
少し間があきましたが、「
人の営みが先か、国家の価値が先か (1)」の記事の続きをもう少し。
「国家とはすべてに先んじる不可侵の絶対的存在でもなく、自然人である人民が常に服従すべき絶対的価値でもない、ということを共通認識として持つことなしには現代の『国家』について論じることは現実にそぐわないし、無効である」と
前回の記事で書きました。
前回の記事をもう一度お読みいただきたいのですが、誤解を恐れずに簡単に要約してしまうと、「『国家』という『形式、枠組み』の価値は、そこで生活している『現実の人々』にくらべて、そんなにご大層なものですか?」ということです。
以下にさらに説明します。
まず、森喜朗・元首相の在任時の「日本は天皇を中心とする神の国」発言や、自民党議員から繰り返しよく出る「日本は単一民族」という類の「失言」からうかがえる通り、「日本は単一民族であり、天皇を中心に単一の文化を頂いている」というような考えを無意識のうちに何となく持っている人が日本には少なくないように思います。そして、そういう国家中心的な「国家像」に何となく価値を認める人が少なくないのかなと推察します。
では、私がよく参考にするフランスを例に「国家像」を表現するとどうでしょうね。「フランスはワインとチーズとバゲットと菓子を中心とする食文化の国」でしょうか。「フランスは牛を中心とする農業の国」でしょうか。フランスは「原子力発電を中心とする先進技術産業の国」でしょうか。「フランスは高級服飾ブランドを中心とするモードの国」でしょうか。「フランスはフランク・リベリーを中心とするサッカーの国」でしょうか。「フランスはエッフェル塔とモン・サン・ミシェルを中心とする観光の国」でしょうか。「フランスは論理を中心とする
哲学の国」でしょうか。「フランスはポワンカレとラプラスを中心とする数学の国」でしょうか。「フランスは
ヴィクトル・ユゴーを中心とする文学の国」でしょうか。「フランスはドビュッシーとアコーデオンを中心とする音楽の国」でしょうか。「
フランスはストとデモを中心とする異議申し立ての国」でしょうか。「フランスは人権宣言を中心とする政治思想の国」でしょうか。「フランスはニコラ・サルコジーを中心とする移民の国」(笑...意味がわからない人はこちらの記事『
「移民」についてあれこれ』をどうぞ)でしょうか。
こういうふうに考えると楽しいですが、「国家の枠組み」を当てはめると、たとえばフランス革命前については「フランスはルイ王朝と貴族階級を中心とするアンシャン・レジーム(旧体制)の国」となって、おもしろくも何ともありません。(笑)「国」を語るなら、やはり「国家の枠組み」とか「民族」とか「国籍」とかが先にくるのではなくて、人民の姿や人の営み、その結果としての文化や産業などがまずは先にくるものだと思うのです。だから、「国家の枠組み」を出発点にするのでもなく、「民族」や「国籍」で「区切る」のでもなくて、「人民の姿や人の営み」で広く「語る」方が生産的だし建設的だし楽しい、そう思います。
日本だとこんな感じでしょうか。「米と味噌を中心とする和食の国」、「魚と海藻を中心とする海の国」、「着物を中心とするみやびの国」、...。
次に、その一方で、自民・森発言のような国家中心の「価値観」は、日本国内で生まれて日本語を母語として育っている「少数民族」や「外国人」に対する無理解や嫌悪や排外感情が日本に根強いことの背景になっているとも考えます。排外感情は世界のいたるところにあり、日本だけが最悪ではないでしょうけど、だからといって、日本国内で生まれて日本語を母語として育っている「少数民族」や「外国人」に対する無理解や排外感情が、そのような状態のままでいいとも思いません。
国家について「個人が個人的に」どう考えてもかまわないとは思いますが、国内の少数民族や外国人への無理解や排外感情を促進するような「国家観」を(特に政治家が)率先して広めてそれを国家の共有認識にしようとすることは、控え目に言っても、「望ましくない」と思います。国家が先にあって人がそれにつき従うのではなくて、いきさつはどうであれ、今ここに現実にそれぞれの個性を持つ生身の人がいることが出発点だと思いますから。
ここまでの内容をひとまず二つに要約します。一つには、人々の日々の具体的な営みや身近な生活文化とはまた違うスピリチュアルな(?)ニュアンスを「民族」や「国籍」や「国家の枠組み」などに託して国家という抽象物に特別に読み込もうとする人が特に政治家の中に目立つこと。二つには、国家や文化が先にあって人民が後から生まれたわけはないことが日本では忘れられやすいこと。この二つのことはどちらが原因でどちらが結果はわかりません。しかし、その裏には、(現実は別として)純粋な一民族・一文化・一言語・一国家がイコールで結ばれていることに特別な価値があると信じたがる何らかのメンタリティがあるように思います。
では、日本を越えて世界に目を向けてみましょう。一つの「国家」の中に異なる言語が(母語あるいは公用語として)あり、異なる(人類学的な意味での)民族や異なる共同体や異なる文化が共存し、それぞれの人たちが行き来して、それらが交錯、時には衝突、時には交流して新たな文化を生んでいるケースは現実としてたくさんあります。私自身も、それを自然なことと感じていますが、それは、そのような場面に日常的に普通に接してきて、それが当り前の状態でごく自然な考え方だと思ってきたからです。
たとえば、スイスではフランス語とドイツ語が公用語になっています。スイスにはフランス語圏とドイツ語圏が分かれていて、すべてのスイス人がこの二つの言語を自由に操れるわけではなく、二つの言語文化が共存、並立しています。また、たとえば、ベルギーではフランス語圏、ワロン語圏、フラマン語圏とあり、ベルギー人全員がそれらの複数の言語を自由に操れるわけでもなく、それらの言語圏の間には一種の政治的な対立もあります。一国が一民族、一言語で「統一」されているとは限りません。それはそれらの国の弱点ということもできるのかもしれませんが、文化的個性であり豊かさであるということもできるでしょう。
日本はどうでしょう。スイスやベルギーのような全く異なる「言語圏」として分かれてはいないものの、いろいろな方言を含む日本語圏が大部分で、そこに「アイヌ語」や「琉球語」のような、日本語とは違う言語もあります。(琉球語は日本語の方言と考えるのか別の言語と考えるべきなのか、言語学的な議論はおいておきます。)
一応、標準語がほとんどだいたい日本全国で通じるわけで、その意味では単一言語的ではありますが、もし「アイヌ語圏」、「東北弁圏」、「東京弁圏」、「名古屋弁圏」、「関西弁圏」、「広島弁圏」、「北九州弁圏」、「熊本弁圏」、「琉球語圏」などと別々の言語圏があると考えるとどうでしょう。単一の日本民族があるというよりも、「東北系日本人」とか「関西系日本人」とかいろいろな「文化」が「民族」が日本ではいろいろと混ざっていると考えたら、「国家像」について日本人は「単一民族」という幻想から解放されてもっとおおらかになれるような気がします。言語圏によって「区切る」のではなくてね。それぞれが「違う」と同時に、共存し、混ざっている、そう考えれば「単一言語」、「単一民族」、「単一国家」と考えるよりも豊かな「国」とは思えないでしょうか。
それぞれの文化や民族や言語にはそれぞれの特徴があり、それは楽しいことなのだと考えることは、私たちの気持ちを豊かにするうえで大切なことだと思います。それぞれの方言や地方文化についても同様です。たとえば、「関西民族」には
関西汁という特別な体液が流れていて関西民族の文化的アイデンティティとなっているという説もあるくらいです。(違)
...話がそれましたが、たとえばヨーロッパでそういう人々の様子に日常的に接すると、純粋な一民族・一文化・一言語・一国家がイコールで結ばれていることに特別に秀でた価値があるとするメンタリティがピンとこないと言いたいのです。「一民族・一文化・一言語・一国家」の純粋性を守ろうとする動機も私にはピンときません。
さらには、「在日韓国・朝鮮人」という存在を日本人とは別の特別なものとしてことさらに区別する必要や動機もピンときません。「在日韓国・朝鮮人」をある種の「日本人」が「在日韓国・朝鮮人」という属性のゆえに攻撃するのは、「ピンとこない」を超えて、おかしなことです。
私たちの社会にはいろいろな文化や民族が混ざっていると考えれば、特定の民族を指して差別したり排除したりする考え方から距離を置くことができるのではないか、ということを言いたいのです。差別や排除の社会構造を地球上のどこでもなかなか解体できないで苦労しているからこそ、そう考えたいのです。
いろいろなところから来たいろいろな人々が偶然そこで出会い、それぞれのバックグラウンドを持ち寄ってすったもんだしながらも共存をめざして行なわれる人間の営み、あるいはそのような生活空間が確立された後にはじめて、国家をどう組み立てるかが語られるべきだと思います。
そういう意味から、人々の営みがまず尊重されなければ「国家」について語ることができないとも感じるのです。そういう私の思いからは、国家とはすべてに先んじる不可侵の絶対的存在だと思おうとしても思えないし、自然人である人民が常に服従すべき絶対的価値だと思おうとしても思えないのです。人々が団結の象徴としてある「基準」を選び、それがたまたま同じ国の「同胞」たちであるということはありえると思いますけど、それであるにしても、「同胞」選びの基準が独善的、排他的であってはいけないと思います。
そういえば、「国柄」という言葉もありました。ある種の超保守的政治家が使いたがります、「現行の日本国憲法には国柄が書いてないから改憲して国柄を盛り込まなければならない」とかなんとか。「国柄」という言葉を使いたがる政治家層は、日本国憲法を国家主義的な方向に、そして、反立憲主義的な方向に変えようとする人々や政治家層とかなり重なる、というイメージが私にはあります。ですから、「国」という枠組みを人の営みより優先しようとする動きには警戒してしまいます。
そもそも、憲法はそういう種類のものを政治家が書きこむ文書ではなくて、主権者である国民が国家に守らせる基本的原則を書いた基本法なのですが、それはひとまず問わないとしても、それは「外との交流で生まれて発展する強くダイナミックなものではなく、外との交流によって弱まって消えてしまうひ弱なものだ」と、「国柄を憲法に書きたい」その種の政治家は考えているらしいと想像できます。そうであるなら、そのような考え方は、「国柄」に当てはまらないものを見つけて排除する方向に行くだろうなと想像してしまいます。そういう意味で、そのような政治家が言う「国柄」という言葉に首をかしげる私です。
「国」、「国籍」、「民族」、「言語」、「文化」で区切るのでもなく、もちろんそれらの間に上下関係をつけるのでもなく、異なる「国」、「国籍」、「民族」、「言語」、「文化」を排除するのでもない考え方を持とう。「国家」の枠組みではなくてまず「人の営み」を尊重しよう。そう思います。
私の考えをつらつらと書いてきました。整理しきれなかったところもありますし、私の感じ方を「日本の国柄」(笑)として全日本人に押し付けようとも思いません。というか、この文章を書いてきて、私が国籍上の何人であるかすら、もうどうでもいい心境になりました。(笑)もっと自由に「国家像」をとらえようとするおおらかな考え方や価値観が日本にもう少し広まれば日本ももう少し住みやすくて生きやすい国になるのになあと思います。
結論として私がここに書きとめておきたいことは、抽象的な「国家」への思いや抽象的な「国家」への価値づけは人それぞれであり、他人に強制するものではない、ということです。それでよいのではないでしょうか。
国籍について、関連記事をいくつか。改めて明記しておきますが、両親の国籍が違う場合に子どもの国籍をどうするかということについては、「国家の都合」よりも「個人の立場」が先に考えられるべきであるということから、二重国籍を原則として認めることに私は賛成です。「二重国籍を認めるとそれを利用した不正があるぞキイキイ」という「意見」には、それへの対処は単に法律上の技術的な問題にすぎず、原則をくつがえす論点ではないと思います、とあらかじめお返事をしておきます。
■国籍法改正とDNA鑑定をめぐる松浦大悟・参院議員の発言は良かった。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1022.html■国籍は誰のもの? (3) (二重国籍をめぐって、また、カルデロン一家への特別在留許可を求めて)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1076.html■国籍は誰のもの? (4) (「夜の思想」さんのコメントから)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1082.html追伸これも見てください。
●Rue 89「日本が普通の人種差別にノンを言うとき」
http://www.rue89.com/2009/06/16/quand-le-japon-dit-non-au-racisme-ordinaire訳はしないけど、写真を見てね。
築地市場の豊洲移転に反対して食の安全を守りたい。
●Like a rolling bean (new) 出来事録
■2009-06-03 お東京都様の豊洲移転洗脳資料、疑問解消BOOKの「誰がどう見ても疑問炸裂」な点(4)
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10273085922.html
■2009-06-04 今年の築地市場移転中止デモ「壊すな築地 6.27 東京大行進II」のテキスト版チラシ
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10274269214.html
■2009-06-09 都議選候補者への築地市場移転賛否公開質問状が提出されています
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10276313076.html
■2009-06-11 5月21日の築地市場にて、国会議員の前でぬけぬけと、お東京都様が述べ立てたこと(音声より)
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しかしながら、以前貴ブログで何度か取り上げたはずの、日米FTA、いままさに国会で、衆議院本会議で11月19日にも採決さかせだ勝太日本政府・行政お抱えの広報機関となっている、笑えない吉本興業NHKなど主要マスコミ桜を見る会の報道については、こちらなどではアベチャンネルなどと揶揄されるNHKが意外と頑張っているという見方を見ることがあります。
今、とても大切な押し切れるかもsuterakusoローマ法王が元従軍慰安婦の被害者女性と面会ローマ教皇フランシスコまもなく来日 ローマ教皇フランシスコがまもなく来日するにそなえて,学校法人上智学院は2019年10月26日にマスコミを対象としたミニ講義と質疑応答を上智大学で実施しました。答えたのTakeshi首相になった63歳児ちょっと作ってみました。 ちょっと俳句を作ってみました。、
季語がないのはご容赦ください。
・ 野次言うな こんな人たち 拘束し
・ 野次言うぞ 安倍が手をすり 足をする
・ Takeshi鳥取県の女性差別的婚活パンフヨルダンにおける女性を抑圧する男性後見人制度に関心を持とう。 ヨルダンにおいては,女性が婚外での性交渉や後見人の許可を得ない無断外出をすれば,当局に拘禁されたり「処女テスト」を強要されるおそれがあります。婚外で出産すればTakeshi嫌韓の代償を払う日本「在日韓国・朝鮮人」とは 金村詩恩さん(1991年生まれの日本籍在日コリアン3世)が次のように述べています。
「わたし,『北朝鮮』じゃなくて,『朝鮮』って言ってほしいんですよね」。
民族Takeshi嫌韓の代償を払う日本3・1独立運動100周年をめぐる韓日政府の動き 長尾有起氏(日本基督教団から韓国基督教長老会へ派遣されたミッション・コーワーカー,いわゆる宣教師)は次のように述べています。
この原稿の依頼をいただいた際,Takeshi嫌韓の代償を払う日本「反日」と「嫌韓」 長尾有起氏(日本基督教団から韓国基督教長老会へ派遣されたミッション・ワーカー,いわゆる宣教師)が次のように述べています。
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(GAMTakeshi