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質問です
ルペンの哲学的観察
>あなたがフランス人になったのはやっと18歳になってからの話ですからね。
という捉え方はある種興味深いですね。
すなわち、年齢・時間的なものが――量が――ある人の人間を測る手段として機能するという考え方。
「フランス人になって1年目」と「フランス人になって10年目」では異なるという考え方。その二者を区別する手段を“自分は”持っているという考え方。
実に興味深い。
考えてみましょう。
みなさん、我々の父母祖父母にとって、あなた方は「生まれて三年目」であるか「十五年目」であるか「四十年目」であるかによって、その存在意義は変わるか?
逆に、あなたにとって「二十年前の両親」と「十年後の両親」で何か変わるか?
変わるものではありません。あなたの親は、あなたが生まれた瞬間から今までずっと、あなたの全存在を「わが子」として捉えています。そしてまた、あなたにとっての親も、その死ぬ瞬間まで「親」として捉えることしかできない。
我々にとって、相互は、出会った瞬間からその前後百年を見通すのです。
その謂いでいえば、例えば私は生まれる前から日本人であったし、死ぬまで日本人であると断言できる。我が理性の及ぶ範囲の外である、「生前」と「死後」においてさえ「現在」の私が範疇として手に収められる。これは皆さん同じです。
してみると、A地域でB人として生まれ、生育後にC国籍を取得した人物を何と呼べばいいのか? 正解は、「彼の現在はA・B・Cの三領域を内包しており、これは生前も死後をも凌駕する」。
この概念を理解できない人は、「その人の20%はAであり50%がBであり、30%がCである」といった量の概念を持ち込もうとする。
人間存在を「量」で図ろうとすることの不可能性を、まったく理解していない。
我々が死ぬまで「親にとっての子」」100%でありながら「子にとっての親」100%であるのと同様に、A・B・Cにまたがる人は死ぬまで「A100%、B100%、C100%」なのであり、「中途半端にAでありそれなりBである程度C」なんてものは存在しないのですけれどね。
生きる多重性、死ぬ純粋性
私が武士道を理解したのは四、五歳の頃でしたから、もうその時点で私は(自ら武士道に反さない限り)どんな日本人よりも日本人だった訳で。あーあ、日本人極めちゃったよ。
となると、『あとは』どう生きるかという問題なんですね。日本人である『と同時に』守銭奴であり助平であり乙女であり老人でありデジタルネイティブであり…と、自分の『層』を増やしていく。扱う情報量を多元的に増やしていき、それらが同時に矛盾しない形で両立させていく。
そうした多層・多重的なあり方は、(アイデンティティが分裂しない限り)得になる。ピアノを弾きながら料理ができる人間は、二倍の得をするのと同じ。
『もっと得をするべき』なのです。多層な人間は、A100%に比べて欠けているのではない。勝っているのです。もっと利益を吸い上げて然るべきなのです。それが I CAN なのだから。(アメリカのあのふてぶてしさは、「私はどんな自己をも引き受けてみせる」「国内に役割を持ち、中東でも役割を当然持っている」との無前提的な多層性にある)
1850年、日本でありながら欧米であろうとした多重さはこの国を生き延びさせ、その100年後には純日本性とやらがこの国を焼いた。A100%であることに『甘んじる』ということは、生きてはいけないということです。
負け犬の誕生
何故か。ハサミは、その形状・材質ともに、無数の人の手に使われることの中で、微分的に無数の可能性の中から現在の形をとった。
私達がハサミを使う時、そこには「選ばれなかった無数のハサミの影」が付きまとっている。
少なくとも私は、自分がハサミを使う時に、「それ以外の100通りの切り方」を頭に描く。そうすることによって、無数に起こり得る状況の変化に対応する。
自動車を運転する時、「それ以外の100通りの運転」を頭に描く。そうすることによって、事故や渋滞を避け、最適解を選び続ける。
経済、交通、健康が破綻した時、「それ以外の無数の可能性」を計算に入れてなかった人物は、次に繋がる選択肢を見出すことができません。
もうこれ以上言う必要はないでしょう。自らをして100%のA以外の何者でもないと考える人は、「それ以外の100通りの自分」を文字通り殺すことによって、狭い穴窪の中に進んで飛びこんで行くのです。
>スペンさん
ただ、人と物が自由に行き来する現代の世界では、個別に日本に来る人は止めようがないですし、それをシャットアウトするというのには賛成しませんけど。(国策としてではない個別の移民をシャットアウトするなら、鎖国して、日本人が海外に移住するのも禁止すべきでしょうし。(^^;;)
ところで、「左の方」って、誰に向かって言ってます?(^^;
>人生アウトさん
>そうした多層・多重的なあり方
私は、多層・多重的でないとつまらない、と思っていますから、ある種の人がなかなか理解してくれないという不便はありますが、それを補ってあまりある広大な世界が私の前に広がっているわけです。誰が好んで穴の中に入りますか。
移民と文化
「金が欲しいだけ」
で、日本人になれば高い給料が貰えるからそうなりたいというだけでしょう?
欧州のように福祉と高給をエサに移民を受け入れて、税金を払わせて、移民たちが老いるころには国家破綻なんて詐欺みたいなことをしている連中を見習う必要などどこにもないと思います。
日本が人口減で破綻するなら、それはそれで仕方ないことでしょう。そもそも無限に人口が増えていかなければ維持できない社会などいずれ破綻するのです。致し方有りません。
移民は受け容れて多元的文化社会になるべき。
>村野さん
左の方というのは、左翼思想の方の事です。私は自分をやや右よりだと思っているので、左の方という曖昧な書き方になってしまいました。
ただ右よりといっても国策での移民は反対なのですが、国策ではない個別の人も来るなとまでは思ってないです。
わたくしにいえること。
わたくしは、主に酒を飲んだときのアホウぶりと、架橋文化圏の集合無意識であるテレサテンの弾き語りによって、「中共」の一部から植えつけられた「日本人が嫌いでしょうがなかった」というホテルの従業員の女の子の認識を変え、「こいつらもおなじぐらいアホなんだ」という、共感を持ってもらうことに成功しました。
何よりも、育った文化環境の異なる人々と共生するのは、最高に面白い。
育った文化環境の違いは違いで面白く、ある一面ではぜんぜんいっしょやんと認識するのも面白い。
「国籍」「民族」などで分断してしまうのは、人生の最もおいしいところを自ら捨てているのですよ。
もったいなくて、たまらない。
今夜も韓国人と飲んできたわたくしの心底からの実感でございます。
つか生物学的一般論として
可変性と多様性は種の強さと言うのが生物学的にも既に一般論だったかと思いますが?
個体にとってどうかは知りませんが。
あと、ハサミの例えは適切ではないのではないかと思います。
可能性を論じる事と現在の感情を論じる事は別問題ですよ。
自分はこの親以外から生まれたかもしれない。
人間に生まれなかったかもしれない。
日本じゃなくてイギリスやインドや何かに生まれたかもしれない。
と言うのは可能性の問題。
それこそ恋愛や結婚や友情にまで発展して言える事です。
インドに生まれてたらインドの文化に感性は偏ったでしょうし、
イギリスならイギリス的文化に感性は偏ったでしょう。
で、だから日本文化に残って欲しいと思う今の感情をその論理で否定できるかといったら別問題。
イギリスはイギリスとして、日本は日本として、インドはインドとして、
ある程度の範囲で「自治的」領域として残るべきと言う風に思いますよ。
個人的に文化は共生すれば、意識的に分裂させない限り同化していく物だと思っていますからね。
取捨選択した受け入れ方法とか考えないと一概に「GO」と言う気は起きません。
「可変性」と言う意味ではそう言う自我にこだわりが強い人が「生物学的弱者」である事は否定しませんけど。
勉強が好きな人も居るんだから勉強が嫌いなのは自分の選択の問題。
だから勉強を好きになった方が得だから勉強を好きになりましょう。
と言ってすぐに自分を変えられる・変える…残念ながらそんな人間と付き合いたくないです。
と言うかむしろそんな人間と付き合いたいんでしょうか?
(そう言う生き方が良い事だと言うなら私は心のない(と思われている)ロボットで十分です。
前頭葉や何かがないウィルスや細菌とかでもいいかもしれませんね。)
ドラマなんかは冷徹に突っ込めばあほな執着のオンパレードですしね。
多文化共生という絶望
多文化共生社会が多様な成果を生み出すのは、多様な希望があるからではなく、多様な絶望が存在するからに他なりません。
単一民族の閉塞感など、多民族が互いに差別し合い蹴落とし合って生きている絶望に比べればどうということはありません。確かにそうやって激しい競争と絶望に打ち勝ってきたエリートは精強でしょうが、だから何だというのでしょう?
一握りのエリートの出来を比べるというなら、そもそもの母集団が大きい中国やインドや、移民受け入れ人気ランキング最上位の米国などに勝てるわけもありません。日本は移民の活力になど頼らない別の道を歩むべきと思います。
>猫さん
「今、まさにここ」に生まれた私達の、たった一つ与えられた(代替のきかない)ホームに対する愛着。それは芸術的とさえ言っていい、一個一個が尊重されるべき感情ですね。
そして、私達の感情にはなんの値打ちもない。私も、彼も、等しく。
皆さん、そのご家族から数え切れないほど多くのものを吸収していると思います。
立ち方歩き方、扉と衣と家具と食器の扱い方、春夏秋冬のやり方、発声贈答文筆契約。無数のマナーとタブーとコードを、体系として教え込まれている。
体系である。つまり、あらゆる日本的な行住坐臥には理由があり、その連係として一社会一人間が組み立てられている。
その体系を組んだのは、室町であり平安で江戸であり、貴族であり武士であり農民である。体系を読むことで、無数の日本人コレクションで私達は自らを豊穣にすることができる。
そうと知れば、一文化体系を編み上げたのが一民族の歴史であるとわかれば、同時に、「それ以外」の文化体系はまた同様に「それ以外」の人の行住坐臥から生まれたコードの集まりなのだから。
自分がふるまうところの日本体系の、どの部分を別のコードに置き換えれば、そこをWASP的イスラム的ラテン的にできるか、わかる訳ですよね。
民族が体系をなすのであれば、日本を徹底的に読んだ後には、どの仕草がどのルーツを辿ってどんな力学にあるか分かる訳ですから、それを組み換えることもまた容易なる訳ですね。
そして、冒頭に戻りますが、全ての体系全ての愛着には、値打ちがない。
なぜならそれは「弱者」のものだからです。
あらゆる人の意見あらゆる人の感情は、等しく役に立たない。
文化を背負う人体系の中に生きる人に、私は強い友情と尊敬を覚えます。
覚えつつ、捕食したい。
どのような繊細な感情も踏みにじられるのが我が社会であるならば、自分もぜひ「もっとも踏みにじる者」として好きに日本体系を組み換えたいと思うではありませんか。私は人達を愛していますから。
日本単一民族文化も、変わりつつある
しかしながら、反対に、優れた技能・知識のある専門職外国人の労働力に対しては日本は門戸を閉ざすべきではなく、シンガポールや米国のように優遇政策を取るべきでしょう。( 産業競争力の維持には必要。)
ちなみに、現在では国際結婚の比率も4~5%に達しており、長期的には、しだいに日本も多元的文化社会への方向へ進んでいるのは間違いないと思います。
昨夏、移民1000万人受け入れ計画について書いた記事から、そのあたりに触れた記事へのリンクを張っていますので、ご参考まで。
http://ukiuki.way-nifty.com/hr/2008/08/post_1578.html
>人生アウトさん
ホームと言う「物」よりは「関係性」の方が近いのでしょうね。
「ホーム」は翻訳だと「家庭」ですから最初から関係性のことなのかもしれませんが…。
正直、日本と言う「国の体裁」はなくなっても良いのですが、
文化や社会としての現在に近い「日本」に残って欲しいと言う感じです。
平和ボケ出来て電車が時間通りに来るのが当たり前で、車を車で押し退けて退かすのはNGで(オーストリアは退かすのがデフォらしいです)、マックのコーヒーの火傷で裁判にならない、みたいな感じですね。(今はさすがに変わってるのでしょうか?アホみたいな訴訟社会)
人との「それぞれ」の関係性に見る意味も国や何かでしばしば違いますからね。(友人・取引先・商店と買い物客などなど)
「個性に統合可能な差」と「集団や社会としての共認・協力があって初めて維持される差」の切り分けも必要なんでしょうけどね…。
ついでに言うと、集団自体が持つ感性や意識の再生産性の事もありますからね。(ある集団に生まれて成育した人がある集団の一般的感性に偏るなど)
値切り当然と基本値切らないでは上手く回るかどうか怪しかったりもしますしね。^^;
とは言っても、国家概念における下位文化(関西と関東、など)でも結構変わる部分もある様ですし、
言ってみた所で「そもそも無理、と言うか多民族以前に文化的に細かく地域で見ていけば本当は統一性ほとんどないから」なのかもしれませんが。
民族対民族と民族内部での下位文化の差異の程度がどの程度差があるのかは分かりませんけど。^^;
私が好きなのはそう言う意味では日本風と言うよりは関東や首都圏風となるのかもしれません。
>そして、私達の感情にはなんの値打ちもない。私も、彼も、等しく。
個人的には価値や値打ちと言う意味では、「方向性」を決めないと全て無意味だと思いますけどね。^^;
>民族が体系をなすのであれば、日本を徹底的に読んだ後には、どの仕草がどのルーツを辿ってどんな力学にあるか分かる訳ですから、それを組み換えることもまた容易なる訳ですね。
理解はしておられるでしょうが、仕草ばかりではなく「感性」「思考」などもですね。
極端な言い方をすれば「世界観」でしょう。
実際にそう言った、人の集団が作る「社会」と「文化」は出来上がるまでに、
その社会なりの理由や経緯はあったのでしょうね。
感性については明確な理由ではなく、最初に偏った方向に進んだだけの可能性もあるでしょうが…。
シャーマニズムとかなんかは明確な理由はなさそうですしね。^^;
>そして、冒頭に戻りますが、全ての体系全ての愛着には、値打ちがない。
>なぜならそれは「弱者」のものだからです。
この「弱者」の意味する物は「変化を拒む者」と言う意味でしょうか?
意味が特定しかねます。^^;
>あらゆる人の意見あらゆる人の感情は、等しく役に立たない。
そもそも「何に」役に立つかどうかですね。
生きる為と言うのであれば、確かに感情や個人的意見を挟まずに、
それで居て必要な存在に変わって、必要な行動をする人が最も強い方だと思います。
ただ私は一生そう生き続けるくらいなら死にますが。(生きてるだけなら私的に意味ないので、子孫が残ったとしても)
>文化を背負う人体系の中に生きる人に、私は強い友情と尊敬を覚えます。
>覚えつつ、捕食したい。
捕食と言うユニークな表現が何を表すのかいまいち理解出来かねますが、
感情としては存在を肯定しますが、だからこそ、何らかの手を加える・性質や弱さを利用すると言うニュアンスの理解は間違っていないと想っています。
その理解で間違えがなければ、スタンスの違いは違いとして、意見には理解と賛同を示しながら、
逆の立場を取らせていただきます。
>どのような繊細な感情も踏みにじられるのが我が社会であるならば、
いまいち言ってる事の意味が理解出来ません。
繊細な感情と言うのが考えられる物が多すぎて理解し難いです。
むしろ極端な言い方ですが、繊細ではない感情ってなんでしょうか?
「その人にとって」は「切実な想い・価値」だからこそ、わざわざ行動を起こすのではないでしょうか?
どうでもいい事なら聞かれなければわざわざ答えもしないのではないでしょうか?
>自分もぜひ「もっとも踏みにじる者」として好きに日本体系を組み換えたいと思うではありませんか。私は人達を愛していますから。
最後の一文の正確な意味が捉えかねますが、「人が生きている上での変化と営み」を愛していると言う事でしょうか?
それ以外については、まぁ、変革を望む、または、変革に期待を持つ方と、
特定の分野での現状の維持を望み、それに対する脅威として特定の事を見る立場の違いと理解します。
あら^^;
なんか上手くコメント出来ていなかったみたいなので再投稿。
と行きたい所ですが…。
明日は朝5時に家を出るので寝させて頂きます。
今度は書き込み前にメモ帳に残しておくかな…。^^;
返信はまた折を見てさせて頂きます。
つか人の感情の値打ちがどうのとかある意味宗教的内容に踏み込み始めたし、
別の場所に場所移した方がいいのかな…?
多文化共生社会の実例
外山真理:家族そろってスウェーデンで暮らしたことがあります。ところが,スウェーデンには「留学生」といった言葉も日常生活には存在せず「日本人か?」と尋ねられることもほとんどありませんでした。在留三年が過ぎ,地方選挙への選挙権も与えられた時はうれしかったですね。社会に受け入れられたという思いです。子どもたちは地元の保育園に行きましたが,そこでは多文化教育がなされていました。「ここに日本人のお友達がいる」ということから,保育者が一週間の日本理解プログラムを組むのです。その時の息子のうれしそうな表情が忘れられません。周辺のお友達が自分の文化を学んでいるというので,日本人であることの誇りを強く感じたようです。この教育プログラムは,国の外国人政策に基づいてなされていることでした。つまり,スウェーデン社会は多文化共生社会であるという前提に立っているのです。
一方,日本に戻ってきてみれば,小学校は異文化圏で育った息子に冷たかったですね。話し方も態度も奇妙な息子はたちまちいじめの標的になりました。しかも,先生が多様性に対してたいへん鈍感でした。
日本社会の中には、異文化を背景にしている人たちが日本人を含め様々な形で存在しています。異文化の問題だけでなく他の点でも,マジョリティとは異なることに耐えている人々が大勢います。それだけ多様な社会になっているにもかかわらず,この閉塞感。それはなぜかと言えば,人権尊重をベースとした社会を目指してきちんと表に出して議論し社会的な決断をする,といったことをきちんとしていないからだと思います。この日本という社会は人の痛みに対して非常に鈍感であると思います。・・在日問題は痛みと怒りの歴史を抱えた大きな問題であると同時にまさに日本人自身の問題であると思います。
石田正人:在日の人が生きやすい社会が,そしてそれ以外の在日外国人を含めてそうですが,結局は日本人にとっても生きやすい社会だと思うのです。・・・日本の場合,人権を表面的には言っていますが,本当の意味では一人一人の人権って何なのかを考える作業をしていない,注意を払っていないことの裏に何があるのかと言えば,徐さんのおっしゃった市場経済優先があると思う。
以上で引用を終わります。
京都大学の水野直樹さんという歴史研究者が資料を見つけたと1996年2月5日の朝日新聞にあります。
「水野助教授が発掘したのは,衆院議員で『議会制度調査特別委員会』の中心メンバーだった故清瀬一郎氏(1884~1967)が議員に配ったとみられる『内地在住の台湾人及び朝鮮人の選挙権,被選挙権に就いて』という文書など。この文書には,『選挙権を認むるものとすればその数二百万人に及ばん。(略)最少十人位の当選者を獲ることは容易なり。もし思想問題と結合すれば,次の選挙に於て天皇制の廃絶を叫ぶ者は国籍を朝鮮に有し内地に住所を有する候補者ならん』などと記されていた」。
自民党が外国人の選挙権付与にあくまでも抵抗するのは,天皇制の存立が危ぶまれるということだと思います。
「体育座り」やめました、集中力落ち腰痛原因の声も…専門家「他の座り方検討すべきだ」 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)
というkuronekoコロナ禍続く中でマスクをはずさせようとしたり5類扱いしようとしたりする狂気に抗う (2023年1月25日の記録) #自民党に殺される5類引き下げ5月3日からやることに勝手に決められましたね。
かなりの人が動くことは確かです。
「閣議決定サイコパスですか」、「分科会から異議が唱えられたのを無視しているから科アンドリュー・バルトフェルド三浦清志・三浦瑠麗夫妻の太陽光発電事業投資疑惑について (メモ)テレビは三浦瑠麗を使い続けるのか。 テレビが,今までどうり三浦瑠麗を使い続けるのかどうかが問題ですね。何を言っているのかさっぱり分からない右翼女子を重宝して使ってきたテレビ局が悪い。
三浦瑠麗Takeshiひろゆき(西村博之)氏がもてはやされる限り、日本社会には改善も発展も進歩もないと考える理由ひろゆき氏がもてはやされている日本ひろゆき氏といえば数々の反動的な書き込み、問題発言で有名です。
最近でも過った国策と闘っている辺野古の新基地建設反対運動を揶揄したりとその反動ぶりにはただただ閉閉口世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との密接な関係を指摘され説明を求められて、短い密室懇談会ですませようという自民党出身の細田博之衆院議長。旧統一教会と密接過ぎることの間接的な告白と解釈する。細田派→安倍晋三派戦前レジームの日本軍国主義者「安倍晋三」が所属していた自民党細田派は自民党最右派、筋金入りの大日本帝国主義者の集まりでした。
細田衆議院議長はそのボスだった人で閉口ひろゆき(西村博之)氏がもてはやされる限り、日本社会には改善も発展も進歩もないと考える理由No titleひろゆきの言ってること自体に「それって、アンタの勝手な感想ですよね。」と言ってやりたい。れいんぼーひろゆき(西村博之)氏がもてはやされる限り、日本社会には改善も発展も進歩もないと考える理由No title次から次へと問題発言を繰り返しているひろゆきですが、とりわけに深刻なのは子どもの間で妙な人気があることです。「それってあなたの感想ですよね」が小学生の間の流行語クテシフォン韓国文化を楽しむかどうかにかかわらず、日本国と日本人と毎日新聞記者大貫智子氏は加害の歴史に向き合うべきである。 @mainichi No title加害の事実を直視せずに目を瞑っていれば、その事実は、いずれなかったことになるというのを狙っているのでしょうね。
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維新側に接近したために離れる票があったとしても、それらは社民党や共産党で回収できる事なので皮算ネトウヨのGENニュージーランドによる過去の差別行為についてのジャシンダ・アーダーン首相による謝罪は、過去の蛮行への国家・団体としての謝罪としてすごい。過去の主な謝罪例 周恩来首相が初めてハノイを訪問したとき,まっさきにチュン・チャク,チュン・ニ姉妹の墓を訪れ,多くのヴェトナム人が見守るなか,2000年前の中国軍の侵攻により悲劇的Takeshi成田悠輔をマスメディアに出すな #マスメディアへの不満 #マスメディアへの不信スペルミスを訂正します。Assiatant Professor of Economicsはスペルミスで,正しくはAssistant Professor of Economicsでした。お詫びして訂正します。Takeshi成田悠輔をマスメディアに出すな #マスメディアへの不満 #マスメディアへの不信成田悠輔の職名について 私は成田悠輔のことを書き込んだとき,彼の職名を助教としました。ところが多くの人が助教授と書いているようです。イエール大学のホームページで成田悠輔のページを見るTakeshi放射性物質汚染水の海洋放出に反対地球環境の悪化に抗議自民党政府は福島第一原発の汚染水を2023年の春か夏に海洋に放出することを決めたとのことです。地元の漁業関係者,多くの日本国民,世界の人々の反対にもかかわらず強行しTakeshi自民党政権の日本で高くなるばかりの国民負担率(、そして、削減され続ける社会保障サービス、増大する不透明な不適切支出・利権中抜き支出) #自民党に投票するからこうなる最近の物価高に思う。最近の物価高,例えば厳冬期なのに電気代の高騰に頭を痛めている人が多いと思います。私自身,電気使用量を減らしたのに徴収される電気料が増えて驚いたものです。直近の例Takeshiコロナ感染者数が増え続け、一日あたり死者数も500人超えの日本。コロナ禍への危機感が足りない。心配しかない。(2023年1月12日の記録)猛威を振るうコロナ第8波日本ではコロナ第8波が猛威を振るいこのところ日本は世界で1番感染者数の多い国になっています。
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日本は1979年に自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約を批准しました。つまりこの規約を守るとTakeshi