
数日過ぎてしまったけど、さる12月1日は、アメリカ史にとって重要な日でした。
アメリカ公民権運動が大きな前進をとげたきっかけになった、アメリカの黒人女性、ローザ・パークスさんのバス不起立事件があったのが、1955年12月1日のことでした。
愚かだった人類が少しだけましなものになる大きなターニングポイントの一つになった、彼女の不服従行動を忘れないために、まずは読み返してみたいと思います。(...安易な引用転載ですみません...。)
●Wikipedia
ローザ・パークス
http://en.wikipedia.org/wiki/Rosa_Parks
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9
http://fr.wikipedia.org/wiki/Rosa_Parks
ローザ・“リー”・ルイーズ・マコーリー・パークス(Rosa "Lee" Louise McCauley Parks、1913年2月4日 - 2005年10月24日)はアメリカ合衆国の公民権運動活動家。
1955年にアラバマ州都で公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反のかどで逮捕されて著名となる。これを契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発。アフリカ系アメリカ人(黒人)による公民権運動の導火線となったことで彼女は米国史上の文化的象徴と見なされ、米国連邦議会から「公民権運動の母」と呼ばれた。人権擁護運動の共有財産(共有遺産)として、その行動は米国内のみならず国際的にも高く評価されている。
プロフィール
生い立ち
ローザ・ルイーズ・マコーリーは、アラバマ州タスキーギでアフリカ系アメリカ人で大工の父ジェイムズ・マコーリーと、教師の母・レオーナの間に生まれた。両親は間もなく離婚し農業を営む母と母方の祖父母のもとで弟・シルベスターとともに育ち、終生所属することになるアフリカン・メソジスト・エピスコパル教会員となる。母・レオーナは11歳になるまでローザに教育を施したが、1924年に州都モンゴメリーの女子職業学校に入学させた。1年後に閉鎖されたため他の中学やアラバマ州立黒人師範大学(現・アラバマ州立大学)付属の実験学校で教育を受け、16歳で縫製工場に就職した。その後、1932年黒人理容師のレイモンド・パークス(1903年~1977年)と結婚。結婚後、夫の奨めで高校生課程を修了している。レイモンドは全国有色人向上協会(NAACP)のメンバーでありローザも第二次世界大戦後、NAACPモンゴメリー支部の書記を勤めた。しかしそれは専業ではなく、収入を得るため何度も転職しさまざまな職業に就いている。1955年にはモンゴメリー・フェアー百貨店で裁縫の仕事をしていた。
逮捕
当時、アメリカ南部諸州にはジム・クロウ法(Jim Crow laws)と呼ばれる人種分離法が施行され公共交通機関を除く日常生活のあらゆるところで黒人と白人は隔離されていた。制度上、バス・レストランなど公共の場所で人種隔離が実施され、また黒人の投票権も事実上制限されていた。深南部と呼ばれるアラバマ州も、その事情は同じだった。
1955年12月1日18時ごろ、当時42歳のローザは百貨店での仕事を終えて帰宅するため市営バスに乗車した。バス内は白人席と黒人席に分けられ、中間の席には白人がいない時は黒人も座ってよいことになっていた。黒人席が一杯だったのでローザが中間席に座っていると白人が乗って来始め、立つ者も出てきた。このため運転手ジェイムズ・ブレイクが中間席に座っている黒人に立つよう命じる。坐っていた黒人4名中3名は席を空けたが、ローザは立たなかった。ブレイクがローザのところにやって来て「何故立たない?」と詰問し席を譲るよう求めたが、ローザは「立つ必要は感じません」と答えて起立を拒否。
1987年のテレビ番組でローザは、「着席したままだった私に気付いたブレイクが何故立たないかと訊ね、「立ちません」と答えました。するとブレイクは「よろしい。立たないんなら警察を呼んで逮捕させるぞ」と言ったので私は「どうぞ、そうなさい」と答えたんです」と述懐している。
1992年に出版されたMy Story(『ローザ・パークス自伝』 - 邦訳著書参照)においてもローザは疲れていたから立たなかったといつも言われるがそれは事実ではなく、普段と比べて疲れていなかったとしまた年寄りだったから立たなかったとする指摘にもまだ42歳で若かったと反論。「屈服させられることに我慢できなかった」(*)からだと述懐している。
(*)原文:"The only tired I was, was tired of giving in." - 直訳:唯一の疲れは、屈服することに疲れていたことだった
乗り合わせた乗客の証言によればローザは終始、静かで威厳に満ちた毅然たる態度を貫いたとされる。
ブレイクは警察に通報しローザは市条例違反で逮捕された。ローザはのちに「どうして私が連行されるの?」と質問した時、警官が「知るもんか。でも法は法だからな。お前は逮捕されたんだ」と返答したやりとりを明らかにしている。警察署での逮捕手続きが終わるといったんは市の拘置所に入れられたが即日保釈され、やがてモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される。
公民権運動
ローザ逮捕の知らせが伝わると、モンゴメリーのデクスター街バプテスト教会で牧師に着任したばかりで26歳のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアやラルフ・アバーナシー(Ralph Abernathy)牧師らが抗議運動に立ち上がり、モンゴメリーのすべての黒人にバス・ボイコット運動を呼びかけた。以前にも黒人がこのようなことで逮捕されていたが素行の悪い者が多く、運動としては盛り上がらなかった。ローザの場合はまともな職業婦人であり、NAACP書記でもあったから関係者が迅速に動いた。当時貧しい黒人にとってバスは必須の交通機関で利用者の75パーセント以上を占めていた黒人たちがバスを利用せず、黒人の車に同乗したりどこへ行くにも歩いたりしたためバス路線を運営するモンゴメリー市は経済的に大きな打撃を被った。ローザ側は市条例違反の判決に対しバス車内の人種分離の条例が違憲であるとして控訴、1956年11月に連邦最高裁判所は違憲判決を出し公共交通機関における人種差別を禁止することになる。ボイコット運動は381日間続き最高裁の違憲判決の翌日に収束。キング牧師はこの運動の勝利を契機として全米各地での公民権運動を指導、非暴力直接行動と市民的不服従をかかげ1963年8月28日、ワシントン大行進で25万人を集めた抗議集会を開催。アメリカの黒人運動は最高潮に達し、1964年の公民権法成立につながった。
この一連の運動に対応して、当時のジョン・F・ケネディ政権は次々と南部諸州における差別制度を禁止する立法を行った。またケネディ政権を継承したリンドン・ジョンソン政権は「偉大な社会」の実現を唱え、積極的に黒人の社会的・経済的地位を向上させるためのアファーマティブ・アクション立法にまで進んでいる。
その後
ローザもキング牧師の公民権運動に参加し著名な活動家となるが、地元には居辛くなり1957年にデトロイト市に引っ越した。ローザはその後もさまざまな職業を転々としているが、やがて自分がアメリカ史上の人物として学校の教科書でも教えられていることに気付く。有名人として職業的な地位も向上し、1965年から1988年にかけてミシガン州選出民主党下院議員ジョン・コンヤーズ(John Conyers)のスタッフを勤めた。なおこの間、1977年に夫・レイモンドがデトロイトで亡くなっている。
1987年にはローザ・レイモンド・パークス自己開発教育センターを創設して青少年の人権教育に尽力した。1999年にアメリカ連邦議会は、ローザに議会金メダルを贈った。これは最も偉大なアメリカ市民に贈られるメダルである。またアラバマ州モンゴメリーにはローザ博物館も設立された。
(引用ここまで)
もう一つ転載させていただきます。
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/rosa-king.htm
- ローザ・パークス&マーチン・ルーサー・キング牧師
Rosa Parks & Martin Luther King Jr. -
<公民権運動の転換点>
1960年代末にそのピークを迎えることになる公民権運動。アメリカにおける人種差別の撤廃に向けたこの運動には、そこに至るまでの長い道のりがありました。(その道のりが未だ遠いことは、2005年に起きたニューオーリンズの台風災害に対するブッシュ政権の対応の遅さで、再び明らかになりました)そして、その中でも特に重要な転換点となった出来事として、モントゴメリー市での市営バス・ボイコット運動を忘れることはできません。
この運動はローザ・パークスというごく普通の主婦がたった一人で始めた抗議行動がきっかけで始まったものでした。そして、その運動を引き継ぎ、指揮することになったキング牧師は、この事件で得た経験、知名度、人脈を駆使して、その後20世紀を代表する英雄の一人へと登りつめて行くことになります。
普通の主婦がきっかけをつくり、無名の若き牧師が指揮したこの運動は、公民権運動における重要な成功例として歴史に刻まれることになりましたが、それはいかにして始まり、なぜ大きな成功を収めることができたのか?そこにはいくつかの好運と歴史の必然がありました。
<事件の始まり>
1955年アメリカ南部アラバマ州のモントゴメリー市を走る市営バスでは、昔ながらの人種差別が行われていました。基本的には、前方の10列が白人用で、後方の26列が黒人用と座席が分けられていたのです。ただし、その境目は白人の運転手によって自由に変えられるようになっていました。
12月1日の夕方、そんな市営バスに一人の主婦が乗り込みました。彼女の名はローザ・パークス。デパートで縫製の仕事をしていた彼女は、疲れた身体を休めようと黒人席の最前方に腰をおろしました。当時彼女は42歳。大工の父親と教師をしていた母親のもとに生まれた彼女は、その頃にしては珍しく黒人向けの専門学校で初等教育を受けており、その後お手伝いとして働いていた白人家庭の後押しによってテネシー州の人種共学の学校を卒業していました。その学校で彼女はガンジーについて学び、彼の非暴力、不服従の闘争に大きな感銘を受けたといいます。
そんなこともあり、彼女は全国黒人地位向上協会(NAACP)という組織のメンバーとして活動するようになっていました。とは言っても、あくまで彼女は夫も子供もいる働く主婦のひとりでした。その日も彼女はいつものように仕事を終え、家路に着く途中でした。ところが、その日はなぜか白人の乗客が多く、いつの間にか白人席が満員になってしまいました。すると、席がなくなった白人乗客を座らせるため、運転手が後を振り返り、席を一列ずつずらすよう命令しました。普段ならその言葉に逆らう者はいませんでした。しかし、寒さと疲労で足が痛んでしかたがなかった彼女は、運転手の言葉を無視し席を立とうとはしませんでした。
「警察を呼んでもいいのか?」という運転手の脅し文句に対し、彼女は「お好きなように!」と言い返したのです。それは黒人の乗客たちがそれまで当たり前と思って我慢してきた差別に対し、ごく普通の主婦が実に当然の抵抗をしただけのことでした。しかし、これが歴史を変えるきっかけになる事件へと発展することになるとは、誰も思わなかったはずです。
<事件の発展>
彼女が逮捕されたことを知ったNAACPのモントゴメリー支部長エド・ニクソンは、この事件に大きな意味を見出していました。ごく普通の主婦ではあっても、彼女が勇気と誇りをもった人物であることを知っていた彼は、彼女なら自分が計画している運動の旗印としてうってつけであると考えたのです。
この時すでに公立学校における人種分離は憲法に違反しているという判断が最高裁で下されていました。このブラウン判決は全米各地に大きな衝撃を与えましたが、それは社会状況の変化にはつながっていませんでした。従って、NAACPではこの判決を後ろ盾にして現状を変えてゆく具体的な運動を模索していたところでした。
そこで、ニクソンはこの事件をきっかけにバス・ボイコット運動を始め、座席の人種分離区画を廃止させ、差別的な社会構造を変革する運動の先駆けにしようと考えたのです。彼のその計画をきき、ローザ・パークスは夫の反対を振り切り協力すると約束します。こうして、バス・ボイコット運動の第一歩が踏み出されたのです。
<事件の新たな主役>
一主婦によって始められた抗議行動は、こうして黒人市民すべてを巻き込んだ大きな運動へと発展してゆくことになります。しかし、この運動を成功させるためには、より広範な層を巻き込むだけの拡がりが不可欠でした。それには一主婦の能力だけではなくリベラルな白人層をも仲間に引き入れるだけのカリスマ的なリーダーは必要でした。しかし、神はこの時素晴らしい人物をモントゴメリーに使わされました。弱冠26歳の新任牧師マーティン・ルーサー・キングJr.です。
<牧師になるということ>
マーティン・ルーサー・キングJr.の父、ダディ・キングは黒人中産階級が力を持つ数少ない都市アトランタの中心的教会エベネザー・バプティスト教会の牧師として地位も名誉もある人物でした。そのため、キングJr.は父親が牧師となるまでに重ねた苦労を体験することなく、黒人の名門大学モアハウス大学に入学することができました。ところが彼は牧師としての父親のやり方を引き継ぐ気にはなれずにいました。彼は父親の芝居がかった昔風の説教が嫌いだったのです。そして彼は教会の中で神に祈っているだけでは、社会の状況を変えることはできないと考えていました。それでも彼が牧師になる道を選んだのは、当時の状況では牧師として社会活動をすることが黒人にとって唯一の社会変革の方法だったからです。
当時、黒人が政治家になるのは不可能に近く、なおかつ危険なことでした。その点、教会の牧師という地位はたとえ黒人ではあっても、まだ安全な職業であり、人々の心のよりどころとして社会活動の中心となることも可能だったのです。こうして、牧師の道を歩むことになったキングJr.の赴任した最初の教会。それがモントゴメリー市にある名門教会、デクスター・アヴェニュー教会でした。
<なぜキング牧師が選ばれたのか?>
まだまったく無名の存在だった新任の牧師が、運動の指導者に選べれたのには理由がありました。先ず、彼の所属する教会がモントゴメリー最大の黒人教会だったこと。当然、大きな教会の牧師なら、信徒が多くそのぶん動きやすく、白人に襲われる可能性も高くなります。
彼が新任であるがゆえに黒人たちの間にできていた派閥的な色分けに染まっていなかったことも重要でした。
しかし、なんと言ってもニクソンやその他リーダー格の人物がすでにキングJr.の説教を聞いており、そのカリスマ性に気づいていたことが最大の原因かもしれません。こうして、彼はモントゴメリー改良教会(MIA)という新組織の会長に任命され、この後運動の中心となって行きます。
この選択が間違いでなかったことは、運動が始まってすぐの彼の演説によってすぐに明らかになります。彼は先ず初めにこう言いました。
「先ず言おうではないか、我々がここで暴力を唱道しているのではないということを。暴力に訴える道はすでに克服してきた。モントゴメリー市内のすべての人々に、アメリカ全土のすべての人々に知って欲しいのは、我々がキリスト教徒だということだ。今夜、我々が手にする唯一の武器は、抗議という武器のみだ」
「もし我々が誤っているとすれば、合衆国憲法が誤っているということだ。
もし我々が誤っているとすれば、全能の神が誤っているということだ。
もし我々が誤っているとすれば、ナザレのイエスは単にユートピアを夢見ただけの夢想家にすぎ ず、この世に現れもしなかったということだ。
もし我々が誤っているとすれば、正義などまやかしにすぎない」
「だからこそ、我々はここモントゴメリーの地で決意したのだ。正義を水のごとく、公正を尽きせぬ河のごとく流れせしめるまで闘いぬくことを」
こうして、素晴らしいタレントを得た黒人たちの運動が盛り上がりをみせるのに対して、市当局はほとんど無策のまま動こうとしませんでした。なぜなら彼らは黒人たちを馬鹿にしきっており、いざとなったら警察権力による脅しによって簡単につぶせると高を括っていたのです。ところが、黒人たちの結束は固く、なおかつ地元メディアを別にすると全国メディアの新聞やテレビは完全に黒人側に同情的であることがわかると、しだいに彼らは運動に対して圧力を加えるようになります。
<権力からの圧力>
黒人たちはバスに乗らない代わりに、何人かでタクシーや自家用車の相乗りをしたり、良心的な雇い主の車に乗せてもらったり、寄付金によって購入された車をグループごとに使用したりしていました。それに対し市当局はこれらの方法をすべて公的機関に対する営業妨害行為として違法と認定。警察はそれらの車を運転している黒人を次々と逮捕し始めました。
キング牧師もスピード違反を理由に逮捕拘留されてしまいます。これに対し黒人群衆が警察署を取り囲み抗議行動を行い、すぐにキング牧師は釈放されましたが、その2日後彼の自宅が白人の過激派によって爆破されました。
しかし、こうした暴力や脅しによって運動が止められることはありませんでした。逆に当時まだ発展途上にあったテレビの全国ネット・ニュース番組は、モントゴメリーから毎日のように中継を行い、次々と起こる出来事を報道することで全米の視聴者の目をこの街に向けさせました。
<テレビの力と勝利>
現在のように巨大化、系列下される前のテレビ局は、現場のスタッフやキャスターの判断で自由に取材や報道を行うことが許されていました。そこにはスポンサーや上部企業からの圧力はまったくなかったのです。だからこそ、使命感に燃えた取材スタッフは危険を省みず黒人たちの間にカメラを持ち込み、差別の現状を全国そして世界各国に報道できたのです。
キング牧師らもこうしたマスコミの力をしだいに有効に利用する方法を身につけるようになります。こうして、テレビや新聞社のカメラは、運動を広く報道する役目だけでなく、黒人たちの安全を確保し、世論を支持を得るための重要な役目を担うことになって行きました。
この運動が始まって一年後、最高裁判所はモントゴメリーのバス運行に関する条例は違憲であると判決を下しました。そして、ローザ・パークスがバス内で警官に逮捕された日から2年後の12月21日、モントゴメリー市は人種分離区画を廃止したバスを運行させました。第一号のバスに乗ったキング牧師に白人のバス運転手はこう言ったそうです。
「キング牧師ですね。今朝、このバスにお迎えできて私たちはうれしく思っています」
キング牧師は勝訴が決まった後の演説で、判決結果についてこう述べています。
「この結果は白人に対する黒人の勝利ではなく、アメリカの正義と民主主義の勝利なのです」
(転載ここまで)
もう一つ。彼女が亡くなった時の追悼記事。
●壊れる前に…ローザ・パークスさんを悼む
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_06fc.html2005.10.27
●Democracy Now !Rosa Parks 1913-2005 We Air A Rare 1956 Interview With Parks During the Montgomery Bus Boycott
http://www.democracynow.org/2005/10/25/rosa_parks_1913_2005_we_air1955年、そんなに何世紀も前のことではありません。とても想像できませんが、数十年前のこと、言ってみればつい最近のことです。
人種差別を法の中からなくすためには、その時代の「差別を当然とする常識」や「差別を合法とする法律」と、それらの撤廃を求める人々が衝突して、警察権力からの「制裁」を受けなければなりませんでした。そのステップ無しに差別的法制は廃止されることはなかったのです。差別者側や暴政者側が差別や暴政に気づいて自ら差別的法制や暴政を廃止するのがベストでしたが、残念ながら、そうはなりませんでした。しかし、とにかく、ローザ・パークスさんの行動がきっかけとなって、アメリカの差別的法制は廃止されたのです。
そのような例は歴史の中にたくさんあります。その時代の法を破ることによって、社会との軋轢(あつれき)を生むことによって、やっと法律上の差別や、人々を苦しめる圧政がなくなったという例です。
日本では、人々の抗議によって法律上の差別や、人々を苦しめる圧政がなくなったという例を私はあまり思い浮かべることができません。人々からの抗議の力が弱いのでしょうか、政治の側が抗議を理解して政治を改める実行力がないのでしょうか、それともその両方なのでしょうか。
2011年の目で1955年当時のアメリカの差別的政策について観察し考察するように、私は数十年後、ひょっとしたら数百年後の、願わくばもう少しましになった社会の目で今2011年現在の日本の暴政や社会的誤りについて観察し考察し、政治の改善を求め続けようと努力を続けます。歴史を前進させた人たちの、多くは日常的でさりげない行動に励みを求めながら。
築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守りたい。
●Like a rolling bean (new) 出来事録
■2011-11-17
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-11080908283.html
【昨日の報告と予算資料】築地市場桟橋撤去工事、抗議にも関わらずパネルが貼られました!

↑『がけっぷち社長』さん作。また、税制についての当秘書課の記事は、「カテゴリ : 税制、税金、財政」から。
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「戦後四十三年たって,あの戦争が何であったかという反省は十分できたというふうTakeshiカルロス・ゴーン氏の逮捕、勾留と、日本の人質司法日本の司法制度改革を求める。 日本の司法制度改革を次のように求めます。
・ 政府から独立した人権委員会の設置が必要である。
・ 裁判員裁判で死刑の決定を下すには,裁判員多数決によらず全Takeshi片方のチームの反則選手にレッドカードを出さない審判や当の反則選手を自ら批判せず、相手チームを「手詰まり」と評しているような不甲斐ない時事ドットコム @jijicom #マスメディアへの不信 #マスメディアへの不満No title『片方のチームの反則選手にレッドカードを出さない審判や当の反則選手を自ら批判せず、相手チームを「手詰まり」と評しているような不甲斐ない時事ドットコム @jijicom #ewkefc袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。鑑定不正 本人訴訟で裁判を経験してみると、判事がトンデモだとすぐ分かる。
私は民事で原告だけど、捏罪された。
よって刑事裁判では冤罪が多数ある。
風間博子さん、林眞須美檜原転石なんで性暴力の被害者を批判する弁護士が偉そうにするかな。女の子のトイレを覗いていた元加害者としての自分を恥じるべきではないのかな。ゴロツキ弁護士 徳永信一は極右弁護士ですが、例えば右翼弁護士(木原功仁哉・南出喜久治)が反「ワクチン」訴訟などをやっていて、「ワクチン」打て打てキャンペーンのメディア及び挙国檜原転石袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。袴田事件は冤罪そのもの「疑わしきは被告人の利益に」が近代司法の原則ですが、日本では疑わしきは罰せられます。
検察の起訴した事件の有罪率が99%、本当に99%が有罪なのか?
そんなことは閉口日中国交正常化50年に寄せて中国とホンジュラスの国交樹立を歓迎するアメリカの裏庭といわれた中南米のホンジュラスが3月26日アメリカの圧力、妨害をはねのけ新中国との国交樹立を発表しました。
心より歓迎したいと思います。
アメリカの閉口孤独の中で援助もなく死産した技能実習生のベトナム人女性は何も罪を犯していない。リンさんへの逆転無罪判決を歓迎2023年3月24日,最高裁は死体遺棄罪に問われていたレー・ティ・トゥイ・リンさんに逆転無罪判決を下しました。これでリンさんの無罪が確定しました。たまには最高裁もまとTakeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。冤罪と死刑 過去にトンデモ発言をした萱野稔人・津田塾大学教授ですが,死刑についてはまともな議論をしていると思います。「死刑 その哲学的考察」(萱野稔人/ちくま新書)から一Takeshi差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約他人を出汁にする人間前コメントの未来さんのおっしゃる様に、誰かを嫌な気持ちにさせてやりたい攻撃性がある人ばかりが、目立ちます。
最近、そうなったのか、あるいは以前からそうだったのかK.Minaイギリスでは嘘の答弁をしたら議員失職になる可能性があるそうです。日本の自民党政府も、そうあるべきです。自民党議員が半分そんな事が日本でも適用されたら、自民党議員は半分になってしまいますね(爆笑)
忘れてました…維新もです(爆笑)
どちらも大将から嘘つきですから。K.Mina日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。カッセル大学で「平和の少女像」が撤去された。ドイツ中部の州立大学、カッセル大のキャンパスにあった「平和の少女像」が2023年3月9日,突然撤去されました。旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する少女像は昨年7月,同大学Takeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。冤罪による処刑阻止のために死刑廃止が絶対に必要。「冤罪袴田事件 検察庁は再審開始を認めた東京高裁決定に対して特別抗告をしないでください」のアクションに賛同した私は,電子署名を行いました。先日,弁護団の戸舘圭之Takeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title今回の袴田さんの再審決定の件を、メディア(特にTV)がWBCで過剰に騒いでかき消しているように見えてならないです。
冤罪を生み続ける警察・検察を徹底的に批判して、今後月乃兎袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title>検察を起訴し検察を有罪にすべきだとすら思います。
全く同感です。yoshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title『袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blogewkefc自民党の城内実・衆議院議員から国連人権弁務官への攻撃発言がひどすぎるNo title杉田水脈を総務政務官に任命したのも絶句でしたが、よりによってこいつにLGBT特命委員会事務局長をやらせる岸田文雄の思考法が全く理解できない
自民党LGBT特命委員会事務名乗るほど者ではありませんが差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約日本は永遠に「差別主義者が幅を利かす国」なんだろうな。これはWBCでの一幕なのですが、旭日旗を振り回して悦に入る日本人……
旭日旗がどのようなものなのか理解していればこんなことには、とも以前は思っていたのですが、どうも最未来バイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪決して謝罪しないアメリカが謝罪した希少例ヒトラー・ナチスの手本は、米国の黒人差別法と先住民の強制収容所だった。
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html
優生学の親玉アメリカ問題は、それを巨大檜原転石ヘイト批判記事を書いた神奈川新聞の石橋学記者を「名誉棄損」として一部敗訴させた横浜地裁判決はおかしい。石橋記者の話を聞きます石橋記者を講師にオンライン講演会をします。
詳しくは
https://jcjkikansh.exblog.jp/32922330/ywatari4障害者自立支援法訴訟、和解へ重度の障がいを持って生まれた子の養子縁組 NPO法人みぎわは,障がいを持って生まれてくる赤ちゃんの特別養子縁組をあっせんする日本で唯一の施設です。中絶は年間20万件ほどあるそうです。協力病院の産婦人科医師Takeshi死刑FAQ (適宜更新)袴田巌さんの一刻も早い無罪を切望する。 2023年3月13日, 東京高裁は「無実の死刑囚・袴田巌さん」の再審開始を決定しました。決定で注目すべきは、決定理由中に,「捜査機関が証拠を捏造した可能性が極めて高いTakeshi自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる#自民党に投票するからこうなる安倍チルドレンの高市氏は、総務大臣だった当時「行政指導に従わない放送局は電波停止にする」という恫喝発言で大炎上を巻き起こしました。
今回の文書の内容はこの恫喝発閉口強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)自民党の十八番自民党の十八番
当初は任意であるといっておきながらいざ決定となると強制にしてしまうのが自民党のやり方です。
思い出されるのは1999年に成立した国旗国歌法、大日本閉口