サッカーと貧富格差。サッカーと国家主義。サッカーと反戦行動。



『サッカーW杯直前のブラジルのデモとストを理解する。 (不定期連載「世界のデモ」)』という記事を書いたことでもありますし、W杯が始まった今、私の関心を三つ、書いておきます。第一に、なんといってもこれです。
●whats
ブラジルW杯の裏で。ブラジル国民が街に描いた20のアートが心に刺さる
http://whats.be/11734
かなりショッキングな壁面アートもありますが、ぜひリンク先で見てください。サッカーに代表される大規模商業イベントと、それが貧困層への富の再分配に逆行していることへの強烈な抗議です。20の強烈なアート、サッカーで言えば20発の強烈なシュートを決められてこちらは1点も取れずに負けたようなものです。そして、それを見た印象は、2020年に東京オリンピックが事故や重大問題などもなく、あるいはないかのように偽装されて予定通り開催された場合の日本の姿となるかもかもしれないということをすぐに私に思わせました。2020年の日本でこのような意思表示を処罰を伴う取り締まりの対象とすることを警察や政府が決定しなければ、ですが。
大きなお祭りごとは貧困層の生活立て直しにはならないどころか、貧富の差をさらに広げるだけだという事実がこれらのブラジルの壁画アートによって改めて眼前に突き付けられた思いです。
そういえば、こんな記事を書いたことがありました。
■海外でのデモの報道と、日本でのデモの報道
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4474.html
2013-06-22
■お祭り騒ぎによる政官財の利益追求よりも、地道な生活の立て直しを求めたい
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4491.html
2013-06-25
これらの記事の中で、「ブラジルが公正になることを望んでいる」という発言をしたブラジル代表のネイマール選手の発言を肯定的に取り上げたわけですが、それはよいとして、それをもって「ブラジルが優勝するといいと思う」と私が書いたのは甘かった、あるいは呑気にすぎたと、最初に紹介したブラジルの壁画アートを見た今、強く反省しています。ブラジル代表チームが敗北することを望むという意味でもありませんが、ブラジル代表チームが快進撃して優勝したとしても、それは多くのブラジル人の具体的な生活に何ら影響を及ぼさないということを知らなければならないということです。
...そして、そのことは、2020年の東京オリンピックが「成功」したとしても、日本選手がメダルを獲得した時の一時的な高揚感を除けば、国民一人一人にとっての具体的な生活向上の足しにはならないだろうということを予想させます。オリンピックとは関係なく貧者への富の再分配を強く求め続けなければならないという教訓を、W杯に熱狂していない多くのブラジル人たちの抗議行動の中に私は見ました。
第二に、これ。
(引用ここまで)●いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記
在日に対する「あなたはサッカー日韓戦で日本と韓国のどちらを応援しますか?」に回答する
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140612/1402586181
2014-06-12
(前略)
これに乗じて、あるいは全然脈略の無いタイミングで、「在日朝鮮人のあなたは、日本と韓国(朝鮮)、どちらを応援するのですか?」と尋ねられることがある。
リアル社会でも何度かあるが、拙ブログのコメ欄でこの質問をぶつけられる頻度が格段に高い。
私に言わせれば、「どっちでもえぇやん」なのだが、(リアル社会なら話は別だが)ネット社会で訊かれた時は「なぜそのような質問をするのですか?」と逆に尋ねることにしている。
スポーツのどのチームを応援するのかは、本来自由なものであるのに、何故にたまたま見つけたであろう在日朝鮮人のブログ主にそれを訊いてどうしたいのか、私には分からないからだ。
選択が自由なこと、主観や嗜好に関することを、カテゴリーが違うことのみを理由に、マジョリティの立場からマイノリティに対して、立ち位置を表明させるという行為が何を意味するのか、想像が及べばいいのだが、なかなかそうはいかないらしい。
「日本と韓国(朝鮮)、どっちを応援するのか?」には、「お前はニッポンなん?チョーセンなん?どっちなん?」という他者を選別忌避排除する要素を大いに含む。
この類の質問には、マジョリティがマイノリティを試し、仕分け、回答によって「同化」か「除斥(≒チョーセンは帰れ)」を選択し適用する、という図式が、非常に分かりやすく浮かぶ。
少なくとも、私や、ある程度の経験(笑)を積んだ在日朝鮮人にしてみれば、質問者の、潜在あるいは顕在の意識が透けて見える。
だから私は、「予防線」として聞き返す。「なぜそのような質問をするのですか?」と。
加えて、私の主観や嗜好に過ぎない応援チームをひけらかすという行為を、公開のネット上で行うという所業は、受け手や傍観者の感度によっては、思わぬ方向に培養される危険性を孕んでいる。
私は私個人であり在日朝鮮人一般を代表したり平均を取ったりする能力も資格も無い。しかし視野狭窄なネット民に捕まれば、「在日朝鮮人」一般の意見と記号化され、「在日朝鮮人がこんなことを言っている」「これだからザイニチは」「気に入らないなら帰れ」などと、新たなザイニチ叩きの燃料となることも容易に想像できる。
従って、いい大人である私は、どこの誰だか分からない、このような質問を投げつけてくる者に、無責任に自分の主観を晒すのは避けてきた。
その意味でも、「予防線」を張る。「なぜそのような質問をするのですか?」。
少々前置きが長くなったが、
このような心配事は付きまとうが、まぁしかし、賢明な訪問者諸氏なら「私の個人的主観」だと言わなくても理解するだろうし、少し思うところを書いてみようと思う。
(後略)
サッカーといえば、悪い意味でのナショナリズム、レイシズムの発露の場でもあります。日本ではそれが在日コリアンに対して向けられることがしばしばで、それに関係して在日コリアンであるkinchanさんが受ける「質問」と、それへの彼の回答です。日本人なら、この記事を読んで、kinchanさんの思いを理解してほしいと強く願います。イントロだけを引用しましたので、あとはぜひリンク先で読んでいただきたいです。
そして、第三に、クローズアップされているコートジボワールのディディエ・ドログバ選手。関連するツイートをいくつか記録しておきます。
勇敢な方ですね。国民は力づけられたでしょうね。 @sonandes コートジボワールのサッカー選手ドロクバ。ワールドカップへコートジボワールから出場。出場が決まった日、マスコミを呼び写真のように訴えた。内戦が一時停戦になったとのこと。 pic.twitter.com/mdFjp9bPP9
— バジル (@basilsauce) June 15, 2014
なぜドログバが(コートジボワールで)サッカーを超えた国民的ヒーローなのかというと、ご存知の方には今更ですが、「コートジボワール内戦を止めさせた男」と国民に敬愛されているからです(gooニュース/加藤祐子、2010年6月10日)http://t.co/syqmQ0H7sb
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) June 15, 2014
ドログバを指して「内戦を止めた男」という紹介がなされるのをこの数日よく目にする。彼が内戦後のコートジボワールで国民和解のシンボル的な役割を果たしてきたのはたしかだけれども、彼の呼びかけで内戦が終結したというようなことが実際に起こったわけではない。
— 佐藤章 (@AKR__310) June 15, 2014
「内戦を止めた男、ドログバ」という日本語報道でよく参照されている様子のソースを参考までに貼り付けておきます http://t.co/FecpsYaIgH http://t.co/jzVnvxZs4o http://t.co/1OtyJu4Fif
— 佐藤章 (@AKR__310) June 15, 2014
#ドログバ 選手は「お金のある人しか病院に行けないのはおかしい」と、貧困層の為の病院や女性・子供の為の施設を自分のお金(500億以上)を使って建設し続けている。感激! #W杯
http://t.co/kPTG05qC2S pic.twitter.com/SUt0LdyYlF
— ベリッシモ・フランチェスコ (@Bellissimoyoshi) June 15, 2014
佐藤章 (@AKR__310)さんは「彼が内戦後のコートジボワールで国民和解のシンボル的な役割を果たしてきたのはたしかだけれども、彼の呼びかけで内戦が終結したというようなことが実際に起こったわけではない」と言っていますが、もちろんドログバ選手が政治家のように内戦終結のための停戦交渉をまとめたというわけではありません。しかし、日本ですら報道された通り、彼が停戦を呼びかけたのは確かであり、彼が国民和解のシンボル的な役割を果たした、それで十分すぎるほど十分ではないでしょうか。有名人が自分の地位を使って「公共の福祉」のために政治的危険の伴う呼びかけをするというのは尊敬に値することです。
(追記。『自分のお金(500億以上)を使って』とありますが、500億円ではなくて5億円の間違いだそうですが、彼のすごさが変わるわけではありません。)
...と、ここまで読んで、「なんだ、サッカーについては何も書いてないじゃないか」と怒った方のために、「あなたはどこのチームを応援しますか?」と私がきかれたと仮定してkinchanさんのように回答してみましょう。笑
私はどこか特定のチームを応援するよりも、すべてのチームのすべての選手のプレイに秘められた向上心を応援したいと思います。たとえば、私はオープニングマッチのクロアチア対ブラジルの試合も、日本人ファン必見のコートジボワール対日本の試合も、前回決勝で激突したスペイン対オランダの試合も、試合終了後しばらくしてからニュースを見て「あ、試合終わったんだ」と結果を知ったくらいの間抜けですので、どこか特定のチームを今から気合を入れて応援しようなんておこがましいということもあります。笑
後からダイジェストでいくつかのシーンを見ましたが、素晴らしいプレイやシュートはどのチームの誰のものであっても素晴らしい、ただそれだけのことを思いました。日本の本田のシュート、コートジボワールのボニーのシュート、同じくジェルビーニョのシュート、どれも「ここしかない角度」でのシュートを絶妙にきめたように見えました。どれも素晴らしいプレイといえると思います。あるいは、オランダ対スペイン戦で、1点のリードを許した後のオランダのファンペルシーの同点ヘッドも素晴らしかったと思います。そのように、どのチームであってもどの選手であっても、素晴らしいプレイを見せてほしい、ただそれだけです。
さらに欲を言えば、貧富格差、国家主義、差別排外をあおる言動をする者が選手や関係者や報道やサポーターから出てほしくない、とも望みます。チーム単位、国単位の応援はしません。それは、私が貧富や国境や国籍や戦闘によって人々の間に対立や分断を持ち込む力に加担したくないということの意思表示です。だから、サッカー観戦はほどほどにしておくつもりです。笑
●国会議員への投書のための「議員一覧ポータルサイト」 (1)→http://taro-yamamoto.jp/お知らせ/【反tpp・反秘密保護法!】全国街宣キャラバンス/ ; (2)→http://publistella.jp/
●マスメディアへの投書のための「News for the people in Japan」マスメディア問い合わせ用リンク集→http://www.news-pj.net/link/media.html
●他の社会系ブログに行くにはうちの「私的リンク集 (適宜更新)」経由で→http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-136.html
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