コメント
メディア最大のタブー「電通」は日本人を洗脳し続けた黒幕だった!?
http://www.cyzo.com/2012/02/post_9921.html
(前略)
――電通は、ある意図を持ってテレビをコントロールしているのですか?
苫米地 そう。一例として、『洗脳広告代理店』の中では、米国巨大金融資本の依頼を受け、「郵政民営化」の流れを作る上で電通が動いていたという説を紹介している。このことを指摘した政治評論家の森田実さんは、その後、テレビから干されてしまった。森田さんは、その裏では莫大な金が動いていた、とまで指摘しているんだ。実際、今から振り返ると、小泉政権が大勝した2005年の"郵政選挙"の時の日本の空気は異常だった。あれは、小泉さんのパーソナリティが突出していただけでなく、テレビを中心としたマスメディアが、郵政民営化を是とする空気を作り出していた。その証拠に、当時、自民党に投票した人に聞いてみるといいよ。「郵政民営化のメリットはなんですか?」って。ロジカルに答えられる人はほとんどいないはず。あの時は、多くの人が論理を抜きに郵政改革を支持してしまったんだ。テレビの洗脳的効果が発揮されたんだよ。
――『洗脳広告代理店』では、米国と電通の関係にも踏み込んでいますね。
苫米地 推測を絡めてだけど、電通が郵政民営化を含め、なぜ米国の意向を汲んだ動きをするのかを、歴史的事実をもとに言及している。かなり大胆に踏み込んで書いたよ。そこはぜひ本書で確かめてほしい。ここまで書いたら、私は二度とテレビからお声はかからないかもね(笑)。
――出版後の反響はどうですか?
苫米地 電通社員の知り合いも多いんだけど、この本を読んで、本質的な反論をしてくる人はいないよね。自分たちのしている仕事の不条理さは、当事者としてわかっているんだろう。と同時に、問題があるとわかっていても、彼らにはどうしようもないというあきらめもあるみたい。ただ、私は本書の中では、電通や広告業界、メディア業界、そしてそれに対峙する国民の今後のあるべき姿も提示している。権力者側にいるメディアを取り戻すために、ぜひ国民一人ひとりが考え、行動をするためのきっかけにしてほしいんだ。
Amazon.co.jp: 電通 洗脳広告代理店: 苫米地英人: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4904209192
消費税増税/GDP2.5%低下、雇用115万人減/日本経済“奈落の底”
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-22/2012022201_02_1.html
非正社員の比率35%、過去最高を更新 11年 : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2012/02/22123020.html
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独裁者のハシスト党を礼賛する、メディアの最近の傾向とも、関連しているかもしれない。
コイズミ改悪の再来か。
競争原理というより競争原理主義ですか
教育に競争は必要かというと、私は必ずしも必要だとは思いません。ただし手段としては有効な場合もあります。「競争が必要か否か」という論を見ると、世界はそんなに単純なのかと疑問に思ってしまいます。競争は「原理」ではないというのが私の考えです。
では教育に何か「原理」のようなものがあるかというと、正直なところよく分かりません。分からないけれど、とりあえず今の私が「これか?」と思っているものはあります。本人を肯定することです。
これも言葉にして説明するといろいろ難しく、取りこぼしが出てしまうのですが、本人の人格をとにかく否定してはだめです。「どうせ自分なんて」と思われてしまったら、教えているこちらの失敗です。
子供たちの人格を全肯定するっていうのは、「無理やり褒める」とか「叱らない」とか「宿題を出さない」とか、そういう安っぽいものではありません。教える側はものすごくリソースを消費します。だから学校では難しいでしょうし、取り組まれている先生には頭が下がります。
本人が競争をよろこび、それで自信をつけてくれて能力も上がるなら、手段として競争を取ることは私もあります。でもその場合には、競争相手はどう思っているのかとか、負けた側が必要以上に落ち込んでしまわないかとか、あれこれ考えます。こんなに慎重に当てはめなければならないものが「原理」なのか? というのが素朴な感覚です。「別れろ原理」を持ち出して、恋愛相談には全て「別れろ」とアドバイスする、くらいの乱暴さを感じます。
また、確かに世は競争に満ちていますが、世の競争に勝つ力は、児童生徒のうちに自分も競争することによって身につくものでもないと思います。それよりは、自分に自信を持つことの方がよほど意味があります。競争そのものを多く体験するより、成功体験を積んだ方がずっといい。そのほうが、競争に勝てる力につながるはずです。「競争で勝たないとだめだ」というのは、負けたらお前は認められない、というメッセージを発することでもあると思いますが、そんなこと私には怖くてとてもできません。わざわざ畏縮させ、やる気をなくさせてどうするんですか(ただしそれでやる気が出る人もいるので、そういうときには競争を煽ります。難しいです)。
そもそも世の「競争」というのが、社会人(?何それ)になって経済的に勝つことに限定されすぎているのも、私としては違和感があります。確かに必要なこととは思うけど、人の世はそんなに単純じゃないのです。経済的に豊かにならないと幸せになれないのは事実ですし、認めます。一方で、経済的に勝つことだけをよしとする(あるいはそれが教育の最終目標になる)ような社会って、あまり幸せそうな感じがしません。だってそれって、経済的に貢献できなくなったら存在意義がなくなる社会なわけでしょう。
こんなに複雑で多様な世で、人間というこれまた複雑で面白いものを育てているのに、教育で教えるのが経済競争に勝つ方法って、ちょっと貧弱すぎませんか。それにそういう教育は、そもそも世の競争が熾烈すぎる(負けたら本当に死ぬ)ということに対する批判の可能性を失くしてしまうことになると思います。現実を受け止めて対処するのと、現実を肯定するのとはぜんぜん違いますし。
子供たちが自分を肯定的にとらえるようになると何がかわるか。実感として彼らは「しゃべる」ようになります。つまり自分の意見を(あくまで本人基準で)堂々ととこちらに述べるようになります。こっちはそうなると小躍りしたくなります。話を聞きながら絶対に相手を頭ごなしに否定しない、こっちはなるべく話をしないで聞き役に回る、そうしてさらに本人の自己肯定感(ああ、聞いて貰えてるなあ、という気持ち)を高めます。そして相手の発言に感動したことを隠さず(感動しているのだから普通にすればいいのですが)、相手を褒めながら(必ず褒めるところはあります)、こちらから反論する。そういう練習を繰り返していくと、それこそコミュニケーション力も上がるし、合理的な考え方も身についていきます。
直接的には、こういうのがいわゆる競争力につながるはずです。だって「自分で考え、その意見を人とすり合わせることができる」って重要でしょう。自分に自信がなかったり、トンチンカンな発言をしたと叱られた体験を持っている人にはこういうことは難しい。で、こういう能力が競争で身につくとはとても思えません。
このタイトルを観て、個人的に大変懐かしく感じました。
少し私の高校時代の話をさせてください。
私が通っていた大阪の府立高校は大変ユニークな学校でした。
高校生活の目標を「学習」「クラブ活動」「ホームルーム活動」の三つの柱の鼎立とし、特に「ホームルーム=自治活動」の充実という点に特徴がありました。
つまり、高校入学後間も無くある「遠足」から最後の「卒業式」に至るすべての行事が基本的には生徒達自身によって計画、運営される、ということです。
そしてそれらは、「みんなは一人のために、一人はみんなのために」という精神と、「全員で徹底的に討論し、最終的に決定した事は全員で守る」という民主主義の原則に則ったものでした。
中でも、最大の行事である「文化祭」では「戦争と平和」「人権」「差別」に関する様々な「社会問題」について、読書やフィールドワークによって学習を深めた内容を展示発表しました。
そのことを通じて、過去の侵略戦争における加害事実や「日米安保」の矛盾、「在日」や「身体障害者」等の社会的マイノリティへの差別の歴史と実態を知るきっかけになったのです。
勿論、それらの運営が全て順調であったわけではありません。多くの困難、対立、葛藤がありました。
しかし、それらを乗り越えて成し遂げた時の充実感と感動は、私の人生の中でも他と比べようのない得難い経験と言えます。
その頃に「競争原理を超えて」を「参考図書」として読みました。
ある意味、私の高校三年間は「競争原理を乗り越え」る為の挑戦であった、と言えるかもしれません。
何十年か振りに、もう一度読み直してみようかな。
おかねの公共性120205
利己性と利他性120218
かけ算の順序
ここ数年、ごく一部の界隈で「第n次『かけ算の順序』論争ブーム」だそうで。
それにしても、遠山啓が「順序派総本山」だと誤解している人が多いのには正直驚かされました(遠山啓のことを少しでも知っている人は、こんなこと想像もしないと思うのですが)。
これについて、「遠山啓は『かけ算の順序』についてどう考えたか」というブログを書かれている方いらっしゃいましたので紹介します。
>http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33805606.html
現在多くの小学校では、学習指導要領に従い、かけ算について「ある一方の順序」しか認めません。
しかしこの問題は、
「『考えること、試行錯誤すること、自力でできること』よりも『あらかじめ決められた不当なルール通りにできること』に価値がある」とする点、
「『国際ルールの存在』を無視して『ローカルルールの刷り込み』に固執する」点、
そしてなによりも「『本質』よりも『強制』を優先させる」点において、
君が代・日の丸の強制と相似形です。
「数学教育」を「愛国教育」の露払い役としてはなりません。
平和運動にもかかわっていた遠山啓が、今の教育現場を見たらなんと言うでしょう。
「数学の本質は、その自由性にある」とはカントールの言。
この場合の「自由」とは「どちらを『1あたりの数』とするか」。
しかし、「ある一方しか「1あたりの数」として認めない」ということは、その「自由を学ぶ」恰好の材料である算数/数学教育に対する「不当な政治介入」なのです。
最後に、遠山啓著「いかに生き、いかに学ぶか」について書かれたものとして↓をご紹介。
http://maimai3.dreamlog.jp/archives/51634109.html
http://maimai3.dreamlog.jp/archives/51634181.html
かけがえのないこの自分
私のコメントを取り上げてくださってありがとうございます。今思うと私の中学、高校時代は「受験戦争」は現在よりも激しかったように思います。親である昭和一ケタ世代はまだ、大卒の学歴を持つ人はまれで、高卒も少なかった。それが高度成長で豊かになり、子どもたちを進学させる余裕が出て来た。また、「良い高校→良い大学→大企業→高所得→生涯安泰」という、現在、かなりひび割れて来ているとはいえ、いまもなお、多くの人たちに信奉されてる価値観が急激に広まったころでもありました。私の育った県は東京のベッドタウンとして人口が急増し、あちこちに団地が出来て、子どもを持つ若い家族がたくさん引っ越してきました。しかし、公立高校の数はまだ少なく、志望しても高校に進学できない「中学浪人」まで出てしまうありさまで、公立中学の教師たちも自分のクラスから浪人生を出すまいと血眼になっていました。
民間の学力テストである「北辰テスト」というものが、しばしば学校で行われ、それに従って出る「偏差値」が事実上、どのランクの高校(大学)を受験できるかを決める指標であり、つまりはその人の将来の人生の“クォリティ”を、その人自身の価値さえをも決めるかのように思われていたものです。(今思えば、馬鹿げたことですが、当時は笑いごとではありませんでした)
私の通った公立中学は元々田園風景の中にあるのんびりした学校だったのですが、私が入学したころには、近くに大きな団地が二つも出来たこともあって、急激に「受験校化」してしまいました。学年が進むにつれて、皆が偏差値ばかりを気にするようになり、「おまえの今の偏差値なら、(進学先は)この高校になるぞ」とか、偏差値だけで教師に決めつけられるのも嫌でした。私は初めのころは、成績は悪くはなかったのですが、そんな雰囲気の中で授業を受けるのが嫌で、次第に教科書の後ろに隠して好きな小説ばかりを読みふけるようになり、成績はどんどん下がりました。卒業するころには、高校に進学する気も無くしていたくらいだったのですが、当時の雰囲気の中ではそれも許されず、(その地域において、高校に進学しない子はほとんど「例外的な存在」になっていました)なんとかある高校に滑り込んだものの、そこがまた、旧制中学の後身である伝統校をライバル視する「後発の進学校」で、教師たちは一人でも多く名門大学に送り出すことを目標にして、生徒にハッパをかけていました。
そんな頃、私はふと疑問に思ったことがあります。
「結局のところ、試験のため(競争に勝つため)に学ばされている知識などは、“知性”とは何の関係もないのではないか?」と。
「人間の“本当の知性”は、このようなやり方では育たないのではないだろうか?」
漠然とそのような疑問を持った記憶があります。そして後に遠山啓さんの『競争原理を超えて』を読んだ時、その直感はある程度、当たっていたのではと感じました。
ところで、この前のコメントを書いた後、『競争原理を超えて』について検索していたら、作家で、数学に関係する著作もある金重明さんのブログに行き当たりました。やはり、30年ほど前にこの本を読まれていたようですが、私の感想などよりはるかに優れていると思うので、ご紹介します。
金重明のブログ 遠山啓著「競争原理を超えて」
http://ameblo.jp/europa2718/entry-11096200725.html
金さんは、残念ながら遠山さんがこの本の中でした予言(願い)が外れてしまい、その後の日本がますます、競争原理に励んできたこと、そして当時よりも社会の中の格差は広まってしまったという現実を踏まえつつ、大阪維新の会の教育基本条例案を批判しておられます。
>y さん
y さんは学校の先生なのですか。私は教師ではないので、実際の現場のことはわかりませんが、それぞれの先生に理想はあっても、現場でそれを追求していくのは難しいことなのでしょうね。それでも、「現実はこうなのだから」と諦めてしまわずに、生徒さんたちと真摯に向き合おうとする先生が、今もこの国に居てくださることは、とても頼もしいことです。(自分のことを省みますと、そうした数少ない先生との出会いは、今も心に残ります。)
ところで、y さんのコメントを読んでいて、遠山啓さんのもう一つの著書、『かげがえのないこの自分』という本があったことを思い出しました。題名の通り、それぞれの青少年たちに「この宇宙でただ一つの、かけがえのないこの自分の存在」というものを発見して、それを大切に生きていってほしいと願って書かれていたように思います。内容を少しご紹介したいのですが、現在、私の手元にはないので、具体的なことを思い出せません。
検索したら、こちらのブログで紹介されていました。
「手作りの自由学校」訪問記 ヨーロッパ編
かけがえのないこの自分 ~遠山啓~
http://blogs.yahoo.co.jp/nonoeda2007/49207921.html
(引用された部分は、ともすれば自己否定に陥りがちな現代の高校生に向かって、遠山さんが書いた手紙という形式をとっています。)
ところで、このブログは現在更新が止まっているようですが、その前々回のエントリーを読むと、ブログ主さんはなんと、
>状況は・・・ただいま話題に登っている大阪府内の、とある公立学校内へ「学力向上のために」と9月から派遣された講師が、私なワケで・・・いわゆる「少人数指導」の5年算数を受け持っている。
という方でした。(日付は橋下氏が大阪府知事に当選した年、2008年の12月です)
なめぴょん
売上やシェアは確かに社員の士気向上や投資家への説明はしやすい。しかし先日話を聞いた大学教授によると、1960年代からの日本の一部上場企業の売上と利益を調査したところ、売上は一貫して拡大してるのに対し、70年代以後売上と利益は連動しなくなった。
いくら売っても利益は出ない。これでは本末転倒。
利益が取れなければ無理に競争に参加しない企業は着実に業績を伸ばしている。
それが社員、顧客、投資家、あらゆる関係者にとってハッピーなんです。
過剰な競争は人を幸福にしない。
それこそヴァーチャルな自己満足にすぎない。
商売には競争の面もあるけど、究極的には「共生」なのです。
>みなさん
>風鈴草さま
>実際の現場のことはわかりませんが、それぞれの先生に理想はあっても、現場でそれを追求していくのは難しいことなのでしょうね。それでも、「現実はこうなのだから」と諦めてしまわずに、生徒さんたちと真摯に向き合おうとする先生が、今もこの国に居てくださることは、とても頼もしいことです。
私もそうありたいと強く思っています。
現場ではいろいろ考えることもあるのですが、「葛藤」しない人にだけはならないようにしよう、「葛藤」からは逃げないようにしよう、と気をつけています。
ある教育産業の会社の面接で、そこの室長に「私の目標はビジネスで成功することです」とはっきり言われ、ここでだけは働くものかと思いました(ちなみにその室長は私の面接の途中、通ってくる生徒の層について「まるで動物園みたいです」と説明していました)。
ビジネスでの成功を目指すことは別に悪くありません。ただ、その自信たっぷりな感じに恐怖を感じました。多少なりとも教育産業と関わって、子供たちと向き合ってきた私からしてみれば、そういうことを何の葛藤もなく断言するのは信じられませんでした。
この講習を受講させれば当方は潤うが、生徒にはあきらかに不要だと思う時にはどうするのか。
あの学校に受かれば確かに宣伝にはなるが、それってその子の幸せにつながるのか。
こういう指導をした方が絶対にいいのだが、こちらのリソースには限界があって難しい。逆に適当に手を抜いて「こっちは精一杯やりました」と説明しても保護者にはばれない。ではどうするか。
自分はこの方針がいいと思うが、自分のいる組織はそれに反対している。だが子供のことを考えると組織のやり方ではだめだ。どうするか。
そういう場面はたくさんあります。彼は一度もそういうことを考えたことがないのでしょうか。特に組織と現場の板挟みになって苦悩した様子が感じられないのにはがっかりしました。
茨木のり子の有名な詩のこの言葉を思い出します。
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大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
(汲む -Y・Yに-)
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この仕事に慣れたと思い始めた時が、私の堕落の始まりだと思っています。長くしていればある程度のノウハウは身につくでしょうが、それはただの技術でしかありません。
別に組織の利益と子供たちの教育の相反だけではなく、あれこれ考えなくてはならないことは山のようにあります。何せ人間相手の仕事です。ルーチンワークなんかでは絶対にできません。ボスも「授業準備はちゃんとしろ、だが絶対に準備はするな」と新人指導をしています。現場なんてアドリブだらけです。
私のいるところは寺子屋規模ですから、目の前の生徒は1人(多くて3人程度)。そして週に1コマのおつきあいです。それでも生徒と向き合い、相手のことを真剣に考えながら教えるのは難しいものです。実は今日も、私がちゃんと生徒のことを見ていないとボスから指導を受けて、たった今しょんぼりしながら帰って来たところです。ですから風鈴草のおっしゃるように、学校で真摯に取り組まれる先生というのには本当に頭が下がります。すごいことだと思います。
私の人生は先生運(という言葉はたぶんないでしょうが)に恵まれたようで、習い事でも学校でも塾でも、そんな真摯な先生方に教わることができました。私もそういう指導をしたいものです。
検察の起訴した事件の有罪率が99%、本当に99%が有罪なのか?
そんなことは閉口日中国交正常化50年に寄せて中国とホンジュラスの国交樹立を歓迎するアメリカの裏庭といわれた中南米のホンジュラスが3月26日アメリカの圧力、妨害をはねのけ新中国との国交樹立を発表しました。
心より歓迎したいと思います。
アメリカの閉口孤独の中で援助もなく死産した技能実習生のベトナム人女性は何も罪を犯していない。リンさんへの逆転無罪判決を歓迎2023年3月24日,最高裁は死体遺棄罪に問われていたレー・ティ・トゥイ・リンさんに逆転無罪判決を下しました。これでリンさんの無罪が確定しました。たまには最高裁もまとTakeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。冤罪と死刑 過去にトンデモ発言をした萱野稔人・津田塾大学教授ですが,死刑についてはまともな議論をしていると思います。「死刑 その哲学的考察」(萱野稔人/ちくま新書)から一Takeshi差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約他人を出汁にする人間前コメントの未来さんのおっしゃる様に、誰かを嫌な気持ちにさせてやりたい攻撃性がある人ばかりが、目立ちます。
最近、そうなったのか、あるいは以前からそうだったのかK.Minaイギリスでは嘘の答弁をしたら議員失職になる可能性があるそうです。日本の自民党政府も、そうあるべきです。自民党議員が半分そんな事が日本でも適用されたら、自民党議員は半分になってしまいますね(爆笑)
忘れてました…維新もです(爆笑)
どちらも大将から嘘つきですから。K.Mina日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。カッセル大学で「平和の少女像」が撤去された。ドイツ中部の州立大学、カッセル大のキャンパスにあった「平和の少女像」が2023年3月9日,突然撤去されました。旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する少女像は昨年7月,同大学Takeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。冤罪による処刑阻止のために死刑廃止が絶対に必要。「冤罪袴田事件 検察庁は再審開始を認めた東京高裁決定に対して特別抗告をしないでください」のアクションに賛同した私は,電子署名を行いました。先日,弁護団の戸舘圭之Takeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title今回の袴田さんの再審決定の件を、メディア(特にTV)がWBCで過剰に騒いでかき消しているように見えてならないです。
冤罪を生み続ける警察・検察を徹底的に批判して、今後月乃兎袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title>検察を起訴し検察を有罪にすべきだとすら思います。
全く同感です。yoshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title『袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blogewkefc自民党の城内実・衆議院議員から国連人権弁務官への攻撃発言がひどすぎるNo title杉田水脈を総務政務官に任命したのも絶句でしたが、よりによってこいつにLGBT特命委員会事務局長をやらせる岸田文雄の思考法が全く理解できない
自民党LGBT特命委員会事務名乗るほど者ではありませんが差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約日本は永遠に「差別主義者が幅を利かす国」なんだろうな。これはWBCでの一幕なのですが、旭日旗を振り回して悦に入る日本人……
旭日旗がどのようなものなのか理解していればこんなことには、とも以前は思っていたのですが、どうも最未来バイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪決して謝罪しないアメリカが謝罪した希少例ヒトラー・ナチスの手本は、米国の黒人差別法と先住民の強制収容所だった。
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html
優生学の親玉アメリカ問題は、それを巨大檜原転石ヘイト批判記事を書いた神奈川新聞の石橋学記者を「名誉棄損」として一部敗訴させた横浜地裁判決はおかしい。石橋記者の話を聞きます石橋記者を講師にオンライン講演会をします。
詳しくは
https://jcjkikansh.exblog.jp/32922330/ywatari4障害者自立支援法訴訟、和解へ重度の障がいを持って生まれた子の養子縁組 NPO法人みぎわは,障がいを持って生まれてくる赤ちゃんの特別養子縁組をあっせんする日本で唯一の施設です。中絶は年間20万件ほどあるそうです。協力病院の産婦人科医師Takeshi死刑FAQ (適宜更新)袴田巌さんの一刻も早い無罪を切望する。 2023年3月13日, 東京高裁は「無実の死刑囚・袴田巌さん」の再審開始を決定しました。決定で注目すべきは、決定理由中に,「捜査機関が証拠を捏造した可能性が極めて高いTakeshi自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる#自民党に投票するからこうなる安倍チルドレンの高市氏は、総務大臣だった当時「行政指導に従わない放送局は電波停止にする」という恫喝発言で大炎上を巻き起こしました。
今回の文書の内容はこの恫喝発閉口強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)自民党の十八番自民党の十八番
当初は任意であるといっておきながらいざ決定となると強制にしてしまうのが自民党のやり方です。
思い出されるのは1999年に成立した国旗国歌法、大日本閉口WHO(世界保健機関)が日本人事務局長を人種差別的言動を理由に解任人種差別発言あれこれ 葛西健の人種差別発言とは,
フィリピンにある事務局での地元フィリピン人スタッフに詰問。
「太平洋地域の人々を何人殺してきたんだ?そして,さらに何人殺したいんTakeshi強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)No title 現在、市町村でマイナンバーカードを交付する際には、裏面のマイナンバー、性別、臓器提供の意思表示部分を隠すためのビニールのカバーを一緒につけています。ところが、クテシフォン議員定数を減らすと真っ先に被害を受けるのは誠実な政治を行なう政治家や政党である (大阪の例)No title「議員定数」…地方でも身分・収入が保証されれば「土建屋」だけでなくシングルマザーの方などの参政権も平等なる、否、弱者こそが政治に物申す制度を構築していかなければ月乃兎건곤감리 乾坤坎離 (独立運動記念日)/ 다이아 (DIA ダイア) (不定期連載「気まぐれK-POPプレイリスト」)韓国における過去の歴史の再検討 KPOPの話題からは外れますが,韓国における過去の歴史を再検討する16の法令が施行されていることを紹介したいと思います。
【日本の植民地支配関連】
東学農民革命Takeshi強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)税申告書先日、所得税確定申告を済ませました。税理士にお願いしました。申告書にはマイナンバー記入欄がありますが、毎年記入していません。それによるお咎め、例えば税務署からの苗とともに国際女性デー (追記あり)今年の国際女性デー近辺のできごと3月8日は国際女性デーですが,その近辺で日本で起きたことは。
3月7日,高市早苗に捏造呼ばわりされた放送法にかかる文書が公文書であることを自民党政府が認めた。
Takeshi自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる自民党が言っていることは支離滅裂 高市早苗も世耕弘成も公文書として外形は真性だが、自分に関する記述はウソだと言いだしました。いったい官僚が内容虚偽の文書を作って何の実益があるのでしょうか。公務Takeshi議員定数を減らすと真っ先に被害を受けるのは誠実な政治を行なう政治家や政党である (大阪の例)No title『議員定数を減らすと真っ先に被害を受けるのは誠実な政治を行なう政治家や政党である (大阪の例)』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9016.ewkefc自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる自民に政権担当能力もガバナンスもない「小西議員は捏造でないことを証明しろ」と高市が喚いていますね。
予想の範囲内とされている「ゴールポストの移動」を盛大にやって「何が楽しいんだ」と怒りが湧きます。アンドリュー・バルトフェルド強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議しますNo titleポイントで釣って、今度はアニメのキャラクターで押し売りする姿勢に呆れます。
引っ越しだ何だと便利だからと言って「一生のうちにどれだけ必要なんだ」、「手続きの為にアンドリュー・バルトフェルド維新の嘘の例。維新の悪政を漂白して維新ロンダリングをする不甲斐ない報道業者。 #維新に騙されるな #マスメディアへの不満 #マスメディアへの不信No title教育の無償化をはじめこれ程維新が嘘をついてるとは思いませんでした。yoshi