コメント
質問です
ルペンの哲学的観察
>あなたがフランス人になったのはやっと18歳になってからの話ですからね。
という捉え方はある種興味深いですね。
すなわち、年齢・時間的なものが――量が――ある人の人間を測る手段として機能するという考え方。
「フランス人になって1年目」と「フランス人になって10年目」では異なるという考え方。その二者を区別する手段を“自分は”持っているという考え方。
実に興味深い。
考えてみましょう。
みなさん、我々の父母祖父母にとって、あなた方は「生まれて三年目」であるか「十五年目」であるか「四十年目」であるかによって、その存在意義は変わるか?
逆に、あなたにとって「二十年前の両親」と「十年後の両親」で何か変わるか?
変わるものではありません。あなたの親は、あなたが生まれた瞬間から今までずっと、あなたの全存在を「わが子」として捉えています。そしてまた、あなたにとっての親も、その死ぬ瞬間まで「親」として捉えることしかできない。
我々にとって、相互は、出会った瞬間からその前後百年を見通すのです。
その謂いでいえば、例えば私は生まれる前から日本人であったし、死ぬまで日本人であると断言できる。我が理性の及ぶ範囲の外である、「生前」と「死後」においてさえ「現在」の私が範疇として手に収められる。これは皆さん同じです。
してみると、A地域でB人として生まれ、生育後にC国籍を取得した人物を何と呼べばいいのか? 正解は、「彼の現在はA・B・Cの三領域を内包しており、これは生前も死後をも凌駕する」。
この概念を理解できない人は、「その人の20%はAであり50%がBであり、30%がCである」といった量の概念を持ち込もうとする。
人間存在を「量」で図ろうとすることの不可能性を、まったく理解していない。
我々が死ぬまで「親にとっての子」」100%でありながら「子にとっての親」100%であるのと同様に、A・B・Cにまたがる人は死ぬまで「A100%、B100%、C100%」なのであり、「中途半端にAでありそれなりBである程度C」なんてものは存在しないのですけれどね。
生きる多重性、死ぬ純粋性
私が武士道を理解したのは四、五歳の頃でしたから、もうその時点で私は(自ら武士道に反さない限り)どんな日本人よりも日本人だった訳で。あーあ、日本人極めちゃったよ。
となると、『あとは』どう生きるかという問題なんですね。日本人である『と同時に』守銭奴であり助平であり乙女であり老人でありデジタルネイティブであり…と、自分の『層』を増やしていく。扱う情報量を多元的に増やしていき、それらが同時に矛盾しない形で両立させていく。
そうした多層・多重的なあり方は、(アイデンティティが分裂しない限り)得になる。ピアノを弾きながら料理ができる人間は、二倍の得をするのと同じ。
『もっと得をするべき』なのです。多層な人間は、A100%に比べて欠けているのではない。勝っているのです。もっと利益を吸い上げて然るべきなのです。それが I CAN なのだから。(アメリカのあのふてぶてしさは、「私はどんな自己をも引き受けてみせる」「国内に役割を持ち、中東でも役割を当然持っている」との無前提的な多層性にある)
1850年、日本でありながら欧米であろうとした多重さはこの国を生き延びさせ、その100年後には純日本性とやらがこの国を焼いた。A100%であることに『甘んじる』ということは、生きてはいけないということです。
負け犬の誕生
何故か。ハサミは、その形状・材質ともに、無数の人の手に使われることの中で、微分的に無数の可能性の中から現在の形をとった。
私達がハサミを使う時、そこには「選ばれなかった無数のハサミの影」が付きまとっている。
少なくとも私は、自分がハサミを使う時に、「それ以外の100通りの切り方」を頭に描く。そうすることによって、無数に起こり得る状況の変化に対応する。
自動車を運転する時、「それ以外の100通りの運転」を頭に描く。そうすることによって、事故や渋滞を避け、最適解を選び続ける。
経済、交通、健康が破綻した時、「それ以外の無数の可能性」を計算に入れてなかった人物は、次に繋がる選択肢を見出すことができません。
もうこれ以上言う必要はないでしょう。自らをして100%のA以外の何者でもないと考える人は、「それ以外の100通りの自分」を文字通り殺すことによって、狭い穴窪の中に進んで飛びこんで行くのです。
>スペンさん
ただ、人と物が自由に行き来する現代の世界では、個別に日本に来る人は止めようがないですし、それをシャットアウトするというのには賛成しませんけど。(国策としてではない個別の移民をシャットアウトするなら、鎖国して、日本人が海外に移住するのも禁止すべきでしょうし。(^^;;)
ところで、「左の方」って、誰に向かって言ってます?(^^;
>人生アウトさん
>そうした多層・多重的なあり方
私は、多層・多重的でないとつまらない、と思っていますから、ある種の人がなかなか理解してくれないという不便はありますが、それを補ってあまりある広大な世界が私の前に広がっているわけです。誰が好んで穴の中に入りますか。
移民と文化
「金が欲しいだけ」
で、日本人になれば高い給料が貰えるからそうなりたいというだけでしょう?
欧州のように福祉と高給をエサに移民を受け入れて、税金を払わせて、移民たちが老いるころには国家破綻なんて詐欺みたいなことをしている連中を見習う必要などどこにもないと思います。
日本が人口減で破綻するなら、それはそれで仕方ないことでしょう。そもそも無限に人口が増えていかなければ維持できない社会などいずれ破綻するのです。致し方有りません。
移民は受け容れて多元的文化社会になるべき。
>村野さん
左の方というのは、左翼思想の方の事です。私は自分をやや右よりだと思っているので、左の方という曖昧な書き方になってしまいました。
ただ右よりといっても国策での移民は反対なのですが、国策ではない個別の人も来るなとまでは思ってないです。
わたくしにいえること。
わたくしは、主に酒を飲んだときのアホウぶりと、架橋文化圏の集合無意識であるテレサテンの弾き語りによって、「中共」の一部から植えつけられた「日本人が嫌いでしょうがなかった」というホテルの従業員の女の子の認識を変え、「こいつらもおなじぐらいアホなんだ」という、共感を持ってもらうことに成功しました。
何よりも、育った文化環境の異なる人々と共生するのは、最高に面白い。
育った文化環境の違いは違いで面白く、ある一面ではぜんぜんいっしょやんと認識するのも面白い。
「国籍」「民族」などで分断してしまうのは、人生の最もおいしいところを自ら捨てているのですよ。
もったいなくて、たまらない。
今夜も韓国人と飲んできたわたくしの心底からの実感でございます。
つか生物学的一般論として
可変性と多様性は種の強さと言うのが生物学的にも既に一般論だったかと思いますが?
個体にとってどうかは知りませんが。
あと、ハサミの例えは適切ではないのではないかと思います。
可能性を論じる事と現在の感情を論じる事は別問題ですよ。
自分はこの親以外から生まれたかもしれない。
人間に生まれなかったかもしれない。
日本じゃなくてイギリスやインドや何かに生まれたかもしれない。
と言うのは可能性の問題。
それこそ恋愛や結婚や友情にまで発展して言える事です。
インドに生まれてたらインドの文化に感性は偏ったでしょうし、
イギリスならイギリス的文化に感性は偏ったでしょう。
で、だから日本文化に残って欲しいと思う今の感情をその論理で否定できるかといったら別問題。
イギリスはイギリスとして、日本は日本として、インドはインドとして、
ある程度の範囲で「自治的」領域として残るべきと言う風に思いますよ。
個人的に文化は共生すれば、意識的に分裂させない限り同化していく物だと思っていますからね。
取捨選択した受け入れ方法とか考えないと一概に「GO」と言う気は起きません。
「可変性」と言う意味ではそう言う自我にこだわりが強い人が「生物学的弱者」である事は否定しませんけど。
勉強が好きな人も居るんだから勉強が嫌いなのは自分の選択の問題。
だから勉強を好きになった方が得だから勉強を好きになりましょう。
と言ってすぐに自分を変えられる・変える…残念ながらそんな人間と付き合いたくないです。
と言うかむしろそんな人間と付き合いたいんでしょうか?
(そう言う生き方が良い事だと言うなら私は心のない(と思われている)ロボットで十分です。
前頭葉や何かがないウィルスや細菌とかでもいいかもしれませんね。)
ドラマなんかは冷徹に突っ込めばあほな執着のオンパレードですしね。
多文化共生という絶望
多文化共生社会が多様な成果を生み出すのは、多様な希望があるからではなく、多様な絶望が存在するからに他なりません。
単一民族の閉塞感など、多民族が互いに差別し合い蹴落とし合って生きている絶望に比べればどうということはありません。確かにそうやって激しい競争と絶望に打ち勝ってきたエリートは精強でしょうが、だから何だというのでしょう?
一握りのエリートの出来を比べるというなら、そもそもの母集団が大きい中国やインドや、移民受け入れ人気ランキング最上位の米国などに勝てるわけもありません。日本は移民の活力になど頼らない別の道を歩むべきと思います。
>猫さん
「今、まさにここ」に生まれた私達の、たった一つ与えられた(代替のきかない)ホームに対する愛着。それは芸術的とさえ言っていい、一個一個が尊重されるべき感情ですね。
そして、私達の感情にはなんの値打ちもない。私も、彼も、等しく。
皆さん、そのご家族から数え切れないほど多くのものを吸収していると思います。
立ち方歩き方、扉と衣と家具と食器の扱い方、春夏秋冬のやり方、発声贈答文筆契約。無数のマナーとタブーとコードを、体系として教え込まれている。
体系である。つまり、あらゆる日本的な行住坐臥には理由があり、その連係として一社会一人間が組み立てられている。
その体系を組んだのは、室町であり平安で江戸であり、貴族であり武士であり農民である。体系を読むことで、無数の日本人コレクションで私達は自らを豊穣にすることができる。
そうと知れば、一文化体系を編み上げたのが一民族の歴史であるとわかれば、同時に、「それ以外」の文化体系はまた同様に「それ以外」の人の行住坐臥から生まれたコードの集まりなのだから。
自分がふるまうところの日本体系の、どの部分を別のコードに置き換えれば、そこをWASP的イスラム的ラテン的にできるか、わかる訳ですよね。
民族が体系をなすのであれば、日本を徹底的に読んだ後には、どの仕草がどのルーツを辿ってどんな力学にあるか分かる訳ですから、それを組み換えることもまた容易なる訳ですね。
そして、冒頭に戻りますが、全ての体系全ての愛着には、値打ちがない。
なぜならそれは「弱者」のものだからです。
あらゆる人の意見あらゆる人の感情は、等しく役に立たない。
文化を背負う人体系の中に生きる人に、私は強い友情と尊敬を覚えます。
覚えつつ、捕食したい。
どのような繊細な感情も踏みにじられるのが我が社会であるならば、自分もぜひ「もっとも踏みにじる者」として好きに日本体系を組み換えたいと思うではありませんか。私は人達を愛していますから。
日本単一民族文化も、変わりつつある
しかしながら、反対に、優れた技能・知識のある専門職外国人の労働力に対しては日本は門戸を閉ざすべきではなく、シンガポールや米国のように優遇政策を取るべきでしょう。( 産業競争力の維持には必要。)
ちなみに、現在では国際結婚の比率も4~5%に達しており、長期的には、しだいに日本も多元的文化社会への方向へ進んでいるのは間違いないと思います。
昨夏、移民1000万人受け入れ計画について書いた記事から、そのあたりに触れた記事へのリンクを張っていますので、ご参考まで。
http://ukiuki.way-nifty.com/hr/2008/08/post_1578.html
>人生アウトさん
ホームと言う「物」よりは「関係性」の方が近いのでしょうね。
「ホーム」は翻訳だと「家庭」ですから最初から関係性のことなのかもしれませんが…。
正直、日本と言う「国の体裁」はなくなっても良いのですが、
文化や社会としての現在に近い「日本」に残って欲しいと言う感じです。
平和ボケ出来て電車が時間通りに来るのが当たり前で、車を車で押し退けて退かすのはNGで(オーストリアは退かすのがデフォらしいです)、マックのコーヒーの火傷で裁判にならない、みたいな感じですね。(今はさすがに変わってるのでしょうか?アホみたいな訴訟社会)
人との「それぞれ」の関係性に見る意味も国や何かでしばしば違いますからね。(友人・取引先・商店と買い物客などなど)
「個性に統合可能な差」と「集団や社会としての共認・協力があって初めて維持される差」の切り分けも必要なんでしょうけどね…。
ついでに言うと、集団自体が持つ感性や意識の再生産性の事もありますからね。(ある集団に生まれて成育した人がある集団の一般的感性に偏るなど)
値切り当然と基本値切らないでは上手く回るかどうか怪しかったりもしますしね。^^;
とは言っても、国家概念における下位文化(関西と関東、など)でも結構変わる部分もある様ですし、
言ってみた所で「そもそも無理、と言うか多民族以前に文化的に細かく地域で見ていけば本当は統一性ほとんどないから」なのかもしれませんが。
民族対民族と民族内部での下位文化の差異の程度がどの程度差があるのかは分かりませんけど。^^;
私が好きなのはそう言う意味では日本風と言うよりは関東や首都圏風となるのかもしれません。
>そして、私達の感情にはなんの値打ちもない。私も、彼も、等しく。
個人的には価値や値打ちと言う意味では、「方向性」を決めないと全て無意味だと思いますけどね。^^;
>民族が体系をなすのであれば、日本を徹底的に読んだ後には、どの仕草がどのルーツを辿ってどんな力学にあるか分かる訳ですから、それを組み換えることもまた容易なる訳ですね。
理解はしておられるでしょうが、仕草ばかりではなく「感性」「思考」などもですね。
極端な言い方をすれば「世界観」でしょう。
実際にそう言った、人の集団が作る「社会」と「文化」は出来上がるまでに、
その社会なりの理由や経緯はあったのでしょうね。
感性については明確な理由ではなく、最初に偏った方向に進んだだけの可能性もあるでしょうが…。
シャーマニズムとかなんかは明確な理由はなさそうですしね。^^;
>そして、冒頭に戻りますが、全ての体系全ての愛着には、値打ちがない。
>なぜならそれは「弱者」のものだからです。
この「弱者」の意味する物は「変化を拒む者」と言う意味でしょうか?
意味が特定しかねます。^^;
>あらゆる人の意見あらゆる人の感情は、等しく役に立たない。
そもそも「何に」役に立つかどうかですね。
生きる為と言うのであれば、確かに感情や個人的意見を挟まずに、
それで居て必要な存在に変わって、必要な行動をする人が最も強い方だと思います。
ただ私は一生そう生き続けるくらいなら死にますが。(生きてるだけなら私的に意味ないので、子孫が残ったとしても)
>文化を背負う人体系の中に生きる人に、私は強い友情と尊敬を覚えます。
>覚えつつ、捕食したい。
捕食と言うユニークな表現が何を表すのかいまいち理解出来かねますが、
感情としては存在を肯定しますが、だからこそ、何らかの手を加える・性質や弱さを利用すると言うニュアンスの理解は間違っていないと想っています。
その理解で間違えがなければ、スタンスの違いは違いとして、意見には理解と賛同を示しながら、
逆の立場を取らせていただきます。
>どのような繊細な感情も踏みにじられるのが我が社会であるならば、
いまいち言ってる事の意味が理解出来ません。
繊細な感情と言うのが考えられる物が多すぎて理解し難いです。
むしろ極端な言い方ですが、繊細ではない感情ってなんでしょうか?
「その人にとって」は「切実な想い・価値」だからこそ、わざわざ行動を起こすのではないでしょうか?
どうでもいい事なら聞かれなければわざわざ答えもしないのではないでしょうか?
>自分もぜひ「もっとも踏みにじる者」として好きに日本体系を組み換えたいと思うではありませんか。私は人達を愛していますから。
最後の一文の正確な意味が捉えかねますが、「人が生きている上での変化と営み」を愛していると言う事でしょうか?
それ以外については、まぁ、変革を望む、または、変革に期待を持つ方と、
特定の分野での現状の維持を望み、それに対する脅威として特定の事を見る立場の違いと理解します。
あら^^;
なんか上手くコメント出来ていなかったみたいなので再投稿。
と行きたい所ですが…。
明日は朝5時に家を出るので寝させて頂きます。
今度は書き込み前にメモ帳に残しておくかな…。^^;
返信はまた折を見てさせて頂きます。
つか人の感情の値打ちがどうのとかある意味宗教的内容に踏み込み始めたし、
別の場所に場所移した方がいいのかな…?
多文化共生社会の実例
外山真理:家族そろってスウェーデンで暮らしたことがあります。ところが,スウェーデンには「留学生」といった言葉も日常生活には存在せず「日本人か?」と尋ねられることもほとんどありませんでした。在留三年が過ぎ,地方選挙への選挙権も与えられた時はうれしかったですね。社会に受け入れられたという思いです。子どもたちは地元の保育園に行きましたが,そこでは多文化教育がなされていました。「ここに日本人のお友達がいる」ということから,保育者が一週間の日本理解プログラムを組むのです。その時の息子のうれしそうな表情が忘れられません。周辺のお友達が自分の文化を学んでいるというので,日本人であることの誇りを強く感じたようです。この教育プログラムは,国の外国人政策に基づいてなされていることでした。つまり,スウェーデン社会は多文化共生社会であるという前提に立っているのです。
一方,日本に戻ってきてみれば,小学校は異文化圏で育った息子に冷たかったですね。話し方も態度も奇妙な息子はたちまちいじめの標的になりました。しかも,先生が多様性に対してたいへん鈍感でした。
日本社会の中には、異文化を背景にしている人たちが日本人を含め様々な形で存在しています。異文化の問題だけでなく他の点でも,マジョリティとは異なることに耐えている人々が大勢います。それだけ多様な社会になっているにもかかわらず,この閉塞感。それはなぜかと言えば,人権尊重をベースとした社会を目指してきちんと表に出して議論し社会的な決断をする,といったことをきちんとしていないからだと思います。この日本という社会は人の痛みに対して非常に鈍感であると思います。・・在日問題は痛みと怒りの歴史を抱えた大きな問題であると同時にまさに日本人自身の問題であると思います。
石田正人:在日の人が生きやすい社会が,そしてそれ以外の在日外国人を含めてそうですが,結局は日本人にとっても生きやすい社会だと思うのです。・・・日本の場合,人権を表面的には言っていますが,本当の意味では一人一人の人権って何なのかを考える作業をしていない,注意を払っていないことの裏に何があるのかと言えば,徐さんのおっしゃった市場経済優先があると思う。
以上で引用を終わります。
京都大学の水野直樹さんという歴史研究者が資料を見つけたと1996年2月5日の朝日新聞にあります。
「水野助教授が発掘したのは,衆院議員で『議会制度調査特別委員会』の中心メンバーだった故清瀬一郎氏(1884~1967)が議員に配ったとみられる『内地在住の台湾人及び朝鮮人の選挙権,被選挙権に就いて』という文書など。この文書には,『選挙権を認むるものとすればその数二百万人に及ばん。(略)最少十人位の当選者を獲ることは容易なり。もし思想問題と結合すれば,次の選挙に於て天皇制の廃絶を叫ぶ者は国籍を朝鮮に有し内地に住所を有する候補者ならん』などと記されていた」。
自民党が外国人の選挙権付与にあくまでも抵抗するのは,天皇制の存立が危ぶまれるということだと思います。
岸田はこの愚行で何を守ろうとしてるんですかね…津木野宇佐儀(「月乃兎」改め)石垣島への陸上自衛隊配備について住民投票を求める規定数以上の署名を集めたのに住民投票実施を行政からも司法からも却下された異常事態沖縄は今も本土の捨て石にされている。 沖縄は大東亜戦争で日本本土の捨て石にされ,莫大な民間人犠牲者を出しました。戦後も裕仁天皇の越権行為により,米軍基地が半永久的に配備されました。選挙で民意を示しTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度No title 日本において高すぎる供託金が立候補の妨げとなり、結果として新しい候補や政治勢力の台頭を阻んでいます。先進民主主義国家と言われる国の中では非常識に高い供託金は、クテシフォン少女時代(소녀시대、Girl's Generation) 「다시 만난 세계」 (Into The New World、また巡り逢えた世界) (不定期連載、「気まぐれK-POPプレイリスト」)これらの曲もいいと思います。 ポーランド・ロックのシンガーソングライターであるKaśka Sochacka(カシカ・ソハッカ)のCiche Dni(静かな日々)とSpaleni Słońcem(太陽に灼かれて)
もいい曲だと思いますTakeshi政権政党に有利に作られている、選挙の高額供託金という参入障壁制度 選挙供託金制度は1920年代に普通選挙が導入された際、無産政党の参入を阻止するために制定されました。
これとセットになっているのが無産政党の活動を制限する治安維左の人日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対人権を嫌悪する者が付和雷同し、嫌がらせの言節を放っているのに食傷。 こんばんは。私も村野瀬さんも十数年にわたってSNSの言論の場に身を置いていますが、特に近年、「物事を丁寧に書き示す」より「対象物を手っ取り早くぶん殴れる」言節が伊東 勉広島サミットについての批判的メモサミットとは?そもそもサミットとは?
欧米列強&欧米列強の悪い部分ばかりマネしてそのおこぼれにあずかろうとしている日本が、これまで作り上げた国際秩序と自らの覇権を確保するため閉口首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。前近代的な日本の姿自民党は前近代的な世襲政治家が多い政党です。
岸田文雄も世襲政治家です。
首相公邸で遊ぶ岸田文雄一族。
まるで封建時代の絶対王政の国そのものです。
こういった政治家閉口日本に人道主義を導入して定着させよう。自民党政府の非人道性を見過ごせない。 #入管法改悪反対入管法改悪法案の廃案と帰国できない事情のある仮放免者に在留資格を付与することを求めます!入管法で改正が必要なのは、今の杜撰すぎる難民認定審査のあり方です。
日本は難民として認定すべき人を難民として認定していません。
それを改正するどころか改悪して難民閉口不祥事で議員辞職する維新議員はほとんどいない。こんな政党を支持・容認したり批判せずにいたりすることは維新の不祥事を支持するようなものだ。 #維新は最悪の選択肢 いわゆる「身体検査」が機能していないのでしょうね。日本共産党や公明党は選挙資金は党が負担するのが大前提です。大切な党のお金を使うのですから、候補者の選定基準も左の人袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。検察の指向性と日本政府の無謬性主義はパラレル 泉田裕彦に裏金を要求した星野伊佐夫元新潟県議が不起訴になりました。女性に強制性交すべく女性に受傷させたプロ野球選手は,不起訴の可能性が高いとも言われています。Takeshi差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約郵便局の窓口でアパホテルカレーを販売中郵便局に行ったら,窓口にアパホテルの元谷芙美子社長の写真が載ったアパホテルカレーが390円で販売されていました。買いませんでした。アパホテルは自民党に要望し,自民Takeshi#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。>ewkefcさん>自動車事故に遭わないため、遭わせないためには自動車を運転しないことなのね。
「生きているといろいろな問題があって大変です。だから、それらの問題を避けるためには村野瀬 玲奈#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。No title『#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9123.html
>コロナウィルスに感ewkefc#奪マスク #脱マスク を他人に強制しようとするな。徹底的に抵抗する。 マスクの効果は偉大ですよ。私のようなブサイクでもマスクをつければ堂々と人混みを歩けます。堂々と女性と会話することもできます(笑)。目の前でふんぞり返っている市左の人自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。 もっともっと貧しくなるでしょうね。
新自由主義をやめないからです。何でもかんでも非効率だとこの30年間国内の産業を空洞化させてきました。曰くこれからは金融だエ左の人の死刑FAQ (適宜更新)この世はダブル・スタンダードにあふれている。 差別はいけないと多くの人が言います。ところが自分の息子や娘が死刑囚の子と結婚するとなったら猛反対して必ず結婚をつぶすでしょう。「お前が結婚するということは,殺Takeshi#はだしのゲン を隠そうと大日本帝国主義勢力が広島はじめ各地で裏で動いていることが、この戦争漫画が戦争推進者の本質を突いていると証明している。 #はだしのゲンを無くすことに抗議します教育行政の犯罪・不当行為(広島県) 2003年3月に広島県尾道市立高須小学校で就任1年の民間人校長の慶徳和宏さん(56)が校舎正面1階の壁面に体をさらして自殺しました。2年半後,遺族の請求に対し,地方公務Takeshi大阪府 #堺市長選挙 では、維新の利益よりも市民全体の利益が重要。維新の利益は市民の利益を削ったところで生まれる。だから維新現職から野村ともあき氏へと #堺市長を変えよう 維新=犯罪組織「あなたが維新も自民も支持しないとしても、維新首長はどんどん落選させるべきです。そうでないとつけあがりますから。」
野村氏の言うとおり。
入管による「殺人」の被害boof同意の無い性行為を性的暴行として処罰するスペインの法改正性暴力を受けた苦しみは一生続く。yaping20 野田正彰さんは,海南島リー族の元従軍慰安婦の精神鑑定を求められ,現地に赴いたそうです。
〇〇さん(79歳)は14歳のとき,村に押し入った日本兵に拉致され,駐屯地Takeshi「東電の電気を使っている人は原発を支持していることになる」という勘違いああいえばこう言うの典型ですね「反体制も無謬性を訴えている訳ではありませんが、何か?」とこのツィに言い返しても問題はありませんよ。
こんなのを聞いていたら、自分が間違えた時に引き返せなくて周アンドリュー・バルトフェルド自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。No title『自民党のおかげで日本のGDPはG7最下位になった。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-9120.html
>自民党は日本を経済的に貧しくすることにewkefc軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。永山則夫死刑囚の予言は的中するのか。 永山則夫死刑囚は,ノート8(1970.5.25~6.27)の中で次のように述べています。
一言的に表現すれば,帝国主義国家であるかぎり,人間精神は五十歩百歩で進歩しないTakeshi軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。No title『軍拡(防衛)財源確保特措法案が通ると、日本を完全な戦争国家に固定してしまい、国民生活への良い影響は一つもないと予測される。』に対する意見
http://muranoserena.bewkefc広島サミットについての批判的メモ閉口させられるG7の姿勢核抑止として自国の核兵器は許し、それでいて自国の気に入らない国の核兵器は非難する(こんなふざけた暴論がまかり通るはずはありません)。
広島ビジョンはあらゆる核の閉口死刑FAQ (適宜更新)若い刑務官に気遣いを見せた死刑囚2005年12月25日に死刑を執行された藤波芳夫死刑囚(75)は敬虔なキリスト教徒でした。処刑日には車椅子で笑顔を浮かべながら礼拝所に入ってきたそうです。歩行不能の病人で高Takeshi死刑FAQ (適宜更新)永山則夫「無知の涙」 永山則夫死刑囚が起こした事件は「動機なき,理由なき殺人」と一般に言われています。本人はノート5(1969.12.12~1970.3.4)の中で「この事件は一種の自殺法なのです。Takeshi広島サミットについての批判的メモ岸田が本気で核兵器廃絶をG7として取りまとめる気があるのであれば、半日以上かけて本館の展示をじっくり見るべきでした。もちろん、バイデンもスナクも同様です。黙して語左の人維新の「身を切る改革」とは、「維新だけが得をする改革」のこと。 #維新に騙されるなNo titleいまだに日本はTV「水戸黄門」を視て溜飲を下げている、そんな感じですかね…(この方面では日本は最先端!…(溜息)
現実では「英雄」はいらない、害悪かと思うのですが。月乃兎1980年5月18日の韓国・光州事件での民主化運動弾圧の最高責任者の全斗煥大統領(当時)の孫が祖父の「重罪」について被害者遺族の前で謝罪No title光州事件もそうですが済州島・4.3事件など「韓国現代史のタブー」に対して韓国は、民主化後に政治だけでなく映画等の芸術・文化面でも歴史の現実に向き合ってきたという月乃兎