コメント
もっともらしいが
自由な往来を認めた法務省の判断は妥当」と言ってました。
そこはまあアリなのかなとも思いましたが、その後がいけません。
番組内でリスナーアンケートを取ったら、90%が『判断は妥当』としたのを踏まえ、
「感情は感情として判断したのはいい。
西松の件でも国民の食いつきが検察の思うようになってないのと同じ」と
宣いました。
リスナーの意見は「通学を放置した蕨市は怠慢だ」、
「これ以上感情に訴える報道は止めろ」と
前段で宮台氏が示した一定の理解とは真逆ですし、
まして西松の件は性格が全く異なる話。
それをごっちゃにするのは不見識。
新聞社説が「許可しろ」に対してリスナーの反応、
西松の報道と読者の反応が似るとはいえ。
これは私は誤りだと思いますよ。
どこの社会にも秩序はあります。
その秩序はその秩序体系の中での強者を作ります。
これはほぼ間違いなく出来ます。
重要なのは「その秩序体系の」と言う事。
秩序根底から崩壊すれば強者も弱者もありません。
法も秩序維持の為に生まれた物である事を考えれば、性質としては同じ性質を持ちます。
法治主義でも民主主義でもチャーチルの言った事がほぼ間違いなく正解です。
制度は完全にはなりえません。(だから諦めろと言う事ではないですが、「完璧で完全な制度」などと言う幻想は捨てましょう)
法治国家を言うならば、在留特別許可も法律が認めた制度、何のために入管法という法律がこういう制度を認めているのかを考えてみる必要はあると思います。
為政者が定める法。
そういった社会においては為政者の権力=社会秩序ですから、そういった観念でもまあ問題はないのかもしれません。
しかし、少なくとも近代市民法は秩序維持のために生まれたのではありません。
権利侵害規制のために生まれたのです。
欧州で発生した近代市民革命の歴史を見れば、それは自明ですね。
ブログ主様のおっしゃる弱者とは、おそらくではありますが、権力、すなわち強制力を有しない人々を指すのでしょう。これはどのような秩序体系であっても同じ意味を持ちます。
以上により、法は強制力による権利侵害を規制するためのものであり、それは強制力を有しない人々、すなわち弱者のためにあると考えても問題ないでしょう。それ(権利侵害規制機能)が結果的には秩序維持に資するというだけであって、言ってみれば法の秩序維持機能は副次的なものです。
ちなみに、権利とは前国家的、前秩序的なものであり、それは存在するならば例外なく侵害してはならないものです。
為政者とか(溜息)
まぁ、私の考えをよーく理解した上で言っているのであれば、
別にその批判も貴方の意見として承りますけど…。
ブログ主の意見への見方が間違っていると言う批判なら承りますけどね。
まず聞きますけど、権利って「本質的に」どう言う物でしょう?
逆説的に聞きましょう。
「権利は秩序じゃないんですね。法でもないんですね。」
お答え下さい。
私が言ってるのは「権利」も法として含めた範囲の話ですよ。
「所有」や「占有」が他人の存在を害する事だってあるでしょう。
誰かの所有権を認めて、無限に認めて、生存権は守れますか?
権利も法もエゴとエゴ・人と人の調整装置です。
>権利とは前国家的、前秩序的なものであり、それは存在するならば例外なく侵害してはならないものです。
本質論で申し上げれば「自由とは勝ち取る物」です。
しかし制度的に「自由である権利がある」とした場合、「自由とは与えられる物」です。
「自由である権利はない」とすれば守る必要はありません。
ちなみに、こちらに言及しなかったので誤解を与えたのかも知れませんので申し上げましょう。
>「なぜ秩序が保たれなくてはならないのか」
「社会が混乱するからです。そして社会が混乱すればその社会の構成員の安定した協力生活が危ういからです。弱者が出ようが不公平や不平等がある程度出ようが、無秩序でエゴとエゴが裸でぶつかり合うような事が起こるよりはまだマシだからです。まして人間は単体としては弱い方から数えた方が早いですから。
今回の件の秩序が必要な秩序かや、他により良い方法がないのかは議論の余地はありますが、少なくとも秩序を保つ必要がある理由は以上です。」
更に聞きましょう。
1,「権力」に実体はありますか?
2,実体がある権力はなんと呼ばれますか?
3,権力は「誰が」その権力を許しましたか?
まして制度上議会制民主主義(と言う名目)なんですから…。
今の権力者は(便宜的に)誰が許したかなんて…。(--;
1,無いですね
2,「武力」「暴力」ですね
3,権力支配化の「民衆」または「特定の賛同者(これは暴力支配の場合)」ですね
まぁ、非賛同者は「民衆」であっても居ますから、「多数、または支配下のほぼ全ての賛同者」か
「少数の賛同者」と言う程度でしょうが。
ああ、あと
道徳的に見て革命は正当視されよう。
エイブラハム・リンカーン
この言葉はちゃんと持ってるので安心してください。
秩序を保つ為にも反対派を生むような秩序は間抜けです。
それは「革命」を起こさせかねませんからね。
ただ、それでも利害や自由、エゴの調整の時に、逆に他者の権利との衝突が起こる事はあると言う事です。
合法的弱者や法や制度・秩序があるからこその弱者だって居るのに、
法が弱者を守る為と言うのはアホ臭いとしか…。
児ポ法のアメリカのあほな運用の仕方と言い(15歳の少女が自分の写真を彼氏に送って彼氏ともども捕まりましたとさ)、
言論弾圧の歴史へ疑問を挟んだりするのも禁止と言い。
思想弾圧で訴えて良いですか?(溜息)
そうと見えたのは事実だしそうとしか思えなかったのも事実でしょう。
まして歴史についてなんて、現実に現在の政策決定に関係なくなったらもうどうでもいいだろうがと。(溜息)
何だ?
この場合、目的は『秩序の維持』なわけで、例えば法によって『保護』される権利は言ってみれば二の次なわけだ。秩序維持のために権利侵害を行うこともまた、当然視されるということになる。ややラディカルかもしれないが。
以下本題
>「権利」も法として含めた範囲の話
なら、権利が法であることは当然ではないか。
しかしそれは『本質的』ではないな。『法としての権利』を論じよといっているのだから。
・・・ひょっとして、あなたはあれか?
自分のいいたいことがどういうことなのか、わかっていないのか?
まあいい。
権利とは、その名のとおり『人として正しいこと』だ。
そしてそれは、正しいことなのだから当然だが、実現されなくてはいけない。
そのために法がある。
その実現が秩序となる。
これ以上明瞭に何を述べよというのか。
もちろんそれは普遍的なものであるから、ある特殊事例だけがその実現効果に与るのであればという思考実験は無意味だ。
ある所有権の実現が他の所有権を侵害するのであれば、当然その実現には制限がある。これを内在的制約という。権利濫用論でおなじみだ。
ちなみに権力とは強制力のことで、別にいわゆる身体的暴力や武力だけを指す言葉ではない。
前にもこのブログのコメント欄のどこかで書いた。
とりあえず、質問は一度に一つだけにせよ。
だらだらとまとまりのない言説を開陳した挙句場当たり的に的外れな質問を放られたところで、私としては『そんなこともわからずにこの話をしているのか』としか言えない。
常体文で失礼。
根本的に秩序に対する考えが違うんですね…。
根本的に秩序の維持が必要な理由や秩序その物への考えがずれてるのか…。
秩序が必要なのは何の為かと言う事で、「人の為にある」と言う前提です。
「協力生活」が送れない社会で人の生活が守れるか考えて見ましょう。
「弱者の為」ではなく「人の為」です。
制度上の強者も弱者もひっくるめて「人の為」。
あと、私が言う弱者・強者は「権力を持たない人間」ではありません。
特定制度上で「不利」な人間、「有利」な人間です。
(経済と言う制度の中で、生まれながらに裕福な人も居ますね?)
だからこそ「その秩序が必要な秩序かは論議の余地があるとして、秩序は必要」と言ってるのです。
「法の支配(法の正当性・合理性)」の概念は理解してますよ。
しかし、それすら「正当性・合理性に即した」「法による」「秩序維持」に過ぎません。
私が言う「秩序維持」とは「正当性・合理性に即した秩序維持」の事です。
もっと言えば世の中には「正当で合理的」な事だけではありませんから、「法の妥当性」まで含めます。
経済的に「不利」な者が不公平だ・理不尽だと言う、その言葉は「正当」かと私は思いますが、
残念ながら「もっといい制度考えてくれよ」としか言えません。
(むしろ極論を言えば「完全に正当で合理的」な事がないとすら言えます。
物を生産した分だけ報酬を得る事も「正当」でしょうし、生産活動弱者が十分な生活を保証される事も「正当」でしょう。
また、「十分な生活」がどの程度かは認識の完全な共有は難しいでしょう。)
だから「正当性・合理性・妥当性」と言う基準は「弱者が泣かされる」じゃなくて、
「弱者も強者もなく人間多数が滅びかねないからだよ」と言う話です。
大体、法に正統性も合理性も妥当性もないのであれば、道徳的に見て革命は正当化されると思っています。
更に言えば「一人でも理不尽だと思う人が居れば、その人にとってはその革命や運動は正当だ」と言う事実もあります。
しかし、革命やその様な運動は社会を混乱させ、協力生活を阻害します。
その結果として、脅かされなくて良かった人の生活が脅かされる可能性がある事を考えれば、
「正当な革命」がありえない社会にする方が良いのは当たり前です。(現実に可能かは別として)
>秩序維持のために権利侵害を行うこともまた、当然視されるということになる。
法が有名無実になって、秩序が守られずとも、それで人の権利や生活が守れるなら、
いくらでも法を無視して権利を優先させてください。
人の権利の為に法を恣意的運用でも何でもしてください。
本来は交通法規も守る必要なんかないですよね。
あれは間接の権利保護ですし。
銃刀法なんかはまさに疑わしきは罰しましょうなのでむしろ訴えていいですよね?
人に当たらなければどこで撃とうが振り回そうが良いでしょう。
何が過剰で何が妥当かの判断は人によるかと思いますが、
「直接的」には他者の権利侵害にしかなって居ないものは普通にありますよ?
児ポ法だってアメリカみたいな法規にすれば、「児童を守る為と言いながら児童を捕まえるアホ法規」ですしね。
そうじゃなくったって、もしも成人になっても「恐い」「嫌だ」と思うような事がない人であれば、
本人にとってすら「自由の侵害」にしかなっていないのですから。
(小学校は親への依存心が強いでしょうが、15歳以上辺りからは、
相当、そう言う人(18超えても同じ価値観)も増えてくる気がします。
まぁ、エロチカとポルノと言う境界も非常に微妙ですが。
グラビアアイドルなんか16くらいから初めて20歳までとか普通に居ますが、
「グラビアには性的要素はない」なんて言ったら「日本社会勉強してら」としか言えません。)
また、書いた様に、ホロコースト否定についたって、行うべきは説明と教育であって、
捕まえて刑務所放り込んでも仕方ないでしょう。
意図して捻じ曲げているなら「詐欺罪」のような立件も出来るでしょうけど、
単純に「こう言う情報からない気がする」と言うだけで捕まるなんて、逆であれば、
「地動説を唱えたガリレイを権力を持って迫害するキリスト教会」でしかありません。
まぁ、別の形を言えば、「今、天動説を唱えたり、ビッグバンを否定したり、時空間一元論を否定したら捕まるか?」と言う物。
しかし、法と言うのは実効性が担保されなくなり、法と言う存在自体が疑われれば意味がなくなります。
また、法と言うのは運用上、出来るだけ恣意性を含まない方がいいのです。
恣意性を持って運用されると、まず守る側が範囲が分からない為に過剰な抑止を要求されます。
更に、悪意や特定層の持つ正義(一部のキリスト系保守みたいな)を持って、
その恣意性が含む余地を運用される可能性もあるからです。
ですから、出来るだけその社会の構成員や法に関係する者にとって「分かり易い」事が求められます。
(まぁ、そもそも法律自体が知られてない事もしばしばですが…。
配偶者への在留許可も日本は基本は3年までなんですね。
国際結婚した後に更新忘れて…と言うケースがあったようです。)
そう言った事情を総合して、「法」は「弱者保護の為」ではなく、
「(法の支配として正当性のある)秩序維持の為」だと言ってる訳です。
>権利とは、その名のとおり『人として正しいこと』だ。
どこがその名の通りなのか良く分かりませんが、定義は「人が有する資格」の事です。
「人間が」ではなく「人(個人)が」有する資格です。
(もっと言えば「主体」が有する資格。国連の国家主権主義も国の権利を定めてるような物です)
「国民は」「万人は」と対象を指定する言葉がつくのが本来の用法。
一般に「社会的・道徳的正当性に裏づけされた」物である事は確かですけどね。
ちなみに、それを「正当だ」と認めたかどうかは「憲法」で決まります。
「共有し守るべき物だと認識する」事が運用上の全ての始まりです。
また、その後にも、どの程度守れるかは「妥当性」やそちらが仰る内在的制約(他者との調整)と関わりますけどね。
交通法規は「正当な法」ではなく「合理的で妥当な法」です。
権力に対する批判精神を失ってはいけない
法秩序が無色透明・中立公正であるべきであるという主張は、理想論としては支持しますが、あくまで「現実と乖離している理想論」に過ぎません。
法の正当性と法の遵守
「正当な革命の存在しない社会」を(現実に可能かは別として)、と書いてるのに理想論に過ぎません。
と再度書くのは何故よ…。(笑)
どっちかって言うと「権力者」の「権力闘争」の材料としての「無色透明・中立公正」がないと言う批判だからでしょうか?
法秩序が無色透明・中立公正であるべき→
でも現実に「現実」がある以上無理に決まってるでしょう→
だけど「社会秩序」が無いよりは「大抵の場合」は「マシ」だと思いますよ。
が私の意見です。
私は権力への批判意識・法律への懐疑を否定はしてますか?
私が危惧しているのは方法として「法律は変えないけど今回は破っちゃおう」を常態化する事です。
それが多くなれば「法を破る人もただの運の悪い弱者」と言う事です。
飲酒運転撲滅なんてひどいわーと酒好きに言われて
「せやから酒飲むねん」と言うのをちゃんと「許容」できますか?
法律で罰するなと言えますか?それが言えないのであれば「秩序がなくても良い」「法が守られなくても良い」と言う考えを改めて欲しいと思います。
と言うか書き方が悪いからですかね。
「秩序を創るため」に「法」を作る。
そして「法」が守られる事で「秩序」が維持される。
法に不足や穴があれば見直すのは「より目的にかなった秩序」の創造の為に許されるです。
そして秩序の創造される理由は「人の為」です。
つまり、秩序の為には法が正しい事も法が守られる(担保される)事もどちらも欠かせないのです。
「権力」の暴走の監視と「法律」の遵守と、「法律」の監視(正当性への疑念)はそれぞれに別の物です。
「正統性が無いと思うから法を変えた方が良い」と言う言葉を否定しているのではありません。
「今この場で変えよう」でも良いと思います。
ただ、逆に言えば、「法律は変えないけど今回は破っちゃおう」を常態化すると、
「その破って良い基準はなんなの?」と言う事になりかねないと言う事です。
明確に説明出来ないのであれば、あの時は許したじゃない。となります。
だから、私としては法律は「執行せよ」か「棄却せよ・改めよ」しかないと思うわけです。
それを出来る環境が民衆に無い事は制度上の問題点であるとは思います。
また、人民への権利侵害も、例えば、スイスなどは国民投票の結果、
国内から発電施設が消えて隣国から電気を買っています。
それを「世界中」でやったらどうなりますか?
まぁ、少なくとも電気使いたい奴が「反対」をするだけで居たら、
「モンスターの巣窟」ですよね?
「電気は要らないから発電所を作るな」と言うのであれば正当な要求なのでしょうけどね…。
そう言う事を考えると「権利の侵害が当然視される」は「こんな状況じゃ当然だろう」と言いたくもなります。
「お前らのカルト人権教には付き合ってられん、電気の無い生活に戻るか、発電所を創るか選べ」となります。
権利の保護ばかりを考えて現実に維持の出来ない要求を出してくるのであれば、
「要求棄却」とされても仕方ないでしょう。
ただ、ちゃんと自分の権利と現実の環境を考える気があるならば、
権利を棄てさせるだけの合理的「公共の福祉」があるかを論ずる事はむしろ必要です。
これを論じない事はまさに「権力の暴走」を許しますからね。
まぁ、と言っても民衆が本気になれば、権力なんて言う幻想はすぐ壊せるんですけどね。
(権力の担保は物資・武力・暴力くらいです。
そのどれもが、原理的には「民衆」に依存する物ですから、
法(貨幣・所有権)を無視して物資を奪って、
武力と暴力をなくさせれば、
民衆全員で「私はお前に権力があると認めない」の一言で終了です。
だからこそ「権力なんて幻想だ」と言う訳です。
担保する物が存在しない権力など、共有認識がなければ、
「夢想家の戯言」ですしね。
そして権力は共有認識される事なく「担保」がされないから、
基本的には「共有認識」または「利害の一致」が最初です。
まぁ、抵抗の時には現実として一致団結が難しい面はありますけどね。)
組織も法も秩序も、矛盾をその中に孕んでいます。
「維持されない」「共認がもたれない」では「存在出来ない」
「有名無実」となる。
権力の法則を使えばまさに「夢想家の戯言」となりかねない。
しかし、また、「人の為」に生まれた物なのだから「人の為」にならなければ「破壊」「存在消失」が正当化される。
そして、それなら「なくていい」のかと言うと「いや、無いと生活の維持が困難」と言う事です。
まさに「人の為」にこそ秩序が必要であり、組織が必要であり、
法が必要とされたのです。
この矛盾がある以上、「一辺倒にこう」などと言う事は出来ません。
私たちは組織や法に「実体」を持たせる必要があります。
幻想に「力」を持たせる必要があります。
何故ならそうしなければそれらの物は幻想であるが故に儚く消えうせ、
当然、それが存在する事による恩恵も一緒に消えてしまうからです。
しかし、逆に私たちは組織や法が「正当性があるのか」「合理性があるのか」「妥当性が足るのか」と見なければいけません。
そうしなければ幻想に持たせた偽りの力が「人々」を傷付けるからです。
バランス取りの話です。
「黒か白」ではなく、理念の「白」と現実性の「黒」の間で、どう言う運用方法を作っていくのかと言う事です。
…率直に言いますけど、白を唱えるだけの人はスイスの発電施設と同じです。
それが長期的に見て「黒」を多く生む事を考えない。
しかし、黒だけ言って白を全て棄てれば目的と手段が逆転します。
それはまさに「黒(非)」です。腹黒です。真っ黒です。
だから、「法の是非を問うのは正当」だが、同時に「法は守るべき物と言う認識はされなければならない」のです。
ちなみに、本当の意味で「権力」に「実体」があるなら、その「権力」は、
「より大きな権力」によってしか制御出来ません。
そう言う意味では世界は単純です。
「警察」「政府」と言う権力の暴走が始まったら、「民衆」と言う権力で制御するしかないのです。
軍の暴走と言いますが、あんな物、昔の徴兵制があった頃なら、
馬鹿な上官を「一般兵」で暴行すれば殺せます。
「執行者」も「司令者」も彼らが渡した「暴力」で「一般兵」が集まって殺せば終わりです。
むしろ今の警察や自衛隊の方が、自衛隊の隊員だけが「暴力」と言う、
権力の担保を人数に比してやたら大きく持つ意味で危険です。)
前回の発言から引用すると
>しかし、法と言うのは実効性が担保されなくなり、法と言う存在自体が疑われれば意味がなくなります。
>むしろ極論を言えば「完全に正当で合理的」な事がないとすら言えます。
>法が有名無実になって、秩序が守られずとも、それで人の権利や生活が守れるなら、
>いくらでも法を無視して権利を優先させてください。
>人の権利の為に法を恣意的運用でも何でもしてください。
>更に言えば「一人でも理不尽だと思う人が居れば、その人にとってはその革命や運動は正当だ」と言う事実もあります。
>しかし、革命やその様な運動は社会を混乱させ、協力生活を阻害します。
>その結果として、脅かされなくて良かった人の生活が脅かされる可能性がある事を考えれば、
>「正当な革命」がありえない社会にする方が良いのは当たり前です。(現実に可能かは別として)
ばらばらぐちゃぐちゃなのは確かですが、権力の行う行為や法律へ疑念を挟むなとは言っていません。
最近、そうなったのか、あるいは以前からそうだったのかK.Minaイギリスでは嘘の答弁をしたら議員失職になる可能性があるそうです。日本の自民党政府も、そうあるべきです。自民党議員が半分そんな事が日本でも適用されたら、自民党議員は半分になってしまいますね(爆笑)
忘れてました…維新もです(爆笑)
どちらも大将から嘘つきですから。K.Mina日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。カッセル大学で「平和の少女像」が撤去された。ドイツ中部の州立大学、カッセル大のキャンパスにあった「平和の少女像」が2023年3月9日,突然撤去されました。旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する少女像は昨年7月,同大学Takeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。冤罪による処刑阻止のために死刑廃止が絶対に必要。「冤罪袴田事件 検察庁は再審開始を認めた東京高裁決定に対して特別抗告をしないでください」のアクションに賛同した私は,電子署名を行いました。先日,弁護団の戸舘圭之Takeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title今回の袴田さんの再審決定の件を、メディア(特にTV)がWBCで過剰に騒いでかき消しているように見えてならないです。
冤罪を生み続ける警察・検察を徹底的に批判して、今後月乃兎袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title>検察を起訴し検察を有罪にすべきだとすら思います。
全く同感です。yoshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title『袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blogewkefc自民党の城内実・衆議院議員から国連人権弁務官への攻撃発言がひどすぎるNo title杉田水脈を総務政務官に任命したのも絶句でしたが、よりによってこいつにLGBT特命委員会事務局長をやらせる岸田文雄の思考法が全く理解できない
自民党LGBT特命委員会事務名乗るほど者ではありませんが差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約日本は永遠に「差別主義者が幅を利かす国」なんだろうな。これはWBCでの一幕なのですが、旭日旗を振り回して悦に入る日本人……
旭日旗がどのようなものなのか理解していればこんなことには、とも以前は思っていたのですが、どうも最未来バイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪決して謝罪しないアメリカが謝罪した希少例ヒトラー・ナチスの手本は、米国の黒人差別法と先住民の強制収容所だった。
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html
優生学の親玉アメリカ問題は、それを巨大檜原転石ヘイト批判記事を書いた神奈川新聞の石橋学記者を「名誉棄損」として一部敗訴させた横浜地裁判決はおかしい。石橋記者の話を聞きます石橋記者を講師にオンライン講演会をします。
詳しくは
https://jcjkikansh.exblog.jp/32922330/ywatari4障害者自立支援法訴訟、和解へ重度の障がいを持って生まれた子の養子縁組 NPO法人みぎわは,障がいを持って生まれてくる赤ちゃんの特別養子縁組をあっせんする日本で唯一の施設です。中絶は年間20万件ほどあるそうです。協力病院の産婦人科医師Takeshi死刑FAQ (適宜更新)袴田巌さんの一刻も早い無罪を切望する。 2023年3月13日, 東京高裁は「無実の死刑囚・袴田巌さん」の再審開始を決定しました。決定で注目すべきは、決定理由中に,「捜査機関が証拠を捏造した可能性が極めて高いTakeshi自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる#自民党に投票するからこうなる安倍チルドレンの高市氏は、総務大臣だった当時「行政指導に従わない放送局は電波停止にする」という恫喝発言で大炎上を巻き起こしました。
今回の文書の内容はこの恫喝発閉口強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)自民党の十八番自民党の十八番
当初は任意であるといっておきながらいざ決定となると強制にしてしまうのが自民党のやり方です。
思い出されるのは1999年に成立した国旗国歌法、大日本閉口WHO(世界保健機関)が日本人事務局長を人種差別的言動を理由に解任人種差別発言あれこれ 葛西健の人種差別発言とは,
フィリピンにある事務局での地元フィリピン人スタッフに詰問。
「太平洋地域の人々を何人殺してきたんだ?そして,さらに何人殺したいんTakeshi強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)No title 現在、市町村でマイナンバーカードを交付する際には、裏面のマイナンバー、性別、臓器提供の意思表示部分を隠すためのビニールのカバーを一緒につけています。ところが、クテシフォン議員定数を減らすと真っ先に被害を受けるのは誠実な政治を行なう政治家や政党である (大阪の例)No title「議員定数」…地方でも身分・収入が保証されれば「土建屋」だけでなくシングルマザーの方などの参政権も平等なる、否、弱者こそが政治に物申す制度を構築していかなければ月乃兎건곤감리 乾坤坎離 (独立運動記念日)/ 다이아 (DIA ダイア) (不定期連載「気まぐれK-POPプレイリスト」)韓国における過去の歴史の再検討 KPOPの話題からは外れますが,韓国における過去の歴史を再検討する16の法令が施行されていることを紹介したいと思います。
【日本の植民地支配関連】
東学農民革命Takeshi強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)税申告書先日、所得税確定申告を済ませました。税理士にお願いしました。申告書にはマイナンバー記入欄がありますが、毎年記入していません。それによるお咎め、例えば税務署からの苗とともに国際女性デー (追記あり)今年の国際女性デー近辺のできごと3月8日は国際女性デーですが,その近辺で日本で起きたことは。
3月7日,高市早苗に捏造呼ばわりされた放送法にかかる文書が公文書であることを自民党政府が認めた。
Takeshi自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる自民党が言っていることは支離滅裂 高市早苗も世耕弘成も公文書として外形は真性だが、自分に関する記述はウソだと言いだしました。いったい官僚が内容虚偽の文書を作って何の実益があるのでしょうか。公務Takeshi議員定数を減らすと真っ先に被害を受けるのは誠実な政治を行なう政治家や政党である (大阪の例)No title『議員定数を減らすと真っ先に被害を受けるのは誠実な政治を行なう政治家や政党である (大阪の例)』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9016.ewkefc自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる自民に政権担当能力もガバナンスもない「小西議員は捏造でないことを証明しろ」と高市が喚いていますね。
予想の範囲内とされている「ゴールポストの移動」を盛大にやって「何が楽しいんだ」と怒りが湧きます。アンドリュー・バルトフェルド強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議しますNo titleポイントで釣って、今度はアニメのキャラクターで押し売りする姿勢に呆れます。
引っ越しだ何だと便利だからと言って「一生のうちにどれだけ必要なんだ」、「手続きの為にアンドリュー・バルトフェルド維新の嘘の例。維新の悪政を漂白して維新ロンダリングをする不甲斐ない報道業者。 #維新に騙されるな #マスメディアへの不満 #マスメディアへの不信No title教育の無償化をはじめこれ程維新が嘘をついてるとは思いませんでした。yoshiウィシュマ・サンダマリさんたちを死なせた責任もとらずに自民党政府がめざす入管法改正は入管法改悪である入管収容施設の実態とは アムネスティ調査員の山口かおるさんの報告を紹介します。
2022年10月後半から11月中旬まで元被収容者・現被収容者30人ほどにインタビューをしました、2022年10月末時Takeshi自民党政権のもと、先進国から脱落し続ける日本自民なるも、の、の呪縛は解けないのか何度もスミマセン
先月、私の住む自治体の首長選挙がありました。
残念ながら現職の非自民系の候補が落選してしまいました。
また、自民なる、コンクリートと廃棄物と、月乃兎