村野瀬玲奈の秘書課広報室
社員一人のサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」秘書課勤務の村野瀬です。消費税収入は社会保障に使われずに法人税減税に回っただけって知ってました?まるで国民から大企業への利益の直接補てんですね。有権者と政治の距離を縮めるため、国会議員名簿の活用を!
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最近、名古屋で女性が拉致殺害された事件がありました。被害者女性の母親が犯人とされる3人の男を死刑にするようサイトを立ち上げて署名をつのっていて、すでに10万を超える署名が集まっていることは、すでに広く報道されている通りです。
この事件についてコメントしている、私の目についたブログ記事の中で特に印象に残り、考えさせられたのはこちらでした。
●非国民通信
それは誰のため?
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/23976077da054d30f79712ba9ded6da1
「非国民通信」さんでひかれている新聞記事は時事通信のもので、次のように見出しがつけられています。
「極刑求め、署名呼び掛け=無念を晴らしたいと母−HP開設、女性拉致殺害・名古屋 (時事通信)」
(時事通信の記事そのものの内容は「非国民通信」さんでお読みください。「非国民通信」さんの記事も、コメントも、重要なことがたくさん書いてあります。)
もし件の3人の男による犯行が報道の通りなら、被害者女性に落ち度は何もなく、全く理不尽で自己中心的で残虐な犯行であり、許せません。被害者の親族のつらさ、心中いかばかりかと想像し、被害者女性の冥福を心からお祈りいたします。
(* 「もし件の3人の男による犯行が報道の通りなら」という前置きには、今までの例から、警察発表や報道機関の犯罪報道にゆがみがある可能性があるのではないかという危惧を込めています。)
しかし、被害者遺族が「犯人は許せない」と思うことは全く自然なことだとしても、裁判が始まっていない今の段階で極刑を望む署名募集を始める動機の後ろに切ないものを感じます。今の日本の犯罪被害者へのサポートのお粗末さが犯罪被害者をさらに苦しめているように見えるからです。
「非国民通信」さんの指摘にもあるように、被害者遺族の「敵(かたき)を討ちたいと思っても、司法の壁に阻まれ苦悩しています。この壁を乗り越えるためにも、1人でも多い署名が必要です」という言葉に示されている通り、そして、それにこたえて11万筆以上の署名がまたたく間に集まる通り、犯罪被害者の遺族が心の傷を癒して生活を物心両面で立て直す邪魔を「司法(裁判)」がしているという認識がかなり広がっていることを憂えます。
そもそも、「司法(裁判)」は犯人を確定し犯罪の内容を評定して刑を確定する作業です。司法は被害者遺族の立ち直りを物心両面でサポートする役割は持っていないのに、その役割が期待されているのは、被害者遺族の立ち直りを物心両面でサポートする政治・行政レベルでの取り組みが不足しているからでしょう。だから、犯人(とされる者)をとにかく処刑することが人々の第一の関心事になるのだと想像します。
被害者遺族には国にそのようなサポートを保証する政策の実現を求める権利はないから、せめて犯人の死刑を求めることしかない、という考えがあるように思えて仕方がありません。
しかし、裁判所によって死刑がすぐに宣告されて執行されることが被害者遺族をもっとも良く癒すのだという思い込みは、逆に被害者遺族を強く苦しめるとともに、犯人(あるいは被告人、場合によっては弁護人)へのバッシングで問題が解決するという誤った考えを広めることにしかならない可能性が高いと思います。また、被害者遺族に関係のない第三者には「犯人(とされる者)を死刑にすればそれで解決」という考えを知らず知らずのうちに刻み付けることになってしまうと思われ、それは誰にとっても無益であると思えてなりません。
しばらく前に手にした漫画雑誌で、子どもを殺された母親が怨みを晴らす「仕返し屋」に犯人を殺すように依頼し、それが実行されたときに「これでさっぱりしました」と感謝する、というストーリーの漫画を見かけましたが、犯人を殺し返せばすべて解決するという安易さにとてもゆううつになりました。こういうストーリーの漫画が描かれるということは、裁判を省いてでもとにかく容疑者を一日も早く処刑することだけを望むという復讐心だけが一般世論の中に強く存在することの証拠の一つだと思います。(しかも、それが冤罪だったら取り返しがつきません。)
誰もが落ち度のないまま犯罪の被害にまきこまれる可能性があり、その可能性は(天災にあう可能性は個人の努力ではどうにもならないという意味合いと同じように)個人の努力でどうこうできるものではないのですから、犯罪を裁く司法手続き(裁判)とはまったく別に、司法手続き(判決や刑の執行への期待)に被害者遺族を慰撫する役割を全面的に負わせることもなく、被害者遺族への物心両面のサポートを国の責任で行なうと同時に、そのようなサポートシステムの存在の周知をはかるべきだと思います。
そうしないと、裁判を省いてでもとにかく容疑者を一日も早く処刑することだけを望むという復讐心だけが一般世論の中に増大するばかりで、犯罪の出にくい社会環境・経済環境・制度環境をととのえることや、司法制度を公正化する(代用監獄制度の廃止や取調べの可視化など)ことが忘れられ、犯罪被害者遺族が立ち直れるための物心両面のサポート体制作りからも遠ざかり、裁判制度やその運用すら歪むと思うからです。光市母子殺人事件の報道と思い込みだけからくる一般世論の反応で、裁判制度の枠組みについて一般の理解がされていないことを見たばかりですから特に...。
自然災害のように個人では対処できない社会生活上のリスクに個人で備えるのではなく社会全体で備えることを「リスク対処の社会化」というそうですが、犯罪被害についても「リスク対処の社会化」という考え方のもとに、被害者遺族を公的に物心両面でサポートする政策をすすめるべきではないでしょうか。有罪が確定して罪を償うべく服役する犯人に対して補償を求めることと同時に、国(政治、行政)が社会全体を代表して被害者遺族に生活や感情を立て直す支援をするための制度をもっとはっきりと具体化すべきではないでしょうか。(一例としては、心理カウンセリングや、犯罪被害者給付金のような制度を具体化するなど...。)
今回のエントリーは、「犯罪被害にあうリスクへの対応を社会化する」ということだけに集中して書きました。被害者(遺族)の感情や世論と刑罰との関係などはまた改めて記事にすることになると思います。
なお、今回の被害者遺族が「犯人を憎しみ続けて死刑にすることで気持ちが救われる」と思っているとしたら、たぶんそうはならないような気がして、それがとても心配です。今までにいろいろなところで目にした犯罪被害者遺族の手記のようなものにも、「犯人が死んですっきりして気持ちの落ち着きを取り戻し、以前のことは忘れて新しい生活をおくっています」という人は見たことがないので...。
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16件のコメント
[C1450] 被害者遺族の…
私は、積極的な死刑廃止論者ではありませんが、だからと言ってこの様な人民裁判の様相を呈する現在のマスコミのあり方にかなり疑問を感じるのですが…
それより、被害者・遺族や関係者に対しての補償やケア、この様な犯罪を起さない為の積極的な立法措置が必要だと思います…もっとも私自身は具体的なことが思い浮かばないのが現状ですが。
なにより、同様の事件の再発防止策については必ず必要だと思いますが、これに対しての立法措置が全くされていない現在、そして自己責任論を垂れ流すマスコミに対しては非常に怒りを感じるところです。
亡くなられた被害者の方のご冥福を祈ると共に、この様な事件の再発が無いよう、何らかの防止策がとられる事を願っております。
- 2007-10-27
- 編集
[C1455] 厳罰化に懸念
その結果、厳罰化が叫ばれ、死刑の適用基準が大きく引き下げられ死刑判決の乱発、今まで有期刑相当だった事件に対して無期懲役判決が出され、有期刑の言渡し刑期も延びています。またマスコミも「死刑にしろ」「殺せ」「厳罰だ」と世論をあおり、世論もそれに流されております。
犯罪被害者遺族が死刑を求めるというのも、そういった世相に流されているところもあるように思います。また国によるサポートもお粗末です。そういったこともあり犯人に死刑を求めることしか行き場をなくしてしまうことも考えられます。しかしそれは、被害者遺族が本当に必要としていることか?「違う」と私は思います。それで悲しみは癒されない、気持ちは救われないと思います。犯人を死刑にすることでは何ら問題の解決にはならないと思います。
私は死刑制度には反対です。また厳罰化にも反対です。
死刑制度、厳罰化は、犯罪発生に大きな影響を及ぼす社会の不健全要素に対する責任を、全的に犯罪者に転嫁するひきょうな行為だと思います。
- 2007-10-27
- 編集
[C1457]
ほんとにおっしゃる通りです。
被害者救済は刑事裁判の役割ではないのに、司法が不当に被害者遺族をなおざりにしていると世間では認識されています。
被告人の人権保障を主張すれば被害者の人権はどうでもいいのかと来ますし。両者は対立軸にあるものじゃないんですが…。
こんなで大丈夫か!?裁判員制度
- 2007-10-28
- 編集
[C1460]
そんなサイトがあったのですね。知りませんでした。
私は死刑賛成派ですが、それは【犯人に対しての刑罰の与え方と贖罪のさせ方】と【被害者に対しての救済とケア】両方が日本はとても遅れているように感じるから、つい極論でしか考えられないという側面もあったりします。
その二つさえなんとか改善されれば、死刑の必要性は薄くなると思うんですが…
どんなに色々な死刑廃止サイトを見ても、苛立ちと反発しか覚えない(理屈では納得出来るんですが)こんな自分は、後々来る裁判員制度で人を裁く自信も権利も無いですね。
話がそれてすみません。
裁判っていうのは人の情をあまりいれてはいけない物だと思うので…良くも悪くも
- 2007-10-28
- 編集
[C1462] 被害者遺族の一人です
私は、ある交通事故で娘を失いました。原因は酒気帯運転の車にはねられたためでした。娘と一番仲の良かった末の妹は、ショックから結果として離婚に追い込まれました。あなたは被害者の辛さを何も知らないからそのようなことをおっしゃるのでしょうけど、被害者遺族の気持ちがわかっていただけるならと考え、コメントします。
遺族に対してどのようなサポートがあろうと家族を理不尽に失った心の悲しみは癒えるものではありません。そして加害者に対する怒りもおさまるものではありません。できるなら娘に代わって同じ苦しみを加害者に味合わせてやりたい、そのように考えたこともありました。
数年前に判決がありまして、加害者に対し比較的長い懲役刑が課されました。その判決を娘の墓前に報告するとともに少し気が楽になりました。娘の命を奪ったという行為に対して加害者を処罰するということで少しは娘への負い目が減り、一度は殺してやりたいとまで考えた加害者への怒りが少しおさまったような気がしたのです。
>しばらく前に手にした漫画雑誌で、子どもを殺された母親が怨みを晴らす「仕返し屋」に犯人を殺すように依頼し、それが実行されたときに「これでさっぱりしました」と感謝する、というストーリーの漫画を見かけましたが、犯人を殺し返せばすべて解決するという安易さにとてもゆううつになりました。
あなたのお考えこそが安易に思えてなりません。犯人を殺してやりたいという気持ちは私にはよくわかりますし、それが達成されれば遺族は一応の区切りがつくのです。これを応報感情というものだと弁護士の先生にお聞きしました。遺族のサポートも遺族が納得できる判決によって犯人を裁くのも遺族救済の両輪ではありませんか?もしももっと惨たらしい方法で娘を奪われていたとすれば、私は犯人の死刑を望みましたし、名古屋の遺族のお母さんのお気持ちはよくわかります。あなたも死刑廃止を主張されるなら遺族の声をもっときかれてはいかがですか?
- 2007-10-28
- 編集
[C1466] >AK様
AK様の短い文面からAK様のお気持ちを完全にわかるとはいえないかもしれませんが、私もいろいろなものを読み、想像力をはたらかせております。私にあるのは想像力だけで、AK様ほどの実体験がないことについては、どうかご容赦をお願いいたします。
>遺族のサポートも遺族が納得できる判決によって犯人を裁くのも遺族救済の両輪ではありませんか?
「遺族救済の両輪」という考え方には私も賛成しております。
「遺族が納得できる判決」が一般的にどのようなものか簡潔にお返事することは難しいですが、私はこの記事の中でもほかのところでも、犯人を裁くことを否定したことはございませんので、それはご理解いただきたく思います。
「それが達成されれば遺族は一応の区切りがつく」けれども、「遺族に対してどのようなサポートがあろうと家族を理不尽に失った心の悲しみは癒えるものではなく、加害者に対する怒りもおさまるものではない」、それは人間である以上当然のことだと思いますし、私が同じような経験をしたらAKさまと似た感情を持つだろうと思います。
>>しばらく前に手にした漫画雑誌で、子どもを殺された母親が怨みを晴らす「仕返し屋」に犯人を殺すように依頼し、それが実行されたときに「これでさっぱりしました」と感謝する、というストーリーの漫画を見かけましたが、犯人を殺し返せばすべて解決するという安易さにとてもゆううつになりました。
>あなたのお考えこそが安易に思えてなりません。
私の考え方、感じ方のどこを「安易」とお感じになったかを正確に読み取ることができなくて申し訳ありませんが、たとえ犯人を殺し返して一応の区切りがついたとしても遺族の苦しみは続くはずなのにストーリーがあまりにもすっきりしすぎている、ということを言ったつもりです。その漫画では、仕返しを達成した後の母親が本当に晴れ晴れした気持ちになったように描かれているように見えましたので。
>もしももっと惨たらしい方法で娘を奪われていたとすれば、私は犯人の死刑を望みましたし、名古屋の遺族のお母さんのお気持ちはよくわかります。
いろいろな遺族の声に接するようにしているつもりですし、名古屋の遺族のお母さんが犯人を死刑にしたいという気持ちもわかるつもりです。でも、遺族感情を無視しているわけでもなく、犯人や犯罪を憎まないわけでもなく、ただ、私自身は死刑執行の後押しをしたくはないのです。また、このブログのほかの記事でも書いておりますように、死刑制度にも賛成できないのです。
お答えになったかどうかわかりませんが、精いっぱいお返事したつもりです。
心に残る貴重なご意見ありがとうございました。
- 2007-10-29
- 編集
[C1480] 第三者の立場から
私は第三者であって、当事者ではありませんから、なかなか被害者のことを想像できないで困っています。
自分にも肉親はいますので、肉親を失ったつらさも分かります。しかし肉親が殺されるということは、最初から「特殊」な状況です。通常は一般人は病死ですから、一般の人が想像をすることはなかなか出来ないものだと思います。(また安易に想像することは失礼に当たるとも思っています。)
私が想像を絶するために被害者に安易な同情をすることを遠慮するべき「第三者」であることは、かなり客観的に見ることが出来る立場であると思います。ですから、後々のためには、状況的にはぜひ必要な立場だと思っています。
心で黙って同情をする人も必要ですが、論理で常に冷徹に状況分析をしていく人も必要ではないでしょうか。
不必要なのは、単に騒ぐだけの人です。世論の熱が去ったときに、孤独に取り残されるであろうご遺族のことを思うと、私などは居たたまれなくなります。世論はそういった無責任なところがあるのもまた事実なのです。
そう考えると、感情で語る人、論理で語る人、両者が存在することによって、それでこの世はバランスが取れているのではないでしょうか。やはり、すべての人が情で動くことは、ご遺族にとってもあまり良いこととは言えないと思います。
私は自分が当事者でない以上、客観的に見ることの出来る「第三者」としてこういった問題を、外側から見ていく役目を担い、時に意見をすることで、犯罪抑止に役立てばいいかと思います。
それこそが、私なりの亡くなった人への最大の供養になると思いますし、長く見てご遺族の納得も得られると思います。
- 2007-10-31
- 編集
[C1485] 一晩、考えました。
やはり客観性を保つために、起こった事実を冷静に「第三者」の目から見て判断することが、本当の裁判だと思います。感情はむしろ判断を邪魔すると思います。
たとえ情状酌量の余地があっても、勝手な判断はできず、きちんと判例と法律に照らして、きちんと合議で決まっている原則に従うことが必要です。あくまで情状酌量であって、世間的「同情」で許すことは、一切、するべきではありません。
いくら加害者に同情しても厳罰にするべき時にはしなければなりません。それが裁きです。現行法で死刑が最高刑だとすればそれは守られるべきでしょう。
死刑廃止の合意ができるのは、国会での議決においてしかありません。司法は「悪法も法なり」ということで、きちんと原則を守ることで成り立っていると思います。
法規を悪法とみなして法規を破ることは、その人が法令違反をすることになります。ですから、「悪法」は変える方法は国会での立法措置でしか変えようがありません。国会で取り上げられて、活発ではあるが落ち着いた議論をもとに全体のルールを決定していくことが良いのではと思います。
その意味では今回の名古屋の事件に関連する署名は本来、厳罰化を求めて、裁判所「ではなく」国会に送られるべきものではなかったのでしょうか。
私は厳罰化に反対で場合によっては死刑廃止やむなしとも思っていますが、「司法制度や罰則にかかわる国会での真摯な議論は妨げられるべきではない」と思っています。
- 2007-10-31
- 編集
[C1562] 私は第三者です。
>論理で常に冷徹に状況分析をしていく人も必要ではないでしょうか。
>たとえ情状酌量の余地があっても、勝手な判断はできず、きちんと判例と法律に照らして、きちんと合議で決まっている原則に従うことが必要です。あくまで情状酌量であって、世間的「同情」で許すことは、一切、するべきではありません。
>起こった事実を冷静に「第三者」の目から見て判断することが、本当の裁判だと思います。感情はむしろ判断を邪魔すると思います。
>感情で語る人、論理で語る人、両者が存在することによって、それでこの世はバランスが取れているのではないでしょうか。やはり、すべての人が情で動くことは、ご遺族にとってもあまり良いこととは言えないと思います。
以前、私も全く同じ事を考えていました。今はちょっと違うことを考えています。「論理で冷徹に状況分析をする」って、どういうことか。「情状酌量」と「世間的同情」って何が違うのか。「感情が判断を邪魔する」ってどういうことか。「この世は両者の存在でバランスがとれている」として、私が「論理で語る人」だとすると、「感情で語る人」が必要だということになるけど、「感情で語る人」の存在は、保障されてるのか。
同情って何か。安易な同情と、安易じゃない同情って何か。裁判に感情が必要ないなら、裁判官がどうして「遺族感情」という言葉を使うのか。
第三者がどう頑張っても遺族の立場に立てない、ということと、遺族の立場を想像して、遺族の感情を理解しようとすることは、別の事じゃないか。私と遺族は別人格だから、完全に理解することは不可能なのは、当然だけど。
人を殺した罪の償いって何なのか。
(全て答えが出ていません。答えが分からないくせに、書いてすみません。)
裁判でも、人々の感情を無視することは、いいことだとは思えません。私は、「生きること」は「思うこと、感情」だと思っています。被害者と遺族と加害者の感情を無視することは、被害者と遺族と加害者の命を無視することだと思っています。
- 2007-11-10
- 編集
[C1571] 残念ながら
名張毒ぶどう酒事件というのをご存じの方は多いと思います。被告は死刑が「確定」しています。しかし、多くの人が「冤罪」の可能性を指摘し、メディアもそのように最近放送するようになりました。私も「冤罪」の可能性が高いと思います。再審請求中だったと思います。
私が感情論への「恐怖」を感じたのは、その「遺族」をあるテレビ局が取材したときのことです。
遺族の大半は怒りを隠さずに「なぜまだあいつを死刑にしないんだ」と叫んでいました。被告の冤罪可能性が強くなっても、なお、遺族の怒りはその対象を「被告」に置くものだということに慄然としたのです。
相手が冤罪であった場合、遺族の怒りはどこへ向かうのか、私は大変疑問に感じています。一度怒りの矛先を向けてしまった以上、容易にその感情を解けないのが人間の危うさだと思うのです。別に真犯人がいるからとわかっても、釈然とはしないものが人間の「心」ではないでしょうか。
また、裁判所が「判決」においてすら「遺族の感情に配慮すべき」であるとするなら、「冤罪」の再審などは全くできなくなります。感情で事実を封印することは許されるべきではありません。
被害者や遺族の「心」を癒すために、「多くの人の同情」を必要とするというような誤った感覚こそ、メディアの作り出す「幻想」であると思います。
私はすでに書いていますが、
>> 世論の熱が去ったときに、孤独に取り残されるであろうご遺族のことを思うと、私などは居たたまれなくなります。世論はそういった無責任なところがあるのもまた事実なのです。
顔の見えない不特定多数の人が、「同情」することが果たして本当の「人情」と言えるのか、大変疑問に感じます。
裁判においては、いくら裁判官が「同情」しても「無罪」にはできません。証拠があって無罪であり、法の制約があって、情状酌量です。
あくまでも、法律に則って、最終的には憲法判断すら登場させて判断します。尊属殺重罰規定がネックになって執行猶予に減刑できなかったために、憲法判断までした話は有名だと思います。
どこまでもルールを重視するのが裁判です。
- 2007-11-11
- 編集
[C1574]
「冤罪の場合の遺族の怒りの矛先」について、すごく考えさせられました。もし、私が名張毒ブドウ酒事件の遺族なら、ある日突然「冤罪の可能性が出てきた」と言われたって、「あんなに何度も裁判したのに。やはりあいつが犯人だろう」と思うと思います。誰がどう見ても100%間違いないという証拠がなければ、疑い続け、憎み続けると思います。
私は、冤罪はそれ自体絶対に許されないと思います。また、無罪の人を、遺族の感情で有罪にするようなことは許されないと思います。それぞれの感情のために、事実を曲げて有罪を無罪に、無罪を有罪にする、ということは許されないと思いす。
(文章が下手で申し訳ないのですが)それでも裁判で、それぞれの思い、感情を知ろうとする努力は必要だと思います。第三者が、それぞれの思い、感情を聞いて、第三者なりに感じることがあります。それは、安っぽい同情、もっと深い感情、もっと違うこと、色々あると思います。その感情は、それぞれ自然に生まれてくるものだから、ほっておけばいいんじゃないかと思います。そして、被害者、遺族、加害者のそれぞれの事情、複雑な思いをよく知れば、だんだん黙り込み、自然と安易な同情はできなくなるんじゃないかと思います。
>「世論の熱が去ったときに、孤独に取り残されるであろうご遺族〜世論はそういった無責任なところがある」同感です。ある被告が死刑を宣告されると、世間の熱は一気に冷めて、執行まで事件をおぼえている人も少ないだろうと思います。そして遺族の苦しみは一生続くと思います。
私は、私自身「同情」とは何か、分かっていないと思います。(すみません)私自身、「同情」と「本当の人情」の境目が分かりません。例えば、ワイドショーを見ると、イヤな気分になります。ただ騒ぎ立てるだけの人が、もっと遺族を傷つけると感じ、許せないと思います。でも、今こうして私が、「裁判でも遺族の感情を無視できない」などと書いている事も、「安っぽい同情だ」と言われたら、そうだと思います。
私は、「私の思いがただの同情かもしれない」と思いながら、ここにコメントを書いてしまいます。これが私の人生だなあと思います。それから、「ただ騒ぎ立てる人」にもただ騒ぎ立てる人の人生、思いがあるだろうと思います。ただ騒ぎ立てる人の人生、思いは、どんなものかなあ、と思います。
- 2007-11-11
- 編集
[C1589]
あなたのこの一言で十分、あなたのおっしゃりたいことが分かりました。おそらく私の見ている方向と、ほぼ同じものだと思います。
私が、学問に身をおくものとして、すこしく厳密に追求しすぎているのかもしれませんが、その点でお気を悪くなさったのなら大変申し訳のないことでした。
やはり、
(1)被害者のことを考えることはどういう意味か
(2)疑わしき派被告人の利益にとはどういうことか、
(3)遺族・遺族の心のケアとはどういうことか、
(4)冤罪可能性とはどういうことか、
(5)裁判員制度実施での問題は何か、
(6)裁判所の判決には何がどこまで許されているのか、
を冷静だが徹底的な「国会」で議論することこそ、本当に必要なことではないかと思います。
その意味では真実をゆがめるメディアの責任が、私にとっては、あまりにも大きいかと思います。暗闇を方向を定めず突き進む「感情論」こそ、大変怖い結果を生むと思います。
「同情」は責任を放棄した感情であり、「人情」は責任を痛感した感情であると思っています。
私は、無責任な「同情」は否定しますが、命を懸けるほどの「人としての情」は否定しません。
国会での議論が必要であると言う「世論」こそ健全なものだと思います。それこそが、被害者の供養にもなると思います。
単なる世論に惑わされるだけの「同情」なのか、本人の言い分まですべて真摯に汲み取る本当の「人情」かどうか、いまこそ試されているのかと思います。
本当に被害者の心を癒すことが出来るのは、同じ痛みを経験した人の言葉ではないでしょうか。政府はそこを考えるべきだと思います。
- 2007-11-12
- 編集
[C1591] アイスゆずです。
こんばんは。お返事有難うございます。
>お気を悪くなさったのなら大変申し訳のないことでした。
そんな、とんでもないです。全然そんなことありません。
私は、まだブログに慣れてなくて、嬉しくてつい、はりきって書き込んでしまいました。MS様のコメントも、共感しながら読ませて頂きました。
>「同情」は責任を放棄した感情であり、「人情」は責任を痛感した感情であると思っています。
>私は、無責任な「同情」は否定しますが、命を懸けるほどの「人としての情」は否定しません。
すごくよく分かりました。有難うございます。
他の部分もすごく勉強になりました。
ところで、私も(内容が幼稚で、文章が下手でお恥ずかしいですが)ブログがあります。もし何かありましたら、のぞいて頂けたら嬉しいです。
>管理人様
こんばんは。ここまで、コメントさせて頂き、有難うございます。男性ばかりのブログを回って、絶望しかけた時、こちらのブログを見つけて、本当に嬉しく、つい長々と書き込んでしまいました。すみません。
女性の立場に立った記事と、管理人様の魅力に惹かれて集まる皆様のコメントが、すごく勉強になりました。これからも、記事と、皆様のコメントを読ませて下さい。陰ながら応援しております。
- 2007-11-13
- 編集
[C1770]
事件は15年前のことですが、未解決です。
私の率直な考えを申し上げさせていただきます。
私は「死刑制度」には反対です。
きっと私以外にも、「死刑制度」に否定的な被害者遺族の方が
多くいらっしゃると思います。
ただ、そのような声を発する機会がほとんど無いのが現実です。
色んな考えの遺族がいるという事実は、知らされていない
と私は思います。
- 2007-12-01
- 編集
[C1822] >papa1992様
いろいろな考えの遺族がいらっしゃること、「遺族感情を尊重する」と言いながら国はある種の「感情」しか「尊重」していないこと、しかもそれを国が「利用」していること、それらを考えると、なおさら死刑制度の矛盾が見えてくると私には思われます。
遺族に対するケアを充実させることと死刑を廃止することは矛盾しない、そのことも表明したいと思います。
- 2007-12-08
- 編集
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