村野瀬玲奈の秘書課広報室
社員一人のサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」秘書課勤務の村野瀬です。消費税収入は社会保障に使われずに法人税減税に回っただけって知ってました?まるで国民から大企業への利益の直接補てんですね。有権者と政治の距離を縮めるため、国会議員名簿の活用を!
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「歴史修正主義者のみなさま、素人論議で『素人』を言いくるめて『素人』のブログのコメント欄に貼り付けても新しい学説としても真実としても確立なんてしませんってば。」の記事に続き、歴史修正主義の話をもう少し続けます。歴史修正主義者のあれほどの「熱心さ」の動機は何なのか、それを探りたいとしばらく前から思っておりました。今回、次回と二度この話題を続けますが、今回は、思索の材料の一つとして、ほかの方の記事を紹介することから始めます。
「スター(star)」というハンドルネームのこの方は中等教育機関の先生です。私はこの方とブログ上でのやりとりがひんぱんにあったわけではありませんので(でも、私の私的リンク集には以前から入れさせていただいています)、こういう形で私の思索の手がかりにするのは文脈違いかもしれないのですが、自分自身がこの先生の立場だったらどうするだろうと想像してみることは考えを深めるために役立つと思いますので、お許しいただきたいと思います。ここでは一部だけ引用しますが、リンク先で全文お読みになることをおすすめします。
●キリスト者として今を生きる
私は南京大虐殺について教えるべきではなかったかもしれない
http://blogs.yahoo.co.jp/starstory60/37817592.html
「スター、百回死ね!」日直日誌にそう書かれていた。今から15年も昔のことである。このトラウマをその後、何回も何回も繰り返し反芻してきた。私がバーン!と教卓を叩くと、それを合図にしたかのように生徒たちは爆発し、「倫理の教師を変えてほしい」という署名用紙を一人の生徒が教卓に叩きつけ、「これが答えだ!」とどなった。教室は騒然となり、生徒たちは何かに取り憑かれたような異様な目をして叫んでいた。一人の生徒が金属製のロッカーをバーン!と蹴飛ばしたのとチャイムが鳴ったのは同時だった。
この出来事を自分以外の誰かに向けて書くことができる日が来るとは思っていなかった。だから今、私は素直に嬉しいのである。この出来事について書くとすれば、それは生徒たちを非難し、自己正当化することになると思っていた。事実私は生徒たちをずっと心の中で非難しつづけていた。同時にそんな自分が一面からしか物事を見ていないのではないかという思いがつきまとい、書くことも語ることもできなかったのだ。私が教師を今まで続けてきた最大の動機は、この出来事の意味を理解したいという思いだった。この出来事から1年後に私は結構な給料をもらっていたその学校を辞め、給料4分の1の東北地方の小さな学校へ転勤した。この小さな学校で、私は傷を癒された。あんなにも生徒に憎悪された私を愛してくれ、一人の生徒は卒業のとき、「今まで出会った先生で、こんな充実した授業をして下さる先生はいませんでした」と言ってくれた。生徒たちとの関係において、その後も私は極端な教師であり、反発されるか愛されるか、どちらかであった。そして実を言うと、その原因を私は心の底で、生徒の資質に帰していた。自分に反発した生徒をやはり心の底で非難していたのだ。そしてそんな状態の自分は、やはり上の出来事について書くことも語ることもできないままだった。
あんなにも理解したいと思った15年前の出来事の意味を、私は昨日、ついに理解しえた(と思った)。教えてくれたのは幼い中学一年の子供たちである。なぜ、どのようにして、というのは後回しにして、「百回死ね!」と書かれた直前の出来事について書こうと思う。
私は、南京大虐殺で一人の中国人を殺した日本兵の手記を高校の「倫理」という授業の中で扱っていた。(当時私は英語ではなく社会科を教えていた。)日本兵の心のゆらぎ、中国人を殺そうとした瞬間に「自分の郷里の柳川のおっさんの顔を見てしまった」日本兵は、剣を振り下ろす手が鈍り、結局殺すことはできず、陣地に連れて帰る。連れて帰った陣地では、「いつも口先ばかりえらそうなことを言っている上官に対する反発」が兵士たちの中にあり、兵士たちはこの上官に「殺すなら殺してみろ」と暗黙の集団圧力をかけ、上官はこの中国人を自らの手で殺さねばならないところに精神的に追い込まれる。「お前たちのせいで」といういまいましい思いの中で、上官は顔面蒼白になりながら中国人の首をはねる。「グニャリと生々しい音がした」。
「人間はいかにしたら残虐になれるか」が授業のテーマであった。自分で選んだテキストについての私自身の読みは、「人間は『自分』として自分自身の行為に責任を持つことから離れ、自分以外のものに行為の責任を帰したとき、いくらでも残虐になれる」だった。「上からの命令だったから」「部下たちの圧力のせいで」「みんながしているから」…そんな言い訳は「自分が自分の決断で今、一人の生身の人間を殺すのだ」という戦慄を麻痺させ、平凡な心やさしい人間に残虐行為をさせてしまう。アイヒマン実験をも引きながら、この読みへと私は生徒を「誘導」した。私はテキストに対する自分のこの読みに確信を抱いていた。生徒の意見をきき、生徒が答えると、さらに質問を重ねた。私は私の読みを押しつけなかったが、生徒の答えに執拗に質問を重ね、生徒たちが答えられなくなるところまで追い込んだ。そして生徒たちは叫んだ。「押しつけだ!」
(以下略...リンク先でごらんください)
スターさんのいる「教室の中の、先生と生徒の関係」と、私が直面している「ブログ界の中の、考え方が違う者どうしの関係」とは全然違います。また、スターさんの経験をそのまま同じように私が内面化することもできないでしょう。(私はスターさんではないのだから。)でも、スターさんの記事は、私の思索に一つの後押しをしてくれたように感じます。
(ついでに、念のために付け加えると、当時のスターさんの生徒たちを単なる歴史修正主義者とみなしているわけではありません。)
教室という、ある意味で「強制された」空間で、目上の先生に教えを受ける「生徒」はそこからすぐに立ち去ることはできないから、教員に対する反発もありえると思います。
スターさんは「教師が自分の『主体』をかけ、その問題意識に生徒をも立たせることは、はたして『権力者の横暴』ではなかったか」と自問されています。私も自分の主体を(それなりに)かけてブログを書いていますが、その問題意識に読者全員をたたせることは不可能だということも知っています。それでも、手紙の入ったビンを海に流して、それがどこか離れた陸に打ち上げられて誰かに拾われて読まれることを願うことは「横暴」なことではない、ということは私の思いとして否定されたくない、そのくらいのことは言ってもいいですよね。
ブログで意見を書いた時に強い反発を受ける場合ってなんなのでしょうか。自分の気に入らない意見なら無視すればいいのに、強く反発するコメントを入れる動機ってなんなのでしょうか。私は、そういう場合は、その意見が「無視できない力」を持っているからで、反発を受けるということはその記事が成功したからだと思うことにしています。
そのためにわざと反発を買う記事を書きたいわけではないけれど、次の記事では、歴史修正主義に反対する私の記事についたコメントを見ながら、歴史修正主義を唱える動機について考えてみて、私が歴史修正主義に反対する動機を今一度言葉にしてみようと思います。
(ということで、次の記事に続きます。)
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4件のコメント
[C1722] 母性社会
- 2007-11-28
- 編集
[C1725] 歴史修正主義者の正体(その2)
それに対して戦後民主主義には否定的、平和憲法の改憲を主張しています。安部前総理大臣を見ればわかると思います。
彼らの動機は?それは、平和憲法下の戦後民主主義から脱却させることにあるように思います。
彼らは日本をどういう国にしようとしているのでしょうか?それは右の全体主義的な国家主義国家日本、覇権主義国家日本、大国主義国家日本ではないでしょうか。国民にとってはまさに悪夢です。
- 2007-11-28
- 編集
[C1807] お返事遅れてすみません。
- 2007-12-05
- 編集
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4件のトラックバック
[T6483] モリヤ夫タイホー。しかぁ〜し、トカゲの尻尾切りで終わらぬように!!!
- 2007-11-28
- 発信元 : 晴天とら日和
[T6481] 世界一高い戦闘機・・買う気??
- 2007-11-28
- 発信元 : お玉おばさんでもわかる 政治のお話
[T6480] 今日退院しました
- 2007-11-28
- 発信元 : Dendrodium
[T6479] 117:労働2法案…参院で可決…自公民の賛成で!
- 2007-11-28
- 発信元 : SIMANTO BBS
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実に母性ほど厄介なものはありません。なぜならそれは、善悪の判断よりも場の協調を重んずる精神だからです。
百人の人間がいて、その百人全員が私と反対の意見を持っていても、私は何も感じません。同調する気もありませんし、逆に反発することもありません。
私は彼らを自立した個人としてみなしますから、必要があれば対立しますし、必要がなければ何もしません。
しかし、その百人が血縁なり親族であるならば、たった一人でも非常に厄介です。
なぜならそれは、「優しさ」「善意」をもって同調を迫る、母性社会の典型だからです。家族をまったく他人のように扱うことは困難です。
そして学校は、軍隊は、この母性を色濃く残す集団です。教師と生徒、上官と兵士の関係は、契約ではなく身内意識で結ばれています。
その結果、時に上官は兵士の歓心を買おうとしてしまい、時に生徒は教師をうっとうしく思う。
日本の歴史修正主義の末端から感じるのは、彼らの「認めてほしい」という気持ちです。
特に女性が運営するブログの場合、まるで高校生男子が、「わかってない」母親に愛憎半ばする気持ちをぶつけているかのようなコメントが見られます。
それは、賢い自分を認めてほしいという、精いっぱい背伸びした立ち居振る舞い、と言えます。