数日過ぎてしまったけど、さる12月1日は、アメリカ史にとって重要な日でした。
アメリカ公民権運動が大きな前進をとげたきっかけになった、アメリカの黒人女性、ローザ・パークスさんのバス不起立事件があったのが、1955年12月1日のことでした。
愚かだった人類が少しだけましなものになる大きなターニングポイントの一つになった、彼女の不服従行動を忘れないために、まずは読み返してみたいと思います。(...安易な引用転載ですみません...。)
●Wikipedia ローザ・パークスhttp://en.wikipedia.org/wiki/Rosa_Parks http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9 http://fr.wikipedia.org/wiki/Rosa_Parks ローザ・“リー”・ルイーズ・マコーリー・パークス(Rosa "Lee" Louise McCauley Parks、1913年2月4日 - 2005年10月24日)はアメリカ合衆国の公民権運動活動家。 1955年にアラバマ州都で公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反のかどで逮捕されて著名となる。これを契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発。アフリカ系アメリカ人(黒人)による公民権運動の導火線となったことで彼女は米国史上の文化的象徴と見なされ、米国連邦議会から「公民権運動の母」と呼ばれた。人権擁護運動の共有財産(共有遺産)として、その行動は米国内のみならず国際的にも高く評価されている。 プロフィール 生い立ち ローザ・ルイーズ・マコーリーは、アラバマ州タスキーギでアフリカ系アメリカ人で大工の父ジェイムズ・マコーリーと、教師の母・レオーナの間に生まれた。両親は間もなく離婚し農業を営む母と母方の祖父母のもとで弟・シルベスターとともに育ち、終生所属することになるアフリカン・メソジスト・エピスコパル教会員となる。母・レオーナは11歳になるまでローザに教育を施したが、1924年に州都モンゴメリーの女子職業学校に入学させた。1年後に閉鎖されたため他の中学やアラバマ州立黒人師範大学(現・アラバマ州立大学)付属の実験学校で教育を受け、16歳で縫製工場に就職した。その後、1932年黒人理容師のレイモンド・パークス(1903年~1977年)と結婚。結婚後、夫の奨めで高校生課程を修了している。レイモンドは全国有色人向上協会(NAACP)のメンバーでありローザも第二次世界大戦後、NAACPモンゴメリー支部の書記を勤めた。しかしそれは専業ではなく、収入を得るため何度も転職しさまざまな職業に就いている。1955年にはモンゴメリー・フェアー百貨店で裁縫の仕事をしていた。 逮捕 当時、アメリカ南部諸州にはジム・クロウ法(Jim Crow laws)と呼ばれる人種分離法が施行され公共交通機関を除く日常生活のあらゆるところで黒人と白人は隔離されていた。制度上、バス・レストランなど公共の場所で人種隔離が実施され、また黒人の投票権も事実上制限されていた。深南部と呼ばれるアラバマ州も、その事情は同じだった。 1955年12月1日18時ごろ、当時42歳のローザは百貨店での仕事を終えて帰宅するため市営バスに乗車した。バス内は白人席と黒人席に分けられ、中間の席には白人がいない時は黒人も座ってよいことになっていた。黒人席が一杯だったのでローザが中間席に座っていると白人が乗って来始め、立つ者も出てきた。このため運転手ジェイムズ・ブレイクが中間席に座っている黒人に立つよう命じる。坐っていた黒人4名中3名は席を空けたが、ローザは立たなかった。ブレイクがローザのところにやって来て「何故立たない?」と詰問し席を譲るよう求めたが、ローザは「立つ必要は感じません」と答えて起立を拒否。 1987年のテレビ番組でローザは、「着席したままだった私に気付いたブレイクが何故立たないかと訊ね、「立ちません」と答えました。するとブレイクは「よろしい。立たないんなら警察を呼んで逮捕させるぞ」と言ったので私は「どうぞ、そうなさい」と答えたんです」と述懐している。 1992年に出版されたMy Story(『ローザ・パークス自伝』 - 邦訳著書参照)においてもローザは疲れていたから立たなかったといつも言われるがそれは事実ではなく、普段と比べて疲れていなかったとしまた年寄りだったから立たなかったとする指摘にもまだ42歳で若かったと反論。「屈服させられることに我慢できなかった」(*)からだと述懐している。 (*)原文:"The only tired I was, was tired of giving in." - 直訳:唯一の疲れは、屈服することに疲れていたことだった 乗り合わせた乗客の証言によればローザは終始、静かで威厳に満ちた毅然たる態度を貫いたとされる。 ブレイクは警察に通報しローザは市条例違反で逮捕された。ローザはのちに「どうして私が連行されるの?」と質問した時、警官が「知るもんか。でも法は法だからな。お前は逮捕されたんだ」と返答したやりとりを明らかにしている。警察署での逮捕手続きが終わるといったんは市の拘置所に入れられたが即日保釈され、やがてモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される。 公民権運動 ローザ逮捕の知らせが伝わると、モンゴメリーのデクスター街バプテスト教会で牧師に着任したばかりで26歳のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアやラルフ・アバーナシー(Ralph Abernathy)牧師らが抗議運動に立ち上がり、モンゴメリーのすべての黒人にバス・ボイコット運動を呼びかけた。以前にも黒人がこのようなことで逮捕されていたが素行の悪い者が多く、運動としては盛り上がらなかった。ローザの場合はまともな職業婦人であり、NAACP書記でもあったから関係者が迅速に動いた。当時貧しい黒人にとってバスは必須の交通機関で利用者の75パーセント以上を占めていた黒人たちがバスを利用せず、黒人の車に同乗したりどこへ行くにも歩いたりしたためバス路線を運営するモンゴメリー市は経済的に大きな打撃を被った。ローザ側は市条例違反の判決に対しバス車内の人種分離の条例が違憲であるとして控訴、1956年11月に連邦最高裁判所は違憲判決を出し公共交通機関における人種差別を禁止することになる。ボイコット運動は381日間続き最高裁の違憲判決の翌日に収束。キング牧師はこの運動の勝利を契機として全米各地での公民権運動を指導、非暴力直接行動と市民的不服従をかかげ1963年8月28日、ワシントン大行進で25万人を集めた抗議集会を開催。アメリカの黒人運動は最高潮に達し、1964年の公民権法成立につながった。 この一連の運動に対応して、当時のジョン・F・ケネディ政権は次々と南部諸州における差別制度を禁止する立法を行った。またケネディ政権を継承したリンドン・ジョンソン政権は「偉大な社会」の実現を唱え、積極的に黒人の社会的・経済的地位を向上させるためのアファーマティブ・アクション立法にまで進んでいる。 その後 ローザもキング牧師の公民権運動に参加し著名な活動家となるが、地元には居辛くなり1957年にデトロイト市に引っ越した。ローザはその後もさまざまな職業を転々としているが、やがて自分がアメリカ史上の人物として学校の教科書でも教えられていることに気付く。有名人として職業的な地位も向上し、1965年から1988年にかけてミシガン州選出民主党下院議員ジョン・コンヤーズ(John Conyers)のスタッフを勤めた。なおこの間、1977年に夫・レイモンドがデトロイトで亡くなっている。 1987年にはローザ・レイモンド・パークス自己開発教育センターを創設して青少年の人権教育に尽力した。1999年にアメリカ連邦議会は、ローザに議会金メダルを贈った。これは最も偉大なアメリカ市民に贈られるメダルである。またアラバマ州モンゴメリーにはローザ博物館も設立された。
(引用ここまで)
もう一つ転載させていただきます。
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/rosa-king.htm - ローザ・パークス&マーチン・ルーサー・キング牧師 Rosa Parks & Martin Luther King Jr. - <公民権運動の転換点> 1960年代末にそのピークを迎えることになる公民権運動。アメリカにおける人種差別の撤廃に向けたこの運動には、そこに至るまでの長い道のりがありました。(その道のりが未だ遠いことは、2005年に起きたニューオーリンズの台風災害に対するブッシュ政権の対応の遅さで、再び明らかになりました)そして、その中でも特に重要な転換点となった出来事として、モントゴメリー市での市営バス・ボイコット運動を忘れることはできません。 この運動はローザ・パークスというごく普通の主婦がたった一人で始めた抗議行動がきっかけで始まったものでした。そして、その運動を引き継ぎ、指揮することになったキング牧師は、この事件で得た経験、知名度、人脈を駆使して、その後20世紀を代表する英雄の一人へと登りつめて行くことになります。 普通の主婦がきっかけをつくり、無名の若き牧師が指揮したこの運動は、公民権運動における重要な成功例として歴史に刻まれることになりましたが、それはいかにして始まり、なぜ大きな成功を収めることができたのか?そこにはいくつかの好運と歴史の必然がありました。 <事件の始まり> 1955年アメリカ南部アラバマ州のモントゴメリー市を走る市営バスでは、昔ながらの人種差別が行われていました。基本的には、前方の10列が白人用で、後方の26列が黒人用と座席が分けられていたのです。ただし、その境目は白人の運転手によって自由に変えられるようになっていました。 12月1日の夕方、そんな市営バスに一人の主婦が乗り込みました。彼女の名はローザ・パークス。デパートで縫製の仕事をしていた彼女は、疲れた身体を休めようと黒人席の最前方に腰をおろしました。当時彼女は42歳。大工の父親と教師をしていた母親のもとに生まれた彼女は、その頃にしては珍しく黒人向けの専門学校で初等教育を受けており、その後お手伝いとして働いていた白人家庭の後押しによってテネシー州の人種共学の学校を卒業していました。その学校で彼女はガンジーについて学び、彼の非暴力、不服従の闘争に大きな感銘を受けたといいます。 そんなこともあり、彼女は全国黒人地位向上協会(NAACP)という組織のメンバーとして活動するようになっていました。とは言っても、あくまで彼女は夫も子供もいる働く主婦のひとりでした。その日も彼女はいつものように仕事を終え、家路に着く途中でした。ところが、その日はなぜか白人の乗客が多く、いつの間にか白人席が満員になってしまいました。すると、席がなくなった白人乗客を座らせるため、運転手が後を振り返り、席を一列ずつずらすよう命令しました。普段ならその言葉に逆らう者はいませんでした。しかし、寒さと疲労で足が痛んでしかたがなかった彼女は、運転手の言葉を無視し席を立とうとはしませんでした。 「警察を呼んでもいいのか?」という運転手の脅し文句に対し、彼女は「お好きなように!」と言い返したのです。それは黒人の乗客たちがそれまで当たり前と思って我慢してきた差別に対し、ごく普通の主婦が実に当然の抵抗をしただけのことでした。しかし、これが歴史を変えるきっかけになる事件へと発展することになるとは、誰も思わなかったはずです。 <事件の発展> 彼女が逮捕されたことを知ったNAACPのモントゴメリー支部長エド・ニクソンは、この事件に大きな意味を見出していました。ごく普通の主婦ではあっても、彼女が勇気と誇りをもった人物であることを知っていた彼は、彼女なら自分が計画している運動の旗印としてうってつけであると考えたのです。 この時すでに公立学校における人種分離は憲法に違反しているという判断が最高裁で下されていました。このブラウン判決は全米各地に大きな衝撃を与えましたが、それは社会状況の変化にはつながっていませんでした。従って、NAACPではこの判決を後ろ盾にして現状を変えてゆく具体的な運動を模索していたところでした。 そこで、ニクソンはこの事件をきっかけにバス・ボイコット運動を始め、座席の人種分離区画を廃止させ、差別的な社会構造を変革する運動の先駆けにしようと考えたのです。彼のその計画をきき、ローザ・パークスは夫の反対を振り切り協力すると約束します。こうして、バス・ボイコット運動の第一歩が踏み出されたのです。 <事件の新たな主役> 一主婦によって始められた抗議行動は、こうして黒人市民すべてを巻き込んだ大きな運動へと発展してゆくことになります。しかし、この運動を成功させるためには、より広範な層を巻き込むだけの拡がりが不可欠でした。それには一主婦の能力だけではなくリベラルな白人層をも仲間に引き入れるだけのカリスマ的なリーダーは必要でした。しかし、神はこの時素晴らしい人物をモントゴメリーに使わされました。弱冠26歳の新任牧師マーティン・ルーサー・キングJr.です。 <牧師になるということ> マーティン・ルーサー・キングJr.の父、ダディ・キングは黒人中産階級が力を持つ数少ない都市アトランタの中心的教会エベネザー・バプティスト教会の牧師として地位も名誉もある人物でした。そのため、キングJr.は父親が牧師となるまでに重ねた苦労を体験することなく、黒人の名門大学モアハウス大学に入学することができました。ところが彼は牧師としての父親のやり方を引き継ぐ気にはなれずにいました。彼は父親の芝居がかった昔風の説教が嫌いだったのです。そして彼は教会の中で神に祈っているだけでは、社会の状況を変えることはできないと考えていました。それでも彼が牧師になる道を選んだのは、当時の状況では牧師として社会活動をすることが黒人にとって唯一の社会変革の方法だったからです。 当時、黒人が政治家になるのは不可能に近く、なおかつ危険なことでした。その点、教会の牧師という地位はたとえ黒人ではあっても、まだ安全な職業であり、人々の心のよりどころとして社会活動の中心となることも可能だったのです。こうして、牧師の道を歩むことになったキングJr.の赴任した最初の教会。それがモントゴメリー市にある名門教会、デクスター・アヴェニュー教会でした。 <なぜキング牧師が選ばれたのか?> まだまったく無名の存在だった新任の牧師が、運動の指導者に選べれたのには理由がありました。先ず、彼の所属する教会がモントゴメリー最大の黒人教会だったこと。当然、大きな教会の牧師なら、信徒が多くそのぶん動きやすく、白人に襲われる可能性も高くなります。 彼が新任であるがゆえに黒人たちの間にできていた派閥的な色分けに染まっていなかったことも重要でした。 しかし、なんと言ってもニクソンやその他リーダー格の人物がすでにキングJr.の説教を聞いており、そのカリスマ性に気づいていたことが最大の原因かもしれません。こうして、彼はモントゴメリー改良教会(MIA)という新組織の会長に任命され、この後運動の中心となって行きます。 この選択が間違いでなかったことは、運動が始まってすぐの彼の演説によってすぐに明らかになります。彼は先ず初めにこう言いました。 「先ず言おうではないか、我々がここで暴力を唱道しているのではないということを。暴力に訴える道はすでに克服してきた。モントゴメリー市内のすべての人々に、アメリカ全土のすべての人々に知って欲しいのは、我々がキリスト教徒だということだ。今夜、我々が手にする唯一の武器は、抗議という武器のみだ」 「もし我々が誤っているとすれば、合衆国憲法が誤っているということだ。 もし我々が誤っているとすれば、全能の神が誤っているということだ。 もし我々が誤っているとすれば、ナザレのイエスは単にユートピアを夢見ただけの夢想家にすぎ ず、この世に現れもしなかったということだ。 もし我々が誤っているとすれば、正義などまやかしにすぎない」 「だからこそ、我々はここモントゴメリーの地で決意したのだ。正義を水のごとく、公正を尽きせぬ河のごとく流れせしめるまで闘いぬくことを」 こうして、素晴らしいタレントを得た黒人たちの運動が盛り上がりをみせるのに対して、市当局はほとんど無策のまま動こうとしませんでした。なぜなら彼らは黒人たちを馬鹿にしきっており、いざとなったら警察権力による脅しによって簡単につぶせると高を括っていたのです。ところが、黒人たちの結束は固く、なおかつ地元メディアを別にすると全国メディアの新聞やテレビは完全に黒人側に同情的であることがわかると、しだいに彼らは運動に対して圧力を加えるようになります。 <権力からの圧力> 黒人たちはバスに乗らない代わりに、何人かでタクシーや自家用車の相乗りをしたり、良心的な雇い主の車に乗せてもらったり、寄付金によって購入された車をグループごとに使用したりしていました。それに対し市当局はこれらの方法をすべて公的機関に対する営業妨害行為として違法と認定。警察はそれらの車を運転している黒人を次々と逮捕し始めました。 キング牧師もスピード違反を理由に逮捕拘留されてしまいます。これに対し黒人群衆が警察署を取り囲み抗議行動を行い、すぐにキング牧師は釈放されましたが、その2日後彼の自宅が白人の過激派によって爆破されました。 しかし、こうした暴力や脅しによって運動が止められることはありませんでした。逆に当時まだ発展途上にあったテレビの全国ネット・ニュース番組は、モントゴメリーから毎日のように中継を行い、次々と起こる出来事を報道することで全米の視聴者の目をこの街に向けさせました。 <テレビの力と勝利> 現在のように巨大化、系列下される前のテレビ局は、現場のスタッフやキャスターの判断で自由に取材や報道を行うことが許されていました。そこにはスポンサーや上部企業からの圧力はまったくなかったのです。だからこそ、使命感に燃えた取材スタッフは危険を省みず黒人たちの間にカメラを持ち込み、差別の現状を全国そして世界各国に報道できたのです。 キング牧師らもこうしたマスコミの力をしだいに有効に利用する方法を身につけるようになります。こうして、テレビや新聞社のカメラは、運動を広く報道する役目だけでなく、黒人たちの安全を確保し、世論を支持を得るための重要な役目を担うことになって行きました。 この運動が始まって一年後、最高裁判所はモントゴメリーのバス運行に関する条例は違憲であると判決を下しました。そして、ローザ・パークスがバス内で警官に逮捕された日から2年後の12月21日、モントゴメリー市は人種分離区画を廃止したバスを運行させました。第一号のバスに乗ったキング牧師に白人のバス運転手はこう言ったそうです。 「キング牧師ですね。今朝、このバスにお迎えできて私たちはうれしく思っています」 キング牧師は勝訴が決まった後の演説で、判決結果についてこう述べています。 「この結果は白人に対する黒人の勝利ではなく、アメリカの正義と民主主義の勝利なのです」
(転載ここまで)
もう一つ。彼女が亡くなった時の追悼記事。
●壊れる前に… ローザ・パークスさんを悼む
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_06fc.html 2005.10.27
●Democracy Now ! Rosa Parks 1913-2005 We Air A Rare 1956 Interview With Parks During the Montgomery Bus Boycott
http://www.democracynow.org/2005/10/25/rosa_parks_1913_2005_we_air 1955年、そんなに何世紀も前のことではありません。とても想像できませんが、数十年前のこと、言ってみればつい最近のことです。
人種差別を法の中からなくすためには、その時代の「差別を当然とする常識」や「差別を合法とする法律」と、それらの撤廃を求める人々が衝突して、警察権力からの「制裁」を受けなければなりませんでした。そのステップ無しに差別的法制は廃止されることはなかったのです。差別者側や暴政者側が差別や暴政に気づいて自ら差別的法制や暴政を廃止するのがベストでしたが、残念ながら、そうはなりませんでした。しかし、とにかく、ローザ・パークスさんの行動がきっかけとなって、アメリカの差別的法制は廃止されたのです。
そのような例は歴史の中にたくさんあります。その時代の法を破ることによって、社会との軋轢(あつれき)を生むことによって、やっと法律上の差別や、人々を苦しめる圧政がなくなったという例です。
日本では、人々の抗議によって法律上の差別や、人々を苦しめる圧政がなくなったという例を私はあまり思い浮かべることができません。人々からの抗議の力が弱いのでしょうか、政治の側が抗議を理解して政治を改める実行力がないのでしょうか、それともその両方なのでしょうか。
2011年の目で1955年当時のアメリカの差別的政策について観察し考察するように、私は数十年後、ひょっとしたら数百年後の、願わくばもう少しましになった社会の目で今2011年現在の日本の暴政や社会的誤りについて観察し考察し、政治の改善を求め続けようと努力を続けます。歴史を前進させた人たちの、多くは日常的でさりげない行動に励みを求めながら。
築地市場の豊洲移転に反対 して食の安全を守りたい。●Like a rolling bean (new) 出来事録 ■2011-11-17http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-11080908283.html 【昨日の報告と予算資料】築地市場桟橋撤去工事、抗議にも関わらずパネルが貼られました!
↑『がけっぷち社長 』さん作。また、税制についての当秘書課の記事は、「カテゴリ : 税制、税金、財政 」から。
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この部分がスッポリ抜け落ちてる気がします。
この施策で増税されるのは、課税事業ですよね。
今は、免税事業者から仕入れても、月風狼ウィシュマ・サンダマリさん死亡事件について、名古屋地検に起訴処分を求めます #JusticeForWishmaNo title 少なくとも業務上過失致死罪の成立は確実な事案で起訴すらしない検察の態度は理解不能ですが、これは「身内同士のかばいあい」の類のようです。
入管と検察の間では回クテシフォン経済的合理性、法的整合性、科学的妥当性、倫理的正当性、地球環境汚染への罪悪感が東電核発電所からの汚染水放出には欠けている。最後のツイートに火消しのコミュニティノートがついてるのがわかりやすいですね。原発信者の主張が新しかった試しはないのに。
東電の動きの遅さを思えば2018年すら最近でoh suchロシアによるウクライナ侵攻は悪である。すべての軍事侵略は悪である。大日本帝国によるアジア軍事侵攻も悪である。 #あらゆる戦争に反対しますルガンスク出身の少女、ファイナ・サベンコワさん(14)の叫びを聞こう事実を言うとウクライナのネオナチ政権のミロトヴォレツ「殺害リスト」に載る社会。
ちなみにカナダの記者エヴァ・バートレッもそのリストに載っている。英国の記者ヴァネ檜原転石「インボイス制度の中止を求める税理士の会」メモ (インボイス制度反対の理由、輸出大企業の還付金の件など) #インボイス増税反対 #私もインボイス増税に反対します #STOPインボイス 運動を続ける (19)本当に呆れます署名を受け取り拒否したということで、「恥知らず」、「辞めてしまえ」だけでは済まないことです。
真摯さを踏みにじるのは政治家だけでなく、ロクに報道しない業者連中にアンドリュー・バルトフェルド維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)誕生日祝いに個人献金をねだる政治家 維新の会の音喜多駿は日本全国民にこうお願いしました。
【個人献金のお願い】 誕生日メッセージで「おめでとう、何が欲しい?」と聞かれると「こ、個人献金!」と答えTakeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ#汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ汚染水の海洋放出という蛮行を行った自民党政権。
しかし自らの非を棚に上げ排外主義を煽り立てることによりまんまと功を報しています。
いま自民党政権、その補完勢力とマ閉口自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ付け加えると杉田水脈は筋金入りの差別主義者です。
人種差別主義、女性差別主義などなど自民党思想そのものでしょう。
だから日本軍国主義者「安倍晋三」のお気に入りでしたし自民党の閉口「インボイス制度の中止を求める税理士の会」メモ (インボイス制度反対の理由、輸出大企業の還付金の件など) #インボイス増税反対 #私もインボイス増税に反対します #STOPインボイス 運動を続ける (19)#私もインボイス増税に反対します消費税は弱者に負担が重くのしかかる悪しき税制です。
インボイス税制とはその消費税の増税です。
世の中のことは一番弱い人を基準に考えなくてはいけないのが鉄則です。
閉口性暴力についてのメモ女性型社会は権威主義的,好戦的な父権制社会への歯止めになる。 性暴力とは少し外れてしまいますが,御容赦ください。
フォントヴローは西ヨーロッパ最大の領地を抱える修道院群でした。フォントヴローはアンジュ―,トゥレーヌ,パTakeshi自衛隊内の性暴力との五ノ井里奈さんの裁判闘争は続いている。被告人が五ノ井さんはウソをついていると裁判で証言 被告人が五ノ井さんはウソついていると思うと,裁判で証言したそうです。ウソで告発すれば誣告罪に問われるはず。そんな危険なことをするはずがありません。言うに事欠いTakeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。ニーメラー>R2さん
>意義あるのか
マルティン・ニーメラーを知っていますか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title少子化と大学の二極化のなせる業でしょうか
「愛知大学」はかつては「地元ではそれなりの大学、でも全国レベルでは大した偏差値ではなかった」が今はそうじゃない、だから津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。日本の軍国化はしょせん疑似問題内田樹氏の理解ある言葉
今政府は「戦争ができる国」に国家改造しているわけですけれど、これは「ほんとうに戦争をする気がある」からそうしているわけじゃなくて、「そR2反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。Re: 意義あるのか記事の趣旨とははずれていますが、軍事優先主義的な考え方とはどのようなものか端的にわかる実例のようなコメントをありがとうございます。
>そもそも日本が戦争が出来村野瀬 玲奈軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。Re: No title>北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
「正攻法」って具体的に何かよくわかりませんが、ミサイルが怖いなら怖いんじゃ村野瀬 玲奈反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。意義あるのか反戦デモっつっても日本が他国の軍事的脅威に
なると思っているのかな。
そもそも日本が戦争が出来ると思っている者が
いるのが驚く。
まず間違いないのが日本が他国に戦R2軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。No title北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
そんな長者番付よりも信用ならないデータだけ
では事実が見えない。
自衛隊は多くR2自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ杉田水脈「女性はいくらでもうそをつけますから」★1970年代前半の時期に米国のニューヨーク市で、性犯罪分析特別班を設置し、女性の警察官を被害者の面接に当たらせたところ、同市における強姦罪の虚偽告発率は2%であり、檜原転石反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラの祈り>Takeshiさん
戦後、ドイツではショル兄妹を顕彰するために学校の名前に「ショル兄妹記念」と名付けられていたりしますよね。
そして、それが書籍や映画になり、広く語る津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラ事件を思い起こさせる。 ミュンヘン大学でショル兄妹たちは反戦ビラを巻きちらしました。大学の用務員がビラを拾ってナチス当局に届け出ました。ショル兄妹たちは民族裁判所で「国家反逆罪」に問Takeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよソロモン諸島の首相が日本の汚染水海洋投棄を非難 国連総会において,ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が日本の汚染水の海洋投棄を非難しました。IAEAの処理水をめぐる報告書についても,不十分だとしたうえで,「原発Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title 反戦デモに参加したことで学生が懲戒を受けるだけでもすさまじいのに、一番重い退学処分とは・・・。愛知大学は一体何を考えているのか。これが容認されれば萎縮効果は甚クテシフォン維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)維新の会の池上卓は公設秘書として2人の市議を採用 維新の会の池上卓議員(大阪10区)は,公設秘書として現職の高塚市議2人を採用していたとのこと。国会議員の秘書に関しては法改正で兼職が禁止され,例外的に兼職届が出Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No titleそのうち「焚書」とか起こりそうで、冗談じゃなく怖いです。
まさに「新しい戦前」…津木野宇佐儀現行の健康保険証の圧勝、マイナ保険証の惨敗。 #現行の健康保険証を残してください #保険証廃止はありえない #サントリー不買運動No title新浪と成田が格差拡大を正当化する対談をプレジデントオンラインでほざいています。
まあ、救いようのないバカばっかりです。アンドリュー・バルトフェルド弁護士ドットコムタイムズに #維新 の橋下徹を登場させるのはおかしいのではないか。No titleいかにもそれっぽい名称を名乗った(所謂弁護士連合会とは無縁の)営利目的の組織じゃないですか。何せ株式会社ですからね。
ここの発するニュースなんかを見ててずーっと別人28号言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ二重基準の適用問題No. 1919 福島の核廃棄物:ロシアを非難し、日本を承認
投稿日時: 2023年9月20日
Fukushima’s nuclear waste:Stigmatising Russia, approving Japan
by Richard Cullen
h檜原転石日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」
何度でも引用されるヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉ですが、日本ではもっともっと使われるべき言葉ですよね。
付け足津木野宇佐儀英霊には感謝してはならない。英霊には謝罪しなければならない。英霊は讃えられ,傷痍軍人は侮辱・差別された。 わたしがとても幼いとき,神社で祭があると,神社の階段下に軍帽をかぶり,白い服を着て腕や足のない傷痍軍人が恵みの金を求めている姿を見たことがあります。実際に見たTakeshi