「いじめ問題について」 (向川まさひでさんの記事を読む)
- 2012/10/21
- 23:00



奈良県大和高田市議会議員の向川まさひでさんが学校における「いじめ」について総論として整理し、一つ一つ考えた力作記事をトラックバックしてくださいました。深い感謝とともに、これは多くの人の目に触れてほしいと思い、紹介させていただきます。強調字体付きの原文はぜひリンク先からお読みください。
(転載ここまで)●医療現場から市政に挑戦!向川まさひで
いじめ問題についての所感①
http://muka-jcptakada.seesaa.net/article/298163403.html
2012年10月19日
大津市での痛ましい事件を契機に、あらためて「いじめ」の問題が
大きな議論を呼んでいます。
個々の事件については、私は十分な材料を持っていませんので
深く論じることは控えますが、「いじめ」の問題と
改善、解決の方向について、私の考えを少し述べたいと思います。
・・・って、「少し」のはずがまた論文になってしまいましたが・・・。
長い文章なので、分割したうえで、最初に全体超要約と前半部分の項目を載せます。
興味を抱かれた方は続きを読んでください。
【全体超要約】
1.いじめの土台には、集団生活の中で当たり前に存在する人間関係のトラブルや軋轢があり、このこと自体は成長していくうえで大事なもの。いじめ「根絶」や「撲滅」と称して、こうしたトラブルまでなくしてはならないし、なくせるものではない。
2.いじめを上から「なくす」のではなく、トラブルや軋轢に寄り添って人間関係の作り方を学ばせ、いじめに変化した場合には早期に対応してエスカレートを防ぐことに、学校や教育者は力を入れるべき。エスカレートしていく過程で、「いじめの人間関係」が作られいじめの「正当化」や「自己目的化」が起こり、加害者は歯止めがなくなっていく。
3.いじめの深い原因は、トラブルや軋轢をいじめに変化させる要因にこそあり、それは加害者が様々な理由からいじめを「必要としている」ということである。これは特別な子どもにのみ存在するものではなく、普通の子どもにも、大人であっても起こりうる。
4.いじめ問題の解決・改善策は、加害者になりうる人が、いじめを、また「いじめの人間関係」を必要としない環境をどう作るかにある。学校では、子どもたちの友人関係のありかたについて「こうあるべき」という規範を再考し、クラスという単位の在り方も相対化することが必要と考える。
《前半部分の項目》
【「いじめ」は根絶可能か】
【いじめのエスカレート】
Ⅰ いじめの始まり ~表面的な「原因」~
Ⅱ いじめのエスカレート
1)いじめの集団化 ~「いじめの人間関係」~
2)いじめの正当化 ~「みんな仲良く」の罠~
3)いじめの自己目的化 ~依存症としての「いじめ」~
(以下本文)
【「いじめ」は根絶可能か】
いじめの問題は、これまでに何度も社会問題として注目されています。私が高校生の頃にも、深刻ないじめの事例が相次ぎ、社会的な注目を浴びました。
こうした問題が注目されるときに、しばしば「いじめの『撲滅』」や「いじめの『根絶』」という言葉が使われますが、私はこれは正しくないと考えます。
なぜなら、いじめが起きる土台には、クラス内、学校内、クラブ内などでの人間関係の軋轢があるからです。このこと自体は、集団生活上避けがたいものですし、子どもたちにとっては、人間関係づくりを学び、成長する大事な機会であるからです。いじめを「根から絶つ」というような考え方では、表面上トラブルのない「みんな仲良し」幻想を子どもたちに押し付けることになり、かえってトラブルの潜在化、陰湿化を起こすものであると思います。
文部科学省も「深刻ないじめは、どの学校にも、どのクラスにも、どの子どもにも起こりうる」と認めています。教育現場に必要なことは、いじめを「なくす」という視点ではなく、当然起こりうるであろういじめの発生を早期に見つけ、適切な制止と介入を行い、大津の事件のような最悪の事態、また金銭の略取、傷害、その他被害者が心身に深い傷を負うようないじめのエスカレートを阻止する、という視点であると考えます。できれば、いじめが深刻化する前に介入し、いじめの解決を通じて、子どもたち、特に加害者側の子どもが反省し、人間関係の作り方を見直す契機にすることができればと思います。
一部で行われているような、いじめの報告が「ない」ということをよしとするような評価の仕方は、かえっていじめを助長するものです。
【いじめのエスカレート】
では、教育現場が制止しなければならない「いじめのエスカレート」について、少し考えたいと思います。
いじめがエスカレートすると、どのような結果になるか、ということは、多くの事例に表れています。自殺、暴行による死、これらはもちろん最悪のものですが、傷害、金銭の略取・恐喝、犯罪行為の強要、事実無根の噂を流しての社会的孤立など、いじめが何らかの理由で終わっても被害者の体と心に深刻な後遺症を残す事態に結びつきます。ここまでエスカレートしたものは、もはや「いじめ」と呼ぶべきものではない、重大な人権侵害であり「犯罪」として対応すべきものです。学校で抱えきれるものではなく、警察や司法の介入もやむを得ません。
しかし、いじめがここまでエスカレートしたうえで解決されても、被害者には大きな傷が残るでしょうし、加害者も、いじめについて反省し、人間関係づくりを見直すという成長は難しくなります。ゆえにこそ、教育現場ではいじめのエスカレートを防ぐことが重要であると思います。いじめがなぜ起き、いかにしてエスカレートするか、私の考えを述べたいと思います。
Ⅰ いじめの始まり~表面的な「原因」~
先に述べたように、いじめの土台には人間関係の軋轢があります。具体的なトラブルを伴うものもあれば、そうしたものがない一方的なものもあります。
具体的なトラブルを伴うものとしては、例えば友達グループで何らかの理由で対立や孤立が生じ、いじめに発展するケースなどがあります。こうしたものでは、そのトラブルを解消することでいじめの予防、解決の可能性がある一方で、トラブルからいじめに発展する変化をとらえることが難しく、教師などが「友達グループ内のトラブル」と見過ごしてしまうおそれもあります。
具体的なトラブルがない軋轢というのは、俗にいえば「むかつく」ということです。相手の言動、行動、あるいは存在に対して、加害者側が不快を感じ、攻撃の対象とするものです。極端に成績が悪い、あるいは良い、身なりが変わっている、しゃべり方や言動、中には理由が加害者側もわからず、とにかくウザイ、ムカツク・・・これらは加害者側の主観であるためにいじめる理由が見えにくく、予防や解決は困難です。とにかく制止し、そのいじめの行動が不当であることを理解させるしかないと思います。(また、中には、被害者側の子どもが実際に周囲に不快を感じさせる言動や行動を取っている場合もあります。そうした場合には被害者側の子どもへの適切な指導も必要と思います)
こうした人間関係のトラブルが、いじめの土台にあることが多いと思います。個別の事例でみた場合、これらのトラブル自体がいじめの「原因」とされることも多いと思います。しかし、それは表面的な原因であり、後述しますが深層の原因ではないと思います。これを「原因」ととらえてしまうと、いじめを抑止するためには子どもたちの人間関係全体を監視・管理すべきというおかしな方向になるか、人間関係のトラブルは避けがたいのだからいじめも避けられない、という不可能論になってしまいます。
いじめの深層の原因は、こうしたトラブルをいじめに転化させる要因にこそあると思います。「大人ならば、人間関係のトラブルを適切に処理できるから、いじめに至らない。いじめの原因は子どもたちの人間関係づくりが未熟であるからではないか」という見方もあるでしょう。私も、子どもたちが人間関係づくりが未熟であるためにいじめに至ってしまうということは大いにあると思いますが、大人社会でもいじめは存在します。「未熟さ」が原因である、というのはすこし保留したいと思います。
Ⅱ いじめのエスカレート
「トラブル」から「いじめ」へと転化し、それがさらにエスカレートしていく原因を論じる前に、エスカレートする過程でどのようなことが起きるのかを考えたいと思います。
1)いじめの集団化 ~「いじめの人間関係」~
いじめの過程において、被害者をいじめることを前提とした人間関係が形成されます。深刻ないじめ事例のいくつかに見られるようにのように、ヒエラルキーや役割分担が存在する、組織的ともいえるいじめグループが作られることもあり、言いだしっぺと追従者、そして多数の傍観者というようなおおざっぱなものもあります。また、被害者を排除することを前提にした人間関係もあれば、被害者を加害者たちのグループに囲い込み、いじめ続ける人間関係の場合もあります。相手を排除しきれない学校やクラスという単位の中では、両者の性質を兼ね、被害者を関係に取り込みつつ排除し続けるというケースもあります。
こうした被害者を含んだ「いじめの人間関係」がいったん作られてしまうと、それが大きく壊れるような事態にならない限りいじめの解決は難しくなります。教員などが一旦制止しても、またしばらく経てばいじめが続くということになります。(逆に言えば、クラス替えなどで人間関係が変わると、いじめが解消する場合もあります)
そして、いじめの人間関係のもとで、いわゆる「集団心理」でいじめが拡大、再生産されることになります。加害者がグループの場合は、相互にいじめをエスカレートし合い、より悪質、残酷ないじめへとつながることがあります。煽られる形でいじめに追従する者も、また、自分がいじめの次のターゲットになることを恐れ、いじめの追従者や傍観者となる者もいます。そして一たびこの人間関係が形成されると、それを変えようという動きに対して、強烈な抵抗がなされます。とりわけ被害者を集団に取り込んでいる場合には、被害者が逃げ出せないよう徹底していじめが行われ、報復への恐怖から被害者がいじめを解決しよう、あるいは逃げようという気力をも奪ってしまうことがあります。また、追従者、傍観者がいじめから脱落したり、被害者に手を差し伸べるならば、その人をも攻撃対象となることがあります。いじめの人間関係はいじめの加害者・被害者だけでなく、追従者や傍観者を含んでのものであり、どこかにほころびが生じればいじめをストップできることもありますが、いったん形成されると、当事者でそれを変えることは難しくなります。
エスカレートしたいじめが問題となった時に、被害者や傍観者の態度が問われることがあります。「被害者が拒絶していれば」「誰かが止めていれば」というものです。いじめの初期段階で被害者が拒絶、抵抗することは、いじめの正当性を崩し、いじめによる「楽しさ」を阻害し、いじめの人間関係を阻害することでいじめがエスカレートすることを防ぐ意味はあると思います。第三者が強く制止した場合も同じです。「いじめにはきっぱりと拒絶を」「勇気をだして『いけない』と言おう」という指導を行うことは正しいと思います。しかし、いじめの人間関係が出来上がってしまったあとでは、その人間関係を壊す行為に対しては、より強い報復、いじめにつながり、被害者や傍観者が声を上げることが難しくなります。そのような段階で、被害者に「なぜ拒絶しないのか」「なぜ親や教師に相談しないのか」というのは、かえって被害者を委縮させ、解決を遠ざけることとなります。まして、被害者が拒絶していない、抵抗していないからいじめではなく遊び、ふざけであるというのは明らかな誤りです。
2)いじめの正当化 ~「みんな仲良く」の罠~
いじめの事例では、加害者側がいじめを正当化する言動を行うことがあります。いじめの表面的な「原因」となっているトラブルや不快を感じる被害者の性質や言動などを以て「あいつが○○だから、○○したから」と言っていじめを正当化するものです。加害者側が「あいつに○○されたから」と「被害者」を主張する場合さえあります。そのほとんどは「言いがかり」というべきものであり、被害者側に落ち度がある場合でも、それといじめは明らかに均衡を欠いているものです。
加害者側が立場や人間関係を利用して、いじめを正当化しようとする場合もあります。「(被害者)が○○なので注意した」「(被害者)のためを思って」というようなものです。大人の職場であれば、パワーハラスメントと呼ばれるものです。仕事の出来が悪い、職場の和を乱しているなどという正当化が行われます。
この様ないじめの正当化がいじめをエスカレートさせる理由は、いじめを正当化する上であげられている「(被害者側の)理由」は、外見や立ち居振る舞いなど、加害者側の主観的なものが多く、被害者側が「改善」していじめの「理由」をなくすことが困難であるためです。そのため、いじめは延々と続けられることになります。また、その正当化のやり方次第では、周囲の人を追従者、傍観者にし、極端な場合にはクラスや職場が一丸となって一人をいじめるというようなことにもなります。時として、いじめを正当化する「理由」が被害者自身を縛ってしまうこともあります。「自分がいじめられるのは仕方がない」とあきらめてしまったり、友達グループがいじめのグループに転化した場合などは、居場所を失いたくないがために加害者の言いなりになり、(一見自ら進んで)いじめられる役割を引き受け、いじめを受け続けることもあります。こうした状況が続けば、被害者は心身に大きなダメージを負うことになります。
留意すべきは、「いじめ」の反対に「仲良く」を対置することが、こうしたいじめの正当化につながる場合もあることです。前述したように、いじめの表面的な「原因」のうち、具体的なトラブルのないものは、被害者が何らかの「異質性」をもっていて、それに対して加害者が悪感情をもっていることに始まることが多くあります。加害者の主観的感情であり、被害者にはどうしようもありません。しかし加害者側はそのことが理解できない中で、「みんな仲良くすべき」ということが押し付けられたならば、「(被害者)は○○だから仲良くできない」→「仲良くできない(被害者)が悪い。(加害者)は悪くない」といういじめの正当化が生まれます。○○に入る理由には「優等生ぶっている」「動きがトロい」「話し方がムカツク」「話題についてこない」「休み時間に一人でいるのが気持ち悪い」など・・・
また、いじめの正当化は、しばしば他人に対する以上に、加害者が自分に対して行うものであることにも注意が必要です。とりわけ、自我が育ち、善悪の分別がある程度つくような思春期以上の子どもたちでは、この傾向が強くなります。いじめの加害者が「誰に対しても粗暴で道徳心や規範意識に欠ける」ような子どもばかりではないことは、事例が示しています。一面では並みに善悪の区別や道徳心を持っているような子が、被害者に対してのみひどいいじめを行うようなこともあります。このような時、加害者は意識的か無意識的かにかかわらず、「被害者が悪い、自分は悪くない」といういじめの正当化を行い、被害者を自分が持っている道徳心の枠外において、傷つけることへのためらいをなくしているといえます。アメリカの社会学者のデービッド=マッツアは、非行を繰り返す少年たちの心理に、自分が悪いことをしている、加害者であるという意識を打ち消す合理化・正当化の心理的技術があることを指摘しました。(こうした心理的な合理化・正当化を「中和」といい、また善悪の間を漂流しているという意味で、マッツアの理論を「漂流理論」といいます)いじめにおいても同じであると思います。
単に中和するだけでなく、いじめを正当化し、自分が正しいことをしていると過信することは、いじめの加害者にとっては自尊心を高め、被害者を見下し、傷つける言動や行動を取ることへのためらいを失わせます。そして、そうした見下しや攻撃の言動・行動を取ること自体が、さらにいじめを正当化(自分は正しいからこういう行動を取れる)し、自尊心を肥大させ、精神的な充足や安定を得て、ますますいじめの行動を後押ししていくという循環に陥ります。そういう中で、いじめをやめる、いじめができなくなることは、自分の正しさ、自尊心の裏付けがなくなることであり、いじめを止めることに強い抵抗を示し、いじめを続行、エスカレートする心理ともなります。
3)いじめの自己目的化 ~依存症としての「いじめ」~
「いじめの自己目的化」というのは、私が考えた表現で一般的、学術的なものではありませんが、いじめのきっかけである人間関係の軋轢や、いじめを正当化する理屈などが忘却され、加害者にとっていじめをすること自体が目的となり、いじめが常態化することをあらわします。語弊のある表現ですが、加害者が「いじめ」に依存している状態です。
いじめを行うことは、加害者の心理にとってどのような意味があるでしょうか。いじめというのは、加害者側にとっては快楽になります。嫌いな相手が困り、傷つくことが楽しい、いじめた相手が服従することによる支配感、自分の願望が達成される達成感、抵抗を受けず暴力をふるうことによるフラストレーションの発散、優越感など。また、よく「ゲーム感覚」と言われますが、いじめグループにとっては楽しい集団での遊びでありコミュニケーションであることがあります。誰かをいじめることで、グループの結束が高まり、個々人のグループへの意欲も高まることがあります。このようなゲーム感覚のいじめは、いじめという認識を感じさせない効果もあります。自分の行ういじめに対して仲間がいる、多くの追従者や傍観者がいて被害者が孤立しているという状況も、自分の影響力に対する満足感を引き出すものでしょう。金品の略取を伴う深刻な事例では、被害者からお金や物を奪い、それを使う快楽もあります。また、「いじめの正当化」で述べたように、被害者を見下し、攻撃を繰りかえすいじめの行為自体が、加害者の自尊心を高め、精神的な充足や安定、高揚感を得るということもあります。
いじめによって得られる快楽は、アルコールや薬物による快楽と似ていると、私は思います。いじめの自己目的化というのは、薬物やアルコールに依存するように、加害者がいじめの快楽に取りつかれてしまった状態です。
薬物やアルコールは、次第に、同じ分量や回数では快楽が得られにくくなり、摂取量が次第に増え、ますます依存していくという傾向があります。(これを「耐性」といいます)また、それが得られない状態ができると苛立ちや不満を覚えるようになり(いわゆる「禁断症状」)、道徳心や損得勘定を狂わせ、不品行で社会的地位を自ら毀損したり、暴力や窃盗といった反社会的行動を起こすことがあります。これは脳の作用と関係があり、薬物を伴わない、ギャンブル依存や性依存など行為依存症でも同じようなことが起きると言われています。今回の大津のいじめ自殺事件では、虫の死骸を口に入れるなど加害者グループが行った、語るもおぞましいいじめ行為のいくつかが報道されています。そして、被害者の死後も机や遺影を辱めるなど被害者への「いじめ」は続行していたとも報道されています。これは今回の事件が初めてではなく、過去の重大ないじめ事件でも類似の事実はありました。私は、そこに、依存症患者の取る行動と似た、精神のバランスを崩した病的なものを感じます。
いじめがエスカレートする過程で、加害者は被害者をいじめるだけにあきたらず、いじめの対象を他の子どもにも広げることがあります。また、被害者が不登校になったり、教師に制止されるなどしていじめがしにくい状況になると、強い苛立ちを覚え、その苛立ちを、被害者や他の子へのよりひどいいじめに向けるということがあります。例えばクラブ活動で孤立した子が、いじめによってクラブをやめるに至っても、加害者グループはいじめを止めることなく、他の子をいじめの標的としたり、「やめたことが気に食わない」と被害者をさらに追い打ちするようなケースがあります。やめさせたいからいじめをしていたにも関わらずです。この状況を見るとまるで、薬物の禁断症状のようにいじめをせずにはいられないような心理状態に、加害者は追い込まれています。そして、被害者側にとってはより深い絶望や恐怖となって続きます。
また、過去の深刻ないじめの事例では、いじめがエスカレートする中で、加害者はいじめを正当化する理屈をも忘却し、被害者をいじめることのみに執着する行動をとり、より強い刺激を、いじめの快楽を追及するかのような行動をとっている事例がいくつもあります。死に至るような暴行、多額の金銭略取、性的暴行、被害者家族への脅迫や嫌がらせなど、不幸にして、このような段階になっていじめが発覚し問題となってようやく解決の可能性が出るケースもあります。その理由の一つには、こうした状況で加害者は、いじめについての良心・道徳心だけでなく損得勘定をも麻痺させ、自分の行為がもたらす結果や自分への不利益の可能性を忘却しているためです。例えば、ギャンブル依存症になった人が、仕事をさぼることの不名誉・不利益よりもギャンブルの快楽を求め、お金が無くなってギャンブルができなくなると、刑罰を受けるリスクがあるにもかかわらず極めて短絡的に犯罪などに手を出してしまうようなものです。「これ以上は『やりすぎ』ではないか」「相手を傷つければ、いじめが露見し自分が制裁を受けるのでは」「指弾され家族や友人や自分の将来を失うのでは」そうした残る良心や損得勘定よりも、いじめがもたらす快楽や昂揚感をやめられない、というものです。(中にはこのような損得勘定のもとエスカレートさせずにコントロールされているいじめもありますが、そのほうがより陰湿ではあります)ある事例では、被害者の自殺を聞いたいじめの追従者が自分へ降りかかる社会的制裁を恐れていたのに対し、いじめの中心の加害者グループは公然と被害者の死を喜び、被害者をネタにふざけ、けなし続けていたというような事例があります。これも加害者の良心の欠落、想像力の欠落というだけではなく、社会的制裁を気にするよりもいじめの「成果」に対する達成感、昂揚感に酔いしれていたように思えます。
いじめが自己目的化し、良心も損得勘定も見失うというのは、道徳心や想像力や思慮が未成熟な子どもに限られるものではありません。大人社会のいじめにおいてもしばしば見られます。例えば、職場におけるいじめの例として、取引先との約束など必要な情報を被害者に渡さず、仕事で失敗させたり恥をかかせる、そのことを口実に職場内で攻撃するというようなものがあります。もちろん、取引が壊れたりすれば会社にダメージとなり、加害者もその立場に応じて影響をうけます。まして、事が露見すれば職を失いかねません。にもかかわらず、被害者が苦しみ、孤立するといういじめの成果を求めてそのような行為に及ぶのです。海上自衛隊の自衛艦で起きたあるいじめ自殺の事例では、加害者はいじめの一環で、被害者が仕事で扱うレーダーの設定を不正に操作していたというものまであります。一つ間違えば、衝突事故の危険性もあったといいます。自衛官としての使命や規律からいって、二重三重にありうべからざる行為が、いじめをするために行われていたのです。
このようないじめの自己目的化の深刻なところは、あらゆる歯止めが利かなくなり、いじめが「犯罪」の次元にまでエスカレートして被害者の心身を徹底的に傷つけるものになるということ、そして加害者も、いじめのために正常な判断力や情動を失い、「犯罪」の加害者となることで多くを失うということです。教育現場におけるいじめでは、このような事態に陥ることを徹底して防がなければなりませんし、不幸にしてそのようなことが起きたならば、警察や司法とも協力しつつ、被害者の心身の回復と、加害者となった子どもへも、罪に向き合わせるとともに心理的な回復をはかる対処を行うべきであると思います。
■いじめ問題についての所感②
http://muka-jcptakada.seesaa.net/article/298170069.html
2012年10月20日
いじめについての所感、3分割の2つ目です。
《後半の項目》
Ⅲ いじめの深層の「原因」~いじめが「必要」とされる理由
1)心の鬱屈を処理しきれない状況
2)異質なものに対する受け止め力の不足
3)役割や立ち位置への欲求
4)競争的・序列的価値観
Ⅳ「いじめ」問題を解決していくには
1)「みんな仲良く」規範の再考
2)クラス・学年を「相対化」すること
最後に
【補足① いじめられるほうに原因がある?】
【補足② ふざけといじめ】
Ⅲ いじめの深層の「原因」~いじめが「必要」とされる理由
ここまでいじめのエスカレートについて論じてきましたが、そこに潜む、いじめのより深い原因について考察したいと思います。対人間のトラブル・軋轢は、家族であれ友人であれ、人間関係を作り生活するうえでつきものです。その解決策は、積極的にトラブルを解消しようというものから、消極的に距離を置く、離れるというものまでありますが、それらの解決によらずに、なぜ「いじめ」になり、エスカレートするのでしょうか。
私は単に「子どもだから未熟」であるというだけでないと考えます。先に述べたようにいじめを通して加害者側は人間関係の確認、自分の正しさの確認、フラストレーションの発散など、いじめによる「報酬」を得ています。これが、加害者がいじめを通して求めるものであり、加害者にいじめを指向させる理由となるものです。
いじめのより深い原因となるのは、加害者がこのようないじめを必要としていること、そしてそうさせる条件があることであると私は考えます。
では加害者が「いじめを必要とする」条件とはどのようなものでしょうか。以下に考察したいと思います。
1)心の鬱屈を処理しきれない状況
心に抱える悩み、さまざまな外部からのストレス、こうしたものが心に鬱屈を 生みます。人を成長させる大事な要素でもありますが、時として処理しきれなくなると、他人に対する暴力・暴言等の形で現れることがあります。ストレスの処理に慣れておらず、自我の未成熟な子どもであればなおのことこうした傾向が出やすくなります。心の鬱屈が他者への攻撃につながる、というのは「いじめ」に限ったとではなく、さまざまな非行や問題行動に共通しているものでもあります。
ただし、普通は他人を傷つけたなら、拒絶や抵抗にあい、また第三者の非難にさらされ、そして自己嫌悪の感情も生じます。ところが、ある人を攻撃しても拒絶や抵抗も少なく、第三者も非難せず、良心もあまりいたまない、というような状況になった時、その人に対するいじめを自分の鬱屈を発散させる手段として選んでしまうということになります。
その状態が続くと、「いじめの自己目的化」で触れたような状況に陥ってしまいます。だからこそ、教育現場ではそうならないような指導が必要ですが、それはいじめを「抑え込む」という姿勢のみでは解決できず、加害者の鬱屈にも向き合い、本人にもそのことを自覚させるような指導が必要と考えます。
2)異質なものに対する受け止め力の不足
学校、とりわけ公立小中学校は、さまざまな背景、発達度を持つ多様な子どもたちが一緒の空間に通っています。他方で、同質性や集団性を求める文化が育ちやすいところでもあります。地域の文化や、その地域で多数を占める社会階層の文化が学校の文化に反映されやすいという側面もあります。
子どもは、乳児の時にまず「快」と「不快」の感情を持ち、世界をその二つで認識するといいます。そして、父母、家庭、地域、保育園・幼稚園・学校などと活動の範囲が広がっていく中で、感情と認識が多様になっていきます。すべての子どもが一様に発達するわけではなく、経験のありかたによって異なります。人間関係を作ることも、こうした中で培われます。学校での人間関係は、それまで育ってきた家庭や小地域などの人間関係とは違う、異質さを持つ子どもたち同士が、子どもたち自身で人間関係を作っていく場となります。この関係づくりは、決して自然にできるものでも、「仲良く」ばかりでできるのもでもありません。時として軋轢をも生みながら、人間関係を作ることを学んでいくものです。ここでジレンマとなるのは、異質な相手を理解して人間関係を作るためには、経験と学習で認識を広げること、そしてある程度の心理的余裕が必要となりますが、ほとんどの子どもたちはどれも十分に持っていない中で、人間関係を作っていくということです。
子どもたちは、それまで自分が培ってきた感情や認識にあてはまる中で人間関係を作ることを志向しがちになります。これは必ずしも悪いことではなく、そうした親密な友達グループの関係のもとで培われる人間的発達も大いにあります。ただ、しばしば自分の感情や認識に当てはまらない異質な相手に対しては拒否的な態度をとる原因となることがあります。また、家庭や地域での大人たちの価値観・文化がその認識に影響を与えていることがあります。それが閉鎖的・同質志向的なものであれば子どもたちにも強く影響しますし、そこに人種・民族的偏見や性的偏見などが含まれていることがあります。子どもたちは、そうした主観的な認識から来る不快感や苛立ちを、客観的に受け止める力はまだ持っていません。主観的な感情をそのまま相手にぶつけてしまうことがあります。過去のいじめの事例では、「ムラ社会」的な風土の残る地域の学校で、他地域からの転入生が何人も他の子どもたちからあらゆる難癖をつけられていじめを受けたというものがあります。
ある程度成長した少年、青年でも同じことが言えます。意見や感覚を異にする相手に対して、不快やいらだち、あるいは嫉妬の感情を覚えることがあります。その感情を受け止め、客観視し、自分の感情が主観的なものであると認識して一歩引いて、相手とつきあうということは、やはり経験や学習、心理的余裕がないとできないことです。それがなければ、自我が不安定な年代では、異質な相手の言動や振る舞いに感じる嫌悪や苛立ちを、自分に対する攻撃や敵意と解釈し、「自己防衛のために」相手を攻撃してしまうことがあります。
3)役割や立ち位置への欲求
10代に入り思春期を迎える年齢になると、自分が何者であるのか(アイデンティティ)を意識し、自尊心も芽生えてきます。そうした感情は、自分の役割や立ち位置に対する欲求、こだわりとして表れてきます。
思春期になると、次第に親からの分離を志向し、家庭外での人間関係や立場に関することのウエイトが大きくなります。(もちろん、すべての家庭でそうではなく、その子が家庭内で一定の確固とした役割を担っている場合もあります)その中でも、学校のクラスや友人関係での立ち位置や役割が占める位置は大きなものです。ただし、そうした立ち位置や役割は社会的に位置づけられたものでもなければ、明確な基準を持つものでもなく、いわゆる「空気」で決まるものであるため、その立ち位置や役割は不安定なものとなり、時として自分の求める立ち位置や役割と、実際に自分に期待され割り当てられているそれらが違うこともあります。また、その立ち位置や役割には、優劣や序列を伴うことがあります。(若者文化を論ずる文脈では、友人関係の中で割り当てられる役割を若者自身の言葉で「キャラ」と呼び、それに依拠したコミュニケーションを「キャラ的コミュニケーション」と呼びます。また、一定の立ち位置が決められた個人やグループ同士で相互に意識される序列関係を「スクールカースト」と呼びます)
立ち位置や役割を意識して振る舞うことは、円滑なコミュニケーションをにつながり、クラスや友人関係での親密さを強めることにもなります。しかし、自分の求める立ち位置や役割と実際のそれらが違っている場合や、立ち位置そのものの不安定さは、心に葛藤を生むこととなります。そのこと自体は悪いことではなく、葛藤を乗り越えることが成長につながります。ですが、その過程で他人への攻撃やいじめにつながる場合があります。自分の求める立ち位置や役割と、自分に割り当てられているそれが違う場合、その葛藤を他人に向け、自分の立ち位置を「奪っている」と思う人を攻撃して引きずりおろそうとしたり、またいじめの中心となることで友人関係内で自分をより上位の位置におこうとしたり、逆に立ち位置や役割に過剰に適応して、自分より「下位」にあるとされる人へのいじめを行い、それを通して自分の立ち位置の強化と自分が属するグループの結束、求心力を高めようとすることもあります。また、立ち位置や役割が不安定なものであることの裏返しとして、「場の空気」を読まずそれに乗らない人、その「キャラ」から外れる振る舞いをする人に対して、アイデンティティを守るために強い同調圧力による攻撃、いじめが加えられることがあります。
4)競争的・序列的価値観
学校での「競争的価値観」というと、受験競争やそれに伴う序列、ということがまず連想されると思いますが、ここではそうしたものに限定するものではありません。子どもたちを取り巻く環境として、子どもたちが他者からの序列的な「評価」を常に意識せずにはいられない状況を指します。それは勉強やスポーツだけではなく、友人関係の豊富さ、日常生活上の立ち居振る舞い、ファッション、ボキャブラリー、趣味、流行物への理解など、さまざまです。自尊心が育っていく過程で、人間関係に序列をつけ、自分は○○より上、あるいは○○よりは下、という意識を持ち、優越感や劣等感を感じるということは、ある程度は必然的に起こることです。こうした感情をどう乗り越えるかが、大事な発達課題でもあります。
しかし、現代はメディアやネットなどを通じ、他人との相対的な序列意識を刺激する情報があふれている時代です。また、もう一つ現代の特徴として、先述の「キャラ的コミュニケーション」のように、「人格」が類型化され評価され序列づけられる、という現象、言い換えれば「人格」を値踏みするという見方が社会に入り込んでいることがあります。思春期頃の少年・少女にとって、前項で述べたような自分の立ち位置や役割を確たるものにするうえで、こうした情報に大いに刺激されるものになります。しかし、「人格」の評価は学問や運動のような客観的指標はもちろんなく、他者からどう見えるか、ということにかかり、時として周囲の偏見や決めつけがそれを決定するということになります。>(若者の社会現象として一時き取り上げられた「便所飯」という都市伝説めいた話がありますが、そこに出てくる「人目のないところが落ち着く」「一人でいることよりも『一人でいることを他の人に見られる』ことの方が嫌だ」という感覚は実際にあると思います)
他人からどう見られるかを強く意識し続け、そのストレスに対して、自分の位置を確かにするために自分より下位である人を設定して攻撃し、いじめを通して自分が相対的に優位な人間関係の中にいることを確認し、いじめの正当化で他人に対して被害者に対する自分の優位を確認するというようなことがおきます。
また、子どもの競争、序列意識は、クラスや学年といったごく狭い範囲で行われがちであることも注意すべき点です。狭い世界であるがゆえに、ごく小さな、つまらない差異や序列に対して敏感になる傾向が生まれること、そして、競争の敗者や下位者がリタイヤしたりよそに脱出することが簡単ではなく、固定化されがちなことがあります。また、競争や序列を意識する相手が身近にいて、しかも、競争・序列の対象が客観的なものでないということであれば、競争意識は自分の向上をめざす健全なものではなく、相手を引き摺り下ろして自分を上に立てようとする下向きの競争意識になりがちです。そうしたことも、いじめにつながる要因となります。
さて、学校の例ばかりを挙げましたが、学校を職場に置き換えれば大人社会のいじめでも通じることが多いと思います。
いじめのより深い原因は、加害者がいじめを必要としていることにある、先に書きました。そして、その条件として4つの点について考察しました。この4つの条件は、ある程度までは子どもの発達上の課題となるものです。そして、大人でもふりかえって思いあたる節のあることが多いのではないでしょうか。
心に余裕がなければ、他人に対する態度も粗雑になり、その場にいない相手を大声でくさしたり、いらいらした感情が先に立ちがちです。異質なものに対する寛容さという点でも、「生理的に無理」とか「○○とはそりが合わない」という感情を完全になくせる人は多くないと思います。また、集団の中で生活している限り、役割や立ち位置への欲求や、優越感・劣等感を感じることは自然なことであると思います。集団で気に入らない人の悪口を言い合って楽しく盛り上がるような場面もなきにしもあらず、だと思います。
私も「そりが合わない」人は元の職場にもいましたし、共産党の中にだっています。ですが、共通の目的のためにチームワークを作ることは当然のこととして行動していますし、他の職業のみなさんもそうだと思います。また、私も気持ちに余裕がないときは、嫌いな相手をくさす毒舌が口から次々と出てくることもあります。もちろん、私は気に入らない誰かをいじめようとはおもっていません。ですが、私の気持ちといじめの加害者の気持ちは、断絶したものではなく連続したものであると思います。
いじめの問題がクローズアップされるたび、加害者側の特異な言動や行動が注目され、深刻ないじめ事件は、特異なパーソナリティの加害者が起こした犯罪であるかのように考えられる場合があります。たしかに、きわめて深刻・悪質ないじめの事例には、加害者側に人格障害や心の病の存在を疑わせるものもあります。しかし、多くのいじめの原因を考察していくと、そうではなく、「普通の」子どもが、人格形成や集団づくりの発達課題にぶつかり、正しく乗り越えられずにいじめにつながっていることがみえてきます。
■いじめ問題についての所感③
http://muka-jcptakada.seesaa.net/article/298170595.html
2012年10月20日
3分割の最後です。もうしばらくお付き合いを・・・
[この文章を作るにあたって、参考にさせていただいたサイトをご紹介します]
武田さち子さん 「日本の子どもたち」
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/index.html
武田さんの、子どもたちへの温かいまなざしと子どもを取り巻く日本社会、
大人たちへの鋭い視点が素晴らしいサイトです。
Ⅳ「いじめ」問題を解決していくには
いじめの問題の解決策は様々であり、これさえあれば、というような特効薬はないと思います。ここでは、これまでに述べてきたような前提に立ち、わたしなりの解決・改善の案をお話ししたいと思います。先に述べたように、私は、いじめの深層の原因には、加害者側がいじめを必要としているということにあると考えます。ゆえに、いじめを必要としない、とりわけ「いじめの人間関係」を必要としない関係をどう作るかという点に注目したいと思います。
1)「みんな仲良く」規範の再考
学校やクラス、クラブなど、さまざまな子どもたちの集団に対して、親や教師、社会は「仲良く」することを求めます。そのこと自体は悪いことではありません。しかし、その「仲良く」するということの中身が問題です。集団の中にいる子どもたちは、さまざまな背景や発達度の違いをすでに持ち、他方で異質なものを理解し、受け入れることができる経験や知識、心の余裕は、最初から持っているわけではありません。「仲良く」ということが、摩擦を起こさないよう同調・同質性を求めることになりがちです。子どもたちが集団の中でいる中で、多かれ少なかれ、軋轢が生まれると思います。その時、「みんな仲良くすべき」という規範意識が強すぎた場合、そうした「違い」を受け入れられずに、同調を求め、多数派が少数派を攻撃し、いじめたり仲間はずれにする、などということが起きやすくなります。さらに、「同調できない奴は『仲良く』できていないから悪い」「仲間外れにされたりいじめられるのはそいつが仲良くしようとしないからだ」という考え方につながり、話し合いや理解の道を閉ざすことになります。
「コミュニケーション能力」という言葉があります。大変あいまいな使われ方をしている言葉ですが、俗には「同調能力」という意味合いで使われることが多いです。集団の「空気」を読んだ行動ができるかどうか、また同調者が多い言動や行動ができるか、という点を能力とみています。そして、こうした「同調能力」が低いと見なされた人に対しては「コミュニケーション能力に欠ける」というレッテル張りがされます。これは、子どもたち同士、若者同士のみで行われるものではなく、子どもたちを取り巻く親や教師、社会で、子どもたちに対してこのような価値判断がされていると思います。その根底にあるものは、同質性、同調に基づく「仲良く」を無条件によしとする規範意識ではないでしょうか。
そして、このことが異質性を理由にしたいじめを生み、加害者によるいじめの正当化を生み出していると私は思います。また、いじめの正当化では、加害者の被害者に対する主観的な不愉快や苛立ち、異質さに対する違和感や抵抗を、集団から外れ、和を乱す、みんなを不快にしているという集団に対する「悪」に転化、同一化していじめを正当化するというパターンがあります。こうした自分と周囲、個人と集団との未分化な意識のありようがいじめの発生や深刻化につながっており、「みんな仲良く」規範はそれを後押しするものになっています。
「みんな仲良く」規範を再考し、「コミュニケーション能力」の考え方も見直すべきと思います。相手の異質さを受け止め、理解すること、「反りが合わない」相手ともチームワークを取ることができること、どうしても受け入れがたい相手との接し方、考え方が違う相手とのコミュニケーション、相互理解のはかり方。もちろん、子どもたちが最初からできるわけではありません。だからこそ、学校教育・社会教育の目標として定め、集団の中での摩擦や軋轢を通してこれらの「コミュニケーション能力」を習得できるように大人が援助して行くことが必要です。そのためにも、子どもたちの集団内の摩擦や軋轢がないことをよしとする「仲良し」規範、そう振る舞うことを評価する、同調能力としての「コミュニケーション能力」という評価の物差しを、まず大人が再考しなければなりません。
これを教育目標として考えるならば、目新しいものではなく、古典に良い範があります。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず(『論語』「子路」より)」
「和する」ことと「同ずる」ことの違いを、子どもたちに経験を通して学ばせることが必要であるということです。
注意すべきは、子どもたち自身が経験し、学ぶことを基本とし、大人からこうあるべきという建前を押し付けてはならないということです。子どもたちの間で、「嫌い」「気が合わない」「理解できない」「気持ち悪い」という対人関係の悪い感情を、「仲良くすべき」「理解すべき」の規範で押さえつけ、押しつぶすようであってはいけません。誰だって、そういう感情を抱くときがあります。抱く人がいます。その感情を否定するのではなく、自分自身が認識し、受け止め、できればその理由を客観視して昇華する、そういうことができるように支援することが必要であり、そのためには、まずそうした悪い感情をはきだし、自分の中で受け止められるような心のコントロールを学ばせることが必要です。(いじめとは少し違いますが、私は「差別」についての教育にも、こうした視点が必要と考えています)
2)クラス・学年を「相対化」すること
学校でのいじめの多くは、クラスで起こっています。学校のクラスというのは、本人の意思によらずに所属が決められ、(私立の小中学や、高校では少し違いますが)年齢以外条件は多様な発達段階の生徒が集まっており、メンバー間には基本的に序列は存在しない、ただし様々な力関係、力の強弱は存在する、学習や人間関係づくりもクラスを通して行われる、という点で、少し特殊な集団です。
子どもたちにとっては、生活上大きなウエイトを占めるのがクラスです。「小宇宙」とまで表現する人もいます。それはややオーバーだと思いますが、ムラ社会的コミュニティに近いと言えるところはあります。クラスでのいじめを減らしていくためには、こうしたムラ社会的コミュニティとしてのクラスを変える必要があると思います。いじめの原因について論じた部分でいくつか例を挙げましたが、クラスという枠組みに子どもたちをまるごと囲い込んでしまっていることが、いじめにつながる問題を生み、エスカレートさせている側面があります。クラスが子どもたちをまるごと抱え込むコミュニティであることをやめ、子どもたちにとっての社会の一つに位置付けることが必要です。
ムラ社会的コミュニティが変化していく要因は、人の移動、他者との交流の深まりです。構成員個人の意識としては、ヨソの世界を知り、自分たちのコミュニティの価値観や人間関係を相対化することが重要です。同じように、クラスを相対化することで、クラスの村社会的な部分を変容させ、それに関連するいじめを解消していくことができると思います。具体的には、クラスを小規模化し、1クラス20人台の少人数学級を基本にして、総合学習や委員会活動、学校行事などはクラスの合同や横断、縦割りクラスなどを常態化し、クラスの「自己完結性」を弱め、人間関係がクラス外に広がることをあたりまえにすること、また、学校外のサークルや社会教育の充実(まずは、競技人口の少ないスポーツや文化部活動、また少子化で学校単位の組織が難しくなったクラブの地域チーム化などから始めればと思います)などが考えられます。これらを通して、「学年」や「学校」という枠組みも相対化することができるのではないでしょうか。
他の社会とも日常的につながることで、ある社会の価値観がほかでは異なる場合があることを経験し、クラス内での場の空気や自分の立ち位置や優劣の感情にとらわれすぎないで振る舞うことを身に着けられるのではないでしょうか。また、もしいじめが発生した場合でも、クラス、学校が絶対的な世界であるのと、そうでないのとでは、被害者の心にかかるプレッシャーは後者がずっと軽くなると思います。
すこし違う視点でいえば、クラスを相対化することで、子どもたちを縛っている競争的価値観もまた、前向きな方向に変えられるのではないかと思います。クラスという狭い世界で自分の立ち位置にこだわるからこそ、ちょっとした差異が気になり、小さな優劣に大きく気持ちが揺さぶられます。そして、優越感・劣等感を刺激する対象が身近にいて、クラス内の立ち位置、「評価」から逃れられないとき、自尊心のために他者をいじめ、引きずりおろそうという気持ちにつながります。相対化することで、競争相手、優越感・劣等感を感じる相手はかならずしもそばにいるのではなく、またクラスの評価も絶対的ではないと理解できれば、優越感や劣等感、競争心はより広い世界を意識した方向に向かうのではないでしょうか。クラスや学年といった小さな枠組みで競争してもつまらない、広い世界で上を向いて頑張ろう、そういう方向に持っていければと思います。
ただ、私は、「クラス・学年を『解体』すべき」という意見には賛成できません。クラスや学年という分け方で子どもたちを分けるのは、必ずしも子どもたちの発達段階にあっているとは言えず、上述のような問題点を引き起こしていることもたしかです。しかし、子どもたち一人一人の発達段階に合わせた教育・指導を公教育で行うというのが、現実的には不可能ですし、発達段階を客観的・正確に測り、大多数が納得できる指標というものもない以上、生年月日を単位とした学年、またクラスという分け方は、方便としてベターなものであると思いますし、また、多様な発達段階、価値観をもつ集団の中で人間関係を作るということ自体は、発達上必要な経験であると考えるからです。
(私自身の経験ですが、いじめにあっていた時、学校では打ち解ける友人は少なく、休み時間でも一人でいて、本を読むことなどが多い、私をいじめる側は「気持ち悪い」と非難し、「一人ぼっち」とさげすみました。私には、まったく理解できませんでした。塾には話の合う友達もいて、いじめられていたなかでも、私にとって救いとなりました。しかし、塾のような環境ばかりで育っていたら、私は学びえなかったことが多かったと思います。なお、中学3年生頃になるといじめはなくなり、いじめていた側ともクラスメートとしての付き合いはできるようになりました)
最後に
大津市の事件以降、各地でいじめに対する取り組みが改めて注目されています。大和高田市9月議会でも、いじめについての防止条例の可能性を提案した議員がありました。
いじめについて、議論が深まることは良いと思いますが、ただ、ともすれば、子どもたちの内面に立ち入ることも含めた「管理教育」的な施策を強化する方向になったり、道徳の問題と考えるような議論が注目されることが多いのが気になります。
アンテナを張ることは大事です。ですが「いじめ根絶」と意気込んで子どもたちの内面や対人関係にまで踏み込もうとしても、現実的には管理不可能ですし、子どもたちの心をさらに追い込んでしまうことになり、かえっていじめを陰湿化、深刻にすることにもなりかねませんし、対人関係の軋轢やトラブルを経験、克服するという、成長に必要なプロセスを奪ってしまうことにもなりかねません。
個人の道徳に帰する議論も、私は賛同できません。道徳的に言えば、いじめは、他者に対する「優しさ」「寛容」の欠如であると私は思います。
どんな条件、環境下でも、他者に対して優しく寛容であることができる人は立派です。でも、そんな人は常に少数であり、多くの人は条件や環境に左右されます。条件や環境の問題を抜きにして、人の道徳的向上を論ずることはできません。社会全体が、他者に対して優しさや寛容を持てるような条件や環境をどう作るかを考えることが重要です。未成熟な子どもたちが、他者に対する寛容や優しさを十分に持てないことは当然ですが、子どもは大人社会の鏡です。大人が、他者に対して優しさや寛容を発揮できていれば、それは子どもたちの心の発達に大きくかかわるものとなるでしょう。
いじめの問題を、根源的に解決しようと考えるならば、いじめを必要としない、いじめの人間関係を必要としない社会はどうしたら作れるか、を論じなければならないと思います。私は、効率性優先、過度な自己責任主義に陥っている今の経済社会の在り方を改め、個人の心の弱さを直視し、異質な人、弱い人に対して寛容さを発揮できる条件を作っていくことができる、人にやさい社会を目指したいと思います。
【補足① いじめられるほうに原因がある?】
いじめをめぐる議論では「いじめられるほうにも原因があるのではないか」という議論がしばしば出てきます。私はこうした見方には賛成しません。それは「いじめの正当化」で論じたように、いじめの「理由」が被害者にある場合はありますが、それは加害者側の主観によるところが大きく、また被害者に落ち度がある場合でも、それといじめは均衡を欠くものであり正当化できるものではありません。なにより、トラブルや軋轢を「いじめ」に転化させるのは加害者の行為であり、あくまでもいじめの原因はその行為を生む加害者の精神にこそあると考えます。
【補足② ふざけといじめ】
「ふざけ」と「いじめ」は区別がつきにくいと言われます。たしかに、気心の知れた同士では、信頼関係があるからこそのどぎつい言葉や行為が飛び交うこともあり、第三者からは見分けがつきにくい場合があります。ただ、片方は「ふざけ」のつもりでも、もう一方は不快を感じている場合は、いじめにつながるトラブルとなります。言われた側が抗議や反論せず、言われ続けている場合、言われた側が言った側を孤立させいじめる場合、また言った側が抗議されたことに逆切れしていじめに発展する場合など。そして、最初はふざけであったつもりがいつのまにかいじめに転化していることもあります。
ふざけにしては度が過ぎている、と感じた場合、教師や大人は、「ふざけ」だからと見逃すのではなく、また逆に「ふざけ」をもいじめにつながるからと禁止するのではなく、「それは本当にお互い了解してのふざけなのか、相手は嫌がってるのではないか、私ならば腹が立つし第三者から見て異常に感じるぞ」と疑問を投げかけ、考えさせ、注意深く様子を見る必要があると思います。
向川まさひでさん、トラックバックありがとうございました。転載をお許しください。
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>そもそも日本が戦争が出来村野瀬 玲奈軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。Re: No title>北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
「正攻法」って具体的に何かよくわかりませんが、ミサイルが怖いなら怖いんじゃ村野瀬 玲奈反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。意義あるのか反戦デモっつっても日本が他国の軍事的脅威に
なると思っているのかな。
そもそも日本が戦争が出来ると思っている者が
いるのが驚く。
まず間違いないのが日本が他国に戦R2軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。No title北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
そんな長者番付よりも信用ならないデータだけ
では事実が見えない。
自衛隊は多くR2自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ杉田水脈「女性はいくらでもうそをつけますから」★1970年代前半の時期に米国のニューヨーク市で、性犯罪分析特別班を設置し、女性の警察官を被害者の面接に当たらせたところ、同市における強姦罪の虚偽告発率は2%であり、檜原転石反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラの祈り>Takeshiさん
戦後、ドイツではショル兄妹を顕彰するために学校の名前に「ショル兄妹記念」と名付けられていたりしますよね。
そして、それが書籍や映画になり、広く語る津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラ事件を思い起こさせる。 ミュンヘン大学でショル兄妹たちは反戦ビラを巻きちらしました。大学の用務員がビラを拾ってナチス当局に届け出ました。ショル兄妹たちは民族裁判所で「国家反逆罪」に問Takeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよソロモン諸島の首相が日本の汚染水海洋投棄を非難 国連総会において,ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が日本の汚染水の海洋投棄を非難しました。IAEAの処理水をめぐる報告書についても,不十分だとしたうえで,「原発Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title 反戦デモに参加したことで学生が懲戒を受けるだけでもすさまじいのに、一番重い退学処分とは・・・。愛知大学は一体何を考えているのか。これが容認されれば萎縮効果は甚クテシフォン維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)維新の会の池上卓は公設秘書として2人の市議を採用 維新の会の池上卓議員(大阪10区)は,公設秘書として現職の高塚市議2人を採用していたとのこと。国会議員の秘書に関しては法改正で兼職が禁止され,例外的に兼職届が出Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No titleそのうち「焚書」とか起こりそうで、冗談じゃなく怖いです。
まさに「新しい戦前」…津木野宇佐儀現行の健康保険証の圧勝、マイナ保険証の惨敗。 #現行の健康保険証を残してください #保険証廃止はありえない #サントリー不買運動No title新浪と成田が格差拡大を正当化する対談をプレジデントオンラインでほざいています。
まあ、救いようのないバカばっかりです。アンドリュー・バルトフェルド弁護士ドットコムタイムズに #維新 の橋下徹を登場させるのはおかしいのではないか。No titleいかにもそれっぽい名称を名乗った(所謂弁護士連合会とは無縁の)営利目的の組織じゃないですか。何せ株式会社ですからね。
ここの発するニュースなんかを見ててずーっと別人28号言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ二重基準の適用問題No. 1919 福島の核廃棄物:ロシアを非難し、日本を承認
投稿日時: 2023年9月20日
Fukushima’s nuclear waste:Stigmatising Russia, approving Japan
by Richard Cullen
h檜原転石日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」
何度でも引用されるヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉ですが、日本ではもっともっと使われるべき言葉ですよね。
付け足津木野宇佐儀英霊には感謝してはならない。英霊には謝罪しなければならない。英霊は讃えられ,傷痍軍人は侮辱・差別された。 わたしがとても幼いとき,神社で祭があると,神社の階段下に軍帽をかぶり,白い服を着て腕や足のない傷痍軍人が恵みの金を求めている姿を見たことがあります。実際に見たTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Re: タイトルなしハンドルネームを書けないチキンの方がこんなことを書きこまれました。そのコメントは承認しませんが、こちらに丸ごと引用して、私の感想を書き加えます。
(引用開始)
村野瀬 玲奈東京大学出身者が日本の政治を失敗させ、日本の改善や進歩を阻んでいる。夏目漱石に対する疑問 東京帝国大学出身の夏目漱石は日本が誇る文学者・思想家とされていますが,福沢諭吉がそうであったようにレイシストを思わせる文章を残しています。
1909年,夏目漱石Takeshi自民党の聞く力は、自民党に政治献金をして選挙協力をする業界や企業にしか発揮されない。自民党議員は支持者にしか目が向かない。 「ドリル優子」が選挙対策委員長になったことが岸田の内閣支持率上昇を妨げているようです。ドリル優子が事件について弁明したのは地元の支持者に対して行った一回かぎりTakeshi個人の自由が嫌いな日本人「日本人」の枠は自由自在なのか。 毎年ノーベル賞ウイークになると,今年日本人で受賞するのは誰かと話題にするのがマスコミです。南部陽一郎さん,真鍋淑郎さん,カズオ・イシグロさんは日本国籍を離脱しTakeshiAV業者による被害を予防・救済するため、AV新法論議では被害者側の要望を積み残してはならない。特に、「スカウト全面禁止」は必須。AV事業は「新たな性奴隷制度」である。 AV被害者のために任意団体「ポルノ被害と性暴力を考える会」(PAPS)と「NPO法人 人身取引被害者サポートセンター(LH)」があるそうです。前者はITエンジニアとソーシTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)日本人の攻撃性の特徴とは 台湾での霧社事件も原住民族の殲滅を狙った植民者としての日本の軍事行動でした。
弱者だけではなく,権力者に対しても日本は不法・違法な手段で殺害し排除してきましTakeshi中国人が大日本帝国から過去の同胞が受けた被害を悼む行動は「反日」でしょうか?(1931年9月18日、柳条湖事件)No title『中国人が大日本帝国から過去の同胞が受けた被害を悼む行動は「反日」でしょうか?(1931年9月18日、柳条湖事件)』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/bloewkefc中国人が大日本帝国から過去の同胞が受けた被害を悼む行動は「反日」でしょうか?(1931年9月18日、柳条湖事件)No title以前、第二次世界大戦に関して、日本では最後を云々するが、ドイツでは始まりを問題にし議論する、と聞いたことがあります。
日本では盧溝橋事件や柳条湖事件等はほとんど津木野宇佐儀日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)差別語「ブラック」問題と「黒歴史」>私のコメントなどは書きません。ただ、読んでください。なかったことにできない黒歴史を、日本人として知ってください。
日本低国の「左翼」・リベラルの近年の完全崩檜原転石公文書改ざんをさせられた赤木俊夫さんの無念の死について責任を問うことを拒否する裁判所と、公文書改ざんをさせた政府は共犯だと考えるしかない。自らの処世術と裁判官の処世術山崎雅弘:この件も、BBCや国連人権機関が関心を持ってくれるまで
これって多くの人が気づきもしない、山崎雅弘の処世術発言。
私にとってBBCなどテロ国家英国の広檜原転石公文書改ざんをさせられた赤木俊夫さんの無念の死について責任を問うことを拒否する裁判所と、公文書改ざんをさせた政府は共犯だと考えるしかない。日本の司法は死んでいる「沖縄の司法は死んでいる」とよくいわれます。
かつて米国統治下の沖縄では、裁判権さえ米軍に奪われており、米兵が犯罪を犯しても米軍基地に逃げ込めば沖縄の警察は手も閉口日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)歴史改竄主義者の台頭関東大震災時の本庄事件、平頂山事件は、日本人集団が起こした残虐な事件であり、なかったことにできない黒歴史です。
以前の日本はこういった黒歴史に謙虚に向き合おうと閉口日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)No title『日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9364.html
セロトニントランスポーター遺伝子というものがewkefc「靖国神社思想の本音」 (メモ)侵略戦争の証拠=田中上奏文 極東軍事法廷で中国側証人が「日本の計画な侵略政策」の証拠として提出した「田中上奏文」というものがあるそうです。これは田中義一が裕仁天皇に対満蒙強硬策を上奏したTakeshi