
貧困問題へのアプローチと、「自己責任論」への対処のために、とっても有益な記事なので、私自身の記憶と記録のためにもメモ。できるだけ多くの方にも読んでいただきたく思います。
●紙屋研究所
湯浅誠『どんとこい、貧困!』
ある生活保護報道をめぐるネット上の「攻防戦」
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/dontokoi-hinkon.html
自己責任論からくる「疑問」に徹底反論
さて、娘の絵本を探しているときに偶然みつけたのが本書『どんとこい、貧困!』である。
児童書のコーナーにあったように、この『どんとこい、貧困!』を収めている「よりみちパンセ」という理論社のシリーズは、もともとは子どもたちにむけて、「そもそも」をていねいに書いていくというものだ。「アップ・トゥー・デイト、かつ普遍的なテーマを、刺激的な書き手がコンパクトに書き下ろします」「学校でも家庭でも学べない、キミが知りたかったことを、魅力的なおとなたちが心をこめて書き下ろします」「生きていくためのリアルなテーマが満載です!」というのが出版社の売り出しで「中学生以上のすべての人の」という「対象」が書いてある。つまりは子どもだけでなく、大人にむけても書かれている。
『どんとこい、貧困!』は貧困への挑戦を意図した言葉で、内容も書き手である湯浅誠が貧困の問題をわかりやすく書いている。といっても、貧困についてデータや事例をあれこれのせているわけではない(必要な範囲では載っている)。
中心は「自己責任」をめぐる問題を、これでもかというほどていねいに、一つひとつの疑問に応答・反論する形で書いているのである。だから、本書は貧困をめぐる本というよりも、貧困問題を軸とした「自己責任」論をどう考えるかという本である。そして、そのことを通じて社会的連帯というものを考える本になっている。
今述べたとおり、ここで対応している疑問の声は実に詳細だ。ちょっとみてみよう。
「努力しないのが悪いんじゃない?」
「甘やかすのは本人のためにはならないんじゃないの?」
「死ぬ気になればなんでもできるんじゃないの?」
「自分だけラクしてずるいんじゃないの?」
「かわいそうだけど、仕方ないんじゃないの?」……
これは典型的な5つの質問だが、さらにそれを細分化して詳細な疑問を立てている。
回答は徹底的だ。徹底的だということは、哲学的だということである。ものごとがつきつめて考えられている。たとえば、「努力しないのが悪いんじゃない?」の一変種として「結局さ、仕事を選んでいるからみつからないんじゃないの?」という疑問に湯浅はこう答える。
〈選ばなければ仕事はある。人を殺してもお金を稼ぐ仕事もあるらしいから。合法的な仕事ばかりを選んでいるなんて選り好みだ。食べられないんだったら、強盗でも人殺しでもなんでもしなきゃ。
でも、そうは言われない。それはどんなに困ってもやっちゃいけないと言われる。法律違反だから。人に迷惑がかかるから。
じゃあ時給百円の仕事はどうだろうか? 食べられないならやるべきだろうか? 時給百円だって、一時間働けばハンバーガーが食べられる。でもこれも法律違反だ。「最低賃金法」という法律に違反している。
じゃあ時給八百円で毎日八時間仕事があるけど、雇用保険に入っていない仕事はどうだろうか? 一日働けば六千四百円になる。これなら拒否しちゃいけない? でもこれも法律違反だ。フルタイムで働いているのに雇用保険に入っていない仕事はやっちゃいけない。なぜって、そういう働き方はほかの人たちの働く条件を引き下げるから。人に迷惑がかかるから。
雇用保険に入ってなくてもいいですという人が増えると、会社が雇用保険に入ってなくても働く人が集まるので、会社は雇用保険に入ろうと思わなくなる。そうやって、働く人たちが使い捨てられていく社会になってしまう。
だから、募集する側は時給百円とか時給八百円でフルタイムだけど雇用保険がないとか、そういう条件を出しちゃいけないし、たとえ出していても、応募する側はよく吟味して、引っかからないようにしないといけない。選り好みしちゃいけないけど、ある程度は選り好みしなきゃいけないということになる。
その「ある程度」ってどの程度なんだろうか?
ひとつの目安は、「ハローワーク」で出ている仕事ということだろう。……ところが困ったことに、ハローワークは自分たちの紹介している仕事がどんな仕事か、よくは知らないらしい。……求人票に「社会保険・雇用保険完備」と書いてあっても、本当に完備しているかどうかを、当のハローワークは調べていない。面接の段階やじっさいに働き出したところで、じつはウチには社会保険も雇用保険もない、と言われてしまうことがある。
となると、ハローワークで紹介された仕事だからといって安心はできない。ハローワークにある求人票を丸ごと信じたら、うっかり信用したあんたが悪い、と言われかねない。
そうすると、自分があとで困らないためにも、人に迷惑がかからない仕事をみつけるためにも、よくよく吟味しないといけないということになる。最初の話(「選ぶのが悪い」)とはずいぶんちがう結論になってしまった。最初の話がまちがっていた、ということだ。
誰に迷惑かけても自分さえよければいいというんだったら、人殺しでも最低賃金以下の仕事でもやればいいけど、それだと私たちの社会が困ってしまう。社会全体のためには選り好んでもらわないといけないし、吟味しているあいだは、その人の生活を社会全体で支えていかないと、結局は私たち全員が損をする、と私は思う〉(p.40~42)
万事この調子で、一つひとつを詰めるように追い込んでいく。俗な感覚のなかでは「あいまい」になっていることをひきずりだして、徹底的に吟味し、白黒をつけていく。これはまさに哲学という思考の作業である。
自己責任論が適用できる範囲、できない範囲
ぼくがこの本で一番印象的だったのは、自己責任論を適用できる範囲がある、ということだった。本書では中盤p.149から始まるページで、〈自己責任論は上から目線――そんな社会で、まだ暮らしたい?〉というタイトルのところだ。赤く縁取りがしてあるからすぐわかるだろう。
この文章は〈私の知り合いに営業(セールス)職の得意な女性がいる〉という書き出しになっている。どんどん飛び込んで、契約をとってくる、「やり手」の営業なのだ。〈そんな彼女のモットーは、「やれるかやれないかじゃないんです。やるんです」というものだ。いいわけせずに、四の五の言わずに、とにかくやる、やってみせる、という意味だ〉。この発想について湯浅は〈彼女の自分の律し方は、ある意味ですごく「自己責任論」的だ〉と評している。そのとおりだろう。
ところが、その文章に続いて、意外な一文が載る。
〈その彼女は、私と同じ団体でボランティアの生活相談もしている。今日明日もう食べていけなくなってしまった、という人たちの事情を聞き、どうやったら生活を立て直せるか、そのアドバイスを行い、役所にいっしょについていくなど必要なサポートをする、という活動だ〉
ふつうに聞いたら少し驚くんじゃないだろうか。
「やれるかやれないかじゃないんです。やるんです」――そんなことをモットーにしている人がこんな団体でサポート活動なんかしていたら、大変じゃないか。家を失って明日の生活にも困っている人に「やれるかやれないかじゃないんです。やるんです」と職探しにかり出させる、説教をする……そんな不安を感じてしまう。ところが、さらに意外な一文が続くのだ。
〈「できるかできないかじゃないんです。やるんです」と自分に言い聞かせる彼女だが、「今日明日食べていけない」と相談に来た人たちに、それを言うことはない〉
ぼくは驚く。さらに湯浅の文章はこう続く。
〈なぜなら、それを言っても意味がないことを知っているからだ。やればできるなら、やればいい。しかし、その前提にはそれを可能にする条件(“溜め”)がある。その“溜め”のない人に、「やるんです」と言っても、やれない。いくら「飛べ」と言われても、人間である以上、鳥のようには飛べないのと同じだ。
他方で彼女は「立ち直る力は、その人の中にある」とも言ったことがある。最低限の条件をととのえれば、そこから先は本人がもともともっている力でやっていける。でもその最低限の“溜め”をつくらなければ、いくら「やるんです」と言っても、言われても、できない。できないことを強いても意味がない。意味がないから、言わない〉
条件をつくらずにただ言い放つ行為を湯浅は「説教」だと呼んで批判する。〈説教からはなにも生まれない〉。
「やれるかやれないかじゃないんです。やるんです」的な言葉に真実を感じ取る人は決して少なくはないはずだ。自分の「成功体験」のなかにこうした「やれるかやれないかじゃないんです。やるんです」的なものというのは必ずある。
経験主義はここから一直線に自身の普遍化へと傾斜してしまう。
「やれるかやれないかじゃないんです。やるんです」と俺は信じて「やった」。だからあいつも「やれるかやれないかじゃないんです。やるんです」と信じて「やるべきだ」と。
理論の力があれば、その間に見えない「溜め」というもの、つまり自分を支えてくれている条件の違いというものを考えることができる。しかしそれがなければ、ひとは単純な経験主義へと真っ逆さまに落ちていってしまうのだ。
左翼仲間やぼく自身にもこうした知的怠惰がある。
自分史における「成功体験」的なものと、社会にむけた自己責任論批判とが分裂したまま自分のなかに「共存」していることがあるのだ。そして「成功体験」を無前提に他人にむけて押しつけていることがままある。
だからこそ、この「溜め」を媒介にして相手と自分の違いを考えることは画期的な整理だとぼくは思った。〈彼女は、自己責任論的な考え方を、自分のそのときに可能な範囲で自分に向けることはあっても、けっして他人に向けることはない〉――これこそ今もっとも必要とされている哲学的仕分けの一つだ!
湯浅はこの本の最後に、谷川俊太郎からの4つの質問に答えているのだが、「何がいちばんいやですか?」という問いに〈ごうまんな考え方。ごうまんな生き方をする人。他人を批判していい気になっている人。他の連中はバカで、自分は頭がいいと勘違いしている人。徹底的にやりこめてやりたくなる〉(p.294)と答えている。
この本の前半部分は、こうした湯浅の「怒り」が根底にある。
ぼくは、自己責任論をふりかざして「他人を批判していい気になっている人」の発言を実に醜いと思う。湯浅も〈その姿は、ひとことで言うと、醜悪だ。醜く、かっこ悪い。なぜなら、その人たちは自己責任論的な考え方を他人にだけ向けているから〉(p.153)と述べる。しかしぼくと違うのは、まさにその怒りを〈徹底的にやりこめて〉やろうというところまでトコトンやりつくしていることである。それがこの本の前半である。
そこには論理としては納得いかないというものもないわけではない。
しかし、ぼくはそこに湯浅の実にまっとうな、人間らしい健全な怒りを感じる。
「活動家」になろう! そして活動家は本書を読もう!
そうかと思うと、本書の後半では、〈「こうだろう」という意見を言いながら、でもどこかで「そうじゃない意見もあるでしょうね」ともう一歩引いた視点をもっている。我を忘れてはいない。反対意見を受け入れる余地(“溜め”)がある〉(p.265)とのべ、〈怒りに任せて、活動し、発言すると、どうしても言動に人格がどーんと乗っかってしまう〉(同前)という状況を批判している。
〈同じ状況下でも、どこかでそれが自分の全部じゃないという留保がかかっている人がいる。「私もいいかげんですけどね。へへ」っていうところが残っている〉(同前)
そのような余地を残しておくことを湯浅は自戒し、他人にも勧める。〈黙らせること。それが自己責任論の目的だった。私たちの目的は逆だ。しゃべってもらうこと。モノ言える社会にしていくこと。自己責任論と同じになっちゃいけない〉(p.267)――そのような理由から湯浅は反論をむしろ引き出し、問題を共有したり説得されたりする余地を残しておくことを大いにすすめるのだ。
たとえば自己責任論のなかにだって、そこに積極的な要素をみいだして、たとえば自立につながるヒントがあるかもしれない。そういうつもりで相手のいうことに耳を傾けるというのはたしかに必要な姿勢なのだ。お互いをモメントに落としてより高い見地で総合しようとするこの態度はまさに弁証法である。
本書の後半は、ではどうしていけないいかということを真剣に説く。社会的連帯とはどういうことかをわかりやすく書いている。そしてそうした活動にうちこむ「活動家(アクティビスト)」や「プチ活動家」たることをすすめている。そのなかで活動家とはどういう態度でなければならないかを論じたところで、こうした「みんなにしゃべってもらう」溜めをつくることを述べているのだ。
ぼくは読書会や勉強会のチューター役をつとめることがあるけども、「黙らせる」ことになっていないかどうか気になるようになった。ある講演で「紙屋さんの話は問題を開かれた形で提起しているので、いい」と言われると心の底からうれしかったし、逆に質問が一つもでないと「黙らせてしまった」と心底がっかりする。「みんなにしゃべってもらう」活動家でありたいとこの本を読んで強く思った。
(引用ここまで)
紙屋研究所さんの上の記事でも引用されていた、重要な記事。
●ビジネスから1000000光年分断される貧乏人
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20091026/1256542971●情報の海の漂流者「私たちに何が必要かを考えてほしい」…月24万円の生活保護受ける佐藤さん一家(携帯代2万5千円・食費5万円)についてメモ
http://d.hatena.ne.jp/fut573/20091025/1256564216勉強のためのとりあえずのメモでした。
築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守りたい。
●Like a rolling bean (new) 出来事録
■2010-01-05 速報:東京都の築地官製地上げに向け、豊洲新市場の汚染をあえて調べず時価720憶円で購入!
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10426964582.html
■2010-01-06 汚染に目をつぶりすでに1400憶円以上投入、まさに都は「人の命や健康をあまりにも軽んじている」
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10427703728.html
■2010-01-08 都の見解書には「新聞記事は誤解を招く表現」と!汚染のある豊洲新市場予定地を720憶円で買ったのに
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10429306202.html
■2010-01-09 築地移転は「天皇陛下からご下問を頂いたぐらい」と、高木元農水次官とともに移転を推進する大卸社長
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10430051716.html
そこに存在する美しい人生と生命と生活を守る切実な要望を
民主党に聞かせるために、
アブナイ日本が
壊れる前にとりあえず何かしたいけどどうしたらいいか
kimeraれない人の役に少しでもたちたくて、
とりにくの
革命鍋を
イル・サンジェルマンの散歩道の
午後のカフェで
みんななかよくつついて、
フランス語の練習帳や
「ユニオン」と「労働ニュース」のアーカイブや
世界の片隅で税制についてのニュースを読んで、
消費税と社会保障と国家予算についての『
知られざる真実』を
大脇道場と
言ノ葉工房と
スーパー小論文ハイスクールと
アジア連帯講座で
1947年教育基本法の理念に賛同して超左翼おじさんや
カナダの日本語の先生から学んだ後で、
労働組合ってなにするところだろうとか、どうしたら
戸倉多香子さんや
保坂展人さんのために
スクラムを組んで
多文化・多民族・多国籍社会で「人として」情報流通を促進できるかとか、
転がるひよこ豆のようにクリームの曲を聞きながら
雪裏の梅花を眺めて
生活の中で感じた疑問や思いをあれこれめぐらせて
日常で思った事、感じた事をつらつら好き勝手に書く、
一寸の虫にも五分の魂で
国会議員定数削減・比例削減に反対するサイバー政治団体秘書のおしごと日誌。
国会議員やマスメディアに意見を届けるために下記を自由にご活用ください。引用、転載、転送、歓迎。
■各種国会議員名簿のポータルページ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-86.html■官庁への意見送付先について
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http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-49.html■テレビ報道番組のご意見窓口(
「わんばらんす」から)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-50.html●News for the people in Japan マスメディア問い合わせ用リンク集
http://www.news-pj.net/link/media.html
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もいい曲だと思いますTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度 選挙供託金制度は1920年代に普通選挙が導入された際、無産政党の参入を阻止するために制定されました。
これとセットになっているのが無産政党の活動を制限する治安維左の人日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対人権を嫌悪する者が付和雷同し、嫌がらせの言節を放っているのに食傷。 こんばんは。私も村野瀬さんも十数年にわたってSNSの言論の場に身を置いていますが、特に近年、「物事を丁寧に書き示す」より「対象物を手っ取り早くぶん殴れる」言節が伊東 勉広島サミットについての批判的メモサミットとは?そもそもサミットとは?
欧米列強&欧米列強の悪い部分ばかりマネしてそのおこぼれにあずかろうとしている日本が、これまで作り上げた国際秩序と自らの覇権を確保するため閉口首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。前近代的な日本の姿自民党は前近代的な世襲政治家が多い政党です。
岸田文雄も世襲政治家です。
首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。
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「生きているといろいろな問題があって大変です。だから、それらの問題を避けるためには村野瀬 玲奈#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。No title『#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9123.html
>コロナウィルスに感ewkefc#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。 マスクの効果は偉大ですよ。私のようなブサイクでもマスクをつければ堂々と人混みを歩けます。堂々と女性と会話することもできます(笑)。目の前でふんぞり返っている市左の人自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。 もっともっと貧しくなるでしょうね。
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