
橋下教育カイカクへの批判として、多角的で精緻なものが法曹界から出されました。すでに教育の世界から出された橋下教育カイカクへの批判として、内田樹先生のものを以前読みましたが、法曹界からのものを今回はお持ち帰りで読みます。大前治弁護士によるものです。
●大阪府教育基本条例(案)―――府民の立場からの批判 (弁護士 大前治)
http://osakanet.web.fc2.com/kyoikujorei2.html
「大阪維新の会」が2011年8月22日に発表した「大阪府教育基本条例(案)」に対して、全面的に検討してみました。
今後、さらに多くの方々からご意見をいただき内容を深めていく予定です。
なお、2011年9月12日までに報道発表された内容に基づいていますので、今後の府議会に正式提出される内容とは異なっている場合があります。府議会に正式提出されましたら、その内容に応じた改訂版を発表いたします。
大阪府教育基本条例(案)に反対する意見書
―― 教育への「不当な支配」を可能にする条例案の撤回を求める ――
2011年9月15日
大阪京橋法律事務所
弁護士 大前治
自由法曹団大阪支部 事務局幹事
民主法律協会 事務局次長
大阪弁護士会 憲法問題特別委員会 委員
連絡先
〒534-0024 大阪市都島区東野田町1-6-16
ワタヤ・コスモスビル6階 大阪京橋法律事務所
電話06-6167-5270 FAX 06-6351-3603
――――― 目 次 ―――――
■ 「前文」について
1 「教育に民意を反映する」という言葉のすりかえ
*第1のすりかえ――― 教育条件整備などの「民意」には耳を傾けない
*第2のすりかえ――― 民意を無視してきたのは、橋下知事や歴代府政である
*第3のすりかえ――― 民意ではなく、「知事の意見」を徹底させるための条例
2 教育内容への介入、教育の政治利用は許されない
3 「政治は教育に責任を持つべき」――― その言葉を取り違えてはいけない
4 間違った法律解釈により、「教育の政治的中立性」の意味をゆがめる
5 地方教育行政法25条の一部を取り出し、法解釈を歪めている
*地方公共団体の長の職務権限(地方教育行政法24条、24条の2)
*教育委員会の職務権限(地方教育行政法23条)
■「第1章 目的及び基本理念」について
1 条例が掲げる「教育の基本理念」
2 「自己責任」と「競争」に追いやることが「教育理念」か
*「自由と権利」よりも「義務と規範」を重視
*「競争」そして「自己責任」の世界へ追い立てる
*行政や福祉は「恩恵」か――― 教育福祉行政の意義を歪めた捉え方
*愛国心、競争力、世界標準―――「国家のため、経済力のための教育」へ
■「第2章 各教育関係者の役割分担」および「第3章 教育に対する政治の関与」について
1 府立高校の教育目標は知事が決める―――― 保護者・専門家の意見も聞かず独断
2 教育委員会の地位の低下、弱体化
(1)教育委員会の政治的中立性・公平性の保障が骨抜きに
(2)知事は教育委員を罷免できる――――明確な現行法違反、露骨な教育介入
3 校長による上意下達の「学校経営」
4 保護者にも義務を課す問題点――― 問題を抱える家庭に向き合うことこそ教育の役割
5 「学校運営協議会」の問題点―――地元有力者による人事評価や教科書推薦
■「第4章 校長及び副校長の人事」について
1 「校長」のあり方が変わる――― 教員経験のない者が多数を占めていく?
2 教育者ではなく「マネージャー」でつとまるのか
■「第5章 教員の人事」について
1 教育委員会ではなく校長による絶大な人事評価権限
(1)校長が教員任用に関与する問題点①――― 教育委員会は無力化・形骸化
(2)校長が教員任用に関与する問題点②――― 現行の教員採用制度と相容れない
(3)校長による勤務評定の問題点――― 教育委員会が行うとする現行法規定に抵触
(4)校長が人事評価を行うことの意味――― 「学校経営への貢献」が判断基準
2 割合を定めた相対評価の強制で、教師への監視統制を強める
(1)校長による徹底した相対評価――― 数値的な結果を基準とした評価
(2)相対評価によって教師間の競争が強められ、教師が分断・孤立する
(3)2年連続で「下位5%」になると免職されることの不合理性
――― 際限なく各校で教師が免職されていく恐怖の循環
3 給与・手当だけでなく任免にまで人事評価を直結させる
4 「学校運営協議会」による人事評価(外部からの介入を招く)
■「第6章 懲戒・分限処分に関する運用」について
1 懲戒処分の手続及び効果
(1)そもそも懲戒処分には法律上の限界がある
(2)「一覧表」に当てはめて処分することが公正とはいえない
(3)4種の懲戒処分以外に、「訓告」や「厳重注意」の選択肢がない
(4)「手続の透明性」を確保する制度規定はない
(5)職務命令違反への処分が重罰かつ画一的すぎる
―――「君が代」起立斉唱の命令違反をターゲットにした重大処分
(6)処分事由を列挙して教育現場に重圧を課すことが目的
(7)争議行為、あおり行為に対して重い処分を課す
(8)非違行為に加担しなかった教員に対しても重罰を課す
(9)現行指針にある「体罰をした教員への懲戒処分」を削除
2 分限処分の手続及び効果
(1)懲戒処分と同様に、厳罰化と処分の広範化をもたらす
(2)不合理な相対評価、恣意的な評価に基づく処分の可能性
(3)現行の分限指針の「教職員室の対応」を削除
(4)周囲の教員の援助・協力を求めることが分限処分の対象となる
(5)「指導力不足教員」への分限処分の問題点
ア 指導力不足教員との相談・援助ではなく「記録・資料収集」が義務付けられる
イ 本条例案が定める分限手続の不当性(教育公務員特例法違反)
ウ 分限免職をなしうる対象は法律により限定されている
【※補足 現行法令等との関係】
■「第7章 学校制度の運用」について
1 公立高校の学区制廃止――― 学校の序列化と競争が激化
2 学校の統廃合
■「第8章 学校の運営」について
1 校長による統制強化―――「いかなる会議・場所」での意思決定も禁止
2 校長の独断による公開授業、土曜授業
3 職員会議の議論や決定を徹底的に排除
4 児童・生徒への懲戒――― 「有形力の行使」を認めて、体罰を事実上容認
(1)有形力の行使を認める問題点
(2)文科省通知や最高裁判例との比較
■「第9章 最高規範性」について
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(本文)
大阪府教育基本条例(案)に反対する意見書
―― 教育への「不当な支配」を可能にする条例案の撤回を求める ――
■「前文」について
1 「教育に民意を反映する」という言葉のすりかえ――― 教育に反映されるべき「民意」とは?
条例案には、長大な「前文」が付いており、異様な様相をみせています。
そこには、「教育に民意が十分に反映されてこなかった」、「政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」と述べられています。これには次のように2つの「すり替え」があります。
*第1のすりかえ――― 教育条件整備などの「民意」には耳を傾けない
教育条件や環境整備を求める保護者・住民の声は、反映されるべきです。
少人数学級、学校給食、教室への冷房導入、校舎の耐震改修、私学助成の充実・・・。保護者からは切実な願いが寄せられています。こうした声に応えて教育環境をよくするためにも、住民の声に耳を傾け、政治が責任をもつ必要があります。
ところが、教育基本条例案は、そういう民意を取り入れるとは一言も言っていません。教育施設の整備充実なども一切約束していません。この条例は、そういう民意を取り入れるのではなく、後で述べるとおり教員人事や教育内容を管理統制しようという内容です。住民の願いとは別の方向と言わざるを得ません。
*第2のすりかえ――― 民意を無視してきたのは、橋下知事や歴代府政である
これまで、教育環境整備を求める声を無視してきたのは、ほかでもない橋下知事を含めた歴代知事とオール与党議員でした。橋下知事が就任後すぐに宣言したのは、「私学助成の削減」、「小学校の35人学級の廃止」でした。これに対しては、PTAなど教育関係者から大きな反対の声が起こりました。さらに橋下知事は、学校事務職員の大量解雇、校門前警備員の人件費補助廃止など、教育予算を削減して教育条件を悪化させてきたのです。
そのことへの反省は、この条例には一切盛り込まれていません。自分たちが民意を無視してきたことを棚に上げて、まるで今までの教育現場(教育委員会や教員)のせいで教育状況が悪いかのように描いているのが、この教育基本条例案なのです。
*第3のすりかえ―――― 民意ではなく、「知事の意見」を徹底させるための条例
本条例案は、「知事が教育目標を設定し、知事が教育委員を罷免するなど管理統制の権限を拡大する」という内容です。つまり、この条例がいう「民意の反映」とは、実際には「知事の意見を反映する」という内容です。
しかし、選挙で選ばれた知事の考えすべてが、イコール「民意」という訳ではありません。
それどころか、そもそも次に述べるとおり、政治家が教育内容に口出しをすることは禁止されています。
2 教育内容への介入、教育の政治利用は許されない
教育には政治的中立性が求められ、政治は教育内容に介入できません。政治家による教育の政治利用は許されないのです。
第二次大戦時に政府が「お国のために死ぬこと」を教えた痛苦の反省から、教育基本法16条は「教育は不当な支配に服することなく行われるべき」と定めています。この原則こそ、守られるべきです。
ときの政権や政治家が変わるたびに、教育内容がコロコロ変わるようなことは許されません。教育は、国家思想を植え付けるものではないですし、「教育の政治利用」は許されません。
ところが教育基本条例案は、前文において、「グローバル社会に十分に対応できる人材育成」を実現するとか、「大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない」などと述べています。こうした教育理念自体が特異な政治的見解なのであり、「教育への政治介入」に当たります。
さらに後述する個別規定においては、教育環境整備だけでなく教育内容に直接関与して「どのような人材を作るか」という教育目標を知事が決定すると定めています。このこと、後で説明する個別規定の全体を通じて一貫しています。
3 「政治は教育に責任を持つべき」――― その言葉を取り違えてはいけない
これに対し、橋下知事は、「政治が教育に責任をもつ」という言葉を多用して、今回の条例案を正当化します。本条例案も、「政治が適切に教育行政における役割を果たさなければならない」と述べています。
これは確かに、聞こえがいい言葉です。しかし、政治が責任をもつべきなのは、充実した予算配分や環境整備を通じて、子どもたちが十分な教育を受ける機会を保障することです。僅少な教育予算のもとで、人件費も削減されて人手不足の状態では、よりよい教育実践は不可能です。
政治の役割は、「教育を受ける権利」(憲法26条)を保障することです。2006年に改正された教育基本法も、行政の役割として「義務教育の機会を保障し、その水準を確保する」(5条3項)、あるいは「教育に関する施策」を実施する(16条3項)と定めており、教育内容ではなく教育環境整備を第一次的役割としているのです。
教育基本法16条3項に基づいて府が行うべき「教育に関する施策」とは、府立学校の設置管理、市町村立小中学校の教職員の任命、市町村の教育条件整備への支援(市町村立学校の教職員の給与負担など)、市町村の教育事業(教育・文化・スポーツ等に関する各種事業)に関する指導助言・援助の措置とされています(「逐条解説 改正教育基本法」193頁=前文部科学審議官・田中壮一郎監修、第一法規 刊)。です。
教育内容について、都道府県知事が決定や介入をできる根拠規定は存在しません。
大切なのは、すべての子どもたちが基礎学力を身につけて、知識・教養とともに個性・自主性・協調性を育むことのできる教育環境を整えることです。決して、国際競争に勝ち残るための「人材」、競争相手を打ち負かすことのできる「人材」を育成するという教育内容を定めることが本来の役割ではありません。
4 間違った法律解釈により、「教育の政治的中立性」の意味をゆがめる
―――教育基本法は、政治教育の禁止だけでなく、幅広く「不当な支配」を排除している
本条例案の前文は、教育に政治が介入してもよいという正当化のために、教育基本法が定める「教育の政治的中立性」とは、「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」(教育基本法14条)をしてはならないという意味であり、それに該当しない限り政治は教育に関与できると述べています。
しかし、ここには重大な誤り(ごまかし)があります。条例案が引用した教育基本法14条は特定党派に偏った政治教育を禁止する条項ですが、これ以外にも政治的影響を排除する規定があるのです。もっとも重要であるのは、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」と定める教育基本法16条1項です。教育への「不当な支配」には、政治家の圧力や、政治思想に基づいた介入などが含まれます。
大阪府の教育も、憲法や教育基本法などの法律に基づいて行われる必要があります。
ときの知事の意向を受けた教育内容や、一定の政治的見解に依拠した方向性の教育は、「不当な支配」を受けたものであり教育基本法16条に違反すると言わざるを得ません。
5 地方教育行政法25条の一部を取り出し、法解釈を歪めている――――同法は、知事の権限を限定している
本条例の前文は、地方公共団体が条例を通じて教育に関与できることの根拠として、地方教育行政法25条をあげている。
しかし、これは意図的に条文の一部を取り出して、解釈を歪めたものである。およそ府議会での審議にも耐えないこじつけである。
地方教育行政法25条は、教育委員会と知事が、条例や規則等に基づいて教育に関する事務を執行できると述べている。しかし、これは条例によって知事の権限を自由に拡大してよいというものではなく、知事が教育内容について決定・介入してよいという規定でもない。ここでいう、条例に基づいて執行すべき事務とは、その条文の「前三条」に定められた内容である。そこで定
められた知事の権限は、以下のとおり制約されている。
*地方公共団体の長の職務権限(地方教育行政法24条、24条の2)
・大学に関すること。
・私立学校に関すること。
・教育財産を取得し、及び処分すること。
・教育委員会の所掌に係る事項に関する契約を結ぶこと。
・前号に掲げるもののほか、教育委員会の所掌に係る事項に関する予算を執行すること。
・スポーツに関すること(学校における体育に関することを除く。)。
・文化に関すること(文化財の保護に関することを除く。)。
このように、知事の職務権限とされる「教育に関する事務」は7項目に限定されており、これについてのみ、地方教育行政法25条は「条例」や「規則」に基づいた執行を求めているのである。決して、本条例案の前文がいうように、「条例によって、知事が教育内容を決定・介入できる」とか、「民意を反映するために条例によって教育制度を自由に変えられる」とは定めていない。
なお、教育委員会の権限については、同法23条が19項目にわたる広範な内容を定めており、知事の権限よりも広範なものとなっている。その主なものは以下のとおりである。
*教育委員会の職務権限(地方教育行政法23条)
・学校等の設置、管理、廃止、教育財産の管理に関すること。
・教職員の任免、人事に関すること。
・生徒児童の入学、転学、退学に関すること。
・学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導、職業指導に関すること。
・教科書その他の教材の取扱い、学校施設や教具など設備の整備に関すること。
・校長や教職員の研修に関すること。
・学校給食に関すること。
・保健、安全、福利厚生、環境衛生、青少年教育、女性教育、公民館事業、文化財保護、ユネスコ活動、教育法人、
統計調査、広報、教育行政相談など
地方教育行政法25条は、あくまで「法律が定めた職務権限」に関して、知事や教育委員会は各地方公共団体が定めた条例に従うよう求める規定である。法律によって認められていない事項を知事の職務権限とすることはできず、教育委員会の権限を知事に移譲することもできない。
■「第1章 目的及び基本理念」について
1 条例が掲げる「教育の基本理念」
条例案は、以下の教育理念を掲げています。
(1) 個人の自由とともに規範意識を重んじる人材育成
(2) 個人の権利とともに義務を重んじる人材育成
(3) 他人への依存や責任転嫁をせず、互いに競い合い自己の責任で道を切り拓く人材育成
(4) 不正を許さず、弱者を助ける勇気と思いやりを持ち、自らが受けた恩恵を社会に還元できる人材育成
(5) 我が国及び郷土の伝統文化を深く理解し、愛国心及び郷土を愛する心に溢れ、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に
寄与する人材育成
(6) グローバル化のもと、常に世界の動向を注視し、激化する国際競争に迅速に対応できる、世界標準で競争力の高い人材
の育成
2 「自己責任」と「競争」に追いやることが「教育理念」か
*「自由と権利」よりも「義務と規範」を重視
この条例案の「教育理念」には、きわめて特異な教育感が示されています。
上記(1)・(2)は、「自由と権利」よりも「義務と規範」を重んじる規定といってよいでしょう。
人間らしく生きていく上で当然のこととして保障されている権利を主張・行使するのではなく、義務を遵守して服従をすることが重んじられる教育感。そこには、「モノを言わない国民づくり」、「指示どおりに動く人間づくり」をしたいという本音が見え隠れします。
本来、学校を卒業した青年が社会でまず必要とするのは権利です。労働者の権利が侵害された劣悪な職場や、消費者の安全が阻害された社会実態に直面したときに大切なのは、泣き寝入りや服従ではなく、権利を行使して身を守る、あるいは自由を勝ち取ることのはずです。権利を学ぶことは、自分の権利を守るためだけではなく、他者の権利をも擁護してともに尊重し合う関係作りに資するはずです。そのことが否定されるような「教育の理念」であってはなりません。
*「競争」そして「自己責任」の世界へ追い立てる
前記(3)は、「他人への依存や責任転嫁」を戒め、「競争と自己責任」の道を進むよう求めています。あまりにも露骨な自己責任論です。「負けたら最後の競争」、「他者を追い落として上昇する」、それが教育理念といえるのでしょうか。
*行政や福祉は「恩恵」か――― 教育福祉行政の意義を歪めた捉え方
前記(4)は、「受けた恩恵を社会に還元できる人材育成」を掲げます。しかし、教育や福祉行政を受けることは権利として保障されており、「恩恵」ではありません。行政の責務を放棄して、自己責任・競争社会を当然視する橋下知事は、行政を「恩恵」の施しと思っているようです。
*愛国心、競争力、世界標準・・・。「国家のため、経済力のための教育」へ
前記(5)は、「愛国心」という言葉を掲げています。2006年改正後の教育基本法が使う「我が国と郷土を愛する」という言葉と比べても、極めて直接的な「愛国心教育」の宣言です。しかし、そもそも愛国心は教育により教えることができるのでしょうか。この国の現状や歴史を真摯に学ぶ機会が保障され、国に帰属・服従するのではなく国の主権者として自由な意見表明や政治参画をできる力を育むことが保障されなければなりません。愛国心教育は、そうした本来の教育のあり方とは無縁です。
さらに(6)は、「世界標準で競争力の高い人材」の育成を定めています。強調性や連帯をはぐくむのではなく、「勝ち残り競争」に児童生徒を追いやる教育観が示されています。
このように特異な教育感を、「教育理念」として条例に掲げること自体が、教育基本法16条が禁止する「不当な支配」に抵触します。
■「第2章 各教育関係者の役割分担」および「第3章 教育に対する政治の関与」について
1 府立高校の教育目標は知事が決める――――保護者・専門家の意見も聞かず、知事が独断で目標を設定
条例案は、知事が「高等学校教育において府立高校が実現すべき目標」を設定すると定めています。ときの政治家が教育の「目標」を定めるというのは、教育内容に対する明白な政治介入であり、教育基本法16条(不当な支配の禁止)に違反します。
しかも本条例は、知事が定めた教育目標を、単なる「抽象的な目標」とか「宣言」という扱いにとどまらず、その教育目標そのものを法的効力のある「規則」として強制力をもたせています(条例案12条1項)。
知事が教育目標を定める際には、保護者・教育関係者や諮問機関などから意見を聴取する手続は一切定められていません。また、知事が定めた教育目標に対して、何らチェック機関や異議申立制度はありません。教育の専門家ではなく政治家である知事が、まったくの独断で決定できるのです。フリーハンドで教育を政治利用できるようになります。
知事が変わるたびに、あるいは知事の気が変わるたびに、教育目標を定めた「規則」がコロコロ変わる可能性もあります(教育目標の設定や変更の回数制限はありません。)。
2 教育委員会の地位の低下、弱体化 ――― 教育委員ではなく政治家が教育について絶大な権限を振るう
(1)教育委員会の政治的中立性・公平性の保障が骨抜きに
本条例案(第7条1項)は、教育委員会は、「知事が設定した目標を実現するため、具体的な教育内容を盛り込んだ指針を作成し、校長に提示する」と定めています。完全に知事の目標を達成するための機関、知事の補助機関になってしまいます。教育委員会が、完全に政治の影響下におかれるのです。
これは、現行法とは全く相いれない制度です。教育への「不当な支配」を禁ずる教育基本法16条に反しており、地方教育行政法が教育委員会の政治的中立性・公平性を保つために以下の規定をおいていることを完全に没却するのです。
すなわち、現行の地方教育行政法は、教育委員の任命について、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する」と定めています(地方教育行政法4条1項)。都道府県の教育委員の人数は5名以上(大阪府は現行6名)であり、委員の半数以上が同一政党に所属しないことや、年齢・性別・職業等に著しい偏りが生じないように配慮が求められています(同法4条3・4項)。このように、政治的中立や公平性を担保する制度がもうけられ、個人の独断専行を防ぐために5名以上の複数委員を任命するよう定めているのです。
ところが、こうした制度の趣旨を根底から覆すのが、教育基本条例案です。政治家である知事が、教育委員会に対して独断専行で「教育目標」を提示して、教育委員会はそれに従うというのですから、政治的中立性など全く保障されなくなります。
知事は、教育委員とは異なり、「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有する」という条件は不要です。教育委員会に対して乱暴な介入をせず自制してほしいところです。
(2)知事は教育委員を罷免できる――――明確な現行法違反、露骨な教育介入
本条例案では、教育委員が、知事の設定した教育目標(これが「規則」となることは前述のとおり)を実現する義務を果たさない場合や、教職員の処分を怠った場合には、その教育委員を罷免できると定めています(条例案12条2項)。
これは、完全に政治家である知事が、独断によって教育委員に政治的圧力をかけることを可能にする規定です。
そもそも現行法においては、知事が教育委員を罷免できる場合は限られています。すなわち、地方教育行政法7条1項は、①委員が心身の故障のため職務の遂行に堪えない、②職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認める場合、に限られています。ここでいう「義務違反」や「非行」とは客観的な行為事実であり、罷免に相当する程度の重大な場合をいうとされています。ところが本条例案の規定によれば、そうした重大事案に限らず、知事が「この教育委員は、私が定めた教育目標に従っていない」と一方的に決めつけただけで罷免できることになります。
教育委員は、前述のとおり政治的中立性・公平性を確保するために構成や任用条件が定められるとともに、心身の故障あるいは客観的な職務違反や非行がない限り政治家によって罷免されない身分保障があります。このような身分保障は、教育委員が保身のために政治家(知事や府議会議員)の顔色をうかがって職務遂行をするのではなく、政治家から独立して中立公平な教育行政にあたるために極めて重要です。ところが本条例案は、そうした現行法制度を完全に否定し、容易に罷免できるよう定めているのです。
これでは、およそ政治下の干渉や政治的影響から独立した中立公平な教育行政は不可能です。
3 校長による上意下達の「学校経営」
校長は、知事が定めた教育目標に基づいて教育委員会が提示した指針をもとに、「学校の具体的・定量的な目標を設定したうえ、当該目標の実現に向けて、幅広い裁量を持って学校運営を行う」としています(条例案8条1項)。
具体的には、校長は、予算要求、自己評価、採択すべき教科書の推薦、学校運営協議会の設置および構成員の選任、教員の任用への意向提出、教員の人事評価、教員の処分についての教育委員会への通告と意見提出などの権限を有します。他方、教員は、「組織の一員という自覚をもち、教育委員会の決定、校長の職務命令に従うとともに、校長の運営方針にも服さなければならない」(9条1項)と定められています。後で見るように、ただ個々の権限があるというだけでなく、校長の意向に反した教員や教育委員に対しては、徹底して不利益な手続や処分を課しています。そのようにして、校長の権限を絶対的に貫徹するように規定されています。
こうして校長は幅広い決定権を行使し、学校は上意下達の体制になります。教員は校長の職務命令や「経営指針」に服し、違反者は処分されます。
本来、教育とは人間的ふれあいのなかで教え育てる営みであり、教員が自主性・個性を発揮することが重要です。教師が協力しあい、悩みを語り合いながら教育実践を進める環境が不可欠です。教育の場に強制や監視統制はなじみません。
悩みを打ち明けられずに抱え込み、過重負担やストレスで精神疾患になる教員が増えています。条例案はこれに追い打ちをかけるように、他の教員の支援を要する状況を「勤務実績不良」と位置付けて指導や警告の対象とします。これでは、教員はますます相談できず孤立していきます。
4 保護者にも義務を課す問題点 ――― 問題を抱える家庭に向き合うことこそ教育の役割なのに
条例案は、保護者にまで義務を課しています。
まず、「保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するよう努めなければならない」と義務付けています(条例案10条1項)。これは、校長が絶対的権限をもつ学校運営への「参画」、すなわち校長の目標達成への協力を意味します。まさに条例案が述べているとおり、学校による教育を客体として、それへの「貢献」を求めているのです。
保護者や住民が要望を述べる権利は保障されていません。あるのは発言の権利ではなく協力の義務です。しかも、「不当な態様で要求をしてはならない」(条例案10条2項)と定められており、正当な意見を言いたくても委縮してしまいます。
さらに条例案は、「保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童・生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。」と定めています(条例案10条3項)。たしかに家庭教育は必要ですが、条例案のいうように「学校教育の前提」としての義務を課すのは不当です。それぞれの家庭が子どもの成長発達にかかわる課題や問題点を抱えており、親の職業や経済事情などにより家庭内教育が十分に行えない場合もあります。ところが本条例案は、そうした事情をすべて捨象して、「基本的生活習慣を身につけさせていない親は義務違反だ」、「生活習慣を身につけさせるのは家庭の役割だから、学校はそれをフォローしない」という形で切り捨ててしまいます。
むしろ、本来必要とされる教育および学校の役割は、家庭内での生活習慣習得が十分にできていない子どもに向き合い、親とも協力しながら、その子が抱えている問題を一歩一歩解決していくことです。それを、「それは家庭の役割だから学校は責任をもたない」とするのは、教育の責任放棄です。
5 「学校運営協議会」の問題点―――地元有力者による人事評価や教科書推薦
条例案は、校長が保護者や地域住民からなる「学校運営協議会」を設置し、教員の評価や教科書の推薦を協議すると定めています。
この協議会の選出基準は定められていません。恣意的に選ばれた地元有力者の影響下で、教科書推薦や人事評価がなされる危険を排除できません。過去の戦争を美化する歴史教科書の採択が問題となっていますが、各校の協議会が教科書採択をめぐる政治的対立の場になるおそれもあります。
そもそも学校運営協議会は、地方教育行政法47条の5によって、①教育委員会が設置するものであり、②必ずしも設置しなくてよい任意機関とされており、③同協議会の運営が適性を欠くようになれば教育委員会は同協議会を廃止(設置指定の取消)しなければなりません。ところが本条例案は、教育委員会ではなく校長が設置するものと定めており、しかも必ず全校に設置することと定めています。これは地方教育行政法が想定する制度とは全く異なっています。同協議会が外部からの不当な介入や校長との癒着をもたらさないように制度設計をした地方教育行政法に抵触しています。
■「第4章 校長及び副校長の人事」について
1 「校長」のあり方が変わる――― 教員経験のない者が多数を占めていく?
本条例案は、校長の任用についても大幅に現行制度を変更しようとしています。
とりわけ重大であるのは、「年齢、職歴、教員としての在職期間等を問わず、マネジメント能力(組織を通じて運営方針を有効に実施させる能力)の高さを基準として、教員を含む意欲ある多様な人材を積極的に登用しなければならない。」と定めている点です(条例案14条2項)。
これは、教師・教頭経験者の中から校長登用試験によって選考するという現行制度を大きく変更するものです。
2 教育者ではなく「マネージャー」でつとまるのか
しかし、教室や運動場などで一人一人の子どもと向き合う教育現場の経験がない人物を、ただ「マネージメント能力」があるだけで次々に任用しても、個々の学校で日々生起する問題への対処が可能とは思われません。むしろ、校長や教師が一緒になって、互いに協力と援助をしあうことにより教育課題に立ち向かうことこそ必要であり、そのためには校長にも教育者としての資質や素養、ある程度の経験が必要です。校長は、物を売る店長ではなく、一人一人の子どもや教師と向き合うことが必要な教育職です。ただ管理統制能力があるだけで、教育の特殊性に対応できません。
また、任期制で教育経験もない校長が、保護者や地域住民から信頼と親しみをもってもらえるのか、この点には保護者にも不安が広がっています。
■「第5章 教員の人事」について
1 教育委員会ではなく校長による絶大な人事評価権限
本条例案は、教育委員会から権限を奪い、知事および校長の権限を拡大している点で一貫しています。特に、「教員の人事」の項においては、以下のように既存の法律に抵触する形で、教育委員会の権限事項を校長に移している点が目立ちます。
(1)校長が教員任用に関与する問題点①――― 教育委員会は無力化・形骸化
本条例案は、教員の任用について、次のように定めています。
「教員の任用にあたっては、教育委員会は校長の意向を尊重しなければならない」、「教育委員会は、校長の意向に反する人事を行った場合、その旨及び具体的理由を議会に対して報告しなければならない」。
これでは、一次的な選考を校長が行い、教育委員会はそれに従って人事を行うと定めているのと同じことになります。なぜなら、校長の意向と異なる人事を行った場合に、その具体的内容は個人情報を含むので慎重に扱わなければならいので、その内容を府議会に報告することは重大な弊害を生じるおそれがありますし、その人事の適否を府議会で審議されることは教育委員会にとって耐えがたい重荷になる可能性があります。府議会が、その人事に問題があると判断した場合は、ただちに府議会が教育委員会に対して報告を求めたり(条例案13条1項)、知事から是正を求められたり(条例案13条2項)、より強く問題視されれば罷免されるかも知れないからです(条例案12条2項)。このような重荷を背負うくらいなら、府議会へ報告しなくて済むように校長の意向に沿った人事を行うほうがよい、ということになります。
このようにして、教育の専門家からなる教育委員会の意向は退けられ、民間から登用されたマネージャーである校長が絶大な人事権を振るうことになるのです。
(2)校長が教員任用に関与する問題点②――― 現行の教員採用制度と相容れない
そもそも校長が教員任用に関与することは、地方教育行政法および教育公務員特例法に抵触します。
地方教育行政法34条は、教員の任命について「教育長の推薦により、教育委員会が任命する」と定めています。そして、教育公務員特例法11条は、教員の採用は選考によるものとし、その選考は教員の任命権者である教育委員会の教育長が行うと定めています。教員免許を有する者が採用試験を受験し、それに合格した者が採用されるという手続であり、これにより客観的かつ統一的な基準を満たした者が教員として任用されることになります。個々の学校長が任用について関与することは予定されていないのです。
ところが本条例案によれば、各学校ごとにバラバラに、採用試験合格者の中から校長が気にいった教員を選択できることになります。教員が人気校・有力校の校長に気に入られて採用されるような就職活動が行われることになります。情実による選考が横行する可能性もあります。
また、校長にとっては、その学校の教員を任用・免職する権限をもつことは、次に述べる校長による勤務評定制度とあいまって、強力な支配統制が可能となることを意味します。
(3)校長による勤務評定の問題点――― 校長による支配統制を強化する。 教育委員会が行うとする現行法規定に抵触
本条例案は、校長が人事評価を行うことを明記し、その評価が給与・期末手当だけでなく任免にまで反映されなければならないと定めています。しかし、これは既存の法律による勤務評定制度の枠組みを逸脱しており、違法性・不当性の度合いが高いものです。
地方教育行政法46条は、教員の勤務評定は教育委員会が行うものと定めています。この勤務評定制度には強い批判があるものの、それでも一次的評価権者を校長とするのではなく、制度上は政治的中立が確保された構成による教育委員会が判断をするものとされています(たとえば教育委員のうち2分の1以上が同一政党に所属していないことなどの要件がある。地方教育行政法4条。)。また、各学校ごとに評価者が異なることにより、評価基準や評価内容の不統一が生じるおそれがあるために、各学校ごとに校長が勤務評定をするのではなく、教育委員会が行うこととされているのです。
ところが本条例案は、教育委員会ではなく校長が勤務評価をすることと定めています。
前にも述べたとおり、各学校に設置される「学校運営協議会」が教員の人事評価にも意見を提出することになっています。偏った構成の同協議会による恣意的・不公正な評価がなされる可能性と相まって、教員の評価制度は大きく歪められてしまいます。
(4)校長が人事評価を行うことの意味――― 「学校経営への貢献」が判断基準
本条例案は、徹底して教育委員会の権限を縮小し、教員の任用と人事評価について校長に広範な権限を与えています。教育委員会は、校長による人事評価の結果に基づいて人事を行い、給与等に人事評価を反映させる権限を有するのみとなりました。
これは、教育委員会ではなく校長が学校の「具体的・定量的な目標」や「具体的計画」を設定するという条例規定と呼応するものです。すなわち、教員の人事評価は、憲法や教育基本法が定める教育理念に基づくのではなく、「授業・生活指導・学校経営等への貢献」を基準に行うものとされ、ここでいう「学校経営等への貢献」とは校長が決定した学校運営の目標および計画への貢献の度合いに基づくことになります。
要するに、教員の人事評価は、校長が定めた目標の達成状況が基準とされ、その目標を設定した校長が自ら教員の人事評価をするというのです。これでは、校長が主観的・恣意的な人事評価を行うことが可能となります。校長に対して意見や疑問を述べたり、教員が自主目標を設定したり自主的活動を計画することを委縮させ抑えつける効果を生じてしまいます。
2 割合を定めた相対評価の強制で、教師への監視統制を強める
(1)校長による徹底した相対評価――― 数値的な結果を基準とした評価
本条例案は、校長は、「授業・生活指導・学校経営等への貢献」を基準に次の5段階で人事評価を行うと定めています。
S=5%
A=20%
B=60%
C=20%
D=5%
このうち、2年連続で最下位5%の評価を受けた者は、注意指導や教育委員会の面談を受け、改善されない場合には「免職または降任」の分限処分が課されることになります。
校長は徹底した相対的評価を行い、必ず上位5%と下位5%を定めなければなりません。これは、評価する校長にとっても酷であり困難です。なぜなら、校長は全教師の全授業や学級運営を詳細に把握している訳ではなく、授業や生活指導についての詳細に評価することができないからです。ある教員に上位5%や下位5%という評価をした場合に、その具体的理由(他の教員への評価よりも高い又は低いことの具体的かつ合理的な理由)を明確に挙げることは不可能に近いと言わざるを得ません。
それでも本条例は、「授業・生活指導・学校経営等への貢献」を基準として5段階の人事評価をせよと定めています。校長としては、担当クラスごとの学力テストの成績や、遅刻・欠席者の数などを基準として評価せざるを得ません。
このことは、次に述べるように、一人一人の児童生徒に向き合うことよりも、全体としてテスト成績や出席率を向上させる競争に教師を追い立てる結果をもたらします。
(2)相対評価によって教師間の競争が強められ、教師が分断・孤立する
教師からみれば、徹底した相対評価が実施されることにより、「他の教師との競争」を強いられることになります。しかも、「競争に負けたら免職」という恐怖に追い立てられた必死の競争です。自分が低い評価を受けて免職されないためには、他のクラスよりも学力テストの点数を上げなければならず、遅刻・欠席者を減らす必要もあります。
一人一人の生徒と向き合って基礎学力をつける補習をしたり、保護者と連携して生活習慣を改善していくことにより遅刻・欠席を減らしていったり、不登校の生徒の悩みに時間をかけて耳を傾けることができる猶予はなくなります。そうした過程よりも、ただ目先の数値的な結果を追い求めるしかない状況になります。
生徒指導上の課題や悩みを抱えていても、他の教師に相談をできなくなります。他の教師も自分への評価が下がることを怖れて必死だからです。教師が連帯して教育実践にあたるのではなく、互いに競争相手として追い落としあう職場環境になってしまいます。
さらには、他の教師が悩みを解決できないまま低い評価を受けてくれれば、自分が下位5%になる可能性が下がるのです。悩みや課題を抱えた教師を横目に見ながら、それを放置していることが自己保身につながる、という悪しき風潮が生じるおそれがあります。
後で分限処分の項で述べるように、周囲の援助を要する教員は「指導力不足」とされます。このことも、教師が相談や援助を求められず、ますます孤立して抱え込んでしまう要因となってしまいます。
(3)2年連続で「下位5%」になると免職されることの不合理性 ――― 際限なく各校で教師が免職されていく恐怖の循環
校長による人事評価は、つねに5段階であり「下位5%」の者を選び出さなければなりません。いかにその学校の教師集団の教育実践が豊かになされていようとも、いかに児童生徒が健全に育まれる良好な教育環境が実現していても、必ず相対評価によって「下位5%」の教師を指名するものと定めているのです。
全ての学校において、2年連続でその学校の「下位5%」の評価を受けた者は免職となります。本来なら免職に値しないような軽微な問題点を理由に、相対評価によって下位5%とされてしまった者も、それだけを理由に免職されてしまいます。
その教員が免職された次の年度からは、新たな「下位5%」に該当しないよう、また教師同士の競争が始まります。次々に、その学校で「2年連続下位5%」とされた教員が免職されていくことが繰り返されます。まさに教育現場を「負けたら地獄」の競争状態に陥らせるのです。このような教育現場において、子ども一人一人と向き合って人間らしく触れ合いながら発達と成長を促そうとする教育実践は極めて困難となります。
3 給与・手当だけでなく任免にまで人事評価を直結させる
本条例案は、校長の人事評価について、「直近の給与及び任免に反映しなければならない」、「直近の期末手当及び勤勉手当に反映できる制度を設けなければならない」と定めています。
人事評価の効果として、前述のように2年連続で下位5%の評価を受けると免職となるほか、給与や手当さらには任免にまで反映することを明示的に述べているのです。これは、教師を徹底的に統制して人事評価権者である校長に服従させるものです。
さらに問題であるのは、「任免」に反映させるという文言です。任免とは、任用および免職を含む用語です。校長の人事評価が、教師の地位を失わせることに直結する絶大な効果を有することを明記しているのです。
校長は教員に対して、「従わない者は、免職を含めた徹底的な不利益扱いをする」という意思を明示的に振りかざして強権発動することができるようになります。
4 「学校運営協議会」による人事評価(外部からの介入を招く)
本条例案は、前述のように保護者や地域住民からなる「学校運営協議会」を校長が設置し、教員の人事評価について意見を提出すると定めています。校長は、人事評価にあたっては「学校運営協議会による教員評価の結果も参照しなければならない」と定められています。
これは、前述の教科書推薦と同様に、恣意的に選ばれた地元有力者の影響下で、教育現場の実情や個々の教師の努力状況を知らないメンバーによる不公正な評価がなされる危険性をはらむ制度です。まさに直接的に、各学校現場に外部からの介入が予定されているのです。
なお、地方教育行政法47条の5は、学校運営協議会を設置するのは教育委員会の権限としていますが、本条例案ではこれを校長の権限としています。この点は、明らかに法律違反です。
■「第6章 懲戒・分限処分に関する運用」について
1 懲戒処分の手続及び効果
(1)そもそも懲戒処分には法律上の限界がある
地方公務員法29条1項は、公務員に対して懲戒処分をする場合の条件を定めています。すなわち、地方公務員法違反、職務上の義務違反、職務を怠った場合、非行のある場合には、戒告から免職まで4種類の懲戒処分をすることができます。このうち地方公務員法違反には、幅広い法律違反・条例違反・職務命令違反(これらは地方公務員法32条違反となる。)が含まれます。
しかし、決して職務違反などがあれば府知事や教育委員会は自由に懲戒処分をできる訳ではありません。定められた条例のとおりに処分をすれば必ず適法となるというものではないのです。
すなわち、懲戒処分は、懲戒事由に該当すると認められる行為の性質、態様等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員および社会に与える影響等、広範な事情を総合してなされなければなりません(最高裁・昭和52年12月20日判決=四国財務局事件)。また、懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し濫用した場合には、その懲戒処分は違法となります(昭和52年12月20日判決=神戸税関事件)。非違行為の重大性と処分の重さとは見合ったものでなければならない(比例原則)のであり、不当に重すぎたり軽すぎたりすることは裁量を逸脱した比例原則違反の違法処分とされます。
したがって、個々の公務員による具体的な非違行為の事実関係(背景事情、動機、事後の反省や是正の状況)を十分に考慮せずに、条例が決めたとおりに「この場合は免職」、「この場合は減給」などと形式的に当てはめることは、具体的事案に即してみれば違法・不相当となる場合があります。
この点については、次の(2)でも関連して述べます。
(2)「一覧表」に当てはめて処分することが公正とはいえない
本条例は、「標準的な懲戒処分」として72項目の事例に対する処分内容を定めています。たとえば、10日以内の欠勤は「減給又は戒告」、賭博をした者は「減給又は戒告」といった具合です。なお、懲戒の種類は地方公務員法29条1項が定める戒告、減給、停職、免職の4種です。これら列記事項に該当しない非違行為については、「別表第1にない非違行為については、別表第1と比較のうえ、処分するものとする。」と定めています。
こうした定めを設ける目的について、本条例案は、「手続の透明化と公正を目的として処分基準を定める」と述べています。しかし、形式的・画一的な一覧表を定めることが手続の透明化や公正をもたらすことにはなりません。その理由は次のとおりです。
第一に、そもそも非違行為が本当に存在するか否か(えん罪ではないか)、故意か過失か、といった事実関係は、画一的基準により容易に決定できる訳ではありません。むしろ、一覧表に当てはめる前に、どのような非違行為がなされたかが認定されなければなりません。「そもそも非違行為が存在するか否か」などの事実関係が争われることも少なくないのであり、そのことは処分の一覧表が作られたからといって解決できるものではないのです。
第二に、前述のとおり個々の処分を決定する場合には、非違行為を起こした原因や、その後の反省や是正の努力などを総合的に考慮しなければ、真に適正な処分はできません。同じ非違行為を行った場合でも、その後に反省・是正の措置をとった者とそうでない者とが同じ画一的処分しか受けないというのは、かえって不公平・不適切です。
第三に、一覧表は万能ではありません。一例として本条例案の一覧表は、セクハラ行為をした教員については「停職、減給又は戒告」という3種類の処分から選ぶこととされています。この3種類のうちどれに決定するかは、人事監察委員会による判断を尊重して教育委員会が決定します。府民からみて「3種類の中から、なぜその処分が選択されたか」という点が透明化される制度的保障はありません。結局は、「処分の一覧表を作ることによって手続は透明化される」とはいえないのです。
(3)4種の懲戒処分以外に、「訓告」や「厳重注意」の選択肢がない
本条例は、72項目もの処分事由と、それに対応する懲戒処分を定めています。定められている懲戒処分は「戒告」、「減給」、「停職」、「免職」の4種類であり、これは地方公務員法29条が定める処分の種類です。これらの処分を受けると、当該職員の履歴に処分の事実が残り、昇給の延伸、退職手当の不支給、年金の支給制限などの不利益措置が伴うことになります。
大阪府を含む多くの自治体においては、こうした懲戒処分よりも軽い処分が相当とされる事例においては、「訓告」や「厳重注意」などの処分も行われています。これは法律上の懲戒処分とは異なるものであり、昇給延伸などの不利益には直結しません。非違行為または非行の重大性に見合った適切な処分を選択しうるためには、こうした軽い対応という選択肢も用意されていることが必要です。
ところが本条例は、列挙された行為に該当する場合は、すべて戒告、減給、停職、免職のいずれかの処分を当てはめることとしており、訓告や厳重注意という軽い処分を選択肢から除外しているのです。これでは、事案の程度に応じた適切な対応ができなくなり、これまで以上に厳罰化がすすめられてしまいます。
(なお、これまで卒業式等での君が代斉唱時に起立しなかった教員への処分としては厳重注意や訓告がなされてきましたが、橋下知事の就任後、2010年3月に初めて教諭4名が戒告処分を受け、翌2011年3月には教諭2名が戒告処分を受けました。)。
(4)「手続の透明性」を確保する制度規定はない
本条例案は、懲戒処分規定を定める目的として、「手続の透明性を高め、より一層厳正に行うことで、教員等の不祥事を未然に防止し、府民の教育行政に対する信頼を確保すること」を掲げています。また、分限処分の目的として、「手続の透明性を高め、厳正かつ適切に対応することにより、府民の教育行政に対する信頼を高めるとともに、公務の適性かつ能率的な運営を確保すること」を掲げています。
しかし、手続を透明化するための制度はほとんど定められておらず、前述の72項目もの懲戒事由が目立つばかりとなっています。
もし手続の透明性を高めるならば、そのための規定として、客観性および合理性が保障される事実認定の方法(懲戒対象となる非違行為等の有無の認定方法、その違法性・悪質性の度合いの認定方法、証拠の提出および採用の方法など)を定めたり、当事者による弁明の方法(聴聞手続の事前告知の規定、弁明手続において保障される権利の明確化、書面だけでなく口頭による弁明の機会の確保など)、さらには処分の決定方法(合議の方法、議決の方法など)も明確に規定されるべきです。
とりわけ公務員の懲戒処分は、任免権者の側にある者が自ら資料収集をして処分を決定するものであり、刑事裁判におけるような「裁判所と検察官の分離」は図られていません。極めて糾問的な手続に終始するおそれがあるのです。それだけに、教育委員会側が収集した資料や把握した事実について、当該教員が十分に反論できる機会が保障されることは、処分の適正を確保するうえで極めて重要です。誤った事実認定に基づいて、「えん罪」の懲戒処分がなされてはなりません。
ところが、本条例案には、こうした点についての詳細な規定は存在しません。以前から存在する「職員の懲戒の手続及び効果に関する条例」(昭和26年11月8日・府条例第42号)と同様の趣旨をおいたうえで、判断にあたって考慮すべき事実を1箇条(23条1項)に定めているだけです。また、処分を受ける教員等の弁明・聴聞の手続については、すでに大阪府教育委員会聴聞等の手続に関する規則(平成6年9月30日・大阪府教育委員会規則第10号)により定められており、今般の教育基本条例案はこの既存の手続を変更・充実化する規定をおいていません。
したがって結局のところ、本基本条例における懲戒処分の手続規定としては、①府教委が人事監察委員会の審査に付し、②その結果を尊重して府教委が処分を決定する、③教員に弁明の機会を与える、④処分する旨を記載した書面を教員に交付する(このうち③・④の具体的内容は既存の府規則に従う。)、という程度しか定めていないのです。
なお、上記④は、処分の「理由」を記載しなければならないとは定めず、処分する旨を記載するだけでよいと定めています。これは、理由の告知を義務付けることにより行政処分の適性を確保しようとする行政手続法14条の要件を満たしていません。
そして、「手続の透明性」を高めるといいながら、上記①にいう「人事監察委員会の審査」とはどのような構成でどのように議論をして処分意見を決めるかは不透明であり、その審査は非公開のものと思われます。そして、上記②のように人事監察委員会の審査結果を「尊重」するといいますが、要するに同審査結果に拘束されることなく教育委員会が処分を決定できるというものです。具体的事案において同審査結果を「尊重」すべきか否かについての具体的基準は明確にされず、府教委でどのような議論がなされたかは明らかにされません。
本条例を制定する口実とされた「手続の透明性」について、それを確保するために実効的な規定は何ら存在しないのです。
(5)職務命令違反への処分が重罰かつ画一的すぎる
―――「君が代」起立斉唱の命令違反をターゲットにした重大処分
本条例案には、前述の72項目の懲戒事由とは別に、校長による職務命令に違反した教員に対する処分として以下の規定が設けられています。
・1回目の違反=減給又は戒告
・2回目以降の違反=停職および氏名公表
・5回目の違反または同一の職務命令への3回目の違反=免職
このように、いかなる職務命令の内容であるかを問わず、いかなる態様での命令違反であるかも問わず、ただ違反回数のみに応じて処分内容が定められています。実際には職務命令の内容や違反状況が軽微な場合であっても、そのことは考慮されずに減給や停職などの重大な処分が実施されることになります。
これは、処分の重罰化をもたらすとともに、校長の職務命令に絶対的な強制力をもたせて、校長による教育現場の支配統制を貫徹させようとするものです。職員会議で時間をかけて教師同士が議論をして、教師が自主性や創意工夫を発揮しながら学校運営をしていくのではなく、絶対的な命令権限をもつ校長による学校経営が基本とされているのです。
なお、同一の職務命令に3回違反した場合は免職とされています。これは、橋下知事が「君が代を起立斉唱しない教師はクビにすべき」と表明していたのを実現するために盛り込まれたものです。「君が代」を起立斉唱しない教員を主たるターゲットとした規定といえます。
侵略戦争を遂行する道具とされた「日の丸」と、歌詞の内容が国民主権と相容れない「君が代」に対しては、拒否感をもつ教員や児童生徒・保護者も少なくありません。これを強制する職務命令を拒否して「君が代」斉唱時に黙って着席していることは、形式的には職務命令違反となりますが、実質的には何ら卒業式等の儀式を妨害することになりません。こうした場合でも、1回の違反で直ちに減給又は戒告、2回目には停職、3回目には免職という重大な処分となります。このことは、思想・良心の自由に対する重大な侵害となります。
(6)処分事由を列挙して教育現場に重圧を課すことが目的
本条例のように72項目もの多数の懲戒事由を列挙した例は、他の自治体には存在せず、他の民間企業にもほとんど例がないと報道されています。
72項目の中には、「人を殺した教員」は免職、「放火をした教員」は免職というように、刑法犯や道路交通法違反の構成要件をそのまま懲戒事由としたものが約20項目も含まれています。そもそも、これまでに殺人や放火などの重大犯罪を犯した教員の処分が軽すぎるとして問題になったことはありません。あえて、こうした事例を列挙する必要性はないはずです。
このように多数の懲戒事由を列挙されると、これを読んだ者は、あたかも「こうした非違行為を起こす教員が多数存在するのだろう。」、「これまでは、こうした問題教員は適切に処分されなかったのだろう。」というイメージを抱いてしまいます。この条例が、そうした狙いを有していることは明らかです。なぜなら、本意見書で述べるように、多数の懲戒事由を並べることは必ずしも「手続の透明化」や「適切化」にはつながらないのであり、懲戒事由を多数列挙すること自体に意味をもたせているとしか思われないからです。
こうした処罰の類型を定めておくことは、教育現場においては「今後は厳重な処分を実施する」という重圧を課すことにほかなりません。非違行為をした者に対する効果だけでなく、真面目に勤務している全ての教員に対して、すべて知事・教育委員会・校長の指示命令に服さなければならないという威圧感と委縮効果を教育現場に浸透させることになるのです。
(7)争議行為、あおり行為に対して重い処分を課す
条例案の定める懲戒事由には、以下のような規定もあります。
・地方公務員法第37条第1項前段の規定に違反して、ストライキ等の争議行為を行い、
又は職場の活動能率を低下させる怠業的行為をした教員等
→減給又は戒告
・地方公務員法第37条第1項後段に規定する違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、
そそのかし、若しくはあおった教員等
→免職又は停職
これは、地方公務員法37条が禁止する争議行為を行った者への懲戒を定めるものです。そもそも公務員の労働基本権(争議権)の否認に対しては法律学者からも批判が多く、かつて公務員の争議権の否認は必要最小限度にとどめるべきとする判決(最高裁昭和41年10月26日判決・全逓東京中郵事件)も出されたことがあります。
仮に争議権の行使が違法とされた場合であっても、争議行動の指揮命令の中枢部にいる労働組合幹部と、末端の一組合員とでは負うべき責任の度合いが異なります。これらの者を同一の処分とする必要はなく、処分を課すに値しない一参加者もあるでしょう。ところが本条例は、一律に「減給又は戒告」を課すとしているのです。
争議行為には多数の労働組合員が参加するのが通常ですが、本条例はそれに参加した者を全員懲戒することを原則としており、余りに広汎な処分であり不当です。
さらに争議行為を「企て」、又は「共謀し、そそのかし、若しくはあおった」というのは、直接に争議行為を行った者以上に範囲が広がってしまう可能性があります。事前の会議に出席しただけで「共謀」とみなされたり、「要求実現のために頑張ってくださいね」と口頭で応援しただけで「そそのかし、あおった」とみなされる危険があります。この条例では、こうした場合について一律に「免職又は停職」と定めており、あまりに広汎かつ厳しすぎる処分が強行される危険があります。
(なお、これと全く同内容の規定は、現行の「大阪府教育委員会懲戒処分指針」(平成22年1月15日策定)にもあります。現行指針の規定自体がそもそも不当であるとともに、これをさらに条例化することによって今まで以上に教育現場に重圧を課し、正当な教職員組合活動を委縮させることは明らかです。)
(8)非違行為に加担しなかった教員に対しても重罰を課す
本条例案は、非違行為を行った教員等だけでなく、幅広く周囲の教員等に監督責任を課しています。このことは、本来は非違行為に直接関与していない者にまで、不相当に重大な処分を課す結果をもたらすおそれがあります。
すなわち、本条例案は、「部下の教員等に対して通常指導すべき義務を負う教員等」(学年主任、生徒指導部長などがこれにあたる)が監督責任を負うことを明記し、その例として「部下の教員等の非違行為を知得したにもかかわらず、その事実を隠ぺいし、又は黙認した管理監督者は、減給又は停職若しくは免職とする。」と定めています。
教育委員会が「隠ぺい」や「黙認」の有無を的確に認定することは容易ではないですから、状況証拠などから「貴方は黙認をしていたはずだ」と決めつけられて停職や免職という重大処分を受けてしまう可能性があります。
また、「隠ぺい」や「黙認」の意味が拡大解釈されて運用されていけば、教育現場に問題が生じても「知らなかった」と言っておけば処分されない(無関心でいた方が処分されない)という風弊をもたらし、あるいは逆に、後で「黙認していた」と言われないために教育現場において相互監視と密告が強められる殺伐とした状況が作出されるおそれがあります。これでは、悩みを抱える教師が「相談したくても相談できない」という状況に陥る可能性があります。
(9)現行指針にある「体罰をした教員への懲戒処分」を削除
前述のとおり、本条例の懲戒事由の大多数は、現行の大阪府教育委員会懲戒処分指針(平成22年1月15日策定)を横滑りさせた規定です。ところが、あえて意図的に除外された懲戒事由があります。それは、現行指針の「児童生徒に体罰を行った職員は、停職、減給又は戒告とする。」という規定です。
本条例案は、この規定を削除することにより、「これからは体罰をしても懲戒しない」という姿勢を明確化しました。「体罰容認」の姿勢を明確に示すものです。
後で述べるとおり本条例は、教育上の必要性があれば児童生徒に対して有形力を行使して懲戒をしてよいと定めています。このこと自体が児童生徒への暴力行為を助長する危険を生じさせます。そのうえ、「体罰は禁止」と定めながらも、これに違反して体罰をした教師は懲戒処分しないというのですから、体罰禁止の条項は事実上骨抜きになります。
2 分限処分の手続及び効果
(1)懲戒処分と同様に、厳罰化と処分の広範化をもたらす
基本条例案は、分限処分をする場合として6項目の処分事由を列記し、それぞれに対する処分を定めています(なお、分限処分の種類は地方公務員法28条1項が定める免職・降任の2種です。)。これと並んで、「2年連続最低ランクの人事評価となった場合」など22項目の事由(別表3~6)を定めて、これに該当する教員は分限処分対象者に「該当する可能性のある者」とされます。この場合、校長による注意指導や教育委員会への報告、教育委員会による面談、さらに改善が見られない場合は警告書の交付などが行われます。
このように多数の分限事由を列挙すること自体が、「このような問題教員が多数存在する」というイメージを府民に植え付けたり、厳罰化をもたらす結果となることは、懲戒処分について述べたのと同様です。
なお、現行の「大阪府教育委員会分限処分指針」(平成22年2月17日施行)は、教員の分限処分については、「大阪府教育委員会分限懲戒審査会の審査を経て大阪府教育委員会が決定する」と定めていました。ところが、本条例は実質的な審査機関を「大阪府人事監察委員会」と定め、その審査結果を尊重して教育委員会が処分を行うと定めています。つまり処分審査権限を教育委員会から奪っているのであり、「大阪府人事監察委員会」の構成によっては、個々の教員の処分に対する政治的圧力が強まるおそれがあります。
(2)不合理な相対評価、恣意的な評価に基づく処分の可能性
条例案が定める6項目の分限処分該当事由には、担当職務についての「実績が不十分」(免職又は降任)とか、「資質、能力に課題があるため、日常的に児童等への指導を行わせることが適当でない教員(指導力不足教員)」(免職)といった定めが含まれています。
こうした定めは、「1ヶ月以上の行方不明」のように客観的に判断できる事由とは異なり、評価方法や評価基準によって結論が異なってくるものです。こうした処分事由に該当するか否かの判断は、教育委員会が行うこととされています。しかし、客観的かつ公正な判断がなされる制度的担保は存在しません(このことも、懲戒処分の項で述べたのと同様です。)。
(3)現行の分限指針の「教職員室の対応」を削除
教職員の分限処分についての基準や手続内容についての現行の基準は、「大阪府教育委員会分限処分指針」(平成22年2月17日施行)です。この指針は、本条例案と類似する点も多く、そのまま横滑りさせたように同じ内容の規定も多くあります。
ところが、本条例案が意図的に現行指針から排除した事項があります。特に目立つのが、教師の分限処分に先だって現行指針が「教職員の対応」を定めているのに、本条例案はこれを一切削除した点です。
すなわち 現行指針は、「校長及び教職員室は、共に連携・協力し、(分限処分の)対象職員への対応について適切に取り組むものとする」と述べるとともに、教職員室の役割として、対象教員が受ける指導研修等に対する「助言及び支援」を定めていました。同僚である教職員らが協力して一定の問題解決を図るよう期待しているのです。ところが、本条例では、こうした規定は一切削除され、存在しません。
前述のように、周囲の教員の援助・協力を求めること自体が分限処分の対象となることに加えて、ますます教職員室で個々の教師が相談や協力をする機会すら奪われていく危険があるのです。
(4)周囲の教員の援助・協力を求めることが分限処分の対象となる
本条例案は、業務を一人で処理できず、常に上司や他の教員の支援を要する教員について、「職務遂行の実績が不十分な教員に該当する可能性があり分限処分の可能性がある」ものとして扱い、指導や研修を受けさせ、さらに改善が認められない場合には警告書交付の対象としています。つまり、「支援」を要する状態があれば「実績不十分」とされてしまうのです。
これでは、悩みを抱えた教員が周囲に相談や援助を求めることもできなくなり、一人で悩みを抱え込んで孤立してしまう教員が増えてしまいます。
いま教育現場では、過重負担やストレスにより精神疾患になる教員が増えています。本来必要とされるのは、教師が相互に相談し合い、援助しあいながら教育課題に向き合うことです。そのこと自体を「職務実績不十分」として分限処分の対象とするのは極めて不当であり、教育現場にさらなる疲弊をもちこむことになるのは必至です。
(5)「指導力不足教員」への分限処分の問題点
ア 指導力不足教員との相談・援助ではなく「記録・資料収集」が義務付けられる
本条例は、学習指導等を適切に行うことができない教員の例を別表5に列挙し、これを「指導力不足教員」と名づけています。こうした教師に対しては、以下のように対応することと定められています。
・校長が教員の状況を記録し、資料を収集する
・指導力不足の状態が続くときは、校長は教育委員会に意見書を提出する
・校長から意見書の提出を受けた教育委員会は、教師に面談して指導力不足の内容を確認する。
・面談の結果、指導力不足が認定された場合、教育委員会はその教員に対して半年間の指導研修を実施する。
・指導研修によって改善されない場合は、分限処分を行う
この手続においては、校長が当該教員を「指導力不足」と認定すれば、ただちにその状況を「記録」し、「資料を収集」しなければなりません。これは、後に教育委員会へ意見書を提出する際の基礎資料となります。つまり、クラスでの指導状況に悩む教師とは親身に相談・援助するのではなく、「指導力不足教員」というレッテルを張って監視と統制を強めることが校長の義務となるのです。当該教員が抱えている悩みに耳を傾けて「校長も教諭も、一緒に悩みを共有して解決しよう」という姿勢は、この条例には一切ありません。
その教師との「面談」を行うのは教育委員会であって、校長ではありません。教育委員会は、校長が「記録と資料収集」をして作成した意見書に基づいて、その教師に対して質問や追及をすることとなります。校長自身も府知事と教育委員会による監視統制の対象ですから、その校長が作成する意見書には、自分の監督責任を認める内容が盛り込まれることは期待できません。つまり、ただ当該教員一人の指導力不足がすべての元凶であって、他には問題はないという意見書を作成し、その教員を切り捨てることによって保身を図ることが可能となります。
したがって、あるクラスでの指導状況が問題となった場合も、生徒自身や保護者をとりまく問題点、周囲の教師による援助や協力によって解決が図れるか否かという問題点、校長自身が問題解決のために何らかの努力・配慮をしたかという問題点などは、校長から教育委員会へ伝えられない可能性があります。
このような状況が作られてしまえば、悩みを抱える教師が同僚や校長に打ち明けて相談することもできなくなり、一人で抱え込んでしまい孤立することが予想されます。
イ 本条例案が定める分限手続の不当性(教育公務員特例法違反)
本条例案は、半年間の指導研修をしても改善が見られない場合は分限処分として免職すると定めています(素案の29条6項は「別表第2第3項(免職)」に該当する類型と定めています。)。
しかし、これは教育公務員特例法が定める手続に違反しています(なお、同法は本条例とは異なり「指導力不足教員」という言葉を用いていません。)。
第一に、処分の重さを原則として免職に限定しており、重きに失している点です。
すわなち、教育公務員特例法25条の2は、教育委員会が「指導が不適切である」と認定した教諭に対して、1年以内の「指導改善研修」を行い、さらに同研修後も「指導の改善が不十分でなお児童等に対する指導を適切に行うことができないと認める教諭等に対して、免職その他の必要な措置を講ずるものとする」(同法25条の3)と定めています。
つまり同法は、「免職その他の必要な措置」を行うと定めているのであり、免職以外の軽い処分や配置換えなどによる対応も視野に入れているのです。これに対し、本条例案は原則として免職処分をすると定めているため、事案によっては不相当に重すぎる処分となる危険があります。
第二に、同法25条の2第5項は、指導研修後の指導力改善の有無を認定する際には、教育学等の専門家および保護者の意見を聞かなければならないと定めています。ところが本条例案は、そのような定めを意識的に省いており、教育委員会が人事監察委員会の審査に付してその結果を尊重して分限処分を行うと定めているだけです。
同法は、指導状況への評価を起訴として分限処分という不利益を課す過程において恣意的あるいは不公平な判断が介在してはならないことから、専門家や保護者の意見を聞くことを義務付けているのです。これに対して本条例は、そのような手続上の配慮を一切定めず、校長と教育委員会の権限だけを強化・詳細化させる規定を並べています。これは明らかに教育公務員特例法の趣旨に停職しています。
ウ 分限免職をなしうる対象は法律により限定されている
そもそも分限免職は、地方公務員法で要件が定められており、府条例はこれに反することができません。
同法28条は、分限免職をできる場合として、勤務実績が良くない場合、心身の故障のため職務遂行に支障がある場合、その他その職に必要な適格性を欠く場合と定めています。ここでいう「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に起因して当該職員の職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいうとされています(最高裁昭和48年9月14日判決)。
ところが本条例案は、分限処分の対象を幅広く拡大しており、本来であれば指導や援助によって改善が見込まれるような場合であっても、「指導力不足教員」という烙印を押して、一律に「免職」とするよう定めているのです。これは、地方公務員法や最高裁判例により許容される分限処分の範囲を逸脱しており違法です。
「指導力不足教員」と一括りにされた事例を個別的かつ実質的にみれば、ただ教員一人のみが責任を負うべき事態ばかりではなく、児童生徒や保護者が抱える問題点、1クラスに教員1人の体制では対応しきれない問題点、周囲の教員の援助と協力が十分に得られない問題点など、多様なケースがあります。そうした状況を把握して、教師および保護者の連帯と協力によって事態を解決することこそが教育の場に求められるはずです。ところが、本条例は、そうした事例が生じれば直ちに「教師の指導力不足」として免職処分の対象としているのです。
【※補足 現行法令等との関係】
懲戒および分限の手続を定める条例として、すでに職員の懲戒の手続及び効果に関する条例(昭和26年・大阪府条例第42号)、職員の分限に関する条例(昭和26年・大阪府条例第41号)がある。処分対象教員の弁明・聴聞に際する規定としては、国会が定めた行政手続法のほか、大阪府行政手続条例(平成7年・大阪府条例第2号)、大阪府教育委員会聴聞等の手続に関する規則(平成6年・大阪府教育委員会規則第10号)がある。これら現行法令は、具体的な懲戒基準を定めるものではなく、処分対象教員や関係者の意見を聞くなどの手続要件を定めるものである。これらに対応する内容は、特に本条例案には含まれていない。
これに対して、具体的な懲戒および分限処分をなすべき事例を列挙したものとして、大阪府教育委員会懲戒処分指針(平成22年1月15日策定)および大阪府教育委員会分限処分指針(平成22年2月17日策定)があり、この2つの指針の規定を横滑りさせた同様内容の規定が、今回の基本条例案に多く含まれている(なお、後者には分限処分に先立つ手続規定も含まれている。)。
本条例は、この2つの現行指針をベースに、懲戒・分限事由を列挙している。さらに当該対象教員だけでなく校長や上司の監督責任まで明記して、これらの者まで処分を課すことを原則としている。
■「第7章 学校制度の運用」について
1 公立高校の学区制廃止――― 学校の序列化と競争が激化
本条例案は、公立高校の学区制を廃止して府下全域を通学域とします。
現在は、大阪府の公立高校は4学区に分かれています(2006年入試までは9学区)。これを廃止して、全公立高校を一つの枠内で競争させることになります。偏差値による学校の序列化と競争が一層進み、下位校に生徒が集まらなくなる可能性があります。
現行の4学区制でも十分に通学域は広域化されています。さらに通学域を広域化することにより、地元の学校に進学したくてもできない生徒が多数生じる可能性があります。長い通学時間のために勉学や部活動を十分に取り組めなくなるなどの弊害も考えられます。
在学生のうち近隣住民の割合は減少し、地域と学校との結びつきが弱まる可能性があります。本条例案は、一方で地域住民に学校運営への参加を義務付けたり、地域住民を学校運営協議会の構成員にしたりして「地域住民と学校の関係」を強化するように見えますが、他方で通学圏広域化により地域と学校との結びつきを弱めるという矛盾した制度設計をしているのです。
2 学校の統廃合
学区制廃止により下位校に生徒が集まらなくなることを見越したように、本条例案は3年連続で入学定員割れになった高校は統廃合しなければならないと定めました(しかも、たった一人だけ定員割れした場合でも、それが3年続けば統廃合されます。)。
しかし、学校施設は府民の財産であり、すべての学校で充実した教育を実践できるよう環境整備するのが行政の責務です。意図的に競争を激化して学校統廃合に追い込むことは、教育本来の姿とかけ離れた異常な姿です。
定員割れを生じた学校にも、そこに通って勉学や部活動に励む生徒がいます。熱意をもって教育実践を行う教員もいます。定員割れが生じていることは、必ずしもその学校の教育内容に問題があることを意味しません。偏差値や大学合格者数という尺度だけで評価できない学校の存在意義や価値があります。それを一切考慮せずに、ただ定員割れという理由だけで統廃合を「しなければならない」と定めるのは、あまりに乱暴な制度です。
この条例より学校の統廃合が決まった場合でも、その学校の在学生が卒業するまで、学校は存続します(在学生を全て転校生として直ちに統合先に受け入れさせる容量は無いからです。)。入学生を迎え入れないまま、最後の卒業生を送りだすまで2年間、残された学年の生徒だけで学校生活を送ることになります。こうした状況を繰り返すことは、その学校で培われてきた教育実践を破壊・消滅させるものです。廃校後の学校施設および跡地を有効利用できる保障はありません。特に都市部から離れた地域に立地する学校の場合は、長年にわたり土地建物の利用方法や売却先が見つからず、結果として府民の財産を無為に遊休化・消滅させることになります。
■「第8章 学校の運営」について
1 校長による統制強化―――「いかなる会議・場所」での意思決定も禁止
本条例案は、校長が学校運営にあたり広範な職務命令を発する権限を有すると定めるとともに、教職員は「いかなる会議・場所においても、これ(職務命令)に反する意思決定をしてはならない」と定めています。驚くべき強圧的な規定です。職務命令に違反する行動をとるか否かではなく、校長の命令に対して修正意見を述べようと相談すること自体が否定されてしまいます。
しかも、本条例案は「いかなる会議・場所においても」、すなわち教師同士の個人的な会話や、教職員組合の会議の場においてすら、校長の命令を批判し又は修正を求める意思決定をできないという、あまりに広範な締め付けとなっています。
本条例が直接に禁止するのは、職務命令に反する「意思決定」ですが、そのことが結果として教師同士の自由な討論や意思表明全般を委縮させてしまいます。学校運営についての自由な討論の機会すら奪う結果となり、ただ校長に服従するだけの教員像が求められているのです。
2 校長の独断による公開授業、土曜授業
本条例案は、校長は教員の研修のために年1回の公開授業(教育関係者に対する公開)を行う義務があると定めています。この公開授業が、教師の自主性や創意工夫を発揮した教育実践を否定し、校長の選んだ「教育関係者」による教育への介入や、歪んだ人事評価につながる危惧があります。
さらに本条例は、校長は独断により土曜日に授業をすることができると定めています。年に1回の土曜授業ではなく、毎週土曜日に恒常的に授業を実施することも本条例により可能となります。これは、受験競争・学力競争のために進学上位校では土曜日に授業をするのが当然という風潮が生まれたり、他校との競争のため土曜日授業を実施しなければならないと追い立てられる自体も予測されます。さらには、保護者から「土曜日に授業を実施してほしい」という要望が出されて、それに従う事例が出てくるかもしれません。
本条例の規定自体は、土曜授業を「実施できる」という形ですが、上記のように実質的には各校で土曜授業を実施せざるを得ない状況に追い立てられる可能性があります。他方で、土曜授業の実施に伴う予算措置や人員増が図られる保障はなく、現場の教師が身を削って土曜授業を担当することになります。労働強化と過重負担が危惧されます。
そもそも学校の授業が完全週5日制とされたのは、2002年(平成14年)に学校教育法施行規則61条が小学校の土日休業を定めた(中学・高校にも準用)ことによります。その導入理由は児童生徒の望ましい人間形成を図るためとされていました。子どもの権利条約31条も、子どもの休息・余暇についての権利を明記しており、週5日制はこの権利保障にも資するものです。競争に勝ち残れる「人材」作りのために校長が独断で土曜授業を実施できるとするのは、児童生徒の健全な発達にとって有害です。
そもそも、土曜日に授業をするか否かは、児童生徒や保護者の事情も踏まえ、教師の負担にも配慮しながら決定する必要があります。その点からも、本条例のように校長が独断で決定しうるというのは問題があります。
3 職員会議の議論や決定を徹底的に排除
本条例は、上述のように校長の権限を徹底的に拡大強化しており、教職員の自由な議論や意思決定を排除しています。
こうした動きは、2000年(平成12年)に新設された学校教育法施行規則48条が、職員会議を「校長の職務の円滑な執行に資するため」の機関として、「職員会議は、校長が主宰する」と定めたことと軌を一にしています。職員会議は、教職員の自由な討論と意思決定の場ではなく、あくまで校長の意思決定の諮問機関ないし補助機関にすぎないという考え方です。
しかし、強権的な権限行使は、教育という営為にはなじみません。直接に児童生徒と向き合って教育実践をしている教職員が十分に議論と合意形成をしたうえで学校運営がなされることが極めて重要です。
仮に職員会議は校長の補助機関であると考えた場合でも、校長が意思決定をする場合に教職員の意向を無視・軽視してよい訳ではありません。教職員による自由な討論は、教師集団が直面する教育課題を解決するうえで重要な事項を見出し、相互に提案や修正意見などを出し合って議論をすることにより認識が深まることもあります。そうした過程を通じて、教師集団としてのチームワーク・団結性が高まり、豊かな教育実践が可能になります。そうして得られた成果をもとに校長が最終決定や判断をするというのが、あるべき学校運営の姿です。本条例には、こうした姿勢は一切なく、ただ校長に強権を与えて教員を縛り付けているだけであり、これでは真に豊かな教育実践は実現できません。
4 児童・生徒への懲戒――― 「有形力の行使」を認めて、体罰を事実上容認
(1)有形力の行使を認める問題点
本条例案は、教育上の必要があるときは「必要最小限の有形力」を行使してよいと規定しています。但し書きとして「体罰を加えることはできない」とも規定されていますが、有形力の行使を正面から認めてしまっているところに、体罰を禁止する学校教育法11条との重大な違いがあります。
学校教育法11条は、「教育上必要があると認めるとき」において、「懲戒を加えることができる」という規定であり、体罰は絶対的に禁止されています。同法は、本条例のような有形力の行使を認めていないのです。体罰によって正常な倫理観を養うことはできず、むしろ「力による解決」を受容・肯定して自ら暴力行為を起こしやすい人格が形成されるおそれがあるからです。
ところが本条例は、当該教員が「教育上の必要がある」と判断したときは直ちに有形力の行使を許容しています。「必要最小限度のみ」という縛りはありますが、それ自体が不明確な基準であるため、体罰の規制手段として実効的ではありません。結局のところ、体罰に当たるか否かの境界線上にあたる行為を中心として、これまで以上に「許容される有形力の行使」を拡大し、事実上の体罰の容認につながる危険性が高くなります。
一人一人の児童生徒に向き合い、暴力・体罰ではなく人間的な心の触れ合いによって成長発達を促すことこそ求められる教育のあり方です。
(2)文科省通知や最高裁判例との比較
文部科学省は平成19年2月5日付で、「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」と題する通知を発しました。これは一定の場合に有形力の行使を認めている点で問題があります。しかし、同通知も、「いかなる場合においても、身体に対する侵害(殴る、蹴る等)、肉体的苦痛を与える懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間保持させる等)である体罰を行ってはならない。」と定めており、本条例案のように「教育上の必要性」さえあれば安易に有形力の行使を認めている訳ではありません。
最高裁判所が平成21年4月28日に言渡した判決は、上記の通達にもまして有形力の行使を容認している問題点があります。それでも、本条例のように原則として有形力の行使を認めるというものではなく、その目的・態様・継続時間等を詳細に判断したうえで、教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するか否かを検討することを必要としています。あくまで、有形力の行使が認められるのは例外的場合のみとされています。
学校教育法施行規則26条1項は、「校長及び教員が児童等に懲戒を加えるに当っては、児童等の心身の発達に応ずる等教育上必要な配慮をしなければならない。」と定めています。有形力の行使以外の方法による懲戒であっても、児童生徒に対して行う場合は心身の発達に応じた慎重な配慮を必要としているのです。本条例案は、こうした制約を取り払い、教育上の必要があれば容易に有形力の行使を認めている点で、極めて不当です。
■「第9章 最高規範性」について
本条例案には、「この条例は、府の教育に関する最高規範であって、この条例に反する一切の府における条例、規則、要綱、指針等は無効である」との条項があります。
法律が認める以上の権限を知事に与え、絶対的な学校運営権限を校長に与える本条例案を「最高規範」であると宣言することによって、あらためて教育に対する支配と教員に対する統制を強める意思を表明したものです。
しかし、さすがに、本条例に反する「憲法、法律」が無効とまでは述べていません。あくまで本条例案は、現行の憲法や教育基本法の下で、これに適合するように運用されなければならず、憲法と法律に反する条例は無効なのです。
わが国の最高規範は憲法です。憲法が最高規範とされる実質的根拠は、憲法が人権保障を内容とする規範である点に求められます。これに対し本条例案は、人権保障を内容とするものではなく、むしろ教員の人権を著しく制約して管理統制に服せしめるというものです。このような条例が最高規範とされるべき実質的根拠はありません。
以上のように、「大阪維新の会」が大阪府議会に提出しようとしている教育基本条例案は、極めて問題が多くあります。
最大の問題点は、政治家である府知事の権限を拡大強化することによって、教育内容への政治的支配を可能とする点です。
また、現行法規との矛盾・抵触も多く存在していることから、府議会での審議に耐えられるか否か、重大な疑問があります。また、このまま条例が成立して施行されれば、法律規定との矛盾抵触部分を調整するために多くの時間や制度改廃を要する可能性もあります。
多くの府民が、この教育基本条例案に不安や疑問を抱いています。
「大阪維新の会」におかれては、拙速な条例案提出や強行採決を避け、府民に対して条例案の内容を十分に知らせて議論を行い、議会各会派との間で公開の討論を行うなどして、慎重かつ充実した審議をしていただくよう求めるものです。
(転載ここまで)
いくら大阪府知事選で橋下徹に投票した人であっても、橋下の政策を何から何まで肯定する必要はないのです。
また、いくら大阪府知事選で橋下徹に投票した人であっても、橋下思想で大阪府の府民全員を染めようとする必要もないのです。
大阪府知事選で橋下徹に投票した人は、橋下思想で大阪府の府民全員の頭の中を染めるべきであると考えているのでしょうか?そうだとしたら、これは恐るべきことです。日本の「北朝鮮化」と、橋下徹の「金正日化」が着々と進んでいるということです。
次のような報道がそれを裏付けます。
●東京新聞 (TOKYO Web)
橋下氏の選別発言に大阪市反発 「封建時代の踏み絵」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011091401000925.html
2011年9月14日 19時09分
大阪府の橋下徹知事が11月27日投開票の大阪市長選後を見据えて市の幹部職員を選別、自身や「大阪維新の会」の政策に非協力的な職員の排除を目指す意向を示したことに、市側から「封建時代の踏み絵と同じだ」などと反発が相次いでいる。
「トップが変われば政策が変わるのは当たり前。だが職員に非行行為がない限り、市長でも降格させられない」
平松邦夫市長に近い幹部職員は14日、ぶぜんとした表情でこう語った。
市長選勝利を前提とした知事発言に市側が早くも神経質な反応を示すのは、知事の市長選くら替え出馬が現実味を帯び、警戒心を強めているからにほかならない。
(共同)
(転載ここまで)
築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守りたい。
●Like a rolling bean (new) 出来事録
■2011-08-26
今日、豊洲新市場汚染対策工事入札!3月国会で農水省が否定済みにも関わらず!
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10997958503.html
■2011-09-07
【傍聴を!】今日9/7豊洲新市場汚染土壌廃棄差止め訴訟公判原告陳述です!
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-11010281818.html

↑『がけっぷち社長』さん作。また、税制についての当秘書課の記事は、「カテゴリ : 税制、税金、財政」から。
虹とモンスーンの下の
弱い文明の
きまぐれな日々では
身近な一歩が社会を変えるのだからと、
イルコモンズのふたの下の
フォーラム自由幻想と
市民社会フォーラムの
そこに存在する良き人生と生活への切実な望みを
民主党にわからせるために、
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政治団体秘書が
シジフォスにも負けずに
ウェブにはびこるネトウヨどもを滅多切りして「
Apes! Not Monkeys! 本館」と「
Apes! Not Monkeys! はてな別館」に行った後、
原発の「今」を考えるために、「
フランス西部放射能検査協会」と「
放射能研究広報独立委員会」と「
フランス放射線防護原子力安全研究所」と「
フランス・原子力安全局」と「
フランス・脱原発ネットワーク」と「
フランス・脱原発ネットワーク・パリ」と「
原子力資料情報室」と「
ピース・フィロソフィー・センター」と
たんぽぽ舎に立ち寄って、
onaironaironairされている
Beltix Talkを聞きながら
迎春閣之風波と
EX-SKF-JPを眺めながら、「
人々に力を!!」、「
民主主義を今!」、「
なんくるないさぁ~やってみれ~♪」と
CLick for Anti War 最新メモを
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国会議員やマスメディアに意見を届けるために下記を自由にご活用ください。引用、転載、転送、歓迎。
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2年ほど前、私の住む街の上空を、オスプレイが2度(3度も?)飛津木野宇佐儀死刑FAQ (適宜更新)Re: ノルウェー政府庁舎爆発及びウトヤ島での銃乱射事件Takeshiさん、いつもコメントありがとうございます。当時のことを思い出すために、ここに私の当時のメモを記録します。
テロの犠牲になった悲しみのノルウェーの民主社会村野瀬 玲奈首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。岸田翔太郎が首相秘書官を辞職 岸田翔太郎が2023年6月1日付けで辞職するとのこと。6月1日付けというのは,ボーナスを全額もらうためでしょうか。岸田首相自分自身は責任をとらないのでしょうか。馬鹿息Takeshi死刑FAQ (適宜更新)戦争と死刑の間にあるもの 人は人を殺してはいけない。
個人が故意をもって他の個人を殺害すれば違法であり,死刑に処せられるというのが過去から現在に至るまでの世界的なルールです。現在は死Takeshi首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。岸田翔太郎はどこまでウダイに近づくのか。 独裁者の馬鹿息子としてウダイ・サッダーム・フセイン(1964.6.18~2003.7.22)が有名です。サッダームの長男として生まれてから、両親に甘やかされて育てられたと言われTakeshi死刑FAQ (適宜更新)ノルウェー政府庁舎爆発及びウトヤ島での銃乱射事件2011年7月22日,アンネシュ・ブレイビクは,、オスロ中心地にある政府庁舎を爆破し8人の命を奪った後,ウトヤ島で労働党の青年部の関係者69人を銃で殺害しました。単独犯行Takeshi立法根拠が無い #入管法改悪反対 。No title事実上難民を受け入れないのは条約違反=憲法98条違反なんですが
岸田はこの愚行で何を守ろうとしてるんですかね…津木野宇佐儀(「月乃兎」改め)石垣島への陸上自衛隊配備について住民投票を求める規定数以上の署名を集めたのに住民投票実施を行政からも司法からも却下された異常事態沖縄は今も本土の捨て石にされている。 沖縄は大東亜戦争で日本本土の捨て石にされ,莫大な民間人犠牲者を出しました。戦後も裕仁天皇の越権行為により,米軍基地が半永久的に配備されました。選挙で民意を示しTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度No title 日本において高すぎる供託金が立候補の妨げとなり、結果として新しい候補や政治勢力の台頭を阻んでいます。先進民主主義国家と言われる国の中では非常識に高い供託金は、クテシフォン少女時代(소녀시대、Girl's Generation) 「다시 만난 세계」 (Into The New World、また巡り逢えた世界) (不定期連載、「気まぐれK-POPプレイリスト」)これらの曲もいいと思います。 ポーランド・ロックのシンガーソングライターであるKaśka Sochacka(カシカ・ソハッカ)のCiche Dni(静かな日々)とSpaleni Słońcem(太陽に灼かれて)
もいい曲だと思いますTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度 選挙供託金制度は1920年代に普通選挙が導入された際、無産政党の参入を阻止するために制定されました。
これとセットになっているのが無産政党の活動を制限する治安維左の人日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対人権を嫌悪する者が付和雷同し、嫌がらせの言節を放っているのに食傷。 こんばんは。私も村野瀬さんも十数年にわたってSNSの言論の場に身を置いていますが、特に近年、「物事を丁寧に書き示す」より「対象物を手っ取り早くぶん殴れる」言節が伊東 勉広島サミットについての批判的メモサミットとは?そもそもサミットとは?
欧米列強&欧米列強の悪い部分ばかりマネしてそのおこぼれにあずかろうとしている日本が、これまで作り上げた国際秩序と自らの覇権を確保するため閉口首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。前近代的な日本の姿自民党は前近代的な世襲政治家が多い政党です。
岸田文雄も世襲政治家です。
首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。
まるで封建時代の絶対王政の国そのものです。
こういった政治家閉口日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対入管法改悪法案の廃案と帰国できない事情のある仮放免者に在留資格を付与することを求めます!入管法で改正が必要なのは、今の杜撰すぎる難民認定審査のあり方です。
日本は難民として認定すべき人を難民として認定していません。
それを改正するどころか改悪して難民閉口不祥事で議員辞職する維新議員はほとんどいない。こんな政党を支持・容認したり批判せずにいたりすることは維新の不祥事を支持するようなものだ。 #維新は最悪の選択肢 いわゆる「身体検査」が機能していないのでしょうね。日本共産党や公明党は選挙資金は党が負担するのが大前提です。大切な党のお金を使うのですから、候補者の選定基準も左の人袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。検察の指向性と日本政府の無謬性主義はパラレル 泉田裕彦に裏金を要求した星野伊佐夫元新潟県議が不起訴になりました。女性に強制性交すべく女性に受傷させたプロ野球選手は,不起訴の可能性が高いとも言われています。Takeshi差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約郵便局の窓口でアパホテルカレーを販売中郵便局に行ったら,窓口にアパホテルの元谷芙美子社長の写真が載ったアパホテルカレーが390円で販売されていました。買いませんでした。アパホテルは自民党に要望し,自民Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。>ewkefcさん>自動車事故に遭わないため、遭わせないためには自動車を運転しないことなのね。
「生きているといろいろな問題があって大変です。だから、それらの問題を避けるためには村野瀬 玲奈#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。No title『#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9123.html
>コロナウィルスに感ewkefc#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。 マスクの効果は偉大ですよ。私のようなブサイクでもマスクをつければ堂々と人混みを歩けます。堂々と女性と会話することもできます(笑)。目の前でふんぞり返っている市左の人自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。 もっともっと貧しくなるでしょうね。
新自由主義をやめないからです。何でもかんでも非効率だとこの30年間国内の産業を空洞化させてきました。曰くこれからは金融だエ左の人の死刑FAQ (適宜更新)この世はダブル・スタンダードにあふれている。 差別はいけないと多くの人が言います。ところが自分の息子や娘が死刑囚の子と結婚するとなったら猛反対して必ず結婚をつぶすでしょう。「お前が結婚するということは,殺Takeshi#はだしのゲン を隠そうと大日本帝国主義勢力が広島はじめ各地で裏で動いていることが、この戦争漫画が戦争推進者の本質を突いていると証明している。 #はだしのゲンを無くすことに抗議します教育行政の犯罪・不当行為(広島県) 2003年3月に広島県尾道市立高須小学校で就任1年の民間人校長の慶徳和宏さん(56)が校舎正面1階の壁面に体をさらして自殺しました。2年半後,遺族の請求に対し,地方公務Takeshi大阪府 #堺市長選挙 では、維新の利益よりも市民全体の利益が重要。維新の利益は市民の利益を削ったところで生まれる。だから維新現職から野村ともあき氏へと #堺市長を変えよう 維新=犯罪組織「あなたが維新も自民も支持しないとしても、維新首長はどんどん落選させるべきです。そうでないとつけあがりますから。」
野村氏の言うとおり。
入管による「殺人」の被害boof同意の無い性行為を性的暴行として処罰するスペインの法改正性暴力を受けた苦しみは一生続く。yaping20 野田正彰さんは,海南島リー族の元従軍慰安婦の精神鑑定を求められ,現地に赴いたそうです。
〇〇さん(79歳)は14歳のとき,村に押し入った日本兵に拉致され,駐屯地Takeshi「東電の電気を使っている人は原発を支持していることになる」という勘違いああいえばこう言うの典型ですね「反体制も無謬性を訴えている訳ではありませんが、何か?」とこのツィに言い返しても問題はありませんよ。
こんなのを聞いていたら、自分が間違えた時に引き返せなくて周アンドリュー・バルトフェルド自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。No title『自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9120.html
>自民党は日本を経済的に貧しくすることにewkefc軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。永山則夫死刑囚の予言は的中するのか。 永山則夫死刑囚は,ノート8(1970.5.25~6.27)の中で次のように述べています。
一言的に表現すれば,帝国主義国家であるかぎり,人間精神は五十歩百歩で進歩しないTakeshi