
フランスの対ナチスドイツ抵抗(レジスタンス)運動の指導者であったジャン・ムーランについて、「
ジャン・ムーラン(フランスのレジスタンス運動指導者)を偲んで」という記事を、彼の命日からちょうど66年後の2009年7月8日に当秘書課で出しました。
今日は、その記事でも予告したとおり、1964年12月19日、フランス共和国の偉人が祀られるパンテオンに彼の遺灰がペール・ラシェーズ墓地から移送された時の、当時文化大臣を務めていた文学者アンドレ・マルロー(André Malraux)の演説を読みましょう。ジャン・ムーランが虐殺されて21年後のことでした。
フランス語原文はフランス文化省のサイトなどいろいろなところで見ることができますが、和訳がインターネット上には見当たらなかったので、私の訳です。(少し粗いので後から直すかもしれません。)
ジャン・ムーランのレジスタンス運動での活動を振り返り、彼の人となりを語り、フランスの歴史の中で彼が果たした役割の偉大さを思い出させるアンドレ・マルローのこの演説は、フランスの現代史・文化史の中でも重要なものといえるでしょう。パンテオンには、演説の最後に出てくるヴィクトル・ユゴーやジャン・ジョレスら、このような国民的偉人が大勢眠っています。その重さがヨーロッパや世界でのフランスの政治的存在感の礎になっているのだと感じます。
●フランス文化省のサイト
Transfert des cendres de Jean Moulin au Panthéon
le 19 décembre 1964
1964年12月19日、パンテオンにジャン・ムーランの遺灰が移送された時の、文化大臣アンドレ・マルロー(André Malraux)の演説
http://www.culture.gouv.fr/culture/actualites/dossiers/malraux2006/discours/a.m-moulin.htm
共和国大統領閣下。
ジャン・ムーランが、たぶんこのような12月の時期に、プロヴァンス地方にパラシュートで降下して夜の人民の長になるために出発してから、すでに20年以上がたちました。今日の儀式無しには、フランスの子どもたちのどれだけが彼の名を知ることでしょうか?彼自身、殺されて初めてそのことを知ったのです。そして、それ以来、フランスには1600万人の子どもたちが生まれました…。
この人物は、陰の人民を鼓舞し、象徴しています。この人物は一人の慎ましく厳かな警備人のように、自分の屍の周りに陰の人民をここに入場させました。その陰の人民の蜂起によって、二つの大戦の追悼祭が今日終わるかもしれません。
20年の後に、レジスタンス運動(ヨーロッパにおける第二次大戦での対独抵抗運動)は、冥府の世界になりました。そこでは、伝説が命ある運動と合流しています。深く、有機的な、非常に古い感情が彼の伝説的な行為以来沸き起こり、そのように私は彼と出会うことになりました。コレーズ県のある村で、ドイツ軍はゲリラ組織の戦士を殺しました。そして、彼らの死体を密かに夜明けに埋葬させるように村長に命じたのです。その地方では、女性一人一人が自分の家族の墓の上にとどまって村の死者全員の葬式に出席するのが慣わしでした。アルザス地方出身者であったそれらの死者を誰も知りませんでした。ドイツ兵の機関銃部隊の脅すような護衛のもと、我らの村人たちに担がれて彼らの死体が墓場に着いた時、海のように引いた夜の中、山の上から下まで、各自自分の家族の墓のところで不動の姿勢をとって、それらのフランス人犠牲者の埋葬を無言のうちに待っていたコレーズ県の女性たちの黒い姿が映し出されました。伝説がなければ決して存在しなかったであろうレジスタンス運動。この感情こそが、その伝説を呼び起こし、われわれを今日ここに集わせるのです。それはたぶん、友愛の不屈の高揚なのだと思います。
この友愛を一つの闘いにするために命を与えるにはどうすればよいのでしょうか? ロンドンに向かってジャン・ムーランが出発したその時、レジスタンス運動について彼が考えていたことをわれわれは知っています。「ヨーロッパ大陸での連合国の行動の場合、最も大きな犠牲を払う覚悟のある、今日はばらばらで無秩序であるかもしれないが明日はまとまりを持つようになり、場所を知り敵を選び目的を決めた落下傘部隊となる、配置済みのこれらの部隊を使わないのは愚かで犯罪的でさえあります。」これはドゴール将軍の意見でもありました。少なくとも、1942年1月1日にジャン・ムーランがフランスに落下傘で降下した時、レジスタンス運動はまだ勇気ある無秩序な動きにすぎませんでした。地下報道機関、情報元、陰謀、それらはまだ存在していなかったそれらの部隊を集めるためのものでした。ところで、それらの情報は連合国側のこの国やあの国に向けられたものでした。連合国側が上陸した時に、それらの部隊は活動を開始していたのでした。確かに、抵抗者たちは連合国側に忠実な闘士でした。しかし、彼らは、抵抗するフランス人であり続けようとするのではなく、フランスのレジスタンス闘士になりたいと思っていたのです。
ですから、ジャン・ムーランはロンドンに行ったのです。それは、フランス人の闘士がロンドンにいたからではありません。それは一部隊にすぎなかったかもしれなかったのです。それは、帝国の一部が自由フランスを味方につけたからでもありません。彼がシャルル・ドゴールに資金と武器を頼みに来たのですが、彼はまた、「精神的な承認と頻繁で迅速で確実なドゴールとの連絡」も頼みに来たのです。したがって、ドゴール将軍は最初の日の「ノン」の責任を負っていました。どの場所であろうともどんな形であろうとも戦闘を維持すること、つまり、フランスの運命という責任をです。1940年6月のアピールの力が願っていたのは、「まだ発揮されていなかった巨大な軍事力」というよりもむしろ、「フランスは勝利を得なければならない。したがって、フランスはその自由とその偉大さを取り戻すだろう」という言葉でした。フランスの自由と偉大さ、であり、フランス人闘士のそのような軍隊の自由と偉大さ、ということではありませんでした。自由フランスによって、ビール・ハケームのレジスタンス闘士たちは団結し、闘いに臨む闘うフランスを形成していたのです。各々のレジスタンス闘士のグループは同盟相手から武器を受け支援を受けて合法化することができていました。つまり、各々のグループの勇気だけが合法化の手段でした。ドゴール将軍だけが、レジスタンスの諸運動にグループ間であるいは他の闘争と団結するように呼びかけることができたのです。なぜなら、ドゴール将軍を通じてのみ、フランスは唯一の闘争を始めたからです。これが、アフリカ軍が、共産党の軍がしていたのと同じく、プロヴァンス地方からヴォージュ地方まで、ドゴール主義の名で闘っていた理由です。ルーズヴェルト大統領が将軍どうしや政党どうしに敵対関係があると思った時でさえそうだったのです。これが、ジャン・ムーランがマッチ箱の二重底の中に隠して、「ムーラン氏は本土で直接占領されていない地域で、敵と対独協力者に抵抗するあらゆる要素の行動の統一を実現するという任務を帯びている」という非常に単純な命令のマイクロ写真を運び出した理由です。うまずたゆまず、彼はグループのリーダーに、いろいろな監督者の間でレジスタンス運動が分裂することがもたらす危険を説き続けました。ロシア参戦、次にアメリカの参戦、北アフリカ上陸と新しい重要な出来事が起こるたびにその地位は強化されました。上陸してからは、フランスはふたたび作戦の劇場となるのは明らかなことです。しかし、非合法の報道機関や情報は(公的機関への潜入工作行動によって情報が豊かになったとしても)、戦争の規模ではなく占領の規模に見合ったものでした。もしレジスタンス運動が連合国無しではフランスを解放させることはできないと知っていたとしても、その部隊がもたらすことのできる軍事援助はもう無視できないのです。レジスタンス運動は、橋を爆破させるのは比較的簡単であっても、それを修理することは簡単でないとも言えないと少しずつ学んでいきました。一方、レジスタンス運動にとっては二百の橋を爆破させることは簡単であっても、ドイツ軍にとっては二百もの橋を同時に修理することは難しいのです。一言で言うと、レジスタンス運動は、上陸軍への効果的な援助は全体としての計画から切り離せないと知っています。フランスのあらゆる道やあらゆる鉄道で、非合法の闘士たちがドイツの装甲した師団の集中を一定の方法にしたがって混乱させる必要があります。そして、そのような全体計画はレジスタンス運動の部隊によってしか立案、実行できないのです。
ジャン・ムーランは日々苦難を重ねながらこれに没頭しました。一つのレジスタンス運動が終わるとすぐに次のレジスタンス運動へ、というぐあいです。「では、今度は向かい側の怒りを鎮めるようにしよう...。」人の問題が出てくるのは避けられません。そしてさらに、闘うフランスの窮状、各レジスタンス組織や各遊撃グループが別の組織やグループの利益のために腹立たしいまでに確実に奪い取られている状況。同時に、同じ錯覚がその状況に怒りを注ぎました...。ですから、みな等しく解放されるかみな等しく投獄されるかを誓った、ラディカルだったり反動的だったりする運動創設者やモスクワから帰ってきたトロツキストやコミュニストに向かって同じ言語で話すための熱意がどれだけ必要だったか、誰にもわからないでしょう。スペイン共和国の友人には、あるいは、ヴィシー政府によって追放された「ラディカルな元知事」には、そのようなカグールの生き残りを共通の闘いに迎え入れることを要求するのに何がぜひ必要だったか誰にもわからないでしょう!
ジャン・ムーランにとっては、不正に手に入れた栄光など不要なのです。コンバ、リベラシオン、フランティルールといった隊を創設したのは彼ではなく、フルネ、ダスティエ、ジャン=ピエール・レヴィなのです。ジャン・ムーランがノール地帯の多くの運動を創設したわけではありません。歴史はそれらすべての名を記憶しております。彼は連隊を組織したのではなく、彼は軍を作ったのです。彼はレジスタンス運動のカルノーだったのです。
我が国が死の危機にある時、いわゆる政治的意見にはほとんど重きをおかないこと。ただし、我が国とはヒットラーの戦車の轍の下でつぶされていたナショナリズムのことではなく、この世紀を埋め尽くそうとしている不屈の神秘的なこの財産であります。また、ヨーロッパに響き渡る全体主義ドクトリンを我がフランスが間もなく抑制できると考えること。また、レジスタンス運動の単位の中に我が国の単位のための闘争の重要な手段を見い出すこと。それはたぶん、それ以降ドゴール主義と呼ばれるようになったものを確認することなのでしょう。それはたしかに、フランスの生き残りを宣言することであります。
2月、この情熱的な世俗人は、司祭館の屋根裏部屋の中、ロンドンとラジオによる連絡を確立しておりました。4月には情報宣伝局、そして調査総合委員会がつくられました。9月には公的機関潜入作戦。最後に、ドゴール将軍はジャン・ムーランを議長とし、統一秘密軍の長に補佐される組織委員会の創設を決めたのです。先史時代は終わっていました。南地域のレジスタンスの組織者として、ジャン・ムーランはその指導者となっていました。1943年1月、レジスタンス運動連合協議会(解放まではMURSと呼ばれていた組織です)には部長職が彼の代表職の下に設置されておりました。2月には、彼は秘密軍の長であるドゥレストラン将軍とジャック・ダルザスとともにロンドンにまた出発しました。この滞在について、最も感動的な証言がパッシー大佐から出されました。「私はムーランに再会しました。ムーランは青ざめて、私たち全員を締め付けていた感情にとらえられ、将軍の前数歩のところに立っていました。将軍は低い声で言いました。『気を付け。』そして、『我々は貴殿を、名誉の中で、そして勝利によってフランスの解放をめざす我々の同志と認めます。』そして、ドゴールが彼に祝福の抱擁をしている間、名誉と誇りと激しい意思に満ちた涙がわれわれの同志ムーランの青白い頬を伝ったのです。彼は頭を上げていたので、彼の喉越しに、拷問に屈することを避けるために1940年に彼が自らつけた剃刀の傷跡も見えていました。」敵の拷問のことです...。3月には、レジスタンス全国評議会(CNR)を組織して統率する任務を負って、ジャン・ムーランは飛行機に乗り、ロアンヌの北部に落下傘で降下することになります。
このレジスタンス評議会は、フランスじゅうのそれらの運動や政党や組合を集約しておりましたが、一時的に獲得された運動体でした。それと同時に、(1944年6月の)ノルマンディー上陸作戦の際に粗末なレジスタンス軍が解放軍の装甲隊部門を待っているという確信でもありました。
ジャン・ムーランはレジスタンス評議会のメンバーを集めるのにたいへんな苦労をすることになります。彼はまた、レジスタンス運動も悲劇的なまでに変容させられていたことも知りました。かつてレジスタンス運動は、勝利するか死ぬか虜囚の運命に陥るかという結末に直面して軍隊のように闘っていたのです。レジスタンス運動は、強制収容所という世界、つまり拷問の確実性を知り始めていたのです。その時以降、レジスタンス運動は地獄に直面した闘いをすることになります。ナチスの強制収容所についての報告を受けて、ジャン・ムーランは「(われわれを強制収容所に入れる)その前にナチスドイツがわれわれを銃殺する方がよい。」と言います。彼らは彼を銃殺する必要はなかったはずです。
レジスタンス運動は拡大し、強制労働にも動じない者たちが間もなくゲリラ組織に入ることになります。一方、ゲシュタポ(ナチスドイツ秘密警察)も拡大し、いたるところに親独義勇隊の目が光っていました。その時代こそ、田舎では、夜のしじまの中、犬の吠え声まで尋問をしていたのです。武器と煙草を積んだ多色の落下傘が、林間の空き地やフランス中南部の高原地方のライトの光の中、空から落ちてきた時代だったのです。地下室の時代、子どもの声の混じる中、拷問された者たちがあげる必死の叫びの時代だったのです。闇の大いなる闘争が始まったのです。
1943年5月27日、パリのフール通りで、最初のレジスタンス評議会の会合が持たれました。
ジャン・ムーランは自由フランスの目標を改めて話しました。「戦争をすること。フランス人民に発言の声を返すこと。共和国の自由を立て直すこと。連合国との国際的協力を打ち立てるために働くこと。」
そして、彼はドゴール将軍のメッセージを読み上げました。それは、レジスタンス評議会での最初の目標として、ジャン・ムーランが代表しているこのレジスタンス運動の団結を維持することを明言するものでした。
それは、レジスタンス評議会の各メンバーの命を日常的に危険にさらすことでもありました。やっと統一された秘密軍を率いるドゥレストラン将軍が6月9日、パリで逮捕されました。
誰も後継者は出てきませんでした。それは非合法活動ではよくあることでした。ジャン・ムーランはセルールの到着前に何度も言っていました。「もし私が逮捕されているとしたら、補佐の者にそのことを知らせる時間すらなかっただろう...。」と。したがって、彼は運動体、特にフランス南部のレジスタンスのメンバーの合意を得てこの後継者を指名したいと望んでいたのです。彼は21日にカリュイールで彼らの副師団長たちに会うことになります。
副師団長たちはそこで確かに待っていました。
しかし、ゲシュタポもまた、そこで待っていたのです。
裏切りが演じられたのです。そして、運命のいたずらで、いつもほとんど時間を守るジャン・ムーランが45分遅れて来て、そこにちょうどドイツ警察も遅れて来たのです。すぐに、ドイツ警察はそこにレジスタンス運動指導者がいると知りました。
無駄でした。その日、リヨンのモンリュック防塞で、ゲシュタポの憲兵は、ジャン・ムーランを拷問させた後、もう話すこともできなくなった彼に筆記具を差し出しましたが、彼はその憲兵をからかう戯画を描いてこたえました。恐ろしいその続きについては、彼の姉妹の簡単な言葉を聞くだけにします。「彼が自分の役を演じたところで、彼の苦行が始まりました。彼は嘲られ、乱暴に殴られ、頭は血だらけになって、臓器は破裂し、人間の苦痛の限界に達しましたが、すべてを知る彼は秘密をただの一つも漏らしませんでした。
ジャン・ムーランがまだ話したり書いたりできた数日の間、レジスタンス運動の運命は、この男の勇気のおかげで生き延びたのです。姉妹のムーランさんが言った通り、ジャン・ムーランはすべてを知っていたのですから。
ジョルジュ・ビドーが彼の後を継ぎます。しかし、これはとても残忍なまでに高くついたこの黙秘がもたらした勝利でした。運命は大きく揺れます。忌まわしい地下室の中で殉じたレジスタンス運動の指導者よ、われらの同志たちを夜通し見守るあの黒影の女性たちを君の消えた両目で見てごらんなさい。彼女たちはフランスの喪に、そして君の喪にも服しているのです。ケルシーの低いオークの木の下に結ばれた薄布の旗を持って入ってくるゲリラ部隊をごらんなさい。ゲシュタポは高い木しか信じないのですから、このゲリラ部隊を見つけることは決してできないでしょう。ぜいたくな別荘に入り、なぜ浴室を与えられるのかと自問するこの囚人をごらんなさい。彼はまだ、浴槽についての話を聞いていないのです。影に責め苛まれた哀れな王よ、拷問が頻々と行なわれた6月の夜に君の影の人民が蜂起するのをごらんなさい。
[目覚めた家畜の長い鳴き声の中をノルマンディーに上ってゆくドイツの戦車の騒々しい音です。君のおかげで、ドイツ軍の戦車は時間通りには着きませんでした。そして、連合国軍の突破が始まった時、フランスの町という町で共和国の警視たちが現れるのをごらんなさい、県知事よ。殺された時は別ですが。我々と同じく、君はルクレール将軍の勇壮な乞食たちをうらやみました。戦闘士よ、ごらんなさい、君の乞食たちがオークのゲリラ部隊から四つん這いになって出てくるのを。そして、バズーカ砲の訓練を受けた彼らの田舎者の手でヒットラー帝国の最初の装甲部隊の一つ、ダス・ライヒ隊を押し止めるのをごらんなさい。]
ルクレール将軍はアフリカの太陽の中、高揚の行列とともに廃兵院に祀られましたから、ジャン・ムーランよ、君はここパンテオンに君の恐ろしい行列とともに入りなさい。口を割ることなく地下室の中で死んだ君のような者たちと一緒に。そして、口を割ったためにそれはもっと残虐だったかもしれないのです。強制収容所の、縞模様の囚人服と剃り上げられた頭と一緒に。夜と霧の恐ろしい隊列につまずいて、しまいには銃尾の下に斃れた最後の死体と一緒に。労役刑から戻らなかった8000名のフランス人女性たちと一緒に。我らの仲間一人をかくまったためにラーヴェンスブリュックで死んだ最後の女性と一緒に。影から生まれ、影とともに消えた人民、夜の秩序の中の同胞たちと一緒にパンテオンに入りなさい。パリ解放の記念日を祝って、私はこう言ったものです。「今宵、我が国の若人よ、14年前と同じように鳴る記念日の鐘を聞きなさい。今度は聞こえるでしょうか、この鐘は君のために鳴るのです。」»
今日の献辞は、今湧き起ころうとしている歌を思い出していただくためだけのものです。ストラスブールに向けて新たに発されるルントシュテットの戦車と対抗するためにコレーズ県のバズーカ砲が前進する時、私はパルチザンのこの歌が共犯の歌のようにささやかれ、ヴォージュ県の霧の中やアルザス地方の森の中でタボール部隊の羊たちのうつろな声に混じって単調に唱和されるのを聞きました。フランスの若人のみなさん、今日はわれわれにとって何が不幸の歌であったかを聞いてください。それは、遺灰の葬送行進です。2年の兵士たちを持ったカルノーの遺灰、「レ・ミゼラブル」を書いたヴィクトル・ユゴーの遺灰、司法に見守られたジョレスの遺灰の隣で、ジャン・ムーランの遺灰もゆがんだ影の長い行列とともに安らかに眠らんことを。若人のみなさん、今日、最後の日の(拷問で)醜く歪められた哀れな彼の顔や言葉を発さない彼の唇にあなたがたが手を差し伸べるかのように、あなたがたはこの男のことを想うことができるでしょうか。その日、彼の顔はフランスという国の顔だったのです。
(訳:村野瀬玲奈)
(翻訳引用ここまで)
読んで、思います。
日本はナチスドイツと同盟を組んでいました(日独伊三国同盟)から、当時の日本はジャン・ムーランを殺す枢軸国側にいたのです。
そして、日本では、第二次世界大戦に反対して当時の日本政府に弾圧された人々がジャン・ムーランに相当し、弾圧した当時の日本軍事政権がナチスドイツに相当すると思います。日本に侵略されたアジア諸国から見た場合のことは言うまでもありません。
第二次世界大戦に反対して当時の日本政府に弾圧された人々が今でもジャン・ムーランのような評価と尊敬を受けていない日本という国の座標軸は決定的に歪んでいるのではないかと改めて思います。日本は人間への蹂躙や戦争を否定しきれているだろうかとも思います。
築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守りたい。
●Like a rolling bean (new) 出来事録
■2009-12-14 どうしても築地地上げをしたい東京都が集める仲卸への移転関係「ヒアリングシート」と個別面談
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10410404231.html
■2009-12-15 【警戒】前政権の主張に酷似の「卸売市場の将来方向に関する研究会」が10月からどさくさ紛れで開催!
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10411678422.html
■2009-12-16 農水省の継続案件卸売市場民営・流通センター化研究会に東京都も一枚噛んでいると考えざるを得ません
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10412193153.html
■2009-12-16 東京都職員なのに農水省研究会で卸売市場開設者団体の肩書きを名乗る人物が委員に(官製地上げの伏兵)
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10412670465.html
そこに存在する美しい人生と生命と生活を守る切実な要望を
民主党に聞かせるために、
アブナイ日本が
壊れる前にとりあえず何かしたいけどどうしたらいいか
kimeraれない人の役に少しでもたちたくて、
とりにくの
革命鍋を
イル・サンジェルマンの散歩道の
午後のカフェで
みんななかよくつついて、
フランス語の練習帳や
「ユニオン」と「労働ニュース」のアーカイブや
世界の片隅で税制についてのニュースを読んで、
消費税と社会保障と国家予算についての『
知られざる真実』を
大脇道場と
言ノ葉工房と
スーパー小論文ハイスクールと
アジア連帯講座で
1947年教育基本法の理念に賛同して超左翼おじさんや
カナダの日本語の先生から学んだ後で、
労働組合ってなにするところだろうとか、どうしたら
戸倉多香子さんや
保坂展人さんのために
スクラムを組んで
多文化・多民族・多国籍社会で「人として」情報流通を促進できるかとか、
転がるひよこ豆のようにクリームの曲を聞きながら
雪裏の梅花を眺めて
生活の中で感じた疑問や思いをあれこれめぐらせて
日常で思った事、感じた事をつらつら好き勝手に書く、
一寸の虫にも五分の魂で
国会議員定数削減・比例削減に反対するサイバー政治団体秘書のおしごと日誌。
国会議員やマスメディアに意見を届けるために下記を自由にご活用ください。引用、転載、転送、歓迎。
■各種国会議員名簿のポータルページ
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-86.html■官庁への意見送付先について
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-51.html■新聞、雑誌 読者の意見を伝える窓口(未整理)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-49.html■テレビ報道番組のご意見窓口(
「わんばらんす」から)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-50.html●News for the people in Japan マスメディア問い合わせ用リンク集
http://www.news-pj.net/link/media.html
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この部分がスッポリ抜け落ちてる気がします。
この施策で増税されるのは、課税事業ですよね。
今は、免税事業者から仕入れても、月風狼ウィシュマ・サンダマリさん死亡事件について、名古屋地検に起訴処分を求めます #JusticeForWishmaNo title 少なくとも業務上過失致死罪の成立は確実な事案で起訴すらしない検察の態度は理解不能ですが、これは「身内同士のかばいあい」の類のようです。
入管と検察の間では回クテシフォン経済的合理性、法的整合性、科学的妥当性、倫理的正当性、地球環境汚染への罪悪感が東電核発電所からの汚染水放出には欠けている。最後のツイートに火消しのコミュニティノートがついてるのがわかりやすいですね。原発信者の主張が新しかった試しはないのに。
東電の動きの遅さを思えば2018年すら最近でoh suchロシアによるウクライナ侵攻は悪である。すべての軍事侵略は悪である。大日本帝国によるアジア軍事侵攻も悪である。 #あらゆる戦争に反対しますルガンスク出身の少女、ファイナ・サベンコワさん(14)の叫びを聞こう事実を言うとウクライナのネオナチ政権のミロトヴォレツ「殺害リスト」に載る社会。
ちなみにカナダの記者エヴァ・バートレッもそのリストに載っている。英国の記者ヴァネ檜原転石「インボイス制度の中止を求める税理士の会」メモ (インボイス制度反対の理由、輸出大企業の還付金の件など) #インボイス増税反対 #私もインボイス増税に反対します #STOPインボイス 運動を続ける (19)本当に呆れます署名を受け取り拒否したということで、「恥知らず」、「辞めてしまえ」だけでは済まないことです。
真摯さを踏みにじるのは政治家だけでなく、ロクに報道しない業者連中にアンドリュー・バルトフェルド維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)誕生日祝いに個人献金をねだる政治家 維新の会の音喜多駿は日本全国民にこうお願いしました。
【個人献金のお願い】 誕生日メッセージで「おめでとう、何が欲しい?」と聞かれると「こ、個人献金!」と答えTakeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ#汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ汚染水の海洋放出という蛮行を行った自民党政権。
しかし自らの非を棚に上げ排外主義を煽り立てることによりまんまと功を報しています。
いま自民党政権、その補完勢力とマ閉口自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ付け加えると杉田水脈は筋金入りの差別主義者です。
人種差別主義、女性差別主義などなど自民党思想そのものでしょう。
だから日本軍国主義者「安倍晋三」のお気に入りでしたし自民党の閉口「インボイス制度の中止を求める税理士の会」メモ (インボイス制度反対の理由、輸出大企業の還付金の件など) #インボイス増税反対 #私もインボイス増税に反対します #STOPインボイス 運動を続ける (19)#私もインボイス増税に反対します消費税は弱者に負担が重くのしかかる悪しき税制です。
インボイス税制とはその消費税の増税です。
世の中のことは一番弱い人を基準に考えなくてはいけないのが鉄則です。
閉口性暴力についてのメモ女性型社会は権威主義的,好戦的な父権制社会への歯止めになる。 性暴力とは少し外れてしまいますが,御容赦ください。
フォントヴローは西ヨーロッパ最大の領地を抱える修道院群でした。フォントヴローはアンジュ―,トゥレーヌ,パTakeshi自衛隊内の性暴力との五ノ井里奈さんの裁判闘争は続いている。被告人が五ノ井さんはウソをついていると裁判で証言 被告人が五ノ井さんはウソついていると思うと,裁判で証言したそうです。ウソで告発すれば誣告罪に問われるはず。そんな危険なことをするはずがありません。言うに事欠いTakeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。ニーメラー>R2さん
>意義あるのか
マルティン・ニーメラーを知っていますか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title少子化と大学の二極化のなせる業でしょうか
「愛知大学」はかつては「地元ではそれなりの大学、でも全国レベルでは大した偏差値ではなかった」が今はそうじゃない、だから津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。日本の軍国化はしょせん疑似問題内田樹氏の理解ある言葉
今政府は「戦争ができる国」に国家改造しているわけですけれど、これは「ほんとうに戦争をする気がある」からそうしているわけじゃなくて、「そR2反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。Re: 意義あるのか記事の趣旨とははずれていますが、軍事優先主義的な考え方とはどのようなものか端的にわかる実例のようなコメントをありがとうございます。
>そもそも日本が戦争が出来村野瀬 玲奈軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。Re: No title>北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
「正攻法」って具体的に何かよくわかりませんが、ミサイルが怖いなら怖いんじゃ村野瀬 玲奈反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。意義あるのか反戦デモっつっても日本が他国の軍事的脅威に
なると思っているのかな。
そもそも日本が戦争が出来ると思っている者が
いるのが驚く。
まず間違いないのが日本が他国に戦R2軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。No title北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
そんな長者番付よりも信用ならないデータだけ
では事実が見えない。
自衛隊は多くR2自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ杉田水脈「女性はいくらでもうそをつけますから」★1970年代前半の時期に米国のニューヨーク市で、性犯罪分析特別班を設置し、女性の警察官を被害者の面接に当たらせたところ、同市における強姦罪の虚偽告発率は2%であり、檜原転石反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラの祈り>Takeshiさん
戦後、ドイツではショル兄妹を顕彰するために学校の名前に「ショル兄妹記念」と名付けられていたりしますよね。
そして、それが書籍や映画になり、広く語る津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラ事件を思い起こさせる。 ミュンヘン大学でショル兄妹たちは反戦ビラを巻きちらしました。大学の用務員がビラを拾ってナチス当局に届け出ました。ショル兄妹たちは民族裁判所で「国家反逆罪」に問Takeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよソロモン諸島の首相が日本の汚染水海洋投棄を非難 国連総会において,ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が日本の汚染水の海洋投棄を非難しました。IAEAの処理水をめぐる報告書についても,不十分だとしたうえで,「原発Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title 反戦デモに参加したことで学生が懲戒を受けるだけでもすさまじいのに、一番重い退学処分とは・・・。愛知大学は一体何を考えているのか。これが容認されれば萎縮効果は甚クテシフォン維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)維新の会の池上卓は公設秘書として2人の市議を採用 維新の会の池上卓議員(大阪10区)は,公設秘書として現職の高塚市議2人を採用していたとのこと。国会議員の秘書に関しては法改正で兼職が禁止され,例外的に兼職届が出Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No titleそのうち「焚書」とか起こりそうで、冗談じゃなく怖いです。
まさに「新しい戦前」…津木野宇佐儀現行の健康保険証の圧勝、マイナ保険証の惨敗。 #現行の健康保険証を残してください #保険証廃止はありえない #サントリー不買運動No title新浪と成田が格差拡大を正当化する対談をプレジデントオンラインでほざいています。
まあ、救いようのないバカばっかりです。アンドリュー・バルトフェルド弁護士ドットコムタイムズに #維新 の橋下徹を登場させるのはおかしいのではないか。No titleいかにもそれっぽい名称を名乗った(所謂弁護士連合会とは無縁の)営利目的の組織じゃないですか。何せ株式会社ですからね。
ここの発するニュースなんかを見ててずーっと別人28号言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよ二重基準の適用問題No. 1919 福島の核廃棄物:ロシアを非難し、日本を承認
投稿日時: 2023年9月20日
Fukushima’s nuclear waste:Stigmatising Russia, approving Japan
by Richard Cullen
h檜原転石