
最近、二つの例があります。
第一の例、中川雅治議員。
●NAVER まとめ自民党中川雅治氏、いじめ加害告白「全部脱がし」「おちんちんにマジック落書き」「いじめられる方も弱く」
http://matome.naver.jp/odai/2143867990161669201更新日: 2015年08月05日
●参議院議員 中川雅治 公式ホームページ
教育鼎談
http://www.nakagawa-masaharu.jp/education/education03.html
(前略)
いじめ問題は解決できるのか
■中川 いじめの問題は、なかなか解決とはいかないようですね。
■義家 恥の文化の崩壊です。「欧米は罪の文化で、日本は恥の文化」と言われました。自分より弱い者をいじめるなんて、恥以外の何物でもありません。不良と呼ばれていた人間は、いかに強い者を倒すか、それが存在価値だったという面があります。いかに自分の学校の弱い奴を守ってやるか。他校の奴にカツアゲされたら、きっちりカタキを取ってきてやるとか。そんな当たり前のアイデンティティーがなくなりました。適切な例かどうか分かりませんが。
ストレス発散云々なんて言いますが、ストレスで弱い者をいじめるなんてこんな恥ずかしいことはありません。教育の崩壊以外の何物でもありません。
■橋本 そもそもどうしてそういう精神の方向になってしまったのでしょうか。いじめは昔もありましたけど、例えば自殺者が出るような深刻な問題には発展しませんでしたよね。
■義家 やはりGHQの戦後の民主化で、なるべくしてなったと私は思います。学校教育の中で宗教教育は排除されました。修身等の共通の物差し、倫理観、道徳観が排除されました。多様な価値観と言えば格好は良いですが、未熟な子どもの多様な価値観は非常に危険です。特に、社会ルールとか倫理の部分にそれを持ち込むのはいけません。個性重視という大義名分のもと、放置してしまいました。そして、不幸な教育環境を長い時間をかけて作り上げてしまいました。
宗教教育や道徳教育、これらはもちろん家庭でやらなければなりませんが、共働きなどもあって学校に依存しなければならない部分がとても大きくなった。兄弟が多ければその中で規範が必要ですが、出生率が低くなり一人っ子が多くて家庭内における人間とのぶつかり合いがなくなってしまいました。
■中川 子ども達がいじめで追い込まれる、という現実がありますよね。これは学校内では是正は難しいですか。
■義家 いや、できると思います。ずっと私はやってきたつもりです。ダメなものはダメと大人がはっきりとした背中を見せれば未熟な子どもは言うことを聞きます。
私が教育再生会議で「悪質な子どもは出席停止」と言った時、教育界から大ブーイングが起こりました。「いじめている子どもも、教育を受ける権利がある。彼らを教室から締め出すのか」と。いじめて被害者を自殺させているのに、ですよ。人の命を奪うような行動をして、教育を受ける権利も何もないでしょう。黒板と机の前で教えるより、叩き込んでやらないといけない責任が大人にはあるんです。
次に「いじめは被害者をなかなか特定できない」など理由が取ってつけたように出てきました。 「やったらダメなことはやったらダメ」とはっきりさせることで、いじめはだんだんと確実になくなっていきます。
その勇気がないのが一番問題です。いじめている方がクラスでは主流派です。担任の先生が主流派と激突するとホームルームの運営ができないのです。今の自民党みたいなものです。担任の先生は、結局いじめられた少数派、もしくは個人を切って、いじめる側におもねることを言ってしまいます。それでホームルームを成立させていきます。
私はよく主流派とぶつかりました。そうすると席替え一つできません。しかし、そこで一歩でも引いたら、もう教師じゃありません。そこで真剣にぶつかったら、正論を言う大人が勝つに決まっています。そのためには、先生は1週間地獄を見なければなりません。朝行くと無視されます。出席を取っても黙っています。何を言っても無視されますので、こちらもめげてきます。しかし、正論を貫き、闘う気構えを見せると、最後は泣きながら謝ってきます。そこで初めて、良いことと悪いことのルールがクラス共通のものとなります。
担任が引いたら、場合によっては、「いじめはいいのだ」となってしまいます。
■中川 私の中学時代は男子校でしたが、クラスの悪ガキを中心に皆いつもふざけていて、ちょっと小さくて可愛い同級生を全部脱がして、着ていた服を教室の窓から投げるようなことをよくやっていました。脱がされた子は素っ裸で走って服を取りに行くんです。
当時、テレビでベンケーシーという外科医のドラマがはやっていました。ベンケーシーごっこと称して、同級生を脱がして、皆でお腹やおちんちんに赤いマジックで落書きしたりしました。やられた方は怒っていましたが、回りはこれをいじめだと思っていませんでしたね。今なら完全ないじめになり、ノイローゼになったりするケースもあるのかなあと思います。いじめられている方も弱くなっているという側面はありませんか。
■橋本 いや、今のいじめはもっと陰湿だと思いますよ。いくつかの実例を私も知っていますが。
■義家 その通りです。「死ね死ね死ね…」と100回も来たメールを生徒に見せられたことがありますが、背筋が寒くなりました。しかも相手が特定できません。あまりにも陰湿なのです。教育がここまで来ちゃったのか、という感じです。
いじめられた子どもは、良い子ほど親には言えません。心配をかけたくないと最後まで我慢します。
■中川 先生達のふんばりを是非とも期待したいですね。
■義家 ちょうど昨日、息子を幼稚園に迎えに行った時、すぐ近くの中学校の卒業生らしき子どもが、何人かでオートバイを乗り回していました。まあそれは良いとして、学校から出て来る生徒にタバコの煙を吹きかけているのです。すぐ私は車を降り、バイクの子ども達を怒鳴りつけました。すると先生が出てきました。その先生は卒業生に笑って対応しているのです。私は先生にも怒りました。
「笑って話すのは良いが、どこか喫茶店でも行ってやってくれ。一般の生徒が威嚇されているのに、それをノーと言えないあなたは何なのだ。」
結局媚びた教育、親も媚び、地域も媚び、先生も媚びていたら、まともな子どもは育ちません。ガチンコで向かっていく先生が減って、媚びて評価ばかり気にする先生が一般化したというのが現実に近いと思います。
■中川 いじめ撲滅には、何が最適ですか。
■義家 罰則です。「こういうことをしたらこうなる」という明確な罰が必要です。良くないことを一つ認めてしまったら、何でもアリになってしまいます。私は道徳を教科化すべきだと言っていますが、道徳とは約束です。やって良いことと悪いことをきちんと区別して、もしやってしまったらこういう責任を果たさなければならないとはっきり決めることが必要です。それを曖昧にしてきた教育界の責任は重大です。
例えば、道徳なき性教育は、子ども達にセックスを教えているだけです。道徳なき経済教育は、儲かれば何をやっても良いと考える子ども達を育てているだけです。道徳なき情報教育は、子ども達に有害情報を与えるだけです。
今の教育は道徳を抜いて、知識だけを与えているのではないでしょうか。
(後略)
(転載ここまで)
かつてクラスメートをいじめた男が、反省もない様子で「いじめ対策」を語り、「先生達のふんばりをぜひとも期待したい」なんて他人事のように言ってのけるおぞましさ。私がこの中川議員の当時のクラスの担任だったら、中川議員辞職運動を起こしますね。「いじめ撲滅にはこのような恥知らずの議員を公職から追放することが最適である」と言って。
このような男が議員でい続けて、悔恨を一切示さずにいじめた経験を自慢げに語ることが現在の子ども社会でのいじめ行為に言い訳の余地を与えるのです。いじめ撲滅の第一歩は、このような男を落選させること、議員辞職させることではないでしょうか。
(追記。中川氏本人は「自分はいじめに加わらなかった」と言っている旨、その後報道が出ました。いじめ行為の主語を「皆で」としており、自分は被害者だったとは言っていないのですから、少なくとも、当時「傍観者」としていじめ行為を容認していたわけです。また、「いじめられている方も弱くなっているという側面はありませんか」なんて発言していますが、これはいじめ行為をする側がいじめ行為を自己免罪、正当化するときの典型的な言い訳です。本人が直接いじめ行為の実行者ではなかったことについては中川氏の弁明を受けてこの記事の該当部分を訂正しお詫びするにしても、当時のことを思い出したうえで「傍観者」だった自分に反省がないのであれば、そして、いじめ行為をする側の自己免罪、正当化のセリフが無意識に出てしまうことに反省がないのであれば、中川氏のような人物にいじめ対策の案など作れるはずもないことは確かです。いじめ対策について何らかのアイデアを出せると中川氏が言うのであれば、当時同級生を寄ってたかって裸にするようないじめに対して、教師側のどのような教育的対応が必要だったか、それを述べなければならないところです。追記ここまで。)
第二の例、熊田裕通議員。
●NAVER まとめ自民党くまだ裕通さん「若い女性教師が生意気なのでトイレに閉じ込め爆竹を次々投げ込み快感」と自慢げに
http://matome.naver.jp/odai/2143873919599631001 更新日: 2015年08月05日
●くまだ裕通 公式サイト 自民党愛知県第一選挙区衆議院議員
元のリンク
http://www.kumada-hiromichi.com/giin/index.html
魚拓
http://megalodon.jp/2015-0805-0757-59/www.kumada-hiromichi.com/giin/index.html
(前略)
超元気! 悪ガキ「ガクラン」時代
今では想像もつかない(?)と思いますが、中学・高校の時は決していい子じゃない、というかやんちゃな悪ガキでした。母は何度も学校に呼び出され、時には涙を流していました。「お宅はどういう教育をしとるんだ」と、担任に厳しく言われていたそうです。
先生とイタチゴッコをするのが楽しみで、グループでいつもワアワアやってました。そう、こんなことがありました。ある時、産休補助でみえた若い女性教師が生意気だということになって、いつかギャフンと言わせようと仲間とチャンスをうかがっていたんです。
恥ずかしながら気合い入ってます。あの頃のたくさんの友人のお陰で現在の私がいます
放課後、先生がトイレ掃除の点検にやってきました。好機到来です。中に入ったところで外からドアを押さえて閉じ込めたんです。そして、天窓を開け、用意していた爆竹を次々に投げ込んだんですよ。はじめは「開けなさい」と命令していた先生も、そのうち「開けてください」とお願い調になり、最後は涙声で「開けて~」と絶叫調に変わってきた。「やった~」と快感でしたね。
「もういいか」とドアを開けると、廊下にモワァーっとたちこめる煙。その中を先生が一目散に職員室に逃げ込む。すると反対に、担任がぼくらの教室に駆け込んで来て…。後はご想像に任せます。
さすがにやりすぎたと反省し、翌日、自主的に全員丸坊主。それまでかぶりもしなかった学生帽を目深にかぶって登校しました。職員室の掃除を2週間やらされましたよ。
そんな悪ガキ時代でも、一貫して政治家への夢は持ちつづけていました。ただ、何をどうすれば政治家になれるのか分かりません。だれも教えてくれません。とにかく大学は法学部と決めて、机上の勉強だけでなく友達を沢山作って、たくさんの事を経験することが議員への準備と考えていました。
(後略)
(転載ここまで)
彼は批判に耐えきれずにサイト上に一応謝罪文のようなものを発表しました。しかし、その「謝罪文」は「ご不快な思いをされたすべての皆様と、関係各位に心よりお詫び申しあげます。」というあいまいな内容で、誰に向かって何のことについて何故謝罪しているのか全然わかりません。一番謝罪すべき相手は当時のその女性の先生でしょうが、この「謝罪文」では、「この炎上事件で逆風を強めた自民党議員諸氏」に謝罪しているようにしか見えません。これを私は謝罪とは認めません。まず、当時のこの女性教員を探し出して、彼女に直接、土下座でもして謝罪すべきでしょう。当時一応担任などから諭されて謝罪したとは想像しますが、大人になってまた面白おかしく嬉々として自慢げに語り、その語り方が上にメモしたツイートにもあるように、女性を激しい暴力で屈服させ、最後に許しを請わせたことを自慢げに語って今もなお快感を感じることを行間ににじませるという下衆なものであった以上、中学生当時の謝罪なんて、叱られたから謝るふりをしただけだと想像できます。
私はこの男のこんな薄っぺらい謝罪を受け入れる気は全くありません。本当に反省しているのなら、議員を辞職し、他人を導く政治家のような仕事に二度と就くべきではありません。
この二人は自民党議員の中の例外的にひどい例とは言えないでしょう。というのは、このような例は過去にもあまりにもたびたび出現したからです。たとえば、当時自民党だった
西村眞悟や太田誠一のことを覚えている人も多いはずです。
(追記。西村眞悟は自民党所属ではなかったという指摘をコメント欄にいただいています。私の勘違いですので、お詫びして訂正いたします。西村氏は自民党に所属したことはなかったとはいえ、同氏の思想は自民党の思想とも親和性が高いことにかんがみて、今回の記事の中の「自民党」というところは、「自民党を代表とする保守派」と読み替えるようにお願いします。追記ここまで。)「核武装は法と同様の抑止力。罰せられないのなら俺らみんな強姦者になる、やらないのは抑止力がある(=核での応戦を受ける)から」と言った西村議員。「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」と言った太田議員。
「類は友を呼ぶ」と言います。これが自民党の本質なのです。自民党に教育再生なんて絶対できないのです。その証拠が、典型的な自民党のメインストリーム議員である、このような育ち方をした中川議員、熊田議員の二人です。
私は1年365日、一日24時間、死ぬまで決して忘れません。いわゆる自民党が長年、そして今も、こういう「人材」の宝庫、もとい、ごみ箱であり続けていることを。自民党が政権にいるからこそ、日本の教育は腐り続けるということを。そして、こんな自民党議員に「教育」される屈辱を。
●国会議員への投書のための「議員一覧ポータルサイト」 (1)→
http://taro-yamamoto.jp/お知らせ/【反tpp・反秘密保護法!】全国街宣キャラバンス/ ; (2)→
http://publistella.jp/●マスメディアへの投書のための「News for the people in Japan」マスメディア問い合わせ用リンク集→
http://www.news-pj.net/link/media.html●他の社会系ブログに行くにはうちの「私的リンク集 (適宜更新)」経由で→
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-136.html *
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記憶のための記録。
●くまだ裕通 公式サイト 自民党愛知県第一選挙区衆議院議員
元のリンク
http://www.kumada-hiromichi.com/giin/index.html
魚拓
http://megalodon.jp/2015-0805-0757-59/www.kumada-hiromichi.com/giin/index.html
目 次
政治家になる条件とは
1.
「僕は政治家になりたい」小学生の一途な夢
2.
超元気!悪ガキ「ガクラン」時代
3.
少年の憧れが「決意」に成長
4.
秘書1年目「歯を食いしばる」とは、このことか
5.
一大転機、海部代議士が首相になった!
6.
「くまだを県議に」5,000人が署名
7.
つらくて、悔しくて 、そして嬉しくて
▲ 国会議事堂前に初めて立った中学生のくまだ裕通。何年か後には…
●
政治家になる条件とは
くまだ裕通 政治家になる人間の条件とはなんでしょうか。学校の成績が優秀で、先生から誉められるようなまじめで良い子でしょうか。もしそうならば、くまだ裕通は失格です。
忘れられない思い出があります。選挙事務所の場所を無償で提供してくださった方のお宅に、ご挨拶に伺ったときのことです。悪ガキの中学時代、その家にひどいイタズラをして、奥さんに大変叱られた苦い記憶がありました。
改めてそのことをお詫びすると、「あれくらいの元気がなければ、議員は務まりませんよ」と、奥さんは笑っていました。この言葉に大変勇気づけられました。
「政治家になりたい」。少年の一途な夢の実現のために、どれだけ多くの方が支え応援してくださったか。「議員への道」をたどりつつ、改めて感謝申し上げます。愛知県議会議員・くまだ裕通は、少年の心を忘れずここまでやってきました。これからも、志と勇気を持って挑戦していきます。
*目次へ*●
「僕は政治家になりたい」小学生の一途な夢
小学校4年生の時です。「大きくなったら何になりたい?」と聞かれると、くまだは「政治家!!」とはっきり答えていました。何がきっかけだったのか。思い出されるのは、父親と一緒に夜7時のニュースを必ず見ていたことです。テレビで見る政治家の姿に憧れていたのかもしれません。
ロッキード事件が大々的に報じられている頃でした。国会の委員会で指名する議長の「イデ カンボウ チョウカン」という独特の言い回しを、よくマネしたことを覚えています。「井出」といえば「官房長官」、「官房長官」といえば「井出」、セットというか固有名詞でした。
ある時、父は当時から熱心に応援していた衆議院議員の海部俊樹さんのところに、連れていってくれました。「こいつ大きくなったら、政治家になりたいって言ってるんですよ」と紹介されて、握手して頭をなでてもらった記憶があります。
小学校の卒業アルバムの「36歳のクラス会」という寄せ書きに、くまだは「衆議院議員」と書いています。頭がツルツルにはげたおじさんのイラスト付きで。
● *目次へ*
超元気! 悪ガキ「ガクラン」時代
今では想像もつかない(?)と思いますが、中学・高校の時は決していい子じゃない、というかやんちゃな悪ガキでした。母は何度も学校に呼び出され、時には涙を流していました。「お宅はどういう教育をしとるんだ」と、担任に厳しく言われていたそうです。
先生とイタチゴッコをするのが楽しみで、グループでいつもワアワアやってました。そう、こんなことがありました。ある時、産休補助でみえた若い女性教師が生意気だということになって、いつかギャフンと言わせようと仲間とチャンスをうかがっていたんです。
恥ずかしながら気合い入ってます。あの頃のたくさんの友人のお陰で現在の私がいます
放課後、先生がトイレ掃除の点検にやってきました。好機到来です。中に入ったところで外からドアを押さえて閉じ込めたんです。そして、天窓を開け、用意していた爆竹を次々に投げ込んだんですよ。はじめは「開けなさい」と命令していた先生も、そのうち「開けてください」とお願い調になり、最後は涙声で「開けて~」と絶叫調に変わってきた。「やった~」と快感でしたね。
「もういいか」とドアを開けると、廊下にモワァーっとたちこめる煙。その中を先生が一目散に職員室に逃げ込む。すると反対に、担任がぼくらの教室に駆け込んで来て…。後はご想像に任せます。
さすがにやりすぎたと反省し、翌日、自主的に全員丸坊主。それまでかぶりもしなかった学生帽を目深にかぶって登校しました。職員室の掃除を2週間やらされましたよ。
そんな悪ガキ時代でも、一貫して政治家への夢は持ちつづけていました。ただ、何をどうすれば政治家になれるのか分かりません。だれも教えてくれません。とにかく大学は法学部と決めて、机上の勉強だけでなく友達を沢山作って、たくさんの事を経験することが議員への準備と考えていました。
● *目次へ*
少年の憧れが「決意」に成長
大学はとにかく親元を離れて有意義に…と、横浜まで足を伸ばしました。大学生活にとってサークル活動は不可欠なものです。当時は超のつくテニスブーム、誰もがテニスサークルを選んでいました。が、私の選んだサークルはズバリ「ギターアンサンブル」。わかりやすく説明するとクラッシックギター部です。このサークルの選び方にも、ちょっとしたエピソードがありました。
大学時代はギターが恋人だったのかも…(笑)
早稲田に入学していれば迷わず雄弁会ですが、我が大学には残念ながら存在しません。せめて演説の間合いでも勉強できればと、門をたたいたのが落語研究会でしたが、部員数わずか数名の寂しい現実でした。昼近くになって大学構内を歩いていたとき、ふと見知らぬ人に呼び止められました、「1年生?クラブはもう決めた?」、くまだはそれには答えず「お腹すきましたね」。笑顔で見知らぬ人は「学食でも行きましょか」。
メニューを前にして、その見知らぬ人は「僕が奢るから好きなものを選んでね」。その言葉に私のいたずら心が芽生え、食べたくもないのに一番高いメニューを選びました。その見知らぬ人が「ギターアンサンブル部」の副部長でした。
中学・高校の同級生には、「ホントにそんなサークル入ったの?」と笑われるし、最初は気乗りのしない中での出発でしたが、わりと楽しい仲間や先輩にも恵まれ、徐々に本格的な活動へと移っていき、最後は副部長まで勤めました。
学生時代のたくさんの楽しい仲間達。僕の大切な宝物です
通っていた大学には、時代遅れの学生運動の残り火がくすぶっていました。キャンバスには立て看板が並び、タオルで顔を隠したヘルメット姿の学生が、盛んに演説をしていたんです。その輪にくまだも参加して、何度か議論を吹っかけました。勢い余って生卵を投げつけたこともあるんですよ。くまだには彼らの主張が上滑りしている気がしてなりませんでした。熱い時代でした。
「政治家になる」。小学生の「憧れ」は、学生時代が終わろうとしていた若者の「決意」に成長していました。「卒業時に気持ちが変わっていなかったら、一度いらっしゃい」と言ってくださった海部代議士を頼り、就職先は秘書と決めていました。一直線でした。
● *目次へ*
秘書1年目「歯を食いしばる」とは、このことか
代議士秘書。国会が相手の東京事務所。政治家への第一歩。
新調した背広に身を包み、私はエネルギー120%全開です。しかし、現実は甘くありません。想像もしていなかった沢山の雑用が待っていました。当時、東京事務所に秘書は6人。すぐ上の先輩は秘書経験すでに5年。彼にしてみれば「苦節5年。やっと下働きから解放された」気分だったのでしょう。
食事会のひととき。思いっきり食いだめしました
今でも誰にも負けぬ特技があります。それは洗車です。秘書1年目、毎日、朝6時から洗車しました。2台を1時間半かけて。もちろん雨の日も。洗って、拭いて、磨いて。終われば奥さんの買い物のお伴やお使いなど、次々と用事が待っています。
中元・歳暮の時期は山のような品物の処理。車に積むと後ろが見えないほどの数です。アパート代にも足りぬ安い給料。朝食はぬいて昼は事務所が用意した食事。夜は代理で出席するパーティー(当時はパーティー全盛でした)で思いっきり食いだめ。そして休日はなし。
アパートの部屋の壁は穴だらけです。その日のうっぷんを、壁に思い切りぶつけていたんです。後日、引越しをした時、管理人さんにえらく叱られました。
「いじめじゃないのか」と思うくらい辛い日々でした。「歯を食いしばる」とは、このことかと実感したこともあります。先輩秘書達は、くまだのことを後援者の息子でボンボン育ち、そのうち音を上げて辞めるだろうと思っていたようです。
「こんな日々がいつまで続くのか…」「こんなことでいいんだろうか…」。正直いって不安にかられ、辞めようと思い詰めた時もありました。
● *目次へ*
一大転機、海部代議士が首相になった!
そんな人生に、一大転機が訪れたのは秘書2年目の年です。海部代議士が内閣総理大臣になったのです。生活は一変しました。くまだは公邸付きの秘書に昇格。理由は独身だったから。公邸に24時間・365日張り付いて、首相のお世話と取次ぎが仕事。朝5時に起床。休日なんてありません。家族を持つ先輩秘書達では勤まりません。
総理専用飛行機内にて 海部元首相夫妻と記念撮影
公邸は首相官邸の後ろにあり、首相が寝起きするプライベートな所。電話は全てくまだが受けます。小沢一郎幹事長ら自民党幹部や政府高官も、全て取り次ぎます。国外の要人も同様です。海外にも同行しました。
1年前とは比較にならぬ異次元の世界です。国会や内閣の動向、議員の行動をこの目で見て肌で感じた2年3ヶ月。こんな経験望んでもできることではありません。運が良かった。勉強になりました。
冷や汗をかいたこともあります。その日、首相は午後10時に就寝。くまだは公邸警護のSP達とくつろいでいました。深夜、電話が鳴りました。
「こんな夜中に」と思いながら受話器を取ると、何を言っているのか全然わからない。電話を切ると再度ベルが鳴る。また、何を言っているのかわからない。いたずら電話だろうと、頭に来て受話器を置く。
しばらくして、またかかってくる。今度は外務省からでした。「すぐ首相を起こして欲しい。湾岸戦争のことで、アメリカのブッシュ大統領から電話がある」との事でした。ブッシュ大統領は直接電話をかけることで有名で「ブッシュホン」と呼ばれていました。そうです。あの2本の電話はブッシュ大統領が直接かけてきたのです、英語で…。
● *目次へ*
「くまだを県議に」5,000人が署名
秘書生活は7年続きました。結婚もしました。くまだが28歳の時に地元・名古屋で、ある自民党県議が亡くなりました。その後、地元では「くまだを県議に」と署名運動まで起こり、約5,000人もの署名が集まりました。地盤も看板も鞄もない私です。しかし、この署名は勇気を与えてくれました。
次の平成7年4月の統一地方選挙を目指して、新たな人生が始まりました。当時、愛知県議選の西区選挙区の定数は3人。ところが次回は定数が1人減らされます。現職2人のどちらかに勝たねばなりません。
← 左の写真は、署名を集めた地域の方々が、
「くまだを県議に」と海部総理に提出した嘆願書
● *目次へ*
つらくて、悔しくて、そして嬉しくて
秘書を辞めて名古屋に戻り、さっそく西区行脚を始めました。署名してくださった5,000人の方々のお宅を、一軒一軒回り挨拶をする毎日。当然温かい言葉が返ってくると思っていました。
ところが、現実は厳しかった。玄関のインターホーンで「くまだ裕通です」と告げると、後も聞かずに「間に合ってます」と切られてしまう。訪れる家々で同じ繰り返しです。これには参りました。
朝「今日も頑張るぞ」とハイな気分でスタートしても、だんだんブルーな気持ちになる。時々「応援してます、頑張って」と言われると、また元気になる。一日に何度も気分が上下する。
そんな時に思い出すのが、野田聖子衆議院議員のお言葉です。彼女は一度落選して、再挑戦した時の教訓を話してくれました。「選挙は足ですよ」。かかとが疲労骨折するくらい、歩いて歩いて歩き抜いたそうです。
負けてられません。くまだも1年半続けました。そして迎えた統一地方選挙で新進党から立候補。「自分ほど歩き抜いた候補者は他にいない!」。自信がありました。
待ちに待った開票日、早くから選挙事務所のテレビの一番前に座って、結果を待ちました。 普通、候補者は後援会員が集まった後に現れます。でも、当選を信じていましたから、皆さんとその瞬間を味わいたかったのです。結果はすぐ出ました。「くまだ裕通、当選確実」。県内最年少の30歳、しかもトップ当選でした。
時が経つのは早いものです。あの初当選以来、社会は大きく変わりました。しかし、変わらぬ・変えてはならぬ思いもあります。くまだ裕通は少年の心を忘れず、ここまでやってきました。これからも、志と勇気を持って挑戦していきます。
●
この長い「議員への道」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(転載ここまで)
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自民党LGBT特命委員会事務名乗るほど者ではありませんが差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約日本は永遠に「差別主義者が幅を利かす国」なんだろうな。これはWBCでの一幕なのですが、旭日旗を振り回して悦に入る日本人……
旭日旗がどのようなものなのか理解していればこんなことには、とも以前は思っていたのですが、どうも最未来バイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪決して謝罪しないアメリカが謝罪した希少例ヒトラー・ナチスの手本は、米国の黒人差別法と先住民の強制収容所だった。
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html
優生学の親玉アメリカ問題は、それを巨大檜原転石ヘイト批判記事を書いた神奈川新聞の石橋学記者を「名誉棄損」として一部敗訴させた横浜地裁判決はおかしい。石橋記者の話を聞きます石橋記者を講師にオンライン講演会をします。
詳しくは
https://jcjkikansh.exblog.jp/32922330/ywatari4障害者自立支援法訴訟、和解へ重度の障がいを持って生まれた子の養子縁組 NPO法人みぎわは,障がいを持って生まれてくる赤ちゃんの特別養子縁組をあっせんする日本で唯一の施設です。中絶は年間20万件ほどあるそうです。協力病院の産婦人科医師Takeshi死刑FAQ (適宜更新)袴田巌さんの一刻も早い無罪を切望する。 2023年3月13日, 東京高裁は「無実の死刑囚・袴田巌さん」の再審開始を決定しました。決定で注目すべきは、決定理由中に,「捜査機関が証拠を捏造した可能性が極めて高いTakeshi自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる#自民党に投票するからこうなる安倍チルドレンの高市氏は、総務大臣だった当時「行政指導に従わない放送局は電波停止にする」という恫喝発言で大炎上を巻き起こしました。
今回の文書の内容はこの恫喝発閉口強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)自民党の十八番自民党の十八番
当初は任意であるといっておきながらいざ決定となると強制にしてしまうのが自民党のやり方です。
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【日本の植民地支配関連】
東学農民革命Takeshi強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)税申告書先日、所得税確定申告を済ませました。税理士にお願いしました。申告書にはマイナンバー記入欄がありますが、毎年記入していません。それによるお咎め、例えば税務署からの苗とともに国際女性デー (追記あり)今年の国際女性デー近辺のできごと3月8日は国際女性デーですが,その近辺で日本で起きたことは。
3月7日,高市早苗に捏造呼ばわりされた放送法にかかる文書が公文書であることを自民党政府が認めた。
Takeshi自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる自民党が言っていることは支離滅裂 高市早苗も世耕弘成も公文書として外形は真性だが、自分に関する記述はウソだと言いだしました。いったい官僚が内容虚偽の文書を作って何の実益があるのでしょうか。公務Takeshi議員定数を減らすと真っ先に被害を受けるのは誠実な政治を行なう政治家や政党である (大阪の例)No title『議員定数を減らすと真っ先に被害を受けるのは誠実な政治を行なう政治家や政党である (大阪の例)』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9016.ewkefc自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる自民に政権担当能力もガバナンスもない「小西議員は捏造でないことを証明しろ」と高市が喚いていますね。
予想の範囲内とされている「ゴールポストの移動」を盛大にやって「何が楽しいんだ」と怒りが湧きます。アンドリュー・バルトフェルド強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議しますNo titleポイントで釣って、今度はアニメのキャラクターで押し売りする姿勢に呆れます。
引っ越しだ何だと便利だからと言って「一生のうちにどれだけ必要なんだ」、「手続きの為にアンドリュー・バルトフェルド維新の嘘の例。維新の悪政を漂白して維新ロンダリングをする不甲斐ない報道業者。 #維新に騙されるな #マスメディアへの不満 #マスメディアへの不信No title教育の無償化をはじめこれ程維新が嘘をついてるとは思いませんでした。yoshiウィシュマ・サンダマリさんたちを死なせた責任もとらずに自民党政府がめざす入管法改正は入管法改悪である入管収容施設の実態とは アムネスティ調査員の山口かおるさんの報告を紹介します。
2022年10月後半から11月中旬まで元被収容者・現被収容者30人ほどにインタビューをしました、2022年10月末時Takeshi自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本自民なるも、の、の呪縛は解けないのか何度もスミマセン
先月、私の住む自治体の首長選挙がありました。
残念ながら現職の非自民系の候補が落選してしまいました。
また、自民なる、コンクリートと廃棄物と、月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたし>氏の中日新聞=東京新聞のコラム
>氏も自民党にとっては
の「氏」は田中優子氏の事です月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本No title>民主党((補足:)当初は ・社民連立)政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。
確かに「マニフェスト」には再分配重視が掲げられていましたし、「こども省月乃兎梅毒の感染例増加における、男女別・年齢別の非対称性について (メモ)No titleようやく(遅すぎ…)梅毒の感染増加をNHKが扱いましたか…
(「ニュース」番組でないので「「報じる」の語は使いません)
HIV感染も、日本という社会は「(いわゆる)先進国」月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたしトピズレですが…原田医師のことを書きこんだ「ついで」といってはなんですが(この「ついで」って書き方に苦痛を感じますが)
石牟礼道子氏や原田氏は水俣の公害被害・MINAMA月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本> ewkefc さん民主党政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。いくつかの経済指標も民主党政権の間は改善していました。その意味で、民主党政権は自民党とは良い意味で違うと村野瀬 玲奈第五福竜丸の史実を平和教育の教材から消して、生徒に伝えないようにする広島市教育委員会。広島は反核の地ではなくなっているのか。No title 『はだしのゲン』に続いて第五福竜丸に関する記述も削除して一体何が残るのか?現在の日本やアメリカの権力層に不利益な内容は根こそぎ排除しようとしていると疑われてもクテシフォン日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。虐殺否定罪,慰安婦否定罪の成立が必要。 2012年1月23日,フランス国民議会でトルコによるアルメニア人虐殺否定罪を成立させました。アルメニア人虐殺を否定する意見を公言した者は禁固1年と45000ユーロの罰金をTakeshi埼玉県 #草加市議会 の #河合ゆうすけ 市議会議員のヘイトスピーチと市民団体への妨害行為 (メモ)No title とどまるところを知らないColaboへの攻撃。その発端からゲーマーゲート事件(アメリカでゲームおける女性の描き方をフェミニズムの観点から批判した研究者達にゲームマニクテシフォン放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及No title>「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」
なら、政府・大企業と意見の対立する「反/脱原発」「反リニア」等も大きく月乃兎