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レフト・リバタリアニズム
では,どうしたらよいのか。しかたがないと諦めるのか。
レフト・リバタリアニズム(左派完全自由主義)という考え方があります。
ヒレル・シュタイナーが唱えた理論で,万人に自己所有権と自然資源の徹底平等な原初取得を認める完全自由主義です。
個人はそれらの所有を用いて自由に活動できる。だがその結果,人類の第一世代に社会的格差が生じる。しかし,所有権の主体は生者であり相続は一切認めない。第一世代の遺産は第二世代に平等に再配分される。また個人の遺伝的特質は自然資源だから,多く持つ者は少なく持つ者に補償する義務を負う,というものです。
こうした理論構成によって,自由と平等が均衡する社会を求めます。
なかなか優れた理論だと思います。
政治家については,世襲制というものはやめてほしいと思います。政治家が引退または死去などによって退いた場合は,5年間くらい,配偶者,子,婿などは立候補できないようにすべきだと思います。
世襲議員の質の悪さが日本の政治をだめにしています。そういった人を選ぶ国民が問題ではありますが。
麻生太郎は選挙演説で「下々の皆さん」と言って,選挙に敗れたことがあるそうです。安倍も麻生も総理の3代目でなければ,ふつうならば国政には出てこれないレベルの人間です。
「21世紀の資本」を読み終えました。
資本主義の第二基本法則
長期的には,資本/所得比率βは,貯蓄率s,成長率と以下の方程式で示される単純明快な関係を持つ。
β=s/g
たとえば,s=12%,g=2%ならβ=s/g=600%になる。
つまり,毎年国民所得の12%を蓄え,国民所得の成長率が年2%の国では,長期的に資本/所得比率は600%になる。この国は,国民所得6年分に相当する資本を蓄積することになる。たくさん蓄えて,ゆっくり成長する国は,長期的には莫大な資本ストックを蓄積し,それが社会構造と富の分配に大きな影響を与えるということだ。別の言い方をしよう。ほとんど停滞した社会では,過去に蓄積された富が,異様なほどの重要性を確実に持つようになる。
1970ー2010年最も壮大なバブルは,まちがいなく日本のバブルだった。1980年代,日本の民間財産の価値は,国民所得4年分超から急成長をとげて,
1980年代終わりには7年分近くにもなった。このきわめて急激で莫大な規模の増加は,ある程度は明らかに人為的だった。民間資本の価値は1990年代前半激減して,1990年代半ば以降の国民所得はおよそ6年分で安定した。
世界的な富の階層のてっぺんを見てみよう。1990ー2010年はビル・ゲイツで,起業による富を体現する人物だ。彼は10年以上『フォーブス』ランキングの第1位に君臨したが,その財産は40億ドルから500億ドル増加している。
一方,リリアンヌ・ベタンクールは化粧品の世界的リーダー,ロレアルの創業者であるウージェヌ・シュエレールの相続人だ。シュエレールは1907年にさまざまな髪染めを開発し,成功をおさめた。ベタンクールの財産は,20億ドルから250億ドルに増加している。どちらの財産も,1990ー2010年の年間成長率は13%超で,インフレ調整後の実質資本収益は10,11%相当だ。
つまりリリアンヌ・ベタンクールは(生涯に一日たりとも働いたことはない)は,ハイテク分野のパイオニアであるビル・ゲイツなみの勢いで財産を増やしたのだ。ひとたび築かれた財産は,資本の動学にしたがって増加して,ただその規模ゆえに,数十年にわたって急速度で増加を続けられる。特に,財産の規模がある閾値を超えると,ポートフォリオとリスク管理における規模の経済によって,規模効果が強まることに注目。資本所得のほぼすべてを再投資にまわせるからだ。
1987‐1994年,ビル・ゲイツの前に『フォーブス』ランキングの第1位を占めていた日本の億万長者(堤義明,森泰吉郎)となると,欧米ではすっかり忘れられている。だが日本の1950‐1990年の成長は歴史的に空前の水準で,1990ー2010年の米国の成長をはるかに上回っており,これには起業家たちが何らかの役割を果たしたと信じるにたる理由がある。
新聞に公開された情報とベタンクール自身が明かした情報によれば,彼女の申告所得は年500万ユーロを超えたことはない。これは彼女の富(現在では300憶ユーロ以上)の1万分の1強でしかない。個別事例の不確実性はあるが,こうした事例で税金のために申告された所得は,納税者の経済所得の100分の1以下なのだ。
各種の情報源を付き合わせると,ハーバード大学の学生たちの両親たちのJ平均所得は,45万ドルだと推計される。これは米国の所得階層でトップ2%の平均所得に相当する。
以上で引用を終わります。
今まで頭の中ではだいたいそういうことだろうと思っていたことが,数字をもって具体的に説明されると,自分の今までの理解がいかに浅くていいかげんだったが分かります。
まだお読みでない方はぜひ一読を。公立図書館にいっぱいあります。
奴隷制によって栄えたアメリカ
米国南部と北部の州を区別して1770-1810年のこの二地域の資本構造を同時期のイギリス,フランスの資本構造と比較してみよう。米国南部では,奴隷の総価値は国民所得2.5ー3年分で,農地と奴隷の価値を合せると国民所得4年分超だった。合計すると,新世界の南部の奴隷所有者たちは,古いヨーロッパの地主たちよりも多くの富を牛耳っていた。農地はたいした価値がなかったが,土地だけでなく,土地利用に必要な労働力も所有するという名案により,総資本がさらに多くなったのだ。
奴隷の市場価値を富の他の構成要素に加えると,南部資本の価値は南部諸州の所得6年分を超え,イギリスおよびフランスの資本の総価値にほぼ匹敵する。反対に,奴隷がいなかった北部では,富の総量は非常に少なかった。北部諸州の所得せいぜい3年分で,これは南部やヨーロッパの半分でしかない。
アメリカは,奴隷制という暴力と人権抑圧でもって富を集積してきたという事実には暗澹とさせられます。
最初の人類は黒人で,アフリカに発生したと一般には考えられているそうです。ところが黒人からアルビノが大量に発生し,黒人から差別・疎外されたため,肥沃なアフリカの地から北の貧しい寒冷の地であるヨーロッパへ追い払われたのだとのことです。
すると,エジプトやエチオピアにキリスト教が信仰されているのは,先祖返りと言えるのかも知れません。
人類の祖先が黒人であったならば,黒人は差別される存在でではなく,尊重される存在と考えるべきです。
格差は止めなければ止まらない
日本で労働や貧困の現場を取材してきた目から見ると,ピケティの議論はそれほど驚くべきものではない。労働条件は働く側の圧力がなければ向上しないし,貧困は見て見ぬふりをしていると深刻化する。ピケティの論は,そんな現実を無視した政治的無為に対し,経済学の数式を通して発せられた警告だ。
ピケティは,「業績のある人材は高報酬でも当然」という世界観の横行と,所得税の最高税率の引き下げが,このような高額化を招いたと述べる。「業績」がある役員は,業績のない一般社員と差がつくのがむしろ公正だという哲学に加え,最高税率の引き下げで報酬の釣り上げ分が役員の懐にそっくり入ってくるようになったことで,報酬への要求が強まっていくという分析だ。こうして得た巨額の報酬が資産に変えられ,その資産が高い収益率で増えていくことで格差は二重に増幅される。しかも,そうした経済エリートたちが,政治献金や,政権の中枢入りによって,一般の生活実感から乖離した格差拡大政策を推進していく。政治の変質だ。
日本では,格差を正面から問うことを封じ込める言説が根強い。「格差批判は成功者へのそねみ」という言説がそのひとつだ。
2006年の国会答弁で,小泉純一郎首相は「貧困層を少なくするという対策とともに,成功者をねたむ風潮,能力のある者の足を引っ張る風潮も厳に謹んでいかなければいけない」と述べた。格差の弊害に敏感でなければならないはずの政権のトップが率先して,しかも公の席で,格差批判と「そねみ」を混同する発言を行う。そんな空気の中では,低所得者は不満を感じていても,とても言いだせない。その結果,格差は社会政策上の論点にさえならない。
『21世紀の資本』は,実はこうした現状に取り組むための必要は姿勢をさまざまに提示している。
「反貧困ネットワーク」でしばしば聞くのは,「貧困は直視せずに放置すると増大する」という言葉だ。放っておいても成長やテクノロジーが解決してくれるという考え方は,それらが勝手に生きているという考え方だ。しかしそれらも人間が動かしている。成長やテクノロジーを,格差や貧困を縮小する方向で動かさなければ,それらはそのような機能を果たさない。
暗いものを直視し,それを明るいものしていくという取り組みへ踏み出すことが,本当の明るさのはずだ。
二つ目は,理屈でそれが必要だという結論に達したら,難しくてもそれを可能にする道をさがそうとい姿勢だ。ピケティの「世界資本税」について聞くと,だれもが最初は「そんなこと,できるわけがない」とのけぞる。だが,ほかに有効な手立てがないとわかったなら,それを実現する方法をあれこれ考えてみよう,というのがピケティの主張だ。
三つ目は,「オール・オア・ナッシング」の発想に陥らないことだ。
必要な方向へ踏み出してみると,さまざまなリアクションが起きてくる。それを取り入れつつ,最初の案がだめでも,そ目的は保持しつつ賛同が得られる次善の方法へと修正していけば,実現に近づくことは不可能ではない。
四つ目は,格差批判と「そねみ」の峻別だ。
格差社会とは,格差の上の方にいる人たちが,下の方の現実を無視して自分に都合のいい解釈を普及させることができる社会でもある。私たちはそれを見抜く論理力と情報力が求められる社会に足を踏み入れている。ピケティの「格差は放置すれば広がる」は,「格差は自然に縮小する」という政治的無為の正当化を,数字による実証で押し返そうという試みだ。
以上で引用終わり。
コロナ禍のもとで,毎日18円のうどんで過ごしている家庭もあると聞きます。
貧困は政治の無為によるものであり,貧困層の自助努力が足りないとするのは誤りです。
『21世紀の資本』批判
橘木俊詔: ピケティは資本所得に最大の関心を払っているし,所得や富の分
布に関しても上位の1%ないし10%のみに関心を寄せて,下位50%とい
う低所得者や低資産保有者に関しては,一つのグループとしてしか
扱われてない。日本の格差の問題の深刻さは富裕者がいかに高所得
や高資産を保有しているかという動向よりも,貧困者や資産ゼロの
人々の存在によって,鮮明に出現しているのである。低所得者や貧
困者,あるいは資産ゼロの人々も経済生活を送っているのである。
私はピケティの成果と低所得者の実情の双方を考慮して日本の格差
問題を考えたいと思っている。
伊藤誠: 現代的な富と所得の富裕上層部への再集中として進展している事実
を指摘しながら,それがいかに広範な賃金労働者階級の労働条件の切
り下げ,労働力の価値の実態をなす必要労働時間の削減,安価低廉な
非正規雇用の増大,それを促す海外途上諸国での安価な雇用の利用拡
大などと表裏をなしているかに,考察が十分およぼされない。もっぱ
ら社会の中・上層部への再分配に主要な関心が注がれている。
ピケティは,資本の引き起こす格差拡大の問題に,マルクスの示唆
していた生産手段の公有化による社会主義ないし共産主義による解決
が,より徹底的で論理整合的であることは認めながら,ソ連型の集権
的計画化が例証したその人間的災厄にてらし,市場経済の調整機能は
これからの社会にかかせないとみている。しかし,ソ連型社会の失敗
から,資本主義をこえる社会主義の可能性がすべて失われたとみる見
解もせますぎる。かりに市場経済の調整機能は少なくとも当面欠かせ
ないとしても,資本主義をこえる生産手段の公有化にもとづく,市場
社会主義の多様なモデルは,論理整合的に構想可能であり,ソ連型と
は異なる進路でのこれからの社会主義の豊かな可能性も広く対案とし
て残されている。
中野 佳裕: 全体的にみて,ポリティカル・エコロジーの視点が欠如してい
ます。ドミニク・メダやジャン・ギャドレーなどの議論には,先
進国の成熟した経済発展を物質的な豊かさを十分に生産できるよ
うになった反面,生態学的な負荷を持続不可能な水準にまで高め
ており,将来世代の生存可基盤が損なわれるという地球環境の界
面でおこる構造的矛盾に対する批判的視点があります。また,そ
こから世代間正義など,倫理学の問題も含めて豊かさを議論して
います。しかし奇妙なことに,ピケティの本書にはそうした部分
は抜け落ちています。一部では気候変動や石油などの問題には触
れていますが,それらを資源問題として,つまり経済活動の道具
としてしか自然を扱っていません。
ディヴィッド・ハーヴェイ:
利益が富裕層からそれ以外の階層へ「徐々に滴り落ちる」といっ
た例のトリクル・ダウン説(これも右派が好むもう一つの信心であ
る)は働かきはしなかったのである。いかなる数学的法則によって
も決定づけられることはない。これはすべて政治の問題なのであ
る。
需要はどこにあるか。ピケティはこの問題を用意周到なやり方で
無視している。
ピケティの数学的法則の定式は,階級政治の関わる論点を明らか
にするというより,むしろ隠蔽している。
彼の議論は資本についての誤った定義に依拠している。資本は過
程であって物ではない。資本は貨幣が多くの場合よりも多くの貨幣
を生み出すために用いられる過程を指すのであって,もっぱら労働
力の搾取だけを行う過程ではない。
以上で引用を終わります。
ピケティは,不平等は資本主義に固有のものであり,強い妨げがなければ
―民主主義を脅かし,経済成長を持続不可能にするレヴェルにまで―それを
拡大するだろう,と言っています。
分配の不平等の拡大の要因は国家の課税ルールにある。
再分配には,一方の人たちは自分のものをいくらか差し出さなくてはならないのに対し,もう一方は彼らより成功しておらず,賢くも勤勉でもないと見下されてしかるべきだ,という感じがつねにつきまといます。でも,トップの経営者たちが1980年代以降,平均1000%賢く,仕事熱心で勤勉になったた,彼らの会社の平均的な従業員は12%しかそうならなかった,というのは無理のある話ではないでしょうか。しかし,1978年以後の収入の分配は,まさにそうなっているのです。トマ・ピケティによる実証的な労作『二一世紀の資本』も,分配の不平等の拡大の要因は,経営者がとんでもない生産性を発揮したことではなく,国家の課税のルールにあるとみています。また,ある会社の高所得者は別の高所得者の会社の役員会に所属し,それによってたがいに便宜をはかりあう構造があるという事実も,ピケティは指摘しています。
公正とは,分配の公正だけを意味しません。機会の公正もふくまれます。人間のさまざまな欲求にふさわしい生活を送る機会が平等で,そのための条件に影響を行使する機会も平等にあることです。
この考え方は,国家間にも適用できます。
余剰資本に使い道として好まれた別の場所は株式市場でした。そこでは雇用をつくって稼ぐより多くのお金を,お金を使って稼ぐことができたのです。最近10年間で上位500のアメリカの大企業は自社株の購入に5兆ドルを使い,450の会社がそれに利益の半分以上をつぎこみました。特にトランプ政権の減税は,この投資をあらためて刺激しました。2018年だけで1兆ドルがこの種の投資に回されました。その効果は,根本的に考えると,数字のトリックにすぎません。つまり,市場に出回る株の数が減ることで,一株あたりの価格が上がるのです。そうなると,企業に何も変わったことがなくても,以前より成果が上がっていると思いこまされるのです。この業績にもとづいて算出される大企業経営者のボーナスも,もちろん上がります。
以上で引用を終わります。自社株の購入など債権者保護の観点からあってはならないことと,私が大学で商法を学んだときの常識でしたが,いまや一定の条件のもとで可能になっています。実際は会社に利益が上がっているわけではないのに,自社株の購入により株価が上がり経営陣のボーナスが上がるというのは,お手盛りでインチキではないでしょうか。
法学的に言えば官僚制とは法の支配とは反対の,命令の体制(レジーム)である。立憲国家にTakeshiフランスの経済学者トマ・ピケティに注目する分配の不平等の拡大の要因は国家の課税ルールにある。「希望の未来への招待状」(マーヤ・ゲーペル/大月書店)から一部引用します。
再分配には,一方の人たちは自分のものをいくらか差し出さなくてはならないのに対し,もTakeshi菅義偉・前首相が #参院選2022 直前に県立高で「講演」するのは公職選挙法、教育基本法の両面から見ておかしい。日本学術会議委員推薦拒否問題は終わっていない。 岡田正則・早稲田大学教授の代理を務める方から連絡を受けました。
2022年7月16日(土)13:30~16:00全国町村会館(「永田町駅」3番出口徒歩1分,「赤坂見附駅」徒Takeshi景気回復のための三つの条件 (「五十嵐仁の転成仁語」から)国家の援助を受けて莫大な利益を上げた大企業は税金を支払うべきである。「希望の未来への招待状」(マーヤ・ゲーペル/大月書店)から一部引用します。
ニューヨーク州にある小都市のイサカは何人ものノーベル賞受賞者を出した大学(コーネルTakeshi5月18日、韓国で記録されている民主主義のための闘い (メモ)失礼しました。 タイトルは「5・18光州民主化運動のその後」に訂正します。たいへん失礼しました。Takeshi大阪維新の真実を見よう。維新政治を全国に広げたら経済は衰退し少子化は加速することがデータに出ている。 #参院選2022本当だね立憲、れいわ、共産、社民の共闘で勝利した東京・杉並区長選挙や、4月19日運動(M-19)のメンバーだったグスタボ・ペトロを大統領に選んだコロンビアの例に倣いたいものだboof大阪維新の真実を見よう。維新政治を全国に広げたら経済は衰退し少子化は加速することがデータに出ている。 #参院選2022No title大阪経済の衰退は、2025大阪・関西万博の民間パビリオン出展者の名前からも見て取れます。
https://www.expo2025.or.jp/news/news-20220530-03/
これを見てもらえばわかさんかく不祥事とギャンブルと利権の維新はいらない。 #参院選2022ギャンブル事業は持続可能で公正な経済・社会作りに貢献するか? 競馬の売上高のうち配当に回るのは25%だと聞いたことがあります。最後通牒ゲームでは30%を下回ると、配布する側がお金を配布しようとしても受け取る側は不公正であると考Takeshi6月23日は沖縄戦慰霊の日2022年沖縄戦慰霊の日6月23日の沖縄戦慰霊の日に日本の首相としては3年ぶりに岸田首相が出席しました。
市民からは「帰れ」の怒号が飛び交いました。
日本政府の沖縄県への暴挙の数々見れば当然閉口東京都杉並区の区長選で自民と連合が推す現職候補を野党側の女性新人候補が破った。 #参院選2022 のための貴重な教訓。同じ日に中南米で6/19に行われた杉並区長選挙で野党側候補者の岸本聡子さんが自民党と連合が推す現職の保守反動区長を僅差で破り当選は明るいニュースです。
杉並区に初の女性区長の誕生で閉口自国維公は「地獄行こう」。自国維公のお試し改憲は「本当は心臓摘出手術をしたいけど、嫌なら二重まぶた整形でどうですか」みたいな。 #参院選2022自公維国で与党自公維国の4党はイデオロギー的に同一でこれといった違いがありません。
しいていえばカレーライスとライスカレーの違いでしょうか。
先の国会を見ても総与党といったとこ閉口節電でポイントを支給する自民党政治は、暑い夏に熱中症を増やす生命の危険を高める。検討にすら値しない。 #参院選2022No titleポイントが大好きだからといって「節電ポイント」や「マイナポイント」に群がるのが余りにも多すぎて破廉恥の自覚がないことに呆れます。
そんなのより、一律10万円でもアンドリュー・バルトフェルド不祥事とギャンブルと利権の維新はいらない。 #参院選2022No title 結局、野党共闘への批判自体が「それが自民党にとって都合が悪いから」だった事を露呈するような序盤情勢です。自民べったりの右派メディアのみならず左派と言われることクテシフォン景気回復のための三つの条件 (「五十嵐仁の転成仁語」から)持続可能で公正な経済へ「希望の未来への招待状」(マーヤ・ゲーペル/大月書店)から一部引用します。
経済学の多数派はいまだに人間を,自己利益だけを考え,不思議なことに,それによってすTakeshi高崎市県立公園朝鮮人労働者追悼碑訴訟で、大日本帝国主義側の主張に軍配をあげた最高裁の決定セシル・ローズの言葉に絶句 セシル・ローズは「膨張(エクスパンション)こそすべてだ」「できることなら私は星々を併合しようものを」と言ったそうです。また,「拡張(エクステンション)がすべてTakeshi人間を労働機械や納税機械ではなく一緒に社会を作る尊厳ある人間として扱う姿勢があるのは立民、共産、れいわ、社民と判断される。 #参院選2022「労働者は機械ではない」自らの体を燃やして労働者の権利を守った韓国人青年 1960年代から70年代にかけてソウルの清渓川(チョンゲチョン)周辺には被服工場がひしめきあっていて,一時はこの地区で生産される衣類は国内衣類需要の80%に及んでいまTakeshi5月18日、韓国で記録されている民主主義のための闘い (メモ)5・28光州民主化運動のその後 1987年は全斗煅(チョン・ドファン)大統領の任期最終年でした。民主化運動に参加していた大学生の朴鐘哲(パク・チョンチョル)が警察の取り調べ中に死亡するという事件Takeshi死刑FAQ (適宜更新)人民革命党事件 韓国では社会のあちこちで民主化運動が起き緊急装置撤廃と朴正熙(パク・ジョンヒ)政権の退陣を求める主張が続くと,政権は強力な弾圧で対応しました。
1974年5月,あるTakeshi日本の教育現場での差別的奇習や校則を報じるフィンランドのニュースフィンランドなど北欧諸国から学ぶこと 精神科医で鍼灸師の森川すいめいさんは,「この国の不寛容の果てに」(雨宮処凛編著/大月書店)のなかで次のように述べています。
北欧の教育などと比較すると,日本Takeshi政治の改善のためにすべきこと (障害者自立支援法をめぐる障害者側からの運動を応援します。)「青い芝の会」のスローガンなど 脳性麻痺の人たちの「青い芝の会」があります。ここで確立された理念のひとつが「医学モデルから社会モデル」へでした。「障がい」というものが個人の皮膚の内側にある性Takeshiスリランカ人のウィシュマさんを虐待の末死なせた入管が全員不起訴に。日本国家ぐるみの虐待であり差別である。 #参院選2022世界から嫌われる日本 ウイシマさんが亡くなっても入管職員を不起訴にするのは,やはり被害者がアジア人だったからではないかという民族差別的な疑いが残ります。東京電力OL殺人事件で逮捕されTakeshi少女時代(소녀시대、Girl's Generation) 「다시 만난 세계」 (Into The New World、また巡り逢えた世界) (不定期連載、「気まぐれK-POPプレイリスト」)防弾少年団は活動休止か。 防弾少年団が活動を休止し,ソロ活動に専念するという報道が目につきます。
ふだんカトリック・ミュージックとポーランド・ロックばかり聴いている私は防弾少年団をよTakeshi1923年9月1日の関東大震災時の日本人による朝鮮人虐殺を忘れない2023年9月1日は朝鮮人,中国人及び日本人量虐殺から100周年 2019年は三・一運動から100周年で,日本政府はこのときに日本が行った武力鎮圧の事実を詳細に認めていれば,現在の韓日関係はいくらかでも好転したのではないかという正Takeshi葛西敬之JR東海会長に呼びつけられる安倍首相軍事化なくして経済繁栄を続ける日本経済のしくみ 先ごろ葛西敬之JR東海名誉会長が亡くなりました。安保法制懇の主要メンバーであり,安倍晋三の師匠的存在でした。葛西から電話があれば安倍は食事を中座してでも駆けつけTakeshi自民党の新たな性加害問題。細田博之衆議院議長のセクハラ疑惑に続いて、吉川赳衆院議員の買春未遂行為。 #参院選2022吉川議員の予想される今後。 買春未遂の吉川議員は行方不明になり,連絡がとれないそうです。
公務員や会社員が無断欠勤を続けたら厳しい処分がくだされます。
吉川議員の場合は,都内のどこかにTakeshi侮辱罪の厳罰化は自民党批判の事実上の禁止ではないか。日本の非民主化が完成してしまう。これを推進するのが自公維国。 #参院選2022萎縮効果を狙ったもの侮辱罪の厳罰化は自公維国の大日本帝国主義政党が政権批判を萎縮させ、事実上禁止するために行った暴挙です。
過去の例を見ても自民党政権が1969年に成立させた悪法「閉口君が代不起立の教員を再任用することを拒否した維新・大阪府の敗訴が最高裁で確定したのはよかった。 #維新自民党政権の御用司法君が代不起立の教員を再任用することを拒否した維新・大阪府の敗訴が最高裁で確定はまともな判決です。
しかし日本ではこういったまともな判決は極少数です。
高崎市県立公閉口高崎市県立公園朝鮮人労働者追悼碑訴訟で、大日本帝国主義側の主張に軍配をあげた最高裁の決定Takeshiさん、クテシフォンさんお二人ともコメントいつもありがとうございます。
「日本の裁判所は植民地支配を受けた人々の人権には極めて鈍感」というTakeshiさんの指摘は重いです。日本人の人権にも村野瀬玲奈スリランカ人のウィシュマさんを虐待の末死なせた入管が全員不起訴に。日本国家ぐるみの虐待であり差別である。 #参院選2022No title 仮に一般人が今回の入管のようなことをして他人を死に至らしめたら、「未必の殺意」があったとして殺人罪で問責されるでしょう。殺人まで行かなくても傷害致死罪、保護責クテシフォン高崎市県立公園朝鮮人労働者追悼碑訴訟で、大日本帝国主義側の主張に軍配をあげた最高裁の決定No title 今回の最高裁の判断は決定と言う方式が使われています。決定と言うのは一言でいうと「門前払い」であって、内容に立ち入らないまま裁判を終了させることです。
決定はクテシフォン