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新聞を賑わす殺人事件の件数は少なく、一人二人を殺害した小規模な事件であり、その動機も人間の感情の範疇に収まるものばかり。親殺し子殺しに至っては、神話の時代から語られ続ける「人情殺人」。
私達の社会は、チカチーロもジャックもあまり居ない社会、と言えると思います。
では、凶悪犯・猟奇犯罪者は日本のどこに住んでいるのか。阿部定事件など伝統的に見られる事件報道からわかるように、猟奇とは私たちが好んで摂取しているもの、いわばネバーランドと言えます。
社会が理性的に運営されるために、各自がこっそり内面で消費する猟奇のネバーランド。猟奇犯罪者とは私達のピーターパンです。
となれば、親殺しが青春のテーマとなり、極めて人間的に猟奇な私達が、『なぜこうも平和に暮らせているのか』
その点を分析すれば、より安全なリスク回避策も取りやすくなるのではないかと考えます。
犯罪の抑制の抑制
具体的に言うと、いちいち細かいことに目くじら立てずに放っておくのです。
そもそも『犯罪を抑制』しようと無駄なあがきを繰り返し、いちいち新たな『犯罪』のカテゴリを作り出しているからこそ、『犯罪』がどんどん増加するのです。
法律の運用を緩くして『犯罪』にあたる行為そのものを減らしてしまえば、犯罪件数は劇的に減るでしょう。
みんな大人なんだから、細かいことは気にしない。多少悪い奴がいても酷く悪い奴じゃなければそれはそれで放っておけばいいのです。
もちろん『凶悪犯罪』は減らないでしょうが、逆に言えば凶悪犯罪はめったに起きないから『凶悪』なのであって、一般人にはほとんど縁の無いものなのです。(死刑廃止論が一般社会で盛り上がらないのは、この縁の無さに起因すると思います)
凶悪犯が死刑になろうが無期懲役になろうが無罪放免になろうが、そいつが隣に引っ越してこない限りは他人事なのです。
で、『凶悪犯が絶対に自分の隣に引っ越してこない方法』はなんでしょう?それは死刑です。死人は絶対に隣に引っ越してきません。だからアンケートをとれば当然死刑賛成派が多数になるのです。自分にとってほとんど無縁な、『死刑によって侵される人権』という見えない不利益と、『隣に犯罪者が越してくるという可能性』という目に見える不利益の比較なのですから。
しかし実はもう一つ方法があります。
それは、犯罪報道を規制して、いちいち被告がどうなったかニュースにしない方法です。どんな元凶悪犯だろうが知らなければ誰でも普通の人間として接することができます。
しかしニュースは単に市民の好奇心を満たすためだけに存在し、市民は他人の悲劇に飢えています。放送局による自主的な規制は働かないでしょう。
これを掣肘するには市民の虚栄心を刺激し、他人の不幸を覗くような下卑た好奇心を持つことそのものを禁忌とさせるしかないと思います。
しかし細かいことは気にしない、他人の不幸を喜ばない、そういうメンタリティになるには自分がそこそこ幸福でそこそこ豊かであることが絶対条件として必要です。
まとめると
・景気を良くする
・マスコミを規制する
・取り締まりを緩くする
ということで。こんなもんでどうでしょう?
どっとはらい
終身刑
はたして国民的な合意が得られるでしょうか・・・?
難しいですが、貧困の状況を少しでも改善して(人々が野宿や不安定労働に出来る限りつかなくてすむような状況を作り出して)、いくのが重要だと思います。
貧困から生まれる犯罪が、その状況が改善されない限り、後の世代にもどんどん続いていくことが映画『シティ・オブ・ゴッド』に描かれていました。(ブラジルの麻薬販売に関わる子ども達の話です。)
貧困が続く限り、犯罪を犯さないと生きていけないということもありえます。世界規模での貧困の問題を考えなければ…
厳罰化をしたって、網の目をくぐりぬける犯罪もありますし、根本的な解決にはなりませんよね。
厳罰化と報復主義に反対
ちなみに犯罪に対する厳罰化は、軽犯罪等なら一時的な抑止になるかもしれませんが、根本的な問題の解決にはならないように思います。私は厳罰化には反対です。
三つの提言について私なりに意見を述べると。
その一。冤罪のない社会は実現可能かと思いますが、 犯罪のない社会は人間の本質が変わらない限り難しいと思います。でも犯罪は減らすことはできると思います。まず第一に犯罪の社会的原因を検討し、それに対する対策を考えるべきだと思います。
その二。最近の日本は、犯罪者に対して、「殺せ」「死刑だ」「一生監獄から出すな」といった全体主義的な、魔女狩り的なバッシングの大合唱。排除、隔離政策で臨んでいます。
でも私は、どんな凶悪な犯罪を犯した人にも人権はあると思います。生きる権利はあると思います。排除がまかりとおる社会は恐ろしいと思います。排除がまかりとおればそのうち、「需要と供給の原則からはみだす人間はみんな死んでしまえ」なんてことになりかねません。
犯罪者に対しては、まず更生を第一に考えるべきだと思います。更生には時間がかかると思います。長い目で見てあげることが大切ではないでしょうか。
その三。最近の日本でよくいわれる被害者、被害者遺族の人権、立場とは、私は、加害者に対して報復することでは、報復的な態度で臨むことではないと思います。もし私が被害者や被害者遺族だったら報復なんかしたくありません。
私も精神的、物質的ケアを制度化し、長期にわたって運用してあげることが一番大切だと思います。
私の意見~現行存続・その発展で対処すべき~
ここでは死刑存廃については直接的には問われていないようなのでそれについての意見を述べるのは避けます。
さておき、いただいておりますお題について意見を申し上げます。
その一。犯罪と冤罪がなく司法が公正に運用される社会をめざすこと。
>>現行の刑事訴訟法にて十分に担保されていると思います。今後裁判員制をとることで「12人に怒れる男達」同様にさらにそれが強化されることと思います。もちろん、現行法制下で違法捜査・尋問を防ぐためにも取調時の録画等、容疑者の人権も担保される仕組の強化は図るべきだとも考えます。
その二。犯罪者を社会の中でどう遇するかを尊厳ある人間社会のありかたとして決めること。
>>刑務所の意義から考え直すべきかと思います。そも現況、刑務所が趣旨である社会復帰のための再教育の場として機能しているかどうか?ということ(再犯率の増加等)、その問題がある場合は予算・人員等の手当で対処が可能かどうか考えることが第一歩かと考えます。
そして犯罪者の出所後の処遇については特定の篤志家の方々(私は大変尊敬しています)に頼るのではなくプロフェッショナルな弁護士等が国の委託を受けてそのフォローにあたる仕組を用意すべきで、その助言のもと再就職等便宜を図り、社会復帰を現状以上にシステマティックかつミクロに促していく組織を強化することが結果的に社会的コストの軽減に繋がると思います。
ただ、基本的には軽重に関わらず犯罪者は尊厳あるはずの人間社会に対してなんら敬意を抱かず、あるいは関心すらもっていないことが犯罪を犯す原因ですから小学校のころからおっしゃるような尊厳ある人間社会について毎日ホームルームにでも洗脳するぐらいのことが必要かもしれません。
その三。被害者や被害者遺族への精神的・物質的ケアを制度化し、運用すること。
>>これは犯罪被害者等基本法が成立したことで大きく前進できる道ができ、かつ積極的にこれを拡大対応すべきだと思います。もちろん一義的には加害者が負担すべきものではありますが、私個人としては負担する能力がないものが犯罪を犯した場合の担保として極めて重要な手当である考えます。
それでは、犯罪者のやり得ではないか、という批判については、全て国が負担する際に、それについて犯罪者に代位して国が支払ったものとし、その求償権を国が確保すること、その支払について国税庁が国税とならび全ての債権に優先する国庫歳入として個々人の能力の限度に応じて30年等の長期間かかったとしても法定利息を付利し、徴求する等の処置をとることでそれを防ぐこととする方法はとれるのではないかと思います。
要は恥ずかしい目に合わされる事が周知されれば効き目あると思います。
例えば、特殊なガラスでも結構ですが戸外に設置したワンルーム程度の広さの箱の中で生活させ24時間、晒し者にする罰があれば大概、ひくでしょうしね。
この刑があるなら死刑廃止でも良いです、私は。
>みなさま
個々のコメントについて私から何かを言うのはもう少し控えますので、提言をしたい方、自分の考え方を表現したい方は私のエントリーをお読みの上お願いいたします。
被害者の人権
死刑を人権侵害と考える廃止派との間では、
社会のありかたを考える上で絶対的な観念の違いがあると思います。
そこから言える事は、民主的社会をつくる方法論が全然違うという事です。
無駄とは言えませんが、それよりも、
現在何故、日本の殺人発生率が世界でも珍しく減少傾向かという事を
全力でお互いの立場から考える方が有益と考えます。
そこから共通の観念、哲学?倫理?等?が
立ち上がってくるのではないでしょうか?
存置の立場から一言。
死刑が違憲という最高裁判断がない事から、
現在時点で死刑は人権侵害ではないというのが日本国です。
ここに死刑と人権に関する矛盾はありません、日本では。
国以外の犯罪は私人間での問題で、
直接憲法(人権)を適用できないのはご存知だと思います。
そして、被害者の人権をも含んだ規律が刑法であり刑事訴訟法だと思います。
これらの法令が現在も存在し続ける事自体が、
日本では矛盾が最小化されている証明と考えています。
存置派は刑罰として、まず死刑を前提にしますが、
考える事は死刑にしない理由です。
その理由を一生懸命探ることで命について深く考えているという事を言いたい。
「死」の違い
私の意見には耳を貸してくれない廃止派の人が多い中で、
奇特な方です。
私は推進派です。
あなたは加害者であっても人権はあると申しますが、人間には、行ったこと、言ったことへの影響そして、あらゆる良し悪しの結果が生ずることは理解されますよね、つまり所謂、「ツケ」といわれるものです。
これは、国単位の法律に依るものではなく、自然の持つ「掟」と言うものです。
この自然の「掟」という定理、原則を踏まえた上で、各国は独自に社会規範として「法律化」しているのです。
ツケは、殺人を行えば、原則自らも「死」を生ずる可能性があることを示唆しているのです。
日本が侵略戦争を行った結果、原爆発明使用に結びつくツケを払わされたようなものです。最近では、米国が侵略戦争を始めた結果、抵抗の憂き目に合い、経済破綻が進み、国の影響力が低下していく元になっているのです。これらがツケと言えるものですね・・・・
あらゆる刑罰がその犯罪行為の重さによって決められていることもご存知ですよね、「応報刑」です。
殺されたら、なぶり殺し返す、というのが、人間の自然な感情だと思えます、というのは、「ツケ」には、相手があれば「利息」が発生するからです。殺人者はほとんど多く「死刑」の存在を理解してその上で殺人を行います、つまり確信犯な訳なのです。
殺人時では実際にはそのことは意識の外に追いやられてしまうでしょうが、逃げる、隠蔽する、その行為の時点で、「死刑、もしくは厳罰」が頭の中を過ぎることでありましょう。それは自己保存本能でもあり、自己愛の一種でもあるのです。その自己
を守るために多く関係ない他者を殺すのです。
それに対して、被害者は何の落ち度もなく、自分が何故にこの人に殺されなければならないのか?自分の今までの人生はなんだったのか?意味も分からず、神に問いかける間もなく、これからの楽しい人生、家庭生活を理不尽に奪われるのです。
この対比が「死」への誘いの点でイコールとなるのであるならば「世の無情」です。
さて、最初にこの意味合いから始めましたが、長くなってしまうので、とりあえずこの辺にしておきます。
賠償責任優先の原則
自由主義的な切り口でも、死刑の不条理さを考えてみました。
他人に自由や財産を侵された場合、その解決のために、2つの処置をしなければなりません。
(1)法秩序の維持(回復)
(2)侵害行為の原状回復・賠償
死刑制度では、(1)が優先され(2)を省みられません。それどころか最近では、死刑=侵害した者を殺すことがあたかも(2)侵害行為の賠償の代替行為のように世間で言われるようになりました。
しかし現実には、例えば一家唯一の働き手を失い、その相手(侵害者)から一銭も金銭的な補償がないままに暮らさなければならない、ということが往々に起こっています。
死刑は(1)の為のもっとも「厳しい」行為ではあっても、(2)の行為を被害者親族が求めるのを現実に妨害してしまっています。
また、被害者親族に「極刑を望む」と証言してもらうい、死刑判決を促す法廷での手段が執られていますが、これは、(1)のためを考えると、かえって法秩序を乱すことになります。
なぜなら、親族の求めの強/弱によって、量刑を操作しようと試みているわけで、判事団の「公平で法に準拠した」判決を、”情”(状況)によって揺るがそうとしているからです。
つまり、刑法的な側面である(1)と民法的な側面の(2)を混同し、しかも一方の処置が他方の処置を「物理的に不可能としてしまう」という、不条理を、今の死刑制度は抱えているわけです。
被害者の真の救済のためにも、法秩序(法のもとでの平等)を守る意味でも、犯罪事件で(1)(2)を厳格に分け、死刑を解決方法のオプションとして用意しないことを、望ましいと思っています。
左翼票を喪っても連合の組織票と冷笑系の浮動票で挽回できると踏んでいるのでしょう。左翼左の人「江戸しぐさ」という歴史偽造 (メモ) 江戸しぐさなどと揶揄される江戸時代はそんなにひどかったのか。 江戸時代は暗黒の徳川家専制の時代,明治はその暗黒を取り除いたと明治政府は公言しました。たしかに江戸時代は言論の自由も表現の自由もなく,身分制度もあり素晴らしいTakeshi東京都人権部は、過去にあった凄惨な人権蹂躙を検閲して隠すという歴史への蛮行を、税金を使って始めた。強く抗議します。カチンの森事件の隠蔽という悪事 日本に酷似 1940年4月,5月に25000人以上のポーランド市民がソ連内務人民委員部(NKVD)によって銃殺されました。犠牲者は大部分が陸軍将校であったものの,知識人,大学教授,学校Takeshi法的根拠のない「国葬」を日本国民が止められないなら、自民党による戦争や暴政を止められるのだろうか。だから #国葬反対 #今からでも国葬中止を #国葬を国民の力で葬ろう権力者は身の危険に対して鈍感 安倍晋三は,たしか身の安全をはかるようにと国会で野党議員から助言されていたかと思いますが無視しました。岸田文雄も安倍の前例があるにもかかわらず,まさか自分が狙Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。まだまだコロナには注意が必要,マスクも必要私の先輩で高齢の友人が新型コロナに感染しました。夫婦二人暮らしで推奨されるワクチンはすべて接種していました。喉に死ぬほどつらい痛みがあり,何をする気力もなく,こTakeshi入管難民法改悪案阻止のため立憲民主党が法務大臣への問責決議案を出したことを評価する。#立憲ボイス @izmkenta @saito_yoshitaka #改悪入管法の強行採決反対冷笑系を唾棄したいFAXによる請願で、件の政策秘書と同様に「そんなのをやっていたら市民運動の言うことを誰も聞かない」などと喚き散らすのが見られます。
そういう冷笑バカは、「対案を出アンドリュー・バルトフェルド小規模市民運動のためのヒント(メモ)No title「サイレント」と聞いてグレタ・トゥーンベリさんが真っ先に頭に浮かびます。
彼女は一人で運動をはじめ、それが世界にまで広がっていった…すごいですよね。津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title『「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.ewkefc国会前で #入管法改悪に反対 した5500人(2023年6月5日)No titleでも
5500人の方々が集まってくださったことは、一筋の光明だと思います。
地方在住でパニック発作もあり、なかなかデモには参加できないのですが、地方からもできるだ津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title全くそうですね。
戦後の長年の保守政権、その流れをくむ自民の憲法軽視(アベ以降は憲法無視!)が、戦前からの「拷問及び残虐な刑罰」的体質を矯正するどころか、許し続け津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title もともと入管当局というのは特別高等警察の残滓みたいな組織でした。周知のように特高とは大日本帝国の暗黒面を代表するような組織であり、多くの人々を拷問にかけ痛めつクテシフォンまた核発電所大規模事故を招くもとになる可能性のある原発回帰推進法の自国維公による可決に抗議する原発回帰推進法の可決に強く抗議する選挙で信を問うこともなくGX脱炭素電源法が政府与党とその補完勢力である維国の賛成で可決されました。
GX脱炭素電源法とは名ばかりその実は原発回帰推進法そのもので閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。#改悪入管法の強行採決反対入管法改悪をめぐって政府与党の問題が次々と明るみに出ています。
難民審査「1年半で500件」は可能なのか、不可能なのかについて齋藤法相は答弁を180度転換、ただただ閉口閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。No title立憲は、「てめえを踏みつけている奴らに媚び売ってどうすんだ」というのを何度も思います。
泉が平熱パニックおじさんの番組で飲みながらヘラヘラやっていたし、枝野がプアンドリュー・バルトフェルド津野香奈美著「パワハラ上司を科学する」(ちくま新書)No title日本では「上司」=管理職が何たるものかが理解されずにずっーと来ましたよね。
「仕事ができる=管理職=出世」ではなくて、労務管理能力のある人が管理職なんですけど。津木野宇佐儀デモの精髄を、フランスの年金カイカク反対デモに学ぶ。「もし私たちが私たちの両親の年金のために闘わなかったら、誰が私たち自身の年金のために闘ってくれる?」 (2)No title日本でもかつて「売上税」阻止をデモとメディアの攻勢で廃案に持ち込んだことがありましたよね。
本当は日本でもできた・「できる」ことなのですが…
日本国、否、自民国JAP津木野宇佐儀#入管法改悪反対アクション に取り組む人々の姿が、辛うじて日本国の人権意識の消滅を防いでいる。No title 週刊新潮や産経新聞の記事は、これらのメディアが人権など一顧だにしない事、ひたすら保守政権の後押しをする集団であることを如実に示しています。予想通りの行動を採るクテシフォン国会議員の居眠りについての自民党・河野太郎の言い訳(メモ)自分達の事ばっかり何から何までろくでもない野郎ですね。
主張する事は、常に自分達特権階級の擁護ばっかり。
庶民が、病院でマイナカードの不具合で受診できまいがお構い無しで、不具合隠K.Mina相模原市の障がい者虐殺事件の容疑者が釈放されてニュースキャスター長谷川豊の名でネットメディアで「透析患者を殺してもよい」と言っているのかと思った。精神障害者である自分を肯定する人もいる。 昔は精神分裂病と言われた統合失調症は100人に1人がかかるごく一般的な疾患なのだそうです。日本の人口が1億2000万人であれば120万人が罹患していることになります。発祥Takeshi自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議しますNo title>ブログ主様
>まだまだ闘わなければ日本の民主化は成し遂げられません。あきらめた時が負けです。
>決して腐ることなく、戦い抜きましょうと、多くの人に呼びかけ津木野宇佐儀自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議します私はマイナンバーカードを持ちません。 私もマイナンバーカード取得強制に反対でコメントを2日前から投稿したのですが,F2ブログからはねられていました。よくあることですが。
私のもとには過去に市役所Takeshi問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します まだまだ使えて誰も不便に思ってない道路をわざわざぶっ壊して新しい道路を作るようなことは東日本大震災の被災地ではよく見る光景です。復興という錦の御旗があれば無駄左の人問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します朝日の劣化ここ数日で「朝日は滅びろ」というのが強くなりました。
成果が疑わしいG7の報道でも「何を食った」とどうでもいいことをやっていて「核軍縮」の退行を流しもしない。
最アンドリュー・バルトフェルド首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。 (2)くだらん擁護が悪目立ち青瓦台で同じことがあれば、トチ狂ったように連日報道業者が喚き散らします、絶対に。
「他人の振り見て我がふり直せをやったら死んじゃう病患者」が余りも多すぎる証左にアンドリュー・バルトフェルド入管法改悪は自民党政府による外国人へのさらなる虐待のようなものです。 #入管法改悪反対No title 立法事実(その法律が必要とされる社会的事実)が存在しない法律は、それだけで憲法違反となるというレベルのものです。内容面でも問題だらけの法律案ですが、それを無理やクテシフォン石垣島への陸上自衛隊配備について住民投票を求める規定数以上の署名を集めたのに住民投票実施を行政からも司法からも却下された異常事態芸人・加藤浩次の差別発言 5月27日,TBS系の「人生最高レストラン」で,糸満市にある沖縄そば店を紹介した際に,店の様子を紹介する映像が流れ,「11時30分~15時だけの営業」というテロップが表示Takeshi岸田文雄首相の息子で政務担当首相秘書官、岸田翔太郎が辞任へ。こんな幼稚で思慮浅い息子にしか育たなかった岸田文雄首相自身も父親失格だし政治家の器でもないとバレた。息子の更迭を断固拒否したのは首相夫人 岸田翔太郎の首相秘書官更迭を首相が実行しようとしていたところ,裕子夫人が断固反対したのだそうです。それでも翔太郎が,心が折れてもう辞めると言ってきかないので更Takeshi強制ではなく任意のはずのマイナンバーカードについての世論調査に強い異議あり。 #保険証廃止は白紙に戻せ #マスメディアへの不満 #マスメディアへの不信 設問による誘導と言えば、先日の時事通信と毎日新聞がアレでした。
「野党第一党は立憲と維新でどちらがいいか?」という設問ですが、それを自民党や公明党の支持者に左の人死刑FAQ (適宜更新)死刑再開を議論しなかったノルウェーについて思うこと 村野瀬玲奈さん,情報提供ありがとうございました。
私が長野県中野市で起きた,立て籠もり・刺殺銃殺事件で連想したのはひとつはキム・ヒロ事件でした。朝鮮人を差別Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。No title「脱マスク」(日本は着けるも外すも任意!なのに!)のせいなのか、インフルエンザ、はしか等が流行ってますね津木野宇佐儀