村野瀬玲奈の秘書課広報室
社員一人のサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」秘書課勤務の村野瀬です。消費税収入は社会保障に使われずに法人税減税に回っただけって知ってました?まるで国民から大企業への利益の直接補てんですね。有権者と政治の距離を縮めるため、国会議員名簿の活用を!
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64年前の今日2月21日、フランスで起こり、今もフランスの国家的・国民的記憶として語り継がれている「事件」について書きます。
第一章: 1943〜1944年
第二次世界大戦中、ナチスドイツに占領され、1940年6月22日から1944年8月25日までヴィシー政権という親独かいらい政権のもとにあったフランス。
ヴィシー政権については、この記事を読むうえでは、第二次世界大戦での連合国側のフランスを支配していた枢軸国側のナチスドイツ寄りの傀儡政権である、ということだけを時代背景として知っていただければ十分だと思います。さらに詳しく知りたい方のためには、フランス語版Wikipedia、日本語版Wikipedia(かなり簡略ですが)、英語版Wikipediaをあげておきますが、先を知りたい方はとりあえず読み飛ばして次に進んでください。
http://fr.wikipedia.org/wiki/R%C3%A9gime_de_Vichy
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%BC%E6%94%BF%E6%A8%A9
http://en.wikipedia.org/wiki/Vichy_France
そんなナチスドイツの圧政のもと、1944年2月中旬、パリをはじめ、フランスの街の壁という壁にたくさんの大きな赤いポスターがいっせいに貼られました。そのポスターには、ナチスドイツへの抵抗運動をしていた、当時のフランス共産党の下部組織FTP-MOI(Francs-Tireurs et Partisans Main-d'œuvre Immigrée)というグループのメンバーで、ナチスドイツ寄りのヴィシー政権下の警察に「テロリスト」とみなされて1943年11月16日に逮捕されていた23名のうちの何人かの写真が載せられていました。そのポスターは彼らがパリ西部数キロメートルのところにあるサン・クルー、シュレーヌ、ナンテール、ルイユ・マルメゾン地区のヴァレリアン山で銃殺刑にされることを告げていたのです。
この抵抗運動のグループのリーダーはミサク(ミシェル)・マヌキアン(マヌーシアン)といい、1906年9月1日、トルコのAdiyaman生まれ。彼は父親をアルメニア人虐殺の時に殺されたとされます。1924年に彼はフランスに渡り、木工の仕事を学び、共産党系の労働組合CGTに入ります。ナチスドイツによるフランス占領下、彼は共産党内のFTP-MOI(Francs-Tireurs et Partisans Main-d'œuvre Immigrée)というグループに所属し、対ドイツ抵抗運動に身を投じることになります。
ミサク・マヌキアン(ミーシャ・マヌーシアン)についてさらに詳しく知りたい方はこちらを参照くださればよいのですが、先を知りたい方はとりあえず先にすすんでください。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Missak_Manouchian (フランス語)
http://www.youtube.com/watch?v=yBDV5s_c5Hw&feature=related (Youtube、英語の字幕付)
当時、ナチスドイツやヴィシー政権への異議申し立てや抵抗はテロリズムとされており、官憲によるきびしい取り締りの対象でした。そんな中で1943年11月16日、パリ近郊の町、エヴリィ・プティ・ブールでマヌキアンと彼の仲間たちは警察に逮捕されました。スペイン人1名、ルーマニア人1名、ハンガリー人3名、フランス人3名、イタリア人5名、ポーランド人8名、アルメニア人2名の合計23人です。
ナチスドイツの息のかかったヴィシー政権の官憲は、彼らを処刑するにあたって、彼らをテロリスト扱いして人々に恐怖を植え付けて支配しやすくするためのプロパガンダとして、この「赤いポスター」をフランスの壁という壁に貼り出したのです。
そのポスターの写真はこちら、フランス文化省のサイトにも載っており、ウィキペディアにはこの「赤いポスター」と、処刑されたマヌキアンらにまつわる歴史が説明されています。
●フランス文化省のサイトから
http://www.culture.gouv.fr/culture/actualites/celebrations2006/manoukian.htm
●フランス版Wikipediaから 「赤いポスター」
http://fr.wikipedia.org/wiki/L%27Affiche_rouge
処刑の日、1944年2月21日の朝、マヌキアンは妻メリネに宛てて最後の手紙を書くことを許されます。フランス共産党パリ14区支部のブログからその手紙の現物の写真と文面全部を見ましょう。
●フランス共産党パリ14区支部のブログ
http://pcf-paris14.over-blog.org/article-10954139.html
ミサク・マヌキアンが妻メリネに宛てて書いた最後の手紙 (訳:村野瀬玲奈)
わが愛するメリネ、私の心から愛する孤児メリネに
何時間かの後、私はもうこの世にはいません。私たちは今日の午後15時に銃殺されます。このことは私の人生に事故のように起こりました。私には信じられませんが、きみにはもう会うことはできないことはわかっています。
きみに宛てて何を書けばいいのでしょうか?私の中ではすべてが混乱しているとともに、すべてが明晰でもあります。
私は志願兵として解放軍に参加し、勝利と目的達成まであともう少しで手が届くところで死ぬのです。私たちよりも長く生きて明日の自由と平和の甘美さを味わう者たちに幸福を祈ります。フランスの民衆と自由の戦士たちすべては威厳をもって私たちの記憶に堂々と敬意を表すると私は確信しています。死ぬ瞬間、私にはドイツの民衆にも誰にもいかなる憎しみも持たないことを宣言します。一人一人が懲罰として、あるいは褒賞として、自らにふさわしいものを得ることでしょう。もはやこれ以上は長く続かないこの戦争の後、ドイツの民衆とそれ以外のすべての国の民衆は平和と友愛のうちに生きることでしょう。みなに幸いあれと祈ります。私はきみを幸せにできなかったことを深く悔いています。きみもいつも望んでいたように、私はきみの子どもがどんなにほしかったことか。だから、戦争の後、必ず結婚して、私の幸福のために子どもを産んでほしいと私はきみにお願いします。そして、私の最後の望みをかなえるために、きみを幸福にできる人と結婚してください。私の財産と持ち物すべてはきみときみの妹と私の甥たちにゆだねます。戦争の後、きみは私の妻として戦争年金を得る権利を行使できるでしょう。なぜなら、私はフランス解放軍の正規の兵士として死ぬのですから。
私を讃えてくれる友人たちの力を借りて、読むに値する私の詩と私の文章が出版されるようにしてください。できれば、私の思いでの品をアルメニアにいる私の両親に届けてください。私は後ほど、23人の仲間とともに、静かな意識を持つ一人の人間の勇気と冷静さを持ちながら死にます。なぜなら、個人的に、私は誰も傷つけなかったし、もし誰かを傷つけたとしたら、そこには憎しみはなかったからです。今日は太陽が出ています。太陽と私がこんなにも愛した美しい自然を見ながら、私は人生と、私の愛する妻と私の親愛な友人たち、みなさん全員に永遠の別れを告げます。私を傷つけたすべての人々、私を傷つけようとしたすべての人々を許しますが、自分が助かるために私たちを裏切った男と、私たちを売った人々を許すことはできません。私はきみに強く口づけをします。きみの妹と、遠くあるいは近くで私を知っているすべての友人たちにも。みなさんを私の胸に強く抱き締めます。
さようなら。 きみの友、きみの仲間、きみの夫より。
ミサク・マヌキアン
追伸 私はプレザンス通りのトランクの中に15000フラン持っています。もしそのお金を取り戻すことができるなら、私の借金を返して、残りをアルメーヌに渡してください。M.M.
こうしてマヌキアンたち23人は処刑されました。マヌキアンはこの手紙を残して。
(細かいですが、注記。1944年2月21日に銃殺されたのは23名のうち男性22名でした。残る女性一名は同年5月10日にドイツのシュトゥットガルトでギロチンによって処刑されたとされます。)
第二章: 1955年
第二次世界大戦が連合国側の勝利で終わり、フランスもナチスドイツのくびきから解放され、マヌキアンら23名の処刑から11年たった1955年、パリ20区の通りの一つが彼らをしのんで「マヌキアン・グループ通り」と命名される機会に、フランスの詩人、ルイ・アラゴンLouis Aragon がマヌキアンの最後の手紙の内容を織り交ぜながら「赤いポスター」という詩を発表しました。
ルイ・アラゴンについてはこちらを参考にしてください。
●フランス語版Wikipediaから Louis Aragon
http://fr.wikipedia.org/wiki/Louis_Aragon
フランス語版Wikipediaにくらべたらずっと物足りないけど、日本語版もそこからたどることができます。フランス語版ウィキペディアの記述を要約してみました。
ルイ・アラゴン。1897年10月3日生まれ、1982年12月24日没。詩人、文学者。アンドレ・ブルトンらとともにシュールレアリスム運動の創始者の一人。何人かの同運動参加者と同様に、フランス共産党に参加(1927年)し、亡くなるまでとどまりましたが、スターリン主義に対する批判は終生持ち続けました。第二次大戦中は、ポール・エリュアールなど何人かの文学者とともに対ナチスドイツ抵抗運動に加わりました。詩集や小説として、「パリの農夫」、「フランスの起床ラッパ」、「アニセまたはパノラマ」、「イレーヌ」、「エルザ」などがあり、文学者として広く知られています。
彼の詩のいくつかは、アラゴンの詩の訳者でもある文学者、大島博光さんのご遺族のサイト、「大島博光の詩と訳詩を読む」
http://www.geocities.jp/oshimahakkou/index.html
の中でアラゴンに捧げられた一章、
http://www.geocities.jp/oshimahakkou/aragon/aragon.html
で読むことができます。時間があればぜひお読みになることをおすすめしますが、今は先にすすみます。
フランス共産党パリ14区支部のブログから、ルイ・アラゴンのこの詩、「赤いポスター」を読んでみましょう。文中、「エリヴァン(Erewan)」とは、アルメニアの地名です。
●フランス共産党パリ14区支部のブログ
http://pcf-paris14.over-blog.org/pages/Laffiche_rouge__Louis_Aragon-57550.html
赤いポスター (1955年、思い出すための詩節) (訳:村野瀬玲奈)
ルイ・アラゴン
あなたたちは栄光も涙も求めず
死者への弔いのオルガンも祈りも願わなかった
あれから11年がたった 11年、時の流れははやい
あなたたちは自分たちの武器を使ったにすぎず
死も抵抗の仲間の目を眩ませることはない
われらの町々の壁という壁にあなたたちの肖像が貼られていた
夜の闇、もじゃもじゃの髭、脅すかのような肖像
このポスターは血の染みのように見えた
あなたたちの名前が発音しにくいものだから
通行人に恐怖の効果をもたらそうとしていたのだ
誰もあなたたちを積極的にフランス人だと思った様子はなかった
人々は昼の間はあなたたちを見ないように通り過ぎた
だが、灯火管制の時刻になると、あなたたちの写真の下に
震える指で書いた、「フランスのために死す」と
そして陰気な朝になると人が変わったようにふるまっていた
すべてが霜の色だけに染まっていた
あなたたちの最期となった2月末
その時、あなたたちの一人が静かに言った
「皆に幸いあれ、生きのびる者たちに幸いあれ
私はドイツの人々への憎しみはいだかずに死ぬ
苦しみよ、喜びよ、薔薇よ、これが最後の別れだ
人生よ、光よ、風よ、これが最後の別れだ
後々エリヴァンで何もかもが終わったとき、
きみは美しい現実世界にとどまるのだから
結婚し、幸せになり、ひんぱんに私のことを思い出してほしい
冬の大きな太陽が丘を照らしている
自然はなんと美しいのだろう しかし、私の心は張り裂けている
しかし、正義がわれわれの勝利の歩みの上にやってくるだろう
私のメリネよ 愛するメリネよ 私の孤児よ
どうか生きて、子どもを産んでほしい」
火を噴いた銃口の前の23人
時を待たずに生命を捧げた23人
異国の者ながら、われらの同胞の23人
死ぬほどに生きることを愛した23人
倒れながら、フランスと叫んだ23人
国家主義の暴政のもとで殺された人々への敬意と追悼、殺されるに際して敵国の人々を憎むことはしないという高貴な精神、人間の尊厳が、フランス詩の中では最も荘厳とされる、6音節の半句を一行に二つ使ったアレクサンドラン(12音綴)という形式で書かれています。
第三章: 1959〜1961年(+1986年)
1959年から1961年にかけて、フランスの作詞家、作曲家、歌手のレオ・フェレ(1916-1993)という人がルイ・アラゴンの10篇の詩に曲をつけて歌ったアルバムを作ります。発表されたアルバムの中には、混声合唱だけをバックに使った荘厳な「赤いポスター」が含まれていました。曲によって新たな命を与えられたこの詩は、詩集の中に閉じ込められて紙の上でだけ目から伝わる傑作文学作品というだけではなく、声を通じて耳から伝わる傑作音楽作品として、フランスのポピュラー音楽の遺産の中で最も人の心を打つ曲の一つとなり、世代を超えて聞き継がれることになりました。
ルイ・アラゴン詩 レオ・フェレ作曲・歌 「赤いポスター」 (レオ・フェレの1986年のコンサートから)
1961年当時の歌唱は次のリンクをどうぞ。
「私のメリネよ 愛するメリネよ 私の孤児よ どうか生きて、子どもを産んでほしい」という部分で震える涙声になるところをお聞きください。
第四章: 1976年
フランスでは、「赤いポスター」という映画も1976年に作られています。今となってはその映画を見る手段はないですが、このミサク・マヌキアンたちの銃殺がフランス社会に残した影響の大きさは、詩や音楽だけでなく、こういう映画も作られているという事実からも十分に知ることができます。映画評をするつもりはないので、映画の内容を紹介したいくつかのリンクを紹介するのにとどめます。
http://www.geocities.jp/paul_michelle_1971/newpage2-76-rouge.htm
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=484
第五章: 2007年
マヌキアンが当時1943年11月16日に逮捕された町、エヴリィ・プティ・ブール(Evry Petit-Bourg、パリ近郊)に建てられている追悼の碑銘の前で、エヴリィ市とそのエマニュエル・ヴァル市長によって行なわれた追悼式典(2007年11月18日)の映像があります。
0:00〜0:32 碑銘とその前に置かれた花束、三色旗のリボンをかけた追悼の供物
0:33〜0:46 式典場所に向かう列席者
0:47〜1:03 フランス国歌演奏(抜粋)
1:04〜1:47 子どもによる「赤いポスター」の詩の朗読(抜粋)
1:48〜4:23 エマニュエル・ヴァル市長の演説(抜粋)と、聞き入る列席の人々
4:24〜4:38 追悼の碑銘を見る人々
映像に収録されているエマニュエル・ヴァル市長の演説では、おおよそ次のようなことが述べられています。
「1944年の2月半ばのことです。フランスに朝が来ると、町々や村々に一枚のポスターが壁という壁に貼られていました。有名な「赤いポスター」です。そのポスターには、その数ヶ月前にテロリストとされて逮捕されたマヌキアンと彼の闘争の仲間の写真が赤い背景の中に黒く、メダルのように描かれていました。
(…)
当局は何百回もその汚い宣伝を繰り返しました。いわく、「愛国者だって?解放者だって?」ナチスドイツとヴィシー政権によっておこなわれたこの卑怯な宣伝は、その宣伝の下手人にそのまま当てはまります。
(…)
まさにこの場所で、英雄であり殉教者である彼は当時のフランス警察に逮捕されたのです。
(…)
当時のフランスは彼を受け入れて庇護を与えていました。彼のような大勢のアルメニア人に対してもそれは同様でありました。マヌキアンは木工職人として移民の中で働き始め、フランス文化を発見し、これに親しみ、愛することになりました。
(…)(…)
マヌキアンを通じて、大勢のアルメニア人を通じて、ユダヤ人を通じて、イタリア人を通じて、ハンガリー人を通じて、ポーランド人を通じて、スペイン人を通じて、ルーマニア人を通じて、チェコスロバキア人を通じて、抵抗運動が組織されたのです。1930年代初頭にすでにナチスに抵抗運動をしていたドイツのユダヤ人もまた同様であります。これこそがフランスの精神であります。
(…)
まさに今朝のこの機会をとおして、マヌキアンの姿から、フランスの理想を擁護した抵抗運動グループ、FTP-MOIの記憶を新たにするのです。これらの人々に私たちは感謝を捧げなければなりません。」
...圧制のもとで斃れた人々のために黙祷し、時代や国境を越えてそれらの人々の心を思います。フランスで斃れた人も、日本で斃れた人も、どこで倒れた人も。血と涙であがなった歴史の教訓を心に刻み、そのような圧政や暴政を繰り返そうとする動きを止めるために。
第六章: 2008年(最後に)
こうして、1944年のフランスで圧政に抵抗したために、圧政側から当時テロリストとされて殺された人の意思が人から人へ、世代を超えて伝えられていく様子を見ていただきました。そして、その日から64年たった今日、地球の反対側の日本で、日本の政治がどんどん強権的、反民主主義的で乱暴になってゆくのを心から心配するみなさんに人間の尊厳が人から人へ、世代から世代へと伝えられてゆく様子を追体験していただきたくてこれを書きました。
長い記事を最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
秘書課広報室の関連記事、参考記事
■「女性は男性の未来」 (ルイ・アラゴン)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-317.html
■17歳で銃殺された共産党員ギー・モケの手紙
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-459.html
■歴史を忘れない街角
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-205.html
■国家としての謝罪
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-617.html
(オスマントルコによるアルメニア人の虐殺について)
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12件のコメント
[C2639] レジスタンスの英雄達に乾杯
- 2008-02-21
- 編集
[C2640] ドイツの白バラ運動を思います。
ドイツ国内で、唯一の反ナチ運動といわれる白バラ、
ショル兄弟の最後の日々を髣髴とさせる、同時代の記録(手紙)ですね。
フランスの場合は、レジスタンスが盛んでしたから、同様の悲劇が多くあったのでしょうね。
わたしは、国家の敵として処刑されたショル兄弟に若い頃から強い関心がありました。
彼らは信仰上の問題として、極限の選択を国民に呼びかけ、そして、抹殺されました。
かれらは裁判の中で『自分との戦いに勝った』と言い切って、死んでいきましたね。
彼らの戦いは客観的に見て敗北でした。
でも、わたしはドイツ現代史の中に彼らの名を見つけるとき、
人間の本質への信頼を持つことができます。
- 2008-02-21
- 編集
[C2643] TBありがとうございます
そのためには電話番号が、と。今後いろいろ参考にさせていただきますね

- 2008-02-22
- 編集
[C2650] ルイ・アラゴンといえば・・・
考えてみれば思想的にも先鋭的な芸術がポルノグラフィーとされるのは当然かもしれませんね。ナチスが退廃芸術と称して弾圧した例もありますし。
ちなみに、「なぜお前はイレーヌなんて読んでるのか」なぞという鋭い突っ込みはご容赦ください。
- 2008-02-23
- 編集
[C2666] >みなさん、コメントありがとうございます
コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、映画にもなったゾフィー・ショル、ハンス・ショル兄妹のことも思い出されます。ヨーロッパでは、このような蛮行の記憶がこのような形で次の世代に受け継がれているということが民主主義に厚みを与えているのだと思っています。
>アッテンボローさん
コメントありがとうございます。小林多喜二もそういうことになりますね。戦争中はそのように政府に弾圧された人たちが大勢いたことを覚えておくための社会的・文化的記憶装置を日本にも作りたいところです。
>ひとみさん
コメントありがとうございます。お役に立てれば幸いです。
>AmlethMachinaさん
ありがとうございます。でも、まさかゴシックノワールのAmlethMachinaさんから反応があるとは思いませんでした。(^^;
フランス人はみんな「エロ親父」じゃないでしょうか、ルイ・アラゴンに限らず。爆
- 2008-02-24
- 編集
[C2672] 切なくなりました
遠いヨーロッパのレジスタンスなら評価できるけど、自国の歴史と密接に関わるアジアの対日ゲリラやレジスタンスの評価は避けてしまうような言論状況とはなんなのか。村野瀬さんの記事自体はたいへん良かったし、広く紹介すべきだと思いますが、一方でヨーロッパのレジスタンスの話しを見るたびに切なくもなってしまいます。
- 2008-02-24
- 編集
[C2673] >水木ゆうさま
ご指摘胸にひびきました。自国がかつて侵略した国の対日抵抗運動を取り上げる覚悟が私に足りないのは確かだったようです。勉強不足もありますが...。日本からは遠い国のレジスタンスの例をあげた後に、日本がかつて侵略した国の対日抵抗運動を取り上げて、圧政や暴政に抵抗することはどこの国であっても同じ、と話をしなければなりません。
水木様のブログも拝見しました。長谷川テルという人の話、拝見しました。こういう人の行いについて機会を見つけて真摯に学んでいこうと思います。
コメント本当にありがとうございました。水木様のブログを忘れないように、私の私的リンク集
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-136.html
にも加えさせていただきました。これからもよろしくお願いいたします。
- 2008-02-24
- 編集
[C2692] ありがとうございます
こちらこそコメント&ブログへおいでくださりありがとうございます。村野瀬さまのサイトはいつもこっそり拝見していました。今回はふだん自分が抱えているもやもやしたものを村野瀬さまにぶつけてしまいこちらこそすみません。「覚悟」は私にも足りないです、日中戦争の話題は私も及び腰にしか話せないので。
それではこれからもよろしくお願いします。
- 2008-02-26
- 編集
[C5482] TB代わりに・・・
いつもTBをありがとうございます。
「FC2」の方には、こちらからTBが送れません。(^_^;)
「コメント欄トラックバック」で失礼します〜。m(__)m
「メモ:喜八のパトリオティズム」
http://kihachin.net/klog/archives/2008/12/patriot.html
- 2008-12-05
- 編集
[C5491] >喜八さん
お読みいただいたなら、できればこの記事の感想などおききしたかったです。
- 2008-12-05
- 編集
[C5793] 感激です
ちょっと見せていただきましたがすばらしいサイトですね。
並々ならぬ学習と確かな信念。
団塊おやじたるわたしには感涙ものです。
フランス革命、パリコンミューン、レジスタンス等々、命をかけて圧政と闘ってきたフランスの人々。
不勉強なため「赤いポスター」の史実は知りませんでした。
彼の静かに燃えるような遺書、泣けます。
心の赤い薔薇を捧げます。
あの厳しい状況下、フランス人をはじめ多くの国の人々が闘ったのですね。
偏狭で差別に満ちた歴史修正主義者どもとはえらい違いですね。
そして、いまなおフランスの人々が彼らを敬愛し哀悼する。すばらしいことですね。
日本に一つの「小林通り」、「三木通り」があるでしょうか。
大日本帝国の遺物は大いばりで人を集めていますが。
南方で死んだ兵士たちの大半は食うものもないなか、野垂れ死に。その遺骨さえ大半はほったらかしにして、勝手に神には祭り上げる。
これほど安上がりで巧妙な戦争推進装置はないですね。
薄汚い権力の話より、マヌキアンと彼の同志たちを心から哀悼します。
いいお話、ありがとうございました。
- 2009-01-07
- 編集
[C5796] >「がんばってください」さん
私も日本に「三木通り」や「小林通り」がないことは残念に思います。それどころか、平成の大合併とやらで地名に込められた歴史や文化もますます薄くなっていくような感じさえしています。
このブログを書く程度のことは大した「信念」ではないと私自身は思います。個人が国家よりも大切にされる国や社会では当たり前のことを書き綴っているだけですし、このような歴史や文化の記憶が通りの名前一つに至るまで受け継がれている土地から私は自然にこのような話を吸収して、それらは知らないうちに自然に私の血肉になっていました。日本で知られていないからこそこうして日本語でまとめて語ってみたらどうかな、と思っただけです。この程度の文章を書くことを「信念」と言うのは、マヌキアンのような人たちと比べたら恥ずかしいことです。(^^;;
もしある日、このようなブログを書くことで自分の生活や命が危険にさらされることになって、それにもかかわらずこのような文章を書き続ける選択が私にできたら、そのときはじめて「私には信念がある」ということになります。それまではおほめの言葉は封印して保存しておきますね。そのような状況がこれ以上誰の身にも起きないこと、命がけで闘わなくてもよい社会が確立することを願いながら...。
お読みいただきまして、ありがとうございました。m(__)m
- 2009-01-07
- 編集
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レジスタンス・ゲリラ・パルチザンと色々ありますが正義の暴力・圧政に対する民衆の側の正義の暴力・抵抗の闘いを常に念頭に置いて、今後とも色々と発信していきたいと思っています。