コメント
さようなら
フランスに帰って
皇室の方々は、ご先祖が朝鮮半島からいらっしゃってずいぶん時間がたっているから、日本に住んでいてもいいと思いますけどね。
しっかし、この文脈なら「フランスへ帰って」というほうがいいと思うんだけど、それだと悪口にならないってのかなあ。「西洋人偉い、アジアは土人」って潜在意識で思っているからかしらん。おもしろい。
おめでたい楽しい歌に
そもそも「君が代」は、江戸時代までは広く「言祝ぎ(ことほぎ)歌」として、宴席で歌われたり、門付け芸人によっても歌われていたそうです。性的な意味を込めたバリエーションもあって、なかなか人気のある楽しい歌であったようです。その伝統でいけば、私の好きな清志郎さんの「ロック君が代」も大いにありかと思います。
>元々は年賀のためであったこの歌は、鎌倉期・室町期に入ると、おめでたい歌として賀歌に限られない使われ方が始まり、色々な歌集に祝いごとの歌として収録されることになる。仏教の延年舞にはそのまま用いられているし、田楽・猿楽・謡曲などには変形されて引用された。一般には「宴会の最後の歌」「お開きの歌」「舞納め歌」として使われていたらしく、『曽我物語』の曽我兄弟や『義経記』の静御前などにもその例を見ることができる。
>江戸時代には、性を含意した「君が代は千代にやちよにさゞれ石の岩ほと成りて苔のむすまで」(「岩」が男性器、「ほと」が女性器を、「成りて」が性交を指す)に変形されて隆達節の巻頭に載り(同じ歌が米国ボストン美術館蔵「京都妓楼遊園図」[六曲一双、紙本着彩、17世紀後半、作者不詳]上にもみられる[10])、おめでたい歌として小唄、長唄、浄瑠璃、仮名草子、浮世草子、読本、祭礼歌、盆踊り、舟歌、薩摩琵琶、門付等にあるときはそのままの形で、あるときは変形されて使われた[11]。
(Wikipadia 君が代より)
「そんなのは本当の君が代じゃない、邪道だ!」という人もいるかもしれませんが、JASRACもCDもない時代に、歌とは、いつだって歌われるその場で誕生するものであり、歌う人と聴く人の思いの中で成立するものだったはずです。
国旗国歌の問題とは少し外れるかもしれませんが、皆に愛される「おめでたい楽しい歌」、そんな頃の「君が代」にいつか戻ってほしいものです。
あなたこそさようなら。
自分が気に入らない事、或いは論破されてしまうと必ず「半島へ帰れ」と言うのはあなた方の常套句ですね。
「虚しい」と思いませんか?
江戸の君が代
ブログ:耳を洗う 世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』
エントリー:“隆達節”の『君が代』~江戸時代の「ラブソング」だった
http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/e/e79a18f00a40b5a794c9c8d5ecaf6bd9
>これらの調査結果を踏まえ、著者の工藤晃氏はこう言っている。
> <明治初年にどんなどさくさで始まったにせよ、その後の「君が代」の国歌への昇格の過程で、明治政府の権力者どもによる天皇制イデオロギーのでっち上げの進行―軍人勅諭から教育勅諭へ―とともに、これまで民衆が大事にしてきたこの歌の中身が抜き取られ、代わりに天皇制賛歌と忠君愛国の歌にすり替えられてしまったことは、重大な欺瞞である。
我々の結論は次の通りである。
第一、以上述べたところから、「君が代」は国歌にふさわしくないと考える。付け加えて言えば、酒の席などで歌っていた歌を、子どもたちに厳粛な顔をして歌わせるのはいかがなものか。
第二、「君が代」問題は、日本の文化のあり方にかかわっている。日本の古典芸能を大事にする立場から、「君が代」の問題を再考しなければならない。いつの日かまた、隆達が隆達節の第一に「君が代」をおいた平和を愛する心を考え、隆達のこの心が復元される日が来ることを願うものである。>
> 民主国家の国歌として、戦前の「天皇制」を引き摺る天皇讃歌の『君が代』が不適切であることは、良識ある国民なら否定しようもあるまい。『君が代』信奉者はそのルーツを『古今和歌集』などに結びつけ、権威付けしようとしているようだが、薩摩藩で盛んに歌われていた江戸時代の「恋歌」が元歌だったというのが真相のようだ。若い世代の人たちが、自分たちにふさわしい「国歌」を創作してくれることを望むばかりである。
君が代のひみつ
なんだか今回は興味の赴くままに連投してしまって申し訳ありません。
実は私は石原慎太郎都知事とは違って、もともと「音楽・歌としての君が代」はけっこう好きだったんです。
(意外なことですが、石原氏は最初に都知事になられる直前に、自分は君が代が嫌いだと、東京新聞のインタビューに答えておられます。参考:"West Side Story"さんのエントリー、石原慎太郎「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には」 http://transnews.exblog.jp/3976072/ )
なので、政治的な絡みは、ちょっと脇に置きまして、「君が代」の音楽的な構造について、「君が代のひみつ」というサイトに現代の「君が代」がどのようにつくられたのかが、書いてありましたのでご紹介します。
雅楽研究 君が代のひみつ
http://www.geocities.jp/polaris721/amato-network-miyagawa01.htm
(筆者である作曲家の水谷川忠俊氏は近衛文麿の甥に当たる方だそうです)
実は、先日も、Afternoon Cafeのコメントに
>実は私は「君が代」は、結構、好きだったんですが、だからと言って、大勢で斉唱するのはあまり好きではありませんでした。あくまで「哀愁を帯びた古風なメロディーが好き」という、音楽上の好みの問題で、「こきりこ節」や「荒城の月」が好き、というのと同じレベルの「好き」でしかありませんでした。中学の頃に親友と二人で川原の土手を歩きながら夕日に向かって歌ったような記憶があります。大人になってからも、風呂の中で「こきりこ節」と「かりぼし切り歌」と「竹田の子守唄」と「青葉の笛」と「荒城の月」をメドレーで歌った後のシメに歌ったりしてました。
と書いたのですが、秋原さんに
>ちなみに私は「ダサイメロディだなあ」と思ってました(笑)
と一蹴されてしまいました。w
しかし、水谷川氏のお話を読むと、私にとっての「君が代」が「こきりこ節」や「荒城の月」と “同じジャンル” だったのも、秋原さんが、「ダサイ」と思っていたというのも、どちらもその理由がなんとなく、わかるような気がしました。
少なくとも「君が代」は薄明の神代から伝わった神聖な歌ではありません。(国歌としての「君が代」は)たかだか百五十年ほど前に、私たちがその生涯を辿ることが出来る人々によって、ある意図をもってつくられたものです。「君が代」を国歌として歌い続けるかどうかは、「その意図を受け継ぐのか受け継がないのか?」という意味も、当然、含んでいるはずだと思います。
>渋谷忠利さん
わかりません。教えて~
別の解釈
大昔、朝鮮から渡来しても、日本人は日本人である所以を考えること、って……。
日の丸・君が代と同じ穢れ
自国がおこなった過去の植民地支配に「目をそむける」どころか、フランス人の中にはそもそも「存在しない」のでしょうか、良心的な層の中でさえも。もしそうだとしたら、フランス人の意識はある意味で、日本以下だと感じざるをえません。
「国旗・国歌の変更」「残存植民地(海外県)の放棄」を掲げる政治家はいないのでしょうか。
「良心の自由」は贅沢品?
今年、私の二人の友人の娘たちがそれぞれ大学を卒業します。しかし、就職は決まりませんでした。一人は、最初からある職種を目指して、家から遠い大学のある学科に入学しました。しかし、その職種の養成講座のようなその学科の同級生でも、実際にその関係の職に付けた者はほとんどいなかったそうです。もう一人も、憧れだったある職業を目指して、幾つも会社を受けましたが、一つも受からなかったそうです。社会への第一歩で最初の夢破れた子どもたちを気遣う友人たちに、子どものない私はかける言葉が見つかりませんでした。
そして、彼女たちが言ったのは、「派遣社員なら、いくらでも口があるのだけれど」ということでした。非正規雇用なら、いくらでも働き口はあるということです。しかし、非正規で働いて未来があるのか?親子ともに迷っていました。
それでも、友人の娘たちは親たちにいくらかの余裕があるので、まだ恵まれている方かもしれません。多くの若者たちが、親に頼ることもできず、非正規の身分で過酷な労働にたずさわっています。生きるだけで目いっぱいの彼らに、歴史や哲学の本をじっくり読む余裕を求めても難しいでしょう。そんな彼らの目から見れば、「公務員」という「恵まれた身分」でありながら、たかが、歌一つ歌いたくないという理由で、上司に反抗する不起立の教師たちは「ふざけた存在」と映るのかもしれません。日々、綱渡りのような生活では「思想信条の自由」など贅沢品でしかありません。
私の親戚の青年は、子どもの頃から教師になるのが夢でした。しかし、大学卒業後すぐにはかなわず、児童養護施設で数年間働いた後、やっと非常勤教師として小学校で働けることになりました。しかし、それから数年経った今も、身分は非常勤のままです。彼のような立場の教師が、たとえば、良心の自由を求めて君が代で「不起立」することが可能なのかどうか?とても気になります。
玲奈様、Alain M様へ
エントリー、紹介していただきありがとうございます。貴エントリーを読んで、マルセ太郎のスクリーンのない映画館を思い出しました。映画「パリは燃えているか?」のシーンを次のように語るところがあります。
「仏軍がパリの凱旋門にさしかかる。パリジェンヌは戦車に登って、フランス兵士にキッスをする。そしてどこからともなくラ・マルセイユの国歌が起こり、それが大合唱になる。もし日本が占領されたとしよう。自衛隊が侵略軍を駆逐して東京に入ってきた。日本の女性が、自衛隊の兵士にキスをする。今の日本だったら起こりうるでしょう。やがて皇居前にさしかかる。そして国歌だ!
しかし日本では、国歌は「皆さん、ご起立願います」からしか始まらないのです。だったら、東京音頭でも歌うか・・・」
Alain M様へ
フランスは植民地支配を続けてきました。皮肉なことに、第三共和制のときが全盛でした。いわばフランス共和国の汚点の一つです。教科書ではその汚点である植民地支配について詳しく教えています。Belin社の歴史教科書は、26ページも割いています。つまり「記憶する義務」を教えているのです。加藤周一のいう「国民的記憶」にする努力がなされているのです。
海外県については、海外県化法をマルティニック出身のエメ・セゼールが提案したことを確認したいと思います。彼は同時に、植民地主義論(1950年)で、ヨーロッパヒューマニズムが隠し持つ、人種差別と植民地支配を徹底的に批判しています。
ここまでくると喜劇です。
大阪府立和泉高校の卒業式で、国歌斉唱の際、教職員が本当に歌っているかどうかを、校長が口の動きで確認していたことがわかった。
口が動いていなかった教員のうち、1人が歌わなかったと認め、府教委が処分を検討している。国歌起立条例を提案した地域政党・大阪維新の会代表、橋下徹・大阪市長は「服務規律を徹底するマネジメントの一例」と絶賛。しかし、その徹底ぶりに反発もある。
同条例の成立を受け、府教委は府立学校全教職員に、起立斉唱を求める職務命令を出していた。和泉高の中原徹校長によると、今月2日の卒業式では、教頭らが教職員約60人の国歌斉唱時の口の動きをチェック。その結果、3人の口が動いていないとして、個別に校長室に呼び、1人が「起立だけでいいと思った」と不斉唱を認めたという。
この校長チェックしている時君が代歌っていたんだろうか?
校長もっと気合を入れて集中して歌えって声が出るんじゃないかな(笑)
昭和天皇が亡くなった日、多くの飲み屋が休業しました。理由を聞くとある店のマスターは右翼が抗議に
くると噂があったとか。
笑いましたよ。本当に天皇を崇拝していたらその日は静かにお悔やみしていますよ。
この校長右翼におこられんじゃあないの(笑)
それ行けアンパンマン
ツイッターで弁護士の落合洋司さんが、
>別の歌を歌ったらどうなるのかな。それ行けアンパンマンとか。
それを江川紹子さんが…江川さんの愛猫タレが亡くなったのを今、知った…
>こういう落合先生好きですw
とRTしてました…私も、それ行けアンパンマンを思いつく落合先生のセンスは好きです…
維新府議、卒業祝辞そっちのけ…不起立教員批判
大阪府守口市の府立高で8日に行われた卒業式で、来賓として出席した大阪維新の会の
府議が、国歌斉唱で起立しない教職員を見て、「ルールを守れない教員がいることを
おわびします」などと発言、保護者らが「お祝いの言葉もなく、式が乱された」と抗議して
いたことが分かった。
府議は「卒業生の皆さんを一番傷つけてしまった」とブログで謝罪した。
高校などによると、来賓として紹介された際に発言した。終了後、学校や府議に保護者らから
抗議があったという。府議は「このような教育のもとで3年間生徒を過ごさせたことに対し、
本当に申し訳ないという思いから述べた。おめでとうと言える心境でなかった」と話している。
(2012年3月13日11時25分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120313-OYT1T00155.htm
「信念ある人間なら自決の覚悟」維新府議が教員を批判
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201203130022.html
日本人はオリンピックの見過ぎか?
端下氏のissueは君が代よりもむしろ大阪市職員の組合にあるようだ。
だが起立を拒否する教師側も大人げないように見える。
フランス革命いまだ成らず?
しかしその成果はどうなのでしょう。サルコジ氏が大統領の座にあり、極右政党が議会を騒がせ、植民地支配の反省を求める世論は見えない。これが、理想の教科書で学んだはずのフランス市民が選んだ現実です。
アフリカやインドチャイナ半島での自国の蛮行(このコメントでリンクする画像に象徴されるような)をきちんと学んでいれば、「自由・平等・友愛」を誇らしげに述べたり、三色旗を振ったり、フランス国歌を高吟したりはできないはずです。
その点、さすがにオランド氏は知的な良心派の政治家らしく、フランス国歌を歌うことにためらいがあるようです。しかし、歌いたくない歌はそもそも演説会場に流すべきではなかったのです。自分の信条に反するような歌は断固拒否し、共感できる歌は堂々と歌う。これが、信念を世に問う政治家にあるべき態度ではないでしょうか。
「政治家がごにょごにょ口ごもる」ことを賞賛するのは、さすがに優しすぎると思われますがどうでしょうか。
選択の自由
個々の政治家の演説会だけでなく、公的行事でも、「国歌」の意味を示して、これを歌いたくない人は参加しないでください、という手続きを取らないで、「決まったことだから」強制するには、パワハラか詐欺に類する、ってぎろんもできそうですね。
君が代のもつ力
これを見ると,古くからの宗教のほかに明治以降成立した新宗教,霊友会から分派した佛所護念会教団が一緒になっている(両者は信者の奪い合いをしている)など混在した状況になっているそうです。
皇室崇拝に重きを置かない教団もあれば,教育勅語にしか興味のない教団,改憲を最重要課題とは考えない教団も混在しているそうです。
何が日本会議に結びつけているかというと,菅野氏は「国歌斉唱」と「リベラル揶揄」が利害関係の大幅に異なる各教団をまとめていると理解しています。
国歌斉唱におけるグループ感の発生が日本会議を理解するカギのひとつだろう,とのことです。
そうであれば,君が代は大変大きな力を持っていると言えるでしょう。
公立学校教頭会では,文部科学省からの来賓を迎えて冒頭で君が代を斉唱するのですから,国家のため(生徒・学生のためではなく)の教育を実施することの一体感を生み出すことができるのでしょう。
訂正します
国柱会は田中智学が作った団体で,皇国史観と日蓮信仰を結びつけ一世を風靡しました。
宮沢賢二や石原莞爾(満州事変の首謀者)が会員になりました。創価学会(当時は創価教育学会)を創立した牧口常三郎は田中智学の講演会に何度か出かけましたが,国柱会の会員にはならず,日蓮正宗に入信しました。
補足です。
日本的個性をもつキリスト教でなければ大和魂をふるい立たせることはできない,沖縄戦で日本軍が県民に集団自決を強要などしていない,聖書を読めば読むほど民主主義というものには反対です,といったところが主な主張です。
キリスト教会とは関係のない,親イスラエルの宗教団体です。
倫理研究所は,扶桑教ひとのみち教団(現在はPL教団)に所属していた丸山敏雄が設立した団体です。一般社団法人となっていますが,実際は宗教右派だと指摘する人もいます。
倫理研究所の法人会員として各地に倫理法人会というものがあります。新潟県倫理法人会の顧問は花角英世新潟県知事です。新潟市倫理法人会には,石崎とおる事務所と西村ちなみ事務所が参加しています。
ひとのみち教団では,仕事や学校に出る前の早朝に集まって説教や礼拝,体験告白を行っていました。これはPL教団や倫理研究所に受け継がれ,朝起き会またはモーニングセミナーなどと呼ばれています。
倫理研究所の理事長を務める丸山敏秋は,日本会議の代表委員です。
以上二つの団体を紹介しましたが,それぞれを批判するものではなく,このような団体であることを指摘するのみです。
「グローバル」は、ローカルがあってこそ・ローカルに資するもの(←言い方は他にもいろいろあるだろうけど)、でないといけないと思います。
一津木野宇佐儀「所得の不平等の原因と結果:グローバルな視点」という論文が経済格差の拡大は経済成長を止めると示唆している。自民党の日々の政治が日本の経済成長を止めていると認識しましょう。コンパクトかつ地域循環!!格差はもう行きつくところまで行ってしまったかな、と地方・田舎から見ていて思います。
経済、だけでなく教育、人口等は昔から大都市圏、特に首都圏に集中していて、地方(津木野宇佐儀入管難民法改悪案阻止のため立憲民主党が法務大臣への問責決議案を出したことを評価する。#立憲ボイス @izmkenta @saito_yoshitaka #改悪入管法の強行採決反対冷笑系…>アンドリュー・バルトフェルドさん
「冷笑系」の人々がいつでも転落するのが今の日本の状況だと、泥臭くても言い続けていく必要はあるかと思います。
私自身うつ病で挫津木野宇佐儀軍拡財源法案は許せない。軍拡財源法案に強く反対しない立憲民主党は軍拡反対の有権者に支持されたくないのか? いわゆる私のような生粋の左翼に「支持されたくない」のは本当でしょうね。
左翼票を喪っても連合の組織票と冷笑系の浮動票で挽回できると踏んでいるのでしょう。左翼左の人「江戸しぐさ」という歴史偽造 (メモ) 江戸しぐさなどと揶揄される江戸時代はそんなにひどかったのか。 江戸時代は暗黒の徳川家専制の時代,明治はその暗黒を取り除いたと明治政府は公言しました。たしかに江戸時代は言論の自由も表現の自由もなく,身分制度もあり素晴らしいTakeshi東京都人権部は、過去にあった凄惨な人権蹂躙を検閲して隠すという歴史への蛮行を、税金を使って始めた。強く抗議します。カチンの森事件の隠蔽という悪事 日本に酷似 1940年4月,5月に25000人以上のポーランド市民がソ連内務人民委員部(NKVD)によって銃殺されました。犠牲者は大部分が陸軍将校であったものの,知識人,大学教授,学校Takeshi法的根拠のない「国葬」を日本国民が止められないなら、自民党による戦争や暴政を止められるのだろうか。だから #国葬反対 #今からでも国葬中止を #国葬を国民の力で葬ろう権力者は身の危険に対して鈍感 安倍晋三は,たしか身の安全をはかるようにと国会で野党議員から助言されていたかと思いますが無視しました。岸田文雄も安倍の前例があるにもかかわらず,まさか自分が狙Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。まだまだコロナには注意が必要,マスクも必要私の先輩で高齢の友人が新型コロナに感染しました。夫婦二人暮らしで推奨されるワクチンはすべて接種していました。喉に死ぬほどつらい痛みがあり,何をする気力もなく,こTakeshi入管難民法改悪案阻止のため立憲民主党が法務大臣への問責決議案を出したことを評価する。#立憲ボイス @izmkenta @saito_yoshitaka #改悪入管法の強行採決反対冷笑系を唾棄したいFAXによる請願で、件の政策秘書と同様に「そんなのをやっていたら市民運動の言うことを誰も聞かない」などと喚き散らすのが見られます。
そういう冷笑バカは、「対案を出アンドリュー・バルトフェルド小規模市民運動のためのヒント(メモ)No title「サイレント」と聞いてグレタ・トゥーンベリさんが真っ先に頭に浮かびます。
彼女は一人で運動をはじめ、それが世界にまで広がっていった…すごいですよね。津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title『「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.ewkefc国会前で #入管法改悪に反対 した5500人(2023年6月5日)No titleでも
5500人の方々が集まってくださったことは、一筋の光明だと思います。
地方在住でパニック発作もあり、なかなかデモには参加できないのですが、地方からもできるだ津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title全くそうですね。
戦後の長年の保守政権、その流れをくむ自民の憲法軽視(アベ以降は憲法無視!)が、戦前からの「拷問及び残虐な刑罰」的体質を矯正するどころか、許し続け津木野宇佐儀「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」はずなのに拷問を行なう入管は憲法違反。解体・廃止が妥当。No title もともと入管当局というのは特別高等警察の残滓みたいな組織でした。周知のように特高とは大日本帝国の暗黒面を代表するような組織であり、多くの人々を拷問にかけ痛めつクテシフォンまた核発電所大規模事故を招くもとになる可能性のある原発回帰推進法の自国維公による可決に抗議する原発回帰推進法の可決に強く抗議する選挙で信を問うこともなくGX脱炭素電源法が政府与党とその補完勢力である維国の賛成で可決されました。
GX脱炭素電源法とは名ばかりその実は原発回帰推進法そのもので閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。#改悪入管法の強行採決反対入管法改悪をめぐって政府与党の問題が次々と明るみに出ています。
難民審査「1年半で500件」は可能なのか、不可能なのかについて齋藤法相は答弁を180度転換、ただただ閉口閉口#入管法改悪に反対 #法務大臣の問責決議を #法務大臣の解任を #改悪入管法の強行採決反対 つまり、国際的に当たり前の人権政策を日本政府に求めているだけです。No title立憲は、「てめえを踏みつけている奴らに媚び売ってどうすんだ」というのを何度も思います。
泉が平熱パニックおじさんの番組で飲みながらヘラヘラやっていたし、枝野がプアンドリュー・バルトフェルド津野香奈美著「パワハラ上司を科学する」(ちくま新書)No title日本では「上司」=管理職が何たるものかが理解されずにずっーと来ましたよね。
「仕事ができる=管理職=出世」ではなくて、労務管理能力のある人が管理職なんですけど。津木野宇佐儀デモの精髄を、フランスの年金カイカク反対デモに学ぶ。「もし私たちが私たちの両親の年金のために闘わなかったら、誰が私たち自身の年金のために闘ってくれる?」 (2)No title日本でもかつて「売上税」阻止をデモとメディアの攻勢で廃案に持ち込んだことがありましたよね。
本当は日本でもできた・「できる」ことなのですが…
日本国、否、自民国JAP津木野宇佐儀#入管法改悪反対アクション に取り組む人々の姿が、辛うじて日本国の人権意識の消滅を防いでいる。No title 週刊新潮や産経新聞の記事は、これらのメディアが人権など一顧だにしない事、ひたすら保守政権の後押しをする集団であることを如実に示しています。予想通りの行動を採るクテシフォン国会議員の居眠りについての自民党・河野太郎の言い訳(メモ)自分達の事ばっかり何から何までろくでもない野郎ですね。
主張する事は、常に自分達特権階級の擁護ばっかり。
庶民が、病院でマイナカードの不具合で受診できまいがお構い無しで、不具合隠K.Mina相模原市の障がい者虐殺事件の容疑者が釈放されてニュースキャスター長谷川豊の名でネットメディアで「透析患者を殺してもよい」と言っているのかと思った。精神障害者である自分を肯定する人もいる。 昔は精神分裂病と言われた統合失調症は100人に1人がかかるごく一般的な疾患なのだそうです。日本の人口が1億2000万人であれば120万人が罹患していることになります。発祥Takeshi自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議しますNo title>ブログ主様
>まだまだ闘わなければ日本の民主化は成し遂げられません。あきらめた時が負けです。
>決して腐ることなく、戦い抜きましょうと、多くの人に呼びかけ津木野宇佐儀自国維公が国民の医療アクセスの命綱を切る作業を本格化させた2023年6月2日。民主主義者にとって自国維公に殴られ始める屈辱の日。 #保険証廃止法案の成立に抗議します私はマイナンバーカードを持ちません。 私もマイナンバーカード取得強制に反対でコメントを2日前から投稿したのですが,F2ブログからはねられていました。よくあることですが。
私のもとには過去に市役所Takeshi問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します まだまだ使えて誰も不便に思ってない道路をわざわざぶっ壊して新しい道路を作るようなことは東日本大震災の被災地ではよく見る光景です。復興という錦の御旗があれば無駄左の人問題なく使われている現行健康保険証廃止は自国維公(地獄行こう)から日本国民への暴力的攻撃。抗議と反対を続ける。 #保険証廃止法案の採決に抗議します朝日の劣化ここ数日で「朝日は滅びろ」というのが強くなりました。
成果が疑わしいG7の報道でも「何を食った」とどうでもいいことをやっていて「核軍縮」の退行を流しもしない。
最アンドリュー・バルトフェルド首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。 (2)くだらん擁護が悪目立ち青瓦台で同じことがあれば、トチ狂ったように連日報道業者が喚き散らします、絶対に。
「他人の振り見て我がふり直せをやったら死んじゃう病患者」が余りも多すぎる証左にアンドリュー・バルトフェルド入管法改悪は自民党政府による外国人へのさらなる虐待のようなものです。 #入管法改悪反対No title 立法事実(その法律が必要とされる社会的事実)が存在しない法律は、それだけで憲法違反となるというレベルのものです。内容面でも問題だらけの法律案ですが、それを無理やクテシフォン石垣島への陸上自衛隊配備について住民投票を求める規定数以上の署名を集めたのに住民投票実施を行政からも司法からも却下された異常事態芸人・加藤浩次の差別発言 5月27日,TBS系の「人生最高レストラン」で,糸満市にある沖縄そば店を紹介した際に,店の様子を紹介する映像が流れ,「11時30分~15時だけの営業」というテロップが表示Takeshi岸田文雄首相の息子で政務担当首相秘書官、岸田翔太郎が辞任へ。こんな幼稚で思慮浅い息子にしか育たなかった岸田文雄首相自身も父親失格だし政治家の器でもないとバレた。息子の更迭を断固拒否したのは首相夫人 岸田翔太郎の首相秘書官更迭を首相が実行しようとしていたところ,裕子夫人が断固反対したのだそうです。それでも翔太郎が,心が折れてもう辞めると言ってきかないので更Takeshi