コメント
全く以て怒りなんていうものを通り越して聞いて呆れてしまうと同時に、此れ程悲しいことはございませんね。
逆に、4000枚程度しか売れなければ、次の機会の時には、ノルマを3000枚に減らしてしまえば良いのだし、これならば、4000枚を売れば、これでノルマ達成することで、利益に貢献することになる分けだし、同時に、モチベーションの向上にも繋がるし、減らした分については、他の皆様と共に分かち合うことが出来る様になりさえすれば、これで十分なことですよね。
だが、これにより、会社全体としての売上こそ減ることになろうとも、赤字経営になるわけでもなく、誰一人として損することもなく、むしろ、誰もが得することが出来て、モチベーションの向上に繋がって、共に支え合い、助け合い、分かち合いながら、共に幸せに暮らすことが出来て、社会全体の安定化に繋がり、会社の経営の安定化に繋がるし、株主の皆様に対しても、責めてもの謝礼程度の配当金だけでも、還元して上げることも出来るし、税金や社会保険料等の公的負担にも、それなりに応じて上げることも出来るのならば、日本全体としても、此れ程喜ばしいことはございませんし、此れ程素晴らしいこともございませんよね。
日本の異常
警察では違反摘発の書類捏造、必要のない取締り。
これ、ノルマ主義の弊害です。
販売業の営業職だけでなく、工場職や介護職、事務職等、営業と直接関係無い所、仕事中に売れないような所までギフトのノルマはありますし、原告が勝ってこの状況が変わればいいと思っています。
詳しくは
スター以外は賃金安いがファンのために自前の派手な?高そうな私服 舞台のため多少仕方ないにしろ
娘役は鬘アクセサリーは自前 これ本当
まだたまあるけど
多少お家がお金持ちだから音楽学校やら莫大なぁかね?関係ないかもだが自爆営業宝塚歌劇団も
郵便局の年賀ハガキのは民営化なる前からだし
介護のばわいは感情労働の自爆営業
レクレーションやら季節の行事お誕生会の出し物の工夫やらなんや多少自爆かも知れない
ただし!労働組合を結成しないからとか労働組合をとか今この場では言わないこと
自爆営業労働と思ってもワーカーホリックに気がつかない方々が多く 声を出すと当事者意識のない労働者に虐められ
路上生活に追い込まれる危険がある!
現代企業の日本軍体質
この場所に投稿するのが正しいのかわからないのですが
ご参照いただければ幸いに存じます。
『セーの法則は成立するか』
「日本経済論の罪と罰」(小峰隆夫)の第1章の1は「GDPの三面等価」の説明から始まっている。
「経済成長は、GDP(国内総生産)がどの程度の勢いで増加しているかを指す概念である。そのGDPには、「三面等価の原則」という定義的な関係がある。生産(供給)、支出(需要)、所得の3つは等しいというものである。
これは、よく考えれば自然な考えである。誰かが200万円の自動車を買えば、200万円消費が増える(支出)。その支出が実現されているためには必ず200万円の自動車が生産されている(生産)。そして、おカネが渡ったのだから、必ずその支払われた200万円を所得として受け取った人がいるはずだ(所得)。すると、一定期間における経済全体の支出と生産と所得は等しくなるはずだ。
ただし、名目値では三面等価が成立するが、実質地では必ずしもそうならない。交換条件(輸出価格と輸入価格の比率)が変化すると、名目所得は同じでも、実質所得が変化してしまうからだ。この点は第6章第2節「GNI(国民総所得)から読み解く」で取り上げるが、以下では簡単化のためこの点は無視して、名目でも実質でも三面等価が成立すると仮定する。」
この説明は正しいのだろうか。
石川秀樹「速習マクロ経済学」ではこう説明している。
「三面等価を一言でいうと…
日本の国内総生産(GDP)は約500兆円です[生産面の国民所得]。その約500兆円は誰かの所得として分けられるので、国内の所得の合計[分配面の国民所得]と同じになります。また、なぜ約500兆円もの付加価値を生産したかというと、お客さんの注文があったからです[支出面の国民所得]。」
「500兆円生産したからと言ってお客さんの注文もちょうど500兆円とは限らないのではないかという疑問が出てきそうです。これは重要なポイントなので、後ほど詳しく説明します。」
「支出面の国民所得とは、国内で支出した金額の合計ではなく、国内で生産した付加価値への支出を合計した指標で、国内総支出ともいわれます。(中略)
国内総支出=民間消費+民間投資+政府支出
これら民間消費、民間投資、政府支出のうち、外国製品を買う(輸入する)場合には、国内で生産する価値への支出にはなりませんので、差し引く必要があります。また、外国人がその国内で生産する価値への支出をする場合は足す必要があります。
そこで、海外も考えると、
国内総支出=民間消費+民間投資+政府支出+輸出-輸入
現実には、国内で生産する価値への支出はこれだけのはずです。ですから、国内総生産より、国内総支出が小さい場合、生産した分より支出が少ないので、ものが売れ残り、倉庫に売れ残り品が増えます。ところが、統計上は、この売れ残った分は、その作った企業が支出したと考え、在庫品増加という項目にして国内総支出に加えるのです。
国内総支出=民間消費+民間投資+政府支出+輸出-輸入+在庫品増加
このように考えれば、統計上は、支出面の国民所得(国内総支出)と生産面の国民所得(国内総生産)とは常に等しくなります。」(同書)
「しかし、これは、統計上は、売れ残った分は作った企業が支出して買ったことにしてしまうので、等しくなるというだけで、現実の生産量と需要量(支出額)が等しく売れ残りがないということではありません。」
「たとえば
国内総生産(=生産面の国民所得)が500兆円のとき、生産した価値への支出(需要)が490兆円しかなかったとしましょう。このとき10兆円だけ売れ残りが出るのですが、統計上は、その10兆円は生産した企業が支出したとみなし、国内総支出に加えます。その結果、国内総支出(支出面の国民所得)は490+10=500となり、国内総生産(生産面の国民所得)と常に等しくなるのです。」(同書)
参照→http://free-learning.org/?page_id=390#05
小峰が描いているのはセーの法則が成立している世界であり、石川の世界ではセーの法則は成立していない。
「経済学には二つの根本的に対立する考え方がある。第一は経済全体としては過剰生産は不可能であるということ、すなわち総生産額が決められると、それらに等しいだけの総需要が常に作り出されるという見解であり、第二は総産出額が総需要を決めるのではなく、その逆、すなわち総需要が総生産額を決めるという見解である。第一の見解はセイの法則と呼ばれ、第二のそれは「有効需要の原理」といわれる。19世紀前半まで経済学界に君臨していたリカードはセイの法則を承認していたから、それはケインズによって古典派の公準と呼ばれた。このような公準は一般均衡が成立するために必要であるから、ワルラスはじめ一般均衡論者はセイの法則を認めたが、19世紀中期以後にはセイの法則を否認する学者(例えばマルクスおよび彼の追随者)が現われ、このような反対者の思想は最後にケインズの「有効需要の原理」として結実した。ケインズの『一般理論』が出版されるまでの約百年間の経済学史の主題はセイ法則の世界(リカード経済学)を転覆させて、反セイ法則の体制(ケインズ経済学)を構築することにあったと考えうる。
本書は「有効需要の原理」の立場に立っているが、そのように態度を決めてしまう前に、なぜ「セイの法則」は承認しえないかを説明しておこう。産出量が決まると労働者の賃金や企業者の所得も決まるが、彼らはそれぞれの所得の一部を消費し、残りを貯蓄する。もしこの貯蓄に等しいだけの投資が常に保証されるならば、総産出額はつねに総消費額と投資額の和、すなわち総需要額に等しく、したがってセイの法則が成り立つ。一般過剰生産は不可能であり、消費財産業に過剰生産があれば資本財産業は過少生産でなければならないからである。このようにセイの法則が成立するためには、総産出額の大きさのいかんにかかわらず、総貯蓄額に見合うだけの総投資が創出されていなければならない。
しかしこのことは不可能である。投資の意志決定をするのは企業者であって、労働者や金利生活者は関与しない。総産出額が大きい時、それに応じて総貯蓄額も大きいから、貯蓄は容易に投資を超過しうるし、産出額が小さい時には逆に総貯蓄が総投資に達しないことがある。このようにどのような産出額の大きさに対しても総貯蓄が投資に等しくなるのではなく、たまたま特定の値の総産出額において貯蓄が投資に等しくなるにすぎない。この特定の産出額は均衡産出額といわれるが、均衡値以外の産出額では貯蓄が投資以上(またはその逆)になりうるから、一般過剰生産や一般過少生産は可能である。
こうしてセイの法則は否定される。どのような大きさの産出額に対しても、その時の貯蓄にちょうど等しいだけの投資をするような投資計画改定のメカニズム――あるいはそのような改定をもたらす柔軟性――が企業者の投資決意に具備されていないからである。現実の経済では逆に、企業が決定した投資額に対して産出額が適応する。こうして均衡値の産出額を生み出す規模の生産が行われるが、このような規模の生産では必ずしも労働の完全雇用が実現されるとは限らない、企業者の投資意欲が旺盛でないときには、それに応じる均衡生産量も小さく、その結果雇用量は少なく、失業の発生は不可避である。
完全雇用に対する障害はセイの法則の下では存在しない。完全雇用を実現するような産出量の生産を行いさえすれば、それに応じる貯蓄に見合うように投資が適応して、完全雇用産出量のもとで需給が均衡する。――過剰生産も過少生産も生じない――からである。セイの法則が成り立たない経済では、少なすぎる投資は完全雇用の障害となる。そして投資意欲不足の経済では、政府が積極的に需要を発注して、需要不足を解消するか、金融機関が投資意欲を振起するような刺激を作り出さねばならない。こうして財政政策及び金融政策が本書第二部の主要課題となるが、これらの政策の副作用(財政赤字、インフレーション、スタグフレーションその他)に対処するにはどうすればよいかという問題もまた論じられるであろう。」 森嶋通夫「ケインズの経済学」序論。
この森嶋の本はもともと英語版The Economics of Industrial Societyの日本語版で、London School of Economicsの一年生用の教科書に使ったのだという。イギリスの大学生はこういうことを習っているのだ。
で、小峰と石川・森嶋のどちらが正しいのだろうか。
僕は石川森嶋の言っていることのほうが正しいと思えるが、問題は、この二人が在野の、または海外の経済学者であることだ。それに対し、小峰は「日本のエコノミスト、元官僚。埼玉県出身。法政大学大学院政策創造研究科教授。国土交通省国土計画局長、経済企画庁経済研究所長などを歴任した。」(wikipedia)だそうだ。このような人たちが日本の経済をあずかっているのだ。
竹中平蔵もと○○大臣も
「セーの法則というのがあるのだからもっと市場を信頼して…」と国会で答弁していた。
ビデオニュースドットコムで神保さんに
「貯蓄が貧困を産む、という意見については」と話を振られた野口悠紀雄が
「三面等価の法則があって、(生産された商品は)全部売り切れることになっている」
と答えていた記憶がある。
日本の経済運営は大丈夫でしょうか???
ふろくとして以前に発信した「貯蓄と貧困1」を付け足しておきます。
サラ金だって、「ご利用は計画的に」というのに、計画経済ではなくてなぜ自由主義市場経済は可能なのか。
神の見えざる手という有名な言葉があって、経済は市場の自由な運動に任せておけば需要と供給の関係でおのずから最適な位置に落ち着くのだということのようですが、でも供給と需要は全然別のものじゃないか、おコメを百俵作った人がそれを売りに出したがそのコメを必要とする人には金がなくて、コメは売れ残り人は餓死するでは最適な状態とは言えないのではないか、というと、そういうことではなくて、セーの法則、もしくは販路の法則というのがあって、供給それ自体が需要を生み出す、のだそうです。これは経済学上ではあたかも物理学におけるエネルギー保存の法則といえるものなのだそうで、どういうことかというと…
ある樵が山林地主に一万円をはらって木を切り出し、二万円で材木屋に売った。それを家具職人が三万円で買い、テーブルを作って四万円で売りに出した。各人の収入はそれぞれ一万円で、四人の収入の総計は四万円である。左側には四万円の収入があり、右側には四万円の商品がある。
もし樵の取り分が五千円であれば三万五千円の総収入に対して三万五千円の商品になり、材木屋が自分の収入を一万五千円にすれば四万五千円の総収入が四万五千円の総商品に対することになる。さらに一人の商人が現れてそのテーブルを買い五万円で売るとしても同じで一方に五万円の総収入があり反対側には五万円の商品がある。全世界の収入の総額と商品の総額は常に等しい。この二つは違うことができない。だから収入のすべてが支出されればすべての商品が売り切れる。
これは非常に優れたシステムで、もし商品が売れ残るとすればそれはその商品が市場にとって不要なものだったからであり、必要な商品である限り必ずそれが売り切れるだけの収入がおのずからもたらされていることになる。
ただしここで肝腎なのは「収入のすべてが支出される」ということで、(マルクスとケインズが批判したのもここですが)
このとき、収入の一部が支出されずに貯蓄に回されるとするとその分の商品が売れ残ることになり、その商品が売れればもたらされるはずの収入が実現しないことになる。そこに発生する貧困の量は貯蓄の量と等しい。使われずに残った貯蓄は世界の反対側に自分と等しい量の「実現しなかった収入」・貧困を生み出す。
一方で、貯蓄するということはもう消費に金は使わない、消費財はいらない、と市場がいっているわけなのだからそれだけ資本財、生産財に資源を振り向ける余裕を手に入れたのだともいえる。
資本主義の初期においてはブルジョワジーという偉大な種族がいて利潤をすべて投資に次ぐ投資に振り向け資本財、生産財を拡充し世界を豊かにしたというふうに昔習った記憶があるのですが、今の日本はカネ余りとか言って産業育成のための投資に振り向けられずに漫然と溜め込まれたままになっているのだそうで(というよりは投機目的で溜め込まれている)、するとその巨大な貯蓄の分だけ消費が不足し、実現されない収入・巨大な貧困が生まれる。
自由主義市場経済で完全雇用が実現するのは貯蓄がゼロのときで、貯蓄が存在するときは貯蓄と同じ大きさの投資をしなければ失業と貧困が発生する。
もはや投資に次ぐ投資で事業を拡大した偉大な種族が滅びてしまった現在、国づくりがあらかた終わってしまったといわれる現在では、この巨大な貯蓄を何とかするには、貯蓄している人に何とかものを買ってもらうとか、軽いインフレ状態にして今使わなければ損をするぞと脅かすとか、貯蓄分は税金で没収するぞといって強制的に支出させるとか、それでも使わなければ本当に没収して国が代わりに使ってやるとか、もしくは安い金利で借り上げて国づくりに使うとか、多く貯蓄する富裕層からあまり貯蓄のできない貧困層に所得を移転するとか、または、使わないで貯めこむだけの人がいるなら、貯めないで使う人がいればいいわけだから誰かが巨大な赤字を出して借金経営の事業をするとか、とはいってもそれだけの赤字に耐えられるのは民間にはいないだろうから国が赤字財政で何かをするとか、またはそもそもカネがしまいこまれてしまっているのだからその不足分のカネを印刷するとか、が必要になる。
投資しきれないほどの貯蓄が眠っているということはそれだけのお金を持つ資格と能力のない人の手にお金が集まっているということであり、一方にはお金がなくて失業、ホームレス、餓死、自殺が発生しているということは現在の貯蓄のシステムが重大な欠陥を抱えていということだ。失業、ホームレス、餓死、貧困…は自己責任ではない。
http://homepage2.nifty.com/okutamahomeless/jokyoshn.htm
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entewkefc「所得の不平等の原因と結果:グローバルな視点」という論文が経済格差の拡大は経済成長を止めると示唆している。自民党の日々の政治が日本の経済成長を止めていると認識しましょう。グローバル vs ローカル?続けての投稿、すみません。
「グローバル」は、ローカルがあってこそ・ローカルに資するもの(←言い方は他にもいろいろあるだろうけど)、でないといけないと思います。
一津木野宇佐儀「所得の不平等の原因と結果:グローバルな視点」という論文が経済格差の拡大は経済成長を止めると示唆している。自民党の日々の政治が日本の経済成長を止めていると認識しましょう。コンパクトかつ地域循環!!格差はもう行きつくところまで行ってしまったかな、と地方・田舎から見ていて思います。
経済、だけでなく教育、人口等は昔から大都市圏、特に首都圏に集中していて、地方(津木野宇佐儀入管難民法改悪案阻止のため立憲民主党が法務大臣への問責決議案を出したことを評価する。#立憲ボイス @izmkenta @saito_yoshitaka #改悪入管法の強行採決反対冷笑系…>アンドリュー・バルトフェルドさん
「冷笑系」の人々がいつでも転落するのが今の日本の状況だと、泥臭くても言い続けていく必要はあるかと思います。
私自身うつ病で挫津木野宇佐儀軍拡財源法案は許せない。軍拡財源法案に強く反対しない立憲民主党は軍拡反対の有権者に支持されたくないのか? いわゆる私のような生粋の左翼に「支持されたくない」のは本当でしょうね。
左翼票を喪っても連合の組織票と冷笑系の浮動票で挽回できると踏んでいるのでしょう。左翼左の人「江戸しぐさ」という歴史偽造 (メモ) 江戸しぐさなどと揶揄される江戸時代はそんなにひどかったのか。 江戸時代は暗黒の徳川家専制の時代,明治はその暗黒を取り除いたと明治政府は公言しました。たしかに江戸時代は言論の自由も表現の自由もなく,身分制度もあり素晴らしいTakeshi東京都人権部は、過去にあった凄惨な人権蹂躙を検閲して隠すという歴史への蛮行を、税金を使って始めた。強く抗議します。カチンの森事件の隠蔽という悪事 日本に酷似 1940年4月,5月に25000人以上のポーランド市民がソ連内務人民委員部(NKVD)によって銃殺されました。犠牲者は大部分が陸軍将校であったものの,知識人,大学教授,学校Takeshi法的根拠のない「国葬」を日本国民が止められないなら、自民党による戦争や暴政を止められるのだろうか。だから #国葬反対 #今からでも国葬中止を #国葬を国民の力で葬ろう権力者は身の危険に対して鈍感 安倍晋三は,たしか身の安全をはかるようにと国会で野党議員から助言されていたかと思いますが無視しました。岸田文雄も安倍の前例があるにもかかわらず,まさか自分が狙Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。まだまだコロナには注意が必要,マスクも必要私の先輩で高齢の友人が新型コロナに感染しました。夫婦二人暮らしで推奨されるワクチンはすべて接種していました。喉に死ぬほどつらい痛みがあり,何をする気力もなく,こTakeshi入管難民法改悪案阻止のため立憲民主党が法務大臣への問責決議案を出したことを評価する。#立憲ボイス @izmkenta @saito_yoshitaka #改悪入管法の強行採決反対冷笑系を唾棄したいFAXによる請願で、件の政策秘書と同様に「そんなのをやっていたら市民運動の言うことを誰も聞かない」などと喚き散らすのが見られます。
そういう冷笑バカは、「対案を出アンドリュー・バルトフェルド小規模市民運動のためのヒント(メモ)No title「サイレント」と聞いてグレタ・トゥーンベリさんが真っ先に頭に浮かびます。
彼女は一人で運動をはじめ、それが世界にまで広がっていった…すごいですよね。津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title『「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.ewkefc国会前で #入管法改悪に反対 した5500人(2023年6月5日)No titleでも
5500人の方々が集まってくださったことは、一筋の光明だと思います。
地方在住でパニック発作もあり、なかなかデモには参加できないのですが、地方からもできるだ津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title全くそうですね。
戦後の長年の保守政権、その流れをくむ自民の憲法軽視(アベ以降は憲法無視!)が、戦前からの「拷問及び残虐な刑罰」的体質を矯正するどころか、許し続け津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title もともと入管当局というのは特別高等警察の残滓みたいな組織でした。周知のように特高とは大日本帝国の暗黒面を代表するような組織であり、多くの人々を拷問にかけ痛めつクテシフォンまた核発電所大規模事故を招くもとになる可能性のある原発回帰推進法の自国維公による可決に抗議する原発回帰推進法の可決に強く抗議する選挙で信を問うこともなくGX脱炭素電源法が政府与党とその補完勢力である維国の賛成で可決されました。
GX脱炭素電源法とは名ばかりその実は原発回帰推進法そのもので閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。#改悪入管法の強行採決反対入管法改悪をめぐって政府与党の問題が次々と明るみに出ています。
難民審査「1年半で500件」は可能なのか、不可能なのかについて齋藤法相は答弁を180度転換、ただただ閉口閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。No title立憲は、「てめえを踏みつけている奴らに媚び売ってどうすんだ」というのを何度も思います。
泉が平熱パニックおじさんの番組で飲みながらヘラヘラやっていたし、枝野がプアンドリュー・バルトフェルド津野香奈美著「パワハラ上司を科学する」(ちくま新書)No title日本では「上司」=管理職が何たるものかが理解されずにずっーと来ましたよね。
「仕事ができる=管理職=出世」ではなくて、労務管理能力のある人が管理職なんですけど。津木野宇佐儀デモの精髄を、フランスの年金カイカク反対デモに学ぶ。「もし私たちが私たちの両親の年金のために闘わなかったら、誰が私たち自身の年金のために闘ってくれる?」 (2)No title日本でもかつて「売上税」阻止をデモとメディアの攻勢で廃案に持ち込んだことがありましたよね。
本当は日本でもできた・「できる」ことなのですが…
日本国、否、自民国JAP津木野宇佐儀#入管法改悪反対アクション に取り組む人々の姿が、辛うじて日本国の人権意識の消滅を防いでいる。No title 週刊新潮や産経新聞の記事は、これらのメディアが人権など一顧だにしない事、ひたすら保守政権の後押しをする集団であることを如実に示しています。予想通りの行動を採るクテシフォン国会議員の居眠りについての自民党・河野太郎の言い訳(メモ)自分達の事ばっかり何から何までろくでもない野郎ですね。
主張する事は、常に自分達特権階級の擁護ばっかり。
庶民が、病院でマイナカードの不具合で受診できまいがお構い無しで、不具合隠K.Mina相模原市の障がい者虐殺事件の容疑者が釈放されてニュースキャスター長谷川豊の名でネットメディアで「透析患者を殺してもよい」と言っているのかと思った。精神障害者である自分を肯定する人もいる。 昔は精神分裂病と言われた統合失調症は100人に1人がかかるごく一般的な疾患なのだそうです。日本の人口が1億2000万人であれば120万人が罹患していることになります。発祥Takeshi自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議しますNo title>ブログ主様
>まだまだ闘わなければ日本の民主化は成し遂げられません。あきらめた時が負けです。
>決して腐ることなく、戦い抜きましょうと、多くの人に呼びかけ津木野宇佐儀自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議します私はマイナンバーカードを持ちません。 私もマイナンバーカード取得強制に反対でコメントを2日前から投稿したのですが,F2ブログからはねられていました。よくあることですが。
私のもとには過去に市役所Takeshi問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します まだまだ使えて誰も不便に思ってない道路をわざわざぶっ壊して新しい道路を作るようなことは東日本大震災の被災地ではよく見る光景です。復興という錦の御旗があれば無駄左の人問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します朝日の劣化ここ数日で「朝日は滅びろ」というのが強くなりました。
成果が疑わしいG7の報道でも「何を食った」とどうでもいいことをやっていて「核軍縮」の退行を流しもしない。
最アンドリュー・バルトフェルド首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。 (2)くだらん擁護が悪目立ち青瓦台で同じことがあれば、トチ狂ったように連日報道業者が喚き散らします、絶対に。
「他人の振り見て我がふり直せをやったら死んじゃう病患者」が余りも多すぎる証左にアンドリュー・バルトフェルド入管法改悪は自民党政府による外国人へのさらなる虐待のようなものです。 #入管法改悪反対No title 立法事実(その法律が必要とされる社会的事実)が存在しない法律は、それだけで憲法違反となるというレベルのものです。内容面でも問題だらけの法律案ですが、それを無理やクテシフォン