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「いじめ防止対策推進法」の成立。この法律は「いじめ」についてどのような認識を表明しているのか。この法律は「いじめ」防止に役立つのか。これについてまとめているいくつかの記事を読んでいただこうとメモも兼ねて紹介します。引用も含めて長いです。しかし、いじめについて考えるにはこれくらいの基本的資料を読む必要があるのだと思いますので、関心を持っている方にはぜひリンク先も含めて全文に目を通すようにお願いいたします。
まずこちら。この法律の「成果」を要約している二つの記事をお借りします。
●変えよう!日本の学校システム
いじめ防止対策推進法
http://educa.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-a183.html
2013年6月25日 (火)
「いじめ防止対策推進法」が6月21日に成立しました。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_gian.htm
内容を一読しまして、かなりの効果があるだろう、しかし限界も大きい、と思いました。
かなりの効果があると思うのは、現在いじめがはびこるのは、
・ 学校関係者に「いじめはいけない」という共通認識が十分でなく、「いじめられる側にも問題がある」というような風潮が残っている。
・ いじめは「あってはならない不祥事」なので、発見すると学校の責任を問われることになる。うやむやになりがち。
・ 事故があったときの調査が不十分。
調査のためには、生徒、家庭、教師などに十分な聞き取りをする必要があるが、それをやれるだけの専門知識、事務局と要員、第三者に依頼すれば謝礼などが、確保しにくい。
(中略)
限界があると思うのは
(中略)
・ いじめの根本原因は、理不尽なことに従順になるように訓練する体質にある。(典型は軍隊) 理不尽なことを他人に強要して楽しむゲームがいじめ。
いじめは、管理社会の副産物。
規則、命令、伝達ではなく、話し合いと理解に基盤を置く学校運営が必要。とくに中学の「校則体制」を俎上に載せる必要がある。「校則体制」がそのままでは、自分で火をつけて、自分で消すのに追われているようなもの。
教育方法そのものの検討も必要。
(中略)
しかし、誰かをいじめたくなるような風土まで改善の手が届いているわけではありません。いじめというのは巧妙に行われるものです。いじめの方法は、それぞれの現実に即して、「こうすればあいつ困るぞ」ということが目ざとく開発されるものです。
今後、深刻ないじめは、暴力系から、シカト系と嫌がらせ系へと移行していくと思います。
(引用ここまで)
●Everyone says I love you !
いじめ防止法 大津中2自殺の遺族全文「息子が命がけで作った法律」にするのはこれからの我々だ
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/ef736a988a6998ea12c3bc23d898de09
2013年06月21日
(前略)
この法律にはたくさんの成果があります。同法は、いじめについて、同じ学校に通うなど一定の人間関係がある児童生徒による、心理的または物理的な影響を与える行為(インターネット含む)で、対象となった児童生徒が苦痛を感じているもの、と定義して、小中高校と高等専門学校を対象とし、いじめ防止と事態の調査・対応について、学校、自治体、国の責務を明記しました。さらに、適切な早期対応につなげるため、警察や児童相談所、法務局など関係機関との連携推進も盛りこみました。
そのうえで、
(1)子供の生命や心身に深刻な被害が及ぶ重大事態については、学校は自治体の首長などに報告する責務を負い、自治体は必要に応じて調査機関を 設置する。
(2)国と学校に基本方針の作成を義務付け、各学校には教職員や心理・福祉の専門家などによる組織を常設する。
(3)公平性を確保するため、いじめ防止のための組織や調査委員会には、専門家などの第三者を入れる。
また、いじめで自殺した子供の遺族らの要望も反映し、この日に先立つ衆参両院の各委員会では、いじめ防止のために設置する各組織や重大事案発生後の調査委員会などに、専門知識や経験を持つ第三者を参加させて公平性・中立性を担保する運用方針が、付帯決議で確認された。
ただ、この調査委員会の公平性・中立性はこれからの重大な問題です。各地では、委員会を設置するだけで全く放置したり、中立の委員会のはずなのに学校側の人間が入っていたり、これまで、学校と教育委員会が被害者を拒絶し、事実を隠ぺいするために利用されてきたと言っても過言ではありません。
(後略)
(引用ここまで)
「成果」があるとする意見がある一方で、私は疑問も持ちます。「基本法」とはいえ、この法律が機能するようにするのはこれからの仕事であるのなら、この法律が成立したことで達成感を持ってしまってはいけないと思います。たとえば、調査委員会の公平性・中立性を担保する運用方針がなぜ法の本文ではなくて、法的拘束力のない「付帯決議」なのでしょうか。調査委員会は公平・中立でなければならない、となぜ法的拘束力を持たせないのでしょうか。
さらに、そもそも、この「基本法」の枠にある「対策」は今まで教育行政で実行されたことがないのでしょうか。この点について、元文部省官僚、その後民間シンクタンクに転身した人からのこんな批判的見解があります。
●PHP研究所
研究員コラム 亀田徹
いじめ防止対策推進法案の根本的な問題を考える
http://research.php.co.jp/blog/kameda/2013/06/21.php
2013年6月21日 19:30
昨年社会問題となった大津市のいじめ事件をきっかけにいじめへの対応を求める声が高まったことを受けて作成された法案であるが、この法案で問題が解決するとは考えにくい。
法案には、根本的な問題があるからだ。
第一に、法案の内容は、従来から国が通知で示していたとほぼ同じであり、法律の制定によって効果的な取組が推進されることは期待できない。
法案には「基本的施策」や「いじめの防止等に関する措置」「重大事態への対処」等が並んでいるが、ほとんど文科省がこれまで指導してきた内容ばかりである。
(中略)
第二に、財政措置に関する条文が抽象的な内容にとどまっている。
「国及び地方公共団体は、いじめの防止等のための対策を推進するために必要な財政上の措置その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする」としか書かれていない。抽象的な規定を定めても予算確保にはつながらない。現実的には何も定めていないのと同じである。
(中略)
国の役割は、細かい枠組みや前述したような指導レベルの内容をあれこれと法律化することではなく、学校現場での対応を後押しするために必要な財政措置を講じることではないか。
第三の問題は、学校以外の選択肢を認めていないことだ。
(中略)
この点、野党法案には、「多様な学習の機会を確保」するため「学校への就学以外の方法による教育」に関する制度を早期に導入するという条文が附則に定められていた。だが、この条文が今回の法案では骨抜きになっている。子どもたちの学習機会を保障するための条文を与野党間協議で骨抜きにしてしまったことは理解に苦しむ。
(後略)
(転載ここまで)
「基本法」だからいじめ対策の出発点を示しているだけであり、これから肉づけを行なうのだ、ということであるなら、まだまだ具体性に欠ける今回の「いじめ防止対策推進法」を過大評価すべきでもないとも言えます。それよりも、実際のいじめに大書するための現場の個々の先生や学校の取り組みを予算的、行政機能的にどのようにサポートするのかが重要になります。
では、自民党の「いじめ防止対策推進法」推進者の『意識』はどうだったでしょうか。
●不登校新聞
いじめ対策法作成の中心人物・馳浩議員に聞く
http://futoko.publishers.fm/article/1300/
2013年06月27日 16:59 by fonte
今国会で成立した「いじめ防止対策推進法」。法案作成時から中心的な役割を担ってきたのが馳浩議員(自民党)。法案成立から3日後の6月24日、馳浩議員に本紙が単独取材を行なった。法制定に向けて、なにをポイントにしていたのか、いじめによる不登校は、どう位置づけられたのか、などについてお聞きした。
――制定に向けて大事にされた点はなんでしたか?
たくさんありますが、やはり「見て見ぬふりをさせない」ということです。そのためには、学校を密室化させず、教員がチームを組み、継続的に見守っていく体制をつくっていくこと。国や地方公共団体は財政的に支援し、社会全体にアナウンスメントしていく。こうした点を盛り込みました。
そもそもいじめは大人社会にもごまんとあります。自民党にだってあります。いじめは誰にだって起こりえます。でも、そのいじめで心身が傷つき自殺に至る事案だってたくさんあるわけです。「その程度のことで」と切り捨ててはいけません。一方、誰もがいじめる可能性を持っています。それが人間社会の宿命ですし、だからこそセーブしていく、見て見ぬふりをせずに体を張って守っていく、そういう正義感を育てていくべきだと思っています。
学校外の場 認定の検討を
――条文では「重大事態」として「いじめによる不登校」が位置づけられました。
不登校の原因がいじめだと明確にわかった場合、ていねいに対応しなければいけません。
「ていねいに」という意味のなかには、当然、学習権の機会確保が含まれます。条文には附則第2条には「当該児童等の学習に対する支援の在り方についての検討を行なう」と書かれています。残念ながら、いまの制度では学校を選べません。いくらいじめられた側が謝罪を受けてもその学校に通えないこともあるでしょう。そうであるならば、子どもの学習権を、適応指導教室や塾、あるいはフリースクールのような場所で確保してもいいわけです。子どもが現在、安心して通っている場が、学習指導要領に基づいていれば、それを認定する必要があります。それを行政がつくろうと思ったら、新しい学校をつくることになりますが、正直、イタチごっこになるでしょう。いまの場を認定するかどうかの問題です。
文科省への挑戦状
そういう意味では、この条文は文科省に対する挑戦でもあるわけです。「もっと踏み込んだ議論を」と。検討結果は議員を通じて国会や地域の議会の場で、ぜひ聞いてみてください。
――一方、今回の法律は「子ども取締法」であるという指摘もあります。
まったく議論の土台がちがう話だと思っています。
そもそもいじめはしちゃいけないんです。他人に心身の苦痛を与えることはしちゃいけない。問題となったのは懲戒や出席停止の部分かと思いますが、当然、懲戒や出席停止ですべてを解決できるわけではありません。誤解を生みやすい表現ですが、いじめられた人を救うとともに、いじめた側も救わなければいけません。いじめた人も別の暴力の被害者であることがあります。ただ怒鳴りつけて作文を書かせて言うことを聞かせるだけではなんの解決にもなりません。話を聞いてあげること、コミュニケーションをとっていくことが必要だと考えています。
――ありがとうございました。 (聞き手・石井志昂)
■プロフィール(はせ・ひろし)1961年生まれ。大学卒業後、国語科教員になる。1984年ロス五輪アマレスに出場。その後、プロレスラーに転身。1995年、参議院選挙に出馬し当選。のちに自民党入党。フリースクール環境整備議員連盟、呼びかけ人の一人。
(転載ここまで)
馳浩議員、自信満々です。
たしかに、負担増を強いて国民への生活支援を削り、基本的人権や国民主権さえも縮小し無効化しようとしている自民党の国民イジメからも国民を守らなければなりません。「他人に心身の苦痛を与えることはしちゃいけない」というのなら、自民党政治は国民に痛みを求めることばかりだとも言えます。自民党は、日の丸君が代の強制によって、心理的な苦痛を強制反対者に与えるべきでもありませんね。
それはともかくとしても、次の記事を見ると、衆参ともわずか4時間の審議だったそうです。これでは議員の意識も深まらず、審議内容も深まりません。馳浩議員がいくら成果を強調しても、法律の効果は本当に出るでしょうか。私には疑問に思われるのです。
●しんぶん赤旗
主張
いじめ防止推進法
問題ただし、とりくみを前に
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-07-01/2013070101_05_1.html
2013年7月1日(月)
閉会した通常国会で自民、公明、民主、維新、みんな、生活が共同で提出した「いじめ防止対策推進法案」が可決、成立しました。
衆院・参院とも、わずか4時間の審議で、関係者からの意見聴取もありませんでした。日本共産党は「法案には原則的な問題で、見過ごせない点が含まれている」と反対し、関係者の意見も聞き法案を作り直すことを求めました。
厳罰化は逆効果
法律には、子どもにいじめ禁止を命じ、いじめる子どもは厳罰で取り締まろうという仕組みがあります。取り締まり的対応がふえ、いじめの解決に欠かせない子どもと先生の信頼関係を壊してしまえば、本末転倒です。厳罰化は、いじめを行う子どもの鬱屈(うっくつ)した心をさらにゆがめ、人間的に立ち直る道を閉ざしかねません。
また、法律は学校に、道徳教育中心のいじめ対策を求めています。しかし、いじめ自殺がおきた大津市立中学校は市内で唯一の国の「道徳教育推進指定校」でした。同市の第三者委調査報告書は「道徳教育の限界」を指摘し、「むしろ学校現場で教師が一丸となった様々な創造的な実践こそが必要」と報告しています。市民道徳の教育は大切ですが、それは自主的に行われるべきもので、上から押しつければかえって逆効果です。
日本弁護士連合会の意見書は、法律の問題点を二十数点にわたって指摘しています。法律には少なくない問題があり、機械的な運用をさける必要があります。
学校と社会がいじめと向き合い、法律の問題点もただしながら、とりくみを前に進めることを訴えます。中心は、学校ではどんなことより子どもの命が大切だという、子どもの安全への深い思いを確立することです。いじめをけんか・トラブルと同列に扱うことを繰り返してはなりません。子どもを深く傷つけ、いじめの温床にもなる体罰の一掃も急務です。
いじめに真剣に対応する学校等の「様々な創造的な実践」を広げましょう。そのために厳罰化や道徳教育中心主義で学校を硬直化させてはなりません。法案審議では、日本共産党議員の質問に提案者は「さらに厳罰を与える意図はない」「いじめを行った子どもたちの気持ちや悩みを理解しようとする立場にたって対応する」と答弁しました。学校の実践についても道徳以外の「いろいろな措置の組み合わが重要」と述べました。
秋以降、法律にもとづき全国の学校に、専門家も加わるいじめ対応の「組織」が置かれます。「組織」を形式ばらず、教職員の集団的対応や自由で創造的な実践を鼓舞するものにする必要があります。
法律は、遺族の「知る権利」も不十分です。法律の運用に際し、隠蔽(いんぺい)のない、「知る権利」を保障できるガイドラインをつくることを国に強く求めます。
法律は、国や自治体のいじめ対策の予算措置の努力を定めています。ただちに来年度予算で、保健室の先生の複数配置など関連予算を思い切って増やすべきです。
解決に力を尽くして
日本共産党は昨年、提案「『いじめ』のない学校と社会を」を発表し、各地でシンポジウムを開き、いじめの相談にもあたってきました。今後とも多くの人々と手をとりあい、いじめ問題の解決に力を尽くす決意です。
(転載ここまで)
さらにもっと、「いじめ防止対策推進法」について、教育の専門家のコメントをいくつか集めました。納得できる内容です。なぜこのような立場の見解が今回の「いじめ防止対策推進法」に盛り込まれなかったのか、たいへんに残念でした。熟読をお勧めいたします。
●内藤朝雄HP -いじめと現代社会BLOG-
各党いじめ対策法案の致命的欠陥--コメントを朝日に発信
http://d.hatena.ne.jp/izime/20130530
2013-05-30
いじめ問題について法律で対策を講じることには賛成だが、与野党の法案を見る限り、両者とも決定的なポイントがずれている。
いじめは学校という閉鎖空間の中で密着した人間関係が強制され、一人ひとりが強く同調を求められる中で、どこまでも増殖する。外部の社会とは別の心理状態になり、独自の残酷な秩序に支配されてしまうのだ。与野党案とも閉鎖的な生活環境を改善する点を示しておらず、これは致命的な欠陥だ。
与党案は全般的に「適切な措置を講ずる」といった抽象的な文面が並んでいたり、調査結果で何をするのか分からない調査の仕組みが延々と書かれていたり。野党案も無意味な調査部署や対策本部を大量に新設することで、税金の無駄遣いや天下り先、教育利権を生み出すことになりかねない。
細かい点を見れば、教職員に警察への通報義務を課した野党案は、いじめを行為の種類で二つに分類したうちの一つ、殴る蹴るなどの「暴力犯罪刑」には力を発揮するだろう。与党案では通報基準が学校の判断に任されており、いじめの隠蔽につながる恐れが残る。いずれにせよ、両案とも悪口や仲間はずれのような「コミュニケーション操作系」のいじめには効果がない。
法律でいじめの蔓延とエスカレートを抑止する対策としては、まずは「暴力犯罪系」に司法の力を導入すること。さらに「コミュニケーション操作系」を抑え込むために、狭い教室の中で毎日を同じ顔ぶれで過ごす今の学級制度を変えることこそが必要なのだと思う。
(『朝日新聞』2013年5月29日、朝刊、第16面)
(転載ここまで)
●藤井啓之ハイパー研究室本館
■いじめ防止対策推進法への批判的コメント(1)―いじめを定義することの問題
http://d.hatena.ne.jp/fjhiro3/20130622/1371904735
2013-06-22
(前略)
しかし、本来、「いじめ」らしきことがあったときに、教師にまず何が求められるか、ということを考えてもらいたい。心や体が傷ついている子どもや、なんらかの理由で他者の心や体を傷つけている子どもがいたら、すぐにその子どもたちと対話を始め、その子たちが抱えている問題の打開に向けて、ともに歩み出そうとするのが教師ではないのか。いじめの定義に該当しようがしまいが関係ない。子どもたちが何かに躓いていたり、苦しんでいたりするときに、そばにいて、一緒に考えるのが教師の役割のはずである。
要するに、教育とは子どもからの呼びかけに教師が応えることなのだ。
応答のことを英語ではレスポンス(response)というが、責任のことをレスポンシビリティ(responsibility)というのは、まさに責任とは応答責任だからなのだ。
ところが、いじめの件数を教育委員会や文部科学省に報告するという話は、学校はきちんとやっているのかをタックス・ペイヤー(納税者)が監視できるように「見える化」する、すなわち、数値化することに関連している。ここではタックスペイヤーが学校教育に支払っているお金がきちんと使われているか、という会計(account)の観点から学校の責任を問題にしている。このような責任はアカウンタビリティ(accountability)と呼ばれ、日本語では説明責任と訳されたりする。
ここで注意してほしいのは、説明責任は、けっして子どもの教育を第一義としていないということである。学校は教育委員会の顔を見て、教育委員会は文部科学省の顔を見て、文部科学省は納税者の顔を見て、「責任を果たしていますよ」という訳だ。もちろん、いじめの件数が増えれば、「仕事が不十分だ。もっと件数を減らせ」という圧力となり、いじめ問題に取り組むことにはなる。しかし、それはあくまでも、納税者の顔色をうかがって取り組むということだ。いじめへの対応が、「世間から『お叱り』を受けないように」ということに変質し、「子どもたちがこんなに苦しんでいるから放ってはおけない」という本来教師が持つべき態度(そして教師としての醍醐味の部分)が後退していくわけだ。(ちなみに、学力問題でも同じことが言える。わからないで困っている子どもを分かるようにするのが教師の応答責任だが、「学力テストの点数」で説明責任を果たすことが主要問題となり、教師にとって、理解の遅い/悪い子どもはお荷物に感じられるようになる。)
このことは、たとえば、今回の法律ではいっそう明確になっている。
第十一条 文部科学大臣は、関係行政機関の長と連携協力して、いじめの防止等のための対策を総合的かつ効果的に推進するための基本的な方針(以下「いじめ防止基本方針」という。)を定めるものとする。
第十二条 地方公共団体は、いじめ防止基本方針を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体におけるいじめの防止等のための対策を総合的かつ効果的に推進するための基本的な方針(以下「地方いじめ防止基本方針」という。)を定めるよう努めるものとする。
第十三条 学校は、いじめ防止基本方針又は地方いじめ防止基本方針を参酌し、その学校の実情に応じ、当該学校におけるいじめの防止等のための対策に関する基本的な方針を定めるものとする。
ここに見られるように、上が方針を決めて、それを下が実施するという形になっており、上から言われたことに対応することが教育になってしまっている。
私は、この構造自体が、いじめを増加させているのだと言いたい。子どもと向き合い、子どもの成長に力を貸そうとする教師の基本的な姿勢こそが重視される学校にしていかなければならないのだが、いじめの件数の報告だとか、文部科学省がつくった基本方針を実施するとか、そういうことをさせることによって、教師はますます子どもに寄り添う時間や寄り添う姿勢から遠ざけられているのではないか。
滋賀のいじめ自死事件があった中学校でも、自死の直後に出された学校便りだったか学年便りだったかに、うろ覚えだが「いじめの定義にあてはまっていました。すみませんでした」的なコメントがあった。「いじめの定義に当てはまってました。すみませんでした」ではなく、「苦しみに気づけずに、ごめんね」だったり「寄り添えなくてごめんね」と言える学校ならば、もっと救いがあったと思うのは、私だけだろうか。
(後略)
■いじめ防止対策推進法への批判的コメント(2)―「いじめ」は本当に行ってはならないものなのか
http://d.hatena.ne.jp/fjhiro3/20130623/1371964689
2013-06-23
(前略)
いじめ防止対策推進法には次の条文がある
第四条 児童等は、いじめを行ってはならない。
この条文には二つ疑問がわく。
1.こんなことでいじめがなくなるなら、誰も苦労しない。単純にあほらしいと思ってしまう。
2.本当にいじめを行ってはならないのだろうか。第二の点については、さらに細かく二つに分けて考えたい。
(a)文字通り「いじめ」をおこなってはならないか、
(b)発達途上にある「児童」に禁止することは果たしてよいのか、
ということである。
(中略)
さらに追い打ちをかけるように、法案には次のように定められている。
第九条 保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする。
つまり、児童はいじめを行ってはならないが、もし、子どもがいじめを行ったら親の責任だ、というわけである。
さきの例でいえば、我が子が悪口を言ったら「あなたのお子さんはいじめを行いました」と指弾され、責任が問われることにもなりかねないわけだ。そうなると、我が子と我が身を守るために親がなすべき残された道は、我が子に「他の子ども一切口をきかず、関わりももたないように」と指導することになるるだろう。
これでは、ますます子どもたちは社会制作どころではなくなる。学校に行ってはいるが、まわりに誰もいないかのように一人で孤独に過ごさなければならなくなるだろう。
しかも、口をきかず、関わりを持たなかったら、シカトしたとして、責められるかもしれないというオマケつきである。
子どもは失敗しながら成長する
さて、残された、2の(b)に話を移そう。
まず、子どもたちは失敗しながら成長するものなのだ。歩かない足には泥もつかないが筋肉もつかない。子どもたちは、さまざまな失敗をするものである。その失敗を教材にしながら適切な指導を受けることで、失敗を減らしたり、より適切な解決の仕方を学んでいくものではないのか。失敗が許されないのだとしたら、「算数でも国語でも問題の解き方を間違ってはならない」とも言えてしまう気がする。だって正しい解き方は、教えたはずだもん。間違えたときに、どこが間違ったのかを学び、よりよい解き方を理解していくから、子どもたちは賢くなっていくんだよね。
そうだとすれば、パワハラやセクハラやアカハラのような「大人はいじめを行ってはならない」というのは当然としても、「児童等は、いじめを行ってはならない」と言えるのかどうか。
むしろ、子どもたちはどんどん間違えて良いとさえ言えるのではないか。問題なのは、間違ったときに、どこがどう間違ったのか、いっしょに考え、よりより解決の仕方を教えられる教師や大人が不在なことではないのか。
昨日の話とも共通するが、結局は、失敗する子どもの生活に寄り添う時間も構えも奪われた現在の学校と教師のあり方にこそ問題があり、子どもたちは失敗するということを前提に、失敗したときにどのように指導することが子どもの発達を促すのか、というまともな教育観なしに、今回のような問題だらけの法案を提出する大人の側にこそ問題があるのではないか。
(引用ここまで)
新聞へのコメントを採録した内藤朝雄先生、独立したブログ記事として書いた藤井啓之先生のコメントは一つ一つもっともだと思います。特に、藤井先生の説明は教育の現場で起きることを学校の行政的構造の中で位置づけていて、深く納得できるものでした。
では、今回の「いじめ防止対策推進法」は果たして機能するのでしょうか。私は期待はあまりできないように思います。さっそく、こんな例が出てきました。
教育委員会は「いじめ防止対策推進法に規定がない」ことをやらず、調査委員会のメンバーには公正・公平を期待できないポジションの人を採用してしまいました。藤井啓之先生の「上が方針を決めて、それを下が実施するという形になっており、上から言われたことに対応することが教育になってしまっている」という危惧が的中した形です。
では、第三者委員会はどのようにあるべきでしょうか。折よく住友剛先生がまとめていますので、ご紹介いたします。
●できることを、できる人が、できるかたちで遺族への学校・教育行政の「応答する責任」とは?―「第三者委員会のあり方」を考えるために―
http://tsuyokun.blog.ocn.ne.jp/seisyonenkaikan/2013/06/post_2a1b.html2013/06/02
さて、このいじめ対策はこれから教育の現場でどのように展開されていくでしょうか。自民党が力を持つ政治の支配下におかれる教育行政や学校にあっては、藤井啓之先生の危惧がそのまま姿を現すように思えます。
衆参4時間の審議で可決された「いじめ防止対策推進法」が思ったように機能しないことがわかった時、国会と教育行政が、「いじめ防止対策推進法」が機能していないと認めるのかどうか。「いじめ防止対策推進法」を根本的に見直そうとすることができるのかどうか。4時間以上の審議時間をかけて、教育学者や現場の教員の意見を十分に取り入れて考え直すことができるのかどうか。それが問われるのだと思います。
最後に、私も、学校におけるいじめとその周辺について「
カテゴリ : 教育」の記事の中でいろいろ記事を書いてきました。一つだけリンクすると、これです。未熟な考察ではありますが、再読していただけるとうれしいです。
■日本で「いじめ問題」が解決しない理由。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3619.html2012-07-27
ここで書いたことをさらに完成させるため、引き続き考えていきたいと思います。
●国会議員への投書のための「議員名簿」→
http://www.eda-jp.com/link/link1.html●マスメディアへの投書のための「News for the people in Japan」マスメディア問い合わせ用リンク集→
http://www.news-pj.net/link/media.html●他の社会系ブログに行くにはうちの「私的リンク集 (適宜更新)」経由で→
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-136.html
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国会で答弁した当時は(佐川宣寿は)財務Takeshi自民党・豊田真由子衆議院議員が秘書に加えた暴力がすさまじい。高学歴モンスター 精神科医である片田洙美氏が「高学歴モンスター 一流大学卒の迷惑な人たち」(小学館新書)で豊田真由子元衆議院議員のことを的確に分析・整理していたので紹介します。Takeshi天皇制は日本国民分断の象徴だと思える。君主主義と民主主義は両立するのか。 天皇機関説が論争になっていたころ,天皇陛下を機関車に例えるとはなにごとか,と憤慨した人がいたそうです。今で言うネトウヨのさきがけでしょうか。
渡辺錠太郎教育Takeshi日米貿易協定(日米FTA)は将来、日本の産業と国民生活の多くの面に悪影響を及ぼす。反対。ローマ法王が来てますね。ローマ法王がいま来てさんざんテレビに出てますが、何故、核を落としたかが問題です。朝鮮半島が分断したままであるのは、核の投下があったからだと私は考えています。柿ノ木潜蔵日米貿易協定(日米FTA)は将来、日本の産業と国民生活の多くの面に悪影響を及ぼす。反対。韓国と北朝鮮。韓国とは、日韓併合前の状態に戻そうとして大日本帝国から独立した勢力であり、北朝鮮とは、日韓併合後の大日本帝国の状態をそのまま維持しようとする勢力なのかと私には思柿ノ木潜蔵。日本における愛国者のお手本No title>>#日本の愛国者は他人の財産、生活、生命、思想を犠牲にして自分の利益を増大させることができなければならない。
非常に的を射ていると思いますが、あえてもう一どんぱ嫌韓の代償を払う日本日露戦争開戦前、韓国は中立を表明していたが、日本は開戦後に韓国に戦争の協力を求め、第一次日韓協約を締結する。日露戦争後に結ばれたポーツマス条約で日本は韓国に対する指柿ノ木潜蔵。ある素敵な国歌No titleコメントの皆様も含めて、すごく興味深く読ませていただきました。
私も、30年近く前に、一度だけ生で歌と踊りを聞いたことがあります。子どもにしてはチケットが高価でDANGER MELON嫌韓の代償を払う日本差別をする人差別をする人は、それだけで十分幼稚ですので、経済とか立地条件とか、商売とか、難しいことわかんないんですね。
小学生でも差別は最低だって、知ってるんですけどね。DANGER MELON日米貿易協定(日米FTA)は将来、日本の産業と国民生活の多くの面に悪影響を及ぼす。反対。国民の生活は破壊されます安倍自民党政権が進める日米貿易協定(日米FTA)によって日本国民の生活はどうなるか。
弱肉強食、格差拡大に拍車がかかりその結果、
ホームレスor行き倒れ等の餓死者or刑閉口日米貿易協定(日米FTA)は将来、日本の産業と国民生活の多くの面に悪影響を及ぼす。反対。日米FTAについての記事ありがとうございます日米FTAについて、いろいろととりあげていただいて、
まことに感謝します。
ありがとうございます。
良い仕事しています。
お忙しいなか、おつかれさまでした。かせだ勝太嫌韓の代償を払う日本朝鮮人に恣意的に日本国籍を付与・剥奪してきた日本政府 1910年の韓国併合により,朝鮮人は自らの意思にかかわりなく日本国籍を持つ「帝国臣民」として取り扱われることになりました。
日本政府は朝鮮戦争勃発後,在朝日本人Takeshi嫌韓の代償を払う日本日米FTAはどうしました?日韓関係の事も大いに取り上げたらいいと思います。
しかしながら、以前貴ブログで何度か取り上げたはずの、日米FTA、いままさに国会で、衆議院本会議で11月19日にも採決さかせだ勝太日本政府・行政お抱えの広報機関となっている、笑えない吉本興業NHKなど主要マスコミ桜を見る会の報道については、こちらなどではアベチャンネルなどと揶揄されるNHKが意外と頑張っているという見方を見ることがあります。
今、とても大切な押し切れるかもsuterakusoローマ法王が元従軍慰安婦の被害者女性と面会ローマ教皇フランシスコまもなく来日 ローマ教皇フランシスコがまもなく来日するにそなえて,学校法人上智学院は2019年10月26日にマスコミを対象としたミニ講義と質疑応答を上智大学で実施しました。答えたのTakeshi首相になった63歳児ちょっと作ってみました。 ちょっと俳句を作ってみました。、
季語がないのはご容赦ください。
・ 野次言うな こんな人たち 拘束し
・ 野次言うぞ 安倍が手をすり 足をする
・ Takeshi鳥取県の女性差別的婚活パンフヨルダンにおける女性を抑圧する男性後見人制度に関心を持とう。 ヨルダンにおいては,女性が婚外での性交渉や後見人の許可を得ない無断外出をすれば,当局に拘禁されたり「処女テスト」を強要されるおそれがあります。婚外で出産すればTakeshi嫌韓の代償を払う日本「在日韓国・朝鮮人」とは 金村詩恩さん(1991年生まれの日本籍在日コリアン3世)が次のように述べています。
「わたし,『北朝鮮』じゃなくて,『朝鮮』って言ってほしいんですよね」。
民族Takeshi嫌韓の代償を払う日本3・1独立運動100周年をめぐる韓日政府の動き 長尾有起氏(日本基督教団から韓国基督教長老会へ派遣されたミッション・コーワーカー,いわゆる宣教師)は次のように述べています。
この原稿の依頼をいただいた際,Takeshi嫌韓の代償を払う日本「反日」と「嫌韓」 長尾有起氏(日本基督教団から韓国基督教長老会へ派遣されたミッション・ワーカー,いわゆる宣教師)が次のように述べています。
日本に一時帰国すると,韓国におけるTakeshi嫌韓の代償を払う日本韓日関係悪化を憂慮する石破茂衆議院議員 佐藤優氏は,石破茂衆議院議員について,次のように触れています。
<石破氏は記者団の取材に応じ,泥沼化する日韓関係の悪化に触れ,安倍政権の対応ぶりを念頭に,Takeshi嫌韓の代償を払う日本女性差別的な安部政権 菊地夏野氏(名古屋市立大学教員)は,安倍政権は女性差別的であると論じています。
まず,「慰安婦」問題がここまで紛糾しているのは,日本政府の政治的責任が大きTakeshi嫌韓の代償を払う日本歴史修正主義の戦略 倉橋耕平氏(立命館大学ほか非常勤講師)があいちトリエンナーレをめぐる騒動は「歴史修正主義の大勝利」であると論じました。
歴史修正主義が「歴史を見直すくらいTakeshi天皇制は日本国民分断の象徴だと思える。象徴としての天皇(2) インターネットを見ると,安部は天皇を政治利用していると言う人がいるが,それは本質を見誤っている,象徴というものは政治利用されるものなのである,と指摘した人がいTakeshi鳥取県の女性差別的婚活パンフヒジャブ着用に抗議して逮捕されたイラン女性を救おう! 2019年3月8日の国際女性デーに,イランの女優であるヤサマン・アリヤニさんは地下鉄の車両にヒジャブを脱いで乗り込みました。そして,「いつの日か,すべての女性が好きTakeshi嫌韓の代償を払う日本代償を払うのは当然の帰結日本帝国主義支配の犠牲者である徴用工。
安倍政権は日韓基本条約で解決済みという立場をとっています。
(日韓基本条約は1965年6月、韓国内の激しい反対運動を無視し閉口節約を勧める日本経済新聞は経済にとって役に立たない有害な存在になった。改めて消費税増税に反対。消費税増税後1カ月を経過10月1日に悪名高い消費税が8%から10%に引上げられ1カ月が経過しました。
庶民の生活はより一層苦しくなりましたが、どうしたことかこれに反発する声がほとんど起閉口日本政府・行政お抱えの広報機関となっている、笑えない吉本興業吉本よ!おまえもか吉本興業が安倍政権、行政お抱えの広報機関に転落。
笑えない吉本になってしまいました。
吉本に限らず芸能関係、メディア、司法等々ありとあらゆるものが安倍政権に忖度し閉口世界中に知られる麻生太郎氏の放言癖宰相の器 古代国家においては料理人が非常に重要な意味をもち,大変な地位があったそうです。
中国では,約2万年前の殷の時代に国家の中枢として料理人が選ばれたという記述がTakeshi死刑FAQ (適宜更新)死刑囚に恩赦は適用されないのか。2019年10月26日,アムネスティ・インターナショナル日本 活動・事業計画会議に出席してきました。
アムネスティの最高意思決定機関であるグローバル会議の会合
(GAMTakeshi