コメント
日本は政治家の質に問題が
(日本の場合は、マスコミがあおる一方的な偏りを見せる事件報道等に国民が影響されていることもあり少々異常ですが)
死刑制度を支持する人で、自分は死刑にかかわりたくないと思っている人もおそらく多数派でしょう。
人間は、規制事実に弱く、また、死刑制度については、自分は絶対に被害者になっても加害者になることはない、自分が死刑に関わることはないと思っている人が多く、死刑制度の問題についてじっくり考えることがないことが、こういった結果になっていると思います。
日本政府が国際機関から、死刑廃止を求められるたびに世論を口実にし、それが国際社会から激しい批判を受けています。
当然です。
憲法に死刑廃止を明記したフランスでさえ、死刑を廃止する時の世論は、死刑制度支持が60%強。
台湾では、日本同様、死刑制度を支持する世論は、80%を占めていますが、3年間にわたり死刑の執行を停止しています。
どこの国でも死刑制度支持の世論が多い中、死刑制度の誤りに気付いた政治家の英断によって死刑制度を廃止しているのですから。
いったん死刑制度が廃止されれば、国民も死刑制度の問題に気付き、死刑制度に反対する国民が多数派となっています。
日本の場合は、国民の世論を悪用し死刑存置の口実とし、ベルトコンベアー式に大量処刑を執行している政治家の質に問題があります。
非民主的な政治家にとっては、「ある人が殺されてもよいこと」を認める死刑制度の存置は、好都合でしょうけれど。
それにしても、死刑問題のみならず、前近代の状態に逆戻りしてる近ごろの日本の司法は重症といったところです。
自生的秩序からの死刑反対
そのうち記事にまとめてみようと思っていますが、自生的秩序重んずる立場から死刑を見ると、死刑制度には反対の立場が導かれることになると考えています。といいますのも、自生的秩序では「今、生きている」ことが最も大切なことだからです。そこからすると、たとえ重大な犯罪を犯したものであっても「今、生きている」者を法で死に追いやるのは、法による自生的秩序の侵犯になる。だから公的な死刑制度は認められないという論理です。
こうしてみると、「自生的秩序」とは「人道」は、ほぼ同義のものと見てよいのかもしれませんね。
反対意見
このエントリの、死刑存置派なら死刑判決へ積極参加する責任があるという論理には反対です。なぜなら、そもそも司法権は、国民を含めた民主主義(政治部門)から独立した自由主義の存在だからです。つまり、死刑制度を立法して存置させているのは国民(政治部門)ですが、その適用は司法権が担当するべきで、死刑制度もそれが違憲であるのならば裁判所が判断する事だということです。よって、裁判に参加したくない事と、死刑制度存置は同時に存在できる立場(考え)です。国民に責任は無いです。国民に責任を負わせたら国家の存在意義がなくなってしまうからです。
裁判員として裁判に参加したくないと思うのは、自己中心的なのではなく(自己中なら逆に死刑判決は出にくくなる可能性だってありますよ)、論理的に参加する方が間違っていると考えます。そこで、責任といった次元ではない、民主主義が自由主義の独立を侵して良いのか、または、自由主義と民意との関係といった問題と捉えた方が有意義と考えます。死刑存置派の自己中を追及する道具に裁判員制度を利用するより、裁判員制度自体を廃止すべきといった主張の方が本質的ではないですかということです(裁判員制度に賛成の御立場でない場合)。たとえば、死刑に反対の人間が裁判員制度へ心的に参加しにくい制度自体が差別的で違憲であるという主張なら左派的ですが、存置派の同意も得られます。しかし、当該エントリは存置派を頑なにしているだけでそれは本意ではないはずです。
最後に、「「理由を見つければ人を殺してもよいのだ」という原理で行動することを」抑制するために罪刑法定主義が刑法を生み、刑罰(死刑)があることを述べないのはどのような理由なのでしょうか(その効果については聞いていませんので悪しからず)?
「反対意見」に関して
また、裁判所が違憲または合憲と判断する権限は国民から付与されたものであり、このことからも、司法権が民主主義的制度であることがわかります。
およそ民主主義国家において、民主主義から独立した権力は存在しません。存在させてはいけません。
死刑ってやつは……
でもそのことこそが、死刑制度の本質を表してると思います。
つまり『死刑』って人を殺すことですから……。
どんなに悪い奴であろうとその事実は変わらないわけで、
多くの人がやっぱりそれを感じてるんだと。
関わりたくないと思うのは当然です。
だからこそ、やっぱり死刑はダメなんだと……。
そういえる気がするんです。
私的な死刑
しかし刑務所にだって罰金の取り立てだって「関与したいですか?」と聞けば関与したくない人が多数派だと思いますが・・・自分で「したいこと」以外は望んではならない、となると、刑罰は禁止になるのでしょうか?
本当に普通のオヤジ さんへ
私の意見は、あくまで「もし裁判員になった場合には、死刑と関わる可能性がある」という事を前提にしています。 その上で、死刑判決に関しては、他人事でなく、自分に係わる問題として捉えるべきだ、という趣旨です。
ちなみに、私の周りにも裁判員制度に拒否反応を示す人は大勢いますが、大抵は「自分と直接関係のない人物に対して判決を出すのは嫌だ」という、後ろ向きな理由によるものです。 こんな状況は、好ましいわけがありません。 他人事のような意識で裁判員になる人が多ければ、裁判員制度など上手くいくはずがないと思われます。
> 「理由を見つければ人を殺してもよいのだ」という原理で行動することを抑制するために罪刑法定主義が刑法を生み、刑罰(死刑)がある
多くの専門家は、死刑が殺人を抑制している決定的な証拠はないと考えています。
http://www.geocities.jp/aphros67/090620.htm
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/sikei.html
個人的には、死刑制度よりも、犯罪抑止のあり方や公正な司法制度について考える方が有意義だと思います。 その過程において、死刑廃止の意見が増えてくることはあり得ます。
街頭調査や電話調査が世論?
それについて、考えたり、死刑を廃止した国の経緯について勉強したりした事がなければ
単純にほとんどの日本人が賛成と答えるのではないでしょうか?
真剣に考えたり勉強したりしてない知らない事について答えた事が、
世論調査と読んでいいのでしょうか?
答えが分かってる事で、間違った方向に行かせようと(そうさせたい人達の意図)しているのではないでしょうか?
ここで発言するのが恥ずかしいですが、私にはなぜ死刑を推し進めているのかが理解できません。
裁判員制度では、裁判官や最後に印鑑を押す人の責任逃れにしか思えません。
重犯罪に裁判員制度というのにも?です。
やはり、意見は反対です
「「反対意見」に関して」に関して
最高裁長官が直接民主制で審査される事と、だから司法権が民主主義制度を採用(民主主義が実践・行動原理だ)しているのだという事とは関係しないと考えます。先のコメントでも書きましたが、司法権は独立しています。何から独立しているかと言えば、それは民主主義です。そうでないのならば、司法権は何から独立しているのでしょうか?民主主義を実践・行動原理としてしまったら、民主的に決まった法律を民主的に判断することになり、違憲審査という概念は無くなりますよ。
つまり、民主的な判断を抑制する矛盾・対立した存在がなければ、民主主義の実効性が担保出来ないということです。そのために権限(権力ではないという立場です)は分立・対立しています。何も王様の権力が大き過ぎるから権力を分立している訳ではありません。それに、司法部門と政治部門(国民、立法、行政)は実践・行動原理で対立していますが、その上の概念では、まとめて民主国家なのですから、民主主義国家に民主主義と独立した権限は内在できますし、論理的にも間違っていません。また、国民から法の適用に関する権限を付与されたから、司法権が民主主義であるというのは飛躍です。繰り返しですが、民主主義(国民等)が合憲と言っても違憲と言うためには、民主主義から司法権は独立(自由主義を実践原理とする存在)していなければなりません。しかし、司法は最大限に民主主義の判断を尊重するので、違憲判断は出にくいのが現状で、ご存知の通りです。良いのでしょうか、悪いのか?
もえおじさんへ
「他人事でなく、自分に係わる問題として捉えるべきだ、という趣旨です」に関しては了解しています。ただ、「大抵は「自分と直接関係のない人物に対して判決を出すのは嫌だ」」という人間を無責任と非難する事に関して、はたして前提としておられる「責任」がそもそもあるのかという事を言いたかったのです。
刑法は人権保障の理念のもと、社会秩序の維持を目的に創られています。そして刑罰の本質は応報です。ですから、秩序を維持したいという理想に責任を負わせられるのか?何の関係もない人間に報いを与える判断を嫌がるのは当然ではないか?という疑問も生じました。そして、当該エントリが「責任」に対し断定的でしたし、「自然人である市民一人一人が「理由を見つければ人を殺してもよいのだ」という原理で行動することを奨励するという影響を持つ」という根拠のない当該エントリの意見に、反論も許されると感じました。
また私は、裁判は権力と加害者が対立しているのではなく、対立しているのは、被害者及びその近しい者と加害者と考える立場です。権利で考えれば、被害者の人権及び近しい人の幸福追求権と加害者の人権です。つまり、刑事裁判の多くは結局、人権同士の対立で、第三者など入り込む余地は無いという立場です(検察官も単なる代理人)。ですから、「他人事」に首を突っ込むような「裁判員制度など上手くいくはずがない」という意見は同じです。
刑罰が応報であるという立場であり、上記のように考えていますので、「多くの専門家は、死刑が殺人を抑制している決定的な証拠はない」という事に関しては、第三者が判断する事ではない、とお答えします。当事者であれば、私は相手に死を望みますし、逆の立場なら逆の主張を当然と受け止めます。その様な権利があるという立場を採ります。これは、死刑を主張し合う当事者の権利を奪う権利が第三者にあるのかという問題だと考えているからで、死刑・刑罰の効果は論点ではないのです。
>本当に普通のオヤジさん
あなたがどう考えようと自由ですが、私には理解できません。司法権が「民主主義から」独立しているという説を唱えている政治思想史の流れや、そのように法制度を組み立てている国ってありましたっけ??
>「多くの専門家は、死刑が殺人を抑制している決定的な証拠はない」という事に関しては、第三者が判断する事ではない
>死刑・刑罰の効果は論点ではないのです。
罪刑法定主義という言葉を持ち出して刑罰が犯罪を抑制しているという意味のことをおっしゃっていませんでしたか??
あなたの「論理」を借りれば、『「死刑が殺人を抑制している決定的な証拠はない」という事に関しては、第三者が判断する事ではない』ということに関しては、あなたが判断することではない、ということになるのではないでしょうか??第三者が判断することではないのなら、なぜあなたが判断できるのでしょうか??
「死刑が殺人を抑制している決定的な証拠はない」ということは、長年の調査や研究の蓄積から広く認められています。そこからお逃げになるのでは、議論にならないです。
司法権は
立憲民主主義国家にあっては、自由主義と民主主義は、矛盾・対立する概念ではなく、結合する概念です。また、矛盾・対立は抑制・均衡(check and balance)とは異なります。
以上は、憲法学上の定説ですが、定説と異なる見解を述べる場合は、定説の理解を前提に、定説のどの点に誤りがあり、自らはどのように考えるのかを根拠とともに明らかにするべきです。
根拠を明らかにせずに、「~と考えます。」と言ってしまうのは、もはや科学ではありません。(もちろん定説や公知の事実については、根拠の明示は不要です。独自の概念・考えを表明する際には根拠が必要だということです。念のため。)
村野瀬玲奈さん
日本でしょ???すくなくとも。
理解できないとか、教科書に載っていなかったからという理由で批判されても、「じゃあ、もっと勉強してください」としか言えません。それに、私の意見の、どこそこが論理矛盾している、とか具体的に根拠を添えて指摘して貰わないと反論もできません。
まず、司法権が何から独立しているのか?の考えを対立軸と共にご教授ください。
ついでに、「責任」の根拠もお示しください。
私の言っている事は、司法権が独立(憲法が根拠です)しているのであれば、それに対立しているのは非司法権である、という常識的なもので、自説でも何でもありません。そして、非司法権は政治部門です。政治部門の実践・行動原理は民主主義なのですから、結論は民主主義から司法権は独立(非民主主義)しているとなります(基本的過ぎて、教科書には書かれていないでしょう)。
実践・行動原理を対立軸にするのは、そうしないと両者を分類・対立できないからです(トートロジーっぽいですが、真面目です)。他の対立軸があれば修正するつもりですが、その場合、細かい事は前のコメントに書いたつもりですので、その欠点をご指摘ください。ただ、司法が民主主義原理で裁判しているとお考えでしたら(分かりやすい例で問えば、命令は民主主義で裁判されて出されますか?)、面倒くさいので議論するつもりはありません、逃げたと思って貰って結構ですが、上記質問にはお答えください。
「罪刑法定主義という言葉を持ち出して刑罰が犯罪を抑制しているという意味のことをおっしゃっていませんでしたか?? 」
なんて事は言っていません。刑罰の本質は「応報」だと言った事はありますが?そして、「応報」に抑制などという概念は普通含まれません。ただ、刑罰は間接的には抑制効果(教育効果)が少しはある、とは考えます。それは、秩序維持という刑法の目的を尊重しているからです。
しかし、村野瀬さんは「「人を殺してもよいのだ」という原理で行動することを奨励するという影響を持つ」と、刑法の理念や目的を無根拠に完全否定している様でしたので、予想ではない根拠をお聞きしたいと思い、最初のコメントに「罪刑法定主義という言葉を持ち出し」ました。ので、「刑罰が犯罪を抑制しているという意味」を含ませていません。私の表現が下手で誤解しておられる様ですが、村野瀬さんは刑法を否定してしまっていますがそれで良いのですね?とお聞きしたつもりです。
「あなたの「論理」を借りれば、『「死刑が殺人を抑制している決定的な証拠はない」という事に関しては、第三者が判断する事ではない』ということに関しては、あなたが判断することではない、ということになるのではないでしょうか??」
に関しては、文章の意味が不明ですが、多分少し違います。繰り返しですが、刑罰は応報であるという立場を前提にしているという事です。
被害者側が裁判の場で相手側へ死刑を望むのであれば、その主張を被害者側(実際は検察官でしょうけど)がするべきだという事です。そして、その主張(死刑を含む判断等)する権利を奪う権利(死刑廃止)が第三者にあるのかという問題だと言っています。当事者がその裁判において判断する事だという事ですから、私も「私が関与する」裁判」に於いては当然判断します。その場合のその判断に「死刑が殺人を抑制している決定的な証拠はない」という意見は、当事者(私)にとって多くの場合、判断材料にはならないという事です。
この当事者の主張(死刑を含む判断等)の選択肢を狭める権利(死刑廃止)が第三者にあるのか?とずっと言っているつもりです。
そして、これが死刑存置派の一つの論点です。ですから、説得する側(廃止派)が勝手に自説の論点を押し付けている事に、いい加減気付いてくださいと申しているのであって、「死刑が殺人を抑制している決定的な証拠はない」ということは、長年の調査や研究の蓄積から広く認められています。そこから逃げている」訳ではないのです。この場合の論点が、被害者側は相手に死刑を望むことが出来るか否か、という所にあるからです。死を望む、または、望めない理由に、当該データは殆ど意味を持ちません。ですから、他の根拠を提示して下さいと言っている訳で、「議論にならない」と感じているのは存置派です。
「第三者が判断することではないのなら、なぜあなたが判断できるのでしょうか?? 」
???上述のように、『他人』の裁判に於いては、被害者が死刑を望む判断を下そうが、無罪を望もうが、私は判断できません。判断するなんて言っていません。
諄いようですが「第三者が判断することではない」の意味は、私を含めて裁判当事者になった場合の人間の判断(死刑を含む判断)の幅を狭めて欲しくないという意味です。「長年の調査や研究の蓄積」を理由に裁判当事者の判断を第三者が修正させるべきではないという意味です。「長年の調査や研究の蓄積」をどう判断するかは、裁判当事者の自由だという意味です。単純です、被害者側は加害者に死を望む権利がある、という事です、そして、その望みに第三者の関与は制限されるべきだ(=他人がデータを理由に死刑を望むな、などと言う権利は無い)、という意味です。
(ここで、被害者とか当事者には、被害者に近しい人も含んでいる事は、先のコメントと同じです)
憲法を根拠に司法権が独立?
「司法権が民主主義から独立している」ということは、小学校・中学校・高校の教科書を見ても、宮沢俊義先生の本を見ても、芦部信喜先生の本を見ても、伊藤正巳元最高裁判事の本を見ても、高橋和之先生の本を見ても、佐藤功先生の本を見ても、佐藤幸治先生の本を見ても記載が見つかりません。「本当に普通のオヤジ」さんは、どこでそのようなことを学んでそう主張されているのでしょう?
憲法学については私もそれなりに勉強してきたと思うのですが、「司法権が民主主義から独立している」という見解は聞いたことがありません。何にそう書いてありましたか?教えてください。
想像ですが、「本当に普通のオヤジ」さんは、「多数決原理」と立憲民主政国家における「民主主義」を同じものと考えているのではないかと思われます。それは違います。
以下に芦部先生の本から一部引用しておくので、参照ください。
芦部信喜「憲法(新版)」(岩波書店発行)P.17
「立憲主義は民主主義とも密接に結びついている。すなわち、国民が権力の支配から自由であるためには、国民自らが能動的に統治に参加するという民主制度を必要とするから、自由の確保は、国民の国政への積極的な参加が確立している体制においてはじめて現実のものとなり、民主主義は、個人尊重の原理を基礎とするので、すべての国民の自由と平等が確保されてはじめて開花する、という関係にある。民主主義は、単に多数者支配の政治を意味せず、実をともなった立憲民主主義でなければならないのである。
このような自由と民主の結合は、まさに、近代憲法の発展と進化を支配する原則であると言うことができよう。」
芦部先生の考えが間違っていると言う自由も「本当に普通のオヤジ」さんにはありますが、その場合は、説得的な論証が必要です。現時点では、「本当に普通のオヤジ」さんの見解は全く理解できませんし、それゆえ賛成も出来ません。
>そもそも日本が戦争が出来村野瀬 玲奈軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。Re: No title>北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
「正攻法」って具体的に何かよくわかりませんが、ミサイルが怖いなら怖いんじゃ村野瀬 玲奈反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。意義あるのか反戦デモっつっても日本が他国の軍事的脅威に
なると思っているのかな。
そもそも日本が戦争が出来ると思っている者が
いるのが驚く。
まず間違いないのが日本が他国に戦R2軍事力強化をしないと攻撃されるかもしれないと心配の皆さん。攻撃的軍事力保有が日本を安全にしない理由を簡単に説明します。No title北朝鮮が怖いのはミサイルとテロぐらいで正攻法で
来られて怖いなんて誰も言ってない。
そんな長者番付よりも信用ならないデータだけ
では事実が見えない。
自衛隊は多くR2自民党無くして杉田水脈「議員」無し。だから、#杉田水脈の議員辞職を求めます 。そして、それなら同時に #自民党の与党辞退を求めます 。#自民党が滅びなければ日本が滅ぶ杉田水脈「女性はいくらでもうそをつけますから」★1970年代前半の時期に米国のニューヨーク市で、性犯罪分析特別班を設置し、女性の警察官を被害者の面接に当たらせたところ、同市における強姦罪の虚偽告発率は2%であり、檜原転石反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラの祈り>Takeshiさん
戦後、ドイツではショル兄妹を顕彰するために学校の名前に「ショル兄妹記念」と名付けられていたりしますよね。
そして、それが書籍や映画になり、広く語る津木野宇佐儀反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。白バラ事件を思い起こさせる。 ミュンヘン大学でショル兄妹たちは反戦ビラを巻きちらしました。大学の用務員がビラを拾ってナチス当局に届け出ました。ショル兄妹たちは民族裁判所で「国家反逆罪」に問Takeshi言い続ける。 #汚染水を海に流すな #汚染水の海洋投棄に反対します #汚染水の海洋放出に反対します #汚染水の海洋放出を直ちに中止せよソロモン諸島の首相が日本の汚染水海洋投棄を非難 国連総会において,ソロモン諸島のマナセ・ソガバレ首相が日本の汚染水の海洋投棄を非難しました。IAEAの処理水をめぐる報告書についても,不十分だとしたうえで,「原発Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No title 反戦デモに参加したことで学生が懲戒を受けるだけでもすさまじいのに、一番重い退学処分とは・・・。愛知大学は一体何を考えているのか。これが容認されれば萎縮効果は甚クテシフォン維新・鈴木篤志市議候補について (メモ)維新の会の池上卓は公設秘書として2人の市議を採用 維新の会の池上卓議員(大阪10区)は,公設秘書として現職の高塚市議2人を採用していたとのこと。国会議員の秘書に関しては法改正で兼職が禁止され,例外的に兼職届が出Takeshi反戦デモに参加した学生を退学処分にする愛知大学は異常すぎる。No titleそのうち「焚書」とか起こりそうで、冗談じゃなく怖いです。
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投稿日時: 2023年9月20日
Fukushima’s nuclear waste:Stigmatising Russia, approving Japan
by Richard Cullen
h檜原転石日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」
何度でも引用されるヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉ですが、日本ではもっともっと使われるべき言葉ですよね。
付け足津木野宇佐儀英霊には感謝してはならない。英霊には謝罪しなければならない。英霊は讃えられ,傷痍軍人は侮辱・差別された。 わたしがとても幼いとき,神社で祭があると,神社の階段下に軍帽をかぶり,白い服を着て腕や足のない傷痍軍人が恵みの金を求めている姿を見たことがあります。実際に見たTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)Re: タイトルなしハンドルネームを書けないチキンの方がこんなことを書きこまれました。そのコメントは承認しませんが、こちらに丸ごと引用して、私の感想を書き加えます。
(引用開始)
村野瀬 玲奈東京大学出身者が日本の政治を失敗させ、日本の改善や進歩を阻んでいる。夏目漱石に対する疑問 東京帝国大学出身の夏目漱石は日本が誇る文学者・思想家とされていますが,福沢諭吉がそうであったようにレイシストを思わせる文章を残しています。
1909年,夏目漱石Takeshi自民党の聞く力は、自民党に政治献金をして選挙協力をする業界や企業にしか発揮されない。自民党議員は支持者にしか目が向かない。 「ドリル優子」が選挙対策委員長になったことが岸田の内閣支持率上昇を妨げているようです。ドリル優子が事件について弁明したのは地元の支持者に対して行った一回かぎりTakeshi個人の自由が嫌いな日本人「日本人」の枠は自由自在なのか。 毎年ノーベル賞ウイークになると,今年日本人で受賞するのは誰かと話題にするのがマスコミです。南部陽一郎さん,真鍋淑郎さん,カズオ・イシグロさんは日本国籍を離脱しTakeshiAV業者による被害を予防・救済するため、AV新法論議では被害者側の要望を積み残してはならない。特に、「スカウト全面禁止」は必須。AV事業は「新たな性奴隷制度」である。 AV被害者のために任意団体「ポルノ被害と性暴力を考える会」(PAPS)と「NPO法人 人身取引被害者サポートセンター(LH)」があるそうです。前者はITエンジニアとソーシTakeshi日本人集団が起こした残虐な事件の例(メモ)日本人の攻撃性の特徴とは 台湾での霧社事件も原住民族の殲滅を狙った植民者としての日本の軍事行動でした。
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http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9364.html
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