コメント
みなさまには、間違い記事でご迷惑をおかけしました。
それにしても、まさか「この件を私に教えてくれた方々」から直接コメントがいただけるとは・・・
ブログ始めてよかったです。
[5×3] 素人
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20120923/1348334000
社員一人のサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」秘書課勤務、村野瀬玲奈オフィシャルブログ。日本の政治は消費税増税・震災復興増税を福祉にも被災者にも使わず、雇用と社会保障を弱体化させるだけ。日本の政治の何が間違いなのか過去の失敗と国際的歴史に学んで、議員や政治やマスコミに意見を届けましょう。
追記:ふなぼりすたさんがその後、「かけ算の順序」について論じた部分について記事を訂正しているので、私も訂正させていただきました。転載のやり直しと、ふなぼりすたがんの記事に付いた、訂正すべき点への指摘のコメントとふなぼりすたさんの返事です。その訂正とは別に、硬直した算数の指導法と日の丸君が代を強制する思想の硬直性に共通点を見たふなぼりすたさんの意見はそのまま的を射ていることを申し添えさせていただきます。
(転載ここまで)●お花畑めざして
かけ算の順序
http://d.hatena.ne.jp/funaborista/20120224/1330059766
2012-02-24
ここ数年、ごく一部の界隈で「第n次『かけ算の順序』論争ブーム」だそうで。
それにしても、遠山啓が「順序派総本山」だと誤解している人が多いのには正直驚かされました(遠山啓のことを少しでも知っている人は、こんなこと想像もしないと思うのですが)。
これについて、「遠山啓は『かけ算の順序』についてどう考えたか」というブログを書かれている方がいらっしゃいます。
・・・・・・・・・・
(引用開始)
最近ウェブ上で議論されている「かけ算の順序」をめぐる議論にかかわって、遠山啓の考えを誤って伝えているものがあるのを見かけた。
要約すると、小学校の算数の授業でかけ算の順序に拘った教え方をしているのは、数教協(数学教育協議会)の影響によるもので、これは、故遠山啓の「理論」の名残である、というもの。
事実はどうかというと、遠山は、かけ算の順序を固定することに、いかなる場合においても、理論的にも、教育上の観点からも明確に反対していた。
(中略)
彼(遠山啓)は、著作集の中の『量とは何かI』(太郎次郎社、1978)の「II-外延量と内包量」の章に「6×4、4×6論争にひそむ意味」(p114-120)という特別の節を設けて、この問題を6ページ半に渡り詳述している。
同じ事は、『水道方式とはなにか』の卷においても繰り返し述べられている。
それは、1972年1月29日の『朝日新聞』に、小学校のテストをめぐって、ここでの議論と同じ論争が載ったことがきっかけになっている。
この時の問題は「6人のこどもに、1人4こずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか」というもので、6×4=24 と書いた子どもが何人かいて、その答案は、答えの「24こ」にはマルがつけられ、式の「6×4」にはバツがつけられ、「4×6」に訂正されていた。
これに疑問をいだいた親が、文部省にも質問状をだして論争がまきおこったとのことである。
遠山は次のように書いている。
「この問題の答えとして、4×6 だけが正解であり、ほかを誤りとする理由はどこにもない。
もともと算数の考え方は一通りしかないと思いこむのがおかしいので、多種多様な解き方があってよいのである。
ミカンを配るのに、トランプを配るときのやり方で配ると、1回分が6こ、それを4回配るのだから、それを思い浮かべる子どもは、むしろ、 6×4=24 という方式をたてるほうが合理的だといえる。」
ここで遠山は、かけ算の交換法則のことを言っているのではない。つまり、そもそも、4と6のどちらを「1あたりの数」とするかは考え方次第であって、一方に固定できないと主張しているのである。
別の例として、ウサギが3羽いる時の耳の総数をかけ算で求める時に、耳が1羽あたり2本ずつと考えても良いし、左耳が3本、右耳が3本と考えても良いとしているのも、「1あたりの数」を2としても3としても、どちらでも良い理由として書いている。
実際には「左耳が3本、右耳が3本」と考える子どもは、いるとしてもごく少数であろう。
しかし、それが、個々の問題でどのような割合になるかは、設問の言葉の表現にどのように<引きずられたか>の違いに過ぎないとみることもできる。
(http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html)
(引用終了)
・・・・・・・・・・現在多くの小学校では、学習指導要領に従い「6×4=4×6」を認めません。
現在多くの小学校では、教科書指導書等に従い「6×4=4×6」を認めないようです。(3/2訂正)
しかしこの問題は、
「『考えること、試行錯誤すること、自力でできること』よりも『あらかじめ決められた不当なルール通りにできること』に価値がある」とする点、
「『国際ルールの存在』を無視して『ローカルルールの刷り込み』に固執する」点(※)、
そしてなによりも「『本質』よりも『強制』を優先させる」点において、
「君が代・日の丸の強制」と相似形です。
「数学教育」を「愛国教育」の露払い役としてはなりません。
平和運動にもかかわっていた遠山啓が、今の教育現場を見たらなんと言うでしょう。
・・・・・・・・・・
「数学の本質は、その自由性にある」とはカントールの言。
この場合の「自由」とは「4と6のどちらを『1あたりの数』とするか」。
しかし、ある一方しか「1あたりの数」として認めないということは、その「自由を学ぶ」恰好の材料である算数/数学教育に対する「不当な政治介入」なのです。
>実際には「左耳が3本、右耳が3本」と考える子どもは、いるとしてもごく少数であろう。しかし、それが、個々の問題でどのような割合になるかは、設問の言葉の表現にどのように<引きずられたか>の違いに過ぎないとみることもできる。
子供には、「耳が1羽あたり2本ずつ」と「左耳が3本、右耳が3本」と、両方の考え方を教えるべきなのです。
両方の考え方を教わり、その両方が数学的に等価値であることを理解することで、「少数派=間違いor価値が低い」というのが偏見であることを子供たちは学べるのです。
数学教育とは、マイノリティ教育でもあります。
そして、「ルールはルール」とマジョリティの順序を一方的に強制するよりも、「人はいかに表現に<引きずられやすいか>」を教えるべきなのです。
数学教育とは、リテラシー教育でもあります。
・・・・・・・・・・
以下紹介。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.html
東北大学の先生のページ。考え方はfunaboristaと全く同じ。
(3/2追記:コメント欄参照。↑の黒木玄と遠山啓は考えを異にしており、funaの考え方は黒木さんと同じです。)
少々長いですが、小学生、特に算数が苦手だという子供の親御さんは是非読んでほしい。
順序を固定しない教え方は「数学が苦手な子供のためにこそ役立つ」ということがわかっていただけると思います。
それにしても順序派の「治療教育」って・・・まさに「名は体を表す」ですね。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20101118/1290094089
地方小学校で先生をされている方のページ。
こんな先生に教わったらそうそう数学嫌いになんかならないのに、と思います。
余談の「児童はこれまでに被乗数と乗数の使い分けについてかなり厳しく考えてきたといってよい。」は、まさにマスコミと大衆の縮図ですね。
※ローカルルールとは・・・例えば英語で「 n × m 」は「 n times m 」、つまり「 n 回の m 」ですよね。
つまり英語でのローカルルールは、日本でのローカルルールとは逆なのです。
国際ルールは、もちろん「実数どうしのかけ算では、いかなる時でも交換法則が成り立つ」です。
(引用ここまで)コメント
さつき 2012/03/01 23:11
funaboristaさん、はじめまして、
村野瀬さんのところでこちらを知りました。
かけ算の順序のことで遠山啓さんの考えを紹介する記事を引用いただいた、さつきです。
ご紹介の黒木玄さんによる「まとめ」を初めて読みました。
黒木さんの主張はもっともなことだと思います。
おかげで、遠山啓著作集をもう一度読み直す必要性に思い至りました。
私のまとめも幾つかの欠陥がありそうです。
尤も、今は遠山さんの『競争原理を超えて』を熟読中で、かけ算の順序のことは後回しになりそうです。
まずはご挨拶まで。
メタメタ 2012/03/01 23:55
はじめまして。
隠れスーキョーキョーを自称するほど,遠山啓さんや森毅さん,銀林浩さんの本を愛読してきた者ですが,残念ながら,遠山啓や数教協は,かけ算の順序問題で無罪とは言えません。
まず,いくつか事実誤認があります。
文科省の「学習指導要領解説」は,交換法則「6×4=4×6」を認めています。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2009/06/16/1234931_004_2.pdf 87ページ
むしろ,交換法則に消極的で,数のかけ算では交換法則を認めるが,「量のかけ算」では交換法則を認めないというのが,現在の数教協の多数派のようで,量のかけ算でも当然交換法則が成り立つという考えの方は,数教協の少数派のようです。
また,遠山啓が認めていたのは,6でも4でも,どちらを「1あたり」と見ることができるということで,「いくつ分」×「1あたり」という順序で書くことを認めていません。無罪とは言えない理由です。
東北大学の黒木玄さんも,遠山啓ら数教協を批判されていて,funaboristaさんと「全く同じ」ではありません。
残念ながら,以上の事実誤認に基づいたマスコミと大衆批判は,ちょっとなぁという感想を持ちました。
メタメタ 2012/03/02 14:23
さつきさん
はじめまして
さつきさんの遠山啓の「まとめ」は数年前に読んで,当時は私も同じように思っていましたので,さつきさんの文章の切れ味の見事さに感心しました。
ただ,その後,かけ算の順序問題についていろいろ調べ考えると,遠山啓さんの考えが,現在の数教協の一部(多数派のようで残念なのですが)の順序固執の淵源になっているという結論に至りました。『かけ算には順序があるのか』(岩波科学ライブラリー)で詳述しました。参照していただければ幸いです。
funaborista 2012/03/02 16:42
さつきさんへ
はじめまして。
コメント欄に「もともとの知り合いでない」かつ「非公開で誤字脱字を教えてくれた以外の」初めての方です。
ありがとうございます。
村野瀬さんにはただただ感謝です。
黒木さんのはすごい力作ですよね。
かけ算の順序におけるいろんな問題が網羅?されてて、不謹慎?ですが「わーありがたーい」って思いながら読みました。
私、このエントリーで、欠陥どころか完全な「間違い」を書いちゃいました。
今はただ反省です。
今年始めたばかりのブログですが、「世の中とサッカーと、ときどき散歩、たまに数学」の予定です。
これからもよかったら見に来てください。
funaborista 2012/03/02 16:47
はじめまして
・・・ってメタメタさんじゃないですか。
このブログに初めて「もともと私の知り合いではない」かつ「私でも知ってる有名人」が!
チョット緊張しつつ、お答えします。
>文科省の「学習指導要領解説」は,交換法則「6×4=4×6」を認めています。
すみません。単純に間違えました。
記事内「以下紹介」の「小学校笑いぐさ日記」の記事を念頭に置いて書いたもので、ここは当然「教科書指導書に従い」です。
自分の脳内ではそう書いたつもりだったのですが・・・
あと、断言的な表現も「見てきたようななんとやら」の類なので、あわせて訂正しました。
ただ、ご紹介の「学習指導要領解説」87ページは、「計算としての」かけ算の交換法則についての言及だと思うのです。
いわゆる文章題での「「1あたり」×「いくつ分」=「いくつ分」×「1あたり」」については、他の学年についても見てみましたが、特に触れられていないのではないでしょうか(見落としがあったら指摘してください)。
私としては、むしろ「「1あたり」×「いくつ分」=「いくつ分」×「1あたり」」を学習指導要領で積極的に押してほしいと思うのですが、もしかして「力学的に」難しいのかな、なんて外野の私はどうしても邪推してしまいますw。
>むしろ,交換法則に消極的で,数のかけ算では交換法則を認めるが,「量のかけ算」では交換法則を認めないというのが,現在の数教協の多数派のようで,量のかけ算でも当然交換法則が成り立つという考えの方は,数教協の少数派のようです。
これは私もそう思います。とくに銀林浩さんは、私も尊敬する人ではありますが、ことこの問題に関してはその罪は非常に重いと思っています。
「遠山啓が」のところが「銀林浩が」であれば、私も弁護する気はありませんし、このエントリー自体が存在しませんでした。
>また,遠山啓が認めていたのは,6でも4でも,どちらを「1あたり」と見ることができるということで,「いくつ分」×「1あたり」という順序で書くことを認めていません。無罪とは言えない理由です。
これについては、遠山啓さんは「「とりあえず」こう教えましょう」だと思ってました。
自分のよりも優れた教え方が出てきて、それが「「1あたり」×「いくつ分」=「いくつ分」×「1あたり」」であればその方法にすればいい、それと子供が「いくつ分」×「1あたり」と自覚してかけ算の式を書いたことが採点者として理解できれば、あえてそれにバツはつけない、と。
どっかでそのように書いてあったのを読んだ記憶があるのですが、さっきちょっと検索をかけたが見つからず。
記憶違いかもしれませんし、その後考え方が変わったのかもしれませんし、数教協の他の人の考えだったかもしれません。
もしかして「思い出補正」がかかっているのかもしれません。
ただ「とりあえず」であっても、上のような考え方には抵抗がありました(「数学はルールが少ない方が美しい」「子供には美しいものを美しいまま感じてほしい」ってだけなんですけど)。
そして、確かに「ここで遠山は、かけ算の交換法則のことを言っているのではない。」のです。
なので、どこかに「私の考え方は遠山啓の考え方と100%は合致していない」と書いておきたかったのです。
ただ地の文でそれを書くと、その部分がどうしても長くなって、全体で言いたいことがぼやける気がしたので、「以下紹介」を書いて「100%合致しているのはこっち」としたつもりでした。
でもこれだと、「もともと知っている人」か、「あの長い文章をキッチリ読んでくれる」人にしか理解しれもらえませんよね。
一般読者に、(リンク先を読まずに)遠山啓=黒木玄=funaboristaと(私が考えてると)思われても仕方ないと思います。
これについては「追記でコメント欄への誘導」としたいと思います。
それと、遠山啓の順序への言及についても、あらためて勉強してみようと思います。
その際は、(本を通してになりますが)どうかよろしくお願いします。
最後に、ご指摘ありがとうございました。
あのままだったらと思うと・・・汗汗。
これに懲りずに、たまには見に来てください。
さつき 2012/03/02 22:40
メタメタさん、
funaboristaさん、
お二人のコメントに書かれた事、まったくその通りと思います。
私の「まとめ」の不十分なところをご指摘いただきありがとうございます。
黒木さんの「まとめ」を読んでわかりました。
やはりプロは違いますね。
ここで一つお訊ねしたいことがあります。
私の「まとめ」の(その3)では、遠山さんの著作から引用して次のようにきました。
----------------------
遠山は、かけ算を足し算の延長として教える明治以来のヨーロッパ式の算数教育のやりかたを根本的に改めるべきだとして、かけ算の新しい定義を提唱した。
「そのためには、たとえば、ウサギが何匹かならんでいる絵をかいて、まず、ウサギ1匹に耳が何本あるかを考えさせる。そうすると、“1匹分が2本”であることがすぐにわかるだろう。そして、たとえば、「3匹分の耳は何本か」と問い、それを、
2×3
の意味だとするのである。つまり、かけ算は“1あたり”から“いくつ分”を求める計算と定義するのである。」(『量とは何か I 』 P 118)
瀬戸さんが強調した(1あたりの数)×(いくつ分)=(全体の数)、という考え方がここで登場する。
「かけ算をこのように定義すると、それに応じてわり算の定義も当然変わってくる。それはかけ算とはちょうど逆に、“いくつ分から1あたりを計算するのがわり算だ”とするのである。」(同上 P 119)
このように、かけ算の教育で、(1あたりの数)×(いくつ分)=(全体の数)という考えかたは、わり算の等分除(1あたりの数を求める)、包含除(いくつ分を求める)や、内包量(速度や濃度など)の理解へ繋げるためにも重要であると説いたのは、実は遠山がその先駆者であった。
-----------------------
ここには、遠山さんが「1あたりの数」と「いくつ分」という考え方の重要性を説いた理由として、二つのことを書きました。
第一に、「かけ算を足し算の延長として教える明治以来のヨーロッパ式の算数教育のやりかた」を根本的に改めなければならない」という(動機があった)こと、
第二に、割り算の理解、または、<割り算とかけ算の関係性>をわかりやすく教えるための、一つの「説明の仕方」として、教育上有効であるというアイデア、
特に、第二の点は、かつて?戸さんが主張されていたことで、私がこの問題に首を突っ込んだ動機でもあります。しかし、黒木さんの「まとめ」を読んでも、このことへの言及がなかったように思います。この点についてのお二人のご意見が頂戴できればありがたいです。
その上で、再度の「まとめ」を書こうと思います。
メタメタ 2012/03/03 00:12
funaboristaさん
funaboristaさんのことを誤解していたみたいです。
でも,最初の書込みだけでは誤解されますね。
私が最初の書込みを知ったのは,mixiの「かけ算の順序を考える」コミュの371番の積分定数さんの発言なのですが,今回訂正されたようには思いませんでした。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=43770027&comment_count=373&comm_id=4341118
「学習指導要領解説」は,81ページなどをみると,「1あたり2」×「いくつ分6」=「1あたり6」×「いくつ分2」という解釈までは認めているように読めます。つまり,現在の文科省は1972年の遠山の主張を認めているように読めます。一方,ご指摘のように,「学習指導要領解説」には,「1あたり2」×「いくつ分6」=「いくつ分6」×「1あたり2」という書き方を認めている箇所は見当たりませんが,逆に,各社の教科書指導書に記述されているように,「1あたり2」×「いくつ分6」=「いくつ分6」×「1あたり2」を認めないという記述もありませんね。文科省は玉虫色というか,二股というか。しかし,指導書にそのように書かれている教科書の方を文科省は検定で認めているわけですから,この問題で文科省が完全に無実とは言えないことは,遠山や数教協と同列だと思っています。
遠山啓のこの問題での考えは,「1あたり×いくら分」の順序は,分離量については,どちらの数値を「1あたり」と考えることも可能なので,数字の順序はどちらでもいい(72年の主張です)が,連続量については,「内包量×外延量」の順序が普通で,どちらの数値を「1あたり」=「内包量」と考えることも可能とすることは難しいので,連続量ではかけ算の式の順序がある。「外延量×内包量」という順序もありうるが,そうは書かないほうがよいだろう,と書いている(著作集「量とは何か?」130ページなど)ことだったと思うのです。しかし,連続量でも,どちらの数値を「1あたり」と考えることも可能ということは積分定数さんが議論されました。(『かけ算には順序があるのか』で紹介しています。)
「たまには見に来てください。」
いえいえ,こちらこそ,mixiの「かけ算の順序を考える」コミュに参加してください。
(転載ここまで)■http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3213.html#comment-top
[C14938] 競争原理というより競争原理主義ですか
私も教育関係の仕事をしているので、今回のテーマに関してはいろいろ学ばせていただいております。たいへん参考になります。
教育に競争は必要かというと、私は必ずしも必要だとは思いません。ただし手段としては有効な場合もあります。「競争が必要か否か」という論を見ると、世界はそんなに単純なのかと疑問に思ってしまいます。競争は「原理」ではないというのが私の考えです。
では教育に何か「原理」のようなものがあるかというと、正直なところよく分かりません。分からないけれど、とりあえず今の私が「これか?」と思っているものはあります。本人を肯定することです。
これも言葉にして説明するといろいろ難しく、取りこぼしが出てしまうのですが、本人の人格をとにかく否定してはだめです。「どうせ自分なんて」と思われてしまったら、教えているこちらの失敗です。
子供たちの人格を全肯定するっていうのは、「無理やり褒める」とか「叱らない」とか「宿題を出さない」とか、そういう安っぽいものではありません。教える側はものすごくリソースを消費します。だから学校では難しいでしょうし、取り組まれている先生には頭が下がります。
本人が競争をよろこび、それで自信をつけてくれて能力も上がるなら、手段として競争を取ることは私もあります。でもその場合には、競争相手はどう思っているのかとか、負けた側が必要以上に落ち込んでしまわないかとか、あれこれ考えます。こんなに慎重に当てはめなければならないものが「原理」なのか? というのが素朴な感覚です。「別れろ原理」を持ち出して、恋愛相談には全て「別れろ」とアドバイスする、くらいの乱暴さを感じます。
また、確かに世は競争に満ちていますが、世の競争に勝つ力は、児童生徒のうちに自分も競争することによって身につくものでもないと思います。それよりは、自分に自信を持つことの方がよほど意味があります。競争そのものを多く体験するより、成功体験を積んだ方がずっといい。そのほうが、競争に勝てる力につながるはずです。「競争で勝たないとだめだ」というのは、負けたらお前は認められない、というメッセージを発することでもあると思いますが、そんなこと私には怖くてとてもできません。わざわざ畏縮させ、やる気をなくさせてどうするんですか(ただしそれでやる気が出る人もいるので、そういうときには競争を煽ります。難しいです)。
そもそも世の「競争」というのが、社会人(?何それ)になって経済的に勝つことに限定されすぎているのも、私としては違和感があります。確かに必要なこととは思うけど、人の世はそんなに単純じゃないのです。経済的に豊かにならないと幸せになれないのは事実ですし、認めます。一方で、経済的に勝つことだけをよしとする(あるいはそれが教育の最終目標になる)ような社会って、あまり幸せそうな感じがしません。だってそれって、経済的に貢献できなくなったら存在意義がなくなる社会なわけでしょう。
こんなに複雑で多様な世で、人間というこれまた複雑で面白いものを育てているのに、教育で教えるのが経済競争に勝つ方法って、ちょっと貧弱すぎませんか。それにそういう教育は、そもそも世の競争が熾烈すぎる(負けたら本当に死ぬ)ということに対する批判の可能性を失くしてしまうことになると思います。現実を受け止めて対処するのと、現実を肯定するのとはぜんぜん違いますし。
子供たちが自分を肯定的にとらえるようになると何がかわるか。実感として彼らは「しゃべる」ようになります。つまり自分の意見を(あくまで本人基準で)堂々ととこちらに述べるようになります。こっちはそうなると小躍りしたくなります。話を聞きながら絶対に相手を頭ごなしに否定しない、こっちはなるべく話をしないで聞き役に回る、そうしてさらに本人の自己肯定感(ああ、聞いて貰えてるなあ、という気持ち)を高めます。そして相手の発言に感動したことを隠さず(感動しているのだから普通にすればいいのですが)、相手を褒めながら(必ず褒めるところはあります)、こちらから反論する。そういう練習を繰り返していくと、それこそコミュニケーション力も上がるし、合理的な考え方も身についていきます。
直接的には、こういうのがいわゆる競争力につながるはずです。だって「自分で考え、その意見を人とすり合わせることができる」って重要でしょう。自分に自信がなかったり、トンチンカンな発言をしたと叱られた体験を持っている人にはこういうことは難しい。で、こういう能力が競争で身につくとはとても思えません。
2012-02-23 投稿者 : y
[C14939]
「競争原理を超えて」
このタイトルを観て、個人的に大変懐かしく感じました。
少し私の高校時代の話をさせてください。
私が通っていた大阪の府立高校は大変ユニークな学校でした。
高校生活の目標を「学習」「クラブ活動」「ホームルーム活動」の三つの柱の鼎立とし、特に「ホームルーム=自治活動」の充実という点に特徴がありました。
つまり、高校入学後間も無くある「遠足」から最後の「卒業式」に至るすべての行事が基本的には生徒達自身によって計画、運営される、ということです。
そしてそれらは、「みんなは一人のために、一人はみんなのために」という精神と、「全員で徹底的に討論し、最終的に決定した事は全員で守る」という民主主義の原則に則ったものでした。
中でも、最大の行事である「文化祭」では「戦争と平和」「人権」「差別」に関する様々な「社会問題」について、読書やフィールドワークによって学習を深めた内容を展示発表しました。
そのことを通じて、過去の侵略戦争における加害事実や「日米安保」の矛盾、「在日」や「身体障害者」等の社会的マイノリティへの差別の歴史と実態を知るきっかけになったのです。
勿論、それらの運営が全て順調であったわけではありません。多くの困難、対立、葛藤がありました。
しかし、それらを乗り越えて成し遂げた時の充実感と感動は、私の人生の中でも他と比べようのない得難い経験と言えます。
その頃に「競争原理を超えて」を「参考図書」として読みました。
ある意味、私の高校三年間は「競争原理を乗り越え」る為の挑戦であった、と言えるかもしれません。
何十年か振りに、もう一度読み直してみようかな。
2012-02-23 投稿者 : yasu
[C14948] かけ算の順序
(前略)
最後に、遠山啓著「いかに生き、いかに学ぶか」について書かれたものとして↓をご紹介。
http://maimai3.dreamlog.jp/archives/51634109.html
http://maimai3.dreamlog.jp/archives/51634181.html
2012-02-24 投稿者 : ふなぼりすた
[C14953] かけがえのないこの自分
>村野瀬さん
私のコメントを取り上げてくださってありがとうございます。今思うと私の中学、高校時代は「受験戦争」は現在よりも激しかったように思います。親である昭和一ケタ世代はまだ、大卒の学歴を持つ人はまれで、高卒も少なかった。それが高度成長で豊かになり、子どもたちを進学させる余裕が出て来た。また、「良い高校→良い大学→大企業→高所得→生涯安泰」という、現在、かなりひび割れて来ているとはいえ、いまもなお、多くの人たちに信奉されてる価値観が急激に広まったころでもありました。私の育った県は東京のベッドタウンとして人口が急増し、あちこちに団地が出来て、子どもを持つ若い家族がたくさん引っ越してきました。しかし、公立高校の数はまだ少なく、志望しても高校に進学できない「中学浪人」まで出てしまうありさまで、公立中学の教師たちも自分のクラスから浪人生を出すまいと血眼になっていました。
民間の学力テストである「北辰テスト」というものが、しばしば学校で行われ、それに従って出る「偏差値」が事実上、どのランクの高校(大学)を受験できるかを決める指標であり、つまりはその人の将来の人生の“クォリティ”を、その人自身の価値さえをも決めるかのように思われていたものです。(今思えば、馬鹿げたことですが、当時は笑いごとではありませんでした)
私の通った公立中学は元々田園風景の中にあるのんびりした学校だったのですが、私が入学したころには、近くに大きな団地が二つも出来たこともあって、急激に「受験校化」してしまいました。学年が進むにつれて、皆が偏差値ばかりを気にするようになり、「おまえの今の偏差値なら、(進学先は)この高校になるぞ」とか、偏差値だけで教師に決めつけられるのも嫌でした。私は初めのころは、成績は悪くはなかったのですが、そんな雰囲気の中で授業を受けるのが嫌で、次第に教科書の後ろに隠して好きな小説ばかりを読みふけるようになり、成績はどんどん下がりました。卒業するころには、高校に進学する気も無くしていたくらいだったのですが、当時の雰囲気の中ではそれも許されず、(その地域において、高校に進学しない子はほとんど「例外的な存在」になっていました)なんとかある高校に滑り込んだものの、そこがまた、旧制中学の後身である伝統校をライバル視する「後発の進学校」で、教師たちは一人でも多く名門大学に送り出すことを目標にして、生徒にハッパをかけていました。
そんな頃、私はふと疑問に思ったことがあります。
「結局のところ、試験のため(競争に勝つため)に学ばされている知識などは、“知性”とは何の関係もないのではないか?」と。
「人間の“本当の知性”は、このようなやり方では育たないのではないだろうか?」
漠然とそのような疑問を持った記憶があります。そして後に遠山啓さんの『競争原理を超えて』を読んだ時、その直感はある程度、当たっていたのではと感じました。
ところで、この前のコメントを書いた後、『競争原理を超えて』について検索していたら、作家で、数学に関係する著作もある金重明さんのブログに行き当たりました。やはり、30年ほど前にこの本を読まれていたようですが、私の感想などよりはるかに優れていると思うので、ご紹介します。
金重明のブログ 遠山啓著「競争原理を超えて」
http://ameblo.jp/europa2718/entry-11096200725.html
金さんは、残念ながら遠山さんがこの本の中でした予言(願い)が外れてしまい、その後の日本がますます、競争原理に励んできたこと、そして当時よりも社会の中の格差は広まってしまったという現実を踏まえつつ、大阪維新の会の教育基本条例案を批判しておられます。
>y さん
y さんは学校の先生なのですか。私は教師ではないので、実際の現場のことはわかりませんが、それぞれの先生に理想はあっても、現場でそれを追求していくのは難しいことなのでしょうね。それでも、「現実はこうなのだから」と諦めてしまわずに、生徒さんたちと真摯に向き合おうとする先生が、今もこの国に居てくださることは、とても頼もしいことです。(自分のことを省みますと、そうした数少ない先生との出会いは、今も心に残ります。)
ところで、y さんのコメントを読んでいて、遠山啓さんのもう一つの著書、『かげがえのないこの自分』という本があったことを思い出しました。題名の通り、それぞれの青少年たちに「この宇宙でただ一つの、かけがえのないこの自分の存在」というものを発見して、それを大切に生きていってほしいと願って書かれていたように思います。内容を少しご紹介したいのですが、現在、私の手元にはないので、具体的なことを思い出せません。
検索したら、こちらのブログで紹介されていました。
「手作りの自由学校」訪問記 ヨーロッパ編
かけがえのないこの自分 ~遠山啓~
http://blogs.yahoo.co.jp/nonoeda2007/49207921.html
(引用された部分は、ともすれば自己否定に陥りがちな現代の高校生に向かって、遠山さんが書いた手紙という形式をとっています。)
ところで、このブログは現在更新が止まっているようですが、その前々回のエントリーを読むと、ブログ主さんはなんと、
>状況は・・・ただいま話題に登っている大阪府内の、とある公立学校内へ「学力向上のために」と9月から派遣された講師が、私なワケで・・・いわゆる「少人数指導」の5年算数を受け持っている。
という方でした。(日付は橋下氏が大阪府知事に当選した年、2008年の12月です)
2012-02-24 投稿者 : 風鈴草
[C14955]
一応わたくしもビジネスマンつうか会社員なのですが、ビジネスの現場でも「競争」=「売上またはシェア至上主義」への反省は出てきています。
売上やシェアは確かに社員の士気向上や投資家への説明はしやすい。しかし先日話を聞いた大学教授によると、1960年代からの日本の一部上場企業の売上と利益を調査したところ、売上は一貫して拡大してるのに対し、70年代以後売上と利益は連動しなくなった。
いくら売っても利益は出ない。これでは本末転倒。
利益が取れなければ無理に競争に参加しない企業は着実に業績を伸ばしている。
それが社員、顧客、投資家、あらゆる関係者にとってハッピーなんです。
過剰な競争は人を幸福にしない。
それこそヴァーチャルな自己満足にすぎない。
商売には競争の面もあるけど、究極的には「共生」なのです。
2012-02-24 投稿者 : なめぴょん
[C14989] >風鈴草さま
私は地元の寺子屋みたいなところで、小学生から高校生までの子供たちにいろいろ教える仕事をしています。そこのボスは、とにかく子供たちのことを考えている人物です。「必ずどの子にも、ヘレン・ケラーでいう『水』にあたるものがあるはずで、それを何とかして体験させてやりたい」と語っておられたのをよく覚えています。あまりビジネスとして汲々としていなくとも、子供たちの弟妹や友人知人が次々と入ってきて、業績は右肩上がりだそうです。
>実際の現場のことはわかりませんが、それぞれの先生に理想はあっても、現場でそれを追求していくのは難しいことなのでしょうね。それでも、「現実はこうなのだから」と諦めてしまわずに、生徒さんたちと真摯に向き合おうとする先生が、今もこの国に居てくださることは、とても頼もしいことです。
私もそうありたいと強く思っています。
現場ではいろいろ考えることもあるのですが、「葛藤」しない人にだけはならないようにしよう、「葛藤」からは逃げないようにしよう、と気をつけています。
ある教育産業の会社の面接で、そこの室長に「私の目標はビジネスで成功することです」とはっきり言われ、ここでだけは働くものかと思いました(ちなみにその室長は私の面接の途中、通ってくる生徒の層について「まるで動物園みたいです」と説明していました)。
ビジネスでの成功を目指すことは別に悪くありません。ただ、その自信たっぷりな感じに恐怖を感じました。多少なりとも教育産業と関わって、子供たちと向き合ってきた私からしてみれば、そういうことを何の葛藤もなく断言するのは信じられませんでした。
この講習を受講させれば当方は潤うが、生徒にはあきらかに不要だと思う時にはどうするのか。
あの学校に受かれば確かに宣伝にはなるが、それってその子の幸せにつながるのか。
こういう指導をした方が絶対にいいのだが、こちらのリソースには限界があって難しい。逆に適当に手を抜いて「こっちは精一杯やりました」と説明しても保護者にはばれない。ではどうするか。
自分はこの方針がいいと思うが、自分のいる組織はそれに反対している。だが子供のことを考えると組織のやり方ではだめだ。どうするか。
そういう場面はたくさんあります。彼は一度もそういうことを考えたことがないのでしょうか。特に組織と現場の板挟みになって苦悩した様子が感じられないのにはがっかりしました。
茨木のり子の有名な詩のこの言葉を思い出します。
--------
大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
(汲む -Y・Yに-)
--------
この仕事に慣れたと思い始めた時が、私の堕落の始まりだと思っています。長くしていればある程度のノウハウは身につくでしょうが、それはただの技術でしかありません。
別に組織の利益と子供たちの教育の相反だけではなく、あれこれ考えなくてはならないことは山のようにあります。何せ人間相手の仕事です。ルーチンワークなんかでは絶対にできません。ボスも「授業準備はちゃんとしろ、だが絶対に準備はするな」と新人指導をしています。現場なんてアドリブだらけです。
私のいるところは寺子屋規模ですから、目の前の生徒は1人(多くて3人程度)。そして週に1コマのおつきあいです。それでも生徒と向き合い、相手のことを真剣に考えながら教えるのは難しいものです。実は今日も、私がちゃんと生徒のことを見ていないとボスから指導を受けて、たった今しょんぼりしながら帰って来たところです。ですから風鈴草のおっしゃるように、学校で真摯に取り組まれる先生というのには本当に頭が下がります。すごいことだと思います。
私の人生は先生運(という言葉はたぶんないでしょうが)に恵まれたようで、習い事でも学校でも塾でも、そんな真摯な先生方に教わることができました。私もそういう指導をしたいものです。
2012-02-27 投稿者 : y
築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守りたい。
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■2012-02-19
【追加募集:2月28日消印☆】「築地市場移転予定地の取得に関する監査請求」にご協力を!
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-11169418853.html
↑『がけっぷち社長』さん作。また、税制についての当秘書課の記事は、「カテゴリ : 税制、税金、財政」から。
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●Search for Law & Cases: 世界の憲法・法律・判例の検索
●国際刑事裁判所(ICC)と日本
●国境なき法律家たち(英語)
●勝田清孝と来栖宥子の世界
Author:村野瀬 玲奈
日本の民主主義化運動のため、国会議員、行政機関、マスメディアに主権者、納税者、生活者の声を届けるお手伝いをするサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」秘書。公約はこちら(笑)。
現在、こちらの通り、コメントは「管理人承認制」、トラックバックは「承認なしでの表示、事後の承認または削除」としています。
■反「嫌韓」FAQ(仮)
■2010年2月に閉鎖されてしまった「米国からの便り」の拳志郎さんが集めた歴史関係、社会保障・労働政策関係の資料集
■「永遠の嘘をついてくれ」――「美しい国」と「無法者」の華麗なデュエット 前編
■「現在の価値観で過去を見る」歴史学上の意味 (1) (現在はプライベートモードですが、この記事はとても有益でした。)
■「現在の価値観で過去を見る」歴史学上の意味 (2)
■「現在の価値観で過去を見る」歴史学上の意味 (3)
■「現在の価値観で過去を見る」歴史学上の意味 (4)
●南京事件を認めると謝罪と賠償が求められ国益を損なう?
●朝鮮人戦時動員FAQ<試作版>
●Apes! Not Monkeys! 本館
●Apes! Not Monkeys! はてな別館
●ぐるぐる(日本人の美徳) (gurugurian) on Twitter
●歴史修正主義のウソを暴く
●もちつけblog(仮) 「謝罪」、責任をきちんと認めるということ -中尾知代『日本人はなぜ謝りつづけるのか』について-
●日本人ジョーク(bot) (Japanese_Joke)
国会で答弁した当時は(佐川宣寿は)財務Takeshi自民党・豊田真由子衆議院議員が秘書に加えた暴力がすさまじい。高学歴モンスター 精神科医である片田洙美氏が「高学歴モンスター 一流大学卒の迷惑な人たち」(小学館新書)で豊田真由子元衆議院議員のことを的確に分析・整理していたので紹介します。Takeshi天皇制は日本国民分断の象徴だと思える。君主主義と民主主義は両立するのか。 天皇機関説が論争になっていたころ,天皇陛下を機関車に例えるとはなにごとか,と憤慨した人がいたそうです。今で言うネトウヨのさきがけでしょうか。
渡辺錠太郎教育Takeshi日米貿易協定(日米FTA)は将来、日本の産業と国民生活の多くの面に悪影響を及ぼす。反対。ローマ法王が来てますね。ローマ法王がいま来てさんざんテレビに出てますが、何故、核を落としたかが問題です。朝鮮半島が分断したままであるのは、核の投下があったからだと私は考えています。柿ノ木潜蔵日米貿易協定(日米FTA)は将来、日本の産業と国民生活の多くの面に悪影響を及ぼす。反対。韓国と北朝鮮。韓国とは、日韓併合前の状態に戻そうとして大日本帝国から独立した勢力であり、北朝鮮とは、日韓併合後の大日本帝国の状態をそのまま維持しようとする勢力なのかと私には思柿ノ木潜蔵。日本における愛国者のお手本No title>>#日本の愛国者は他人の財産、生活、生命、思想を犠牲にして自分の利益を増大させることができなければならない。
非常に的を射ていると思いますが、あえてもう一どんぱ嫌韓の代償を払う日本日露戦争開戦前、韓国は中立を表明していたが、日本は開戦後に韓国に戦争の協力を求め、第一次日韓協約を締結する。日露戦争後に結ばれたポーツマス条約で日本は韓国に対する指柿ノ木潜蔵。ある素敵な国歌No titleコメントの皆様も含めて、すごく興味深く読ませていただきました。
私も、30年近く前に、一度だけ生で歌と踊りを聞いたことがあります。子どもにしてはチケットが高価でDANGER MELON嫌韓の代償を払う日本差別をする人差別をする人は、それだけで十分幼稚ですので、経済とか立地条件とか、商売とか、難しいことわかんないんですね。
小学生でも差別は最低だって、知ってるんですけどね。DANGER MELON日米貿易協定(日米FTA)は将来、日本の産業と国民生活の多くの面に悪影響を及ぼす。反対。国民の生活は破壊されます安倍自民党政権が進める日米貿易協定(日米FTA)によって日本国民の生活はどうなるか。
弱肉強食、格差拡大に拍車がかかりその結果、
ホームレスor行き倒れ等の餓死者or刑閉口日米貿易協定(日米FTA)は将来、日本の産業と国民生活の多くの面に悪影響を及ぼす。反対。日米FTAについての記事ありがとうございます日米FTAについて、いろいろととりあげていただいて、
まことに感謝します。
ありがとうございます。
良い仕事しています。
お忙しいなか、おつかれさまでした。かせだ勝太嫌韓の代償を払う日本朝鮮人に恣意的に日本国籍を付与・剥奪してきた日本政府 1910年の韓国併合により,朝鮮人は自らの意思にかかわりなく日本国籍を持つ「帝国臣民」として取り扱われることになりました。
日本政府は朝鮮戦争勃発後,在朝日本人Takeshi嫌韓の代償を払う日本日米FTAはどうしました?日韓関係の事も大いに取り上げたらいいと思います。
しかしながら、以前貴ブログで何度か取り上げたはずの、日米FTA、いままさに国会で、衆議院本会議で11月19日にも採決さかせだ勝太日本政府・行政お抱えの広報機関となっている、笑えない吉本興業NHKなど主要マスコミ桜を見る会の報道については、こちらなどではアベチャンネルなどと揶揄されるNHKが意外と頑張っているという見方を見ることがあります。
今、とても大切な押し切れるかもsuterakusoローマ法王が元従軍慰安婦の被害者女性と面会ローマ教皇フランシスコまもなく来日 ローマ教皇フランシスコがまもなく来日するにそなえて,学校法人上智学院は2019年10月26日にマスコミを対象としたミニ講義と質疑応答を上智大学で実施しました。答えたのTakeshi首相になった63歳児ちょっと作ってみました。 ちょっと俳句を作ってみました。、
季語がないのはご容赦ください。
・ 野次言うな こんな人たち 拘束し
・ 野次言うぞ 安倍が手をすり 足をする
・ Takeshi鳥取県の女性差別的婚活パンフヨルダンにおける女性を抑圧する男性後見人制度に関心を持とう。 ヨルダンにおいては,女性が婚外での性交渉や後見人の許可を得ない無断外出をすれば,当局に拘禁されたり「処女テスト」を強要されるおそれがあります。婚外で出産すればTakeshi嫌韓の代償を払う日本「在日韓国・朝鮮人」とは 金村詩恩さん(1991年生まれの日本籍在日コリアン3世)が次のように述べています。
「わたし,『北朝鮮』じゃなくて,『朝鮮』って言ってほしいんですよね」。
民族Takeshi嫌韓の代償を払う日本3・1独立運動100周年をめぐる韓日政府の動き 長尾有起氏(日本基督教団から韓国基督教長老会へ派遣されたミッション・コーワーカー,いわゆる宣教師)は次のように述べています。
この原稿の依頼をいただいた際,Takeshi嫌韓の代償を払う日本「反日」と「嫌韓」 長尾有起氏(日本基督教団から韓国基督教長老会へ派遣されたミッション・ワーカー,いわゆる宣教師)が次のように述べています。
日本に一時帰国すると,韓国におけるTakeshi嫌韓の代償を払う日本韓日関係悪化を憂慮する石破茂衆議院議員 佐藤優氏は,石破茂衆議院議員について,次のように触れています。
<石破氏は記者団の取材に応じ,泥沼化する日韓関係の悪化に触れ,安倍政権の対応ぶりを念頭に,Takeshi嫌韓の代償を払う日本女性差別的な安部政権 菊地夏野氏(名古屋市立大学教員)は,安倍政権は女性差別的であると論じています。
まず,「慰安婦」問題がここまで紛糾しているのは,日本政府の政治的責任が大きTakeshi嫌韓の代償を払う日本歴史修正主義の戦略 倉橋耕平氏(立命館大学ほか非常勤講師)があいちトリエンナーレをめぐる騒動は「歴史修正主義の大勝利」であると論じました。
歴史修正主義が「歴史を見直すくらいTakeshi天皇制は日本国民分断の象徴だと思える。象徴としての天皇(2) インターネットを見ると,安部は天皇を政治利用していると言う人がいるが,それは本質を見誤っている,象徴というものは政治利用されるものなのである,と指摘した人がいTakeshi鳥取県の女性差別的婚活パンフヒジャブ着用に抗議して逮捕されたイラン女性を救おう! 2019年3月8日の国際女性デーに,イランの女優であるヤサマン・アリヤニさんは地下鉄の車両にヒジャブを脱いで乗り込みました。そして,「いつの日か,すべての女性が好きTakeshi嫌韓の代償を払う日本代償を払うのは当然の帰結日本帝国主義支配の犠牲者である徴用工。
安倍政権は日韓基本条約で解決済みという立場をとっています。
(日韓基本条約は1965年6月、韓国内の激しい反対運動を無視し閉口節約を勧める日本経済新聞は経済にとって役に立たない有害な存在になった。改めて消費税増税に反対。消費税増税後1カ月を経過10月1日に悪名高い消費税が8%から10%に引上げられ1カ月が経過しました。
庶民の生活はより一層苦しくなりましたが、どうしたことかこれに反発する声がほとんど起閉口日本政府・行政お抱えの広報機関となっている、笑えない吉本興業吉本よ!おまえもか吉本興業が安倍政権、行政お抱えの広報機関に転落。
笑えない吉本になってしまいました。
吉本に限らず芸能関係、メディア、司法等々ありとあらゆるものが安倍政権に忖度し閉口世界中に知られる麻生太郎氏の放言癖宰相の器 古代国家においては料理人が非常に重要な意味をもち,大変な地位があったそうです。
中国では,約2万年前の殷の時代に国家の中枢として料理人が選ばれたという記述がTakeshi死刑FAQ (適宜更新)死刑囚に恩赦は適用されないのか。2019年10月26日,アムネスティ・インターナショナル日本 活動・事業計画会議に出席してきました。
アムネスティの最高意思決定機関であるグローバル会議の会合
(GAMTakeshi