますか?
だから違和感があるんです。

>『個々にある違いを切り捨て、「サヨク」という典型的人物像に当てはめ、個々の違いを持った個人とは違うその典型的人物像を対象にsadatajpが話してる。

何故、典型例を「サヨク」に求めるのか、という問題がありますよね。
何故、典型例が必要なのか、と言うことも。
「サヨク」の上位カテゴリの「国歌、国旗強制反対の人」で充分ですよ。
わざわざ下位カテゴリに限定するかの様な書き方で自説を主張する意味があるのですか?
もし、「サヨク」が一番人数が多い下位カテゴリーだから、典型例に選んだ、ということであれば、私の様に誤読する人が現れるわけだから、適切な選択ではなかった、ということになります。
再度書きますが、呼びかけには「サヨク」の上位カテゴリの「国歌、国旗強制反対の人」で充分・・・、いえ、これが適切です。

たったひとつの言葉使いの些細な問題に、私は何時間かけて読んだり、書いたりしているのかなぁと思い・・・ます。
しかし、大切な問題だと私は思います。

・・・と、ここまで書いて、私の最初のコメント(3648)の
>単純に「国歌・国旗強制に反対のみなさん」と言えばよろしいんじゃないですか?
説明聞く気ありますか?と問いかけていらっしゃいますが、そもそも呼び掛けの相手の名前を間違えていますよ・・・。

が、結局一番シンプルで分かりやすいと思うのですが・・・(汗)
あのコメントは短いけれども、時間をかけて考えて、一番何が言いたいのかを自分なりにまとめたんですよ。
  • 2008-06-05
  • 投稿者 : 六月
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[C3765] ちょっと話が後戻りしますが

多数派・少数派の話で気づいたんですが、

例えば全体を100とし、
多数派を70
少数派を30
と仮定すると、

多数派が説得しなければならない最大人数は30、
少数派は70になるわけで、

確かに数の面だけ考えれば「多数派は少数派ほど説得をしないでも良い」という解は出てきますね。
えらくざっくりとした話ですけども。
(・・;)ゞ

もしかしてこういった事が言いたかったんだろうかなぁ?


  • 2008-06-05
  • 投稿者 : た〜ん
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