2010年8月15日の記事で、フランスの元サッカー選手でフランス代表試合の最多出場回数を誇るリリアン・テュラム(Lilian Thuram)がサッカー界から引退した後、社会運動家、人権活動家として2010年初頭に出版した本のことを紹介しました。『
リリアン・テュラム著 「我が黒人スターたち」 』という記事です。
その中で、少し恥ずかしく思いながらも、こんなことを書きました。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1936.html テュラムのこの本は教育的な歴史書であると同時に、生身の人間の英知と勇気の物語であり、社会の進歩のために闘うすべての人や差別と闘うすべての人への連帯の書でもあり、現実の人種差別との闘いのための武器でもある、とても読み応えのある本です。ここで紹介されているような人々がいる(いた)から人類の歴史はジグザグながらも少しずつでも進歩してきた、私もそういう人類の進歩にささやかながら貢献できるかもしれない、そういう勇気を私はこの本から得ました。私がそのような勇気を必要とする時には、この本を手に取るでしょう。
(引用ここまで)
今、いろいろな意味で、世界だけではなく、特に日本で、まさにそのような時期なのだと思っています。私自身も今、いろいろな意味で容易でない日本の政治経済司法社会的状況の中で、うちの秘書課広報室で記事を書き続けるために、そういう勇気を必要としています。
そういう勇気ある「黒人スター」の一人、アメリカ公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスが、99年前の今日、1913年2月4日に生まれています。
今回の記事では、テュラムの本でのローザ・パークスの章を紹介することによって、アメリカの公民権運動の「火花」となった彼女の誕生日を祝いたいと思います。ローザ・パークスのこと自体はすでにいろいろなところで大勢の人によって語られていますが、そこにテュラムの思いを乗せたこの本の一章によって彼女の勇気を自分の心に刻みたいと願って。
■火花 ローザ・ルイーズ・マコーリー・パークス 1913年2月4日生まれ、2005年10月24日没 ノーを言う勇気を持たなければならない。ローザ・パークスの物語はその好例である。 席を立つことを拒否したことで有名になる人がいるというのは現実離れしていると思えるかもしれない。しかし、1950年代のアメリカの人種差別主義社会では、それが自らの権利を主張する一つの方法だったのである。 1955年12月1日、アラバマ州モンゴメリーで、ローザ・パークスはバスの中、「ジム・クロウ法」によって黒人に与えられていた区画の一列目に座っていた。この規則はアメリカ南部の自治体で公布されており、1876年と1965年の間、すべての公共の場所と公共機関で人種別に扱うことを強制していたものだ。ある停留場で白人客がバスに乗ってきた時、白人に割り当てられていた区画には空席がなかったので、運転手はローザ・パークスにその白人客に席を譲れと求めた。アメリカ南部の人種差別法は、白人乗客の数が彼らに割り当てられている最初の四列を超えた場合、(バス利用者の75パーセントを占める)黒人のための席まで使うことができると定めていた。すると、黒人は後部デッキにまで後ろへ後ろへと詰めて、立ったままバスに乗っていなければならなかったのであった。 ローザ・パークスが冷静に威厳をもって席を立つのを拒んだのは、ほかの日よりも疲れていたからではなく、彼女の堪忍袋の緒がついに切れたからであった。そう、彼女はこの不公平極まる法の命じるところに従わなかった最初の人物ではなかった。先駆者たちはいたのである。 (中略) ローザ・パークスは黒人社会では最も尊敬されていた者のひとりであった。彼女の道徳性は模範的なものであり、彼女の振る舞いは非の打ちどころがなく、彼女の受けた教育には染みひとつなかった。彼女の毅然とした態度は子どものときの育ちに深く端を発し、人種差別との20年にわたる闘いで高められた。黒人にとっての大義のために、彼女以上のシンボルがあるだろうか。 ローザ・マコーリーは、大工の父と教員の母の間にアラバマ州タスキーギで生まれた。黒人の少女にはとても貧弱な教育しか与えられないため、彼女の母親はローザが11歳になるまで家で教育をしようとした。その後、北部の白人家族によって黒人の子どもたちのために設立されたモンゴメリーの女子工業学校に母はローザを通わせた。 日常的な人種差別が幼いローザの心に刻まれていた。彼女は後々いつも、白人にだけ使うことが許されていた水飲み場のことを思い出していた。彼女は言っていた。「子どもだった私は白人のための水飲み場の水は黒人のそれよりも美味しいと思っていました!」これは、同じ人種差別を経験した本当に多くの黒人の子どもたちが共通して持っている印象である。私のアンティーユの女友達は、サトウキビの小さな畑を持っていた彼女の祖母は、白人のサトウキビを盗みに行く習慣があったという話をしてくれたことがある。なぜなら、子どもにとっては白人のサトウキビは黒人のサトウキビよりも美味しいという評判だったからだ。 ローザ・パークスは特にクー・クルックス・クランの恐怖という、最悪中の最悪の経験をした。彼らは彼女が通っていた女子工業学校に二度にわたって放火したのである。彼女はリンチのことを聞いたことがあり、彼女は祖父が、燃やした十字架を掲げた白人たちから家族を守るために手に銃を持って夜通し農家の前を見張っているのを見たことがある。彼女は自分自身も正義を前進させるために闘うつもりだった。日常的な人種差別のいろいろな形の中で、バスに関するものが最も見えやすかった。公共交通機関が差別的「ジム・クロウ」法を適用しているという理由だけでなく、さらに、学校の交通機関は黒人の生徒には使用が禁止されていたため、公共バスを使うしかなかった。「バスは、黒人のための世界と白人のための世界があるということを私が理解した事柄の一つでした。」と彼女は言った。 なぜなら、「公共の」交通機関とは、社会生活の現実を明かすものだからだ。その名が示すように、公共交通機関は共同体のために使われるはずのものであり、平等の象徴でなければならないからである。アメリカの黒人解放運動を深く鼓舞したガンジー自身さえも、公共交通機関での人種差別の規模が広がっていることを発見したほどである。 (中略) ローザ・マコーリーは、彼女を有名にした1955年の「事件」のずっと前から正義と平等のために闘いに参加していた。彼女は1932年には、市民権運動家でNAACP(全米黒人地位向上協会)のアラバマ州支部のメンバーだったレイモンド・パークスと結婚した。二人の最初の共同での闘いはいわゆる「スコッツボロー・ボーイズ」事件であった。1931年3月25日、最も年少の12歳の子を含む9名の黒人少年がアラバマ行きの列車に乗った。そこで、少年たちに列車から降りるように言った白人たちがいたが、少年たちはきっぱりと断った。 次の駅には、武器を持った白人群衆が待っており、降りるようにと強制し、少年たちをリンチにかけようとした。しかし、警察が介入し、少年たちをスコッツボローの牢獄に連行していった。翌日すぐに、二人の白人女性が自信満々に、列車の中で少年たちにレイプされたと主張し、彼らに対する告発をおこなった。しかし、黒人運動への共感をほとんど疑っていなかった白人の医師によって行われた医学的検証では、その二人の女性は性的暴行を一切受けなかったと証明された。しかし、1931年4月9日には、裁判の真似事のような法廷の後、12歳の少年を除いて少年全員に電気椅子の刑が宣告されたのである!全米黒人地位向上協会は全力を尽くして死刑執行を延期させなければならず、少年たちの無実を証明するための再審も求めなければならなかった。それでも、少年たちのうちの一人は釈放されるまで、なお19年間も獄につながれていたのである。 母親の病気のために中等教育を早々と中断しなければならなかったローザ・パークスは学校に戻り、1934年に修了した。彼女は、黒人社会には、教育を受け、特に自らの権利を擁護することのできる人々が必要であると確信していた。これは素晴らしいほどの決意だったのである。なぜなら、当時、黒人の7%しかこの学歴に達していなかったからである。 ローザ・パークスの社会運動は年を重ねるほどに強固なものになっていった。1940年には、ローザと夫は有権者同盟(Voters’ League)のメンバーになった。1943年には、ローザ・パークスは、エドガー・ニクソンが代表を務める全米黒人地位向上協会モンゴメリー支部の書記になった。そして、1943年12月末には、彼女はアメリカ市民権運動(American Civil Rights Movement)のメンバーになった。 怒りや意気消沈の機会はいくらでもあった。ほかの多くのアフリカ系アメリカ人のように、彼女は1955年8月28日エメット・ティル少年に加えられた残酷なリンチ事件を知って打ちひしがれた一人であった。このシカゴの黒人少年は14歳であった。彼には白人のガールフレンドがいて、共学校に通っていた。彼はアメリカ南部州にある反黒人の憎悪感情のひどさを少しも想像していなかったのだった。ミシシッピー州の叔父の家で休暇を過ごしていて、彼が街中を歩いている時、すれ違った若い白人女性に「バーイ、ベイビー!」と声をかけた。それが人種差別の狂気の始まりだった。その女性は夫に訴えた。数日後、少年の死体がタラハチー川で発見された。65オンスの綿を奴隷身分の象徴としておもり代わりに付けられ、首を鉄条網で巻かれていた。彼は睾丸を抜かれていた。片目をくり抜かれ、顔をつぶされ、頭には弾丸を撃ち込まれていた。この犯罪の実行者たちは法廷に出たが、白人の陪審員たちによって「無罪」を宣告されてすぐに釈放されてしまった!たった50年ちょっと前のアメリカ南部の司法とはこのようなものであったのだ。 この犯罪の残酷さにもかかわらず、シカゴでは反応がなかった。この国のこういう面に人々は目をつぶり、何も聞かないようにふるまっていたのだった。アメリカ南部で若い黒人が殺されるのは日常茶飯事であり、そのうえ、それは黒人の間でしか話題にならないことであったのだ。しかし、ひどい拷問を受けた14歳の少年の母親はそのようには考えなかった。埋葬の日、彼女は棺を大きく開き、写真に撮るようにと報道機関に求めたのだ。これらの写真は報道されて世界をかけめぐり、この冷戦の時代、合衆国の威信をかなり傷つけることになった。 3か月後、ローザ・パークスはこの少年の大規模な追悼式典に参列した。その3日後、モンゴメリーのバスの中で、白人乗客に席を譲るように運転手が彼女に言ったのだった…。彼女は立ち上がるのを忘れた「夢見る」女性ではなく、「怒れる」女性だったのだ! 彼女はすぐに逮捕され、裁判にかけられ、その地の人種差別法に違反したことで有罪を言い渡された。E.D.ニクソンと、26歳の若い牧師であったマーティン・ルーサー・キングが、モンゴメリーの最初のバプテスト派教会のもう一人の若い牧師ラルフ・アバナシーの協力も得て、のちにキングが言うところの「不正な体制への集団的非協力」運動として、抗議行動とバス会社のボイコットを開始した。 さらに、アフリカ系アメリカ人社会の50名の指導者たちが、どういう運動をすべきか討論するために、マーティン・ルーサー・キングに連れられてデクスター・アベニューのバプテスト派教会に集まった。彼らはモンゴメリー改善協会(MIA、Montgomery Improvement Association)を結成し、その会長にマーティン・ルーサー・キングを選び、非暴力の抵抗を訴えるこの呼びかけを広めたのである。 「通勤で、街中で、通学で、どんな所に行くためにも、12月5日の月曜日はバスを使わないでください。また一人の黒人女性が、バスの中で席を譲るのを拒んだという理由で逮捕されて、投獄されました。(…)それ以上の指示を聞くためには、月曜日の19時、ホルト・ストリートのバプテスト派教会で行われる大集会にお越しください。」 黒人社会の地方紙である「ザ・モンゴメリー・アドバータイザー」紙がこの呼びかけを転載した。翌朝すぐに、若者の一団が、4つの即時の要求事項をかかげた7000枚以上のビラを配った。 一つ。白人と黒人はバスの中で好きなところに座ることができなければならない。 (中略) 一つ。バスの運転手はすべての乗客に対して礼儀正しくしなければならない。 (中略) 一つ。バスの運転手は黒人乗客への侮辱をやめるべし。 (粗野な言葉を吐くだけでは満足できず、運転手の中には黒人へのありとあらゆる侮辱の手段を見つけようとする者たちがいた。たとえば、バス前部の扉のところに来てバス料金を支払った後、バスの後ろの扉から改めてバスに乗りなおさなければならなかった。しばしば、運転手はバス料金を受け取って、黒人乗客が後ろの扉からバスに乗車する時間がないように、すぐにバスを発車させることをしていた。) 一つ。黒人のバス運転手は抗議行動に参加すべし。 翌日、奇跡は起きた。大方の予想に反して、…マーティン・ルーサー・キングさえもボイコット率は60%と予想していた…、ボイコットは100%の実行された!バスからは黒人の姿が消えた。「その時点まで、眠って受動的だった黒人社会が目覚めた。」とキングは書いた。「ラッシュアワーには、時に自宅から15km以上も離れている仕事場から辛抱強く歩いて帰る労働者や家事労働者の集団が道路にあふれた。彼らはなぜ自分たちが歩いているのかを知っていた。そのことは彼らの振る舞いの中に見て取れた。彼らの姿を見ながら、自らの自由と尊厳のために自ら苦しみ自らを犠牲にすることを受け入れている時に人々が示す勇気ある決意ほど威厳あるものはないと私は思った。(…)私たちは侮辱の中をバスに乗って移動するよりも、尊厳の中を自分の足で歩くことの方が結局のところ名誉なのだとやっとわかったのだ。このようにして、威厳ある静かな態度をとることによって、私たちは足の倦怠を魂の倦怠へと替えていくことを選んだ。モンゴメリーの通りを歩きながら…」 同じ日、マーティン・ルーサー・キングはローザ・パークスが裁判にかけられることになっている裁判所におもむいた。「差別についての法律を犯した」ことで彼女は罰金と裁判費用を支払えという有罪判決を受けた。彼女は即刻控訴した。全米黒人地位向上協会のメンバーは喜んだ。なぜなら、それまでは訴追は破棄されるか、または、「違反者」は「治安を乱した」ことによる有罪判決を受けていたからである。しかし、今回は違った。この事件ははっきりと「差別」に関するものとされたからである。これは、差別そのものについての法律の妥当性に抗議する夢にまで見た機会となった。ローザ・パークスは17世紀以来権利を抑圧され続けてきた2000万人の黒人を代表する存在となったのだ。 ボイコットは381日もの間続いた。バス会社にとってはどんなに大きな損失となったことだろう!数十のバスが車庫に留め置かれた。大部分の抗議者が歩いた。しかし、その連帯行動は間もなくその効果をあらわし始め、黒人が運転するタクシーがバスの料金(10セント)で共通路線を走るようになった。少しずつ、この運動への国際社会からの反響にも助けられて、資金も集まるようになってきた。それによって、並行バスのサービスもできるようになり、歩くうちにすりへった靴を買うこともできるようになったのだ! もちろん、黒人たちの運動への脅迫はたくさんあったし、それはしばしば実害も伴った。1956年1月30日にマーティン・ルーサー・キングの自宅で爆弾が爆発したのはこのようなさなかである。しかし、何物も黒人たちの抵抗をひるませることはなかった。ボイコット参加者たちは勝利まで運動を続けたのであった。 とうとう、1956年11月13日、連邦最高裁はバスでの人種差別法は違憲であるという判決を出した。1956年12月20日にモンゴメリー当局に最高裁判決が通達された。その翌日、マーティン・ルーサー・キングはバスに再び乗り込んだ最初の黒人となった…。 ボイコットのきっかけを作ったローザ・パークスの役割、彼女の粘り強さ、彼女の勇気、裁判で示された彼女の知性によって、彼女は市民権運動におけるアメリカ人の意識変革に貢献をした。それ以降、彼女は市民権運動の「母」とみなされるようになった。 「モンゴメリー・バスボイコット事件」は、人種差別との闘いの中でアメリカの黒人にとって心理的な転換期となった。ローザ・パークスのおかげで、黒人社会は非暴力の抵抗という新しい武器の効果を発見し、経験したのだから。 しばしば、人類の歴史にはいくつかの名前しか残らない。控えめなローザ・パークスの名前が人々の記憶に残ったのは、その世代全員が彼女と一緒に自らの運命を手の中におさめ、人種差別と闘うことを選んだからである。もちろん、人種差別は一日や二日で消えるものではない。しかし、私たち一人一人が未来の世代のために事態を改善する可能性を持っている。私はアルバート・アインシュタインのこの言葉を思い出す。「世界は生きるには危険すぎる!必ずしも悪をなす人々のせいではなく、傍観し事態を放置する人々のせいであることがしばしばなのだ。」 (Lilian Thuram, "Mes étoiles noires" (Ed. Philippe Rey) (pp.271-280)
(翻訳引用ここまで)
来年は、ローザ・パークスの生誕100年を祝うことになるでしょう。
なお、文中に出てくるNAACP(全米黒人地位向上協会)のサイトはこちらです。
●NAACP National Association for the Advancement of Colored People 全米黒人地位向上協会
http://www.naacp.org/ リリアン・テュラムその人については、こちらもどうぞ。
●ニュースの現場で考えること FCバルセロナのリリアン・テュラム選手のこと
http://newsnews.exblog.jp/11652827/ 2009-05-31 13:32
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↑『がけっぷち社長 』さん作。また、税制についての当秘書課の記事は、「カテゴリ : 税制、税金、財政 」から。
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引っ越しだ何だと便利だからと言って「一生のうちにどれだけ必要なんだ」、「手続きの為にアンドリュー・バルトフェルド維新の嘘の例。維新の悪政を漂白して維新ロンダリングをする不甲斐ない報道業者。 #維新に騙されるな #マスメディアへの不満 #マスメディアへの不信No title教育の無償化をはじめこれ程維新が嘘をついてるとは思いませんでした。yoshiウィシュマ・サンダマリさんたちを死なせた責任もとらずに自民党政府がめざす入管法改正は入管法改悪である入管収容施設の実態とは アムネスティ調査員の山口かおるさんの報告を紹介します。
2022年10月後半から11月中旬まで元被収容者・現被収容者30人ほどにインタビューをしました、2022年10月末時Takeshi自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本自民なるも、の、の呪縛は解けないのか何度もスミマセン
先月、私の住む自治体の首長選挙がありました。
残念ながら現職の非自民系の候補が落選してしまいました。
また、自民なる、コンクリートと廃棄物と、月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたし>氏の中日新聞=東京新聞のコラム
>氏も自民党にとっては
の「氏」は田中優子氏の事です月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本No title>民主党((補足:)当初は ・社民連立)政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。
確かに「マニフェスト」には再分配重視が掲げられていましたし、「こども省月乃兎梅毒の感染例増加における、男女別・年齢別の非対称性について (メモ)No titleようやく(遅すぎ…)梅毒の感染増加をNHKが扱いましたか…
(「ニュース」番組でないので「「報じる」の語は使いません)
HIV感染も、日本という社会は「(いわゆる)先進国」月乃兎放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及つけたしトピズレですが…原田医師のことを書きこんだ「ついで」といってはなんですが(この「ついで」って書き方に苦痛を感じますが)
石牟礼道子氏や原田氏は水俣の公害被害・MINAMA月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本> ewkefc さん民主党政権の間に改善が見られた指標はいくつかありました。いくつかの経済指標も民主党政権の間は改善していました。その意味で、民主党政権は自民党とは良い意味で違うと村野瀬 玲奈第五福竜丸の史実を平和教育の教材から消して、生徒に伝えないようにする広島市教育委員会。広島は反核の地ではなくなっているのか。No title 『はだしのゲン』に続いて第五福竜丸に関する記述も削除して一体何が残るのか?現在の日本やアメリカの権力層に不利益な内容は根こそぎ排除しようとしていると疑われてもクテシフォン日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。虐殺否定罪,慰安婦否定罪の成立が必要。 2012年1月23日,フランス国民議会でトルコによるアルメニア人虐殺否定罪を成立させました。アルメニア人虐殺を否定する意見を公言した者は禁固1年と45000ユーロの罰金をTakeshi埼玉県 #草加市議会 の #河合ゆうすけ 市議会議員のヘイトスピーチと市民団体への妨害行為 (メモ)No title とどまるところを知らないColaboへの攻撃。その発端からゲーマーゲート事件(アメリカでゲームおける女性の描き方をフェミニズムの観点から批判した研究者達にゲームマニクテシフォン放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及No title>「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」
なら、政府・大企業と意見の対立する「反/脱原発」「反リニア」等も大きく月乃兎自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本No title『自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9011.html
>たとえば、男女平等。先進民主国なら女性とewkefc放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及Re: 権力批判を忘れた日本社会の一端を見ました。伊東勉さん、本当にお久しぶりです。
コメントありがとうございます。ご指摘もっともです。「権力に対する批判」が疎んじられている、正確には「自民党に対する批判が疎ん村野瀬 玲奈放送法の解釈を自民党政権のメディア統制に都合のよいように自民党政権が変更したことについて、小西ひろゆき参院議員による追及権力批判を忘れた日本社会の一端を見ました。 お晩でございます。コメントは久しぶりになります。
この問題をSNSで追ってゲンナリすることがありました。それは「権力に対する批判」が疎んじられていること。特伊東勉日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。アトランタの慰安婦像設置を歓迎するアトランタで日本の従軍慰安婦制度の史実を伝える平和の少女像が建てられました。
日本政府と多くの日本人が従軍慰安婦制度という蛮行の史実を歴史教科書から消し去り、被閉口第五福竜丸の史実を平和教育の教材から消して、生徒に伝えないようにする広島市教育委員会。広島は反核の地ではなくなっているのか。「はだしのゲン」の削除に続き広島市教育委員会は「はだしのゲン」の削除に続き今度は「第五福竜丸」を平和教育の教材から削除する方針。
第五福竜丸はビキニで超大国アメリカの水爆実験の惨禍を受けた閉口自衛隊を民主主義・立憲主義・人道主義・人権思想によってコントロールできないなら、自衛隊という組織そのものと指揮命令系統を根底から疑問詞しなければならなくなる。No title 自衛隊内に軍国主義が残り歴史修正主義が蔓延っていることを推認させるような講師の人選です。彼らの本質は結局は「日本軍」のままであり、「自分たちはすごい、正しい、クテシフォン東京都人権部は、過去にあった凄惨な人権蹂躙を検閲して隠すという歴史への蛮行を、税金を使って始めた。強く抗議します。東京都総務局人権部はその名に値しない。 東京都によるレイシズムと検閲に反対する有志一同は「東京都人権部は,歴史的事実を扱う作品の検閲を二度と繰り返さないでください。在日コリアンへの差別という重大な問Takeshiバイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪人権や戦争犯罪に大きく足を踏み出したバイデン大統領 バイデン大統領は死刑制度の廃止を主張し,人権擁護を前面に押し出しているように思います。
バイデン大統領は1915年に起きたトルコによるアルメニア人大量殺害についTakeshi건곤감리 乾坤坎離 (独立運動記念日)/ 다이아 (DIA ダイア) (不定期連載「気まぐれK-POPプレイリスト」)韓国民主化運動の流れ 韓国においては,民主化運動を画期的に前進させる事件がいくつか起きています。それらは個別に評価・検討するだけではなく,歴史の流れの中で理解した方がよいと思いますTakeshiバイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪Re: バイデンはノルドストリームを破壊したが檜原転石さん、ずいぶん冷笑的ですが、バイデンは謝罪しない方が良かったと真面目に思っているのか、お考えをおきかせください。村野瀬 玲奈「江戸しぐさ」という歴史偽造 (メモ)日清戦争における歴史の偽造 清国が朝鮮の独立をないがしろにしている,日本は「朝鮮の独立のために」戦うのだ,これが日清戦争の大義名分,天皇の詔勅でした。日本軍が王宮の外の道を行進していたとTakeshiデモへの誤解、偏見、忌避感について (メモ)韓国と日本の違い 日本の人口は1億2463万人ほどで,韓国の人口はその半分以下の5163万人ほどです。しかしながら100万人のデモでパク・クネを大統領から引きずり下ろしました。王政から帝政Takeshi自国の過去の過ちや蛮行に関する、現在の個人の責任について日本国家と個人の責任 「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実」(吉見義明・川田文子編著/大月書店 1997年6月24日第1刷発行)から一部引用します。
「自分とは関係のないことでいつもアジアTakeshiバイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪バイデンはノルドストリームを破壊したが★ジョージ・ブッシュ(パパ・ブッシュ): 米国戦艦がイランの旅客機を打ち落とし、290名の命を奪ったときに、副大統領として発言──『ニューズウィーク』1988年8月15日、「檜原転石