コメント
結局今回の件も、自らの推し進める学校長の民間人登用制度の推進に話をすり替えています。大津のいじめ事件のときもそうでしたが、この男の涙はまったく信じるに値しません。
自らの立場を強化できるなら、謝罪の一言や嘘泣きの涙の一粒なんて奴にとっとは屁でもないでしょう。
連投陳謝
まったくそのとおりだと思います。
そして、いじめもまた、暴力または犯罪にすぎないという認識を持っていただきたいものです。
「愛情があったから」とか言って体罰を容認する保護者や生徒の存在も問題視すべきではないでしょうか。
そういう人達が実質的に体罰を存続させているのですから。
橋下の裏の意図
それは体罰が教育になる事があるからです
体罰とは本来手段です、どうしてもその相手のその過ちをどうにかしたい
その為の手段
目的があってこその手段です
それなのに体罰と言うものが一人歩きしています
殴るはだめで、ぶつ程度ならいい
言葉で叱りつける、だったらいい
そういう物理的な制限基準で物事を考える人が大勢います
体罰賛成する人も体罰反対する人も殆どの人が傷の大小こそが問題だと思っています
だから、体罰容認する時も、体罰禁止する時も、体罰自体が問題にされます
本当に問題とならないといけない部分は、その教える相手に「伝える事」です
伝える意思
伝える意思が無い「罰」は言葉だけであろうと、実際にたたいたとしても、ただの「傷」にしかならないでしょう
それこそ、言葉で言っただけでも一生引きずる程の傷になる事だってしばしば存在します
その人を本当に愛していて、本当に伝えたい事があるのかどうか
それこそが一番重要なのです
今の教育はその部分は極端に欠落しています
その上で、体罰も説教も語るから教える相手にとってはただ傷をつけるだけで終るのです
でももしも本気でその相手と向き合って放った人だったら傷ついたその子の傷の回復まできちんと責任を持つでしょう、その人はその子を救う為に、救いたい意思を持ってやった人だったら
もしも体罰を禁止して言葉によるしつけにしても今の状態では言葉の暴力になるだけで何も変化しないでしょう
体罰より言葉が傷つかない、軽い、なんて事は無いのです
同じ意思、同じ傷つける意思で放った言葉は、同じ意思で使った実際の暴力と同じだけ相手を傷つけます
逆に本心で何かを伝えたい一心で出た手がその相手にとっての救いになる事もあります
大切なのは気持ちです
その気持ちが現在の日本人には一番欠落しています
今言っている体罰も言葉での罰も、相手に対してそれを放ったらそこでそれ以上のつづきは無い為
暴力を放たれた相手はそのまま放置されます
だから傷ついても後は自分でと
そんな希薄な関係なのに一方的に暴力を使う
暴力とは実際に手を上げる暴力、言葉による暴力、それに理屈で踏みつけにするのも暴力です
これはモラルハラスメントとして現在問題になっています
要するに相手を思いやる気持ちが根源にあって出たものなのか、それとも自分の気を晴らすために出た言葉なのかの違いです
相手の為に自分が犠牲になる覚悟で出た行為なのか、自分の為に相手を犠牲にしようと出た行為なのか
行動に至った自分の中にあるものが真逆です
要するに現代人は関係が希薄で、愛情が薄いと言う事ですね
こればかりは形式上見た目、罰を0にしたって愛情が無から出て来る訳でもないので難しい事です
自然な関係でいる事です
体罰を考察中
コメント欄は体罰の定義は? と聞かれたので、考えを整理して次のエントリーをあげるつもりです。
「君を虐待するのは愛してるからこそなんだ!」
村野瀬さんの記事とほとんどのコメントに賛同しつつ。
なんかコメント欄に虐待加害者の言い分をそのまんま書いたようなのがひとつありますね。
「愛情」「大切なのは気持ち」
いやいやいや、笑わせてくれます。
いろんな種類の虐待の加害者が如何にも好みそうな陳腐な台詞ですねえ。大体の虐待において加害者は「しつけのために厳しくしている自分。愛情があるから殴る」的な自己陶酔に酔っ払ってますね、汚らわしい。DVしかり児童虐待しかり。「愛」ほど如何わしい悪用のされ方をする概念もあんまりない(最近「絆」の悪用のほうが目立ってきましたが)。しかも当人は利用している自覚もなく自己陶酔ときた。暴力のエクスキューズのために「愛情」などという言葉に飛びつくのは正真のナチュラルボーン屑でありますよ。
わたしの小学校の担任も子供の頭を殴るのが好きでした。二十年以上経った今でも、報復が無理でもせめて警察に通報しなかったことを悔やんでいます。子供だったので知恵がなくて、それが犯罪だということがわかっていなかった。悔しいです。やつらも「愛情」だと思ってたんでしょうな、汚らわしい。両腕が根元から腐り落ちればいいのにと今も思います。
実にくだらない理由で子供の頭をぶん殴る。しかも児童側が反撃するどころか避けることも許されない。おとなしく棒のように突っ立って殴られなくてはいけない。反撃も抗議も許されない。こんなことをして誰も警察に通報しないんですから、小学校の教室は狂ってましたな。通い続けて疑問も持たなかったわたしも狂ってました。
わたしは小学校時代の担任を「屑」と中学生になってから認識できたからまだいい。疑問を持たないままの場合、大人になったら、やはり自分より絶対的に弱い相手を殴るか、自分より明らかに強い相手に殴られ続けるようになるんです。それが犯罪だということも卑劣な屑の行為だということも、認識できていないからこそ。
虐待の連鎖ってこういうふうに続くんですよ。その正当化に使われるものが「愛情」「気持ち」です。奴ら自分で信じきってるから始末に負えません。あの担任も「自分は児童たちを心から愛している」「児童たちを愛情込めて見守っている」と思い込んでいましたし。
暴力のエクスキューズとして使う「愛情」なんて、その程度のものです。心底汚らわしい。
もしも子供に何かの危険や心配からたたいてでもとめてもらえるのはありがたい事ですよ
でも、そういう大人はいない
子供が危険であったり、将来落とし穴に落ちるだろう状況には無関心で気がつかない
けれど自分の価値基準で勝手に判断し自分の二転三転する価値観で自分の機嫌を損ねた時だけ罰を与えようとする大人はとても多いです
物理的に罰を与えられなければ救いが得られると思ったら大間違いです
放置されたまま誰にも救いを得られないまま子供の成長期を過ごす事になるでしょう
それこそ最悪人生を全て失います
この問題の根本は大人が子供に対して無関心だと言う事です
愛情の反対は無関心です
マザーテレサの有名な言葉
これ等の行為は無関心から来る罰(暴力)であって
無関心から来る、放置(許容)なのです
物理的に罰を受けないようになれば解決すると思ったら大間違いです
そうしたら今度はただ無関心に放置されるだけです
もともと子供に対しての関心が希薄
それこそが問題なのです
そもそも関心があり愛情があるなら、子供をそう簡単にやすやすとたたけないです
もしもたたかなければいけない時は傷つける側にとってもとてもいたいものです
そしてそれで負った傷を心の傷も含め回復する責任も自分から負います
今の子供は大人たちにとってそうまでしてあげる価値が無いと言うのが一番の問題です
教育と称して自分の二転三転する価値基準で自分に不快感を与えた時、子供に傷と痛みを与える
でもその傷は放置
その傷が深い為、苦しんでいれば甘えとしてさらにいたぶるでしょう
もしも不用意な大人の仕打ちに反抗的であれば、また反省が足りないといたぶるでしょう
全てにおいて自分の目線で生きているのです
それだけ相手に対し無関心であると言う事です
どちらかと言うと自分の邪魔をする邪魔な敵ぐらいにしか感じていないでしょう
自分はもっと別の事をしたいのに邪魔する子供
自分は子供をもっとこうしておきたいのにさっさとこうならない迷惑な子供
その程度
今年もちょくちょくお邪魔いたします
ところで、体罰を振るう教師や指導者を庇う生徒・保護者は決して少なくないですね。教師や指導者が否定されることで、「オレ(私)はここまで頑張ってきたんだ」ということが否定されるのを恐れているのでは?という見方がありますが、何らかの通過儀礼とそこから生まれる美しい思い出を欲しがる心境もあるのかもしれません。いずれにしろ、軍隊的または体育会的なものを嫌う皆さんにとっては、理解できない心境だと思います。
>無記名コメントさん
はじめまして、SHUNと申します。
恐縮ですが、横から失礼します。
無記名コメントさん
個人的に、暴力を受けないような安全圏に居ながら、
暴力を肯定する人間って、クズ以外の何者でもないと思っています。
気持ちがどうとか、愛情がどうのとかって
ぼんやりしていて、
何だか良いんだか悪いんだか良く分かりませんが、
傍から見てそんなの分かりっこ無いから、
こういう問題って毎回起きてしまうんじゃないでしょうかね。
暴力は全くの例外なく悪い事だと認識すべきです。
”やっても良い暴力”の存在を認めてしまうと、
その暴力って歯止めが効かないんです。
今の教育環境を取り巻く、いじめ問題だとか体罰問題だとかを見て
何故それが分かんないのか不思議でなりません。
相手とちゃんと向き合って何かを伝えるのに、
暴力なんざ必要ありません。
必要なのは、何の他愛もない言葉でのコミュニケーション能力でしょう。
現代人に問題があるとすれば、
そういう能力に大きな問題があると考えるべきではないでしょうか?
体罰、いじめ問題を減らすには精神論を語ってもしょうがない
「体罰は教育ではなくて暴力または犯罪にすぎない」と正論を述べても教育現場が改善しなければ意味がない。より重要なことは教育現場でどのようなことが起こっているか、現場の教師や学生でどういう加害・被害行為が行われているのか、またその背景を明らかにして、改善策が講じられるよう声を上げていくこと。
体罰・いじめ行為が減らない、なくならないのは誰かや組織が心を入れ替えないからだけではなく、体罰やいじめ行為には多種多様な要因が複雑に絡み合って問題解決が難しいから、またこれまでの取り組みが明後日の方向を向いてきたからではないか。個人的には体罰・いじめ問題を「あってはならないもの」として捉えてきたことが(教師、学校、教育委員会などが)教育現場の実態を隠ぺいする力として作用してきたと感じる。現場の状態が隠ぺいされてしまうと対策の打ちようがない。まずは体罰やいじめが普通にあるものとして捉えなおし、現場(教師、学生、学校)の実態や悩みが明らかにされること、そのうえで殺人や自殺に至るケースなど極端な例を抑制すること、そして体罰・いじめの要因を解き明かし、問題を一つ一つ改善することにより体罰・いじめ件数を少しでも減らしていくことに取組むべき。
自殺問題と案件は異なりますがライフリンクの清水康之さんの「昨年の自殺者 減少の理由」という記事内容は体罰・いじめを減らす方法としてまったく同様に通用すると思います。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yasushimizu/20130117-00023089/
取り留めのないコメントで失礼します、私なりの体罰について思うところ
話は変わって、やまと競艇学校や競輪学校では選手養成の早教育の為に手を挙げて特に競輪学校では竹刀をふるうケースがありますがあれもどうにかならぬもんかと常々思っております。手を挙げなきゃ公正な競技人は生まれぬものなのか納得のいく説明は誰からもなされていません。またさらに競輪の世界では違反が積もるとお寺行きと言って座禅修養を強制されますが、そんなもんで違反が減るなら一般の道路交通法違反でも座禅修養が取り入れられているはずなのにどうもそんなことはないようで、公営ギャンブルの選手育成は日本の負の縮図であると言っても差し支えないようです。
「本気で真剣に子供と向き合って殴れば気持ちを伝えることができるんだ!」
すみません村野瀬さん、これでこの件については最後にしますが長文投下失礼します。無記名さんのわたしへのコメントに対してちょっと眩暈がして…きて…あと、この問題の本質が一気に明確に浮かび上がった気がしなくもないような……
まあ、前回の無記名さんと今回の無記名さんを仮に同一人物と仮定して。
もはや精神論。
「本気で真剣に」「気持ち」「愛」
これらへの妄信がなくならない限り、DVも夫婦間レイプもデートレイプも校内虐待もそりゃ起こるだろうなあと遠い目であります。
そもそも完全に話がずれている。「危険」?「将来落とし穴に落ちるだろう状況」?
問題になっている「体罰」という名の虐待は児童生徒や教師の安全に関わる事態をまったく背景にしていません。
たかだか部活動。部員や教員の安全や生命に関わる事態だったわけでも他者の尊厳を生徒が傷つけたわけでも無い。完全に問題の前提がずれている。
しかしまあ、……「今の」……このタームまで繰り返されるとなると…。
昔の暴力は暴力でなかったとでも。パワーハラスメントはパワーハラスメントでなかったとでも。
今日、まだ言語化され可視化されるようになっただけ、これでも随分進歩したわけでありますが。奴隷根性を骨まで叩き込まれた被害者は自分の受けた暴力を犯罪と認識しないまま終わるわけでありまして。
被害者が被害を被害と認識できるようになってきた分、数十年前よりは確実に一部は前進しているのでありますよ、様々の人々の不断の努力によって。
「本気の」愛と気持ちって素晴らしいですねえ。暴力も虐待も免罪されるのですから。愛があれば気持ちがあれば暴力も教育!本気でやれば相手に伝わる!愛は加害者を救う。
「気持ちがあれば」「本気で」「真剣に」「愛があれば」暴力が教育となるという認識がある限り、この種の虐待はなくならない。事件として表に出たものだけを「あれは本当に真剣に気持ちを込めていないからだ」として例外化しておけば、他の虐待行為は免罪されます。これは「今の」も同様ですね、そうしておけば昔の虐待行為は免罪されますものね。
「関心」……いやあ、加害者は被害者に対して往々にして興味津々なのでありますよ。ものすごく「心を砕いて(←棒読み)」関り続けてくれやがりましたねえ。「愛して」たんじゃないですか?奴は奴なりに「本気で」「真剣に」。こちらにとっては恐怖と憎悪以外の何物でもない。
わたしより被害の酷かったクラスメートなど、家にまでしょっちゅう押しかけられて。本人は無論、お母様までどんどん追い詰められて。もはやストーカー。
もう一度言います。加害者は被害者に対して大抵は興味津々であります。加害者は被害者のことを「本気で真剣に考えて」常に「深い関心を」寄せています。心底おぞましい、汚らわしいことですが。
ひとさまのブログでこれ以上暴れては申し訳ないのでこの辺にします。たった一回のやりとりで既にループしてるし(苦笑)。
学校にせよ家庭にせよ、何故この種の虐待が起こるのかを垣間見たやりとりでありました。ありがとうございます、大変参考になりました。いやあ勉強になった。
なかなか進まない
体罰の教育的効果ってあると思うんですが、教育効果があるならなおのこと禁止すべきではないかな。
殴られてそうなるような人格に子どもを育てるのって、市民社会としてあんまりいいことではないでしょ。
わたしは学校での体罰っていうと欧米のほうがありそうというイメージがあります。
なんか寄宿舎で罰として鞭打ちしているみたいなイメージ。まあ20世紀に入っては教育思想も変わってきたのではないかと思うけど。
日本の学校での体罰は、引用先の「澤藤統一郎の憲法日記」の記事を読む限りでは、近代化、西欧化によって入ってきたのかな、という気もしますけど、「学校」って制度が西欧由来だから当たり前か。
一応、権力関係の存在(親とか教師とか)と、処罰の意図が「体罰」の要件だろうと思っているのですが、暴力の程度によっても、体罰と呼ぶかどうかが決まるかなあ、とその辺がわからない。
今となってはかなり記憶がおぼろげですが、中学の時に、廊下を走ったらデコピンだぞ、という教師がいたような。権力関係はあるし、処罰性もあるし、身体に対する有形力の行使だから、体罰認定かなあ、とも思うけど、あんまり何でも体罰分類してしまうと、重篤な体罰の弊害が紛れてしまうかなあ、とも思うし……。
というわけで、体罰を考えるエントリーがなかなか進まない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130122-00000030-mai-soci
「気持ちがあれば」「本気で」「真剣に」「愛があれば」暴力が教育となるという
と書かれていますがそれは、たたかない事が子供にとっての救いになると言う意味ですね
それは逆です
愛があるからたたかないと言うなら分かります
でもたたかない事が愛である
たたかなければそれでいい、たたかない事こそがいい事で
そうならないなら子供を放置してもいい
それでは逆です
silokanippeさんの話ではたたかれさえしなければそれでいい
後は全て子供個人の責任で子供は自分の自由に生き勝手に死ぬので放置する
そういってるように聞こえます
もしも、家に押しかけてまで、何かを伝えたがっている人がいるなら
本気でその子供に何かをいいたいはずです
それを理解できない方が問題です
何か今の人は、人や他人を悪意でしか見れない気がします
他人に対して伝えたい何かを持たないし、他人から何も受け取らないし他人を理解もしない
もしもその子供に付きまとう人がその子供を傷つけていたら
理解し切れていないからです
もっと理解し合う必要があると思います
こういう今の人がとても理解できないですね
死刑だ、死刑だ、厳罰だ、厳罰だ、と声高に叫ぶ今の人
気に入らない人を片っ端から殺したり罰していけば全てが済むと思っている
公式に傷つけていい存在がいる
傷つけていい存在が傷つけられている分にはみんな何も反対しないでしょう
そして、反対する人が現れると踏みつけようとします
でも自分は踏みつけられる側だと思っているので、踏みつけていい側を踏みつける側だと思って必死で踏みつけようとする
だからそのうち自分もその仲間に踏みつけられる
ののしってはいけないと言いながら公式にののしってもいい相手がいます
自分こそが加害を肯定している事に気がつかない
一番汚い言葉を使うのは誰で、一番誰かを傷つけるのは誰か
このままだと、もしも価値観が逆転したら若者は甘えてる体罰やむなしとされる事だってあります
自分は人を傷つけない、だから相手もそれに乗って欲しいという事が分かっていないと思います
立場が逆ですが、同じ穴の狢だと思います
どちらも反抗でき無そうな弱者に向けて罰と暴力を使って服従と蹂躙を正当化肯定する
誰かに向けて屑という人と誰かに向けて屑という人はどう違うのでしょうか
強いものが正義
体罰で問題になるのは弱い反抗でき無そうな相手に対する暴力、傷つけ
同じ事です
立場こそが重要で、弱そうな相手は恰好の的です
本当は、人を傷つけてはいけない事が大事
相手の気持ちに対して、相手の態度に対して、自分の態度を決めるべきで
相手が傷つきそうなら労る、相手が強い態度なら自分も強い態度
やってる事が逆だと思います
弱そうな相手だったらたたいていい
強そうな相手にはたたかない
では弱そうで公式にたたいていい相手はと探すと
付け込む隙や落ち度のある人
ところでいじめと体罰は同じと言ってる方が多いですが
本当は逆の存在です
もしも、いじめで傷ついている人がいたら、いじめてる側にその痛みを示す罰は対極にあるものでした
でも今は逆で、いじめも体罰も弱者側に向かうもの
そして、そのいじめと体罰の糾弾も弱者に向かうもの
全ての痛みを追うのは一番の弱者
なんで今の人は誰かを攻撃するのがこうも好きなんでしょうか
守る事と攻撃する事は逆です
でも今の人は反抗してこない弱者を攻撃する事こそ守る事だと思っています
守る事とは、誰かが誰かを攻撃し傷つけている時にだけ出るものです
そしてそれをやめて欲しいという事
攻撃する事とは、今傷つけられそうになってる訳でもないのに、それに当てはまりそうな人を見つけ出し迫害する事
いじめっ子の親と同じ名前の人に対して暴力をする人
兎に角今の人は自分が攻撃的で誰かを傷つける側の人だと認識した方が良いと思います
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entewkefc「所得の不平等の原因と結果:グローバルな視点」という論文が経済格差の拡大は経済成長を止めると示唆している。自民党の日々の政治が日本の経済成長を止めていると認識しましょう。グローバル vs ローカル?続けての投稿、すみません。
「グローバル」は、ローカルがあってこそ・ローカルに資するもの(←言い方は他にもいろいろあるだろうけど)、でないといけないと思います。
一津木野宇佐儀「所得の不平等の原因と結果:グローバルな視点」という論文が経済格差の拡大は経済成長を止めると示唆している。自民党の日々の政治が日本の経済成長を止めていると認識しましょう。コンパクトかつ地域循環!!格差はもう行きつくところまで行ってしまったかな、と地方・田舎から見ていて思います。
経済、だけでなく教育、人口等は昔から大都市圏、特に首都圏に集中していて、地方(津木野宇佐儀入管難民法改悪案阻止のため立憲民主党が法務大臣への問責決議案を出したことを評価する。#立憲ボイス @izmkenta @saito_yoshitaka #改悪入管法の強行採決反対冷笑系…>アンドリュー・バルトフェルドさん
「冷笑系」の人々がいつでも転落するのが今の日本の状況だと、泥臭くても言い続けていく必要はあるかと思います。
私自身うつ病で挫津木野宇佐儀軍拡財源法案は許せない。軍拡財源法案に強く反対しない立憲民主党は軍拡反対の有権者に支持されたくないのか? いわゆる私のような生粋の左翼に「支持されたくない」のは本当でしょうね。
左翼票を喪っても連合の組織票と冷笑系の浮動票で挽回できると踏んでいるのでしょう。左翼左の人「江戸しぐさ」という歴史偽造 (メモ) 江戸しぐさなどと揶揄される江戸時代はそんなにひどかったのか。 江戸時代は暗黒の徳川家専制の時代,明治はその暗黒を取り除いたと明治政府は公言しました。たしかに江戸時代は言論の自由も表現の自由もなく,身分制度もあり素晴らしいTakeshi東京都人権部は、過去にあった凄惨な人権蹂躙を検閲して隠すという歴史への蛮行を、税金を使って始めた。強く抗議します。カチンの森事件の隠蔽という悪事 日本に酷似 1940年4月,5月に25000人以上のポーランド市民がソ連内務人民委員部(NKVD)によって銃殺されました。犠牲者は大部分が陸軍将校であったものの,知識人,大学教授,学校Takeshi法的根拠のない「国葬」を日本国民が止められないなら、自民党による戦争や暴政を止められるのだろうか。だから #国葬反対 #今からでも国葬中止を #国葬を国民の力で葬ろう権力者は身の危険に対して鈍感 安倍晋三は,たしか身の安全をはかるようにと国会で野党議員から助言されていたかと思いますが無視しました。岸田文雄も安倍の前例があるにもかかわらず,まさか自分が狙Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。まだまだコロナには注意が必要,マスクも必要私の先輩で高齢の友人が新型コロナに感染しました。夫婦二人暮らしで推奨されるワクチンはすべて接種していました。喉に死ぬほどつらい痛みがあり,何をする気力もなく,こTakeshi入管難民法改悪案阻止のため立憲民主党が法務大臣への問責決議案を出したことを評価する。#立憲ボイス @izmkenta @saito_yoshitaka #改悪入管法の強行採決反対冷笑系を唾棄したいFAXによる請願で、件の政策秘書と同様に「そんなのをやっていたら市民運動の言うことを誰も聞かない」などと喚き散らすのが見られます。
そういう冷笑バカは、「対案を出アンドリュー・バルトフェルド小規模市民運動のためのヒント(メモ)No title「サイレント」と聞いてグレタ・トゥーンベリさんが真っ先に頭に浮かびます。
彼女は一人で運動をはじめ、それが世界にまで広がっていった…すごいですよね。津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title『「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.ewkefc国会前で #入管法改悪に反対 した5500人(2023年6月5日)No titleでも
5500人の方々が集まってくださったことは、一筋の光明だと思います。
地方在住でパニック発作もあり、なかなかデモには参加できないのですが、地方からもできるだ津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title全くそうですね。
戦後の長年の保守政権、その流れをくむ自民の憲法軽視(アベ以降は憲法無視!)が、戦前からの「拷問及び残虐な刑罰」的体質を矯正するどころか、許し続け津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title もともと入管当局というのは特別高等警察の残滓みたいな組織でした。周知のように特高とは大日本帝国の暗黒面を代表するような組織であり、多くの人々を拷問にかけ痛めつクテシフォンまた核発電所大規模事故を招くもとになる可能性のある原発回帰推進法の自国維公による可決に抗議する原発回帰推進法の可決に強く抗議する選挙で信を問うこともなくGX脱炭素電源法が政府与党とその補完勢力である維国の賛成で可決されました。
GX脱炭素電源法とは名ばかりその実は原発回帰推進法そのもので閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。#改悪入管法の強行採決反対入管法改悪をめぐって政府与党の問題が次々と明るみに出ています。
難民審査「1年半で500件」は可能なのか、不可能なのかについて齋藤法相は答弁を180度転換、ただただ閉口閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。No title立憲は、「てめえを踏みつけている奴らに媚び売ってどうすんだ」というのを何度も思います。
泉が平熱パニックおじさんの番組で飲みながらヘラヘラやっていたし、枝野がプアンドリュー・バルトフェルド津野香奈美著「パワハラ上司を科学する」(ちくま新書)No title日本では「上司」=管理職が何たるものかが理解されずにずっーと来ましたよね。
「仕事ができる=管理職=出世」ではなくて、労務管理能力のある人が管理職なんですけど。津木野宇佐儀デモの精髄を、フランスの年金カイカク反対デモに学ぶ。「もし私たちが私たちの両親の年金のために闘わなかったら、誰が私たち自身の年金のために闘ってくれる?」 (2)No title日本でもかつて「売上税」阻止をデモとメディアの攻勢で廃案に持ち込んだことがありましたよね。
本当は日本でもできた・「できる」ことなのですが…
日本国、否、自民国JAP津木野宇佐儀#入管法改悪反対アクション に取り組む人々の姿が、辛うじて日本国の人権意識の消滅を防いでいる。No title 週刊新潮や産経新聞の記事は、これらのメディアが人権など一顧だにしない事、ひたすら保守政権の後押しをする集団であることを如実に示しています。予想通りの行動を採るクテシフォン国会議員の居眠りについての自民党・河野太郎の言い訳(メモ)自分達の事ばっかり何から何までろくでもない野郎ですね。
主張する事は、常に自分達特権階級の擁護ばっかり。
庶民が、病院でマイナカードの不具合で受診できまいがお構い無しで、不具合隠K.Mina相模原市の障がい者虐殺事件の容疑者が釈放されてニュースキャスター長谷川豊の名でネットメディアで「透析患者を殺してもよい」と言っているのかと思った。精神障害者である自分を肯定する人もいる。 昔は精神分裂病と言われた統合失調症は100人に1人がかかるごく一般的な疾患なのだそうです。日本の人口が1億2000万人であれば120万人が罹患していることになります。発祥Takeshi自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議しますNo title>ブログ主様
>まだまだ闘わなければ日本の民主化は成し遂げられません。あきらめた時が負けです。
>決して腐ることなく、戦い抜きましょうと、多くの人に呼びかけ津木野宇佐儀自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議します私はマイナンバーカードを持ちません。 私もマイナンバーカード取得強制に反対でコメントを2日前から投稿したのですが,F2ブログからはねられていました。よくあることですが。
私のもとには過去に市役所Takeshi問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します まだまだ使えて誰も不便に思ってない道路をわざわざぶっ壊して新しい道路を作るようなことは東日本大震災の被災地ではよく見る光景です。復興という錦の御旗があれば無駄左の人問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します朝日の劣化ここ数日で「朝日は滅びろ」というのが強くなりました。
成果が疑わしいG7の報道でも「何を食った」とどうでもいいことをやっていて「核軍縮」の退行を流しもしない。
最アンドリュー・バルトフェルド首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。 (2)くだらん擁護が悪目立ち青瓦台で同じことがあれば、トチ狂ったように連日報道業者が喚き散らします、絶対に。
「他人の振り見て我がふり直せをやったら死んじゃう病患者」が余りも多すぎる証左にアンドリュー・バルトフェルド入管法改悪は自民党政府による外国人へのさらなる虐待のようなものです。 #入管法改悪反対No title 立法事実(その法律が必要とされる社会的事実)が存在しない法律は、それだけで憲法違反となるというレベルのものです。内容面でも問題だらけの法律案ですが、それを無理やクテシフォン