コメント
人が死んでいるんだ!!!
その事実の前に、「魅力」「伝統」?
ありゃしねえよ。
君たちにはあったのかもしれない。
でも死んだ彼にとってはどうだったの?
この記者会見にあるのは過去を反省しない、向き合わない自己正当化です。
この態度どこかで見たことはありませんか?
ただし嫌がらせなどは論外です。
意思表示の内容が間違っていると考えるなら反対の意思を返すしかないのです。
高校生にもなれば
でも、高校生にもなればデモの申請くらいできますし、記者会見だってマスメディアを集めることさえできればそう難しいことではありませんよ。
自分が高校生だったときのことを振り返ってみれば、ある程度社会に対して意見を持っていた記憶が一つや二つはありませんかね? それを表に出すか出さないかの違いだけですよ。現在は、表に出す方法を教えてくれる情報源が、十数年前に比べれば格段に多くなっている訳ですし。
そして、世界に目を転じれば、高校生がデモをするというのは当たり前のことですよね。チリの教育無償化を求めるデモとか、フランスの若者に不利な雇用対策に反対するデモとか。
なのに「やらされている」と考えるのは、高校生というものを過小評価し過ぎですし、子どもを信頼していないということになるんじゃないですかね。
>なめぴょんさん、みどりさん
>なめぴょんさん
私は今回の記事で転載記録したような報道をいくつか見ただけですが、生徒たちが何に抗議して何を弁護しようとしていたのか正確にはわからなかったのです。(私が何度となく書いている体罰否定論のように)体罰を全面的に否定して抗議しているのか、この学校の何を守ろうとして記者会見を開いたのか、橋下徹が著書で言ってきたような「体罰を加える権利」を守ろうとしていることに反対しているのか賛成しているのか、ぴんときませんでした。生徒が正確に具体的に何を指して「魅力」、「伝統」と言っているのかも正確には理解できませんでした。生徒の話の不足もあると思うし、マスコミ側の文章力の不足もあると思います。
だから、この記事の中では『この子どもたちの会見内容についてはいろいろな見方はあると思います。私は一つ一つの発言が正確に何を指しているのかわからないので、この内容については今回あまり論評はしません。』と留保をつけるしかありませんでした。今も生徒の発言の内容について突っ込んだ分析をする材料が足りません。
なめぴょんさんのコメントを読むと、「生徒の主張の内容が間違っている」とのことです。(記者会見の全内容や生徒の意思表示の正確なところがわかるような記事や情報ソースがあったら教えてください。)しかし、そうだとしても、そして、たぶんそうなのかもしれませんが、だったらなおさら、大人は生徒に対して怒鳴りつけるような話し方をしてはならないと思います。
そして、もっと重要なことは、生徒がこの記者会見で「表している意思が間違っている」としたら、それは、そのような考え方を子どもの中に育んできた大人たちであり社会全体であるということです。(たとえばノルウェーの人々が凶悪殺人犯に対しても非暴力を貫こうとするような意味で)暴力を一貫して否定する社会の中で、生徒が暴力や体罰を容認する意見を述べたのなら、「表している意思が間違っている」と生徒に対してはっきり言えるのでしょう。だけど、生徒がこの記者会見で「表している意思が間違っている」としたら、それは大人と社会全体の大部分に広まっている意思を正確に反映しているのだと私は思います。
もし誰かが生徒たちに「あの意見を言わさせた」としたら、それは大人たち全体であり、社会全体が十数年かけて子どもたちに染みこませてきた「体罰容認の無意識の価値観」とでも呼ぶべきものだと私は思いました。
生徒が「表している意思が間違っている」としたら、私はその責めを生徒に「だけ」向けるべきだとは思わないのです。その責めを生徒に向ける前に、大人たちにこそ向けるべきなのです。生徒にそのように言わせてしまった社会を長年にわたって維持してきて、その問題点を意識したり修正したりすることのできなかった大人たち、体罰や暴力に対する態度をあいまいにし続けてきた大人たちにこそ。現実に、「生徒が一人自殺したせいで学校や入試が混乱して迷惑だ」とばかりに生徒側をバッシングする大人たちがけっこういますから。
だけど、このような時こそ、大人の暴力容認の価値観を根本的に改め、大人が暴力容認の価値観を改める姿を生徒に見せて、暴力否定のための教育的なはたらきかけを生徒に対してすることのできる貴重な教育的機会だと思います。子どもたちにとっても、大人たちにとっても。
>みどりさん
いただいたコメントは一言一言、全くその通りです。
>自分が高校生だったときのことを振り返ってみれば、ある程度社会に対して意見を持っていた記憶が一つや二つはありませんかね? それを表に出すか出さないかの違いだけですよ。現在は、表に出す方法を教えてくれる情報源が、十数年前に比べれば格段に多くなっている訳ですし。
子どもたちが記者会見による意思表明をすることを「やらされている」と言って批判する大人たちがいます。子どもたちの切実な意思表明欲求をそのように妨げる大人たちに屈して子どもたちが黙ってしまうことをこそ、「子どもたちは沈黙の態度を大人たちによって『やらされている』」と表現すべきです。
>そして、世界に目を転じれば、高校生がデモをするというのは当たり前のことですよね。チリの教育無償化を求めるデモとか、フランスの若者に不利な雇用対策に反対するデモとか。
はい。それらの例はうちでも取り上げた通りです。復習。
行動し発言する勇気と表現方法をフランスの高校生に学ぶ(笑)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1028.html
2008-12-22
年金カイカク反対デモをするフランスの高校生たち
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2051.html
2010-10-18
「高校生であることと市民であることは矛盾しない」 (仏年金カイカク反対の高校生運動指導者の言葉)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2061.html
2010-10-23
教育改革を求めるチリの学生運動と、そのカリスマ的女性指導者
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3039.html
2011-12-10
先の大戦での日本の残虐行為に我々は責任があるか?直接の責任は取れません。我々に取れる責任はそれを正当化する言論を許さないこと。
原発については?戦争よりは重いです。同時代の当事者ですから。だけどまず問われるのは東電であり原発政策を推し進めてきた自民党政権です。
私にはキヨシローを聴いてきながらつい忘れてた、放置してた悔恨の上に「もういらない」と意思表示を続ける責任があります。
だからこの問題についても真っ先に責任を問われるべきなのは教師であり、それを支持してきた学校管理者、保護者(直接関わりがなくても何となく「ある程度」の体罰を放置してきた「現代日本社会」に住む大人も入るでしょう)、生徒の順番に責任があります。
生徒も共同体の一員ですから、体罰いや暴力容認に関わっていれば責任は免れない。
ソースとしたら
>別の女子生徒も「今まで続いている伝統は今でも正しいと思っている」と力説
これだけでも充分じゃないかと思いますが、
http://togetter.com/li/444284
http://togetter.com/li/443238
これらを読んでみてください。
ここにあるのは正当化ばかりです。
これは間違ってるでしょう?
>大人と社会全体の大部分に広まっている意思を正確に反映しているのだと私は思います。
その通りだと思います。だから「間違いだよ」と言わねばならないのです。
最後にツイッターの意見2つ貼ります。後者は私のツイートです。
ぽんす@ppponsu
個人的には生徒にただ生徒であるが故の「謝罪」は求めてない。まず謝罪/反省/改善すべきは校長はじめ教員だから。ここですでに機能が失調している。今、生徒に求める(べき)ことは、おかしな学校擁護=セカンドレイプに手を貸すな、自身の発言についてよく考えてくれ、といふことだけだ。
なめぴょん@namepyon
それでもおれは桜宮高校の生徒親教師の中に「こんなことは間違っている」という思いを持っている人たちがいることを信じてる。かれらがちゃんと声をあげられるような社会にしたい。橋下の強権発動も茶番になった今じゃこれしかない。
記者会見の女子高校生の発言です。
顧問が殴って強くしたことを言ってるんですかね
今でも正しい・・人が死んでいるのに・・病んでますね。
『あの子だけということは、あの子にも問題があったということ。 本当に体罰で死んだかどうかもわからないですよね』
戸塚宏氏のテレビでの発言です。
あまり変わらないと感じました。
さて私の時代昭和40年代は小学校、中学校では体罰教師はいました。
でも高校では教師の体罰は一切なかった。
結局スポーツ学科、スポーツ推薦の弊害だと思えるんですよ。
この高校の場合部活やめたら単位不足になりますよ。部活の移動の自由がなかったら卒業できません。
それらを背景を結局体罰を正当化する教師、それを
今でも正しいとする高校生。
真面に調査もできない、校長、学校、教職員、教育委員会。
それでも教職員の入り替えを批判している。
問題ですよ。
聞いてみたいこと
しかし、あの生徒たちを責める大人の人たちには、ちょっと聞いてみたいことがあります。
(これはあくまで私の想像ですので、どなたかの返事が欲しいとかいうわけではありません)
あなたは職場で同僚が上司からセクハラやパワハラをされているのを見たら、必ずそれを止められますか?
あなたの同僚が、与えられた無理な仕事のために過労死や自殺に追い込まれたら、遺族に味方して会社と闘えますか?
あなたの上司や会社が社会的な不正義をしていたら、迷わずそれを告発できますか?
もし、あなたの会社の行っている不正が発覚したら、そんな会社は直ちに無くされても仕方がないと諦められますか?
自分の仕事や生活の安寧を捨てても、他人の命や社会的な正義を優先出来ると言い切れますか?
そしてそのように生きてきましたか?
もっとも、これにすべて「YES!」と言えるような人が実在したら、その人は彼らを責めないような気はするのですが。
以下の動きが内部から出てきたことを喜びます。
桜宮高 保護者ら応援の会結成 「市長の発言は言葉の暴力だ」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/01/27/kiji/K20130127005071200.html
橋下とのケンカよりも大事なことは最後の2行です。
>体罰について「今後、暴力や暴言での指導は認めない」との意見を拍手で承認。運動部に所属する生徒の父親は「日本の体罰問題を考える原点にしていこう」と訴えた。
ずっと言ってきたでしょう。教師親生徒の中にも「伝統」「魅力」にうなずけない人たちがいるって。
我々はその人々を応援しなければなりません。「原点」は「認めない」ことにあるのだと一緒に言い続けましょう。
>なめぴょんさん
すみません。私はなめぴょんさんに皮肉を言うつもりではありませんでした。この件では、あなたや他の方の書き込みを見る前に、自分たちの問題は棚に上げて彼等に無理なことを言う大人が結構いるらしいと知ったので書きました。それで、おかしな言い訳をカッコで括って書いたのですが、もしも、そのように受け取れてしまったのならお許しください。
ただ、私が見た動画では会見の生徒さんは必ずしも体罰を肯定的には言っていなかったように見えたのです。私は最近、あまりテレビを見なくなってしまったので、この件も後からネットの動画検索で見たのですが、私の見た番組では、女生徒は次のように言っていました。「橋下市長も以前には体罰を肯定される発言をしていたはず。私たちも体罰が悪いことだと理解したのは事件があってからで、橋下市長がそう思うようになったのと同じ時期。それなのに高校生である私たちばかりが責められるのはおかしい」。(これは私の記憶によるおよその内容で、女生徒の発言そのままの言葉ではありません。彼女自身は最後の方は、涙声になりかけるのをかろうじてこらえているようで、言葉を詰まらせていました)
その一方で、その番組では村野瀬さんも引用された「時事通信 Yahoo!ニュース」にあるような
>男子生徒は「今回の結果が覆せるんじゃないかと、強い思いを持ってきた」と会見の動機を語った。別の女子生徒も「今まで続いている伝統は今でも正しいと思っている」と力説した。
という場面は割愛されていたようです。だから彼らが「体罰=良き伝統」と思っていたのかどうかはわかりませんでした。報道やテレビ番組などでは、どうしても全体の一部しか表に出さないので、どのように編集されたかによっても印象が変わります。こうなると、高校生の会見だからと馬鹿にせず、どこかに書き起こしを全文載せるか流してほしかったと思います。
私自身は体育会系の「シゴキの精神」みたいなものは昔から大嫌いで、運動部に所属したこともありません。しかし、彼らのような「スポーツエリート」を目指してきた少年少女たちは、おそらく小学生の頃のスポーツクラブ時代から「コーチのシゴキ」を当たり前のように受けてきたのだと思います。だから、そのシゴキが「体罰という名の暴力」にエスカレートしても、なかなか不当なことだとは気づかなかったのでしょう。それがこうした事件が起こって、やっと不当なことなのかもしれないと気付いた。しかし、以前は体罰肯定派だったはずの市長までがくるりと向きを変えたかと思うと、いきなり、「おまえらも悪い!」と言う。橋下氏お得意の「忍法身代わりの術」ですが、女生徒の言葉はそれをよく突いていると思いました。
気になる記事
「桜宮高校の生徒が、自分たちで記者会見を仕掛けた理由 」
>桜宮高校バスケ部の主将が自殺した問題で、同じ学校の生徒が会見を開いた。この会見を見た教育評論家の尾木直樹氏は、背後で糸をひく人間の存在をにおわした。生徒たちは自分たちでやったことと否定するが、本当に“黒幕”はいなかったのか。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1301/29/news035.html
先に言っておけば、この方自身は「会見は生徒たちが自主的にやったらしい」ことは認めています。しかし、それを黙って見ていた大人がずるいと言われる。つまり、生徒たちの行動を「黙認する」こと、「容認する」ことが「背後でやらせていた」ことになるらしい。
また、以前、国連で「日本では制服の強要などで、子どもの権利が侵害されている」と訴えた高校生たちについても(私はその件は知らなかったのですが)同じく「自主的にやった」ことは認めていながら、背後にサポートした大人たちのグループがいた、つまりヤラセだったと言われています。
この時、制服強制の不当さを訴えた高校生を国連の委員が「私の国では貧しくて制服も買えない子供たちがいる。あなた方は恵まれている」とたしなめたということで、日本の高校生たちが、権利をはき違えて場違いなことを言ったというようなオチになっています。しかし、本当にそうだったのか?いくら高校生でも、わざわざそんなことだけを言うために国連まで行くだろうか?と、ちょっと疑問に思いました。それでちょっと調べたら、池田香代子さんのブログに行き当たりました。
池田香代子ブログ デマとしての国連「恵まれた日本の子どもは黙ってらっしゃい」 2010年10月19日
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51487723.html
>またもや「デマとしての」です。
>ツイッターに、「国連で女子高生が『制服じゃなくて着ていく服の自由がほしい』というスピーチを特別にしたとき、ロシア代表から『あなた方は制服を着れるすばらしさを理解した方がいい。世界には着る服すらない国がたくさんあるのだから』という返答があったらしい」という書き込みが出まわっているそうです。ブログ「香港ボロ株ウォッチング」さんがこれを追跡して、どうも事実とは異なるようだとの興味深い記事を書いていらっしゃいます(もとはこちら)。それによると、話は1998年にさかのぼります。ずいぶん息の長い都市伝説ということになります。
(以下略)
この件は週刊文春の記事に端を発しているそうで、Wikipediaの「週刊文春」の項にも載っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%87%E6%98%A5
>1998年6月18日号で、国際連合「児童の権利に関する委員会」予備審査において、日本の女子高校生たちが学校において意思表明権と自己決定権を奪われていることについて、学生服の強制を例に訴えたところ、ロシア代表から「制服を着られる素晴らしさを享受すべき、世界には着る服すらない国がたくさんあるのだから」と諭されたと書いた。実際には同委員会は「とくに学校生活において、一般の子どもたちが参加権を行使するうえで困難に直面していることを、とりわけ懸念するものである」との所見を示し、高校生たちのプレゼンテーションの素晴らしさを賞賛しており、当時議長を務めたジュディス・カープ委員(イスラエル)も同年12月に来日した際、「発言を改めて称讃し、『心ないメディアが彼らをおとしめた』ことに憤りを表明」している。なお、『週刊文春』が広めたこのデマは2010年10月現在も流布され続けている。
(ちなみに「国連 制服 高校生」など、この件で検索すると、かなりヒットするのですが、このような事実を踏まえているところはほとんどありませんでした。)
社会経験のない未成年者が公の場へ出て何か訴えようとするのはなかなか難しいことです。しかし彼等に賛同してサポートする大人たちがいると、その人たちが「背後でやらせていた」ことになるらしい。続いてこの筆者の方は橋下氏の大阪府知事時代の幼稚園のイモ畑接収の強制執行についても触れて、これも園児を利用した「園側の大人たちの汚い手口」であったかのように言われ、それをまた今回の高校生になぞらえています。私はこのイモ畑の件についても用地接収の詳しい経緯などは知らないのですが、ことの是非や事実はともかくとして、幼稚園児も高校生も大人に利用されてしまうのは同じということなのでしょうか?
もし、このような見方が正しいのなら、「若者たちは何をやっても所詮、ずるい大人たちの手の内にあるのだ」ということになってしまいます。さて、若者たちはどうすればいいのか?
「純情な若者や子供たちが海千山千の大人たちに操られる。」たしかに、この筆者の言われているように、そういうことは、ままあるのかもしれません。「アラブの春」や東欧の「カラー革命」の立役者になった若者集団についてさえも、そういう見方もあるようです。しかし、それでは私たち大人は大丈夫なのか?それも「大人の中の大人」であるジャーナリストやマスコミの皆さんは、けして「誰かの手の内」にはないのか?そんなことまで気になってしまう昨今です。
校長、教職員は会見しないのかな?
自殺した生徒に体罰した顧問。
体罰を黙認した教職員。
彼らは今何を考えているか知りたいですね。
こんにちは
「仕組んだ」とか公の言論で言いたがる人は、「子どものくせに」というより「自分の気に入らないことを主張する子ども」に反応するのかなあと。まあ、自分の気に入らないものはなんでも「工作」だの「工作員」だのと言いたがるのと似たようなもんなのかなあと。
今回のことについては全然知らないんで一般論ですが(この一般論もただの想像ですが)、子ども(や被害者とか当事者)が記者会見やったり主張するときはそりゃ大人(や他人や専門家)の「入れ知恵」(やバックアップ)があるのが当然でしょうし、「気に入らない主張」と思う方面からは「悪巧みを仕組んだ」ように見えるでしょうけど、嫌がる子ども(や当事者)がムリヤリやらされているのではなく納得してやってるならごく普通のことなわけですよね。
「仕組んだ」とか言いたがる人は、自分の気に入る内容だったら喜んでたんじゃないかなあとも思いますしね。
だから今回「体罰は違法です」とかガツンとアナウンサーが真面目な顔してテレビで説明していて、「前からそれやれよ」と。まあいい方に変わるのはいいことだと思いますけど。
桑田が自分でやったアンケートによると、プロ野球選手の約50%が体罰経験があって(桑田曰く思ったより少ないなと)、80%以上が「体罰がアリの場合もアリ」と答えたそうですが、エリート中のエリートの「常識」がコレだったわけで。
「鉄拳制裁」で有名な星野仙一さんなんかずっとニュースコメンテーターやってたし(監督の今でもオフになるとコメンテーターとして出てたり)、「時には愛のムチも」の「厳しい指導者」なんて普通にずっと美談でしたよねえ。
OBとか生徒とか保護者が何か言ってボロクソ叩かれてたりしてるようですけど、こういう発想ってこれまでは野放しどころか普通に正論美談だったような気がするんですよねえ。はしごの外しっぷりがすごいなと。これまでおおっぴらに体罰全否定するのは「融通のきかない頭でっかちお花畑」だけみたいなかんじだったような。まあ右も左も「体育会系」憎悪蔑視差別が強いネットはともかく。
なんか冷笑的なコメントになっちゃってますね。すいません。
「子どもの権利条約」に関するささやかな妄想 (その1)
この件については、池田香代子氏も2010年に「ネット上にデマとして出回っている」と御自身のブログで指摘されておりますが、現在の検索でも多くのサイトやブログがヒットし、しかもその多くが、これが事実であるかのように書いています。
しかし、もしこれが池田氏が言われるようなデマであるならば、素人ブロガーや投稿者などではない、プロのジャーナリストの方が誤認されているのはたいへん影響が大きいと考えられますので、一応、その内容をここに御紹介しておきます。
まず、上記の窪田氏の記事から、一部を引用します。
「桜宮高校の生徒が、自分たちで記者会見を仕掛けた理由 2/4」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1301/29/news035_2.html
(以下上記より一部引用)------------------------------------
しかし、これに対して会見に出た女生徒のひとりが反論する。尾木ママのブログに「先生をかばうために会見したわけではない。自分たちが学校を大切に思っていることや、学校の良い部分も知ってほしかっただけ」とカキコミし、あくまで自主的にやったことだと主張した。(引用者注:この部分は前ページの1/4の文末)
黙ってみている“こすいオトナ”たち
彼女の言葉に偽りはないだろう。生徒たち自身が市政記者クラブに会見を申し込んだのだということも分かっている。ただ、だからといって“黒幕”がいないのかというと話は別だ。尾木ママが示唆した“こすいオトナ”はハタから見て分かるような方法で子どもを煽らない。じゃあどうするのかというと、「黙って見ている」のだ。
例えば1998年5月、スイス・ジュネーブの国連会議場で、日本からやって来た高校生たちが涙ながらに意見を訴えたことがある。学校の制服を着させられるのがつらい、それを拒否したら学校に行けなくなった、日本では子どもの権利が侵害されている、とかなんとか。
桜宮高校の生徒たちと同じで、彼らも誰に命じられることもなく、自らの意志と足で国連本部までやって来て、意見を述べさせてれくれと直談判した。
出国前にはわざわざ京都弁護士会で、メディアを集めて記者会見までやっている。誰に仕組まれたわけでもなく、自分たちの意志で申し込み、「しっかり意見を言ってきます」と鼻息荒く訴えた。
こういう子どもたちを見て、全国紙は「子どもたちが欧州本部で制服問題を訴える」なんてちょっといい話風に報じたが、これにもやはりちゃあんと“黒幕”がいた。
『週刊文春』が調べたところ、行動力バツグンの子どもたちの背後には、国際的なNGO(非政府組織)やら子どもの権利を掲げる市民団体がいて、有形無形のサポートをしていた。
なんのことはない。制服に反発する子どもの背中をそっと押しながら、自分たちの政治活動に利用していた小賢しいオトナがいたというわけだ。
(引用者注:この後、内容は桜宮高校の問題に戻るので中略しますが、筆者は最後のページ、4/4で再び国連の高校生について、以下のように触れられてます)
先の制服問題を訴えた女子高生に、国連の委員たちはこんな言葉をかけたという。
「われわれの国では、制服があっても貧しくて買えない子どもがいる。それに比べたら、あなた方は格段に幸せじゃないか」
文化も背景もよく分からないよその国の人間でもオトナならば、道に迷う子どもにこれぐらいの言葉はかけられる。
(引用終了)--------------------
池田香代子ブログ デマとしての国連「恵まれた日本の子どもは黙ってらっしゃい」 2010年10月19日
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51487723.html
(以下上記より一部引用)-----------
またもや「デマとしての」です。
ツイッターに、「国連で女子高生が『制服じゃなくて着ていく服の自由がほしい』というスピーチを特別にしたとき、ロシア代表から『あなた方は制服を着れるすばらしさを理解した方がいい。世界には着る服すらない国がたくさんあるのだから』という返答があったらしい」という書き込みが出まわっているそうです。ブログ「香港ボロ株ウォッチング」さんがこれを追跡して、どうも事実とは異なるようだとの興味深い記事を書いていらっしゃいます(もとはこちら)。それによると、話は1998年にさかのぼります。ずいぶん息の長い都市伝説ということになります。
その直後、6月18日号(11日発売)の「週刊文春」がこれを取り上げた、これに荒巻・京都府知事が15日の府議会で言及しました。すこし長いのですが、知事の発言を「香港ボロ株ウォッチ」さんからたどって議事録から引用します。
「ちなみにこの6月18日の週刊文春に載っておるわけでございますが(資料提示)、例の桂高校の制服の問題を国連の児童委員会に訴えに行った子供たちの話を聞きまして、国連の委員たちがみんなあっけにとられたと。そしてロシアのコロソフ委員は『我々の国では制服があっても貧しくて買えない子供がいる、それに比べたらあなた方は格段に幸せだ』と皮肉ったり、あるいはスウェーデンのパルメ委員長からは『スイスに来て意見が言えること自体が恵まれている。問題があるならまず親や周辺にアピールすることが重要ではないか』、このように言われたそうでございまして」(もとはこちら)
知事の答弁は、この時知事が手にしていた週刊誌の記事をなぞっていると見ていいでしょう。この記事は、広島県議会でも取り上げられたそうです。そんなふうにこの話は広まり、今もなおツイッターなどを介してインターネットを飛び交っている、ということのようです。98年当時、国連の委員会で発言した高校生たちはずいぶん非難されたようで、その年の12月に来日した委員長は、「発言を改めて称讃し、『心ないメディアが彼らをおとしめた』ことに憤りを表明した」(読売新聞)そうです。
(引用終了)------------------------
まだ中途ですが、長くなりますので次回コメントに続けさせて頂きます。
「子どもの権利条約」に関するささやかな妄想 (その2)
検証・・・と言っても、大したことはできませんが、まずは池田氏も触れておられる読売の記事を転載しているページを見つけました。
読売新聞 火曜日夕刊 『発信する仲間たち』2002/12/10より
ttp://www006.upp.so-net.ne.jp/takagish/contents/kenri/kenri02.htm
(以下上記より転記)------------------------
子どもシェルター <30>
いわれなき「高校生バッシング」
国連子どもの権利委員会が九八年六月に採択した、日本での「子どもの権利条約」の履行状況についての最終所見は、非常に厳しいものだった。
所見は、婚外子への児童手当支給の平等化など三項目を「歓迎」する一方で、条約についての広報やNGOとの協力の不十分さ、子どもの意見表明権が保障されていないなど二十二項目の「懸念」を表明、独立した実施監視機構の設置など二十二項目の「勧告」を日本政府に突きつけた。
しかし、政府や社会がこれを真剣に受け止めたとは言いにくい。象徴的な例が、一部マスメディアによる「高校生バッシング」だ。ジュネーブでの意見発表の後、「制服の廃止を訴えた高校生は、国連委員に『貧しくて制服も買えない子どもに比べ、君たちは格段に幸せ』とたしなめられた」などの冷ややかな報道が相次いだ。
DCI(子どもの権利のための国連NGO)日本支部の福田雅章代表(一橋大学名誉教授)は「当日の録画ビデオでも、委員からそんな発言はなく、記事はねつ造。背後には『豊かな国にいて何の不満があるのか、この甘ったれ』という高圧的な子ども観がある」と話す。事実、何人かの子どもたちは、発言がもとで周囲の大人から非難された。
委員の実際のコメントは「国際社会の面前で発言できたのだから、君たちは幸せ」「私たちが皆さんの発言によって変わったように、皆さんの周囲も変わる」だったという。日本の審査で議長を務めたカープ委員も同年十二月に来日した際、発言を改めて称賛し、「心ないメディアが彼らをおとしめた」ことに憤りを表明した。
98年12月に来日したカープ・国連子どもの権利委員会委員。各地で子どもたちと会い、「堂々と自分の意見を述べて」と励ました。
(転記終了)---------------------------------------------------
また、この件はWikipediaの「週刊文春」の項にも記載されています。
Wikipedia 週刊文春より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%87%E6%98%A5
>1998年6月18日号で、国際連合「児童の権利に関する委員会」予備審査において、日本の女子高校生たちが学校において意思表明権と自己決定権を奪われていることについて、学生服の強制を例に訴えたところ、ロシア代表から「制服を着られる素晴らしさを享受すべき、世界には着る服すらない国がたくさんあるのだから」と諭されたと書いた。実際には同委員会は「とくに学校生活において、一般の子どもたちが参加権を行使するうえで困難に直面していることを、とりわけ懸念するものである」との所見を示し、高校生たちのプレゼンテーションの素晴らしさを賞賛しており、当時議長を務めたジュディス・カープ委員(イスラエル)も同年12月に来日した際、「発言を改めて称讃し、『心ないメディアが彼らをおとしめた』ことに憤りを表明」している。なお、『週刊文春』が広めたこのデマは2010年10月現在も流布され続けている。
これらを見る限り、この件がデマであったことはほぼ間違いないようです。ところが十年後の2008年にも、このことが広島県議会で事実として取り上げられ、翌2009年には産経の社説にもなったようです。そして、おそらくはそれがきっかけなったのか、現在も多くのブログやサイトに事実として引用されています。
池田香代子さんが参考にされたブログ、「ボロ株ウォッチング」さんが、この件を鋭く分析され、その後の影響についても追記されています。それによると、そもそも高校生たちが国連に行った経緯は窪田氏の言われているような理由ではなかったようです。
ボロ株ウォッチング:「子どもの権利条約」に関するささやかな妄想
http://blog.livedoor.jp/shanghai_ii/archives/51618318.html
(以下、だいぶ長くなりますが、引用させていただきます)
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●まず、子どもの権利条約について基本的なことを整理してみる。まず、この条約の正式名は『児童の権利に関する条約』というもので、1989年に国連総会で採択、日本では1994年に国会で批准、同年5月22日に効力が発生している。この条約は、児童を「保護の対象」としてではなく「権利の主体」としている点に特色がある(wikipedia参照)。
『子どもの権利条約』は日本語では制定されていない。したがって、日本語の翻訳にも見解の相違が生じる。以下のページに英語原文、政府訳、民間訳が掲載されている。DCI日本支部。
『子どもの権利条約』は条約なので、国内法に優先することは言うまでもない。したがって、この条約については国内に周知し、国内法を整合させる責務がある。第44条に基づいて、その進捗状況を国連の「児童の権利に関する委員会」に報告し、委員会はそれを審査する。報告は外務省が中心となって行うが、他に日本弁護士連合会(日弁連)、子どもの権利条約市民・NGO報告書をつくる会(DCI)、子どもの人権連、の3団体がカウンターレポートを提出する。つまり、政府報告を基にNGOの意見を参考にして国連の委員会で日本の進捗状況を審査する。
●問題の1998年5月の委員会というのは、このような審査の場であったわけ。審査は1国ずつ行われるので、当日は日本の進捗状況を審査するためだけに開かれており、日本からは政府代表、NGO、そしてプレゼンを行う子どもたち、そして委員会のメンバーが出席していたことになる。なお、当日の委員会のメンバーは次のようなメンバーである。
(引用者注:以下、各国の委員の紹介は略します)
●この審査では、日本政府による第1回報告(1996年提出)を検討・審査して、問題点を探ることになるようです。ここで注目してるのは「子どもの意見表明」にあるので、第1回報告の当該箇所を拾ってみる。第84パラグラフ「As children are in the process of physical and mental development and schools are the places of group living, schools need to establish their own rules for students. The Government has instructed educational institutions to continue to review school rules which relate to day-to-day education and training activities with consideration for the conditions of children, the views of guardians, the current circumstances in the local community, changes of society, and movement with the times.」ここに政府の意見表明権に対する制限が表明されている。訳してみると「子どもは肉体的にも精神的にも成長の過程にあり、しかも学校は集団生活の場でもある。従って、学校は生徒のために自分の学校規則を作る必要がある。政府は、教育機関に対して、子どもの状況、保護者の見解、地域社会の現在状況、社会変化、時代の動きを考慮して日常教育や教育活動に関する学校規則を継続的に再検討するように指示している。」この84に書いてあることは、言論の自由は認めるが(83パラグラフ)、決定権はあくまで学校にあると解釈するということである。
これに対して、子どもたちの行ったプレゼンテーションは、意見表明だけで決定に何ら影響を及ぼさないならば意味がないという例示として制服の問題を挙げたと思われる。プレゼンテーションがいつ行われたのか判然としないのだが、想像をたくましくすれば、本来の予備審査日(前日)は何故か時間が足りなくなり(上の書き込みでは10分予定が1分になった)、審査本番の昼休みに再度時間を取ったのではないかと思われる。
●つまり、このときの国連審査では、政府の見解と、子どもたちの見解が真っ向からぶつかってるわけです。その結果、審査の結論がどうなったか。ここである程度、審査にあたった委員の見解が分かるはずです。審査後のニュースレターを見てみましょう。ここでは重要項目が太字になってるので、最終結論の正式な文書よりも力点が明確になってます。「It was also concerned about the widespread use of corporal punishment in schools and the existence of numerous cases of bullying among students.(学校における体罰の広範囲の使用と、生徒間のイジメの多発についても懸念される)」として、この回の審査では体罰やイジメを最重要と考えていることが分かります。レターでは意見表明や決定権には言及ないようです。最終所見は子どもの権利委員会の訳がありますので、これを利用します。当該部分は13のこの部分『および社会のあらゆる分野、とくに学校制度において、一般の子どもたちが参加権(第12条)を行使する上で困難に直面していることを、とりわけ懸念するものである。(原文は"The Committee is particularly concerned about ... the difficulties encountered by children in general in exercising their right to participate (art. 12) in all parts of society, especially in the school system")』 最重要とは捉えていなかったようですが、一応所見では、子どもたちの見解を採用しているように見えます。
●さて、この所見は6月5日付けになっていますが、レターの方は9日に出されています。週刊文春は6月18日号ですから6月11日が発売日でしょうか。上に挙げた京都府議会の議事録は6月15日で符合しています。
ここまで来れば、妄想は一直線です。誰が本来非公開の予備審査のことを漏らしたのか、誰がカープ議長が怒るほどに内容を変えて伝えたのか。その片棒を文春は担いだ。その結果、本来注目されるべき審査会の所見はふっとび、文春記事の方を参考文書とするような効果を産んだわけです。もう一度書くと、審査の結論は、最重要とは考えなかったようではあるが、あくまで「子どもたちが参加権を行使する上で困難に直面している」と言明しているにも関わらず、文春記事によって「条約の意見表明権は制限される」という180度違う結論へと利用されてしまったことが分かるでしょう。
●これは「リークとメディア」の非常に悪い代表例に見えます。
【追加】2010/10/20
●リンク先が分からなくなったと上で書いていた広島県議会での発言ですが、2008年3月14日の石橋良三議員の発言に登場します。当該部分を抜粋しますと、
「また,国連の児童の権利委員会に,日本の高校生が派遣され,日本では子どもの権利が保障されていないと訴えたことがある。
そのとき,どのような事実があるのか問いただされたところ,「学校で制服を着ることを強制されている」と高校生が答えると,驚かれ,「制服さえもない子どもたちが世界にはたくさんいる」と一蹴されたとのことであった。
このような間違った「権利」を教え,思想を持たせるような「子どもの権利条例」は,本県が今まで着実に進めてきた教育改革を真っ向から否定するものとなり,是正指導以前の教育体制に逆戻りさせるものである。」(石橋良三議員のサイトより(PDF))
【追加2】2010/10/20
●産経新聞社説2009/02/22 元記事リンク先不明、孫引き注意
「家庭のしつけや学校の指導を難しくするような条例づくりが全国に広がっている。広島市でも子供の権利条例の制定作業を進めている。こうした条例は権利をはき違えたり、わがままを許す風潮を助長している。慎重に検討すべきである。
子供の権利条例をつくる自治体が出始めたのは、日本が平成6年に国連の「児童の権利条約」を批准してからだ。
条約の目的は18歳未満の子供たちを飢えや病気などから保護することである。だが問題は、こうした本来の目的を外れて特定の政治的狙いのために子供の「意見表明権」といった権利ばかりを強調するケースが多いことだ。
例えば、京都の高校生らが国連児童の権利委員会で「制服導入は意見表明権を定めた条約に違反する」と訴え、海外委員から「制服もない国の子供に比べて格段に幸せ」などとたしなめられた。…」
●広島県議会での発言が2008年、産経新聞社説が2009年。10年以上経過した現在も進行中であることに注目。
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(引用終了)
>DCI(子どもの権利のための国連NGO)日本支部の福田雅章代表(一橋大学名誉教授)は「当日の録画ビデオでも、委員からそんな発言はなく、記事はねつ造。背後には『豊かな国にいて何の不満があるのか、この甘ったれ』という高圧的な子ども観がある」と話す。事実、何人かの子どもたちは、発言がもとで周囲の大人から非難された。(上記、読売の記事より)
この時は高校生が非難されましたが、その後、この国では、若者全体や生活保護受給者、さらには国民一般にさえも似たような非難がしばしば浴びせられてきたような気がします。「子供の権利」は「子供だけの権利」ではありません。子供はいずれ大人になります。日本の社会には「権利意識に目覚めた大人たちを増やしたくない」という圧力が常に掛っているのかもしれません。
ニュースでありましたが事実かな?
(市教委関係者によると、アンケートではこれまで体罰が発覚しているバスケ部、バレー部以外の運動部員も「体罰を受けた」と回答したという。市教委は近く、アンケート内容を公表する予定。同校では全運動部が活動停止中だが、市教委は体罰がなかったと判断される部については活動を再開させる方針。)
再開されるクラブの顧問が、他の部活の体罰を知っていたかどうかの疑問がありますが、これは賛成ですね。
(市役所で会見した保護者らは、同校の教員総入れ替えなど橋下市長の意向を受けた市教委の方針について「学校関係者の権利を見せしめ的に抑えつけているだけだ」と批判。「市長は軽く考えているが生徒の人生が狂っていく」「なぜ子どもが我慢し夢を捨てなアカンのですか」と訴えた。女子バレー部と陸上部の生徒の保護者は、それぞれの部で「体罰はない」と断言した。団体代表の伊賀興一弁護士によると、自殺した生徒への日常的な体罰を認めたバスケ部顧問について、団体メンバーの多くが同校への残留を希望しているという。)
前半はともかく、後半は本当なんでしょうか?
ちょっと信じられない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130130-00000215-sph-soci
ダブルバインド
「制服を着るかどうかを自らの意思で決めたい」と思う子供たちなら、体罰などに黙って耐えているはずはないのです。「大人(教師・学校側)が与えるものを素直に受けていればいい」という教育が、体罰に疑問を持たず、ぎりぎりまで我慢させてしまう生徒たちを育てたのではないですか。
窪田氏の記事はなかなか人気のようですが、「自分や仲間に与えられる体罰を黙って受容していたのがいけない」とばかりに、桜宮の生徒たちを批判する人たちは、彼らにどのようであってほしかったと思っているでしょうか。どうも、よくわかりません。
こういうのを「ダブルバインド」とか言うのではないでしたかね。
入管と検察の間では回クテシフォン経済的合理性、法的整合性、科学的妥当性、倫理的正当性、地球環境汚染への罪悪感が東電核発電所からの汚染水放出には欠けている。最後のツイートに火消しのコミュニティノートがついてるのがわかりやすいですね。原発信者の主張が新しかった試しはないのに。
東電の動きの遅さを思えば2018年すら最近でoh suchロシアによるウクライナ侵攻は悪である。すべての軍事侵略は悪である。大日本帝国によるアジア軍事侵攻も悪である。 #あらゆる戦争に反対しますルガンスク出身の少女、ファイナ・サベンコワさん(14)の叫びを聞こう事実を言うとウクライナのネオナチ政権のミロトヴォレツ「殺害リスト」に載る社会。
ちなみにカナダの記者エヴァ・バートレッもそのリストに載っている。英国の記者ヴァネ檜原転石「インボイス制度の中止を求める税理士の会」メモ (インボイス制度反対の理由、輸出大企業の還付金の件など) #インボイス増税反対 #私もインボイス増税に反対します #STOPインボイス 運動を続ける (19)本当に呆れます署名を受け取り拒否したということで、「恥知らず」、「辞めてしまえ」だけでは済まないことです。
真摯さを踏みにじるのは政治家だけでなく、ロクに報道しない業者連中にアンドリュー・バルトフェルド維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)誕生日祝いに個人献金をねだる政治家 維新の会の音喜多駿は日本全国民にこうお願いしました。
【個人献金のお願い】 誕生日メッセージで「おめでとう、何が欲しい?」と聞かれると「こ、個人献金!」と答えTakeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ#汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ汚染水の海洋放出という蛮行を行った自民党政権。
しかし自らの非を棚に上げ排外主義を煽り立てることによりまんまと功を報しています。
いま自民党政権、その補完勢力とマ閉口自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ付け加えると杉田水脈は筋金入りの差別主義者です。
人種差別主義、女性差別主義などなど自民党思想そのものでしょう。
だから日本軍国主義者「安倍晋三」のお気に入りでしたし自民党の閉口「インボイス制度の中止を求める税理士の会」メモ (インボイス制度反対の理由、輸出大企業の還付金の件など) #インボイス増税反対 #私もインボイス増税に反対します #STOPインボイス 運動を続ける (19)#私もインボイス増税に反対します消費税は弱者に負担が重くのしかかる悪しき税制です。
インボイス税制とはその消費税の増税です。
世の中のことは一番弱い人を基準に考えなくてはいけないのが鉄則です。
閉口性暴力についてのメモ女性型社会は権威主義的,好戦的な父権制社会への歯止めになる。 性暴力とは少し外れてしまいますが,御容赦ください。
フォントヴローは西ヨーロッパ最大の領地を抱える修道院群でした。フォントヴローはアンジュ―,トゥレーヌ,パTakeshi自衛隊内の性暴力との五ノ井里奈さんの裁判闘争は続いている。被告人が五ノ井さんはウソをついていると裁判で証言 被告人が五ノ井さんはウソついていると思うと,裁判で証言したそうです。ウソで告発すれば誣告罪に問われるはず。そんな危険なことをするはずがありません。言うに事欠いTakeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。ニーメラー>R2さん
>意義あるのか
マルティン・ニーメラーを知っていますか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title少子化と大学の二極化のなせる業でしょうか
「愛知大学」はかつては「地元ではそれなりの大学、でも全国レベルでは大した偏差値ではなかった」が今はそうじゃない、だから津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。日本の軍国化はしょせん疑似問題内田樹氏の理解ある言葉
今政府は「戦争ができる国」に国家改造しているわけですけれど、これは「ほんとうに戦争をする気がある」からそうしているわけじゃなくて、「そR2反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。Re: 意義あるのか記事の趣旨とははずれていますが、軍事優先主義的な考え方とはどのようなものか端的にわかる実例のようなコメントをありがとうございます。
>そもそも日本が戦争が出来村野瀬 玲奈軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。Re: No title>北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
「正攻法」って具体的に何かよくわかりませんが、ミサイルが怖いなら怖いんじゃ村野瀬 玲奈反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。意義あるのか反戦デモっつっても日本が他国の軍事的脅威に
なると思っているのかな。
そもそも日本が戦争が出来ると思っている者が
いるのが驚く。
まず間違いないのが日本が他国に戦R2軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。No title北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
そんな長者番付よりも信用ならないデータだけ
では事実が見えない。
自衛隊は多くR2自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ杉田水脈「女性はいくらでもうそをつけますから」★1970年代前半の時期に米国のニューヨーク市で、性犯罪分析特別班を設置し、女性の警察官を被害者の面接に当たらせたところ、同市における強姦罪の虚偽告発率は2%であり、檜原転石反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラの祈り>Takeshiさん
戦後、ドイツではショル兄妹を顕彰するために学校の名前に「ショル兄妹記念」と名付けられていたりしますよね。
そして、それが書籍や映画になり、広く語る津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラ事件を思い起こさせる。 ミュンヘン大学でショル兄妹たちは反戦ビラを巻きちらしました。大学の用務員がビラを拾ってナチス当局に届け出ました。ショル兄妹たちは民族裁判所で「国家反逆罪」に問Takeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよソロモン諸島の首相が日本の汚染水海洋投棄を非難 国連総会において,ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が日本の汚染水の海洋投棄を非難しました。IAEAの処理水をめぐる報告書についても,不十分だとしたうえで,「原発Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title 反戦デモに参加したことで学生が懲戒を受けるだけでもすさまじいのに、一番重い退学処分とは・・・。愛知大学は一体何を考えているのか。これが容認されれば萎縮効果は甚クテシフォン維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)維新の会の池上卓は公設秘書として2人の市議を採用 維新の会の池上卓議員(大阪10区)は,公設秘書として現職の高塚市議2人を採用していたとのこと。国会議員の秘書に関しては法改正で兼職が禁止され,例外的に兼職届が出Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No titleそのうち「焚書」とか起こりそうで、冗談じゃなく怖いです。
まさに「新しい戦前」…津木野宇佐儀現行の健康保険証の圧勝、マイナ保険証の惨敗。 #現行の健康保険証を残してください #保険証廃止はありえない #サントリー不買運動No title新浪と成田が格差拡大を正当化する対談をプレジデントオンラインでほざいています。
まあ、救いようのないバカばっかりです。アンドリュー・バルトフェルド弁護士ドットコムタイムズに #維新 の橋下徹を登場させるのはおかしいのではないか。No titleいかにもそれっぽい名称を名乗った(所謂弁護士連合会とは無縁の)営利目的の組織じゃないですか。何せ株式会社ですからね。
ここの発するニュースなんかを見ててずーっと別人28号言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ二重基準の適用問題No. 1919 福島の核廃棄物:ロシアを非難し、日本を承認
投稿日時: 2023年9月20日
Fukushima’s nuclear waste:Stigmatising Russia, approving Japan
by Richard Cullen
h檜原転石日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」
何度でも引用されるヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉ですが、日本ではもっともっと使われるべき言葉ですよね。
付け足津木野宇佐儀英霊には感謝してはならない。英霊には謝罪しなければならない。英霊は讃えられ,傷痍軍人は侮辱・差別された。 わたしがとても幼いとき,神社で祭があると,神社の階段下に軍帽をかぶり,白い服を着て腕や足のない傷痍軍人が恵みの金を求めている姿を見たことがあります。実際に見たTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Re: タイトルなしハンドルネームを書けないチキンの方がこんなことを書きこまれました。そのコメントは承認しませんが、こちらに丸ごと引用して、私の感想を書き加えます。
(引用開始)
村野瀬 玲奈