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「国旗国歌の強制」とは、「精神内面への強姦」ではないでしょうか? (1)



国旗国歌問題は一本の記事の中で一気にありとあらゆる角度からすべての論点をあげて一つ一つ完璧に説明しつくすことが望ましいのかもしれません。でも、いずれすべての論点を網羅した長い記事を書く必要が出てくるにしても、今はどうしてもこのことだけは独立した記事としてずばりと書いておこうと思ったことがあるので書きます。

「国旗国歌への一定の恭順の態度の強制」とは、「精神的強姦」ではないでしょうか、と。

びっくりする方もいるかもしれません。でも、「強制力をともなう権力からの一方的な命令」と「個人の思想」の二者の間の力関係をよく考えてみれば、「国旗国歌への一定の恭順の態度の強制」とは、「強姦」という行為が持つ上下的・一方的・暴力的性質によく似ていると思われるのです。

そのことをこれから説明してみます。

まず、「国旗国歌を強制することを是とする論者」の主張の多くには、「国家権力が国民に一方的に命令すること」の「力関係における非対称性」つまり「暴力性」についての思いがほとんど感じられない、ということがあります。その一方で、立憲主義についての記事ですでに書いたように、国家権力は憲法、民主主義、立憲主義を本来守らなければいけないはずなのに、国家が憲法や立憲主義、民主主義原理を破ったときに国家に憲法や立憲主義、民主主義原理を守らせようとする姿勢が「国旗国歌を強制することを是とする論者」には全くといっていいほど無いように見えるのです。この二つのことをまとめると、権力を持つ国家が権力の横暴の前には無力な国民に一方的に何かを強制するということの弁護には熱心だけど、国家の勝手な振る舞い、あるいは国家の行為が持ちうる「暴力性」には非常に寛容であるという特徴を「国旗国歌を強制することを是とする論者」の思想は含んでいると考えられるのです。

そもそも、本来、民主社会では国民こそが主権者です。しかし、「国旗国歌を強制することを是とする論者」の主張には、民主主義に必要不可欠な「思想信条良心の自由」という重要な原則に対する尊重があまりないとしか思えないのです。

二者が「一緒に」「何か」をする時には、ふつう、両者の「双方向的で合理的な合意」が必要なはずです。しかし、「国旗国歌を強制することを是とする論者」の主張には、両者の合意を図ろうという姿勢がほとんどないものが多いようです。まあ、両者の力関係の非対称性についての配慮が「国旗国歌を強制することを是とする論者」にはほとんどないことからしてそれは必然的なことなのだと考えられます。それは、「国旗国歌を強制することを是とする論者」の主張には、近代民主主義の原則からして本来は強制できない物事を強制することを正当化しようとする傾向と、強制を嫌がる者の自由な人格を認めず主張も聞かないと言う傾向の両方を含むと考えられるということです。

しかしまあ、「国旗国歌を強制することを是とする論者」の主張に「あえて」好意的になるならば、「国旗国歌を国民全員に強制することが何かの利益になる」と信じているということなのでしょう。何の利益になるのかは私にはわからないのですが。

「国旗国歌を強制することを是とする論者」の頭の中でその主張が正当であると意識されているとしても、国旗国歌を強制することに反対する者があげる強制反対の理由もまったく同じように正当なはずです。なぜなら、「国旗国歌を強制することを是とする論者」の主張が一方的に全面的に正しくて「強制に反対する者」の主張が一方的に全面的に間違っているとは考えられないからです。「国旗国歌を強制することを是とする論者」は自分の頭の中で当然のこととなっている「国旗国歌強制論」を強制に反対する者にていねいに説明して「納得してもらう」ことをしなければならないと思うのですが、そのような「説明と納得のプロセス」がなされることは結局なくて、多くの場合、最後は権力をふりかざした見苦しい強制になってしまうのです。

実際、たいへん残念なことですが、「国旗国歌を強制することによってどんなに有意義なことが実現するのか」ということを「国旗国歌を強制することを是とする論者」が的確に論じているのを見たことは私はほとんどありません。少なくとも、私にとっては、国旗国歌を強制することは人間にとって、また、社会にとって、さらには民主主義にとって、害こそ多々あれ益は非常に少ないかほとんどないと思われるのですが、それは以前にもいくつかの記事の中で少しずつ書いてきましたし、これからも折りにふれて書くことになると思います。(長くなるので今回はあえて省きます。)

さて、ここで「国旗国歌を強制する態度」は「強姦」に似ているということに話がくるのですが、「国家権力」と「一般国民」の両者の間に対等な関係なしに、また、上のような「説明と納得のプロセス」なしに国旗国歌を強制する態度は、強姦被害者の(実際には存在しない)落ち度を一方的にあげつらうことまでして強姦を合理化する「ある種の人々」の態度とよく似ているように私には思われるのです。

まさに、両者の合意がなく、一方がいやがっているのにもう一方が権力あるいは物理的力で強制するセックスが「強姦」であるなら(実際そうですが)、関係が対等ではなく、説明と納得のプロセスもとぼしく、強制される側をしばしば過剰な批判にさらしながら行われる「国旗国歌の強制」はまさに強姦の図式と同じではないか、ということなのです。

強姦者はいやがる相手に対して行為を強制します。そのプロセスには合意も納得もありません。そして、強姦者は被害者から訴えられたときに、ありとあらゆる言い訳を駆使して「あれは強姦ではなかった」などと言い訳をするものです。これは、「国旗国歌を強制することを是とする論者」がありとあらゆる言い訳を駆使して「これを強制と感じるのはおかしい」と言い募るのと紙一重だと私には思えるのです。

こう考えてくると、「国旗国歌の強制を正当化しようとすること」はまさに、「強姦を正当化しようとすること」と同じことであると私には思えるのです。

(すでに長くなったので今回はここで区切りをつけますが、次の記事で少しだけ別の視点を補足します。)



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捕鯨について (1)



捕鯨について私の考えを少し書いてみます。

私は捕鯨についてはそんなに詳しくありません。しかし、数年前までは日本の捕鯨を弁護する漠然とした考えを持ってきました。その主な理由はこんな感じでした。

1, 捕鯨は日本を含む捕鯨国の伝統的な文化であり、捕鯨国が少ないからといって捕鯨をやめさせることは文化の破壊である。
2, 豚を食べないイスラム教徒や牛を神聖視するヒンズー教徒が欧米諸国に行って豚肉や牛肉を食べる習慣を非難する運動をしているわけではないのに、なぜ鯨を食べない者が鯨を食べる国に来てあれこれ干渉をするのは筋がとおらない。
3. 鯨の絶滅を避けるべきだという自然保護上の理由で捕鯨に反対するというのであれば、捕獲する鯨の数をきちんとコントロールすれば鯨が絶滅するということはないはずである。
4. 鯨が可愛いから保護しようというのは主観的で感情的な理由にすぎない。

実は今、日本のおこなっている捕鯨の現状についてだんだんと知識もついてきて、環境保護や資源保護の重要性も意識するようになったので、以前ほど日本の捕鯨を弁護する気がなくなったというのが正直なところです。完全な反捕鯨派に転向したわけではないし、上にあげた理由のいくつかは今でも有効だと思うのですが、「国をあげて捕鯨にそんなにこだわらなくてもいいじゃない?捕鯨は続けてもいいけど、別にやめてもいいんじゃない?」という気持ちになっています。そのいきさつを少しお話ししてみましょう。

まず、一番目の理由について。たしかに、過去については捕鯨は日本の伝統文化だったのでしょう。だけど、現在のように南極洋やオーストラリア近海など遠くまで大型捕鯨船で出かけていって大量に捕獲するというのが日本の伝統的捕鯨の姿だったのか、という疑問を持ったのです。日本の伝統的捕鯨というのはむしろ近海で少数の鯨をとる、というものだったのではないでしょうか。

それに、伝統文化だといいながら、今どれだけの日本人が鯨を日常的に食べているのでしょうか。私個人は、何を食べてきたか思い出せるここ10年くらいで、鯨の肉を食べたのは2回くらいしかありません。それも、かなり特別な機会です。日常的な食事として食べたわけではありません。そのときは美味しかったので機会があればまた食べてみたいとは思いますが、ただ、別にしょっちゅう鯨を食べなくても困らないので、鯨食が日本の伝統文化であると力説する気持ちは個人的にはかなり薄いというのが正直なところです。鯨を食べる機会は多くの日本人にとって非常に少ないと思うので、鯨肉への「愛着」の低い私のこの正直な気持ちは多くの人に一応理解していただけるのではないかと思いますが、どうでしょう。

エスキモー民族が鯨の肉を食べているのは近くで自分たちが食べるだけ捕っているということで、食生活と文化の枠で考えられると思うのですが、日本が南極洋まで出ていって大量に捕獲するということを伝統文化というのは無理があるということに十分な理由があると思うのですがどうでしょう。

もう一つ、私に日本による捕鯨の弁護をさせる気を薄くさせたのは、現在の日本の捕鯨の実情なのですが、これはちょっと長くなりそうなので、ここで一区切りをつけて続きの記事で説明したいと思います。(というわけで、その2に続きます。)



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「国民が国家に憲法を守らせる」



憲法について大切なことは、憲法がいくら立派であっても、それを「守らせなければ意味がない」ということ。

では、誰が誰に守らせるのでしょうか?

この秘書課広報室の常連の読者さんなら答えはわかりますよね。また、今日初めてここを読む方でご存じなかった方もこの機会にぜひ知っておくようにお願いします。

憲法とは誰に守らせるものでしょうか?答えは、「国民が国家に憲法を守らせる」ということです。

「国家が国民に憲法を守らせる」のではないのです。国民が国家に憲法を守らせるのです。

「国民が国家に憲法を守らせる」、これを「立憲主義」といいますが、私は、古代の君主主義や専制主義や封建主義から長い年月を経て民主主義にいたる歴史のプロセスで人類が獲得した大切な考え方だと思っています。そして、この立憲主義を国民の一人一人がはっきりと意識して、それに加えて、政府や政治家の一人一人が憲法を尊重し守ることがなければそれは民主主義ではないと考えます。憲法の中にいくら「民主主義」という言葉があっても、それだけでは足りないのです。この立憲主義を政府や政治家の一人一人が尊重し守ることがなければそれは民主主義ではないということなのです。

そもそも、「国民主権」という考え方が民主主義の基本。民主主義国家においては、主権者は国家ではありません。主権者は国民です。国民が主権者として国家に「ああせよ、こうせよ」と命令、要請するのです。その命令の原則が「憲法」です。国家や政治家が憲法を尊重しなければ、つまり、国家が国民の命令や要請を無視したらそれは民主主義ではないということなのです。

ここを勘違いして「国家が国民に命令するのだ」と考える人たちが日本では政府にも政治家にも一般国民にもあまりにも多いため、日本の政策論議、政治論議、そして憲法論議がしばしば迷走し、国民を苦しめる政策が堂々とのさばるのだと思います。日本の政治を私が前向きに評価できないことが多いのはまさにそこなのです。

いくら「民主主義」をうたっていても、政府や政治家に憲法や立憲主義や民主主義を尊重する意思がなければそれは民主主義ではないのです。私はそのことを声を大にして訴えたいし、多くの人に意識してほしいと思っています。

その典型的な例が北朝鮮、「朝鮮民主主義人民共和国」です。国名に「民主主義」とうたうだけでは民主主義国とは言えない、そのことがこの一例からよくわかります。それと同じく、憲法で「わが国は民主主義国である」とうたわれていてもその国が民主主義国であるとは限らないのです。まさに日本がその典型的な例になりつつあるというのが政治結社「世界愛人主義同盟」秘書である私の見立てです。

自民党の2005年10月28日の「新憲法草案」が「民主主義」を普遍の価値だと称していても実際には民主主義は格段に弱まっている「草案」であることをよく覚えておくことは民主主義を望む国民に必要な姿勢だと思います。

「『民主主義』をうたいながら本当のところは民主主義でない国」から脱却しないと日本に未来はない、そのことははっきりしています。そして、「民主主義」と「立憲主義」を政府や政治家に守らせる努力を国民自身がしないと日本は本当に「北朝鮮」とかわらない国になってしまう、私は心からそう思っています。当「世界愛人主義同盟」に敵対的、批判的な読者のみなさんやそのようなトラックバックを送ってくるみなさんにもぜひそのことを理解してほしいと私は心から願っています。

当「世界愛人主義同盟」に敵対的、批判的な方々は北朝鮮に非常に批判的な傾向があると私には思えるのですが、そのような方々の書くことを拝見していると、日本を北朝鮮化したいとしか思えないので、そのような矛盾を解消してほしいと考えて、このような記事を書いているわけなのです。(^^ ;;



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自民党新憲法草案(2005年10月28日発表)と1946年現憲法を読み比べよう (2)



「自民党新憲法草案(2005年10月28日発表)と1946年現憲法を読み比べよう (1)」の続きです。現憲法と自民党の「新憲法草案」とを読み比べて感想を書く作業を続けます。現憲法を自民党の意向に沿って変える必要があるのか、今のうちからできるだけ多くの人たちが考えておく必要があると思うからです。

当秘書課広報室では、自民党草案を参照しやすいように、松山大学が自民党草案を載せているサイトにサイドカラムでリンクを張っています。よろしければご利用ください。

では、第二回は、第12条「国民の責務」です。

まずは現憲法から。

現日本国憲法 (1946年)

第12条

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

(引用ここまで)

次に自民党の草案。

自民党「新憲法」草案 (2005年10月28日)

第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。

(引用ここまで)

読み比べた感想を適当に書いてみます。

ポイントは、現行憲法の

「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」

という文章が、

自民党草案では

「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」となっているところにあります。

現行憲法の「公共の福祉」は、個々人の「自由」がぶつかったときの調整原理として出される概念だときいたのですが、自民党草案は明らかに国家を国民の上においており、「国民の権利はいつでも国家が制限できる。権利は行使してはいけない。」という意味に読めるのです。

ちょっとした違いのようでたいへんに重大なちがいです。

最後にもう一度現行憲法の第12条を読んでみましょう。

現日本国憲法 (1946年)

第12条

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

(引用ここまで)

現行憲法で国民に無制限の放逸が奨励されているわけではないのです。現行憲法でなにか問題があるでしょうか?

また勉強してこの条文についてはまた書くでしょう。



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プロフィール

村野瀬 玲奈

Author:村野瀬 玲奈
日本の民主主義化運動のために、国会議員、行政機関、マスメディアに主権者、納税者、市民の声を届けるお手伝いをするサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」秘書。護憲派アマゾネス軍団労働組合所属(笑)。派遣秘書としてこちらにも勤務(笑)。
この秘書課広報室備え付けの国会議員の政党別・委員会別・都道府県別などの名簿の一覧と使い方はこちら。たとえば、民主主義的の原則からして正当で透明度の高い政策や立法を行なうように民主党幹部に要望の投書をするなど、自由にご活用ください。名簿の最終更新日は2008年1月23日。
現在、コメントは「管理人承認制」、トラックバックは「承認なしでの表示、事後の承認または削除」としています。詳しくはこちらをご覧ください
なお、このブログ上のコンテンツは個人的あるいは教育的目的などの非商業的理由で製作・使用されるものであり、商業的目的を持つものではありません。

読みにくい方、レイアウトに意見のあるかたは具体的にお願いします。(ここをこうしてほしいとか、誰それのブログみたいにしたらどうかとか。)

憲法は国の誤りと暴走から国民を守る基本法

憲法は、国から国民への命令書でも「日本の伝統」の定義文書でもありません。

パンダバナー

「壊れる前に...」のうにさんのアイデアをもとに「Gazing at the Celestial Blue」(旧「13日の水曜日」)の碧猫さんが作製。一方、国民主権や基本的人権を制約することをめざす自民党新憲法草案全文(2005年10月28日発表)はこちら。(1946年現憲法との比較付き。)

9条世界会議

9条世界会議@2008.5 幕張メッセ

「世界愛人主義同盟」(笑)は死刑に反対です

『司法の現実の中では、死刑とは何でしょうか。12人の男女の陪審員。2日間の審問。事件にまつわることがらの奥底まで触れることは不可能。そして、数十分、時には数分で罪悪性についての非常にむずかしい問題に断定的に判断をくだす。それ以上に、ほかの人の生死を決定するという恐ろしい権利もしくは義務。12人の人が、ある民主主義国で、次のようなことを言う権利があるというわけです。「こいつは生きていてよい、こいつは死ななければならない!」と。私ははっきり申します。この司法の構想は、自由の国のそれではありえません。まさに、そこに含まれる全体主義的な意味のゆえにそう言えるのです。』

1981年9月17日、フランス国民議会、死刑廃止法案の審議における、法務大臣ロベール・バダンテール Robert Badinter の演説から引用)

■死刑廃止論FAQはここをクリック。

世界人権宣言を読もう

『第十九条 すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。』

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