
しばらく前に、『
軍隊の「存在の是非」と「本来あるべき姿」と「逸脱した現実の姿」と、それらをめぐる論議についてのメモ』という記事を書いて、安全保障や軍隊をめぐる改憲論議について整理する試みをしました。
それらを一つ一つ解きほぐして現実の論議を整理し、議論の内容を具体化し、高めていかなければならないのですが、日本の政治や論壇の中にある議論や政策論はなかなかそういう方向になかなか向かっていないように思われます。日本の政治、政治家、マスメディア、論壇、世論について私が物足りなく思うところです。
たしかに、そういう議論の積み上げ方は手間がかかり、根気が必要であり、過去の歴史に学んで論点を整理してゆく知性も必要であり、議論する側にも誠実さと学習が必要です。政局や権力争いの渦の中で議論がぐちゃぐちゃに混乱しないようにする知恵も必要です。
そういう知恵を持ったどろさんの、約10回に及ぶ力作記事を紹介させていただきます。極端な
軍事優先主義者あるいは極端な
軍事優先思考の人から極端な非武装中立主義者まで、その間のあらゆる立場の人に対して、どろさんのていねいな説明は多くのことを教えてくれます。
ここでは、読者のみなさんの興味に訴えるための部分的な引用だけですが、もちろんリンク先で全文を熟読していただきたいです。ごく一部だけ読んでわかった気になってはいけません。私自身も多くのことを学ばせていただきました。学んだことすべてを自分の中で消化して昇華して、自分自身の考えをもっと高みにもっていきたいと私自身も思います。
では、どうぞ。
●虹の日記(byどろ)
■「護憲的安全保障論」シリーズ (全10回)
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/searchdiary?of=5&word=%B8%EE%B7%FB%C5%AA%B0%C2%C1%B4%CA%DD%BE%E3%CF%C0
■2010-04-23
護憲的安全保障論 1 憲法第九条1項 その(1)
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100423
九条が自衛権を否定しているという解釈は、誤っていると言わざるをえないのです。
この立場にたったときのみ、憲法第九条を正しく解釈できることを、以下に示そうと思います。
「国権の発動たる戦争」とは何か
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第一項が否定しているのはふたつです。
1.「国権の発動たる戦争」と
2.「武力による威嚇または武力行使」
こういうものを、「国際紛争を解決する手段」として使ってはならないというのです。 ではこれがそれぞれ何を意味しているのか、考えましょう。
「国権の発動たる戦争」とはなんでしょうか。
「戦争」一般ではなく、
あえて「国権の発動たる戦争」と条件づけられています。
これには意味があるはずです。
■2010-04-24
護憲的安全保障論 2 憲法第九条1項 その(2)
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100424
国際紛争とは国家間の対立があらわになった状態のことです。
それが外交で解決できればいいけれど、一方あるいは双方が、自国の意思を相手に強制し、もしくは強制されまいとして武力を行使すれば、武力紛争となります。
武力による解決というのは、相手を武力で屈服させて、その意思を消滅あるいは撤回させることです。
.
ベトナム戦争を例に、これを説明しましょう。
(中略)
北ベトナムは果敢に抵抗し、アメリカの意思に屈服しない意志を表しました。
ただし国を守っているだけでは、アメリカの国家意思をくじくことができません。
でも北ベトナムは自分を守るのに精一杯で、アメリカ本国に攻め込んで自分の意思を強制する武力を持っていません。
アメリカの国家意思を武力で消滅あるいは撤回させる力がない北ベトナムが国際紛争を解決するには、国連外交に訴えたり、世界世論にアメリカの非道性を訴えるなど、非武力的手段に期待するしかありませんでした。
.
北ベトナムの戦略は成功しました。
アメリカが北爆を停止したのは北ベトナムの武力に屈したからではありません。
北ベトナムの国家意思を武力で消滅あるいは撤回させる力がなく、平和世論に抗する道義的理由もないことを悟って、戦いから下りたのです。
北ベトナムは平和的手段で武力干渉を挫折させたわけです。
しかし北ベトナムの頑強な軍事的抵抗がなければ、国際世論の勝利もなく、アメリカの意思撤回もなかったに違いありません。
自衛隊に許されているのは、こういう戦争です。
■2010-04-25
「護憲的安全保障論 3 憲法第九条2項(1)」 「同論 4 憲法第九条2項(2)」
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100425
しかし「前項の目的を達するため」とあるのを無視してはいけません。
第1項と第2項はリンクしているのです。
ですから第2項を解釈するときは、自衛以外の武力行使を禁じた第1項の目的に沿って読む必要があります。
.
普通に軍隊という場合は、自国を守るために外国へ侵攻することもある実力組織をいいます。
陸海空軍以外にも、海兵隊や航空宇宙軍という侵攻部隊がありますし、ときには義勇軍を組織して外国に侵攻する場合もあります。
憲法は、「陸海空軍その他の戦力」と既定して、どんな名目の組織であっても、外国に侵攻することを許していません。
そういう行動を許していないだけでなく、そんな組織の存在を許さないと言うのです。
(現在、自衛隊は海外任務も負っていますが、その装備・補給能力を考慮すればまともな戦闘に耐えられる部隊ではありませんので、憲法違反ギリギリのところに達していると思われます。危ないところへきています。)
(中略)
しかし自衛隊は軍法会議などの軍隊司法を持たず、憲兵もいません。
すなわち自律的刑罰権をもたないのです。
この点では、警察や海上保安庁と同じ、一般行政機関なのです。
また憲法にその存在を規定されていない点でも、警察や消防組織、もっと言えば農林水産省や文科省などと同様の行政機関であると言えます。
だから軍隊かどうかといえば、外形的には軍隊ですが、法制的・実質的には軍隊でないと言えるでしょう。
.
自衛隊が軍隊でないといえる理由
.
いま、法制的にだけではなく、実質的にも軍隊ではないと述べましたが、これは「国際紛争を武力で解決する手段」としての軍隊ではないと言う意味です。
(中略)
どうして政府はこんなコンニャク問答でごまかそうとするのか。
なぜ、つぎのようにすっきりと言えないのでしょうか。
.
「憲法は国際紛争を解決するための交戦は否定している。」
「自衛のための交戦は否定してはいない。」
.
憲法を普通に読めばわかることなのに、政府がわざとひねくれた読み方をするのは、どうしてなのでしょうか。
それは、事柄をややこしく混乱させることで、あたかも憲法に問題があるかのように装うためだと思います。
(中略)
こんな姑息極まりない改憲派の答弁と、自衛隊を何とか否定したい非武装中立論の国会議員のタッグによって、まるで憲法が欠陥品であるかのようなイメージが広まってしまいました。
改憲派は、まともに運用したら国も守れない憲法であるかのように言います。
非武装中立論者は、自衛隊は憲法違反の組織であると主張することによって、自らの意図に反して、「違憲の存在をなくせもしない無力な憲法」というイメージを作り上げることに貢献してしまいました。
.
おかげで自衛隊は恐れられたり嫌われたり、バカにされたりと、散々な目にあわされてきました。
私は入隊したとき、機会あるごとに「君たちは国防という崇高な任務に誇りを持て」と教育されましたが、国内がこんな環境ですから、その言葉が今ひとつ胸に落ちませんでした。
ところがあるとき、一人の幹部の訓辞を聞いて、すとんと胸に落ちたのです。
それは横須賀(少年工科学校の所在地)で反戦デモが行われるので、外出禁止が通告されたときのことであったと記憶しています。
その幹部はこう語りました。
.
「国民の中には自衛隊に反対し、その存在を認めない意見もある。しかし諸君はそういう意見を述べる国民をも、命を懸けて守るのが使命である。諸君の任務は、国民が我々を否定することもできる、自由な社会を防衛することである。ゆえに、我々の任務は重く、崇高なのである。」
.
自衛隊の任務とはこういうものであると、いまも私は信じています。
そしていま私は、自衛隊を否定する非武装中立論の方々の存在意義も、認めています。
意見としては間違っていると思いますが、そのあくなき理想主義によって、改憲派と果敢にたたかって憲法を護ってきた業績を否定できないからです。
けれどもいずれ改憲派を完膚無きまでに滅ぼした暁には、その間違った意見を改めていただくべく尽力しようと思います(笑
■2010-04-26
護憲的安全保障論 5 抑止力とは何か
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100426
軍事力の果たす二つの役割
.
軍事力は侵略の道具にもなりますが、抵抗の道具にもなります。
しかしその区別さえ、上記のごとく判定が難しいのです。
まして有用か無用かの二者択一の議論は、軍事力を語るには不適切です。
要はその用い方であって、危険だからなくしてしまえという議論は乱暴です。
(中略)
平和憲法が防いだのは日本の侵略であって、外国の侵略ではない
.
平和憲法は日本が外国に攻め入ることを防いできました。
しかし外国の侵略を防ぐ力はありません。
外国が日本国憲法を守らねばならぬ道理はないからです。
外国の侵略を防いできたのは、米軍と自衛隊の武力です。
(中略)
つまり無抵抗主義は侵略を誘発し、専守防衛は戦争を未然に防ぐのです。
しかし軍隊は両面性を持っています。
日本を防衛している在日米軍が、他方では侵略的機能を果たしているのが典型的な例です。
日本から出撃した米軍によって外国が侵略被害に遭っているという事態を、私たちは自らの安全のため背に腹は代えられないと見過ごしてよいものかどうか。
沖縄の米軍基地は、そういう問題でもあります。
けれどこれは集団的自衛権のカテゴリーに属し、いま語ろうとしているテーマと一部重なりつつも、同時に語っては論点が錯綜する危険をはらむ問題です。
(中略)
自衛隊にしても、日本の安全保障だけを考えればより強力な方がいいことになりますが、それは周辺諸国の警戒を呼び起こし、緊張を高めますから、かえって安全を危うくする場合もあり得ます。
しかし改憲論者は武力の持つこうした本質的危険性に目を閉ざしており、まるで火の危険性を知らないで無邪気に花火を振り回す子どもみたいなものです。
そんな奴にマッチを持たせるわけにはいかないので、私は批判しているわけです。
■2010-04-27
護憲的安全保障論6 憲法押し付け論について(1)
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100427
いま憲法を変えたい理由は、ホンネの所では国民の自由と権利を制限するためです。
平和主義を変質させるためです。
だれのために。
自分たち国政を壟断しようとしている権力者のために、です。
そんなもくろみに、どうして我々が同意しなければならないことがあるでしょうか。
■2010-04-29
護憲的安全保障論7 憲法押し付け論について(2)
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100429
押し付け論4 その論理矛盾
.
改憲派には押し付けを批判する資格などありません。
憲法が押し付けられたと言う論者は、他方で奇妙に矛盾したことをいっているからです。
日本は韓国を植民地にしたが、これは押し付けではないと言うのです。
韓国の同意を得て、条約をむすんで、合法的に併合したのだから、押しつけではないと。
.
無茶を言ってはいけません。
そのとき、日本は韓国の軍隊を解散させ、外交権を奪い、韓国を軍事的に占領していたのです。
韓国を手も足も出ない状態に追い込んでおいて、相手がいやがることを強制しておきながら、「押しつけではない」と、あつかましくも開き直る。
そのくせ、「憲法は押し付けられた」と泣き言をいう。
その理由は、「連合軍に占領されていたからだ」、「自主権をうばわれていたではないか」
というものです。
それならば日本が韓国を併合したときの状況と同じではありませんか。
(中略)
韓国併合の正当化は、過去の軍事行動を合理化するものです。
憲法押し付け論は、未来の軍事行動を準備するものです。
改憲派の主張は矛盾していて論理的には破綻しているのですが、軍事行動の正当化、合理化という目的だけは一貫しています。
こんな論理の横行は、絶対に許せません。
(中略)
憲法が現実ばなれしているという理屈ほど憲法をバカにした議論はありません。
では、日本国憲法の条項はすべて実現しているのか。
国民の基本的人権も、議会主義政治も、憲法の理想からはなはだしくかけ離れているではありませんか。
前文冒頭の「日本国民は正当に選挙された国会に於ける代表者を通じて行動し」というのだって怪しいものです。
正当な選挙なんでしょうかねえ、いまの選挙は。
.
憲法は現実ばなれしているものなのです。
憲法前文にあるではないですか。
.
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
.
憲法はいまだ実現されていない「崇高な理想と目的」を掲げているのです。
だから現時点では現実ばなれしているのが当然なのです。
いまは理想だが、将来はそれを現実にするぞ、そのために努力することを誓おう、これが憲法の呼びかけなのです。
この何が間違っていようか。
むしろ憲法をしっかりと擁護し、その指し示すところの高み目指して努力しようじゃありませんか。
.
憲法は素晴らしい。
だからこそ、このすばらしい憲法を擁する日本の独立は大切であり、自衛隊の抑止力が必要とされているのです。
自衛隊と憲法は矛盾していません。
私はこう信じています。
■2010-04-30
護憲的安全保障論8 「政府主催/憲法記念日祝賀会」をしない国
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100430
感謝されない憲法。報われない自衛隊
.
自衛隊は命令に従うしかない実力部隊です。
自衛隊を動かすのは政治の側です。
命令するのは政治家なのです。
そしてその政治家は自衛官の生命など、虫けらぐらいにしか考えていない。
それでいて、犠牲者が出ればそれをまた英雄として持ち上げて、憲法改悪の道具にするでしょう。
.
無茶な命令を黙々とこなし、報われることもなく、大切にもされず、平和主義者からは目の敵にされ、それでも自衛官は働いています。
自分たちを死地に送る者たちの安全のために。
自分たちを非難する人たちが侵略の被害に遭わないように。
それが法律で定められた自分の任務だからです。
.
憲法もそうです。
戦後65年間、一度も大規模な争乱に巻き込まれることも、自ら参加することもなくやってこられたのは、憲法と自衛隊があったからです。
それなのに政権与党からは欠陥品だとけなされ、記念日に祝賀会ひとつも開いてもらえず、改憲論者からは目の敵にされ、それでも憲法は平和と人権を守って機能しています。
.
憲法がある今でさえ、航空自衛隊はNATO輸送部隊として、実質的に参戦しました。
改憲すれば、たちまち自衛隊はアメリカ軍の弾よけにされてしまうのが目に見えています。
改憲の旗を振る政治家や財界は、自衛官が無駄に戦死しようと、知ったことではないのでしょう。
国民がどんな目にあおうと、自分たちに危険が及ばなければそれでいいのでしょう。
むしろ軍事費を湯水のように使えば、自分たちの利益になります。
そんな連中の屁理屈にだまされてしまえば、いの一番に危険にさらされるのが自衛官です。
最初の戦死者は、祖国防衛の戦いではなく、どこだか知らないアメリカ軍の戦場で生じることでしょう。
だから自衛官こそが、最も憲法を大切に護らなくてはならない。
■2010-05-01
護憲的安全保障論9 シビリアンコントロールの限界と国民的監視について
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100501
好戦的文民に気を付けよう
.
自衛隊の中に国家主義的思想が台頭する事態は憂慮すべきことです。
そういうものの台頭に、私たちは常に目を光らせておかなければなりません。
田母神氏の論文とも言えない駄文をきっかけに、文民統制について騒がれたことは記憶に新しいと思います。
どなたもすでにご存じでしょうが、文民統制(シビリアンコントロール)は、平和主義を直接的に保障するものではありません。
(中略)
最高のシビリアン・コントロールは国民による統制です。
有権者がピースマインドをなくしてしまえば戦争を防ぐ機能は失われます。
心しなければいけませんね。
.
自衛官にも知る権利を
.
ところで自衛官も有権者です。
命令に従う義務はありますが、その命令に疑問を抱く内心の自由はあるのだし、命令を下す政治家を選挙で落とす権利もあるのです。
その権利が有効に保障されていなければ民主主義は不完全です。
自衛官にも選択の自由はあるのです。
選択の権利は、情報統制のない、自由な言論が保障された社会で、はじめて有効に機能するでしょう。
自衛官にもあらゆる情報が開かれていなければ、主権者として、また有権者として、正しく権利行使できないことになります。
.
何が言いたいかというと、自衛官にも反戦ビラを読む権利ぐらいあると言いたいのです。
自衛隊官舎へのビラ入れくらいで逮捕されるような社会では、言論の自由など絵に書いた餅でしかありません。
ビラ入れが誰の人権をどの程度侵害したから、何ヵ月も勾留されなければならないというのでしょう。
イラクに行かせたくないというのは国民の声なのですから自衛官に聞いてほしいし、どうしても読みたくなければ捨てればよいだけのこと。
考えれば考えるほど、立川の自衛隊官舎にビラを入れた活動家に有罪判決を下した最高裁はおかしい。
(中略)
自衛隊を監視することと、自衛官を非難することの区別を
.
警察官が右翼を取り締まらず、左翼に厳しかったり、自衛隊が市民運動を監視しているのは由々しきことですから、しっかりと批判して改めさせなければならないと思います。
警察が反国民的存在になれば治安確保がおろそかになるだろうし、自衛隊が本来あるべき安全保障の役割を取り違えて反国民的存在になれば、それはこの国と国民の不幸です。
.
ですから、自衛隊を監視するのはいいのですが、それは自衛官に理不尽な非難を浴びせることと違うので、区別してほしいと思います。
■2010-05-06
護憲的安全保障論10 最終回 国家に殺人の権利があるのか
http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100506
死刑のない国が戦争しているのはどうしたことか
.
国家に人を殺す権利があるのかと問われれば、そんな権利はないと答えたいです。
自国民を殺す権利もないし、他国民を殺す権利もありません。
それは日本だけではなくて、どの国もそうです。
私たちに他国民の基本的人権を奪ったり、生命を奪う権利はないはずです。
他国の国家権力が日本国民の基本的人権を奪ったり、生命を奪う権利も、ないはずです。
(中略)
国家は自国民を保護する義務があります。
そのためには国家が存続せねばなりません。
国家の存続を脅かすほどの敵があるとすればその力は強大なものであり、平和的に取り締まることが出来ないでしょう。
そこでやむを得ず、我が存立を脅かせば生命の危険という究極の代償を支払う必要があることを示して、わが国への侵害を諦めさせるほかない。
こういう論理です。
.
刑罰を含めて国家の権利行使としての殺人は認めないが、緊急避難的な殺人を容認することで我が方に対する侵略の決断を抑止し、結果的に殺人の機会を極小化する。
私は、これまで述べてきたとおり、やむを得ずこの論理を認めるものです。
そしてこの論理しか認めません。
自国の生存のための緊急避難的な武力行使だけが、憲法の許す範囲です。
自国の生存のためであっても、政策選択としての敵国侵攻は認めません。
まして自国の生存が脅かされてもいないのに他国に侵攻するなど、もってのほかです。
(中略)
誇り高い主権者と、その頼もしい仲間
私は自衛隊で「兵は凶器である」と教わりました。
だからシビリアンコントロールに従わなければならないと。
自衛隊がシビリアンコントロールに服する義務に忠実であろうとしても、シビル(平服組=官僚・政治家)が好戦的であっては、なんにもならないと既に書きました。
シビルをコントロールするのは国民です。
いえ、国民こそが本来的な意味でのシビル(=市民)なのです。
ですから自衛隊が「兵は凶器である」という自覚を持ち、国民に服従する組織であるためには、国民自身が主権者として高い自覚をもたねばなりません。
市民がその自覚を失ったとき、自衛隊は国民に敵対的な存在になりえるでしょう。
このことはあまたの歴史が悲劇的に証明しています。
軍とはじつに危険な存在です。
.
こんな危険な集団に私たちが自分の生存を預けるのは、じつに背理と言わざるを得ません。
しかし権益を巡って相争う世界にあって自らの生存を守ろうとすれば、この背理を飲み込むしかありません。
そして軍の本来的な危険性を、除去すべく努めるしかありません。
そのためには、軍の自立的な運動を不可能にしたり、自己肥大化を抑制したりというシステムを構築し、これを強固に守って軍を規制する必要があります。
法的にも、組織構造的にも、社会的にも、個人の意識のレベルでも、常に軍に対する警戒が必要です。
そのためには、軍を反社会的あるいは非社会的な存在にしてはなりません。
ですから、矛盾したことを言うようですが、軍を市民社会と親和的な存在にして、軍の構成員を市民社会に包含することで、軍が市民社会と敵対関係に陥らないようにしなければならないと考えます。
これを日本の場合でいえば、つぎのようになります。
自衛隊という組織が本来的に危険なものであるという認識を市民と自衛官が共有する。
自衛官は市民社会の一員として、市民社会の価値観を共有する。
自衛官は自分の任務が国家防衛を通じて「自由で民主主義的な市民社会」という価値観を守ることだという自覚を持つ。
つづめていえば、自衛隊の民主化です。
.
上意下達社会の自衛隊を民主化するには、市民の応援が欠かせません。
その市民が非民主的な社会を受容していては、自衛隊の改革などおぼつかないことです。
ですから、私たち一人一人の国民が自分の主権者意識をしっかりと持ち、非民主的な社会の改革者とならねばならないと思います。
不公正な既得権を守護する権力と対峙できる存在とならねばなりません。
また一人一人が互いの権利を大切にする、個人になりましょう。
そうして国民が民主主義をしっかりと保てば、自衛隊はその社会を守る頼もしい仲間として成長してくれることでしょう。
社会が自衛隊を疎外すれば、自衛隊は自分の生存のために市民を見捨てるような「政府軍」になるかも知れませんが、自衛隊がデモクラシーの価値観を共有する市民社会の一員であり、自衛官もまた市民それ自身であれば、それは「市民軍」ですから、自分自身を見捨てることはないと期待できます。
いつかそんな自衛隊になればいいなあと、これが私の護憲的安全保障論の結論です。
(引用ここまで)
どろさん、これからもよろしくお願いいたします。
築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守りたい。
●Like a rolling bean (new) 出来事録
■2010-04-30 イシハラ都政による「土壌汚染除去実験」の目茶苦茶さ<3>(科学誌Natureの指摘にどう反応?)
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10521559325.html
■2010-05-02 イシハラ都政による「土壌汚染除去実験」の目茶苦茶さ<4>(汚染処理実験へのNature記事仮訳)
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10523297412.html
■2010-05-07 イシハラ都政による「土壌汚染除去実験」の目茶苦茶さ<5>(微生物浄化実験の怪)
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10518826475.html
そこに存在する美しい人生と生命と生活を守る切実な要望を
民主党に聞かせるために、
アブナイ日本が
壊れる前にとりあえず何かしたいけどどうしたらいいか
kimeraれない人の役に少しでもたちたくて、
イル・サンジェルマンの散歩道の
午後のカフェで
クリーム味の
革命鍋をいただいて、
虹の日記や
フランス語の練習帳や
「ユニオン」と「労働ニュース」のアーカイブや
世界の片隅で税制についてのニュースを読んで、
消費税と社会保障と国家予算についての『
知られざる真実』を
大脇道場と
言ノ葉工房と
スーパー小論文ハイスクールと
アジア連帯講座で
1947年教育基本法の理念に賛同して超左翼おじさんや
カナダの日本語の先生から学んだ後で、
労働組合ってなにするところだろうとか、どうしたら
戸倉多香子さんや
保坂展人さんのために
みんななかよくスクラムを組んで
多文化・多民族・多国籍社会で「人として」情報流通を促進できるかとか、
雪裏の梅花や
古い寺を多く見て生活の中で感じた疑問や思いをあれこれめぐらせて
日常で思った事、感じた事をつらつら好き勝手に書く、
一寸の虫にも五分の魂で
転がるひよこ豆のように国会議員定数削減・比例削減に反対してきまぐれな日々を過ごすサイバー政治団体秘書のおしごと日誌。
国会議員やマスメディアに意見を届けるために下記を自由にご活用ください。引用、転載、転送、歓迎。
■各種国会議員名簿のポータルページ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-86.html■官庁への意見送付先について
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-51.html■新聞、雑誌 読者の意見を伝える窓口(未整理)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-49.html■テレビ報道番組のご意見窓口(
「わんばらんす」から)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-50.html●News for the people in Japan マスメディア問い合わせ用リンク集
http://www.news-pj.net/link/media.html
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公務員や会社員が無断欠勤を続けたら厳しい処分がくだされます。
吉川議員の場合は,都内のどこかにTakeshi侮辱罪の厳罰化は自民党批判の事実上の禁止ではないか。日本の非民主化が完成してしまう。これを推進するのが自公維国。 #参院選2022萎縮効果を狙ったもの侮辱罪の厳罰化は自公維国の大日本帝国主義政党が政権批判を萎縮させ、事実上禁止するために行った暴挙です。
過去の例を見ても自民党政権が1969年に成立させた悪法「閉口君が代不起立の教員を再任用することを拒否した維新・大阪府の敗訴が最高裁で確定したのはよかった。 #維新自民党政権の御用司法君が代不起立の教員を再任用することを拒否した維新・大阪府の敗訴が最高裁で確定はまともな判決です。
しかし日本ではこういったまともな判決は極少数です。
高崎市県立公閉口高崎市県立公園朝鮮人労働者追悼碑訴訟で、大日本帝国主義側の主張に軍配をあげた最高裁の決定Takeshiさん、クテシフォンさんお二人ともコメントいつもありがとうございます。
「日本の裁判所は植民地支配を受けた人々の人権には極めて鈍感」というTakeshiさんの指摘は重いです。日本人の人権にも村野瀬玲奈スリランカ人のウィシュマさんを虐待の末死なせた入管が全員不起訴に。日本国家ぐるみの虐待であり差別である。 #参院選2022No title 仮に一般人が今回の入管のようなことをして他人を死に至らしめたら、「未必の殺意」があったとして殺人罪で問責されるでしょう。殺人まで行かなくても傷害致死罪、保護責クテシフォン高崎市県立公園朝鮮人労働者追悼碑訴訟で、大日本帝国主義側の主張に軍配をあげた最高裁の決定No title 今回の最高裁の判断は決定と言う方式が使われています。決定と言うのは一言でいうと「門前払い」であって、内容に立ち入らないまま裁判を終了させることです。
決定はクテシフォン原発事故で国の責任を認めないという最低裁判所判決が自民党日本の腐敗をさらに進めた。 #自民党に投票するからこうなる #自民党政権が日本を滅ぼす #参院選2022No title 単に理性のみで考えれば、「国に責任なし」という判決などあり得ないと思っていました。だが、一方で「日本の最高裁が国家権力の中核を直撃するような判決を出せるわけがクテシフォン高崎市県立公園朝鮮人労働者追悼碑訴訟で、大日本帝国主義側の主張に軍配をあげた最高裁の決定女性国際戦犯法廷とはえらい違い 日本の裁判所は政治に関わる案件は統治行為論をふりかざして判断しないことが常識になっています。韓国には憲法裁判所あって,パク・クネ元大統領によって任命された裁判Takeshi「現実主義者」についてのメモ平和的生存権 憲法における平和主義は9条が上げられることが多いのですが,憲法前文二段を注目すべきであるとの声も少なくないようです。「われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖とTakeshi自民党の新たな性加害問題。細田博之衆議院議長のセクハラ疑惑に続いて、吉川赳衆院議員の買春未遂行為。 #参院選2022No titleはじめまして。
私は、安倍晋三という稀代の大嘘つきが総理大臣の座を射止めたことだけでなく、歴代最長政権となったことを見て、すでに日本は狂っていると思っています。何処へやら従軍慰安婦の件で韓国政府と元・従軍慰安婦の被害者ハルモニたちから問題を『蒸し返されない』ために日本側がとるべき『戦略』朝鮮民主主義共和国の人民も「慰安婦」問題に重大な関心 加藤圭木・一橋大学大学院社会学研究科准教授が2016年に朝鮮民主主義共和国を訪問したとき金剛山(クムガンサン)登山をし,現地の登山ガイドの人と話したそうです。そのTakeshi従軍慰安婦の件で韓国政府と元・従軍慰安婦の被害者ハルモニたちから問題を『蒸し返されない』ために日本側がとるべき『戦略』「慰安婦」否定派の異様さ 2017年9月22日にサンフランシスコで「慰安婦」像が公共の場に建てられました。「『慰安婦』メモリアル建設決議案』に対しては,「慰安婦」否定派は元在特会の山本優美子Takeshi「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である」 (マーティン・ルーサー・キング牧師) #参院選2022わたしには夢がある。 マーティん・ルーサー・キング・ジュニア牧師の演説「わたしには夢がある」はよく知られていますが,その演説文を全部通して読む機会はなかなかないと思います。以下にそTakeshi週刊文春の「ヘイトスピーチ、セクシャルハラスメント」の醜さを見て、それこそが日本なのだと思わずにいられない。亡命を余儀なくされた辛淑玉さん 2017年1月に放送された東京MXの「ニュース女子」の中で辛淑玉(シン・スゴ)さんは,基地反対運動を煽動する首謀者として取り上げられました。2018年3月8日にBPOのもうひTakeshi5月18日。たった41年前の1980年に韓国で光州民主化運動があった。済州4・3事件及び麗水・順天事件 1948年4月3日に南北分断に反対した左翼勢力が済州(チェジュ)島で武装蜂起をすると,警察や軍はこれを徹底的に弾圧し,約3万人の済州島民が殺害されました。犠牲者の多Takeshi平和の少女像を撤去してくれとドイツ首相に要請した岸田首相・自民党総裁は国際社会での日本国の評判に不可逆的な傷を与えた。 #自民党 #参院選2022「平和の少女像」の意味とは あいちトリエンナーレで展示された平和の少女像(正式名称「平和の碑」)は韓国の彫刻家であるキム・ソギョン,キム・ウンソン夫妻による作品ですが,細部にわたってさまTakeshi「その強さは、やさしさでできている」、大椿ゆうこ @ohtsubakiyuko さんのための良い言葉だと思う。 (by ちまこ🏳️🌈쥐마코🐭B🐲⛰🎀🌺 (@chimakoBlue)さん)大椿ゆうこさん社民党副党首の大椿ゆうこさんは良心的な参院選の候補者です。
戦争屋、対米従属の政治家ではなくこういった人がもっと政界に進出してくれれば日本はもう少し救われるので閉口#参院選2022 の各党対決点(メモ)昨年の衆院選挙で既に実証済昨秋に行われた衆議院選挙は、大日本帝国主義政党の自公維国の大勝に終わり、
護憲勢力は大きく議席を減らしました。
そのため国会では平和憲法改悪、軍備拡張の大合唱が起閉口自公維偏重、野党軽視の政治報道 #マスメディアへの不満No title 以前BBCのニュースだったと思いますが(このサイトで知ったものだったと記憶している)、「日本では野党は街頭で叫ぶしかない。これに対して与党はメディアを支配しているクテシフォン政権与党(自公プラス実質的与党の維国)が圧倒的多数の議席を占めるのは決定的に悪い理由 #参院選2022No title 7月の参議院選挙を巡る情勢は極めて厳しいものがあります。ここ数年間紆余曲折を経つつも維持されてきた野党共闘の枠組みがほぼ崩壊状態となっているからです。
まずクテシフォン日本の教育現場での差別的奇習や校則を報じるフィンランドのニュースNo title 校則に関する様々な問題について考えると、宗田理の『ぼくらの七日間戦争』が現在でも人気作品である理由の一つが分かります。この本が書かれ映画化もされたのは1980クテシフォン日本の教育現場での差別的奇習や校則を報じるフィンランドのニュース賛成するより反対するのははるかに煩雑で苦労する。 藤岡信勝や小林よしのりなどが歴史修正主義的言説を展開し始めたとき,歴史学会はそのばかばかしさにあきれて反論しませんでした。その結果,歴史修正主義が大きく前進しTakeshi「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である」 (マーティン・ルーサー・キング牧師) #参院選2022「神が死んだとは信じない」と言ったキング牧師 キング牧師は「神が死んだとは私は信じない」と言いました。「なぜならば神の葬列に出くわしたことも,神の墓を見たこともないからだ」とのことでした。
テレビの「笑Takeshi国会質問の中身より質問者の顔ぶれがポイントと考えているらしい毎日新聞 @mainichijpnews @mainichi に払うカネはない(怒) #マスメディアへの不満いつもお世話になってます!この件について、論座に論評がありました。
選挙をするについても、候補者を知るための材料になる、知る権利の保障になるという観点が新鮮でした。
https://webronza.asa宮武嶺