2010年8月15日の記事で、フランスの元サッカー選手でフランス代表試合の最多出場回数を誇るリリアン・テュラム(Lilian Thuram)がサッカー界から引退した後、社会運動家、人権活動家として2010年初頭に出版した本のことを紹介しました。『
リリアン・テュラム著 「我が黒人スターたち」 』という記事です。
その中で、少し恥ずかしく思いながらも、こんなことを書きました。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1936.html テュラムのこの本は教育的な歴史書であると同時に、生身の人間の英知と勇気の物語であり、社会の進歩のために闘うすべての人や差別と闘うすべての人への連帯の書でもあり、現実の人種差別との闘いのための武器でもある、とても読み応えのある本です。ここで紹介されているような人々がいる(いた)から人類の歴史はジグザグながらも少しずつでも進歩してきた、私もそういう人類の進歩にささやかながら貢献できるかもしれない、そういう勇気を私はこの本から得ました。私がそのような勇気を必要とする時には、この本を手に取るでしょう。
(引用ここまで)
今、いろいろな意味で、世界だけではなく、特に日本で、まさにそのような時期なのだと思っています。私自身も今、いろいろな意味で容易でない日本の政治経済司法社会的状況の中で、うちの秘書課広報室で記事を書き続けるために、そういう勇気を必要としています。
そういう勇気ある「黒人スター」の一人、アメリカ公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスが、99年前の今日、1913年2月4日に生まれています。
今回の記事では、テュラムの本でのローザ・パークスの章を紹介することによって、アメリカの公民権運動の「火花」となった彼女の誕生日を祝いたいと思います。ローザ・パークスのこと自体はすでにいろいろなところで大勢の人によって語られていますが、そこにテュラムの思いを乗せたこの本の一章によって彼女の勇気を自分の心に刻みたいと願って。
■火花 ローザ・ルイーズ・マコーリー・パークス 1913年2月4日生まれ、2005年10月24日没 ノーを言う勇気を持たなければならない。ローザ・パークスの物語はその好例である。 席を立つことを拒否したことで有名になる人がいるというのは現実離れしていると思えるかもしれない。しかし、1950年代のアメリカの人種差別主義社会では、それが自らの権利を主張する一つの方法だったのである。 1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリーで、ローザ・パークスはバスの中、「ジム・クロウ法」によって黒人に与えられていた区画の一列目に座っていた。この規則はアメリカ南部の自治体で公布されており、1876年と1965年の間、すべての公共の場所と公共機関で人種別に扱うことを強制していたものだ。ある停留場で白人客がバスに乗ってきた時、白人に割り当てられていた区画には空席がなかったので、運転手はローザ・パークスにその白人客に席を譲れと求めた。アメリカ南部の人種差別法は、白人乗客の数が彼らに割り当てられている最初の四列を超えた場合、(バス利用者の75パーセントを占める)黒人のための席まで使うことができると定めていた。すると、黒人は後部デッキにまで後ろへ後ろへと詰めて、立ったままバスに乗っていなければならなかったのであった。 ローザ・パークスが冷静に威厳をもって席を立つのを拒んだのは、ほかの日よりも疲れていたからではなく、彼女の堪忍袋の緒がついに切れたからであった。そう、彼女はこの不公平極まる法の命じるところに従わなかった最初の人物ではなかった。先駆者たちはいたのである。 (中略) ローザ・パークスは黒人社会では最も尊敬されていた者のひとりであった。彼女の道徳性は模範的なものであり、彼女の振る舞いは非の打ちどころがなく、彼女の受けた教育には染みひとつなかった。彼女の毅然とした態度は子どものときの育ちに深く端を発し、人種差別との20年にわたる闘いで高められた。黒人にとっての大義のために、彼女以上のシンボルがあるだろうか。 ローザ・マコーリーは、大工の父と教員の母の間にアラバマ州タスキーギで生まれた。黒人の少女にはとても貧弱な教育しか与えられないため、彼女の母親はローザが11歳になるまで家で教育をしようとした。その後、北部の白人家族によって黒人の子どもたちのために設立されたモンゴメリーの女子工業学校に母はローザを通わせた。 日常的な人種差別が幼いローザの心に刻まれていた。彼女は後々いつも、白人にだけ使うことが許されていた水飲み場のことを思い出していた。彼女は言っていた。「子どもだった私は白人のための水飲み場の水は黒人のそれよりも美味しいと思っていました!」これは、同じ人種差別を経験した本当に多くの黒人の子どもたちが共通して持っている印象である。私のアンティーユの女友達は、サトウキビの小さな畑を持っていた彼女の祖母は、白人のサトウキビを盗みに行く習慣があったという話をしてくれたことがある。なぜなら、子どもにとっては白人のサトウキビは黒人のサトウキビよりも美味しいという評判だったからだ。 ローザ・パークスは特にクー・クルックス・クランの恐怖という、最悪中の最悪の経験をした。彼らは彼女が通っていた女子工業学校に二度にわたって放火したのである。彼女はリンチのことを聞いたことがあり、彼女は祖父が、燃やした十字架を掲げた白人たちから家族を守るために手に銃を持って夜通し農家の前を見張っているのを見たことがある。彼女は自分自身も正義を前進させるために闘うつもりだった。日常的な人種差別のいろいろな形の中で、バスに関するものが最も見えやすかった。公共交通機関が差別的「ジム・クロウ」法を適用しているという理由だけでなく、さらに、学校の交通機関は黒人の生徒には使用が禁止されていたため、公共バスを使うしかなかった。「バスは、黒人のための世界と白人のための世界があるということを私が理解した事柄の一つでした。」と彼女は言った。 なぜなら、「公共の」交通機関とは、社会生活の現実を明かすものだからだ。その名が示すように、公共交通機関は共同体のために使われるはずのものであり、平等の象徴でなければならないからである。アメリカの黒人解放運動を深く鼓舞したガンジー自身さえも、公共交通機関での人種差別の規模が広がっていることを発見したほどである。 (中略) ローザ・マコーリーは、彼女を有名にした1955年の「事件」のずっと前から正義と平等のために闘いに参加していた。彼女は1932年には、市民権運動家でNAACP(全米黒人地位向上協会)のアラバマ州支部のメンバーだったレイモンド・パークスと結婚した。二人の最初の共同での闘いはいわゆる「スコッツボロー・ボーイズ」事件であった。1931年3月25日、最も年少の12歳の子を含む9名の黒人少年がアラバマ行きの列車に乗った。そこで、少年たちに列車から降りるように言った白人たちがいたが、少年たちはきっぱりと断った。 次の駅には、武器を持った白人群衆が待っており、降りるようにと強制し、少年たちをリンチにかけようとした。しかし、警察が介入し、少年たちをスコッツボローの牢獄に連行していった。翌日すぐに、二人の白人女性が自信満々に、列車の中で少年たちにレイプされたと主張し、彼らに対する告発をおこなった。しかし、黒人運動への共感をほとんど疑っていなかった白人の医師によって行われた医学的検証では、その二人の女性は性的暴行を一切受けなかったと証明された。しかし、1931年4月9日には、裁判の真似事のような法廷の後、12歳の少年を除いて少年全員に電気椅子の刑が宣告されたのである!全米黒人地位向上協会は全力を尽くして死刑執行を延期させなければならず、少年たちの無実を証明するための再審も求めなければならなかった。それでも、少年たちのうちの一人は釈放されるまで、なお19年間も獄につながれていたのである。 母親の病気のために中等教育を早々と中断しなければならなかったローザ・パークスは学校に戻り、1934年に修了した。彼女は、黒人社会には、教育を受け、特に自らの権利を擁護することのできる人々が必要であると確信していた。これは素晴らしいほどの決意だったのである。なぜなら、当時、黒人の7%しかこの学歴に達していなかったからである。 ローザ・パークスの社会運動は年を重ねるほどに強固なものになっていった。1940年には、ローザと夫は有権者同盟(Voters’ League)のメンバーになった。1943年には、ローザ・パークスは、エドガー・ニクソンが代表を務める全米黒人地位向上協会モンゴメリー支部の書記になった。そして、1943年12月末には、彼女はアメリカ市民権運動(American Civil Rights Movement)のメンバーになった。 怒りや意気消沈の機会はいくらでもあった。ほかの多くのアフリカ系アメリカ人のように、彼女は1955年8月28日エメット・ティル少年に加えられた残酷なリンチ事件を知って打ちひしがれた一人であった。このシカゴの黒人少年は14歳であった。彼には白人のガールフレンドがいて、共学校に通っていた。彼はアメリカ南部州にある反黒人の憎悪感情のひどさを少しも想像していなかったのだった。ミシシッピー州の叔父の家で休暇を過ごしていて、彼が街中を歩いている時、すれ違った若い白人女性に「バーイ、ベイビー!」と声をかけた。それが人種差別の狂気の始まりだった。その女性は夫に訴えた。数日後、少年の死体がタラハチー川で発見された。65オンスの綿を奴隷身分の象徴としておもり代わりに付けられ、首を鉄条網で巻かれていた。彼は睾丸を抜かれていた。片目をくり抜かれ、顔をつぶされ、頭には弾丸を撃ち込まれていた。この犯罪の実行者たちは法廷に出たが、白人の陪審員たちによって「無罪」を宣告されてすぐに釈放されてしまった!たった50年ちょっと前のアメリカ南部の司法とはこのようなものであったのだ。 この犯罪の残酷さにもかかわらず、シカゴでは反応がなかった。この国のこういう面に人々は目をつぶり、何も聞かないようにふるまっていたのだった。アメリカ南部で若い黒人が殺されるのは日常茶飯事であり、そのうえ、それは黒人の間でしか話題にならないことであったのだ。しかし、ひどい拷問を受けた14歳の少年の母親はそのようには考えなかった。埋葬の日、彼女は棺を大きく開き、写真に撮るようにと報道機関に求めたのだ。これらの写真は報道されて世界をかけめぐり、この冷戦の時代、合衆国の威信をかなり傷つけることになった。 3か月後、ローザ・パークスはこの少年の大規模な追悼式典に参列した。その3日後、モンゴメリーのバスの中で、白人乗客に席を譲るように運転手が彼女に言ったのだった…。彼女は立ち上がるのを忘れた「夢見る」女性ではなく、「怒れる」女性だったのだ! 彼女はすぐに逮捕され、裁判にかけられ、その地の人種差別法に違反したことで有罪を言い渡された。E.D.ニクソンと、26歳の若い牧師であったマーティン・ルーサー・キングが、モンゴメリーの最初のバプテスト派教会のもう一人の若い牧師ラルフ・アバナシーの協力も得て、のちにキングが言うところの「不正な体制への集団的非協力」運動として、抗議行動とバス会社のボイコットを開始した。 さらに、アフリカ系アメリカ人社会の50名の指導者たちが、どういう運動をすべきか討論するために、マーティン・ルーサー・キングに連れられてデクスター・アベニューのバプテスト派教会に集まった。彼らはモンゴメリー改善協会(MIA、Montgomery Improvement Association)を結成し、その会長にマーティン・ルーサー・キングを選び、非暴力の抵抗を訴えるこの呼びかけを広めたのである。 「通勤で、街中で、通学で、どんな所に行くためにも、12月5日の月曜日はバスを使わないでください。また一人の黒人女性が、バスの中で席を譲るのを拒んだという理由で逮捕されて、投獄されました。(…)それ以上の指示を聞くためには、月曜日の19時、ホルト・ストリートのバプテスト派教会で行われる大集会にお越しください。」 黒人社会の地方紙である「ザ・モンゴメリー・アドバータイザー」紙がこの呼びかけを転載した。翌朝すぐに、若者の一団が、4つの即時の要求事項をかかげた7000枚以上のビラを配った。 一つ。白人と黒人はバスの中で好きなところに座ることができなければならない。 (中略) 一つ。バスの運転手はすべての乗客に対して礼儀正しくしなければならない。 (中略) 一つ。バスの運転手は黒人乗客への侮辱をやめるべし。 (粗野な言葉を吐くだけでは満足できず、運転手の中には黒人へのありとあらゆる侮辱の手段を見つけようとする者たちがいた。たとえば、バス前部の扉のところに来てバス料金を支払った後、バスの後ろの扉から改めてバスに乗りなおさなければならなかった。しばしば、運転手はバス料金を受け取って、黒人乗客が後ろの扉からバスに乗車する時間がないように、すぐにバスを発車させることをしていた。) 一つ。黒人のバス運転手は抗議行動に参加すべし。 翌日、奇跡は起きた。大方の予想に反して、…マーティン・ルーサー・キングさえもボイコット率は60%と予想していた…、ボイコットは100%の実行された!バスからは黒人の姿が消えた。「その時点まで、眠って受動的だった黒人社会が目覚めた。」とキングは書いた。「ラッシュアワーには、時に自宅から15km以上も離れている仕事場から辛抱強く歩いて帰る労働者や家事労働者の集団が道路にあふれた。彼らはなぜ自分たちが歩いているのかを知っていた。そのことは彼らの振る舞いの中に見て取れた。彼らの姿を見ながら、自らの自由と尊厳のために自ら苦しみ自らを犠牲にすることを受け入れている時に人々が示す勇気ある決意ほど威厳あるものはないと私は思った。(…)私たちは侮辱の中をバスに乗って移動するよりも、尊厳の中を自分の足で歩くことの方が結局のところ名誉なのだとやっとわかったのだ。このようにして、威厳ある静かな態度をとることによって、私たちは足の倦怠を魂の倦怠へと替えていくことを選んだ。モンゴメリーの通りを歩きながら…」 同じ日、マーティン・ルーサー・キングはローザ・パークスが裁判にかけられることになっている裁判所におもむいた。「差別についての法律を犯した」ことで彼女は罰金と裁判費用を支払えという有罪判決を受けた。彼女は即刻控訴した。全米黒人地位向上協会のメンバーは喜んだ。なぜなら、それまでは訴追は破棄されるか、または、「違反者」は「治安を乱した」ことによる有罪判決を受けていたからである。しかし、今回は違った。この事件ははっきりと「差別」に関するものとされたからである。これは、差別そのものについての法律の妥当性に抗議する夢にまで見た機会となった。ローザ・パークスは17世紀以来権利を抑圧され続けてきた2000万人の黒人を代表する存在となったのだ。 ボイコットは381日もの間続いた。バス会社にとってはどんなに大きな損失となったことだろう!数十のバスが車庫に留め置かれた。大部分の抗議者が歩いた。しかし、その連帯行動は間もなくその効果をあらわし始め、黒人が運転するタクシーがバスの料金(10セント)で共通路線を走るようになった。少しずつ、この運動への国際社会からの反響にも助けられて、資金も集まるようになってきた。それによって、並行バスのサービスもできるようになり、歩くうちにすりへった靴を買うこともできるようになったのだ! もちろん、黒人たちの運動への脅迫はたくさんあったし、それはしばしば実害も伴った。1956年1月30日にマーティン・ルーサー・キングの自宅で爆弾が爆発したのはこのようなさなかである。しかし、何物も黒人たちの抵抗をひるませることはなかった。ボイコット参加者たちは勝利まで運動を続けたのであった。 とうとう、1956年11月13日、連邦最高裁はバスでの人種差別法は違憲であるという判決を出した。1956年12月20日にモンゴメリー当局に最高裁判決が通達された。その翌日、マーティン・ルーサー・キングはバスに再び乗り込んだ最初の黒人となった…。 ボイコットのきっかけを作ったローザ・パークスの役割、彼女の粘り強さ、彼女の勇気、裁判で示された彼女の知性によって、彼女は市民権運動におけるアメリカ人の意識変革に貢献をした。それ以降、彼女は市民権運動の「母」とみなされるようになった。 「モンゴメリー・バスボイコット事件」は、人種差別との闘いの中でアメリカの黒人にとって心理的な転換期となった。ローザ・パークスのおかげで、黒人社会は非暴力の抵抗という新しい武器の効果を発見し、経験したのだから。 しばしば、人類の歴史にはいくつかの名前しか残らない。控えめなローザ・パークスの名前が人々の記憶に残ったのは、その世代全員が彼女と一緒に自らの運命を手の中におさめ、人種差別と闘うことを選んだからである。もちろん、人種差別は一日や二日で消えるものではない。しかし、私たち一人一人が未来の世代のために事態を改善する可能性を持っている。私はアルバート・アインシュタインのこの言葉を思い出す。「世界は生きるには危険すぎる!必ずしも悪をなす人々のせいではなく、傍観し事態を放置する人々のせいであることがしばしばなのだ。」 (Lilian Thuram, "Mes étoiles noires" (Ed. Philippe Rey) (pp.271-280)
(翻訳引用ここまで)
来年は、ローザ・パークスの生誕100年を祝うことになるでしょう。
なお、文中に出てくるNAACP(全米黒人地位向上協会)のサイトはこちらです。
●NAACP National Association for the Advancement of Colored People 全米黒人地位向上協会
http://www.naacp.org/ リリアン・テュラムその人については、こちらもどうぞ。
●ニュースの現場で考えること FCバルセロナのリリアン・テュラム選手のこと
http://newsnews.exblog.jp/11652827/ 2009-05-31 13:32
築地市場の豊洲移転に反対 して食の安全を守りたい。●Like a rolling bean (new) 出来事録 ■2012-01-25 【今日締切→2月10日まで延期です】署名を!「築地市場移転予定地の取得に関する監査請求」http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-11145494564.html ■2012-01-10 署名と送付をお願いします!「築地市場移転予定地の取得に関する監査請求」 http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-11131637999.html
↑『がけっぷち社長 』さん作。また、税制についての当秘書課の記事は、「カテゴリ : 税制、税金、財政 」から。
虹とモンスーン の下の
弱い文明 では
身近な一歩が社会を変える のだからと、
イルコモンズのふた の下の
フォーラム自由幻想 と
市民社会フォーラム の
そこに存在する 良き人生と生活 への切実な望みを
民主党 にわからせるために、
低気温のエクスタシー の中の
アブナイ日本 が
壊れる前に 、
生まれてきて良かったと感じられる社会に したいけど
とりあえず どうすべきか
kimera れない
情報の海の漂流者 さんと
ニュース・ワーカー さんと
農家の婿 さんと一緒に、
イル・サンジェルマンの散歩道 の
くろすろーど にある
アダージォ な
午後のカフェ の
窓辺でお茶 に
クリーム 入れて
福島老朽原発を考える会(フクロウの会) で
みんななかよく 鍋パーティー して、
世界の片隅で税制についてのニュース や
軒づけ日記 や
kodebuyaの日記 や
ガン闘病記 や
フリスキーの日記 や
夏天故事 や
ルンペン放浪記 や
ペガサス・ブログ版 や
転成仁語 や
イラク・ホープ・ダイアリー や
広島瀬戸内新聞 や
おこじょの日記 や
虹の日記 や
vanacoralの日記 や
黙然日記 や
フランス語の練習帳 や
「ユニオン」と「労働ニュース」のアーカイブ や
社会科学者の時評 や
フランスメディアニュース や
琉球新報 や
沖縄タイムス や
辺野古浜通信 や
高江の現状 や
月刊イオ や
日刊イオ を読んで、
沖縄問題と北アイルランド問題を同じように考えてみよう と思って、
消費税と社会保障と国家予算についての マスコミに載らない海外記事 を
1947年教育基本法の理念の 今日行く審議会 と
スーパー小論文ハイスクール と
アジア連帯講座 と
内田樹の研究室 で
超左翼おじさん と見て、
大脇道場 と
内田樹の研究室 と
アフガン・イラク・北朝鮮と日本 と
山口県上関町の祝島 と
地元紙で識るオキナワ と
横板に雨垂れ の
海鳴りの島 と
知られざる 晴天 の
カナダ で
虹のカヤック隊 も一緒に
沖縄・辺野古海上基地の問題を中心に はげしく学び、はげしく遊んだ ところで、「
どこへ行く、日本。 」とか、
労働組合ってなにするところ だろうとか、どうしたら
小出裕章先生 や
京野きみこ さんや
さとうしゅういち(佐藤周一) さんや
湯浅誠 さんや
戸倉多香子 さんや
保坂展人 さんや
テルヤ寛徳(照屋寛徳) さんや
すぐろ奈緒 さんや
小坂和輝 さんや
西山千嘉子 さんのために
レイバーネット の
団結は力 で
すくらむ 組んで
多世代交流のブログ広場 の
多文化・多民族・多国籍社会で「人として」 日本ジャーナリスト会議 で
転がるひよこ豆のように 情報流通を促進 できるかとか思いながら、
明日も晴れ の
空と風と、月と、星 のもとで
白砂青松 の
雪裏の梅花 や
ブーゲンビリア や
梨の木 や
フランスねこ や
薔薇、または陽だまりの猫 や
古い寺を多く見て 日常で思った事、感じた事をつらつら好き勝手に書きながら 国会議員定数削減・比例削減に反対する Internet Zone のサイバー
政治 団体秘書が
シジフォス にも負けずに
お花畑めざして 、
ウェブにはびこるネトウヨどもを滅多切り して「
Apes! Not Monkeys! 本館 」と「
Apes! Not Monkeys! はてな別館 」に行った後、
原発の「今」を考える ために、「
フランス西部放射能検査協会 」と「
放射能研究広報独立委員会 」と「
フランス放射線防護原子力安全研究所 」と「
フランス・原子力安全局 」と「
フランス・脱原発ネットワーク 」と「
フランス・脱原発ネットワーク・パリ 」と「
原子力資料情報室 」と
EX-SKF と
EX-SKF-JP と「
ピース・フィロソフィー・センター 」と
たんぽぽ舎 に立ち寄って、
fukushima 福島第一 Genpatsu で
onaironaironair されている
Beltix Talk を聞きながら
金子勝先生のツイッター を復唱して
詩空間 の中の
迎春閣之風波 での
言ノ葉攻防 の
模型とかキャラ弁とか歴史とか を眺めながら、「
ざまあみやがれい! 」と言われてもなお「
子供を守ろう 」、「
Everyone says I love you ! 」、「
人々に力を!! 」、「
民主主義を今! 」、「
なんくるないさぁ~やってみれ~♪ 」と
エヴァ・ジョリー の
EELV と
みどりの未来 を
ドイツから学び 、
CLick for Anti War 最新メモ を
いろいろたくさん幅広く、んで、楽しく 読む・考える・書く きまぐれな日々 のおしごと日誌。
国会議員やマスメディアに意見を届けるために下記を自由にご活用ください。引用、転載、転送、歓迎。
■各種国会議員名簿のポータルページ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-86.html ■官庁への意見送付先について
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-51.html ■新聞、雑誌 読者の意見を伝える窓口(未整理)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-49.html ■テレビ報道番組のご意見窓口(
「わんばらんす」 から)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-50.html ●News for the people in Japan マスメディア問い合わせ用リンク集
http://www.news-pj.net/link/media.html [PR] ウェディング
アクセスランキング
関連記事
スポンサーサイト
>そもそも日本が戦争が出来村野瀬 玲奈軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。Re: No title>北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
「正攻法」って具体的に何かよくわかりませんが、ミサイルが怖いなら怖いんじゃ村野瀬 玲奈反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。意義あるのか反戦デモっつっても日本が他国の軍事的脅威に
なると思っているのかな。
そもそも日本が戦争が出来ると思っている者が
いるのが驚く。
まず間違いないのが日本が他国に戦R2軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。No title北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
そんな長者番付よりも信用ならないデータだけ
では事実が見えない。
自衛隊は多くR2自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ杉田水脈「女性はいくらでもうそをつけますから」★1970年代前半の時期に米国のニューヨーク市で、性犯罪分析特別班を設置し、女性の警察官を被害者の面接に当たらせたところ、同市における強姦罪の虚偽告発率は2%であり、檜原転石反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラの祈り>Takeshiさん
戦後、ドイツではショル兄妹を顕彰するために学校の名前に「ショル兄妹記念」と名付けられていたりしますよね。
そして、それが書籍や映画になり、広く語る津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラ事件を思い起こさせる。 ミュンヘン大学でショル兄妹たちは反戦ビラを巻きちらしました。大学の用務員がビラを拾ってナチス当局に届け出ました。ショル兄妹たちは民族裁判所で「国家反逆罪」に問Takeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよソロモン諸島の首相が日本の汚染水海洋投棄を非難 国連総会において,ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が日本の汚染水の海洋投棄を非難しました。IAEAの処理水をめぐる報告書についても,不十分だとしたうえで,「原発Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title 反戦デモに参加したことで学生が懲戒を受けるだけでもすさまじいのに、一番重い退学処分とは・・・。愛知大学は一体何を考えているのか。これが容認されれば萎縮効果は甚クテシフォン維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)維新の会の池上卓は公設秘書として2人の市議を採用 維新の会の池上卓議員(大阪10区)は,公設秘書として現職の高塚市議2人を採用していたとのこと。国会議員の秘書に関しては法改正で兼職が禁止され,例外的に兼職届が出Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No titleそのうち「焚書」とか起こりそうで、冗談じゃなく怖いです。
まさに「新しい戦前」…津木野宇佐儀現行の健康保険証の圧勝、マイナ保険証の惨敗。 #現行の健康保険証を残してください #保険証廃止はありえない #サントリー不買運動No title新浪と成田が格差拡大を正当化する対談をプレジデントオンラインでほざいています。
まあ、救いようのないバカばっかりです。アンドリュー・バルトフェルド弁護士ドットコムタイムズに #維新 の橋下徹を登場させるのはおかしいのではないか。No titleいかにもそれっぽい名称を名乗った(所謂弁護士連合会とは無縁の)営利目的の組織じゃないですか。何せ株式会社ですからね。
ここの発するニュースなんかを見ててずーっと別人28号言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ二重基準の適用問題No. 1919 福島の核廃棄物:ロシアを非難し、日本を承認
投稿日時: 2023年9月20日
Fukushima’s nuclear waste:Stigmatising Russia, approving Japan
by Richard Cullen
h檜原転石日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」
何度でも引用されるヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉ですが、日本ではもっともっと使われるべき言葉ですよね。
付け足津木野宇佐儀英霊には感謝してはならない。英霊には謝罪しなければならない。英霊は讃えられ,傷痍軍人は侮辱・差別された。 わたしがとても幼いとき,神社で祭があると,神社の階段下に軍帽をかぶり,白い服を着て腕や足のない傷痍軍人が恵みの金を求めている姿を見たことがあります。実際に見たTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Re: タイトルなしハンドルネームを書けないチキンの方がこんなことを書きこまれました。そのコメントは承認しませんが、こちらに丸ごと引用して、私の感想を書き加えます。
(引用開始)
村野瀬 玲奈東京大学出身者が日本の政治を失敗させ、日本の改善や進歩を阻んでいる。夏目漱石に対する疑問 東京帝国大学出身の夏目漱石は日本が誇る文学者・思想家とされていますが,福沢諭吉がそうであったようにレイシストを思わせる文章を残しています。
1909年,夏目漱石Takeshi自民党の聞く力は、自民党に政治献金をして選挙協力をする業界や企業にしか発揮されない。自民党議員は支持者にしか目が向かない。 「ドリル優子」が選挙対策委員長になったことが岸田の内閣支持率上昇を妨げているようです。ドリル優子が事件について弁明したのは地元の支持者に対して行った一回かぎりTakeshi個人の自由が嫌いな日本人「日本人」の枠は自由自在なのか。 毎年ノーベル賞ウイークになると,今年日本人で受賞するのは誰かと話題にするのがマスコミです。南部陽一郎さん,真鍋淑郎さん,カズオ・イシグロさんは日本国籍を離脱しTakeshiAV業者による被害を予防・救済するため、AV新法論議では被害者側の要望を積み残してはならない。特に、「スカウト全面禁止」は必須。AV事業は「新たな性奴隷制度」である。 AV被害者のために任意団体「ポルノ被害と性暴力を考える会」(PAPS)と「NPO法人 人身取引被害者サポートセンター(LH)」があるそうです。前者はITエンジニアとソーシTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)日本人の攻撃性の特徴とは 台湾での霧社事件も原住民族の殲滅を狙った植民者としての日本の軍事行動でした。
弱者だけではなく,権力者に対しても日本は不法・違法な手段で殺害し排除してきましTakeshi中国人が大日本帝国から過去の同胞が受けた被害を悼む行動は「反日」でしょうか?(1931年9月18日、柳条湖事件)No title『中国人が大日本帝国から過去の同胞が受けた被害を悼む行動は「反日」でしょうか?(1931年9月18日、柳条湖事件)』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/bloewkefc中国人が大日本帝国から過去の同胞が受けた被害を悼む行動は「反日」でしょうか?(1931年9月18日、柳条湖事件)No title以前、第二次世界大戦に関して、日本では最後を云々するが、ドイツでは始まりを問題にし議論する、と聞いたことがあります。
日本では盧溝橋事件や柳条湖事件等はほとんど津木野宇佐儀日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)差別語「ブラック」問題と「黒歴史」>私のコメントなどは書きません。ただ、読んでください。なかったことにできない黒歴史を、日本人として知ってください。
日本低国の「左翼」・リベラルの近年の完全崩檜原転石公文書改ざんをさせられた赤木俊夫さんの無念の死について責任を問うことを拒否する裁判所と、公文書改ざんをさせた政府は共犯だと考えるしかない。自らの処世術と裁判官の処世術山崎雅弘:この件も、BBCや国連人権機関が関心を持ってくれるまで
これって多くの人が気づきもしない、山崎雅弘の処世術発言。
私にとってBBCなどテロ国家英国の広檜原転石公文書改ざんをさせられた赤木俊夫さんの無念の死について責任を問うことを拒否する裁判所と、公文書改ざんをさせた政府は共犯だと考えるしかない。日本の司法は死んでいる「沖縄の司法は死んでいる」とよくいわれます。
かつて米国統治下の沖縄では、裁判権さえ米軍に奪われており、米兵が犯罪を犯しても米軍基地に逃げ込めば沖縄の警察は手も閉口日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)歴史改竄主義者の台頭関東大震災時の本庄事件、平頂山事件は、日本人集団が起こした残虐な事件であり、なかったことにできない黒歴史です。
以前の日本はこういった黒歴史に謙虚に向き合おうと閉口日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)No title『日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9364.html
セロトニントランスポーター遺伝子というものがewkefc「靖国神社思想の本音」 (メモ)侵略戦争の証拠=田中上奏文 極東軍事法廷で中国側証人が「日本の計画な侵略政策」の証拠として提出した「田中上奏文」というものがあるそうです。これは田中義一が裕仁天皇に対満蒙強硬策を上奏したTakeshi