コメント
仮に押し付けだとしたら、まず押し付けたアメリカにこうぎしなきゃ。
某元知事(現、仮称王政復古党代表)
仮称日本共和党・国家主権党党首
らは
オバマ政権に抗議して謝罪求めなくてはいけませんね。
アメリカが押し付け認めて謝罪して
そこまでしたら
やっぱりおしつけなんだ~て納得できそうです。
内田先生の予言的中?
内田樹研究室 改憲案の「新しさ」(2013年05月08日)
http://blog.tatsuru.com/2013/05/08_0746.php
しかし、村野瀬さんが今回のエントリーで取り上げられているアメリカからの「待った!」についても、今年の1月の時点で、すでに予言されていたのには恐れ入りました。
内田樹研究室 改憲のおねがい (2013年01月25日 )
http://blog.tatsuru.com/2013/01/25_1239.php
(以下引用)
「知への好奇心」の打ち上げで、ワルモノ先生を囲んでわいわい飲んでいるうちに、安倍政権の改憲についてのロードマップが話題になった。
7月の参院選でそれなりの議席を獲得したら、秋から改憲の動きが加速するだろうから、それに備えて「護憲の全国的なムーブメント」を組織化する必要があるのでは・・・という話だった。
私の考えは、少し違う。
最終的に護憲運動の柱になるのはアメリカだろうと思っているからである。
常識的に考えればわかることだが、改憲論者がうるさく主張しているように、現行憲法は「アメリカが押しつけた憲法」である。
なぜ「押しつけた」かといえば、アメリカの建国理念が「普遍的に正しい」とアメリカ人たちが信じてたからである。
日本国憲法はその前文から全条文に至るまで、「アメリカの作品」である。
それも「きわめてできのよい作品」である。
これと自民党の改憲草案を読み比べて「自民党案の方がいいじゃないか」という判断を下す人間は少なくともホワイトハウスにはいない。
たぶん一人もいないと思う。
(引用終わり)
>最終的に護憲運動の柱になるのはアメリカだろうと思っているからである。
安倍自民の暴走に「国民の力」ではなく「アメリカの力」でストップをかけてもらえたとしたら、それはそれで越したことはないのかもしれませんが、しかし、日本国民としては複雑な気持ちにならざる負えません。
>村野瀬さん、黒曜石さん
内田樹先生については、以前、ふなぼりすたさんも批判されていたことがありましたが、私も、内田先生の憲法論・政治経済論は全く評価していません。
護憲派の大同団結が何よりも求められているときなので、(私から見れば疑問ですが)護憲派と目されることのある内田先生批判をするのは控えていますが、彼の憲法論・政治経済論は衒学ぶった素人談義の域を超えていないと思います。
村野瀬さんが記事にされた(東京新聞に掲載された)「憲法記念日インタビュー」では、現行憲法は「押し付け」ではなく贈り物だと言っているのに、黒曜石さんが引用された記事では「アメリカが押し付けた憲法である(それは「常識的に考えればわかることだ」)と、全く矛盾することを平気で言っています。もともとこの人は論理的整合性ということを全く重視しない、というより、矛盾を良しとするような人だから、それはそれで一貫しているのかもしれません(笑)。
それから、黒曜石さんが紹介されている「改憲案の「新しさ」」という記事も読んでみましたが、やっぱり非常に一面的な捉え方がなされていると思います。何か人と変わったユニークなことが言いたい、という欲望に基づいてひねくり出された議論、という印象がします。自民党の改憲案は、「グローバル資本主義」イデオロギーに基づく改憲案で、国民国家を廃棄しようとしている、ということのようですが、「グローバル資本主義」は新自由主義と言い換えるべきでしょうし、そうすると、新自由主義がナショナリズムを強化するイデオロギーであることは理論的にも(例えばデヴィッド・ハーヴェイ)実証的にも証明されているのではないでしょうか。ですから、当然のことですが、自民党の改憲案には新自由主義的側面と同時に(むしろそれ以上に)国粋主義的なナショナリズムが色濃く投影されていることは(内田先生)誰にも否定できないでしょう。
また、「最終的に護憲運動の柱になるのはアメリカだろう」というのも、誤解もはなはだしいものです。改憲圧力が米国発であることは歴史的事実です。だから、9条を改定することはアメリカの要求に沿うことですが、96条先行改定のような改憲は、姑息であるばかりでなく、立憲主義にも反するものであるので、立憲民主主義の「先生」気どりのアメリカが、「できの悪い生徒を叱った」という構図でしょう。
訂正です
誤:(内田先生)誰にも否定できないでしょう。
↓
正:(内田先生以外)誰にも否定できないでしょう。
違い
しかも、安倍晋三がTPP参加や原発再稼働、辺野古移転の貢物を持っていてやっと会えた事を考えても違いが大きいと言えるでしょう。
本来、オバマ大統領は就任時のプラハ演説で「核を使用した唯一の保有国としての道義的責任」について言及するほどのリベラリストです。(その後変わってしまったが…)
朴大統領の 「(北東アジアの)地域の経済的結びつきはより深まっています。しかし歴史問題に端を発する隔たりは広がっています。過去に起きたことを誠実に認めなければ、明日はありません」という日本の極右政治への批判には諸手を挙げて賛成しているに違いありません。
ただ、アメリカが改憲を止めるかと言ったら、違うような気がします。
仮に、この改憲騒ぎが騒ぎとして収まったら(改憲出来なかったら)、それは紛れもない国民の力としましょう。
日本人がお上から賜るのをよしとし、自ら立ち上がる事のない国民性ですから無理からぬ話です、それは。
歴史上、市民革命が一度も起きた事がありません。
60年安保騒動の時に起きそうになったんですが、新聞が「七社共同宣言『暴力を排し議会政治を守れ』」で冷や水を浴びせました(発表された6月17日は“日本の新聞が死んだ日”と呼ばれています)。
黒曜石
>それから、黒曜石さんが紹介されている「改憲案の「新しさ」」という記事も読んでみましたが、やっぱり非常に一面的な捉え方がなされていると思います。何か人と変わったユニークなことが言いたい、という欲望に基づいてひねくり出された議論、という印象がします。自民党の改憲案は、「グローバル資本主義」イデオロギーに基づく改憲案で、国民国家を廃棄しようとしている、ということのようですが、「グローバル資本主義」は新自由主義と言い換えるべきでしょうし、そうすると、新自由主義がナショナリズムを強化するイデオロギーであることは理論的にも(例えばデヴィッド・ハーヴェイ)実証的にも証明されているのではないでしょうか。ですから、当然のことですが、自民党の改憲案には新自由主義的側面と同時に(むしろそれ以上に)国粋主義的なナショナリズムが色濃く投影されていることは(内田先生)誰にも否定できないでしょう。
>新自由主義がナショナリズムを強化するイデオロギーであることは理論的にも(例えばデヴィッド・ハーヴェイ)実証的にも証明されているのではないでしょうか。
私はハーヴェイ先生というう方は知りませんでしたが、ナオミ・クライン氏の『ショック・ドクトリン』やジャン・ジグレール(ツィーグラー)氏の『私物化される世界』(阪急コミュニケーションズ)などを読んで以来、「独裁的な政治(つまり人権抑圧的な強権政治)」と「新自由主義」とは、しばしば「セットで来る」と思っていました。人々から社会保障を受ける権利を取り上げ、「分不相応な分け前」を要求して立ち上がらせたりしないためには「重石」も必要でしょうから。だから、橋下徹氏についても、新自由主義者であることと、右翼的な方向で「独裁者」を目指すことは、特に矛盾しているとは思えませんでした。(ナショナリズムがかならず独裁制につながるというわけではないでしょうが、そうなる可能性が高いような気がします。)
ただ、内田先生のようにそれを簡潔にまとめて、一般人の眼に触れるマスメディアにも載せてくださっている方はあまり見かけないような気がしたので貴重だと思ったのです。特に「世界は今や国境に縛られない、おそるべき機動力を持つ多国籍企業(資本)とそこでエリートとして働く人たち、そして、生まれ育った国や土地にしがみついてしか生きてはいけないノン・エリートの人々に分かれつつある。(そういう話は他の識者の方も言っていたような気がします)そして、今回俎上に上がっている日本の憲法改正も、一見、その戦前回帰的な面からはわかりにくいが、結局は機動力のある資本やエリートの側に都合のいいように変えられようとしているのだ」(注:以上は、私の勝手な「要約」で内田氏の言葉そのものではありません)というようなことを一般向けに言ってくれる方は今の日本にあまりいないような気がしました。
私自身、二年前の原発事故の直後、関東も危ないのではとささやかれた時に、家族と一緒にどう逃げようかと考えました。子供はおりませんが、年寄りは親二人のほかに、近くの介護施設に入所中の親戚も居て私が保証人になっていました。当然、迎えに行かねばならないし、車におむつも積んで、持てるだけの現金や食糧を持って西へ逃げて、でもそのあとはどうやって生き伸びよう?仕事は捨てなければならないし、お客さんや近所の人たち、これまで支え合って共に暮らしてきた地域の人たちともバラバラになってしまう。向こうで職に就ける当てもない。まして、その時には3千万からの人々が難民になるわけですから、公的支援など容易に受けられるとは思えません。そう思うと実に暗澹たる気持ちになりました。
その後、外国の友人から、「東日本などにいては危ないから、いっそこちらへ来ないか?」と言ってもらったのですが、自分一人でさえ、言葉もままならず、他国で通用するような知識も技術もキャリアもなく、自立して生きていける当てもない。(二十代、三十代の若いころならば、まだ「外国で再チャレンジ」も可能かもしれませんが、そんな歳でもありません)まして老いた親なども連れていけるはずもなく、「気持ちはありがたいけれど・・・」と言って断るしかありませんでした。自分自身、この国どころか、この土地を離れては生きてはいけない人間なんだなとつくづく思いました。(それでも、うちなどは中年以上の人間しかいないので、まだ「がまんどころ」と諦めも付きますが、福島の線量が高い地域の、お子さんのいる家庭で「親子で逃げられる人はすでに他の土地に逃げてしまった。いろいろな事情で逃げられない人たちだけが残っている」という話を聞くと胸が痛みます)
それから、私も現在の憲法は「アメリカの押し付けだ」と思っています。ただしその意味は、あのような憲法を当時の日本政府が、当時絶対的な強者であった(というか、今も強者である)アメリカが押し付けたのでなければ、けして飲むはずがなかったという意味でです。
村野瀬さんの先月のエントリーにそのことはコメントさせていただいたのですが、よろしければお読みください。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4245.html
以下、私、黒曜石のコメントより
>たしかにあの時、日本の生殺与奪を握っていたアメリカが押し付けてくれなければ、当時の日本の権力者たちはこのような憲法を受け入れることはけしてなかったでしょう。彼等は、本当に嫌々ながら渋々受け入れたのです。しかし、明治の初めからから戦前にかけて、現憲法に近いか、ほとんど同じものを作ろうとして弾圧されて行った多くの人たちがいたことも忘れてはならない。だからこそ、当時の多くの日本人は新憲法を喜ばしいものとして抱きしめ、今日まで守ろうとしてきた。そのことの意味をもう一度考えてみるべきです。
>たしかにあの当時日本の権力者にとっては(改憲派の人々が言うように)「現憲法は力によって押し付けられた屈辱的なもの」です。それは間違いありません。GHQが当時の日本政府にも作らせてみた新憲法草案は、それまでの大日本帝国憲法をほとんど変えるものではなかったので却下されてしまったそうです。その点では当時の政府関係者にとって、現在の憲法は渋々飲まされた忌まわしいものでした。しかし、政治権力とは無縁の人々にとっては必ずしもそうではなかったと思います。
>そもそも改憲派の人々がしばしば懐古する「大日本帝国憲法」は国民各層の民意に基づいて作られたものだったのか? (以下略)
つまり私は現在の憲法は「日本の庶民にとっては贈り物」であり、「権力者たちにとっては押し付けられたもの」であったと思っています。おそらく内田先生もそのような意味で使われたのではないかと勝手に解釈しました。
9条については私もかつてはアメリカが、なんとしてもこれを改正(悪)させたがっているのだろうと思っていました。しかし、かつて小沢一郎氏なども「改憲せずとも解釈改憲で自衛隊を海外派兵出来る」と言われていました。正直言って、このあたりのことは私も詳しくはないので、あまり自信を持って言えないのですが、要は9条を改正(悪)させないと「使える国にならない」と思われているかどうかということですね。一方でアメリカは今も、日本のことを自分たちが「“ワル”から更生させた良いの見本」のように思って、そのことを誇りにしているかもしれません。何しろ「軍国主義下の封建的な社会しか知らなかった国民に民主主義を与えてやった」のですから。イラク戦争の時にもイラクを将来「日本のように更生させる」というプランがあったと聞いたような気がします。もしそうなら、その更生の「主要部分」である「平和憲法」を勝手に放り出すことは許さないという話はあり得るのではと思いました。
内田先生は「アメリカの建国理念が『普遍的に正しい』とアメリカ人たちが信じてたから」その思想の流れを汲んで作られた日本国憲法を日本に押し付けた、と言っておれらるようです。私も本当に浅学なものでアメリカ建国の理念が日本国憲法に及ぼしている影響というのは、あまりよく知らず、「ああ、そういえば、当然、そういうことになるのだろうな」とあらためて思ったくらいなのですが、検索すると子のようなpdfが出て来て参考になりました。
2.日本国憲法に影響を与えた憲法 http://kenbunden.net/constitution/files/shiryou_ver002/02_071129_a.pdf
アメリカ人が誇りにしているアメリカ建国の精神。(9条だけは特殊なものだと思いますが)その流れを受け継いでいる現在の日本国憲法。それを覆すということは、アメリカに対して「盃を返す」みたいな意味に受け取られても仕方ない。あのエントリーで内田先生が言われているのは、そういうことだろうかと私は思いました。
それとこれは内田先生とはちょっと別の話ですが、かなり前に、今は更新を止めてしまったある左派のブロガーさんが「護憲派の人たちは9条を日本が『平和国家』であり、日本国民が『平和的』な人々であることを示す担保のように言うが、9条は本来、日本が侵略国家であり、日本国民が自国の侵略行為をやめさせることができない人々であったことを示すもの。9条を『アメリカによる押しつけかどうか』という点ばかり見て『アジアによる枷』として捉えることのできない護憲派はダメだ」と書かれているのを読んで、思わずたじろいでしまったことがありました。9条護憲派にとっては厳しい言葉ですが、一理あると思いました。そしてもし、アメリカもまた9条が「アジアのための枷」でもあることを認識しているなら、「日本とアメリカだけの同意」で9条を変えてしまうのは難しいのではないでしょうか。
>黒曜石さん
(1)私が最近読んだ、『世界』6月号の内橋克人氏と小森陽一氏との対談のタイトルは「グローバル化の総仕上げとしての自民党改憲案」というものです。ですから、自民党の改憲案が復古主義的国粋主義イデオロギーと同時に、「グローバル化の総仕上げ」としての2つの側面を持つものだ、という指摘であれば、それは正しいと思います。私が内田氏の論説を批判したのは、それが前者の側面を否定しつつ、後者の側面だけを強調していた(と私は感じました)ので、「一面的だ」と批判したまでです。
(2)
>つまり私は現在の憲法は「日本の庶民にとっては贈り物」であり、「権力者たちにとっては押し付けられたもの」であったと思っています。おそらく内田先生もそのような意味で使われたのではないかと勝手に解釈しました。
私も黒曜石さんとほぼ同じ意見ですが、内田先生が果たしてそのような意味で使われたのか、私は少し疑問に思います。もしそういう意味であれば、それぞれの文章を読む読者に誤解なく伝わるように(黒曜石さんの文章のように)書くべきだと私は思います。
(3)
>要は9条を改正(悪)させないと「使える国にならない」と思われているかどうかということですね。一方でアメリカは今も、日本のことを自分たちが「“ワル”から更生させた良いの見本」のように思って、そのことを誇りにしているかもしれません。・・・・もしそうなら、その更生の「主要部分」である「平和憲法」を勝手に放り出すことは許さないという話はあり得るのではと思いました。
問題は、9条を改定しないでも、アメリカの要求通りに自衛隊を海外で活動させられるか、ということですね。自民党はこれまで解釈改憲に解釈改憲を積み重ねてきたわけですが、もうそれも限界に達した(ねじ曲げられるだけねじ曲げてしまって、これ以上ねじ曲げようがない)ので、今、遮二無二明文改憲をしようとしているわけです。どんなに詭弁を弄しても、日本の安全とは全く関係のない中東や中央アジアでアメリカが行う戦争に自衛隊が参加して武力行使を行うことは、9条を変えないままでは不可能でしょう。
そして、そのことはアメリカもよく知っているので、アメリカの支配層は明らかに日本に対して憲法9条の改定を求めています。アーミテージなどは何度もそれを明言していますね。
黒曜石
日本の9条について、アメリカ政府が現在どういうふうに考えているのか、私は共和党の時とは少し違うのではないかという気もしているのですが、とにかく注意して見守りたいと思います。
> 自民党の改憲案は、「グローバル資本主義」イデオロギーに基づく改憲案で、国民国家を廃棄しようとしている、ということのようですが、「グローバル資本主義」は新自由主義と言い換えるべきでしょうし、そうすると、新自由主義がナショナリズムを強化するイデオロギーであることは理論的にも(例えばデヴィッド・ハーヴェイ)実証的にも証明されているのではないでしょうか。ですから、当然のことですが、自民党の改憲案には新自由主義的側面と同時に(むしろそれ以上に)国粋主義的なナショナリズムが色濃く投影されていることは(内田先生以外)誰にも否定できないでしょう。
そういえば内田先生は「グローバル資本主義」という言葉は使われていますが、「新自由主義(ネオリベラリズム)」という言葉はまったく使われていませんでしたね。
実は私も最近、「新自由主義」という言葉は少し実際と違うんじゃないかという気もしているんです。もし、現在、日本を含む世界を覆いつつあるのが本当に純粋な「新自由主義」ならば、たとえば「大きすぎて潰せないから公金を入れて助けましょう」なんて、あり得ないわけですが、そうしたことに「ネオリベラリスト」として知られる人たちが悲憤慷慨して抗議したという話はあまり聞きません。
私は若い頃は「しらけ世代」とか「新人類」とか呼ばれた世代に属する“ノンポリ人間”でした。政治や経済について興味を持つようになったのは(というか、「自分の生活を守るためにも興味を持たざるおえなくなって来た」というべきなのですが)ここ十年くらい、ちょうど小泉内閣で自衛隊のイラク派遣が問題になったころからでした。だから、雑然とした付け焼刃の知識しかなく、このような場所にこのようなことを書きこむのは、本来、恥ずかしくもあるのですが、それでも一庶民として、思ったことを書くことにも何かの意味はあろうと、自分を励まして書いております。その理由の一つは、今の若い人たちの置かれた状況や、その言動を見ていると、私たちの世代がもっとしっかりと政治に関心を持っていれば、もう少し状況は違っていたかもしれないと、申し訳なく思うところもあるからです。もう、遅いのかもしれない、でも、自分なりに学びつつ、せめてネット上で言えることは言い、いろいろな方のご意見も拝聴して行かねばと思うようになりました。
これからもご教授よろしくお願い致します。<(_ _)>
すみません (^_^;)
>黒曜石さん
遅ればせながら、また、私は経済音痴なので僭越なのですが、黒曜石さんの次のコメントに対して私なりのお返事をさせていただきます。
>実は私も最近、「新自由主義」という言葉は少し実際と違うんじゃないかという気もしているんです。もし、現在、日本を含む世界を覆いつつあるのが本当に純粋な「新自由主義」ならば、たとえば「大きすぎて潰せないから公金を入れて助けましょう」なんて、あり得ないわけですが、そうしたことに「ネオリベラリスト」として知られる人たちが悲憤慷慨して抗議したという話はあまり聞きません。
私の考えを述べる前に、以前の私のコメントで、「「グローバル資本主義」は新自由主義と言い換えるべきでしょう」と言った部分は撤回します。どちらでも同じことだからです。ただ、新自由主義の方がいいのではないかと思ったのは、「グローバル資本主義」という言葉が条件反射的に「国民国家」やナショナリズムのアンチテーゼであるかのような誤った印象を与えてしまうのではないかと思ったからです。
さて、黒曜石さんは「本当に純粋な「新自由主義」ならば」とお書きになっておられますが、私はそもそも「純粋な新自由主義」など(現実には)あり得ない、と思っています。というか、新自由主義とは壮大な矛盾の体系だと思っているからです。
新自由主義は「大きな政府」を批判して、市場における自由競争と個人の責任を強調するわけですが、労働法制の規制緩和は労働者の権利を剥奪して貧困と格差を広げただけでなく、独禁法などの規制を緩和することは独占や寡占をもたらし、自由競争の縮減を招きました。また、個人責任を強調するのは、福祉国家を解体し、教育・福祉・医療・年金といった社会保障分野における公的責任を解除して、市民に自己責任を押し付けるためですが、その一方で、企業の生み出す社会的リスクは自らは負わずに国家に転嫁し、資本の自由な運動を妨げる障壁を除去したり、国際競争とグローバル化を促進したり、新自由主義的な政策に反対する市民の運動を弾圧するためには強権的な立法や国家の治安権力を躊躇なく利用しています。そして、福祉国家と社会保障制度の解体によってバラバラになった社会の紐帯と秩序を維持するために、家族や伝統の価値を強調し、国家の安全に対する国内外の脅威を煽り、軍事力の必要性を強調するナショナリズムを動員しているのが、現実の新自由主義=グローバル資本主義ではないでしょうか。
1970年代に、ハイエクやフリードマンのノーベル経済学賞受賞によって脚光を浴びた新自由主義は、経済学的には19世紀末の新古典派ミクロ経済学の焼き直しですが、政治学的には、同時期にロバート・ノージックらが提唱したリバタリアニズムとは無縁であり、後に米国で台頭してくる新保守主義(ネオコン)とは非常に親和性があると思います。「新自由主義」という言葉の中の「自由」とは、決して個人の自由ではなく、あくまでも企業、それも大企業が暴利を貪る「自由」しか意味していないのではないかと思います。
終戦により民主主義が与えられ輝きを取り戻しましたが閉口3月1日は祝うべき日。2・8独立宣言書全文 3・1独立運動の導火線になった2・8独立宣言書の全文を紹介します。
少し長いですが,ご容赦ください。
2・8独立宣言書
朝鮮青年独立団はわが二千万の民族をTakeshi3月1日は祝うべき日。3・1独立運動宣言書全文 3・1独立運動宣言書全文は次のとおりです。
宣言書
わたしたちは、わたしたちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人
が自由な民であることを宣言するTakeshi森友問題の不正についての追及を避けるための「避難先」のイタリアから帰国し栄転した #谷査恵子さんの証人喚問を要求します 官僚組織の欠陥 菅義偉首相の長男が勤める東北新社の総務省役人への接待は,国家公務員の倫理問題だけではなく贈収賄の疑いが極めて濃厚です。
接待を受けた高級官僚は「記憶にない」Takeshi天皇の記者会見から憲法関係の部分をカットするNHKは誰のために報道しているのか?昭和天皇の戦後責任を考える。「天皇の昭和史」(藤原彰・新日本出版社)から一部引用します。
1946年末に天皇に近い某高官がGHQ高官と会談している。
「目下陛下がきわめて憂慮しておられるのはTakeshi3月1日は祝うべき日。今年の集会朝鮮独立運動の集会、今年の集会はオンラインで2月27日にありましたね。
動画あり。
https://www.youtube.com/watch?v=ZE5KochHicg&feature=youtu.be
基本的な情報はこkuroneko昭和は輝いていなかった、少なくとも1945年までは。 (テレビ番組「武田鉄矢の昭和は輝いていた」への批判的感想)武田鉄矢という人間 武田鉄矢はたしか福岡教育大学の在学時に教育実習をしたことがあり,その説教くさい話し方がうけてテレビ番組の教師役がまわってきたと記憶しています。
反動右翼であTakeshi『戦争を受け入れる社会の変化について』半藤一利さんの死去に関して思う。 半藤一利さんが亡くなったとき,彼が「日本の一番長い日」の著者で軍部を痛烈に批判していたことから,彼の功績をたたえる声が多く聞こえました。
しかしながら,彼のTakeshi死刑FAQ (適宜更新)修復的正義の実例(2)「福音と世界 2021年3月号」から.石原明子・熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授の記事を紹介します。
韓国の連続殺人事件被害者家族K氏の事例
韓国で史上最Takeshi死刑FAQ (適宜更新)米バージニア州の死刑廃止を歓迎する過った過去の遺物である死刑制度。
今では先進国で存置している国は、日本とアメリカの一部の州だけになりました。
2月22日アメリカのバージニア州議会は死刑を廃止す閉口圧政、暴政に抵抗する人は民主主義の偉人である。 ( #ゾフィー・ショル 生誕100年)昭和の金融恐慌により始まった軍事テロは、日経平均株価が三万円を超す現在では
二・二六事件のような軍事蜂起が期待されない。しかしながら、国家騒動員法制定さながらの柿ノ木潜蔵コロナウィルスのクラスター発生、医療・福祉施設で45%との2020年12月の分析を読んで (個人的メモ)No title政府がまた“支援”と銘打った悪巧みをしているようです。なんでも、コロナ禍で苦しむ女性を支援するための「情報発信を強化する」プロジェクトチームなのだとか。
https://w当て身投げ圧政、暴政に抵抗する人は民主主義の偉人である。 ( #ゾフィー・ショル 生誕100年)圧政、暴政を行った人が日本では偉人日本では圧政、暴政を行った人が偉人、英雄とみなされる国です。
抵抗した人は権力に楯突く不届き者とみなされます。
学校の歴史教科書も時の権力を肯定的に記載しています閉口圧政、暴政に抵抗する人は民主主義の偉人である。 ( #ゾフィー・ショル 生誕100年)皆さまほとんどコメントに返事せずコメント公開も遅れがちないつもの不義理についてのお詫びの気持ちとともに、記事公開後たった数時間の間に早速コメントいただいた皆さんに少し村野瀬玲奈圧政、暴政に抵抗する人は民主主義の偉人である。 ( #ゾフィー・ショル 生誕100年)我々日本人が我々自身を改革する必要に迫られている久々にコメントさせていただきます。
なるほど、我々日本人の歴史を見ても真の意味での『民主主義の偉人』はいない、もしくは少ないと言っていいでしょう。江戸時代初期のNeutalizer鳥取県の女性差別的婚活パンフ森喜朗は中世欧州からのタイムトラベラーか 6世紀のヨーロッパでは,女に魂があるかどうか投票で決めたそうです。
13世紀にはトマス・アクィナスが「女は神がおつくりになった失敗作である」と言ったそうです。
Takeshi圧政、暴政に抵抗する人は民主主義の偉人である。 ( #ゾフィー・ショル 生誕100年)英雄がいない社会をつくりたい。 反戦ビラをまいただけでギロチンにより処刑されたゾフィー・ショルは,たしかに民主主義の英雄であり,その悲劇的な最期を語り続ける必要があるとは思います。
しかしTakeshi圧政、暴政に抵抗する人は民主主義の偉人である。 ( #ゾフィー・ショル 生誕100年)恥ずかしながらこんにちは。
更新、お待ちしていました。
恥ずかしながら、初めて知りました。
現代の私たちも、抵抗する人でありたいものです。DANGER MELON第二次大戦中の大日本帝国軍による性的な目的の女性の人身売買はひどい人権侵害との立場を米国務省が表明 (+ラムザイヤー論文問題メモ)日本政府及びメディアの対応を予想する。 日本政府高官及びメディアは,アメリカの国務省が言うのであれば何も言わないと思います。「О嬢の物語」(テーマ:完全な幸福は,服従にある)のО嬢か「家畜人ヤプー」みTakeshiフランスの経済学者トマ・ピケティに注目する奴隷制によって栄えたアメリカ トマ・ピケティは,「21世紀の資本」の中で次のように述べています。
米国南部と北部の州を区別して1770-1810年のこの二地域の資本構造を同時期のイギリス,フランスTakeshiバイデン・米大統領が第二次大戦中の日系人強制収用について反省と公式謝罪の声明アメリカは建国に際しての先住民虐殺を謝罪できるか。 アメリカでは,毎年1万人以上が銃で殺されています。6歳の男の子が6歳の女の子を射殺した事件もありましたし,銃の乱射事件により複数の犠牲者が出ることも珍しくありまTakeshi放射性物質を含む汚染水を海に放出する日本政府の決定は世界から見られている。日本だけの問題ではない。 #汚染水の海洋放出決定に反対します格納容器の損傷拡大か 2021年2月13日,福島県沖を震源とする比較的大きな地震がありました。福島県と宮城県に被害が出たと聞いています。
地震発生直後,東京電力は原発について「異常の報Takeshi死刑FAQ (適宜更新)パキスタンの最高裁が精神疾患者の死刑執行を禁止 アムネスティ・インターナショナル・ニュースによると,パキスタン最高裁判所は2021年2月10日,精神疾患を持つ死刑囚2人の刑を減刑する判決を言い渡しました。
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「解放軍はほんとうに患者を大事にするんです。”敵も味方も医療従事者は,患者のためTakeshi死刑FAQ (適宜更新)修復的正義の実例 石原明子・熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授が,「福音と世界 2021年3月号」に修復的正義の実例を紹介していました。一部引用してお知らせします。
米国の殺Takeshi従軍慰安婦の存在やその非人道性を無視することは許されません。(「民主党慰安婦問題と南京事件の真相を検証する会」への疑問)従軍看護婦の悲劇と深い苦悩 従軍慰安婦のほかに従軍看護婦という女性がいたことは,あまり話題にあがったことがないように思います。
日赤で教育を受けた甲種看護婦は,教育終了後12年間応召の義Takeshi死刑FAQ (適宜更新)天皇制と死刑 太田昌国さんが,「福音と世界 2021年3月号」に書いていたものを一部引用しながら紹介したいと思います。
1910~11年の「大逆事件」に象徴されるように,「死刑」とTakeshiフランスの経済学者トマ・ピケティに注目する「21世紀の資本」を読み終えました。「21世紀の資本」(トマ・ピケティ・みすず書房)608ページをようやく読み終えました。論点は多岐にわたりますが,印象に残った個所を書き出したいと思います。
資本主義Takeshi死刑FAQ (適宜更新)修復的正義 石原明子・熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授が修復的正義ということを「福音と世界 2021年3月号」(新教出版社)で述べていました。死刑制度に関して参考になるTakeshi死刑FAQ (適宜更新)死刑賛成弁護士 田鎖麻衣子弁護士は,「福音と世界 2021年3月号」(新教出版社)で「2020年は,東日本大震災のあった2011年以来の死刑執行ゼロの年を迎えたが,これはCOVID-19の拡大状Takeshi