前の記事、「
教育と行政での差別に思う 」で、差別という思想や行為や現象について、差別をしないようにという目的であっても、「よい人間は差別的であってはならない」という権威主義的な教え込みによって人を教育してもうまくいかないという研究があるとしても、実際に社会の中にすでに深く根をはっている現実的な差別をなくすための取り組みとしてどうしたらいいか悩む、という気持ちを書きました。
しかも、その「差別」が、私もその一員である社会の一般人に根をはっているというだけではなくて、日本では政治・行政が差別を政策として実行したり態度としてあらわしたりすることも多々ありますから、たいへんに悲しいことです。それが日本での問題を二重、三重にむずかしくしていると感じます。
その「差別」と闘っていくには時間と手間がかかりますが、悲しがってばかりいてもいけないのでしょう。まず、現実の具体的な差別を例にとって、差別とは具体的に何かということや、なぜ差別がいけないか、差別は何を破壊するのかを人々に向かって具体的に一つ一つ示していくことが必要でしょう。それだけではなくて、差別のない人間や社会がどれだけ素敵なことか、どれだけ人間の尊重につながるかを少しでも多くの人が自ら示そうとすることが、遠い道のりかもしれませんが差別をなくす近道ではないかと思います。少なくとも、差別をなくそうとする努力がいつも社会の中にないと、社会は前に進まないことも確かですから。
差別のない人や社会のあり方を肯定的に見せることは、うにさんの記事、「
差別と教育 」で言われていた論文の、差別と闘うためには権威主義的な教条主義は良くないという趣旨にも合致するはずです。
たとえば、最近の記事、「
女子サッカーワールドカップ、試合前の反人種差別スピーチ 」でも紹介しましたが、ちょうど、女子サッカーワールドカップでの試合前の反差別の宣誓によって選手が反差別を宣言することも、権威主義的にならずに差別と闘うための具体的な取り組みの一つだと考えることができるでしょう。
実際の社会の中の差別問題はもっと複雑であるとしても、まずはできるところから反差別に取り組みたい...。
...と、そんなことを、最近亡くなったアメリカの黒人サックス奏者についてのいくつかの追悼記事を読みながらとりとめもなく考えていました。
アメリカのベテランロック歌手、ブルース・スプリングスティーンのバックバンド、E Street Bandのサックス奏者で最近亡くなったクラレンス・クレモンズのことです。スプリングスティーンは白人、クレモンズは黒人。この二人は若い時から唯一無二の親友であり、アルバムのジャケットからも、ライヴステージでも、そのことはファンに伝わっていました。象徴的なのが、スプリングスティーンの1975年の3枚目のアルバムにして代表作である「Born to run」のジャケットです。
サックスを吹くクレモンズの肩に寄りかかる、ギターを持ったスプリングスティーンの姿を写した写真。表はギターを持ったロックスターのカッコいい写真、裏を返すとそのロックスターはバンドメンバーの肩によりかかっている。そして、そのメンバーは黒人であるという写真とデザイン...。これは偶然に選ばれたロックスターとメンバーの写真ではなくて、意思をもって選ばれた写真だと納得がいきます。
最近知ったブログ「遠い家への道のり」の書き手でスプリングスティーンのファンのasburyさんが「ビッグ・マン」ことクラレンス・クレモンズを追悼する文章をいくつか書いていますが、音楽面からではなく人種の違う人間どうしの絆という文脈から書かれた文をここで読ませていただきます。
最初に、別のバンドメンバーでギタリストのスティーヴ・ヴァン・ザント(リトル・スティーヴン)の追悼の言葉の引用から始まります。
●遠い家への道のり 'The Profound Racial Implication' of Clarence Clemons in the E Street Bandhttp://yaplog.jp/asbury/archive/213 July 12 [Tue], 2011, 1:54
Little Steven's Underground Garage; For Clarence ロックンロールの世界は何者にも代え難い奏者を失いました。E Street Bandにとっては、メンバーを失うのは2度目になります。そしてそれは、僕個人にとっては、生涯の友であり、兄弟である人の喪失でした。ロックンロールの歴史家は今後、徹底的に、70年代初期の白人バンドにあんなにも存在感のある黒人がいたことの深い人種的な意味と影響について論じることでしょう。そしてそのバンドが、明らかに危険なまでに流行遅れな伝統、即ち多くの人にとっては気まずいくらいに、絶望的なまでに時代遅れなサキソフォンをちょっと取り入れるだけではなく、それと完全に融合してしまったことの意味と影響についても。 (中略) バンド・メンバーには特別な絆があります。優れたバンドとは、単に複数の人が一緒に働いているのとは訳が違う。それは軍の超特殊部隊か、勝ち続けのスポーツチームのようなものなのです。唯一無二のコンビネーションによって、個人がばらばらでいるよりも強い何かになることができる。僕らは互いに相手を補い合い、人生において実に素晴らしい目を瞠るような経験をするのです。 (中略) -Steve Van Zandt
(中略) 今回は、上の部分ではスティーヴ・ヴァン・ザントがホストを務めるラジオ番組『Underground Garage』の1回分の放送をクラレンスの追悼特集('For Clarence')とした際に、冒頭で述べた言葉を引用しました。 (中略) けれども、私が今日書こうと思うのはスティーヴとクラレンスについてではありません。私が書きたいのはスティーヴがその追悼の言葉の始めに述べている、「70年代初期の白人バンドにあんなにも存在感のある黒人がいたということの人種的含み」についてです。日本にいると、どうしてもその意味、重要性の大きさというのは実感として把握し難いものがあると思います。『Born to Run』(1975)のジャケットは確かにクールだ。でも、そこにはそれ以上の深い歴史的な含みがある、ということを見逃しがちだと思うのです。私はそのことを、クラレンスが亡くなって、いろいろなアメリカの報道記事にふれる中で、改めて強く感じました。取り上げ方には幅があったけれど、スティーヴのように、クラレンスがE Street Bandにいたことの人種的意味合い、特殊性について書いているものは決して少なくなかったからです。 クラレンスは1941年に生まれ、ヴァージニア州ノーフォークという所で育ちました。ヴァージニアと言えば、地理的には南部に位置し、当時はまだ公民権運動前のこと、人種隔離が当たり前の時代でした。ところがクラレンスは、不思議なことに近所に黒人家庭は自分のところしかないというような、白人社会の中に暮らしていたようです。一体どうしてそんなことになったのか、それはよく分からないのだけど、それは当時としてはかなり特殊なことだった筈です。『Big Man』の中には、彼が人種差別を受けたという話は殆ど出てこないけれど、近所に人種差別をする家があって、恐ろしい犬を飼っていた、というさり気ない記述などはあります。昔の辛い話は殆ど端折って、一見どうでもいいような笑い話とほら話で済ませてしまうところが、彼らしいと言えばそうだけれど、書かれていないだけで、辛い経験、現在から見ると考えられないような経験はごく当たり前のようにしていたのではないかと思います。『Big Man』の中で印象的なのは、学校に彼と1人の女教師しか黒人がいなかったという話です。その教師はクラレンスにとても厳しく当たる人で、「あんたなんかろくなものにならないよ」とさんざん言われたというのです。しかし、それについてクラレンスは恨み事を言うのではなく、彼女に打たれ強くなること、逆境を乗り越えることを学んだと書いています。黒人として南部の白人社会で生きてゆく中で、人から浴びせられる罵りや蔑みに負けて卑屈になったら、それでお終いになってしまう。自尊心を身につけ、成功するためには、そうした攻撃を見返すだけの心意気を持たなければならない。でも、それはとても苛酷な世界に違いありません。 1954年、ブラウン判決という最高裁判決によって公教育の場で人種分離をすることは憲法違反であるということになり、公民権運動へのはずみがつきます。そしてローザ・パークスを代表とするバスボイコットやマーティン・ルーサー・キングの登場といった60年代の公民権運動を経て、公民権法がリンドン・ジョンソン政権下の1964年に成立します。しかし制度上、法律上の人種差別、隔離はこれによって解決されていくのですが、人の心というのはそう簡単には変わらないのが難しいところであり、今でも人種の問題がアメリカ社会の根本に存在し続ける原因になっていると思います。ブルース・スプリングスティーンが弔辞の中で、キャリアを通じて彼とクラレンスはクラレンスの有名さや逞しさに関わらず、差別に直面することは少なくなかったと述べていたようにです。クラレンスは60年代後半に北東部へ移り、サックスプレーヤーとして70年代初期にかけてアズベリーパークなどにも姿を見せるようになります。彼は、ブルースと組む前にはNorman Seldinという人がリーダーを務めるやはりこれも白人のバンドに入っていましたが、クラレンスを入れるということはバンドが大きなリスクを伴うことを意味していました。黒人のメンバーがいると、雇ってくれないクラブ、宿泊を拒否されるモーテルがある。こういう話はよくビリー・ホリデイの伝記なんかで聞くけれど、そんなに遠い昔の話ではなく、70年代初期のニュージャージーでも十分起こり得ることだったのです。スティーヴもラジオの中で言っているように、それは「公民権法の成立からたった数年しか経っていない時期だった」のです。また、黒人の市民的権利が見直されていった一方で、そのことがまた新たな摩擦をも生む結果にもなっていました。例えば、アファマティヴ・アクション(積極的差別是正)の採用によって、企業や学校は、一定数の黒人を雇ったり、入学させるということが行なわれるようになりますが、それは白人に対する逆差別ではないか、という有名な裁判(バッキ裁判)が70年代初頭には行なわれています。 そんな中で『Born to Run』というブルースが全身全霊をかけて作った作品のアルバムカバーをクラレンスと2人きりで撮影することに決めたというのは、単なるアーティスティックな選択とはとても言えなかった筈です。それは、ある種のはっきりとしたステートメントであり、ブルースの信条とその信念の強さをうかがわせるものだったと思うのです。それは現状に対する挑戦であり、"American Land"や"Land of Hope & Dreams"といった曲へつながっていく大いなるアメリカの夢への期待でもあった。境界を越えて、より広い、自由に身動きのできる世界を作ろうという期待。そして"Backstreets"や"Blood Brother"をリアルに感じさせるだけの、表面的な違いに捉われない友愛の証明でもある。未だにアメリカ社会が実現しきれていないこの2つの人種の親密な関係を示す写真が、ミステリアスな空気を生み、人の好奇心をくすぐり、夢を見させ、魔法の存在を感じさせる。それはマーク・トウェイン以来、アメリカ人の心に深く沁み渡ったわくわくするような興奮と冒険のイメージをも喚起するものです。ブルースとクラレンスの関係は、ハックルベリ・フィンとジムの関係とパラレルになるようにイメージされている。だから、クラレンスの伝記『Big Man』には『Real Life & Tall Tales』という副題がついているのです。「トール・テ-ル」というのは日本語では「ほら話」と訳されることが多いかもしれないけれど、西部開拓をする男達の娯楽としてアメリカに定着した口伝えのストーリーテリングの文化であり、それを文学に持ち込んだのがマーク・トウェインだと言われています。 ブルースはキャリアを通じて、そのイメージを拡大し、深めることに余念がなかった。"10th Avenue Freeze-Out"という曲も、ステージ上で披露されるアズベリーパークでの嵐の夜に、クラレンスと出会った伝説も、2人で世界の秘密を探しに出た旅の物語も、スライディング後のキスも、そのイメージを一層確かにするものだったのです。それは、そうし続ける必要のある現実がずっとあったからだとも言えるかもしれない。それは友情であり、闘いであったということです。 80年代に経済格差が拡大したり、土地の高級住宅化政策が行なわれたりする中で、黒人の人々は大いに犠牲を強いられ、90年代になっても、ロサンジェルスでは人種暴動があり、2000年にはブルースが前年にニューヨーク市で起きたヘイトクライムを受けて"American Skin (41 shots)"という曲を作るに至っています。それくらい、アメリカにおける人種の問題は根深く、厳しいものなのです。そして、だからこそ、ブルースとクラレンスが実の兄弟であるかのように、強い絆で結ばれた親友同士であり続けたことはアメリカ社会にとって大きなインパクトを持っていたし、この国が実現し得る未来についての希望でもあったのでした。 (後略)(転載ここまで)
アメリカの文化と歴史の中で白人のロックンロールバンドに黒人ミュージシャンがいたことの意味、それが単なるメンバーではなく「兄弟」ともいえる強い絆で結びついていたという意味を書き主のasburyさんはよく理解させてくれたと思います。
上の記事には、ローザ・パークスやビリー・ホリデイも言及されていて、この二人の話は、
以前紹介したリリアン・テュラムの本、「我が黒人スターたち」 に出てきていたのでした。いずれ紹介したいと考えています。
最後に、スプリングスティーンのライヴステージで披露される、「アズベリーパークでの嵐の夜にクラレンスと出会った伝説」と「2人で世界の秘密を探しに出た旅の物語」を紹介するasburyさんの記事も紹介させていただきましょう。あまりに面白すぎて、スプリングスティーンをまだ十分に知らない私には実話なのか作り話なのかよくわかりませんが(笑)、こういう話で思い切り笑って人と人の絆を感じると、人種差別はこの社会に入る余地がなくなると信じたい気持になる、そういう話です。
●遠い家への道のり Prayers for Clarence Clemonshttp://yaplog.jp/asbury/archive/207 June 13 [Mon], 2011, 22:02 昔々のこと ムカシムカシ 俺はまだ高校生だった。でも随分と出来が悪くて、指導カウンセラーに会いに行かなきゃならなかった。 彼は俺を一瞥すると言った、「スプリングスティーン君、困り事というのは何だね」。 俺は答えた、「あのですね、俺には信じるものが何もない。希望も何もないんです。卒業して何になりたいのか、何をしたいのか分からない」。 するとカウンセラーはこう言った、「それは私の手に負いかねる。家に帰ってご両親に相談したまえ」。 そこで俺は家に帰り、父親のいるキッチンへ行った。 「父さん、俺、学校で問題を抱えてるんだ。自分でもこの先どうするつもりか分からないし、何になりたいかも分からない。信じるものも、希望も何にもないんだ。もっと自信を持ちたい。土曜の夜にデートする相手も欲しいよ!」 すると父親は言った、「冷蔵庫からもう1本ビールを取ってくれないか」。 それで俺はもうこんな世の中とはおさらばしようと思った。溺れ死んでしまうんだ。ハイウェイに出ると、ヒッチハイクでアズベリーパークまで行った。偽のIDを持っていたから、溺れ死ぬ前にまずは1杯やろうと決めて、小さなバーに入り、トイレに行くと、壁にこんな貼紙がしてある。 「あらゆる問題に アドバイスと解決法を教えます この番号までお電話を」 そこで俺は小銭を手に外へ出て例の番号を回した。呼び鈴が1回鳴り…、2回鳴り…、そして声が聞こえた。 「…もしもし?」 それは、クラレンス・ビッグマン・クレモンズという名の人物だった。すべてを知る者!そこで俺は自分の問題を彼に打ち明け、彼は俺を助けてあげられると請け合い、俺は彼の家を訪ねた。俺はドアをノックし、ドアが開けられた。俺達は互いをじっくりと観察し、きっといいチームを組めると考え、俺達はパートナーになった。実はクラレンスも問題を抱えていて、ジプシーの女に相談して、世界の秘密への道筋を標した地図を買い受けたところだったんだ。真夜中にこの地図を辿れば、俺達はあらゆる悩みに対する答えを見つけることができる。そこで、その晩、俺達はクラレンスのぼろのクルマに乗り込み、大量のピーナッツバター&ジェリーサンドイッチを詰めて、クラレンスは寿司もいくらか詰めて、ルート9を南へ下った。やがて、突然に雨が降り出した。雷鳴と稲妻も始まり、ハリケーンがハイウェイを横切っていった。竜巻が来て、雪が降り始め、それは吹雪に変わった。そして、次には熱波に襲われ、クルマの屋根が吹っ飛び、タイヤが2つもパンクした。エンジンブロックにひびが入り、キャブレターがお釈迦になり、窓までなくなり、ついには…ついには…ラジオがぶっ壊れた!路肩に立って地図を見ていると、求めるものはこの森の丁度反対側だということが分かった。そこで、俺達は森の中へと足を踏み入れた。それは恐ろしい所だった。不気味な音がそこいらから聞こえてくる。 森の中の狼のよう!オオカミミタイダ! ライオンの声が聞こえた気がした。ライオンミタイダ! そして熊の唸り声も!クマミタイダ! 「なあ、ビッグマン、森の中に猛獣なんていないよな。人間が動物を食べるんだもんな。きっと大丈夫さ」 「ビッグマン、何かが俺達をつけてる気がするよ…ウワアアア!」 なんとそこにだしぬけに人食い熊がいた!だけど、飛び掛かって俺達を夕食にすることなく、そいつは何だかフレンドリーな様子だった。そして、自分は寂しいんだと言った。サーカスから逃げ出してきたんだって。友達になってくれたら、俺達のあらゆる悩みに対する答えを見つける手助けをすると。そこで俺達は合意して、熊について森の中へ戻った。雲の晴れ間から月の光が射し始め、開けた土地に出ると、俺達は遂にこの探求の答えを見つけた。 その時、俺達はもう大丈夫、俺達はやっていけるということが分かった。 何故なら、俺達が手をふれた時… さらば、ニュージャージー。俺達は空の上だよ。
(引用ここまで)
築地市場の豊洲移転に反対 して食の安全を守りたい。●Like a rolling bean (new) 出来事録 ■2011-07-25 専門家の名前なき「専門家の見解書」と汚染対策工事公告で東京都は築地官製地上げにアクセル全開!http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10964293668.html
↑『がけっぷち社長 』さん作。また、税制についての当秘書課の記事は、「カテゴリ : 税制、税金、財政 」から。
虹とモンスーン の下の
弱い文明 の
きまぐれな日々 では
身近な一歩が社会を変える のだからと、
イルコモンズのふた の下の
フォーラム自由幻想 と
市民社会フォーラム の
そこに存在する 良き人生と生活 への切実な望みを
民主党 にわからせるために、
低気温のエクスタシー の中の
アブナイ日本 が
壊れる前に 、
生まれてきて良かったと感じられる社会に したいけど
とりあえず どうすべきか
kimera れない
情報の海の漂流者 と一緒に、
イル・サンジェルマンの散歩道 の
くろすろーど にある
アダージォ な
午後のカフェ の
窓辺でお茶 に
クリーム 入れて
福島老朽原発を考える会(フクロウの会) で
みんななかよく 鍋パーティー して、
世界の片隅で税制についてのニュース や
ルンペン放浪記 や
ペガサス・ブログ版 や
転成仁語 や
イラク・ホープ・ダイアリー や
広島瀬戸内新聞 や
虹の日記 や
vanacoralの日記 や
黙然日記 や
フランス語の練習帳 や
「ユニオン」と「労働ニュース」のアーカイブ や
社会科学者の時評 や
琉球新報 や
沖縄タイムス や
辺野古浜通信 や
高江の現状 を読んで、
沖縄問題と北アイルランド問題を同じように考えてみよう と思って、
消費税と社会保障と国家予算についての マスコミに載らない海外記事 を
1947年教育基本法の理念の 今日行く審議会 と
スーパー小論文ハイスクール と
アジア連帯講座 と
内田樹の研究室 で
超左翼おじさん と見て、
大脇道場 と
言ノ葉工房 と
内田樹の研究室 と
アフガン・イラク・北朝鮮と日本 と
山口県上関町の祝島 と
地元紙で識るオキナワ と
海鳴りの島 と
知られざる 晴天 の
カナダ で
虹のカヤック隊 も一緒に
沖縄・辺野古海上基地の問題を中心に はげしく学び、はげしく遊んだ ところで、「
どこへ行く、日本。 」とか、
労働組合ってなにするところ だろうとか、どうしたら
小出裕章先生 や
京野きみこ さんや
さとうしゅういち(佐藤周一) さんや
湯浅誠 さんや
戸倉多香子 さんや
保坂展人 さんや
テルヤ寛徳(照屋寛徳) さんのために
レイバーネット の
団結は力 で
すくらむ 組んで
多世代交流のブログ広場 の
多文化・多民族・多国籍社会で「人として」 日本ジャーナリスト会議 で
転がるひよこ豆のように 情報流通を促進 できるかとか思いながら、
明日も晴れ の
空と風と、月と、星 のもとで
白砂青松 の
雪裏の梅花 や
ブーゲンビリア や
梨の木 や
薔薇、または陽だまりの猫 や
古い寺を多く見て 日常で思った事、感じた事をつらつら好き勝手に書きながら 国会議員定数削減・比例削減に反対する Internet Zone のサイバー
政治 団体秘書が
シジフォス にも負けずに
ウェブにはびこるネトウヨどもを滅多切り して「
Apes! Not Monkeys! 本館 」と「
Apes! Not Monkeys! はてな別館 」と「
フランス西部放射能検査協会 」と「
放射能研究広報独立委員会 」と「
フランス放射線防護原子力安全研究所 」と「
フランス・原子力安全局 」と「
フランス・脱原発ネットワーク 」と「
原子力資料情報室 」に立ち寄りながら、「
人々に力を!! 」、「
民主主義を今! 」、「
なんくるないさぁ~やってみれ~♪ 」と
CLick for Anti War 最新メモ を
読む・考える・書く おしごと日誌。
国会議員やマスメディアに意見を届けるために下記を自由にご活用ください。引用、転載、転送、歓迎。
■各種国会議員名簿のポータルページ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-86.html ■官庁への意見送付先について
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-51.html ■新聞、雑誌 読者の意見を伝える窓口(未整理)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-49.html ■テレビ報道番組のご意見窓口(
「わんばらんす」 から)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-50.html ●News for the people in Japan マスメディア問い合わせ用リンク集
http://www.news-pj.net/link/media.html [PR] ウェディング
アクセスランキング
関連記事
スポンサーサイト
岸田はこの愚行で何を守ろうとしてるんですかね…津木野宇佐儀(「月乃兎」改め)石垣島への陸上自衛隊配備について住民投票を求める規定数以上の署名を集めたのに住民投票実施を行政からも司法からも却下された異常事態沖縄は今も本土の捨て石にされている。 沖縄は大東亜戦争で日本本土の捨て石にされ,莫大な民間人犠牲者を出しました。戦後も裕仁天皇の越権行為により,米軍基地が半永久的に配備されました。選挙で民意を示しTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度No title 日本において高すぎる供託金が立候補の妨げとなり、結果として新しい候補や政治勢力の台頭を阻んでいます。先進民主主義国家と言われる国の中では非常識に高い供託金は、クテシフォン少女時代(소녀시대、Girl's Generation) 「다시 만난 세계」 (Into The New World、また巡り逢えた世界) (不定期連載、「気まぐれK-POPプレイリスト」)これらの曲もいいと思います。 ポーランド・ロックのシンガーソングライターであるKaśka Sochacka(カシカ・ソハッカ)のCiche Dni(静かな日々)とSpaleni Słońcem(太陽に灼かれて)
もいい曲だと思いますTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度 選挙供託金制度は1920年代に普通選挙が導入された際、無産政党の参入を阻止するために制定されました。
これとセットになっているのが無産政党の活動を制限する治安維左の人日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対人権を嫌悪する者が付和雷同し、嫌がらせの言節を放っているのに食傷。 こんばんは。私も村野瀬さんも十数年にわたってSNSの言論の場に身を置いていますが、特に近年、「物事を丁寧に書き示す」より「対象物を手っ取り早くぶん殴れる」言節が伊東 勉広島サミットについての批判的メモサミットとは?そもそもサミットとは?
欧米列強&欧米列強の悪い部分ばかりマネしてそのおこぼれにあずかろうとしている日本が、これまで作り上げた国際秩序と自らの覇権を確保するため閉口首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。前近代的な日本の姿自民党は前近代的な世襲政治家が多い政党です。
岸田文雄も世襲政治家です。
首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。
まるで封建時代の絶対王政の国そのものです。
こういった政治家閉口日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対入管法改悪法案の廃案と帰国できない事情のある仮放免者に在留資格を付与することを求めます!入管法で改正が必要なのは、今の杜撰すぎる難民認定審査のあり方です。
日本は難民として認定すべき人を難民として認定していません。
それを改正するどころか改悪して難民閉口不祥事で議員辞職する維新議員はほとんどいない。こんな政党を支持・容認したり批判せずにいたりすることは維新の不祥事を支持するようなものだ。 #維新は最悪の選択肢 いわゆる「身体検査」が機能していないのでしょうね。日本共産党や公明党は選挙資金は党が負担するのが大前提です。大切な党のお金を使うのですから、候補者の選定基準も左の人袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。検察の指向性と日本政府の無謬性主義はパラレル 泉田裕彦に裏金を要求した星野伊佐夫元新潟県議が不起訴になりました。女性に強制性交すべく女性に受傷させたプロ野球選手は,不起訴の可能性が高いとも言われています。Takeshi差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約郵便局の窓口でアパホテルカレーを販売中郵便局に行ったら,窓口にアパホテルの元谷芙美子社長の写真が載ったアパホテルカレーが390円で販売されていました。買いませんでした。アパホテルは自民党に要望し,自民Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。>ewkefcさん>自動車事故に遭わないため、遭わせないためには自動車を運転しないことなのね。
「生きているといろいろな問題があって大変です。だから、それらの問題を避けるためには村野瀬 玲奈#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。No title『#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9123.html
>コロナウィルスに感ewkefc#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。 マスクの効果は偉大ですよ。私のようなブサイクでもマスクをつければ堂々と人混みを歩けます。堂々と女性と会話することもできます(笑)。目の前でふんぞり返っている市左の人自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。 もっともっと貧しくなるでしょうね。
新自由主義をやめないからです。何でもかんでも非効率だとこの30年間国内の産業を空洞化させてきました。曰くこれからは金融だエ左の人の死刑FAQ (適宜更新)この世はダブル・スタンダードにあふれている。 差別はいけないと多くの人が言います。ところが自分の息子や娘が死刑囚の子と結婚するとなったら猛反対して必ず結婚をつぶすでしょう。「お前が結婚するということは,殺Takeshi#はだしのゲン を隠そうと大日本帝国主義勢力が広島はじめ各地で裏で動いていることが、この戦争漫画が戦争推進者の本質を突いていると証明している。 #はだしのゲンを無くすことに抗議します教育行政の犯罪・不当行為(広島県) 2003年3月に広島県尾道市立高須小学校で就任1年の民間人校長の慶徳和宏さん(56)が校舎正面1階の壁面に体をさらして自殺しました。2年半後,遺族の請求に対し,地方公務Takeshi大阪府 #堺市長選挙 では、維新の利益よりも市民全体の利益が重要。維新の利益は市民の利益を削ったところで生まれる。だから維新現職から野村ともあき氏へと #堺市長を変えよう 維新=犯罪組織「あなたが維新も自民も支持しないとしても、維新首長はどんどん落選させるべきです。そうでないとつけあがりますから。」
野村氏の言うとおり。
入管による「殺人」の被害boof同意の無い性行為を性的暴行として処罰するスペインの法改正性暴力を受けた苦しみは一生続く。yaping20 野田正彰さんは,海南島リー族の元従軍慰安婦の精神鑑定を求められ,現地に赴いたそうです。
〇〇さん(79歳)は14歳のとき,村に押し入った日本兵に拉致され,駐屯地Takeshi「東電の電気を使っている人は原発を支持していることになる」という勘違いああいえばこう言うの典型ですね「反体制も無謬性を訴えている訳ではありませんが、何か?」とこのツィに言い返しても問題はありませんよ。
こんなのを聞いていたら、自分が間違えた時に引き返せなくて周アンドリュー・バルトフェルド自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。No title『自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9120.html
>自民党は日本を経済的に貧しくすることにewkefc軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。永山則夫死刑囚の予言は的中するのか。 永山則夫死刑囚は,ノート8(1970.5.25~6.27)の中で次のように述べています。
一言的に表現すれば,帝国主義国家であるかぎり,人間精神は五十歩百歩で進歩しないTakeshi軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。No title『軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。』に対する意見
http://muranoserena.bewkefc広島サミットについての批判的メモ閉口させられるG7の姿勢核抑止として自国の核兵器は許し、それでいて自国の気に入らない国の核兵器は非難する(こんなふざけた暴論がまかり通るはずはありません)。
広島ビジョンはあらゆる核の閉口死刑FAQ (適宜更新)若い刑務官に気遣いを見せた死刑囚2005年12月25日に死刑を執行された藤波芳夫死刑囚(75)は敬虔なキリスト教徒でした。処刑日には車椅子で笑顔を浮かべながら礼拝所に入ってきたそうです。歩行不能の病人で高Takeshi死刑FAQ (適宜更新)永山則夫「無知の涙」 永山則夫死刑囚が起こした事件は「動機なき,理由なき殺人」と一般に言われています。本人はノート5(1969.12.12~1970.3.4)の中で「この事件は一種の自殺法なのです。Takeshi広島サミットについての批判的メモ岸田が本気で核兵器廃絶をG7として取りまとめる気があるのであれば、半日以上かけて本館の展示をじっくり見るべきでした。もちろん、バイデンもスナクも同様です。黙して語左の人維新の「身を切る改革」とは、「維新だけが得をする改革」のこと。 #維新に騙されるなNo titleいまだに日本はTV「水戸黄門」を視て溜飲を下げている、そんな感じですかね…(この方面では日本は最先端!…(溜息)
現実では「英雄」はいらない、害悪かと思うのですが。月乃兎1980年5月18日の韓国・光州事件での民主化運動弾圧の最高責任者の全斗煥大統領(当時)の孫が祖父の「重罪」について被害者遺族の前で謝罪No title光州事件もそうですが済州島・4.3事件など「韓国現代史のタブー」に対して韓国は、民主化後に政治だけでなく映画等の芸術・文化面でも歴史の現実に向き合ってきたという月乃兎