コメント
その点について説得力のある説明しない限り、賛同者は増えないと思う。
>伯爵さま
「歴史問題、国家主義、愛国心」カテゴリーで私がいろいろな角度から書いていることを踏まえたお返事でもけっこうですから。
普通の民主主義国ではそのようなことはしていない。そのようなことをしているのは中国と北朝鮮くらい。そのようなことをするポジティブな教育的意義がはっきりと説明されていない。思想良心の自由に反する。そのようなことを強制することによって現場に軋轢が生じる。などなど、私は一つ一つのエントリーで説明しているのですが...。
ですから説明する必要があるのは、村野瀬さんのほうなんだと思います。多数派のほうは村野瀬さんを(少数派を)説得する必要がないのですから。
また現に行われていることを変更させようと考えている人が、なぜ変更するのかを説得しないと、かわらないとも思います。
村野瀬さんにとっては、私の言い分は納得できないことと思います。でも、変えようとする少数派は、多数派を説得しなくてはいけないのは、事実ではないでしょうか?
それをふまえて
1 普通の民主主義国家ではやらないから
これは気持ちはわかるけど、正直だから何?と感じます。日本は日本のやり方があるとしかいいようがない。
2 ポジティブな教育的意義が感じられない。
逆に今やっていることをやめなくてはいけない理由を説明してくださいとなるでしょうね。
3 思想良心の自由に反する
もちろんそう考える人がいることは理解します。しかし、反するかどうかを認定するのは裁判所でして、そのような判決がでたのでしょうか?
また、多数派は、反するとは考えていません。ですから何故反するのか、「説得力のある」説明が必要でしょう。
4 現場に軋轢が生じる
法に反しない職務上の命令には服する義務があります。法に反しているということが判決ででないかぎり、教員は命令に服するのが義務です。
国旗掲揚・国歌斉唱に反対することはもちろん自由です。それを実現するには、多数派を説得していくことが必要です。
国家意識の効果
つまり、
国家意識→愛国心→国家への忠誠→国家権力への忠誠→現行政府権力への忠誠
と流れるからです。
もちろん、何割かの人は疑問を持って途中で漏れていくわけですが、それでもかまわないのです。
やらないよりはやった方が得ですから、右であろうと左であろうとどんな政府権力でも、それをやろうとするのです。
もし、日本共産党が政権を取ったとしても、おそらくやると思いますよ。
相手の言ってる内容を理解しようとしますか?
あなたと異なる考えというのはあなたの中にあるものとは違うあなたの中に無い考えです。あなたの考えとも認識とも合致しないもので組み立てられた考えであり、聞いてすぐ理解出来るというものではありません。理解の為には相当の努力が必要です。その努力をしてくれますか。
どんな説明をしてもそれを頭ごなしに否定し聞き流されては理解させることは出来ません。説明して理解してもらうには説明を受ける側に理解しようとする努力が絶対的に必要です。賛同までは求めませんが、その説明の内容を相手の意図通りに理解し把握する努力は求めたいと思います。それに応えてくれますか? それに応えてくれるのであればいくらでも説明します。
通常言葉を濁して語られない部分までストレートに書き表しての説明をして差し上げます。多くの人が当然わかってるものと考えて説明を省いてる部分についても説明します。説明を聞く気があるなら聞きたいことを質問して下さい。可能な限り答えます。
(ここでの理解は内容の把握であり賛同を求めるものではありません)
http://d.hatena.ne.jp/sadatajp/20080529/1212001868
出発点がオカシイですよ。
伯爵さん、はじめまして。
横レス失礼いたします。
>卒業式に国旗を掲揚し、国歌を斉唱することが
>おかしいことだと考えている日本人は少数派で
>す。それを多数派にしなくては状況がかわらな
>いわけです。
あのですね、個人の思想・信条・価値観ってのは、そもそも多数決にはなじまない、っていうのが近代国家のいわば基本的なお約束なんですよね。
伯爵さんが言われるように、これを多数決でもって統制するのが日本だと言っちゃうと(北朝鮮がまさにそうやってるわけですけど)、日本が民主主義国家であり、近代国家だというタテマエが崩れちゃうんですけど、いいんですかね?
ほぼ全国民を幼少期からあらかじめ、異論を排除して一つの思想信条が「普遍」かのような環境で教育するとします。その上でいくら制度的に一見民主主義国家のような体裁を整えようと、茶番ですよ。
だって肝心の主権者たる国民が、教育を通して「非民主的・前近代的な体質」しか叩き込まれてないわけですからね。
確かに伯爵さんのような人は私の周りでも多くて、話しが噛み合わなくて困るんですけど、噛み合わない理由は、例えば以下の話にピンと来るか、来ないかっていう、ものすごく根本的な、感覚的なところなんです。
「国歌を歌いたい人はいくらでも歌えばいいんですよ。ただし、自分たちが歌いたいからって、一人残らず全員に、何が何でも歌わせようなんて、そりゃあなた、昔はともかく今の時代には無理スジの話でしょ」
伯爵さんが「少数派は多数派を説得して多数派になるべき」なのだから、「説得しろ」と言われましても、その前提を思想・信条に適用できるという感覚を共有してないんですよ、私なんかは。
村野瀬さんもそうじゃないのかな(勝手に言ってすみません、村野瀬サマ。違ってたらごめんなさい)。
勝手にラベリングされる違和感
ブログ拝見しました。
内容よりは最後の「サヨクのみなさん」という言葉が引っかかりました。
お恥ずかしいですが、サヨクとウヨクって言葉の本当の意味が分かりません。
わかりませんけれど、国歌・国旗の強制に反対という立場を取ると、途端に「サヨク」とラベリングされてしまうことはとても違和感があります。
単純に「国歌・国旗強制に反対のみなさん」と言えばよろしいんじゃないですか?
説明聞く気ありますか?と問いかけていらっしゃいますが、そもそも呼び掛けの相手の名前を間違えていますよ・・・。
偶像崇拝はやめよう!
効果もメリットもありません。
もちろん一体感など生まれようがありません。なぜなら、以前(http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-718.htmlのコメント【3492】)lにも書きましたが、『君が代』は国歌に向いてないのです。この歌には現代日本人の心をひとつにする力は最早ありません。『君が代』推進派の方にはお気の毒ですが、いくら頑張って強制しても、無駄です。
『日の丸』も、その戦後史(http://blog.livedoor.jp/suruke/archives/50981472.html )
を考えると、教育的存在になりえません。
戦後長い間、『日の丸』は、学校の式典において、講堂の舞台の隅の三脚に挿され、前非を悔いるかのようにうなだれていました。その『日の丸』が、いつの間にか舞台中央にせり出し、挙句の果てには、壇上後背正面にピンピンにはられるようになりました。
初期の旗貼り作業に積極的に関わったのは一体誰なのかということに私は大いに関心があります。校内の人間であることは間違いなく、多分教頭とゴマすり教員が力を合わせて貼り付けたのだろうと推測しています。その状況を想像しただけで教育的でないことは確かです。権力への追従と保身のために、旗を貼り付けるアサマシイオベッカ教員たちの姿は全然教育的でありませんし、生徒たちの尊敬も得られません。
また、教育委員たちは「国旗を敬う国際的マナーを養成する」などとバカを言ってますが、旗へのマナーなどより、電車で席を譲るマナーを、先に、生徒達に教えるべきでしょう。今でも35時間も道徳教育を強制しているというのに、弱者をいたわるマナーも生徒たちに全然浸透していません。旗なんかを敬っている場合ではありません。
そもそも、旗を敬うというような偶像崇拝はやめたほうが良いのです。
旗なんてものは、敬うというよりは、その国(自国にせよ、他国にせよ)に文句がある場合に火をつけて燃やしたり、みんなで土足で踏みつけて、その国への抗議の姿勢を表すために使うべきです。そうすることで大衆の気が済むとしたら、こんな良いことはありません。旗はボロボロになりますが暴動や戦争は防げるのです。こんなふうに国旗は平和的?に活用できるものなのです。 しかし、『神聖にして侵すべからずの旗崇拝』主義に凝り固まってしまえば、旗が冒涜されたと怒って宣戦布告となるでしょう。
旗を焼いたり小泉やブッシュの人形を燃やしたりするのは韓国の得意技ですが、一般大衆の怒りをおさめるにはとても良い方法なので他の国も真似すべきです。
「国歌、国旗を愛せ!」とか【国旗、国歌に対する非礼」http://homepage3.nifty.com/yoshihito/hinomaru.htm】とか言ってギャーギャー強制するやつに限って、『愛人主義感覚』が欠如しています。 そんな心の狭い人に八木倫明さんからのメッセージ【(comcom.jca.apc.org/freedom/message/yagi.html)】を送ります。
「卒業式に国旗を掲揚し、国歌を斉唱することがおかしいことだと考えている日本人は少数派です。それを多数派にしなくては状況がかわらないわけです。」と私は書いています。状況を変えるには何が必要かと書いているのです。実際村野瀬さんがブログで何度も主張するのも、自分の考えを多くの人に知ってもらい、賛同してもらうためでしょう?
もちろん少数派のままでも、裁判で勝てばそれでなんとかなるんでしょうけど、まだ勝ててないわけですよね?
あげはさんはどうやって卒業式から国旗掲揚国歌斉唱をなくすつもりなんですか?
あげは流の、少数派のまま実現する方法を書いてください。
別に式次第の中にあったっていいんですよ。
えーとですね、根本的な間違いをされていると感ずるので横からレスを入れさせていただきますが、別段、式次第の中に国歌斉唱、と入っていたっていいんです。その中で歌わない自由さえ保証されるのであれば。
国旗を掲揚することにしたって、それが強権的な手法によって強制的になされるのではなく、きちんとした説明を行って、これこれこういう目的をもって、式場には国旗を掲揚します、といったような手続きをきちんと踏むのであれば、何ら反対する理由もないのです。
ところが、東京都教育委員会のやり方ではそうはなりませんよね。そもそも学校の運営を管理職の一存で強権的に行え、とでもいうような通達のもと、異論を差し挟むことさえ許されないようなかたちをとっているのですから。
伯爵さん(や、同様の趣旨でコメントをされる方々)は、そこを踏み違えているように感ずるわけです。村野瀬さまにしてもあたしにしても、頭から国旗国歌そのものに反対してるわけではないことを、過去のエントリやコメントなどからきちんとお読み取りくださいますよう。
「別段、式次第の中に国歌斉唱、と入っていたっていいんです。」とのことですが、村野瀬さんがそう考えているのかどうかはご本人が言うことなので、あなたがそう考えているとの前提で答えさせてください。
式次第の中に国歌斉唱があれば、教職員に対して式次第に従うように職務命令を出すのは当然のことだと私は考えます。教職員は卒業式を主催する側ですから。
これが来賓の保護者なら別ですよ。自分の思想にしたがって歌わずに座ったままで結構だと思います。しかし主催側の教職員が、来賓も含めた参加者全員に国歌斉唱を呼びかけながら、式次第に従わないというのは、私には許されることだとは思えません。教育委員会も当然そう考え、式次第に従うように職務命令を出すでしょう。
以上が私の考えです。以下は法律の話です。
教職員(公務員)は法律で「法に反しない職務上の命令に服する」ように定められています。
繰り返し述べますが、この職務命令が憲法違反だという判決は出ていますか?出ていないのであれば、法に反しない職務上の命令ですから教職員は従う義務があります。
最後に強権的な通達という部分ですが、式次第に従わない教職員に、式次第どうりにするようにと職務命令を出すことが強権的とは感じられない。それって異論を差し挟ませる必要があるのでしょうか?職員会議で話し合うのですか?式次第に従う必要があるかどうかを?
全然話は変わりますが、来年総選挙があります。ここで民主党政権が誕生すれば、状況は変わると思います。日教組が支援している政党ですから。私は今の政権の庶民増税・企業減税、貧困層は死ね・代わりに移民いれるからという政策に心底うんざりしているので、野党に投票します。
あなたたちとは反対意見の私の一票が、あなたたちの助けになるというのも面白いものだなとちょっと不思議な気分です。
人からサヨクと言われる人がサヨクで、ウヨクと言われる人がウヨクです。誰にしろサヨクとかウヨクとか出鱈目に言ってるわけではありません。何らかの特徴を捉えて言ってます。その特徴を備える人がサヨクでありウヨクです。その特徴が何かは、人がどういう人をサヨクと呼び、どういう人をウヨクと呼ぶかをよくみて、サヨク・ウヨクと呼ばれる人達に共通する特徴を捉えて自分で見つけて下さい。
ラベリングというのは基本的に他者がするものです。
良い人だとか底意地の悪い奴だとかやさしい人だとか冷たい人だとか、みな当人でなく他人がその人の特徴を捉えてラベリングします。当人にしてみれば勝手に付けられるってことになりますが、ラベリングとはそういうものです。そのラベリングは自分を表してない、間違えて捉えられてると思うならそうでないことを示すことです。それを見た人がラベルが違ってたなと思えばラベルを貼り直してくれます。いずれにしろ決定権は他人が持ってます。ラベリングはその他者がそう思ったということであり、その思いを変えさせる権利は誰にもありません。思うななんてことも言えません。ラベリングされたら自分はそう思われてるんだと潔く受け入れてください。
どうにも気に入らないというなら自分を変えてください。望むようなレッテルを貼ってもらえるように。
レッテル貼るなってのは無理です。他者に対して思うな考えるなってことですからそんな要求誰も受け入れません。
どちらでもいいのでは
実際に係争中の裁判は、式典中の不起立を理由に処分された教員が、処分の不当を争っているもので、式典中の国旗掲揚等の差し止め請求等ではない。McRash 氏の指摘のように「強制」をめぐる議論であって、日本国民の大多数が式典で国旗掲揚を当然視しているという論点ではない。不起立への処分が妥当というのが国民の多数意見かどうかは疑問。処分は違憲・違法とする一審判決への世論の評価も分れた。
また、卒業式等で国旗掲揚、国歌斉唱がおかしいと考えている日本人は少数だとしても、、掲揚・斉唱が当然だとの考えが多数派とは言えない。「どちらでもいい」という考え方が多数派という推測も成立する。
個人的経験では、有名私立校出身で卒・入学式で君が代斉唱したことはない。校歌はことあるごとに歌った(歌わされた。)
保護者から「日の丸掲揚、君が代斉唱」を求める声があったとも聞かない。
卒・入学式での国旗掲揚・国歌斉唱の有無はさしたる国民の関心事ではないと考えられる。
なんだかなぁ…
そもそも「自分は多数派」と定義しちゃう事自体がまずどうなのかと。
それ本当に本当なのかなぁ?確かにそんなイメージもないこたぁないけども、具体的にどんな感じに多数派が形成されてるのかがよくわかんないんだよなぁ。人それぞれいろいろ濃淡やムラだってあるだろうし。
相手を少数派と定義してる事についてもなんら具体性がないような…。
またそういったイメージを前提としたとしても、
「多数派だから」とその定義の上にあぐらをかいて「だから説明も説得もこちらはする必要ないもんね♪えっへん♪( ̄^ ̄)」て…。
結局論理はどうでもいいのかなぁ?自分自身の意見というか論理はないのかなぁ?と。
多数派にだって説明や説得をする為の論理って必要だと思うし、それを表現する事って大事だと思うんだけどなぁ…。
特に民主主義社会であるならね。
なんとなく斜め上からすぎる気がする。
(・・;)
ラベリングが間違っている
>国歌・国旗の強制に反対という立場を取ると、途端に「サヨク」とラベリングされてしまうことはとても違和感があります。
「ラベリングが間違っている」というほうが簡明でしょう。入学式に国旗・国歌がなくてもいい、というだって別に左翼でなくてもそういう人はいるし、君が代なんてちんたらしたメロディは嫌だな、というものはミーハーではあっても左翼ではない。
このコメント欄で「強制は違う」といっている人をサヨクというのは「世間の常識」のような妥当性はありません。
あきらかに「ひとがサヨク」といっているレベルほど一般的な意味で「左翼」とはいえない。
そういう認定の仕方だと、式典での不起立に対する処分を争った裁判で教員側の主張を認めた東京地裁の一審判決などは「サヨクの主張」ということになるのでしょうか。そういう言い方は読売はもとより産経新聞だってしない。
六月さんが「周囲の世間からリアルでサヨクと言われたことはありませんが、何か」といえば、どう答えるつもりなんでしょうね。
朝日新聞は左翼だ とは世間一般の認識ではない。読売新聞と朝日新聞で左右の傾向が分かれる程度には認識しているだろうけど、読売が右翼、朝日が左翼なんてネットの中で飛び交っていても、リアルな社会で真顔で言っている人はいるかしらん。
ほら、やっぱり。
McRashさんからもご指摘があってますけど、伯爵さんには
「全員が歌う」
「全員が歌わない」
のどちらかの選択肢しか「ない」、んでしょ?
私には
「歌いたい人は歌う、歌いたくない人は歌わない」
という第三の選択肢(というか、これ以外の選択肢は努力しないと
考えられない)があり、この状態が一番自然で気持ちがいいんです。
正直言っちゃうと、ものすごく嫌いな歌であれば、聞くだけでも苦痛って
ことはありますから、無理やり聞かされるのは迷惑です。
でもまあよほどのことが無い限り、我慢してあげますよ。
それが自分とは異なる他者を尊重する、ってことでしょう。
民主主義って、そういうことじゃないですか?
なんで歌いたい人は、自分が歌いたいだけでなく、
他人を歌わせたい人になっちゃうんでしょう?
すごく変。
何か下心があるんでしょうかね?
あのね、自分が登れないからって麓まで降りて来いって言うのは失礼だと思うよ。
これは、『式典での国旗掲揚・国歌斉唱』に対する、消極的肯定である。
これに対応するのは、消極的否定である『卒業式で国旗を掲揚し、国歌を斉唱しないことがなぜいけないことなのか理解できない』である。
だが、一方で村野瀬さんが唱えているのは、積極的否定である。
ゆえに、両者はかみ合わない。
伯爵さんは、積極的否定に対して異論を唱えようとしているのだから、積極的肯定理由を述べる必要がある。
伯爵さんの態度は、議論を行う者として、あまりに真摯でない。
>みなさま
sadatajpさんがご自分のブログで書かれているたくさんの私の記事への批判あるいは論評記事についてはまた別途新しい記事を立ち上げるかなにかで対応しようと考えていますが、ほかにも取り上げたい件が多すぎるので、打てば響くような応答はできません。いろいろ質問したいこともあるのですが、お互いにぼちぼちいくということでよろしいでしょうか。>sadatajpさん
しかし多数派には自分達の論理を説明する必要性があまりありません。多数派の場合初めから多数が説明するまでもなく理解してるし説得するまでもなく納得してます。だから結論の部分だけ訴えれば多数の人がわかってくれます。賛同してくれます。わかってもらうのに説明要りません。説明抜きでも大勢が賛成してくれて主張が通ります。説明の為の表現が不要です。
少数派はそうはいきません。結論部分だけ言っても多くの人がそれをわかってくれません。納得してくれません。賛同してくれません。賛成どころか反対します。大勢に反対されれば主張が通りません。主張通すには賛同を得なければなりません。賛同を得るにはわかってもらわねばなりません。わかってもらう為には論理の部分から説明していかなくてはなりません。論理を表現することが必要になります。
ということです。これは説明や説得についてだけの話であり、論理の有無に関わる話ではありません。
考えがまとまらない内は応えないで欲しい。
読むだけ読んで保留にしておいてもらうのが一番有難い。
そう思ってます。
ウヨク撲滅の為の攻略を練る参考資料くらいのつもりで読んでおいて下さい。
多数派
同じ調査で9条改正をとうと改正反対が過半数を占めるのが多くの世論調査です。多数派です。
憲法改正は多数派だから、説明の必要はない。あるいは、九条改正反対は多数派だから説明の必要性がないというより、双方とも議論を尽くすほうがいいとわたしなどには思えます。
職務命令と個人の良心・思想信条
そして、愛国心を涵養するために、上から強いて押しつける形で国旗国歌に対する考え方を押しつける行為が如何になじまないかについては拙宅ブログの方でひとくさりやっとりますんで、そちらを参照いただければ。
http://mcrash-f2.workarea.jp/archives/2008/03/22/post_150.html
http://mcrash-f2.workarea.jp/archives/2008/05/24/post_154.html
あげはさまのご指摘が、正にあたしの言いたいことの根幹となるわけです。「自由と民主主義」を奉ずる日本国の中で、なぜ学校という場において軍隊的な斉一さを求めなければならないのでしょうか?
良心を育み、その良心に従って行動できるような大人へと導くことが、民主主義国家における学校教育のあるべき姿ではないかと考えるわけで、上からの命令には異論を挟まず黙って従え、というような形が民主主義を発展させようという市民を育てることにならないのは言わずもがなのことかと思っておったわけですが…。
裸の王様
あのお話で「王様は裸だ」という真実を公言した少年は【多数派】だったのかな?
【多数派】を自称しさえすれば、自分の主張を何の説明も無く賛同してもらえるというのは、それまで多数派となるべく(良くも悪くも)努力してきた人たちにたいして、ちょっと失礼なんじゃなかろうか。
…で、その論理を援用すると、このブログで多数派はどっちよ?という話になるわけね。
それは、無茶だ。
論理のない主張は、その主張がどのようなものであれ、単なる根拠のない思い込みでしかない。様々な価値観が存在する状態では、論理と言う一般的な根拠がなければ、何らかの価値観がグローバルに共有されることなどないからだ。
いかに圧倒的多数を占めていても、それが多数「派」である以上、その外部に少数派、すなわち「彼ら」と価値観を共有しない人々が存在するわけだ。
その人々と価値観を共有しようとするならば、単なる思い込みでしかない主張には何の力もない。
ある価値観に基づく主張を行うときに論理が必要ないのは、その価値観が共有されている集団の内部だけの話である。
sadatajpさんは、多数派=全体と誤解している。
少数派は無視して構わないと言う主張だ。
私はこれを、近代の思想性・歴史性を理解しない(あるいは捨象した)ままシステムだけを輸入した弊害と考えるが、それはまあどうでもいい。
人がある決定に従うのは、その決定が妥当であると判断するからである。その決定が決定されたものであるからではない。
でもまあ、
>あなたと異なる考えというのはあなたの中にあるものとは違うあなたの中に無い考えです。
とか書いてるんだから、ひょっとしたらこれはネタかな?
これは「わたしと異なる考えというのはわたしの中にあるものとは違うわたしの中に無い考えです。」とも言い換えることができるわけだ。これを理解している以上、多数派には説得の必要なんかない。なんて言えるはずないんだけど。
あー、あれか?
多数とって決とりゃOKとか考えてるクチか?
なんだかなぁ2
勝手なラベリングはやめてくんないかな?
↓
ラベリングさせてるのはそちらです。そちらが変わればラベリングされないんじゃないですか?
※そもそもラベリングしたのはそちらじゃ…?
ほえ…?
(・・;)ゞ
2・『多数派・少数派について』
こちらは多数派なので説得の必要性はあまりないんです。
説得してくださいな。
※いや、説得しなくていいんなら、なんでここに凸撃してきたの…??ほっとけばいいんじゃ…?
(・・;)ゞ
えと、
つまり、
論理とか立証責任とかそういったもの全て相手側に求めているって事なんだろうか…?
(・・;)ゞ
それじゃあハナから議論にも何もなんない気が…、そもそも凸撃してきてる意味は…??
それに二項目めの前提としてる『多数派・少数派』の定義さえ結局よくわかんないんだけども、何をもって定義してるんだろう??
結局何をどうしたいのかな?
(??)ゞ
説得したいのかな?
議論で勝ちたいのかな?
いまいち…
(・・;)ゞ
あ、それから
『事実上』ね。
すてはんさんとた~んさんへ
論理があって、自分も相手もそれを理解してるとなればわざわざその論理を説明する必要ないでしょ。
それでもわかってない人には説明しなきゃならなかったりするし、わかってる人に対して再確認させる為の説明も必要だったりするから「必要ない」ではなくて「必要性があまりありません」なんて多少は必要なんだよという意味を込めた書き方してるのですよ。
どれも理論的な理解力以前の問題。単純な読解力の問題。これぐらいは読み取ってくれないとコミュニケーションの取り様がない。
だからさ
九条改正反対は多数派だと、説明する必要がないわけね。
理解できてません
>論理があって、自分も相手もそれを理解してるとなれば
貴方のおっしゃる論理が理解できていないものがここにいます。
さて、貴方からの説明は要・不要?
貴方の仰り様からは、説明がいただけるものと思いますが?
別に説明してくれんでもいいけどね。ただ、貴方の発言はこう返されるよということで。
はいどうも
でもそれは君が思っている所の多数派の中でだけ通用する理屈でしかないんじゃないかな?
つまりその外側の世界には通用しないのでは?
それがなぜ一足飛びに多数派だから説明しないでいいという事になるのかな?
もしかしてハナから君がいう所の多数派の中でだけの定理を言っていただけだったのかな?
また、君の思うところの多数派ってのは具体的にはどういった感じに形成されているんだろうか?
何をもって多数派だと定義してるのかな?
それから「論理だって持っているし、ちょっとは使うんだよ」という事であれば、
こういった議論において、多数派だとか少数派だとかの定義付けとかカテゴリー分けって無意味なんじゃないの?
そんなもの関係なく議論すればいいじゃない。君自身の言葉でさ。
その論理を「使う」為に凸撃してきたんじゃないの?
君は何をどうしたいのさ?
なんだ。ただの
もとい。
多数派の中にばかりいて、ローカルとグローバルの本質的な違いを理解出来てないんだな?
多数派はあくまで『多めの一部』『多いほうの一部』であって『全部』ではないから、その価値観が『他の一部』にも共有されていると考えるのは大きな間違いだよ?
>あなたと異なる考えというのはあなたの中にあるものとは違うあなたの中に無い考えです。
>論理があって、自分も相手もそれを理解してるとなれば
後者の場合の「相手」と言うのは、同じ価値観を共有している仲間内の誰かを指す言葉ではないはずである。文脈上これは説明する、すなわち異なる主張をする相手であると考えられ、同様の価値観を共有しているのならば、そのような事態にはならないからである。
つまり、前者の引用中の『あなた』のことであろう。あなたがいれば、当然わたしもいるわけだ。
さて、意見の対立と言うのはこの『わたし』と『あなた』とのあいだで起こるものだが、対立しあう両者のあいだには、価値観の共有はない。論理と言うのは止揚され、前提として了解を得た何らかの観念(これを価値観とも言う。常識とも言う)から出発するものであるから、その共有がなければ、論理は意味を持たず、また議論も成立しない。
相手の中にない考えを、当然理解していると期待するのはどうだろう。
突っ込みどころは他にもいろいろあるけどね。
論理とは主張に説得力を与えるために必要とされるのであるから、そこに僅かでも矛盾や飛躍があればその目的を達成することは出来ない。ゆえに論理の必要性は有無のみで判断されるものであって、程度で判断されるものではない。とか。
まあ、説明が足りてなかったのは確かに不手際だ。
相手の中にない考えを当然理解していると期待しちゃってたってことか。
うーん。はんせい。
相互理解のために
ここでの議論における前提を、仮に置いてみよう。
・日本国の最高法規は日本国憲法にあることを認めるか・否か
・日本国の統治原則は民主主義によるものか・否か
なお、日本国憲法は↓
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%c9&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S21KE000&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1
また民主主義についての広辞苑の記述は
「基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその属性であり」
…多数決原理・法治主義が最初にきてないことを、きちんと理解してね。
あ、一番の大前提…ここは村野瀬さんのブログだからね。
このコメント自体承認される筋合いのものじゃないことも理解してね。
あんたら読解力無さ過ぎる。書いたことが全然読み取れてない。とても手に負えない。私は相手しない。
なんだかなぁ3
sadataさんの論理には具体性が足りないんだよね。
だからわざわざスキを作っておいて、そこに突っ込ませる事で具体性を引き出そうと思ってたんだけど少し残念。
「あまり必要ない」について具体性を引き出したかったからスキを残しておいて誘ってみたんだけど、出てきたのは『仲間内の論理』。
だから次はその仲間内論理が通用するであろう彼(彼女?)が考えてるところの『多数派』の輪郭に具体性を持たせたかったんだけど、
結局そこは答えてはもらえなかったね。
ラベリングの件に関しても、まずsadataさんがラベリング(レッテル貼り)をした事について疑問をもたれた話だったのに、その反論は、その主語がいつのまにかsadataさんから不特定多数にすりかわっているという『すりかえ論法』だったから、その主語を本人に戻した上での反論を聞きたかったんだけど、結局スルーだしなぁ…。
最後には「相手の読解力不足が悪いんだ!」という、検証もなにも出来ないレッテル貼りのような理由で打ちきり…。
相手の読解力が足りないと思うならそれでも説明してわかってもらえるだけの論理を構築しようと思わないと…。
まぁめんどいけどね。
( ̄▽ ̄;)ゞ
そうそう最初の「多数派だから説明しないでいい」の話に戻って物凄く簡潔な事を言うと、
そんな論理はただの『多数派(とされる存在)の怠慢』でしかないよ。
ただのサボり。
もっと言うなら、驕り。驕慢。傲慢。子供の論理。
ただの我が儘だよ。
あ、それが「多数派」ってことなんですね、わかります(笑)
とりあえずこういう「多数派」と一体感を持てなくてもいいんじゃないか、というか一体感なんて持ったらかえってろくでもないことに巻き込まれるような気がして仕方ないですよねー。
>sadatajpさん
↑こちらの記事でsadatajpさんの記事を紹介させていただいたわけですが、ほぼ正反対の意見を持っている私に向けてこのような記事を「提供」するsadatajpさんの心意気をリスペクトしていました。今回の記事のコメント欄でも、「質問には答えます」ということだったので、私もどう質問しようかと考えているわけですが、私からの質問もほかの方々からの質問も、「質問」に変わりないですよね。
どうかもう少し辛抱強く説明してもらえないでしょうか?m(__)m
理解し把握する努力は求めたい
http://d.hatena.ne.jp/sadatajp/20080601
読み取れてないところからくる問いばかりなんでその答えはこんなのばっかですよ。答えろというなら答えますがね、自分のブログでは相手がコメント入れてくる限り果てしなくレス返してますし。
これだけ読解力が無いと答える意味がありません。読解力の無さというより読み取る気の無さって気しますが、ともかく何書いても読み取ってもらえないのでは書く意味がありません。彼らは質問の答えを聞きたいわけじゃない。私にくってかかってるだけ。
先に私はこう書きました。「賛同までは求めませんが、その説明の内容を相手の意図通りに理解し把握する努力は求めたいと思います。それに応えてくれますか? それに応えてくれるのであればいくらでも説明します。(3643)」 これをもう一度読み返してもらいたいと思います。
私は単純な読解の間違いの指摘なんかでなく主張の内容に関しての意味のあるやり取りをしたいと思ってます。コメント欄ということで詳しく説明出来てない部分は多々あります。こんな単純な読み間違いからの質問でない質問がいくらでも出来るはずです。私が書いたものをちゃんと読んでの質問をお願いしたい。
書いてることは読み取れてるけど間違って捉えてるというなら繰り返しの説明も厭いはしません。考え方が違うとそういった誤解は避けられません。その誤解を解く為の説明ならいくらでもします。しかし彼らのはそれとは違う。間違いがあまりに単純。指摘するのも馬鹿らしいくらい単純。これでは相手出来ません。
一つ提案
書いたことについてのコメントは別に求めません。気楽に聞いてみて下さい。
なんだかなぁ4
ならなぜ
「少数派に対して説得する必要は認めている」
と簡潔に答えてくれなかったんだろうなぁ。俺が引き出したかったのもまさにこれなんだけど。
つかまぁこう言っちゃうと、前の前の前のコメントくらいで触れてるんだけど、
結局「多数派だから少数派だからって話自体元から無意味」って事になるけども。
「結局説明しなきゃ駄目なんじゃん」て事だし。
(・・;)ゞ
ただそれでも
「多数派だからあまり説明する必要がない」
って意識があるなら、そこに論理があろうとなかろうとそれは怠惰そのものだと思うけどね。
ある状況の一部を切り取った説明としてならそういった言い方もあるいは認められる事もあるかもしんないけど。
まぁ今回使われてる『多数派』っていう言葉自体が抽象概念すぎるから、こういった議論に使うのには向いてないんだろうな。
で、レッテル貼りについては結局どういう意識だったんだろう?
読んだ限りでは触れられてないしやっぱスルーなのかなぁ?
それか私のブログに来て言え。私のとこなら遠慮なく相手出来る。相手してやる。
>みなさん
>sadatajpさん
>一つ聞きたい事項選んで
魔法のランプの精みたいに、せめて願い事は三つくらいお願いできればと。(^^;
ちょっと考えさせてください。
まぁ典型ではあるな
今度は文全体をを引用する。
>論理があって、自分も相手もそれを理解してるとなればわざわざその論理を説明する必要ないでしょ。
「理解しているとなれば」→「説明する必要ない」
であるから、
「理解していないとなれば」→「説明する必要がある」
と考えていると解釈したわけだ。
前提と結果において論理矛盾はないはずだ。
それに対する彼の回答は【3682】だ。
【3682】についてのなんの説明も無く【3687】へ飛ぶ。
つまり、なんだ…(以下略)
えぼりさんが喝破しておられるとおり、いつものパターンではある。
補足する。彼の「論理」を理解するうえで、私にとって必要な情報はなんだろうと考えた結果が【3681】のコメントだ。それと、私が彼のところへ行く義理はない(そのつもりもない)。ここに出てきたのは彼の意思だ。
ほえ?
(・・;)ゞ
で、こちらにコメントを書いたのは前後の話の流れがわかりにくくなるだろうと思ったからだけど?
なんで君が流れを無視してこちらに書かずにブログに書いたのか俺にはよくわかんないしさ。
それにどうして君のブログにわざわざ行ってコメント書かなきゃなんないのかな??
流れからしたらこちらで問題ないんじゃ?
(??)ゞ
多数派云々は無意味
検証せられた事実ではない。
蓋然性として、卒・入学式で国歌斉唱等を行うことは問題ないという容認世論は多数派であろうと推測される。
多数意見だから、その理由を説明しないでよいということはない。少数意見であれば説明の必要があるわけでもない。
この場合、卒・入学式での国旗掲揚等が適当である理由は、儀式に厳粛さを付与する、(国の)象徴に対する規範意識を醸成する等、複数の回答を瞬時に思い浮かべられる者は多数いると考えられる。
もし国旗掲揚が式典において不適当であるという論者があれば、世論の説得のために、その理由を述べる必要はある。軍国主義を復活させる等の理由で納得するものはいないと推測されるが。
(ただし教育現場で問題となっているのは強制の是非であり、国旗・国歌の是非ではない)
消費税増税反対が多数派だったとする。多数派は説明の必要がないのだろうか。説明しないでも主張が通る。果たしてそれでいいのか。
村野瀬さんがいいというならここでやってもいいけど、きっと議論とはとても呼べない非難合戦みたいになる。話に加わってない者にはわけのわからないうっとおしいだけのものになる。恐らくもうそうなってる。コメントの番号辿って確認するなんて面倒なこと実際に遣り合ってる者しかしない。こんなことやってると読んでもらえなくなる。村野瀬さんだってその内読まなくなる。それを避けたいのでここでは相手をしたくない。
村野瀬さん、質問はいくつでも構いません。次々聞いてくれても構わないし。別に一つだけに限定ってわけではありませんので。それも気が向いたらでいいです。急かしはしません。
>sadatajpさん、みなさん
この記事のコメント欄はいずれストップさせるときがくるでしょうけど、とりあえずはこのコメント欄で意見や質問のやりとりを続けても私はかまいません。このブログの訪問者全員にこのコメント欄のやりとりに加わることを強制はしてませんので。場所を変えて続けても、コメントの数が増えてくればうっとおしくなるのは同じことですから、場所をあちこち変える必要もないでしょう。(^^;
ですから、読みたい人、書き込みたい人が今くらいの節度を保ってこの記事のコメント欄に書いてくれることはかまいません。
今更ですが・・・
一応、言いだしっぺの私にもコメントさせてください。
(以下のコメントは、他の方のコメントは含めずに、sadatajpさんの私へのコメントのみ対象にして書いております)
単に私が「サヨク」扱いされたくない、って主旨の取られました?
ラベリングするな、とは申しません。
そうではなくて、「国歌・国旗強制に反対の人達」を「サヨク」と置き換えることで(ラベリングすることで)、あなたの頭の中の「サヨク」に向かってシャドーボクシングを繰り広げているエントリーを読むのは不毛と思ったので、勝手にラベリングをしないで、と書きました。
不毛と思うのは、「国歌・国旗強制反対」に意義申し立てるエントリーに「サヨクの人達」と呼びかけられたときに、私は、この人勝手に「サヨク」に置き換えていて、自分の中のステロタイプな「サヨク」に向かって書いているのだから、実のある議論にいくのかな?と疑問を持ったからです。
つまり、一般的な意味合いではなく、あのエントリーにおいて、わざわざ「サヨク」とラベリングすることに疑問を呈しています。
誰かを「ゲーム脳」「ゆとり世代」とオチを付けてしまうのは思考を停止させていると思うので、わざわざ「サヨク」と書いて思考停止させている(と、思われる)エントリーを真面目に議論しようという気にはなりません。
「サヨクとラベリングされる違和感」を書いたのは、「国歌・国旗強制に反対の人達」=「サヨク」というのはあなたに自明の理なのかもしれないけれども、少なくとも私にとっては自明の理ではありませんよ、という一つのケース程度に書いたものです。
私が拝見してきたブログの中では「日本の国歌、国旗はどちからというと愛着があるが、強制は好まない」と発言されていた方もいらっしゃったので、やはり「国歌・国旗強制に反対の人達」=「サヨク」と定義されるのは適切では無く、君が代・日の丸が好きでも強制に反対の立場の人や、様々な考えがあるけれども国歌、国旗の強制に反対という人達を前提で話を進めていただきたいなと思います。
最初の話に戻りますが「サヨク」向けではなく「国歌、国旗の強制に反対する人」に向けて書いて欲しいというシンプルな希望です。
今更ですが その2
リアルの私は、TV、新聞もろくに見ない、読まない(本は読む)、あまり深く物事を考えたこと無い人なんです。最近(1年くらい)になって、こうやって人のブログとか読んで、はーとかうーとか考え始めたばかりで。
多分、もし私が「君が代を卒業式で歌わせる、特に強制的に歌わせるっておかしくない?」と友人に言ったら、「急にどうしたの?熱ある?」と返されるのは必至・・・な位考えなし・・・。
今は少しばかり「国旗、国歌強制反対」に傾いていますが、sadatajpさんの言うことが自分の中に落ちれば「国旗、国歌強制反対に反対」の立場に逆転する程度の、ふらふら揺れているヤツなんです。
で、そういうところへ「サヨク」と呼びかけられたので、違和感持ったり、びっくりしたり。その感覚を言いたくて、コメントしたのです。
もう一度、違和感の理由をsadatajpさんへの返信で書いてみました。
これ以上説明しろといわれても、私の頭からは何も出てきません。
前にもこの村瀬さんのブログで、「国旗、国旗強制に反対の立場を取る教師のことを「サヨク」って言われた方がいたので、その1点がどうしても納得が出来なくてコメントしてしまったこともあります。
実は、私が言いたいことは、「強制反対」でも「強制反対に反対」でもなくて、「私(達?)の左斜め27度を見ながら議論をしないで!」と、言いたいだけなのです。
「強制反対に反対」の方々の中で、なぜか私(達?)を「サヨク」とラベリングしないと気が済まない方の意見は、だからもう読む気が起きないです。
今回の投稿は『個々にある違いを切り捨て、「サヨク」という典型的人物像に当てはめ、個々の違いを持った個人とは違うその典型的人物像を対象にsadatajpが話してる。しかし個々に違いがあり「国歌・国旗強制に反対の人達」はそんな典型的人物像の人ばかりではない。個々に違いのある人々を見ず、典型的人物像しかsadatajpは見てない。そんな典型的人物像だけを思い浮かべて話してるsadatajpと真面目に議論しようという気にはなれない。』といったところでしょうか。
そして、『典型的人物像は単体、でも「国歌・国旗強制に反対の人達」はそれぞれに違いのある複数の“人達”。国歌・国旗強制に反対ではあるが、それぞれに違いのある複数の“人達”を前提に話を進めて欲しい』というところではないでしょうか。
違和感は個々の違いを切り捨ててしまってることに対してではありませんか? 違いの部分にも目を向けて、違いのある複数の個々を捉えて話して欲しいと思ってるのではありませんか? 自分はそんな典型的人物像ではなく、そんな自分と違うものに当て嵌められてしまうのは嫌だとも。
これは相当に憶測含みの推察です。ですので六月さんに確認したいと思います。違ってるなら違ってると言ってください。もう一度読み返してみますので。合ってるならこれをベースに話を続けます。合ってるならぜひ書きたい続きがありますので答えて下さい。
違和感
お久しぶりです
>違和感は個々の違いを切り捨ててしまってることに対してではありませんか?
全然違うと思う「違和感は」あくまでもあなたの脳内妄想に対してのもの。「サヨク」とか、「個々の違い」、とかわけのわかんないこと言う前に、同じ人間だという前提で話をしてけろ。
ていうかたとえ国家であれ何であれ人を処罰(他の人権を確保するために他の人権に制約をつけるわけよね)する時はそれなりの理由が必要なんですけど。だからもしかりに公道を素っ裸で歩いている人がいて、その人が
「いやこれが人間の真実の姿だから何も恥じることはないよ。あなたがたも」
なんて言われたら、国は彼を拘束するための大義名分ってやつが必要になる。そんなのは当たり前だろ、てのは通じないわけだ。彼の人権を制約することの説明を求められれば、国はそれに応じなければならない。これは当たり前のことだ。
たとえば日本刀を脇に差して歩いてる人がいて、そのひとが
「いやこれは護身用ですから。というよりも武士としての矜持です。自分のことは自分でする。当たり前のことです。あなたわたしが誰かに切り付けられて死んだら、責任もてますか」
などと言われたら、いちいち説明を用意しなきゃいかんわけです。彼を拘束し、その理由を問われた時のための大義名分を。よその人権に制約を付けるときは、理由を用意する。人数の多寡なんかに関係なく。これが主権者である国民の義務です。
sadatajpさん
頷ける部分もあるし、私の言った事を理解した上でのお言葉とは取れないような・・・と半々です。
だから質問には単純にはい・いいえで答えられないです。
だから何か申し上げるとしたら、「国歌・国旗強制反対の人」に向けて書いてくだされば良いのではないですか?ということを再度申し上げます。
「サヨクの人」のみに向けるのではなく。
風鈴さまが仰っている
>「サヨク」とか、「個々の違い」、とかわけのわかんないこと言う前に、同じ人間だという前提で話をしてけろ。
ということなんだと思います。
Re違和感
「同じ人間だという前提で話をしてけろ」も同じ趣旨では? そんな架空の人物像とは違う個々に特有の特徴を持った一人の人間として見て話をしてくれという意味で書いたのではありませんか?
説明も納得も必須ではない
通じるよ。当たり前となってるなら通じる。当たり前となってるということは大多数がその理由を理解し納得してるということ。この状態であれば「そんなのは当たり前だろ」だけで通じる。
もっとも拘束するとなると法的根拠が必要が必要で「当たり前だ」だけでは足りないけど。でも逆に法的根拠だけ挙げれば「決まりだ」だけで通じるわけで、この場合は何故それがいけないのかの理由は説明する必要ない。
>彼の人権を制約することの説明を求められれば、国はそれに応じなければならない。これは当たり前のことだ。
法律でこう決まってるからという説明だけでいい。
それ以上の説明の要求に一々応じる必要はない。
風鈴さんは納得出来る説明が成されて当然と思ってるのだろうがそんな当然はない。いくら言っても納得しない奴が納得するのを待ったりはしない。それが現実。
さて
「人がサヨクと言えばサヨク、ウヨクと言えばウヨク。レッテルは他人が貼るもの。どうしてそう言われるかは自分で調べてください。貼られたくなかったらあなたが変わりなさい。」
レッテルを貼る貼られるという状況において、当事者でなく外から見た第三者がこれを言うなら、あるいは認められるケースもあるかもしれない。
けども、
sadataさんは今回レッテルを貼った当事者なわけだから、
自身がレッテルを貼った事について疑問をもたれ聞かれたならば、
sadataさん自身が自分の言葉で、こう思い、こう感じ、こう考えたから、これこれこういうレッテルを貼りました。という返答を提示しない限りこれは具体的な議論にはならない。
それがあって初めて、「いや、それは違う」とか「なるほどそこは同意できる」とか言う事ができ、その積み重ねによって議論が具体的になり、論点がハッキリしてくるわけだ。
結局この二・三日延々とやってる事は、多数派・少数派の話もそうだけど議論の前の議論でしかない。
だから俺は何度も
「結局君は何をどうしたいの?」と聞いてきたんだけどね。
どちらも同じ
「サヨク」はサヨク特有の特徴を持った人に対して行うラベリングです。そして今の学校でやってる程度の国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じる人はサヨクの特徴を持った人です。そのサヨクの特徴が国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じさせます。反対しなければと思うような強制だと感じさせます。
個々の人々にそれぞれ違いがあるにしても「国歌・国旗強制反対の人」が今程度の国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じてるという点は共通してます。それは今程度の国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じさせる特徴を持った人であることを意味します。「国歌・国旗強制反対の人」はサヨクの特徴を持った人であり、その特徴を把握してる人からはサヨクと呼ばれる人です。「国歌・国旗強制反対の人」も「サヨクの人」も同じです。 置き換えてるわけではありません。
随分と大胆な…
この国で生きているわけですから、あたしとて、この国を自然に誇ることができるような国にしたいわけですが、現状がそうであるとは到底思えないから、どうすればいいだろうか、というような提案の中で、更なる民主主義の発展や、無用な規制と必要な規制を見極めていくこと、ひとりひとりの人間を大切にしようとすること、といったことを提言しているにすぎないわけですな。
sadatajpさんにとっては、個々人の差異や思想信条などどうでもよくて、国家の存立こそが最優先されるんでしょうな、なんて言ったら、あたしも無政府主義のサヨクとラベリングされるかしらん(笑)
あたしにとっては、たかが国家の存立なんぞよりも、ひとりひとりの人間が可能な限り幸せに生きられることの方がずっと大事です。そういう人間優先の考え方をサヨクだとラベリングされるのであれば、あたしは寧ろ嬉々としてサヨクだと自称しましょうかね。
許す。
例えば仕事でミスをする、人から「バカ!」とラベリングされる。全くもって正当です。
女の人から「キモい」とラベリングされる、これもまた正当です。
「お前、頭よすぎ」とラベリングされる。これも当然のことです。
それら全てのラベリング一切合切を、私は許します。
もともと、私がどのような人物であるか、言語化できる人間はいないのです。ケースバイケースで、相手のためにラベリングさせてあげるのは当然です。
そうでなければ相手は不安になるのですから、しょうがない。
>「国歌・国旗強制反対の人」はサヨクの特徴を持った人であり、その特徴を把握してる人からはサヨクと呼ばれる人です。
この場合、この「特徴」はラベリングを行う人にしか見えないものです。従って、ラベリングを行う人の特徴は、「サヨクの特徴が見えると信じている人」になります。
だからラベリングという作業は、対象たる私について語っているのではなく、ラベリングする他者自身の立ち位置を語っているのです。
よってラベリングが行われる時、私は相手の手の内がよく理解できます。
当たり前
「いやこれは護身用ですから。というよりも武士としての矜持です。自分のことは自分でする。当たり前のことです。あなたわたしが誰かに切り付けられて死んだら、責任もてますか」
あなたはこれの返答として、
「銃刀法違反です」
と言うわけですか。
「自衛隊は九条違反だ!(違反だから違反なのだ)」
と同じような口ぶりですね。
私ならこう言います。
他の国民の生存権の確保のためです。
日本刀は人殺しの道具です。それ以外の用途には向きません。切り付けてきた相手の刀を受けるためなら天秤棒でも用意しなさい。ただ、身を守るのなら柔道か空手をやるのをおすすめしますよ。それと、のうひとつ、できましたらで結構ですが、誰にも命を狙われる心配などしなくてもいい人間になるための日々の努力研鑚勉励刻苦もおこたりなく。あたしのみたいに。
日本人なら武器をちらつかせてごちゃごちゃ言うような恥ずかしい真似はやめることです。堂々と己の身ひとつで立ちなさい。
これで納得せずに帯刀を続けるのなら、おとなしく監獄に入っていただくほかありません。
村野瀬さま
だらだらと長くなりましてごめんなさいです。
まだ続く?
>個々の違いを持たない一つの形に固定化された「サヨク」という架空の人物像に私が摩り替えてしまってると思い、そのことに違和感を感じたのではありませんかと聞いてる
ラベリングについて人が反発感を抱くのは、たいていの場合その基準が明確ではなく、ともすれば曖昧で、はっきりと言ってしまえば恣意的な可塑性をもって適用されているからである。
『だれそれはAである。』
そういう時、【A】なる集合の共通要素を明確にしてそう断じる人はまずいない。事実わたしも、『こいつはバカだ』と切り捨てる時、往々にしてその人の言動の様態を総合的に勘案して、という恐ろしく大雑把な根拠しか持たない。
このような恣意的に適用されているであろうと考えられる基準に対して反感を持つのであって、ラベル自体の持つ没個性性に対して反感を持つものはいない。
と思う。
だって、『人間としてそれはどうか』とか、みんな言ってるでしょ? こういう指摘をされて、『そんな個性を埋没させるラベルで私を見るな』なんて言い出したら、ただのイタイ人だよ。
あとさ。
>「サヨク」はサヨク特有の特徴を持った人に対して行うラベリングです。
>そして今の学校でやってる程度の国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じる人はサヨクの特徴を持った人です。
>そのサヨクの特徴が国旗掲揚国歌斉唱を強制と感じさせます。反対しなければと思うような強制だと感じさせます。
……これは単なるトートロジーだよね?
ここで問題になってるのは国旗掲揚国歌斉唱に対する態度であって、それに対して何らかの一般的判断を行うなら(右翼左翼って言うのは政治的に相当一般的な態度だから)、こんな特殊な問題をもってその理由にしてはいけないわけだ。
この場合は、『サヨク』の政治的態度をモデル化して、その特徴が特定の『国旗掲揚国歌斉唱に対する態度』と同様の(あるいは類似の)特徴を持っていることを示し、その上で、その特徴と、あなたがラベリングしたい人との態度とが共通であることを示さなきゃ。
あ、
(T▽T)
sadataさんの言ってる事を俺なりにまとめると、
誰が定義してるのかはよくわかんないけどとにかく『サヨクの特徴』なるものがまずあって、
その『サヨクの特徴』にちょっとでも掠ったらそれは『サヨク』になる。
って話なんだろか?
えらくざっくりした話でどうもなぁ…。
(・・;)ゞ
で、『サヨクの特徴を把握してる人』=『sadataさん』でいいのかな?
だとするとこの件の最初のコメントに戻って主語を変換すると、
「sadataさんがサヨクと言えばサヨク、ウヨクと言えばウヨク。レッテルを貼る権利を持ってるのはsadataさん。どうしてそう言われるかはあなたの方で調べてください。sadataさんにレッテルを貼られたくなければあなたが変わらなければなりません。」って感じになるんだろうか?
この辺りどうなんだろ?
あってる?誤読?
(??)ゞ
McRashさん
強制と言えば強制なんだけど、サヨク以外の人にはことさら強制と騒ぐ程のものではなく強制とは感じないのです。あなたの感覚では納得いかないでしょうけど、サヨク以外の人には業務命令は従うのが当然という感覚があるから取り立てて強制と騒ぎ立てるようなものとは思わないのです。さらに、業務命令を拒絶なんてしたら何らかの罰があるってのも当然と思ってますから罰則規定があることを問題視したりもしません。業務命令の拒絶は罰を受けること覚悟で行います。
で、それを普通だと思ってるのですよ、サヨク以外の人は。
>愛国心や国家への忠誠心を強いることに羞じらいを感じないというのは如何なものなんでしょうな。
恥じらいを感じないのは卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱を「愛国心や国家への忠誠心を強いること」だとは思ってないから。小中高校の卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱に愛国心がこもってると思いますか? 国家への忠誠心を持ってやってると思いますか? ほとんどの人はそんな気持ち込めてやっちゃいないですよ。そんなもんなくても立って歌えばそれだけで済んでしまうものです。そんなもんを「愛国心や国家への忠誠心を強いること」なんて思ったりはしません。その程度のものを「愛国心や国家への忠誠心を強いること」なんて思うのは国旗や国歌を嫌ってるサヨクくらいなもんです。
>あたしとて、この国を自然に誇ることができるような国にしたいわけですが、・・・
ええそうでしょうね。ただどうすればいいかがMcRashさんと私では違ってます。
>sadatajpさんにとっては、個々人の差異や思想信条などどうでもよくて、
どうでもよければサヨクの考えを知ろうとはしません。
特定個人を対象にするときには個々人の差異にも注目します。
でも特定個人でなく複数を対象とする時は共通点に注目します。
>国家の存立こそが最優先されるんでしょうな、
国家を構成してるのはその国に住む国民でね、その国民の存立を私は最優先してます。個人ではなく集合体としての国民ですがね。
人生アウトさん
相手を見ずにラベリングなんか出来ません。相手が揶揄とかでなく「天皇陛下万歳!」なんて書いてたらサヨクなんてラベリングはしません。
>よってラベリングが行われる時、私は相手の手の内がよく理解できます。
本当に理解出来てるなら有難いと思いますよ。
風鈴さん
つーか、帯刀してたらもうその時点で逮捕しなきゃ。
説得は逮捕後でしょ。
た~んさん
説明は無駄だからやんない。
すてはんさん
基準は相手にある。反感もっても無駄。そんなもんに反感持つな。
いやそんなに怒鳴られても…(・・;)
で、後の部分は合ってる?
また、「『サヨクの特徴』にかすれば全て『サヨク』」というのも間違いない?
それから、「逮捕した後説明する」って事は、やっぱ説明が必要なわけだよね。
まぁその後裁判もあるし、判決が下りるまでは推定無罪として審理もされるわけで、単純に「法的根拠だけでいい」という話ではない。
まぁそもそもが大雑把すぎる話ではあるんだが…。
後、拘束されてる期間て、日当も出るんだよね確か。
つまり、誰かの人権を制限する場合には、それ相応の理由もいるし、それに対しての説明も必要。対価も払っている。
少なくとも「当たり前だから」とか「法的根拠があるから」とかだけでは済まない。
ある意味面倒くさいくらいの手続きが必要になる。
でも、「それが民主主義」って事なんだよなぁ。
お答えいただければ幸いです
ご自身のブログでは「ネットウヨク」と呼称しておられるようです。
では、oldmanさんのことを、どのようなラベリングで理解しておられるのでしょうか。またKYさんのことはどのような特徴で他と同じクラスに分類しますか?
「国民統合」なる幻想
それが、愛国心なるものをsadatajpさんは当然のものとして捉え、あたしなどは無理強いのように感ずるわけでして、こりゃ噛み合おうはずもござんせん。
そもそも、国家とはひとりひとりの人間がよりよく生きようとするための方便にしか過ぎないのであって、たかが手段に愛情を抱くことが、あたしなどのような人間にはいまひとつピンと来ないわけですな。
詰まるところ、個を大事にしようとするか、集団を前提として考えるか、ということに収斂するのではないかなぁと。
業務命令には従うのが当然だそうですが、sadatajpさんは、自身がたとえば一般企業の従業員であるときに、上司から業務命令として殺人や強盗、ないし詐欺を(それを明示しない形で)命ぜられても従うんですよね?
あたしは、sadatajpさんの発言をその様に読解しましたが、あえてこの極端な例を持ち出すのは、業務命令が個人の良心を超克し得ない、ということを裏書きし、それを認める言質を取るためのテーゼと御理解くださいな。
詰まるところ、愛国心なるものを醸成しようとするのであれば、真に誇るに足る国を、その国の構成員である大人たちが築こうとする姿を見せていかなければならんわけですよ。愛国心が先にくるのは主客転倒も甚だしい。
説得?
逮捕後に説得しちゃ、この人、犯罪者じゃん。
わざわざ裁判しなきゃいけないし、監獄のスペースやら看守やらも要る。面倒だしお金の無駄。どうせ説得するのなら先がいいでしょ。何のためにあたしらの口はついてんの。
それに、逮捕って、あなた警察官なのか。
それならそれでもいいけど。逮捕後に説得しようとしたら真っ二つに切られちゃうかもよ。それとも問答無用で拳銃を突きつけるかい。場合によっては撃たなくちゃいけないことになる。だいたい脇に差してるのが真剣かどうかもわかんないのに。
それで、まあ一応説得はするんだね。
で、うまく逮捕できたとして、あなたは、どういうふうに説得(しようと)するのかな。
逮捕拘束、場合によっては射殺、そのために用意してある、その大義名分をお聞かせ願いたい。
ついでにもうひとつ質問ね、sadatajpさま
自衛隊は違憲なのでしょうか?
あたしは違憲だと思う。クラスター爆弾だの海外派兵だの辺野古の市民運動に銃を向けるだの。いい加減にしてくれ。
ん、日の丸?
あたしゃサムライだから主君(=主権者である国民)以外に忠節を尽くすべき相手はございませぬ。ご了承召されよ。
こういうことと違います?
横レス失礼します。
>強制と言えば強制なんだけど、サヨク以外の人にはことさら強制と騒ぐ程のものではなく強制とは感じないのです。
はい、大変よくわかる気がしますよ、そうなんでしょうね。
教育勅語の暗唱なんかも、ほとんどの人には当たり前だったんでしょうね。
国防婦人会やら隣組の竹やり訓練なんかも、強制と言えば強制なんだけど、ことさら騒ぐ程のものじゃなかったんでしょうし。
強制と感じるのは、まるで何か感染症の病名のように「サヨク」とか「アカ」とか呼ばれる存在だけなわけで。
ともあれ、「サヨク」に対応する反対語は「ウヨク」じゃなく、もしかして「普通の日本人」じゃないですか?
「サヨク」=「普通じゃない、正常じゃない(人非人?非国民?)」って含みがあるような。
>サヨク以外の人には業務命令は従うのが当然という感覚があるから取り立てて強制と騒ぎ立てるようなものとは思わないのです。
あなたにとって「強制とは感じない」「業務命令は従うのが当然」という感覚が取り立てておかしなことではない、それこそ「当たり前」で「自然」なことであるのはわかりました。
そういう感覚は理解できますよ。
永年、理解しようと努力してきましたから。
で、仮にそういう人ばかりだと民主主義はうまく機能するんですか?
「業務命令は従うのが当然」「強制OK」
こうした規範で滞りなく回るハズの社会というのは、例えば
「権威者・上位者は間違わない(だから黙って従っていればよい)」
というタテマエで動く社会です。
これは余りにも明らかですから、ご同意いただけるものと思います。
手っ取り早く例示すると、第二次世界大戦時の枢軸国(日独伊)ですね。
もちろん現在の北朝鮮もですけど。
右か左かは別として、いわずと知れた全体主義体制の国々です。
(付け加えるなら、滞りなく回るどころかエライことになって国民は泣きを見るみたいですけど。)
だから、
「実は日本は戦前と同じなんですよ、
経済成長はしましたけど、国民も政府も政治的感覚は、昔のまま前近代的な権威主義国家なんです」
と開き直るのであれば、あなたの仰る『「サヨク」以外の人』の規範意識で身の丈にあっていてピッタリです。
北朝鮮とは価値観を共有するお仲間、ということになりますが、それは仕方がありません。
ところが申し訳ないですけど、私は全体主義はお断り!なんです。
民主主義の方がず~~っとマシだと思っているし、将来性も明らかにありそうだから、是非とも上記のように開き直るのはカンベンして欲しいし、
「民主主義を担うにふさわしい個人としてのあり方」に向けて努力してるんですよ。
>国家を構成してるのはその国に住む国民でね、その国民の存立を私は最優先してます。個人ではなく集合体としての国民ですがね。
「個人ではなく集合体としての国民」って、どこにいるんです?
日本国籍を有する個人であれば、日本語を解さなかろうが、日本の土を踏んだことがなかろうが、肌の色が違おうが「日本国民」ですが、「集合体としての国民」って一体全体、どういうものなんですか?
「集団」とか「組織」ならわかりますけど、人間が仮にどんなに密接に関係し合って生活していても、つねって痛いのは「個人」であって、集合体とやらが一緒に痛がってくれるわけじゃありません。
同様に、おなかがすくのも「個人」、生まれるのも死ぬのも「個人」であって、「集合体」ではないと思うんですが・・。
あ、「集合体」のような抽象的な観念の産物こそが大事なんであって、具体的な個々の人間はどうでもいいってことですか?
そう考えるとマタマタ思い出すことがあるんですが。
「国体」とやらを守るために、何十万もの個人を平然と犠牲にしたどころか、最終的には国民が全員玉砕しても、「国体」が残ればいい、なんて主張が真顔でされてたんですよね。
ユリイカ!!
「国民としての集合体」・・「国体」ですね、これ?
いや~、6~70年前をひもとけば、あなたの仰ってる意味がどんどん解ける(?)なんて。
まあ当然なんでしょうけど。
今更ですが3
>「サヨク」に限った話でなく分類されることに異議を唱えてるように受け取りました
「サヨク」というカテゴリは「国歌、国旗強制反対の人」の下位カテゴリにも関わらず二つが同等に扱われていることが間違っている、と言った方が伝わりますか?
だから違和感があるんです。
>『個々にある違いを切り捨て、「サヨク」という典型的人物像に当てはめ、個々の違いを持った個人とは違うその典型的人物像を対象にsadatajpが話してる。
何故、典型例を「サヨク」に求めるのか、という問題がありますよね。
何故、典型例が必要なのか、と言うことも。
「サヨク」の上位カテゴリの「国歌、国旗強制反対の人」で充分ですよ。
わざわざ下位カテゴリに限定するかの様な書き方で自説を主張する意味があるのですか?
もし、「サヨク」が一番人数が多い下位カテゴリーだから、典型例に選んだ、ということであれば、私の様に誤読する人が現れるわけだから、適切な選択ではなかった、ということになります。
再度書きますが、呼びかけには「サヨク」の上位カテゴリの「国歌、国旗強制反対の人」で充分・・・、いえ、これが適切です。
たったひとつの言葉使いの些細な問題に、私は何時間かけて読んだり、書いたりしているのかなぁと思い・・・ます。
しかし、大切な問題だと私は思います。
・・・と、ここまで書いて、私の最初のコメント(3648)の
>単純に「国歌・国旗強制に反対のみなさん」と言えばよろしいんじゃないですか?
説明聞く気ありますか?と問いかけていらっしゃいますが、そもそも呼び掛けの相手の名前を間違えていますよ・・・。
が、結局一番シンプルで分かりやすいと思うのですが・・・(汗)
あのコメントは短いけれども、時間をかけて考えて、一番何が言いたいのかを自分なりにまとめたんですよ。
ちょっと話が後戻りしますが
例えば全体を100とし、
多数派を70
少数派を30
と仮定すると、
多数派が説得しなければならない最大人数は30、
少数派は70になるわけで、
確かに数の面だけ考えれば「多数派は少数派ほど説得をしないでも良い」という解は出てきますね。
えらくざっくりとした話ですけども。
(・・;)ゞ
もしかしてこういった事が言いたかったんだろうかなぁ?
あ、
「結局数の問題だけだったのかな?」と改めて思ったもんで…。
(・・;)ゞ
でもまぁ少数派にも説明しなきゃならない事は認めてくれたし、
数の問題が今回の議論に関係ない事も多分わかってくれたんだろうから今さらな話なんですが…。
(・・;)ゞ
た~んさん
ウーティスさん
KYさんをそう分類した特徴は、複数あるけど一つ挙げるならサヨクに反論してるところ。ネットウヨクはサヨクのアンチなんでこれがネットウヨクの一番の特徴。
McRashさん
一つにまとまると要っても自身の全てを全体に合わせてしまうわけではありませんからそう大層なものではありません。利害の一致があって協力するというその延長線上にあるものです。 ただ愛国心とかになるとその利害に「気持ちの充足」という具体的に捉えることが難しいものが入ってるので理解が難しくはなるでしょう。
感覚としては複数で協力して何かをやってる時とか何かをやり遂げた時に感じる協力し合った皆に対して感じる一体感。これを皆が感じてる状態が「ひとつにまとまる」です。そのような経験があればわかるのではないかと思うのですが如何でしょう?
>そもそも、国家とはひとりひとりの人間がよりよく生きようとするための方便にしか過ぎないのであって、たかが手段に愛情を抱くことが、あたしなどのような人間にはいまひとつピンと来ないわけですな。
これは逆に私の方がわからない。手段でも慣れ親しんで馴染んだ手段には、愛情といえるのかどうかはわかりませんが、愛着と執着を私は自然と感じます。McRashさんはそういったものを感じた経験はありませんか?
>詰まるところ、個を大事にしようとするか、集団を前提として考えるか、ということに収斂するのではないかなぁと。
まあそうなのでしょう。サヨクが個を大事にしようとしてるのは間違いないでしょう。それに対し集団全体を大事だと考えてるのがサヨクのアンチである私含むネットウヨクですかね。
集団全体はその中にいる個にとっては周囲の環境です。環境が良くないと個が生き辛いので集団という環境を良くしたいという気持ちが「集団を前提として考える」という姿勢になってます。
>上司から業務命令として殺人や強盗、ないし詐欺を(それを明示しない形で)命ぜられても従うんですよね?
いいえ。どうしてもやりたくない命令は罰覚悟で逆らいます。あるいはその会社を辞めます。逆らっておいて罰があることに文句言ったりはしません。そこに居続けたいなら罰を受けますし、罰が嫌なら逃げます。つまりは辞めます。
こういう意識があるので、国旗国歌拒否の教師に「罰を受けろ」と言い「嫌なら辞めろ」と言うわけです。
>詰まるところ、愛国心なるものを醸成しようとするのであれば、真に誇るに足る国を、その国の構成員である大人たちが築こうとする姿を見せていかなければならんわけですよ。
いやいや、国が駄目なら駄目で愛国心は盛り上がるのですよ。この駄目な国をもっと良くしたい!って感じで。愛国心はそういうものです。でもって皆にそう思ってもらいたいから愛国心を持って欲しいと思うわけです。
風鈴さん
逮捕した後説得して相手が納得し今後やらないとなれば送検せず放免って手もあるし。
>逮捕後に説得しようとしたら真っ二つに切られちゃうかもよ。
それってどんな逮捕だ? それを出来ないようにするのが逮捕でしょ。
あと逮捕の方法は銃を使う以外にもあるから。必要なら使えばいい。
射殺の大義名分は「このままだと犠牲者が出る」。
説得の内容はパス。説得は相手に合わせて行うものなので、相手がわからないとどう説得するか決められません。ちなみに私は警官ではありません。
>自衛隊は違憲なのでしょうか?
このテーマについて書き出すと他の話題が吹っ飛ぶだろうから飛ばしたいところだけど、答えます。言っとくけどこれに関しては私個人の答えで他の改憲派の同意が得られるものではありません。
答え:「合憲」
正直に書くとこう。「本当は違憲。でも自衛隊は必要なので誤魔化して合憲」
あげはさん
私の感覚ではそう。
>で、仮にそういう人ばかりだと民主主義はうまく機能するんですか?
しますよ。従いつつも反対意見を持ち異議を唱え、反対意見を持ちつつも従ってるなら良しとするという姿勢であれば。
反対だから従わないとか、反対意見を持つことを許さないなんて姿勢になると機能しなくなります。
反対意見を持つことを許さない(全体主義)なんてのは駄目です。反対だから従わない(我侭)ってのも駄目。
集合体が何かは自分で感じ取って下さい。あとは他の人へのレス参考に考えてみてください。
>「国体」とやらを守るために、何十万もの個人を平然と犠牲にしたどころか、最終的には国民が全員玉砕しても、「国体」が残ればいい、なんて主張が真顔でされてたんですよね。
国民全員玉砕は馬鹿げてますね。無意味。国が何かを見失ってます。
でも出来るだけ多くの国民を生き残らせる為に一部が玉砕ってのは有りだと思います。
六月さん
違和感があるから何なのでしょう?
六月さんが間違ってると思おうと、六月さんから見て「他の人」である私は二つは同じだと思ってます。だから私は二つを同等に扱ってます。違和感があると言われたところで私はこのような見方を変えたりはしません。二つが違うものだと示して頂けたら変えもしますが。
私は「サヨク」=「「国歌、国旗強制反対の人」が適切だと考えてます。だから私はそういう扱いをします。ラベリングはラベリングした人がどう見てるかを表すものです。個人の主観に基づくものです。あくまでも主観ですから私が「サヨク」と呼んだからといってそれが必ずしもサヨクとは限りません。ラベリングというのはそんなものです。だから私の「サヨク」というラベリングも私sadatajpがそのように見てると六月さんは受け止めればいいのです。こいつはこんな風に見てるなと思って受け止めればいいのです。ラベリングとはそういうもので、そのように受け止めればいいだけのものです。
二重括弧の中に書いてるのは六月さんがそう思ったのではないかという私の推測です。
私は「サヨク」を典型的人物像として思い描いてるわけではありません。ラベリングは様々な違いがありつつも共通する部分を持った人を括るもので、「サヨク」というのはサヨクと分類されるような特徴を持った人のことです。誰かを「サヨク」と言う時にその言葉が意味するのは「サヨクの特徴を持ってる人」なわけです。典型的人物像に当て嵌めてるわけではありません。この「典型的人物像に当て嵌めてるわけではない」を私は言いたかったのですが、六月さんが典型的人物像に当て嵌めてることに違和感を感じてたのかどうかハッキリしなかったので推測でこうではないかと聞いたのが二重括弧の中の記述です。
た~んさん
それはまあいいとして、少数派30の立場から見たらそれで正解。より多くを“説得”しなければならない。説明だけでなく説得までしなきゃならない。
多数派70の立場だとこう。
70あれば30無視したって意見は通る。だからって無視してると少数派30の説明で多数派70が60になって40になってと逆転してしまう。それを防ぐ為に説明が必要。 とはいえ同じ意見で説得するまでもない70への説明は簡単なもので済むし、30への説明は説得まではしなくていい説明なんでこれも簡単に済ませられる。
少数派を説得しないという部分に異論有りだろうけど、こういうこと。
あ~。自爆?
【違和感=反発感≒反感】を前提に(これはラベリングの違和感云々を論じていたやり取りの流れからして、到達しうる認識としては十分妥当である)、問題のとらえ方が間違ってるんだよと言ったんだけど。
基準は誰にでもあるんだから『そんなもんに反感持つな』≒『俺のすることに文句言うな』って返ってきちゃった。
しかも基準を『恣意的に適用』しているってことは否定してないから、ラベリングの基準は恣意的に=自分勝手に適用されてるってことだよな。
『俺は自分勝手だぞー』って叫んでるだけじゃないの。
んと
誰かの人権を制限する場合に
『当たり前だから』説明しないでいい。
『法的根拠があるから』と言うだけで良く、それ以上説明しないでいい。
に対して、
「国には説明する義務がある。」
という感じだったと思うんだけど。
(その後、「局地戦に移行しちゃったなぁ」とは見てて感じたけども。)
俺としては、
逮捕の前後とか関係なく、
裁判も含めて『国がその当事者に説明を尽くす』努力を怠ってはいけないと考えているんだよね。
憲法にもその旨書いてあったと思うし、それなくして人権が制限されてはならないと考えている。
だから
『当たり前だから』とか『法的根拠だけがあれば良い』というような事柄だけで人権が制限されて良いとは思わないし、
ある状況を説明した文章としても相当正確性に書く文面なような気がする。
警察にしても逮捕する時とかだって、かなり説明してから任意同行なり逮捕なりしてると思うしね。
まぁ緊急逮捕とか現行犯逮捕とかもあるけども。
それから『多数派・少数派』話なんだけど、
要するに『人数の多寡』の問題だけの話だったの?
しかもかなり抽象的な設定の上での…。
まぁそれならそれでいいけども…。
ん~
この話でもレッテル貼りの話でもそうなんだけど、
要するに、結局sadataさんの中(だけ?)で考えてる所の『サヨクの特徴』だったり『多数派・少数派』だったり、
つまり、なんというか、sadataさんの『主観』のみが判断の根幹にあるって事なのかな?
ならば、それはもうしょうがないというか、こちらとしてはどうしようもないよなぁ…。
なんだろう、
議論するには、もうちょっとこう具体性が欲しいというか…。
恣意的適用で正解
自分勝手に行われるものに違和感があるなんて言われてもどうしようもない。要するに「問題のとらえ方が間違ってる」という捉え方が間違ってると言いたいわけだ。
ラベリングは恣意的なものだから無闇と真に受けては駄目。ラベリングした人がそう見てるということを表してるに過ぎない。その通りかもしれないし違うかもしれない。ラベリングなんてそんなもん。
た~んさん
まあ主観だね。私自身が一方の当事者だしね。客観的になりきれない部分がどこかにあるんじゃないかとは思う。が、自分ではわからん。もともと私はウヨク側の考えを知って欲しくてここに来てる。間違ってる部分含めてどう考えてるかという主観に基づくものを知って欲しくて来てるのだから主観で全然構わないでしょ。
でも主観だからって必ずしも客観的に見れば間違いってわけではないからね。正しい場合もある。人は結局は主観で言動決めるし。主観だから切り捨てていいとはならないよ。「こちらとしてはどうしようもない」も違う。そんなことはない。相手の考えがわかれば適切な攻め手が選べるようになる。相手の考えを知ることは大事ですよ。
逮捕した後?
言い間違い。
>逮捕しようとしたら真っ二つに切られちゃうかもよ。
に訂正します。ごめんね。
でも、苦しそうだから答えなくていいよ。ちょんまげを結って和服を着て、脇に日本刀を持って歩いてる人をどういうふうに逮捕するのかなんて。
どうせあんたスルーしちゃうでしょ。アトラクションかなんかだろって。
まあ、あたしはそういうラベリングは好きだけどね。
あんたの言うように態度で人を処罰できるんなら、モデルガンを持って街を歩いてる奴は全員逮捕だな。アメリカみたいに。んで、アメリカと違うところはそれがモデルガンだとわかっても、サラリーマンなら懲戒処分だということで。
んで、これとは別の話なんだけど、
>「本当は違憲。でも自衛隊は必要なので誤魔化して合憲」
>法律でこう決まってるからという説明だけでいい。
sadatajpさんは、帯刀は「必要なので誤魔化して」合法化している人は、
処罰するの?しないの?
いや
(・ω・;)ゞ
主観を述べるのは結構なんだけども、あまりにも前提や根拠に具体性が足りないから、結局君はその主観さえも述べる事が出来ていない気がするんだよね。
多分(何をもってそうカテゴライズしてるのかはわかんないけど)『ウヨク側』にも入れていない気がする。
もしかしたら君は、当事者にさえ、なれていないのかもしれない。
三分法
普通の日本人も中国脅威論に与すると思うけど、oldmanさんみたいな議論は、普通の日本人はしないんじゃないかなあ。
実際は、三つにくっきり分けられるのではなく、その中間にグラデュエーションがあると思うけど。
わたしは右でも左でもない一般市民様が一番偉いとか正しいとかは思わないけど。
うむ。言質が取れました。
であれば、そもそも「ラベリング」なる行為は議論の場に登場してはならない。あるいは、「ラベリング」を行った時点でその話者は議論の場からの撤退を表明しているとみなされる。
議論は何らかの同意点を探るために行われるものであって、説得もそれと同じである。ゆえに、それらの活動は極力一般性を持った語と論理とで為されるべき(なぜなら、特殊な語や論理は相手に自分の意思を伝えない可能性が高いから)であって、そのような場に、いわば究極の特殊である主観的判断を持ち込むことは適さない。恣意的とは自分勝手ということであって、これはつまり主観的判断である。
恣意的に適用される基準は一般的な意味を持たないため、それによって判断された側に対して『どうにも気に入らないというなら自分を変えてください』なんていうことはできないわけだ。しかし君はこれを持ち出した。つまり君はここが議論≒説得の場でないと考えたのか、もしくは議論の場においても主観的判断が許されると考えたのか。
何れにせよ、どうやら君は問題をとらえることも出来ていなかったらしい。
いや、期待が過ぎた。すまない。
君は自分の判断に自分の感覚以外に何の根拠もないことを吐露しているわけで、それはどこまでも特殊な主張に過ぎない。論理としては全くの無価値だ。
なお、十分な論理的根拠を持って為されるラベリングは(この要件については既に述べた)、十分客観的な意味を持つため、全てのラベリングが恣意的な基準によって為されるわけではない。
この場合はカテゴライズと呼んだ方がしっくりくるのかもしれない。
風鈴さん
拳銃向けて牽制しつつ「刀を地面に置け」と言う。
置いたら近づいていって逮捕。
刀抜いたら撃つ。でもって取り押さえ逮捕。
逃げたら撃つ。でもって取り押さえ逮捕。
拳銃持ってる警官が行うならこれを勧めたい。
>あんたの言うように態度で人を処罰できるんなら
逮捕の話だったろ。処罰と逮捕は違うよ。
逮捕するかどうかは行動で決まる。態度でなく行動ね。
>モデルガンを持って街を歩いてる奴は全員逮捕だな。
それでもいいと思うよ。モデルガンとわかればすぐ解放すればいい。
>sadatajpさんは、帯刀は「必要なので誤魔化して」合法化している人は、 処罰するの?しないの?
誤魔化しでも合法となってるなら法的な処罰は出来ない。法的な処罰は。
法的な処罰でない社会的制裁はするかもしれないし、しないかもしれない。
社会的制裁をするかどうかは個人の主観によるから悪いと思えばするし悪くないと思えばしない。
た~んさん
前提や根拠無しでも主観は述べられるぞ? 前提や根拠無しだと「なんで?」って聞かれるだろうけど。
話それるけど「具体性」ってどんなこと求めてんの? 現実にある事例? 現実の事例って複数の要素が複雑に絡み合ってるから逆にわかり辛くなるよ。
>多分(何をもってそうカテゴライズしてるのかはわかんないけど)『ウヨク側』にも入れていない気がする。
何でそう思う? 具体性ある前提や根拠は?
>もしかしたら君は、当事者にさえ、なれていないのかもしれない。
ここでこんなやり取りしてる時点でもう当事者でしょ。
kuronekoさん
でも考え方や価値観でみればネットウヨクと普通の日本人にそう違いはないと思います。特別政治やら思想やら勉強したわけでもない普通の日本人が政治に関心を持って、現在の常識にドップリ漬かった中で自然と身につけた感覚であーだこーた言ってるのがネットウヨクです。理想を持って現在の常識に挑んでるのがサヨクで、現在の常識そのまま受け入れてるのがネットウヨク。そして普通の日本人は現在の常識をそのまま受け入れてる人達。なので考え方や価値観はネットウヨクと普通の日本人は同じになるというわけです。
McRashさん
どの言質を取ったのですかね? こっちはこっちで予防線張ってますよ。
>教員だってそれは同じことなわけですよね。
処罰覚悟してないでしょ、不当だなんて言ってるんだから。辞める気もない。
ただし戦う覚悟はしてるね。
>それに対して、外から、それは不当な懲戒ではないのか、という抗議は当然にあり得るわけで、
あなたはするのでしょうが私はしませんよ。
>あたしが例示した場合に対するsadatajpさんの態度についても、同様に対応することになるわけですが、
あなたはするのでしょうが私はしませんよ。
>これは自衛隊における意見具申・・・
意見具申はいいですよ。異議の提示もいい。でも命令には異議があろうが従わなければならない。
命令にはしっかり従いつつの意見具申や異議の提示はいい。しかし異議があるから従わないなんてのは許されない。従わなければ処罰されて当然。
>強制されて「かたちだけ」国家を歌い、国旗を仰ぐ、ということは愛国心を教えるという意味においては、寧ろ国への侮蔑なんじゃないかと感ずるわけですが、そこらへんは如何にお考えでしょう?
狂信的な極右だとそう考えもするのでしょうが、私は全然問題ないと考えます。
愛国心は教えるものではなく促すものです。促されて持つ前は当然ながら持ってません。持ってないからといって責める気は私には全然ありません。この場合の対象は未成年ですしね。大人でも責めはしませんが、異常だと感じます。
国の為に働くべき政治家や公務員は別。愛国心持たない者が国を良くしようと考えるわけがない。国のこと考えず仕事されては堪らん。即刻辞めてもらいたい。
>あたしらは、かたちだけ強制することが愛国心という感情に相応しくないから、強制に反対するわけですよ。
わからないながらもやらせて感覚的に掴ませるって教育方法をご存知ありませんか?
例えば、強制的にでも花を育てさせる。やってみると案外面白い。成長を見るのが楽しい。花が咲くと嬉しい。そういう感覚を体感させる。そういう感覚を掴ませると自然と草木への愛情を抱くようになる。強制されずとも花を育てるようになったりもする。というような。心は直接教えられませんから体感する状況に置いて感じさせてわからせるという方法を取ります。愛国心の場合も同じです。最初はわからずともやらせることです。まずはかたちからです。
>「必ず歌え」などと無粋なことを言わずに式次第の中に国歌斉唱と単に入っているだけならば、別段素直に君が代を歌うことに抵抗はありゃしませんし、
んー、これは改めて考えてみます。時間下さい。
ただ凄く子供っぽいなーと感じます。駄々捏ねてる子供みたい。
すてはんさん
だけど主観によるものだからといって当人にしか通用しないものだというわけでもない。他の人がそれに共感したり同意したりすればそれは共通認識になる。そして共通認識になると意思の疎通を図るのに使えるものになる。複数の人が同じ意味を認識する一般性を持った語になる。抽象的な単語はこのような過程を経て一般に通用する意味を持つ単語になってる。サヨクという単語はもうそういった単語になってる。議論の場で十分使えるものになってる。
>議論は何らかの同意点を探るために行われるものであって、
いや、他者の考えを知り自身の考えと比較検討する為に行われるもの。だから異なる意見を持つ者とでも議論が出来る。議論が有意義なものになる。
だいたい同意点だけ探っても意味ないでしょ。それって異なる部分は何時までたっても違ってるままってことですよ。そんな議論に何の意味がある? 説得にだってならない。
>君は自分の判断に自分の感覚以外に何の根拠もないことを吐露しているわけで、
主観を導き出す感覚も多くの人から学び取って作り上げられた感覚なわけで、主観だからといってまったくの個人的なものでもない。他の人が共感出来るだけの根拠を持ってもいる。別の人の主観が同じような答えを導き出しもする。主観だからと安易に無価値と切り捨てていいものではない。
主観が個人的なものでしかないとか議論が同意点を探るものという前提から導き出した主張については、前提部分に反論したのでパス。私にはあなたとは違う前提があり、私のと違うあなたの前提での議論は出来ない。
>McRashさん
嫌いな国の指示だから嫌だってことなのでしょう。
やはり強制でなく強制だと感じるのが問題なのだと思います。
教師が強制をいけないなんて言うのはおかしいもの。自分で生徒に対し何らかの強制を絶対してるもの。もししてなかったらその教師は仕事してません。
わたしも
oldman氏はとにもかくにも、「中国は脅威であろう」という仮説を立てて、人に問うている。
「これだけ日本人が中国を嫌っているのだから、アメリカ軍がいなくなって日本が核武装でもしたら、中国は日本の先制攻撃に脅えるだろう」という言明の妥当性を検討すると如何。
常識ではありえない、で済ませるのか。
長いものに進んで巻かれることを「大人の対応」と言うのなら
まず、今回の議論において、件の教員たちが懲戒処分を受ける覚悟をしていない根拠を「不当だと抗議している」ことに求めていますが、そもそも東京都教育委員会は最初から懲戒処分をちらつかせているのですから、それでも国歌斉唱に参加しないという選択をした教員がその覚悟をしていない、とおっしゃるのは、sadatajpさんの日本語能力に対する重大な疑義を生みかねませんな。
次いで、「わからないまでもやらせてみる」について。形から入ることと、形だけを求めることは全く異なります。形から入る場合は、その後の段階としてその形の意味を説いていかねばなりませんが、そうしたアフターフォローなしに単に形だけを求めるのであれば、そこに教育的な効果は期待できないでしょう。そうした考察無しに形から入る、と安易におっしゃらない方がよろしいかと。
では、話し合いは終わりということで
と言われたので、「違いますよ」って言ったのに、逆ギレされてしまいました。
そして、話が元に戻ってしまっていて、今までの積み重ねたコメントは何だったのだろうと残念です。
私は、貴方の主張の是非は(きちんと読んでいないので)問うていません。
それから、kuronekoさんに宛てたコメントでしたが、こうも言っています。
「今は少しばかり「国旗、国歌強制反対」に傾いていますが、sadatajpさんの言うことが自分の中に落ちれば「国旗、国歌強制反対に反対」の立場に逆転する程度」
だからこそちゃんと主張を読んでみたかったし、だからこそ読む前にラベリング(カテゴライズ)の違いを
指摘しておきたかった。
ただそれだけなんです。
私の指摘を納得はしなくてもいいから、理解はして頂きたかった。
話し合うってそういう事ですよね?
だから、そのつもりでコメントを書いていましたが、最終的な結論が「俺がサヨクと言ったらサヨク。だってサヨクだから」ですか。
>私はこのような見方を変えたりはしません。二つが違うものだと示して頂けたら変えもしますが。
「サヨク」=「「国歌、国旗強制反対の人」が適切だと考えてます。
「国家、国旗が好きだけれども、強制するのは反対の人」って例を出したのに・・・。(スルーされてた)
本当に、この様な人たちを「サヨク」と言っていいのかしら・・・?
それから、やはりこの疑問にたどり着くけど、何で言い換える必要があるのかな?
sadatajpさんがどんな風に私を思うのかは、たしかに勝手だけれども、「わざわざ」言い換える処が納得いかないですよ。
>「サヨク」と呼んだからといってそれが必ずしもサヨクとは限りません。
じゃあ、私は自分のことサヨクって思っていないから、あなたの「サヨク」に向けた主張は自分に宛てられたものじゃないって判断して読まなくてもいいって事になっちゃいますね。
・・・?あらら。
何が言いたいか分かりますか?
もしかしたら「国旗、国歌強制反対に反対」と思うかもしれない人間を、その手前で自分から切ったということです。
(でも多数派だから、一人位はどうでもいいのかな、とか思うのだろうなと、これまでのコメントを読むと想像しますが)
別に「国旗、国歌強制反対に反対」しているのはsadatajpさんだけではないから、別の方の主張を読めばいいのだし、貴方の主張を読まなくてはいけないと拘っている訳でもありませんから。
そしてこれ以上、無駄な時間使いたくないので、
終了
ということです。
質問っぽいことも書いてしまいましたけど、返答いりませんから。
あ、最後に一言。
これだけこのエントリーで孤立奮闘しているsadatajpさんに「国旗、国歌強制反対に反対」の方々の援護射撃コメントないのって、皆さん随分と冷たいんですね。
あ、そもそも本題にたどり着いていないですもんね!
(私、すごく真摯に話し合いをしてきたつもりなのに、私のそもそもの根源にある趣旨が伝わっていない徒労感から、最後に皮肉のひとつくらい言わせてもらいます、よー。)
McRashさん
「無駄」はどこから出てきたのですか? 私が書いたどの部分を読んでそう思ったのですか?
>まず、今回の議論において、件の教員たちが懲戒処分を受ける覚悟をしていない根拠を「不当だと抗議している」ことに求めていますが、
死の覚悟といえば死を受け入れる覚悟。抗わずに死を受け入れる覚悟。
なので、処罰される覚悟とは処罰を受け入れる覚悟。抗わずに処罰を受ける覚悟。
辞める覚悟とは辞表出す覚悟。辞めないとゴネずに辞める覚悟。
辞めさせる覚悟となるとクビを受け入れる覚悟。抗わずに辞める覚悟。
抗うのは覚悟がない証拠。
でも戦う覚悟はある。戦う覚悟とは戦いを受け入れる覚悟。戦いを逃げないという覚悟。
これはある。戦いは逃げてない。揉めることを厭うてない。あるのはこの覚悟。
>形から入ることと、形だけを求めることは全く異なります。
形だけを求めてるなんていってませんよ。
>そうした考察無しに
聞きもせず決め付けないでください。
国旗掲揚国歌斉唱が全てではありません。
左翼も日の丸を使いそう
結構、うけると思うんだけど。
え゛
まいったなぁ…。感覚だけで書いちゃったよ…。
トホホ(;´д`)ゞ
そうだなぁ。
主観話。
まず、根拠とかないような主観だから「なんで?」って聞いてんのに、「主観だから主観だもんね、根拠とかいんないじゃん」的に返されても、こちらとしてはその中身がいまいちわかんないからそれがその人の主観かどうか観測しにくい。とかどうだろ?
他の人が共感できるだけの根拠とかをもってるなら、まず遡上に出してくれないといまいち判断つきかねるような。
『あまり何々ない』とかの用法を多用されて、論に詰まったら前提ごとひっくり返すようなやり方をされたら特にねぇ…。
まぁ根拠もなにもなしでただ発せられた主観てのも、なんていうか野次みたいなもんだし…。
「なら言ってなさい」で終わりだもんなぁ。
具体性。
最初の多数派・少数派話とか、まずこの前提とされた多数派・少数派ってのが抽象的で分かりにくかったよね。
俺が「全体を100として」とかやったように、簡単なモデルケースみたいのを提示するとかなんかすればいいのに、君は「読解力ない奴ら」となってしまったわけだけど、例えばこういった感じに前提条件を具体化したりとかすれば議論になるのにってのは、ずっと言ってたつもりなんだが。
「サヨクと言ったらサヨク。なんだけど、実はサヨクとは限らない。」とかも結局サヨクって言葉を抽象的にしてしまっているというか。君の脳内ではいいのかもしんないけど、これじゃ共通認識になり得なそうだし。
ウヨク側ではないかも。
当事者ではないかも。
いや君って、延々とした婉曲表現や主語が他称な事が多いじゃん。
主語とか多分君も中に含んでるんだろうとは想像できるんだけども、実際の所文面上では判断しにくい所も多くてね。
実は違うのかも?とか議論の中でも思ったわけさ。
「サヨク以外の人」
人がサヨクと言ったら云々の「人」
「サヨクの特徴を把握してる人」
とかとか、しかも「サヨクと言ったらサヨク。なんだけどサヨクとは限らない」とかもあるしさ。
じゃあ何が何やら…?
まぁ近いコメントでは、主語に『私』が増えてたから、それは良い事だと思うけど。
婉曲表現の多さも、どこか他人事で話そうしてるなぁって感じたしね。
まぁ他人事や他称で話せば追い詰められた時多少有利かもしんないけども…。
単純に俺は真正面からの君自身の言葉が聞きたかっただけだよ。
どこからどう手をつけていいか・・・とりあえずこれだけ
>>で、仮にそういう人ばかりだと民主主義はうまく機能するんですか?
>しますよ。従いつつも反対意見を持ち異議を唱え、反対意見を持ちつつも従ってるなら
>良しとするという姿勢であれば。
読んで驚いたのですが、真面目に書いてます?
真面目にしろ適当に書いたにしろ、あなたに話しかけたのは、あまりよい選択じゃなかった
と思えてきました。
あなたが書いたような状況って実際にはあり得ないし、もし似た状況があるならば、
それこそが「全体主義」です。
つまりあなたの言ってることは、無茶苦茶な空論なんです。
まあせっかくだから少し詳しく書くことにしますが、論点は上の一つだけに絞ります。
あなたの他の発言もほんとは看過できないものばかりですが、私がかなりのエネルギーを
使って書いた指摘一つにつき、ほとんど一行レスみたいな、思索の跡も見えないお座なりの返事
(しかも無茶苦茶な論理の)が帰って来るのでは割に合いませんから。
>反対だから従わないとか、反対意見を持つことを許さないなんて姿勢になると機能しなく
なります。
まず「反対だから従わない」について
反対だけど従わざるを得ないことも当然ありますよ。
例えば「殺人を法律で罰するのは反対」と言っても通りません。
しかし「従わざるを得ない」で全て押し通してしまうと少数者の人権が侵害されます。
「多数派の専制」と呼ばれる問題ですね。
あの、民主主義とか自由主義についての本ぐらい一通り読んでから議論の場に出てきたら、
あんまり無茶苦茶なことも言わずに済むと思うわけですが。
ともかく、何でもかんでも誰かが決めたから従わなきゃいけない、ということではありませんよね。
また、賛成だろうと反対だろうと今取りうる行動が「従う」しかないのなら、思考しても
無駄ですから、多くの人がそんな無駄は省くでしょう。
結果として考えない人が多数を占め、衆愚政治になるわ、少数者は抑圧されるわ、
(誰がいつどんな問題で少数派に回る羽目になるか、わからないんですよ。要は
ヒトゴトではないってことです。)で、あまり良いことにはなりそうもありませんね。
次に「反対意見を持つことを許さないなんて姿勢になると機能しなくなります。」について
この部分だけ読むと同意なのですが、あなたの文脈では、この言葉に実質的な意味はありません。
むしろ前の部分と合わせて「反対意見は持ってもいいよ、ただし服従は絶対だよ」って
ことになると、「反対意見を持つことは許さない」と明示するより、数倍タチが悪い。
何故なら「反対意見を持つことは許さない」と明示された状況で、誰かが反対意見を持っている、
なのにそれを述べないとしたら、理由は「禁止されているから」です。
自分の足を踏んでるのは誰か、はっきり見えている。
ところが、「反対意見を持ってもいいよ。だけど服従は絶対だよ」という状況では、
反対意見を述べないとしたら、「持ってもいい、言ってもいいって言ってるのに、言わないのは
あんたの勝手だろ」ってことになってしまう。
実際は、反対意見を表明することで有形無形の不利益をこうむる(ムチ)と
いち早く服従・恭順の意を示すことで褒賞を得られる(アメ)でコントロールされていても。
つまりここでは、服従を強いられた上に、反対の意思を表明できないことまで、誰にその責任が
あるのか曖昧にされてしまう。
「お前の足が痛いのは、お前が自分で踏んでるから」(?!)
こういうやり口を考えつく人って、ほんとに卑怯な小悪党ですね。でも本人にはその自覚は
ないんでしょうね。
取り合えず手抜きせずに書いてみましたけど。
それではこれにて失礼します。さようなら。
何だよ。【主観的根拠、もしくは感覚的根拠の論理的価値】
私はとりあえず相手をしてあげる、ぞー。
3ケタまでは頑張る。
どうも議論の目的を理解していないようだ。
というかそもそも、議論の構造さえ理解していないようだ。
そもそもの『議論』とは共有される前提から出発して論理的に結論を導き出す行為のことで、そうして導き出された結論は当然共有されうるものであるから、その意味で、議論を行っていた両者は思想的に統一されることになる。この結果が、すなわち彼我の思想的統合が、あるいはそこへ至る過程が、説得である。
同意点を探り出すのは共有される前提=認識を作るなり見出すなりするための行為であって、ここさえ見つかれば(両者が理性を基調とした判断を行い、また同等の知的能力を有しているならば)あとは論理的に一直線であるともいえる。ゆえに、議論とは異なる意見の同意点を探ることとも換言しうる。やや乱暴か。
ともかく。
>他者の考えを知り自身の考えと比較検討する為に行われるもの。
相手と自分の意見のどこがどう違うか知って、で?
その先は? どちらかがどちらかに転ぶだけ?
まさか既成の意見の中に真理を体現するものがあるとでも言いたいのかな? まさかね。
それとも比較検討さえできればそれでいいとでも言いたいのかな? それだと意見は対立したままで、議論の前と何も変わらないぞ。
ってこの辺はどうでもいいか。
何らかの問題に関して、思想的に異なる集団がそれぞれの異なる意見をぶつけ合うのは、一定の範囲内だけでも思想的な同一性を獲得するためで、簡単に言えば何らかの問題に対する意見の統一を行うためである。これは、本来語りえぬ『真理』を、擬似的にでも獲得せんとする試みでもある。
共感とはたんなる感覚的同意であって、それはそもそもの前提となる認識を共有している人々の間でしか成立しない。この場合、思想的に同一であるという点で、共感した人々は同一の集団と目される。今この場で見れば、あなたは間違いなく『一人』なのだから、『あなたの主観』はあなただけのものだ。共感している者はいない。よね?
そもそもある主張が他者の共感を得られたからといってそれに一般的な価値が生じるわけではない。『なぜそれが正しいのか』と問われた時に“問うた者の中”≒“問われた者の外”にある要素でその理由を説明できなければ、その主張の『正しさ』は共有されず、その意味で、その主張は無意味であるのだ。
問題になるのは、そして今ここでも問題にされているのは、その『そもそもの認識を共有していない』人々の間=他者間での、つまり、『なぜその主張が正しいのか』と問う人たちとのやり取りである。そのような関係の中では主観による基準は共感を成立させえず、ゆえに無価値である。価値を付与したければ、一般的な基準を用意するべきだ。
というか、そもそも特殊と一般の本質的な相違を理解するのが先か。
主観ってのは非常に強い特殊性を有するものだから、一般性を求める議論の場に登場してはいけないんだよ。とか言っても理解できないんだろうなー。
『一般論で片付けられたくない』とか『特殊だから悪だって言いたいのか』とか言い出したらもうお手上げだぞ。まっしぐらだ。
>私にはあなたとは違う前提があり、私のと違うあなたの前提での議論は出来ない。
他者の有する前提での議論は、出来るか出来ないかではなく、そもそも成立しない。議論の前提たる認識を共有してこそ議論は成立する。今行っているのはその『認識共有』のための作業であるため、『あなたの前提での議論は出来ない』などと主張したところで、その主張には意味がない。
なお、互いに異なる前提=認識を有する者たちの間ででも、もちろん一定の過程(これは前述の『作業』のことである)を経る必要はあるが、議論は成立する。この過程をも議論に含めるというのであれば、確かに今行われているのは議論である。が、同時に『議論は出来ない』という主張は本質的には『議論をしたくない』という主張であると看做される。
追記。
たぶんこの人は、始めて『外』に出てきたんじゃないのかなーとか思うんだけど。
皆さんどう思います?
こういう問いかけは反則?
行間を読む、ということ
第一、国旗国歌に反対するサヨク、というあなたの言い分そのものが、此方の言いもしないことを決めつけて言っている、ということに、ご自分で文章を書きながら気がつかない段階で、最早何をか況んや。
受け入れることこそが覚悟だなんていうのも、甚だ表面的な理解ですな。そもそも懲戒処分なんていうものは一方的に言い渡されるものであって、正式な異議申し立てに基づいて再検討され、正式に取り消されない限りは処分は有効なものなのですから、受け入れることが覚悟だ、という立論には何らの効力もありませんな。
死刑の執行に際して、それを受ける受刑者が受け入れてから執行しますか? サダム・フセインの例を引くまでもなく、違うでしょ。
ていうかですね、特定の相手を名指ししたレスだからとて、それが全て特定人物のためだけに記されているという認識は自意識過剰に過ぎませんかね?
かたちを教えることが全て実質を教えることに繋がると、あたしなどは無邪気に信じることができませんので、形から入ることと形だけを教えることの違いについて、あえて触れた次第ですが、この違いはご理解いただけているようで安心しました。それについては此方の非礼を詫びねばなりませんな。
あげはさまのレスを味読熟読され、勉強し直していらっしゃることを改めてお勧めいたします。
漫才じみてきたね(笑
>拳銃持ってる警官が行うならこれを勧めたい。
って、ちょんまげ結って帯刀してる役者にいきなり、
>拳銃向けて牽制しつつ「刀を地面に置け」と言う。
そんな漫画みたいな警察官おらんがな。(たまにいるけど、ニュースになるほど奇特)
あたしらサヨクが一般市民に紛れ込んでマシンガン(らしきものを)持って往来を歩いていたとしても、まずは、職務質問ですよ。日本なら。
でも、職務質問に、そのお方がこんなことを答えたら即逮捕だけどね。
>社会的制裁をするかどうかは個人の主観によるから悪いと思えばするし悪くないと思えばしない。
大多数の日本人は、こんなだいそれたことを考えてる特殊な方がいるなんて思わないから。
>みなさま
個人的には、双方の言い分ともとても参考になっています。これをネタにまた記事が書けそうです。...というか、すでに書いている方もいますが。(^^;
ユーモアはOKですが、やりとりはできるだけ冷静にお願いします。
まだ言い足りない方は続けてくださってかまいません。
た~んさん
嫌味だからスルーしてくれてよかったのに。
>まず、根拠とかないような主観だから「なんで?」って聞いてんのに、「主観だから主観だもんね、根拠とかいんないじゃん」的に返されても、
根拠は書いたぞ。た~んさんには理解出来ず納得も出来なかったのだろうけど。
>こちらとしてはその中身がいまいちわかんないからそれがその人の主観かどうか観測しにくい。とかどうだろ?
わからなきゃ聞けよ。いくらでも答えるのに。
ただし既に書いてあることを読めばわかるようなことは聞くな。
>他の人が共感できるだけの根拠とかをもってるなら、まず遡上に出してくれないといまいち判断つきかねるような。
共感出来るはずのもの出しても共感してくれないからねぇ、あんた等は。これでもどう説明すればいいか考えてるんだよ。
>『あまり何々ない』とかの用法を多用されて、論に詰まったら前提ごとひっくり返すようなやり方をされたら特にねぇ…。
普通なら「ない」と書いたって例外的なものはあるとか多少はあるくらいに読んでくれるけど、あんた等絶対その例外的なもの持ち出してきてあるじゃないかと言うもの。で、本題そっちのけでそんな枝葉ですらない部分でやり合わなきゃならなくなる。それを避ける為の用法。あんた等相手には必須。多用しないわけにいかない。
「前提ごとひっくり返す」と言うけど、私は同じ事を繰り返し書いてるだけだよ。ひっくり返ってるように感じるのは最初にあんたが誤読してるから。誤読と私の再度の説明の落差でそう感じるだけ。私はひっくり返してない。
>まぁ根拠もなにもなしでただ発せられた主観てのも、なんていうか野次みたいなもんだし…。 「なら言ってなさい」で終わりだもんなぁ。
あんたの同類はこれが多いんだよね。でもって対話止めてしまう。聞く耳持たなくなる。
人が何かを思う時に根拠がないわけないでしょ。誰のどんな主観であれ何かしらの根拠は絶対にあるんだよ。その根拠がどんなものかは問題だけど根拠がないなんて絶対ない。簡単に「根拠もなにもなし」なんて思うな。
>俺が「全体を100として」とかやったように、簡単なモデルケースみたいのを提示するとかなんかすればいいのに
それがあんたのいう具体的なんだ・・・ 多数派・少数派ってのが抽象的過ぎてわからないからそんなわかりやすい数字にしてくれって~の? そこまでモデル化しなきゃわかんないの?
正直信じがたいんだけどね、本当にそこまでしないとわからない? だったら改めて言うよ。あんた読解力ない。
>例えばこういった感じに前提条件を具体化したりとかすれば議論になるのにってのは、ずっと言ってたつもりなんだが。
こんな具体化を一々やってたら逆に議論にならんよ。
>「サヨクと言ったらサヨク。なんだけど、実はサヨクとは限らない。」とかも結局サヨクって言葉を抽象的にしてしまっているというか。
こんな捉え方してたらそりゃサヨクと言ってるんだか言ってないんだかわからなくなるだろうね。
A君はBさんを女だと思ってる。でもBさんは本当は男かもしれない。A君から見たらBさんは女に見えて、だから女だと思うわけだけど、もしかしたら女装してる男かもしれない。「A君がBさんを女だと言う。だからといってBさんが女だとは限らない。」
こういうこと。
>いや君って、延々とした婉曲表現や主語が他称な事が多いじゃん。
主語が他称なのは適用範囲を広げる為。具体名は挙げてなくとも条件は定めてる。その条件に当て嵌まるなら誰でもいいから他称にしてる。
「サヨク以外の人」:“サヨク以外”が条件。サヨク以外なら誰でもいい。
こんな感じ。
>まぁ他人事や他称で話せば追い詰められた時多少有利かもしんないけども…。
逆だぞ。適用範囲広げてる分崩されやすくなる。特別な事情持ち出して言い逃れることも出来ない。
具体的な人名や事例持ち出すより追い詰められる可能性は高いよ。
>単純に俺は真正面からの君自身の言葉が聞きたかっただけだよ。
聞こうとしてくれるならいくらでも応えるよ。
社会の基本的ルール
大真面目です。本気で真面目に書いてるのだと思って本気で読んで下さい。
運転免許証の更新で説明します。
以前は3年毎の更新でした。その時にももっと更新の間隔長くていいのではと考えてた人はいます。
そのもっと長くてもいいと考えてるその人も3年毎の更新と定まってる時は3年毎の更新をしてました。
3年毎の更新をしつつ、もっと更新期間を長くしようと言ってたわけです。
これが「従いつつも反対意見を持ち異議を唱え」の状態です。
こんなのは実際にいくらでもあります。全体主義かどうかはともかく現在の現実の社会はこんなのばっかです。
「従いつつも反対意見を持ち異議を唱え、反対意見を持ちつつも従ってるなら良しとする」
これは現実です。
決まりに従わず決まりとは違う事をやりたいなら決まりを変えてそのやりたい事が出来るようにする。やりたい事をするのは決まりを変えた後。決まりに従わずやらずに済ませたいなら、やらなくてもいいように決まりを変える。決まりが変わるまではやる。やらずに済ますのは決まりを変えた後。これが今現在の社会の基本的な決まりです。社会のルールです。
私は驚くあげはさんに驚いた。
あげはさん「従う」
>あの、民主主義とか自由主義についての本ぐらい一通り読んでから議論の場に出てきたら、 あんまり無茶苦茶なことも言わずに済むと思うわけですが。
あなたが民主主義・自由主義だと言うものが必ずしも民主主義・自由主義ではありません。
>ともかく、何でもかんでも誰かが決めたから従わなきゃいけない、ということではありませんよね。
従わなくてはいけません。それか従わず罰を受けるか、その決まりが適用されないところに逃げるか。
>また、賛成だろうと反対だろうと今取りうる行動が「従う」しかないのなら、思考しても 無駄ですから、多くの人がそんな無駄は省くでしょう。
異議は唱えられるしその異議が受け入れられたら決まりが変わりもするのですから無駄ではありません。
>結果として考えない人が多数を占め、
異議が受け入れられ決まりが変わる可能性があれば考えることを止めたりはしないでしょう。
>(誰がいつどんな問題で少数派に回る羽目になるか、わからないんですよ。要は
ヒトゴトではないってことです。)
どのやり方したってその危険性は取り除けないのですよ。
あげはさん「反対意見云々」
受け入れられれば決まりが変わるという部分を見逃してませんか。
>実際は、反対意見を表明することで有形無形の不利益をこうむる(ムチ)と いち早く服従・恭順の意を示すことで褒賞を得られる(アメ)でコントロールされていても。
異端児は迫害されるもんだ。言ってる事が正しくてもね。
社会は厳しい。ガリレオ・ガリレイに学べ。
誤解しないで欲しい、軽く扱って明日にまわすわけじゃない。
すてはんさんのレスは最高。私がわかってなかったことが書いてある。
あなた方の考えに対する理解を深める糧になる私にとって最高のレス。
じっくり読んで考えたい。
不審な挙動したら撃ったっていいと思うね。
日本の警察が私の言ってるような対応しないことは知ってます。私は私で現在のやり方に異議を唱えてるのですよ。
>でも、職務質問に、そのお方がこんなことを答えたら即逮捕だけどね。
ねーよ!
そんなんで逮捕されるかい!
不当逮捕で警官の方が逮捕されるわ
ヲイヲイ(笑
>社会的制裁をするかどうかは個人の主観によるから悪いと思えばするし悪くないと思えばしない。
こんなこと言ったら、普通は逮捕だぞ。
上の引用はあたしなりにわかりやすく読み替えたら、
>(控えおろう)私は、私自身の主観に基き、ワルモノに社会的制裁を施そうと考えているのだ。(天啓有理、天誅無罪、あはっはっははははは…)
というふうになる。
もし、こんな考えをお持ちの警察官がいらしたら、すぐにその武器を取り上げて収監し、すみやかに何らかの措置を講ずるのが当たり前だと考えるが、如何。
「無頼漢だけではない。
皇国臣民に相応しからぬ者は、本官が斬る!
書を読み、武に励めよ・・・」
南部 十四郎『ケンペー君』
http://mitleid.cool.ne.jp/kenpei.htm
※引用文( )内は、sadatajpさまというお方を私が主観的に解釈し、その発言の面白さをよりわかりやすくお伝えするために付け加えたもの。ただただ物語に起伏をつけるための仕掛け。なので、議論にそのような脚色はいらぬ、とお考えの方は無視してくだされ。
とどのつまりは
ただ、例示した運転免許の更新の例は、今回の説明には些か不適ではないかと思われます。というのも、これは、3年ごとの更新が嫌なら運転免許の更新をやめればいい、という性質のものではなく、道路交通法の文言を繙けば解りますが、自動車の運転が誰にでも許されている行為ではなく、それを許されるための運転免許、という特別な資格を取得・維持するための条件付けであり、運転免許資格者であることを定期的に確認するために更新手続きを踏ませているわけですから、運転免許の更新をやめることは、自動的に自動車の運転資格を放棄することを意味するのです。
これに対して今回取り上げている学校式典における教職員に対する国歌斉唱の業務命令ですが、そもそも業務命令を発出してまで強いるような性質のことですか?
それこそ、そういった通達を発するようになるまでは、何らの問題も滞りもなく、学校における式典は円滑に行われていたのです。つまり、無用の、業務を混乱させるだけの業務命令は、管理職である学校長、さらにその上位にある教育委員会や文部科学省による背任という見方もできるのではありますまいか?
また、これは少々本筋を離れますが、「嫌ならやめればいい」という主張自体が些か現実を見ない乱暴なものではないかと思うわけですが、これは実際に転職を経験したことのある方なら同意して頂けるのではないかと思います。
今回の議論を受けて拙宅ブログでやろうとおもうテーマがひとつできたことに感謝を申し上げたいと思いますが、民主主義とは、即決即断でさくさくと物事が動くような制度ではそもそもございやせん。だからこそ、国会や地方議会などでの審議、あるいは民衆を代表して各種の議会で審議を行う議員を選出する選挙、といった手続きを重視しますし、そうした手続きを経て決まったことに対しても、いつでも異議を申し立てられるような窓口を用意しているものなんですね。民主主義制度における多数決の原理を根本的に履き違えられてはいらっしゃいませんでしょうか。少数者の意見を完全に圧殺していいのであれば、その制度は既に民主主義の名に値しません。多数決をもって決めたことであっても、その実行に際しては少数者に対する配慮が求められるのです。
なんだかなぁ5
(;´д`)
モデルケースについてだけ言うと、
俺がわかるわからないの話じゃなくて、
例えば数値化するとかすれば言いたいことが分かりやすくなっていいんじゃないのかなってだけの話。
なんでこれで、「モデル化しなきゃわかんないの?読解力ない」って事になるのか…。
(;´д`)ゞ
疲れたし、俺はここらで降ります。
お騒がせしました
m(_ _)m
たーん 様
お疲れさま。
なにがしか語っていれば自分が賢いと思っていられる人との議論は疲れますよね。
風鈴さん
んじゃ何言おうと関係ないじゃん。
「言ったら」じゃねーじゃん。
社会的制裁ってのは逮捕されるような行為するわけじゃないんだよ。社会的制裁で逮捕はないよ。
McRashさん
あんたらの悪い癖、すぐ極端な話にしてしまう。
もともと絶対性なんてあると思ってないよ。
絶対性がないから変えられるような仕組みを作ってる。
異議を唱えることが許されるのも絶対性がないから。
処罰があるのも絶対性がない故。
絶対性がないってのが大前提なんですよ、今の日本の社会の仕組みはね。
んで、そろそろ終りらしいので今回は感情も込めてストレートに書く。
反国旗国歌の教師がやってたのは学校の私物化。
主権者である国民が投票する選挙を経て議員となった者が集まって討議して審議した結果を実行する為に出されるのが教師に下される業務命令。業務命令無視はそれらの無視。審議の無視。討議の無視。議員を選んだ国民の無視。そういったものを全て無視して自分達の好き勝手を通そうとしてるのがこの業務命令無視の教師達。彼らが望んでるのは学校の私物化以外のなにものでもない。
>これに対して今回取り上げている学校式典における教職員に対する国歌斉唱の業務命令ですが、そもそも業務命令を発出してまで強いるような性質のことですか?
あんた等は国旗国歌が問題なのではなく強制が問題なんだというが、こっちだって真の問題は国旗国歌じゃない。教師達による学校の私物化こそが問題。この問題は教師の独善による学校独裁を阻止出来るかどうかが掛かった極めて重大な問題。
>それこそ、そういった通達を発するようになるまでは、何らの問題も滞りもなく、学校における式典は円滑に行われていたのです。
教師達が気持ちよく独善による独裁が出来てたわけだ。そんな円滑なんてくそくらえだ。
>つまり、無用の、業務を混乱させるだけの業務命令は、管理職である学校長、さらにその上位にある教育委員会や文部科学省による背任という見方もできるのではありますまいか?
誰に対する背任だ? 学校の独裁者様に対してか?
>民主主義制度における多数決の原理を根本的に履き違えられてはいらっしゃいませんでしょうか。
履き違えてるのはあんただよ。民主主義は個々の身勝手を許す制度じゃねーぞ。
>少数者の意見を完全に圧殺していいのであれば、
「完全に圧殺」か。ホントに極端にするのが好きだな。意見の全てをそのまま受け入れない限り「完全に圧殺」と言い続けるんだろ、どーせ。
あんたに聞くが多数意見はどれだけ取り上げてくれるんだ? 少数意見と相反する多数意見をどれだけ取り上げてくれる気があるんだ? 全ての国民に国旗国歌を強制しろという少数意見があった場合これをどれだけ受け入れる? 全面的に拒否するんだろ。違うなら違うと言ってみ。
>多数決をもって決めたことであっても、その実行に際しては少数者に対する配慮が求められるのです。
反国旗国歌の教師にどんな配慮をしろと? やりたいようにやらせろとでも言う気か? 確認するまでもない。あんたはずっとそういってる。配慮しろと言ってるが実際には主張の全てを認めろと言ってる。業務命令拒否を許せとか業務命令出すななんてのは好き勝手にやらせろと言ってるのと同じ。
改めて言ってやる。McRashさん、あんたは典型的なサヨクだよ。サヨク掛かってるとかサヨクっぽいなんて生易しいレベルでないサヨク。左翼でなくカタカナのサヨク。サヨク以外の何者でもない。
これがオブラートに包んでない私の意見。あんたは拒絶反応起こすんだろうがね、一ネットウヨクがこんな風に見てるんだってことだけは知っとけ。
あーあ、とうとう逆ギレですか。
まずもって、絶対性がないことが前提であるのなら、強制を当然視すること自体がその前提に反しますよね。強制を当然視するということは、そのことに絶対性を求めているわけですから、この段階でsadatajpさんの立論がひとつ破綻しますわな。
そして、背任とも取れる、というあたしの発言については、行間を読んでくれなかったようで残念です。
勿論、これは児童・生徒や保護者、そして地域に対する背任以外の何だというのですか。学校を運営する教職員や、教職員を監督する教育委員会が誰に対して責任を負っているのかを考え、そして学校教育の目的を考えたなら、背任行為の被害者が誰なのかは自明だと思ったんですが、それすらも行間から読み取る能力をお持ちでないことには些かの失望を禁じ得ませんな。
それと、民主主義を履き違えてるのが此方だとお考えのようですが、そもそも、民主主義とは民が主となる主義、という字義の通り、自主的・自律的な市民の活動にできるだけ多くを委ねようという考え方であることを考慮したならば、行政権力が発動するのは利害の対立が解消しきれなくなった場合に限定されるわけですわね。つまり、基本的には、自分の持つ権利をどこまで行使していいか、まずは民自身が自ら判断しなければならないわけね。その上で、それが明らかに社会を損ねるものについて、法で禁ずる規定を立てるわけ。建前上、日本国で現在適用されている法令ってのはそういう手続きを踏んでるわけ、実態は兎も角。
つまり、最初から国家権力の規定に依存しようという考え方は既に民主主義を放棄してるわけね。
そして、日本国においては民主主義を土台とする法治主義を採用するのであって、法治主義が優先するのではありません。勿論法治主義は重要なことですが、特に法律に定めのない状況にあっては、行政レベルが恣意的に決定をしていいということではなく、まずは民衆の自律的・自主的な活動が優先され、その利害を調停するために行政や司法、あるいは立法といった権力が関与するわけですな。
最後に、あたしが紛う方なきサヨクかどうかなど、そんなものはぶっちゃけどうでもいい話に過ぎませんな。それが国家体制そのものを否定し破壊しようというものであっても、思想信条の自由そのものは擁護されなければならないのですから。(もちろん、国家体制の破壊が実行に移されるとき、それは刑事事件として逮捕拘禁、あるいは訴追の対象となるでしょうが)
ああ、もういいよ。今日はカナダグランプリだしさ。
どれだけ気合の入った感想文を読んでも、こっちとしちゃあ『ああそう。なるほど。それで?』って言う他ないしね。
10.23通達は絶対だそうだ
ネットウヨクを自認するだけあって、中学生が意見を言うと、全て「日教組の教師に洗脳された」と決め付けるのと同様の発想ですな。ネットウヨクさんに関しては、「あんたらの悪い癖、すぐ極端な話にしてしまう。 」と思います。
殆ど内容のない議論を延々として、自分が議論で人にまさると証明したいだけなのか。
「独裁」とか「私物化」とかいうが、教育現場の実情に詳しいのか。それとも報道機関の報道で形成された意見か。
政府や自治体、教育委員会、が出している通達は、「日の丸・君が代」に関する業務命令を出すようにした、都教委の10.23通達だけではない。
薬害をひきおこした通達、被爆者を切り捨てた通達。
政府や東京都教育委員会の通達は国民が選んだ議員が討議して出したものではないとしても、選挙で選ばれた自民・公明連立政権や石原都政が主導する官僚機構が出したもの。だから、都教委の業務命令も各種の官庁通達(その中には世論の反発で撤回されたものもある)には絶対に従うのが当然だという意見。薬害被害者などが独裁を求めているという意見の人物とお見受けした。
そのうち、公害反対など種々の運動も左翼よばわりするでありましょう。
普段通りだよ
普段通りに書いてると上辺だけみてすぐ対話拒絶するからね、サヨクは。
真面目なのも普段だけど荒っぽいのも普段。おちゃらけモードも普段。感情のある人間なんだよ、私は。
皆様お疲れ様でした。
そうですか。それは失礼しました。
しかし「本気で読んでくれ」と他人に向かって注文する以上は、
本気で読むに値するという自信がおありなんでしょうね。
・・・と思いつつ、拝見しました。
今回のレスは一応、一行レスではなかったですし。
けど、要するにこういう(↓)ことですね。
sadatajpさん:「Aが正しい」
私: 「Aではこんな問題が起こるでしょ」
sadatajpさん:「そんなの問題じゃない」
私: 「いや、それじゃ困る人がいるから現に問題になってるのに」
sadatajpさん:「困らない人の方が多いし、困るのは困る人が悪いんだから、
いいのっ!」
全然対話にも議論にもなってないでしょ、これじゃあ。
私はあなたに説教してくれ、なんて頼んだ覚えはありませんよ、
何を勘違いしてるんだか、全く迷惑な。
あなたのおっしゃってることは、以前も縷々書きましたが、
大日本帝国時代の劣化コピーでしかないんですよ。
そのお説を憲法の歯止めをなくして政府がもっと堂々と実行するように
なれば、どんな社会が現出するかについては、とっくの昔に「実験済み」
なんです。
(念のため言っておきますけど、あからさまな軍国主義が復活するとか、
そういう話じゃありませんよ。)
今の日本が色濃くその時代の「しっぽ」をひきずってることは承知しています。
あなたが「全体主義だろうがなんだろうが、それが現実」と仰るのも、
大部分はその通りと思いますよ。
国旗国歌強制もその一部です。
今までは憲法のおかげで「歯止め」ぐらいはかろうじてかかっていた、と
いう程度に過ぎません。
ここまで書いて、他の方へのレスを読みました。
私もここらで切り上げます。
ほんとにバカバカしくなったので。
他の皆様、お疲れ様でした。
村野瀬様、長々と議論の場をお借りしまして、
ありがとうございました。
は?
>武器と思われるものを持ってる相手には拳銃ぐらい向けたっていいと思うぞ、私は。
>不審な挙動したら撃ったっていいと思うね。日本の警察が私の言ってるような対応しないことは知ってます。私は私で現在のやり方に異議を唱えてるのですよ。
>私は、私自身の主観に基き、ワルモノに社会的制裁を施そうと考えているのだ。
>もし、こんな考えをお持ちの警察官がいらしたら、すぐにその武器を取り上げて収監し、すみやかに何らかの措置を講ずるのが当たり前だと考えるが、如何。
>マシンガン(らしきもの)持ってんの?・・・
>んじゃ何言おうと関係ないじゃん。
>「言ったら」じゃねーじゃん。
ホエ?(´д` ) ホエ?(´д`) ホエ?( ´д`) ホエ?
警察官は拳銃持ってんじゃん。自衛隊はマシンガン持ってんじゃん。主権者の人権を守るために。国民の権利を守る、そのためだけに銃の携行を許されてるじゃん。それ以外の理由で銃を使う奴は、犯罪者じゃん。使おうとする奴は、アブナイ奴じゃん。どうにかしなきゃ。ねぇ。
当方も切れてない
これがオブラートに包んでない私の意見。あんたが拒絶反応起こすかしらんがね、一ヘイトコメント収集家がこんな風に見てるんだってことだけは知っとけ。
思えば遠くへ来たもんだ。
これ以上、徒労に労力を費やすのは空しいわけでして、気が向いたら拙宅のほうでこのネタを取り上げるかも知れない。居丈高に振る舞えば逆上すると思っちゃいけねぇ。
あげはさん
あるよ。どれも基本中の基本だもの。わかってないなら本気で読むべきだね。あんた等の同類(つまりサヨク)以外はわかってることだから改めて読む必要はない。
>私はあなたに説教してくれ、なんて頼んだ覚えはありませんよ、
頼むまでやるなってか?
嫌がる餓鬼ひっ捕まえてやるのが説教。
頼んでないなんて言われたって見逃してなんかやんないよ。
>何を勘違いしてるんだか、全く迷惑な。
説教食らう子供にとっちゃ嫌なもんなんだろうねw
>あなたのおっしゃってることは、以前も縷々書きましたが、
大日本帝国時代の劣化コピーでしかないんですよ。
いいや、今でも通用するものの道理に基づく話だよ。
で、あんた等のは我侭な餓鬼の屁理屈。
どれもこれも好き勝手にやりたいようにやらせろと言うものばかり。
お前らのやりたいようにやらせると周りは凄く迷惑なんだよ。
お前らのいう少数意見尊重しろなんて正にそれ。
お前が言ってるのは少数の為に多数が我慢しろってこと。
我慢強いられる多数にとっちゃ堪ったもんじゃない。
>そのお説を憲法の歯止めをなくして政府がもっと堂々と実行するように
なれば、どんな社会が現出するかについては、とっくの昔に「実験済み」
なんです。
あれは抑え込んだ結果の暴走だと私はみてる。平和主義によって我慢を強いられた国民が耐え切れなくなって暴発したのだと。
他人の感情に鈍感なあんた等は平和主義がどれ程日本人の怒りを掻き立ててるかに気付いてない。何時までも締め付けてるとその内暴発する。日本を戦争に追いやるのはお前らだ。
風鈴さん
笑傲丙米隊員K
じっくり読んで真面目な議論以上に真剣に相手してやる。
残念ながらここではやらせてもらえないだろうけど。
McRashさん
せっかくの機会を生かせなかったわけね。
私には収穫あったよ。
彼に対する提言
PCに向かう時間を減らして、近代史・現代史の本でも読み直して出直してきた方がいいですね。
少なくとも第1次大戦から第2次大戦、ワイマール共和国から生まれたナチスドイツが行った所業・それに同調した日本の所為とその結果…あと、法律とは何か、社会規範(マナー・モラル)では済まさずに、あえて法律として成文化されているのは何故か。せめてこのくらいは知って自分なりの考えを持たないと、ここでは議論として収束しないよ。
どうやら、基本的な言葉の定義からして私たちとは異なっているし、その定義の違いを明確にする意思もないようだし。
…あ、前に一度書いたがここに出てきたのは彼の意思だかんね。こちらから定義の違いを説明する義理は無いわけよ<これすら、わかんないわけだから…コメント欄がここまで延びたわけだが(-_-;)
問題はない
こんなことを公言する教師がいたら、
拙者は問題だと考える。
sadatajpさんは問題ないと考える。
それでいいのなら問題ない。各人の自由に任せよう。拙者に人の脳内を縛る権利はない。
その、人間に対する不遜なる考え方には問題ありありだが、認めよう。よき反面教師と成り得る資質がうかがえる。純粋なわが日本国の子弟の批判的精神を養うのにちょうどよさそうだ。
それに、和の国、日本の子どもたちの前に立つことで、その愛に導かれ、自らの倣岸さを悔い改めることもできるかもしれぬ。そのチャンスを施してつかわす。
唯、その教師が実際に他の人権を侵すまでは。
これでよいのだな。うむ。
夜分お邪魔します
もう真夜中なのでまた日が昇ってからでもお邪魔しますm(_ _)m
おはようございます
教育的効果に話を戻すと
君が代を起立斉唱しない教員を
「何だ、あのサヨク教師は」「起立して歌えよ」
って文句を言いたいPTA&来賓御父兄の皆様も
「強制」によって「言いたい文句」を封印されてしまったんじゃないかなぁ・・・
「ちゃんと立って歌え」と「個人の意志は尊重されるべきだ」の
ケンケンガクガクな議論を卒業式なんかで見せるのはみっともない、って
教育委員会の人は考えたのかも知れんな~
でも、大人のそう言った意見の対立を見せていく、っていうのも
ある意味「教育的効果」があると思うんだけどねえ。
まぁ、強制される前は普通に歌ってた、ってことも聞くから
この意見自体が「机上の空論」の可能性はありますわな(笑
・・・で
ずっとウォッチしていると
ナカナカ良いコトを言ってらっしゃる方もいる。
風鈴さん
「身を守るのなら柔道か空手をやるのをおすすめしますよ。それと、のうひとつ、できましたらで結構ですが、誰にも命を狙われる心配などしなくてもいい人間になるための日々の努力研鑚勉励刻苦もおこたりなく。あたしのみたいに。
日本人なら武器をちらつかせてごちゃごちゃ言うような恥ずかしい真似はやめることです。堂々と己の身ひとつで立ちなさい。」
あげはさん
「あ、「集合体」のような抽象的な観念の産物こそが大事なんであって、具体的な個々の人間はどうでもいいってことですか?
そう考えるとマタマタ思い出すことがあるんですが。
「国体」とやらを守るために、何十万もの個人を平然と犠牲にしたどころか、最終的には国民が全員玉砕しても、「国体」が残ればいい、なんて主張が真顔でされてたんですよね。
ユリイカ!!
「国民としての集合体」・・「国体」ですね、これ?
いや~、6~70年前をひもとけば、あなたの仰ってる意味がどんどん解ける(?)なんて。
まあ当然なんでしょうけど。」
個人的にはこの二つが特にヨカッタです♪
特にあげはさんのご意見は「強制」に対する
かなり強力な対抗言論?になってますね。
他にも色々気になるところがありますので
また随時お邪魔してコメント入れます♪
一人で納得されても
>あれは抑え込んだ結果の暴走だと私はみてる。平和主義によって我慢を強いられた国民が耐え切れなくなって暴発したのだと。
他人の感情に鈍感なあんた等は平和主義がどれ程日本人の怒りを掻き立ててるかに気付いてない。何時までも締め付けてるとその内暴発する。日本を戦争に追いやるのはお前らだ。
ここでいう「あれ」って何なのかな?
第二次世界大戦のことかな。
「平和主義によって我慢を強いられた」って、具体的には何をさすのかな。
「平和主義が日本人の怒り・・・」っていうけれど、辞書的な意味の「平和主義」って、どこの国にもある。カントの「永久平和のために」がヨーロッパ人の怒りをよぶなんてことがあるのか。これもさらに説明を要する言い方だ。
日本が「平和主義」でアメリカが「戦争主義」と定義したら、かなりアホな用語の使い方だと思う。
「締め付ける」というのは、どういうことを思い描いているのか。
とみんぐさん
あんた達は机上の勉強で得た知識を元に「こうだ」と言い「こうするべきだ」と言ってる。私は現実の社会を思い浮かべて「こうだ」と言ってる。私がここで書いてきたのは現実にどうなってるかという説明。現実に存在する現実の社会で現実にどうなってるかを書いてるに過ぎない。あなた達に否定できるようなものではない。
本の記述や理論がどうなってようと現実にそうなってるならそれが正しい。
正しいのは現実。あなた達がわかってないのはこれ。
任せられない
これがもうどうしようもなく受け入れられない。
任せっきりには出来ない。
任せっきりだとやられては困るようなことやり出したりもする。
そうさせない為には干渉する必要だって出てくる。
身勝手に自由気ままに行動されると自分(自分達)が困ったことになる。
任せっきりにしておくわけにはいかない。
人の脳内を縛ることは無理。不可能。でも干渉なら出来る。脳内に直接手は出せなくとも干渉なら出来る。干渉によって考えを変えさせることなら出来る。自分や自分達が困ったことにならないよう、この可能な方法である干渉を人は試みる。干渉し、直接には縛れない他者の脳内の考えを、自分や自分達に危険のないものに変えさせようと試みる。これを誰もが試みる。そうしないと自分(自分達)が困るから。
>各人の自由に任せよう。
とても受け入れられない。自分(自分達)が困るから。
ただし受け入れられない理由は「自分(自分達)が困るから」なので、
自分(自分達)が困らないなら任せてしまっても構わない。不干渉でだっていられる。
「干渉されたくないなら他所へいけ。」ということになる。
居続けるのなら、そのままでいられては困るから干渉することになる。
これが反国旗国歌の教師に対して言われてること。行われてること。
「嫌なら辞めろ」「居るならやれ」こういう言葉になる。
>ひとのことはいいんだよ
各人の自由に任せられない所以。
嫌なこと気に入らないことがあっても我慢する。
揉め事を起こさない方法はつきつめるとこれ。
だから平和主義が求めるのは我慢。
平和主義どうしであれば互いに我慢するから我慢できる範囲内で収まり上手くもいく。でも平和主義でない相手に平和主義で臨むと一方的な我慢が必要になる。他国は平和主義の国ばかりではない。日本政府が全方位で平和主義を取るということは日本の一方的な我慢の受け入れになる。それで我慢させられるのは国民。我慢させられることで国民の怒りは高まっていく。
人は互いの我慢なら納得出来るが、一方的な我慢は納得出来ない。人はこれに怒る。耐え切れない程に我慢を強いられたら、耐え切れなくなって暴発する。
人は我慢に我慢を重ねていくと徐々に冷静さを失っていく。感情のコントロールが出来なくなってくる。視野も狭くなる。つまりは暴発する。
どれも変えようのない現実。誰がどう考えようと異議を唱えようと反論しようと変わることのない現実。
あっ!と思ったよね
現実ねぇ?
公布日はいつだっけ?それまでは国歌・国旗は法では制定されていなかったのだな。
それが現実。国籍識別標識は定められていたけどね。
まぁ、それはさておき、ウーティス様の指摘された「現実」もあるわけですな。
そういう現実から眼を背けるのは「自由」だけど、「それが問題ちゃう」と考えるのも「自由」なわけだ。問題ちゃうかという意識を持っちゃいかんというのはやっぱり無理筋だね。
論語読みの論語知らずと言いますが
常識以前の基本だと思っていて触れなかったのですが、「自由にすること」と「野放図にすること」は同じようで違います。一から十まで事細かに指導を与えなければ生きられないほど人という存在は華奢なものではありやせんし、ひとりひとりの市民による自律的な社会秩序の建設こそが自由と民主主義を奉ずる国家のひとつである日本国の基本線である以上、自主自律に任せることなどできないとするsadatajpさんはこう言えばいいんです。
「民主主義なんて欠陥だらけの使えない制度じゃないか。大政奉還して再び天皇を国家元首とする絶対王制に戻すべきだ」とね。
勿論、あたしゃ御免蒙るけどね。だって、民主主義は一度に正しい解の出る制度じゃないこと、理解した上でその方がよりベターだと思ってるから。
きょうもまたお邪魔します。
定例会で「君が代」歌わされるらしいです。
大の大人、それも一国一城の主たるべき経営者なんですけど(笑
そんなんで会社大丈夫なのかなぁ???
まぁ、コレは強制じゃ無いんで口パクで済ます人もいたらしいですけどw
むう。
このままでは、
「ともがらの困りごとを看過するとは、義理人情に欠ける」
と断じられてしまう。
それは、日本人として非常に辛い。そこでひとつ提案なのだが、今一度、そこもとの困りごとを申してみたまへ。
「多数の人間にいわれなき迫害を受けたか」
「教条主義的なサヨクに社会的制裁を受けたか」
それとも、
「誰もそなたの訴えを聞いてくれぬか」
申してみよ。苦しうないぞ。ささ、遠慮なく。
目を背ける?
何で背けてると解釈する? あの事件なんてモロ私の書いた通りのものでしょ。平和主義で日本に一方的に我慢させてると国レベルであんな暴発を起こすよ。
McRashさん
自身で律するから自由にさせてもどんなことでもしてしまうというわけではないってところかな?
自身で自身の行動に一定の枠を課すから野放図にはならないんだと言いたい気するけどどお?
個人が自身で考える許容範囲と社会で許される許容範囲は違う。社会で許される許容範囲を超えた時は、それが当人が許容範囲内だと考えるものであっても「野放図」と表現されるものになる。自身で律するのに任せきってしまうとその野放図と呼ばれるところまで行きもする。自身で律するから任せていいとはならない。
>一から十まで事細かに指導を与えなければ生きられないほど人という存在は華奢なものではありやせんし
自身が生きていられればいいだけなら指導しなくても自身で生き方を身に付けるでしょう。しかし生き方も色々。社会で許される許容範囲を超えた生き方を身に付けたりもする。当人良くても周りは困る。放ってはおけない。未熟さから当面は生きられるけどその内やっていけなくなるような生き方を身に付けてしまったりもする。自ら苦労を招き入れてしまうような下手な生き方を身に付けたりもする。当人にとってだって良いことではない。指導はあった方が良い。
>ひとりひとりの市民による自律的な社会秩序の建設こそが自由と民主主義を奉ずる国家のひとつである日本国の基本線である以上
理想だねぇ。目標としてはいいよ。でも絶対に実現はしない。
自律的な社会秩序の建設をするだけの力は個々人が自力で身に付けられるものではないから。
>自主自律に任せることなどできないとするsadatajpさんはこう言えばいいんです。
「民主主義なんて欠陥だらけの使えない制度じゃないか。大政奉還して再び天皇を国家元首とする絶対王制に戻すべきだ」とね。
多数意見を通し、ルールを決める。そして「従いつつも反対意見を持ち異議を唱え、反対意見を持ちつつも従ってるなら良しとする。」でもって異議や反対意見が支持を受けそちらが多数派になればルールを変える。
私としてはとりあえずこれでいいよ。
現実主義と現状迎合も違う
sadatajpさんは理想を絵空事だと笑うことが現実主義だとお考えのように見受けますが、理想に近づこうと努力することこそが物事を動かす原動力だってことを御存知ないようで、そんなのは保守主義の名にも値しない、単なる退嬰志向と断ぜざるを得ませんな。
再三再四隠喩してきたことだけど、民主主義ってのは一度に理想が実現するような性質のものじゃないのね。迷い間違い、ときにうまく行かなくて、そういったことを繰り返しながらひとりひとりの市民が自主的・自律的に織りあげていく、互譲的なもんなの。
それを頭から実現不可能だと言い、多数決の原理に従って少数者は内心の自由を別にして多数の意思に服従せねばならないと言うんなら、軽々しく「日本は民主主義国家だから」などと口にしないことだね。権威に従って付和雷同的に生きようという態度は、民主主義を標榜する国の市民としては根本的な間違いがあるし、そもそも、多数の決定に少数が完全服従しなければならない、ということ自体が、現在の日本国憲法を頂点とする日本国の国家体制のどこにも、建前として謳われてないのだからね。
つぅか、ノブレス・オブリージュ、という言葉を聞いたことがないかい? 西欧の文化が生み出した概念だから日本の国情に馴染まない、とか言うなよ。持てるものはより多く社会に対して負担貢献をする、これだって民主主義の基本原則のひとつなんだからね。この原則に従って、多数決の原理によって多数の意思が機軸として尊重されるけれど、少数に対しての配慮を求められるわけな。
核不拡散という平和主義
難しいところだ。
困りごと
>sadatajpさん
ちょっと待って!一晩頭を冷やして冷静にどうぞ。「怒りの手紙は一晩寝かせ」とも言います。
他人の主張をすべて我侭、身勝手、低レベルと決めつけて強引に他人を自分に従わせようとキレていても説得力は出ないと思います。ご注意を。
次ぎの議論
次の論点は、平和主義に変わる方策で、日本や北朝鮮をおいつめて暴発させないものは何かを考えることか。
>satadajp様
「日本」が「沖縄」に強いていることですか?
村野瀬玲奈様
以後自粛します。
そしてきょうもまたお邪魔します。
日本以外にも「平和主義による抑圧」があるのか・・・
みんなを「君が代」で抑圧から解放することは・・・ムリなのか???
すみません、エントリの主旨から外れてるかも(;^_^A
McRashさん
非現実的な理想は否定するよ。でも実現可能な理想は追うよ。
>sadatajpさんは理想を絵空事だと笑うことが現実主義だとお考えのように見受けますが、
いいや、実現可能な理想は笑わない。
>そういったことを繰り返しながらひとりひとりの市民が自主的・自律的に織りあげていく、互譲的なもんなの。
指導与えなくともって話だったよね。指導無しで各人の自主的・自律的に任せたら各人バラバラになる。民主主義の考えだって身に付けやしない。
原始的な弱肉強食の世界になる。力ある少数が弱い多数を支配する少数の強者が律する社会になる。「ひとりひとりの市民による自律的な社会秩序の建設」なんてことにはならない。だから不可能だと言った。
民主主義の考え方って放っておいても身に付けられるような簡単なもんか? 違うだろ。指導無しで民主主義が実現出来るわきゃないだろ。
>多数決の原理に従って少数者は内心の自由を別にして多数の意思に服従せねばならないと言うんなら
異議は唱えていいんだぞ。訴えての支持を集める行為は許されてるんだぞ。支持を集められればルール変えることだって出来るんだぞ。ルールに従うにしたってこれだけ出来れば服従って程のものにはならないでしょ。
>権威に従って付和雷同的に生きようという態度は
異議は唱えていいんだぞ。以下略
>多数の決定に少数が完全服従しなければならない、ということ自体が、
異議は唱えていいんだぞ。以下略
>少数に対しての配慮を求められるわけな。
少数に対しての配慮は少数意見の丸呑みじゃねーぞ。
サピニオンさん
はあ? 北朝鮮がどんな我慢をしてると?
北朝鮮が日本の平和主義に助けられてるということはあっても我慢させられてるってことはない。
在日沖縄人さん
いいえ、あれは政府だって我慢してます。
あれかな。
例えば「ケンカはいけません」て言われてストレスため込んで重大事件起こすとか、そういうことかな。
それならまだ分からなくもないけど戦争に向かうとか分からない。
知人の中で抑圧されて戦争を望んでいるような人がいないからピンと来ないだけかもしれないけど。
それ
そうそれ。
人は我慢に我慢を重ねていくと徐々に冷静さを失っていく。感情のコントロールが出来なくなってくる。視野も狭くなる。
冷静さを失い感情のコントロールが出来なくなり視野が狭くなると適切な対処法を選択するだけの思考能力が無くなる。まともな損得勘定が出来なくなる。結局は損となる方法だって選んでしまうようになる。これ以上耐えられないという気持ちになってるから時間の掛かる方法は受け入れられない。即効性のある方法を求めるようになる。となると選択肢は力ずくものものとなる。つまりは攻撃。
感情のコントロールが出来なくなってるから加減が出来ない。やり過ぎてしまう。やり過ぎれば相手だってやり返さないわけにいかなくなる。この繰り返しで双方やり合い、それがエスカレートしていく。
冷静さを失い感情のコントロールが出来なくなり視野が狭くなってるから簡単に和平なんて出来ない。破滅に至る道であっても突き進んでいってしまう。
耐えに耐えた上での暴発となると戦争までは一直線。
あと我慢し続けてると状況はどんどん悪くなり、生半可な方法ではどうしようもないところまで追い込まれるからってのもある。唯一の有効な手段は戦争しかないという状況になれば戦争だって選ぶようになる。
も少し複雑
暴発は自分でも止められない。話して止めさせようとしたって無駄。聞きゃしない。止めるには力ずくしかない。力ずくで止めるとなるとこれはもう戦争。戦争まで一直線。
普段からそこそこやりあってればこうはならない。やりあいつつも冷静さは失わないから双方加減する。戦争はやはり損。争うにしても戦争は避ける。でも暴発するまで抑え込んでると戦争が避けられなくなる。戦争させたくないなら無闇やたらと抑え込むな。
アメリカは有効に圧力をかけていると思うが
sadatajpさんのいう「平和主義」というのは、「戦後民主主義の虚妄」のようなありふれた概念のようです。
朝鮮半島非核化とか核不拡散というのは、平和主義ではないわけですね。
で、北朝鮮は我慢をしていない。暴発をして戦争もしていないようですが。六カ国協議に応じるとか拉致を認めるとかは、かの国が強いられたことではなくて彼らなら当然にやることなのかな。彼らは不本意ながらやっているようにわたしには見える。そうですか。我慢はしていなくて、北朝鮮は不本意ながら交渉に応じているわけではないのですか。
平和主義で我慢させられているのは日本だけで、他の国はそんな言はないわけですな。「平和主義」といっても日本限定の特殊な概念で一般性はないのか。ふむ。
>sadatajpさん
平和主義とか関係なくあまりに抑圧しすぎると暴発して戦争になるっていうのはイメージできた。(戦争より内乱とか革命のイメージが強いけど)
でも平和主義限定だと戦争まで発展します?
sadatajpさんの言い方だと今の平和主義の抑圧具合でも戦争に発展するような感じでしたけど、
暴発して事件を起こす人ってだいたい仕事とか人間関係が原因で北朝鮮や中国はあんまり出てこないですよ。
抑圧だけが問題なのですか? 抑圧だけでなく平和主義も問題?
暴発のレベルを下げて平和主義限定で考えてみると、後はこれぐらいしか思いつかない。
sadatajpさんは、平和主義に抑圧されて暴発したのがネット右翼という風に捉えている。
で、そうした人たちが平和主義者の態度次第ではもっと増えてそのうち戦争になる。
うーん、これもどうもしっくり来ない。
サピニオンさん
どこを読んでそう思ったのかな? そう読めるようなことは一切書いてないが?
>で、北朝鮮は我慢をしていない。
平和主義に抑えつけられての我慢はしてない。
平和主義が抑え込むのは自分の側。北朝鮮は平和主義ではない。
平和主義に抑えつけられての我慢はしてない。
>かの国が強いられたことではなくて
北朝鮮に平和主義はない。平和主義での我慢は強いられてない。
>平和主義で我慢させられているのは日本だけで、他の国はそんな言はないわけですな。
日本に限定した話はしてないぞ。
くりねおさん
何で北朝鮮や中国が出てこなきゃなんのないの?
怒らせるようなことする相手なら別に北朝鮮や中国でなくても全然構わない。争いを避けて我慢を続け、耐えられないとこまで行けば暴発する。
>
抑圧だけが問題なのですか? 抑圧だけでなく平和主義も問題?
平和主義が抑圧すると言ってる。平和主義と抑圧はセット。
>sadatajpさんは、平和主義に抑圧されて暴発したのがネット右翼という風に捉えている。
まだ暴発までは行ってない。が、予備軍ではある。
このまま抑え付けてると暴発する者が沢山出てくる。
>で、そうした人たちが平和主義者の態度次第ではもっと増えてそのうち戦争になる。
このまま抑え付け続けてると現状を変える為に戦争を厭わなくなる。
もっとも避けたいのは戦争ではないからね。
さて
まずひとつ
軍が国民を守った事は有史以来一度もない。ただ結果的に守らざるを得なくなった場合は数えられないほど思いつくけどね。この前提からして間違っているのがいる。
ちなみに自衛隊法では第3条が相当すると思われるが(自衛隊法第3条 自衛隊の任務)
第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
ここには「国」とは書いてあるけど「国民」とは一言も書いてない。という事は…
自衛隊は「国」を守るためのものであって「国民」を守るためのものではない。
「国」つまり「国体」「国家権力」を守るためなら国民なんざどーでもいい、つーこってすな。だからクラスター弾にしろ世界の圧力で廃棄決定したけどあれだけごねたわけで。そーやって考えると「あたご」事件の対応も読めてくるわな。おれたち「国」を守ってるんだから国民の船なんざどーでもいーや、ていう体質が。
更にこの部分
必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
必要とあれば国民にも武器を向けかねませんぜ?どんなときかって?
「公共の秩序の維持に当たるものとする」ときでしょう。具体的に言えば、公共の秩序を脅かすと「判断された」内乱、デモ、大規模サボタージュ、大規模ストライキ…いくらでも考えられますな。あんな事件もあったことだし。そういった「オカミ」に従う強制装置の一環として「日の丸」「君が代」を機能させようというのがミエミエだからあたしゃ反対してるんだが。
更に加えて、真の意味での「民主主義国家」ってスペイン内乱時のPOUM以外あたしゃ思いつかないんですが。あっという間に潰されたけど。
そして近代日本の侵略戦争についてはあたしの過去のコメみてちょうだい。そこに明治政府から日清日露戦争までの侵略過程をできるだけやさしくつけといたから。
国なんか無邪気に信頼してたら痛い目みるよ?
はあ?
そんな言は誰一人いっていない。
賢い書き方は
>日本に限定した話はしてないぞ。
sadatajp氏が、日本以外の、平和主義に抑えこまれて暴発しそうなものの具体例を、世界の中からとりあげてこれこれ、としめすのが一番わかり易い。
それなら分かる。
そしたら平和主義も僕が考えていたのより広い意味での平和主義だな。
むしろ最初に言った「ケンカはいけません」がジャストミートで、
それによる言いたいことが言えない空気こそ抑圧。
平和主義の抑圧というのは何かそういう日本に蔓延している空気全体を指しているってとこかな。
んー、だとすると抑圧するものが何かってところで意見が違ってくるのか。
競争社会で他人への寛容さが失われ、優越感や劣等感が行動原理の大きなウェイトを占めるようになり、そういう状態のまま和を重視している。
抑圧というならこちらの方が原因に近いと思います。平和主義とかじゃなくて。
サピニオンさん
北朝鮮に平和主義はない。平和主義での我慢は強いられてない。
ウーティスさん
に対して日本に限定した話はしてないと書いたのであり、そのような返信がくるようなことは書いてないという意味で限定していないと書いた。日本に限定してもいないし日本以外にもあるともいってない。書いてもいないことで争うと話がそれる。。
くりおねさん
平和主義による抑圧の話をしてる。
別のところでの抑圧や転化の話はしてない。
>そしたら
そうではないから違う。
>んー、だとすると
違ってるものを発展させると元々の話から大きくそれたものになる。
私は平和主義による抑圧の話をしてる。平和主義による抑圧について書いてもらいたい。
単純に質問
平和主義による抑圧について書けばいいのね。
平和主義による抑圧とは、日本以外にはありますか?
あれ?
国旗を掲げ国歌を斉唱することで得られる教育的効果?
この話からずれてない?
平和主義による抑圧だけですか。
それでは戦争まで発展するとは思えません。
戦争が起こるときって
①国民の意思に関係なく国が起こす。
②国民の支持を得る目的で国が起こす。
③メディアや国が煽って国民の戦争への気運が高まり、おさまりがつかなくなる。
のどれかに当てはまると思うが、平和主義の抑圧ってどれにも関係しないんじゃないかな。
僕に見落としがあるのかそれとも④以降があるのか・・・
無理に好意的に解釈すれば出てこないこともないけど、また大きく違うものになりそうなのでやめておきます。
とまた全然エントリーに関係ない話をしてしまいました。
管理人様、おさふねさんすみません
しからばここで国旗・国歌の話をば
個人的には卒業式に国旗掲揚や国歌斉唱はあってもなくてもいいのですが、推進している人に対しては違和感があります。
推進している人って実際は愛国心じゃなく自分の美意識を大切にしているような気がするんですよ。
みんながひとつにまとまっている姿は美しい。反抗する者がいるのは美しくない。みたいな
うん ずれてるね
お題を咀嚼して自説を述べるという以前のレベルで滔々とコメントをつける方がいるんで、そりゃあかんやろという教育的指導コメントがついた。それがここまで伸びた原因じゃないかな。
逆を言えば
>少数に対しての配慮は少数意見の丸呑みじゃねーぞ。
多数意見が正しいのだから内心の異議を別にして従え、という同調圧力も、少数意見の尊重ではありやせんわな。
つまり、多数意見を基調としつつ少数意見を尊重し、ある程度の範囲で取り入れていくことは、日本的な表現をしますと落としどころを探っていく、という作業になるわけですな。
ところで、たとえば松下電器グループでは毎朝朝礼で社歌を歌うことが夙に知られていますが、その席上で誰か、あるいは複数の社員が個別に、あるいは連帯して、「歌っていなかった」からとて懲戒処分を受けた、という例をあたしは寡聞にして存じません。
まぁ広告宣伝の物量でマスメディアを支配しうる松下電器だから表沙汰にならないだけかもしれませんが、国歌斉唱の時に起立せず歌わない、程度のことが、平穏な請願権の行使として認められないのであれば、世の中に平穏な請願なんてものは時の為政者の意図する方向以外には認められなくなりそうですな。
「愛国心は悪党の最後のよりどころ」なんてぇ言葉があるわけでして、上から強いて押しつけようとする愛国心には民を国家に従属させようとするいかがわしい目的があり、本来的な意味合いでの愛国心を歪める作用があるように感じますな。民が国家に従属する政体が破綻するのは、直近にはマルクス・レーニン主義型共産主義国家群が民主主義革命によって次々倒れたケースや、これらは実質的にはアメリカ合衆国による侵略ですが、アフガニスタンのタリバーン政権やイラクのフセイン政権などもこのケースに入れてもようがしょか。
そもそも、国家権力である司法・立法・行政の側から愛国心を言い出すこと自体がおかしいわけですよ。それを国家権力側が言い出すときは、民<国家、という認識を国家権力が持っているわけですから。
民が支え、民が国を動かす民主主義国家にあって、愛国心とは民衆の側から澎湃と沸き起こって、そしてその国をよりよい方向へと変革し続ける力となるもの。三菱電機じゃないけどChanges for the Betterですな。
モンキーミミさん
あるけど日本ほど極端なのはないのでは?
おさふねさん
>sadatajpさん
くりねおさん
他国の攻撃やら侵食やら不当な要求やらに反応して起こる怒りや不満を抑え込むというのが平和主義による抑圧です。
ですので戦争等の直接の原因となるのは「他国の攻撃やら侵食やら不当な要求」で、きっかけはそれに対する防衛行動になると思われます。
>④以降があるのか・・・
④国民が他国に強気であたる政府を求め、その国民の後押しで政権についた政治家が起こす。
⑤クーデターで一気に政権奪って起こす。
起こすといってもいきなり全面戦争仕掛けはしないだろうけど。
>推進している人って実際は愛国心じゃなく自分の美意識を大切にしているような気がするんですよ。
突き詰めれば皆そうですよ。推進してる人も反対してる人も。
正確には美意識に反するものを取り除こうとしてる。
反対派は日本に対する国家意識を、推進派は公の場での個人至上主義を。
また、反対派は国家権力を。推進派は個人至上主義を推し進めるサヨク教師を。
国旗・国歌はどちらにとっても口実でしかない。
口実でしかないから国旗・国歌そのものに関しては簡単に譲歩する。
反対派「歌いたい人は歌えばいい(でも押し付けはするな)」
推進派「歌いたくないなら歌わなくていい(でもそれを生徒に教え込むな)」
本音はカッコ内でここは双方譲らない。
McRashさん
“正しいのだから”なんて解釈するからおかしくなる。
多数意見が正しくて少数意見が間違いというわけじゃない。
多数意見だからって必ずしも正しくはない。
多数が支持する意見だから当面それでいくと決めるだけ。
絶対的な正誤が神ならぬ身の人間にはわからないからそういう決め方する。
>つまり、多数意見を基調としつつ少数意見を尊重し、ある程度の範囲で取り入れていくことは、
取り入れられるものであればそれでいいが、まったく正反対で対立するとなるとこれは無理。
>民が支え、民が国を動かす民主主義国家
民が支え、民が代表者を選び出してその代表者(政治家)が国を動かす民主主義国家。
あんた達が敵視する政治家は民の代表なんですよ。政治家の敵視は選んだ民への敵視で、あなた方が〈民vs政治家〉に見えるものは実は〈民vs民〉なのです。あなた方の敵は政府ではなく、あなた方とは意見を異にする民です。反国旗国歌の教師排除を望んでるのもあなた方とは意見を異にする民です。
>愛国心とは民衆の側から澎湃と沸き起こって、そしてその国をよりよい方向へと変革し続ける力となるもの。
そうです。悪いものではありません。
あなた方とは意見を異にする民から今湧き上がってきてるのですよ。その民の意向を国家権力が実行してるのです。あなた方には国家権力までしか見えてないのでしょうが、その国家権力の向こうにはあなた方と意見を異にする民がいます。国家権力はその代行をしてるに過ぎません。あなた方の敵は民です。
比べてみたいな
他の国の例は、とっても知りたいですね。
つきつめると
うむ。フランス人の敵はヒットラーというより、ナチスを投票で政権につけたドイツ人であるという考え方は正論なんでしょう。
たしかに、何でもナチスのせいにしてしまうのは物事をあいまいにするかもしれない。
(これで、今の日本政府は自由主義でナチスと違うなんて見当違いの反論したら大笑い。時の政権は民衆が支持して成立するという話をしているのだから)
意図的にずらしたという事は…
あと、もう同じ事打ち込むのも事なのでコピペですますよ? 自衛隊法第3条みて非常に感じた事だけどね。4015で既に一度言った事だけど
コメ欄がえらく長くなってしまってるのでもーどこでどう突っ込んでいいやら機会を逃してしまっているのだが(笑)
まずひとつ
軍が国民を守った事は有史以来一度もない。ただ結果的に守らざるを得なくなった場合は数えられないほど思いつくけどね。この前提からして間違っているのがいる。
ちなみに自衛隊法では第3条が相当すると思われるが(自衛隊法第3条 自衛隊の任務)
第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
ここには「国」とは書いてあるけど「国民」とは一言も書いてない。という事は…
自衛隊は「国」を守るためのものであって「国民」を守るためのものではない。
「国」つまり「国体」「国家権力」を守るためなら国民なんざどーでもいい、つーこってすな。だからクラスター弾にしろ世界の圧力で廃棄決定したけどあれだけごねたわけで。そーやって考えると「あたご」事件の対応も読めてくるわな。おれたち「国」を守ってるんだから国民の船なんざどーでもいーや、ていう体質が。
更にこの部分
必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
必要とあれば国民にも武器を向けかねませんぜ?どんなときかって?
「公共の秩序の維持に当たるものとする」ときでしょう。具体的に言えば、公共の秩序を脅かすと「判断された」内乱、デモ、大規模サボタージュ、大規模ストライキ…いくらでも考えられますな。あんな事件もあったことだし。そういった「オカミ」に従う強制装置の一環として「日の丸」「君が代」を機能させようというのがミエミエだからあたしゃ反対してるんだが。
更に加えて、真の意味での「民主主義国家」ってスペイン内乱時のPOUM以外あたしゃ思いつかないんですが。あっという間に潰されたけど。
国なんか無邪気に信頼してたら痛い目みるよ?
以下引用終わり
久々にお邪魔します。
>うむ。フランス人の敵はヒットラーというより、ナチスを投票で政権につけたドイツ人であるという考え方は正論なんでしょう。たしかに、何でもナチスのせいにしてしまうのは物事をあいまいにするかもしれない。
自分も「日本人全体に戦争責任がある」と言う主張に強い説得力を感じてしまうクチですが
上記のご指摘には、ほぼ同じ様な意味を含んでいる様にも見受けられました(違ってる?)
しかし、上記のような主張をすると同時に「平和主義による抑圧」も憂慮されるとは???
・・・おっと、イカン、エントリの趣旨に添った発言をするつもりが
自ブログと同じネタ化に走ってしまった(爆!
すげー。
今週中に200行っちゃうんじゃないの?
もうなんか質疑応答になっちゃって議論でもなんでもないけど、面白いからいいや。
頑張れファイトだ。
応援はしないけど。
村野瀬玲奈さん、モンキーミミさん
ただね、私がいってたのは国レベルに限定されたものではないのですよ。「例えば「ケンカはいけません」て言われてストレスため込んで重大事件起こすとか」のレベルまで含めたものです。そのレベルでいいのはないかと捜してみましたが見つかりませんでした。なので残念ながら今挙げることは出来ません。
わかりやすさでは日本の支那事変に繋がる過程が一番です。
>sadatajpさん
いえ、それがよくわからないのです。私が勝手にsadatajpさんの考え方を想像するよりも、支那事変のどの局面、またはどういう背景が「平和主義」に相当して、何が「抑圧」に相当するのか、「抑圧」の結果が何なのか、歴史書などもひきながら具体的に説明していただけませんか。
韓国の太陽政策についても、何が何に対する抑圧なのか、具体的に言ってもらえますか。そうでないとわかりません。
>私がいってたのは国レベルに限定されたものではないのですよ。「例えば「ケンカはいけません」て言われてストレスため込んで重大事件起こすとか」のレベルまで含めたものです。そのレベルでいいのはないかと捜してみましたが見つかりませんでした。なので残念ながら今挙げることは出来ません。
うーん、結局、あるんでしょうか、ないんでしょうか?
太陽政策
北朝鮮が図にのって穏やかな政策が失敗したというのは、抑圧とは別の話ですし。
すごい読解力ですな(棒読み)
なぜなら、最初から、この問題に対して、此方は、国旗・国歌の「強制」に反対しているのであって、国旗・国歌を教え、そして学校式典の場で国旗を掲揚し国歌斉唱を式次第に取り入れること自体に反対しているわけではない、ということを、何度説明してもsadatajpさんはご理解なさいません。
もう一つの重大な欠落をひとつ指摘しますと、選挙結果は政治に対する白紙委任状ではないということ、つまり有権者として政治を監視する義務の存在が、sadatajpさんの立論には欠けておりますな。
選挙結果によって政権運営権を得た与党が好き勝手に政治をしていい、というのであれば、それは民主主義の原則に対する重大な侵犯なのですが、このことは有権者の側が持つ請願権によって裏書きされます。具体的には、現行の日本国憲法で言えば16条になりますが、この条文によって、実は公務員、なかんずく国会議員や国務大臣に対する罷免も請願の対象として認められているわけですな。
然るに、国政選挙に勝利した政党の主張が全て無条件に通せるわけではない、ということが、ここからも裏書きされているわけですよ。前段からずっとあたしが述べている「少数者に対する配慮」も、この文脈から来てるわけね。
あと、愛国心が本来は民衆の側から澎湃と沸き起こる、ということを同意いただけたようですが、であれば、強いる形で教えることはその前提にそぐわない、ということにお気づきでないようですね。文脈を捉える、ということに、もう少し意を払われたほうがよいかと思いますよ。
国威を誇ることばかりが愛国心の発露なのではなく、国家として認めるべき非を認め、そしてその罪を贖って未来に禍根を残さないようにすることも、またひとつの愛国心の発露です。それは国辱を雪ぐことに繋がるのですから。
具体的
>支那事変を起こす下地
まとめのあたりの記述。
『幣原外交は軍部の圧力によって崩壊したかのように、現代では教えられています。しかし、それは全てではありません。現実には中国の無法を許した「無抵抗政策」への失望が、反動的に軍部の独断専横を招いた一面もあるのです。』
簡単にまとめると、攻撃を控えるごとに段々と怒りが溜り、そういう下地が軍部の暴発を招いたと。軍部の暴発と書いてるようにその後の軍部の行動が良いものだとは全然思ってませんよ、私は。それはそれとして、軍は独断専横を、国民はその独断専横を歓迎してしまうような心情になってたのだろうなーとは思うのです。こうなるともう冷静な言葉は耳に入らない。破滅に一直線。
私はこれを避けたい。
この辺り問題となるのは人々の主観で、裏にどういう事情があったかとか理論的にどうだとかは大した意味を持ちません。怒ってる人はそんなの知りませんし小難しい理屈なんかわかっちゃいませんから。こう思った、なのでこう動いた、そしたらこうなった。当事者にとってはこれだけなのです。主観を重要なものとして扱う必要があるというのはこういうことです。軽く扱ってるととんでもないことになります。
>太陽政策
McRashさん
その主張を真に受けるわけにはいかないね。
反国旗国家の教師がやってきたことは「国歌を歌いたい人は歌えばいい」とは全然違うもの。やってることは「国歌を学校式典に持ちこむな」だもの。歌わせまいとしてることは明らか。そしてあなた方はそういった行動を非難せず反国旗国家の教師を全面的に支持してる。やってることと違う説明は何度されてもそのまま受け止めはしません。
>もう一つの重大な欠落をひとつ指摘しますと、選挙結果は政治に対する白紙委任状ではないということ、つまり有権者として政治を監視する義務の存在が、sadatajpさんの立論には欠けておりますな。
いやいや実質白紙委任なんですよ。白紙は極端にしても委任ではあるのです。人の能力的限界から否応無くそうなってしまうので
す。
参照「判断を任せる人を選ぶのが選挙」
http://d.hatena.ne.jp/sadatajp/20070402/1175448796
>選挙結果によって政権運営権を得た与党が好き勝手に政治をしていい、というのであれば、それは民主主義の原則に対する重大な侵犯なのですが、
委任にしたってそう無茶は出来ません。そんなことすると次の選挙で負けるから。批判や非難や支持率を気にするのは次の選挙にそれが影響するからです。次の選挙で負けないようにというのが歯止めなわけです。
罷免の請願ですが、請願は出来るとしてもそれを通すにはやはり数なわけで機能的には選挙と変わりません。
>あと、愛国心が本来は民衆の側から澎湃と沸き起こる、ということを同意いただけたようですが、であれば、強いる形で教えることはその前提にそぐわない、ということにお気づきでないようですね。
私は最初の方で強いるのはよくないと書いてますよ。本当は何もしないのがいいんだとも書いたと思います。気持ち込めなくていいから国旗掲揚し国家斉唱し、それがどんなものだか体験させるだけでいいんだというようなことを書いてます。でもそうやって緩くしてると反国旗国歌の教師達が国旗国歌に対する嫌悪感を植えつけ愛国心が持てないように仕向ける。それをさせない為の方策としての業務命令による強制を支持します。その目的を超えた強制となると私だって反対します。
>国威を誇ることばかりが愛国心の発露なのではなく、国家として認めるべき非を認め、そしてその罪を贖って未来に禍根を残さないようにすることも、またひとつの愛国心の発露です。それは国辱を雪ぐことに繋がるのですから。
ネットウヨクを自称してますがこの点は他のネットウヨクとは違ってまして、私はあなた方の愛国心を疑ったことはありません。あなた方はあなた方なりに日本によくなって欲しいと思ってるのでしょう。であれば愛国心を否定しようとはしないで欲しい。愛国心を悪いもののように書かないで欲しい。愛国心が悪いなんて言わず、それは日本の為にならないという言い方をして欲しい。そうすれば日本を良くしたいという共通の目的を持って話が出来るようになります。あなた方自身の愛国心を自覚して下さい。
ウーティスさん
http://blog.audi-junkie.com/?eid=848242
ここで引用されてる記事部分をどうぞ。
http://www.jtu-net.or.jp/action/policy_jtu/pdf/01_2.pdf
『首相直属の「教育再生会議」、規制緩和と競争主義を教育に求める「経済財政諮問会議」、日教組弱体化をねらう「自民党・教育改革に関する特命委員会」、そして、中教審・文部科学省での管理体制強化を志向する「教育改革」提言・政策等に対峙していく日教組の教育改革が求められている。』と日教組HPの「教育をめぐる情勢」のところに書いてある。
諸々挙げてそれに日教組は対峙するんだそうな。つまりそれらの提言も指示も命令も撥ね付けると。となると結果どのような教育をするかを決めるのは誰? 教師でしょ。 親と子と地域社会と共にとか言うのだろうけど、この中で教育方法を決めるとなると決定権持つのは教師になります。どう誤魔化そうと日教組が目指してるのは教員による独裁です。
日教組なんて20年も前からすっかり弱体化し、今や民主党支持の準体制派組合なんですがねぇ
そもそもあたしは教員ではありませんし、身内にも教員はおりませんので、日教組がどうとかおっしゃられても、はぁそうですか、以上の感想を持ち得ません。まぁ、日本の労働運動史において、日教組が歴史的な役割を果たした過去はその通りですが、組織率の低下に歯止めがかからない、惨憺たる現状の日教組を全く見てないとしか思えません。
それはともかく、実質的に不可能だからその権利は存在しない、なのではなく、あくまでも民主主義とは手続きを重視しますから、そうした手続きができる権力を、民衆が権利を仮託した国家権力に対して行使できる、ということが重要なのです。
何よりも、民主主義における国家権力とはそもそも民衆の権利であり、よりよく生きるための方便として、一定の政体を構成し、それにひとりひとりの権利の一部を仮託しているにすぎないわけですな。
また、選挙結果は政党に対する実質的な白紙委任だ、といsadatajpさんの立論については、民主主義、というシステムの原理原則からこれを是認するわけにまいりませんな。縦しんばsadatajpさんのおっしゃるとおりだとするならば、なぜ国家の基本法である憲法に請願権、という規定があるのでしょう?
請願権というのは、国家権力がそもそも国民が国家という法人格に対して便宜的に仮託しているにすぎないもの、という民主主義の原則に基づいて国民に自然に具わる権利であり、そして、この権利の存在故に選挙の結果が政党に対する白紙委任状となり得ず、かつ、与党、野党、そして行政府の官僚や法曹といった、憲法上でいうところの「公務員」が常に国民を意識してその職務にあたらねばならないという原則が導かれるわけですな。
次の選挙を意識するならば、たとえ白紙委任だとしてもそう無茶ができないとおっしゃいますが、果たしてそうでしょうか?
事実、現在の政権与党は、これほどまでに国民からそっぽを向かれるような施策(障害者自立支援法や後期高齢者医療制度はその代表格といえましょうな)を、果たして選挙を意識して実行に移してきたといえましょうか?
幸いにして日本ではまだ選挙管理のシステムが比較的良好に保たれていますが、それとても風前の灯と言えるでしょう。スケジュールされている選挙をめがけて手続上の転居を繰り返す選挙ジプシーなんてぇのが巷間言われてますし、政府の肝煎りで実証実験があちこちで行われている電子投票制度では、投開票における不正が現状の投開票システムよりも作為しやすいと考えられます。
結局、政権交代が長く起こらないと、権力は常に腐敗していく、という箴言の通り、際限なき政権の独占化を図ろうとする傾向があるわけですな。この辺は、例えばロシアに具体的な例を見ることができましょうか。
愛国心やけに神聖視されてね?
なんか全然別の存在になってしまった感じです。
郷土愛を語るときはだいたい「この村のここが好き」とか「みんなに愛される魅力的な県にしよう」とかなのに、
普段愛国心愛国心言ってる人は「韓国のここが嫌い」とか「日本が嫌いなら出ていってください」とか、
なんでそんな方向ばかりに目が行くかなー?
こういう傾向も今に始まったことでなはなく、どうも結構昔からあったようで、なので愛国心と聞くとどうも身構えてしまうんですよ。(国旗・国歌の件も含めて)
ただ、愛国心全否定ではなく、本当の愛国心はこうだよ、という議論をしていくのはアリですね。
言語感覚
引用された記事では、教員が人事権も教育内容も決定するとは思えませんが。
そもそも、これまでの学校現場でも、「組合の強いところは君が代も日の丸も無理だった」と保守の人に言われたりします。でも、その状態を、教員の独裁などと口走る保守派はみたことがないですね。
>つまりそれらの提言も指示も命令も撥ね付けると。となると結果どのような教育をするかを決めるのは誰?
と、おっしゃる、それらとは、
『首相直属の「教育再生会議」、規制緩和と競争主義を教育に求める「経済財政諮問会議」、日教組弱体化をねらう「自民党・教育改革に関する特命委員会」、そして、中教審・文部科学省での管理体制強化を志向する「教育改革」提言・政策等、
のうち、「指示、命令」を出す機関・組織をお示しください。
それとも、それらの組織は、提言に関連するのですか。そして「指示」「命令」は、あなたがついでに紛れ込ませたのですか。
報道の差
>騒がないよう抑え込む。騒いでもそれが表に出ないよう抑え込む。
以前、日本の拉致被害者がテレビに出てくるたび、「韓国はもっと被害者が多いそうだから、韓国と連携すればいいににな」と思っていたら、そのうち日韓の被害者が合同で集会したりして、「そうそう」と思ったことがある。
確かに日本で見ていると韓国の拉致被害者はメディア露出が少ない印象があるが、韓国のメディアが抑えこんでいるのかな。
そうすると、太陽政策をやめる政権になると報道が一挙に出てくる期待があるのかなあ。
内向きの愛ではなく外へと広がる愛
そして、殊更愛国心を強調される方々の言説を具に見ていくと、そこには偏狭な差別意識が剥き出しになっていたり、あるいは排外的な思想が露になっていたりすることが往々にして、のレベルを越えて頻繁にあるわけでして、こうしたことが、くりねおさまやあたしにとって、愛国心、という単語を少々の羞恥を以て捉えさせるわけですな。
輪の外にあるものを殊更に排除しようという偏狭な愛ではなく、輪の外にあるものとこそ積極的に手を携えて輪を広げていけるような、そんな愛がようがす。あたしは、くりねおさまのおっしゃるような意識から、「民衆の側から澎湃と沸き起こる」愛国心、というような発言をしておるつもりです。
200件突破しても、お邪魔します。
前述のJC(青年会議所)の方々も
何かと言うと「日教組の所為」ってのが口癖だったらしいです。
まともな銀行というものが存在してメインバンクについていたら
日教組を社会的脅威としてる時点で
「経営判断力ゼロ認定→融資打ち切り貸し剥がし」とか実行しかねません(笑
「社畜」で無い従業員の皆様のご苦労も幾ばくかと・・・
すみません、エントリの趣旨に添った発言をするつもりが
またしても話があらぬ方向へと・・・(汗
日教組に対する認識
組織率より問題なのは国会に多くの議員を送り込んでること。その議員達は次の与党になるかもしれない民主党の中で大きな力を持ってる。今現在組織率がどんどん下がってるとしても過去の名残での大きな力がまだ残ってる。まだまだ軽く見ることは出来ません。
McRashさん
そんなのは理論上のことでしかない。建前。実質的には無意味。出来ないことは出来ない。出来ないことを出来るものとして理論構築するのがあなた方の悪い癖。 出来るものとされたって出来ないことは出来ない。
こんな出来ないことを“行使出来る”なんてするから行使しない以上承認したんだなんて理屈がまかり通る。責任が承認したとされる民衆に掛かってくる。チェック出来ないのにチェックしたことにされ、承認してないのに承認されたことにされ、承認した以上責任を負えなんていわれる。でもって本当に責任を負うべき者は無責任に逃げおおせる。実質的に不可能な建前の理論振りかざしてるからこうなる。机上の空論守るより理論を現実に即したものに修正する方がよほど重要です。
>何よりも、民主主義における国家権力とはそもそも民衆の権利であり、よりよく生きるための方便として、一定の政体を構成し、それにひとりひとりの権利の一部を仮託しているにすぎないわけですな。
では国家権力とは民衆の権利ですね。
国家権力の行使はイコール民衆の権利の行使。
国家権力による強制はイコール民衆の権利の行使。
国家権力による強制に対する抵抗はイコール民衆の権利の行使に対する抵抗。
つまり反国旗国歌の教師は民衆の権利の行使に対する抵抗をしてるんだと
理論上こうなりますがいいですか?
私はこれに異議はないのだけどあなたには異議があるのでは?
>また、選挙結果は政党に対する実質的な白紙委任だ、といsadatajpさんの立論については、民主主義、というシステムの原理原則からこれを是認するわけにまいりませんな。
是認しようがしまいが現実にそうならざるを得ません。
理屈に合わないというなら理屈の方を変えなくてはいけません。
>縦しんばsadatajpさんのおっしゃるとおりだとするならば、なぜ国家の基本法である憲法に請願権、という規定があるのでしょう?
あるからどうだと?
民主主義というシステムの原理原則に則った憲法のその原理原則から導き出されたものが請願権なのでしょ。その請願権があるからといって民主主義というシステムの原理原則の正しさは証明されません。
それはそれとして“請願”が何かわかってます? “お願い”ですよ。聞き入れるか入れないかの決定権は受ける側にあるのですよ。請求権と勘違いしてませんか?
>次の選挙を意識するならば、たとえ白紙委任だとしてもそう無茶ができないとおっしゃいますが、果たしてそうでしょうか?
次の選挙で大敗するようなことはそう簡単には出来ないってのはわかりますよね。先に私がいったのはそういうことです。
でも上手く選挙民騙くらかせるなら結構な無茶出来ます。選挙を意識しても「大丈夫、上手く誤魔化せる」となればその誤魔化せる範囲では無茶出来ます。選挙を意識してても出来る程度の無茶は出来るのです。
で、障害者自立支援法や後期高齢者医療制度は人気のあった小泉の元で成立しました。上手く誤魔化せると考えたのでしょう。実際誤魔化せたし。あと“次の選挙を意識するならば”ですので選挙意識しないなら相当な無茶だって出来てしまいます。後のことは知らないなんて考えてると無茶苦茶なことだって出来てしまいます。小泉はこれだったかも。
ともかく選挙次第。選挙民が見過ごしてくれるなら何だって出来る。選挙さえ通ってしまえば主権者である有権者の承認を得たってことで無茶が無茶でなくなる(机上の空論適用で理屈の上で)。責任も承認の段階で国民に移る。引き継いだ後任総理に移る。机上の空論適用で理屈の上で)。当の小泉知らん顔、責められもしない。こういうことになります。あなたの信奉する民主主義というシステムの原理原則、見直した方がいいと思いますよ。
くりねおさん
郷土愛の延長ですよ。あなた方が違うと思ってるだけ。
>郷土愛を語るときはだいたい「この村のここが好き」とか「みんなに愛される魅力的な県にしよう」とかなのに、
でも郷土をボロクソに扱き下ろされたら別の反応になるでしょ。
>普段愛国心愛国心言ってる人は「韓国のここが嫌い」とか「日本が嫌いなら出ていってください」とか、 なんでそんな方向ばかりに目が行くかなー?
彼らが郷土をボロクソに扱き下ろすから。と、流れからいくとこう答えたいところだけどそれはまた別で、庇い立てする気がないから。日本の価値観で見たら韓国のやってることは悪だもの。特別庇おうとしない限り嫌うことになります。愛国心が原因ではありません。ただ韓国みてて日本はいいなーと思うようになるってのはあるかもしれません。
ウーティスさん
支配ですかね、普通言うのは。
ウーティスさんが「教員の独裁状態」で聞いてきたので独裁で答えました。話をかみ合わせる為に相手の使った言葉に合わせて書いてますので、実際に言われてる言い方とは違うものになってます。
>そして「指示」「命令」は、あなたがついでに紛れ込ませたのですか。
細かいところ突いてきますね。文章上では確かに「提言・政策等に対峙していく」となってて指示・命令はないようです。
でもやってますよね、日教組は。指示・命令に対峙し抵抗してる。紛れ込ませたというよりその事実を踏まえて解釈したということです。
>内向きの愛ではなく外へと広がる愛
あなた方の「外へと広がる愛」は内へはどう働くのですかね。
>輪の外にあるものとこそ積極的に手を携えて輪を広げていけるような、
輪の外にあるものと“こそ”って何? 内はどうなの?
あんたら目が外に向き過ぎ。内を粗末に扱い過ぎ。
外と仲良くしようと言いつつ内には我慢しろと言うようなことばかり言う。
我慢させられる内にいる者は堪らんぞ。
あんた等は外と仲良くしようとして外には全然文句言わない。相手が悪くてもそれに目を瞑り庇い立てする。でも内に対しては、悪く言うなというばかり。でもって偏狭な差別意識が剥き出しの奴だ、排外的な思想が露な奴だと罵る。
相手の要求は何でもかんでも受け入れようとする。友好の為に。でもってそれを内に向かって言う。受け入れろと。友好の為に受け入れろと。日本が譲歩すれば丸く収まるってんでしわ寄せ全部日本に持ってくる。内にいる者は堪ったもんじゃねーぞ。
内にいる者がそれをどう思うかへの配慮がお前らには全然ない。そんな内に無理強い作った友好は堪りかねた内にいる者がぶっ壊すぞ、こんなのは嫌だって。
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この堪りかねた内にいる者が今のネットウヨクです。私もそう。
日本の一方的な譲歩で成り立つ友好なんて御免です。
そんな友好するくらいなら対立してた方がよほどマシ。
さて、こう思ってる相手にあなた方はどう向き合う?
罵って潰す? 感情的な戯言と無視? 今までそうしてましたよね。
でもネットウヨクは増殖するし政治も右傾化の傾向が出てきてる。
このままだとその方向にますます進む。さてどうします?
外に成り代わり内を叩く? いずれにしろ内は大人しくしてませんよ。
あなた方が「外へと広がる愛」で作った友好を内からぶっ壊しますよ。
銘記力テスト
>ウーティスさんが「教員の独裁状態」で聞いてきたので独裁で答えました。話をかみ合わせる為に相手の使った言葉に合わせて書いてますので、実際に言われてる言い方とは違うものになってます。
なるほどわかりました。わたしが「独裁」という言葉を使ったのは、このエントリーのコメント欄でのadatajpさんの、以下のコメントを受けてのことだということは、想起なさった上でのお答えですね。
では、3857]のときは、誰に合わせて「学校独裁」ということばをお使いになったのですか?
>[[3857]
>あんた等は国旗国歌が問題なのではなく強制が問題なんだというが、こっちだって真の問題は国旗国歌じゃない。教師達による学校の私物化こそが問題。この問題は教師の独善による学校独裁を阻止出来るかどうかが掛かった極めて重大な問題。
我慢させられる内にいる者は堪らんぞ。
我慢しろと言われても罵倒されてもそんなのお構いなしに自分の主張をすればいいと思う。日本は民主主義の国だから。
国の方針については、これから右傾化するので問題ないでしょう。
いや、皮肉とかじゃなくて実際右傾化すると思いますよ?
ただネットでは右傾化のピークは過ぎたんじゃないかな。
>いずれにしろ内は大人しくしてませんよ。
あなた方が「外へと広がる愛」で作った友好を内からぶっ壊しますよ。
ええと、それで友好が壊れたら平和主義が抑圧したのが悪い、ですか?
外へ広がることは中を捨てることではない
そして、やはりsadatajpさんの立論は理想を理想と笑殺することに力点がおかれているようでございまして、建設的な視座、というものがないように感じますな。過去にも言及しておりますが、現実主義とは現実だけ見ることではなく、高い理想を掲げた上でそれに向かってどうアプローチしていくか、ということを言うのであって、端から高邁な理想は実現しない、では物事が動かなくなる。たとえ1mmでも理想へと近づく努力を放棄するとき、より良い方向への変革はまったく起こらなくなる、当然の帰結。
請願が現実的でない、というお考えのようですが、冗談言っちゃいけねぇ。そんな、頭っから弱腰でどうすんだ。日本では戦争に負けて上(国際社会、主にアメリカ)からポンと与えられたから実感がないように思うんだけど、そもそも民主主義とは絶対王制や一党独裁の時代において、それぞれの国の民衆が国家権力といろいろな形での闘争を経て手に入れてきたものなんね。フランス革命しかり、ペレストロイカに端を発するソ連崩壊しかり。
であれば、請願権を否定することは、民主主義そのものを否定することにも繋がるわけ。だから、あたしは前にも言いましたよね、sadatajpさん、あなたは「絶対王制に戻すべきだ」と主張したらいい、と。
国家権力とはすなわち国民の持つ権力である、ということについても、履き違えがございますな。単純に、だから従え、ってんじゃないんですよ。前段の請願権の話にも繋がりますが、仮託した権力の使われ方を、国民は監視し、異議があるときは声を上げなくちゃいかんのですよ。それが、仮託した権力、預託した税金の使われ方に責任を持つということ。
あとね、少数派の異議から世の中に遍く認められるようになったことというのは往々にしてあるわけ。たとえば公害病の問題にしたって、発端はごく少数の、該当エリアだけ見ればそれなりの多数だろうけれど、国民全体で見ればごく少数の患者に重大な共通する特異点が見つかったことが発端だよね。そうして、それが広がっていったときに大変なことになる、っていうようなことから、環境維持に関する諸法令が整備され、技術開発が進み、あるいは医療の研究が進んだ。単純に、多数派、少数派、っていうような線引きで物事を考えていけば、こうした、良き方向への変革は起こらないってこと。
最後に、外へと愛を広げよう、という時、おのずから、内に向かう愛はその質を変じるわけじゃありません。勿論、濃淡はどうしてもありますから、その中で変節に不満が起こることは考えられる。
しかし、外へと広げていく、ということは、すなわち、中の範囲を広げていくことである、ということにお気づきになられなかったのは残念ですな。
なぜなら、愛とは同一性ではありません。この場合においては、差異を認めて、良き差異は互いに尊敬し、悪しき差異は互いに警鐘を鳴らしあっていくこと、と言い換えることができるでしょうか。
世の中とは、ひとりひとりの人が織り成す、無限のグラデーションでできているのですから。
ウーティスさん
支配でなく独裁と書いたのは決定権の話だったからではないかと思います。よく覚えてないけど。あまり使われない言い方にしろ意味するところは同じなのだからどちら使っても構わないのでは? 何か問題がありますか?
くりねおさん
ええ、そうしてます。我慢しろと言われたからって大人しく我慢などしてません。主張します。
ここで言いたいのは内にいる者に我慢しろと言ったって我慢しやしませんよってことです。外との友好の為に内に我慢を強いるのは上手くいきませんよってことです。内に我慢を強いることで(自覚無いのでしょうが)事を丸く収めようと考えてる人にそれをわかって欲しいのです。丸く収めようとしてるのでしょうが実質的には敵愾心煽ってるのと同じですから。
>ただネットでは右傾化のピークは過ぎたんじゃないかな。
そのピークというのは急激な広がりの事ではありませんか?
ここ数年で急激に広まり、最近はそれが広がった状態で安定し、徐々に一般的なものとして広まり定着していくという過程に今あるのではないかと思います。中国を悪く言うのなんて最早普通のことになってます。政治にほとんど関心無い人だってそんな話題を世間話程度の感覚で話してますし。韓国は相変わらず興味持たれてませんが。
>ええと、それで友好が壊れたら平和主義が抑圧したのが悪い、ですか?
今の中朝韓に対する友好は望んでませんし今の状態なら壊した方がいいくらいに思ってますので友好が壊れたから悪いなんていう気が全然ありません。ですが、抑えようとする分対立が激化するという点では悪いと言いたいです。もっと煽って敵愾心駆り立てろって感情的な悪い考えもないではないのですが、そうすると色々別の問題が出るので出来れば避けたいと思ってます。
そういったこととは別に、友好を求めながら友好でなく対立を招くやり方を取ってるという合目的性の観点からの間違ったやり方をしてることに関して悪いと言いたいですね。ここで訴えたいのはむしろこちらです。
McRashさん
実質的にどういう意味を持つのかに力点を置いてるのです。
>現実主義とは現実だけ見ることではなく、高い理想を掲げた上でそれに向かってどうアプローチしていくか、ということを言うのであって、
違う。その高い理想とやらが現実に実現可能であること。アプローチが現実に実行可能であること。これが現実主義の要件。
>端から高邁な理想は実現しない、では物事が動かなくなる。
実現不可能な理想は実現しない。どう足掻こうと実現しない。
そんな実現不可能な理想を追うことは、その理想とは違う実現可能な理想を排除することに繋がりそれこそ物事が進まなくなる。
>たとえ1mmでも理想へと近づく努力を放棄するとき、より良い方向への変革はまったく起こらなくなる、当然の帰結。
実現不可能な理想に実行不可能な方法で挑んだのではどんなに努力しようと無駄。理想には近づかない。
単に無駄なだけではない。行動する以上何らかの結果は必ず出る。理想は実現不可能なのだから理想の実現という結果は出ない。出る結果は望んでいないものになる。理想とかけ離れた望んでない結果が出てしまう。
要は実現可能な理想を掲げればいい。そして実行可能方法でその理想にアプローチすればいい。そうすれば理想に向かってスムーズに進んでいく。理想に近づいていける。
>請願が現実的でない、というお考えのようですが、
いや、あなたが望む程のものではないと言ったまで。それなりの効力があることは否定してない。
>だから、あたしは前にも言いましたよね、sadatajpさん、あなたは「絶対王制に戻すべきだ」と主張したらいい、と。
ずっと前の方で私の主張するのはこれだと書きました。
「従いつつも反対意見を持ち異議を唱え、反対意見を持ちつつも従ってるなら良しとする」
この“異議を唱え”の部分は請願同じものです。
>国家権力とはすなわち国民の持つ権力である、ということについても、履き違えがございますな。単純に、だから従え、ってんじゃないんですよ。前段の請願権の話にも繋がりますが、仮託した権力の使われ方を、国民は監視し、異議があるときは声を上げなくちゃいかんのですよ。
声を上げればいいでしょ。いけないとも言ってないししなくていいとも言ってない。
>あとね、少数派の異議から世の中に遍く認められるようになったことというのは往々にしてあるわけ。
わかってます。だから「反対意見を持ちつつも従ってるなら良しとする」としてるのです。反対意見を持ってるからといって潰してしまっては駄目だと言ってるわけです。
>単純に、多数派、少数派、っていうような線引きで物事を考えていけば、こうした、良き方向への変革は起こらないってこと。
単純な線引きしてるのはあなたでは?
少数も支持されていけば多数派になるのですよ。逆に多数派が少数派になりもする。この変化で変革が起こるのです。 変革の切っ掛けを作るのは少数派ですが、変革が成るのは少数派が多数派になることによってです。
以上はMcRashさんが書いてたことと同じことです。多数派・少数派という言葉を使って書いただけ。
少数による力づくの政変なんてものありますがね、私はそれを良しとはしません。
内のことはどう考えてる?
捨ててはないでしょうが、ケアもしてない。
>外へと愛を広げよう、という時、おのずから、内に向かう愛はその質を変じるわけじゃありません。
私が問うたのはその愛がどう表に表れるかです。少し具体的に聞きましょう。外と友好を築こうとしてる時、内にはどんな配慮をしてます? 配慮以前の問題として内にある不満に気づいてますか?
>しかし、外へと広げていく、ということは、すなわち、中の範囲を広げていくことである、ということにお気づきになられなかったのは残念ですな。
気づいてますよ。あなた方の目が更にその外に向いてるその後ろで無理やり一緒にされた中の者達が中で争いごと始めてしまうだろうというところまで。
>なぜなら、愛とは同一性ではありません。この場合においては、差異を認めて、良き差異は互いに尊敬し、悪しき差異は互いに警鐘を鳴らしあっていくこと、と言い換えることができるでしょうか。
あなた方は悪しき差異とやらに構わず輪を広げようとしてます。悪いところ悪いままに輪の中に入れようとする。そんなことすれば中で大喧嘩が始まります。
争いを避ける知恵の一つが住み分けです。互いに距離を置くという奴です。あなた方はそんなもんお構いなしに輪の中に入れようとする。同じリングに上げて戦えといってるようなもんです。あなた方にそんな気全然ないのでしょうが。
あなた方の愛を否定はしない。でも考えが浅い。
よぉし、わかった♪
はっきりそう本音を言えばいいのにクソみたいな愛国心とやらにしがみついてるからややこしくなるしねじれる。まあ、それでその行為が正当化されるわけじゃないけど。
「独裁」の実際
>何か問題がありますか?
日の丸・君が代を教育現場に導入して国家意識を高めるべきだいう主張の人でも、「独裁」という比喩を使うことは殆どありません。その認識が那辺にあるのはともかく、他人に通じにくい表現と思えば使わないものでしょう。
しかるにsadatajpさんは、読む者に理解されるか、どう取られるかを斟酌することなく、言葉を選ぶ。議論で共通認識を持つに至るとか、相手に自分の認識を説明するとか意欲するのではなく、自分のいいたいことだけ言うという態度に思えます。
そこに「問題がある」と思います。
ところで、おっしゃるところの教員の独裁状態において、教職員や管理職の人事権は誰が持っているとお思いですか。予算執行権限はどこにあるのか。教科内容の選択や教科書の選定の権限と責任は?校舎などの施設管理権はどこに属すると想定していますか。
排除の論理はやがて自らを排除する
今この日本という国では、いろいろな側面において排除の論理が幅を利かせていますが、排除することがかならずしも防衛になるわけではない、ということを端的に説明するには、蟻の一穴の故事をひけば事足りましょうか。どんなに固い結束を誇る集団であっても、ひとたび猜疑から排除が始まれば、やがてそれは組織を蝕む病理となり、そして組織そのものの存在を排除してしまう、という事象は、それこそ安保闘争華やかなりし頃の所謂内ゲバなんかで見て取れる通りではありますまいか。
外とつながり、中を広げていく、ということは、あたしの捉え方としては、そうして中の柔軟性と多様性を確保し、成長発展の可能性を広げる、つまり、攻めの姿勢で中を守っていくことにつながっているのですよ。純化路線が成長よりも成熟から衰退へのフェーズを辿るのは、今まさに退潮を迎えつつある自民党の党勢にも明らかでしょうな。
そして、この理想は実現可能、これは実現不可能、という線引きは、果たして固定化されうるものでしょうか?確かに、これだけ高度に文明文化が成熟した現代の地球において、爆発的な進歩、という可能性は高くないかもしれませんが、こと、ひとが、ひとに対して行う、人文科学的、社会科学的なことに限るならば(自然科学的な分野については、既に不可能が証明されている事項があるので、この分野については除外するのが妥当)、何らかの実現の余地があると考えるべきです。歩みを止め、可能性を狭めることは、進歩を放棄し、未来を閉ざす行為に他ならないのですから。
不満があっても従えば文句を言わない、ということについてもう一段やっておきますと、その指示内容ではうまくいかないことが明らかなとき、これに抗して違うことをすることは、表面的には指示に逆らいつつも、結果的に指示によって意図することを成立させ、結果として指示に従ったことになりますわな。ここから、悪法もまた法なり、として従うべきとは言い切れないことが導かれるわけですが、自由と民主主義とを標榜する日本国にあって、究極的に「個々人の良心は組織よりも防衛されなければならない」という自明のことからも、このことは裏書きされるわけです。
最後に、民主主義を標榜する国家に在する学校における式典とは、軍隊に於けるそれのごとく、参加する全員がひとしく斉一な行動をせねばならないような性質のものなのでしょうか?
あたしのこの暗示的な問いにはお答えをいただいていないように思いますので、今回は明示的に問いたいと思います。
お邪魔します
ずぅっっっと前に【3681】で、異なる立場による立論を行う双方に向けて書いたんだが、今度は問いかけの相手を明示しよう。
国旗を掲げ、国歌を斉唱することを教育の場で強制することを「積極的に肯定する」人へ向けての質問とする。
あなたは…(以下【3681】より再掲)
・日本国の最高法規は日本国憲法にあることを認めるか・否か
・日本国の統治原則は民主主義によるものか・否か
なお、日本国憲法は↓
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%c9&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S21KE000&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1
また民主主義についての広辞苑の記述は
「基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその属性であり」
…多数決原理・法治主義が最初にきてないことを、きちんと理解してね。
おさふねさん、わかってそれなんだ♪
こうやって相手を悪く言えば気が晴れるんだろうけどね、相手を悪い奴だってことにしてしまえば相手の言い分無視出来て楽になるんだろうけどね、人はそれを見抜くよ。お仲間の皆さんはスルーしてくれるだろうけど。
私としてはいくら言ってくれても構わないよ。もっと思いっきり悪く言ってくれて構わない。罵倒しまくってくれて構わない。評価下げるの私じゃないから♪
まっこんなん言っててもしゃーないんで、まともに話しましょうよ、おさふねさん。
ウーティスさん
独裁が他人に通じにくいと?
独裁という言葉の意味そのままにとってもらえればいいだけなんですけどわかりませんか?
あなたにとって独裁という言葉はそんなに難解なのですか?
通常使われてる言い方と違うからといってわかり辛くなる程だとは思えませんがどうですか?
>しかるにsadatajpさんは、読む者に理解されるか、どう取られるかを斟酌することなく、言葉を選ぶ。
出来る限りのことはやってます。とはいえ私自身の能力的な限界がありますから上手く伝わらないということもあるでしょう。その分問われたことに答えることで補おうとしてます。わからなければ聞いてください。言い方変えて再度の説明を試みます。
>自分のいいたいことだけ言うという態度に思えます。そこに「問題がある」と思います。
私はここでは問いに答える、或いは返信に返信するという形でやってまして私が自由にテーマが決められる状況ではありません。言いたいことが自由に言える状態にはいません。また成り行き上返信全てに返信するという形にもしてまして、いいたいこと“だけ”では済ませられない状態にあります。「いいたいことだけ言う態度」ではないはずです。ですが、それでもあなたにそう思えたというのは事実なのでしょう。であれば私はどうすればいいのです? どうすればその問題は解決します?
あなたは私にどうして欲しいですか?
McRashさん:初めから入れるな
一行レスで済ませたくなるレスですね。
「無闇に入れるから排除することにもなる。初めから余計なもの入れるな。」
排除を始めると極端なものになっていくってのはまあそうでしょう。すべてを排除は極端が過ぎますが。でもそれも排除を始めるからで、初めから入れずにいれば排除することもありません。入れても問題無いものだけ取捨選択して入れていけばそんなに排除しようとしなくていいのです。しかし悪いものが悪いままに入ってきたとなると排除せずにはいられません。
極端な排除をやらせたくないなら排除するようなものは初めから入れないことです。
中の柔軟性と多様性の確保し成長発展の可能性を広げるなんてのは取捨選択して入れることで可能です。中で争いを起こすようなものまで入れたら排除と純化が始まって柔軟性と多様性も失っていきます。だから何でもかんでも入れ込んでしまってはいけません。
McRashさん:不可能なことは不可能
無理なものは無理。線引きは可能と不可能の境界で自ずと決まるもので
人間が意図的に引くものでもありませんし固定化するものでもありません。人間に抗えるものではありません。
>何らかの実現の余地があると考えるべきです。
上記の理由により人間の考えでどうこう出来ません。
人がどう考えようと不可能なものは不可能です。
>歩みを止め、可能性を狭めることは、進歩を放棄し、未来を閉ざす行為に他ならないのですから。
不可能な領域までの可能性は元々ありません。到達不可能ですのでそこまで進歩するなんてあり得ませんし実現した未来なんてのもありません。不可能なものを諦めたとしても可能性は狭まらないし進歩の放棄にも未来を閉ざすことにもなりません。
McRashさんそれ独断専行です
これは独断専行です。やってはいけない事です。許されてはならないことです。
仮に結果が良くても決して許されてはいけないものです。これを許してると非常に危険な状況を招きます。法的な歯止めを、組織的な歯止めを全て無効化してしまう非常に危険な考えです。これは暴走する軍が自身を正当化する理屈です。テロリストが自身を正当化する理屈です。かの日本軍もこの独断専行で暴走したのです。独断専行を良しとした為に歯止めが掛からなくなって破滅まで突っ走ってしまったのです。独断専行は避けねばなりません。
以下はレスとしては余計だがどうしても書いておかないとならないことなので書く。おそらく皆を混乱させ上記の主張の理解を阻むものになるであろうことを承知で書く。
場合によっては私も独断専行を支持する。が、それでもそれを良い事だとは決して言わない。悪い事を承知で支持するのであり後に罰があることまで含めて支持する。独断専行したものは罰せられなければならない。上手くいったからといって許されてはならない。これは変わらない。一番いいのは独断専行せずとも済む適切な指示が下されること。指示を適切なものにすることが独断専行を避けることに繋がる。
McRashさん
違うやり方でもいいけど、大事なのは決まったとおりにやること。
気に入らないからと勝手にやり方変えてはいけません。
>「個々人の良心は組織よりも防衛されなければならない」
組織は多くの個々人の集合体です。上記は大勢の個々人より一個人を優先しろと言ってるに等しい。一個人が大勢の個人より優先されてはならないというのが民主主義の基本原則です。頷けません。
>あたしのこの暗示的な問いにはお答えをいただいていないように思いますので、今回は明示的に問いたいと思います。
以後ストレートに聞いてください。
あなたと私では基本的認識に大きな相違がありますので以心伝心とはいきません。
とみんぐさん
今の日本国憲法には異議ありまくりだけどやむなく認めてます。
「異議を唱えつつも従う」というスタンスでやってます。
>・日本国の統治原則は民主主義によるものか・否か
こちらは異議なく民主主義によるものと答えます。
>「基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその属性であり」
…多数決原理・法治主義が最初にきてないことを、きちんと理解してね。
言いたいことはわかるよ。基本的人権・自由権・平等権が優先でその為なら多数決原理や法治主義には従わなくてもいいんだとか言う気だろ。駄目だよ。多数決原理・法治主義は基本的人権・自由権・平等権を保障する為のもの。これを破るということは基本的人権・自由権・平等権を蔑ろにするのと同じなのだから。
4180番のコメントへの返事
とりあえずは、4161番のコメントの質問
>ところで、おっしゃるところの教員の独裁状態において、教職員や管理職の人事権は誰が持っているとお思いですか。予算執行権限はどこにあるのか。教科内容の選択や教科書の選定の権限と責任は?校舎などの施設管理権はどこに属すると想定していますか。
に、答えて欲しいですね。
あら
無知や思考能力については徹底的に潰して罵詈雑言を投げかけてますが性格にまで言及した覚えはないなあ(笑)
同じ事言ってるのも学習能力のない方が居るからだしね。
今の世の中互いに駆け引きしながら仲良くやらなきゃ成立しないよ、という単純な事すら理解できないおつむの方がみえますから。あちらの国々に仲良くする気が無いのならとっくの昔に経済封鎖されて資産凍結されてますって。それだけでこっちはすぐに一次産業二次産業ともども成仏するんだから。これもうざいほど繰り返し述べてるけど理解できないんだから反復による条件反射かショック療法で覚えてもらうしかないし。
日本自給自足教の信者には何を言っても無駄でしょうが。
4180番のコメントへの返事②
>独裁が他人に通じにくいと?
独裁という言葉の意味そのままにとってもらえればいいだけなんですけどわかりませんか?
「独裁」の語は政治的議論の文脈で使われれば、ビルマ軍事政権の独裁だとか、ムガベ大統領の「独裁」などという意味は承知しています。
その意味で、「学校独裁」などという語を使うと、現実にはどういう状態をさすのか理解できる人がいるのでしょうか。
施設管理権などなどは教員に属しますか、とお尋ねしてもお答えがないところをみると、言うまでもなくsadatajpさんは、教員が人事、学校運営について専権をふるうようになるという認識で間違いありませんね。
独裁には、さらに「うちの社長は独裁者だよ」のような、居酒屋談義で使われるような比喩的用法もあります。この場合でも、かなりな権能を持っている場合に、「独裁者」と評されるのが一般的です。
たまには、自分の子どもを「暴君」などと呼ぶ言い方もありますが。
ワンマン社長を「独裁者」と呼ぶような、雑談で使われるような比喩で、教員の不服従を「独裁」と呼ぶのは、教員や教組に批判的な人でも殆どしないだろうと思います。
「月給もらっている公務員なんだから上司の言うことをきくべきだ。わがままだ」という議論は、ネット上でも大量に目にするところです。
教員の独裁もそういう凡百の議論と同じことだというなら、比喩の仕方だけが類例を見ないけど、内容は平凡な議論だと、了解いたしますが、なにか特別に「独裁」と言わなければならない理由がおありですか。
右傾化の話
ネットの話ですよ。下降線をたどっている、と思うのですが。
そんな感じはしませんか?
最近は右派ブログもちらほら炎上してるし、政治に無関心だけどアンチウヨクな人も出てきたし。
それで勝ち馬に乗って叩きたいだけの人が減ってきて、平均的に見ると主張が若干マイルドになっている感じもする。
ただ世間の方はこれからもう少し右傾化しそうな気がします。
まあ右傾化というか悪即斬な世論というか。
中国だろうが日本政府だろうがビシバシ叩く。メディアで批判されれば韓国だろうがフランスだろうが叩かれるでしょう。
流れが変わるとすると、裁判員制度が始まってからでしょうか。
政府も右傾化しそうな気がする。
安倍総理は”右”で失敗した訳じゃないし、まだ右への流れの中にあると思う。
今は強気な態度の方が国民の受けがいいし。
でも他国に目を合わせず、国民の方見て強気なこと言ってる政治家は勘弁。
ぽかーん…
あたしは、人間の可能性をまだ信じたいですし、だんだん、このエントリの主題からの乖離が著しくなってきた気がしますし、何よりも、sadatajpさんの日本語のレベルが明らかになったことで、この徒労の中にもいくばくかの成果があったのかもしらんなぁ、てなことが結論となりつつあろうかという現状、これ以上微に入り細に入った説明をしても、自分の不足を認めるどころか自分が優越していると信じきって、聞く耳を持ってもらえないのであれば無意味。議論を進める意欲が急速に奪われつつあることを自覚しています。
とりあえず言えることは、現状の日本国が、とりあえず日本以外の東アジア3国と完全に断交(うち北朝鮮とはそもそも国交がありませんが)するだけでどれだけ立ち行かなくなるかを精密に検証してから、「端から入れないほうがいい」かどうかを論ずることですな。それと、日本の歴史を繙いて、有史以来、日本が如何に外来渡来の文明文化、あるいは技術や人的資源を受け入れ、中に取り込んできたかってことに思いを致すことですな。そうした歴史を理解した上で「外とつながり、それによって中を広げる」という文脈を導いていることにも、思いを致せなかったようだから。
コメント欄を読んだ感想文
「いずれにしろ決定権は他人が持ってます。」
「ラベリングはその他者がそう思ったということ」
「その思いを変えさせる権利は誰にもありません。」
「思うななんてことも言えません。」
「ラベリングされたら自分はそう思われてるんだと潔く受け入れてください。 」
と書いた人間が
「あんた等いっつもそれだよな。お得意の誹謗中傷。」
「こっちが何書こうとお構いなし。ぜーんぶ脳内変換して相手の人物像でっちあげる。」
という一人ボケ一人突っこみ
あるいは釣り。
キーボードのkとjをみるくま。
おさふねさん
>今の世の中互いに駆け引きしながら仲良くやらなきゃ成立しないよ、という単純な事すら理解できないおつむの方がみえますから。
平和主義者に駆け引きなんかないだろ。外に対しての一方的譲歩と内に対して一切妥協なしで言うとおりしろと迫るだけ。これでは仲良くはならないんだよ。友好関係でなく主従関係になってしまうんだよ。主の立場になる外は大歓迎だろうけど、従にされる内は堪りません。
>あちらの国々に仲良くする気が無いのなら
そりゃあっちは仲良くしたいだろうさ、日本はいいカモだもの。
ウーティスさん
>おっしゃるところの教員の独裁状態において、教職員や管理職の人事権は誰が持っているとお思いですか。
人事権や予算執行権限・教科内容の選択や教科書の選定等の権限と責任は本来は教員ではありません。ですが教員の独裁状態においてであれば教職員です。教職員の望みを聞けという形で事実上の決定権を握った状態が教員の独裁状態です。全ての決定が職員会議の採決で決まってしまうような状態が教員の独裁状態です。この場合の決定権保持者は教員となります。
不服従を独裁と言ったわけではありません。
くりねおさん
>そんな感じはしませんか?
以前の盛り上がりはありませんね。その意味では下降線でしょうが後退はしてないと思います。盛り上がらない一番の理由はサヨクの後退でしょう。引っ込んでしまって出てこなくなった。その次に今政治に何も期待出来ない状態にあること。福田にはまったく期待が出来ない。次に控える民主党はそれ以上に期待出来ない。叩くターゲットがいない、支えるターゲットもない。的を見失って迷走してる状態なのではないかと思います。
あと目標をほぼ達成してやることが少なくなってきたという部分も。
中国と北朝鮮の実態は世間に知られるところとなったし、韓国の反日も世間に知られるところとなった。もう以前のように盲目的に友好を望むような声はなくなった。中朝韓の主張をそのまま真に受けることもなくなった。もうことさら悪く言う必要ない。サヨクの主張もその問題点が広く世間に認知されるようになりそのまま通るなんてこともなくなった。必死になって訴えなくてもよくなった。
今行われてるのは詰めとなる局地戦。次に向けての思索。どちらも目立つものではない。この辺りはもう無知なままの勢いだけで出来ることではない。時間を掛けてじっくりと行うものになる。
以上が盛り上がりが感じられない所以でしょう。価値観としての右傾化は世間一般のレベルではほぼ済んでるのではないかと思われます。
それが今後徐々に政治に反映されていくのではないでしょうか。何だかんだ言いつつも今はまだ声だけ。声は上がってるけどそれが政治の場で通るかといえばまだ通らない。本当に政策として実行されるようになるのはこれからでしょう。
McRashさん
“そこから”ね。入れないようにすることを排除という場合もあるけど、私の使い方も間違ってはないよ。
>とりあえず言えることは、現状の日本国が、とりあえず日本以外の東アジア3国と完全に断交・・・
嫌なのは一方的に譲歩することが前提になってる「今の友好」であってその「今の友好」を止める事が即断交となるわけではないよ。
>それと、日本の歴史を繙いて、有史以来、日本が如何に外来渡来の文明文化、あるいは技術や人的資源を受け入れ、中に取り込んできたかってことに思いを致すことですな。
無闇に入れるなと言ってますが同時に取捨選択して入れればいいとも言ってます。何もいれるなと言ってるわけではありません。
ルイージさん
こっちが何書こうとお構いなしで、全部脳内変換して相手の人物像でっちあげ、相手をそうなんだと思い込むのがおさふねさんだとは言ってるけどね。だからおさぶねさんがそう思ってるんだということも否定してない。おさぶなさんが私をそう捉えてるんだろうなーと思ってる。つまり受け入れてる。あくまでおさぶねさんの捉え方としてね。
ただ本当におさふねさんが本気でそう思ってるかどうかは怪しいと思ってる。思い込もうとしてるのではと疑ってる。わからんけどね。
そうやって盛り上がっているうちに、卒業式シーズンになったりして。
本気で調査しようかな
ミスタイプですよね。「権限と責任」というには抽象的な観念で人格ではないし、「教員」というには抽象的な観念ではないから。
「本来は教職員にはありません」のほうが普通の日本語。
>教職員の望みを聞けという形で事実上の決定権を握った状態が教員の独裁状態です。全ての決定が職員会議の採決で決まってしまうような状態が教員の独裁状態です。この場合の決定権保持者は教員となります。
実際にそのようなケースをご存知ですか。
「○○○の望みを聞けという形で事実上の決定権」
というところで、地方の顔役などが行政権力に対して影響力を発揮している事例と、教職員やその組合が学校運営に影響力を持っているケースと、どちらが多いか、時間的な猶予があれば調査しますが、直感的にsadatajpさんは、教職員に専横のほうが多いとお考えですね。
なにか事例をご存知ですか。
>全ての決定が職員会議の採決で決まってしまうような状態が教員の独裁状態です。この場合の決定権保持者は教員となります。
好調の人事も教職員の採決で決まる。
ああ、そうですか。事例をご存知でしょうねえ。
なんというか、単眼視的ですな
あたしは生物学の専門家ではないので半可通的な話になっていきますが、生殖の範囲を狭めていけば次第に近親交雑が続いていき、そして袋小路に陥って滅びていく、てなことがあるわけでして、これは文化文明においても同じことがいえるように思えるわけですな。交流速度の遅かった江戸時代だから200年以上に渡る鎖国ができたのであって、これだけ交流速度の常勝し続けている現代、やはり、門前払いにして「最初から外部の因子を入れない」という方向は純化から衰退へのフェーズを辿らざるを得ない、というのがあたしの所感ですな。
取捨選択は、それこそ入ってきたものが根付くか退場していくか、という自然の流れに任せればいい。有史以来の日本の文化文明においても、必要なものは何らかの意図を持って予め選択しなくても、きちんと根付いてきたでしょう?
そもそも、未知の変化に対して、どの方向が有益か、予断を持って選択していくとろくなことにならない。ほんの60年ほど前にも、欧米列強国の覇権主義を我田引水しようとして痛い目を見たばかりだというのに。
有耶無耶
教員採用に学閥があるとかコネがあるとかいう話は前からあるし、人事異動も教育委員会にコネがあるとないとで違うとか、いろいろな話を世間で取りざたしているのは、誰でも耳にするところだろうと思いますが、組合の強いところで管理職が苦労するぐらいの話はあるけど、
>全ての決定が職員会議の採決で決まってしまうような状態が教員の独裁状態です。
とはどこなのか。完全に「独裁状態」ではなくてもそうした傾向の地域って、どこにあるのか。
そういう地域があるともいってないし、ないともいってない、という話になるのかな。
ウーティスさん
>そのようなケース
話はきいてます。そして東京都の職員会議での挙手や採決を禁じた通知への反発とその反対意見を聞けばそれが事実だとわかります。
>どちらが多いか
無意味。最終的に目指してるのが独裁状態ということであって、今その目標が全て達成されてるわけではない。
問題はその状態を目指してるというところ。今少ないからいいとはならないし、今そうなってないからいいともならない。
McRashさん
使い方違うと言ったのあんたでこの使い方“も”あると言ったのが私だよ。
>あたしは生物学の専門家ではないので半可通的な話になっていきますが、生殖の範囲を狭めていけば
狭めていくことを主張してるわけではないよ。
取捨選択したにしろ取り込みはするのだから範囲は広がるんだよ。
>「最初から外部の因子を入れない」という方向は
外部因子一切入れるなといってるわけでもない。
>取捨選択は、それこそ入ってきたものが根付くか退場していくか、という自然の流れに任せればいい。
入れるかどうかも自然の流れに任せれば?
>有史以来の日本の文化文明においても、必要なものは何らかの意図を持って予め選択しなくても、きちんと根付いてきたでしょう?
必要でないものは?
>そもそも、未知の変化に対して、どの方向が有益か、予断を持って選択していくとろくなことにならない。ほんの60年ほど前にも、欧米列強国の覇権主義を我田引水しようとして痛い目を見たばかりだというのに。
主張が逆転してないか? 選択せず何でも入れろと主張するあなたは覇権主義を取り入れた事も良かったと言わねばならないのではないか? 「我田引水」と書いてるところをみると部分的に取り入れたのがいけないといいたいのだろうが、では欧米列強国の覇権主義をそのまままるごと取り入れれば良かたんだということか?
再度これ
>取捨選択は、それこそ入ってきたものが根付くか退場していくか、という自然の流れに任せればいい。
「自然な流れ」と言葉ではなってるが、実際にはこれは人々の判断に基づく行動が積み重なったもの。良いと思えば取り入れるし良くないと思えば排除する、あるいは潰す、良いと思われて取り込まれたがやってみたら良くなかったので捨てる、改良して違うものにするとか、こういったもので構成されてるのが「自然の流れ」。この流れは人々の判断が形作ってるもの。自然の流れを任せられてるのは今生きてる人々。良くないから入れないとか排除するとかも自然の流れの一部なわけです。
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私は何も入れるなと言ってるわけではない。良くないものまで無闇に入れるな、取捨選択して入れろといってる。つまり「良いもの=入れる」と「良くないもの=いれない」が私の主張。対してあなたは全て入れろといってる。つまり「良いもの=入れる」と「良くないもの=いれる」があなたの主張。
sadatajp「良いもの=入れる」「良くないもの=いれない」
McRash 「良いもの=入れる」「良くないもの=いれる」
これがあなたと私の主張。
「良いもの=入れる」についてはあなたと私の意見に相違はない。
違うのは「良くないもの=いれない」と「良くないもの=いれる」の部分。
あなたが私に向かって主張すべきはこの「良くないもの=いれる」の部分。
ですのであなたは「良くないもの=入れる」の主張をしてください。
ウーティスさん
「職員会議 挙手」で検索してみてください。
>みなさん、sadatajpさん
さてさて、「月給もらっている公務員なんだから上司の言うことをきくべきだ。わがままだ」というようなことを言う人たちは確かに多いですね。sadatajpさんもそうなのかな。そういう言い分を受け入れるとすると、別の問題が発生することになります。たとえば、後期高齢者医療制度。現場、末端の公務員は上司の命令に従って冷酷な制度を運用しているわけです。その制度に対して、いま、国民からはたいへんにもっともな反発が今あるわけです。しかし、命令に忠実な現場の公務員は国民からの批判を無視してこの制度を強行することが正当な行為ということになります。国民からの批判を受け入れて公務員が「こんな制度はおかしい」と考えて発言することは「上司の命令にしたがわないわがまま」ということになります。また、私たちはこのような制度を運用する公務員を批判することができなくなります。それでいいのでしょうか。sadatajpさん、どうでしょう?
あ、このネタで記事一本書けそうだ。笑
と、私ももともとの問題提起からずれた書き込みをしてしまいました。(^^;;
>sadatajpさん
検索することはできますが、そこから先、あなたが何を主張するのかはっきり書いてくださいね。検索して出てくる結果のどれを根拠として、あなたが何を主張しているのか、まずあなたがはっきり説明しないことには議論にならないです。
ちなみに、そこに出ている東京都の都立三鷹高校の事例は私もすでに記事に書いてますので、ご存知かもしれませんがご参考までに。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-720.html
独断専行はいけません
公務員を批判するのが間違いです。指示通りにやってる以上公務員は悪くありません。悪いのはそのような指示を出した者です。そういう指示を出すことになる法律を作った国会です。批判はこの国会に向けて行わねばなりません。この国会は国民の声が反映される(はずの)ところです。批判や要望は国会(より具体的には代議士)に向けて行わねばなりません。
このようにしておかないと問題が起こるのです。国民の声が実際の行政に反映されなくなるという問題が。
国会でその声が受け止められ法律が変わったとしましょう。今度はその変わった法律に基づいて指示が出されます。これを現場の公務員が実行するわけですが、変えられた法律を気に入らない一部の者が実行する公務員を非難し公務員がその非難を受けて変えられた法律を実行しないとなったらどうなるでしょう。法律は変えたのに実際の行政は変わらないなんてことになります。
せっかく国民の声が反映されて法律が変わったのに、一部の声と現場の判断でそれが無効にされてしまうのです。無効にされるのは国民の声です。公務員を批判し実行を妨げてしまうとこういうことになるわけです。
また、公務員自身が反対し実行しないとなっても同じ事になります。国会が国民の声を聞いて作った法律が現場の公務員の判断で実行されないなんてことになります。国会が取り上げた国民の声は現場の公務員によって無効にされてしまうのです。
国会が無意味になってしまいます。選挙が無意味になってしまいます。公務員は自身の判断に関わらず上(国会であり国民)の声に絶対的に従わねばなりません。
今求められてる公務員改革などは当の公務員にとっては嫌なものだったりします。嫌だからやらないとなったら国会でどんな公務員改革を決めても無意味になってしまいます。このようなことを許さない為に、公務員に上の指示に反するようなことを求めてはいけません。公務員が指示に反することを許してはいけません。
もっとあなた方にわかりやすく言うと、
国会が武力行使しないと決めたとしましょう。でも現場の公務員である自衛隊がここは武力行使すべきだと考えて武力行使するのが許されていいかどうか。現場にいる国民が攻撃しろと自衛隊に求め、それを受けて自衛隊が上の指示無視して武力行使することが許されていいかどうか。
この上の指示に反して現場がどうするかを決めて行動するのが独断専行です。現場はもちろんそうするのが良いと思って行動するのです。「現場のことは現場が一番わかってる、上の指示が間違いで自分たちの考えの方が正しい」と考えて。そう考えて良いと思ったからと行動していいのかどうか。
それで良いんだと考え行動したのがかつての帝国陸軍の前線部隊です。現場が独断専行でどんどん戦線広げてく。上層部はその独断専行を追認。現場はますます独断専行。この繰り返しで泥沼に嵌ったのが先の大戦。軍の暴走とは独断専行なのです。独断専行は決して許してはいけません。
話を戻しますと、そういった現場の独断専行を求めるようなことはしてはいけないのです。公務員への批判はその公務員に独断専行をしろと求めてるのと同じです。批判は国会に向けて行って下さい。(批判の対象は総理だったり与党だったり野党だったり特定議員だったりケースバイケースで)
--------------
上の指示に逆らって勝手な事してる公務員への批判は別です。指示に従えというのは独断専行するなという意味ですから。
検索求めたのは
ただあるのは地域ではなく学校ですけどね、そうした傾向のある学校。地域的なものもあるとは思いますが、地域単位で把握するのは難しいので。ともかくないわけではないことは間違いない。
>sadatajpさん
そのうえで、いくつかの点について説明します。
では、行政レベルではどうでしょうか。行政が憲法や法律を遵守しているのか、そもそも、作られた法律が憲法に沿っているのか、それが非常に疑わしい場合が多々ありますね。「後期高齢者医療制度」の例はまさにそのような例です。
また、「公務員」というときに、どのようなレベルの公務員なのかも大切ですね。後期高齢者医療制度を立案した厚生労働省保健局総務課老人医療企画室
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-685.html
の人も公務員。現場で国民の苦情にさらされる人も公務員。厚生労働省保健局総務課老人医療企画室が後期高齢者医療制度を立案し、政府と一体となって自公与党がそれを強引に国会を通したという現実を見て、私は国会の自公与党だけではなくて、厚生労働省保健局総務課老人医療企画室の公務員も批判します。それにくらべて、現場で苦労する公務員に対する批判はそれに比べるとはるかに弱くなりますね。現場の人たちの多くは、こんな制度おかしいと思いながら苦労していますから。もし私が「公務員」と言っているときに現場の人だけのことを言っているとsadatajpさんがお考えなら、その理解はぜひ修正してください。
次にいきます。公務員は就職の時に憲法を遵守することを求められます。そのような公務員が憲法に違反する疑いのある政策の実施を求められたとき、それに疑問を持つことは大切だと思いますよ。上司命令だから従え、ということだけを強調することは、その命令や政策の正当性、正統性を吟味することをおろそかにする方向に事態を向かわせますから。このあたりは、McRashさんも何度も書いている通りです。
私は、おかしいと思うことはおかしいと考え、そう発言することは誰もがしてよいと考えています。それは前のコメントに書いたとおりです。
おかしいと発言することを超えて、現場の公務員が「後期高齢者医療制度はおかしい、こんな制度は憲法の要請する原則に照らして、実施できない」と、自分の不利益を覚悟でストでもなんでもして立ち上がったと仮定しましょう。そうなったら、私はそれを「上司の命令に従わないのははおかしい」と一方的に断罪する気にはなれません。不利益を覚悟で問題を指摘する勇気を尊重するからでもありますが、「上司命令」よりも上にある「憲法の原則からの要請」が優先されるべきだと考えることもできるからです。そのような場合を私は「わがまま」とは呼びません。「より上位にある憲法の原則からの要請」を無視した「後期高齢者医療制度」を強行する厚生労働省保健局総務課老人医療企画室こそが「わがまま」なのだと思います。
「わがまま」だと一方的に決める前に、その中身をよく吟味しよう、ということです。
勢いがついて長くなってしまいました。(^^;
以下はおまけです。
>現場が独断専行でどんどん戦線広げてく。上層部はその独断専行を追認。現場はますます独断専行。
たとえば、元自衛官の佐藤正久参議院議員にその兆しがあります。例の「駆けつけ警護」です。上司の命令をきかないわがまま、ということになります。というか、それが防衛省の総意だと思われる節もあることがさらに問題なのですけど...。防衛省は国会ではなくて公務員。組織全体でわがままを実行しているのかと疑ってしまいます。その場合は憲法上の手続に従わないわがまま、ということでしょうか。
参考になる?
その一 憲法との整合性について。
「強制行為を積極的に肯定」する立場でも、憲法は最高法であることを認めるのだそうだ。即ち、憲法はその他の法律、況や行政の通達に優先することを認めたわけだ。然らば「強制行為を積極的に肯定=憲法遵守の観点からも強制は為されるべきである」ということになる。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない(憲法第十九条)」を遵守しながら、同時にその自由を侵害するためには、憲法第十三条の例外規定である「公共の福祉」を適用しなければならないはずである。ということは…思想及び良心の自由を侵害するに値する具体的な「公共の福祉」とは何かが問われているのだ。(当エントリーの趣旨も、本来は、「その公共の福祉とは何ぞや?」という問いかけにあるものと拝察する。)
公共の福祉により国民の権利を侵害することは例外規定であるから、それを持ち出すからには「強制しないこと」によって憲法に規定された国民の権利が侵害された(される)ことを、「強制する」側が立証する責任を負う。さぁ、国歌斉唱・国旗掲揚を強制しないことによりどんな権利侵害が生まれた(生まれる)のだろう?私には見当もつかない。
さて、「教育の場で強制される」側から強制に抗する訴訟が行われていることは読者諸兄もご存知のことと思う。ブログ主様も既にエントリーを挙げておられる。
これら訴訟の判決においても、強制しないことによる権利侵害を認めたものは寡聞にして知らない。せいぜいが「まぁ、そんな固いことは言いなさんな。」程度のものでしかない(=消極的肯定)。
逆に、ばっさり「強制は違憲」とする判決なら、ある。
国歌斉唱義務不存在確認等請求事件の東京地裁判決(平成18年9月21日判決言渡)がそれにあたる。
この判決の「結論」から重要な文を引用する。
----------------------------------------------
このような場合において,起立したくない教職員,斉唱したくない教職員,ピアノ伴奏したくない教職員に対し,懲戒処分をしてまで起立させ,斉唱等させることは,いわば,少数者の思想良心の自由を侵害し,行き過ぎた措置であると思料する次第である。国旗,国歌は,国民に対し強制するのではなく,自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の制度趣旨であり,学習指導要領の国旗・国歌条項の理念と考えられる。これら国旗・国歌法の制度趣旨等に照らすと,本件通達及びこれに基づく各校長の原告ら教職員に対する職務命令は違法であると判断した次第である。
----------------------------------------------
引用文中の「少数者の思想良心の自由を侵害し」という文言を記憶願いたい。
その二 民主主義という言葉の意味するところについて。
【4185】を書かれた方と私には用語の理解に大きなずれがあるようだ。
【4185】に曰く
>駄目だよ。
この言葉、熨斗つけてお返しする。
何故駄目か?
手短に言う。「目的と手段を一緒にするな」
多数決原理・法治主義とも基本的人権・自由権・平等権を確保するための手段なのだ。
法治主義は、平等が確保されやすいという点において、人治主義に優り、多数決原理は限られた時間の中でより優る選択をするための便法なのだ。
致命的なのは多数決原理を絶対視していること。これでは民主政と衆愚政の違いを説明できない。
・現実
朝鮮民主主義人民共和国=最高人民会議
中華人民共和国=全国人民代表会議
いずれも、形式的には、多数決原理を謳っている。
アメリカ合衆国=上院・下院
大統領の拒否権があるとはいえ、これも多数決原理で動いていると云って良いだろう。
そして我が祖国 日本=衆議院・参議院
住民票が無ければ選挙権は得られず、ホームレスやネット難民と呼ばれる人たちの中には選挙権を行使できない人がいる。
・極めて近い過去
ドイツの例:
1933 ナチス党が選挙により政権奪取。『全権委任法を国会の賛成多数で可決』。反ユダヤ法(複数)成立。ダッハウ強制収容所設置。
1939 ポーランドへ侵攻。第二次世界大戦開戦。
1945 敗戦。
日本の例:
1925 普通選挙法成立。
1928.2 普通選挙(第16回衆議院選挙)実施。
1928.6 治安維持法改正。
1930 第17回衆議院選挙実施。
1931 柳条湖事件。
1932 第18回衆議院選挙実施。
1936 第19回衆議院選挙実施。
1937 第20回衆議院選挙実施。盧溝橋事件。南京事件。
1941 真珠湾攻撃。日米開戦。
1942 第21回衆議院選挙実施。
1945 敗戦。
上記2例、いずれも多数決原理に基づく政権が戦争という、基本的人権の侵害行為を始めた事例である。(日本の場合、選挙権は成年男子に限定されていたという条件は付く)
戦争行為が基本的人権の侵害には当たらないというのなら何をか況や。
渠の答えざる処
>どちらが多いか
というようなところを抜き出してレスポンスなさるけれど、「教員の独裁状態」というのが、人事権、施設管理権、教育内容を決める権利などなどを、教員が持つことを指すのですか、という質問には一向に答えませんね。
逆に、教員会議での挙手を禁じ、校長も教育委員会の指示に服従を求め、通達は絶対であり批判を容認しないで、処分を出している都教委は、「独裁状態」を志向している、という論を、sadatajpさんの議論を下敷きに構成することは可能だけど、それを「独裁ではない」と論駁するには、どうするつもりなんでしょう。
乱暴!
そなた映画「ランボー2」は観ておるか?
>指示に反して現場がどうするかを決めて行動するのが独断専行です。
上から「捕虜を見殺しにせよ」との指示が出たのを無視して救い出したのだが、あれは誰からも支持されるはずのない「わがまま」なわけであるのだな。
よろしい。それを「わがまま」というのならそう断じたまえ。
ただ、ひとつだけお聞きしたい。sadata氏は、どちらが日本人として正しいとお考えか。
「見殺し」か、「救出」か、
もちろん、ご自分がそれを選択しうる状況に立たされたとして、です。あなたが「口だけ達者で何の行動力もないへたれ」かどうかはこの場合何の問題もありません。
たとえば、拉致被害者の存在を現場で知りえていながら、それを「知らなかったことにせよ」などと上から指示が下ったら。
たとえば、核兵器の存在を現場で知りえていながら、それを「知らなかったことにせよ」などと上から指示が下ったら。
たとえば性犯罪の被害を目の当たりにしながら、それを「知らなかったことにせよ」などと上から指示が下ったら。
しかと返答召されよ。
レスに対する感想文
村野瀬さん
いいえそれは問題になりません。全ての公務員に適用されます。
厚生労働省保健局総務課老人医療企画室の人であろうと批判の対象にしてはいけません。
批判すべきはその案を採用すると決めた議員であり、国会です。
ですが、企画室の人が正しく議員に説明したかどうかは問題にしていい。してなかったとしたら議員を騙したわけだから非難の対象になります。それが指示通りのわけありませんから。また、そんな案しか出せなかったという面からの批判も受けてしかるべきでしょう。批判の内容は無能だというものです。この場合求めるのは人材の入れ替えです。独断専行を求めるものではないので可です。
ともかく私の方も現場の人に限ってませんので。
>公務員は就職の時に憲法を遵守することを求められます。そのような公務員が憲法に違反する疑いのある政策の実施を求められたとき、それに疑問を持つことは大切だと思いますよ。
疑問は持っていいしそれを声に出してもいい。でも行動としては従わねばなりません。
>上司命令だから従え、ということだけを強調することは、その命令や政策の正当性、正統性を吟味することをおろそかにする方向に事態を向かわせますから。
従ってるのは正当性を認めてるからだという考えがベースにあるからそう思うのです。
「異議を唱えつつも従う」という考えがベースにあれば、従ってるからといってそれを正当と認めてるとは限らないということになります。従うことが「政策の正当性、正統性を吟味することをおろそかにする」ともなりません。
>私は、おかしいと思うことはおかしいと考え、そう発言することは誰もがしてよいと考えています。それは前のコメントに書いたとおりです。
私もそう考えてます。
>おかしいと発言することを超えて、現場の公務員が「後期高齢者医療制度はおかしい、こんな制度は憲法の要請する原則に照らして、実施できない」と、自分の不利益を覚悟でストでもなんでもして立ち上がったと仮定しましょう。
駄目です。私が先に書いた例を思い返してください。先の例でも現場は自分の考えが正しいと思って行動してるのです。そう考え、上からの指示より自分の考えを優先させて行動してるわけです。それはつまりは上の考えの無視です。公務員に限って言えば主権者たる国民の無視です。国民主権だというのであればこれは許されてはいけません。
公務員を辞めるというなら別です。公務員に下される指示の対象外になりますので。
>不利益を覚悟で問題を指摘する勇気を尊重するからでもありますが、「上司命令」よりも上にある「憲法の原則からの要請」が優先されるべきだと考えることもできるからです。
上司命令に重みを与えてるのは国民の主権です。主権者たる国民が選挙で議員を選び、その議員が立法した法律に基づく命令が公務員に下される命令です。だから私は従えといい無視するなと言ってるわけです。しかし 村野瀬さんはその命令よりも「憲法の原則からの要請」が上だとサラリと書いてる。憲法が優先だと。
ここは核心です。私は国民主権を最高位に置いて考えてます。村野瀬さん他あなたの共感者は憲法を最高位に置いて考えてます。国民主権より憲法が上なのだと考えてます。そうではありませんか?
話を戻します。再度これ。
>「上司命令」よりも上にある「憲法の原則からの要請」が優先されるべきだと考えることもできるからです。
こう考えるのは誰でしょう? 現場の公務員ですよね。憲法の原則に反してると現場の公務員が考えてるわけです。
憲法の原則に反してるかどうかの判断を現場の公務員が自身の考えに基づいて行ってるわけです。
そこには現場の公務員の考えしかありません。他の何よりも現場の公務員が自身で持つ考えを優先させてしまってます。
これは許されてはなりません。
現場の公務員が憲法に反すると考えたとしてもそれが本当に憲法に反するものなのかどうかはわかりません。
ただ現場の公務員がそう考えたというだけです。そんな個人的な考えを最優先にされては堪りません。
指示がないから反してない
「駆けつけ警護」はグレーゾーンです。法律の想定外のもので禁じられてはいないものです。また委任された権限で出来る事でもあります。だから違反ではありませんし我侭とも言えません。ですが、危ういものであるのは確かです。問題は想定外だということです。「駆けつけ警護」を行うような状況を今の法律は想定してません。そのような時にどうするかという指示がないわけです。指示がないままに現場の判断で動くことになります。指示に反することなく独断専行が出来る状況になってるのです。独断専行がいけないのは指示を無視するからです。指示のない中での独断専行は悪くありません。指示がない以上現場の臨機応変な対応で対処するしかありません。だからこれも悪いとは言えません。
問題は想定外であることです。現場の独断専行を防ぐ為に想定した指示を出しておくべきです。
村野瀬さん
いいえそれは問題になりません。全ての公務員に適用されます。厚生労働省保健局総務課老人医療企画室の人であろうと批判の対象にしてはいけません。批判すべきはその案を採用すると決めた議員であり、国会です。
ですが、企画室の人が正しく議員に説明したかどうかは問題にしていい。してなかったとしたら議員を騙したわけだから非難の対象になります。それが指示通りのわけありませんから。また、そんな案しか出せなかったという面からの批判も受けてしかるべきでしょう。批判の内容は無能だというものです。この場合求めるのは人材の入れ替えです。独断専行を求めるものではないので可です。
ともかく私の方も現場の人に限ってませんので。
>公務員は就職の時に憲法を遵守することを求められます。そのような公務員が憲法に違反する疑いのある政策の実施を求められたとき、それに疑問を持つことは大切だと思いますよ。
疑問は持っていいしそれを声に出してもいい。でも行動としては従わねばなりません。
>上司命令だから従え、ということだけを強調することは、その命令や政策の正当性、正統性を吟味することをおろそかにする方向に事態を向かわせますから。
従ってるのは正当性を認めてるからだという考えがベースにあるからそう思うのです。「異議を唱えつつも従う」という考えがベースにあれば、従ってるからといってそれを正当と認めてるとは限らないということになります。従うことが「政策の正当性、正統性を吟味することをおろそかにする」ともなりません。
>私は、おかしいと思うことはおかしいと考え、そう発言することは誰もがしてよいと考えています。それは前のコメントに書いたとおりです。
私もそう考えてます。
>おかしいと発言することを超えて、現場の公務員が「後期高齢者医療制度はおかしい、こんな制度は憲法の要請する原則に照らして、実施できない」と、自分の不利益を覚悟でストでもなんでもして立ち上がったと仮定しましょう。
駄目です。私が先に書いた例を思い返してください。先の例でも現場は自分の考えが正しいと思って行動してるのです。そう考え、上からの指示より自分の考えを優先させて行動してるわけです。それはつまりは上の考えの無視です。公務員に限って言えば主権者たる国民の無視です。国民主権だというのであればこれは許されてはいけません。
公務員を辞めるというなら別です。公務員に下される指示の対象外になりますので。
>不利益を覚悟で問題を指摘する勇気を尊重するからでもありますが、「上司命令」よりも上にある「憲法の原則からの要請」が優先されるべきだと考えることもできるからです。
上司命令に重みを与えてるのは国民の主権です。主権者たる国民が選挙で議員を選び、その議員が立法した法律に基づく命令が公務員に下される命令です。だから私は従えといい無視するなと言ってるわけです。しかし 村野瀬さんはその命令よりも「憲法の原則からの要請」が上だとサラリと書いてる。憲法が優先だと。
ここは核心です。私は国民主権を最高位に置いて考えてます。村野瀬さん他あなたの共感者は憲法を最高位に置いて考えてます。国民主権より憲法が上なのだと考えてます。そうではありませんか?
話を戻します。再度これ。
>「上司命令」よりも上にある「憲法の原則からの要請」が優先されるべきだと考えることもできるからです。
こう考えるのは誰でしょう? 現場の公務員ですよね。憲法の原則に反してると現場の公務員が考えてるわけです。
憲法の原則に反してるかどうかの判断を現場の公務員が自身の考えに基づいて行ってるわけです。
そこには現場の公務員の考えしかありません。他の何よりも現場の公務員が自身で持つ考えを優先させてしまってます。
これは許されてはなりません。
現場の公務員が憲法に反すると考えたとしてもそれが本当に憲法に反するものなのかどうかはわかりません。
ただ現場の公務員がそう考えたというだけです。そんな個人的な考えを最優先にされては堪りません。
指示がないから反してない
「駆けつけ警護」はグレーゾーンです。法律の想定外のもので禁じられてはいないものです。また委任された権限で出来る事でもあります。だから違反ではありませんし我侭とも言えません。ですが、危ういものであるのは確かです。問題は想定外だということです。「駆けつけ警護」を行うような状況を今の法律は想定してません。そのような時にどうするかという指示がないわけです。指示がないままに現場の判断で動くことになります。指示に反することなく独断専行が出来る状況になってるのです。独断専行がいけないのは指示を無視するからです。指示のない中での独断専行は悪くありません。指示がない以上現場の臨機応変な対応で対処するしかありません。だからこれも悪いとは言えません。
問題は想定外であることです。現場の独断専行を防ぐ為に想定した指示を出しておくべきです。
とみんぐさん
いいですよ、それで。
>「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない(憲法第十九条)」を遵守しながら、同時にその自由を侵害するためには、憲法第十三条の例外規定である「公共の福祉」を適用しなければならないはずである。ということは…思想及び良心の自由を侵害するに値する具体的な「公共の福祉」とは何かが問われているのだ。
思想及び良心の自由は侵害してない。だから例外規定も必要ない。例外規定を持ち出す為の立証責任もない。
>国歌斉唱義務不存在確認等請求事件の東京地裁判決(平成18年9月21日判決言渡)がそれにあたる。
その判決はおかしい。
>【4185】を書かれた方と私には用語の理解に大きなずれがあるようだ。
そうね。大きく違う。
>「目的と手段を一緒にするな」
一緒にはしてない。私とあなたの違いは目的と手段を一緒にしてるかどうかではなく目的。目指すところが違う。
それが目的と手段を一緒にしてる、つまり手段の方を優先してるとあなたにみえる所以でしょう。
>法治主義は、平等が確保されやすいという点において、人治主義に優り、
これはいい。
>多数決原理は限られた時間の中でより優る選択をするための便法なのだ。
そういった意味もあるがより大事な意味がある。主権者である国民個々の主権を可能な限り等しく扱う為の便法。
両立しえない意見や利害が対立した時にどちらを優先させるかを決める為の便法。等しく権利を持つ人が意見を対立させた場合、両方の意見を同時に採用するというのが理想ではあるが実際問題出来ない。であればどちらを優先するか? ここで出てくるのが多数決。これによってより多くの主権を生かす事が出来る。少数の主権は決定に反映されなくなるが最大限生かそうと思えばこの方法しかない。
多数決原理は主権を可能な限り生かす為の便法なのです。
>致命的なのは多数決原理を絶対視していること。
国民主権を前提に考え、その主権を最大限生かそうと思えば多数決しか方法がないからそうなる。
>これでは民主政と衆愚政の違いを説明できない。
両者は別物ではない。衆愚政は民主政の現れ方の一つ。
>朝鮮民主主義人民共和国=最高人民会議
>中華人民共和国=全国人民代表会議
>いずれも、形式的には、多数決原理を謳っている。
大笑い。代表的な独裁国家じゃん。馬鹿ここに極まれリ。
ウーティスさん
実質的に教員が持つと答えたでしょ。
>逆に、教員会議での挙手を禁じ、校長も教育委員会の指示に服従を求め、通達は絶対であり批判を容認しないで、処分を出している都教委は、「独裁状態」を志向している、という論を、sadatajpさんの議論を下敷きに構成することは可能だけど、それを「独裁ではない」と論駁するには、どうするつもりなんでしょう。
都教委は東京都の委任を受けてます。東京都の意思を具現化する為に東京都の意を受けて活動してるのが都教委なわけです。
都教委から出される指示は東京都の判断に基づくものなのです。そしてその東京都の判断は東京都民からの委任を受けてのものです。
都教委が出す支持は東京都による裏書かあり東京都民の裏書があるわけです。都教委の独断ではありません。
東京都に逆らったことをすれば都教委の独断ということになりますがね。
風鈴さん
「誰からも支持されるはずのない」は余計。我侭は同じ我侭をしたい者からは支持される。
で、本題に戻ると、やはりあれも軍人としてはやってはいけない事。軍はあの行動を処罰しなければならない。
>ただ、ひとつだけお聞きしたい。sadata氏は、どちらが日本人として正しいとお考えか。
>「見殺し」か、「救出」か、
救出。ただし命令違反自覚した上での個人の勝手な行動としての救出。その責任を全て自身で被ることを前提としての救出。救出したあとは自軍に処罰されるか自軍に対し敵対することが前提での捨て身の救出。
>たとえば、拉致被害者の存在を現場で知りえていながら、それを「知らなかったことにせよ」などと上から指示が下ったら。
>たとえば、核兵器の存在を現場で知りえていながら、それを「知らなかったことにせよ」などと上から指示が下ったら。
>たとえば性犯罪の被害を目の当たりにしながら、それを「知らなかったことにせよ」などと上から指示が下ったら。
どれも上と同様。処罰するのはおかしいとかその行動を認めろと当の敵(自軍・上)に求めるなんてことする気はない。大人しく処罰されるか抗って戦うかのどちらかを選ぶ。組織に帰属し続けようと思えば処罰を受ける。戦うなら飛び出す。
-------------
気に入らなきゃ飛び出して戦え。支持者集めて敵を潰せ。ただし敵の方を支持する者が多いと潰されるがね、敵とその支持者に。
で、あなた方の意識としては敵との戦いなのでしょう。いいですよ、別に。戦えばいい。私は応戦する側にまわる。もしあなた方の戦いが勝利すれば今度はこちらから戦いを仕掛ける。
ルイージさん
意識してるよ。だからそう思われないよう馬鹿だといいつつも無視せずレスし続けてる。私が相手を馬鹿だというのはその言い分を無視してるのでないことを示したくて。私の言う「馬鹿」は根拠無しの放言ではないのだと示したくて。
実質的
ということは、新卒採用でも、教員が認めないと採用されないというわけですね。
そうすると、教員(ここが不思議なんだけど、教員て言い方は組織ではないから、どうやって実質的な権限を持つんだろう。ある教員はある人事に賛成し、ある教員は反対する場合は、案件がずっと決まらなくなるな。)の意向を汲まないと採用から人材配置もできないことになる。
念のために付け加えておきますけど、教職員組合は東京都の教員の「君が代不起立」に対しては全然支援しないというのが、運動している人たちには批判が強い。不起立で処分された教員を知っているけど非組合員。
施設管理権も教員に実質的にあるから、学校事故が起こると、マスコミは教員のところへ責任追及に行くんでしょうなあ。
それから、東京都の教員処分については地裁で違憲・違法の司法判断が出ていますから、判決は確定していないとはいえ、都教委がその後の処分を強行しているのは、司法への行政の越権であると感上げることもできます。
「国旗・国歌法」は、義務規定などありませんし、強制をしないというのが立法時の趣意ですから、東京都と都教委の強制は、国の立法への「実質的」な反抗ではないか。
そもそも横山教育長(当時)の専行がなかったら、「日の君強制」もどうなったかわからないのではないかなあ。
ウーティスさん
教員が縁故採用で枠埋めてしまうんじゃない?
>ここが不思議なんだけど、教員て言い方は組織ではないから、どうやって実質的な権限を持つんだろう。
押しの強い教員が同僚の教員を従わせて職員会議で主導権を握るという形になるだろうね。
>ある教員はある人事に賛成し、ある教員は反対する場合は、案件がずっと決まらなくなるな。
派閥が出来て派閥争いをしてその勝者が決定権握るでしょう。
>念のために付け加えておきますけど、教職員組合は東京都の教員の「君が代不起立」に対しては全然支援しないというのが、運動している人たちには批判が強い。
運動してる人からはそうみえると。でも外からはそうは見えない。主張は同じだし。
>不起立で処分された教員を知っているけど非組合員。
あっそ。だから? あれだけ主張が同じで非組合員だと言われてもねえ。
責任追及が責任者にし権限を強化する
独裁を目指してはいるが今現在そうなってるわけではありません。だから今現在施設管理権が教員にあるわけではありません。しかし、マスコミが教員に責任追及することで教員が管理権に踏み込む状況を作ってしまってます。
皆安易に責任追及してるけど、責任追及ってそんなに簡単にやってはいけないものです。責任追求は追求してる相手に権限を持たせるものです。元々持ってるなら権限強化を招きます。責任追及とは「お前がちゃんとやってないからいけないんだ」というものです。こう言われた側は「私がちゃんとやらないといけない」となります。「お前がちゃんとやってないからいけないんだ」とは「お前が責任者だ」と言ってるのと同じ。「私がちゃんとやらないといけない」は「私が私の責任でもってやる」と同じ。そして、「私が私の責任でもってやる。責任者である私が今まで以上に権限を振るう」となります。他の者が口出してきたら「責められるのは私だ」と言うようになります。その意図するところは「責められるのは私なのだから私の言う事を聞け」です。このように責任追及された側が事実上の責任者となって、責任者故の権限をより強く振るうようになるのです。だから私は教師への責任追及はしません。私が教師に対してする批判は「それは教師の責任ではない。教師がでしゃばるな」というものです。
責任追及は気をつけてやらなければなりません。責めてる相手の焼け太りを招きます。
お邪魔します
コメントがすごいことになっていますね。
そちらには乗り遅れていますので、いまさら参加しません。
一応私は消極的ですが、『国旗国歌を強制することを是とする者』です。
国旗・国歌を式典で使用する効果というのは、
『一体感』などまで行かないまでも、
日本人であると意識・無意識に刷り込むことではないでしょうか。
帰属意識といえばよいのでしょうか。
自分がどんなグループに(好む・好まざる関係なく)所属しているかを確認させるという効果はあると思います。
あと、この話になると他の国ではこんなことしていないというのがありますが、他国とは前提が異なると思っています。
他国で、国旗が掲揚されるとき・国歌が斉唱されるときには起立する・斉唱することは当然のことです。
ですので、強制しなくても良いのです。
特別な事情がある場合(宗教など)、不起立が認められます。
日本の場合は、国旗・国歌を使用する際、当然こうすべきというところまで、到達していないと感じます。
ですので、当然こうすべきと教育・指導する立場の人間は強制されても仕方が無いと考えます。
以上が消極的ながら強制を是とする理由です。
予防訴訟
お得意の日教組ホームページからの引用で、裏付けてください。
訂正 「司法への行政の越権であると感上げることもできます。 」→「行政の越権であると考える」
起立義務不存在の確認という訴訟もあるね。
文科省は、沖縄戦集団死の大江・岩波裁判が係争していることから、学説が定まっていないとかいって教科書検定意見をつけたっけ。
教員の起立義務は係争中なのに都教委は処分を出す。文科省の態度とずいぶん違います。
予防訴訟
http://homepage3.nifty.com/yobousoshou/
レスに対する感想
という行為を行うことで、第三者が彼に対し「俯瞰して見ることが出来ている」という感想を持つことはない。「相手を悪い奴だってことにしてしまえば相手の言い分無視出来て楽になるんだろうけどね、人はそれを見抜くよ。」という金言は自分にも帰って来る。
臥薪嘗胆
なるほど、現都知事みたいな憲法違反の大罪人を擁護するためには、敵の敵は味方、ということで、…アメリカにでも亡命しますか。あっぱれな心意気。彼の国で支持者を集めての汝の革命が円満に(平和的に、ということです)成就することを願おう。
ご無沙汰してます
>気に入らなきゃ飛び出して戦え。支持者集めて敵を潰せ。
ほう、すばらしいじゃない。ご立派、ですな。でもねえ、sadataさん。みんなランボーみたいな戦闘マシーンちゃうねんて。
(だから、ルールがあるの。最高法規「憲法」ってやつ。ルールが従う理想ってやつ。ま、理解できないでしょうからそこらへんははしょっちゃって結構よん。)
つまりね、「何人たりともこのルールには従わんといけん」と、みんなで決めたのよ。憲法は。
ゲス上司のセクハラを見つけたり、社長の脱税の片棒を担がされたり、社ぐるみでのインサイダー取引みたいな資本主義社会への大罪をディスクローズしても、憲法の理念に従ったものは必ず勝つ、ようになってるのよ。だから、そんな卑劣な犯罪を未然に防げるのね。国民みんなで。だよ。
決めてあるものなのよ、それを。憲法は。おわかり。っていうか、わかってね。
ウーティスさん
んじゃこれで。
http://www4.ocn.ne.jp/~ttutokyo/sokuhou/007sokuhou01syobunkougiseimei.htm
色々調べてて、日教組、地方が積極的で中央は消極的だったというのはわかりました。「教職員組合は東京都の教員の「君が代不起立」に対しては全然支援しないというのが、運動している人たちには批判が強い。」の全然支援しないってのは中央のことだったのですね。
この問題に関しては裁判はあてになりません。こんなのもあるし。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070228ur04.htm
ルイージさん
「自分にも帰って来ると俯瞰して見ることが出来て」いるかどうかでしょ。
[自分にも帰って来る]“と”俯瞰して見ることが出来てるかどうか。
俯瞰して見ることが出来てるかどうかはわからないけど
同じ事すれば[自分にも帰って来る]とは思ってる。だから帰ってこないよう用心してる。
風鈴さん
ごんさん
私は狂信者と話す気はない。
嗜み
>ごんさん
おつかれさんです。
憲法は最高法規であることに異議はないそうですよ…^^?
だから…たぶん…ごんさんに異論は挟めないと思います(論理上は…感情論でどうかは知らん)
>sadatajpさん
私が潰したいのは反国旗国歌の教師達とその支援者や支持者だよ。
2008-06-25 投稿者 : sadatajp
>[C4283] ごんさん
>憲法の理念に従ったものは必ず勝つ、ようになってるのよ。
私は狂信者と話す気はない。
2008-06-25 投稿者 : sadatajp
sadatajpさん。この二つの発言は、ここでは「レッドカード」です。
言葉で相手を説得したり、自説をていねいに説明したり、あるいはお互いの合意をさぐるのではなく、「人間」を「潰す」という発想をここでは認めません。
また、「狂信者」という言い方は、なぜそう言えるのかあなたの主観を超えてきちんと冷静に説明するプロセスがなければ認めません。目の前のコメンテーターに向けられた言葉であればなおさらです。
私は今まで、ここであなたにかなり発言の自由を許してきましたが、寒々としたこの二つの書き込みに対して大きな悲しみと怒りを感じています。
所詮人の作ったもの
至上の価値ではないし究極の理想でもない。
所詮人の作ったもの。欠陥だらけ穴だらけ。
特に現憲法は空虚な理想論のかたまり。欠陥だらけもいいとこ。
でもまあとりあえずは憲法。今のところ一応そういうことになってる。
なんでとりあえずは従いはする。従いはするが、
従いつつも異議を唱え続けるよ、私は。
でもって場合によっては従うの止める。
憲法以上に価値あるものの為に。
もっとも従うといってもこんな現実離れした憲法なんか本当の意味で従うなんて不可能なんで格好だけだけどね。お前らだって守れちゃいないよ、絶対に。
村野瀬さん
潰したいのは人間そのものではありません。その考え方です。
聞き捨てならぬ
そこの御仁は、法治国家において、この文言を「狂信者」と断ずる。ならばお聞きしたい。
sadatajpさま
あなたは、社会のあるべき姿として、人間の従うべき矩として、ご自身のよって立つ理念として、何を信じていらっしゃるのか。
それを国体と答える人物こそ、「国家主義者」ということになりますが。そのようなことは仰らないでしょうな。
よもや自国領内での体制転覆(クーデター)などお望みではないはずですから。
ご心配には及びませんよ
ありがと。でも、気にしないでね。
追い込まれたら、罵倒語を投げかけて議論をうやむやのうちに処理しようとする。それがこの人たち一般に見受けられる特徴なのよ。
>私が潰したいのは反国旗国歌の教師達とその支援者や支持者だよ。
本気でこんなのがみんなの賛同を得られると思ってんの?
そんなのがこの日本で多数の支持を受けるようなら、日本の有能な学者たちはこぞって亡命しはじめるよ。今だったらドイツあたりかな。
あの時にアインシュタインがそうしたように。
[4281]レスに対する感想文
事実上の話
民主的な手続きで生まれた(行政)権力なのだから従うのは当然という一般論を言うことはできます。
ただ、選挙結果をまたず世論の批判などから、通達が撤回されたり、法の施行細則が変わったり、などで、立法府の判断ではなく、実質的な政策が変わることってあるんじゃないかな。実際の行政はかなりな裁量権があると思う。
そして、国の方針が変わったことに対し国民が「いったん決まった方針が変えられたのは多数意思の無視」と批判することはあまりないと思う。
東京都教委の通達も、都知事や議会選挙のような政治プロセスが間になくても、状況変化で変更される可能性はあると思う。そのとき都民の民意が無視されたということになるのかな。
「応えてくれるのであれば」
説明したとして、その説明を聞く気はありますか?
相手の言ってる内容を理解しようとしますか?
あなたと異なる考えというのはあなたの中にあるものとは違うあなたの中に無い考えです。あなたの考えとも認識とも合致しないもので組み立てられた考えであり、聞いてすぐ理解出来るというものではありません。理解の為には相当の努力が必要です。その努力をしてくれますか。
どんな説明をしてもそれを頭ごなしに否定し聞き流されては理解させることは出来ません。説明して理解してもらうには説明を受ける側に理解しようとする努力が絶対的に必要です。賛同までは求めませんが、その説明の内容を相手の意図通りに理解し把握する努力は求めたいと思います。それに応えてくれますか? それに応えてくれるのであればいくらでも説明します。
通常言葉を濁して語られない部分までストレートに書き表しての説明をして差し上げます。多くの人が当然わかってるものと考えて説明を省いてる部分についても説明します。説明を聞く気があるなら聞きたいことを質問して下さい。可能な限り答えます。
(ここでの理解は内容の把握であり賛同を求めるものではありません)
----------------------
ここから私は話し始めました。上記で求めた努力がまったく期待出来ず、頭ごなしに否定し聞き流すのが明らかなのが狂信者。自分の信じる考えが最高だと考え絶対と考え、そのことをまったく疑わないのが狂信者。そんな狂信者が自身の信じる考えと異なる考えに耳を貸すわけがない。最高で絶対の考えと異なるならそれは低俗な間違った考えとなる。そのようにしか思えないものに耳を貸すはずがない。
そんな相手と話してもどうにもならない。いくら話そうとまったく無駄。どんなに工夫して説明しようとまったく無駄。やるだけ無駄。私はそんな奴相手に話す気はない。
『憲法の理念に従ったものは必ず勝つ、ようになってるのよ』
「必ず勝つ」と言い切り、
「そのようになってる」と動かしがたいものだと示し、
「のよ」と軽く、つまり何の気負いも無く書いてる。
この言葉が表してるのは自分の信じるものに対しての疑いの無さ。
修正の余地が一切ない。これはもう狂信者の言葉以外のものではありえない。
こいつにはもう考えるつもりがない。
人は自分がわかってないとか間違ってるかもとか思うからこそ人の話を聞こうとする。
それを自分の糧にしようとして聞こうとする。自分に対する疑いがあるからこそ違う意見にも耳を貸す。
そして考える。よりよいものを求めて。
こいつには疑いがない。最高を知ってるつもりだからより良いものを探そうというつもりもない。
そんな奴が違う意見に耳を貸すはずがない。考えるはずがない。
そんな奴相手に何言っても無駄。
自分がわかってることを教えてやろうとかいうならまだ多少は話す意味もある。こちらから言うのは無駄でも聞くことで相手の考えを知る事が出来る。それを参考にすることだって出来る。こいつは自分考えを話す気もない。わかってるつもりになって相手を見下すだけ。
そんな奴相手に話す意味がどこにある?
何一つありゃしない。話すだけ無駄。私はこんな奴相手にしない。
村野瀬さん
そんなことしてる人が私が相手した中で一人でもいたか? 誰もそんなことしてなかったろ。一方的に話すだけではない対話にしようとクエスチョンマーク多用したけど誰も答えやしないし。あなた方はいつもそう。説得とか説明とか合意とか。自分達はちっともやりゃしない。空虚な言葉の羅列ばかり。それがあなた方。
もう公開はされないでしょうが書くだけは書いとく。無視なら無視でいいけど無視したことだけは自覚しろ。自分は無視する人間なんだと自覚しろ。
村野瀬さん、コメンターのみなさんお疲れ様でした。
これだけ長くやりとりしても、ついぞ国家国旗の強制の中身に踏み込んだ議論にたどりつけなかったのが興味深いですね。
つまり、あのようなタイプの人は、そもそも共通認識として備えてなければならない議論の前提ルールを備えていないので、肝心の主題にさえたどり着けない、ということの一証明ができた
というのがこのコメントのやりとりの最大の収穫だった気がします。
このコメント欄は「ネトウヨ分類学」にカテゴライズされた方がいいかも^^
言い返したがる人々
ご本人も 「言葉で相手を説得したり、自説をていねいに説明したり、あるいはお互いの合意をさぐる」とはとうてい思えませんけどね。「相手になってやる」なんて言って。
自分が使った言葉をすぐに忘れているようだし。忘れるのはともかく、「相手に合わせたんだ」と言い返す神経がわからない。
「言い返す」ことが自己目的になっていて、「言葉で相手を説得したり、自説をていねいに説明したり、あるいはお互いの合意をさぐる」ことは最初から考えていないのではないでしょうか。
おや
載せてもらえるのなら続けます。さて、、、
風鈴さん
漠然としてて答え辛いけど答えてみます。
まず『人間の従うべき矩』
人間は絶対的な正しさには辿り着けない。
よって、
人は絶対にどこかで間違いを犯してる。
そしてその間違いに気づいてない。
だから、
間違ってるかもしれないという思いは常に持ってなくてはいけない。
とはいえ、
絶対的な真実には辿り着けないのだから、間違えてるとしてもやらなきゃいけない。とりあえずは自分が正しいだろうと思うことをやるしかない。正しいと思うことを本気で、全力でやればいい。
それでも
自分が間違ってるかもというのはどこかで持ってなければいけない。
もし間違いに気づいたら正せるように。
次に『社会のあるべき姿』
上記の間違いを犯すことが避けられない人間が、それぞれ自分の正しいと思う事を行い、そこで出た結果で自分達の間違いを正していき「より良い」を永遠に探し続ける社会。
私はこのように思ってるので何か一つの考えを絶対的に正しいと思い込む狂信者は大嫌い。
ごんさん
>本気でこんなのがみんなの賛同を得られると思ってんの?
多数派を形成できる程度には賛同得られると思ってる。
“反国旗国歌の教師達とその支援者や支持者”の支持はいらない。
ルイージさん
あなたのは見抜いてるのではない。そう思い込もうとしてるだけ。
そういうのは気にしない。そうでない事を示し続けてればあなたの方がおかしいってことになる。
ウーティスさん
ええ役人が実質的な裁量権持ってしまってるってケースが数多くありますね。故に官僚国家とか役人天国といわれる状態になってます。好ましくない状態です。
>そして、国の方針が変わったことに対し国民が「いったん決まった方針が変えられたのは多数意思の無視」と批判することはあまりないと思う。
批判以前に『いったん決まった方針』ってのがない。
一応これが方針だといって色々出してはくるが中身スカスカのお題目だけで方針といえる程のものになってない。方針として出しても即異論続出で指針としての機能を果たさない。また官僚が骨抜きにしようと即座に動くし。国としての方針が決められないのが今の日本。変わるも何も初めからグズグズ。
>東京都教委の通達も、都知事や議会選挙のような政治プロセスが間になくても、状況変化で変更される可能性はあると思う。そのとき都民の民意が無視されたということになるのかな。
変更が政治プロセスでの決定事項をはみ出さないなら無視にはなりませんが、はみ出すとなると無視ということになります。
秋原葉月さん
>これだけ長くやりとりしても、ついぞ国家国旗の強制の中身に踏み込んだ議論にたどりつけなかったのが興味深いですね。
興味深いねぇ。結局サヨウヨ論争のフルコースになってしまった。
>つまり、あのようなタイプの人は、そもそも共通認識として備えてなければならない議論の前提ルールを備えていないので、肝心の主題にさえたどり着けない、ということの一証明ができた
私sadatajpは皆さんの問いに答えるという形で延々やってます。テーマを決めてるのは私にレスくれてる皆さんです。「国家国旗の強制の中身に踏み込んだ議論」に持っていきたいなら皆さんの方からそういう話を振ってくればいいのです。そうすればそのような話になります。私にどんな話をさせるかはあなた方次第です。国家国旗の強制の中身に踏み込んだ議論をしたいならそういった問いかけを私にして下さい。喜んでお相手します。
>このコメント欄は「ネトウヨ分類学」にカテゴライズされた方がいいかも^^
ぜひに。
モンキーミミさん
説明はしてるよ。説明が足りてないと思うならどんどん突っ込んでくればいい。
合意も結構してるよ、「ええそうですね」とか。 「そう、それ」とかもあった。
もっとも合意を探るのが私の目的ではないけどね。
前の方で合意を探るのが議論だなんてのがあったけどあれは馬鹿げてる。
合意してる部分については議論など必要ない。
「そうですね」の一言で済む。それ以上話す必要ない。
議論すべきは意見の違いがある部分。ここを話さないと議論する意味がない。
説得はあまり期待してないね。理解しようとしない奴相手に説得は無理だから。
>自分が使った言葉をすぐに忘れているようだし。忘れるのはともかく、「相手に合わせたんだ」と言い返す神経がわからない。
これだけやり取りしてりゃ忘れもするさ。所詮私は凡人、以前に書いたコメントの一字一句まで覚えちゃいない。
上のコメントへのお答え
<4142> ウーティスさんのコメント
sadatajp さま
>ウーティスさんが「教員の独裁状態」で聞いてきたので独裁で答えました。話をかみ合わせる為に相手の使った言葉に合わせて書いてますので、実際に言われてる言い方とは違うものになってます。
なるほどわかりました。わたしが「独裁」という言葉を使ったのは、このエントリーのコメント欄でのadatajpさんの、以下のコメントを受けてのことだということは、想起なさった上でのお答えですね。
では、3857]のときは、誰に合わせて「学校独裁」ということばをお使いになったのですか?
>[[3857]
>あんた等は国旗国歌が問題なのではなく強制が問題なんだというが、こっちだって真の問題は国旗国歌じゃない。教師達による学校の私物化こそが問題。この問題は教師の独善による学校独裁を阻止出来るかどうかが掛かった極めて重大な問題。
<4156>のsadatajpさんコメント
いや、どんな言葉使ったかまでは覚えてませんでした。私が使ってたのですね。でも4139の時に「教員の独裁状態」を受けて書いたのは事実です。
支配でなく独裁と書いたのは決定権の話だったからではないかと思います。よく覚えてないけど。あまり使われない言い方にしろ意味するところは同じなのだからどちら使っても構わないのでは? 何か問題がありますか?
疑問に感じたのは、「忘れるのはともかく、「相手に合わせたんだ」と言い返す神経がわからない。 」ということです。こちらのコメントをお読みになりましたね。
>忘れるのはともかく
に対して、
>これだけやり取りしてりゃ忘れもするさ。所詮私は凡人、以前に書いたコメントの一字一句まで覚えちゃいない。
一般論を言うのが好きな方ですね。なぜ、最初から、「あまり使われない言い方にしろ意味するところは同じなのだからどちら使っても構わないのでは?」と言わないで、
「ウーティスさんが「教員の独裁状態」で聞いてきたので独裁で答えました。話をかみ合わせる為に相手の使った言葉に合わせて書いてますので、実際に言われてる言い方とは違うものになってます。 」 <4139>のコメント
という応答をしたのかです。
議論の内容が優先なら、「相手が使ったから合わせた」などと反応するより、自分がその言葉を使った意図を真っ先に説明するものでしょう。しかし、sadatajpさんは、<「教員の独裁状態」で聞いてきたので>と言い返すのを優先した。
指摘したのは、なぜ相手に切り返すことを第一に考え、自分が思っていること、感じていることが二の次かということです。忘れる云々が問題なのではありません。
こんどこそ、ご理解いただけましたね。
ごもっともに御座います
なるほど、殊勝な心がけにございますな。諸手をあげて同意いたしまする。
ところで、sadata氏は、こういうことを宣う人物をどう思われます。
>武器と思われるものを持ってる相手には拳銃ぐらい向けたっていいと思うぞ、私は。
>不審な挙動したら撃ったっていいと思うね。
いや、この御仁の仰ることが、「思い」だけならばかまわないのですが。これは、結論ではないわけですな。つまり、いわゆるネタであって、決して実際の行動を伴うものではない、ということで。
間違って「射殺」なんかしたら、その行いを「より良い」方向に正すことなど永遠に不可能にございますれば。
北朝鮮で遊ぼう
なんでそんな(国旗国歌に対する)妄信的なことを断言できるの。
少しは、こういったご意見も参考にしていただきたいものです。
>何か一つの考えを絶対的に正しいと思い込む狂信者は大嫌い。
わたしもそう思います。
しかし、精神はあくまでも自由ですから、他の人権を抵触するまでは、その「考え」が「潰」されることは、ありません。日本国憲法にはそういうことが書いてあります。
ちなみに、日本国憲法は理念、であって、「ひとつの考え」などというこまいものではありません。
モンキーミミさん
ここでの私の最優先は、返ってきたレスに対してレスを返す(答える)ことです。そしてそのレスは私が「思っていること、感じていること」を書いたものです。二の次にしてはいません。
>議論の内容が優先なら、「相手が使ったから合わせた」などと反応するより、自分がその言葉を使った意図を真っ先に説明するものでしょう。
そのような書き方をしてたことを忘れてた私は自分がどう書いてたかとは関係なく(忘れてるのだから)「教員の独裁状態」で聞かれたのでそれに合わせるつもりでそう書いたと。これがその時の「自分がその言葉を使った意図」。真っ先に説明してます。
以前の時の意図はあの時点では忘れてるわけですからあの時点で説明しなかったのは当然です。
風鈴さん
これは私の考える「今より良い」です。
武器持ってる相手に手出し出来ず、武器持ってる者が思うままに振舞えるなんて状況よりよほど良い。
>間違って「射殺」なんかしたら、その行いを「より良い」方向に正すことなど永遠に不可能にございますれば。
犯罪者自身を「より良い」方向に正すのは犯罪者自身の努めであり、当人以外がそれに囚われる必要はない。
犯罪者自身を他の者がより良い方向に正してやるなんてことする必要はない。やったほうがいいとなればやればいいし、やらなくていいとなればやらなくていい。必ず正してあげなければいけないなんてことはない。
御免、訂正
は以下に訂正いたす。
>間違って「射殺」なんかしたら、その「間違い」を「より良い」方向に正すことなど永遠に不可能にございますれば。
同志sadata殿、あいすまぬ。
「ブログのコメント欄は議論には不向きである。」
論争なんて馬鹿でもできる
この身構えで、相手に問いかけるのは、相手の言論を理解したいと思ってではなく、相手に言い勝ちたいからだろうと強く推測されますね。
日常局面なら、誰でもそう考えると思いますよ。政治的スタンスの右・左にかかわらず。
>一方的に話すだけではない対話にしようとクエスチョンマーク多用したけど誰も答えやしないし。
モンキーミミさん
「私の考えのままに」なので違ってれば違うと言います。あってればその通りと言います。認めたら負けになるから認めないなんてことはしません。忘れてたら忘れてたと言います。間違ってたら間違ったと言うし、考えてないこと問われたらそこまで考えてなかったともいうし、知らないなら知らないというし、わからなきゃわからないというし。相手に言い勝ちたいとかは私にはないっすよ。
穏便に済ます為とか相手を立てる為とか承認される為とかで言いたい事控えて負けておくなんてこともしませんがね。
藤山寛美いいます
>「武器と思われるものを持ってる相手には拳銃ぐらい向けたっていいと思うぞ、私は。 不審な挙動したら撃ったっていいと思うね。」
>これは私の考える「今より良い」です。
武器持ってる相手に手出し出来ず、武器持ってる者が思うままに振舞えるなんて状況よりよほど良い。
「拳銃ぐらい向けたっていい」ゆーことは、「撃ったっていい」とゆーことは、ピストル、持ってはるゆーことですわな。ほな自分も武器持ってることなりますわな。ほんで、「武器と思われるもの」、作業員さんが角材かなんか運んでいて、いさかいになって、何をと材木を振り上げたら、こっちもピストル・・・は無理でも、ダガーナイフかなんか向けて、こっちから脅かしてやろうゆうのかしら。
正当防衛ゆーのんはありますから、危なかしいもん持ってるお人が、襲ってきたときにこっちも防がねば危ないゆーのはわかります。でも、「様子が怪しい」たらゆうて、こっちからピストルやらナイフやらで脅していいというのんやったら、「武器を持っている者が思うままに振舞う」とゆうんは、自分のことになってしまいなせんか。お巡りさんだってピストルの使い方、厳しく決められているものを、普通の人がピストルやナイフを持ち歩いて備えたほうが、ほんで自分の一存でそれを使っていいか決めてもいいゆうのんが、今よりいいといわはるのは、アメリカみたいなほうが日本よりずっといい国や、ゆーことなのかしらねえ。
アホはかなしーねえ。傍で聞いててよくわからんわ。
kuronekoさん
警官の対応ってことでしてた話です。警官ですからピストル持ってます。それが前提です。
>ほんで、「武器と思われるもの」、作業員さんが角材かなんか運んでいて、いさかいになって、何をと材木を振り上げたら、こっちもピストル・・・は無理でも、ダガーナイフかなんか向けて、こっちから脅かしてやろうゆうのかしら。
いいんじゃない? 別に警官でなくともやっていいと思うぞ、相手は木材を振り上げてんだから。
もっとも木材に対してダガーナイフってなどうかと思うけど。木材での攻撃防げんだろ、ダガーナイフじゃ。
>でも、「様子が怪しい」たらゆうて、こっちからピストルやらナイフやらで脅していいというのんやったら、
「様子が怪しい」ってだけで脅すなんていうてないやろ。
>お巡りさんだってピストルの使い方、厳しく決められているものを、普通の人がピストルやナイフを持ち歩いて備えたほうが、、、
お巡りさんの対応の話してたんだって~の。
>傍で聞いててよくわからんわ。
警官の対応の話だよ。相当前の話だからわからないのも無理ないと思うけど。
参照-------------
[C3837]
武器と思われるものを持ってる相手には拳銃ぐらい向けたっていいと思うぞ、私は。
不審な挙動したら撃ったっていいと思うね。
日本の警察が私の言ってるような対応しないことは知ってます。私は私で現在のやり方に異議を唱えてるのですよ。
-----------------
sadatajpさま
これはわかりました。
>私はここにウヨク側の考えを知って欲しいと思って出てきたのです。
この意図は失敗しているという印象です。「お前らが鈍いんだ」といって済ませるかどうかは、そちらのご自由ですが。
なお疑問
ここはわかったんやけどね。
>武器持ってる相手に手出し出来ず、武器持ってる者が思うままに振舞えるなんて状況
これが今の状況ですか?
>日本の警察が私の言ってるような対応しないことは知ってます。
犯人に威嚇射撃した事例は、報道されているだけでも全国なら毎月のようにあるのやないかしら。
もちろん、警察白書などで調べたほうがいいけどね。
>武器持ってる相手に手出し出来ず、
は、ちと大げさなものいいぞなもし。(これ関西弁じゃないや)
結句、警官の武器使用基準を現在より緩めるべきという話なのね。なんか、今のお巡りさんは、相手の暴力に何もできずにおろおろしているみたいで、最善を尽くしている警官に失礼な話だと思っていた。
モンキーミミさん
相手のあることだから私一人頑張ってもなかなかねぇ。
でも話す前よりは知ってもらえたのではないかと思いますよ。
>「お前らが鈍いんだ」といって済ませるかどうかは、そちらのご自由ですが。
それで済ませる気なら出張って来ませんって。こんなに粘りもしません。
で、あなた方は? どうせ言ったってわかりゃしないで済ませてやしませんか?
kuronekoさん
>は、ちと大げさなものいいぞなもし。(これ関西弁じゃないや)
そうでもないと思うぞ。
武器持ってる相手に対しての警察の対応は遠巻きにして持久戦に持ち込むのがせいぜいでしょ。
>結局、警官の武器使用基準を現在より緩めるべきという話なのね。
だよ~~ん。
>なんか、今のお巡りさんは、相手の暴力に何もできずにおろおろしているみたいで、最善を尽くしている警官に失礼な話だと思っていた。
別に警官が情けないわけではなくて、そんな対応しか出来ない状況に置かれてるってことなんだから失礼ってことはないだろ。
手出し出来てないのに「最善を尽くしている」なんて言う方がむしろ失礼。縛りを解けば日本の警察だってもっとやれる。
お返事
「それで済ませる気なら」相手し「ませんって。こんなに粘りもしません。」
公務をなんと心得る
テレビなどで実況中継される映像の印象が強いんやろね。でも警官が発砲して、警察が「銃の使用は適正だったと考える」ってコメントを出す報道、みたことないきゃー?
それに遠巻きにしているのは、警察側に被害が出ないようという意図もあろうがに。
>手出し出来てないのに「最善を尽くしている」なんて言う方がむしろ失礼。
警察官職務執行の規則の範囲で最善を尽くしているのを、「手出しできない」と言うほうが失礼。
警官は喧嘩しているんじやなくて「公務執行」しているって思えないのきゃ?規則の範囲で動くのが当然。その中で「最善」を考えるのも当然。
sadatajpが最善を認定するわけじゃないずら。法治国家日本では。
モンキーミミさん
どうせ言ったってわかりゃしないで済ませる人ばかりだったのでは?
まあいいけどね、そうやって縮こまっていってくれるとあなた方の存在は無視出来るほど小さなものになる。こうして相手する必要もなくなる。楽になる。
kuronekoさん
あるね。でもって毎回毎回問題視されるよな。毎回毎回やってはいけないことをしたような扱い。だから「銃の使用は適正だったと考える」なんてコメント出さなければならなくなる。それで納得してもらえるのかと言えばそんなことはなく、犯罪者側から裁判に訴えられたりもする。こんな状態では銃の使用が許されてるなんて言えない。こうなることを避けようとすれば「武器持ってる相手に対しての警察の対応は遠巻きにして持久戦に持ち込むのがせいぜい」ってことになる。
>それに遠巻きにしているのは、警察側に被害が出ないようという意図もあろうがに。
それだって犯人を撃てないからだろ。犯人を撃ってもいいとすれば警察は防弾用の装備して突っ込むよ。あるいは狙撃する。
>警察官職務執行の規則の範囲で最善を尽くしているのを、「手出しできない」と言うほうが失礼。
誰に対して失礼なんだ? 私は警察を責めてるわけじゃねーぞ。
警察官職務執行の規則の範囲での最善を尽くしてないと言ってるわけでもない。
だいたい失礼ってななんだ? 失礼だから言うなってか?
問題として取り上げることもすんなってか?
失礼かどうかなんて気にしてて問題点の指摘や議論が出来るかい!
>警官は喧嘩しているんじやなくて「公務執行」しているって思えないのきゃ?
こら、これはどこ見て出てきた言葉なんだ?
私はこんなレスが返ってくるようなこと一切書いてないぞ。
なんでこんなレスが返って来るんだ?
これ書くとき何考えた? どんな行間読んだんだ?
>規則の範囲で動くのが当然。その中で「最善」を考えるのも当然。
私はそんなところを問題視してねーぞ。
問題にしてるのは「規則の範囲」だ。
警官の武器使用基準を現在より緩めるべきという話だ。
あんたはそれを承知してるはずだろ。もう一度論点把握し直せ。
論点は「警官の武器使用基準」だ。
私の主張はそれを「現在より緩めるべき」だ。
論点把握し直しそれに沿ってレス返せ。
そうやって
尊大にふるまわってもらうほど、あなたの存在は嗤うにたるものになって愉快です。
相応の言葉づかい
これは聞いたことがなかったけど、まああるかもしれませんね。もしケースをご存知なら、アバウトな情報、「いつごろ、どんな事例、係争当事者の氏名、事案の結果、どこで報道されたか」のいづれか一つについてご教授ください。スタディケースとして調べてみます。
>それだって犯人を撃てないからだろ。
日本にもSWATはいますよ。実際に瀬戸内海のフェリージャックとか、狙撃したケースもあります。
一般の警官の武器使用基準の緩和については、射撃技術の練磨とか条件がいるでしょう。流れ弾で一般市民が負傷したなどといったら、結果論オンリーの一般大衆がなにを言うか。
>警察官職務執行の規則の範囲での最善を尽くしてないと言ってるわけでもない。
同様にわたしも、sadatajp氏が「警察官職務執行の規則の範囲での最善を尽くしてないと言ってる」から失礼であると言っているわけでもない。
>だいたい失礼ってななんだ?
「失礼」ということばは、先に貴殿が使った。
>問題として取り上げることもすんなってか?
そんなことはゆうとらん。
>なんでこんなレスが返って来るんだ?
「手出しできない」って言葉が、警察白書にあるか? 警察発表で「警察官がこちらから手出しをしたことは」 というか?
日本語の不自由な奴だな。「手出し」なんて喧嘩の時に使え。職務執行上認められる武器使用基準という話を、「暴れている奴は、とにかく撃っちまえばいいんだよ」なんてオヤジの酒場談義みたいなことばで語るな。真面目な話をしているんだぞ。もう少し言葉を選べ。でなきゃ日本語学校へ行け。
だいたい警官が手をこまねいているかよ。秋葉事件だって、ダガーナイフの相手と警棒で渡り合って押さえ込んだんだぞ。
論点以前の言葉づかい
返してやるから、まともな日本語を使え。
モンキーミミさん
kuronekoさん
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1188368255/
>日本にもSWATはいますよ。実際に瀬戸内海のフェリージャックとか、狙撃したケースもあります。
瀬戸内シージャック事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
これも殺人罪で告発されてんじゃん。特別公務員暴行凌虐罪でも。で、
「これ以降起こった日本の事件では、犯人が銃器等で武装している場合でも、なかなか射撃命令が下されなくなり、」
だってさ。
>一般の警官の武器使用基準の緩和については、射撃技術の練磨とか条件がいるでしょう。
そんな条件付けなくとも出来るとなればやるようにだってするだろ。
これってお前らのパターン。出来ないように縛っておいて達人レベルに達したらやらせてもいいという奴。
やらせなきゃ絶対そこまで出来るようにならない。出来ると証明する機会もない。お前らお得意のやらせない為の方便。
こんなん見飽きた。
>流れ弾で一般市民が負傷したなどといったら、結果論オンリーの一般大衆がなにを言うか。
問題視すんのお前らだろ。
>同様にわたしも、sadatajp氏が「警察官職務執行の規則の範囲での最善を尽くしてないと言ってる」から失礼であると言っているわけでもない。
じゃ何が失礼なんだ。
>「失礼」ということばは、先に貴殿が使った。
ウソだね。
>そんなことはゆうとらん。
じゃあなんなんだ?
「失礼」だってのは「失礼だから言うな」だろ。
言わずしてどうやって問題として取り上げるんだ?
>「手出し」なんて喧嘩の時に使え。
なるほど「手出し」で喧嘩連想したんだ。
「手出し」が喧嘩の時にしか使わない言葉だとでも思ってんのか?
本気でそう思ってんのか? それを言い張る自信があるか?
>真面目な話をしているんだぞ。もう少し言葉を選べ。
ぞなもしとかきゃーとかずらとか書いてたお前がいうかwww いい性格してんねぇ。
>だいたい警官が手をこまねいているかよ。秋葉事件だって、ダガーナイフの相手と警棒で渡り合って押さえ込んだんだぞ。
多くの犠牲者出した後でね。でもって決め手は「撃つ」。
2008年6月8日に秋葉原で発生した通り魔事件 まとめwiki
http://www11.atwiki.jp/akb_080608/pages/20.html
早い段階で撃てていればもっと犠牲は少なくて済んだと思うぞ。
kuronekoさん
これだって「オヤジの酒場談義みたいなことば」ということになるのではないでしょうか? 口調としては私のものと変わらないのではありませんか?
あなたが問題としてるのは言葉ではないはずです。
言葉使いとしては今回のkuronekoさんの言葉使いと私の言葉使いで変わるところはありません。にもかかわらずあなたが「酒場談義みたいな」と思うのは内容がそう感じるものだからでしょう。撃つことを容認するあなたから見て乱暴な主張を私はしてる。だから「酒場談義みたいな」などというのでしょう。違いますか?
まともな日本語を使えというなら使います。遊びの要素がなくなりきつい言葉の応酬となり、文章としても冗長なものになるでしょうがそれがお望みならそうします。しかし私の主張の内容はそれで変わることはありません。内容は変わりませんからあなたが受ける「酒場談義みたいな」という印象も変わらないでしょう。言葉使いを変えることに意味があるとは思えません。ニュアンスを伝え辛くなり話がわかりにくいものになるので私としては好みませんが、それでもあなたがそう望むならそうします。私としてはまともな日本語でも砕けた口調の日本語でもどちらでも構いません。あなたに合わせます。
丁寧な口調はギスギスしたものになり勝ちです。くだけた口調はそれ自体が潤滑油となり対立を和らげます。私としてはくだけた口調を望みます。
嫌がらせのつもりは、ないのですよ。
>私の主張はそれを「現在より緩めるべき」だ。
これは、このままでは主張ではございません。
たんなる感想でございます。
主張であるというならば、理由をお示しくださいませ。過不足なく。
現状においては、武装した人物に対して効果的な対応が取れないので、警察官の武器使用基準を緩和すべきと仰りたいのですかな?
この場合に想定される『武装』とは、具体的にどのようなものを指すのですかな?
また、効果的な対応とは、どのような対応のことを仰りたいのですかな?
最後に、どの程度まで緩和すべきであると仰るのですかな?
これらが揃って始めて、あなたの言葉は『論』として意味を持ちます。
【これこれこういった理由により、例えばこんな場合はこのように対応すべきであるが、現実にはそのような対応は出来ない。それは武器使用基準が厳しいからである。それを緩和し、そのように行動できるようにするべきである。】例えばこのように語ることが必要なわけですな。
ところで、あなた様のご高論によれば、『現実は正しい』のではなかったのですか?
しばらくお見かけしない間に、変節なされた?
それとも彼のお説は、普遍的な意味など持たない、あの場限りのものであったと仰りますか?
……やっぱり嫌がらせかもしれない。
すてはんさん
そう。
>想定される『武装』とは
拳銃ライフル等銃火器、刀剣類、鈍器等の素手での対処が困難な武器。
>また、効果的な対応とは、どのような対応のことを仰りたいのですかな?
動きを封じ被害を拡大せず逮捕を可能とする対応。
>【これこれこういった理由により、例えばこんな場合はこのように対応すべきであるが、現実にはそのような対応は出来ない。それは武器使用基準が厳しいからである。それを緩和し、そのように行動できるようにするべきである。】例えばこのように語ることが必要なわけですな。
途中を読んでなくてわからないのかもしれませんが全て書いてます。
>ところで、あなた様のご高論によれば、『現実は正しい』のではなかったのですか?
あなた方の『正しい』と私の『正しい』は違う。
私のいう『正しい』は現実に合致してるとかものの道理に合致してるとか目的に合致しているといった合致する様を正しいと言うのであり、良し悪しを言うものではない。『現実は正しい』は『現実が良い』ではない。
「被害者がいくら出てもいいから犯罪者を傷つけない」を目的とするのであれば今のやり方は正しい。目的に合致するから正しい。しかしそれを良いとするかどうかはまったく別。私は犯罪者の身より被害者が出ないことを望む。
売り言葉・買い言葉モードを修正
ただし、言葉を真面目に使えというのは、語尾の「ずら」だとかのことではなく、武器使用基準できちんと議論をする時に、「手出しできない」みたいな粗雑な物言いへの非難と思ってください。
sadatajp氏にしても
>「手出し」が喧嘩の時にしか使わない言葉だとでも思ってんのか?
みたいな応酬を続けたくはないだろうから、実質的な内容の議論に戻ります。
その前に、「罵倒文体」を使ったことのお詫びをします。
>「犯罪者側から裁判に訴えられたりもする。」 の例
ご教示の御礼もしておこう。
さて、武器使用基準緩和に関する議論。
「酒場談義」だとか乱暴だというより、粗雑じゃないか、と思う。これは喧嘩モードを引きずっている部分である点を割り引くとしても、
>これってお前らのパターン。出来ないように縛っておいて達人レベルに達したらやらせてもいいという奴。
やらせなきゃ絶対そこまで出来るようにならない。出来ると証明する機会もない。お前らお得意のやらせない為の方便。
「お前ら」ってなんです? 警察の銃使用を厳しく制限する論者総体のことですか?
「縛っておいて」というけど、警察の使用基準を決めるのは警察です。発砲の判断は警察官個人です。
発砲の結果に対する批判が、警察の基準や警官の判断に影響を与えるという意味でしょうが、警察官に仕事のより良い達成を求めるのは、納税者として普通のことです。
ただ、警察官に射撃訓練などの時間を十分に保障し、苛酷な勤務を強いるような労務管理にならないよう留意する必要が、納税者としてもあるでしょう。要求はするけど条件は保障しないというのはおかしいから。
秋葉事件で、もし警官が発砲して。通行人が流れ弾に当たった場合の
>問題視すんのお前らだろ。
というのも、「一般大衆」をどう見るかにかかわる。
普段は、「もっと日本の警官も犯人を撃ったっていい。凶器を持っていること自体が危ないんだから」と言っているような人が、警官の流れ弾の犠牲者が出たら、「必要な犠牲だからしょうがない」と理解を示すのか。「人混みなんだからもっと注意すべきだ」と結果論を言うか、人によると思うよ。一般大衆っていろいろな人がいる。
犯罪者に刺された人がどういう人だったのか大報道されて、世論は同情した。もし警官の発砲で「付随的被害」(アメリカ軍の誤爆はこういうらしい)が出た場合、その犠牲者についても報道されるでしょう。就職が決まっていたとか。秋葉原に初めて来たとか。
そうして同情が集まると、「警察のやり方ももっと他にやりようがあったのではないか」という世論も起こると、わたしには想像されます。
それほど、「一般大衆」に全幅の信頼を置いていない。というか、いろんな人がいると思う。
成文の武器使用基準を、お互いに引用しないで議論しているのも実りがない。わたしは読んだことがありません。そして現行の基準でよいのではないかと思っている。
個々の警官の判断については、ケースによるけど、条件として、相手に複数で立ち向かえるような体制をとれるよう、条件整備する必要はあると思っている。まあ田舎の駐在さんまで二人勤務にする財政的余裕はないだろうけど。
大前提として付け加えると、警官の仕事は犯罪者の逮捕であり、相手を殺害したり傷害を負わせたりすることではない。正当防衛のように、喫緊の場合に武器使用が認められるのは合理的だけど、武器を持った立て籠もり犯がいたとして、狙撃すればいい、というのは警察の仕事ではないと思うよ。人質に危害が及ぶ場合とか、事情によって狙撃という選択肢もあるからSWATが出動するけど、本来は身柄を確保するのが警察の使命。
事件の動機や経緯なども把握して、対策に生かすまで警察の仕事です。
警察の仕事と現状を把握した上で、武器使用基準が厳しすぎるのでは、治安確保に支障が出るのではないか、と論を立てるのが、議論なんだと思う。
あたし、ときどき思うんだけど、もし警察関係者がこの議論を読んでいたら、「どっちにしてもわかってないんだよなあ」という感想を持つかもしれない。
>kuronekoさん、sadatajpさん
sadatajpさん、私があなたの書き込みを拝見していて思うのは、あなたの言葉はあいまいで、事実の積み上げや論理に揺れがあり、あなたが頭の中で漠然と思っているであろうことを正確に表現できていないということです。せっかくあなたとは考え方が違う人の集まる場所に来ているのですから、もっと説明の仕方を磨いてほしいと思います。
kuronekoさん
>「お前ら」ってなんです?
いわゆるサヨク。平和主義と人権を高らかに上げ国家権力の強化に繋がることにはことごとく反対する人達。ネットウヨクと対峙する側にいる人達。ここで言えば私と対峙する側にいる人達。
>警察官に仕事のより良い達成を求めるのは、納税者として普通のことです。
警察官に何を求めてますか? 防犯は今の話に関係ない部分なので置いておいて、
事件発生時に警察官に何を求めてますか? 私は犯罪者の逮捕と被害の拡大を防ぐことを求めたい。その為には銃の使用だって必要です。警察官に求める仕事を果たしてもらう為に銃の使用をもっと許すべきと考えます。
>ただ、警察官に射撃訓練などの時間を十分に保障し、苛酷な勤務を強いるような労務管理にならないよう留意する必要が、納税者としてもあるでしょう。
警察官に射撃訓練などの時間を十分に保障すればいい話でしょう。
苛酷な勤務とはどういう意味でしょう。長時間勤務とかの話ではなく危険に直面する過酷な仕事という意味ではないかと推察しますが如何? もしそうであればそれは犯罪者と対峙することを仕事とする警察官としては避けられないことです。警察官がその危険を避けると民間人が犯罪者の矢面に立たされることになります。警察官を仕事とする以上引き受けてもらわねば困ります。そうでないと警察官の存在意義がなくなってしまいます。
>秋葉事件で、もし警官が発砲して。通行人が流れ弾に当たった場合の
>>問題視すんのお前らだろ。
>というのも、「一般大衆」をどう見るかにかかわる。
犯罪者には警察だけが当たればいいというものではありません。民間人の協力が不可欠です。協力が不可欠というのは立ち会った民間人もリスクを負わねばならないという事です。警察官が極力被害を出さないよう用心した上でのたまたまの流れ弾は容認すべきと考えます。
>普段は、「もっと日本の警官も犯人を撃ったっていい。凶器を持っていること自体が危ないんだから」と言っているような人が、警官の流れ弾の犠牲者が出たら、「必要な犠牲だからしょうがない」と理解を示すのか。
理解を示すかどうかはわかりません。それでも私はそれは必要なことなのだと訴えたいと思います。
>そうして同情が集まると、「警察のやり方ももっと他にやりようがあったのではないか」という世論も起こると、わたしには想像されます。
ではどんなやり方があったのかと私は問いたい。そのような非難をする者がどれだけのことを考えてるのかそこで問いたい。これまで見聞きしたそのような非難をする者により良い考えなどあったためしがない。
事件発生時は緊急事態であり非常事態です。準備万端ではないし時間的にも切迫してます。平時の万全が可能な状況ではありません。その状況での精一杯をやっていたのであれば良しとすべきです。もし警察官がいなかったらを考えてそれより良い結果であれば良しとすべきです。その上で更により良いを求めての創意工夫はあるべきでしょうが、その時点での可能な範囲での最善が行われていたなら非難は不要です。
>成文の武器使用基準を、お互いに引用しないで議論しているのも実りがない。
いやむしろ成文の武器使用基準を持ち出しても意味がない。発砲の結果に対する批判が成文の武器使用基準以上に警察を縛っているのだから。まずは考え方の部分からの議論をすべきです。
>個々の警官の判断については、ケースによるけど、条件として、相手に複数で立ち向かえるような体制をとれるよう、条件整備する必要はあると思っている。
既にそのようになってます。しかし複数で立ち向かおうとその誰もが銃を使えないでは武器持った相手には対処し得ません。出る被害に歯噛みしつつ遠巻きに見守るケースが多いことを考えると複数でというのは今の答えにはなりません。
>大前提として付け加えると、警官の仕事は犯罪者の逮捕であり、相手を殺害したり傷害を負わせたりすることではない。
私はそうは思いません。被害の防止が最優先。これが大前提です。
>正当防衛のように、喫緊の場合に武器使用が認められるのは合理的だけど、
警察官が正当防衛しか認められないでは話にならない。それでは逃亡する犯罪者を捕まえられない。
その犯罪者は別の被害者を作ってしまうかもしれない。それを阻止するには逃げる犯罪者であっても警察の方から仕掛ける必要がある。仕掛けられてからしか出来ない正当防衛では話にならない。
>武器を持った立て籠もり犯がいたとして、狙撃すればいい、というのは警察の仕事ではないと思うよ。
被害の拡大防止という警察本来の仕事です。
>人質に危害が及ぶ場合とか、事情によって狙撃という選択肢もあるからSWATが出動するけど、本来は身柄を確保するのが警察の使命。
被害の防止こそが警察の仕事と私は考えてます。私が警察に期待するのはそれです。
犯人逮捕は次の被害を出さない為のものと考えてます。
>事件の動機や経緯なども把握して、対策に生かすまで警察の仕事です。
もちろん。しかし一番はやはり被害の防止。
>警察の仕事と現状を把握した上で、武器使用基準が厳しすぎるのでは、治安確保に支障が出るのではないか、と論を立てるのが、議論なんだと思う。
キッチリした議論のやり方ではありませんでしたがそれに相当する話はしたはずです。
村野瀬さん
“説明して理解してもらうには説明を受ける側に理解しようとする努力が絶対的に必要です。賛同までは求めませんが、その説明の内容を相手の意図通りに理解し把握する努力は求めたいと思います。”
この努力をあなた方がしてくれないでは私としては伝えようがありません。私を質問攻めにして私の考えを引き出して下さい。私の考えは単純です。あなた方には受け入れがたいものでしょうが難解なものではありません。
私の考えを理解する為のヒントをあげます。諦めと割り切りです。あなた方が諦め切れないところを私は諦めてます。割り切れないでいるところを割り切ってます。物事の全てにある善悪両面の悪を、その裏面である善を選ぶ為に容認してます。突き詰めていけば私は最後にはそこは諦めろというでしょう。割り切れというでしょう。必要悪だから受け入れろともいうでしょう。それが私の考えです。諦めて無理してないから私の考えは単純です。矛盾起こすような複雑さはありません。
論点絞っていいですか?
記事の主題にあった結論。
それはともかく。
もともとの記事の主題にあった一つの結論めいたものは、得られましたな。
>現実にそうなってるならそれが正しい
とか書いてたよねぇ?
この記述は『こうある“べき”ではない』という主張に対してのものだったわけだから、たんなる『現実』はどうなっているかの認識について述べられたものではないよねぇ? 間違いなくそれを肯定する形で述べられたものだよねぇ?
で、現実に警察官の武器使用基準はあんたの希望するものよりも厳しいわけで、ならその現実は『正しい』よねぇ? あんたの書いたことに従うならさ。
否であるというなら、『正しいのは現実』ではなくて、『正しいかどうかはさておき、現実にはそうなっている』だよねぇ?
つまり、国旗国家の強制って問題でも、例えばそれを是とする人間が多数派であっても、それは『正しい』ことじゃないよねぇ? たんに『そうなっている』だけでさ。
あるいは『何らかの目的に適うだけの話であって、普遍的に肯定されるような事柄ではない』かな?
いずれにせよ、『強制』が『普遍的に肯定されること』ではないという結論には変わりないのだけれど。
ああ、反論はいらないよ。
違うって言葉は今まで行ってきたやり取りを覆すだけの力がないから、その意味で無意味だから。
>sadatajpさん
まず、私に話しかけるなら、文章中でも「あなた方」ではなく「村野瀬」に話しかけてください。ここにコメントする多くの方は私と似た考えは持っていると想像されますけど、全く同じとはいえないと思います。私の考えが私の「陣営」(があるとして、ですけど)の代表となれるかどうかもわかりませんし。
こういう言い方ではどうでしょう。天動説を信じていようと地動説を信じていようと、なぜそう信じるかは説明することができるはずです。このような事実を見て、それをこのような仮説に基づいて説明し、その仮説は多くの場合に適合するから、その仮説を信じる、という説明のしかたは(たとえば)できるはずですよ。
私の認識を、あなたがまるで私になったかのように認識してもらうのは無理にしても、私がどんな原理や哲学をもとにどんな事実を見て考えを展開しているか、それを理解することは可能だと思うのですが。賛成するか、そういう考えが成り立つと思うか、そういうことはひとまずおくとしても。同様に、あなたに日本語表現ができるなら、あなたががどんな原理や哲学をもとにどんな事実を見て考えを展開しているか、それは説明できるはずです。
>諦めと割り切りです。
その意味で、この新しい言葉が出てきたことでこの議論(?)も少し更新できるかと期待していますが、もったいぶらないで、あなたががどんな原理や哲学をもとにどんな事実を見て考えを展開しているか、それをできるだけ具体的に聞かせてください。まずはそれを質問としましょう。
ケース・スタディ
>それを阻止するには逃げる犯罪者であっても警察の方から仕掛ける必要がある。
このケースで具体的な話をしましょう。
>被害の拡大防止という警察本来の仕事です。
ということなら、ナイフを所持して逃げた強盗犯人を射殺してもいいということになりかねない。威嚇射撃をしないで、いきなり打ち殺してOKよ、は極端な例ですが、多分、現行の警察の制度運用では、威嚇射撃は認められるけど、射殺は行きすぎぐらいでなないかと思う。わたしはその程度がちょうどいいと思います。
すてはんさん
正しいか正しくないかは合致するか否か。それ『正しい』という言葉自体には良いも悪いもない。良いものに合致している時の『正しい』は良いものに合致してるから良いと思える。良いと思えるのは合致してるものが良いものだから。
1+1=2が正しいのは(1+1)と(2)が合致してるからです。
赤を赤と言うのが正しいのは(赤)と(赤と言う)が合致してるからです。
正しい操作法というのは、操作する機械と操作方法が合致してるものです。
彼は犯罪者だというのが正しいのは(彼)が犯罪者で(彼)と(犯罪者)が合致する場合です。
正しい行いというのは(すべきとされてる事)と(行い)が合致する場合です。
「組織人としては正しい」なんて言い方もあります。大抵はこの後に「でも人としては正しくない」とか続くわけですが、これは対象となってる行為が(組織人としてのあり方)には合致してるけど(人としてのあり方)には合致してない場合です。歴史での『正しい』は事実と合致したものです。その事実が悪いものであっても合致してれば『正しい』です。このように『正しい』は合致してる様を表す言葉です。
ですが、往々にして何に合致してるかを省いて『正しい』と言ったりします。これで通用するのは相互に何に合致してるかについての共通認識があるからです。話の脈絡からその合致するものが何かわかるからです。『正しい』が合致してる様を表す言葉であることに変わりはありません。
あなたの『正しい』も合致してるかどうかを意味する言葉です。あなたも《自分が良いと思うもの》と合致してるものを正しいと言ってるはずです。一々書かないでしょうが間違いなくあなたの頭の中にある《自分が良いと思うもの》と照らし合わせて『正しい』とか『正しくない』とか言ってるはずです。
あなたが『正しい』と言うだけで同意してもらえるのはあなたの《自分が良いと思うもの》と相手の《自分が良いと思うもの》が同じ場合だけです。あなたが『正しい』を「普遍的な肯定的評価機能を有する語」と思っているのは、あなたが同じ考えの人達でかたまってる故の思い込みです。
>>現実にそうなってるならそれが正しい
>とか書いてたよねぇ?
どこで書いてたか示してくれませんか? その部分を改めて説明します。
この後の部分は『正しい』をイコール『良い』と思い込んでる故のものであり『正しい』=『良い』をわかってもらってでないと話しても無駄です。
村野瀬さん
村野瀬さん個人に話し掛ける時はそうします。しかし他の人にも訴えたいときはあなた方とします。村野瀬さんはここの管理人であり内容的にも個人でなく管理者としてコメントしてました。ですので村野瀬さんのコメントに対しては特にあなた方を多用したのではないかと思います。村野瀬さんが管理人でなく個人として話してくるなら個人の村野瀬さんに向かって話します。
>ここにコメントする多くの方は私と似た考えは持っていると想像されますけど、全く同じとはいえないと思います。
基本的に同じです。違いは表面的な部分のみ。
私はここでは複数の人と話してるという気がしてません。
大雑把であったり詳細であったりの違いはあっても内容は一緒。
性格の違いはあっても主張は一緒。表面的な部分以外違いが感じられません。
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私としては理屈を述べそれを説明し例を出し説明しとやってはいたのですよ。どの問題に対してもそれをやってるはずですよ。それだけでわかってもらえるなら苦労はしてません。基本認識の部分から異なる人相手にはそれでは足りないのです。また私がどんなに努力しようと村野瀬さんの方に理解しようとする気がないのではわかってもらうことは出来ません。
その努力の一つが言葉の意味の把握です。
前の投稿で『正しい』を私は合致する様だと書いてます。正しいか間違いかはともかく私が何を言ってるかは理解出来ますよね。村野瀬さんが『正しい』をどういう意味で捉えてるとしてもそれとは関係なく私の書く『正しい』はその意味なのです。私は私が認識する意味で言葉を使って書いてます。この、村野瀬さんの認識する『正しい』と違う意味のsadatajpの『正しい』でsadatajpの書く文章を読んでもらわなければ私の意図は把握出来ないわけです。文章を、自分の認識する意味と違う意味で読み取らないとならないわけです。頭に自身の認識する意味が浮かぶのとは違う意味で文章を読む必要があるわけです。なかなかに難しいことです。
逆の立場、つまり私の立場で言えば自身の認識する意味とは違う意味で言葉を使って説明する必要があるということになります。しかしこれは無理です。自分で書いた事が自分で把握出来なくなってしまいます。私の意図を言い表すことも出来ません。ですので変わりに言葉の意味の説明を交えつつ、この言葉はこういう意味で使ってると言いつつの説明をするように私はしてます。それを頑なにその意味は違うと言い、あくまでも自分の認識する意味で読み取るなんてことをやられると意図がどうにも伝わらないとなってしまいます。
こちらに出来るのはどういう意味でその言葉を使ってるかの説明までです。その意味で読み取るという努力をそちらでしてもらわないことには理解させられません。そういった理解する為の努力を村野瀬さん達にはしてもらいたい。
ちなみに私は皆さんの書く文章をそのようにして読み取ってます。そちら側の一方的努力を求めてるわけではありません。
『正しい』という言葉のように意味が違ってしまってる言葉がどれだけあるのか現状私には把握出来てません。ある程度はわかってますが全てわかってるわけではありません。言葉の意味の違いは誤解されて初めてわかるものです。皆さんがどう誤解したかを知る為にも私は質問を求めたいのです。質問もまた理解する努力の一つです。その努力を私は求めたい。
ここでは私は日本語のわからない馬鹿みたいに言われてますが、別のところに行けばこれで何の問題もなく通じます。そこではあなた方の方が言葉がわからない馬鹿ということになります。実際そういう話はされてます。ウヨサヨは言葉の意味からして違ってるのです。それが現実です。
>私の認識を、あなたがまるで私になったかのように認識してもらうのは無理にしても、私がどんな原理や哲学をもとにどんな事実を見て考えを展開しているか、それを理解することは可能だと思うのですが。
あなた方の考えは相当に理解出来てると思ってますよ、私は。完全ではないでしょうがね。曲がりなりにも皆さんと話が続けられてるのは私が皆さんに合わせてるからです。自分のブログで書いてる調子でやればすぐ出入り禁止になるでしょう。
後はまた明日
自分のところでも
エントリー本題を関係がないテーマだから、延々通津蹴るのも気がひける。
私の「原理や哲学」
説明出来ますががそれをやってたら多岐に渡りキリがありません。まとめて核心の部分だけ書けば数行で済むでしょうが抽象的になってしまいまずわかってはもらえません。なので国旗国歌問題に関わるものだけ書きます。
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人は最終的には感情。感情で行動する。行動を決める。
よって、人の行為に関わる問題は感情を重要な要素として考慮しなければならない。
(『人の行為に関わる問題』とは社会問題から人間関係まで人の行為で左右されるもの。)
感情は感覚として認識される。
感覚は体験して初めてわかる。
体験しないとその感覚はわからない。
感覚がわからないとそれを考慮することが出来ない。
人の行為に関わる問題を上手く処理出来なくなる。
よって出来るだけ多くの体験をしておくことが大事。
良いことも悪いことも体験しておくことが大事。
感覚は体験してその感覚を感じて初めてわかる。
感覚を感じるという経験をしないとその感覚はわからない。
わからない以上その良し悪しはわからない。
そのわかってない者に選択を任せてはいけない。
感覚は体験してその感覚を感じて初めてわかる。
感覚を感じるという経験をしないとその感覚はわからない。
よってそれを直接教えることは出来ない。
感覚的にわかってないとなるといくら説明しようと伝えられない。感覚的にわかってないならいくら説明されようとその感覚は掴めない。理解させられない。理解出来ない。
教え方としては体験出来る状況を作りその場に置くことしかない。
そうは言っても世にある全ての状況を体験するのは無理。
しかしそれでも何とかなる。感情は種類としてはそんなにない。
同種の感情を体感した経験を持っていれば後は類推で補えもする。
その類推をする為にも類推する元となる感情を体感しておく必要がある。
そうすることで人の行為に関わる問題をより上手く処理出来るようになる。
類推出来る程度になっていれば説明だけで理解出来るようになる。
その意味でも類推する元となる感情を体感しておく必要がある。
体験でなく類推の場合は抜け落ちがどうしても出てくる。
わからない部分はどうしても出てくる。
自分にはわかってないことがあるのだと謙虚に受け止める必要がある。
-------------
以上が教育に関わる私の「原理や哲学」。
教育問題としてまとめると
体験してないことが多い子供には色々な体験をさせるべき。
経験がなくわかってない子供の拒否を認めては駄目。
経験させる為に強制してでもやらせるべき。
強制的に何かをやらされるという体験もしておくべき。
教師含む大人がすべきは経験出来る状況を作ってやること。
上手く経験出来るよう干渉すること。色々経験出来るよう干渉すること。
そして、その子供の行動が取り返しのつかないものにならないよう見守ること。
国旗国歌問題で言うと
その感覚を子供に感じさせ、その感覚を掴ませる為に。
体験させる為に強制してでもやらせるべき。
これが国旗国歌問題に関する私の主張ということになります。
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kuronekoさんとの話はkuronekoさんとこでします。
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もいい曲だと思いますTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度 選挙供託金制度は1920年代に普通選挙が導入された際、無産政党の参入を阻止するために制定されました。
これとセットになっているのが無産政党の活動を制限する治安維左の人日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対人権を嫌悪する者が付和雷同し、嫌がらせの言節を放っているのに食傷。 こんばんは。私も村野瀬さんも十数年にわたってSNSの言論の場に身を置いていますが、特に近年、「物事を丁寧に書き示す」より「対象物を手っ取り早くぶん殴れる」言節が伊東 勉広島サミットについての批判的メモサミットとは?そもそもサミットとは?
欧米列強&欧米列強の悪い部分ばかりマネしてそのおこぼれにあずかろうとしている日本が、これまで作り上げた国際秩序と自らの覇権を確保するため閉口首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。前近代的な日本の姿自民党は前近代的な世襲政治家が多い政党です。
岸田文雄も世襲政治家です。
首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。
まるで封建時代の絶対王政の国そのものです。
こういった政治家閉口日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対入管法改悪法案の廃案と帰国できない事情のある仮放免者に在留資格を付与することを求めます!入管法で改正が必要なのは、今の杜撰すぎる難民認定審査のあり方です。
日本は難民として認定すべき人を難民として認定していません。
それを改正するどころか改悪して難民閉口不祥事で議員辞職する維新議員はほとんどいない。こんな政党を支持・容認したり批判せずにいたりすることは維新の不祥事を支持するようなものだ。 #維新は最悪の選択肢 いわゆる「身体検査」が機能していないのでしょうね。日本共産党や公明党は選挙資金は党が負担するのが大前提です。大切な党のお金を使うのですから、候補者の選定基準も左の人袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。検察の指向性と日本政府の無謬性主義はパラレル 泉田裕彦に裏金を要求した星野伊佐夫元新潟県議が不起訴になりました。女性に強制性交すべく女性に受傷させたプロ野球選手は,不起訴の可能性が高いとも言われています。Takeshi差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約郵便局の窓口でアパホテルカレーを販売中郵便局に行ったら,窓口にアパホテルの元谷芙美子社長の写真が載ったアパホテルカレーが390円で販売されていました。買いませんでした。アパホテルは自民党に要望し,自民Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。>ewkefcさん>自動車事故に遭わないため、遭わせないためには自動車を運転しないことなのね。
「生きているといろいろな問題があって大変です。だから、それらの問題を避けるためには村野瀬 玲奈#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。No title『#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9123.html
>コロナウィルスに感ewkefc#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。 マスクの効果は偉大ですよ。私のようなブサイクでもマスクをつければ堂々と人混みを歩けます。堂々と女性と会話することもできます(笑)。目の前でふんぞり返っている市左の人