コメント
ohdedeさんと玲奈さんに感謝
物質的な豊かさは必ずしも精神的な豊かさや幸せにつながらない、かえって心が貧しくなる、と言うことは昔から言われてきたことですね。
でもそれは文化人や哲学者や宗教者で、経済学者が打ち出したのが新鮮です。
「脱成長」はどうしても資本主義の原理と衝突します。旧来の共産主義が失敗なのは明らかなので、やがて資本主義に取って代わる新しい経済体制の構築の出発点になるのではないか、と思ったります。
実は
ふと思い出した記事
人々は経済政策に抗議している
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/col196.html
年間4パーセントもの経済成長を遂げていた国の政府に、国民はなぜ、抗議のデモを行ったのか?
(なんだか最近の日本も、人ごととは思えません)
「開発」が剥奪を生み出すとき:コロンビアにおける鉱業を考える
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/col262.html
インドの物理学者で環境活動家でもあるヴァンダナ・シヴァさんの言葉が印象的でした。
>貧困に苦しむ人々は単に産業革命が生み出した富から取り残された人々であるというザックスの見解に言及しながらシヴァが行なった反証は、富と貧困について、単純だがそれとはまったくことなる見解を提示するもので、経済発展の信者たちの基盤をゆるがすものだった。「ザックスは貧困がどこから来るのかわかっていない」と彼女は言う。「貧しい人々は、『取り残された』人々ではない。略奪された人々である。北を富ませ、南を貧しくしたのは、第三世界の資源と市場に対するこの暴力的な略奪なのだ」。
>かも様
>その糧を絶ってて生き延びる方策があるなら,どうか教えてほしい。
記事の中では、「生産者」に物を売るなと一言もかかれてませんが…。
ラトゥーシュ氏の著作までとはいかなくも、せめて記事の内容をもう少し、ちゃんと読まれてはいかかですか?
>「私たちは、資本主義が大惨事をもたらすとすでに理解しているのですから、根本的に生き方を変えることによってこの問題と向き合う必要があるのです」、とセセナは記している。彼女はグアテマラ、ペルー、チリ、その他のラテンアメリカ諸国で鉱山プロジェクトに対して広範な反対運動が起こり、またブラジルではアマゾンの森林伐採に対する抵抗運動が広がっている点を指摘する。「人々は、バイオ燃料生産のための大豆やサトウキビを栽培するために熱帯雨林を切り開くことは環境破壊だと十分理解している。こうしたプロジェクトはほとんどの場合、外国の企業や地元の有力者が得するだけであり、支払う代償があまりにも大きいと考えています」。
>「北の国々による従来の開発は、南の国々に低発展の状態を強いたうえ、地域の文化や生態系を破壊してきた。そのような進め方による成長ではなく、南の人々自身がオリジナルの道を作っていけるようにしなければならない」
ここにもある通り、ラトゥーシュ氏は、巨大資本主義が、地域ごとローカルな経済システムを破壊(特に第3世界)して、自らにとって都合の良い産品を、生産者に作らせ、さらに、巨大資本主義へ依存を不平等な形強いる事を問題にしているのです。
同じことです
>、「生産者」に物を売るなと一言もかかれてませんが
いいえ、それは違います。ものを売るということは,すなわち、付加価値を売ることです。生産者は,より高い付加価値を求めて、競争して,売値を上げ、売り数量を増やそうとします。その競争に敗れれば,破産です。あるのはその競争だけです。その競争のことを成長といいます。普通に育てれば,夏しか生育しないスイカを冬売る。これが技術であり付加価値です。冬のスイカなど誰も買わないというのなら付加価値は生まれませんが、現実には売れる。少なくとも夏の盛りに、誰でも作れるときに,いくらでもあるスイカを作るより、高く売れる。その結果、その付加価値を創出したものは、より大きな利益を得る。それが資本主義の原理です。
で、皆さんが問題にしているのは、「搾取」についてです。ブラジルの事例も,東南アジアの事例も、つまりは搾取です。そして、搾取をしてはいけないというのは正論です。
ブータンの幸福は,実は,先進へのただ乗りなのです。だってそうでしょう。ブータンに行くには,飛行機で行くしかありません。その観光客の落とす金を当てにして、観光で幸せを買っています。医療はどうですか。どの一部をとっても先進国の技術です。
成長も,進化もなくて,幸せになれるなんて大嘘です。
無農薬、有機栽培で,技術も理論も知識もなしに生存可能な人口は,江戸時代のそれと同じです。しかも、飢饉におびえ、人がぼろぼろと死ぬことを受け入れる生活です。
日本文化といわれる,侘び寂びも、つまりは、詫びであり、寂しさなのです。それは,成長や進化や進歩を放棄した姿そのものなのです。
日本の企業は,こぞって中国に進出しました。それは中国が低賃金であったからです。その中国が豊かになって,賃金水準が上がってしまうともう利益はありません。次は,ベトナムですか。
つまり、低賃金で使えるという時間の鞘を取って、企業は利益を上げようとしています。これは,実は言い方を変えると、搾取そのものです。
成長なき安定はあり得ません。
それは,エントロピーは常に増大するという原理があるからです。
そして、常に,「成長なき安定」をささやきかけるのは,その社会の勝者です。
庶民は,競争に勝ち抜かなければ生き残れないという熾烈な戦いを余儀なくされています。
負ければ、即ち死です。ロハスなど犯罪行為です。
ブータンに学ぶもの
『脱成長』は大切な思想です。
わたしも、秋原さんのblogで、ohdedeさんのお考えと、ご提供頂いた情報を拝読させて頂き、深く感銘した次第です。
今、世界が真剣に考えるべき指針を指し示していると思います。
わたしが銀行員当時(三菱UFJ-B/Kの前身某都銀)は、新自由主義・市場原理主義がもてはやされ始めた頃でした。それまでは、中小零細企業や個人に対しても健全な融資(貸し付け)をするなど経済の血液の循環を担う金融業の本分を弁え、公共性を重んじていましたが、1980年代後半からバブルの絶頂期にかけ、大銀行は富裕層に軸足を置き始めました。庶民の暮らしの応援など眼中に全くなく、リスクの高い個人向け融資(収益性の高い住宅ローン以外)は回避され、大手消費者金融業者に迂回融資し、多くの庶民を多重債務者に落とし入れる原因を作った戦犯なんですね…。あと、中堅企業の経営者などに対しては、株投機・先物取引やゴルフ場会員権購入、土地転がし資金の融資など成り振り構わぬ“収益至上主義”に突進しました。ある経営者などには、生命保険を担保にすることを強要し問題になりました。わたしがいた銀行の支店長会議では、「儲けを上げるためには、人殺し以外は何でもしろ!」と、頭取がハッパを掛ける始末…。 バブルが弾け、皆さんご存知の、不良債権問題が顕在化して、公的資金(国民の血税)を投入し、大手都銀を救済したのですね…(護送船団方式)。その暴走が、全世界を経済恐慌に落としめた市場原理主義の廃棄物である最近のリーマンショックやサブプライムローン問題、(グローバル経済の賭博化…)格差社会の固定化に繋がるんですね…わたしに言わせれば、乱脈融資は、背任罪に当たりますが、大手都銀の経営陣の誰ひとりも罪に問われませんでした。(大型融資案件は役員決裁ですので…。)挙げ句、不良債権処理と称して、メガバンクは手数料収入・有価証券評価益などで史上空前の純利益を計上したにもかかわらず、つい最近まで法人税をビタ一文納付していなかったのですよ…。こんなルール無視の資本主義がまかり通る異常な社会なんですよ、日本は…。政治屋はメガバンクから多額の袖の下をせしめているため、こんな理不尽なことも、見て見ぬ振りを決め込む始末…。犠牲は無辜(ムコ)の国民に差し向ける…こんな無茶苦茶な不条理が許されていい筈はありませんね…。 つまり、資本主義『新自由主義・市場原理主義』は、暴走に歯止めがかからないシステムであることが、明らかになった現在、やはり『脱成長』、スロー・エコノミーの思想は、全世界が真剣に模索すべき思想であると確信します。でないと、人間の命の尊厳を大切にする共生社会は、実現不可能でしょうね…。 わたしの理想は、『北欧型社会民主主義社会』ですが…。
危惧するまでもなく、
そう考えていますよ。脱成長というのは、ユートピア幻想です。資本主義が暴走するというのも、まさに、失敗した発想の原点でしたね。
確かに、欧米の発想は危険なものがあります。
日本人は、真似すべきではありません。
日本人が、進歩や成長を語るときそれは、自らがこつこつと積み上げてする成長を語ってきました。
明治から戦後の復興期まで、ずっとそれでやってきたのです。年功序列や、終身雇用という制度は、 寛容と受容の精神構造によってのみ支持されます。
根回しや談合というすばらしい制度によって、この国の秩序は世界のどの国よりも安定して豊かな社会を構築してきたのです。それがこの国の資本主義です。
ヨーロッパのゆがんだ資本主義などを手本にすることも、そのいびつな悪行を真似することも、恐れることもないのです。
もっとも、昨今の大企業労組の悪行は許すことは出来ませんがね。
>かもさん
それぞれの言葉が何を意味するのか、つかみどころがないのです。
「資本主義が暴走」?
「欧米の発想」?
「こつこつと積み上げてする成長」?
「寛容と受容の精神構造」?今はすっかり壊れているように見えますけど。今の日本の資本主義はまさに暴走しているように見えますけど。
「ヨーロッパのゆがんだ資本主義」?
あなたがこれらの用語によって具体的に何を指しているのか私にはわかりませんので、お答えいたしかねます。
揚げ足取りになりかねないので気が引けますが。
> ものを売るということは,すなわち、付加価値を売ることです。
付加価値による利益を過剰に求める結果、不必要な消費を強いて「消費のための消費」を産み出しているではないか?というのが「脱成長」が問題にしている点の一つです。
スイカの例であげるなら、冬にスイカを食べるにしても「美味しく」食べようとなると、(少なくても私は)それなりに暖かい環境が必要となる。むしろ、寒空の下でスイカなど「味わう」どころか、食べることすらままならないでしょう。医学的にもスイカを食べれば体温が下がるので、より、暖房を強くするなど、さらにエネルギーを消費する事となる。
極端な例えですがが、「真冬スイカを食べる」など「消費のため消費が生み出される例」です。
「真冬にスイカを食べる」ことで、燃料の消費が増え、エネルギー関連企業も潤っていいじゃないか、というのが従来型の市場原理の考でしょう。
しかし、「真冬にスイカを食べる」事に本当に価値があるのか?価値と充足の関係を見なおそう、というのが「脱成長」の考え方です。
経営的な観点からも、付加価値を追求し先鋭化する事が、大きな利益を生み出す続けるとは限らなくなっています。
「日本の企業は,こぞって中国に進出しました。それは中国が低賃金であったからです。」と仰りますが、「その中国が豊かになって,賃金水準が上がってしまうともう利益はありません。」というご指摘の通り、人件費によるスケールメリットはいつまでも享受できるものではありません。
私が携わっている衣料関係、特に縫製業に関しては、震災以降、逆に製造が海外(中国)から日本戻ってくるという現象が現れてます。
賃金が上がったとは言え、日本より中国の方が人件費は安いです。
しかし、中国の労働者が「勤勉に働いて、より多くの賃金を得る事」意外に価値を見出したため、生産のコントロールがかなり難しくなっているのが実情のようです。
一方、日本の中小零細の製造業は「仕事がないよりマシ」と中国と同じ価格で仕事を引き受けます。
もっとも、中国の賃金水準で、日本の中小零細企業が維持できるはずもなく、仕事を受ければ、受けるほど、身体も経営も苦しくなっていきます。
深刻になると、「仕事があっても、体力が続かず倒産」という事態が実際におきます。
これは、中小零細企業だけの問題ではありません。発注元である大手も、その波及をうけて、予定の生産量が確保できず損益がでてしまっているのです。
利益追求の結果、産業そのものが袋小路に入っているのです。
本来、人間が支配しコントロールすべき経済活動に、人間が支配されてしまっている現状を憂慮すべきだと思いますが。
やっぱりわかっていませんでしたね と やっぱりわかりません
まずは、
やっぱりわかっていませんでしたね。
ラトゥーシュ氏の「脱成長論」とは、「成長に依存する経済社会には内部矛盾が存在する(ゆえに必ず行き詰まる)」という主張であり、その結論を導く際に善悪や道徳は一切考慮されておりません。
その上でさらに、脱成長社会の効用として、それが適用された社会の方が個人に優しい社会でもありますよね、とも言っているのです(であるからこその「経済」「哲」学者なのです)。
かもさんは今回、善悪や好き嫌いよりもまずは「脱成長はうまくいかない」と主張されている、と私は理解しました(間違っていたら指摘してください)。
であれば、ラトゥーシュ氏は「現在の資本主義の限界」を学問的・論理的に提示しているのですから、反論は彼の主張を踏まえた上で、理論内部の論理的矛盾であったり、理論の現実適用の妥当性であったり、でなければなりません。
現在の資本主義を「これが資本主義の原理です」などと言ってみたところで、それは現状をただ説明しているだけであって、何の反論にもなっていませんよ。
「ほら、あなたの言うとおり欠陥がありますよね」と返されるだけです(しかも今回のコメントで、かもさん自らラトゥーシュ氏言うところの「資本主義の欠陥」について言及していますよ。それが何かはラトゥーシュ氏の主張を理解すれば自ずとわかるはずです。)。
そう、ラトゥーシュ氏は(あなたの用語で言えば)要するに「現在の資本主義は社会主義的手法で修正しなければならない欠陥品だ」と言っているのです(ホントウはさらに「その修正を施しただけでは矛盾は解消しない」とも言っていますが)。
そんなに(日本的)資本主義がお好き(というか社会主義/共産主義がお嫌い)であれば、もう少しまともな反論をすべきかと思います。
まあ私に言わせれば「成長に依存する経済社会を指向する/成長が全体の繁栄を支えると考えることこそがユートピア幻想」であり、これについてはラトゥーシュ氏に聞いていただいても全く同意見だと思います(同意見って、どちらが本家?そりゃ順序が逆でしょう!って、全くもってその通り。タイヘンシツレイイタシマシタ。)。
そして、
やっぱりわかりません。
>成長なき安定はあり得ません。
>それは,エントロピーは常に増大するという原理があるからです。
この文章の意味が、私には全くわかりません。
私も「エントロピー経済学」について、多少は存じ上げているつもりです。
エントロピー経済学では、エントロピーを「人間社会」や「地球環境」という系で考えることが多いのですが、その場合、その系は「閉鎖系」ではありません(人間社会には地球環境が、地球環境には太陽が外部系として存在する)ので、当然「エントロピーは常に増大する」は「原理ではありません」。
もちろん、急激な変化(急激なエントロピー増大)に対しては擬似的に閉鎖系とみなす事ができるため(高校で物理を履修された方は熱力学の断熱変化を思い出してください)、しばしば現代社会を「そういう状態であると前提して」議論をすすめているのです。
それゆえ、エントロピー経済学の研究者の多くは、「エントロピー増大則が適用される経済状態(現代社会)を研究しつつ、それが起こらない社会の方が好ましい」と考えているのです(まあ諦めている人も中にはいるようですが、それでも「なるべくエントロピーを増大『させない』」という部分の主張は同じです)。
かもさんとは、話のスタートこそ少し似ているのですが、結論というか向かっている先は全く違っているのです。
しかもここまで、「成長」とはなんの関係もありません。
「成長」とは経済活動の「増加量」の話であり、(とりあえず閉鎖系と仮定すれば)エントロピーの「増加」は「たとえ経済が縮退したとしても」続くものだからです。
同じ「増加」という語を用いていますが、この場合要するに「成長の増加」は「エントロピーの増加」とちょうど「微分」の関係になります(まあ「両者に強い相関関係がある」という前提ですが)。
どんな恐慌下でも、(人間社会を閉鎖系と仮定する限り)エントロピーは常に増大しているのです。
ついでに安定について。
経済物理学において「安定」とは、普通は「振動」のことを指すと思うのです(極小値のことも指すでしょうが、しかしそれは安定であれば安定であるほど考えたくもないでしょうw)。
それを成長=「発散」に求めるのは、経済学的に無理があるのではないでしょうか(それでなくても現在の経済は、指数関数的(複利的)成長を要請されておりますからね←これヒントです)。
ただ、ここまでの話は「一般的なエントロピー経済学」の話であって、かもさんの仰る「エントロピー」とは全く関係が無い話、かもしれません。
そうでなければ、合ってる間違ってるの以前に、かもさんの文章は全く意味がとれませんから。
しかし私は頭が固いのか、かもさんの仰る「エントロピー」が何なのか、数日たった今でも全く想像もつきません。
(村野瀬さんが「理解できません」と書かれているのを見て、ああ自分だけじゃなかったと正直安心しましたw。)
かもさん、この「エントロピー」とは、どのような系でどのように適用した話で、結局どのような事を言いたかったのでしょうか?
もしご本人でなくても、わかる方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えて下さい。
既に他の方からいろいろ突っ込まれていますが
>危惧するまでもなく、そう考えていますよ。
とお返事いただいたので質問しときましょうか。
かも様の共産主義、社会主義の定義は何で、この記事のどこがそれに当たるのですか?該当箇所を抜き出してください。
まー大体の思考回路は予想してますが、かも様の書く文章は私には理解できない事だらけなので。
資本主義やら
皆さん方は、何によってその生存の安定と安心を得ていますか。
脱成長は、所詮強者の論理なのです。
明日の糧を如何にするかにおびえる庶民にとって、脱成長は、その生を奪うものに等しいのです。冬のスイカは、農民の生きるよすがです。
自分たちの安寧を棚に上げて、脱成長を標榜して、生きることに精一杯の人々の生存を危うくする傲慢しか見えませんね。
あなたが、私の何見てこの様な暴言を吐いてるのかはわかりませんが、皆様の仰るように、何が言いたいのかサッパリ理解できません。
>資本主義やら、共産主義やら言う前に、あなた方は、何によってその生きる糧を得ていますか。それが問題なのです。
>明日の糧を如何にするかにおびえる庶民にとって、脱成長は、その生を奪うものに等しいのです。冬のスイカは、農民の生きるよすがです。
あなたの仰る「生きる糧」をキチンと論理的に、そしてなぜ、脱成長がそれらを奪うのか説明してください。
仮に「成長」によって、安心と安定が持ったらされるなら、現在、資本主義が抱える問題点が何故、噴出したのか?説明したください。
不景気
ずばり、景気が悪いからだ。で?どうすれば景気がよくなるかね。脱成長で景気がよくなるなら教えてほしいもんだ。景気をよくする方法は、需要を喚起し、生産と消費の循環をあげるしかないそれだけのことだ。
脱成長など、何の解決も与えない。何の対策にもならないし、それで得するものなど誰もいない。
しかも、成長を維持して、需要を拡大して、国民の誰もが豊かになって平和になれる方法は、幾らでもある。
君たちがそのれを知らないだけだ。欧米の思想にかぶれて、この国が作り上げてきた、たとえば、終身雇用や、年功序列というシステムを放棄してしまった。そして、組織への献身や貢献や、忠誠をも放棄してしまった。
この国が世界第2位の経済力を獲得したのには理由がある。それを君たち欧米かぶれが間違った理念を振りまいてつぶしてしまった。
成長を放棄し、進歩や進化に背を向けた結果今日の経済の停滞があり、社会の閉塞がある。自殺者は後を絶たず、貧困者は日を追って増えている。
まさにその原因こそが、成長の放棄だ。
なぜなら、弱者にとって、経済の成長こそが頼りの綱だからだ。
脱成長は、強者の論理であり、独善であり、傲慢そのものだからだ。
例えば、無農薬有機栽培という。確かに、それでも食料は作れる。だがそれで、70億の地球人を養うことは出来るか。答えは全くにしてノーだ。
脱成長だから、車のモデルチェンジは一切禁止するか。電気自動車もいらないか。金がなければ、新型インフルエンザワクチンも開発できない。耐性菌に対抗できる抗生物質ももういらない。風邪を引いたら人は死ぬ。それが脱成長の有様だ。天気が悪ければ、飢饉になる。70億もいるのだから、人が人を食うかね。脱成長とは、つまりそういう状況を作り出すことに他ならないのだよ。地球温暖化論は、成長途上国に石油を渡さないための方策に過ぎない。太陽光発電は、原発のバックアップなしには全く成立しない。豊かで、安全で、生きることに何の不安も感じないものだけが、脳天気に、脱成長などと言って弱者の生存権を奪い、弱者が弱者であるのは、弱者が努力をしないからだ等とうそぶいているのかね。
成長しつつ生き延びる手段。簡単だよ。エネルギー効率を倍にすれば、エネルギー使用量を増やさずに、倍の成長が得られる。それこそが、進化であり、成長ではないか。進化も進歩も成長も放棄して、節約して生きるなど愚の骨頂だ。
つまり、ユートピア幻想そのものだぞ。
批判になってませんよ。
>この国が世界第2位の経済力を獲得したのには理由がある。それを君たち欧米かぶれが間違った理念を振りまいてつぶしてしまった。
少なくても、日本が世界2位でなく事と、「脱成長」理論になんの因果関係もないし、「君たち」である村野瀬様や、私やここのコメンテーターの方が「欧米かぶれが間違った理念を振りまいてつぶしてしまった」など、言いがかりにも程がありますよ。
まず、批判するしても、肯定するにしても、このエントリーの文脈なり、ラトゥーシュ氏の理論を議題すべきであって、あなたの観念で「批判のための批判」する限りにおいては、正直「つきあいきれない」です。
(本文そのものや他のコメンテーターの発言へ論題にせず、念仏のように持論を展開されてもねえ…。)
これ以上は、何一つ発展的な議論が望めそうにないでので、私の方から、かも様へのコメントはこれで終わりします。
なるほどね
私は、今から十数年ほども前だが、cisの某国で一年ほど生活したことがある。ロシア経済圏から離れて、数年ほどもした頃だ。経済が全く停滞した状況をつぶさに目撃してきた。国の貧しさとは斯くなるものかと。
社会資本としての新しいものが全くない生活。交通機関と言い、建物と言い、あらゆるものが修理も手入れもなされずに、使われていた。街路ではガソリンを売る少年が、、ほんの2,3リットルのガソリンを売っていた。それが、成長を止められた社会の有様だよ。誰もが貧しい。特権階級すらも、貧しい。生産と消費の循環が止まった社会の有様をつぶさに見てきましたよ。
この国ではどうだ。実は、この国の自動車は、正しく修理をすれば、50万キロは走れる。しかもそれは、技術的にはきわめて簡単な修理だ。だから、この国の中古車は、途上国に高価で売れる。現実に、自家用車と変わらない仕様で作られるタクシーは、100万km程度近くまで走行可能だ。それをせいぜい10万キロメートル程度で廃車にしてしまう。それが消費の循環の実態だ。そうしなければ、自動車産業は持たない。テレビや家電は、設定寿命を想定して生産される。技術の粋を集めて設計すれば、テレビを数十年使い続けることも可能だ。そんなことをすれば、生産メーカーはあがったりだ。つまり、膨大な浪費によって、経済が成り立っていることの何よりの証左がそこにある。地デジ化で数千万台のテレビを廃棄した。それで、何の脱成長か。補助金をつけて、使える車を廃棄させて何の省エネか。聞いてあきれる。
それでも、景気は回復せず、貧困は増大し、自殺者が減ることはない。
経済は、生産によって支えられている。その生産を縮小して、価値を創造することを放棄して、君たちは何を頼りにその糧を支えるのかね。
君たちが、学生か学者か評論家か、はたまた年金生活者か。そのいずれにしても、生産者の作り出す付加価値によってその生を支えていることに何の代わりもないのだよ。つまり、生産者の寄生虫でしかないのだよ。身の程をわきまえなさい。
それからね、エントロピーは、増大するという原理。つまりそれは、形あるものは必ず壊れるという原理に等しい。
そして、生物種が作り出した、定常性という原理はね、コピーという画期的な原理を作り出したからなのだよ。そのコピーは、低エントロピーの状況を情報として次世代に送り、エネルギーを取り込む手順を指示して再生する定常を構築したことで、生物種の継続的生存を可能にしたのだよ。
熱力学の第二法則は、エネルギーの供給なしに低エネルギーから高エネルギー値の遷移はあり得ないと規定している。
つまり、エネルギーの消費なしに、いかなる定常も生まれないと言うことだ。逆に言えば、定常を獲得するためには、エネルギーの消費が必須であることを表現している。
それが、存在の原理だ。
それ以上のいかなる説明が必要だろうか。
勿論、エネルギー消費の効率の改善を否定しない。だがそれもまた、成長のさせる技だ。つまり、成長なくして生存なし。
つまり、脱成長とは、生存の否定そのものだと知れる。お解りかな。では。
そんな逃げを打つくらいなら、最初から
>>危惧するまでもなく、そう考えていますよ。
なんて書かなきゃいいのに(笑)。なんと申しましょうか、思ってた以上の底の浅さを実感させられました。問答にならないのでは無意味なので、これ以上何も言うことはありません。では。
「経済成長」にだまされるな(その1)
予めお断りしておきますが、以下の投稿に政権の経済政策を免責する意図はありません。
「日本での不況・経済格差は、以下に書いたこととは別に政策に大きく起因している」ことは言うまでもありません。
・・・・・・・・・・
以前、コメント欄で非電化工房のご紹介をしました(http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2512.html)が、そこで藤村靖之氏を知る参考として貼り付けたHPにジュース工場の話が書いてあります(http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/070223_hidenka01/index2.html)。
(字数節約のため文字起こしはしません。リンク先で確認してください。)
時が経ち、このジュース会社もそれなりに利益を上げたとします。
この後どうすればこのジュース会社はさらに儲かり、そしてナイジェリアの経済成長に貢献できるでしょうか。
一般的には「蓄えた資本で先進国から技術導入を図り最新式のジュース工場を作る」が正解とされています。
しかし、そうなると「5年間で6000人もの雇用」は間違いなく十分の一以下になってしまうでしょう。
それでもしかし、そこで失業した労働者が別の仕事をすれば、その分だけ社会全体の生産量を増やすことができます。
これがいわゆる「経済成長」の仕組みです。
つまり経済成長とは「全体の生産を増やして全体の富を増やすこと」であり、「全体の富が増えれば末端にも行き渡る、末端まで富が届かないのは全体の富が不足しているからだ。」というのが経済成長派の主張です。
ところで、これはナイジェリアの話でしたので、先端技術の導入によって「リストラ」された失業者にも、輸出産業等の別の就職口があるかもしれません。
しかし、先進国ではどうでしょう。
今の日本に、失業者の数に見合うだけの別の就職口など存在していないのは、誰もが実感しているところです。
それでも、企業は経済成長のため?に新しい技術を導入し、より高付加価値の商品をより少ない労働者で生産できるようにします。
そうして生まれる大量の失業者には、やっぱり、そしてより一層働き口が見つからないのです。
これが「先進国で大量失業が起こる仕組み」です。
「経済成長が経済を支える」と考える人たちは、「好景気=経済の循環を良くすること」と「経済成長=経済を拡大させること」を混同しているために、「経済成長のシステムが経済の不均衡を起こすメカニズムを内在している」そして「外部系から取り込む富がなければ経済は拡大しない」ことが理解できていないのです。
「再配分」すればいい?
いいえ、再配分するべき利益はすでにありません。
なぜなら、先ほどのジュース会社にしても、すぐにライバル企業が出現し、その企業とのダンピング競争が起きてしまい、その結果価格が採算ラインギリギリまで下がってしまうからです。
それを防ぐためには、あらかじめ失業者を支えることができるだけの高税率を掛けて(採算ラインがそれを含めた価格となって)、その税収で再配分をすればよいのですが、経済成長派は「経済成長/自由経済を阻害する」として、その政策に社会主義/共産主義のレッテルを貼り決して認めようとしません。
・・・・・・・・・・
途上国が経済成長をするためには、先進国に輸出するという方法がありました。
これは富を先進国という「外部系」から取り込むことに他なりません。
では、先進国は富をどのような外部系から取り入れていたのでしょう?
それは「自然=地球環境」という外部系からでした。
もちろん自然の存在は、本来は先進国に限らない筈なのですが、例えば石油などの資源は産油国及び経済力のある国だけで事実上独占しており、それが途上国にはない富の源泉となっているのです。
しかし、自然には限界があります。常に欲しいだけ供給されるとは限りません。
ですからオイルショックで石油の安定供給が図れなくなった時点で、下村治は「経済に与えられた条件が変化した」として、ゼロ成長を唱えるようになりました(http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2760.html)。
右肩上がりの経済成長を支えるだけの自然資源が地球上には存在しないことは、誰もが認めるところでしょう(「経済成長」とは、ただ「経済を支える」いうだけの意味ではありません。その経済成長は、実は「指数関数的振る舞い」を強制されているのです(後述)。)
内田樹は下村の論を受けて、「「生産性を上げる」というのは端的に「人件費コストを減らす」ということ」であり「生産性は低いが大量の雇用を引き受ける産業(というより、大量の雇用を引き受けるがゆえに生産性の低い産業)は、国民経済的には必要不可欠のものである。」としています(http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2944.html)。
つまり「経済成長」とは、「途上国が先進国になる過程にこそふさわしく、すでに先進国になってしまった国にはふさわしくない」経済システムなのです。
これは私見ですが、例えば「介護」のようなものこそ、先進国にふさわしい労働なのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・
続きます
「経済成長」にだまされるな(その2)
世の中にはこれを認めない人もいます。
曰く「バブル経済には実態がないと語る人もいますが、元より景気とはそういうもののはずです。」とかなんとか。
「バブルよもう一度」の夢を起きながらに見る人か、もしくはその夢を見させたい人か、はたまた経済を「無から有を生み出す錬金術」と勘違いしている人なのでしょう。
日本の「あの」バブルについては、以前私がコメント欄に「株式の相互持ち合いで「見せかけの資本」を増やした」こと、「それが必然的に破綻するものであった」ことを書きました(http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2031.html)。
日本での「あの」バブルは、証券会社主導の、企業・国家ぐるみで世界を欺いた犯罪的行為でした(一方、諸外国では株式持ち合いは厳しく制限されており、日本の「あの」バブルと同じタイプのものは過去もこれからも起こりません)。
「バブル」とは、要するにこのようなものであり、というか、このようなものを「バブル」と呼んで、「好景気」や「経済成長」などとは全く別物であるとされていて、これは経済学的にはほとんど「定義」と言っていいものなのです。
そのような経済のイロハのイも知らない人が(もしくは知っててわざと)、自らに都合のよい「景気とはそういうもの」という甘言を弄しているのです。
「経済成長なくして貧困解決なし」論などよりも、よっぽどたちが悪いといえるでしょう。
・・・・・・・・・・
「経済成長は指数関数的振る舞いを強制されている」と書きました。
それは「金利」に原因があります。
現在、金利は世界中ほとんどで当たり前のように「複利」で計算されています。
複利とは、即ち指数関数のことに他なりません。
指数関数がどのような振る舞いをするか、忘れた人は高校生に戻って思い出してみましょう(ああ戻りたいなあ、高校生の頃にw)。
初めがどんなに緩い増加であっても、あっという間にものすごい勢いで、しかもどこまでも増加率が増え続ける関数でしたね。
1626年にマンハッタン島をオランダ人に24ドルで売ったアメリカ先住民は、その預金を現在まで全て銀行に預けていたら、今ではその利子でマンハッタン島の建物全部が買えるだけの大金持ちなんだそうです(理論上はね。byサミュエルソン)。
経済とは、このような無謀な利子=複利を満たすように「成長するよう義務付けられている」のです。
これは、それこそ「無から有を生み出さない限り」不可能です。
高安秀樹はこれを踏まえて「事前に一律(というよりハイリスク顧客により高金利)という仕組みではなく、儲けた人から多く金利を取るように事後に金利が決まるシステム」を提案しています(http://robot.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/06/09/1109.html)。
これは、複利の金利が要請する成長と実際の成長が乖離するのを避けるため、という側面も大きいとのことです。
(高安氏の公式ブログではイスラム金利を肯定的に取り上げてもいます)
さて、もし複利=指数関数的成長を義務付けられて、しかし実際の成長は追いついていないとしたら、どういうことが起きるでしょうか。
それぞれの企業・個人が少しずつ泣く、なんてことは決して起こりません。
その力関係から、大企業が中小企業・個人から指数関数的成長を達成する分だけ吸い上げてしまうのです。
そしてそれは合法であり、そこにはいかなる不正・不誠実も存在しません。
つまり、「現在の資本主義経済のシステムは、社会全体が『誠実に』行動することにより、必然的に富が個人・中小企業から大企業へ移動する」のです。
そういう意味でも、このエントリー(http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3054.html)の
「今の地球に金融がのさばりすぎていること、経済学に知恵がないこと、神のごとく恐れられる市場とはだれのことかだれも知らないこと、は分かった。金利という悪習をやめれば、全部解決です」
は、まさに至言です。
そういえばグラミン銀行は、複利ではなく単利(しかも利子総額は元本を超えない規定
)でしたね。
「金利=複利」が当たり前でない日が、すぐそこまで来ているのかもしれません。
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これで終わります。
次世代の経済の考え方は、「大規模化」の対極にある「小規模化」に向かっていくものと思われます。
それは、ダムで大規模に水を貯めるより植林で保水力を高めるような、原発で大規模に発電するより太陽光・風力・小水力で電力を地産地消するような、そういう「自然に学ぶ」経済が、これはもう既に始まっています。
日本が、この流れに気がつかない限り、「大店法改悪、大店法改悪→スーパー進出→シャッター商店街→スーパー撤退→買い物難民化」という「経済成長の必然的結末」は、あらゆる形で今までと同じように延々と繰り返されるでしょう。
そして99%の国民は、「経済成長による一部大企業のみの繁栄」を傍目に、さらなる貧困への道を進んでいくことでしょう。
「経済成長」にだまされるな(その3)
で、新年早々投稿の確認をしてみたんですけれど、なんというか、新年早々締め方が暗いなー、と。
ということで、前回の投稿で文字起こししなかった「ナイジェリアのジュース工場の話」を追加投稿させていただきます。
長文投稿は、これが本当の最後ですw。
http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/070223_hidenka01/index2.html
この話、決して「途上国の話」ではありません。
・・・・・(引用開始)・・・・・・
途上国での活動の一例が、一昨年秋から始まったナイジェリアでのプロジェクトだ。ナイジェリアではオレンジの季節になると、消費しきれないほどの果実が実る。しかし、ナイジェリア国内ではすべてを消費できず、その8割がたを腐らせていた。
その一方で、シーズンオフには国外(特に欧州)から高価なオレンジジュースを輸入しているという現実がある。ナイジェリアはお金持ちどころか借金大国なのだが、ジュース産業がないばかりに、こうした矛盾が生じていた。困り果てたナイジェリア政府は、国内にジュース産業を育成すべく、ジュースの輸入を禁止し、先進工業国からジュース製造工場の技術導入を図ろうと考える。
「先進国で稼働している最新鋭の工場をつくることでもたらされるのが何かというと、実は濃縮還元のまずいジュースであり、オレンジの酸の影響を受けかねないペットボトル入りのジュースであり、電気や化学薬品を大量に使用することに伴う環境汚染なのです。しかも、最新鋭の工場はほぼ全自動化されていますから、仮にそのジュース工場をナイジェリア国内に誘致したとしても、新たな雇用は発生しません。ナイジェリアの失業率は6割ですから、全自動化する意味がないでしょう。すると、どうなるでしょう? 結局、輸入品よりも高いジュースを生産することになり、輸入ジュースより売れず、新規雇用も発生せず、さらに借金がかさんでしまう可能性が大きいわけです」(藤村氏)。
そこで藤村氏がナイジェリア政府に提案したジュース工場のプランは、その正反対の内容である。絞った果汁は煮沸せずに、約70℃でゆっくりと殺菌。あらゆる工程は自動化せずに、手間をかけて製造する。それ故に、おいしくて安全なジュースができるし、電気や化学薬品等を使わないので環境にも優しく、5年間で6000人もの雇用が見込まれるというモノだ。さらに、そうして製造したジュースの価格は輸入品より安い。藤村氏のプランでは、そのようなジュース工場をつくることで、5年後には借金を返済でき、6年目以降は“貯金”も可能だという。
先進国の全自動ジュース工場か、藤村氏の提案する非電化ジュース工場か。2つに増えた選択肢を吟味すべく、政治家や学者、ジャーナリスト、起業家、女性……ナイジェリアの識者や代表者が70人以上も顔を突き合わせて、30分間にわたって喧々諤々の議論を交わしたという。その結果、全員一致で、藤村氏の非電化ジュース工場が採択された。そのとき、そこにいた全員が涙を流して泣いていた。
「アフリカは歴史的に欧州から辛酸を舐めさせられてきましたが、決してそれをよしと思っていたわけではなく、選択肢がそれしかないと思うから、選んできただけなのです。今回のジュース工場も『またいつものパターンだろう』と諦めて、勇気と希望を失っていたところに、非電化という、もうひとつの新しい選択肢を提示しました。私の経験上、勇気と希望を失った人々が、再びそれを手にすると、老若男女を問わず全員が涙します。ナイジェリアの人々の涙はそういう意味だったのだと思います」──藤村氏は当時を振り返ってこう語った。
・・・・・(引用終了)・・・・・
日本でも、こういう選択あたりまえになる日が、いつか来ることを信じて。
入管と検察の間では回クテシフォン経済的合理性、法的整合性、科学的妥当性、倫理的正当性、地球環境汚染への罪悪感が東電核発電所からの汚染水放出には欠けている。最後のツイートに火消しのコミュニティノートがついてるのがわかりやすいですね。原発信者の主張が新しかった試しはないのに。
東電の動きの遅さを思えば2018年すら最近でoh suchロシアによるウクライナ侵攻は悪である。すべての軍事侵略は悪である。大日本帝国によるアジア軍事侵攻も悪である。 #あらゆる戦争に反対しますルガンスク出身の少女、ファイナ・サベンコワさん(14)の叫びを聞こう事実を言うとウクライナのネオナチ政権のミロトヴォレツ「殺害リスト」に載る社会。
ちなみにカナダの記者エヴァ・バートレッもそのリストに載っている。英国の記者ヴァネ檜原転石「インボイス制度の中止を求める税理士の会」メモ (インボイス制度反対の理由、輸出大企業の還付金の件など) #インボイス増税反対 #私もインボイス増税に反対します #STOPインボイス 運動を続ける (19)本当に呆れます署名を受け取り拒否したということで、「恥知らず」、「辞めてしまえ」だけでは済まないことです。
真摯さを踏みにじるのは政治家だけでなく、ロクに報道しない業者連中にアンドリュー・バルトフェルド維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)誕生日祝いに個人献金をねだる政治家 維新の会の音喜多駿は日本全国民にこうお願いしました。
【個人献金のお願い】 誕生日メッセージで「おめでとう、何が欲しい?」と聞かれると「こ、個人献金!」と答えTakeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ#汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ汚染水の海洋放出という蛮行を行った自民党政権。
しかし自らの非を棚に上げ排外主義を煽り立てることによりまんまと功を報しています。
いま自民党政権、その補完勢力とマ閉口自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ付け加えると杉田水脈は筋金入りの差別主義者です。
人種差別主義、女性差別主義などなど自民党思想そのものでしょう。
だから日本軍国主義者「安倍晋三」のお気に入りでしたし自民党の閉口「インボイス制度の中止を求める税理士の会」メモ (インボイス制度反対の理由、輸出大企業の還付金の件など) #インボイス増税反対 #私もインボイス増税に反対します #STOPインボイス 運動を続ける (19)#私もインボイス増税に反対します消費税は弱者に負担が重くのしかかる悪しき税制です。
インボイス税制とはその消費税の増税です。
世の中のことは一番弱い人を基準に考えなくてはいけないのが鉄則です。
閉口性暴力についてのメモ女性型社会は権威主義的,好戦的な父権制社会への歯止めになる。 性暴力とは少し外れてしまいますが,御容赦ください。
フォントヴローは西ヨーロッパ最大の領地を抱える修道院群でした。フォントヴローはアンジュ―,トゥレーヌ,パTakeshi自衛隊内の性暴力との五ノ井里奈さんの裁判闘争は続いている。被告人が五ノ井さんはウソをついていると裁判で証言 被告人が五ノ井さんはウソついていると思うと,裁判で証言したそうです。ウソで告発すれば誣告罪に問われるはず。そんな危険なことをするはずがありません。言うに事欠いTakeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。ニーメラー>R2さん
>意義あるのか
マルティン・ニーメラーを知っていますか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title少子化と大学の二極化のなせる業でしょうか
「愛知大学」はかつては「地元ではそれなりの大学、でも全国レベルでは大した偏差値ではなかった」が今はそうじゃない、だから津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。日本の軍国化はしょせん疑似問題内田樹氏の理解ある言葉
今政府は「戦争ができる国」に国家改造しているわけですけれど、これは「ほんとうに戦争をする気がある」からそうしているわけじゃなくて、「そR2反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。Re: 意義あるのか記事の趣旨とははずれていますが、軍事優先主義的な考え方とはどのようなものか端的にわかる実例のようなコメントをありがとうございます。
>そもそも日本が戦争が出来村野瀬 玲奈軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。Re: No title>北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
「正攻法」って具体的に何かよくわかりませんが、ミサイルが怖いなら怖いんじゃ村野瀬 玲奈反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。意義あるのか反戦デモっつっても日本が他国の軍事的脅威に
なると思っているのかな。
そもそも日本が戦争が出来ると思っている者が
いるのが驚く。
まず間違いないのが日本が他国に戦R2軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。No title北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
そんな長者番付よりも信用ならないデータだけ
では事実が見えない。
自衛隊は多くR2自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ杉田水脈「女性はいくらでもうそをつけますから」★1970年代前半の時期に米国のニューヨーク市で、性犯罪分析特別班を設置し、女性の警察官を被害者の面接に当たらせたところ、同市における強姦罪の虚偽告発率は2%であり、檜原転石反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラの祈り>Takeshiさん
戦後、ドイツではショル兄妹を顕彰するために学校の名前に「ショル兄妹記念」と名付けられていたりしますよね。
そして、それが書籍や映画になり、広く語る津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラ事件を思い起こさせる。 ミュンヘン大学でショル兄妹たちは反戦ビラを巻きちらしました。大学の用務員がビラを拾ってナチス当局に届け出ました。ショル兄妹たちは民族裁判所で「国家反逆罪」に問Takeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよソロモン諸島の首相が日本の汚染水海洋投棄を非難 国連総会において,ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が日本の汚染水の海洋投棄を非難しました。IAEAの処理水をめぐる報告書についても,不十分だとしたうえで,「原発Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title 反戦デモに参加したことで学生が懲戒を受けるだけでもすさまじいのに、一番重い退学処分とは・・・。愛知大学は一体何を考えているのか。これが容認されれば萎縮効果は甚クテシフォン維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)維新の会の池上卓は公設秘書として2人の市議を採用 維新の会の池上卓議員(大阪10区)は,公設秘書として現職の高塚市議2人を採用していたとのこと。国会議員の秘書に関しては法改正で兼職が禁止され,例外的に兼職届が出Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No titleそのうち「焚書」とか起こりそうで、冗談じゃなく怖いです。
まさに「新しい戦前」…津木野宇佐儀現行の健康保険証の圧勝、マイナ保険証の惨敗。 #現行の健康保険証を残してください #保険証廃止はありえない #サントリー不買運動No title新浪と成田が格差拡大を正当化する対談をプレジデントオンラインでほざいています。
まあ、救いようのないバカばっかりです。アンドリュー・バルトフェルド弁護士ドットコムタイムズに #維新 の橋下徹を登場させるのはおかしいのではないか。No titleいかにもそれっぽい名称を名乗った(所謂弁護士連合会とは無縁の)営利目的の組織じゃないですか。何せ株式会社ですからね。
ここの発するニュースなんかを見ててずーっと別人28号言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ二重基準の適用問題No. 1919 福島の核廃棄物:ロシアを非難し、日本を承認
投稿日時: 2023年9月20日
Fukushima’s nuclear waste:Stigmatising Russia, approving Japan
by Richard Cullen
h檜原転石日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」
何度でも引用されるヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉ですが、日本ではもっともっと使われるべき言葉ですよね。
付け足津木野宇佐儀英霊には感謝してはならない。英霊には謝罪しなければならない。英霊は讃えられ,傷痍軍人は侮辱・差別された。 わたしがとても幼いとき,神社で祭があると,神社の階段下に軍帽をかぶり,白い服を着て腕や足のない傷痍軍人が恵みの金を求めている姿を見たことがあります。実際に見たTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Re: タイトルなしハンドルネームを書けないチキンの方がこんなことを書きこまれました。そのコメントは承認しませんが、こちらに丸ごと引用して、私の感想を書き加えます。
(引用開始)
村野瀬 玲奈