コメント
君が代をめぐる喜劇
舞台は某都立高校の卒業式当日。式の2時間前の保健室。場面は一場のみ、登場人物は5人だけ。劇中に流れる時間は、実際の上演時間と同じ1時間50分。それなのに・・・いやー、面白かった。やっぱり脚本のよさと役者さんたちの力量でしょう。
40半ばにしてシャンソン歌手の夢破れ、非常勤講師として音楽の授業を担当する女性教師。卒業式で君が代の伴奏をすること自体にはまったく疑問など持っていないが、ピアノの演奏にかなり難あり。
かつては生徒に自主独立の精神を説くリベラルな情熱家だったが、今やすっかり保身の為の職務遂行に汲々とする校長。
元々はノンポリ系の人間だったのが、良心に従って「君が代不起立」を貫ぬこうとするばかりに、周囲からは「ゴチゴチの左翼」と目されてしまい、孤立している中年の社会科教師。
思想信条などで揉めるよりも、学校のため生徒のため、教育委員会の命令に従うべきと考えている“熱血”若手英語教師。
仕事は仕事と割り切ってこなして、あとは自分の生活を楽しむことに余念のない、若い養護教諭。
この5人の教師が、卒業式の君が代斉唱をめぐって繰り広げるドタバタ劇です。
個人の内心の自由という、思いテーマを引きずってはいますが、それぞれのキャラクターが必死になればなるほど、彼等に強制をかけてくる権力の側の不条理さ、バカバカしさ、アホらしさが、次第に浮き彫りになってきます。劇中で社会科教師が叫ぶ、「泣きたいのに笑わせないでくれ!」という台詞がそのままの感想でした。
(作者の永井さんによれば、元々この作品はロンドンの演劇祭に参加するために書かれたそうですが、イギリス側の人から「民主主義国で教師が国家を歌わないと処罰を受けるという前提自体が、ヨーロッパ人には理解できないだろう」と言われて諦めたそうです)
二兎社公演『歌わせたい男たち』
3月23日まで新宿紀伊国屋ホール その後、全国ツアーもあるようです。
これを具体的に教えてほしいですね。
明確な歴史的資料、一次資料に基づきお願いします。
>cd様
>明確な歴史的資料、一次資料に基づきお願いします。
この場合、あなたの言う一次史料、ってなんでしょうね。一次史料ではないですが、いくつか実例をあげます。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-18/2005081812faq_01_0.html
http://www.lcv.ne.jp/~tiyoko17/index.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-20/2005082012faq_01_0.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-17/2005081712faq_01_0.html
それから、「史料」を「資料」と書き間違えて気がつかないというのは歴史を論じようという人としては恥ずかしいことなので念のため。
そして自分の国の国歌・国旗に敬意を表さなければなりません。
それを教える立場にある教諭が起立せず、国旗に敬意を示さず、国歌も歌わない、演奏しないでは、処罰の対象になってもしょうがないでしょう。
個人の思想の自由はありますが、教諭は国歌や国旗を子供に教える立場です。
その人たちがそんな態度では日本はダメになってしまうと私は思います。
>コウ様
脅しで従わせて形だけ起立させ歌わせることにどのような意味があるのか私にはわからないのです。そのような脅しからは、権力を振りかざして脅すことを子どもは(大人も)学ぶだけだと思います。日本がダメになるとしたら、そのような形式的な強制によってであるというのが私の考えです。
というか、コウさんは「日本がダメになる」とは具体的にどういうことだと考えていらっしゃるのかが全然見えてこないのです。石原都知事が新銀行東京のひどい経営によって東京都の財政をダメにしていることの方が具体的で重大な問題だと思います。
それで、「第二次大戦中の軍国主義日本で反戦を唱えて弾圧され拷問され殺された人たちへの謝罪と追悼の意思表明の式典を国や自治体が行い、そこで国旗をかかげて国歌を演奏する。ただし、国旗や国歌に起立しない人がいても起立せよとか何デシベル以上の声で歌えとか強制はしない」というアイデア、いかがですか?
押付、強制に断固反対する
これは、民主主義への挑戦です。絶対に許せません。
傍観していれば、教育現場以外にも波及する恐れがあります。
昨年、経団連の御手洗会長が「日の丸、君が代」の押付、強制を教育現場のみならず民間企業の職場でもと自らの提言の中で主張していましたから。
ちなみに「日の丸、君が代」には、賛否両論があります。私は否定派です。
終戦の時点で、民主主義国家にふさわしい新国旗、新国歌を制定すべきでしたね。
時代とともに国旗、国歌を変える国は多々あります。
押付、強制賛成の人は、よくアメリカの学校で毎朝行われている国旗星条旗への宣誓を例えにあげる人がいますが、ちなみにアメリカでは宣誓を拒否しても、星条旗を否定しても合憲というのが最高裁の判決で確定しております。
押付、強制に断固反対する
「日の丸、君が代」は戦前の日本軍国主義時代の国旗、国歌です。
終戦の時点で、民主主義国家にふさわしい新国旗、国歌を制定しておくべきだったというのが私の私見です。
時代に応じて国旗、国歌を変える国は多々あります。
ともかく今、教育現場で行われている「日の丸、君が代」を強制して従わなければ処分するといったやり方は民主主義への挑戦であり、絶対に許されません。
押付、強制に賛成する人はよくアメリカの学校で毎朝行われている国旗星条旗への宣誓を例えにあげる人がいますが、ちなみにアメリカでは、宣誓を拒否しても、星条旗を否定しても合憲といった判決が最高裁で確定しております。
あなたが「反戦を唱えて弾圧され拷問され殺された人」とそれがいたことを前提としておっしゃっていたので、その前提の根拠を求めただけですよ。
具体的な証拠を提示して教えてほしいというコメントが、「なかったとおっしゃりたいのでしょうか? 」という話につながってしまうあなたの想像力の豊かさにはついていけませんが、あなたなりに、証拠としての価値がゼロに等しいものであっても、HPや赤旗などで示そうとしてくれたことには感謝します。
参考情報を希望します。
ネット検索や図書館において、当該項目を調べてみたいので、なんらかヒントをお願いします。
>時代に応じて国旗、国歌を変える国は多々あります。
ここの部分です。
よろしくおねがいします。
で、その人もいつも権利がどうたら言ってた気がします。
脅し、といいますが、なぜ日本の国歌や国旗が嫌いでしょうがない人たちが教諭をやっているのかがまず疑問です。
教職とは国の子供達を、結果国のために育てる(国の思い通りに育てる思想教育という意味ではないですよ)職業です。
社会に出て行くための知識と知恵を身につけさせ、社会に迷惑をかけずに、働かける大人にする。
こういう国や世間からの使命を負ってるわけです。
それが国の定めた国歌と国旗に反対し、そればかりか子供にみっともない姿を見せる。
子供のお手本であるべき教諭が誰が見ても変だなと思う行動をとり、あげく強制だ押しつけだ・・・・・・
個人的に国旗や国歌に反対なのは自由だと思いますが、自分の職場、しかも教諭という立場にあり子供達にそれを見せている今の一部教諭はよくないでしょう。
罰則も仕方ないと思う理由は子供達に影響するからの一点です。
ダメになるというのは子供達がそれに影響され、普通に見て首をかしげざるを得ないことをし、それを個人の自由を盾に好き放題すれば日本社会は崩壊します。
法律で禁止してなければ何をしても良い、憲法で保障しているから何をしても自由だとは私は思わない。
石原さんの新東京銀行の話とこれはまた別の話だと思いますよ。
アイデアですが、反戦を唱えて弾圧され拷問され殺された人たちとは誰のことを言ってるのかわからないうえ、国旗に起立せず国歌を歌わない人間がそんなところに行くか疑問です。
しかも国歌国旗そこ限定ですか?
これでは賛成できないというか、提案の意味がわからないです。
国歌・国旗の強要は無責任
それは、自分がその国のあり方に関与する立場に無いから。
よって、その国の人々への礼儀として起立します。
翻って自国の場合、私は起立したとしても歌わないでしょう。
自国のあり方に責任を持たねばならないと思うから。
そして、この歌の背負ってきた歴史を引き継いでいかねばならない立場にあるから。
それは一介の実定法(国旗及び国歌に関する法律)に定められたから云々という軽い問題ではない。
自国の国歌だからこそ、その歴史を踏まえて判断しなければならない。
そこまで考えてなお、自分は歌うという選択をする人がいてもかまわない。
そういう人への敬意の表明として起立はします。
しかし、私に対して「歌え」といわれたらその場で着席し口をつぐむでしょう。
私は国民として、この国の過去と未来に責任を負わなければならないのだから。
上から強いるものは本物にはならない。
であれば、愛するに足る国にこの国をしていこうという取り組みこそが必要なのであって、シンボルを仰ぐことだけを強制したところで、裡からにじみ出る真情にはならんのとちゃいますやろか。
何事に寄らず、にわか仕込みはだめですな。
横やりですが
Webサイトや赤旗が史料となり得ないとおっしゃるのであれば、ではアナタの考える「明確な一次史料」の基準を伺いとうござんすな。まさか、その史料の存在を公表した、版元たる出版社や執筆者が限定されるとかおっしゃいませんよね?
基本、世に出たすべてのものはその時代の一面を反映した史料だと、歴史音痴なあたしは思うもので。
ぷぷぷ
本当だ、ここでも自分の「普通に見て」が唯一の真実だと信じて疑わない、能天気な発言をしてるー。
現都知事が「ババアは有害だ」と発言し、ババアと呼ばれる年頃の母親を持つ子を泣かしたおかしい人であり……
>なぜ日本の国歌や国旗が嫌いでしょうがない人たちが教諭をやっているのかがまず疑問です。
なぜ「日本国憲法を守る気がない」人たちが「政治家」をやってい「られ」るのかがまず疑問です。
>法律で禁止してなければ何をしても良い、憲法で保障しているから何をしても自由だとは私は思わない
まったく同意する。
だが、法律で禁止されている行為を行い、憲法で保障されている権利を人から奪う自由などどこの誰も持ち得ないよ。そういうことが公然と行われている国があるとすればそれは民主主義国とは言わない。でも、残念ながらこの国際社会では民主主義の完全体というのも、まだ実現してはいないようだ。うまくいきかけても権力が常にそこを侵してくる。そして、人間社会の歴史はそこからどう抜け出すかということのせめぎ合いだといっていい。わたしの知る限り、日本はこれまでそこに一番近い場所にいた。人類の新しいステージを歩き始めていたんだよ。
君はもう少し勉強してからものを言いたまえ。
志をもって言葉を発したまえ。
信念に従って行動したまえ。
自分で考え、行動し、そうして手に入れた言葉で話をしなさい。
ミュータント増殖
あたまのちょっと足りない自称学生様
http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-458.html
私にとってみっともない行為というのは、処罰をちらつかせて、自分たちですら対して好きだと思っていない唄を人に歌わせることなんだけどね。
それは音楽というものに対する冒涜である。
コウさんへ
>子供達がそれに影響され、普通にみて首をかしげざるを得ないこと
をし、それを個人の自由を盾に好き放題すれば日本社会は崩壊します。
閉口さんが指摘されているように、連邦最高裁はバーネット事件において
国旗宣誓・敬礼の拒否は他人の権利を侵害・否定するものではなく、
平穏で秩序あるものであるかぎり、憲法上保障されるとし、
沈黙着席してもかまわないとしました。
この判決は1943年にだされたものです(戦時中にです)
かれこれ60年が経ってます。
国旗宣誓・敬礼の拒否を認めているアメリカ社会はすでに崩壊しているのですか?
しているのであればどういう点が。していないのであればそれはなぜか、
アメリカで崩壊していないのになぜ日本では崩壊すると考えたのですか?
よろしくお願いします。
文句ばっかり言ってないで、対案も出してみる
http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-460.html
血の巡りが悪いくせに血の気の多い学生さん(自称)は読んでみるように(笑)
その歌を歌うことで周りを感動させ、自己利益を引き出すためなら、どんな国歌でも美しく歌える。
どうせ音感のないクズ耳に聞かせるんだ、見かけだけの美声で十分。
結構ねー、「声の出し方」とか「姿勢」とかって、他人を信頼させるのに便利で使い勝手がいいのよ。純真な男はそれだけでコロッと参っちまうw
国歌・国旗強制問題に現れるリベラルと非リベラルの違い
私は国歌斉唱・演奏の強制(しない事に対して罰則を科す消極的強制も含む)の可否は、リベラルと非リベラルの違いが最もよく現れる問題だと思っています。
リベラルは個人が己の価値観に基づいて自由に活動することを最重要視しますので、ある行為をすること(またはしないこと)を法で強制できるのは、それが個人の自由な活動の基盤となる最低限の秩序を維持するのに必要不可欠な場合に限定されることになります。ゆえに特定の価値観を理由として法による強制をすることは許されません。
他方非リベラルは、論者によって差がありますが、いずれも何がしかの価値観(例えば「古き良き伝統」「日本人の誇り」「日本国の威信」「万世一系の天皇制」等々)の追及を最重要視し、それと衝突する(と論者が考える)個人の活動はその価値観に反するが故に制約されることになります。そこではリベラルが問題とした「自由な活動の基盤となる最低限の秩序に必要か否か」はさほど問題とされません。
私は、国歌の斉唱等を強制することは上述した最低限の秩序となんら関係ないと思います。正直なところ「国歌を歌わ(せ)なければ社会の秩序が崩壊する」という論理は、そもそも証明可能かという以前に、仮定的因果関係を立てることすら困難なレベルの代物だと言えるでしょう。コウさんに対するひろとさんの指摘は、リベラルの立場から見て全く妥当なものだと思います。最も非リベラルの立場からすれば、社会が崩壊するかしないかは強制の可否の絶対的な基準にはならないのですから、的外れな批判だと突っぱねられるかもしれませんが…
あと付け足しですが、コウさんは「職務上の義務だろう」と主張されておりますが、上述の通り国歌斉唱・演奏は個人の価値観の問題として強制すべきではないとする以上、そもそもそれを教師の職務上の義務にすることも妥当でないと思います。
つまり、嫌いだからとか好きだからとかいう次元を超えてその民族のルーツを辿るものでもあります。
村野瀬さんが主張する、強制はいけないとかいう以前の問題と私は思いますがね。
もし、日本の国歌に共感できないのであれば、独立運動でもなさったらどうですか?
もしくは、他の共感できる国家に帰属したらどうでしょうか?
村野瀬さん始めとする、反国歌派は日本に対して誇りを持ってますか?
参考情報
時代に応じて国旗、国歌を変えた例ですが、一例を挙げると
第二次大戦中、日本と同盟関係にあったイタリアは、1946年に王政から共和制に移行時に国旗から王室の紋章をはずし、国歌を国王行進曲からマメーリの讃歌に変えております。
カンボジアでは1948年のカンボジア王国~現在のカンボジア国に至るまでの間に度々、国旗、国歌を変えております。
ああ、あれだ。いつもの構図だ。
民主主義理解してないんだよ。前近代人が。
君が代が気に入らないなら日本から出てけ?
そんなに思想統制が好きなら民主主義国家から出てけ。とか言うぞ。
俺は気に入らないヤツに喧嘩売るのは好きでもぶっ殺すのはあんまり好きじゃないからな。そんな卑怯なことは言わねぇぜ。わかったかチキン野郎。
えー、ごほん。
ひょっとしたらはじめましてなんですが、いきなりのお目汚し、失礼いたしました。
こういう罵声はあまり好きじゃないんですけど、つい。
ここから本題。
そう、『国歌斉唱を強制することの可否』というのは、好き嫌いという問題ではない。
これは近代立憲主義における原則の問題である。
何人も、己の自由意志に反する行動を強要されない。例外的に、その不作為によって何らかの具体的損害を被る者がいる場合においては、この限りではない。
これが自由権絶対の原則と内在的制約からくるその例外だ。
これは人類世界普遍の真理であるとされ、一国家の事情などの特殊な事由によって覆されることはない。
民族という概念は人類という概念よりも特殊であり、国家という概念はさらに特殊である。この普遍性の序列は経験的知見からくるものであるため説得力に欠けるが、それでも最上位に『人類』をおくことは充分妥当である。なぜなら、人類というカテゴリは人類にとって最も普遍的なものであるからだ。
ともかく、その序列ゆえに、国家存立に関わる問題は民族的アイデンティティーに関わる問題よりも優先せず、民族的アイデンティティーに関わる問題は、人類普遍の原則に関わる問題よりも優先しない。
繰り返す。
思想・行動の強要と言う問題は、人類世界普遍の原則にからむ問題であり、これ以前の問題など存在しない。
これは認識の齟齬などという問題ではない。認識能力の高低という問題である。
卒業式にて
隣にいた「市教育長・代理」が、思いっきり音程を外した「君が代」を歌ってた。
これは「処分」にならんのか…?「斉唱」になってないもん。ヒラ教員でなく、教育長代理だぜ…
>馬鹿陽区さん
つまり、嫌いだからとか好きだからとかいう次元を超えてその民族のルーツを辿るものでもあります。
「国民のアイデンティティー」と「民族のルーツ」との間にどんな関係があるのですか?
私も、こういう質問が飛んでくるとは思いませんでした。
恐らく大君制度と和歌ではないのか?
まぁ、大昔から続いているものと思えば良いと思います。
まさか、そういう無形の財産を否定してしまえと?
本来の戦争責任は近衛総理大臣にありますので、是非彼が何をやったか考えてほしいものです。
まずそこを押しつけとか抜きに教えてもらいたいですね。
日本が嫌いなの?
別に日の丸も君が代も嫌っちゃいない
日の丸については、私自身は国旗であることに問題があるとは思わない。旗自体はどちらかといえば好きな方だ。
問題なのは、それを敬えだの、歌えだのと、強制することの方だ。
ということを何回くり返し説明していることか。
私も知りたいな
左翼の人、いたら返事してください。
日の丸は好きな方だと。
それを歌いたくない、敬いたくない理由とは?
この国を象徴する国旗国歌に感謝の気持ちを捧げ、歌い敬うことはこの国に住まわせてもらっている上で最低限の気持ちなのではないでしょうか。
我々国民がいるから日本国は存在しますが、日本国が存在するから我々は日本人なのではないのですか?
何度も書いてますけど、個人的に敬いたくないとか歌いたくないのは自由ですけど、教諭は事情が違います。
子供に教える立場ですし、特に音楽の教諭の場合、君が代を演奏しなければならないこともあるでしょう。
それを思想の自由を盾に職務放棄ではうまくないでしょう。
この教諭達は一体なぜ職務放棄するのでしょうか。
強制とか罰則とか騒ぐ前にそこのところを聞きたいものです。
まあ、「気持ち」だけならタダですねえ。
私も日本に感謝し、人類を愛し、平和の気持ちでいっぱいですな(笑)。
この素晴らしい私の「気持ち」を、皆さんに伝えていきたいものです。
みなさーん! 私の気持ちを受けとってくださーい!(笑)
気持ちは大事ですから、私に愛してもらっているお前らには、感謝を捧げる最低限の義務がありまーす!
えぇい解らないやつだなぁ
あたしだって、サッカー日本代表の試合を運良くチケット取れて見に行けば、日章旗だって振りますし君が代だって歌うでしょう。それは、この国を代表するサッカー選手たちへの敬意をあらわすためにね。
端的に言っちゃうとね、強制しなければ表せない敬意ってのは、そもそも敬意じゃないの。面従腹背、っていう言葉、御存知ですか?
だから、国旗掲揚・国歌斉唱を百パーセント全ての儀礼的式典で実現させたいのであれば、真に国際社会の尊敬を勝ち得、それを全ての国民が実感できる国にこの日本国をすることが唯一の解なの。
そいでね、縦しんばそうなったとしても、その輪に加わることを拒む権利が、自然人としての人間にはそもそもあるの。国があって人があるんじゃなくて、人が集まって国が成り立つから。
これで解らないのでしたら、小学校の歴史(小学校だと、教科として歴史、とは言わないか)の教科書からやり直すことを強くお奨めですな。
「金太の大冒険」って歌があるよね。私は名曲だと思うけれど、さすがにいくら不謹慎な私でも、これを国歌として唄うにはふさわしくないとするくらいの理性はある。
で、国歌斉唱の席で、じゃあみなさん歌いなさいと「金他の大冒険」を歌わされそうになったらどうするよ?
お国が国歌として決めた歌だから歌うか? 歌わないだろ?
国歌としては唄わないっていうのは、そういうこと。
わからないようなこっちも読んでくれや。
http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-281.html
>日本国が存在するから我々は日本人なのではないのですか?
違うね。例え王もなく、軍もなく、統べる政府もなく、同胞もなく、国歌として唄う歌もなく、仰ぐ旗もなかったとしても、私は日本人だ。
>子供に教える立場ですし、特に音楽の教諭の場合、君が代を演奏しなければならないこともあるでしょう。
子供を教える立場にあるならなおさらだ。すでにエントリーは提示してやったぞ。欲しいのは愛と敬意か、それとも追従か? 力で頭を押さえつけて得られるものは敬意じゃないぞ、そんなのただの追従だ。
聞かれたことに答えてみようよ
>コウさん
同じことを何度も聞く前に、ひろとさんの質問に答えてみたら如何でしょう?
貴方の質問には、McRashさん、ごんさん、うちゃさん、sutehunさんがそれぞれの表現で答えてるよ。
みんなに理解してもらえる表現を試みてみるってことで、気がつくこともあると思うよ。
>「金太の大冒険」って歌があるよね。私は名曲だと思うけれど、さすがにいくら不謹慎な私でも、これを国歌として唄うにはふさわしくないとするくらいの理性はある。
で、国歌斉唱の席で、じゃあみなさん歌いなさいと「金他の大冒険」を歌わされそうになったらどうするよ?
常識が阿呆こそ恐ろしいものはない。
それこそ、誰も歌わないと思いますし、反対が増えると思いますがね?で、これが、君が代を歌わない理由にどう繋がるんです?
>例え王もなく、軍もなく、統べる政府もなく、同胞もなく、国歌として唄う歌もなく、仰ぐ旗もなかったとしても、私は日本人だ。
ふーん、それならいわゆる在日外国人が日本国籍を得ずにそういっても問題ないですね。
で、貴方はそれを平気で認めれますか?あなた自身がそういう立場に居るのでしたらそれは普通なんでしょうが・・・
>子供を教える立場にあるならなおさらだ。すでにエントリーは提示してやったぞ。欲しいのは愛と敬意か、それとも追従か? 力で頭を押さえつけて得られるものは敬意じゃないぞ、そんなのただの追従だ。
軍事費を年に2桁以上増加させている日本近隣諸国は確かに日本国に追従を求めていますよね。
逆に日本側は敬意を持って対応していますがね・・・
とりあえず国旗
国旗はまだまだ使い道があるんじゃないでしょうか。たとえば英国のユニオン・フラッグ、米国の星条旗。血塗られた旗ですが図案として優れているために、ファッションとしてよく用いられていますよ。他の国の国旗も、商品のパッケージに使われていて、良いデザインを見ると欲しいな、と思います。日の丸もアレンジでデザインとしてどんどん使って魅力をアピールすればいいんじゃないでしょうか。
うちゃさまじゃないけど
>もし「金太の大冒険」が国歌だったら
典型的ダブスタ乙。「国歌である以上、儀典の場で強制力を持って歌われなければならない」という命題に対する解になってない。
>いわゆる在日外国人が云々
なんら問題ないですが何か。国籍があろうがなかろうが、その人にとって母国がどこであるか、というのはそれとは無関係に成立しうる。そもそも国家が単一民族の占有物であるわけもない。なんせ、日本国そのものが単一民族からなる国家ではないのだから。少数民族だからと、たとえばアイヌ民族などを無視するなよ?
>某国は日本に追従を求めて
ソースの提示よろしく。ていうか、古代史を繙くまでもなく、日本の文明・文化が中華文化圏からスタートしていることは明白であり、日本が中国に対して敬意を持って接するのは当然だとわしゃ思うが。
さすがにちょっと大人げなかったかもしれんので
>常識が阿呆こそ恐ろしいものはない。
いや、ちゃんと日本語書けって(^^;
>それこそ、誰も歌わないと思いますし、反対が増えると思いますがね?で、これが、君が代を歌わない理由にどう繋がるんです?
ちゃんとリンク張ったんだが、わからないらしい(^^;
>ふーん、それならいわゆる在日外国人が日本国籍を得ずにそういっても問題ないですね。
ナショナル・アイディンティティについて深く考えたこととかないわけね。
>軍事費を年に2桁以上増加させている日本近隣諸国は確かに日本国に追従を求めていますよね。
>逆に日本側は敬意を持って対応していますがね・・・
つうことは、君は日本にそういう国になって欲しいわけだ。
コメントは礼儀正しく、ね?
で、McRashさんは周りに流されるタイプなんですね。
サッカーの試合で日章旗振っちゃうし国歌も歌うんですものね。
でも敬意は示せない。
いい加減な人。
あなたは空っぽなんですね。
さしたる理由もなく周りが歌えば国歌も歌うし国旗も振る。
教諭達がどうして敬意を示せず、公の場で歌えないのか誰も答えられないのはなんとなく軍国主義のにおいがするから、漠然とした理由だからですかね。
立って歌うことができない。
ただなんとなくいやだから。
でもサッカーの試合なら歌うし国旗も振るよ。
おかしな話ですね。
教諭達は強制されるから国歌を歌わなかったんではないと思いますよ?
話がぎゃくになってますよ、McRashさん。
うちゃさん
なぜ金太の大冒険が国歌になるのか理解不能です。
例え話にすらならない。
君が代は今から千数十年ほど前に出た歌集「古今和歌集」の巻7、賀歌の初めに「題
しらず」「読み人知らず」として載っているのが初めです。
これに曲が作られ、国歌になったのです。
幾百年にわたって、広い地域で多くの先人に歌い継がれてきた「君が代」の和歌が、
興るべき時に際会して、稀世のメロディを得、世界に認められる儀礼曲となったもので
す。
一千年を越す歴史の所産なのですからお国が決めたものだから歌わないなんて幼稚な理論は成り立ちませんよ。
>>例え王もなく、軍もなく、統べる政府もなく、同胞もなく、国歌として唄う歌もなく、仰ぐ旗もなかったとしても、私は日本人だ。
違うね、王というかこの国を統治する政府がなく、集団で形成される「国民」=「同胞」がなかったらあなたも私も日本人じゃありませんよ。
日本国がないんですから。
国民が存在しないんですから。
国は一定の領土と国民がいて、それを統治する機関があって成り立つんです。
まさか無政府主義者だったとはね・・・・・・・
自民、民主、共産どれでもいいけど、政府がなかったらもちろん警察も軍も円すらもない。
どうやって日本人と証明するんでしょうね。
子供に国歌のせいで戦争が始まったとでも言うつもりですか?
あなた方はいつも強制、処罰批判ばかりするけど、なぜ公務員が駄々をこねるのを見過ごしてばかりいるんでしょうね。
子供に教えるのはこの国の文化、歴史を「正しく」伝えることでしょう?
力で押さえつけて敬意を得ているなんて詭弁としか言いようがないですね。
>>とみんぐさん
これ、答えてるって感じじゃないと思うんですが。
まぁいいや。
ひろとさんの国旗宣誓・敬礼の拒否を認めているアメリカ社会はすでに崩壊しているのかどうかという問いですけど、まぁご覧の通りしていません。
なぜか。
日本青年研究所の発表では、アメリカの高校生達は、84,2%の人が国歌を尊敬しているので起立すると答えています。
それに対し日本の高校生達は、国歌国旗は日の丸君が代がふさわしいとしている人たちが、君が代の場合58%、日の丸の場合74,4%もいるのに、君が代日の丸を見ても何も感じない人が50%強います。
日本の若者が外国へ行った際(日本国内でも)、外国の国旗や国歌に敬意を表さないとして、ひんしゅくを買っている現状を私はほっとけと思わないのです。
>みなさま >特にコウさま
で、コウさん、ある種の人々を代表しての、ある種の思考と行動様式のサンプルの提供ありがとうございます。以下はコウさんへのお返事。簡単にしますが。
まずは指摘を。
>反戦を唱えて弾圧され拷問され殺された人たちとは誰のことを言ってるのかわからないうえ
あなたへの答えじゃないけど、あなたの質問の直前にほかの人が尋ねてきたから答えています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-18/2005081812faq_01_0.html
http://www.lcv.ne.jp/~tiyoko17/index.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-20/2005082012faq_01_0.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-08-17/2005081712faq_01_0.html
>国旗に起立せず国歌を歌わない人間がそんなところに行くか疑問です。
このような追悼を国の名においておこない、国の名において謝罪する機会にはいいと思いますよ。国旗、国歌の強制が好きな人も満足すると思いますし。
>しかも国歌国旗そこ限定ですか?これでは賛成できないというか、提案の意味がわからないです。
本文読んでないですね...。
あなたこそ国旗国歌の使用機会を限定していると思いますね。
「そんなにお政府様からの強制が好きなら、北朝鮮や中国に行ったらどうでしょうか?」というのと、「つくづく奴隷根性だなあ、コウさんって」というのがコウさんの一連の書き込みを読んだ感想です。
自称愛国者が他国を尊重するとは言えないということの検証
私、gegenga道場のこちら↑の記事「嗚呼! 素晴らしき哉、愛国心教育」に次のようなコメントを書いたことがあります。
(転載開始)
25. Posted by 村野瀬玲奈 2006年11月24日 21:25
小玲奈、出遅れちゃった。
「自分の国を愛せない人間は他国も愛せない」って本当?
わたし、この↓「国への帰属意識」についての国際調査、とても面白いと思うの。
http://wind.ap.teacup.com/people/947.html
>「エリア愛着感尺度」「エリア定着志向尺度」「国の一体感志向尺度」「国に対する誇り尺度」「自民族愛着感尺度」などの感情は、「国際意識尺度、エスニシティ志向尺度」「対外国人寛容意識尺度」との間でマイナスの相関となっている。
>自分の郷土や国を愛する者は「ヨソ者」に対して冷たいという結果なのだ。自国の文化や伝統を自らの文化を学ぶことで他国や地域の文化に敬意を払うというのは机上の空論だ。
これ、質問紙形式でおこなって統計学・推計学で分析したと思うけど、これを読むと、自称愛国者の心理をうまく言い当てていると思うの。
自称愛国者が他国を尊重するとは言えないわ、先生。
(転載終了)
で、コウさん、「日本の若者が外国へ行った際(日本国内でも)、外国の国旗や国歌に敬意を表さないとして、ひんしゅくを買っている現状」を証明する一次史料(笑)はありますか?例を一つ二つあげるのではなくて、そのような「現状」と「ひんしゅく」が「広く」存在することを示さなければダメですよ。
>せっかくですから、コウさん、もう一つ
コウさんの主張にしたがうと、彼が国歌を歌わないことは許せない行為になるわけなんでしょうか?
フランスのサッカー選手、ジネディン・ジダンは試合で自国の国歌を歌わないけど、尊敬されてます。
コウさんの主張にしたがうと、彼が国歌を歌わないことは許せない行為になるわけなんでしょうか?
同じく、フランスのサッカー選手だったクリスチャン・カランブーはニューカレドニア出身ですが、自分の故郷であるニューカレドニアに対するフランスによる過去の植民地支配に抗議して国際試合でもフランス国歌を歌うことを拒否していたことで知られています。
(あ、コウさんが知っているかどうかわからないので付け加えますが、ニューカレドニアはフランスの海外領土で、行政的にはフランスという国家の一部です。それから、ジダンはフランスの旧植民地だったアルジェリアがルーツです、念のため。)
コウさんの主張にしたがうと、彼が国歌を歌わないことは許せない行為になるわけなんでしょうか?
私からみたら、カランブーはコウさんの表面的な強制主義、形式主義なんか全くかなわない愛国心の高みに達していると思うのですが、どうでしょう。
近接過去の歴史事実
で、その頃は日本は、国旗や国歌を持たない半人前国家だったとはわたしにはどうしても思えないんですが。
さて、昔から日の丸・君が代が実質的に国歌であり国旗だったとしましょう。それでも明治以降のことですが。
近代国家として、国旗・国家法以前から日の丸、君が代の扱いは外交のプロトコルで定められた国旗・国家と同様だっただろうと思います。しかしわたしの年代では、教育現場で君が代掲揚、日の丸斉唱をした記憶がありません。現代の学校教育現場を憂えて、「私たちの育った頃の学校に戻ればいいだけだ」と自分のブログで主張する花岡信昭産経新聞客員論説委員が義務教育に通っていた時、学校教育で君が代斉唱は一般的ではなかったと推測されます。その後に文部省通達が何度か出されている事実からしても、当時は君が代斉唱が一般的に広く行われたとは言えないでしょう。
その時点でも日本人は公共の精神を持ち、東京オリンピックを成功させ、高度成長を成し遂げました。国歌も・国旗も学校現場になかったにもかかわらず。
ですから、現在の卒・入学式で、日の丸掲揚、君が代斉唱がなかったとしても、社会秩序になんらのマイナスもなく、日本人のナショナルアイデンティティがそのことにより弱められるという根拠はかなり希薄だと思われます。
また、日本人が海外で自分の国旗を尊重しないことで軽蔑されるというご意見もありますが、わたしはロシア青年が、「チェチェンで人殺しをするような自分の国の国旗はいまひとつ好きになれない」と発言したからといって、彼の態度を非愛国的でとんでもないとは思いません。また、チベット民衆が、中国の「五星紅旗」を式典で強制され、内心の信条に反するからという理由で中国国歌を歌わない場合に処分されたと仮定します。その場合に自分の国の国旗や国歌に敬意を払わないとんでもない人間だとは思いません。チベットばかりでなくその人が山西省や山東省の人でも同じです。
しかし、どうも日本のお若い方は、そういうロシア人や中国人は、国旗や国歌を尊重しないとんでもない人間だ、と思うようです。
字義の通りにすら日本語を読めない人だったんですね…sig
与太は兎も角、あたしは最初から、決して君が代を歌わない、日章旗を国旗と仰がない、なんてこたぁ言ってないわけですよ。あたしに限らず、ここで丁寧にコメントをしている他の皆様もおそらくは。
民主主義国家のありようとして、それを強制することが、思想信条の自由、という民主主義の重要な一つの基本原則を明確に侵犯している、ということを言いたいわけね。そして、そういう形での教育を推進することは、民主主義社会の未来を担うべき子供たちに対して重大な悪影響を及ぼすだろうとも。
最後に一つだけ、これはあぁたがあたしを完全に侮辱した発言であると見なして、相応の態度で返答するわけだけど、
>でも敬意は示せない。
>いい加減な人。
>あなたは空っぽなんですね。
増上慢も大概にしておきなさい。そもそも、あたしは当該コメントにおいて、「例えば国を代表するサッカー選手への敬意の表現としてであれば、国旗国歌を用いることもするでしょうが、そこに強制力は働いていますか? 否、違うでしょう?」という文脈でコメントをしているわけね。そのコメントへの返信として、「でも敬意は表せない」、ですか。あぁたどんだけ偉人なんですか?
一度二度だったら若気の至りでもいいけれどね、さすがに今回ばかりは堪忍袋の緒が切れるよ?
他人を頭悪いと見下す前に、自分の知性を鍛え直してきなさい。
寂しさは叱ってくれる人がない、なんていう川柳があるけど、叱正してもらえているうちが華だからね。
これが噂の・・・
(09:11:43 )
>恐らく大君制度と和歌ではないのか?
まぁ、大昔から続いているものと思えば良いと思います。
まさか、そういう無形の財産を否定してしまえと?
<
大昔から続いているもの・・・ 夜這いとか?(死ぬのはやつらださん好み)。
ここでみんなが、大昔から続いているものを列挙すると笑えるでしょうね。
粟、稗の食事(非国民さん好み)
>コメント欄大喜利化連盟さま
そうですね、馬鹿陽区さんとコウさんには大昔から続いているものは何なのか、ぜひ答えてみてほしいですね。
大喜利ですから、大昔から続いている出来合いの答えじゃなくて、オリジナリティのある面白い答えを期待したいところです。
日の丸が素晴らしい「デザイン」で君が代がすばらしい「和歌+曲」なら他人に強制しなくてもこれからも続くのではないでしょうか。日の丸も君が代も強制しないと続かないと考えているんでしょうね、馬鹿陽区さんとコウさんは。
>例え話にすらならない。
自分が何を質問したかくらいは覚えていてくれないもんだろうか?
>ふさわしくないのに嫌っちゃいないと。
>日の丸は好きな方だと。
>それを歌いたくない、敬いたくない理由とは?
ふさわしくないけれど、嫌いじゃないというのがどういうことかわからないみたいだったから、たぶん「国歌としてはふさわしくないけれど、曲としては嫌いじゃないだろう」、という点ではコウくんにも同意してもらえると思って「金太の大冒険」という名曲を例に選んだんだけど、もしかして、この曲嫌いだった?
で、そういう曲を「国歌として唄う場面で唄わされそうになったら、君だって唄わないだろう?」って同意を求めたんだけど、もしかして、君唄うの?
そして、なんで「君が代」が国歌としてふさわしくないと私が思っているかということを、リンクで示してあげたんだけど、もしかして難しかった? まさかあの文章を読んで、「国が決めたから嫌いだ」なんて主張をしていると読み取ったわけじゃないだろうね?
ああ、ところで、コウくんが「君が代」を国歌としてふさわしいと思っていて、いつも国歌斉唱の場面で唄っているというのは、好きにすればいいんじゃない?私はそれをじゃまする気もないし、馬鹿にもしないよ。唄わない奴は非常識だとか、日本から出て行けとか言い出さない限りはね。
ああ、いっこ忘れてた
しかし、力で他人の頭を下させるようなことは容認できない。それは国旗を汚す行為だから。
国家がなくても
コウくんには以前添削してあげたことがあるのですが、一切成長していませんね。論理が支離滅裂だ。
「日本国」が存在しないと日本人ではないというのは随分「新しい」議論ですね。その議論からすると、クルド人なんかはクルド人ではないのでしょう。シリアのマロン人はキリスト教マロン派という教派によって結びついていますが、マロンという「国家」はありません。そんなことを言い出したら、各国の少数民族はいったいどうなるのでしょうか。人間のアイデンティティはその人間がどう感じるかで決まります。当然ただ一つのアイデンティティに拘束されることもありません。
わかりやすく説明してあげると、例えばアメリカの日系二世は国籍はアメリカですが、同時に自分は日本人であるという意識を持つこともできるわけです。こういう場合はアメリカ人であると同時に日本人であるわけです。
それと、「日本に住まわせてもらってる」とおっしゃいますが、私たちを日本に「住まわせてくれている」のは一体誰ですか?内閣総理大臣ですか?官僚ですか?もう少し国家論とかお勉強することをお勧めします。
え?
コメントは礼儀正しく、ね?
<
自虐? 自虐??
>一千年を越す歴史の所産なのですからお国が決めたものだから歌わないなんて幼稚な理論は成り立ちませんよ。
<
ということで、うちゃさん。
「金太の大冒険」も、1000年経てば、皆さんに強制できる国歌になる見たいですよ!
表彰台に上るとき
君がメダルを受け取ってくれないか
たとえば千年、千年じゃ足りないか
できるだけ長生きするから
ね、kuronekoさん、結構な逸材でしょ♪
この分だとまだまだ伸びしろあるよ
でもでもでも残念なことに
あれ以来うちにきてくれないの(泣)
和歌の話とか
チベットの話とか
ウンコの話とか
ちゃんと用意して待ってるのに……
遊びに来てね、校訓
村野瀬さま
『千年メダル』は最高にいかしてると思うから
みんなで歌い継いでいきたいな
千年後まで
村野瀬さまにぴったりだ、うん
歌会始
2008/03/18(火) 11:21:32 のコウさんのコメント
>君が代は今から千数十年ほど前に出た歌集「古今和歌集」の巻7、賀歌の初めに「題
しらず」「読み人知らず」として載っているのが初めです。
これに曲が作られ、国歌になったのです。
幾百年にわたって、広い地域で多くの先人に歌い継がれてきた「君が代」の和歌が、
興るべき時に際会して、稀世のメロディを得、世界に認められる儀礼曲となったもので
す。
一千年を越す歴史の所産なのですからお国が決めたものだから歌わないなんて幼稚な理論は成り立ちませんよ。
(まで)
君が代の曲は明治になってできたんでしょ。一千年のあいだ
歌い継がれていません。
>稀世のメロディを得
永六輔さんの「冗談ばっかり」という本で、君が代とまたt区同じメロディが中国の民謡にあるという話を読んだことがある。
一千年歌い継がれてきた「君が代」というのは、歌会始で講師(こうじ)が読み上げるような調子で歌われたという意味であるのはお認めですね。日本の伝統では、それが和歌を歌うことだったのです。というわけで、君が代のメロディをやめて、和歌の読みあげにすべきだ、それが伝統だ、という主張をお勧めします。これなら他人と差異化できるよ。
六甲おろし
ちょっと前には、関西人のくせに阪神を応援せんやつは、巨人ファン(非国民と同じ意)と決め付けられていた。(いなかでは阪神と巨人の帽子しか売ってない)
べつに「阪神のどこが嫌なんだ」といわれて、どう文句をつけるわけではなかったが、(江川事件の取引では、さすがに幻滅したが)
「六甲おろし」歌え、「タテジマ」フラッグ振れ、と強制される筋合いはない。
おまけでいえば、「タテジマ」は、阪神の「象徴」ではあるが、主権者ではない。
(だいたいが、歌と旗で「郷土愛」(あやうく【狂度合い】と変換するところだった)を叫ぶ奴。自分の住んでる県の歌、市の歌、知らんかったりする。たぶん、馬鹿も知らんやろ…)
「歌」よりも「メシ」を海外依存して、何が「愛国心」やろな。(マクドやらコークやらに浸かってそうな気配があるな…)
ふと思ったんだが
>ジネディン・ジダンは試合で自国の国歌を歌わないけど、
>リスチャン・カランブーはフランス国歌を歌うことを拒否
この人達の職務は野球であり、サッカーであり、それを拒否したわけではありません。
野球(サッカー)には敬意をもてないのでしたくありません、でも野球(サッカー)選手としての身分、収入は下さい、これは通用しないでしょう。
全部に言いたいことはありますが、ここのブログ主である村野瀬さんにだけ言っておこうっと。
>>あなたこそ国旗国歌の使用機会を限定していると思いますね。
あなたは何故使用機会を限定していると思ったんですか?
私は広く使うべきだと思いますけど。
村野瀬さんは第二次大戦中の軍国主義日本で反戦を唱えて弾圧され拷問され殺された人たちへの謝罪と追悼の意思表明の式典でしか使わないのですか?
違うならどういう場面で使うのですか?
書いてないのに本文をよく読めってずいぶん自分の文章に自信があるんですね。
>>「そんなにお政府様からの強制が好きなら、北朝鮮や中国に行ったらどうでしょうか?」というのと、「つくづく奴隷根性だなあ、コウさんって」というのがコウさんの一連の書き込みを読んだ感想です。
これなんかもう議論にすらならない決めつけですね。
強制強制とどんだけ縛られたくないんだw
いいですか、憲法や法律があるのは規則(縛り)を作らないと人間の大多数は犯罪を犯してしまうからです。
私は改憲派ですけど、今ある憲法は遵守すべきだと思います。
てかこれは当たり前。
それを強制だ横暴だと言っていたらこの世はどうなってしまうのか。
誰かさんが日本人は公共の精神を持ち、東京オリンピックを成功させ、高度成長を成し遂げたから、日の丸掲揚、君が代斉唱がなくなっても大丈夫みたいなことを言っていますが、日本に住んでいて、その国の国歌が歌えず、国旗掲揚を強制だからやらないことがどれだけ国内外で恥なことかわかっているんでしょうか。
奴隷根性だ、なんて国の言うことにはなんでも反対な人に言われてもああそうとしか言いようがありません。
国外でそのような「現状」と「ひんしゅく」が「広く」存在することを示さなければダメだなんてあなたなんなんですか。
自分はいつもこちらの質問に答えないのに。
私は海外旅行に4回しか行ったことがないのであれですが、ある人の娘さんが米国の小学校に入学した時にクラスで歓迎会を開いてくれ、日本から来た新しい友達の為に「君が代」の演奏が行われました。娘さんが椅子に腰掛けた侭でいると、先生は「あなたのお国の国歌ですから起立しなさい」と注意し、日本で国歌に対するそのような礼儀作法を教えられたことのない娘さんにとっては衝撃的な、しかし実に貴重な体験となったと。
また某市の教育委員をしている方の話で、その人の息子さんがICSVに参加しました。11歳から大学生位まで各国4名、20数カ国から計100名が参加して各国持ち回りで夏のキャンプを実施していました。そしてキャンプファイアーの時に、各国代表が立って自分の国の国歌を歌い、その意味を説明して聞かせるということがあったそうです。外国からの参加者は皆自分の国の国歌の意味を解説できたのですが、日本の番になった時、「君が代」の意味を外国の人達に説明できたのは、その教育委員氏の息子さん一人だったそうです。残る三人は「君が代」の意味を知らず、その息子さんが居なければ日本は大恥をかくところであったと。
まだありますが長くなりますので。
野球選手カルロス・デルガドの話は知りませんでしたが、その人はイラク戦争に抗議するために歌わなかったと。
つまり自分や他人が尊敬している国歌をあえて歌わないことで抗議したんでしょう?
しかも「野球選手」。
これがどうして私が許せない理由になると思ったんですかね。
カランブーやジダンもフランスによる過去の植民地支配に抗議して歌わないんでしょう。
確かにかなりの愛国者ですね。
いい人を教えてもらいました。
つまり日本の国歌を歌わない人々は何に抗議してるんでしょうかね?
はぁはぁ、もう疲れました。
他の人にはgegengaさんが食いついてくれたのでいっときます。
ね、みっともないってでしょ?
自覚してるんでしょう?
礼儀正しく・・・・・は無理なんだろうなぁ。
金太の大冒険も1000年たてば国歌とか言っちゃってるようじゃなぁ。
恐縮ですが、コウさん
これの意味が分からないので、教えていただけますでしょうか?
たとえばスペイン
スペインの国歌に歌詞がついていないのは「公募で歌詞を決めたが、『独裁政権時代の雰囲気がある』と不評で一週間で打ち消された」という2ヶ月ほど前のニュースでよく知られたことなのですが、スペインの子供はそのキャンプファイアーとやらで大恥をかいたのでしょうか?
きわめて重大な誤謬がある。
職業として『国旗・国歌を特定の方法で用いることを強制される』者というのは、存在しない。
例えば教員の職務内容は『生徒児童に社会生活を送る上で必要となる情報を与えること』という、ある程度具体的なものである。
そこにおいて、式典における国旗国歌の取り扱いは、他の職業の場合と同じく式典に付随する装飾的なものであり、これへの態度一事をもってその職務的全権能を奪うことは、許されない。
そもそも思想を理由とする不利益取り扱いが問題となるのは、原則的には私人である私企業がそれを行った場合であり、公権力がそれを行えば、問答無用で違憲・無効である。
コウさん。
あなたはなにやらとんでもない間違いを犯している。
『国民』には、原則として『憲法』を遵守する義務などない。
憲法を遵守すべきは原則として国家権力であり、また国民の中で権力を委託され、執行する身分にあるものだ。
また、法がなくとも市民の大部分は犯罪と看做される行為を行わない。
法とは行為抑止のためにあるのではなく、反社会的行為が例外的に発生した場合、侵害された法益の回復(民法の場合)・動揺した治安への信頼の回復(刑法等)など、それら反社会的行為への対応を定めているものに過ぎない。
法の有効性を担保しているのは法の持つ暴力性ではなく、その規範が妥当であると判断する『社会的常識』、すなわち共同体の中で共有されている規範意識そのものである。これに照らして妥当でないと判断される法規は、そもそも遵守されない。制限以上の速度での車両操作などがこれに当たる。
『行為抑止のための規範がなければ誰もが獣の所業をなす』などと言う主張は、『私はいつでも他人の財布を狙っている』と叫ぶことに等しい。
以下、苦言。
だいたいあなたのその主張のスタイルは何だ。
論を弄んだ挙句迷走し、その上場当たり的に疑問を発して、しかもそれに答えよと迫る。
精神的に不安定ならば、誰か身近な人物にでも相談するといい。
あーあ、とうとう逆ギレですか。
そもそも自由民主主義とはなんぞや、てな事から講義せにゃならんようですわねぇ…自由民主主義と法規類による強制は、そもそも対極にあるわけですよ。可能な限り行政権力による強制を排して、自律的、自主的な民衆の活動によって社会を形成しよう、ていうのが自由民主主義の大枠なわけね。その中で、万止むを得ざる権利行使の対立を調整するために、方便として司法・立法・行政といった公権力機関に一定の強制力を信託しているだけなの。
すなわち、本来行政権力や司法権力、立法権力といった公権力自体が、一人一人の人間に当然に備わっている人権そのものなのね、自由民主主義という国家体制にあっては。
強制しなければ野放図になる、って…あぁたどんだけ人を信用してないんですか。一から十まで、箸の上げ下ろしからシモの世話まで全部行政権力に規定してもらわなきゃ何にもできませんか。
あぁたに対しては、何かに仮託して話を進めるにしてもその仮託対象が気に入らないと内容を読んでもくれない(金太の大冒険の話が、あれが譬え話だということを理解できないようでしたので)みたいだから、具体的に微に入り細に入って書いてあげたけど、そういう国家をお望みみたいだから、中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国があぁたにとってのユートピアじゃないんですか、って、玲奈お姉様にしてもあたしにしても、他の方々にしてもアドヴァイスを差し上げてるんだけどねぇ…。
ちなみに、あたし自身が儀典の場で君が代を歌わないとき、自由と民主主義を言いながら正反対の方向へ引っぱろうとしている現政権と、その取り巻き連に対する抗議をしていますよ。日本を真に民主化して、国際社会に名誉ある地位を占める国にしたいですからね。
自分が相手に対して頭から決めつけてかかっている上に質問を無視しまくっていることにほおかむりしながら、相手に対しては自分のことを好き放題決めつけるわ質問に答えないわって難癖つける自分の姿を、みっともないと思わないんでしょうか? まぁ、みっともないと思わないからできるんでしょうがね。
あぁたが満足する回答だけが質問への回答じゃないのですよ。寧ろ、世の中には満足できない回答しか得られないことの方が圧倒的に多いくらいのこと、いい加減学習しなさいな。
少々お古いスペースオペラ小説だけど、「銀河英雄伝説」あたり、自由と民主主義の基礎を学ぶ入門テキストにちょうどいいんじゃないでしょうかな。活字嫌いでしたらアニメDVDもあるでよー。作画はあんまり萌えませんが(笑)
若い男のセックス価値
まだ若いうちは相手してもらえるけど、年を食うと無視されるだけ、ということでしょうか?
馬鹿陽区君に向けたわたしのコメントNo.2903については、私が彼に対して感じている悪感情をストレートに向けてしまったものであり、少なくとも現在ここで書かれているコメントの内容にむける発言としては、行きすぎた表現であった。
馬鹿陽区君、もうしわけない。もし君が同意するのであれば、該当コメントは削除の上撤回させていただく。
このコメントに関しては「頭が悪い」といわれてもしかたがない。
これは「礼儀」の問題。
>「君が代」の意味を外国の人達に説明できたのは、その教育委員氏の息子さん一人だった
これは「知識」の問題。
どちらも、今回話題していることとは話がずれている。「礼儀」や「知識」を教えることを否定しているわけではないのだ。
まずは「知識」の問題。私は以前に提示したエントリー「愛と敬意が欲しいのであれば」の中でこう書いている。
>国歌だから歌え、国旗だから敬え、それは教育かよ?ってことだ。犬を躾けてるんじゃないんだからさ、国旗と国歌の意味をちゃんと教えた上で、それにどう向き合うかを本人に考えさせたらどうだ?
知識をあたえた上で、どうするかは自分で考えさせろ、と言うことだ。意味を教えることは、強制しないこととは矛盾しない。
そして「礼儀」の問題。
これも以前に確かgegenga師匠のところで書いたことを再度書いておこう。
「内心の自由に対する侵害」という非礼を先に働いたのは、強制しようとした側である。であるならば、その相手に礼を以て返してやる義理はこちらにはない。
ちなみに、唄うことを強制しないのであれば、私は国歌斉唱のあいだ、起立するくらいの礼は守る。唄わない程度のことは非礼にはあたらないだろう。
わかってたけどね。
そもそもの反論が反論をなしてない左翼が多すぎます。
だから人気ブログランキングだと上位が右翼ブログばっかりになってしまうんですね。
いくら言ってもどんどん論点からずれていってるので私はこの辺でアデュー
携帯から失礼
反論になってないもなにも
コウさんへ
コウさん返答ありがとうございます。
私があのような質問をしたのはコウさんの「日本社会が崩壊する」といった
主張が言い過ぎだと思ったからです。
アメリカはそのための例です。すいません分かりづらくて。
>ダメになるというのは子供達がそれに影響され・・個人の自由を盾に好き放題すれば
日本社会は崩壊します。
入学式や卒業式の一場面における教員の拒否がそれほどまでに子供達に影響力を
与えるものなのか。さらには日本社会崩壊というのはどうも。
また子供達に与える影響が悪影響に限られているのも気になります。
日頃から正しいと思うことには信念を貫けと教員が子供達に教えていれば、
子供達は教員の行為を称賛するかもしれない。
自己の信念を貫くことの大切さを学んだ子供達が大人になって
日本に貢献するかも知れないし、あるいはわがままになるかも知れない。
どうなるかなんて私は知らない。
ただ、私が言いたいのは、
教員の拒否による子供達への影響と言ってもどのような影響を受けるのか
どの程度の影響を受けるのか一概にはいえないということ。
>罰則も仕方ないと思う理由は子供達に影響するからの一点です。
どのような影響を受けるのかどの程度影響を受けるのか不明であり、
このような不明確なものを根拠に罰則を正当化することは許されるべきではない。
コウさんが国のこと子供達のことを深く考えているのは分かります。
国旗国歌に対する教育もすべきでしょう。ただ、国旗国歌に敬意を払うことのみならず、
過去において軍国主義の象徴であったこと。
そういった事情から国旗国歌を忌み嫌う人がいることも説明すべきです。
きちんと説明すれば、子供達はそれぞれが主体的に教員の行為の良し悪しを判断します。
子供達が主体的に判断出来るように教えるというのが重要です。
片方のみではどちらも子供達の主体性を奪います。
なんだ、もう終わりかよ。
彼は論=思い込みの表明と考えていて、反論=突っ込みと質問の応酬と考えているわけか。
そもそも彼の主張の根拠は思い込みが多いんだよな。『国旗・国歌を敬わなければならないと考える根拠は何だ』。そんなふうに言ってやりゃあよかったかな。今回は出遅れたからなぁ。
それにしても、私は彼に応じてもらった覚えがないんだが。
新参者は相手にしないのか!
お大尽か!
現実 見えない
全体の文章からして、甘やかされて育った平凡な学生風なのですけど。
彼が苦労知らずであるということは、その分彼の親が苦労しているということ。
それに気づかず、「勉強だけしていればいいのよ」と育てられた結果、現実が見えなくなった。
家族のことが見えず、一足飛びに日本国に行っちゃう。
多様な他人のことが見えず、左翼うんぬんに行っちゃう。
こういう手合いが仕事に就くと、相手の外見やブランドにころっと騙されるのですよね。
さらにまかり間違って公務員なんぞになった日には、現実が見えないから世の中に迷惑をかける。
…という陰口を他所で言おうと思ったのですが、彼の人生に関わる問題なのでここで。
>みなさま
次の「騒動」(笑)の時にはまたよろしくお願いいたします。本当にみなさま、ありがとうございました。
近代国家
>恐らく大君制度と和歌ではないのか?
まぁ、大昔から続いているものと思えば良いと思います。
斯様な幼稚なコメントは論ずるに足りないが、近代国家によって構成される国際社会における国旗・国歌の必要性、は青年に説明してやったほうがよいでしょう。それが自明のものという自身の素朴実感以上に、高等教育課程まで成長しても自分で思考を発展させることができないらしい。
「近代国家」もその「シンボル」も何も理解していない若者を揶揄するだけでいいものかどうか・・・。
60 年安保で日の丸を振るべきだった
「第二次大戦中の軍国主義日本で反戦を唱えて弾圧され拷問され殺された人たちへの謝罪と追悼の意思表明の式典を国や自治体が行い、そこで国旗をかかげて国歌を演奏する」
というのは、いわゆる<保守派>への揶揄も含むと思われますが、国際的に見ればごく普通のことですね。しかし、それは<革新陣営>とむかし呼ばれた人たちに対しても、一定の揶揄となるでしょう。
日本を象徴する旗として一般的なものは「日の丸」が随一です。法的根拠があってもなくても戦前から日本社会で掲げられてきました。のみならず沖縄返還の以前には、政治的な左右を問わず、日の丸が「本土復帰」のシンボルとして広く使われたといいます。
戦後すぐの片山哲社会党政権で、日の丸が不適当だとされたこともないようです。仮に社会党を含む政権が戦後の早い時期に成立しても、日の丸、君が代をそれまでの国際的認知をご破算にしてまでやめることはなかった可能性のほうが強いはずです。
国旗・国歌法以前から「日の丸」「君が代」は日本を象徴する旗や歌として受け入れられてきたのはおおむね事実と言っていいでしょう。ただし拒否感が国民の中にある程度存在しましたが、国内で分離独立問題をかかえる国に比べれば、この程度の世論の分裂は取るに足らない。
旧社会党支持者、共産党支持者であっても、「日の丸」、「君が代」に代わるシンボルを選んで、積極的に国民統合に資するべきとの意見は寡聞にして知りません。
そうであるなら、戦後の2,1ストから、60年安保、何れのときでも、日の丸を掲げた時の政府への反対運動があって当然だった。
時の政府に反対しているからと言って、「国旗」やそれに類する国民統合のシンボルを使用しない運動より、国旗を掲げて時の政府を打倒するほうが、世界には多いと思えます。
日の丸はアジア侵略の時に翻ったかもしれませんが、暴虐な政府を倒す時に民衆が掲げるのに何ら不都合はない。
三色旗は第三世界の旧フランス植民地の人、アルジェリアなどの人には圧制の象徴であっても、この旗が民衆の上に掲げられて、市民社会は近代国家への道を踏み出したのです。
そうであるなら、日の丸も市民革命のために打ち振られてもよかった。
「日本は市民革命を経験していないから、民主主義が定着しない」とはよく言われるところですが、日の丸を振って人々を先導する運動が起こりえなかったことも、日本の近代化を特殊なものにしていると、わたしには思えます。
そして、日の丸は自民党の候補が演説する時に見物人に配られて振られるものと成り下がった。
60年安保の時、国会をとりまく民衆が日の丸を打ち振ったら、アメリカには大きな恐怖だったでしょう。
そう考えるとこのエントリーは、日本政治の特殊性を撃つもの、といえるでしょう。
わたしは左翼ですから国家に忠誠心の高い日本の民衆の特殊な姿を世界中に知らしめるのは、こちらの現状を世界の市民に伝える上で、必ずしも悪いことばかりではないと考えます。
コメント欄を全部読んで見ました。
だから、日本国民としての愛国心を主張しながら、国家権力による強制を合理化してくるわけです。
いろんな人がコウさんへ話していますが、コウさんと同じように国民、国土を愛してても、ほかの人は政権政党を愛していないのです。コウさんは政権政党を愛するから起立、斉唱すればよいんです。しかし、政権政党を愛さない人は不起立、不斉唱だということです。
ゆえに、どのような国歌、国旗になっても「国」の歌、「国」の旗である以上は、国家権力の象徴でもあるから強制することは不可能です。それは独裁政権を愛することになります。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9016.ewkefc自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる自民に政権担当能力もガバナンスもない「小西議員は捏造でないことを証明しろ」と高市が喚いていますね。
予想の範囲内とされている「ゴールポストの移動」を盛大にやって「何が楽しいんだ」と怒りが湧きます。アンドリュー・バルトフェルド強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議しますNo titleポイントで釣って、今度はアニメのキャラクターで押し売りする姿勢に呆れます。
引っ越しだ何だと便利だからと言って「一生のうちにどれだけ必要なんだ」、「手続きの為にアンドリュー・バルトフェルド維新の嘘の例。維新の悪政を漂白して維新ロンダリングをする不甲斐ない報道業者。 #維新に騙されるな #マスメディアへの不満 #マスメディアへの不信No title教育の無償化をはじめこれ程維新が嘘をついてるとは思いませんでした。yoshiウィシュマ・サンダマリさんたちを死なせた責任もとらずに自民党政府がめざす入管法改正は入管法改悪である入管収容施設の実態とは アムネスティ調査員の山口かおるさんの報告を紹介します。
2022年10月後半から11月中旬まで元被収容者・現被収容者30人ほどにインタビューをしました、2022年10月末時Takeshi自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本自民なるも、の、の呪縛は解けないのか何度もスミマセン
先月、私の住む自治体の首長選挙がありました。
残念ながら現職の非自民系の候補が落選してしまいました。
また、自民なる、コンクリートと廃棄物と、月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたし>氏の中日新聞=東京新聞のコラム
>氏も自民党にとっては
の「氏」は田中優子氏の事です月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本No title>民主党((補足:)当初は ・社民連立)政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。
確かに「マニフェスト」には再分配重視が掲げられていましたし、「こども省月乃兎梅毒の感染例増加における、男女別・年齢別の非対称性について (メモ)No titleようやく(遅すぎ…)梅毒の感染増加をNHKが扱いましたか…
(「ニュース」番組でないので「「報じる」の語は使いません)
HIV感染も、日本という社会は「(いわゆる)先進国」月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたしトピズレですが…原田医師のことを書きこんだ「ついで」といってはなんですが(この「ついで」って書き方に苦痛を感じますが)
石牟礼道子氏や原田氏は水俣の公害被害・MINAMA月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本> ewkefc さん民主党政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。いくつかの経済指標も民主党政権の間は改善していました。その意味で、民主党政権は自民党とは良い意味で違うと村野瀬 玲奈第五福竜丸の史実を平和教育の教材から消して、生徒に伝えないようにする広島市教育委員会。広島は反核の地ではなくなっているのか。No title 『はだしのゲン』に続いて第五福竜丸に関する記述も削除して一体何が残るのか?現在の日本やアメリカの権力層に不利益な内容は根こそぎ排除しようとしていると疑われてもクテシフォン日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。虐殺否定罪,慰安婦否定罪の成立が必要。 2012年1月23日,フランス国民議会でトルコによるアルメニア人虐殺否定罪を成立させました。アルメニア人虐殺を否定する意見を公言した者は禁固1年と45000ユーロの罰金をTakeshi埼玉県 #草加市議会 の #河合ゆうすけ 市議会議員のヘイトスピーチと市民団体への妨害行為 (メモ)No title とどまるところを知らないColaboへの攻撃。その発端からゲーマーゲート事件(アメリカでゲームおける女性の描き方をフェミニズムの観点から批判した研究者達にゲームマニクテシフォン放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及No title>「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」
なら、政府・大企業と意見の対立する「反/脱原発」「反リニア」等も大きく月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本No title『自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9011.html
>たとえば、男女平等。先進民主国なら女性とewkefc放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及Re: 権力批判を忘れた日本社会の一端を見ました。伊東勉さん、本当にお久しぶりです。
コメントありがとうございます。ご指摘もっともです。「権力に対する批判」が疎んじられている、正確には「自民党に対する批判が疎ん村野瀬 玲奈放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及権力批判を忘れた日本社会の一端を見ました。 お晩でございます。コメントは久しぶりになります。
この問題をSNSで追ってゲンナリすることがありました。それは「権力に対する批判」が疎んじられていること。特伊東勉日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。アトランタの慰安婦像設置を歓迎するアトランタで日本の従軍慰安婦制度の史実を伝える平和の少女像が建てられました。
日本政府と多くの日本人が従軍慰安婦制度という蛮行の史実を歴史教科書から消し去り、被閉口第五福竜丸の史実を平和教育の教材から消して、生徒に伝えないようにする広島市教育委員会。広島は反核の地ではなくなっているのか。「はだしのゲン」の削除に続き広島市教育委員会は「はだしのゲン」の削除に続き今度は「第五福竜丸」を平和教育の教材から削除する方針。
第五福竜丸はビキニで超大国アメリカの水爆実験の惨禍を受けた閉口自衛隊を民主主義・立憲主義・人道主義・人権思想によってコントロールできないなら、自衛隊という組織そのものと指揮命令系統を根底から疑問詞しなければならなくなる。No title 自衛隊内に軍国主義が残り歴史修正主義が蔓延っていることを推認させるような講師の人選です。彼らの本質は結局は「日本軍」のままであり、「自分たちはすごい、正しい、クテシフォン東京都人権部は、過去にあった凄惨な人権蹂躙を検閲して隠すという歴史への蛮行を、税金を使って始めた。強く抗議します。東京都総務局人権部はその名に値しない。 東京都によるレイシズムと検閲に反対する有志一同は「東京都人権部は,歴史的事実を扱う作品の検閲を二度と繰り返さないでください。在日コリアンへの差別という重大な問Takeshiバイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪人権や戦争犯罪に大きく足を踏み出したバイデン大統領 バイデン大統領は死刑制度の廃止を主張し,人権擁護を前面に押し出しているように思います。
バイデン大統領は1915年に起きたトルコによるアルメニア人大量殺害についTakeshi건곤감리 乾坤坎離 (独立運動記念日)/ 다이아 (DIA ダイア) (不定期連載「気まぐれK-POPプレイリスト」)韓国民主化運動の流れ 韓国においては,民主化運動を画期的に前進させる事件がいくつか起きています。それらは個別に評価・検討するだけではなく,歴史の流れの中で理解した方がよいと思いますTakeshiバイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪Re: バイデンはノルドストリームを破壊したが檜原転石さん、ずいぶん冷笑的ですが、バイデンは謝罪しない方が良かったと真面目に思っているのか、お考えをおきかせください。村野瀬 玲奈「江戸しぐさ」という歴史偽造 (メモ)日清戦争における歴史の偽造 清国が朝鮮の独立をないがしろにしている,日本は「朝鮮の独立のために」戦うのだ,これが日清戦争の大義名分,天皇の詔勅でした。日本軍が王宮の外の道を行進していたとTakeshiデモへの誤解、偏見、忌避感について (メモ)韓国と日本の違い 日本の人口は1億2463万人ほどで,韓国の人口はその半分以下の5163万人ほどです。しかしながら100万人のデモでパク・クネを大統領から引きずり下ろしました。王政から帝政Takeshi自国の過去の過ちや蛮行に関する、現在の個人の責任について日本国家と個人の責任 「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実」(吉見義明・川田文子編著/大月書店 1997年6月24日第1刷発行)から一部引用します。
「自分とは関係のないことでいつもアジアTakeshiバイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪バイデンはノルドストリームを破壊したが★ジョージ・ブッシュ(パパ・ブッシュ): 米国戦艦がイランの旅客機を打ち落とし、290名の命を奪ったときに、副大統領として発言──『ニューズウィーク』1988年8月15日、「檜原転石