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『
安倍晋三首相の国連総会での演説は日本での政治と正反対のことばかりではないのか。』の記事と、『
安倍晋三は女性を経済成長の道具として使いたいだけのように見えます。 (国連総会演説)』の記事で書いたように、安倍晋三首相が国連演説で女性をテーマにしました。しかし、日本の男女平等度は世界的に最低レベルであること、日本では男女間の不平等が客観的に見て大きいことを忘れてはなりません。そして、安倍自民党政権はそれを改善する具体的で効果のあるアクションを起こしていないということも忘れてはなりません。
その例の一つとして、選択的夫婦別姓制度の導入が日本で進まないことがあげられます。ほとんどの婚姻で姓を変えるのは女性であるという圧倒的不平等を改善するために選択的夫婦別姓制度の導入を希望する人が大勢いるのですが、それに執拗に反対する政治勢力が自民党です。国連での安倍演説が女性重視だというのは誤った過大評価、あるいは嘘です。国連での安倍演説をほめるのは早すぎます。というか、国連での安倍演説を決してほめてはなりません。
たとえば、日本人に心理的に本当に男女平等の感覚が浸透しているとしたならば、冒頭のお笑いネタに出した「プロポーズ」には、ほかに次のバリエーションがあるべきなのです。
「俺の名字読みにくいんだよ。お前の使わせてくれよ」
「あなたの名字読みにくいよね。あたしの使いなよ(はあと)」
読者のみなさん。特に男性のみなさん。この二つの「プロポーズ」に抵抗はありますか、ありませんか?前者を自分から女性に言いますか?後者を女性から言ってほしいですか?
しかし、実際に流通しているこの手のお笑いツイートは、女性が旧姓を捨てる選択しかないことを絶対的に肯定するこの記事冒頭の一つだけです。これこそ、日本が男女不平等の国であることの動かぬ証拠です。
...と大上段に振りかぶった(笑)前置きの後は、
夫婦同姓を強制する男女不平等推進教という「信仰」の問題点を鋭く突いたあそびたりあんさんのブログ、「祭りの後の祭り」の記事を紹介しましょう。二つあげたあそびたりあんさんの記事のうち最初の「夫婦同姓強制論の知的崩壊」は、私の記事、「
選択的夫婦別姓制度への抵抗を憂う (2)」をきっかけに発展させて書いていただいたものです。
●祭りの後の祭り
■夫婦同姓強制論の知的崩壊
http://d.hatena.ne.jp/asobitarian/20130221/1361429252
2013-02-21
(前略)
私の関心は、強制的夫婦同姓制度の支持者はなぜ選択的夫婦別姓制度に反対するのか、ということなのだが、村野瀬さんの引用されている東京新聞の記事を改めて読み直した。
記事によると、選択的夫婦別姓制度導入のための民法改正の可否について、「必要はない」が36・4%(2006年の前回調査と比べて1.4ポイント増)、「改めても構わない」が35・5%(前回比1・1ポイント減)、旧姓を通称として使える法改正は容認するとの回答は24・0%(前回比1・1ポイント減)ということだが、まず、この選択肢の立て方が異常ではないだろうか。
選択的夫婦別姓制度導入の是非を問うのであれば、当然、選択肢は、導入のための民法改正を「すべきである」、「すべきでない」、「どちらとも言えない(わからない)」の3択となるはずである。さらに、通称使用を可能にするために法改正については、「すべきでない」または「どちらとも言えない」と答えた人のみを対象に、「容認する」、「容認しない」、「わからない」の3択とすべきであろう。通称使用のための法改正というのは、選択的夫婦別姓制度導入のための法改正が通らない場合の苦肉の妥協策にすぎないのだから、通称使用のための法改正への認否を、選択的夫婦別姓制度導入への賛否と同時並列的に問うというのは、論理的に無茶苦茶である。
さらに、選択的夫婦別姓制度導入のための法改正の賛否を問うのに、「必要ない」という選択肢は一体、何を意味したいのであろうか。必要性の認識は一人一人違うわけだから、個人的な必要性の有無など、法改正への賛否とは本来全く無関係である。「私には必要ないが、必要としている人がいる以上、法改正はすべきである」と考える人がいてもいいはずである。いや、そうではない、「必要ない」というのは、個人的必要性がないというのではなく、社会的必要性がない、という意味だ、と反論する人がいるかもしれない。そうであれば、「必要」などという曖昧な言葉を使わず、法改正「すべきである」か「すべきでない」かを問うべきであろう。社会の中に必要とする人と必要としない人がいる場合に、社会的必要性などと言ってごまかすべきではない。
さらに腹立たしいのは、「改めても構わない」という選択肢である。「改めても構わない」などというのは、「自分は特に積極的に法改正を支持するわけではないし、大して関心もないが、まあ改正しても別に構わない」という消極的で無関心な態度を示唆している。法改正のために運動してきた人々や、心から法改正を願っている人々に「改めても構わない」などという選択肢を選ばせるというのは、法改正推進派を愚弄し、心底からバカにするものではないだろうか。
ついでに言うと、東京新聞とは別の報道によると、「改姓したくないために婚姻届を出さない夫婦がいると思うか」という質問項目があり、「いる」が61.3%、「いない」が29.4%だったという。「改姓したくないために婚姻届を出さない夫婦がいる」か否かは事実の問題であり、「いる」ことは紛れもない事実である。ところが、「いると思うか」などという質問に一体どんな意味があるというのか。無知で傲慢な回答者の割合を調べるための質問なのか!? さらに言えば、「婚姻届を出さない」夫婦、つまり事実婚の人が届を出さない理由は「改姓したくない」だけではない。そもそも夫婦同姓強制制度という差別制度を容認しないために婚姻届を出さないカップルもいるのである。(例えば私と連れ合いは25年前からそうだ)。
さて、東京新聞の記事によると、「名字が違っても家族の一体感には影響がない」との回答は59・8%で、前回比3・8ポイント増。逆に「名字が違うと家族の一体感が弱まる」は36・1%で3・7ポイント減であり、これは調査開始からの一貫した傾向であるという。この質問がなされた理由は、夫婦別姓反対派が掲げる最大の論拠が「名字が違うと家族の一体感が弱まる」ということなのだが、すでにこの根拠は世論の支持を失っており、しかもこの支持喪失傾向がますます強まっていることが示されている。
しかも、この質問もずいぶんとおかしな質問である。「名字が違うと家族の一体感に影響がでるか(弱まるか)」というのは、具体的には「夫婦別姓を選択した夫婦のつくる家族は一体感が弱まるか」ということだろう。しかし、「弱まる」と考える人(家族の一体感はひとえに名字の一致にかかっていると考える人)は夫婦別姓を選ばなければいいだけのことであり、そう考えたからといって選択的夫婦別姓制度に反対する理由にはならない。それが結び付くと考えるのは、夫婦別姓で家族の一体感が弱まると夫婦別姓を選んだ家族がかわいそうだから、そうならないように、夫婦別姓を選択する自由と夫婦の平等権を法律によって剥奪したままにしておかなければならない、という理屈が成り立つ場合だけである。しかし、こんな理屈が成り立たないことは明らかである。第1に、夫婦別姓が家族の一体感を弱めるという証拠は私の知る限りない。第2に、夫婦別姓を選択する自由と夫婦の平等権を法律によって剥奪したままにしておかなければならない、というのは、根拠なく自由と平等を法律で剥奪してよいとする考え方であり、立憲主義の下では許されない考え方である。
第1点について補足する。「夫婦別姓が家族の一体感を弱めるという証拠は私の知る限りない」と書いたが、もし仮に、事実婚の夫婦百組と夫婦同姓法律婚の夫婦百組を無差別抽出し、様々な質問によって夫婦の一体感を調べる意識調査を行ったとすれば、おそらく平均すれば事実婚の夫婦の方が夫婦の一体感は強いのではないかと思う。なぜなら、事実婚を選択する夫婦は、女性の自立心が強く、夫婦が互いに相手を尊重し、平等を重視する人権意識が高いと思われるからである。もちろん、法律婚で一体感の高い夫婦もたくさんいるが、それと少なくとも同じくらい一体感の薄い夫婦も多いだろうから、平均すれば、事実婚の夫婦の方が一体感が強いだろうと私は推測する。
第2点についても補足する。現行の夫婦同姓強制制度のおかしさについては、これを自明視している人にはなかなか理解してもらえないようである。奴隷制度があった時代のアメリカで、これを自明視していた人々が多かったのと同じなのかもしれないが。
日本国憲法は「法の下の平等」(14条)という大原則の下、家族生活については、「夫婦が同等の権利を有すること」(24条1項)や「個人の尊厳と両性の本質的平等」(同条2項)を定めている。ところが、婚姻後の氏(姓)については、民法750条が「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と、夫婦同氏(同姓)原則を定めている。現実には圧倒的多数の夫婦が夫の氏を称していても、それは夫婦が「自由に」決めた結果だから、男女平等には反しない、とされているようである。しかし、この解釈は完全に間違っている。現実に圧倒的多数の夫婦が夫の氏を称しているのは、夫婦が「自由に」決めた結果ではなく、社会的同調圧力によって妻の氏を称することが心理的に極めて難しいから、というだけではない。この制度では、夫婦に同一の権利を保障できないことが本質的な問題なのである。例えば、「夫婦は婚姻の際、夫又は妻の一方を家事育児の責任者とする」などという法律があれば、それが夫婦の平等に反するものであることを看取することは容易であろう。ひょっとして、これでもまだピンとこない人がいるといけないので、「夫婦は婚姻の際、夫又は妻の一方を主人、他方を奴隷と称することを自由に決定する」という法律を想像してもよい。これはやや極端に戯画化したものではあるが、強制的夫婦同姓制度も本質的にはこれと同じである。「夫の氏でも妻の氏でも自由に決められるのだから平等に反しない」などという議論は全く通用しないのである。
さて、選択的夫婦別姓制度導入反対論の理由として、「家族の一体感が弱まる」というのは世論の多数の支持も合理的根拠もないことはすでに述べた。したがって、選択的夫婦別姓制度の導入に反対する人々はそれ以外の理由を提示しなければならないはずである。ほかに何か理由はあるのだろうか?
ここでようやく、村野瀬さんの記事に戻るわけである(やれやれ…)が、その記事のコメント欄に極めて“興味深い”異様な意見が載っていた。それによれば、反対の理由は「めんどくさいから」だそうだ。夫婦は統一した姓であるほうが単純でわかりやすいから、というのである。法律婚をするとき、改姓する方(圧倒的多数は女性)は、改姓のために何度も役所や銀行などに足を運び、多大な時間をかけて面倒な手続きをしなければならない。私が経験者に聞いたところでは、それは実に「めんどくさい」ものらしい。改姓しなければ何の手続きもいらないが、改姓するには多大な手続きが必要となる。どちらが面倒かは言うまでもない。しかも、離婚をして旧姓に服する場合には、再び手続きが必要となるだけでなく、結婚・離婚という本来私的な出来事をそれによって公表させられなければならないのである。研究者などであれば、独身時と結婚後で姓が変われば、同一人物であることを示すために、婚姻後の姓と婚姻前の姓(通称)とを併記するといった煩瑣な手続きも避けられない。さらに、面倒なのは、時間的・物理的な面ばかりではない。心理的な負担も大きい。名前は自己のアイデンティティの一部を形成しているから、改姓後しばらくは、「他人の名前で呼ばれている」ような違和感を拭えないだろう。この違和感は本人だけのものではない。本人と親しかった知人・友人も新しい姓に馴染むのには時間が必要となるであろう。一体どちらが面倒なのか、議論の余地はないであろう。
さらに、当該コメント氏は、「夫婦別姓を主張する人は、「事を簡略化したいと思う私の権利を、侵害していますし、簡略化の為、夫婦同姓を望む人に不便を強制しています」と述べているが、驚天動地の権利観である。「事を簡略化したい」とか「簡略化の為、夫婦同姓を望む」というのは、単なる個人の好き嫌いである。単なる個人の好き嫌いが「権利」になるのであれば、「あんたの存在はあんたの存在が嫌いな私の権利を侵害している」などというトンデモ論も成り立ってしまうことになるであろう(バカバカしい!)。
さらにさらに、このコメント氏は、「別姓を唱える人も、同姓を唱える人も、それぞれの思いがあり、どちらかが一方的に、卑下される存在ではないと思います。どちらかの説が一方的に優れていて、どちらかが一方的に劣っているとも思いません」と言い、「それぞれの他人の意思を尊重しなけら〔ママ〕ばならない」と言いながら、「「必ず、選択的夫婦別姓(もしくは夫婦同姓)にしなければならないと思わなければならない。」という事もおかしいと思います」と書いている。「別姓を選択したい人」の意思も「同姓を選択したい人」の意思も等しく尊重するのが選択的夫婦別姓制度だということも知らないで批判しているのか、知ってはいるが“超論理(非論理)的思考能力に優れている”のか、どちらなのだろうか。
■人権について(17)
http://d.hatena.ne.jp/asobitarian/20120905/1346808662
2012-09-05
(前略)
統計によると、結婚で改姓するのは、96%強が女性だそうです。逆に結婚で改姓する(妻の姓を選ぶ)男性は、3.7%(2010年)で、1975年の1.2%から徐々に増えてきてはいるものの、まだまだ圧倒的少数派です。最近は、夫が妻の姓に改姓することを「女性婚」と呼ぶのだそうです。私はこの言葉を9月1日の東京新聞夕刊で初めて知りました。でもちょっと変じゃないですか? 夫の姓を選ぶ場合(つまり圧倒的多数の場合)を「男性婚」とは言わないでしょう。なぜ逆の場合だけを「女性婚」と呼ぶのでしょう。(まぁ、こういう表現は「女優」とか「女子アナ」とか至るところに残ってますけどね。)もちろん珍しいからでしょうが、なぜ珍しいのでしょう? 言い換えれば、なぜ結婚(法律婚)する夫婦の大半が夫の姓を選択しているのでしょうか? 「両当事者の自由かつ完全な合意」によって、96%以上の夫婦が夫の姓を選択しているのでしょうか? そうではないでしょう。法律上は、「夫又は妻の氏」のどちらかを自由に選べばいいことになっています(民法750条)が、実態は「結婚したら夫の姓を名乗るものだ」という“世間の掟”が暗黙の重圧を加えているのではないでしょうか? これでは、法律上はともかく、実態として男女平等とは言えないのではないでしょうか? では法律上は男女平等だと言えるのでしょうか? 形式的には「男・女」平等と言えるのかもしれませんが、しかし疑問は残ります。婚姻の際に夫婦の氏と決めた方は、戸籍筆頭者になり、これまで通りの名前でいいのですが、他方は自分の呼び慣れた(呼ばれ慣れた)姓を捨てることを余儀なくされ、姓の変更に伴う様々な手続を強いられ、自分の周囲の人々にも結婚(や離婚)の事実を周知することを余儀なくされ、友人たちには呼び名の変更に伴う幾ばくかの戸惑いを与えることになります。姓を変える方(あるいは変えない方)が夫であれ妻であれ、両者の関係は対等とは言えないのではないでしょうか。
こうした不合理と不平等を改めるために、20年以上前から選択的夫婦別姓制度の導入が提唱されていますが、国会議員の中には強硬な反対論者が多数いるため、未だに導入には至っていません。反対の理由は「家族の一体感が壊れる」のだそうです。余計なお世話なんですけどね。
まぁ、この分野では、私は能書きを垂れるよりも、自己反省と実践における改善を心がけるべきなので、最後に150年以上前にJ・S・ミルが書いた文章を紹介して、お茶を濁します。
結婚した男女が法の前に平等であるということは、この特殊な関係が双方にとって正義と矛盾せず、かつ双方の幸福ともなりうるための唯一の形式であるばかりではなく、これこそ人類の日々の生活をもっとも高遠な意味における道徳的教養の学校たらしめる唯一の手段でもある。この真理が感得され一般に認められるのは、なお何代かのちのことになるであろうが、純粋な道徳的情操を養う唯一の学校が、対等な人間の社会であることには誤りがない。(……)
いかなる種類の命令権も、それを必要とするのは例外の場合であり、大抵は一時的な便宜にすぎないとする、そしてできるならば、指導と服従とが交互的相互的に行われる社会をえらぶ。ところが現在の生活様式に派、これらの徳を収斂によって養い育てるという点は一つもない。家庭は専制主義の学校であり、そこでは専制主義の美徳が、むろん悪徳とともに、大いに培われている。自由国家における市民資格はあるていどまでは平等社会の養成所であるが、しかし市民資格も、近代生活においてはほんのわずかな部分を占めるのみで、日々の習慣や心の奥底の感情には匹敵できない。しかし家庭は、これを正しくつくれば、自由の徳の真の学校となるであろう。それはまた、あらゆる徳の学校とも十分なりうるのである。(……)必要なことは、家庭を一方における権力と他方における服従という関係のない学校とすること、対等者相互の共感の学校、愛をもって共に住む学校たらしめることである。
(J・S・ミル『女性の解放』岩波文庫より引用)
(転載ここまで)
選択的夫婦別姓制度に反対するいろいろな意見、あるいは強制的夫婦同姓制度を強要するいろいろな意見を見てきましたが、選択的夫婦別姓制度に反対する論は、すべてがその場しのぎのものであり、理由になっていない主張であり、選択的夫婦別姓制度反対論者という名の強制的夫婦同姓制度賛成論者の自己満足のためだけの論だというのが私の結論です。
今回紹介したあそびたりあんさんの記事、「夫婦同姓強制論の知的崩壊」に、あそびたりあんさんとうちでもよく良いコメントを寄せてくださる黒曜石さんの問答が載っていてこれも的を射たものだと感じましたので、転載させていただきましょう。
http://d.hatena.ne.jp/asobitarian/20130221/1361429252#c
■asobitarian 2013/02/22 12:24
(前略)
「別姓にすると家族の一体感が弱まるから反対だ」と主張している人たちは、それが、別姓を選択することを望んでいる他人の家族のことを「心配」しているのだとすれば、記事にも書いたように、「大きなお世話」「大きな迷惑」「根拠のない傲慢」にすぎないわけです。しかし、村野瀬さんのブログにコメントを寄せられた黒曜石さんは、「反対派が恐れているのは他人の家庭のことではなく、案外、足元の自分の家庭での“反乱”なのかもしれません」とお書きになっていましたが、確かにその可能性は十分あると思います。だとしたならば、その人の家庭は同姓であることによってかろうじて家族の絆が保たれているという幻想にしがみついているだけで、実のところ、心の中ではすでに家族はバラバラなのではないでしょうか。結局、姓の同一性によって家族の一体感を保とうなどという空しい幻想にしがみつかなければならないほど、反対派の家庭は寒々しいものなのかもしれません。
■黒曜石 2013/02/26 01:25
> 結局、姓の同一性によって家族の一体感を保とうなどという空しい幻想にしがみつかなければならないほど、反対派の家庭は寒々しいものなのかもしれません。
どうも、黒曜石です。実は私もそんな気がしているんです。だからそのことをほのめかすつもりで村野瀬さんのところに次のコメントまで書いてしまいました。あれは実際に自分が知っている人たちのことなので、書くには少し胸が痛かったのですが。
(後略)
(引用ここまで)
結局、夫婦同姓を法律で強制することに賛成する人たちの心の中には、姓の同一性によらないと家族の一体感(という幻想)が持てない精神的弱さがある、あるいは、相手が別姓にしたいと言いだしたら自我が保てないという恐怖がある、ということなのかもしれません。だけど、そのような人たちの内心の平安のためにほかの人が夫婦別姓を選べないというのはたいへんに大きな損害です。改姓する人にとってはたいへんな手間であり、時間のロスであり、金銭的ロスでもあります。婚姻によって改姓することを強いられる人たちは損害賠償請求訴訟を起こしてもいいくらいだと思います。あるいは、「婚姻によって改姓する側の経済的出費は改姓しない側が支払わなければならない」という法律を作ってもいいくらいです。笑
どちらかが必ず現在の姓を捨てなければならないなら結婚する両者の間には必ず不平等が生じるというあそびたりあんさんの指摘は鋭いと思います。選択的夫婦別姓制度が日本にできて根付かない限り、日本で両性の平等が確立しているとは言えないということですね。では、上の引用に入っているあそびたりあんさんの次の文をもう一度どうぞ。強調したいところを私が大きな字体にしました。
日本国憲法は「法の下の平等」(14条)という大原則の下、家族生活については、「夫婦が同等の権利を有すること」(24条1項)や「個人の尊厳と両性の本質的平等」(同条2項)を定めている。ところが、婚姻後の氏(姓)については、民法750条が「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と、夫婦同氏(同姓)原則を定めている。現実には圧倒的多数の夫婦が夫の氏を称していても、それは夫婦が「自由に」決めた結果だから、男女平等には反しない、とされているようである。しかし、この解釈は完全に間違っている。現実に圧倒的多数の夫婦が夫の氏を称しているのは、夫婦が「自由に」決めた結果ではなく、社会的同調圧力によって妻の氏を称することが心理的に極めて難しいから、というだけではない。この制度では、夫婦に同一の権利を保障できないことが本質的な問題なのである。例えば、「夫婦は婚姻の際、夫又は妻の一方を家事育児の責任者とする」などという法律があれば、それが夫婦の平等に反するものであることを看取することは容易であろう。ひょっとして、これでもまだピンとこない人がいるといけないので、「夫婦は婚姻の際、夫又は妻の一方を主人、他方を奴隷と称することを自由に決定する」という法律を想像してもよい。これはやや極端に戯画化したものではあるが、強制的夫婦同姓制度も本質的にはこれと同じである。「夫の氏でも妻の氏でも自由に決められるのだから平等に反しない」などという議論は全く通用しないのである。
(引用ここまで)
もう一度強制的夫婦同姓制度賛成論者に問いましょう。
(1) 「お前の名字読みにくいんだよ。俺の使えよ」
(2) 「俺の名字読みにくいんだよ。お前の使わせてくれよ」
(3) 「あなたの名字読みにくいよね。あたしの使いなよ(はあと)」
(1)の「プロポーズ」には抵抗感がないけれど(2)と(3)の「プロポーズ」に抵抗感があって、しかも選択的夫婦別姓制度に抵抗感がある方は、「両性間の法的不平等に賛成」していることになります。(1)は誰が考えたか知りませんが、(2)と(3)の「プロポーズ」の文句を考えたのは私です。多くの方に使っていただきたいです。笑
最後にもう一度。
安倍晋三首相が国連演説で女性をテーマにしました。しかし、日本の男女平等度は世界的に最低レベルであること、日本では男女間の不平等が客観的に見て大きいことを忘れてはなりません。そして、安倍自民党政権はそれを改善する具体的で効果のあるアクションを起こしていないということも忘れてはなりません。
●国会議員への投書のための「議員名簿」→
http://www.eda-jp.com/link/link1.html●マスメディアへの投書のための「News for the people in Japan」マスメディア問い合わせ用リンク集→
http://www.news-pj.net/link/media.html●他の社会系ブログに行くにはうちの「私的リンク集 (適宜更新)」経由で→
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-136.html
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今回の文書の内容はこの恫喝発閉口強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)自民党の十八番自民党の十八番
当初は任意であるといっておきながらいざ決定となると強制にしてしまうのが自民党のやり方です。
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2022年10月後半から11月中旬まで元被収容者・現被収容者30人ほどにインタビューをしました、2022年10月末時Takeshi自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本自民なるも、の、の呪縛は解けないのか何度もスミマセン
先月、私の住む自治体の首長選挙がありました。
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また、自民なる、コンクリートと廃棄物と、月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたし>氏の中日新聞=東京新聞のコラム
>氏も自民党にとっては
の「氏」は田中優子氏の事です月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本No title>民主党((補足:)当初は ・社民連立)政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。
確かに「マニフェスト」には再分配重視が掲げられていましたし、「こども省月乃兎梅毒の感染例増加における、男女別・年齢別の非対称性について (メモ)No titleようやく(遅すぎ…)梅毒の感染増加をNHKが扱いましたか…
(「ニュース」番組でないので「「報じる」の語は使いません)
HIV感染も、日本という社会は「(いわゆる)先進国」月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたしトピズレですが…原田医師のことを書きこんだ「ついで」といってはなんですが(この「ついで」って書き方に苦痛を感じますが)
石牟礼道子氏や原田氏は水俣の公害被害・MINAMA月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本> ewkefc さん民主党政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。いくつかの経済指標も民主党政権の間は改善していました。その意味で、民主党政権は自民党とは良い意味で違うと村野瀬 玲奈第五福竜丸の史実を平和教育の教材から消して、生徒に伝えないようにする広島市教育委員会。広島は反核の地ではなくなっているのか。No title 『はだしのゲン』に続いて第五福竜丸に関する記述も削除して一体何が残るのか?現在の日本やアメリカの権力層に不利益な内容は根こそぎ排除しようとしていると疑われてもクテシフォン日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。虐殺否定罪,慰安婦否定罪の成立が必要。 2012年1月23日,フランス国民議会でトルコによるアルメニア人虐殺否定罪を成立させました。アルメニア人虐殺を否定する意見を公言した者は禁固1年と45000ユーロの罰金をTakeshi埼玉県 #草加市議会 の #河合ゆうすけ 市議会議員のヘイトスピーチと市民団体への妨害行為 (メモ)No title とどまるところを知らないColaboへの攻撃。その発端からゲーマーゲート事件(アメリカでゲームおける女性の描き方をフェミニズムの観点から批判した研究者達にゲームマニクテシフォン放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及No title>「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」
なら、政府・大企業と意見の対立する「反/脱原発」「反リニア」等も大きく月乃兎