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ご
レフト・リバタリアニズム
では,どうしたらよいのか。しかたがないと諦めるのか。
レフト・リバタリアニズム(左派完全自由主義)という考え方があります。
ヒレル・シュタイナーが唱えた理論で,万人に自己所有権と自然資源の徹底平等な原初取得を認める完全自由主義です。
個人はそれらの所有を用いて自由に活動できる。だがその結果,人類の第一世代に社会的格差が生じる。しかし,所有権の主体は生者であり相続は一切認めない。第一世代の遺産は第二世代に平等に再配分される。また個人の遺伝的特質は自然資源だから,多く持つ者は少なく持つ者に補償する義務を負う,というものです。
こうした理論構成によって,自由と平等が均衡する社会を求めます。
なかなか優れた理論だと思います。
政治家については,世襲制というものはやめてほしいと思います。政治家が引退または死去などによって退いた場合は,5年間くらい,配偶者,子,婿などは立候補できないようにすべきだと思います。
世襲議員の質の悪さが日本の政治をだめにしています。そういった人を選ぶ国民が問題ではありますが。
麻生太郎は選挙演説で「下々の皆さん」と言って,選挙に敗れたことがあるそうです。安倍も麻生も総理の3代目でなければ,ふつうならば国政には出てこれないレベルの人間です。
「21世紀の資本」を読み終えました。
資本主義の第二基本法則
長期的には,資本/所得比率βは,貯蓄率s,成長率と以下の方程式で示される単純明快な関係を持つ。
β=s/g
たとえば,s=12%,g=2%ならβ=s/g=600%になる。
つまり,毎年国民所得の12%を蓄え,国民所得の成長率が年2%の国では,長期的に資本/所得比率は600%になる。この国は,国民所得6年分に相当する資本を蓄積することになる。たくさん蓄えて,ゆっくり成長する国は,長期的には莫大な資本ストックを蓄積し,それが社会構造と富の分配に大きな影響を与えるということだ。別の言い方をしよう。ほとんど停滞した社会では,過去に蓄積された富が,異様なほどの重要性を確実に持つようになる。
1970ー2010年最も壮大なバブルは,まちがいなく日本のバブルだった。1980年代,日本の民間財産の価値は,国民所得4年分超から急成長をとげて,
1980年代終わりには7年分近くにもなった。このきわめて急激で莫大な規模の増加は,ある程度は明らかに人為的だった。民間資本の価値は1990年代前半激減して,1990年代半ば以降の国民所得はおよそ6年分で安定した。
世界的な富の階層のてっぺんを見てみよう。1990ー2010年はビル・ゲイツで,起業による富を体現する人物だ。彼は10年以上『フォーブス』ランキングの第1位に君臨したが,その財産は40億ドルから500億ドル増加している。
一方,リリアンヌ・ベタンクールは化粧品の世界的リーダー,ロレアルの創業者であるウージェヌ・シュエレールの相続人だ。シュエレールは1907年にさまざまな髪染めを開発し,成功をおさめた。ベタンクールの財産は,20億ドルから250億ドルに増加している。どちらの財産も,1990ー2010年の年間成長率は13%超で,インフレ調整後の実質資本収益は10,11%相当だ。
つまりリリアンヌ・ベタンクールは(生涯に一日たりとも働いたことはない)は,ハイテク分野のパイオニアであるビル・ゲイツなみの勢いで財産を増やしたのだ。ひとたび築かれた財産は,資本の動学にしたがって増加して,ただその規模ゆえに,数十年にわたって急速度で増加を続けられる。特に,財産の規模がある閾値を超えると,ポートフォリオとリスク管理における規模の経済によって,規模効果が強まることに注目。資本所得のほぼすべてを再投資にまわせるからだ。
1987‐1994年,ビル・ゲイツの前に『フォーブス』ランキングの第1位を占めていた日本の億万長者(堤義明,森泰吉郎)となると,欧米ではすっかり忘れられている。だが日本の1950‐1990年の成長は歴史的に空前の水準で,1990ー2010年の米国の成長をはるかに上回っており,これには起業家たちが何らかの役割を果たしたと信じるにたる理由がある。
新聞に公開された情報とベタンクール自身が明かした情報によれば,彼女の申告所得は年500万ユーロを超えたことはない。これは彼女の富(現在では300憶ユーロ以上)の1万分の1強でしかない。個別事例の不確実性はあるが,こうした事例で税金のために申告された所得は,納税者の経済所得の100分の1以下なのだ。
各種の情報源を付き合わせると,ハーバード大学の学生たちの両親たちのJ平均所得は,45万ドルだと推計される。これは米国の所得階層でトップ2%の平均所得に相当する。
以上で引用を終わります。
今まで頭の中ではだいたいそういうことだろうと思っていたことが,数字をもって具体的に説明されると,自分の今までの理解がいかに浅くていいかげんだったが分かります。
まだお読みでない方はぜひ一読を。公立図書館にいっぱいあります。
奴隷制によって栄えたアメリカ
米国南部と北部の州を区別して1770-1810年のこの二地域の資本構造を同時期のイギリス,フランスの資本構造と比較してみよう。米国南部では,奴隷の総価値は国民所得2.5ー3年分で,農地と奴隷の価値を合せると国民所得4年分超だった。合計すると,新世界の南部の奴隷所有者たちは,古いヨーロッパの地主たちよりも多くの富を牛耳っていた。農地はたいした価値がなかったが,土地だけでなく,土地利用に必要な労働力も所有するという名案により,総資本がさらに多くなったのだ。
奴隷の市場価値を富の他の構成要素に加えると,南部資本の価値は南部諸州の所得6年分を超え,イギリスおよびフランスの資本の総価値にほぼ匹敵する。反対に,奴隷がいなかった北部では,富の総量は非常に少なかった。北部諸州の所得せいぜい3年分で,これは南部やヨーロッパの半分でしかない。
アメリカは,奴隷制という暴力と人権抑圧でもって富を集積してきたという事実には暗澹とさせられます。
最初の人類は黒人で,アフリカに発生したと一般には考えられているそうです。ところが黒人からアルビノが大量に発生し,黒人から差別・疎外されたため,肥沃なアフリカの地から北の貧しい寒冷の地であるヨーロッパへ追い払われたのだとのことです。
すると,エジプトやエチオピアにキリスト教が信仰されているのは,先祖返りと言えるのかも知れません。
人類の祖先が黒人であったならば,黒人は差別される存在でではなく,尊重される存在と考えるべきです。
格差は止めなければ止まらない
日本で労働や貧困の現場を取材してきた目から見ると,ピケティの議論はそれほど驚くべきものではない。労働条件は働く側の圧力がなければ向上しないし,貧困は見て見ぬふりをしていると深刻化する。ピケティの論は,そんな現実を無視した政治的無為に対し,経済学の数式を通して発せられた警告だ。
ピケティは,「業績のある人材は高報酬でも当然」という世界観の横行と,所得税の最高税率の引き下げが,このような高額化を招いたと述べる。「業績」がある役員は,業績のない一般社員と差がつくのがむしろ公正だという哲学に加え,最高税率の引き下げで報酬の釣り上げ分が役員の懐にそっくり入ってくるようになったことで,報酬への要求が強まっていくという分析だ。こうして得た巨額の報酬が資産に変えられ,その資産が高い収益率で増えていくことで格差は二重に増幅される。しかも,そうした経済エリートたちが,政治献金や,政権の中枢入りによって,一般の生活実感から乖離した格差拡大政策を推進していく。政治の変質だ。
日本では,格差を正面から問うことを封じ込める言説が根強い。「格差批判は成功者へのそねみ」という言説がそのひとつだ。
2006年の国会答弁で,小泉純一郎首相は「貧困層を少なくするという対策とともに,成功者をねたむ風潮,能力のある者の足を引っ張る風潮も厳に謹んでいかなければいけない」と述べた。格差の弊害に敏感でなければならないはずの政権のトップが率先して,しかも公の席で,格差批判と「そねみ」を混同する発言を行う。そんな空気の中では,低所得者は不満を感じていても,とても言いだせない。その結果,格差は社会政策上の論点にさえならない。
『21世紀の資本』は,実はこうした現状に取り組むための必要は姿勢をさまざまに提示している。
「反貧困ネットワーク」でしばしば聞くのは,「貧困は直視せずに放置すると増大する」という言葉だ。放っておいても成長やテクノロジーが解決してくれるという考え方は,それらが勝手に生きているという考え方だ。しかしそれらも人間が動かしている。成長やテクノロジーを,格差や貧困を縮小する方向で動かさなければ,それらはそのような機能を果たさない。
暗いものを直視し,それを明るいものしていくという取り組みへ踏み出すことが,本当の明るさのはずだ。
二つ目は,理屈でそれが必要だという結論に達したら,難しくてもそれを可能にする道をさがそうとい姿勢だ。ピケティの「世界資本税」について聞くと,だれもが最初は「そんなこと,できるわけがない」とのけぞる。だが,ほかに有効な手立てがないとわかったなら,それを実現する方法をあれこれ考えてみよう,というのがピケティの主張だ。
三つ目は,「オール・オア・ナッシング」の発想に陥らないことだ。
必要な方向へ踏み出してみると,さまざまなリアクションが起きてくる。それを取り入れつつ,最初の案がだめでも,そ目的は保持しつつ賛同が得られる次善の方法へと修正していけば,実現に近づくことは不可能ではない。
四つ目は,格差批判と「そねみ」の峻別だ。
格差社会とは,格差の上の方にいる人たちが,下の方の現実を無視して自分に都合のいい解釈を普及させることができる社会でもある。私たちはそれを見抜く論理力と情報力が求められる社会に足を踏み入れている。ピケティの「格差は放置すれば広がる」は,「格差は自然に縮小する」という政治的無為の正当化を,数字による実証で押し返そうという試みだ。
以上で引用終わり。
コロナ禍のもとで,毎日18円のうどんで過ごしている家庭もあると聞きます。
貧困は政治の無為によるものであり,貧困層の自助努力が足りないとするのは誤りです。
『21世紀の資本』批判
橘木俊詔: ピケティは資本所得に最大の関心を払っているし,所得や富の分
布に関しても上位の1%ないし10%のみに関心を寄せて,下位50%とい
う低所得者や低資産保有者に関しては,一つのグループとしてしか
扱われてない。日本の格差の問題の深刻さは富裕者がいかに高所得
や高資産を保有しているかという動向よりも,貧困者や資産ゼロの
人々の存在によって,鮮明に出現しているのである。低所得者や貧
困者,あるいは資産ゼロの人々も経済生活を送っているのである。
私はピケティの成果と低所得者の実情の双方を考慮して日本の格差
問題を考えたいと思っている。
伊藤誠: 現代的な富と所得の富裕上層部への再集中として進展している事実
を指摘しながら,それがいかに広範な賃金労働者階級の労働条件の切
り下げ,労働力の価値の実態をなす必要労働時間の削減,安価低廉な
非正規雇用の増大,それを促す海外途上諸国での安価な雇用の利用拡
大などと表裏をなしているかに,考察が十分およぼされない。もっぱ
ら社会の中・上層部への再分配に主要な関心が注がれている。
ピケティは,資本の引き起こす格差拡大の問題に,マルクスの示唆
していた生産手段の公有化による社会主義ないし共産主義による解決
が,より徹底的で論理整合的であることは認めながら,ソ連型の集権
的計画化が例証したその人間的災厄にてらし,市場経済の調整機能は
これからの社会にかかせないとみている。しかし,ソ連型社会の失敗
から,資本主義をこえる社会主義の可能性がすべて失われたとみる見
解もせますぎる。かりに市場経済の調整機能は少なくとも当面欠かせ
ないとしても,資本主義をこえる生産手段の公有化にもとづく,市場
社会主義の多様なモデルは,論理整合的に構想可能であり,ソ連型と
は異なる進路でのこれからの社会主義の豊かな可能性も広く対案とし
て残されている。
中野 佳裕: 全体的にみて,ポリティカル・エコロジーの視点が欠如してい
ます。ドミニク・メダやジャン・ギャドレーなどの議論には,先
進国の成熟した経済発展を物質的な豊かさを十分に生産できるよ
うになった反面,生態学的な負荷を持続不可能な水準にまで高め
ており,将来世代の生存可基盤が損なわれるという地球環境の界
面でおこる構造的矛盾に対する批判的視点があります。また,そ
こから世代間正義など,倫理学の問題も含めて豊かさを議論して
います。しかし奇妙なことに,ピケティの本書にはそうした部分
は抜け落ちています。一部では気候変動や石油などの問題には触
れていますが,それらを資源問題として,つまり経済活動の道具
としてしか自然を扱っていません。
ディヴィッド・ハーヴェイ:
利益が富裕層からそれ以外の階層へ「徐々に滴り落ちる」といっ
た例のトリクル・ダウン説(これも右派が好むもう一つの信心であ
る)は働かきはしなかったのである。いかなる数学的法則によって
も決定づけられることはない。これはすべて政治の問題なのであ
る。
需要はどこにあるか。ピケティはこの問題を用意周到なやり方で
無視している。
ピケティの数学的法則の定式は,階級政治の関わる論点を明らか
にするというより,むしろ隠蔽している。
彼の議論は資本についての誤った定義に依拠している。資本は過
程であって物ではない。資本は貨幣が多くの場合よりも多くの貨幣
を生み出すために用いられる過程を指すのであって,もっぱら労働
力の搾取だけを行う過程ではない。
以上で引用を終わります。
ピケティは,不平等は資本主義に固有のものであり,強い妨げがなければ
―民主主義を脅かし,経済成長を持続不可能にするレヴェルにまで―それを
拡大するだろう,と言っています。
分配の不平等の拡大の要因は国家の課税ルールにある。
再分配には,一方の人たちは自分のものをいくらか差し出さなくてはならないのに対し,もう一方は彼らより成功しておらず,賢くも勤勉でもないと見下されてしかるべきだ,という感じがつねにつきまといます。でも,トップの経営者たちが1980年代以降,平均1000%賢く,仕事熱心で勤勉になったた,彼らの会社の平均的な従業員は12%しかそうならなかった,というのは無理のある話ではないでしょうか。しかし,1978年以後の収入の分配は,まさにそうなっているのです。トマ・ピケティによる実証的な労作『二一世紀の資本』も,分配の不平等の拡大の要因は,経営者がとんでもない生産性を発揮したことではなく,国家の課税のルールにあるとみています。また,ある会社の高所得者は別の高所得者の会社の役員会に所属し,それによってたがいに便宜をはかりあう構造があるという事実も,ピケティは指摘しています。
公正とは,分配の公正だけを意味しません。機会の公正もふくまれます。人間のさまざまな欲求にふさわしい生活を送る機会が平等で,そのための条件に影響を行使する機会も平等にあることです。
この考え方は,国家間にも適用できます。
余剰資本に使い道として好まれた別の場所は株式市場でした。そこでは雇用をつくって稼ぐより多くのお金を,お金を使って稼ぐことができたのです。最近10年間で上位500のアメリカの大企業は自社株の購入に5兆ドルを使い,450の会社がそれに利益の半分以上をつぎこみました。特にトランプ政権の減税は,この投資をあらためて刺激しました。2018年だけで1兆ドルがこの種の投資に回されました。その効果は,根本的に考えると,数字のトリックにすぎません。つまり,市場に出回る株の数が減ることで,一株あたりの価格が上がるのです。そうなると,企業に何も変わったことがなくても,以前より成果が上がっていると思いこまされるのです。この業績にもとづいて算出される大企業経営者のボーナスも,もちろん上がります。
以上で引用を終わります。自社株の購入など債権者保護の観点からあってはならないことと,私が大学で商法を学んだときの常識でしたが,いまや一定の条件のもとで可能になっています。実際は会社に利益が上がっているわけではないのに,自社株の購入により株価が上がり経営陣のボーナスが上がるというのは,お手盛りでインチキではないでしょうか。
経済学者たちなどから見た対日戦争
後に国務長官を務めたマクナマラはキル・レシオ(Kill-Ratio)という概念を考えだしました。戦時中は陸軍航空隊にいて日本攻略の基本的作戦を練るという仕事をしていました。キル・レシオとは,日本人一人を殺すためのコストをできる限り安くあげようというものでした。限られた航空力のもとで,できるだけ多くの日本人を殺すことを戦争の目的にあげました。それが,日本爆撃の全責任を負っていた第21爆撃集団司令官のカーティス・ルメイ少将の目にとまりました。新しい焼夷弾であるナパームが開発されました。木造家屋が効率的に燃えるように,ある種の化学薬品を混ぜたものです。1945年3月10日の東京大空襲では死者8万人,負傷者5万人,燃えた家は30万軒でした。これはそれまでの戦争の歴史の中でいちばん悲惨な被害を与えました。限られた航空力でできるだけ効率的に日本の都市を破壊して,人間を殺しました。これはその後,日本の主要都市に波及し,広島・長崎への原爆投下につながっていきました。マクナマラは記録映画に出演し,「ルメイ長官はいつも言っていた。もしこの戦争に負けたら,われわれはみな戦争犯罪人として処刑されていたに違いない」と言いました。マクナマラも事実,われわれはそのようなことをやっていたんだと言いました。
ヴェトナム戦争では,限られた戦争予算のもとで,できるだけ多くのヴェコンを殺すということをヴェトナム戦争遂行の目的に掲げました。これがニューヨーク・タイムズの記者にすっぱ抜かれ,世界中からごうごうたる非難が沸き起こり,マクナマラは追い詰めれられノイローゼとなり,辞任するに至りました。
シカゴ学派の中心人物だったフランク・ナイトは,アメリカが広島と長崎に原爆を投下したことは人類の犯した最悪の犯罪であると非常に厳しく糾弾しました。広島の原爆で両親を失った女の子を養女に迎えました。息子は北海道大学低温科学研究所の教授になりました。
ヨハネ・パウロ2世はローマ教皇になる前から,アメリカが原子爆弾を広島・長崎に投下したことを人類の犯した最悪の罪であると厳しく糾弾し,教皇になってすぐに日本に行くことを希望し,1981年に来日しました。説教の中では,平和は人類にとっていちばん大事な共通の財産である,これを大事に守りましょう,と訴えました。日本の平和憲法は,人類にとって貴重な社会的共通資本だということを強調した方である,と経済学者の宇沢弘文さんは書いていました。
ツヴィ・グリリカス(リトアニア生まれのユダヤ人 エコノメトリックスの分野で世界で最も優れた業績を残した経済学者の一人)は,戦争放棄を謳った日本の平和憲法を人類の生んだ最高のものとして高く評価し,戦争で滅茶苦茶にされた自分の一生を振り返って,この平和憲法が世界で共通のものになることを強く希求していました。
なお,ミルトン・フリードマンは,自由を守るために何百万人死んでも構わない,ヴェトナム戦争のときに水爆を使えと主張して,大きな非難を浴びました。
以上の内容は,「経済学は人びとを幸福にできるか」(宇沢弘文/東洋経済新報社)から引用しました。
社会主義の弊害と資本主義の幻想
1991年5月1日,新しい「レールム・ノヴァルム」(Rerum Novarum
=ラテン語で「新しいこと」いう意味の回勅)がヨハネ・パウロ2世によって出された。それは「社会主義の弊害と資本主義の幻想」を主旋律とした感動的な文書である。社会主義のもとで,人々の自由は失われ,市民の基本的権利は完全に無視されて,多くの人々はまさに塗炭の苦しみを味わいつづけてきた。しかし,安易に資本主義に移行しても,問題は決して解決されない。ヨハネ・パウロ2世はさらに,社会主義と資本主義を問わず,過去半世紀にわたる経済発展の結果,自然環境の破壊が地球的規模にまで拡大化されてきたことを深く憂慮されて,私たち経済学者に対してつぎのような設問を投げかけられたのである。それは,資本主義と社会主義という二つの経済体制を超えて,すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ,市民の基本的権利が最大限に確保できるような経済体制は,どのような特質をもち,どのようにすれば具現化できるのか,という問題提起である。
以上で引用を終わります。「反共」や「容共」ということはもはや意味をなさないのかも知れません。アメリカは「反共」のためであれば,たとえ非民主的な軍事独裁政権でも武器を供与して支援してきました。
共産主義国が世界から絶滅してしまっても,世界中の人々が安心して暮らせる生活が必ず訪れるとは思えません。
統一教会=国際勝共連合,岸・安倍家が指導してきた自民党政治,アメリカCIAといった三すくみの「反共」体制はもはや時代遅れになっているのではないでしょうか。大事なことは資本主義であれ,社会主義であれ,すべての人々の人間的尊厳がはかられ,市民的自由が最大限尊重されることではないでしょうか。他国がどのような経済体制でいようとも,アメリカが武力で自分たちの思うままに政権を追放・樹立することはあってはならないことだと思います。
なおイランは資本主義国でも社会主義国でもなくイスラム国家であるととらえるべきだと思います。指導者を世襲制でつないでいる朝鮮社会主義人民共和国は,きつい言葉で言えば「カルト社会主義国家」,より穏やかな言い方で言えば「宗教色の濃い社会主義国家」になるのではないでしょうか。「主体思想」が後押ししています。
宇沢弘文さんは,私にとって仕事の上でお相手させていただいたことのある,なつかしい人です。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9016.ewkefc自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる自民に政権担当能力もガバナンスもない「小西議員は捏造でないことを証明しろ」と高市が喚いていますね。
予想の範囲内とされている「ゴールポストの移動」を盛大にやって「何が楽しいんだ」と怒りが湧きます。アンドリュー・バルトフェルド強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議しますNo titleポイントで釣って、今度はアニメのキャラクターで押し売りする姿勢に呆れます。
引っ越しだ何だと便利だからと言って「一生のうちにどれだけ必要なんだ」、「手続きの為にアンドリュー・バルトフェルド維新の嘘の例。維新の悪政を漂白して維新ロンダリングをする不甲斐ない報道業者。 #維新に騙されるな #マスメディアへの不満 #マスメディアへの不信No title教育の無償化をはじめこれ程維新が嘘をついてるとは思いませんでした。yoshiウィシュマ・サンダマリさんたちを死なせた責任もとらずに自民党政府がめざす入管法改正は入管法改悪である入管収容施設の実態とは アムネスティ調査員の山口かおるさんの報告を紹介します。
2022年10月後半から11月中旬まで元被収容者・現被収容者30人ほどにインタビューをしました、2022年10月末時Takeshi自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本自民なるも、の、の呪縛は解けないのか何度もスミマセン
先月、私の住む自治体の首長選挙がありました。
残念ながら現職の非自民系の候補が落選してしまいました。
また、自民なる、コンクリートと廃棄物と、月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたし>氏の中日新聞=東京新聞のコラム
>氏も自民党にとっては
の「氏」は田中優子氏の事です月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本No title>民主党((補足:)当初は ・社民連立)政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。
確かに「マニフェスト」には再分配重視が掲げられていましたし、「こども省月乃兎梅毒の感染例増加における、男女別・年齢別の非対称性について (メモ)No titleようやく(遅すぎ…)梅毒の感染増加をNHKが扱いましたか…
(「ニュース」番組でないので「「報じる」の語は使いません)
HIV感染も、日本という社会は「(いわゆる)先進国」月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたしトピズレですが…原田医師のことを書きこんだ「ついで」といってはなんですが(この「ついで」って書き方に苦痛を感じますが)
石牟礼道子氏や原田氏は水俣の公害被害・MINAMA月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本> ewkefc さん民主党政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。いくつかの経済指標も民主党政権の間は改善していました。その意味で、民主党政権は自民党とは良い意味で違うと村野瀬 玲奈第五福竜丸の史実を平和教育の教材から消して、生徒に伝えないようにする広島市教育委員会。広島は反核の地ではなくなっているのか。No title 『はだしのゲン』に続いて第五福竜丸に関する記述も削除して一体何が残るのか?現在の日本やアメリカの権力層に不利益な内容は根こそぎ排除しようとしていると疑われてもクテシフォン日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。虐殺否定罪,慰安婦否定罪の成立が必要。 2012年1月23日,フランス国民議会でトルコによるアルメニア人虐殺否定罪を成立させました。アルメニア人虐殺を否定する意見を公言した者は禁固1年と45000ユーロの罰金をTakeshi埼玉県 #草加市議会 の #河合ゆうすけ 市議会議員のヘイトスピーチと市民団体への妨害行為 (メモ)No title とどまるところを知らないColaboへの攻撃。その発端からゲーマーゲート事件(アメリカでゲームおける女性の描き方をフェミニズムの観点から批判した研究者達にゲームマニクテシフォン放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及No title>「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」
なら、政府・大企業と意見の対立する「反/脱原発」「反リニア」等も大きく月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本No title『自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9011.html
>たとえば、男女平等。先進民主国なら女性とewkefc放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及Re: 権力批判を忘れた日本社会の一端を見ました。伊東勉さん、本当にお久しぶりです。
コメントありがとうございます。ご指摘もっともです。「権力に対する批判」が疎んじられている、正確には「自民党に対する批判が疎ん村野瀬 玲奈放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及権力批判を忘れた日本社会の一端を見ました。 お晩でございます。コメントは久しぶりになります。
この問題をSNSで追ってゲンナリすることがありました。それは「権力に対する批判」が疎んじられていること。特伊東勉日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。アトランタの慰安婦像設置を歓迎するアトランタで日本の従軍慰安婦制度の史実を伝える平和の少女像が建てられました。
日本政府と多くの日本人が従軍慰安婦制度という蛮行の史実を歴史教科書から消し去り、被閉口第五福竜丸の史実を平和教育の教材から消して、生徒に伝えないようにする広島市教育委員会。広島は反核の地ではなくなっているのか。「はだしのゲン」の削除に続き広島市教育委員会は「はだしのゲン」の削除に続き今度は「第五福竜丸」を平和教育の教材から削除する方針。
第五福竜丸はビキニで超大国アメリカの水爆実験の惨禍を受けた閉口自衛隊を民主主義・立憲主義・人道主義・人権思想によってコントロールできないなら、自衛隊という組織そのものと指揮命令系統を根底から疑問詞しなければならなくなる。No title 自衛隊内に軍国主義が残り歴史修正主義が蔓延っていることを推認させるような講師の人選です。彼らの本質は結局は「日本軍」のままであり、「自分たちはすごい、正しい、クテシフォン東京都人権部は、過去にあった凄惨な人権蹂躙を検閲して隠すという歴史への蛮行を、税金を使って始めた。強く抗議します。東京都総務局人権部はその名に値しない。 東京都によるレイシズムと検閲に反対する有志一同は「東京都人権部は,歴史的事実を扱う作品の検閲を二度と繰り返さないでください。在日コリアンへの差別という重大な問Takeshiバイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪人権や戦争犯罪に大きく足を踏み出したバイデン大統領 バイデン大統領は死刑制度の廃止を主張し,人権擁護を前面に押し出しているように思います。
バイデン大統領は1915年に起きたトルコによるアルメニア人大量殺害についTakeshi건곤감리 乾坤坎離 (独立運動記念日)/ 다이아 (DIA ダイア) (不定期連載「気まぐれK-POPプレイリスト」)韓国民主化運動の流れ 韓国においては,民主化運動を画期的に前進させる事件がいくつか起きています。それらは個別に評価・検討するだけではなく,歴史の流れの中で理解した方がよいと思いますTakeshiバイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪Re: バイデンはノルドストリームを破壊したが檜原転石さん、ずいぶん冷笑的ですが、バイデンは謝罪しない方が良かったと真面目に思っているのか、お考えをおきかせください。村野瀬 玲奈「江戸しぐさ」という歴史偽造 (メモ)日清戦争における歴史の偽造 清国が朝鮮の独立をないがしろにしている,日本は「朝鮮の独立のために」戦うのだ,これが日清戦争の大義名分,天皇の詔勅でした。日本軍が王宮の外の道を行進していたとTakeshiデモへの誤解、偏見、忌避感について (メモ)韓国と日本の違い 日本の人口は1億2463万人ほどで,韓国の人口はその半分以下の5163万人ほどです。しかしながら100万人のデモでパク・クネを大統領から引きずり下ろしました。王政から帝政Takeshi自国の過去の過ちや蛮行に関する、現在の個人の責任について日本国家と個人の責任 「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実」(吉見義明・川田文子編著/大月書店 1997年6月24日第1刷発行)から一部引用します。
「自分とは関係のないことでいつもアジアTakeshiバイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪バイデンはノルドストリームを破壊したが★ジョージ・ブッシュ(パパ・ブッシュ): 米国戦艦がイランの旅客機を打ち落とし、290名の命を奪ったときに、副大統領として発言──『ニューズウィーク』1988年8月15日、「檜原転石