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プロレスやろうぜ
日中にはプロレスが必要です。アングルは十分すぎるぐらいあるのだから、あとはプロレスに何より必要な「信頼」。
アメブロにTB機能がなくなっちゃったので、URL貼っておきます。
http://ameblo.jp/namepyon/entry-11356613312.html
それにしても、こんなところに寄付金を出す方も出すほうだとしか思えないのですが、そもそも私有地になっていた尖閣諸島を買い取るということは、単なる地権者との土地の売買取引であることに変わりありませんよね。
だとすれば、日本が騙されたふりをすれば、もしも尖閣諸島を中国政府に売ることになったとしても、これ自体は、尖閣諸島の所有権が中国政府になるだけに過ぎないものでしかない分けだし、これだけで中国の領土になる筈はありませんよね。
と言うことは、こんなくだらないことで領土になるのなら、それこそ日本がロシアに対して騙されたふりをして、北方領土で、これと同じことをすれば、簡単に取り戻すことは出来る分けだし、それこそ、都知事がそんなにやりたければ、「どうぞご勝手に」という事で幾らでもやらせてあげたほうが、それこそ本当の意味での「最後のご奉公」に繋がるのでは無いでしょうか。
結局のところ、国が買い取ったこと自体に関しては、東京都が買い取ったところで、いずれ何が起きるか分からないところを懸念すれば、ある意味で間違いは無かった処置ではあったかも知れませんが、中国に対する、こうした国内事情や外交的な配慮というものに留意する必要はあったことを思えば、中国からすれば、幾らでも騙されたふりをして揺さぶられることになったとしても、自明のことでしか無いし、慎太郎はじめ野田総理が自らが選択した運命でしか無いと思うと、全く自分達の利益や都合のことしか考えていないとしか言い様がありませんよね。
あのオスプレイの問題にしても、アメリカからすれば、騙されたふりをして、原発再稼働させた野田総理を揺さぶっているのでは無いかと言うこともまた、一つの真実に近いところは、大いに共通するものがありますよね。
ならば、一層のこと、日本国民が中国と共に、幾らでも騙されたふりをして、尖閣諸島の平和的解決と、海洋資源の共同開発の契機とすることを求めて、官邸前での脱原発デモや、沖縄県民によるオスプレイ反対デモと併せて、実施すると言うのは如何でしょうか。
同時に、これは中国国民に対するデモ活動をする上での良いお手本として示してあげることも出来る分けだし、今回の反日デモに対する相手先というのは、騙されたふりをすれば、決して敵対するものでは無いのだし、中国政府に対しての尖閣諸島の平和的解決を求めるデモへと上手く持って行くことが出来れば、それが何よりのことでは無いでしょうか。
そうすることで、尖閣諸島については、日本が中国を刺激しないように、そっと静かに維持管理をして行くことで実効支配をして行くことが出来れば、何よりのことだし、それが日本の国益にも叶うと同時に、中国の国益にも叶うし、アメリカの国益にも叶うことになれば、南シナ海や南沙諸島への良いお手本として示してあげることにも繋がれば、これに越したことはございませんよね。
ドイツ語記事の翻訳
記事の主旨と異なるかも知れませんが、
ドイツのニュースサイトで興味深い記事を見つけました。長いですが、興味があれば、どうぞ御一読下さい。外国が日本と近隣諸国の関係をどう見ているかを知ることができる、良い記事だと思います。
原文を貼り付けるべきか、悩むところですが、投稿が長くなりすぎると判断し、割愛致します。(出典は後掲)
2012年9月28日 Deutsche Welle 記事より
(投稿者による訳)
出典:http://www.dw.de/dw/article/0,,16270824,00.html
(以下訳文)
中国は尖閣諸島をめぐる争いのために、日中国交回復40周年記念行事を中止した。このことは、もはや戦争責任を問われたくないと考える一部の日本人に、浮上のきっかけを与えることとなった。
日中国交正常化以後の40年が、この数週間のうちにほとんど無に帰されてしまった。日本人は、中国の反日デモで掲げられた「日本人を皆殺しにせよ」とのスローガンが書かれた横断幕を、簡単に忘れることはできないだろう。
日中国交回復の年である1972年以来、日本による投資は中国に500万の雇用を創出してきた。数十億ドルにものぼる国家的な経済援助は東京から北京へと流れていき、中国は日本の最も重要な貿易相手国となった。毎年何百もの日本経済界のリーダー達が中国へ飛び、中国の官僚や政治家との間で対話と交流を続けてきた。自由貿易協定が公的な議題にのぼった。
共通の言葉がない
しかしながら政治的な関係は、経済的な結びつきに比べると、目立った進展は見られなかった。1978年の平和友好条約において、両国は島をめぐる紛争を棚上げすることで合意した。鄧小平は当時「われわれの世代は、共通の言葉を見いだせるほどには賢明でない」と語った。次の世代はより賢明であろうと。しかし彼の予想が誤っていたことは、今や明らかであろう。日中関係悪化の原因は、両国の関係が根本的に変化してしまったことにある。
40年前、中国は貧しく、援助を必要としており、それゆえ日本は戦争に負けたにも関わらず、寛容さを見せることができた。しかし急速な近代化を通じて、中国は日本と肩を並べるほどに成長した。日中両国の歴史において初めて、互いの隣国が大国として並び立つことになったのである。「日中両国は、未だかつてこのような関係を持ったことはない」、前ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス国際関係学教授Michael Yahuda氏は強調する。それゆえ参考にしうる歴史的な経験も、現在のお互いの関係を言い表す方法も存在しない。「その結果は非常に居心地の悪いものになっている」。
帝国主義から平和主義へ
近代に至るまで、中国は日本から文明と文化の中心地として受け入れられてきた、と識者は語る。しかし明治天皇(1852-1912)の下で日本は急速な近代化を実現し、1895年には朝鮮をめぐる戦争で中国を打ち負かすまでになった。これによって日本は中国への優越感を醸成した、とYahuda氏は言う。およそ40年後、日本は満州を占領し、アジアの半分を征服した。南京大虐殺や皇軍の秘密部隊である「731部隊」による人体実験は、中国人は日本人より劣等と見なされる、と言うことを彼らに示した。
敗戦後、日本は帝国主義から平和主義へと、急激な方向転換を行った。皇軍は自衛隊となり、憲法はあらゆる武力攻撃を禁じた。アメリカの歴史学者John Dower氏は「人種に対する憎悪もまた、水道の蛇口をひねるように止められた」、と書いている。同時に日本は自身の戦争犯罪をきれいごとで誤魔化している。日本の教科書は南京大虐殺を「副次的な出来事」とし、皇軍兵士による朝鮮人女性への性的虐待が言及されるのは稀である。
罪よりも恥
日本が沈黙を貫く理由のひとつは、文化的な特質である。日本における恥の意識は、罪の意識よりも強く意識される。第2の理由は世界大戦の終わり方と関係している。広島と長崎への原子爆弾投下は、日本が自身の犯罪を相対化するのを容易たらしめている。加藤嘉一氏は次のように語る。「日本では南京大虐殺はタブーとなっている、なぜならこの事件は、日本人は戦争の当事者であるだけでなく、また被害者でもある、という多くの日本人の考えを混乱させるものだからである」。
近隣諸国に対して、日本は幾度となく自身の戦争責任を認めている。しかしながら公的な謝罪は1993年に1度あったのみで、それはまた全政党の合意に基づくものでもなかった。日本のこうした態度はアジア諸国から、日本の平和主義が本物ではないことを証明するものとして受け取られている。日本が今こ陥っているのは、まさにこうしたジレンマである。中国の台頭はニッポンに自己主張を余儀なくするが、平和主義と戦争責任がその行く手を阻む。それゆえ、自民党新総裁・安倍晋三など日本の保守派は、謝罪は充分に行われたと主張する。
国民に人気のある橋下徹大阪市長は平和主義憲法の改正を望んでいる。この流れに近隣諸国は、日本の戦争犯罪に対する謝罪は口先だけのものでしかない、という思いを強くするだろう。しかし日本の側から見ればそれは誤解である。彼らの側から見れば、今般、帝国主義を展開しているのは中国であり、日本はそれに対してただ自衛しているに過ぎないのである。
(終わり)
>ルートヴィヒ29世さん
原文がドイチェ・ヴェレのサイトから消えるといやなので、こちらに記録しておきます。
http://www.dw.de/dw/article/0,,16270824,00.html
Die "unbehagliche" Beziehung
Wegen des Inselstreits hat China die Feiern zum 40. Jahrestag der Aufnahme der Beziehungen zu Japan abgesagt. Das gibt jenen Japanern Auftrieb, die sich für den Krieg nicht mehr entschuldigen wollen.
Vierzig Jahre "Normalisierung" zwischen China und Japan sind in den vergangenen Wochen weitgehend zunichte gemacht worden. In Japan wird man die Bilder von chinesischen Transparenten mit der Aufschrift "Tötet alle Japaner" nicht schnell vergessen. Besonders symbolträchtig waren die Brandanschläge auf eine Fabrik des größten japanischen Elektronikkonzerns Panasonic. 1978 hatte Chinas Führer Deng Xiaoping den Panasonic-Gründer Konosuke Matsushita persönlich besucht und um Hilfe bei der Modernisierung von Chinas Wirtschaft gebeten. Aus japanischer Sicht haben die Chinesen nicht einfach Feuer in einer Fabrik gelegt. Dort ist die ganze Ära von Dengs Pragmatismus in Flammen aufgegangen.
Seit der Aufnahme der Beziehungen 1972 haben japanische Investitionen fünf Millionen Arbeitsplätze in China geschaffen. Viele Milliarden Dollar staatlicher Wirtschaftshilfe flossen von Tokio nach Peking. China wurde Japans wichtigster Handelspartner. Jedes Jahr fuhren Hunderte japanischer Wirtschaftsvertreter nach China zum Austausch und Gespräch mit chinesischen Beamten und Politikern. Ein Freihandelsabkommen war auf die offizielle Tagesordnung gerückt.
"Keine gemeinsame Sprache"
Fünf Millionen Arbeitsplätze haben japanische Firmen in den letzten 40 Jahren in China geschaffen
Doch die politischen Beziehungen wuchsen und gediehen viel weniger als die wirtschaftlichen Verbindungen. Beim Friedens- und Freundschaftsvertrag von 1978 hatten die beiden Länder den Inselstreit noch zur Seite geschoben. "Unsere Generation ist nicht weise genug, um für diese Frage eine gemeinsame Sprache zu finden", sagte Deng damals. Die nächste Generation würde weiser sein. Doch seine Prognose hat sich als Fehleinschätzung erwiesen. Das liegt daran, dass sich das Verhältnis der beiden Länder fundamental verändert hat.
Vor 40 Jahren war China noch arm und hilfsbedürftig. Japan konnte sich großzügig zeigen, obwohl man den Krieg verloren hatte. Doch durch die rapide Modernisierung ist China auf Augenhöhe zu Japan gewachsen. Erstmals in ihrer Geschichte sind die Nachbarn gleichzeitig Großmächte. "Niemals hatten China und Japan diese Art von Beziehung", betont Michael Yahuda, früher Professor für Internationale Beziehungen an der London School of Economics. Daher gebe es keine historische Erfahrung, auf die man sich beziehen könne, und keine institutionellen Wege, um dieses Verhältnis auszudrücken. "Das Ergebnis ist eine sehr unbehagliche Beziehung", meint Yahuda.
Vom Imperialismus zum Pazifismus
Bis zur Neuzeit sei China von Japan als größeres Zentrum von Kultur und Zivilisation akzeptiert worden, so der Gelehrte. Aber unter dem Meiji-Kaiser (1852-1912) gelang Japan eine so schnelle Modernisierung, dass man 1895 China beim Krieg um Korea besiegen konnte. Das habe ein Gefühl der Überlegenheit in Japan ausgelöst, meint Yahuda. Knapp 40 Jahre später besetzte Japan die Mandschurei und eroberte halb Asien. Die Massaker von Nanking oder die Menschenexperimente der geheimen "Einheit 731" der kaiserlichen Armee zeigten den Chinesen, dass sie von den Japanern als minderwertig betrachtet wurden.
Mit der Kriegsniederlage schaltete Japan abrupt vom Imperialismus zum Pazifismus um. Aus der kaiserlichen Armee wurden Selbstverteidigungsstreitkräfte, die Verfassung verbietet jeden Angriff. "Auch der Rassenhass wurde wie ein Wasserhahn abgedreht", schreibt der US-Historiker John Dower. Zugleich kehrte Japan seine Kriegsverbrechen unter den Teppich. Japanische Schulbücher nennen das Massaker von Nanking einen "Zwischenfall". Der Missbrauch koreanischer Frauen in Bordellen für die kaiserlichen Soldaten wird selten erwähnt.
Scham statt Schuld
Die Kriegsverbrechen Japans im Zweiten Weltkrieg wurden nie von den Chinesen verziehen
Ein Grund für das Verschweigen ist kultureller Natur: Das Schamgefühl ist in Japan stärker ausgeprägt als das Schuldgefühl. Der zweite Grund hängt mit dem Ende des Weltkrieges zusammen. Die Atombomben auf Hiroshima und Nagasaki erleichterten es Japan, die eigenen Verbrechen zu verdrängen. "In Japan ist Nanking ein Tabu, weil das die Sichtweise vieler Japaner stört, sie seien nicht nur Kriegstäter, sondern auch Kriegsopfer", erklärt der japanische Autor Yoshikazu Kato.
Gegenüber seinen Nachbarn gestand Japan zwar immer wieder seine Schuld ein. Aber eine offizielle Entschuldigung gab es nur einmal, nämlich 1993, und ohne dass alle Parteien voll dahinter standen. Das interpretierten die anderen Völker in Asien als Beweis, dass Japan es mit seinem Pazifismus nicht ernst meine. In dieser Zwickmühle bleibt Japan heute stecken. Der Aufstieg Chinas zwingt Nippon zur Selbstbehauptung, doch dabei stehen der Pazifismus und damit die Kriegsschuld im Weg. Konservative Japaner erklären daher bereits, dass man sich genug entschuldigt habe, etwa der neue Vorsitzende der Liberaldemokraten, Shinzo Abe.
Der populäre Bürgermeister von Osaka, Toru Hashimoto, will die pazifistische Verfassung abschaffen. Dieser Trend wird die Meinung vieler Nachbarn bestärken, dass Japans Eingeständnis seiner Kriegsschuld immer nur halbherzig war. Doch aus japanischer Sicht ist das ein Missverständnis. Diesmal gehe der Imperialismus von China aus, so die Lesart der neuen historischen Situation, gegen den sich Japan nur verteidige.
Datum 28.09.2012
Autorin/Autor Martin Fritz
Redaktion Ana Lehmann
>そもそも日本が戦争が出来村野瀬 玲奈軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。Re: No title>北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
「正攻法」って具体的に何かよくわかりませんが、ミサイルが怖いなら怖いんじゃ村野瀬 玲奈反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。意義あるのか反戦デモっつっても日本が他国の軍事的脅威に
なると思っているのかな。
そもそも日本が戦争が出来ると思っている者が
いるのが驚く。
まず間違いないのが日本が他国に戦R2軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。No title北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
そんな長者番付よりも信用ならないデータだけ
では事実が見えない。
自衛隊は多くR2自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ杉田水脈「女性はいくらでもうそをつけますから」★1970年代前半の時期に米国のニューヨーク市で、性犯罪分析特別班を設置し、女性の警察官を被害者の面接に当たらせたところ、同市における強姦罪の虚偽告発率は2%であり、檜原転石反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラの祈り>Takeshiさん
戦後、ドイツではショル兄妹を顕彰するために学校の名前に「ショル兄妹記念」と名付けられていたりしますよね。
そして、それが書籍や映画になり、広く語る津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラ事件を思い起こさせる。 ミュンヘン大学でショル兄妹たちは反戦ビラを巻きちらしました。大学の用務員がビラを拾ってナチス当局に届け出ました。ショル兄妹たちは民族裁判所で「国家反逆罪」に問Takeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよソロモン諸島の首相が日本の汚染水海洋投棄を非難 国連総会において,ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が日本の汚染水の海洋投棄を非難しました。IAEAの処理水をめぐる報告書についても,不十分だとしたうえで,「原発Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title 反戦デモに参加したことで学生が懲戒を受けるだけでもすさまじいのに、一番重い退学処分とは・・・。愛知大学は一体何を考えているのか。これが容認されれば萎縮効果は甚クテシフォン維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)維新の会の池上卓は公設秘書として2人の市議を採用 維新の会の池上卓議員(大阪10区)は,公設秘書として現職の高塚市議2人を採用していたとのこと。国会議員の秘書に関しては法改正で兼職が禁止され,例外的に兼職届が出Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No titleそのうち「焚書」とか起こりそうで、冗談じゃなく怖いです。
まさに「新しい戦前」…津木野宇佐儀現行の健康保険証の圧勝、マイナ保険証の惨敗。 #現行の健康保険証を残してください #保険証廃止はありえない #サントリー不買運動No title新浪と成田が格差拡大を正当化する対談をプレジデントオンラインでほざいています。
まあ、救いようのないバカばっかりです。アンドリュー・バルトフェルド弁護士ドットコムタイムズに #維新 の橋下徹を登場させるのはおかしいのではないか。No titleいかにもそれっぽい名称を名乗った(所謂弁護士連合会とは無縁の)営利目的の組織じゃないですか。何せ株式会社ですからね。
ここの発するニュースなんかを見ててずーっと別人28号言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ二重基準の適用問題No. 1919 福島の核廃棄物:ロシアを非難し、日本を承認
投稿日時: 2023年9月20日
Fukushima’s nuclear waste:Stigmatising Russia, approving Japan
by Richard Cullen
h檜原転石日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」
何度でも引用されるヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉ですが、日本ではもっともっと使われるべき言葉ですよね。
付け足津木野宇佐儀英霊には感謝してはならない。英霊には謝罪しなければならない。英霊は讃えられ,傷痍軍人は侮辱・差別された。 わたしがとても幼いとき,神社で祭があると,神社の階段下に軍帽をかぶり,白い服を着て腕や足のない傷痍軍人が恵みの金を求めている姿を見たことがあります。実際に見たTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Re: タイトルなしハンドルネームを書けないチキンの方がこんなことを書きこまれました。そのコメントは承認しませんが、こちらに丸ごと引用して、私の感想を書き加えます。
(引用開始)
村野瀬 玲奈東京大学出身者が日本の政治を失敗させ、日本の改善や進歩を阻んでいる。夏目漱石に対する疑問 東京帝国大学出身の夏目漱石は日本が誇る文学者・思想家とされていますが,福沢諭吉がそうであったようにレイシストを思わせる文章を残しています。
1909年,夏目漱石Takeshi自民党の聞く力は、自民党に政治献金をして選挙協力をする業界や企業にしか発揮されない。自民党議員は支持者にしか目が向かない。 「ドリル優子」が選挙対策委員長になったことが岸田の内閣支持率上昇を妨げているようです。ドリル優子が事件について弁明したのは地元の支持者に対して行った一回かぎりTakeshi個人の自由が嫌いな日本人「日本人」の枠は自由自在なのか。 毎年ノーベル賞ウイークになると,今年日本人で受賞するのは誰かと話題にするのがマスコミです。南部陽一郎さん,真鍋淑郎さん,カズオ・イシグロさんは日本国籍を離脱しTakeshiAV業者による被害を予防・救済するため、AV新法論議では被害者側の要望を積み残してはならない。特に、「スカウト全面禁止」は必須。AV事業は「新たな性奴隷制度」である。 AV被害者のために任意団体「ポルノ被害と性暴力を考える会」(PAPS)と「NPO法人 人身取引被害者サポートセンター(LH)」があるそうです。前者はITエンジニアとソーシTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)日本人の攻撃性の特徴とは 台湾での霧社事件も原住民族の殲滅を狙った植民者としての日本の軍事行動でした。
弱者だけではなく,権力者に対しても日本は不法・違法な手段で殺害し排除してきましTakeshi中国人が大日本帝国から過去の同胞が受けた被害を悼む行動は「反日」でしょうか?(1931年9月18日、柳条湖事件)No title『中国人が大日本帝国から過去の同胞が受けた被害を悼む行動は「反日」でしょうか?(1931年9月18日、柳条湖事件)』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/bloewkefc中国人が大日本帝国から過去の同胞が受けた被害を悼む行動は「反日」でしょうか?(1931年9月18日、柳条湖事件)No title以前、第二次世界大戦に関して、日本では最後を云々するが、ドイツでは始まりを問題にし議論する、と聞いたことがあります。
日本では盧溝橋事件や柳条湖事件等はほとんど津木野宇佐儀日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)差別語「ブラック」問題と「黒歴史」>私のコメントなどは書きません。ただ、読んでください。なかったことにできない黒歴史を、日本人として知ってください。
日本低国の「左翼」・リベラルの近年の完全崩檜原転石公文書改ざんをさせられた赤木俊夫さんの無念の死について責任を問うことを拒否する裁判所と、公文書改ざんをさせた政府は共犯だと考えるしかない。自らの処世術と裁判官の処世術山崎雅弘:この件も、BBCや国連人権機関が関心を持ってくれるまで
これって多くの人が気づきもしない、山崎雅弘の処世術発言。
私にとってBBCなどテロ国家英国の広檜原転石公文書改ざんをさせられた赤木俊夫さんの無念の死について責任を問うことを拒否する裁判所と、公文書改ざんをさせた政府は共犯だと考えるしかない。日本の司法は死んでいる「沖縄の司法は死んでいる」とよくいわれます。
かつて米国統治下の沖縄では、裁判権さえ米軍に奪われており、米兵が犯罪を犯しても米軍基地に逃げ込めば沖縄の警察は手も閉口日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)歴史改竄主義者の台頭関東大震災時の本庄事件、平頂山事件は、日本人集団が起こした残虐な事件であり、なかったことにできない黒歴史です。
以前の日本はこういった黒歴史に謙虚に向き合おうと閉口日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)No title『日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9364.html
セロトニントランスポーター遺伝子というものがewkefc「靖国神社思想の本音」 (メモ)侵略戦争の証拠=田中上奏文 極東軍事法廷で中国側証人が「日本の計画な侵略政策」の証拠として提出した「田中上奏文」というものがあるそうです。これは田中義一が裕仁天皇に対満蒙強硬策を上奏したTakeshi