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ちょっときびしいかもしれませんが、2013年8月11日の東京新聞の社説をあえて今回の記事の題名のように評します。問題の部分だけまず引用しましょう。(全文は「追記を表示」に入れます。)
●東京新聞(TOKYO Web)
週のはじめに考える ナショナリズムを超えて
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013081102000126.html
2013年8月11日
(前略)
一部の動きかもしれませんが、こうしたナショナリズムの高揚が首脳会談の再開など政府間の信頼醸成措置に悪影響を与えることが憂慮されます。ナショナリズムには「良いナショナリズム」と「悪いナショナリズム」があります。オリンピックのような国際試合で自国選手を懸命に応援し、国旗掲揚や「君が代」斉唱で身が引き締まるのは「良いナショナリズム」です。だが相手国への反感から過激デモや破壊活動に走るのは「悪いナショナリズム」です。二年前の東日本大震災ではヒューマニズムを見せた中国人が尖閣問題では反日デモという事態をどうとらえたらいいのでしょう。
(後略)
(引用ここまで)
「良いナショナリズム」と「悪いナショナリズム」を区別しようという試みそのものが矛盾している、というか、不可能事です。
この社説で言うような「悪いナショナリズム」を行動として実践している人に向かって、「あなたのやっていることは良いナショナリズムでしょうか、悪いナショナリズムでしょうか」と尋ねてみれば、きっと、「良いナショナリズムに決まっているじゃないですか」と答えると思うからです。
サミュエル・ジョンソンの「愛国心は卑怯者の最後の隠れ家である」という言葉でも示唆されているように、ナショナリズムだの愛国心だのは完全に主観的なものです。ですから、「良い」か「悪い」かを区別することも、「良いナショナリズム」だけを「教え込もう」とすることも、どちらも無理であり不毛でしょう。
それに、この社説で言うような「悪いナショナリズム」とは、この社説で言うような「良いナショナリズム」を養分にして広がっていくものです。自由や人権という価値が定着していない国家や国民では特にそうでしょう。『オリンピックのような国際試合で自国選手を懸命に応援し、国旗掲揚や「君が代」斉唱で身が引き締まるのは「良いナショナリズム」です』とこの社説は無邪気に書いています。しかし、まさにその程度のことを「言い訳」にして、日の丸君が代への恭順を政治権力と集団圧力で一般人に強要する暴力的な機会を日本の学校教育の中に定期的に設けているのが日本の「ナショナリズム信仰者」です。その結果、君が代演奏中に起立しないという程度のことに執拗に目くじらをたてるおせっかいな人、日の丸君が代への恭順を政治権力と集団圧力で一般人に強要することをウザいとすら思わない「善良な」人が日本には増えました。「そもそも普通の民主国では学校での式典で国旗掲揚や国歌斉唱などを政治権力と集団圧力で強要することはない」ことを知らないまま...。
「日の丸に敬礼し君が代演奏中に起立することはマナーだルールだ守れ守れ守れ守らない奴は非国民だ国賊だ日本から出ていけ」などと言い張る粘着質の政治家が権力者となった時、国家の最高の法規範である憲法を守ろうとしない自己中心的な政治家となる例もあまりに多くなってしまいました。
国旗という「記号」や国歌という「音波」にどのような態度をとるかというのは個人が他人におもねることなく自由に決めるべきことなのに...。
...と書くと、コメント欄にある種の人が湧くのもいつものことですが、そのような人へのお答えはこちらですのでよろしくお願いします。
■カテゴリ : 歴史、国家主義、「愛国心(国家意識)」
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-category-19.html■カテゴリ : 教育
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-category-23.html●Afternoon Cafeカテゴリ : 日の丸君が代
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-category-10.htmlそれから、もう一つ、次の記事でも書いたことにかぶるのですけど、何度でも言っておかなければと思うことがあります。
■わが国の人々に「愛国心」があるのなら、かの国の人々が「愛国心」を発揮してもおかしくないですよね
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-739.html2008-06-04
それは、「ナショナリズム」の一つの特色は、自国や自国民がやっていることを相手国や相手国民が同じように実行すると、「そちらのやっていることは間違っている」と言いたがるということです。つまり、「ナショナリズム」に疑問を持たないということは、客観的な視点を失うということ、そして、相手を屈服させないと気持ちがおさまらなくなるということなのです。たとえば、日本のある種の人々は「竹島は日本の領土だと韓国に向けて毅然と主張せよ」と叫んでやまないわけですが、「独島(日本名竹島)は韓国の領土だ」と韓国が毅然と主張すると「それは間違いだ」と叫んでやまないわけです。「日本国が自分の主張を毅然と表明することを日本人が称賛するなら、韓国が自分の主張を毅然と表明することの何が悪いのだろう」と私は思うのですけれど。笑
「ナショナリズム」とはいつも自国に都合がよいように使われ、相手国も同じ「ナショナリズム」を持っていることを忘れさせる思考停止装置だということを忘れてはなりません。自国がやることは良いナショナリズムであると正当化して、相手国が同じことをすると悪いナショナリズムだと非難するというのは、自己中心的思考です。浅慮な「ナショナリズム」信仰といってよいかもしれません。そのナショナリズム信仰の無意識の現われが、上に引いた東京新聞社説の「二年前の東日本大震災ではヒューマニズムを見せた中国人が尖閣問題では反日デモという事態をどうとらえたらいいのでしょう」という問いかけです。まず、人道にもとづいた他国の災害被害者への援助と、他国の政府による行いへの抗議は矛盾することでもなんでもありません。「どうとらえたらいいのでしょう」っていう問いがナンセンスです。
そして、なぜ、他国の例をネガティブな文脈で取り上げながら、日本人のネガティブな例をここに出さないのでしょうか。そういう疑問を私は持ちます。たとえば、「東京・新大久保では反韓デモという事態をどうとらえたらいいのでしょう」というように、日本のネガティブな例だってこの社説の中に出せるはずです。
東京新聞が別の日の別のページでは東京・新大久保での反韓デモを批判的に取り上げていることは知っていますが、まさに、そんな反韓デモの件をこの社説の中でこそ取り上げることが「ナショナリズムを超える」ことになる、ということを私は言いたいのです。
他国の例だけをネガティブな文脈で取り上げてそれを悪いナショナリズムの例とするのは、「自国は常に相手国より正しい」という結論を譲る気はないという感情があるからではないのでしょうか。『「ナショナリズムを超えて」と題された、ナショナリズムを超えられなかった東京新聞の社説』とか、『ナショナリズムを超えられなかったことに気付いていない東京新聞の社説』とかこの記事を題したくなった理由がそれです。
この東京新聞社説を「ナショナリズムを超えて」と題するなら、今回の記事の冒頭で引用した一節はこの社説には不要でした。このような一節を付け加えずにはいられないという事実が、この社説が「ナショナリズムを超えられていない」こと、社説執筆者がそのことに気付いていないことの雄弁な証拠になってしまっているのです。
(さらには、「ナショナリズム」をめぐるもっと奇妙な例として、日本のナショナリズム推進勢力の最も大きな一つである自民党がTPPへの参加に突っ走っているということがあげられます。TPPへの参加はナショナリズムとは正反対の行動のはずなのに...。)
以下、この東京新聞社説に私と同じ方向の問題意識で反応した澤藤統一郎弁護士の一文も紹介したいと思います。私よりも緻密に書いてありますので、リンク先でぜひ全文をお読みください。
●澤藤統一郎の憲法日記
「良いナショナリズム」など存在しない
http://article9.jp/wordpress/?p=949
2013年8月11日
(前略)
試合をするのはあくまで選手個人でありチームである。自国選手と他国の選手、どちらを応援してもよいし、スポーツなどつまらんことと無視してもよい。「自国選手を懸命に応援する」のが正しくよいこと、などと押しつけてはいけない。マスメディアがナショナリズムを煽ってはならない。選手やチームと自分を同化して、選手が勝てば自分が勝利したような幻想に酔うことができるのが、この種のカラクリ。さらに、チームを通した国家と自分との共同幻想を生み出すことで、扇動的な為政者には格好この上ない仕掛けと映る。
『国旗掲揚や「君が代」斉唱で身が引き締まるのは「良いナショナリズム」』というのには唖然とするしかない。掲載紙が産経ではなく東京新聞であることを、改めて確認せねばならない。ここに、ナショナリズムの危険の本質が表れている。
もっとも、オリンピックでの国旗掲揚や「君が代」斉唱は当然のことであり推奨さるべきこととする考えは、おそらく圧倒的な社会的多数派のものであろう。しかし、多数派に対して少数者がいる。言うまでもなく、歴史認識や政治信条における理由から、また信仰上の理由から、あるいは日本という国家そのものや天皇制への批判から、日の丸・君が代の拒絶者は、少数ではあっても、確実に存在する。私もその一人だ。閉じられた空間における多数派のナショナリズム発露としての示威の行為は、少数者に対する強力な同調要求圧力になる。「国旗掲揚や「君が代」斉唱に和するのは当然のことではないか」「どうして社会人として当然の態度を取らないのだ」「国際人としての常識にもとづいた行動をすべきだろう」「君の空気を読めない姿勢が全体の和を乱す」と。
問題は、このような社会的同調圧力を容認するのかどうかにある。かつて、「八紘一宇」「一億一心火の玉」とのスローガンが叫ばれた時代には、社会的同調圧力に応じない少数者は、非国民とされ、敵国のスパイとされた。人権とは、思想良心の自由とは、少数者に保障されなくてはならない。社会的多数派には不愉快であっても、国旗掲揚や「君が代」斉唱を強要することは許されない。これは、人権感覚の「キホンのキ」である。
オリンピックをダシにした日の丸・君が代強制許容の論調には我慢をしかねる。国際競技は、純粋に個人対個人、チーム対チームの競技の場とすべきであって、ナショナリズム昂揚の場とすべきではない。
私は、「良いナショナリズム」はないと思う。ナショナリズムが「比較的無害な作用」にとどまる場合や、ときには「侵略のナショナリズムに対峙する、抵抗のナショナリズム」として作用する場合があることは認めても、である。右翼的立場を標榜するメディアは格別、新聞倫理綱領の遵守を方針とする社の新聞が、『国旗掲揚や「君が代」斉唱で身が引き締まる』などと、社会の多数派と国家権力におもねった俗流記事を書くべきではない。このような記事の集積が権力に利用され、日の丸・君が代強制という思想良心の弾圧に手を貸していることこそを自覚すべきである。
(転載ここまで)
澤藤統一郎弁護士のこのコラムが広く理解されることを心から望みます。
真の「社会人として当然の態度」や真の「国際人としての常識」とは、意見の一致がみられなくても問題のないことに関して、嫌がる人に強制をしないということであり、嫌がる人に力ずくで同調を強いることを控えて、少数者を尊重するということです。それが文明人としての態度です。非喫煙者にタバコの煙を無理やり吸わせようとしたり、イスラム教徒に豚肉を無理やり食べさせようとしたり、あなたとセックスすることに合意しない相手を力ずくでレイプしたりしてはならないのと同じく、嫌がる人に国旗国歌への恭順を強制してはならないという当然の良識を捨てることはできません。単なる記号や音波である日の丸君が代は2013年の今、人々の思想行動を脅して政府に服従させるための脅迫的凶器となっている現実への目を曇らせるのが「ナショナリズム」という感情、あるいは、「良いナショナリズム」という幻想です。
東京新聞は日本の数ある新聞の中でもかなりましな部類に入る新聞ですが、それでも「ナショナリズムを超える」ことはできていないようです。東京新聞にはもう少しがんばってほしいと思います。
こんなツイートも見つけました。
まさに、「イケてる明太子 きゃー! プチプチよっ!」さんの言う通りです。
本当にナショナリズムを克服したかったら、相手国にナショナリズムの克服を先に求めるのではなくて、まず自国にナショナリズムの克服を求めるのが論理的、必然的な手順です。「中国、韓国との良好な関係をどうやって回復するか」を考えるなら、相手国をどう動かすかということよりも、自国日本への反省と日本式ナショナリズムを控えることが先だと思うのです。
追記。その後、2014年になって、日本でのナショナリズムをめぐる状況は悪化しました。
●きまぐれな日々朝日・従軍慰安婦報道問題の「日本の常識は世界の非常識」
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1357.html2014.08.25 07:00
●国会議員への投書のための「議員名簿」→
http://www.eda-jp.com/link/link1.html●マスメディアへの投書のための「News for the people in Japan」マスメディア問い合わせ用リンク集→
http://www.news-pj.net/link/media.html●他の社会系ブログに行くにはうちの「私的リンク集 (適宜更新)」経由で→
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-136.html *
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メモとして、社説全文を記録。上で批判した以外の部分はかなり真っ当な趣旨であるので、上で批判した部分が本当に本当に残念です。
●東京新聞(TOKYO Web)
週のはじめに考える ナショナリズムを超えて
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013081102000126.html
2013年8月11日
中国、韓国との良好な関係をどうやって回復するか。安倍晋三政権にとって頭の痛い問題です。国民感情を含めて、どこに打開策があるかを探ります。
トルコ在住の女性ジャーナリスト、フェライ・ティンクさん(同国の日刊紙「ヒュリエト」の元外信部門編集長)が、示唆に富んだ話をしてくれました。昨年、野田佳彦政権(当時)が尖閣諸島の国有化を閣議決定し、日中関係が険悪化した後のことです。
「日本のイミア・カルダック紛争」。トルコの新聞は、こう報道したそうです。
◆トルコ・ギリシャ紛争
一九九五年、エーゲ海にあるカルダック岩礁(トルコ名。ギリシャ語ではイミア岩礁)でトルコ船が座礁し、その救助活動で両国の救助隊が衝突。お互いに領有権を主張し、国民感情を巻き込んだ紛争に発展しました。
「ヒュリエト紙の記者が岩礁に上陸し、トルコの国旗を差し込みました。だが、そこはカルダックとは別の岩礁と後で分かって笑い話になったのです」
二〇〇六年、両国外相がボスポラス海峡を見ながら会談し、空海両軍間のホットラインを開通するほか、「エーゲ海での軍事演習の停止」「自然災害に備えての文民の共同演習」「沿岸治安部隊の相互訪問」など十九項目の信頼醸成措置で合意に達しました。領有権での不一致では話し合いを避け、約十年間かけて「信頼醸成」にこぎ着けたというのです。
「ナショナリズムよりヒューマニズムです。ギリシャの経済危機の時にはトルコ国内で『ギリシャを救おう』と、同国への観光旅行客が急増しました」。ティンクさんは笑顔でいいました。
尖閣や竹島問題で、日中、日韓の間に同様な信頼醸成が可能でしょうか。二つの側面から考える必要があるでしょう。政府間レベルと国民感情の双方で改善を図らなければなりません。
◆不可欠な指導者の信頼
最近、東京、大阪などで在日コリアンを排斥する「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」のデモが続いています。一方、韓国では日本とのサッカーゲームの際、「歴史を忘れた民族に未来はない」との横断幕が掲げられるなど、スポーツに政治が持ち込まれています。
一部の動きかもしれませんが、こうしたナショナリズムの高揚が首脳会談の再開など政府間の信頼醸成措置に悪影響を与えることが憂慮されます。ナショナリズムには「良いナショナリズム」と「悪いナショナリズム」があります。オリンピックのような国際試合で自国選手を懸命に応援し、国旗掲揚や「君が代」斉唱で身が引き締まるのは「良いナショナリズム」です。だが相手国への反感から過激デモや破壊活動に走るのは「悪いナショナリズム」です。二年前の東日本大震災ではヒューマニズムを見せた中国人が尖閣問題では反日デモという事態をどうとらえたらいいのでしょう。
「嫌中」「反日」といった国民感情を好転させるためには政治指導者同士がいつでもフランクに話し合い、友好は揺るがないことを示すことが不可欠です。悪い国民感情と指導者同士の信頼感不足。その両面こそが問題です。
領有権問題は中韓間にも存在します。東シナ海沖合に中国名は蘇岩礁、韓国名は離於島(または波浪島)と呼ばれる暗礁があり、領有権で対立しています。それが大きな紛争に発展しないのは、ほかの問題(自由貿易協定の締結など)で中韓が協調したほうが大局的に有利との判断が働いているからでしょう。
「世界のための日中関係」「世界のための日韓関係」。そういう大きな視点で関係国首脳が話し合える雰囲気が醸成されれば、島の領有権問題は相対的に小さくなっていくに違いありません。
ことし四月、日本と台湾の間では双方が領有権を主張する尖閣諸島周辺での漁業権をめぐり漁業協定が締結され、日本の排他的経済水域の一部で台湾の操業が認められました。台湾の馬英九総統は昨年、「東シナ海平和イニシアチブ」を発表し、領土問題を棚上げしての東シナ海における海洋資源の共同開発を提唱しました。白鳥令東海大名誉教授(政治学者で、マルタの名誉総領事)は、地中海の島国であるマルタが一九六〇年代に「海洋資源は世界の共通財産」との考え方を提起したことに関連して次のように主張します。
「海は陸と違って世界につながっており、海洋資源を共同開発、共同配分するのは当然だ」
◆局面打開に二つの視点
「ナショナリズムよりヒューマニズム」「海洋資源の共同開発、共同利益」。この二つが中韓両国との関係打開へのキーワードに思えますが、いかがでしょうか。
(転載ここまで)
せっかく「トルク・ギリシャ紛争」の例を出しているのに、日本式ナショナリズムを超えることが出来ていないことが本当に残念な社説でした。
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岸田はこの愚行で何を守ろうとしてるんですかね…津木野宇佐儀(「月乃兎」改め)石垣島への陸上自衛隊配備について住民投票を求める規定数以上の署名を集めたのに住民投票実施を行政からも司法からも却下された異常事態沖縄は今も本土の捨て石にされている。 沖縄は大東亜戦争で日本本土の捨て石にされ,莫大な民間人犠牲者を出しました。戦後も裕仁天皇の越権行為により,米軍基地が半永久的に配備されました。選挙で民意を示しTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度No title 日本において高すぎる供託金が立候補の妨げとなり、結果として新しい候補や政治勢力の台頭を阻んでいます。先進民主主義国家と言われる国の中では非常識に高い供託金は、クテシフォン少女時代(소녀시대、Girl's Generation) 「다시 만난 세계」 (Into The New World、また巡り逢えた世界) (不定期連載、「気まぐれK-POPプレイリスト」)これらの曲もいいと思います。 ポーランド・ロックのシンガーソングライターであるKaśka Sochacka(カシカ・ソハッカ)のCiche Dni(静かな日々)とSpaleni Słońcem(太陽に灼かれて)
もいい曲だと思いますTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度 選挙供託金制度は1920年代に普通選挙が導入された際、無産政党の参入を阻止するために制定されました。
これとセットになっているのが無産政党の活動を制限する治安維左の人日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対人権を嫌悪する者が付和雷同し、嫌がらせの言節を放っているのに食傷。 こんばんは。私も村野瀬さんも十数年にわたってSNSの言論の場に身を置いていますが、特に近年、「物事を丁寧に書き示す」より「対象物を手っ取り早くぶん殴れる」言節が伊東 勉広島サミットについての批判的メモサミットとは?そもそもサミットとは?
欧米列強&欧米列強の悪い部分ばかりマネしてそのおこぼれにあずかろうとしている日本が、これまで作り上げた国際秩序と自らの覇権を確保するため閉口首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。前近代的な日本の姿自民党は前近代的な世襲政治家が多い政党です。
岸田文雄も世襲政治家です。
首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。
まるで封建時代の絶対王政の国そのものです。
こういった政治家閉口日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対入管法改悪法案の廃案と帰国できない事情のある仮放免者に在留資格を付与することを求めます!入管法で改正が必要なのは、今の杜撰すぎる難民認定審査のあり方です。
日本は難民として認定すべき人を難民として認定していません。
それを改正するどころか改悪して難民閉口不祥事で議員辞職する維新議員はほとんどいない。こんな政党を支持・容認したり批判せずにいたりすることは維新の不祥事を支持するようなものだ。 #維新は最悪の選択肢 いわゆる「身体検査」が機能していないのでしょうね。日本共産党や公明党は選挙資金は党が負担するのが大前提です。大切な党のお金を使うのですから、候補者の選定基準も左の人袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。検察の指向性と日本政府の無謬性主義はパラレル 泉田裕彦に裏金を要求した星野伊佐夫元新潟県議が不起訴になりました。女性に強制性交すべく女性に受傷させたプロ野球選手は,不起訴の可能性が高いとも言われています。Takeshi差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約郵便局の窓口でアパホテルカレーを販売中郵便局に行ったら,窓口にアパホテルの元谷芙美子社長の写真が載ったアパホテルカレーが390円で販売されていました。買いませんでした。アパホテルは自民党に要望し,自民Takeshi