村野瀬玲奈の秘書課広報室
社員ひとりのサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」秘書課の村野瀬玲奈のおしごと日誌。国会議員名簿や民主主義運動の言論と資料をのせます。スローガンは「政権交代は、あらゆる改革につながる本丸。」一部の人に好評の旧テンプレートでご挨拶。どうぞよろしく〜
Entries

被害者遺族の感情にこたえるためにも死刑は必要だ、という考え方があります。
あるいは、犯人が死刑になることによって被害者遺族はある程度いやされるので死刑は必要だ、という考えもあります。
被害者遺族の感情はたいへん重いものですし、身近な者が殺されればその犯人に対する憎しみが生じることは自然なことです。遺族の辛さを第三者が正確に実感をもって推し量ることはむずかしいことですが、その辛さを少しでも思うなら、被害者遺族の感情にこたえるために犯人の死刑を求める考えをいだくことは感情的に自然なことだと思います。
実際、被害者遺族の感情への配慮が反映されているのか、最近は「被害者遺族の感情」や「社会感情」を理由に裁判で犯罪者の量刑が重くされる例、死刑が求刑される例を新聞報道でよく見る気がします。(そのような理由が付けられた判決の数や割合が過去に比べて増えたのかどうかの統計的検証はしていませんが、新聞報道で受ける印象です。いずれにしても、そのような例ははっきりとあるわけです。)
ところで、今までにもたくさんの記事で書いてきたように、私はたくさんの理由、たとえば、死刑に凶悪犯罪抑止効果があると考えることはできない、とか、冤罪の可能性(もしくは日本においては冤罪の現実性)、とか、死刑制度の全体主義性、とか、刑務官の苦悩、などを根拠として、死刑に反対する意見を持っています。そして、この秘書課広報室では私は何度でもそのことを明言しています。
一方、この秘書課広報室の読者の方々の中には、(理由はさまざまながら)死刑を肯定する人、または(ニュアンスはいろいろあるにせよ)死刑を否定はしない人も大勢いらっしゃるはずです。しかし、そのような方々からなんらかの反発を受けることを覚悟しながらも、私の望みを一つだけ言わせていただくなら、それは、民主主義が制度と実践の両面で定着している国々で長い歴史の試練に耐えた十分な理由と根拠が死刑反対論にはあるということだけはご理解いただきたいということです。
しかし、しかし、今日は、冒頭に書いた二つの「考え方」を「正しい」と仮定して、そのうえで「死刑制度」について考えてみたいと思います。別の言葉で言うと、そのような「感情」を死刑「制度」に反映させるということはどういうことなのかを考えてみたいと思います。
考えの出発点となる仮定をもう一度書きます。
仮定その1: 被害者遺族の感情にこたえるためには死刑は必要だ。
仮定その2: 犯人が死刑になることによって被害者遺族はある程度救われるので死刑は必要だ。
誤解のないようにあらかじめ念を押したいと思いますが、特定の事件または一般的な意味での「被害者遺族の感情」や「世論の感情」が「正しいかどうか」を検討するのではありません。それらを仮に受け入れた上で、死刑「制度」について考えるのです。
あるいは、被害者遺族としてどのような「感情」を持つことが望ましいのか、どのような「感情」を表明することが望ましくないのかを判断するのでもありません。ここに誤解があると、「お前は人間か。死刑に反対するなんて、被害者遺族の感情を考えたことがあるのか」という的外れの反応を誘ってしまいますので、くどいようですがよろしくお願いします。
それから、現実に即して付け加えておくと、被害者遺族といってもいろいろです。原田正治さんのように、犯人を憎んだり許せないと思ったりしながらも、犯人の死刑を望まない人も何人もいます。(原田さんが犯人の死刑執行を再考してほしいとして書いた上申書はこちらで見ることができます。)どんな被害者遺族であっても、犯人の死刑を望む人も望まない人も、心の葛藤がない方はいらっしゃいません。そのことは死刑に賛成する人も反対する人も理解しているはずです。その心の葛藤を知らないのなら、知ろうという態度は持ちたいと思います。ですが、今回は、被害者遺族の「感情」の点から死刑「制度」を考えるために、次の仮定も「正しい」ものとして条件設定することにします。
仮定その3: 被害者遺族が人間としての自然な遺族感情として犯人の死刑を求めるなら、その希望をかなえるために、犯人の死刑を実現しようと社会が努力することが正当なこととして望まれる。
この三つの仮定を受け入れたうえで、死刑「制度」について考えてみたいと思います。もちろん、この記事の中では、「冤罪」の可能性はなく、事故死の場合は、被害者の死という結果を生んだ原因もはっきりしていて、その原因となった「責任者(犯人)」も特定されていて、また、死刑執行する刑務官の苦悩もないものと仮定します。
では、考えてみます。
人が他人によって死に至らされるケースはいろいろあります。
不注意運転による自動車事故で誰かを死なせた例。
大勢の兄弟子や部屋の親方にいじめ殺された後輩力士。
裏サイトで偶然知り合った何人かの男たちに偶然目をつけられて強姦の末に殺された女性。
医師が誤診で投薬を間違えたことを唯一の原因として亡くなった患者。
公営プールの排水口の安全確認が不十分でそこに吸い込まれて命を落とした子ども。
イラクでアメリカの兵士に射殺された罪のないイラク市民。
このほかにもいろいろありますが、人が自分の意に反して他人によって命を奪われるというのは悲しく痛ましいことであり、被害者と被害者遺族の無念ははかりしれません。たとえ犯人に対する憎しみを持ったとしても、それは人間としての自然な感情の一つです。死刑制度について賛成であろうと反対であろうと、そのことは等しく理解できます。被害者遺族には何らかの補償や心理的ケアも必要でしょうから、それを惜しむこともしないでしょう。これらのことは自明のこととしてここではこれ以上触れません。
さて、これらの人を死に至らしめたそれぞれの犯人への刑ですが、上の三つの仮定にもとづいて、どうすべきでしょうか。
これらの被害者遺族が犯人を憎み、「人を死に至らしめた犯人は命をもって償いをせよ」と望むのなら、これらの例での「責任者」、「犯人」は全員死刑にならなければならないでしょう。
(管理人注: 上で、力士の例を出しました。現実世界のこの力士のお父様は、「息子は角界を浄化するために神様にこの世につかわされた」というようなことをおっしゃっておられるようで、自分の息子を死に至らしめた親方や兄弟子に死をもって償うよう求めるような発言はしておられないようです。)
しかし、現実にはこれらすべての「犯人」(という言葉が当てはまらない場合は、被害者の死の「責任者」)は死刑になるわけではありません。これに対しては、「凶悪な犯人の場合と、凶悪でない犯人の場合と、あるいは過失致死の場合は区別しなければならない」という理由が考えられます。だけど、被害者遺族にとっては、愛する身内を殺されたことに変わりなく、どのような犯人に死に至らしめられたのであれ、その犯人を憎み、犯人の死刑を望むかもしれません。被害者遺族の感情に配慮すべきなら、被害者遺族全員が「犯人をすべて死刑にせよ」と求め、社会がそれにこたえて殺人や過失致死の犯人全員を死刑にしてもおかしくないことになります。
犯人に死刑判決が下されない事件の被害者遺族が「犯人を死刑にしてほしい」と痛切に叫んだとき、それに対して、私たちは、「お気の毒ですが、凶悪犯ではないので死刑にできません」と言うべきなのでしょうか、「一緒に犯人の死刑を求めてマスメディアでのキャンペーンをやりましょう」と言うべきなのでしょうか。人が死に追いやられたという重い結果は、犯人がどんな者であろうとも、犯行の状況がどんなものであろうとも変わらないのではないでしょうか。
被害者遺族の感情を考えたら死刑はやむをえない、という理由がそれほどまでに説得力を持つとしたら、なぜ人を死に至らしめた人が全員死刑になるような法体系になっていないのでしょうか。
あるいは、人を殺しても死刑になる場合もあるしならない場合もあるという現実に即して考えてみると、「死刑判決を出すことが被害者遺族の感情を尊重した」ことになるのなら、死刑判決が出なかった裁判では、被害者遺族の感情を尊重しなかったことになるのでしょうか。同じ被害者遺族の感情なのに?
誰も否定できない被害者遺族の感情を大きな根拠の一つとして死刑制度を正当化しながら、実際には人を死に至らせながら死刑判決を受けない場合が相当数あるということは、犯人が死刑判決にならない事件の被害者遺族の感情を無視していることにはならないでしょうか。
あるいは、犯人を死刑にすることが被害者遺族の感情を尊重する道であるという仮定にたつなら、事件によって犯人を死刑にしたりしなかったりすることは、私たち第三者が人の死の重大さや被害者感情を勝手に評価していることにならないでしょうか。大きく報道されたxxx市のxxxx殺人事件では「犯人を死刑にせよ」という声が聞き入れられて、報道されなかった別のyyy市のyyyy殺人事件では「犯人を死刑にせよ」という声が聞き入れられない、ということでよいのでしょうか。どちらの被害者遺族も犯人への憎しみは同じくらい強いかもしれないのに。ある被害者遺族の感情を尊重してその犯人を死刑にすることは、犯人を死刑にしない別の事件の被害者遺族を軽視することにならないでしょうか。
このように問いを積み重ねると、大きな矛盾、逆説が生まれるのを私は感じます。ある被害者遺族の感情を「重視」することが別の被害者遺族の感情を「軽視」することと表裏一体をなしているという逆説を。
まとめてみます。
死刑が法で規定された「制度」である以上、それは論理的、倫理的な体系的一貫性がなければないと思います。一貫性のない法や制度はその名に値しませんから。現実の例を前にしたら、完全に割り切ることはむずかしいかもしれませんが、少なくとも、論理的、倫理的な一貫性を追求する姿勢が必要です。
しかし、被害者遺族の感情を死刑制度の根拠にすると、上に示したような重大な矛盾がいたるところに生じます。そして、実際に、その矛盾を解決しようと取り組んだ「死刑支持論」というのはあるのでしょうか。
この大きな矛盾は、死刑制度の正当化の根拠として被害者遺族の感情や社会感情をもってくることから生じているのだと思います。任意の被害者遺族をとりあげた場合、その感情は人間の自然な反応として誰にも納得されます。しかし、それを死刑制度の根拠とすることは一見正当なように見えて、実は現実的にその結果が矛盾だらけになってしまうということだと思います。被害者遺族の感情という論拠を死刑制度の維持のために使うことは、過失であれ故意であれ人を死に至らしめた者を全員死刑にするのでない限り、多くの被害者遺族にとっての「死」の意味づけにランク分けをするという矛盾を発生させてしまうと考えます。
被害者遺族の感情は重大なものです。死刑制度に反対する私は被害者遺族の苦しみに同情しますし、その苦しみが癒えることをもちろん望みます。もちろん、繰り返しになりますが、被害者遺族が「犯人を殺してやりたい」と思ってはならない、と言うつもりもありません。しかし、この記事で考えてきたように、「被害者遺族の感情」というのは、さまざまな例を積み重ねると、「死刑制度」を法体系的に正当化する根拠としては現実的な矛盾を含み、不合理で脆弱な論拠だと私は思うのです。
死刑制度がこのような逆説をはらむなら、被害者遺族への心理的支援は死刑制度(死刑執行)以外のことでなされるべきであると思います。(と書くと、「どうやって心理的支援をするのか、それを死刑廃止派が説得しなければならない」と思う方もいると思います。でもそれは、死刑反対派だけが考えて一方的に提案・決定することだとは言えないでしょう。死刑存置派も考えてよいのではないでしょうか?なぜなら、死刑執行とそれ以外のいろいろな被害者遺族支援方法とで遺族の癒され方がどうちがうのかという具体的な検証や考察を私は見たことがないからです。また、そういう比較考察がないのなら、犯人の死刑執行が遺族を最もいやすということも立証されていないのであり、死刑執行だけに遺族感情の慰撫の役割をさせるのは適切かどうかわからないと思うからです。したがって、そのことは、死刑反対派であれ賛成派であれ、死刑制度以外の被害者遺族支援の方法を考える理由になると思います。)
被害者遺族の感情をもとに死刑制度を肯定することは自明で強固な理由のようにみえて、実はそれほど強固でも簡単でもなく、矛盾の大きい考え方ではないかと思うのです。
最後に、一つお断りをしておきます。この記事を書き始めるのと前後して、森達也の「死刑」という本が出ました。レイランダーさんのブログ「弱い文明」で早速その本の紹介が出ています。深い本なので死刑制度について考えるためには読むべきだと思います。しかし、この記事はその本に影響されない状態で、私の中に浮かんだ考えを整理して書き留めておきたかったので、その本もレイランダーさんのその記事も読まずにこの記事は書きました。森達也さんの本は読んだら紹介記事を書こうと考えています。(いつになるかはお約束できませんが...。)
有権者・納税者として、自公チュー政治に「ノー」と言うために、人気blogランキング(政治部門)参加中。一日一クリック応援お願いです。
ゼノフォビアブログに囲まれながらも、ペガサスや白鳥や大鶴(大津留)のように高く飛翔したいと願って、かげの中で浮游するお玉の上で「そもそもどーなの?」とさるのつぶやきを続け、右も左もなく下でアブナイばらんすとりながら、天木直人さんや保坂展人さんの憂国の思いを激励しようと世界愛人主義同盟秘書は書いてます。気分はときどきSaudadeでも、晴耕雨読の生活の中、伊達と酔狂で革命を語り、生活の中で感じた疑問や思いをあれこれ土佐高知の雑記帳に書き、負けずに現政権に「ノー」を言えば、気分はgoodになるかもしれません。灰色のベンチから広島瀬戸内まで人気ブログランキング政治部門に平和的共生と立憲主義の風を入れましょう(^_^)/
国会議員やマスメディアに意見を届けるために下記を自由にご活用ください。引用、転載、転送、歓迎。
マスメディア・官庁・国会議員への電話・投書先のポータルページ
●News for the people in Japan
マス・メディア 問い合わせ用 リンク集
http://www.news-pj.net/link/media.html
●村野瀬玲奈の秘書課広報室に備え付けの資料
■各種国会議員名簿のポータルページ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-86.html
■官庁への意見送付先について
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-51.html
■新聞(全国紙、地方紙)、雑誌 読者の意見を伝える窓口(まだ整理しきれていませんが)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-49.html
■テレビ報道番組のご意見窓口リスト(「わんばらんす」さんからの転載)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-50.html
13件のコメント
[C2830] 複数のファクターが考慮されるべき
村野瀬さんの議論の最大の弱点は、死刑判決で考慮されるファクターとして「遺族の感情」しか取り上げていないことですね。そのように非現実的な条件を設定するから・・・ある被害者遺族の感情を「重視」することが別の被害者遺族の感情を「軽視」することと表裏一体をなしているという逆説を。・・・という奇妙な結論を引き出すことになるのです。
現実には、殺意の有無、責任能力の有無、残虐性の有無など複数のファクターが考慮されます。さらに、2人以上を殺害しないと死刑にはならないという原則のようなものがあるのではないでしょうか。
ついでに申しますと、死刑反対論者が持ち出す根拠として、「えん罪の可能性」と「犯罪抑止効果がない」というものがあります。
えん罪は死刑以外なら許されるの?と反問したくなります。例え執行猶予付きであっても有罪判決を受ければ、その人の人生は根底から破壊されます。えん罪は絶対にあってはならないわけで、そのために「疑わしきは罰せず」という原則があるのではないでしょうか。
犯罪抑止効果の有無を科学的に検証するのは不可能です。再犯を防ぐために死刑はやむを得ない場合があるでしょう。それは殺人犯と、被害者になるかも知れない人と、どちらの命を重視するかという問題なのです。終身刑を新設することも考えられますが、この財政逼迫時にタダで重罪犯の一生を支えるのは税金の無駄遣いというものです。
現実には、殺意の有無、責任能力の有無、残虐性の有無など複数のファクターが考慮されます。さらに、2人以上を殺害しないと死刑にはならないという原則のようなものがあるのではないでしょうか。
ついでに申しますと、死刑反対論者が持ち出す根拠として、「えん罪の可能性」と「犯罪抑止効果がない」というものがあります。
えん罪は死刑以外なら許されるの?と反問したくなります。例え執行猶予付きであっても有罪判決を受ければ、その人の人生は根底から破壊されます。えん罪は絶対にあってはならないわけで、そのために「疑わしきは罰せず」という原則があるのではないでしょうか。
犯罪抑止効果の有無を科学的に検証するのは不可能です。再犯を防ぐために死刑はやむを得ない場合があるでしょう。それは殺人犯と、被害者になるかも知れない人と、どちらの命を重視するかという問題なのです。終身刑を新設することも考えられますが、この財政逼迫時にタダで重罪犯の一生を支えるのは税金の無駄遣いというものです。
- 2008-03-13
- 編集
[C2833]
被害者遺族の感情にこたえるためにも死刑は必要というのは死刑制度を肯定する上で一部分のみであると考えます。
世論や被害者遺族が死刑にしてくれというから死刑にする。
これは司法が独立している日本においてあってはならないことです。
そういう感情を検察が含めて、第三者の目という形で刑を求刑し、弁護士と検察の討論を見て、法律に則った形で裁判官がこれまた第三者の目で判断する。
つまり誰も否定できない被害者遺族の感情は、検察が酌み取って求刑し、裁判官はただそれを法律に則って判決するので、前提である世論感情で裁くということはありえないんです。
死刑判決に行き着くまでに色々あるのに、大きく報道されたxxx市のxxxx殺人事件では「犯人を死刑にせよ」という声が聞き入れられて、報道されなかった別のyyy市のyyyy殺人事件では「犯人を死刑にせよ」という声が聞き入れられない、ということでは決してないのです。
死刑は人を殺した被疑者がその命をもって罪を償うものなのです。
たとえ人を殺したとしても、とても被疑者が反省していて、更生の余地があるなら、被害者家族は死んで償ってもらいたいと思っていても、検察や裁判官は死刑を求刑すべきではないと思いますし、判断するべきでない。
その判断も法律に則る。
死刑は選択肢の一つなのです。
人を殺してしまった人間をどう裁くかは裁判官にしかできないことです。
選択肢をわざわざ狭める必要性を私は感じないのです。
世論や被害者遺族が死刑にしてくれというから死刑にする。
これは司法が独立している日本においてあってはならないことです。
そういう感情を検察が含めて、第三者の目という形で刑を求刑し、弁護士と検察の討論を見て、法律に則った形で裁判官がこれまた第三者の目で判断する。
つまり誰も否定できない被害者遺族の感情は、検察が酌み取って求刑し、裁判官はただそれを法律に則って判決するので、前提である世論感情で裁くということはありえないんです。
死刑判決に行き着くまでに色々あるのに、大きく報道されたxxx市のxxxx殺人事件では「犯人を死刑にせよ」という声が聞き入れられて、報道されなかった別のyyy市のyyyy殺人事件では「犯人を死刑にせよ」という声が聞き入れられない、ということでは決してないのです。
死刑は人を殺した被疑者がその命をもって罪を償うものなのです。
たとえ人を殺したとしても、とても被疑者が反省していて、更生の余地があるなら、被害者家族は死んで償ってもらいたいと思っていても、検察や裁判官は死刑を求刑すべきではないと思いますし、判断するべきでない。
その判断も法律に則る。
死刑は選択肢の一つなのです。
人を殺してしまった人間をどう裁くかは裁判官にしかできないことです。
選択肢をわざわざ狭める必要性を私は感じないのです。
- 2008-03-13
- 編集
[C2837] 死刑肯定ですが
私は犯した罪をきちんと償うと言う観点から死刑を肯定しています。命を持って償わなければならない場合があるのも事実でしょう。大阪・池田小学校事件のT元死刑囚のように死刑になりたいから敢えて犯す人間もいます。自分自身の贖罪のために死刑を望む加害者もいます。被害者にも本村洋さんや高橋シズヱさんのような死刑肯定派から原田正治さん・河野義行さんのような方もいます。
ケースバイケースだと思います。
今、ロス疑惑が再燃して「アメリカで三浦和義を死刑にしろ」、「こんなワルを死刑に出来る共謀罪を作れ」という世論が出来ています。この事件には統一協会・国際勝共連合、創価学会、アメリカや日本の裏権力も関わっているので要注意です。でも「劇場犯罪者の最期」はハリウッドで映画のロケを兼ねて公開処刑、制作は石原プロ(三浦和義氏の叔母が水の江滝子で、石原裕次郎のマネージャーでした)で西部警察の劇場版を作れば満足という悪魔的な願望を持っている人が多いのでしょう。持たされていると言ってもよいですが。
最期に死刑を望む側が「中国・朝鮮半島への悪口を言い放つ一方、中国や北朝鮮が羨ましくて仕方ない」と考えていることを付け加えておきます
ケースバイケースだと思います。
今、ロス疑惑が再燃して「アメリカで三浦和義を死刑にしろ」、「こんなワルを死刑に出来る共謀罪を作れ」という世論が出来ています。この事件には統一協会・国際勝共連合、創価学会、アメリカや日本の裏権力も関わっているので要注意です。でも「劇場犯罪者の最期」はハリウッドで映画のロケを兼ねて公開処刑、制作は石原プロ(三浦和義氏の叔母が水の江滝子で、石原裕次郎のマネージャーでした)で西部警察の劇場版を作れば満足という悪魔的な願望を持っている人が多いのでしょう。持たされていると言ってもよいですが。
最期に死刑を望む側が「中国・朝鮮半島への悪口を言い放つ一方、中国や北朝鮮が羨ましくて仕方ない」と考えていることを付け加えておきます
- 2008-03-14
- 編集
[C2840] ご紹介ありがとうございます
遺族への心理的支援を「反対派だけが考えて一方的に提案・決定することだとは言えない」というのは、原理としてはそのとおりでも、僕はあえて廃止派が積極的に踏み込む必要性を感じています。あるいは、この問題に関してはどっちの「派」がイニシアチヴを取るというより、最初から両者が手を組んで当たるべきことではないかと。いずれにしろ、それはポジティヴなことなんですから。
その点を除いて、ここでの「遺族感情に基づいて死刑を肯定する論理の矛盾・問題」、まったく正しいと思います。僕もこのことは書きたかったし、いずれ書くつもりです。
たとえば、空爆によって家族・親族を奪われたバグダッド市民。彼らは誰を死刑にすればいいのか。ブッシュか、ラムズフェルドか、コンディか。米兵全員か。フセイン一人縛り首になったって納得なんかできるわけがない。
パレスチナ・ガザでは先月末から、100人以上が殺され、さらに続く封鎖のために、必要な医療措置が受けられずに死んでいく人たちがバタバタ出ています。彼らは自分たちの身に襲いかかる不幸が誰によってもたらされているか、「犯人」をちゃんと知っています。しかし、「犯人」が死刑になる見込みはゼロのままです。
自業自得?・・・あるいはそうとも言えるかも。それが人間の世界かも。この世の中に、「被害者でしかない者」も「加害者でしかない者」も、実はいない。割合はどうあれ、誰もがその両方を兼ねた存在ではないか。少なくとも僕にとって、それは「死をもって償う」という象徴的な(フィクショナルな)行為(儀式)を通してつかんだ気になる現実よりも、現実そのものです。
宗教家なら、「そなただって罪びとではないか」の一言でバシッと説得できるんでしょうけど。
その辺のことを。「こじつけだ」とか「問題を転化するな」とか、かなり誤解を伴いやすい言説でしょう。裾野が広がって、うまくまとめづらいとは思うのですけど、いずれは。
その点を除いて、ここでの「遺族感情に基づいて死刑を肯定する論理の矛盾・問題」、まったく正しいと思います。僕もこのことは書きたかったし、いずれ書くつもりです。
たとえば、空爆によって家族・親族を奪われたバグダッド市民。彼らは誰を死刑にすればいいのか。ブッシュか、ラムズフェルドか、コンディか。米兵全員か。フセイン一人縛り首になったって納得なんかできるわけがない。
パレスチナ・ガザでは先月末から、100人以上が殺され、さらに続く封鎖のために、必要な医療措置が受けられずに死んでいく人たちがバタバタ出ています。彼らは自分たちの身に襲いかかる不幸が誰によってもたらされているか、「犯人」をちゃんと知っています。しかし、「犯人」が死刑になる見込みはゼロのままです。
自業自得?・・・あるいはそうとも言えるかも。それが人間の世界かも。この世の中に、「被害者でしかない者」も「加害者でしかない者」も、実はいない。割合はどうあれ、誰もがその両方を兼ねた存在ではないか。少なくとも僕にとって、それは「死をもって償う」という象徴的な(フィクショナルな)行為(儀式)を通してつかんだ気になる現実よりも、現実そのものです。
宗教家なら、「そなただって罪びとではないか」の一言でバシッと説得できるんでしょうけど。
その辺のことを。「こじつけだ」とか「問題を転化するな」とか、かなり誤解を伴いやすい言説でしょう。裾野が広がって、うまくまとめづらいとは思うのですけど、いずれは。
- 2008-03-14
- 編集
[C2842] 遺族感情は秩序阻害要因でしかないのか
私には今回の玲奈姉さんのエントリーは、典型的な廃止論の論理のように感じました。
民主主義を育んできた大きな思想の流れから言うと、死刑廃止は当然の理です。そこに異論はありません。しかし、遺族と遺族に共感する者たちは納得しません。それには理由があるはずなんです。情緒的な理由が。
情緒に依拠して論理を組み立てたら矛盾だらけになる。それはそのとおり。けれど、情緒を無視して論を組み立てたって、空理空論でしかない。情緒の支持がなければ論はうまく機能しない。死刑存続派から見れば、姉さんの論理は空論にしか聞こえないのではないでしょうか。
>死刑が法で規定された「制度」である以上、それは論理的、倫理的な体系的一貫性がなければないと思います。
いくら「制度」が体系的に首尾一貫していようとも、その「制度」が受け入れられなければ意味はない。体系的には廃止論の方が整っているのは間違いないんです。その体系を受け入れられないというのが存続論。今回のエントリーは、廃止論のほうが論理的に整っているから受け入れるべき、とそう受け取れます。典型的な廃止論と書いた所以です。この論では、遺族の感情は社会秩序を阻害する要因になっているとしか受け取れません。けれど、その遺族感情の正当性は誰もが認めざるを得ない。となれば、体系的な制度は正当な感情を阻害する“機械的に正しいに過ぎない”体系に堕ちてしまいかねません。
廃止論は、廃止論の方が体系的であるということは前提とした上で、なぜ廃止論が受け入れられないのか、その情緒的な理由と真剣に向き合う方向へ進むべきだと考えます。
民主主義を育んできた大きな思想の流れから言うと、死刑廃止は当然の理です。そこに異論はありません。しかし、遺族と遺族に共感する者たちは納得しません。それには理由があるはずなんです。情緒的な理由が。
情緒に依拠して論理を組み立てたら矛盾だらけになる。それはそのとおり。けれど、情緒を無視して論を組み立てたって、空理空論でしかない。情緒の支持がなければ論はうまく機能しない。死刑存続派から見れば、姉さんの論理は空論にしか聞こえないのではないでしょうか。
>死刑が法で規定された「制度」である以上、それは論理的、倫理的な体系的一貫性がなければないと思います。
いくら「制度」が体系的に首尾一貫していようとも、その「制度」が受け入れられなければ意味はない。体系的には廃止論の方が整っているのは間違いないんです。その体系を受け入れられないというのが存続論。今回のエントリーは、廃止論のほうが論理的に整っているから受け入れるべき、とそう受け取れます。典型的な廃止論と書いた所以です。この論では、遺族の感情は社会秩序を阻害する要因になっているとしか受け取れません。けれど、その遺族感情の正当性は誰もが認めざるを得ない。となれば、体系的な制度は正当な感情を阻害する“機械的に正しいに過ぎない”体系に堕ちてしまいかねません。
廃止論は、廃止論の方が体系的であるということは前提とした上で、なぜ廃止論が受け入れられないのか、その情緒的な理由と真剣に向き合う方向へ進むべきだと考えます。
- 2008-03-14
- 編集
[C2845] 終身刑と無期刑
oldman様
誤解があるようなので一言。
終身刑の新設と仰っていますが、日本の無期懲役も終身刑ですよ。
ただ、仮釈放があるか無いかの違いがあるのです。
私も法律に詳しくはなく、wikiで終身刑と無期刑を検索した上での受け売りなんですが。
だから、この場合は、仮釈放制度を廃止した方がよい、と言い換えるべきでしょうか。
>議論の最大の弱点
私はそうは思いませんでした。
話の流れから読めば、わざと「遺族の感情」しか取り上げていないだけですよね。
面白い思考実験だと思います。
誤解があるようなので一言。
終身刑の新設と仰っていますが、日本の無期懲役も終身刑ですよ。
ただ、仮釈放があるか無いかの違いがあるのです。
私も法律に詳しくはなく、wikiで終身刑と無期刑を検索した上での受け売りなんですが。
だから、この場合は、仮釈放制度を廃止した方がよい、と言い換えるべきでしょうか。
>議論の最大の弱点
私はそうは思いませんでした。
話の流れから読めば、わざと「遺族の感情」しか取り上げていないだけですよね。
面白い思考実験だと思います。
- 2008-03-14
- 編集
[C3246] 死刑の抑止力
はじめまして。
死刑に抑止力は、ないのでしょうか?
「死刑廃止後殺人発生率が減った」という主張の検証
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
死刑は犯罪抑止に効果あり〜各種調査が証明
http://www.usfl.com/Daily/News/07/06/0611_007.asp?id=53910
カナダでは、殺人犯に対する死刑が廃止される前の殺人発生率は人口10万人当たり1.25、廃止後、3.03まで増え、統計のある2005年まで廃止前より殺人発生率が多い。
これらをみると、死刑には、抑止力があると思えるのですが。
死刑に抑止力は、ないのでしょうか?
「死刑廃止後殺人発生率が減った」という主張の検証
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
死刑は犯罪抑止に効果あり〜各種調査が証明
http://www.usfl.com/Daily/News/07/06/0611_007.asp?id=53910
カナダでは、殺人犯に対する死刑が廃止される前の殺人発生率は人口10万人当たり1.25、廃止後、3.03まで増え、統計のある2005年まで廃止前より殺人発生率が多い。
これらをみると、死刑には、抑止力があると思えるのですが。
- 2008-04-08
- 編集
[C3250] 犯罪抑止力
どうも、レスありがとうございます。
>死刑の犯罪抑止力については、ほかの研究・調査もたくさんあるわけですが、それらにまで目配りされましたでしょうか?
はい、いくつか見ました。
その結果、死刑には抑止力がないという主張は、必ずしも正しくないということが分かりました。
抑止力の有無を証明するには、他の条件を全て同一にして、Aグループは死刑あり、Bグループは死刑なしで数年以上の実験をしなければなりませんが、それは実現不可能でしょう。
証明できない以上、主権者である個々人が、状況証拠等をもとに、予想するしかないのかなと考えています。
そして、民主主義の手続きを踏まえて決定するしかないかと思います。
抑止されたという状況証拠があるので、私は死刑に賛成です。
一人でも抑止できれば、それは成功ですから。
>死刑の犯罪抑止力については、ほかの研究・調査もたくさんあるわけですが、それらにまで目配りされましたでしょうか?
はい、いくつか見ました。
その結果、死刑には抑止力がないという主張は、必ずしも正しくないということが分かりました。
抑止力の有無を証明するには、他の条件を全て同一にして、Aグループは死刑あり、Bグループは死刑なしで数年以上の実験をしなければなりませんが、それは実現不可能でしょう。
証明できない以上、主権者である個々人が、状況証拠等をもとに、予想するしかないのかなと考えています。
そして、民主主義の手続きを踏まえて決定するしかないかと思います。
抑止されたという状況証拠があるので、私は死刑に賛成です。
一人でも抑止できれば、それは成功ですから。
- 2008-04-08
- 編集
[C3252] >青波さん
再度の投稿、ありがとうございます。
死刑を廃止した多くの国では、「死刑には犯罪抑止力はあるとは証明されない、犯罪抑止力はない」ということが死刑を廃止した理由の一つになっております。そのことをふまえて、質問です。
個々の研究・調査を一つ一つ見たのでしょうか?であるなら、死刑の犯罪抑止力がないという研究・調査と、死刑の犯罪抑止力があるという研究・調査を、それぞれいくつずつ見ましたか?
また、それらは具体的に何か、研究・調査・論文名をあげてください。
それらを比較した上で、死刑の犯罪抑止力があるという研究・調査のみの結論を採用した具体的理由は何ですか?
>実験をしなければなりませんが、それは実現不可能でしょう。
生物学や心理学でいうような、統制群と実験群を比較するような「実験」は現実の社会の中では確かに不可能です。ここまでは正しいです。しかし、だからといって、個々人が状況証拠などをもとに予想する、とはなりません。なぜなら、それは科学的調査・研究とはいえないからです。
>一人でも抑止できれば、それは成功ですから。
死刑があったために殺人を思いとどまった、という例を指しているのでしょうか?では、「どうせ死刑になるのなら、目撃者を全員殺してしまえ」と自暴自棄になって大勢殺した例もありますよね。また、最近の日本では「誰でもよかった」といって殺人を犯した例がありました。また、「死刑になりたかったから」と言って殺人を犯した例すらあったのではありませんか。これは抑止力がなかった例ですね。そのほかにもいろいろな殺人の例があるでしょう。それらをすべて考慮に入れて、カウントして、死刑には犯罪抑止力がある、と結論したのでしょうか?
このようにみてくると、死刑があるために殺人を思いとどまった人が何人かいたとして、それだけでは「犯罪抑止力があった」とは言わないのです。それ以外の殺人例も見なければいけません。
死刑を廃止した多くの国では、「死刑には犯罪抑止力はあるとは証明されない、犯罪抑止力はない」ということが死刑を廃止した理由の一つになっております。そのことをふまえて、質問です。
個々の研究・調査を一つ一つ見たのでしょうか?であるなら、死刑の犯罪抑止力がないという研究・調査と、死刑の犯罪抑止力があるという研究・調査を、それぞれいくつずつ見ましたか?
また、それらは具体的に何か、研究・調査・論文名をあげてください。
それらを比較した上で、死刑の犯罪抑止力があるという研究・調査のみの結論を採用した具体的理由は何ですか?
>実験をしなければなりませんが、それは実現不可能でしょう。
生物学や心理学でいうような、統制群と実験群を比較するような「実験」は現実の社会の中では確かに不可能です。ここまでは正しいです。しかし、だからといって、個々人が状況証拠などをもとに予想する、とはなりません。なぜなら、それは科学的調査・研究とはいえないからです。
>一人でも抑止できれば、それは成功ですから。
死刑があったために殺人を思いとどまった、という例を指しているのでしょうか?では、「どうせ死刑になるのなら、目撃者を全員殺してしまえ」と自暴自棄になって大勢殺した例もありますよね。また、最近の日本では「誰でもよかった」といって殺人を犯した例がありました。また、「死刑になりたかったから」と言って殺人を犯した例すらあったのではありませんか。これは抑止力がなかった例ですね。そのほかにもいろいろな殺人の例があるでしょう。それらをすべて考慮に入れて、カウントして、死刑には犯罪抑止力がある、と結論したのでしょうか?
このようにみてくると、死刑があるために殺人を思いとどまった人が何人かいたとして、それだけでは「犯罪抑止力があった」とは言わないのです。それ以外の殺人例も見なければいけません。
- 2008-04-08
- 編集
[C3270] 死刑廃止は当然
はじめまして。
日本では米国と共に死刑賛成派が多いようですが、ここのブログで本格的な死刑廃止論が主張されているのを知り、安心しました。
日本は現在米国の戦争に加わっている以上他国の人々の人命を間接的にせよ奪っていると思います。国家の政策の中であれ、個人の生活の中であれ、人命殺傷する可能性は避けられないと思います。その中でより良い社会を追い求め続けるしか道はないと考えます。死刑や戦争(国家による敵への死刑)はそれに逆行する制度だと思います。
日本では米国と共に死刑賛成派が多いようですが、ここのブログで本格的な死刑廃止論が主張されているのを知り、安心しました。
日本は現在米国の戦争に加わっている以上他国の人々の人命を間接的にせよ奪っていると思います。国家の政策の中であれ、個人の生活の中であれ、人命殺傷する可能性は避けられないと思います。その中でより良い社会を追い求め続けるしか道はないと考えます。死刑や戦争(国家による敵への死刑)はそれに逆行する制度だと思います。
- 2008-04-11
- 編集
コメントの投稿
17件のトラックバック
[T9037] 死刑――存廃を問う前に〜第1回:死刑制度に疑問投げかける被害者遺族(東京新聞3月23日付「こちら特報部」より)
東京新聞「こちら特報部」では、「死刑――存廃を問う前に」という表題で、死刑の存廃に関する連載記事を始めました。第1回の記事の終わり...
- 2008-04-15
- 発信元 : Because It\'s There
[T9018] 4月22日に光市事件差し戻し控訴審判決〜バッシング渦中の安田好弘弁護士に再び聞く(東京新聞4月10日付「こちら特報部」より)
法務省は4月10日、死刑囚4人の刑を執行したと発表しました。鳩山邦夫法相の下での死刑執行は昨年12月7日、2月1日に続き3回目で計...
- 2008-04-14
- 発信元 : Because It\'s There
[T8518] 刑法28条等改正論
こちら
40%程度出来上がってきました。
今後、後半部分と傍注を書き上げて、完成までにはまだ1週間〜3週間程度要しますが、皆様に一早く読んでいただくため、とりあえず前半部分だけここにアップします。
(追記)
3/17 全体の45%ほど完成。加筆分更新。
- 2008-03-20
- 発信元 : 無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのブログ
[T8411] 「私」と社会とを結びつける絆
紛らわしいタイトルだが、今回のエントリーの内容は死刑廃止論。私(愚樵)の個人的な事柄ではない。当ブログをご覧になっていただいている...
- 2008-03-14
- 発信元 : 愚樵空論
[T8404] 「死刑制度についての討論会」に参加して―2
…イタリア人から見て「日本にはまだ死刑を廃止する条件がない」と思えることはあるのだろうか。仮にあるとしたら、それは政治的な条件なのか、宗教的な条件なのか、その他なのか・・・・
- 2008-03-14
- 発信元 : 弱い文明
[T8403] 「死刑制度についての討論会」に参加して―1
3月2日の日曜日、吉祥寺は武蔵野商工会館で開かれた、イタリア語会話教室Lo Studiolo主宰のイベント、「第二回 死刑制度についての討論会」に行ってきた。
- 2008-03-14
- 発信元 : 弱い文明
[T8401] 死刑囚の時間(追記あり)
ちりとてちんで、草若師匠は、いろんな人に最後のお別れをした。
糸子かあちゃんに弟子への思いを語り、小次郎おじちゃんのコンプレックスにひとつの回答を与え、弟子達に「ありがとう」を言って。
刑務所でのボランティアに関わっている人と話をする機会があった。...
- 2008-03-14
- 発信元 : keep changing !
[T8400] 「はみちつ」!:山崎誤植!笑える誤植!写真付き!<ショート・ショート!>
写真を観て下さい!なんかおかしくありませんか?誤植です!店頭には今有りません!今週に若者達はミクシーなどで盛り上がってました!多分にニコニコ動画では遊ばれているでしょう!どこかおかしくありませんか?山崎製パンの「ミルクホットケーキ」という製品です!「は...
- 2008-03-14
- 発信元 : kimera25
[T8399] モラル・ハザード、信じられない大人の犯罪
個々の事件の具体的な内容をフォローしているわけではありませんので、不正確な記述があったら遠慮なく指摘してください。 最近の社会面のニュースで、感覚的に以前より多いと思われるのが、中堅幹部警察官の信じられないような犯罪への関与と、同様に私学が多いように感...
- 2008-03-14
- 発信元 : 「猫の教室」 平和のために小さな声を集めよう
[T8396] ブッシュのポチとプードルへのご褒美 そして自称「教養に著しく欠ける」橋下知事
ブッシュのプードルと評されていたトニー・ブレア前英首相。
これに対してブッシュ大統領は、いやいや「プードル以上だった」と言ったとか...
- 2008-03-13
- 発信元 : とむ丸の夢
[T8394] これって検閲じゃないんですか?
昨日のニュース23で初めて知ったこのニュース。今日朝日で見た。?何だか凄く嫌な感じ!この議員の後ろに黒幕が居そう。そして続報はこちら。?ちょっと注目しておきましょう!?きょうは死刑関連です。??
- 2008-03-13
- 発信元 : クリームな日々
[T8393] ハシ↓、いじめ・不登校対策の質問に対して「(暫定予算に計上する)緊急性がないと判断した」と答弁。これで子供が笑う街・大阪が出来るのか!?
皆様のご支援に感謝致します! ありがとう!
さぁてぇ〜、お立会い。
御用とお急ぎのある方も、…
御用やお急ぎも無い方も、…
読んで頂きとうござりまする。
お代はランキングポチッで!
『大阪府議会』の...
- 2008-03-13
- 発信元 : 晴天とら日和
[T8392] なぜ私は「死刑制度」肯定派から廃止派になったのか
一年程前まで私はどちらかと言うと「死刑制度」に関しては「肯定派」でした。
もちろん頻繁に「死刑」が執行される事に関しては抵抗がありました。ちゃんとした捜査と裁判が行われた上で決定されなければいけないと考えていました。
某事件のニュースで見ていて
「「死...
- 2008-03-13
- 発信元 : 駄文徒然日記
[T8390] 揺らぐ「イラク開戦」の「根拠」・アルカイダとフセインの関係立証されず
日本においては独自の検証さえ行っていない「イラク侵攻」であるが、ここで米国がもう一つ、'''開戦の大義名分としていた事が「揺らいでいる」'''。
引用先;[http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008031200182]
{{{
アルカイダとの関...
- 2008-03-13
- 発信元 : ニッポンを改造するBYかんすけ
[T8389] 反日でキィキィ
護憲派アマゾネス達に人気のない稲葉議員が最近頑張ってますねえ・・ 人気ブログランキングへ
? いつもポチッとしてくれてありがとう!m...
- 2008-03-13
- 発信元 : お玉おばさんでもわかる 政治のお話
[T8388] 「新憲法制定議員同盟」の動きに、どう対抗するか
私は、自民党も民主党も、選挙で改憲を振り回せば自党の得票を減らすのは、両党の力が拮抗している現状では得策ではないから、当分改憲論を表面に出ださないのではないかと考えていた。
しかし私の見通しは甘かったという他なく、改憲の下相談の会に民主党の幹事長以下錚...
- 2008-03-13
- 発信元 : 老人党リアルグループ「護憲+」ブログ
[T8387] こんな人物に、政権と世界の行方を預けたの?
今日の毎日になかなか興味深い記事が載っていました。
イラク戦争に抗議して国務省を退職した元米国務省職員ジョン・ブラウンさんへのイン...
- 2008-03-13
- 発信元 : とむ丸の夢
- トラックバックURL
- http://muranoserena.blog91.fc2.com/tb.php/592-bd2358ed
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)




[C2829] 管理人のみ閲覧できます