(2)からの続きです。
コリューシュの死後、「心のレストラン」をどうするか、幹部は議論を重ねます。コリューシュはこれからどうしようと考えていたかをめぐって、いろいろな意見が出たそうですが、スタッフ共通の思いを、コリューシュの配偶者であったヴェロニク・コリュチさんがこう言っています。
「『心のレストラン』というこのアイデアを捨てることは、自分の子どもの一人を捨てるようなものです。コリューシュが心のレストランについて語っていたとき、『この後は、それぞれの人がこのおもちゃで遊ぶままにすることだ』と言っていました。」
運動の方針を決めていたコリューシュはいなくなりましたが、残された幹部は、「心のレストラン」精神を次のように定義しなおしました。
* 恵まれない人々への尊重と連帯
* 直接的利益も間接的利益も無しの無償の奉仕活動であること
* 責任を受け入れ、その責任にもとづいた活動の約束
* 懇親的な心、チームスピリット、厳格さをもって活動すること
* 政治、宗教からの完全な独立
* 全国レベル、県レベルの方針への賛同
食糧のより効果的な調達、フランス各地への配送、配給所の確保、一括で入荷するたくさんの食品を取り分ける配給方法のさらなる改善などにも取り組みます。配給所となる場所をその町の役所から便宜を図ってもらえない場合は、古い映画館を使ったりテントを張ったり、使えるものを使ったそうです。
それと同時に、重要なのは、配布される食品は栄養のバランスを考えた組み合わせになっているということです。肉、魚、卵。野菜、パスタ、米、じゃがいも。チーズ、ヨーグルト、デザート。ミルク、小麦粉、油、バター、砂糖。これらをベースに、野菜の缶詰、レトルト食品、チョコレート、ジャム、クリームもときどき加えられました。カロリー数や栄養のバランスにこれだけ配慮していながら、一食当たりの値段もせいぜい5フラン(当時のレートで100円くらいでしょうか)に抑えられていたというのも驚きです。
このような苦労が実ったのか、前のシーズンにコリューシュがヨーロッパ議会に要請していた、ヨーロッパの過剰農産物の配給がいくつかの社会運動団体に認められました。
このような楽屋裏の真剣な仕事ぶりに心から感嘆せざるをえません。これらすべて、失業者や求職者や生活が苦しい人が身近にいるフランス人が貧困を自分の問題として受け止め、社会的連帯感を発揮していることの証だと思います。
残念なことも。貧困者でないにもかかわらずただで食糧をもらいにくる人たちや、運動名やロゴの不正使用などに対して対策をたてなければなりませんでした。コリューシュの名前を騙って路上で寄付をつのるなどの詐欺行為などです。また、貧困者が大勢来る中で全員に十分な食糧がない場合に、その中からもっとも無料の食糧を必要としている人たちを選ばなければなりませんでした。心苦しい、つらい作業です。
しかし、そのようなネガティブな面ばかりではないのは幸いなことで、援助の輪は着実に広がっていました。
定年退職する警官が、退職祝いで同僚から集まった寄付金を「心のレストラン」に届けに来ました。漫談家だったコリューシュは生前、警察をさんざんからかいのネタにしていたのに、その警官にはそれへの恨みは無しだそうです。笑
5フラン玉を何個か封筒に貼り付けて送ってきた子ども。
ある朝、配給所になんの説明もなしに置かれていた大きな貯金箱。
自分の畑からとれたジャガイモの寄付を申し出たある高齢の農業労働者。
社員が「心のレストラン」への寄付金を積み立てた企業。
朝食用の食材の残りを毎朝届けた大手のホテル。
このような運動の広がりに、政治も徐々に重い腰を上げるようになりました。社会運動への寄付で税金を軽減する法律の制定をコリューシュと「心のレストラン」は求めていましたが、1988年10月20日、やっとその法律がフランス議会で満場一致で成立しました。「食糧援助または住居援助の活動をする団体に寄付をした者は所得税の軽減をうけることができる」というこの法は通称「コリューシュ法」と呼ばれています。
以前のエントリーで「アリの掘っ立て小屋」というエピソードを紹介しました。この運動に参加した別の人の思いを伝える別のエピソードをもう二つ紹介します。
『私は怒っています』
ベルナール(仮名)
私は戦争の直後、パリの街中のみすぼらしい家で生まれました。私は子ども時代をなんとかんとか過ごしました。私たち一家は25平米の住まいに6人で住んでいました。本当の貧乏暮らしです。私の両親は仲が悪かったのですが、その時代は誰も離婚しなかったものです。私の父親と私の唯一のかかわりは、彼が私を殴ったことと、酔っ払って彼が帰ってきて一人で階段を上がれなかったときに私が彼をかつぎ上げたときの体の重さでした。
子どもとしての私の唯一の喜びは、私の母と、彼女の威厳と、フレンチトーストだけの夕食を王様の宴会に変えてしまう母の手際でした。
私が学業の修了証書を得たとき、私は貧乏人の運命を背負っていかなければならないことに怒りを感じていました。小売店の見習いになる、みんなと同じ道です。そうしたら、中学校の校長が家に来て、こう言いました。
「ベルナールは才能があります。彼は学業を続けるべきです。」
私の両親はそれを了承しました。どうしてそれが可能だったのか、いまだにわかりません。
校長が帰ると、私は一人になりたくて階段の踊り場に出ました。そこで、私は世界中に誓いました。いつか貧乏人の世界におさらばできても、絶対に貧乏のことを忘れまいと。
人生は続きました。私たちのあばら家はパリの最も名門の三つの高校の近くでした。でも、私はパリの反対側にある学校に行かされることになりました。私の両親は、奨学金を申請するのに鼻高々でした。本も文具も私は盗んでいたものです。私は決してつかまりませんでした。穴のあいた靴、一年中着ている同じ古着。私は本当に貧乏人の格好をしていました。でも、先生たちは私がどうやって生活しているか、どうして私の目にあざがついているのか、どうして私は鼻がつぶれているのか、決して私に尋ねたことはありませんでした。
私が18歳になった日、母が私に言いました。
「あなたのお父さんは本当のお父さんじゃないの。あなたの本当のお父さんがあなたに会いたいって。」
こうして私は私の生まれについて、私の両親の隠された愛の物語を知りました。こうして私は私の目にあざがついていることと私の鼻がつぶれているかを理解したのです。
私は父に会いました。私たちはお互いに全くの赤の他人のようでした。私はその頃、アナーキスト同盟で社会運動を始めて2年になっていました。一方、父は裕福なブルジョワで、大銀行の部長をしていました。彼は私の言うことを全然理解しませんでした。彼は私がどこ出身かすら想像できませんでした。話が全然通じなかったのです。
私は私なりの人生を歩みました。どこからも排除され、私の怒りと折り合いをつけられない重荷を永遠に背負っていました。アルジェリア戦争に反対する闘争がありました。そして、1968年のフランス五月革命がありました。私は思想で、あるいは時には暴力に訴えてでも世界を変えたかったのです。それがうまくいかないことがわかると、私は人権擁護のために闘いました。それがうまくいかないことがわかると、私は人々のほうに顔を向けました。
1993年春のことです。私の友達が私に、心のレストランのトラック配送に同行してほしいと提案しました。私は行きました。様子を見に。そして、見ました。パリの街中で空腹に苦しむ人々の多いこと。私にとって、顔に拳骨を食らわされたような思いでした。
トラック配送では、ただ食べ物を配るだけではありません。話をし、言葉をかわし、人に出会います。私は学びました。路上生活をする人たちとどうやって付き合いに入るか、私は時間をかけました。徐々に時間をかけていきました。彼らの貧困の裏に、私と同類の彼らの姿を私は見ました。友愛に飢えた姿です。
私の暮らし向きがよくなればなるほど、私は彼らを身近に感じるようになります。そして、怒りもつのります。
私は怒っています。路上生活者に唾を吐きかける保守的な通行人の罵倒から身を守ろうとしたからといって路上生活者を禁固刑にする司法に対して。
私は怒っています。こういう通行人が路上生活をしている人たちを見もしないことに対して。
私は怒っています。貧乏人を排除に追いやり、軽蔑し続ける学校制度に対して。
私は怒っています。社会団体や社会制度を自分の個人的権力をふるうために使う人々に対して。
私は怒っています。「何もできない、しかたがない」という言葉を聞くたびに。
私は怒っています。排除された人々をまず同胞として見るのではなくて援助を与えなければいけない人として見ることに対して。
私は怒っています。路上生活者の言うことを聞きながらも彼らに発言の場を与える勇気を持たないことに対して。
私は怒っています。他人を排除する権利を好き勝手に主張する人を見るたびに。
私は怒っています。私は自分の生きる世界で起こっていることに私は責任を負うから。
私は怒っています。生きていることさえ申し訳ないと思うまでに排除されていると感じる人がいるたびに。
『冷凍食品』
フランソワ(仮名)
その老婦人は袋入りの食糧を二人分、定期的に取りに来ていました。彼女自身と、配給所では誰も見たことがない彼女の夫の分です。彼は食べ物に関しては好みが細かいようでした。袋入りの食糧に冷凍食品が入っていると、彼女はいつもつぶやいていたものです。
「ああ、あの人はこれ、好きじゃないのよね…」
ある日、その老婦人の住む地区の女性が一人、援助食糧を受け取るための申し込みにやってきました。その老婦人が二人分を持ち帰るのを見て驚いた彼女は、隅に私を引っ張っていって、こう教えてくれました。
「どうしてあの人にあんなにたくさん食糧を出すのかわからないです。あの人は一人暮らしですから。」
「そんなことはありませんよ。彼女の旦那さんは病気で、動けないんです。だけど、ちゃんと旦那さんは生きていますよ。何年もあの方々には援助をしていますから。」
「そうかもしれませんけどね。でも、よく確かめたほうがいいですよ。不正直な人たちもいますからね。残念なことに、心のレストランにも…」
この「暴露」に驚いて、また、あの魅力的な老婦人が「心のレストラン」をだましているという考えにいやな気持ちになって、私ははっきりと確認することにしました。私は翌週、彼女が配給所を後にすると、そっと後をつけました。
老婦人は右に曲がり、左に曲がり、また右に曲がり、墓場の入り口まで来ました。彼女は慣れた足どりで入っていくと、ある墓の前に向かいました。彼女は袋から皿とナイフ・フォークを出すと、墓石の上にそれらをていねいに乗せ、それから彼女の亡くなった夫に食事を出したのです。
「ええ、わかってますよ、また冷凍食品ですよ。でも、気難しいことは言わないでね。何もないよりもいいでしょう。それに、よく考えてみたら、冷凍食品だって、そんなに悪くないでしょ。」
その老婦人は自分自身が亡くなるまで、二人分の食料品を受け取り続けることになりました。
この記事、
(4)に続きます。
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以下は中学校学習指導要領の解ewkefcノーベル賞学者の平和主義日本のジャーナリストからノーベル平和賞受賞者はなぜ出ないのか。 2021年ノーベル平和賞を受賞したマリア・レッサさんは30年以上ジャーナリストとして活躍してきました。ニュースサイト「ラップラー」の最高経営者・編集長を務めます。19Takeshiアメリカなどによる2003年のイラク攻撃は誤っていた。そのことを認めようとしない #自民党 の日本は、自らの過ちを反省できない重大な欠陥を抱えたまま失敗や破滅に向かって暴走し続けるのか。No title『アメリカなどによる2003年のイラク攻撃は誤っていた。そのことを認めようとしない #自民党 の日本は、自らの過ちを反省できない重大な欠陥を抱えたまま失敗や破滅に向かewkefcコオロギ食、昆虫食はお断りします。日本は外国人観光客に心地よい食事を提供できているか。 私が娘から聞いたところでは,中国人観光客が日本に来て困るのはお湯(白湯)を飲むことができないことだそうです。仕方なくマクドナルドで紅茶のようなものを買うと,テTakeshi沖縄で「職務」中に『土人』暴言を行なった大阪の機動隊員が、レイシスト右翼活動家に自ら名前を呼んで話しかけて談笑していた件「4月1日=Lデー」を忘れてはならない。 1945年4月1日,アメリカ軍兵士18万名が沖縄本島の読谷村と嘉手納の海岸に上陸しました。Lデーは,アメリカの日本侵略開始の日の暗号なであるラヴ・デーのことを言いますTakeshi日本の戦争責任についての神奈川新聞のすぐれた記事本島等長崎市長の発言 1988年12月7日,長崎定例市議会で本島等市長は共産党議員からの質問に答えました。
「戦後四十三年たって,あの戦争が何であったかという反省は十分できたというふうTakeshiカルロス・ゴーン氏の逮捕、勾留と、日本の人質司法日本の司法制度改革を求める。 日本の司法制度改革を次のように求めます。
・ 政府から独立した人権委員会の設置が必要である。
・ 裁判員裁判で死刑の決定を下すには,裁判員多数決によらず全Takeshi片方のチームの反則選手にレッドカードを出さない審判や当の反則選手を自ら批判せず、相手チームを「手詰まり」と評しているような不甲斐ない時事ドットコム @jijicom #マスメディアへの不信 #マスメディアへの不満No title『片方のチームの反則選手にレッドカードを出さない審判や当の反則選手を自ら批判せず、相手チームを「手詰まり」と評しているような不甲斐ない時事ドットコム @jijicom #ewkefc袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。鑑定不正 本人訴訟で裁判を経験してみると、判事がトンデモだとすぐ分かる。
私は民事で原告だけど、捏罪された。
よって刑事裁判では冤罪が多数ある。
風間博子さん、林眞須美檜原転石なんで性暴力の被害者を批判する弁護士が偉そうにするかな。女の子のトイレを覗いていた元加害者としての自分を恥じるべきではないのかな。ゴロツキ弁護士 徳永信一は極右弁護士ですが、例えば右翼弁護士(木原功仁哉・南出喜久治)が反「ワクチン」訴訟などをやっていて、「ワクチン」打て打てキャンペーンのメディア及び挙国檜原転石袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。袴田事件は冤罪そのもの「疑わしきは被告人の利益に」が近代司法の原則ですが、日本では疑わしきは罰せられます。
検察の起訴した事件の有罪率が99%、本当に99%が有罪なのか?
そんなことは閉口日中国交正常化50年に寄せて中国とホンジュラスの国交樹立を歓迎するアメリカの裏庭といわれた中南米のホンジュラスが3月26日アメリカの圧力、妨害をはねのけ新中国との国交樹立を発表しました。
心より歓迎したいと思います。
アメリカの閉口孤独の中で援助もなく死産した技能実習生のベトナム人女性は何も罪を犯していない。リンさんへの逆転無罪判決を歓迎2023年3月24日,最高裁は死体遺棄罪に問われていたレー・ティ・トゥイ・リンさんに逆転無罪判決を下しました。これでリンさんの無罪が確定しました。たまには最高裁もまとTakeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。冤罪と死刑 過去にトンデモ発言をした萱野稔人・津田塾大学教授ですが,死刑についてはまともな議論をしていると思います。「死刑 その哲学的考察」(萱野稔人/ちくま新書)から一Takeshi差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約他人を出汁にする人間前コメントの未来さんのおっしゃる様に、誰かを嫌な気持ちにさせてやりたい攻撃性がある人ばかりが、目立ちます。
最近、そうなったのか、あるいは以前からそうだったのかK.Minaイギリスでは嘘の答弁をしたら議員失職になる可能性があるそうです。日本の自民党政府も、そうあるべきです。自民党議員が半分そんな事が日本でも適用されたら、自民党議員は半分になってしまいますね(爆笑)
忘れてました…維新もです(爆笑)
どちらも大将から嘘つきですから。K.Mina日本国と日本人が大日本帝国軍性奴隷制度(従軍慰安婦制度)という蛮行の史実を記憶して二度と繰り返さないために反省しないなら、日本人以外の人々がかつての日本の蛮行を記憶する。カッセル大学で「平和の少女像」が撤去された。ドイツ中部の州立大学、カッセル大のキャンパスにあった「平和の少女像」が2023年3月9日,突然撤去されました。旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する少女像は昨年7月,同大学Takeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。冤罪による処刑阻止のために死刑廃止が絶対に必要。「冤罪袴田事件 検察庁は再審開始を認めた東京高裁決定に対して特別抗告をしないでください」のアクションに賛同した私は,電子署名を行いました。先日,弁護団の戸舘圭之Takeshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title今回の袴田さんの再審決定の件を、メディア(特にTV)がWBCで過剰に騒いでかき消しているように見えてならないです。
冤罪を生み続ける警察・検察を徹底的に批判して、今後月乃兎袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title>検察を起訴し検察を有罪にすべきだとすら思います。
全く同感です。yoshi袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。No title『袴田巌さんの完全無罪を勝ち取り、無罪の者を無理に有罪にして真犯人を逃がした検察の過ちと暴力を解明すべき。』に対する意見
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blogewkefc自民党の城内実・衆議院議員から国連人権弁務官への攻撃発言がひどすぎるNo title杉田水脈を総務政務官に任命したのも絶句でしたが、よりによってこいつにLGBT特命委員会事務局長をやらせる岸田文雄の思考法が全く理解できない
自民党LGBT特命委員会事務名乗るほど者ではありませんが差別主義経営者のいるホテルチェーンと日本サッカー連盟との不適切なナショナルチームパートナー契約日本は永遠に「差別主義者が幅を利かす国」なんだろうな。これはWBCでの一幕なのですが、旭日旗を振り回して悦に入る日本人……
旭日旗がどのようなものなのか理解していればこんなことには、とも以前は思っていたのですが、どうも最未来バイデン米大統領は「未来永劫謝罪する義務を未来の世代に課してはならない」とは言わずに、今年も第二次大戦中の日系アメリカ人強制収用と公民権剥奪について反省と謝罪を新たにした。 #国家としての謝罪決して謝罪しないアメリカが謝罪した希少例ヒトラー・ナチスの手本は、米国の黒人差別法と先住民の強制収容所だった。
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html
優生学の親玉アメリカ問題は、それを巨大檜原転石ヘイト批判記事を書いた神奈川新聞の石橋学記者を「名誉棄損」として一部敗訴させた横浜地裁判決はおかしい。石橋記者の話を聞きます石橋記者を講師にオンライン講演会をします。
詳しくは
https://jcjkikansh.exblog.jp/32922330/ywatari4障害者自立支援法訴訟、和解へ重度の障がいを持って生まれた子の養子縁組 NPO法人みぎわは,障がいを持って生まれてくる赤ちゃんの特別養子縁組をあっせんする日本で唯一の施設です。中絶は年間20万件ほどあるそうです。協力病院の産婦人科医師Takeshi死刑FAQ (適宜更新)袴田巌さんの一刻も早い無罪を切望する。 2023年3月13日, 東京高裁は「無実の死刑囚・袴田巌さん」の再審開始を決定しました。決定で注目すべきは、決定理由中に,「捜査機関が証拠を捏造した可能性が極めて高いTakeshi自民党政府の作る行政文書は、自民党幹部世耕弘成氏によれば、真正・真実であるとは限らないらしい #自民党に投票するからこうなる#自民党に投票するからこうなる安倍チルドレンの高市氏は、総務大臣だった当時「行政指導に従わない放送局は電波停止にする」という恫喝発言で大炎上を巻き起こしました。
今回の文書の内容はこの恫喝発閉口強制ではなく任意であるはずの #マイナンバーカードの義務化に反対します #保険証廃止はありえない #保険証廃止の閣議決定に抗議します (2)自民党の十八番自民党の十八番
当初は任意であるといっておきながらいざ決定となると強制にしてしまうのが自民党のやり方です。
思い出されるのは1999年に成立した国旗国歌法、大日本閉口