
「
2012年フランス大統領選」というカテゴリーの共通リンクを設けて2012年のフランス大統領選について継続的に書いています。
それらの記事の中で、「
2012年仏大統領候補、社会党オランド氏の2012年1月22日の演説」という共通タイトルで、説明も付けながら全9回に分けて、社会党フランソワ・オランド候補が選挙戦を開始するにあたっての2012年1月22日、パリ北方の町、ル・ブールジェでの集会でおこなった長い演説の訳を作りました。
選挙戦開始にあたっての支持者と自陣営向けの演説というだけではなく、世界がフランソワ・オランド氏とその政策哲学、政治思想を理解するためにも重要な演説だと思います。この演説について、マスメディアによる日本での紹介の仕方が全く不十分であることは残念です。
9回分の記事を一つ一つたどれば演説全文の内容を知ることができますが、通して読むのに便利なように、ここに通して掲載し直します。
■フランソワ・オランド 2012年1月22日 ル・ブールジェ(Le Bourget)での演説
■Discours de François Hollande au Bourget 1e partie
2012年1月22日 ル・ブールジェでのフランソワ・オランドの演説 第一部
http://www.dailymotion.com/video/xnwrm4_discours-de-francois-hollande-au-bourget-1e-partie_news
■Discours de François Hollande au Bourget 2e partie
2012年1月22日 ル・ブールジェでのフランソワ・オランドの演説 第二部
http://www.dailymotion.com/video/xnwrru_discours-de-francois-hollande-au-bourget-2e-partie_news
親愛なるみなさん。
この会場にいるみなさん、遠くから私を見ているみなさん、もっと遠くにもいるみなさん。私は、フランスのことについてみなさんに話すためにここに来ました。つまり、共和国のことについて話します。苦しむフランス。しかしそれでも希望を持つフランス。私はまた、今日のフランスのことについて話します。一つのページが消えようとしている一方で、未来のフランスを私たちは書き始めているところです。
私が今話そうとしているのは、(2012年)5月6日から造ろうとしているフランスについてです。私はこの話を、この地、セーヌ・サン・ドゥニ県でしています。この県は多面的な色を帯びています。ここはフランスで平均年齢が最も若い県で、たくさんの困難が積み重なっています。しかしながら、同時に、たくさんの切り札も持っております。それぞれの女性、それぞれの男性がここフランス本土でも、海外県・海外領でも、それぞれの物語、ルーツ、経歴、好み、特色を持っておりますが、みな、同じ価値観、同じ原理、同じ文化、同じ言語、同じ政体を持つ同じ国に属しております。したがって、私たちは同じ未来を感じております。今始まるこの選挙戦にかかっているのは、支持者だけにとどまるものではありません。この選挙戦にかかっているのは、私たち左派の支持者にとどまっていると思ってはなりません。大統領選の第一回投票まで3カ月となった今、この選挙戦にかかっているのは、常に、私たち左派をはるかに超えたフランスなのであります。そう、常にフランスなのであります。私は今、この多くの人々を前に、深い感情を抱くのであります。みなさんの確信、意志、希望を述べるという深い感情です。私は、市民投票による予備選によって大統領選候補として指名されたことの誇りの重さを思います。
私には、変革を具体化し、左派を勝利させ、フランスへの信頼を取り戻すという務めがあることを意識しています。みなさん、私たちがここにいるのは、それは私たちの国の運命を変えるためです。私はその責任を負う用意があります。したがって、私の考える大統領職が何なのかということを申し上げることが、私が今日ここにいる理由です。
フランス共和国を治めるという最も大きな使命とは何でありましょうか。
共和国を治めるということは、全体の利益のために身を捧げ、そのすべての決定を行わなければならないということであります。それは、フランスをその理性によって心の中で経験するということであります。それは、遠い歴史の彼方から始まり、共和国の前から存在し、共和国とともに存在し、しばしば世界の歴史を照らした私たちの国の歴史を先に進めるということであります。それは、その高みに到達することであります。それは、いつどこであってもその行為によって、大統領職が要求する威厳を保つことであります。
共和国を治めるということは、金の持つ力や顧客の持つ力や共同体主義を前にして、国家をその中立性、その廉潔さの中に保つことです。
共和国を治めるということは、精神の奥深くから政教分離に価値をおくということであります。なぜなら、それは自由にし、保護する価値観だからです。だから、私は、教会と国家を分離する1905年法を憲法の中に組み入れることを約束いたします。
共和国を治めるということは、一人だけ、一つの考えだけ、一つの政党だけですべてが決定されることを拒否することです。そもそも、そのようなことは、一つの派閥を生むものですから、それを拒否いたします。
共和国を治めるということは、議会の権利を拡大し、地方自治体の自由を認めることであり、地方分権に向かうことであります。また、社会パートナーを広めることであります。憲法の中で彼らの役割を認めることであります。また、市民に関する重要な討論に市民を参加させることであります。そして、それの最初は、フランスにおけるエネルギー政策です。
共和国を治めるということは、フランスを治める女性と男性を、彼女たち、彼たちの能力を尊重しながら選ぶことです。そして、まずは、首相からです。
共和国を治めるということは、最も高い地位の者を指名する権限を(自分の手に独占せず)(他者と)分かち合うことを受け入れることであります。それはまた、テレビ局やラジオ局の社長を放送局を管轄する公的機関の長に指名せず、この使命を独立した第三者機関に委託することでもあります。
共和国を治めるということは、国家政体を民主化するということであります。私は、国会議員の兼職禁止を法制化し、国民議会に比例代表制も導入し、公職の責任の実行における女男平等を推進いたします。そして、外国人の地方選挙での投票権を導入いたします。私たちのフランス市民としての立場が脅かされると感じる必要はありません。これは国としての団結のために行うのです。恐怖や怯えや保守主義は捨ててしまおうではありませんか。
共和国を治めるということは、みんなに法を守らせることであります。どこでも、司法の独立性を確保しながら、身内に便宜を図ることがないように、力を持つ者に屈することもないようにするのです。ニュースソースの秘匿と報道の自由を守ると同時に、事件への権力のあらゆる介入を避けるのです。機密情報や警察を個人的目的、政治的目的のために使ってはならないのです。
共和国を治めるということは、汚職に厳格に対処するということであります。汚職の誘惑に屈する議員には不幸が待っているのです。
共和国を治めるということは、進むべき方向を決して見失うことなく集結させ、和解させ、団結させることであります。フランス人どうしで、ずっと前からここにいたとか比較的最近からしかここにいないとか、他者に烙印を押したり、分断したり、疑いを持ったり、対立させたりすることを避けることであります。
共和国を治めるということは、決して低めないこと、逆に、高めることです。
共和国を治めるということは、不法移民と不法移民を利用する者たちに厳正に対処することであり、正規滞在の外国人、その資格がある者を客観的な基準によって敬意をもって扱うことであります。私たちの国で学びたい外国人学生を迎え入れることであります。それによって彼らの国を豊かにし、フランスを輝かせることができるのです。そして、自らの最大の努力をする学生、学者、芸術家が自由に行き来する権利を妨げてはならないということです。
共和国を治めるということは、フランスの諸価値を世界の中で掲げることであります。他国民に配慮し、それに対して他国が私たちに敬意を払ってくれるようにすることです。歴史の中で他国の場においても、教訓を垂れることを避けることであります。また、自由の精神、人権の擁護、文化的多様性の重視、フランス語圏、そして、私たち以外の人々によっても話される私たちの美しい言語であるフランス語というフランスの精髄という基本を決してないがしろにしないということであります。
共和国を治めるということは、独裁者をパリに招かないということであります。
共和国を治めるということは、国連の安全保障理事会の常任理事国として、シリアのバッシャール・アル=アサドのような、人民を蹂躙(じゅうりん)する者たちを退却させるように団結することであります。そして、中東の平和のために貢献することであります。
しかし、共和国を治めるということは、難しい決断を下すことができるということでもあります。単に、悲劇が起こったからというだけではありません。私はアフガニスタンで命を落としたフランス人死者のことを思います。ここで、彼らに、心から尊厳と敬意をもって哀悼の意志を捧げます。身体に怪我を負って苦しんでいる人々に対しても同様です。そして、苦難の中にいる彼らの家族のことも思います。私は彼らの声を聞きました。私は彼らの近親者のことも思います。彼らは自問しています。殺されたこの人々は自らの義務を果たしました。彼らの犠牲は国家全体からの敬意を喚起しました。しかし、同時に明晰な判断も必要です。アフガニスタンでの犠牲的な献身はそれとしながらも、正気にかえって、私たちの使命は終わったと結論しなければなりません。もともと、その使命は10年以上も前に約束されたものでした。アメリカ合衆国に対するテロ攻撃に対処するためという、(当時の)ジャック・シラク(大統領)と(当時の)リオネル・ジョスパン(首相)によって厳密に決められた使命でした。そして私はそれに全面的に賛成いたしました。しかし、その使命は完全に終わったのです。したがって、フランス軍の撤退が必要になります。そのことを長い間私は提案してきました。もしフランスのみなさんが私に大統領任期のすべての責任を与えてくださるなら、同盟国にフランスの意思を伝えて、私たちの兵士の命を一切危険にさらすことなく、秩序をもってフランス軍のアフガニスタンからの撤退を責任をもって行ないます。
最後に、共和国を治めるということは、何も報酬も感謝さえも期待せずに自分の最善を尽くすことです。自分の国のために大志を持ちながらも、自分のためには控えめにふるまうということです。それは、私たちが選んだ一つの大義のために、全面的に完全にフランスに奉仕するということであります。価値がある唯一の大義は、フランスに奉仕するということです。
共和国を治めるということは、国家のすべての力を市民への奉仕のために注ぐことです。それには、自分の行動においても、自分自身の報酬についても、範例を示すことでもあります。私はこれを安易さや便利さや人気取りのために言っているわけではありません。単純に、それが原則でなければならないからです。したがって、私は大統領手当と政府閣僚の手当を30パーセントカットいたします。
これは、市民に努力を求めるまさにその時に、私が模範を示すためにそうするという単純なことなのです。
共和国を治めるということは、この職務のために私自らを準備してきたということです。私は大統領職の大きさと困難さを知っています。私は私自身をみなさんの良心に値するものにします。そして、同時に私自身に忠実でいつづけます。私の人生のすべては、私をこの時のために準備してきました。私の約束、私の責任、私の成功、私の試練、私はいつも私が自らに定めた道を歩んできました。
私は社会主義者です。私の左派としての思想は、遺産として受け継いだものではありません。明晰な意識で、左派の道に進もうと自ら決める必要があったのです。私はノルマンディ地方のむしろ保守的な家庭で育ちました。しかし、私の家族は教育を通じて、私に選ぶ自由を与えてくれました。私はそのことについて両親に感謝しています。私とは反対の思想を持っている父には、私のこの確信を強めることを援助してくれたことに感謝しています。度量の大きい魂を持った母には、最も素晴らしいこと、つまり人の役に立ちたいという大志を私に伝えてくれたことに感謝しています。左派でいることを私は自分自身で選び、愛し、フランソワ・ミッテランと勝ち取った勝利の中で夢見てきました。1981年の(社会党政権の)成果において、1988年の(社会党政権の)成果において、左派を私は毅然と擁護してきました。共和国国会議員として、私は左派に仕えてきました。リオネル・ジョスパンとともに左派を治めてきたことも私の名誉です。私はそれらをさらに前進させることを求めます。
今日、私がみなさんを代表した大統領選候補です。私がみなさんの希望をかかげます。私が勝つ務めを引き受けます。私がこの闘いでみなさんを勝利に導きます。みなさんがあまりに長く待った勝利、10年も待った勝利にみなさんを導きます。もう10年もたつのです。それから右派が政権について、私たちが築いてきたものを解体してしまったのです。
親愛なるみなさん。もう少し言わせてください。
私はフランス田園地方の議員です。農民がその労働の素晴らしさを体現しているもののそれに値する対価を得ていない、そういう地方です。私はそのリムーザン地方の、コレーズ県の者として、多くのことを学びました。私は(コレーズ県県庁所在地)テュルの市長でした。人口はやっと17000人の小さな町ですが、歴史の中では大きな地位のある町です。テュルは対ナチスドイツ抵抗運動(レジスタンス)の町でした。テュルは殉死の苦難を経験しました。ナチスの暴虐によって、1944年6月9日、99名が絞首刑にされ、200名が強制収容所送りにされたのです。毎年、この6月9日には、苦難に殉じた人々のことを思い出すために、私の町の街角という街角を祭儀の行列が練り歩き、花飾りが建物のバルコニーを彩っていました。そこは、命のなくなった死体がゆっくりと揺れていた場所だったのです。私の頭の中にはその苦難に殉じた人々の名前があります。彼らは私のヒーローです。私は彼らのことを決して忘れません。彼らは私を前進させます。あらゆる瞬間に彼らは、私たちの自由のために自分たちの命を捧げた彼らの貴重な人道の教訓を私に思い出させるのです。これらのレジスタンス運動の活動家たちが名声を得ることはありませんでした。レジスタンス活動家には報酬もありませんでした。勲章もありませんでした。彼らは何も求めていませんでした。彼らは自分たちの行動に対して、特別配当も、ストックオプションも求めなかったのです。彼ら、彼女らは誇りある人間でした。彼ら彼女らを動かしていたのは大志でした。そして、それが私たちの名誉を救ったのです。なぜなら、彼ら彼女らは何よりもまずフランスの価値を信じていたからです。そうです。彼らの闘いこそが今日私の進む道を照らしています。
私はコレーズ県議会の議長です。政治家を輩出したことで知られる地方です。しかし、要求水準の高い地方です。支持を獲得した者は少なくとも心情的価値は獲得したことになります。たとえ、いつもその者が正しいとは限らなくてもです。私には何も与えられていませんでした。私がもぎとったものは私自身で勝ち取って、結実させたのです。
私は大統領選への立候補を約1年前に宣言しました。私は市民参加の予備選で有権者を説得することに成功しました。しかし、私の成功を予測していた人は最初ほとんどいませんでした。私はこの予備選結果発表の翌日、予備選立候補者全員を集結させるようにしました。そして、私は彼らに心を込めて挨拶をおくります。
マルティーヌ・オブリには、私たちをみな、今日ここに集合させてくれたことに感謝します。
ジャン=ミシェル・バイレにも、急進左翼党を私たちのもとに集結させてくれたことに感謝します。
親愛なるみなさん。今日私がここに到達したのは、この粘り強い行動の成果です。偶然の結果ではなく、(意思による)達成なのです。
みなさんは私のことをご存知です。何人かの方々はずっと前から、30年も前から私を知っています。それは、ある方々にとって忠実さや強靭さを示す時間でもありました。
確かに、私は自分を露出はしません。私は私自身であり続けます。それが私の力です。今ここで皆さんが見ている私が、本当の私自身なのです。
私は権力を勝ち取りたいのです。しかし、私は野望家ではありません。私は権力に、フランス国民に奉仕する役割を与えたいのです。私は、権力の必要性も、権力の有用性も、権力の方向喪失の実例も知っています。私はこれらのことに関しては、落ち着いた人間です。私は社会的行動を私の人生のすべてにしてきました。私は多くのことを犠牲にしてきました。私は与え、受けてきました。時間、仕事、衝撃を。しかし、私には一貫性があり、それを保ち続けています。私は自分の選択をするにあたって常に不変です。私には、私自身であり続けるために絶え間なく変わり続ける必要がありません。
私は、国家が効果的であるためには、特にそのトップにある者が確かな方向性を持っていることが必要だということを意識しています。しかし、国家のトップにある者がそれ以外の者たちを結集させることができなければ、知性を動員することができなければ、私たち一人一人の中の精髄を動かせなければ、集結の声、和解の声、鎮静の声を聞かせることができなければ、成功はありえないのです。私は名誉、儀典、豪華な宮殿が嫌いです。私が求めるのはシンプルさです。慎みではなく、本物の権威の印です。
ひょっとしたらみなさんがずっと前から気づいているかもしれませんが、私が長い間隠してきた私の秘密を告白いたします。カネに魅了されている人々がいるのに対して、私は人々が好きなのです。私は一人一人のまなざしの中に期待を読み取ります。私は一人一人の顔の中に興味津々の気持ちを読み取ります。一回一回の握手を一つの出会いと感じます。一つ一つの微笑みを一つの幸運と感じます。
私は国家を知っています。私はそこの出身なのですし、いろいろな方法で私は国家のために働いてきたのですから。私が一度も大臣をやったことがないと非難する人たちもいます。しかし、現在大臣である人たちを見ると、私は安心するのです。(1981年)当時、同じ者たちが、フランソワ・ミッテランに対して11回も大臣だったと批判していたのです。その比較ついでに言うと、(1841年生まれ、1929年没の共和派の政治家)ジョルジュ・クレマンソーが65歳にしてやっと大臣、議会議長になったことを思い出していただく必要があるでしょうか?しかし、私はそこまで待つつもりはありません。お約束いたします。
また、私は、歴史とは悲しいこともあるものだということを知っています。何も事前に獲得されてはいないということも。逆行しない、変化することがない、攻撃されることはないと信じていることも、いかなるときにも心の中で打ち砕かれるということも。経済危機、狂信、テロリズム。もちろん、自然災害もあります。私たちには平穏はないのです。人類の歴史も平穏ではありえません。人類は説明できないような不毛の時期も経験しています。また、時には、考えられないような不意打ちも。
国家指導者はあらゆること、つまり最悪の事態に対して準備ができていなければなりません。そして、常に用心深くなければならないのです。進歩のために、人類の尊厳のために、民主主義のために、倦まずたゆまず闘い続けなければならないのです。感情的な動きや流行や歴史の歪みに流されてはならないのです。針路を保たなければならないのです。私は意志的な楽観主義者です。私は、人民が一つの計画のもとに結集して自らの歴史を作り上げてゆくという最良のことは可能であると信じています。私は、今フランス人は確かな方向性、根本的なことに基づいた結集を期待していると確信しています。そして、特に、フランス人を導くことになる者に対して、思慮、鎮静、敬意、信頼を期待していると確信しているのです。
信頼とは、法や規則の中に出てくる言葉ではありませんし、値段もありません。しかし、多くのものをもたらすのです。信頼は多くのことを引き起こします。信頼はそれ自体では何も解決しません。しかし、信頼をつかむことができれば、信頼はすべてのことに許可を与えるのです。ですから、私はフランス人に再び信頼を与えたいのです。
二つの重要な日付が私の政治生活に残っています。
激しかった一つの日付が、(大統領選第一回投票で、社会党候補リオネル・ジョスパンが極右政党国民戦線のジャン=マリー・ルペン候補に得票がわずかに及ばず、第三位で早々と敗退した)2002年4月21日です。この時の傷はまだ私に残っています。警戒が足りずに、脅威を前にして意識の明晰さも足りずに、左派の分散を招き、左派が排除されて、右派が10年も政権につくことを許したのは恐ろしいことでした。私はそこからあらゆる教訓を引き出しました。
私は、対立勢力のいいようにはさせません。
私は、労働者たちの利益を守るために何もしなかった政治勢力に当の労働者たちが仕方なく投票しなければならない事態にはさせません。
私は、ある政党が、決して信頼できる解決法を提案できないのに、問題を単純化して歪めるようにはさせません。
私は、ある政治勢力が、実際は人々を利用しているだけなのに、人々の代弁者であるかのように登場するままにはさせません。
私は、フランスの名において、私たちの敵はここにいて、その敵は色や宗教を持っていると友人である市民たちに信じさせて分裂するようにはさせません。なぜなら、それは、私たちの共和国の原則それ自体に反することになるからです。
私は、いかなる政治勢力にも、怒りや窮乏を利用して、フランス共和国や欧州連合や人権そのものに問題があると主張するままにはさせません。
私は、いかなる政治勢力にも、死刑の復活を主張するままにはさせません。
私は、このリスクを避けるために、この大統領選挙に欠けるものが出ないように、最後の最後まで闘います。なぜなら、結局、私たちの市民の大部分が望んでいるのは、左派と右派の間の選択、つまり、この国に関する真の決定を下すうえで最もはっきりしたこの選択肢だからです。
私の記憶に刻まれているもう一つの日付は、もっと幸福に満ちたものでした。それは、(社会党のフランソワ・ミッテランが大統領に当選し、右派から左派へと政権交代がなった)1981年5月10日です。私は26歳でした。私には、何十年も待っていた人々が何を求めていたかがわかっていました。やっと来た政権交代。勝利の幸福。左派には他の成功もありました。(ミッテランの再選された)1988年、(国民議会にすでに多数派を持っていた保守のジャック・シラク大統領が新たな多数派を求めて国民議会を解散したところよもやの敗北を喫して、右派大統領のもとで左派のリオネル・ジョスパン内閣が成立した)1997年も左派の成功でしたが、1981年の成功と同じ影響力は持つことができませんでした。しかし、私はノスタルジーに浸りたいわけではありません。左派の叙事詩は輝かしい時代にだけ限られてはならないからです。(人民戦線内閣という左派連合政権が成立した)1936年、(ミッテラン政権が成立した)1981年だけではなく、私は、左派を長期的に定着させたいのです。私が候補者になったのは、その糸を結び直し、左派の歩みを続け、左派とフランスを調和させるためなのです。ここにいるみなさん、遠くにいるみなさん、私は5月6日、みなさんの幸福、喜びを見たいのです。私は勝利の喜び、勇気の歓喜、そして同時に自由の横溢(おういつ)を見たいのです。私はみなさんとともに、フランスを治める権利を勝ち取りたいのです。
私は私たちの国をよく知っております。私はこの国を回り、何度も隅々までめぐりましたが、いまだに飽きることなく、新たな発見をしております。私はフランスの町々が変わる姿、創造する姿、起業する姿、この国の農民の辛抱強い労働で手入れされている農地、漁民の漁場、給与労働者の知性が技術者の能力と合わさった工業生産の場を見てまいりました。一方、静寂が支配し、生活が退いた村々について知らないわけではありません。才能や成功への意欲があるにもかかわらず、怒りと絶望が混ざり合った島流しのような街々について知らないわけではありません。このようなフランスに私はみなさんとともに仕えたいと思っています。
みなさんと同じく、私は今私たちが生きているこの時の問題の重大さを知っています。金融危機が諸国家を不安定にしており、莫大な公的負債が市場にやりたい放題をさせています。ヨーロッパは投機から自らの通貨を保護することができない状態を見せています。私たち自身の国は記録的な失業に直面しており、景気後退と緊縮財政に追い込まれています。疑いが定着しています。私はその重さを毎日毎日感じております。それは、ヨーロッパに対しても民主社会に対しても猜疑心を高めています。疑いは体制の不正さの前に、政治の無力さの前に、金持ちの厚かましさの前に怒りに変わってきています。疑いは個人の暴力、家族の暴力、社会的暴力、都市の暴力へと悪化し、この恐ろしい考え方が私たちの集合意識の中に定着し、広まっています。進歩への歩みは止まったかのようで、私たちの子どもたちは私たちよりも悪い暮らしを余儀なくされるかもしれません。まさに、この考え方に抗して私は闘っているのです。これが、私が大統領選に立候補している理由です。私はフランス人に生活への信頼を改めて与えたいのです。フランスはその歴史の中で、実に多くの試練、危機、戦争、革命を経験してきました。しかし、いつも屈従、解除、後退を拒否して、決して体制順応主義や恐怖や強者の法に屈することなく、共和国の価値に忠実であり続けながら、自らの努力を達成するために自分自身の中に勇気を見い出して、自らの社会モデルを擁護し、頭を上げて誇りを保ちながら、直面すべき挑戦を明晰な精神で見つめながら、自由に議論しながら、与えられた選択をしながら、いつもそれらを乗り越えてきました。
どんなに状況が重大でも、一つしか可能な政策がないということは決してありません。はっきり申しますが、そのようなことは決してないのです。歴史とは、次から次へと連なる運命の総計ではありません。歴史とは、常にいくつもの道があるということを教えてくれます。私がみなさんに提案する道は、正義の中での立て直しであり、共和国の約束の中の希望であります。
しかし、私の計画をお話しする前に、一つのことを申し上げましょう。それは、これから始まる闘いの中で、何が私の真の敵かということです。私の敵には名前がありません。顔もありません。政党もありません。立候補することも決してありません。代議士として当選することもありません。しかし、私の敵は確かにこの世を支配しているのです。その敵とは、金融の世界です。私たちが見る前で、20年の間に、金融は経済と社会と私たちの命をコントロールするに至ってしまいました。今、金融界は一秒のほんの数分の一の時間で途方もない金額を動かし、諸国家を脅かし、銀行を倒し、企業を外国に追いやることすら可能になってしまったのです。
この支配力は一つの帝国となりました。そして、(アメリカの大手投資銀行、リーマンブラザーズが破綻した)2008年9月15日から猛威をふるっている危機は、その帝国を弱めるどころか、なおもその帝国に力を与え続けております。その帝国、この金融を前に、制御の約束、「二度と繰り返してはならない」というおまじないは死文と化したままです。G20が何度も開かれましたが、明白な成果は出せずに終わっています。ヨーロッパでは、最後のチャンスのサミットが16回招集されましたが、問題の最終解決を次の回に先送りしたにすぎませんでした。国家に救済された銀行は、自らを養ってくれた者の手をまさに今、食べているのです。格付け機関はサブプライム危機に際しては何も見ていなかったという正当な批判を受けていますが、主要国の国債赤字の運命を握っており、ますます痛みの伴う厳格な計画が正当化されるに至っています。 投機資金は消えたどころか、私たちを狙う金融不安定化の要因であり続けています。このように、金融は私たちのあらゆる規則、あらゆる道徳、あらゆる統制を超えてしまっているのです。
こう言ったからといって、私は間もなく終わる(前任者の)五年間の大統領任期について寛容な評価をするつもりはありません。しかし、問題はすでにそこではありません。評価はすでに下されたのです。豹変の中に始まって、この五年の大統領任期は動乱の中で終わろうとしています。最富裕層のための減税政策によって固められて、この大統領任期はフランス人全員に課せられる課徴金課税の値上がりで終わろうとしています。(最富裕層の減税の)代わりに雇用を増加させるという約束に始まったものの、この大統領任期は記録的な失業率で終わろうとしています。そして、赤字、負債、産業空洞化、公的サービスの破壊、特に学校(教職)の破壊については言うまでもありません。
この大統領を一言で言い表すとしたら、漸進的悪化ということになります。すべてが悪化しました。私は一つの格付けのことだけを言っているのではありません。公的予算の決算のことだけを言っているわけでもありません。私は生活環境のこと、国の動向のこと、もっと単純にいえば、国の状況のことを言っております。選択の不当性、政策決定が一貫していないことに加えて、権力の独占と、実力者との共謀があり、全能の意欲が無能力の告白に帰着するという究極の矛盾をともなっています。これが、変化とは、大統領や政府や議会の多数派を変えるだけの意味ではない理由です。もっと踏み込まなければなりません。政策の変化、展望の変化、規模の変化を(大統領選第一回投票の)4月22日と(大統領選決選投票の)5月6日に私たちの国にもたらさなければならないのです。
もし金融の世界が敵であるなら、私たちに可能な手段でまずフランス国内で対決しなければなりません。弱みを見せてはなりませんが、非現実的なことも避けなければなりません。これは長い闘い、厳しい試練になると思いながら、私たちの武器を示さなければならないと考えなければなりません。金融界をコントロールすることは、銀行の金融部門と投機活動とを分けることを銀行に義務付ける法律を可決することによってここから始まるでしょう。また、フランスの銀行が租税回避地(タックスヘイブン)に進出することも禁じることになります。
有害な金融商品、つまり、実体経済の必要と関係がない金融商品は、純粋に、そして単純に禁止します。ストックオプションは廃止します。そして、特別配当にも枠をはめます。また、あらゆる金融取引への課税を提案します。それは、数か月前に廃止された証券税を復活させることではありません。それはいずれにせよ実施されます。これらにどれほど一貫性があるかを私は申し上げたいのです。いえ、私が提案するのは、金融取引にかける真の税で、フランスに賛成してくれる欧州の国とともに金融取引税を創設したいのです。正当性に疑義のある格付け機関に判定されることを避けるために、私はまた、欧州に公的な格付け機関を創設することを提案します。
金融問題についてのもう一つの点は、ヨーロッパについてのものです。ユーロ圏が、私たちの目の前で解体しているようです。フランスは、ヨーロッパの方向性を変える意思を取り戻さなければなりません。フランスは、私たちのパートナーを説得して導くことができなければなりません。しばしば、私はこう問われます。「だけど、このヨーロッパの中で、あなたが擁護している立場にもとづいて同盟国をこちらに導いてくるために、いったい何をするつもりなのですか?現職大統領にもそれができていないのに?」と。しかし、変わるのはフランス人の投票結果です。それこそが他国説得のための梃子(てこ)入れとなるのです。ヨーロッパの運命とフランスの運命は結びついています。フランスの威光をヨーロッパの力から切り離すことはできないのです。私たちはヨーロッパを必要としています。ヨーロッパはこの危機から私たちを救わなければなりませんが、経済不況の連鎖の中に私たちを引きずり込みかねない厳格さをいつまでも要求してはならないのです。たしかに規律は必要です。約束は赤字解消のために決められて、尊重されなければなりません。しかし、成長こそが最も確実にそれを可能にするのです。
だからこそ、私は同盟諸国に、責任とガバナンスと成長の協約を提案します。私は、12月9日の合意から出た欧州条約の再交渉を行ない、そこに欠けている次元を付け加えます。それは、経済政策と産業プロジェクトの調整、エネルギー分野での大型公共事業の再開、そして、投機に枠をはめるための措置、つまり、最終的に投機との闘いに役に立つような欧州中央銀行の介入によって市場に対するアクションを起こせるための欧州基金です。
私は、主権国家の負債の一部を相互扶助化して大規模プロジェクトの資金にするために、ユーロ債の創設に向けて動きます。これはヨーロッパ全体のプロジェクトの意味なのですから、私は各国議会と欧州議会をヨーロッパ諸国に関係するはずの決定に結び付ける民主主義を擁護いたします。
私はヨーロッパで、不公正な競争を阻止し、社会保障面、環境面、相互性の面から厳格な規則を定める新たなビジネス政策を提案します。この政策を補完するために、環境税をヨーロッパの境界に設定します。
私は対米ドルのユーロの正当な公平性のために行動を続けます。
私は、中国の通貨がまだ交換不能のままであることを認めることができません。実際にはこのナンバーワンの通商大国は、その通貨が平価切上げを決して行っていないままに、輸出超過になっているのです。
ヨーロッパには欠点が確かにあります。私にはそれらの欠点を知っています。しかし、同時に、ヨーロッパは共通の財産でもあります。それを擁護しましょう。それがヨーロッパには必要です。ヨーロッパはそれに値します。ヨーロッパに足りないのは、活気、動きです。そう申し上げている私は心からのヨーロッパ人です。しかし、どんなヨーロッパでもいいわけではありません。成長のヨーロッパ、連帯のヨーロッパ、保護のヨーロッパに向けた運動でなければならないのです。ドイツと私たちと一緒に物事をすすめたい諸国とともにヨーロッパを作り上げてゆくのがフランスの役割なのです。
ヨーロッパの大きな挑戦のいずれも、フランスとドイツが戦争直後に結んだ平等の中での友情の条約無しで解決することはできません。したがって、私は、友好国ドイツに対して新しい真実と平等の関係を提案したいと思います。ドイツ側からは、連帯の表明をしていただきたいと思います。ドイツは弱いヨーロッパの中で強くいることはできないのです。ドイツは貧しくなったヨーロッパの中で富むことはできないのです。これが真実なのです。私には、ドイツの多くの人々がこのことを理解してくれると思います。しかし、フランスの側でも、努力が必要です。競争力の努力、税制的公正さの努力です。これが、ヨーロッパに新しいサイクルを結び、開く必要のある条約です。独仏間での経済・産業・エネルギー協定の条約です。したがって、(2012年)5月6日(大統領選決選投票)の集いから数か月後に間もなく来る2013年1月、もしフランスのみなさんが私に大統領任期を与えていただけるなら、私はドイツ首相(アンゲラ・メルケル)に新たな仏独協定、ドゴール(当時のフランス大統領)とアーデナウアー(当時のドイツ首相)の(1963年の)エリゼ条約の50年後、独仏両国のために推進力を与えた創設法令の締結を提案いたします。
親愛なるみなさん、私はヨーロッパの中のフランスに信用を取り戻したいのです。今、私は私たちの国の立て直しのために何をしたいかを申し上げます。私たちの地域が脅かされている今このとき、問題になっているのは、もはや昨日までの国家主権ではありません。問題になっているのは、市場とグローバリゼーションに直面した(フランス)共和国の主権です。ですから、私はフランスを立て直したいのです。フランスの財政を立て直し、フランスの経済を立て直し、フランスの産業を立て直したいのです。工員の作業、職長の仕事、技術者のノウハウに実体のない経済がとってかわれるとでもいうかのように、私たちは工場無し、生産設備無しの経済の幻想に目をくらまされてきました。そのように、私たちの国はあまりにも長い間、自分の産業を放棄してきました。フランスを再び工業国にすることは私の優先政策となります。
私はフランス各地域圏の資金を補うため、公的投資銀行を創設します。それは戦略的企業の発展を手助けすることでしょう。フランスに投資し、フランスに活動の拠点を置き、雇用を創出し、さらに輸出に積極的な企業に融資を振り向けて税制上の優遇措置を提供することによって、私はフランスでの生産を促進します。私は、中小企業と革新的企業への融資に完全に特化した金融商品の貯蓄口座を創設して、フランス人の貯蓄を動員します。
私は、生産拠点を海外に移転させた企業に対して、今まで受けていた公的支援をすぐに返済するように求めます。一方、私は中小企業支援を優先します。なぜなら、中小企業こそが雇用を生み出し、何よりもまず支援されなければならないからです。中小企業のためにこそ、私たちは研究費減税措置を拡大し、法人税を下げ、中小企業庁を設立します。
また、これから10年の間に、各地方自治体と関連産業とともに、フランス全体を高速回線網でカバーすることによって、私はデジタル産業を支援します。
経済成長への回帰は、エネルギー転換によっても成し遂げます。私は、電力生産に占める原子力発電の割合を今から2025年までに75%から50%にまで下げることを約束しました。私たちは、技術、明日の進歩を発明する強力な原子力産業を必要としております。しかし、私たちは再生可能エネルギーも必要としております。私たちはまた、エネルギー節約計画も必要です。なぜなら、原子力、再生可能エネルギー、エネルギー節約というこれら三つのアクションが私たちに産業の視野を当てえてくれるからです。エネルギー節約を私たちは大規模公共事業の計画によって実施します。すなわち、100万の新しい住居と既存の住居に質の高い熱遮蔽を設置することになるのです。私たちは、それに加えて、暖房費の節約を通じて家庭の購買力を改善することによって何万もの雇用を生み出せます。
さらに、研究と技術革新の努力なしには経済成長も強い産業も生まれません。ここで重要な役を演ずるのは、工業国としての私たちの未来全てです。科学に、進歩に、研究に、発明者の能力に、私は信頼をおいております。それらが環境への心配を発生させずに未来の製品を私たちに提供してくれます。なぜなら、研究はエコロジーと環境にも奉仕するものだからです。
経済の立て直し、産業の立て直し、そして、財政の立て直しもあります。公的負債のレベルはかつてないほどに高くなりました。(1997年から2002年まで右派の大統領の下に左派内閣が5年間続いた後、右派が大統領職も議会も掌握した)2002年以降、公的負債は二倍になりました。ここ10年間の右派政権は、第五共和制のすべての政府を合わせたのと同じくらい高くついたことになるのです。
私は今までのすべての大統領の生み出した負債額を一人一人ごとに数えてはいません。しかし、それぞれの大統領の長所と短所がどうであれ、ここまで負債を大きくしたのはそれまでにほかに誰もいなかったのです。この政治漂流の始まりはまさに2002年から始まったことになるのです。
負債を抑えるために、私は私に与えられる大統領任期の最後に予算均衡を実現します。私はこの目標を達成するために、10年前から富裕層と大企業に与えられてきた減税や税制優遇措置を見直します。この税制改革によって、300億ユーロの追加税収が得られるでしょう。しかし、同時に、国家支出も抑えます。新たな支出の財源は、節約によって生み出します。公務員の総数は増やしませんが、定年退職する公務員の二人に一人の割合で補充しないとする機械的規則は終わりにします。
この立て直しは必要不可欠です。しかし、それは正義の中でしかできないのです。それぞれの国は魂を持っておりますが、フランスの魂は「平等」です。平等のためにフランスは革命を行ない、1789年8月4日の夜に特権階級を廃止しました。平等のために人民は1848年6月に蜂起しました(訳注:パリの労働者の反乱)。平等のために第三共和政は義務教育と所得への市民税を創設しました。平等のために1936年に(左派連立政権)人民戦線は働きました。平等のためにドゴール将軍の政府は1945年に社会保障を制度化しました。平等のために1981年にフランソワ・ミッテランが大統領に当選しました。平等のために、私たちはリオネル・ジョスパン(1997年から2002までの社会党首相)とともに総合疾病保障と個別自立給付金を実施しました。また、平等のために私たちは闘い、フランスのみなさんに変化を提示しなければならないのです。
平等は、聴覚を失って読み書きもできない貧しい母親に育てられていた、父親のいない一人の子どもがノーベル文学賞を受賞することを可能にしたのです。その子どもの名前はアルベール・カミュです。カミュは、受賞後、年老いた先生にこのような言葉で手紙を書きました。「私の最初の感謝の気持ちは、母の次にあなたに捧げます。あなたがいなければ、あなたが貧しい子どもの私に差し伸べてくれた愛情あふれるこの手がなければ、あなたの教育がなければ、あなたという模範がなければ、この賞が私にもたらされることはありませんでした。」と。
平等のために私たちは行動しなければなりません。なぜなら、10年来、平等はあらゆるところで後退しているからです。あえて意図的にこの言葉を使いますが、傲慢で強欲な新式の貴族政治が定着し栄えるにつれて、特権がいたるところに出現しています。1パーセントの特権的フランス人は、社会のそれ以外の部分から離れています。彼らは私たちの隣で生きてはいますが、もはや彼らは私たちと一緒に生きてはいません。しばしば、彼らは私たちのところにすら生きていません。ここ数年で、まぎれもない社会的離脱が起きています。格下げされ、見捨てられた地区がある一方で、外部から秩序を乱されないように保護され、安全措置をほどこされた地区があります。私はこれらの特権の終焉(しゅうえん)の大統領になります。なぜなら、この時期の間、限りなく裕福になる者がいるかたわらで非正規雇用が広がり、貧困がすすみ、800万人の人々が貧困ライン以下の生活をしていることを認めることができないからです。その貧困者にはあまりにも多くの子どもたちもいます。
誤解のないように申し上げますが、平等とは、平等のための平等主義ではありません。平等とは、正義のことなのです。平等とは、援助のための援助ではありません。平等とは、連帯のことなのです。フランスのみなさんは平等について、正義について、再分配について、何も心配する必要はありません。フランスのみなさんに知っていただきたいことは、もし私が大統領に選ばれたら、私は大統領として一つの問いしか用いないということです。それ以外の追加のあらゆる努力をする前に、あらゆる改革をする前に、あらゆる決定をする前に、あらゆる法を制定する前に、あらゆる政令を制定する前に、私は一つのことしか問いません。それは、「私に提案されていることは正当なのだろうか」という問いです。もしその案が正当であれば私はそれを採用します。もしその案が正当でなければ、私はそれを退けます。正義、ただそれだけが私たちの行動を導くのでなければなりません。
それが、私たちの国が必要としている税制改革を議会とともにすすめる理由です。正義のために、私は高額な財産にかけられる直接税の軽減措置を見直すのです。正義のために、私は、キャピタルゲインへの課税を労働報酬への課税よりも高くしたいのです。いったい誰が、働くことによってよりも眠っている方が多く稼げることをまともだと思えるのでしょうか?正義のために、私は、所得への累進徴収という枠組みで、所得税と一般社会保障税の関連性を高めたうえで両者を融合させたいのです。正義のために、私は15万ユーロ以上の年収がある人々の所得税の税率区分を45%以上に上げます。しかし、年15万ユーロの年収の人々を中間層だと思わせないでくださるようお願いします。正義のために、税低減措置による減税額が年1万ユーロを超える特権を得る者がいないように私はしたいのです。
私には、この闘いがきびしいものだということ、私の政策について恐怖をいだかせようとする者がいること、私の政策について心配をかきたてる者がいるだろうと知っています。明日、私たちが国政の責任を担うなら、負担をしなければならない人々は、受益する人々よりも、さらに大声で自らの主張を通そうとするでしょう。私には、私たちを支持するデモは起こらないだろうということはわかっております。そのようなデモはまれで、例外的なものです。一方、私たちに抗議するデモはあるかもしれません。私たちを怖がらせ、中間層に不安を与えようとし、富裕層がフランスから逃げ出すと主張する者たちがいるだろうと私は知っています。しかし、中間層にとっては、私たちの提案する改革の中には利益しかないはずなのです。考えてみてください。累積上限税率が大富豪をフランスに戻ってこさせたでしょうか?いいえ、そんなことはありませんでした。累積上限税率は大富豪をさらに富ませたでしょうか?その通りでした。その一方で、大部分のフランス人の所得税は下がったでしょうか?いいえ、上がりました。5年来、最も裕福な層の人々の所得税は下がったでしょうか?その通り、下がったのです。これから、付加価値税(消費税)はフランス人全員にかけられるという以上に憂慮すべきものではないでしょうか?全くその通りなのです。付加価値税は、私たちが提案する税制改革よりも不安が残るものなのです。
これは税制改革にとどまらないのです。平等ということは、社会生活のあらゆる分野にまたがって適用されなければなりません。平等とは、年少のうちから働き始めて、最も辛い仕事に従事した人々が定年で引退することができるようにするところから適用を始めなければなりません。だから、交渉の開始を待たずに、41年間すでに年金を積み立ててきた60歳の人々は全員、引退してすぐ、年金を満額受け取る権利があるのです。私たちは、予算を厳格に管理するように心を配り、必要な年金改革への交渉に道を開きます。なぜなら、先ごろ(与党によって)可決された改革案は不当だというだけではなくて、財源が保証されていないからです。一方、その交渉は、業務の苦痛度、税の減免、年金額、法的年齢、税収の推移、私たちの制度の持続可能性を配分して考慮に入れます。税収の推移については必ず考慮しなければなりません。
平等とはまた、誰もが住居を得られるようにすることです。フランスには住居が足りません。フランスでは住居は耐えがたいほどの値段になっています。そして、それは大都市だけのことではありません。したがって、もっと住居が必要です。だから、私は決めたのです。国家が模範を示します。政府はすぐに、国有地を地方自治体のために供出して、5年のうちに新しい住居を建設できるようにします。住居をもっと建設し、もっと公共住宅ができるようにするために、公共住宅のための貴重な預金を集めるためのA貯蓄(Livret A)の預入限度額を二倍にして、すべてのフランス人が自分の預金によって公共住宅の財源を提供できるようにします。
住居がもっと必要です。公共住宅がもっと必要です。そして、もっと安価な住居も必要です。私には、これには時間がかかるということがわかっております。しかし、(家賃価格設定の)濫用を避けるために、家賃がはっきりと高すぎる場合には家賃に枠をはめます。もっとバランスのとれた町が必要です。都市連帯法を破る市町村には5倍の制裁金を科すでしょう。
平等、さらに平等です。健康のための平等です。私たちの国の健康関係の職は素晴らしい質を誇っています。毎回、その経験をしています。その人たちの職業は最も難しいものです。その職がなければ、医療システムはすでに崩壊していたでしょう。また、同時に、金銭的理由、あるいは住居上の理由で、医療を受けることをあきらめなければならないフランス人があまりにも多く出ていたことでしょう。したがって、治療報酬の超過には枠をはめます。私たちは医療砂漠に対しても闘います。医療行為と公的サービスの間に割り当てられる新しい医療料金システムによって、公立病院はその課題とその務めの中に入ることになります。私は、私たちの国では救急医療の施設に行くのに交通機関で30分以上かからないようにする約束をします。誰も例外なくです。
平等、また平等です。水道、暖房、電気へのアクセスも平等に。つつましい生活を送っている家庭が水を飲むときに、使用料を気にせずにどんどん使っている人々と同じ水道料金を払わなければならないというのはまともではありません。したがって、ガスや電気と同じように、水道料金を累進制度にして、少なくともある使用量については公正な固定価格を保障するようにいたします。
平等、それは、同じ能力を持っていて同じ責任の仕事をしていれば同じ給与を得るということです。フランス共和国が、男性の給与よりも女性の給与の方が低いことを認めることができると思いますか?この規則を守らない企業への社会保障負担の企業負担分の免除措置は純粋に、そして単純に、適用除外とされます。
平等、さらに平等です。平等とは、最も援助を必要としている地域、特に、今私がここセーヌ・サン=ドゥニ県で話をしているように、私たちの郊外(バンリュー)を援助することです。それはつまり、豊かな町の中の難しい地区と、難しい地区しかない町の難しい地区とを同じ方法で援助することはやめにしなければならないという意味です。私は、この運動で私とともに活動してくれる地方議会議員に期待しています。何百万人ものフランス人にとってひどい建物や荒れ果てた住宅地での生活が示している恐ろしい不公正に敏感であるためには、左派である必要はないのですから。
平等、平等とは、すべての人にとっての安全でもあります。恐怖の中で生活することは耐えられないことです。治安の悪さは許容できない社会的不公正です。治安の悪さは最もつつましく暮らす者、最も高齢の者、最も年少の者、最も弱い者を直撃します。安全は権利です。犯罪率が最も高い優先的安全地域を定め、司法、警察、憲兵隊で毎年1000名の新たなポストを設け、秩序維持部隊と市民を集結させることによって、私は安全を守らせます。私はまた、すべての麻薬取引、あらゆるマフィアと闘います。脱税という財政的犯罪を私は許容しないのと同じように、小ボスが手下を引き連れて一つの住宅地からみかじめ料をまきあげて、その住民を地獄に陥れることを私は許しません。このような者たち、つまり財政的犯罪者、脱税者、小ボスに私は警告します。法なんて自分たちには関係ないと思っている者たちに、次期大統領が警告します。共和国、そう、共和国があなた方を逮捕する、と!
平等、いつも平等が重要なのです。平等とは、性別や性的指向がどうであっても、すべての人に同じ権利があるということです。自らの指向を自ら決めたカップルが結婚し、養子をとる権利です。これは、ハンディキャップを持つ人々ができるだけ最も普通に近い条件で自分の人生を生きる権利です。したがって、私は、ハンディキャップに関する言及が各法律に含まれるように注意を払います。
平等、それは、最も貴重なことにアクセスできることでもあります。もう何も残っていない時も、解放、精神の充実、文化へのアクセスが必要です。文化について(フランスの詩人の)ボードレールは言っていました。「私たちが私たちの尊厳から出すことのできる最良の証言は、文化である」と。ここでも、私たちは行動しなければなりません。芸術教育を普及させます。フランスの文化的整備は優先事項です。文化的整備というのには、忘れられている地域、見捨てられている地帯、私たちの大都会の荒れた街区も入ることになります。だから、私たちは、ここでも、文化的地方分権の新たなステップを開くのです。
(インターネット上で知的財産権を守るための規制法である)Hadopi法については、適用が不可能なので、新たな法と入れ替えます。なぜなら、各人の権利を、クリエーターの権利とインターネットによる作品へのアクセスを同時に守るための文化的例外を定めた法令2を調印する上位法によって決めるための枠組みが必要だからです。なぜなら、私たちにはクリエーターとプロダクションが必要であり、クリエーターと観衆を反目させてはならないからなのです。観衆とクリエーターは、解放のために、発見のために、作品の質のために、フランスの文化的例外のために、運動を同じくしなければならないのです。
親愛なるみなさん、ここで、(1907年生まれ、1982年没のフランス左派の重要な政治家)ピエール・マンデス=フランスを引用させてください。彼は「真実が必然的に私たちの歩みを導くはずである」と言いました。したがって、私はみなさんに真実を申し述べます。財政的制約、国家予算の赤字の規模、私たちの負債の大きさ、2012年の成長の弱さ、過去から遺された遺産の重さを私は知っております。したがって、私は、私が守れる約束しかいたしません。私は、何も放棄することなく、物事とまず時間を管理しなければなりません。
したがって、5年間の大統領任期はまず、構造改革で始まります。その改革は正義の中での立て直し、経済の立て直し、税制の立て直し、教育についての協約、地方分権であります。私たちはまた、緊急課題にも取り組みます。すなわち、雇用、特に若者の雇用、住居、健康保険制度がそれです。しかし、その次には、私たちは、私たちが創造するはずの成果、私たちが生産するはずのもの、私たちが約束するはずのもの、この国がその立て直しによって促進できるはずのものを再分配することができるでしょう。これが私たちの提案するはずのタイミングです。しかし、私は、与えられる大統領任期の間の一瞬も無駄にはしません。
国際的政策では、2012年5月末に予定されているNATOのサミットで、私たちはアフガニスタンからの撤兵を約束します。
対欧州政策では、もしフランス国民が私に大統領任期を与えてくださるのであれば、私の最初の外遊は(アンゲラ・メルケル)ドイツ首相との会見です。そこで、私は彼女に、大規模公共事業のスタートによって、成長に向かってヨーロッパの方向をともに変えるべきだと申し上げるでしょう。
内政面では、(大統領選後に行われる選挙による)国民議会の改選を待たずに、私は、新閣僚と新政府とともに、財政に対する最初の施策と銀行改革をすすめる施策を行ないます。一瞬たりとも活動を休むことはありません。私の5年間の大統領任期は、反転やジグザグや矛盾にはなりません。今からすでに、私たちはどこに向かうべきかを知っています。私たちは、時代、今の時期、リズムを知っています。私たちはフランスのみなさんに向かって目標を定めましたが、同時に、財政的裏付けも定めました。私たちは、財政に限りがあることを知っています。しかし、私たちには意志があるということも知っています。こういう(先取りした)取り組み方こそが説得力を生むのです。任期の終わり近くに、この5年間私たちにこれほどまでに足りなかった政治施策や経済政策や社会保障政策を即興でひねり出すことによって、変化は来たる5年間でこのように生まれてくるのだとフランスのみなさんが真剣に確信するというわけでは決してないのです。
最後に、私はみなさんに私たちの未来のことをお話しいたします。共和国の思想とは、一つの約束です。世代がすすむにつれて暮らしが良くなるという、美しい約束です。共和国の約束とは、どの世代も前の世代より良い暮らしができるようになるということです。しかし、今日、この約束は破られてしまいました。私たちの若者世代は犠牲にされ、見捨てられ、流刑にされているかのようです。失業。非正規雇用による不安定な生活。学歴の価値低下。絶望。自立できない生活。住居を見つける困難。私たちが若者世代に残すことを数え上げることはいたしません。悪化した環境。(若者が引退の年齢に達した時の)財源のなくなった定年後の年金生活。莫大な赤字。しかし、それでも、若者世代は私たちの幸運、希望なのです。この幸運が「負担」になる事態を受け入れることなどできはしません。
私はずいぶん考えました。何ヶ月もの間、考えました。この危機を超えて、達成すべき立て直しを超えて、実現すべき正義を超えて、この大統領選に賭けるべき課題になりうることは何かと。
そして、私はこのシンプルな結論に達しました。私たちの国の若者世代のために私はフランスを治めたいのだと。私は、若者世代に信頼を再び与えたいのだと。
だから、私は教育を国家的なレベルの大義にしたいのです。私は、教育分野に6万の追加雇用を創出することを提案いたしました。教員だけではありません。生徒監督、看護士、社会福祉士といった、若者の受け入れと援助と成功に貢献するあらゆる人々です。「(人数が)多すぎる」と私に言う人々もいます。いいえ、私はむしろ、「ひょっとしたらこれでも十分ではないかもしれない」と答えます。毎年15万人もの犠牲者、学歴の免状や資格を持たずに卒業する15万人の犠牲者を出す学業の失敗との闘いはたいへんなことなのです。優先すべきなのは、幼稚園と小学校です。なぜなら、そこでこそ多くのことが行なわれるからであり、最初の学業遅滞が出てくるからです。同等の課程がヨーロッパに全くない学校制度の学年構成を見直します。中学校と高校では、もっとも学業困難な生徒たちには個別指導を提供します。それによって、私の大統領任期の終わりには学校制度から能力習得なく卒業する若者の数を半減させるためです。私の大統領としての5年の任期の最後にそうなることを目標にすることを明言いたします。
16歳から18歳までの若者は、一人たりとも解決策も学習も職業も公的サービスもなしに放置されることはありません。多くの町や家庭で退学ということがどんなことなのかを私は知っております。誰もそのように放置されて見捨てられて忘れられることはなくなります。私たちの若者のためにこそ私たちは雇用問題を優先させて、若者向けの15万人の未来の雇用を徐々に創出しなければなりません。特に、治安の良くない地域出身の若者を対象とします。
経験を積んだ高齢の労働者が職場で若い労働者の指導者役になる場合に、雇用期間を定めない雇用契約(CDI、日本でいうと常勤正規雇用)によって若者を雇うことを可能にするための「世代間の雇用契約」というこの素晴らしいアイデアを私がかかげたのは、若年労働者のためだけではなくて、シニア層の労働者のためでもあります。その場合のシニア労働者も定年で退職するまでは雇用が確保されるようにするのです。これはさまざまな年齢層の間の和解であり、さまざまな世代間の連帯でもあります。
私が行く工場ではどこでも、二種類の人たちが私に言いに来ます。最年長者は私に一つのことしか尋ねません。「私たち、いつ引退して年金生活に入れる?」一方、最も若い人たちは私に一つのことしか尋ねません。「私たち、いつ働き始めることができますか?」そういう時、私は彼らに言います。「ねえ、シニアのみなさん、もしあなた方が若者たちを支えて彼らにあなたたちのノウハウや経験や能力を授けることができれば、結局、それが定年退職を待つ間にあなたたちが受けることのできる最もすばらしい使命にはなりませんか?そして、若者のみなさん、もしあなたたちがやっと雇用期間を定めない雇用契約を得て職業生活を始めることができたら、あなたたちがこんなにも長い間待ち望んでいた自立をすることができるのではないでしょうか。」
私は、慎ましい暮らしの家庭出身の、まだ学生の若者たちのことも考えます。彼らにも、自立生活ができるようにするために、予算があるという条件で、学生手当を受けることができるようになるでしょう。
これが私の計画です。若年層が成功できるようにあらゆる手段をとること。それは、若年層自身のためではなく、若年層が一つのカテゴリーだからでもなく、彼らにおべんちゃらを言いたいからでもありません。両親、祖父母である人々にも未来の中の希望、成功の中の誇りを再び取り戻してもらって、「いったい、私たちはこれからの世代に何を残すことができるだろう?私たちの子どもたちや孫たちにどのような社会を引き継ぎたいと私たちは望んでいるのだろう?」と問うてもらうことができるからなのです。これからの世代に残したいのは、失業の社会、不安定な非正規雇用の社会、不安の社会、崩壊の社会でしょうか。それとも、逆に、チャンスが与えられ、成功の条件が示されて、「私はもうすぐ定年退職する。あるいは、もうすぐ人生最後の大きな旅立ちをするかもしれない。しかし、少なくとも結局、私自身は得られなかった成功が可能だと次の世代のために伝えることができた。」と思える社会でしょうか。
そして、みなさんの前にいる私は大統領選の候補者として、もしこの国の次の大統領任期を任せていただけるなら、私のことはただ一つの目標によって判断してほしいと望みます。それは、フランスのみなさんが望んで私に与えられた大統領任期の最後の2017年に、若者たちの暮らしが今の2012年よりも良くなっているかどうか、という基準です。私のことはこのただ一つの行動によって、この唯一の真実によって、この唯一の約束によって評価していただきたいと思います。若者たちの生活を変えることは私にとっての誇りとしては最も大きいものです。私がしているのはお気軽な約束ではありません。この課題について国全体を動かすためなのです。
親愛なるみなさん。私はフランスの夢についてお話ししました。そう、美しい夢、フランス革命以来の何世紀もの長きにわたって市民が愛で、かかげてきた夢です。より良い暮らしができるようにというこの夢、より良い世界を後の世代に残したいという夢、進歩の夢、一つ一つ人類のステップを超えていけるという夢。この夢は私たち固有のものではありませんが、私たちフランスが共和国を作りだしたとわかります。ある社会が正しく組織されていて、必要な手段を与えて、平等と自由と友愛をその生活様式にしたならば、その社会は一人一人にとっての解放となれるというこの理想をかかげてきたのは私たちなのです。
この夢にこそ、私は改めて魔法を託したいのです。すると、すぐさま、右派は公然と嘲笑しました。彼らによれば、この時期に夢など語ることができるわけがない、というわけです。確かにそうです。これは、今私たちが現実に生きている夢ではありません。経済危機があらゆる大志の足かせになっているこの時期に夢など語ってはいられない、そんなのは幻想だ、と言う人もいるでしょう。しかし、私は、みなさんの頭をお星様でキラキラにしようと呼びかけているのではありません。そうではなくて、私は、共和国の物語を再発見しようと呼びかけているのです。何十年もの間私たちを進歩させてきた共和国の物語、フランス革命の物語、目の前に開ける未だ知られざる物語の中を進もうとした人間たち、いえ、男たちと女たちの物語です。それは人間の平等の歴史だったのです。
そうです。様々な共和制とともに続いてきたのがこの共和国の物語です。第三共和政から始まり、そしてまた、フランスの解放、レジスタンス全国評議会もありました。この夢、この共和国の物語を、1968年の五月革命もまた、ある意味で再び現れさせたのです。そして、1981年5月(のフランソワ・ミッテラン社会党政権樹立)があり、それ以外にも多くのステップがありました。共和国の歴史とは、これらすべてを指しています。共和国の歴史は、左派にだけ属しているのではありません。何十年もこの国のトップを引き継いできた者たちみんながこの共和国の歴史をかかげてきました。私たちの先祖が彼らに向けてきた非難がどのようなものであったとしても、いつもフランスを前進させようとすることは結局、彼らの望みでもありました。ですから、その夢をかかげ続けようではありませんか!
ここでシェークスピアから引用させていただきます。彼は、この普遍的な法を私たちに思い起こさせました。「彼らは失敗した。なぜなら、彼らは夢を思い起こすことから始めなかったからだ。」と。それなら、私たちは成功するはずです。なぜなら、私たちは夢を思い起こすことから始めるからです。フランスの夢、それは、民主主義への信頼、市場よりも強い民主主義、カネよりも強い民主主義、信仰よりも強い民主主義、宗教よりも強い民主主義なのです。フランスの夢とは、学校、政教分離、人間の尊厳、全体の利益の周りに築かれた共和国の約束を完成させることなのです。
フランスの夢とは、あらゆる肌の色の人々が権利と義務において平等になるようにする坩堝(るつぼ)です。フランスの夢とは、国境と国家を超えて広がる普遍的な価値を明確にすることです。それは限られた空間の中ではなくて、世界の前ですべての人に向けて宣言されています。フランスの夢とは、私たちの歴史であり、私たちの計画です。フランスの夢とは、一つの力です。私がみなさんに提唱している計画です。なぜなら、フランスの夢は私たちに似ており、私たちを結びつけるからです。
私は、明日のフランスに向けて、私たちみんなでともに進みたいのです。
労働のフランス、功績のフランス、努力のフランス、先取のフランス、起業のフランス。そこでは、一人一人の権利が全員の平等に支えられるでしょう。
正義のフランス。そこでは、カネは本来あるべき場所、つまり、主人ではなくて下僕の地位に戻されるでしょう。
連帯のフランス。そこでは、国の子どもたちの誰一人として放置されることはありません。
公民精神のフランス。そこでは、共和国がしてくれることではなくて、共和国のためにできることを一人一人が求めるでしょう。
多様性のフランス。そこでは、一人一人が互いの違いを持ち寄りますが、共和国という統一体の中で行われます。そこでは、海外県が世界のすべての地平を私たちに開いてくれ、移民の子どもたちはフランス人として、フランス人であることを誇りに、誇りに思うはずです。なぜなら、それは世界市民に与えることのできる最も美しい名前だからです。
模範のフランス。そこでは、国は自らが育てたものの中に、国をまとめ上げるものの中に、国を超えるものの中に、自らの姿を見るのです。
信頼のフランス。そこでは、フランスを構成しているすべての力が未来のために動員されるのです。
フランス、フランスが問題なのではありません。フランスこそが解決策なのです。
親愛なるみなさん。これが選択肢です。これがみなさんを待っている選択肢です。いつも同じです。民主主義が存在して以来、恐怖と希望の間で、忍従と飛躍の間で、騒動と変革の間でなされる選択です。それならば、変革、変革を今こそ!立て直しを今こそ!正義を今こそ!希望を今こそ!共和国を今こそ!
動きましょう。集結しましょう。そして、三か月後、三か月後には左派を勝利させ、フランスを前進させましょう。そして、変革を成功させるのです!私は今すぐ、変革に向けて進めます!
共和国万歳!そして、フランス万歳!
(翻訳転載ここまで)
これは、「
2012年フランス大統領選」についての記事の一つです。
追記。2011年秋のフランス社会党の大統領候補予備選、2012年1月以降の大統領選選挙戦中のフランソワ・オランド氏の他の発言録や政策表明などを次のような記事で記録してきました。
■フランス社会党の大統領選予備選から得られる政策ヒント
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2878.html2011-10-08
■フランス社会党の2012年大統領選予備選、第二回投票(2011年10月16日)を前にして
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2898.html2011-10-16
■2012年仏大統領候補、社会党オランド氏の2012年1月22日の演説 (3) ~『私は社会主義者です。』~
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3189.html2012-02-12
■2012年仏大統領候補、社会党オランド氏の2012年1月22日の演説 (4) ~「私の真の敵」~
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3206.html2012-02-19
■2012年仏大統領候補、社会党オランド氏の2012年1月22日の演説 (7) ~財政立て直しをどうするか~
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3230.html2012-02-29
■仏大統領選:社会党オランド候補、富裕層への所得税課税強化の方針
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3243.html2012-03-04
■2012年仏大統領候補、社会党オランド氏の2012年1月22日の演説 (8) ~フランスの魂、「平等」~
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3244.html2012-03-05
■2012年仏大統領候補、社会党オランド氏の2012年1月22日の演説 (9) ~フランスの夢~
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3258.html2012-03-10
■仏大統領選、フランソワ・オランド候補の2012年3月8日の演説 ~世界女性デーによせて~
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3336.html2012-04-08
■フランス大統領選:各候補の公式テレビスポット
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3357.html2012-04-15
■フランス大統領選 : 第一回投票1週間前、候補者語録
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3360.html2012-04-16
■フランス大統領選 : 社会党フランソワ・オランド候補、2012年1月22日の選挙戦開始演説全文訳
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3377.html2012-04-22
■仏大統領選 : フランソワ・オランド候補、2012年4月25日記者会見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3397.html2012-04-30
■フランス大統領選 : 決選投票4日前、両候補のテレビ討論
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3403.html2012-05-03
■フランス大統領選 : 決選投票4日前、両候補のテレビ討論 (3) ~フランソワ・オランド候補の考える大統領像~
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3411.html2012-05-06
築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守りたい。
●Like a rolling bean (new) 出来事録
■2012-04-03
捏造報道に注意!築地市場移転は「決定」などされていません
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-11212068959.html

↑『がけっぷち社長』さん作。また、税制についての当秘書課の記事は、「カテゴリ : 税制、税金、財政」から。
お花畑めざして遠い家への道のりを
生きてることを喜ぶことを罪ではないと信じて歩き始める
千里の道の
身近な一歩が社会を変えると思うので、
ツイッターで大阪から発言する保護者ネットワークの
虹とモンスーンの下の
イルコモンズのふたの下にある
憲法研究者の情報発信の場の
市民社会フォーラムの
そこに存在する良き人生と生活への切実な望みを
弱い文明の
民主党にわからせるために、
低気温のエクスタシーの中の
アブナイ日本が
壊れる前に、
生まれてきて良かったと感じられる社会にしたいけど
とりあえずどうすべきか
kimeraれない
情報の海の漂流者さんと
ニュース・ワーカーさんと
農家の婿さんと一緒に、
イル・サンジェルマンの散歩道の
くろすろーどにある
アダージォな
午後のカフェの
窓辺でお茶に
クリーム入れて
福島老朽原発を考える会(フクロウの会)で
みんななかよく鍋パーティーして、
サイトで大阪から発言する保護者ネットワークの
世界の片隅で税制についてのニュースや
opebloや
軒づけ日記や
kodebuyaの日記や
ガン闘病記や
フリスキーの日記や
夏天故事や
ルンペン放浪記や
ペガサス・ブログ版や
転成仁語や
イラク・ホープ・ダイアリーや
広島瀬戸内新聞や
おこじょの日記や
虹の日記や
vanacoralの日記や
黙然日記や
フランス語の練習帳や
「ユニオン」と「労働ニュース」のアーカイブや
社会科学者の時評や
フランスメディアニュースや
琉球新報や
沖縄タイムスや
辺野古浜通信や
高江の現状や
月刊イオや
日刊イオを読んで、
沖縄問題と北アイルランド問題を同じように考えてみようと思って、
消費税と社会保障と国家予算についてのマスコミに載らない海外記事を
1947年教育基本法の理念の今日行く審議会と
スーパー小論文ハイスクールと
アジア連帯講座と
内田樹の研究室で
超左翼おじさんと見て、
大脇道場と
内田樹の研究室と
アフガン・イラク・北朝鮮と日本と
山口県上関町の祝島と
地元紙で識るオキナワと
横板に雨垂れの
海鳴りの島と
知られざる晴天の
カナダで
虹のカヤック隊も一緒に
沖縄・辺野古海上基地の問題を中心にはげしく学び、はげしく遊んだところで、「
どこへ行く、日本。」とか、
労働組合ってなにするところだろうとか、どうしたら
小出裕章先生や
京野きみこさんや
さとうしゅういち(佐藤周一)さんや
湯浅誠さんや
戸倉多香子さんや
保坂展人さんや
テルヤ寛徳(照屋寛徳)さんや
すぐろ奈緒さんや
小坂和輝さんや
西山千嘉子さんのために
レイバーネットの
団結は力で
すくらむ組んで
多世代交流のブログ広場の
多文化・多民族・多国籍社会で「人として」日本ジャーナリスト会議で
転がるひよこ豆と
グリーンピースのように
ブログで大阪から発言する保護者ネットワークで
情報流通を促進できるかとか思いながら、
明日も晴れの
空と風と、月と、星のもとで
白砂青松の
雪裏の梅花や
ブーゲンビリアや
梨の木や
フランスねこや
薔薇、または陽だまりの猫や
古い寺を多く見て日常で思った事、感じた事をつらつら好き勝手に書きながら国会議員定数削減・比例削減に反対するInternet Zoneのサイバー
政治団体秘書が
シジフォスにも負けずに、
ウェブにはびこるネトウヨどもを滅多切りして「
Apes! Not Monkeys! 本館」と「
Apes! Not Monkeys! はてな別館」に行った後、
原発の「今」を考えるために、「
フランス西部放射能検査協会」と「
放射能研究広報独立委員会」と「
フランス放射線防護原子力安全研究所」と「
フランス・原子力安全局」と「
フランス・脱原発ネットワーク」と「
フランス・脱原発ネットワーク・パリ」と「
原子力資料情報室」と
EX-SKFと
EX-SKF-JPと「
ピース・フィロソフィー・センター」と
たんぽぽ舎に立ち寄って、
fukushima 福島第一Genpatsuで
onaironaironairされている
Beltix Talkを聞きながら
金子勝先生のツイッターを復唱して
詩空間の中の
迎春閣之風波での
言ノ葉攻防の
模型とかキャラ弁とか歴史とかを眺めながら、「
ざまあみやがれい!」と言われてもなお「
子どもを救え」、「
子供を守ろう」、「
Everyone says I love you !」、「
人々に力を!!」、「
民主主義を今!」、「
なんくるないさぁ~やってみれ~♪」と
エヴァ・ジョリーの
EELVと
みどりの未来を
ドイツから学び、
CLick for Anti War 最新メモを
いろいろたくさん幅広く、んで、楽しく読む・考える・書くきまぐれな日々の、
大阪の教育基本条例を撤回せよと堺からアピールするために
橋下ワクチンを打って
あそぶログおしごと日誌。
国会議員やマスメディアに意見を届けるために下記を自由にご活用ください。引用、転載、転送、歓迎。
■民主党 衆議院議員一覧(他の党、参議院もあり) http://www.eda-jp.com/link/link1.html■各種国会議員名簿のポータルページ(更新が滞ってます...)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-86.html■官庁への意見送付先について
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-51.html■新聞、雑誌 読者の意見を伝える窓口(未整理)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-49.html■テレビ報道番組のご意見窓口(
「わんばらんす」から)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-50.html●News for the people in Japan マスメディア問い合わせ用リンク集
http://www.news-pj.net/link/media.html
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岸田はこの愚行で何を守ろうとしてるんですかね…津木野宇佐儀(「月乃兎」改め)石垣島への陸上自衛隊配備について住民投票を求める規定数以上の署名を集めたのに住民投票実施を行政からも司法からも却下された異常事態沖縄は今も本土の捨て石にされている。 沖縄は大東亜戦争で日本本土の捨て石にされ,莫大な民間人犠牲者を出しました。戦後も裕仁天皇の越権行為により,米軍基地が半永久的に配備されました。選挙で民意を示しTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度No title 日本において高すぎる供託金が立候補の妨げとなり、結果として新しい候補や政治勢力の台頭を阻んでいます。先進民主主義国家と言われる国の中では非常識に高い供託金は、クテシフォン少女時代(소녀시대、Girl's Generation) 「다시 만난 세계」 (Into The New World、また巡り逢えた世界) (不定期連載、「気まぐれK-POPプレイリスト」)これらの曲もいいと思います。 ポーランド・ロックのシンガーソングライターであるKaśka Sochacka(カシカ・ソハッカ)のCiche Dni(静かな日々)とSpaleni Słońcem(太陽に灼かれて)
もいい曲だと思いますTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度 選挙供託金制度は1920年代に普通選挙が導入された際、無産政党の参入を阻止するために制定されました。
これとセットになっているのが無産政党の活動を制限する治安維左の人日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対人権を嫌悪する者が付和雷同し、嫌がらせの言節を放っているのに食傷。 こんばんは。私も村野瀬さんも十数年にわたってSNSの言論の場に身を置いていますが、特に近年、「物事を丁寧に書き示す」より「対象物を手っ取り早くぶん殴れる」言節が伊東 勉広島サミットについての批判的メモサミットとは?そもそもサミットとは?
欧米列強&欧米列強の悪い部分ばかりマネしてそのおこぼれにあずかろうとしている日本が、これまで作り上げた国際秩序と自らの覇権を確保するため閉口首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。前近代的な日本の姿自民党は前近代的な世襲政治家が多い政党です。
岸田文雄も世襲政治家です。
首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。
まるで封建時代の絶対王政の国そのものです。
こういった政治家閉口日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対入管法改悪法案の廃案と帰国できない事情のある仮放免者に在留資格を付与することを求めます!入管法で改正が必要なのは、今の杜撰すぎる難民認定審査のあり方です。
日本は難民として認定すべき人を難民として認定していません。
それを改正するどころか改悪して難民閉口不祥事で議員辞職する維新議員はほとんどいない。こんな政党を支持・容認したり批判せずにいたりすることは維新の不祥事を支持するようなものだ。 #維新は最悪の選択肢 いわゆる「身体検査」が機能していないのでしょうね。日本共産党や公明党は選挙資金は党が負担するのが大前提です。大切な党のお金を使うのですから、候補者の選定基準も左の人袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。検察の指向性と日本政府の無謬性主義はパラレル 泉田裕彦に裏金を要求した星野伊佐夫元新潟県議が不起訴になりました。女性に強制性交すべく女性に受傷させたプロ野球選手は,不起訴の可能性が高いとも言われています。Takeshi差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約郵便局の窓口でアパホテルカレーを販売中郵便局に行ったら,窓口にアパホテルの元谷芙美子社長の写真が載ったアパホテルカレーが390円で販売されていました。買いませんでした。アパホテルは自民党に要望し,自民Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。>ewkefcさん>自動車事故に遭わないため、遭わせないためには自動車を運転しないことなのね。
「生きているといろいろな問題があって大変です。だから、それらの問題を避けるためには村野瀬 玲奈#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。No title『#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9123.html
>コロナウィルスに感ewkefc#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。 マスクの効果は偉大ですよ。私のようなブサイクでもマスクをつければ堂々と人混みを歩けます。堂々と女性と会話することもできます(笑)。目の前でふんぞり返っている市左の人自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。 もっともっと貧しくなるでしょうね。
新自由主義をやめないからです。何でもかんでも非効率だとこの30年間国内の産業を空洞化させてきました。曰くこれからは金融だエ左の人の死刑FAQ (適宜更新)この世はダブル・スタンダードにあふれている。 差別はいけないと多くの人が言います。ところが自分の息子や娘が死刑囚の子と結婚するとなったら猛反対して必ず結婚をつぶすでしょう。「お前が結婚するということは,殺Takeshi#はだしのゲン を隠そうと大日本帝国主義勢力が広島はじめ各地で裏で動いていることが、この戦争漫画が戦争推進者の本質を突いていると証明している。 #はだしのゲンを無くすことに抗議します教育行政の犯罪・不当行為(広島県) 2003年3月に広島県尾道市立高須小学校で就任1年の民間人校長の慶徳和宏さん(56)が校舎正面1階の壁面に体をさらして自殺しました。2年半後,遺族の請求に対し,地方公務Takeshi大阪府 #堺市長選挙 では、維新の利益よりも市民全体の利益が重要。維新の利益は市民の利益を削ったところで生まれる。だから維新現職から野村ともあき氏へと #堺市長を変えよう 維新=犯罪組織「あなたが維新も自民も支持しないとしても、維新首長はどんどん落選させるべきです。そうでないとつけあがりますから。」
野村氏の言うとおり。
入管による「殺人」の被害boof同意の無い性行為を性的暴行として処罰するスペインの法改正性暴力を受けた苦しみは一生続く。yaping20 野田正彰さんは,海南島リー族の元従軍慰安婦の精神鑑定を求められ,現地に赴いたそうです。
〇〇さん(79歳)は14歳のとき,村に押し入った日本兵に拉致され,駐屯地Takeshi「東電の電気を使っている人は原発を支持していることになる」という勘違いああいえばこう言うの典型ですね「反体制も無謬性を訴えている訳ではありませんが、何か?」とこのツィに言い返しても問題はありませんよ。
こんなのを聞いていたら、自分が間違えた時に引き返せなくて周アンドリュー・バルトフェルド自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。No title『自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9120.html
>自民党は日本を経済的に貧しくすることにewkefc軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。永山則夫死刑囚の予言は的中するのか。 永山則夫死刑囚は,ノート8(1970.5.25~6.27)の中で次のように述べています。
一言的に表現すれば,帝国主義国家であるかぎり,人間精神は五十歩百歩で進歩しないTakeshi軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。No title『軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。』に対する意見
http://muranoserena.bewkefc広島サミットについての批判的メモ閉口させられるG7の姿勢核抑止として自国の核兵器は許し、それでいて自国の気に入らない国の核兵器は非難する(こんなふざけた暴論がまかり通るはずはありません)。
広島ビジョンはあらゆる核の閉口死刑FAQ (適宜更新)若い刑務官に気遣いを見せた死刑囚2005年12月25日に死刑を執行された藤波芳夫死刑囚(75)は敬虔なキリスト教徒でした。処刑日には車椅子で笑顔を浮かべながら礼拝所に入ってきたそうです。歩行不能の病人で高Takeshi死刑FAQ (適宜更新)永山則夫「無知の涙」 永山則夫死刑囚が起こした事件は「動機なき,理由なき殺人」と一般に言われています。本人はノート5(1969.12.12~1970.3.4)の中で「この事件は一種の自殺法なのです。Takeshi広島サミットについての批判的メモ岸田が本気で核兵器廃絶をG7として取りまとめる気があるのであれば、半日以上かけて本館の展示をじっくり見るべきでした。もちろん、バイデンもスナクも同様です。黙して語左の人維新の「身を切る改革」とは、「維新だけが得をする改革」のこと。 #維新に騙されるなNo titleいまだに日本はTV「水戸黄門」を視て溜飲を下げている、そんな感じですかね…(この方面では日本は最先端!…(溜息)
現実では「英雄」はいらない、害悪かと思うのですが。月乃兎1980年5月18日の韓国・光州事件での民主化運動弾圧の最高責任者の全斗煥大統領(当時)の孫が祖父の「重罪」について被害者遺族の前で謝罪No title光州事件もそうですが済州島・4.3事件など「韓国現代史のタブー」に対して韓国は、民主化後に政治だけでなく映画等の芸術・文化面でも歴史の現実に向き合ってきたという月乃兎